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2012年10月31日水曜日

サンフランシスコに行くなら夏がよい

本屋に行けば、来年のカレンダー、手帳、年賀状のソフトCD付ムックがずらりと並んでいるし、スーパーなどでは、おせち料理の予約が始まっている。押せ押せムードで、消費を押しまくっている。

今日はハロウィン(祭り)で、舶来品の臭いがして少々異論があるが若者たちの馬鹿騒ぎならともかく、先日多摩センター駅前で若い親たちが子どもに揃って魔法使いの衣装を着させているのを見たとき、力が抜けてしまった。まだ風習になっていないだろうに、その気持ち超早くない?

ところで、健康体操教室の若き指導者が、イタリアのベネチアに旅したばかりなのに、今度はサンフランシスコに行きたいなどと、楽しいことを言っている・・・元気な人はいいねえ。

そのむかし、フラワー・チャイルドなどといったヒッピーの住む街、サンフランシスコに行くのなら、こんな歌はどうだろうか。スコット・マッケンジー(Scott McKenzie、1939年1月10日~2012年8月18日)の「花のサンフランシスコ(San Francisco)」(1967年)が懐かしい。(・・・財津和夫の声質を思い出す)
まだ若者たちが異議申し立てできた(していた)時代の歌だ。当時、日本の大学構内では、ジーンズを穿いているかどうかで、思想信条の違いまで色分けされたときがあった。



(Yooutubeに登録のtimasnewに感謝)

2012年10月30日火曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 バイナログ

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(10/24)に、人物シリーズ51回目として、若手フュージョン国楽グループの先頭に立って活動しているグループの「バイナログ(vinalog바이날로그)」を紹介した。
解説の岸さんの熱い語りが、とても印象的でした。若いひとはそうなんだろうな。 

まず、「フュージョン国楽」の解説から始まった。
芸術家にとって、伝統は引き継ぐだけでなく、その枠を超えて時代の変化を取り入れ、自らの個性をも表現したとき、ようやくその価値を見出すといわれる
・昔、歌い手は他人の歌を真似て歌うことを「写真歌(사진소리)」といって嫌った。伝統を背景に目まぐるしく変化する現代、「フュージョン国楽」という国楽発祥のフュージョンがあって、大衆に合う音楽を作ろうと活動する音楽家たちがいる。活躍するグループに「バイナログ」がいる。

▼バイナログによる「chicken run」を聴く。・・・ケーナ(Quena)に似て明るく、まさにワールドミュージックの響きだ。

次のようにバイナログのプロフィールが紹介された。
・バイナログの名は、レコード盤を表す「バイナル(vinyl、米俗)」と「アナログ(analog、米)」を合わせた、豊で温かい質感のある音を追求する意を込めている。
・メンバーは、打楽器と歌、管楽器のソグムタンソなど、作曲とピアノ、そしてギターを担当する4人である。
・2003(2004?)年 結成。感覚的なメロディーとリズムで、若い世代を中心に大きな反響が寄せられた。

▼バイナログによる「君と僕(영나영)」を聴く。・・・これも、ワールドミュージックというんだろうね。

・2012年9月 全州の音楽祭でフュージョン国楽グループがパフォーマンスを競い大賞を受賞。

▼バイナログによる「Land of Morning Calm」(朝鮮?)を聴く。これは地の香りがする・・・いいよ。

2012年10月29日月曜日

イ・ソンヒの「冬哀傷」

冬の夜中、熱々のインスタントラーメンがうまくなる。できあがるのに3分間というけれど、茹でたりして調理すれば5、6分間はかかるだろう。そんな短時間に友人が作った歌詞を受けて後、作曲家が作り上げたのが、何とイ・ソンヒの「冬哀傷(겨울애상)」(歌詞、1989年、5集:作詞キム・ヨイル(김요일)、作曲ソン・シヒョン(송시현))だ。

冬の夜、青い月の光を受けて、凍える心・・・イ・ソンヒの澄んだ声が冷たい冬の空気に共鳴するようだ。

(本ブログ関連:"イ・ソンヒの「冬哀傷」を作詞した場面"、"アルバム紹介:イ・ソンヒ 4集+5集(All That Masterpiece)")



(Youtubeに登録のKnightmareSMに感謝)

2012年10月28日日曜日

勾玉作り

小雨降るなか、午前・午後の半日をかけて、多摩センターにある「東京都埋蔵文化財センター」の見学会に行く。主催は、地元小金井公園に併設の「江戸東京たてもの園」(友の会)である。ちなみに、同園で開催中の「武蔵野の歴史と考古学展」は同センターと連携している。
今回、センターの収蔵庫をのぞいたり、勾玉作りをしたり貴重な経験をさせていただき、関係者に感謝です。

