▼▼ 青字下線付語句のリンク先は、マウス右クリック+<新しいタブ>で進んでください。(本ブログ関連)の最下段に「次の投稿ホーム」があるとき次ページがあります。▼▼

2022年10月31日月曜日

ハロウィン

今年も「ハロウィン」の夜が来た。日本では子どもたちのためというより、若い男女の空騒ぎ、あるいは商業主義的なイベントになってしまった感がして残念な気がする。とはいえ、雑踏に酔っ払いがあふれたかつての「クリスマス」が、今では家庭行事におさまったように変遷するかもしれない・・・と願いたい。

(本ブログ関連:”ハロウィン”)

呼称で気になっていたことがある。「ハロウィン」なのか「ハロウィーン」なのか・・・、メディアで両者を耳にするが、米語でどうなのだろう。Youtubeの英語ショート動画「矢作(やはぎ)とアイクの英会話」*で、アイクさんがいうにはアクセントを後ろに置くので「ハロウィーン」という、「自然とソウルから出てくる」のだと楽しく回答していた。
(*)Youtube: https://www.youtube.com/watch?v=i_Do0GMaI8Q

ところで以前に触れたことだが、私がハロウィンを初めて知ったのは、米SFファンタジーの大御所(日本の同人誌「宇宙塵」に参加したSF作家たち*に影響を与えた)「レイ・ブラッドベリ(Ray Bradbury)」の短編集「10月はたそがれの国(The October Country)」(宇野利泰訳、創元社 1965年)のある短編**を読んだときのこと。高校時代に仲間から、強く進められた記憶がある。
(*)SF作家たち: 小松左京や星新一の若いころの作品にある、ファンタジー的表現からうかがい知れる。
(**)ある短編:「集会(Homecoming)」

そのころの文庫本「10月はたそがれの国」のカバーは、ジョセフ・ムグナイニ/ムニャイニ(Joseph Mugnaini)による不思議な建物が描かれていた。いってみれば、ハロウィンやホラー(ナイトメア:悪夢)映画に登場する魔物や怪物が棲みそうな、おどろおどろしい屋敷を想わせた。ブラッドベリの語りから、部屋の隅やベッドの下に広がる暗闇に何かがいることを気づかされた・・・すでに高校生になっていたので、納得するだけだったが。SF小説に、ハードコア以外の、ファンタジーの領域があるのが新鮮だった。

2022年10月26日水曜日

(資料)野田元首相の安倍晋三元首相に対する追悼演説 全文

昨日(10/25)、立憲民主党の野田佳彦元首相は、暴力に倒れた故安倍晋三元首相に対する追悼演説(産経新聞掲載掲載)をおこなった。以下全文を転載させていただく。感謝。
(テレ東BizのYoutube映像: https://www.youtube.com/watch?v=aWpTyWZWOwY )

(本ブログ関連:”安倍総理安倍首相”)

産経新聞
「野田元首相の追悼演説全文」(2022/10/25 13:57)
ー 立憲民主党の「野田佳彦元首相」は25日の<衆院本会議>で、参院選の応援演説中に銃撃され、死去した自民党の「安倍晋三元首相」に対する<追悼演説>を行った。
https://www.sankei.com/article/20221025-EDM7VVDAVBJU5BYWHCGHBJHCLY/
------------
本院議員、安倍晋三元内閣総理大臣は、去る7月8日、参院選挙候補者の応援に訪れた奈良県内で、演説中に背後から銃撃されました。搬送先の病院で全力の救命措置が施され、日本中の回復を願う痛切な祈りもむなしく、あなたは不帰の客となられました。享年67歳。あまりにも突然の悲劇でした。

政治家としてやり残した仕事。次の世代へと伝えたかった思い。そして、いつか引退後に昭恵夫人とともに過ごすはずであった穏やかな日々。すべては、一瞬にして奪われました。

政治家の握るマイクは、単なる言葉を通す道具ではありません。人々の暮らしや命がかかっています。マイクを握り日本の未来について前を向いて訴えているときに、後ろから襲われる無念さはいかばかりであったか。改めて、この暴挙に対して激しい憤りを禁じ得ません。

