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2017年11月30日木曜日

秋期イディッシュ語 2017-9th

先週、大学祭のための休講をまたいでの授業、久し振りの感がするのは不思議。何のことはない、日ごろこつこつと積み重ねを怠っていた証かも知れない・・・、かすかに雨粒を感じながら出かけた。

今回は、いろいろ豊富な授業だった。
・文法編:(名詞の<複数>の続き)複数形の作り方、① 接尾辞に、ער, -ס, -וח- を付ける、② 名詞の母音の変更、③ 接尾辞に、ן, -ען- をつける、④ ヘブライ語男性名詞に ים- を付ける。
         例 (Book)    複数     単数
         ----------------------------
         Yiddish      בוך   ביכער
         Hebrew    ספֿר  ספֿרים
                       [sforim] [seyfer]
         ----------------------------
その他の話題
・書籍:「Unchosen」超正統派コミュニティーからの離脱について(社会学者の調査を元にした本)
・DVD:  映画「א געשעפט」、前回、音声が聞こえなかったが、前半一部を鑑賞できた。
・余談: Tevaサンダル

前回の教室で、仲間に紹介された、イディッシュ語作家「アイザック・バシェヴィス・シンガー」の小説「悔悟者」(大崎ふみ子訳、吉夏社、2003年)を読んだので、感想方々持参した。俗(肉欲)なるものから聖なるものへの転換だが、実はそれが二重らせんしていて、作者は物語の背景にシニカルな独特な視点を持って描いているようだ。(主人公が作家に語りかけるといった体裁は、どこかで見たようで、随分と直截的だ)

(本ブログ関連:”アイザック・バシェヴィス・シンガー”)

(気分しか記憶にないけれど)大審問官との論争や、状況に屈する転向論のような苦さを、心に準備ないままこの物語から感じ取るには遠いかもしれない。「本来あるべきユダヤ人」をイメージできる知識も情報もないのだから。でも、主人公のヨセフ・シャピロが、悔悟者にいたるふらつきぶりが人間らしくて面白い。どうやら彼は、非ユダヤ的ではなくなったようだ。身の置き場をやっと見つけたといった方が、分かりやすいかもしれない。
(他の教室仲間も、この小説を読まれるとのこと)

ユダヤ人も、そのコミュニティーの中で、あるいはその出入りにおいて、それなりに大変でやっかいな問題を抱えながら生活しているようだ。人に共通なこと、ユダヤ人ならではのことで・・・。

2017年11月29日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 高麗の歌

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(11/22)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、高麗時代の歌「双花店(쌍화점)」ほか関連する曲を紹介した。
(ネットの日本語放送未聴のため英語版ほかを参考にした)

始めに、高麗時代の歌「双花店」について次のように紹介された。
・「双花店」は、餃子店を意味する。「双花」は、最近の餃子ではなく、肉と野菜の具が小麦粉生地の中に詰め込まれたもの。発酵したワインで作られた味のないパンのようなもの。この歌に、イスラム教徒の商人が触れられたわけは、昔、高麗の首都(開京)に中央アジアのイスラム教徒商人たちが居住するコミュニティがあった。

▼ 高麗時代の「双花店」(推定の歌)を聴く。女性が行くところ男たちが手首をつかむという、大らかな時代か。

次に、高麗時代の <別れを惜しむ歌>「去りしや(가시리)」について次のように紹介された。
・高麗時代の俗謡は、朝鮮時代になって儒教精神のため排され、残るものが少ない。この「去りしや」も、「双花店」の歌と同様に推定された歌である。これらは、<「楽章歌詞(악장가사)」(高麗時代から朝鮮朝初期までの歌謡・楽章など集めた歌集)にある>。

▼ 高麗時代の歌「去りしや」を聴く。幻想的な雰囲気にして聞かせる、今様に。

最後に、高麗時代の「青山別曲(청산별곡)」について次のように紹介された。
・高麗時代に歌われた「青山別曲」は、朝鮮前期の成宗代に編纂された「時用鄕樂譜(시용향악보)」に記録された。それぞれの(階層などの)立場からさまざまに歌われた。

▼ <緑の山々で余暇と幸福の生活を送るための歌>「青山別曲」を聴く。今様に。

2017年11月28日火曜日

3人兄弟と魔物

シベリアの少数民族の民話集「シベリア民話集」(斉藤君子編 訳、岩波文庫)に、魔物に取り付かれた3人の兄弟の話がある。民話というか物語に、神話の祖形ともいえる共通な部分がある。3人の兄弟、長男と次男の非業の死と三男の活躍。その場面に <火> が登場すること、そして <生と死> が背中合わせのことなど。

(本ブログ関連:”シベリア”、”シャーマニズム”)

① ケト族の「月と太陽」の話。
3人兄弟の、上の二人はシャーマンで、下の一人は普通の人。ある夕方、家に魔物(ムィラク)が入ってきて、長男、次男に死を告げ、順に棺桶に入れてしまう。三男は戦い挑んで、逆に魔物を棺桶に閉じ込めてしまい、天に逃げのびる。若者は、そこで若い女性と出会って妻にする。七年後、兄たちの死を悼む彼は、地上に戻ることになる。
その機会を待ったように、魔物は、閉じ込められた棺桶から飛び出し、いどみ掛った。三男はやっとのことで魔物を棺桶に再び閉じ込め、天へ登りながら、妻からもらった「櫛」で森を、「火打石」で崖を作って魔物をかわし逃げた。
やっと妻の手を握った瞬間、魔物にもう片方の腕を掴まれてしまう。両方から引っ張られた彼は半身に裂けてしまう。以来、妻は昼の間、人びとを照らしながら夫をあやし、夜にになって妻が眠るとき、夫は半身で大地を照らすことになった。

② エベン族の「三人の息子」の話。
ある朝、祖父と三人の息子が住む家のまわりにヘラジカの足跡があった。長男は祖父の制止も聞かずあとを追った。そしてヘラジカを見つけて仕留めたが、日が沈み夜営することになる。夜の闇の中から老婆が現れて肉を求めた。そして寝袋と銃まで貸し求めた。明け方、老婆は熊や狼を呼び寄せ、長男を襲わせる。その翌日、同じくヘラジカの足跡を追って出かけた次男も老婆の手にかかる。
一番下の息子は、三たびヘラジカの足跡を追うことになるが、用心深く、老婆のたくらみを見破り反撃する。熊と狼の腹から、兄たち骨と肉を引き出す。彼は、老婆をいたぶって、兄たちが蘇るわざを聞き出して、「命の湖」まで連れて行かせる。老婆は焼け焦げる湖など使って欺こうとするが、ついに「命の湖」にたどりついた三男は、そこの水を持ち、老婆の背にまたがって、兄たちの元に戻り、蘇らせることに成功する。
三人は老婆を穴に投げ込み、虫けらになるまで燃やした。這い出そうとする虫けらを集めて三日三晩、灰になるまで燃やし続けた。みなが安心して暮らせるようになったのはそれからのことという。