午前は、最初にDVD(フジテレビの放送映像)による、縄文時代のクッキー(パン)作りの紹介を見る。マテバシイ(ブナ科の常緑高木)のドングリの実を使ったもので、手近な材料であらためて真似したくなる。縄文の食事は、温暖化による広葉樹林のおかげである。
同センターは、本年度の企画展示として、「縄文人の食事」をテーマに縄文時代の人々の食生活を紹介している。多摩センター地域は内陸地のため、縄文人の食材はもっぱら木の実、獣、川魚などが中心で、海産物を食べた痕跡はないそうだ。
次に、展示室と遺跡庭園の竪穴住居(再現)を巡る。展示室の縄文土器が新しくなるとともに大きくなることについて、貯蔵が目的だったのではという解説があった。時代とともに、食料の生産力も上がってきたことがうかがえる。遺跡庭園で驚いたのは竪穴住居が、内部で火を焚くと意外に暖かいのだ・・・とはいえ、室内は暗く、煙通しが天井にあるが、さぞ煙たかったことだろう。この生活を、私たち先祖は生まれてから死ぬまで何代と過ごしたことになる。
庭園は、北側に川を望む丘地にあり、崖下に湧水を得られる、実際に縄文人たちが生活した場所である。
縄文時代(前13000年~前2400年頃)は、集落の規模も小さく、互いに争いをした形跡は残されていない平和な時代だったようだ。残念ながら、当時の子どもたちの世界を垣間見ることのできる遺物(たとえば玩具のようなもの)は、まだ発見されていないようだ。

午後は、勾玉作りだ。実は参加者に子どもたちが多ければ席を譲ろうと思っていたが、真反対の世代ばかりのため、安心して製作に励む。勾玉の石材といえば、糸魚川の翡翠を思うけれど、今回は超柔らかい硬度1の滑石(チョークの材料)を使って指導を受けた。結果は左写真の通り・・・まんざらでもない。
直方体の滑石の石片に、勾玉の図柄を描き、砥石で削り取ることから始まる。順次、鉄ヤスリ、サンドペーパー、水ペーパーなどを使って整形する。ところで、指導の方から、感熱型のレシートはさらに細かい仕上げに使える・・・とのことで使ってみれば、なるほど艶がでてきたから驚き。

2012年10月27日土曜日

パスワード設定

「パスワード設定に気を付けて」といわれて久しいけれど、いまだに安直なものが多いそうだ。
IPA(情報処理推進機構)の「1.4.1 類推しやすいパスワード例」を次のように例示している・・・一度はやらかしたことがあるものばかりだ。

・ユーザ名と同一
・姓名または姓名の片方(yamadaやtaro)
・ユーザ名に数字を加えたもの(yamada01)
・製品名や商標名(WindowsやUNIX)
・名詞(bookやpencil)
・地名(tokyo)
・組織の略語(ipa)
・規則のある数字や英字(777やabcde)
・キーボードの配列(qwert)


ところで、中央日報の記事「米国 '今年最悪のパスワード'...'password'」(10/27、連合)は、パスワード設定について孫・孫引きで話題を報じている・・・こちらの方が、よりリアリティがある。

・'password'、'123456'、'12345678'、'abc123'、'qwerty'・・・
・パスワード管理アプリケーション「スプラッシュ・データ(Splash Data)」が選定した、今年の"最悪のパスワード"リストだ。

26日(現地時間)CNNインターネット版によると、スプラッシュデータは、ハッカーがオンラインサイトで盗み出して公開したパスワードを集計して「最悪のパスワード」を選定した。
・特に 'password'、'123456 'と'12345678'は、昨年にも最悪のパスワードに選ばれた。
'monkey'、'letmein'、'dragon'、'111111'、'baseball'なども10位圏内に入った。
このほか、 'iloveyou’、'welcome'、'123123 '、'jesus'、'password1'なども25位内に選ばれた。

くわばら、くわばら・・・である。

2012年10月26日金曜日

イ・ソンヒの「思い出のページをめくれば」

ひとは夏の終わりに過ぎ去った物語に気付き、葉の落ちる秋にようやく思い出のページをめくるようになる。
イ・ソンヒは、2003年のインタビューの中で、自身の曲から40代が記憶する「Jへ」(1984年)と、30代が(記憶する)「思い出のページをめくれば(추억의 책장을 넘기면)」(1990年、6集)を最も印象的な歌に選んだという。後者はファンが「最もイ・ソンヒらしい曲」と感じるという説明を付け加えたそうだ。

この「思い出のページをめくれば」こそ、彼女の音楽家として大きな変曲点となった作品である。

(本ブログ関連:"思い出のページをめくれば")



(Youtubeに登録のsunnyfan100に感謝)

2012年10月25日木曜日

ハロウィンのイメージ

ハロウィンを知ったのは、だいぶたってのこと。高校時代に、レイ・ブラッドベリ好きがいて、作品を紹介されたのがきっかけだ。

最初に読んだ、ブラッドベリの短編集「10月はたそがれの国」(創元SF文庫)の表紙に、ジョーセフ・ムグナーニ(Joseph Mugnaini)による、捻じ曲げられたように古びた陰気な家屋が描かれていたのを記憶している。ファンタジー・マニア好みのイラストである。

ブラッドベリの作品に、ハロウィンを題材にした物語がいくつもあるが、そこには邪悪なものが漂うマジカルな印象が共通する。見えないものが見えてしまう子どもたちの恐れをハロウィンは抱えている。ハロウィンの夜、だが重く塗り込められた暗闇に対する子どもたちの視点をブラッドベリは忘れていない。

そんな印象があってか、今流行の「ハロウィン」にはちょっと違って、若者たちのお祭りのようなものを感じる。ファッション・ショーなどのイベントで、「ハロウィン」舞台に立つ子役たちが怪しい衣装を着ても、実際ご近所を夜な夜な菓子もらいに巡る彼らと会うことはないだろうし・・・今のところ。

闇にうごめく邪悪なものを感じさせないハロウィンは、子どもたちの心に残るだろうか。

(本ブログ関連:”ハロウィン”)