私は、生前のあなたと、政治的な立場を同じくするものではありませんでした。しかしながら、私は、前任者として、あなたに内閣総理大臣のバトンを渡した当人であります。

わが国の憲政史には、101代64名の内閣総理大臣が名を連ねます。先人たちが味わってきた「重圧」と「孤独」をわが身に体したことのある一人として、あなたの非業の死を悼み、哀悼の誠をささげたい。

そうした一念のもとに、ここに、皆さまのご賛同を得て、議員一同を代表し、謹んで追悼の言葉を申し述べます。

安倍晋三さん。あなたは、昭和29年9月、後に外務大臣などを歴任された安倍晋太郎氏、洋子さまご夫妻の次男として、東京都に生まれました。

父方の祖父は衆議院議員、母方の祖父と大叔父は後の内閣総理大臣という政治家一族です。「幼い頃から身近に政治がある」という環境の下、公のために身を尽くす覚悟と気概を学んでこられたに違いありません。

成蹊大学法学部政治学科を卒業され、いったんは神戸製鋼所に勤務したあと、外務大臣に就任していた父君の秘書官を務めながら、政治への志を確かなものとされていきました。

そして、父、晋太郎氏の急逝後、平成5年、当時の山口1区から衆議院選挙に出馬し、見事に初陣を飾られました。38歳の青年政治家の誕生であります。

私も、同期当選です。初登院の日、国会議事堂の正面玄関には、あなたの周りを取り囲む、ひときわ大きな人垣ができていたのを鮮明に覚えています。

そこには、フラッシュの閃光(せんこう)を浴びながら、インタビューに答えるあなたの姿がありました。私には、その輝きがただ、まぶしく見えるばかりでした。

その後のあなたが政治家としての階段をまたたく間に駆け上がっていったのは、周知のごとくであります。

内閣官房副長官として北朝鮮による拉致問題の解決に向けて力を尽くされ、自由民主党幹事長、内閣官房長官といった要職を若くして歴任したのち、あなたは、平成18年9月、第90代の内閣総理大臣に就任されました。戦後生まれで初。齢52、最年少でした。

大きな期待を受けて船出した第1次安倍政権でしたが、翌年9月、あなたは、激務が続く中で持病を悪化させ、1年あまりで退陣を余儀なくされました。順風満帆の政治家人生を歩んでいたあなたにとっては、初めての大きな挫折でした。「もう二度と政治的に立ち上がれないのではないか」と思い詰めた日々が続いたことでしょう。

しかし、あなたは、そこで心折れ、諦めてしまうことはありませんでした。最愛の昭恵夫人に支えられて体調の回復に努め、思いを寄せる雨天の友たちや地元の皆さまの温かいご支援にも助けられながら、反省点を日々ノートに書きとめ、捲土(けんど)重来を期します。

挫折から学ぶ力とどん底からはい上がっていく執念で、あなたは、人間として、政治家として、より大きく成長を遂げていくのであります。

かつて「再チャレンジ」という言葉で、たとえ失敗しても何度でもやり直せる社会を提唱したあなたは、その言葉を自ら実践してみせました。ここに、あなたの政治家としての真骨頂があったのではないでしょうか。

あなたは、「諦めない」「失敗を恐れない」ということを説得力もって語れる政治家でした。若い人たちに伝えたいことがいっぱいあったはずです。その機会が奪われたことは誠に残念でなりません。

5年の雌伏を経て平成24年、再び自民党総裁に選ばれたあなたは、当時、内閣総理大臣の職にあった私と、以降、国会で対峙(たいじ)することとなります。最も鮮烈な印象を残すのは、平成24年11月14日の党首討論でした。

私は、議員定数と議員歳費の削減を条件に、衆議院の解散期日を明言しました。あなたの少し驚いたような表情。その後の丁々発止。それら一瞬一瞬を決して忘れることができません。それらは、与党と野党第一党の党首同士が、互いの持てるすべてを賭けた、火花散らす真剣勝負であったからです。

安倍さん。あなたは、いつの時も、手ごわい論敵でした。いや、私にとっては、仇(かたき)のような政敵でした。

攻守を代えて、第96代内閣総理大臣に返り咲いたあなたとの主戦場は、本会議場や予算委員会の第一委員室でした。

少しでも隙を見せれば、容赦なく切りつけられる。張り詰めた緊張感。激しくぶつかり合う言葉と言葉。それは、一対一の「果たし合い」の場でした。激論を交わした場面の数々が、ただ懐かしく思い起こされます。

