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2013年1月31日木曜日

イ・ソンヒとイ・スンギの関係

MLBPARKの掲示板に、「イ・ソンヒとイ・スンギの関係は非常に独特のケースでしょう。」(2011年6月1日)の投稿があり、署名は何と「坂本龍馬」なのだ・・・なぜ?
次のように、イ・ソンヒの人となりも含めて語られていて関心深い。感謝。

(本ブログ関連:"イ・スンギ")
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これ(イ・ソンヒとイ・スンギの関係)が、囲碁のような徒弟制度で伝わるケースではよくあることだけど・・・

芸能界ではほとんど見られない事例でしょう。

イ・ソンヒとイ・スンギが初めて出会ったのが2002年の冬頃なんですが・・・

これは、もう放送であまりに何度も語られて良く知られた話でしょう。 

その年の秋に、イ・ソンヒが大学路(テハンノ)に小劇場を買いとったが、当時上渓(高等学校の)バンド ・サークルにいたイ・スンギが、その地域のバンド サークル連合コンサートを企画して、公演会場がイ・ソンヒ所有の小劇場であって、そこで初めて会ったそうですね。

そして当時は、イ・ソンヒとイ・スンギの所属会社である「フックエンターテインメント」が今のような演芸企画会社ではなかったために・・・(当時も、あることはあったが、これは芸能人企画会社というよりは一種の公演企画会社の性格でした。イ・ソンヒが本人の公演を直接企画しながら必要になって作った会社でしたよ。芸能人を育てようと作った会社でなく)・・・他の企画会社のように合宿所のような所もなかったし・・・それからデビューする前の約1年ほどを、イ・ソンヒが(彼を)直接自宅に連れていきました。

歌手としてトレーニングするだけでなく、ご飯も炊いてあげ、学校に行かせながらママの役割までしたんですね

これは「遊びにおいで」でも話したが、詳しい話は、イ・クムヒの「朝の広場」で、数回出てきたことがあります。イ・スンギの非公式な放送デビューが、2004年度に「朝の広場」で、イ・ソンヒの自宅が最初に紹介される回でした。その後にも、イ・ソンヒの家が出てくる時、イ・スンギが共に出てきたことがあったし・・・

そして・・・イ・スンギが発表したアルバムの中で、イ・ソンヒが米国に行っている時に出した2枚のリメーク ・アルバムと3集を除いた残りの1、2、4集の企画者はイ・ソンヒです。1集は、サイが一緒にプロデュースしたが、2、4集は、イ・ソンヒが企画とプロデュースの責任を負いましたよ。

また、イ・スンギの3度のコンサートの中で、イ・ソンヒが米国に行っている時のコンサートを除いて、2度のコンサート公演の演出者がイ・ソンヒです。そのおかげで、イ・スンギのコンサートの構成は、イ・ソンヒのコンサートとほとんど完ぺきに全く同じです。歌手が全然違うけれども、同じ人が企画したというのがとても分かるほどで・・・

コンサートの話をもっとするなら・・・2004年以後、イ・ソンヒのコンサートには固定ゲストが常にいます。みなご存じのように正にイ・スンギですよ。歌手としてイ・スンギのデビューは、「僕の彼女だから」でなく、厳密にいえば、イ・ソンヒの2004年の「20周年コンサート」でした。まだアルバムが出る前、イ・ソンヒのコンサートにゲストでプロ舞台に初めて立ちましたよ。そして、本当に特別な事情がない限り・・・ イ・ソンヒがコンサートをすれば、その場所がどこでも、その時間がいつでも、イ・スンギはゲストに出てきます。

20周年(コンサート)の時も同じで、2006年の「因縁」(コンサート)の時も同じであり、今年(2009年コンサート)も同じです。 (さらに、その忙しいスケジュール下で、10分の舞台のために米国(カーネギーホール)にもついて行きましたよ。) イ・スンギが言うには、(イ・ソンヒ)先生のコンサートに自分が出るのは、ゲストに出るのではないといいます。

ただし、2009年の全国ツアーの場合、当時の日程が「華麗なる遺産」のドラマ撮影と重なったため、イ・スンギがゲストとしてたくさん参加できなかったが、ドラマ撮影が終わった後は全て参加したし、いつも話が先生のコンサートには自分が常に出なければならないのに、今年は出られないので惜しいという話でした。