2012年10月24日水曜日

(資料)レジェンド・プロファイル16弾-イ・ソンヒ

Daumミュージックに掲載のスペシャル企画連載「レジェンド・プロファイル16弾-イ・ソンヒ」(ムン・ジョンホ、2011年12月8日)に、イ・ソンヒのデビュー(1984年)から2000年に至るアーティスト(音楽家)としての変遷を、1990年代の変換に焦点をあて相当辛口ながら次のように記している。感謝。

(1980年代)
・イ・ソンヒといえば、常に少年のような顔とズボンだけに固執する特有の衣装スタイル、小さな体躯にもかかわらず客席の規模を問わず聴衆を圧倒させるすっきりした歌唱力などが思い浮かぶ。これは、ほとんど1980年代に確立され、今日まで続いているものである。俗に言うイ・ソンヒの黄金時代も1980年代に集中している。
1984年、第5回MBC「江辺歌謡祭」で大賞を受賞し、彗星のように登場したイ・ソンヒは、文字通り時代を代表するに不足ない活動を示した。特にヒット・ソングを量産して送り出す能力だけ見れば、同時代にイ・ソンヒより優位を占めることができる名前はほとんどない。いちいち羅列するのが難しい(音楽)チャートの成績や受賞歴がこれを代弁する。その中のいくつかは単発のヒットにとどまらず、時間と世代を超えた国民歌謡の位相さえ獲得した。
大衆にはじめてイ・ソンヒを刻印させた「Jへ」が代表的だ。「あ! 昔よ」と「ヨン」、「私はいつもあなたを」なども美しい曲だ。TVアニメ「走れハニー」の主題歌も欠かすことができない。真にすべて、時代が要求する健全さの標本であったし、イ・ソンヒもまたそのような役割を厭わず、国民の自負心を鼓吹させる歌もよく歌った
今でこそ「美しい江山」を聞いて、果たしてこれが原作者の意図を十分に反映した再解釈か疑問を持つが、当時国民学校低学年子供の胸まで食い込んだ痛快さを、熱心でなかった感情で片付けたくない。思い出をちょっと美化したいのに、窮屈にしてるんじゃないではないかと?

(1990年代)
・2000年代を生きていくということがちょっとうんざりされる頃、1990年代の音楽は豊かさに満ちていた時代の産物と格上げされた。しかし、1990年代に全盛期を享受した音楽家たちの大部分は、2000年代に入ってネームバリューのみ残しただけで、実質的に影響力を行使できなかった。
イ・ソンヒには1990年代がそれにあたる。1990年代がとうてい理解できないラップとダンス音楽であふれるロマンも何もない時代と呼ばれた時、イ・ソンヒは1980年代に全盛期を送った昔の人というだけだった。発表するに従い、誰でも歌える流行歌で作った1980年代のイ・ソンヒは最早存在していなかった。
しかし1990年代は、イ・ソンヒが最も意欲的に正規アルバムを作業していた時期でもある。当時、発表された結果を見れば、いかなる意味では1980年代よりさらに興味深い内奥がある。事実イ・ソンヒが1980年代に発表したアルバムは、流行歌の歌集としては優秀かも知れないが作品としての満足感はとても低い方だ。しかし1990年代のアルバムは、作品単位で何か残そうとする意志が強くうかがえる。例えば、本格的に国楽を試みた「小船(조각배)」(1992年、8集)と、はじめて自作曲で満たした「First Love」(1996年、10集)、はじめて1990年代(音楽)語法を受け入れ始めた「Dream of Ruby」(1998年、11集)などは、以前と差別される内容で面白味を与えた。微弱なチャート成績により大きく注目をあびられなかったが、イ・ソンヒそれなりに、絶えず新しさを追求して変化を模索したのだ。 これはボーカリストを越えた音楽家としての可能性である

(1990年代から2000年代へ)
・もちろん、そのような試みが完全に優れた結果を残したわけではない。「小船」での国楽の導入はボーカリストとしての地位が再確認させてくれただけで継続的な成果につながれなかったし、「First Love」は、唱法の変化と多様なジャンルの選択(権)を提示したが、開始段階以上ではなかった。メガネをはずし撮ったジャケット写真が印象的な「Dream of Ruby」は、1990年代に流行した作法とラップを導入するなど、視覚的な部分で予告されたように、非常に破格的な変身を込めたがあまり似合わなかった。
1990年代にイ・ソンヒが残した成果の中で最も素晴らしいアルバムは1980年代の方法論をより一層完成度あるように実現した「思い出のページをめくれば(추억의 책장을 넘기면)」(1990年、6集)である。クラシックの旋律を加味して気品を高めることに肯定的な影響を及ぼした 「思い出のページをめくれば」とブルースを試みた「懐かしさは去って」、イ・ソンヒ特有の迫力を感じることができる「懐かしい国」などが入れられた「思い​​出のページをめくれば」は1990年代だけでなく、全体の結果を見てみても断然引き立って見える。

(本ブログ関連:"思い出のページをめくれば")

しかし、イ・ソンヒが1990年代に果敢に試みていた、残りの方法論が無意味に終わったわけではない。 これは、イ・ソンヒが再び成長する過程であった2000年代を準備する心強い足場となった。出発はやや揺れた。2000年代に入ってはじめて発表した「My Life + Best」(2001年、12集)は、「Dream of Ruby」の延長でユ・ヨンソクとパク・チニョンなどの曲を受けゴスペル的な要素とアフリカのリズムを取り入れたいくつかの試みはユニークたが、アルバムを主導した催涙性(感傷的な)バラードとの出会いは確かにぎこちなかった。