残念ながら、再戦を挑むべき相手は、もうこの議場には現れません。

安倍さん。あなたは議場では「闘う政治家」でしたが、国会を離れ、ひとたびかぶとを脱ぐと、心優しい気遣いの人でもありました。

それは、忘れもしない、平成24年12月26日のことです。解散総選挙に敗れ敗軍の将となった私は、皇居で、あなたの親任式に、前総理として立ち会いました。

同じ党内での引き継ぎであれば談笑が絶えないであろう控え室は、勝者と敗者の2人だけが同室となれば、シーンと静まりかえって、気まずい沈黙だけが支配します。その重苦しい雰囲気を最初に変えようとしたのは、安倍さんの方でした。

あなたは私のすぐ隣に歩み寄り、「お疲れさまでした」と明るい声で話しかけてこられたのです。

「野田さんは安定感がありましたよ」

「あの『ねじれ国会』でよく頑張り抜きましたね」

「自分は5年で返り咲きました。あなたにも、いずれそういう日がやってきますよ」

温かい言葉を次々と口にしながら、総選挙の敗北に打ちのめされたままの私をひたすらに慰め、励まそうとしてくれるのです。

その場は、あたかも、傷ついた人を癒やすカウンセリングルームのようでした。

残念ながら、その時の私には、あなたの優しさを素直に受け止める心の余裕はありませんでした。でも、今なら分かる気がします。安倍さんのあの時の優しさが、どこから注ぎ込まれてきたのかを。

第1次政権の終わりに、失意の中であなたは、入院先の慶応病院から、傷ついた心と体にまさにむち打って、福田康夫新総理の親任式に駆けつけました。

わずか1年で辞任を余儀なくされたことは、誇り高い政治家にとって耐え難い屈辱であったはずです。あなたもまた、絶望に沈む心で、控室での苦しい待ち時間を過ごした経験があったのですね。

あなたの再チャレンジの力強さとそれを包む優しさは、思うに任せぬ人生の悲哀を味わい、どん底の惨めさを知り尽くせばこそであったのだと思うのです。

安倍さん。あなたには、謝らなければならないことがあります。

それは、平成24年暮れの選挙戦、私が大阪の寝屋川で遊説をしていた際の出来事です。

「総理大臣たるには胆力が必要だ。途中でおなかが痛くなってはダメだ」

私は、あろうことか、高揚した気持ちの勢いに任せるがまま、聴衆の前で、そんな言葉を口走ってしまいました。他人の身体的な特徴や病を抱えている苦しさを揶揄(やゆ)することは許されません。語るも恥ずかしい、大失言です。

謝罪の機会を持てぬまま、時が過ぎていったのは、永遠の後悔です。いま改めて、天上のあなたに、深く、深くおわびを申し上げます。

私からバトンを引き継いだあなたは、7年8カ月あまり、内閣総理大臣の職責を果たし続けました。

あなたの仕事がどれだけの激務であったか。私には、よく分かります。分刻みのスケジュール。海外出張の高速移動と時差で疲労は蓄積。その毎日は、政治責任を伴う果てなき決断の連続です。容赦ない批判の言葉の刃も投げつけられます。在任中、真の意味で心休まるときなどなかったはずです。

第1次政権から数え、通算在職日数3188日。延べ196の国や地域を訪れ、こなした首脳会談は1187回。最高責任者としての重圧と孤独に耐えながら、日本一のハードワークを誰よりも長く続けたあなたに、ただただ心からの敬意を表します。

首脳外交の主役として特筆すべきは、あなたが全くタイプの異なる2人の米国大統領と親密な関係を取り結んだことです。理知的なバラク・オバマ大統領を巧みに説得して広島にいざない、被爆者との対話を実現に導く。かたや、強烈な個性を放つドナルド・トランプ大統領の懐に飛び込んで、ファーストネームで呼び合う関係を築いてしまう。

あなたに日米同盟こそ日本外交の基軸であるという確信がなければ、こうした信頼関係は生まれなかったでしょう。ただ、それだけではなかった。あなたには、人と人との距離感を縮める天性の才があったことは間違いありません。

安倍さん。あなたが後任の内閣総理大臣となってから、一度だけ、総理公邸の一室で、ひそかにお会いしたことがありましたね。平成29年1月20日、通常国会が召集され政府四演説が行われた夜でした。