民話、もっと大きくいえば神話やシャーマンの物語につながるストーリー。小屋の中、焚き火(たきび)のまわりで、ひとびとがじっと耳を澄ます時、語り継がれたものだろう。民族にとって、人間にとって、そこには教訓があるのかもしれない。死を厭わぬこと、その中で知恵を付けること。そして、帰還して繁栄に結び付けること。神話には基本のかたちがあるようだ。

2017年11月27日月曜日

方向音痴

子どものころ、自転車に乗って知らない場所へよく遠出した。闇雲に走るのだ。電信柱の住所表示が今ほどない時代、完全に道に迷うことになる。

そこから始まる。大平原や砂漠を旅するように太陽を眺めながら、現在地を推測しつつ元に戻るのだ。来た道をそのままたどるのではない。いかに、見知らぬ道を通り抜け、帰還するかを内心ヒヤヒヤしながら楽しんだ。

あるとき、中年になって、都心の地下鉄駅から地上に出て脳内コンパスが全く効かないことに気付いた。愕然とした。いったん、方向音痴を自覚してしまうと、以来見当がつかなくなる。常習化するのだ。自信をなくした。あっけないほどに方向音痴に身をやつした。

(本ブログ関連:”方向音痴”)

冒険心をなくし、都内地図も目にしなくなった。今は、方向音痴を認め、通りがかりの人に素直に聞いてしまう。意固地に気張ることも、信念を押し通すこともなく、考えてみれば、街の環境もすっかり変わっているわけで、自分の方向感覚がいつまで通用するものでもないと・・・そう考えたりする。(たまに通る道で、すっかり更地になった空き地を見て、さて以前何があったか思い返しても浮かんでこないことがある。ましてや街の様変わりはなおさらだ)

2017年11月26日日曜日

(資料)朝鮮の地震(明治38~昭和9)

国立国会図書館のデジタル資料に、近代朝鮮半島の地震観測資料がある。「朝鮮気象三十年報」(朝鮮総督府観測所編、昭和11年(1936年))に掲載の、「十三章 地震」(隼田公地 執筆)に、明治38年(1905年)~ 昭和9年(1934年)の30年間の、各行政地域別地震発生回数が表示されている。

行政地域ごとの測候所・簡易観測所で観測した地震回数が記されている。地域別に最大観測回数の観測地とその回数を転記するにとどめる。
・当時、観測の地震震度は、微震~弱震程度
・測候所は十数か所、簡易観測所は150数箇所

行政区域  観測地     回数
----------------------------
平安北道  龍岩浦       6
平安南道  平壌        16
黄海道     馬山          4
京畿道     仁川        31
忠清北道  報恩        12
忠清南道  扶余        12
全羅北道  全州        15
全羅南道  木浦          8
咸鏡北道  清津          1
咸鏡南道  元山          7
江原道     横城          5
慶尚北道  大邸         15
慶尚南道  釜山・昌寧  6
----------------------------

上記は、参考資料であって、観測設備や機器の精度など、現在と比べるべき点があるかもしれないが、大邸は昔ながらの地震観測地であるようだし、他地域にも特異な偏りが見られるようだ。

2017年11月25日土曜日

公園のススキ原

朝、起きるのがつらい季節になった。勢いで起床しても、しばらくストーブで暖まる。着替えも遅れ、外出までに時間がかかる。窓越しに陽射しのぬくもりを感じる昼ごろ、ようやく出かけた。

昨日、「外語祭」の帰りに寄り道した公園に隣接する小公園を散歩する。太陽の高度は低くまぶしい。やがて、遠くの木立の奥に落ちると、一挙に冷えびえすることを知っている。長居はできないけれど、しばらくベンチで温もる。そして、うつらうつら心地よい時を過ごす。

目の前の河原に群生するススキは、逆光の中で穂を真っ白にして揺れていた。冬を知って身支度をしているようだ。そんな様を見ていると、おじさんはなぜか身近に感じる。

堤を(滑るように)よろよろと降りて、秋空に浮かぶススキの姿をカメラにおさめた。

2017年11月24日金曜日

外語祭 2017

平日の金曜日、人出を案じつつ、「外語祭」(11/22~26)に出かけた。ここ数年、学生たちの演じる <語劇> の観劇を楽しんだが、今年は大学祭の雰囲気だけ味わうことにした。(日頃お世話になる者の勤めとしてお邪魔したしだい)

(本ブログ関連:”外語祭”)

キャンパス中央にある円形広場は、思いのほか多くのひとびとであふれていた。平日もあって、(受験生や家族連れというよりは)他大学の若者たちが中心か。もちろん、年配者もそれなりに隙間を埋めていたが。(他方、講義棟の展示は少々寂しい気がした・・・)

広場を囲む回廊に、学生たちが専攻する言語と密接な民族料理店が開かれていた。いわゆる大学祭の屋台だが、ここは外語大らしい品揃えになっている。ビルマ料理の屋台で、菓子「サヌイマキン」(少し弾力のある < ココナッツミルクと小麦粉で作る優しい味のしっとりケーキ >)とミルクティー「ラペイエ 」(ものすごく甘い < 濃厚なミャンマー風ミルクティー >)をいただく。今年も甘い菓子を楽しんだことになる。

帰り道、紅葉に彩られた公園に寄る。人影はまばらで、辺りは静まりかえっていた。まさに黄、紅、茶、緑の色づくし。春の生気あふれる華やかさと比べて、やがて冬を迎える束の間の紅葉に染まった公園には、落ちついたたたずまいがあった。

2017年11月23日木曜日

勤労感謝の日 2017

今日は国民の祝日「勤労感謝の日」、勤労を尊ぶ日だ。昔、子どものころ、食事が済んで茶碗に飯粒が残っていたりすると祖母にたしなめられた。「お百姓さんが一生懸命働いて作ってくださったものを、最後まで大切に食べなさい」と。食事を通して、勤労との結びつきを知り、子どもながらにもそれを感謝する(単に商品ではない)意義を理解できたと思う。

(本ブログ関連:”勤労感謝の日”)

この祝日に、収穫祭でもある、宮中の「新嘗祭(にいなめさい)」がある。国民行事の名から離れてしまったためか、戦後生まれの者には、あまり身近に感じることはなかった。親世代が口にした、昔の行事といった記憶でしかなかった。(もし近くに水田があって、米の収穫を目にし、神社へ奉納する祭事があれば、違ったろうけれど)

歳をとると、伝統のいわれが気になるものだ。新嘗祭に、新米を食べることを知れば、その継承の必要性もわかる。<勤労感謝の日> と <新嘗祭> がようやく結びつき、実感するようになった。

今年も、電車内に、新米ブランドの広告が賑やかに飾られた。次々と新しいブランド米が出てくると、何がいいのか、どうやって食べればいいか気になる。美味い食べ方を知りたいものだ。

(付記)
木曜日に定例の「イディッシュ語」教室は、大学祭の期間中でもあり、休講となった。この余裕を、何に振り向けているというのか・・・。

2017年11月22日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 步虛子

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(11/15)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、「步虛子(보허자)」ほか関連する曲を紹介した。

