子どものころ、西鉄の市電に乗って、小倉にあったデパート「井筒屋(百貨店)」へ連れて行ってもらうことはハレなできごとだった。生活に密着した地元商店街での買い物とは違う、おとなの洒落た空間を感じたからだ。それに、高い階にあった食堂で食事するのは、子どもにとって最大の楽しみだった。
夕方、陽が落ちたころ、窓越しに米軍の軍用車が並んでいるのを見た思い出がある。はたして、井筒屋の周辺にそのような場所があったのか気になって、生成AIのGemini に問い合わせてみた。
(本ブログ関連:”米軍基地”)
■ Gemini
Q.昔(WWⅡ終戦のしばらく後)のこと、九州の小倉に「井筒屋デパート」がありましたが、そのそばに米駐留軍の軍用車が多数駐車していたのを見下ろした記憶がありますが・・・当時そうだったのでしょうか?
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A.ご記憶の通り、当時の小倉(現在の北九州市)の状況として、その光景は非常に正確なものだと思われます。
戦後の小倉は、九州における連合国軍(主に米軍)の最大の拠点の一つでした。井筒屋デパート周辺がどのような状況だったのか、当時の背景を整理しました。
1. 井筒屋の目の前が「米軍司令部」だった
井筒屋小倉店のすぐ近く、現在はリバーウォーク北九州や小倉城があるエリア(城内地区)には、当時 <米軍のキャンプ・コクラ(Camp Kokura)> が置かれていました。
特に井筒屋から紫川を挟んだ対岸付近には、米軍の司令部や兵舎、車両基地が集中していました。そのため、井筒屋の窓から外を見下ろせば、軍用トラックやジープが整然と、あるいは大量に並んでいる光景が見えたはずです。
2. 接収されていた周辺施設
終戦直後、小倉城周辺の広大な旧陸軍施設(造兵廠など)は米軍に接収されました。
車両の集積: 小倉は朝鮮戦争(1950年〜)の際にも重要な補給基地となり、膨大な数の軍用車両や物資がこのエリアに集められました。
井筒屋自体の接収: 実は井筒屋の一部も米軍に接収されていた時期があり、米軍専用の販売所(PX)として利用されていた歴史もあります。
3. なぜ「見下ろした記憶」が鮮明なのか
当時の小倉で、井筒屋は数少ない高層建築でした。 周囲に高い建物がなかったため、デパートの上層階から城内方面を眺めると、現在の「公園」や「文化施設」の場所が、すべて <「オリーブドラブ色(米軍機の色)の車両で埋め尽くされた基地」> として一望できたのです。
お客様が見られたのは、まさに「軍の街」としての小倉が最も色濃かった時代の象徴的な風景だと言えます。当時の喧騒や、独特の排気ガスの匂いなどもセットで思い出されるのではないでしょうか。
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(参考)
■ FNNプラムオンライン
「戦後80年 『まちなかの大兵器工場』 小倉陸軍造兵廠の歴史を振り返る 8月9日の原爆の第1投下目標にも… 【福岡発】」(テレビ西日本、2025年5月20日 火曜 午後2:27)
ー https://www.fnn.jp/articles/-/874389?display=full#google_vignette