前年に、天皇陛下の象徴としてのお務めについて「おことば」が発せられ、あなたは野党との距離感を推し量ろうとされていたのでしょう。

二人きりで、陛下の生前退位に向けた環境整備について、1時間あまり、語らいました。お互いの立場は大きく異なりましたが、腹を割ったざっくばらんな議論は次第に真剣な熱を帯びました。

そして、「政争の具にしてはならない。国論を二分することのないよう、立法府の総意を作るべきだ」という点で意見が一致したのです。国論が大きく分かれる重要課題は、政府だけで決めきるのではなく、国会で各党が関与した形で協議を進める。それは、皇室典範特例法へと大きく流れが変わる潮目でした。

私が目の前で対峙(たいじ)した安倍晋三という政治家は、確固たる主義主張を持ちながらも、合意して前に進めていくためであれば、大きな構えで物事を捉え、飲み込むべきことは飲み込む。冷静沈着なリアリストとして、柔軟な一面を併せ持っておられました。

あなたとなら、国を背負った経験を持つ者同士、天下国家のありようを腹蔵なく論じあっていけるのではないか。立場の違いを乗り越え、どこかに一致点を見いだせるのではないか。

以来、私は、そうした期待をずっと胸に秘めてきました。

憲政の神様、尾崎咢堂は、当選同期で長年の盟友であった犬養木堂を五・一五事件の凶弾で喪いました。失意の中で、自らを鼓舞するかのような天啓を受け、かの名言を残しました。

「人生の本舞台は常に将来に向けて在り」

安倍さん。あなたの政治人生の本舞台は、まだまだ、これから先の将来に在ったはずではなかったのですか。

再びこの議場で、あなたと、言葉と言葉、魂と魂をぶつけ合い、火花散るような真剣勝負を戦いたかった。

勝ちっ放しはないでしょう、安倍さん。

耐え難き寂寞の念だけが胸を締め付けます。

この寂しさは、決して私だけのものではないはずです。どんなに政治的な立場や考えが違っていても、この時代を生きた日本人の心の中に、あなたの在りし日の存在感は、いま大きな空隙となって、とどまり続けています。

その上で、申し上げたい。

長く国家のかじ取りに力を尽くしたあなたは、歴史の法廷に、永遠に立ち続けなければならない運命(さだめ)です。

安倍晋三とはいったい、何者であったのか。あなたがこの国に遺したものは何だったのか。そうした「問い」だけが、いまだ中ぶらりんの状態のまま、日本中をこだましています。

その「答え」は、長い時間をかけて、遠い未来の歴史の審判に委ねるしかないのかもしれません。

そうであったとしても、私はあなたのことを、問い続けたい。

国の宰相としてあなたが遺した事績をたどり、あなたが放った強烈な光も、その先に伸びた影も、この議場に集う同僚議員たちとともに、言葉の限りを尽くして、問い続けたい。

問い続けなければならないのです。

なぜなら、あなたの命を理不尽に奪った暴力の狂気に打ち勝つ力は、言葉にのみ宿るからです

暴力やテロに、民主主義が屈することは、絶対にあってはなりません

あなたの無念に思いを致せばこそ、私たちは、言論の力を頼りに、不完全かもしれない民主主義を、少しでも、よりよきものへと鍛え続けていくしかないのです。

最後に、議員各位に訴えます

政治家の握るマイクには、人々の暮らしや命がかかっています

暴力に怯まず、臆さず、街頭に立つ勇気を持ち続けようではありませんか

民主主義の基である、自由な言論を守り抜いていこうではありませんか

真摯(しんし)な言葉で、建設的な議論を尽くし、民主主義をより健全で強靱(きょうじん)なものへと育てあげていこうではありませんか

こうした誓いこそが、マイクを握りながら、不意の凶弾に斃(たお)れた故人へ、私たち国会議員がささげられる、何よりの追悼の誠である私はそう信じます

この国のために、「重圧」と「孤独」を長く背負い、人生の本舞台へ続く道の途上で天に召された、安倍晋三元内閣総理大臣

闘い続けた心優しき一人の政治家の御霊に、この決意を届け、私の追悼の言葉に代えさせていただきます

安倍さん、どうか安らかにお眠りください
------------

2022年10月25日火曜日

(雑談)ウ〇チとクジラ、クジラとアニサキス、そしてサメ

昨晩(10/24)、テレビ朝日のトーク番組「激レアさんを連れてきた。」(出演:オードリーの若林正恭)は、あるサラリーマンを迎えて、彼がリモートワークしながら(ガイドとともに)南極点へ到達した話し*を紹介した。
(*) https://www.tv-asahi.co.jp/geki_rare/backnumber/#/