始めに、中国伝来の「唐楽(당악)」曲、「步虛子」と「洛陽春(낙양춘)」について次のよう紹介された。
・韓国伝統文化も、他文化との交流を通じて発展してきた。伝統音楽も同様、古来の「太平簫(태평소)」は中央アジアの、「奚琴(해금)は遊牧民の楽器だ。「仮面劇(탈춤)」に「獅子舞(사자춤)」があるが、韓国に獅子はなく、他地域の影響が推測される。現在ある宮廷楽には、統一新羅~高麗時代に中国伝来の唐楽曲の、「步虛子」と「洛陽春」がある。一千年以上経たものの、他の宮廷楽と少し違う。「步虛子」は、元々、漢詩歌詞があったが、吹奏楽だけが伝わる。

▼ <空中を歩く> 意の「步虛子」の演奏を聴く。そう思って聞けば浮遊感あふれるよう。

次に、歌詞を(復元という名で)盛り込んだ「步虛子」について次のよう紹介された。
・現「步虛子」は、道教との関連を推測して、国家太平を祈る歌詞が盛り込まれる。<天の美を仰ぎ、天の楽を奏でると、金色の鳳凰、銀色の鵞鳥が並ぶ>と平和な様を表わし、<王の長寿、民の平安、天の楽があまねく広がるよう、この杯を捧げる> という。ゆたりとしたテンポ、平和なリズムだ。

▼ フュージョングループ演奏によるモダンに編曲された「步虛子」を聴く。こちらは近距離で露に聞くよう。

最後に、中国宋代の政治家で文人「欧陽脩」(1007年~1072年)作「洛陽春」について次のように紹介された。
・もう一つの曲、中国宋代の政治家で文人「欧陽脩」作と知られる「洛陽春」は、<夕日の春> の意を持つ、(1960年代に付した)歌詞も幻想的だ。<まだ日は昇らないのに、鶯の鳴き声が響き> で始まる、幻想的な様を表わす。<渡り鳥にむかって、夫の便りはないかと尋ねる> 歌詞。愛する人を待つ想いを表わす歌だ。

▼ コムンゴとフルート二重奏に編曲した「洛陽春」の演奏を聴く。掌に聴くような小品、印象深い。今様に。

2017年11月21日火曜日

イ・ソンヒのトロット・メドレー

イ・ソンヒがカバーする歌の範囲は果てがなく、どのような歌も、あたかも持ち歌のごとく聴かせる。それも、原曲へ敬意を込めてそこなわず。だから、誰もが受け入れ、納得する。次のYoutube映像にあるように、舞台でトロットのメドレーを披露したときの、会場の雰囲気からそれが容易にわかる。

(本ブログ関連:”トロットメドレー”)

しかも、彼女が最初に歌う、「愛しか私はわからない」の原曲歌手のシム・スボンは、かつて、「後輩歌手たちが歌った(自分の)『愛しか私はわからない』の中で、イ・ソンヒの歌が最も印象に残る」と語ったほど。

イ・ソンヒの歌唱力から、果たして彼女のジャンルは何かと聞かれるたび、どう答えていいのか戸惑うことがある。そこで、イ・ソンヒについてする説明は、「国民歌手」といわれている、ということから始める。

曲目:
・シム・スボン(심수봉)の「愛しか私はわからない(사랑 밖에 난 몰라)」(1987年、6集)
・ナフナ(나훈아)の「ムシロ(무시로)」(1989年)
・チュ・ヒョンミ(주현미)の「片想い(짝사랑)」(1989年)


(Youtubeに登録の526apolloに感謝)・・・何度も使用させていただきます。

2017年11月20日月曜日

忘れもの

日付が過ぎたことに気付いた。あわてて時間を巻き戻し、11/20として登録する。言い訳ついでに、忘れものについて記す。

忘れもの。小さなことは、そこらじゅう掃いて捨てるほどある。間近に物を見るため、眼鏡を頭に置いたのを忘れ、後で探すなんて珍しくない。逆に、忘れぬ工夫のため、目につく場所に物を置いたり、壁に吊したりするようになった。ドラマで記憶を失う病に侵されたヒロインが、ポストイットにメモして壁に貼るシーンがあるけれど・・・おじさんだと様にならない。ただ、だらしないたたずまいになるしかない。

「見える化」という、仕事のプロセスの要所要所で、成果を分かりやすく図表化する方法がある。これは、 明確な最終目標があればこそだ。一方、日常の忘れもの防止では、目に付くよう、生活の場に置きっぱなし(あるいは吊るしっぱなし)するでしかなく、めざとさが返って収拾のつかないものになる。

そうした対処方法は、老化の特徴といわれる。以前テレビで見た老人は、ベッドに横になりながら、孫の手のようなもので、四方の壁に吊るしたものを手探りして手元に運んだ。究極のものぐさ姿に感心したが、ちょっと心配だ。

中島みゆきの「忘れな草をもう一度」(1982年)を聞きながら、明日の片づけを考えている。おじさんも、そんなかどうだかの 忘れものの <荒野> にいる。
彼女のアルバム「Singles」(1987年)で初めて聴いた・・・残念ながら、Youtubeで彼女のオリジナルを聴くことはできない。(Youtubeに、素晴らしいカバーものがある)

2017年11月19日日曜日

岐阜基地航空祭、 空を飛ぶのを見てきました

昨日から1泊2日のバスツアーで、「2017 岐阜基地航空祭」に行ってきました。何を見たいかって、それは次の三つです。会場(基地)の広さに押されて、下記①のみの見学を実施して、後はギブアップしましたが、幸い、飛行は空を見上げればどこからでも見られるわけで、バス駐車場広場に戻って観察した次第です。(追記: 中日新聞記事(11/20)「主催者によると前年の二倍を超える十三万人が来場」)

(本ブログ関連:”飛行機”)

① 先進技術実証機「X-2
・今年の全国航空祭で、唯一、岐阜だけに実物展示されたそうだ。雑誌やYoutubeで見た赤と白の軽快な姿が目の前にあった。早めに会場に到着したので、30~40分待ちの行列だったが、その後は1時間半待ちといわれた。(現在の姿は、エンジンサイズに見合ったものとのことで、最終的なスタイルは、雑誌などでいろいろ予想されている)

② 「ブルーインパルス
T4練習機による編隊曲技飛行(同基地4年振りの飛行とのこと)。以前、2014年の入間航空祭で見て以来だ。今回は小雨もあり、編隊をくずさずの飛行に徹したようだ。ただし、編隊を組み直すため、分散して低空の旋回もあり、排気方向が地上(丁度バス駐車場)の観客方向になった瞬間、エンジン音の轟きは凄かった。(爆音で楽しむだ)

③  室屋義秀パイロット
・「2017年度 エアレース世界選手権」チャンピオンの室屋義秀パイロットによる曲技飛行。次のYoutube映像は、高い位置からの撮影のようで、(Lexus標示の)エクストラ300が地面すれすれを飛び、垂直飛行でキリモミしながら降下するのがわかる。小型機の能力いっぱい使いこなす、考えられない才能と、ありえない強靭さで、飛行の安定性を示してくれる。(見ながら、心の中で「もういいよ!」と何度叫んだことか)


(Youtubeに登録のk163k163に感謝)