(2000年代)
結実が現れたのは「四春期(사춘기)」(2005年、13集)だ。 「First Love」から久し振りに自作曲で満たした「四春期」は、1990年代に試みとしてとどまっていた部分が最終的に自分の枠組みの中で成果を収めたことを証明する結果である。結局、整理と補完だ。
因縁(縁)」から漂う東洋的な色彩は、国楽に没頭した「小船」時期を連想させるアプローチの違いを見せ、(さらに)「なぜ?」という初期から試みたロック的な要素をもっとモダンに整えた曲だ。「First Love」が、他人の曲を受けたときよりも、直接曲を書いたときに魅力的にアピールすることができるかも知れないという余地を残したアルバムだったとしたら、「四春期」は、これを実現させたという点で意味を付与することができる。「ひまわり」と 「あなたの街」が収録された(現在の最新アルバムである)「愛よ...(사랑아...)」(2009年、14集)では、安定圏に入った作法とは別に依然として新しいスタイルに対する好奇心が感じられる。歌の感情線もさらに深まった。

(これから)
・イ・ソンヒを言うとき、高音と声量を根拠に、1980年代から今日まで何の変化なしに一貫した歩みを繰り返した歌手と規定することは適切ではない。特定の結果の達成に代弁されていないため、アルバム単位のアクセスを基本とする評価対象には退屈だが、流行歌をはき出した1980年代はもちろん、様々な変化を模索していた1990年代試行に伴う結実を収めた2000年代、どの時代を振り返ってみても歌手らしい歌手として残るための努力を怠らなかった時がない。他人の歌で歌手としての能力の検証を受けることも重要だが、私にはイ・ソンヒの道がより貴重にせまる。

2012年10月23日火曜日

霜降 2012

今日は二十四節気の「霜降(そうこう)」で、霜が降り始める候だ。それほど寒くはないが、十分秋冷えしてきているのも事実。今晩から明朝、この秋一番の冷え込みという。

今日の天気予報では、午前中雨降りで、午後に晴れてくるということだったが、晩も小雨は止まない。そのため、傘をさしながら韓国語教室に通うことになったし、のみ込みの悪さは、この雨のせいに・・・違いない。

寝冷えに用心しよう。

2012年10月22日月曜日

Sunny サニー 永遠の仲間たち

ついに見ましたよ、韓国文化院で開かれた「コリアン・シネマ・ウィーク2012」の一つに上映された「Sunny サニー 永遠の仲間たち」だ。

サニーは明るい陽射しのイメージがして健康的に聞こえる。だから、この映画も、1980年代の女子高校生グループに「サニー」の名をあてたのだろう・・・といって、彼女たち少々手荒いグループであるが。

イ・ソンヒが中学生時代につけられた愛称は、”サニー(써니)”だ。名前のアルファベット綴りが”Lee Sun Hee”なので、Sunnyに通じたのだろう。おかげで、今でもファンクラブで「サニー」と呼ばれている。

映画は、平凡ながら幸せも得て家庭の主婦におさまった40代の主人公が、ふとしたきっかけから、女子高校生時代のグループリーダーが癌で余命いくばくもないことを知り、昔のグループメンバーと再会したいという願いをかなえるため奔走する。そのなかで、女子高生時代の少女グループ間の対立、家族内の葛藤、街頭の騒動などの記憶と、現在直面する超え難い問題とが、対比、錯綜して描かれる。

過去はいずれ傷口も癒え、やがて懐かしく美しいものになるだろう。けれど現在の痛手は拭いきれない。それを、軽いタッチで随所にギャグを入れて笑い飛ばしていく。
リーダーは最後に、特に悲しみの深い友に、新しい人生をプレゼントした。まるで御伽噺のように。

ところで、主人公の名前はイム・ナミ。当時の歌手に、ナミ(나미)がいて「くるくる(빙글빙글)」(1984年)を歌った。ただし、イ・ソンヒの歌が聞こえなかったのは残念である。

(本ブログ関連:"サニー"、"絆そして縁")

2012年10月21日日曜日

調布飛行場まつり

午前中、通いなれた野川公園を縦断して、第17回「調布飛行場まつり」に行く。
飛行場に近づけば近づくほどに、家族連れで歩道があふれていた。会場(飛行場)は強い陽射しの、まさに炎天下のお祭りだった。小さな子どもたちにとって良い思い出になることだろう。

会場の内外にテント張りの屋台が続く。子どもたちには、美味しい屋台、手にしたい小間物の屋台があり、一般には整備工場で飛行機部品の販売までしていた。何かいいものはないかなと探したが、荷物になるので・・・遠慮した。

ところで、会場と隣接した滑走路側に次の機種が展示されていた。
・JA9840:アエロスパシアル、AS350B、東邦航空 ・・・ ヘリ
・JA21ME:三菱重工、MH2000A、JAXA(SF風!:SAVERH、ヘッドマウントディスプレイ) ・・・ ヘリ
・JA34CA:ドルニエ、228、新中央航空 ・・・ 双発
・JA315G:セスナ、208B、国土地理院(測量用航空機くにかぜⅢ) ・・・ 単発