さまざまな苦難が語られたなか、興味深かったのは「ウ〇チ」の処置だ。人間はさまざまな雑菌やウィルスを体内に持つため、南極の雪面にそのまま放置することは環境保護の点から禁止されているという。踏破にあたっては、それを持ち帰ったという(途中、ある南極基地で引き取ってもらったそうだが)。

ウ〇チの話しで思い出したのは、以前ブログでも触れた、線虫「アニサキス」の発生だ。原因の一つに、「クジラ(鯨)」の保護による増加がある。クジラはアニサキスを持つサバなどを捕食して体内にため込み、大量のウ〇チを海中にマキ散らす。それが循環することになるというのだ。ウ〇チおそるべし。

(本ブログ関連:”アニサキス”、”クジラ”)

また、クジラを保護した結果、沿岸部にクジラが増え、連れてクジラを襲う「サメ」も増加したという説がある。しかもサメが増えれば、人と接する機会が増す。

Survival Labo
「【皮肉】頻発するサメ被害はクジラの過保護が原因?? (オーストラリア)」より抜粋
(2019/09/21、正木明 気象予報士/防災士)
https://bousai.press/shark-whale/
------------
(クジラが増えて)
・サメ: 人が保護したクジラやサンゴ礁に住む魚をエサにするサメが増える。
(サメが増えて)
・サメ: 興味本位で人を噛む(部分的な傷というが)。
------------

(付記)
カナダの博物館に寄ったことがある。そこに子どもたちがハガキ大の紙に手書きした、クジラの保護を訴える絵が十数枚ほど壁に貼り付けられていた。果たして子どもたちが自発的に描いただろうか・・・とは思ったけれど。それより私は、鉱物コーナーにある巨大な自然銅の標本を見たかっただけ。

2022年10月23日日曜日

霜降 2022

きょうは、二十四節気の「霜降(そうこう)」、霜の降り始めるころ。体感ではもう少し先のように思えるが。

(本ブログ関連:”霜降”)

晩秋の厳しい霜をきっかけに、広葉樹が緑から赤や黄へ彩あざやかに染まるようで、このときの葉を「霜葉」というそうだ。今年の高尾山の紅葉は、11月中旬~12月上旬が見ごろと案内されている。むかし、同山をケーブルカーに乗って上がったとき、車窓に真っ赤なイロハモミジがつづいた。

(本ブログ関連:”紅葉”)

ところで、霜降の語音から「糟糠(そうこう)の妻」を思い出す。Wikitionaryによれば、「」の本来の意は「もろみ」のようで、これを絞って酒を作ったという。また「」は「ぬか」であり普通に使われている。

霜降の「霜」の文字に銀色に伸びるさまを想い、白髪が浮かんでくる。そこから音つながりで「糟糠の妻」に移れば、(互いに)歳老いた妻へのいたわりが感じられてくる・・・気がする。
日本語の音読み(漢音)で、「霜・降」と「糟・糠」の発音が同じことからの連想に過ぎないけれど。Wikitionaryによれば、中国語(全く不案内だが)発音のアルファベット表記(ピンイン)を使って、「霜」は ”shuāng”・「降」は ”jiàng” であり、「糟」は ”zāo” ・「糠」は ”kāng” と記している・・・随分と違う。これでは、霜降から糟糠へとイメージが飛ばない。

2022年10月22日土曜日

野鳥観察(41)

薄曇りの朝(結局一日、雲間から青空が顔をのぞかせることはなかったが)、わたしとして41回目に当たる野鳥観察(探鳥会)へ出かけた。きのうより微妙に暖かく、風も穏やか。少々厚手して家を出た。

(本ブログ関連:”野鳥観察")

途中、ヒヨドリが住宅地の屋根をかすめて元気に通り抜ける・・・そういえば、早朝に野鳥を撮影して写真や動画を会員にメールしてくださるベテランの方のコメントに、最近ヒヨドリばかり目につくとあった。