また、F-14の低空の飛行があり、まさに腹に響く怒涛の爆音を響かせ旋回した。以前映画の音響で、大音響セットなるものを経験したが、ジェットエンジンが発する生の音を超えるのは不可能だろう。

屋外の保存展示に、F-1(三菱重工製)があった。何度見ても、F-4ファントムとヨーロッパ(英仏共同開発のジャギュア攻撃機)のキメラのようで・・・今回、フランス人がしきりになぜていた。
別の屋外展示場に、懐かしいT-33があった。昔、アルミ蒸着のT-33プラモデルを作った・・・今に思えば、もっと丁寧に仕事すべきだったと、それにF-86Fがあったが、やっぱり朝鮮戦争の臭いがする。

2017年11月18日土曜日

トワ・エ・モア「空よ」

子どものころ、夢で、何度空を飛んだことだろう。羽ばたきしながら上昇し、滑空してしばらく身を任せるのだが、決まって失速する。あわてて、はばたきを繰り返す。でも、結局、力尽きて地面に軟着する。幸い激突することはなかったが。

「ワルキューレの騎行」よろしく雲の中を突き抜けたり、宙返り(ループ)したり急旋回することもない。夢の中の飛翔は、飛ぶことの難しさを確認させたわけで、実りない夢だったかもしれないが、そのたび、あっ飛んでる、今度こそはと期待した。

せめて実際に、飛行機の飛ぶ姿を見たい。専門家の雄姿だから安心だ。

フォークの系譜と思う、デュエットの「トワ・エ・モワ」が歌った「空よ」(1970年)は、もっと心象的な空の歌なわけで、願いをかける空であり、すべてを見通す空、未来への空であり、過去を知る空。そんな、空も我がものにしてしまう、若いロマンチックな歌だ。


(Youtubeに登録のfuyatakeya1301に感謝)

2017年11月17日金曜日

韓国慶尚道の地震(続)

一昨日(11/15)の韓国慶尚道の地震について、韓国内で最近続く現象に関心持たれている。地震の原因を、韓国の記事(11/15、朝鮮日報/朝鮮日報日本語版、Chosun Online)は、九州-慶州-浦項の「地震ドミノ現象」といった表現をしている。

そこで、地震の規模や頻度について、国立研究開発法人「防災科学技術研究所」の「Hi-net地震観測システム」による自動処理マップで、日韓の状況を照らし合わせれば一目瞭然。次図は、ここ一ヶ月間(2017.10.18-2017.11.17)の地震状況を示したもので、日本は地震が日常化し、むしろ韓国の慶尚道の地震の唯一さが際立っている。

Hi-net地震観測システム自動処理Map

断層の所在により地震被害の受け方(直下型、津波、山崩ほか)が異なるので、むしろ韓国の国レベルの断層地図を知りたい。(2016年9月14日:中央日報日本語版、2016年9月23日:Chosun Biz

(追記)
・中央日報日本語版:「韓経:<韓国地震>地質基礎研究不足…続く余震に不安()、()」(2017年11月17日、韓国経済新聞社の記事)
・Daum掲載:「地震リスクこんなに大きいのに・・・断層帯上に原発の集中したわけ」(2017年11月16日、SBS記事)
SBSニュース(断層帯上の原発)

2017年11月16日木曜日

秋期イディッシュ語 2017-8th

家を出て、ふと気になることがある。足元のズボンを確認して安心する話だが。昔、ある作家が、確か妹に女優がいて、彼が長い外套を掛けて外出したとき気付いた。なんと、ズボンを履いたつもりが、ステテコ姿のままだったというのだ。今まで、私にそんな経験はないけれど、ときどきこの話を思い出してあわてる。

いったん知ってしまうと気になるもの。学生時代、指導中の教授が雑談で言った。人間って、視覚に自分の鼻の存在を気にし始めると、止められないと。これも聞いて以来、寄り目して自分の鼻を見ないようにしている。

イデシッシュ語の授業で、名詞の性の見分け方について、理屈があればいいか、それともエイッとばかり覚える方がいいか話題になった。ひとそれぞれ、覚え方まで「性分」がありそうで・・・どちらがいいか、こればかりは偏れないしかたまらない。

(本ブログ関連:”イディッシュ語”、”秋期イディッシュ語”)

授業は着々と進んでいる。
・文法編: ① 名詞の性(男性、女性、中性)とその見分け方、② 名詞の格(主格、[所有格(属格)]、予格、対格)、 ③ 複合名詞(性は最後尾の名詞に従う)
・練習編: 動詞(現在)の不規則人称変化

ところで、(超正統派による)イディッシュ語で作られた映画「א געשעפט」(A Gesheft:The deal、2005年)を紹介されたが音声が出ず、次回持ち越しになった。

(1時間30分もあるので初めだけでも・・・犯罪の臭いがするが、何だか市民劇風で・・・)
(改)Youtubeが削除のため、代わって次の予告編をエンベッドする)

(Youtubeに登録のRabbi Pollack⇒Yiddisherに感謝)

韓国慶尚道の地震

昨日(11/15)、韓国慶尚道で地震が発生した。同地域は、昨年の7月5日に蔚山沖、9月12日に慶州市でマグニチュード5クラスの地震があり、連続して起きている。慶州市付近の南北および沿海に九つの断層があり、慶尚道海岸線には原子炉が密集している。

(本ブログ関連:”韓国の地震”、”韓国の地質”)

NEWSIS/朝鮮日報日本語版の記事「韓国気象庁『浦項の地震により韓国全域で揺れを検知』」(11/15)は、次のように報じている。(抜粋)

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・15日午後2時29分ごろ、慶尚北道浦項市北区マグニチュード5.4の地震が発生した。韓国気象庁は「今回の地震により、韓国全域で揺れを検知した」と発表した。

・イ・ミソン地震火山センター長は15日午後、ソウル市銅雀区の気象庁本館で緊急ブリーフィングを開き、「きょう発生した地震で、慶尚北道では最大震度6*を感じ、江原道・慶尚南道・大邱・釜山・蔚山・忠清北道などでは震度4、全羅北道では震度3を検知した」と発表した。

(*: 韓国の地震の震度=「メルカリ震度階級」)

・イ・センター長は、余震の有無などについて「頻度が減ってはきたが、昨年発生した慶州地震の余震がまだ続いている。今回も数カ月は続くものとみられる」・・・と語った。

・なお、昨年9月12日に慶尚北道慶州で発生したマグニチュード5.8の地震による余震は、現在までに合計640回観測されている。内訳は▲マグニチュード1.5-3.0未満618回 ▲3.0-4.0未満21回 ▲4.0-5.0未満1回。
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2017年11月15日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 男寺党の歌

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(11/8)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、「男寺党(ナムサダン)の歌(남사당의 노래)」ほか関連する曲を紹介した。