その他(整備場内にエンジンをはずして展示)
・JA889A:セスナ、208、共立航空撮影 ・・・ 単発

昼飯時になったので、会場を出て飛行場付設のプロペラカフェに行ってみた。何と同店は会場側をオープンして、いつもの店頭出入り口を閉ざしていたのだ。せっかく暑い道を歩いてきたのに、残念。ということで、帰り道、野川公園にある売店で「たこ焼き」セットを頬張った。

(本ブログ関連:"調布飛行場")

(追記)
今晩、東の空に浮かぶオリオン座から流星群を見ることができる・・・ということで、深夜11時に眺めてみることにしようとしたのだが、午前中の調布飛行場まつりに出かけてすっかり疲れたのだろう、一眠りのつもりが爆睡してしまった。

2012年10月20日土曜日

遠雷それとも花火

夕方、あっという間に陽が落ちる。コンビニに入ってほんの数分(7、8分?)だったと思うが、外に出れば薄暗闇になっていた。帰り道は、ますます暗くなる。

帰宅して、PCを起動すると、どこからかドドドッと音がして空気を響かす。どうやら花火のようだが、今時どこで?と思っているところに、今度はPC(SignalNowExpress)が、17:58と18:02の2度、茨城県北部を震源とする地震警報音を鳴らしたのだ。最近、千葉県、茨城県で地震が多いような・・・気になる。

さて、花火は「第30回 調布市花火大会」(17:50~19:00)で、多摩川べりで、12,000発近く打ち上げるそうだ。朝晩冷え込むこの季節、秋のひんやりした空気の中で見る花火はいかがだろう。

2012年10月19日金曜日

イ・ソンヒの「一人になった愛」

イ・ソンヒのアルバム1集に所収の「一人になった愛(혼자된 사랑)」(1985年)は、まさにデビュー時のスタイルそのままで力強く押し出すような歌い方だったが、5年後にモントリオール室内楽団との協演に至って、抑制のきいたトーンに変わった。

モントリオール室内楽団との協演をきっかけに、或いはその頃から、彼女の音楽は変換点を迎えたともいわれている。それにしても、なんと初々しい映像なことだろう。

(本ブログ関連:"モントリオール")



(Youtubeに登録のlys2187に感謝)

2012年10月18日木曜日

白鯨

今日のGoogle検索の初期画面は、Google文字を織り込んだ<「モビーディック」出版107周年>を示す絵を表示している。

親父と映画「白鯨Moby Dick)」(1956年、原作ハーマン・メルヴィル)を見たのはいつ頃のことだろう。
洋画は子どもには苦手だった。なにしろ字幕があるのだから。茶褐色の暗い画面に滅入りながら、字幕を読むのが億劫だったにもかかわらず、印象は強烈だった。

映画のラスト、エイハブ船長は荒々しい捕鯨のなかで、激しくもがく白鯨のモービーディックにしがみつき一人死闘を繰りひろげ、白鯨と共に水中に消える。やがて海面に、捕鯨のロープをからめたモービーディックが姿を現わす。そこには、ロープに挟まれたまま、手招きするように揺れる船長の亡骸があった・・・のを覚えている。それに、棺桶が浮かんでいた場面も。

後になって、この映画の脚本執筆にSFファンタジー作家のレイ・ブラッドベリ(およびジョン・ヒューストン)が参加したことを知った。レイ・ブラッドベリがインタビューなどでこの作品に関わったことを何度か語っているのを読んだことがある。正直、彼の小説のイメージにつながらなかったけれど、思い入れは通じた。でも映画の思い出はずーっと昔のことだった・・・のだから。

(Youtubeに登録のtudoissojuntoに感謝)

2012年10月17日水曜日

漢詩

下手な横好きというか、考え無しに何にでも手を出してしまう。いまさら身につくわけではないが、楽しめればそれでいいじゃないか・・・といって、すぐではないが、陶淵明の詩について連続講座があるそうなので出かけてみよう。

本音をいえば、イ・ソンヒの代表曲である「分かりたいです(알고싶어요)」の歌詞について知りたいことがある。

彼女のこの歌には原詩があって、<黄真伊(ファン・ジニ:황진이)が蘇世讓(ソ・セヤン:소세양)を誘惑するために書いた漢詩>という伝説(誤解)がある。今でも(韓国の)ブログにそう記しているものがあるようだ。
実は、この「分かりたいです」の作曲家がオリジナルに作った詞を、作詞家の妻が修正してできあがった歌詞に、ある作家が了解を得て漢詩を付したことから「秘話」が誕生してしまったというわけだ。その漢詩というのが、次の七言詩だ・・・陶淵明以降のスタイルだけど。

蕭寥月夜思何事
寢宵轉輾夢似樣
問君有時錄忘言
此世緣分果信良
悠悠憶君疑未盡
日日念我幾許量
忙中要顧煩或喜
喧喧如雀情如常

さて、この解釈やいかに。機会があれば、講師の方に聞いてみようかな。

(本ブログ関連:"分かりたいです" ←画面右下の「前の投稿」もクリックを!)