今回、ひさしぶりに小さなお子さんたちが参加した。圧倒的に高齢のおじさん、おばさんが多い中、貴重な存在だ。しかも、かれらの吸収力はすごい。わたしとしたら、相変わらず初心者気分のまま進歩しないでいるが、次にベテランの方から解説いただいたり、自分の双眼鏡で覗くことができた野鳥を記す。(聞き間違いはご容赦)

・ヒヨドリ: 観察早々、木立に鳴き声がする。その後も多数飛ぶ姿が見られた。
・モズ: 林中で「高鳴き」しているのを教えていただいた。観察終了近くにも観察できた。
・シジュウカラ: ハナミズキの樹上にとまる姿を双眼鏡で観察。他所でも観察できた。
・アオサギ: 目の前を「ゲッ」と一声あげて、川下に向かって飛んでいった。
・カルガモ: 岸辺の草むらに3羽、小川に8羽、3羽と・・・つぎつぎと目撃する。
・コゲラ: 鳴き声がしたというが、耳にすらできない。

ベテランの方からの情報と解説
・オシドリ: 公園では見られないが、近くの池(複数)で観察できる・・・オスだけ1羽とのこと。
・モズの高鳴き: 肉食留鳥のモズは、越冬準備のため1羽となって、高鳴きしてナワバリ確保するとのこと。

植物
・「サンシュユ」木の赤い実をかじったが、まだまだスッパイ。
・「ミゾソバ」草が小川の水辺に「根元が白く先端が薄紅色」の小さな花を咲かせていた。

いつもの観察路そばにつづく木立。

公園の大きな原っぱに、自然を保つため駆除したはずの(外来種)コスモスが咲いていた。

2022年10月16日日曜日

自然観察(13)

薄曇りとはいえ明かりも十分、きょう久しぶりの「自然観察会」参加となった。前回、7月に参加したものの、以降、8月は朝に2度寝して遅れてしまい、9月は集合場所に到着したところ雨天となり中止になった。今回は心して家を出た。

(本ブログ関連:”自然観察会”)

好天に誘われて、いつもながら多数の方が参加されたのは、一週間ほど前、会長が催された玉川上水の自然観察会によって認知度アップされたこともあるだろう。会を運営される皆さんに感謝。わたしときたら膝と相談の結果、今回も途中で同行を断念してしまったが。

例によって、解説いただいた内容を記憶保持のため小型ノートに書き込み、カメラに残した。(聞き間違いがあるかもしれないが、その場合はご容赦を)
集中的に(聞ける範囲で)話題をいただいたのは次の通り。
・キク科の植物: 舌状花(コスモス:花びらが1枚)、管状花(アザミ:花びらが筒状)
・ドングリのおいしさ: シイ >マテバシイ > ・・・ > アカガシ(水にさらす)
・クリのイガ(毬)の形状: 一つのイガが、実は枝状に分枝しているのに驚く

最初に説明されたのは、公園の原っぱらにヒョッコリ顔を出した「キツネノタイマツ」(Google写真)だ。人だかりして、毒があるかどうか話題になったが、ネット情報によれば不明との記述が多い。
キツネには「狐火」もあり、火との関連が興味深い。フィンランドでは、「キツネが北極圏の丘を走るとき、尻尾が雪原に触れ、それが火花となって巻き上がり、夜空に光となって現れる」という言い伝えがある。

(本ブログ関連:”キツネ 光”)


春と秋、年に二度咲くという「コブクザクラ」の樹の白い花を数輪見た。何種かのサクラの雑種で、雌しべが2,3本あってヒョウタン形のサクランボができると紹介された。


今はまだ緑色の実だが、やがて(ネズミの糞のように)黒くなるという「トウネズミモチ」の樹を見た。葉脈が透けて見えるのが特徴と解説いただいた。次の写真は木の下側から撮ったもので・・・葉脈が透けて見えるだろうか。


遠くから赤い実がはっきり見える「イイギリ」の樹を観察した。葉の柄(葉柄)に蜜腺があり、それをエサにするアリと共生(害虫防除)関係にあると紹介された。実を割ると中から黒い種が多数出てきた。