始めに、旅芸人の「男寺党」と詩人「盧天命노천명)」(1911年〜1957年)について次のように紹介された。
・昔、国中を彷徨いながら色々な芸を演じて生計を営むさまざまな集団があった。彼らが村を訪れると、祭りの雰囲気になった。その中に男だけの集団「男寺党牌(남사당패)」もあった。六つほどの芸を披露し、広い庭で農楽を演奏したり*、皿回しに似た遊びを披露した。綱渡りはヒヤリとすることから、氷の意の「オルム(어름)」と呼んだ。また、木製の胴に紐をつけた「操り人形(꼭두각시)」もあリ、その動く様が、人の首筋をつかむように見えることから、首筋の意の「ドルミ(덜미)」と呼ばれた。
・旅芸人を歌った「男寺党の歌」は、詩人「盧天命」の詩を歌にしたもので、<銀の指輪をはめてあげたい娘がいたが、次の日にはまた去らねばならない>という内容。彼らは、世の中で最も低い身分で、村を彷徨うのが仕事だった。だが、芸を始めると、自然と興が沸いたことだろう。

▼ 「男寺党の歌」を聴く。詩情あふれる旋律、運命と哀切、どこまで届く、今様に。

次に、パンソリ「興甫歌(흥보가)」に男寺党牌が登場することについて次のように紹介された。
・善人の弟興甫(흥보)と、悪人の兄ノルボが登場するパンソリ「興甫歌」で、兄ノルボがヒョウタンを割ると、中から男寺党牌が出て来てノルボを冷やかす、ユーモアに表現する場面がある。

▼ パンソリ「興甫歌」から、「ノルボの最初のヒョウタンから男寺党牌が出てくる場面(놀보 첫번째 박에서 남사당패 나오는 대목)」を聴く。ヒョウタンから次々出てくるそうだ。

最後に、京畿道安城地域の男寺党牌にいた女性ボス「バウドギ(바우덕이)」について次のように紹介された。
・男寺党牌は男だけの集団だが、朝鮮時代末、ソウル近郊の京畿道安城地域の男寺党牌は、なぜか「バウドギ」という名の女性がボス役をした。彼女がなぜ男寺党牌に入ったのか、生涯につい不明だが、綱渡りに才があり、宮中で綱渡りをすると、感動した王族が高い官職を与えたという。

▼ 「男寺党の空」から「男寺党の歌」を聴く。随分と荘厳に聞こえる。

(*)これら芸を行う場所を指して「パン(판)」、地面に転がって芸をするのを「サルパン(살판)」(生きる場の意)といい、うまくできれば生きる場、できなければ死ぬ場としてそう呼んだ・・・とのこと。

2017年11月14日火曜日

イ・ソンヒの「心のようにあなたのそばに」

心は不思議なもので、自分に在ってないようなもの。「心」と表記したときと比べて、「こころ」にはまた違った在りようがある。「こころ」はじんわりと想いをたくわえてくれる、そして「心」は伝える姿を装う。

ひとが願いごとをシャーマンに依頼するとき、儀式が執り行なわれる。言葉にからまった穢れやくもりを除き、清め、純粋な言霊に磨き上げるからだ。そうでなければ、自然は応えられない。「心」を伝えられない。

イ・ソンヒの5集に収録の「心のようにあなたのそばに(마음처럼 그대곁에)」(1989年、作詞キム・ミンジョン、作曲ソン・シヒョン)の「心」は、鳥に託して空を飛ぶ「言霊」のようなもの。若ければ、シャーマンの力を借りる必要もないほど美しい。(若者に辛いおじさんも、これだけはそう思う)

(本ブログ関連:”心のようにあなたのそばに”)


あなた、離れているけど、心は自由なのよ
思ったら、どこでも行ける、心はすでにあなたのそばに
*
あなた、会いたいけれど、私は鎖に縛られ
一歩二歩、近づいていくけど、まだあなたは見えない
心のようにあなたのそばにいたい
心のようにあなたのそばに生きたい
私は、まだ遠いのに、心のようにあなたのそばに

(*以下繰り返し)

(心のようにあなたのそばに)いたい
心のようにあなたのそばに生きたい
私は、まだ遠いのに、心のようにあなたのそばに


(Youtubeに登録のcarcass1178に感謝)

2017年11月13日月曜日

国際標準地「チバニアン」

鉱物好きなのに何だかんだで活動が止まったまま。深くも広くもない理解。地質(年代)、鉱床、まして組成についてもいい加減なまま、ただ標本をながめるだけの過ごし方・・・でもいいじゃないか。

そんなぐうたら気分に、こんな話題が飛び込んできた。今の地質の時代に近いとされる、77万年前~12万6千年前までの地質年代層序(地層:新生代>第四紀>更新世>中期)を「チバニアン」(「千葉の時代」の意)と呼ぶようになるらしい。その年代を示す「国際標準地」として、千葉県養老川沿いにある(地磁気反転を示す)地層が採用されたという。(最終的に「チバニアン」が採用されるかどうかを、関係者は慎重に見ているようだが・・・)

NHKのネット記事「『チバニアン』 国際学会が『国際標準地』に登録の答申」(11/13)によれば、最新の地質年代の名称が、日本の地名にもとづくものになると次のように報じている。(抜粋)

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・千葉県市原市にあるおよそ77万年前の地層を地球の歴史の一時代を代表する「国際標準地」に登録し、その時代を千葉時代=「チバニアン」と名付けることを目指す茨城大学などのグループは、審査を行っている国際学会(「国際地質科学連合」)の作業部会から投票の結果、市原市の地層が、イタリアの候補地を破り次の審査を行う委員会に「国際標準地」として答申することになったという連絡があったことを明らかにしました。

茨城大学国立極地研究所などのグループは千葉県市原市の養老川沿いにあるおよそ77万年前の地層に地球の磁場が逆転した痕跡があるのを見つけ、地球の歴史の一時代を代表する「国際標準地」に登録するよう ことし6月、国際地質科学連合に申請しました

・認められれば、地球の歴史のうちおよそ77万年前からおよそ12万6000年前までの時代がラテン語で千葉時代を意味する「チバニアン」と名付けられることになりますが、候補地は、このほかにイタリアの2か所があり、国際地質科学連合の作業部会が16人の委員で議論してきました。
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そういえば、同じく千葉県から2011年に、新鉱物の「千葉石」が公表され(日本地質学界の「県の石」に選定され)たことがあったね。
それに、もっと大きくいえば、新元素の原子番号113に、「ジャポニウム」が採用されて何となく嬉しくなったことがある。科学の世界で、日本に関係する命名は気持ちいいものだ。まるで、子どもみたいなところがあるが・・・。

2017年11月12日日曜日

(雑談)木に巻きつく明かり

夕方になると、駅前の木々がクリスマスのためだろう、青色と白色のライトに飾られて点滅する。その青色が、ペルシャンブルーというかラピスラズリを思わせる濃さだ。当り前に思ってきた青とは違った、欧米人好みする色調という感がする。

少し前まで、夜間の木々を飾った照明は、白色光が中心だった。それが、LEDの青色発明後、欧米好みを真似てか、青色が加わった。アジア人と欧米人の色感に違いがあるってことは通説だけれど。でも、あの奥行きある、底にじんわり輝きを持った群青の明かりは気になる。

夜間、木々に照明ライトを巻きつけると、彼らに昼夜の区別を与えないことになる示唆があった筈、今はだれも口にしない。駅前の木々は、固い路面に雨水を直接下水溝に流され、自動車の排ガスにさらされ、そのうえ自然光の加減まで奪われて・・・、本来、木の健康な証である、光合成作用のすべての要件を人の勝手にされている。なのに、ぼくらは駅の改札を出て、目の前にそびえる木立の緑をながめるやほっとする。