2012年10月16日火曜日

イ・ソンヒの「慎ましい告白」

イ・ソンヒはかつてMBCのテレビドラマ「ギブス家族」(2000年)に、自分の名前をパロディ化した患者役<イ・ソンフィ(이선휘)>で出演したことがある。劇中、病院のホール、患者たちの前で彼女が歌う「慎ましい告白(수줍은고백)」を、ブログ「愛、悲しみ..そして懐かしさ(사랑,슬픔..그리고 그리움)」で聴くことができる。感謝。
同ブログには、いつか彼女のアルバムで聞きたいという添え書きがある。

イ・ソンヒの公式ホームページにも同様に、この歌をアルバムに収録して欲しいというファンからのコメントが寄せられている。

(本ブログ関連:"イ・ソンヒのドラマ出演")

2012年10月15日月曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 チョン・スニョン

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(10/10)に、人物シリーズ49回目として、中国の二胡に似た、二弦の擦弦楽器の奚琴해금:ヘグム)奏者、チョン・スニョン(정수년)を紹介した。 

まずヘグムの紹介から始まった。
・昔、楽器を二種に大別し、弦楽器を「糸」、管楽器を「竹」と表現した。弦楽器中心の小規模室内楽を「ジュル(弦)風流(줄풍류)」、管楽器中心の場合は管楽器材料の竹(テナム、대나무)のテをとって「テ風流(대풍류)」と呼んだ。
・ヘグムは「ジュル風流」・「テ風流」共に使用されたが、ヘグムを糸でも竹でもない(弦楽器・管楽器のどちらにも属さぬ楽器)の意「非糸非竹(비사비죽)」と呼ばれた。
伝統的な弦楽器は、カヤグム(伽耶琴가야금)」やコムンゴ거문고)のように、爪弾いたり撥(スルテ)で音を出すものが中心だったため、弓で弦を擦(こす)るヘグムは弦楽器とみなされなかった。しかも竹製であるが、息を吹き込み音を出す管楽器でもないという訳だ。
・両方の楽器と共に演奏可能なヘグムについて、若干否定的な見方をされて来たが、現代では多くの人々に注目されている。

▼チョン・スニョンによる「その夜から明け方が来るまで(그 저녁무렵부터 새벽이 오기까지)」を聴く。ゆったりとした空気と時間が流れていく、そんな異国趣味?の漂う・・・どこまでも感傷的な美しい曲だ。



(チョ・へリョン演奏による:Youtubeに登録のSuperTheseusに感謝)

(ヘグム紹介の続き)
・この「その夜から明け方が来るまで」は、国楽室内楽団スルギドゥンのアルバムに収録された。雪が降り積もったソラク山で夜を過ごし、明け方を迎える、その美しい情景を曲の中に描いた。元々、舞踊曲だったが、その後テレビドラマの挿入歌がきっかけで話題となり、一般にヘグムが認識されるようになった。
・チョン・スニョンは、スルギドゥンで「その夜から明け方が来るまで」のヘグム演奏を担当した。
この後、ソロアルバム「공(空)」を発表。当時、国楽家たちにヘグムに対する偏見と、独奏楽器にすることへ抵抗感が少なくなかった。彼女の奏でる音色はそれまでの荒く騒がしいヘグムのイメージと違い、すっきりと落ち着いていて人々の心を揺るがす不思議な力があった。

▼チョン・スニョンによる「この世で美しいものたち(세상에서 아름다운 것들)」を聴く。新国楽というカテゴリーがあれば、その名がふさわしいだろう・・・古い皮に入った葡萄酒の香りは妖しい気がする。

・アルバム「공(空)」は、多くのヘグム奏者に影響を与え、そのことで彼女は「国楽界にヘグム革命」をもたらしたと評価されたそうだ。

次のようにチョン・スニョンプロフィールが紹介された。
・1964年 忠清北道永同に生まれる。(イ・ソンヒと同年代)
・中学時代からヘグムを学ぶ。国立国楽高等学校、ソウル大学に進学。大学卒業後、KBS国楽管弦楽団で活動し、現在は、韓国芸術総合学校伝統芸術院で教授を務め、夫のポ・ソンジェ(パンソリ一家に生まれた国楽家)と共に国楽の伝承と普及に尽力している。

▼チョン・スニョン他による民謡「晋州遊戯(チンジュユヒ、진주유희)」をアレンジした曲を聴く。のびやかな陽射しを受けて、軽やかに歩を進む・・・そんなゆったりした気分にさせる。


(感想)
国楽人口が、大学でも多数養成されれば、かれらの行き場は拡大する。革命とか新天地(フュージョン、コラボ)が登場するかもしれないが、それも国楽のカテゴリーなのだろうか・・・もっと自由のような気がするが。

2012年10月14日日曜日

薬用酒

むかし付き合い程度に酒は飲んだが、強い方ではなかった。自宅で晩酌の習慣もない。
実は酒飲みの気持ちが分からないでいる。まして、酔っ払って、何も覚えていないという経験もない。ただ酒粕を砂糖と一緒に湯に温めて飲んだとき、ふむふむ・・・こんなものかなあと想像することもある・・・確かに気分が軽くなる。

先日、薬局で買い物していたとき、薬用酒の「養命酒」を見つけて購入した。パッケージ付属のプラスティック製の小さなカップで、おちょぼのようにして飲む。約20mlの少量だが、すぐに体が熱くなる。アルコール分、14vol%の説明がある。ビールの3倍以上、紹興酒とほぼ同等の並みの濃度である。20mlは、一口ないし二口で飲めてしまう。それだけで、すっかり酔ってしまった。