野鳥
・「エゾビタキ」: 遠くの樹上で、飛んではとまりを繰り返していた。
・「ヤマガラ」: 「エゴ」?の実をつまんでいた。

2022年10月15日土曜日

観察園の散歩

きのうまで3日間、平均気温が20℃をくだり肌寒い思いをした。反転、きょうは日射しもキラキラして、そんな陽気に誘われて昼過ぎ、公園に併設の「自然観察園」へ出かけた。園内は人影もまばら、ひっそりしていた。

膝と相談しながら歩むうち、風速も1m/s前後しかなく、額に汗がにじんできた。例によって、観察園入口で配布されている「観察園の花だより」を手掛かりに、入門者なりに花(樹)を推測してみた。

入口の掲示板裏に、低木の「サンショウ」があって赤い実を実らせていた。実は「秋に赤く熟し、裂開して中から黒い光沢が持った球形の種子が出てくる」(Wikipedia)の通り、黒い種子も顔をのぞかせている。(サンショウの葉を一枚取って匂いを嗅いでみたが、香りを特に感じなかった・・・)


園内の湿地に、紅紫色の花をした「ツリフネソウ」が意外なほどあちこち群生していた。花弁の姿をよく見ると、素人目にはランを想起してしまうが縁はないようだ。


帰り道、隣りの公園に寄ってみた。春に、桜のあとをにぎわせてくれる「ハナミズキ」の並木があって、今の秋に赤い実をつけている。


2022年10月8日土曜日

寒露 2022

きょうは、二十四節気の「寒露(かんろ)」。Wikipediaによれば、「露が冷気によって凍りそうになるころ」とある。夏の朝、原っぱの野草の葉先に露が連なって、朝陽に輝いているのを見ると清々しい気分になる。この「朝露」、実は秋の季語に分類されるという・・・ちょっと意外な気がする。

(本ブログ関連:”寒露”)

本日は、旧暦の 9月13日にあたり、旧暦でいう秋の区分は7~9月となるので、晩秋に当たる。一方、気象庁の季節の区分では。秋は新暦の9~11月となる。この辺り、季節の扱いにいつもとまどう。ここ数日の気温の落差から、寒露を晩秋とするのには納得しそう。

以前、本ブログでも触れたが、寒露(かんろ)の音から、甘露 → カンロ飴 につながり、甘いイメージがしてくる。飴には、のど飴、缶入りドロップ、口さみしいときの飴などさまざま。もし「寒露飴」があるなら、それは仙人の口に入りそう。

最近、「グミ」というクチャクチャした飴(固めのゼリー)菓子があって、若者に流行っているそうだ。飴は口中で溶かすのに対して、グミは噛むといったところだろうか。ハロウィンといい、グミといい、いずれも子どもがするもの。日本では若い男女が楽しんでいる。

2022年10月7日金曜日

冷たい秋雨がつづく(2022.10.6~7)

きのう(10/6)の夜は冷えて、厚手の部屋着に衣替えした。おまけにストーブまで引き出して部屋を暖めた。きょうも変わらない。テレビの情報番組の気象コーナーで、きのうは11月中旬なみ、きょうは12月初旬なみの寒さという。

気象庁の「過去気象データ」を見ると、東京(北の丸公園場)の月単位の平均気温(1991~2020年)は、11月16.7℃、12月12.0℃ だったのに対して、この地の最高気温は、きのう(10/6)14.2℃、きょう(10/7)12.5℃ だった。平均気温に対する最高気温の差が、きのうの方が大きい分・・・それだけ冷え方が急だったことがうなづける。

ところで、観光会社からツアーの案内が届く。紅葉巡りが圧倒的に多い。コロナ明け、観光事業回復のため、公的な旅割というかキャンペーンがにぎわっている。行ってみたい気もするが、紅葉の樹々をめでるには徒歩が必要であり、膝のことを考えると難しい。むしろ、美味いものツアーのページに目が向く。

雨はいつまで続くだろうか。秋の長雨を表した言葉に「秋霖(しゅうりん)」がある。きのうも、きょうもそうだったが、ぱらぱらと間断なく降りつづく様に、すきまなく並ぶ雨の木立が浮かんでくる。「雨」と「林」の絶妙な組み合わせだ。

