早朝、長嶋茂雄さん*が亡くなられた。89歳だった。子どものころのプロ野球選手といえば、川上哲治、長嶋茂雄、王貞治、(福岡県に住んでいたので)中西太、稲尾和久の方々が浮かぶ。存命されているのは、王さんだけになった。
(*)1936年〈昭和11年〉2月20日~2025年〈令和7年〉6月3日
■ 読売新聞オンライン
「長嶋茂雄・巨人軍終身名誉監督が死去、89歳…巨人の黄金時代築いた『ミスタープロ野球』」(2025/06/03)
ー https://www.yomiuri.co.jp/national/20250603-OYT1T50046/
長嶋選手が三塁手として見せてくれた守備が実に格好良かった。捕球した球を一塁に向かって投げるとき、すっと伸びる右手がスマートだったのだ。後に、そのスタイルを意識していたと語られた。
昔の子どもたちの野球は、原っぱに三角ベースを作って遊んだものだった。世間に空き地があり、年齢をこえてみなが集まってきた時代だった。今のように少年野球チームが、大人たちの指導を受け、ユニフォームを着て練習することのないころのこと。塾もビデオゲームも知らなかった。
プロ野球のテレビ中継を始めて見たのは、父の会社のいわゆる福利厚生施設の庭だった。大人も含めて芝生に座り、屋外に向けたテレビ画面を観覧したものだった。まさにプロレス中継の時代と重なる。
昭和に、絶大の安定を示した言葉「巨人・大鵬・卵焼き」がある。強いものにあこがれる子どもたちは、自然と巨人チームのファンであり、長嶋・王選手のファンであった。同時に、子ども時代に住んだ福岡県の西鉄チームのファンでもあった。打の中西、投の稲尾は日本シリーズを熱狂させた。
(付記)
WWⅡの時、父が召集されたのは千葉県にあった佐倉連隊だった。子どものころ、「佐倉」を「さくら」とばかり思っていた。長嶋さんの通った高校は、千葉県立佐倉第一高等学校(現・千葉県立佐倉高等学校)とのこと。