時間は子どもにない。若いとき、それは遠くからやって来る、まるで向かい風のように。歳をとると、今度は後ろから追うように吹く。ネズミに似た小動物のレミングの群れは、隊列に押されて海になだれ落ちる。後戻りできない、そんな感じだ。
古典を読めというのは人生の鉄則。刹那を求める若者にはなかなか受け入れられないことだが。時間に熟してこそ、普遍性があるということに気付くのは、時間が足りなくなってのこと、遅すぎる。多摩川の川原で石ひろいする無能さも悪くない。
朝、夢を見てあわてた。午前8時に会議があるというのに、会議場のレストランでゆったりとモーニングコーヒーを飲んでいた。見知らぬ人に、時間だよといわれて、店の壁の掛け時計を見上げた。わが家のものと同じ時計だった。目が覚めて見た掛け時計は8時を指していた。
懐中時計を片手に持って、「なんてこと、時間がない」といいながら穴倉に走り込む。時間がトランプ一枚一枚のつながりでしかなく、手品師がカードを空にばら撒くようなことだってあるだろう。
なんだか今日は、変な一日だった。