2022年10月6日木曜日

(資料)若田光一氏搭乗のクルードラゴン

きょうの日付にかわった深夜午前1時、米国ケネディ宇宙センターから打ち上げられた宇宙船「クルードラゴン(Crew-5) ”エンデュランス”」(「ファルコン9」ロケットに搭載)が、国際宇宙ステーション(ISS)へ向かうため、地球周回軌道に投入された。そのとき、私はまさに爆睡して、ロケット発射の映像を見ることができなかった・・・。

搭乗員は4名で、JAXAの若田光一氏は日本人最多の5回目の宇宙飛行となり、ほか3名(米国2人、ロシア1人)は初めてとのこと。若田氏のリーダシップが発揮されるだろう。それにしても、ロケットも宇宙船も宇宙服もデザインがとてもスマート。

(本ブログ関連:”若田光一氏”)

今回、「スペースX」社(CEO イーロン・マスク)が打ち上げ、民間による宇宙開発の第2ステップというべき時代を迎えた。米国の宇宙開発事業が本格的に民営化されるのを目の当たりにしたわけだが、日本で民間による宇宙開発(管制を含めて)はどうなるのだろうか。

読売新聞オンライン
「若田光一さん搭乗のクルードラゴン打ち上げ成功…『この調子で頑張ります』」(2022/10/06 11:37、冨山優介)
https://www.yomiuri.co.jp/science/20221006-OYT1T50060/
------------
・【ケネディ宇宙センター(米フロリダ州)】宇宙航空研究開発機構(JAXA)の若田光一・宇宙飛行士(59)ら4人を乗せた米スペースX社の宇宙船クルードラゴンが5日正午(日本時間6日午前1時)、米フロリダ州ケネディ宇宙センターから打ち上げられた。クルードラゴンは予定の軌道に入り、打ち上げは成功した。

・若田さんの宇宙飛行は5回目。若田さんは動画中継を通じ「非常にスムーズな打ち上げでした。この調子でチームワークを持って頑張ります」と日本語で話した。

・・・・ISS滞在中、若田さんらは日本実験棟「きぼう」で、月面探査車に使う潤滑剤の性質を調べる実験などに取り組む。
------------

(追記)
JAXA:「【録画】【Crew-5】若田宇宙飛行士 ISS到着生中継」(2022/10/07、Youtube)
・ファルコンロケットの第1段は、再利用目的から海上の船に逆着陸した。
・クルードラゴンは、打ち上げ約29時間後、日本時間の6時1分、ISSとドッキングした。


なんと、月面を走る日本製の車(友人与圧ローバ)のエンブレム部分に、”TOYOTA”の文字がある。

2022年10月1日土曜日

野鳥観察(40)

きょうの 10月1日、わたしにとって40回目の「野鳥観察(探鳥会)」参加という、実にキリのよい数字になった。しかしながら、40回も参加して、いまだに初心者気分から抜け出せないでいる。ある意味いつまでも新鮮・・・これからもそうだろう。

(本ブログ関連:”野鳥観察")

10月から、春・夏と比べて集合時刻が30分遅くなった(7時に変更)。公園の樹々葉はまだまだ青く繁っているが、これから落葉とともに、いろいろな鳥たちが戻ってくるだろう・・・楽しみだ。

野鳥観察にいつも手帳を携えている。しかし今回、筆記具(ボールペン)を忘れてしまった。ベテランの方から、野鳥や野草について貴重な解説をいただくのに記録できないという事態に陥った。記憶に自信がないので、帰宅するや思い出せる範囲で並べた。

例によって、公園で見たもの、聞こえたものを記す。

野鳥
・ヒヨドリ: 林間に鳴き声しきり、飛翔も見たが・・・
・モズ: 原っぱの樹上に一羽たたずんでいた(双眼鏡で観察)、鳴き声数種を聞く
・シジュウカラ: 双眼鏡で木陰にいるのを観察していたら、こちらに向かって飛んで来た
・カルガモ: 葦の隙間に見える小川に水紋が広がった・・・ひょいとカルガモ一羽が見えた

植物
・カリガネソウ: 昨日(9/30)見たのと違い、花柱・雄蘂(おしべ)が通常通り上を向いていた

・キバナコスモス: コスモスの園芸種だそうだ

・キンモクセイ: 観察路に濃いい香りが漂っていた
(本ブログ関連:”キンモクセイ”)

・オシロイバナ:(帰宅途中) 普通に見られる紅や白色の他に、次の赤紫と黄色の花を見つけた
 (本ブログ関連:”オシロイバナ”)