(これは個人的な考えですが・・・イ・スンギが一般的な芸能人と比較すると、まだ軍隊に行く時期がしばらくあったけれど、すでに軍隊の話をしていて具体的に三十になる前に転役(予備役)する。と、話すのが・・・イ・ソンヒの30周年コンサートの日程と関連があるでしょう。イ・スンギは、イ・ソンヒの30周年となる2014年に司会でなければなりませんね。今回のコンサートでも、スンギが出てきて、とりわけ27周年(2011年)《一昨年(2009年)のツアーが終わった25周年だから当然だが、27周年になぜ!!! 》を強調しましたよ。)

では、イ・スンギのコンサートにイ・ソンヒはどうするのか・・・

これが事実とはちょっと驚くべきです。前にこのような前例は見たことがないけれど・・・ 前に話したように、イ・ソンヒが「イ・スンギコン(サート)」を企画・演出する総監督じゃないですか? ところで、その総監督が公演のゲストとして(舞台に)立ちます。昨年、イ・スンギのコンサートにイ・ソンヒがゲストで登場するという話があったが、事実私も信じませんでしたね。イ・ソンヒのコンサートに、イ・スンギがゲストで立つのは、いくらイ・スンギがトップスターになるとしても当然の道理だが・・・師匠であり、公演総監督であるイ・ソンヒが「イ・スンギコン(サート)」にゲストで出てきて歌を歌うわけがあるか・・・

ところで、その公演の少し前にあった、イ・スンギのサムスン広告ファンミーティング行事に、イ・ソンヒが登場したんですよ。嘘だと思ったが本物でしたよ。本当に何でもない(いくらサムスンでも)ただでさえ単純な広告行事に、イ・ソンヒがゲストで出てきて歌を歌いました。あのイ・ソンヒがね!!!

ああしたところまで出るほどなら、まさか総監督でもコンサートに出るという話が流言であるはずがないね・・・と思ったが、なるほど出てくるだけです。

そしてドラマ・・・「僕のガールフレンドは九尾狐」は、イ・ソンヒが直接音楽監督として作品に参加したので、あえて話す必要がなくて・・・

興味深いことは、「華麗なる遺産」撮影の当時、そこのスタッフたちと出演者が、イ・ソンヒとたびたび会ったということです。当時、イ・ソンヒは25周年全国ツアー準備で真っ最中、忙しかったがそれでも時間があるときは、おやつを包んで撮影現場を訪れたと言いますね。一番おもしろい話は、イ・ソンヒがイ・スンギの小遣いを渡したとの話なのに・・・何か実現したかは分かりません。この時はもうお金はイ・スンギがもっと多く稼げる時なのに・・・

最後に、芸能を話そうとするなら・・・ 本来、イ・ソンヒは芸能にそんなにしばしば出演する人物ではありません。本人自らそんなことを間違っているという事実をよく知っていて・・・実際、本当にできないので(本当におもしろい話も、本当にヒヤリとする途方もない才能を持つ方でしょう、この旦那が。) 芸能は交渉が進んでも上手く行かないのに・・・

イ・ソンヒが熱心に芸能(番組など)に出演した時がぴったり1回あります。2004~2005年までの期間に、その他の活動期間全体に出たほど多く芸能に出演しましたね。そして、そのそばには常に新人のイ・スンギがいました。

帰国後、「膝打ち導師」に出演したことも多分・・・当時、イ・スンギとMBCがとげとげしい関係にならねばならなかった状況が大きく作用したと思います。そして、そのイ・ソンヒの側では「1泊2日」に出演した以後、イ・スンギが満2年ぶりに初めてMBC画面に登場する側でした。

そのまま・・・次の、彼に関連した話があって、イ・ソンヒの長い間のファンで・・・また、イ・スンギをデビュー前から見て、今はその熱烈なファンになってしまった立場で二人の関係に対してあれこれ知ることを話してみました。

イ・ソンヒが放送でも、「スンギのためにならば、見えることでも見えないことでも何でも全部話すことができる。」と話して・・・イ・スンギが毎度「一生の恩人、最も尊敬する師匠」と話すけれど・・・この二人の関係は本当に見れば見るほど・・・分かれば分かるほど美しくてほほえましい関係です。
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