それでも、あの深い青色が気になる。夕闇に溶け込みそうでそうでない、秘かに、そして静かに輝く青色が気になる。高校時代に誰も口にしなかった、なのに卒業後集まった男たち誰もが問わず語りしたあの女性を思い出す。(青色LEDよ、いつまでもきれいに輝いてください)

(付記)
・中島みゆきの「歌姫」の歌詞に、「男はみんな嘘がうまいね・・・、女はみんな嘘が好きだね・・・」とある。
・TBSラジオ「蔦信彦 人生百景『志の人たち』」に出演した、映画シナリオライター高田宏治が知人の言葉として、(昔の生き方だが)「男は悔しがり、女は寂しがる」の旨を紹介した。

2017年11月11日土曜日

知りたいことばかり

イディッシュ語は、ドイツ語の響きがして、Youtubeにドイツ語とイディッシュ語話者が並んで話しているのがあるくらい。もちろん、両言語の会話内容を分かるわけないが、よく似てるなと感じる次第。素人にとって分かりやすく納得できるなら、東京方言と鹿児島弁の違いなのだろうか(いやもっとか)、知りたいところだ。

イディッシュ語は、ドイツ語圏から出立して、東欧への広がりに伴いポーランド語やロシア語の影響を受けたそうだ。ますます容易でないし、ヘブライ語(つまりユダヤ文化)の語彙もあって手も足も出ない。もちろん、それを気にするなんて、いうも恥ずかしいレベルだが。

言語ができあがる過程について興味ある一方で、イディッシュ文化と密接な<音楽>についても、その歴史を知りたいところだ。東欧系のイディッシュ音楽のジャンルに「クレズマー(クレツマー)」音楽があって、その起源に、「バルカン半島北部を含む東欧とドイツ」(Wikipedia)とある。民族音楽は、その民族の遺伝子のようなもので、表現の基底にあるもので、ことばや集団の文化と密接な関係があるだろう。

もちろん、「バルカン半島北部」起源について、何の確認を取ったわけでもないが、ドイツ語圏とかけ離れた、なぜ「バルカン」なのかといった不思議さを感じる。そもそも、バルカン音楽とは何かも知らないのに・・・知りたいことばかり。

2017年11月10日金曜日

枯葉とあそび

先日、隣り駅のロータリーを囲む並木のもと、歩道側の生垣に、枯葉の吹き溜まりができていた。それを見つけた幼児が、母親に見守られながら、枯葉を両手に集め持っては空に解き放す。風に舞い落下する様子がうれしくて、何度も繰り返していた。何気ない一瞬かもしれないが、おじさんには、母子の実に美しい光景に見えてしょうがない。

以前、このブログに、<「枯葉」の聴き比べ > を記して、実際の枯葉の様子を公園で確かめたい旨のべた。今日、ようやく近所の公園に出かけることができた。

ケヤキは、今まさに、茶色の葉をはらはらと落としている最中。イチョウは、路面にびっしりと黄色の絨毯を敷き詰めて、なおかつ木々に黄色の葉をまとっている。不思議なことに、そのときイチョウは小休止のようで、落葉することはなかった。また、ユリノキの木立が並ぶ一画があって、異国の秋を思わせる洒落た風景を見せてくれる。そういえば、去年もこの時期、ここで枯葉を楽しんでいる。

ところで、平日の公園はのんびりして人気が少ないため、保育園や幼稚園の園児、小学生の一団が訪れる。今日も、いくつかの広場に、子供たちの人影と声がした。幼児の声は開放された空間でも、不思議とよく聞こえる。精一杯、草原を走るさまは可愛らしく懐かしい。一方、小学生たちは、付き添いのカメラマンだろうか、クラス写真を撮ってもらっていた。この一瞬も、それぞれの人生につながり、記憶に残ることだろう。子どもたちを見ているだけでなぜか満たされる気分になる。

枯葉のおじさんは、今日じゅうぶん満たされた。

2017年11月9日木曜日

秋期イディッシュ語 2017-6,7th

今日のイディッシュ語教室は、2時限連続の特別授業(2017秋期カウントを、06、07にする)。偶然というか幸運にも、アメリカから、イディッシュ語を話すことのできる女子留学生が参加してくれた。(留学生は、京都からお土産を持って教室に来られ、おもてなしが逆転してしまう結果に・・・)

留学生は、自身のイディッシュ文化との関わりについて語ってくれた。(その中からひとつ、写真投影もあって)、都心にあると思いきや、緑豊かな郊外に所在する「YBC(Yiddish Book Center)」での蔵書資料作成サポート経験を紹介された。同所は、世界からイディッシュ語書籍の寄贈を受け付けていて、蔵書が充実しているようだ。

目の前で、先生と留学生のイディッシュ語会話を聞いていると、(身の程知らずにも)その気になってくる。もちろん、先生の日本語解説があって了解されたことだが・・・。

(本ブログ関連:”イディッシュ語”、”秋期イディッシュ語”)

当然ながら、今日も授業(解説、Exercise)が進んだ。
① 定冠詞: דאָס , די , דער ⇒ 結論、名詞と定冠詞を一緒に覚えるのが良い!
② 動詞「好き(like / love)」: .איך האָב (נישט) ליב צו עסן [ I(do not)like to eat.]

最後に、日本で誰もが歌えるものの、イディッシュの歌(原曲1938年)であることが余り知られていない、「ドナドナ」の歌詞と楽譜が先生から配布され、みなで一緒に歌った。ちなみに、留学生から、「ドナドナ」のアメリカでの流行は、ジョーン・バエズが歌ってからによるのが大きいとのこと。それにしても、日本で誰もが知って歌えることに驚かれていた。

(本ブログ関連:”ドナドナ(Dona Dona)”、”素敵なあなた(Bei Mir Bistu Shein)”)

参考までに、ミュージカル「屋根の上のバイオリン弾き」の原作「牛乳屋テヴィエ」(西成彦訳、岩波文庫)の「解説」で、日本での「ドナドナ」の普及について、次のように続けられている。
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(ミュージカル「屋根の上のバイオリン弾き」公演の成功という)日本でこれまでほどに大衆的な支持を受けたユダヤ文化の遺産は、「ドナドナ」を除けば、たぶん類例がないといっていいほどである。
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かように、「ドナドナ」は、NHKの「みんなのうた」でも放送されたこともあり、日本の誰もが耳にした、あたり前の歌になっている。

2017年11月8日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 愛の舞踊

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(11/1)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、「愛の舞踊」ほか関連する曲を紹介した。

始めに、「都彌夫婦説話(도미부부설화)」に登場する「都彌(도미)」と婦人(아랑)について次のように紹介された。
・百済時代に、仲睦まじい都彌と美しい婦人がいた。王は、二人を試し、都彌を宮廷に閉じ込め、婦人を奪おうとしたが、婦人は王の言いなりにならなかった。怒った王は、都彌の目を抜く刑を下し、遠く船に乗せて流した。再び我が物にしようとしたが、婦人は、猶予を求めてひそかに逃れた。川辺にたどり着くも渡る船がなく、泣き崩れる婦人の所へ、どこからか現れた船に乗り逃げ延びた先に、離れていた夫の都彌がいた。二人は高句麗へ逃れ、最後まで伴に暮らした。