イ・ソンヒには龍角散のCFがあるが、養命酒のものはないだろう。彼女がデビューした1984年当時の養命酒のCFがYoutubeにある・・・イ・ソンヒに関係ないけれど。

(Youtubeに登録のvioletcm01に感謝)

2012年10月13日土曜日

竜飛岬

先日(10/8)の秩父鉱山大黒坑の鉱物採集に一緒に行けなかった石仲間から、同時期に東北青森・秋田方面の旅行より帰京した知らせが届いた。ご夫婦二人旅だが、しっかり鉱山巡りも組み込まれていた。採集の成果を、後日教えていただくことになった。

その旅程で、津軽半島最北端の竜飛崎(岬)にも行かれたようだ。ここは、石川さゆりの1977年の歌「津軽海峡冬景色」(作詞阿久悠、作曲・編曲は三木たかし)に出てくる、知らぬ人のいない場所だ。冬の日本海、波しぶきの吹き抜ける荒々しい光景がイメージされる。

ところで、今晩のテレビ東京の「知られざる国道(酷道)歩きの旅」という、国道とは名ばかりの道を紹介する番組で、竜飛岬に至る国道339号線先端のレンガ道を安田大サーカスの 団長安田が歩いて見せた。終点は、演歌のイメージとは違って妙に明るい岬で、「津軽海峡冬景色」を記念した大きな石碑の赤いボタンを押すと、この歌が流れてくるという極めて健康的な観光地でもあった。

鉱物採集の結果と合わせて、竜飛岬の様子も聞かせていただくことにしよう。

(Youtubeに登録のDURAL0610に感謝)

2012年10月12日金曜日

イ・ソンヒの「本当に悪い」

恋の痛手を拭うように雨に濡れて立ちつづける、そんな歌が女性の曲には多い気がするが、男性の場合はどうだろう・・・雨音を聞きながら、傷心からもう次のことを考えている・・・そんな前向きというか、懲りないのか。実際は、どうだろうか。

イ・ソンヒの14集アルバム所収曲の、とても優しい旋律と穏やかな声質の「本当に悪い(참 나쁘다)」は、失恋も恋の一幕って感じているようなどこか少女っぽい響きがする。イ・ソンヒのこの変わらぬ清潔感がいいのだ。

(本ブログ関連:"14集「愛よ...」を聴く")



(Youtubeに登録のYuan-Chen Yangに感謝)

2012年10月11日木曜日

秋の夜は冷え込みます

中途半端なお天気で、暑いのやら寒いのやら。厚着すれば熱がこもってうっとうしくなり、薄着してストーブで部屋を温めれば暑過ぎる。一日の気温の変化に追いつかない。

やっぱり、寒いのは苦手です。

そこで、今年の電力消費を抑えるためエアコンを止めて、ガスストーブをAmazonに求めた。すこしでも電力を使わない(代替エネルギー使用の)エコ志向のつもりだ。ガスストーブはファンを使用しないものにした。だが対流があるので天井に熱が溜まるだろう・・・そのときは扇風機でも使おう・・・って、電気使ってるじゃない!

この頃、日当たりと日陰の温度差に驚く。サニー、太陽の陽射しが懐かしい。
ボニーMで知られる「サニー」って、作詞家ボビー・ヘブの着想に哀悼の意があるそうだ。(TOMOYO HARADA氏の「Sunny」の解説に感謝)

そういえば、これから見たいと思っている映画「Sunny サニー 永遠の仲間たち」のラストで、この曲が使われるのもうなづける・・・Youtubeで小出し映像を拾い見しながら考えたが・・・まずは、見なくちゃ始まらない。

(本ブログ関連:"サニー")

2012年10月10日水曜日

イ・ソンヒの「なぜ私だけ」

LPからCDへ、小劇場所有など、イ・ソンヒの音楽発表の媒体に変遷があるわけだが、その時期を正しく把握、整理できていない。
例えば、アルバム1集はLP版以外に、その後CD版もリリースされたと聞いているがその存在をつかんでいない。また手持ちのLP版アルバムは7集が一番新しいものだが、CD版のみになったのはいつのアルバムからだろうか。

イ・ソンヒのアルバム6集(1990年)所収の冒頭曲「なぜ私だけ(왜 나만)」(作詞・作曲チョ・ハムン)が、LPソースのもので、Youtubeに登録されている。レコード傷特有の、ちょっとしたノイズが聞こえて妙に味わいがある。もしかしたら、イ・ソンヒの初期唱法の究極かもしれないこの歌を聴いてみよう。悲しみ深い曲であるが。

(本ブログ関連:"なぜ私だけ")



(Youtubeに登録のcarcass1178に感謝)

2012年10月9日火曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 ユ・ギョンファ

 KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(10/3)に、人物シリーズ48回目として鉄弦琴(チョルヒョングム、철현금)の演奏者ユ・ギョンファ(劉京和?、유경화)を紹介した。 

まずチョルヒョングムの紹介から始まった。
・韓国伝統の弦楽器は、ほとんど絹糸弦を使用するが、鉄線(ワイヤー)弦使用の打絃楽器が二つある。
 ① 西洋から入った「洋琴/楊琴(ヤングム:양금で、朝鮮時代後期に中国を経て伝えられたという。ヤングムは、漢字で西洋の「洋」に「琴」と書く。本体に引かれた細い鉄線弦を、竹を薄く削って作ったチェ(채)という細い撥で弦を叩いて演奏する。
 ② 1940年代、ハワイアンギターを改造して作ったといわれる、新しい楽器「チョルヒョングム」(鉄弦を張ったコムンゴ(거문고)の意)が登場する。当初、唱劇の伴奏によく使われたが、テレビ普及により唱劇は姿を消し、チョルヒョングムも自然と忘れられた。1990年代、「晚霞(ノウル、노을:Sky At Sunset)」(作曲キム・ヨンドン、チョルヒョングム演奏ユ・ギョンファ)がきっかけで話題となった。

