最近、鉱物趣味から遠ざかって、山を巡る機会が減った(ほとんど、なくなったといってもよい)。採集地の鉱山跡は山の中にあって、そこを訪ねるのに麓の山里から奥へ進む。多くの場合、採集場所の近くまで仲間の車に同乗させてもらい、その後わずかな山登りするくらい、そんな場所を選んでいた。
山の紅葉や里に下って来る秋の気配を味わう余裕もない。帰りの道筋にある、農家の軒先に干し柿がずらりと吊るされているのを見たり、路肩にコスモスやヒガンバナ(曼珠沙華)を気付くことはあっても、採集した鉱物談義に花を咲かせた。
童謡「里の秋」(作詞斎藤信夫、作曲海沼實、昭和23年(1945年発表)1948年レコード発売)を聞いてみよう。意外にも、戦後の曲だったのに驚く。帰る父を待ち続ける様子は、時間をコマ撮りするような戦後のあわただしい世相が影を落としているといったものとは違って、山里に人々の営みがあり、静かに過ぎるのをうかがっている。そんな時間が聞こえてくる。
(本ブログ関連”里の秋”)
韓国語教室の帰り、秋冷えが深まるでもない夜道で、風にのった小雨がふと気付くほど頬にあたる。小出し小出しする季節の変化に気付く。
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