▼ カヤグムとフルート演奏で <悲しいが美しい愛の物語>「愛の舞踊(사랑의 춤)」を聴く。動と色彩、今様に。

次に、妓生の「黄真伊(ファンジニ、황진이)」と学者ソンビの「蘇世讓(소세양)」について次のように紹介された
・朝鮮時代、妓生の「黄真伊」は、美貌だけでなく漢詩や音楽の才があり、妓生ながら男たちに振り回されない強い意志の女性で知られる。学者ソンビの「蘇世讓」は、黄真伊に心を奪われぬ自信がある、彼女とひと月過ごして戻らねば自分は人でないと言った。黄真伊と出会い、夢のような時を過ごした後、約束通り黄真伊に別れを告げた。黄真伊は普通の女性でなく、楼閣上で酒を交わして別れの詩を歌った。それを聴いた蘇世讓は、自分は人でない、黄真伊の処に留まると言った。二人の別れを歌った詩を歌にしたものがある。

▼ 詩を元にした「送別蘇陽谷(송별 소 양곡)」の歌を聴く。月明かりの下、霜降る楼閣での別れを叙情的に、今様に。

最後に、妓生の「梅窓(매창)」と「洪吉童(홍길동)」の著者「許筠(허균)」について次のように紹介された。
・朝鮮時代、妓生の「梅窓」は、最下層出身ながら、両斑で「洪吉童」の著者「許筠」と親しくしたが、身分を越えた男女の友情は受け入れがたく誤解される。ある日、梅窓は、自分を去った地方官の石碑の前で、コムンゴを奏でた。人びとの、彼女が許筠を想っているとの噂が、彼のいる首都漢陽まで伝わった。彼は梅窓に手紙を送り、<月明かりの下でコムンゴを奏でたと聞いたが、人気のないところであれば良かったのに、自分が笑いものになってしまった> と、責めた訳でもない。噂のせいで悔しいと言い、<最近も参禅をしているのか> と尋ね、<梅窓がとても懐かしい> と言っている。

▼ 話を元にした「山うずら(산자고새)」をコムンゴ演奏で聴く。山霞するような叙情的に、今様に。

2017年11月7日火曜日

立冬 2017

一旦、ヒーターを入れると止められない。今日のヒーターは暑い、熱いけれど、パソコンデスクのそばから離せない。無ければ寂しいというか物足りなくなる。すでに当り前の存在になっている。

そんなときでも、二十四節気の「立冬」はやってくる。例年、立冬に即クリスマスを思い描いたが、なんだかポカポカ陽気して、今回はそこまで至らない。今年のクリスマスはだいぶ遠い。多分。

(本ブログ関連:”立冬”)

(付記)
ところで、先日の11月4日、釜山広域市海雲台区の国際コンベンションセンター「BEXCO」にあるオーディトリアム(4,002席*規模)で、韓国地銀「釜山銀行」の創立50周年を記念した「秋(愛)幸せ音楽会」が開催され、イ・ソンヒほかキム・ボムスなどの歌手が参加した。
(*)新聞報道では、6,000人招待とされている。コンベンションホールでも、5,340人収容である。

2017年11月6日月曜日

イ・ソンヒの「世界中が眠りに落ちた後から」

今日の午後、例年と比べて思いのほか暖かだった。それでも、夕方、日が暮れると晩秋を感じる。天気予報では、間隔を開けて小雨が降るたび、寒さが増していくという。年末に向けての下り坂は急で、あっという間に冬を迎えそうだ。

公園を通り抜ける韓国語教室への往復路、冷え込みのせいか、秋の夕べに見かけたランニングする姿はない。公園をつつむ暗闇は、その奥に木立をかすかに感じるほど深い。やがて来る冬の厳しさを予告しているようでもある。

イ・ソンヒの12集所収、「世界中が眠りに落ちた後から(온 세상 잠든 후부터)」(2001年、作詞イ・タギョン、作曲パク・ヨンス、編曲パク・ヨンス、ユ・ションソク)は、静止した世界で聴くような、荘厳な響きがする。彼女には珍しい、高音をひかえたしっとりした曲だ。

(本ブログ関連:”世界中が眠りに落ちた後から”)


夜通し雪が降ったわ。世界中が眠りに落ちた後から
悲しい 私のこころも知らぬまま、 朝はくるのでしょう。
窓、音もなく開けば、染みる冷たい風
白雪、美しく積もった 木の上には冬の空

あなたの背に近づき、しばらく寄り添ったが
なんの言葉もなしに ドアを出るのね。
もうすべて終わってしまったのね まだ私はここにいるのに
あなたに見せられなかった 痛みはまだそのままなのに

本当にとてもつらいです このように別れるのだから
あなたを なくした朝 私だけ残ってます。

去ってしまったあなたの足跡が雪の上一つずつ刻まれて
眺める目を少しずつ 滲ませてしまいました。

あの冬の終わりに あなたはもう消えて
とうとう 悲しい涙を 流してしまったの。


(Toutubeに登録のCool Kidに感謝)

2017年11月5日日曜日

スプートニク 60周年

今から60年前の1957年10月4日、旧ソ連の「バイコヌール宇宙基地」から発射されたロケット(ICBM R-7)に搭載の人工衛星「スプートニク1号」が、人類初の人工衛星として地球周回を開始した。(ちなみに、人間が地球周回したのは、1961年4月12日、同じくソ連の宇宙飛行士「ユーリイ・ガガーリン」によって達成された)

そんな時代が来たという驚きはあったが、何しろ初めてのこと、どうやって理解すればよいのか思案にくれた。宇宙新時代という実感は果たしてどうだったろうか。むしろ、ICBMでそんなことができるのかといった感想かもしれない。

その後、科学技術の進歩を象徴するものと認知され、ソ連って凄いなあという時代が来る。近所の診療所にも、雑誌「今日のソ連邦」がそれとなく置かれていたほど。だから、アメリカの衝撃は大きく、「スプートニク・ショック」と呼ばれ、教育の<近代化>が叫ばれた。(なにしろ、算数・数学に集合論を少し取り入れたりした)

当然、宇宙的、SF的な雰囲気を持った音楽バンドも出現する。エレキバンドの「The Spotnicks」がそれで、日本では「霧のカレリア」(1966)がヒットした。いわゆるシンセサイザー風の響きがした・・・といっても、僕らにはシンセサイーザーって何?というくらいの時代だったけれど。(「スプートニクス」のバンド名は、マネージャーの提案といったイメージ戦略だったみたいで)

(本ブログ関連:”スプートニク”、”霧のカレリア”)

「霧のカレリア」は、ロシア民謡「トロイカ」も聞こえたりして、日本人好みだったようで、「ベンチャーズ」支持の系譜につながるかもしれない。
(「霧のカレリア」の原曲について、ブログ「澎湖島のニガウリ日誌」に詳細に語られている。感謝。)


(Youtubeに登録のrautalanka1974に感謝)

2017年11月4日土曜日

「枯葉」の聴き比べ

暦は満月、残念ながら、夜道に小雨がぱらつく。まさか濡れると思わなかった。小走りして帰宅する。考えてみればもう晩秋、けれどこの秋の、虫の音の記憶がない。どうしたことか。よい時分の忘れ物をしたようでもったいない。明日は公園にでも出かけてみよう。

枯葉の感蝕はいかばかり、ちょいと気分を出して歩いてみたい。歌は、イブ・モンタンもいいがナット・キング・コールの「枯葉」を選んでしまう。昔なら、LPレコードをプレイヤーに載せ、レコード針をそっと置いて聴くもの・・・つまり、それだけの手間があった。いまやYoutubeで、ちょいちょいと探してクリックするだけ。(実はまことに申し訳ない行為をしているわけで)

(本ブログ関連:”枯葉”)

有名な歌手たちが歌う「枯葉」を聴き比べする、珍しいYoutube画像がある。


(Youtubeに登録の関雅行に感謝)

2017年11月3日金曜日

イ・ソンヒ、除隊のイ・スンギを迎える

2016年2月16日に軍隊に入隊した、イ・ソンヒの愛弟子(いつまでそういってよいのか分からないが)イ・スンギは、先日10月31日に除隊後、イ・ソンヒとのツーショット写真を見せたと、釜山日報の記事、「転役(除隊)のイ・スンギ、所属事務所の先輩イ・ソンヒと楽しい社会人(復帰の)証拠写真」(10/31、デジタルメディア本部記者)は、次のように報じている。

(本ブログ関連:”イ・スンギ”、”フックエンターテインメント”)

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・俳優兼歌手のイ・スンギが、国防の義務を果たして社会人になった。
・31日、イ・スンギの所属事務所「フックエンターテインメント」の代表は、自身のインスタグラムに、「来た。帰って来た。イ・スンギが帰って来た」という文とともに、数々の写真を掲載した。
・公開された写真の中には、軍服を着て所属事務所の前でポーズを取っているイ・スンギの姿が入れられた。特に、イ・スンギは、所属事務所先輩であるイ・ソンヒとも親しくポーズを取って見せた。
・イ・スンギは、陸軍第13空輸特戦旅団 75特戦大隊 情報課情報兵として勤務した認定書を公開したこともある。新兵教育優秀、保安監査有功、多読王など多数の叙勲内訳も記録された。また。「特級戦士」、「戦闘特戦兵」徽章を共に公開したりもして注目を集めた。
・一方、イ・スンギの復帰作は、ホン姉妹が執筆した、(12月放映予定)tvNドラマ「花遊記(화유기)」に予定された。
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(KBS World Radio:「イ・スンギが除隊 復帰作は?」)

(雑記)
手で草抜きする替わりに、ナイロンコード式の草刈機を使ってみて驚いた。あれよあれれよという間に除草できたのだ・・・もちろん、根から抜き取るわけではないので、同じに比較できないが。

2017年11月2日木曜日

秋期イディッシュ語 2017-5th

イディッシュ語教室の通学に電車を利用している。ちょっとした遠出になっている。歳をとると次第に出不精になるので、この通学はそれを解消してくれて幸いだ。よければ、その効用が語学力にまで通用してくれると更によいが・・・。

(本ブログ関連:”イディッシュ語”、”秋期イディッシュ語”)

さて、今日から少しずつ難しくなってきた。
① 否定形:動詞の後に ”נישט” を置く。
② 英語の ”There is/are ~” の相当句: ”... עס איז/זענען דאָ” の使い方。
③ 疑問詞:モデルとしてイディッシュ語話者や教室内で尋ねたいことを想定した練習。
    次は、わたしの場合のQAだが。
   ?װאָסער מוזיק האָבסטו ליב
        - 어떤 음악을 좋아해요?
   .איך האָב ליב קאָרעיִש מוזיק
        - 저는 한국 음악(Trot)을 좋아해요.

帰りのこと、地元駅前広場が濡れて夕闇に溶けていた。サテライト教室を出たとき果たしてどうだったか、思い出そうとして悩む。雨降り後だったのかどうだか確信がないのだ。

2017年11月1日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 上院寺の朝

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(10/25)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、弦楽器の系譜を通して、「上院寺の朝」ほか関連する曲を紹介した。

始めに、伝古朝鮮の代、船頭の「霍里子高(곽리자고)」が語ったことを妻の「麗玉(여옥)」が、(アッシリア起源とされる)楽器「箜篌(くご、공후)」で歌った「公無渡河歌(공무도하가)」について次のように紹介された。
・昔、「霍里子高」が川辺で舟を手入れしたとき、白髪の男が入水するのを止めようと、その妻が追ったが、結局男は水に陥る。男の妻は、楽器「箜篌」で悲しみを表し、<川を渡らないで> との内容を歌い終わると、同じ川に身を投じた。霍里子高は家に戻って妻「麗玉」にそれを語った。麗玉は家の箜篌で、その歌を奏して歌い、人々は悲しみ涙して聴いた。古朝鮮の歌「公無渡河歌」にまつわる話だ。箜篌は、古代東アジアで使われ、ハープに似て指で弦を奏でた。
今年の第69回「正倉院展」にて、現有唯一の「箜篌」が展示される:NHK「日曜美術館

▼ 箜篌とセンファンの演奏で「上院寺の朝(상원사의 아침)」を聴く。以前聴く、朝明けの光景を、今様に。

次に、箜篌と楽器「琵琶」の構造や歴史的関係について次のように紹介された。
・箜篌に幾つか種類があり、昔の絵によく登場して親しまれた。今は演奏者があまりなく、楽器だけ伝わる。その範疇に、西洋ギターに似た「琵琶」がある。琵琶の名は奏法に由来し、「琵」は外側に、「琶」は内側に奏でる意を持つ。琵琶に似た韓国琵琶は、しゃもじ様のものと指ぬきをはめて弦を奏でる。竹製撥で音を出すこともあった。1930年代まで、コムンゴ奏者が琵琶を奏でたりしたが、今はあまりいない。他国の琵琶奏法を参考に、独自の奏法を作り出す動きもある。

▼ カヤグム演奏曲である「沈香舞(침향무)」を琵琶の演奏で聴く。以前聴く、緩やかなときの流れを感じる。

最後に、1940年代の新しい楽器「鉄弦琴(철현금)」について次のように紹介された。
・楽器「鉄弦琴」は、1940年代に(ナムサダンペ綱渡り名人の)金永哲(김영철)が、西洋ギターを真似て作った。四角いギターの形状をして、床の上で演奏する。コムンゴのように撥で弦を奏でる。コムンゴやカヤグムが弦を奏でて音を出した後に弦を揺らして音程に変化を与えるのに対し、鉄弦琴は弦をこすりつけるのが特徴。鉄弦琴の歴史は短いが、伝統音楽の特徴を生かし、不思議な音色で親しまれている。

▼ 鉄弦琴演奏による「夕焼け(노을)」を聴く。夕暮の霞たなびく静けさを詩情豊に、今様に。チターを思い起こす。