▼ユ・ギョンファ他による「晚霞」を聴く。ビブラートの効いた、どこか古都を想わせる感傷的な音色・・・鉄弦の響きを知る。

(チョルヒョングムの紹介の続き)
・チョルヒョングムは、竿の短いギターを横に寝かせたような形をしていて、右手に持つ短く細い撥のスルテ(술대)で打弦し、左手に持つ丸い形の石のようなノンオク(농옥)で擦弦して音に変化を与える。演奏道具は少し違うが、奏法はほぼコムンゴに同じ。

次のようにユ・ギョンファプロフィールが紹介された。
・4歳から舞踊を習い国楽にも親しむ。
・国立国楽高等学校でコムンゴを専攻。
・ソウル大学を卒業し、打楽器の演奏家として主に活動。
・1996年 チョルヒョングムに初めて出会う。現在、主にチョルヒョングムの演奏家として活躍。

▼ユ・ギョンファによる「金永哲(キム・ヨンチョル、강영철)流チョルヒョングム・サンジョ(散調)」中の「チュンジュンモリ(중중모리)」を聴く。軽快ながら、どこかアジア的なにおいがしてくる。

プロフィール紹介の続き)
・国立国楽高等学校時代の同級生と共に、国楽と現代音楽の融和を図るアンサンブル「サンサン(상상)」を結成する。さらに、民俗信仰のクッ(굿)に興味を持ち、これらの音楽のアレンジにも積極的にチャレンジしている。またインド音楽との関係も深めている。

▼ユ・ギョンファ他による「東海岸舞楽-話題(トンヘアンムアク-ファドゥ、동해안 무악-화두)」を聴く。即興だそうだが・・・落ち着いた感じがする。

朝バナナ

今朝もバナナ味を楽しむ。一昨日、農工大前のスーパーいなげやで見つけたミニッツメイド(日本コカコーラ)のヨーグルト風味ゼリー飲料「朝バナナ」(容量180g、果汁2%)を食す。

吸引口からゼリーのやわらかな塊りを吸い込むごとに、舌触りがバナナに似ていることに気付く。それも、ぐーっとやわらくなってしまった、グニャリととろける寸前のバナナの食感だ。なるほどなるほど、ちょっと可笑しくなる。
くどくない味具合。かすかにすっぱいヨーグルト風味も加わってまろやかになっているのだろう・・・バナナとミルクを一緒にミキサーにかけるとうまいのに通じる。

連休も終わって静かな曇り空の朝、ひんやりした朝バナナが秋の深まりを教えてくれるとは・・・。

まだまだ続くよ、バナナ味巡礼。

(本ブログ関連:"バナナ味")

2012年10月8日月曜日

秩父鉱山大黒坑

念願の産地、秩父鉱山大黒坑にようやく鉱物採集に出かけた。超!有名なこの場所へ行きたいと思いながら、おもむくには人頼りのためなかなかチャンスに恵まれず延び延びになっていたが、今日ようやく実現した。(当初6日に予定したが、7日に、そして8日の今日に延びた)
自然金にする?、それとも車骨鉱にする?・・・ああ、煩悩がとけない。

採集場所が秩父方面だからといって、いつものように地元駅始発電車に乗らずに済むかといえば、そうでもない。その分、仲間との集合時刻が繰り上がってしまったのだ。結局始発電車に乗ることになる・・・眠気も同じだ。

道路は順調で、出合トンネルを抜けた先にあるトンネル出口の右手広場に8時半に着く。早速、河原に 降りて採集を開始する。黄鉄鉱・黄鉄鉱・・・磁鉄鉱・磁鉄鉱・・・と辺りに散らばっている。河原を遡行して橋をくぐれば坑口が見えるが、今回の採集はもっぱら橋より下流でおこなう。

今回の成果は次の通り。
・黄鉄鉱、磁鉄鉱(葉片状)、白鉄鉱?、磁硫鉄鉱、方解石、灰鉄柘榴石、閃亜鉛鉱
・方鉛鉱+硫黄?+車骨鉱?
・ブーランジェ鉱+菱マンガン鉱、バビントン鉱+方解石

いつもの通り、名のある石は・・・そう、いただき物ばかりである。

ところで同地に、小学校低学年の坊やと幼稚園ぐらいの女の子を連れた若い夫婦が採集に来られていた。興味と驚きと感激を同時に経験することができる子どもたちと、それを見守る両親の眼差しがとてもよかった。

ノーベル医学生理学賞

<京都、滋賀を中心に発行されている>という京都新聞の記事「山中京大教授にノーベル賞 iPS細胞で医学生理学賞」(10/8)によれば、関西出身の京都大学山中伸弥教授がノーベル医学生理学賞を受賞したと次のように報じている。(抜粋)
地元紙の報道だけに、詳細な記事も見たいものだ。また、Newton誌がどんな特集を組むのか楽しみだ。

・スウェーデン王立カロリンスカ研究所は8日、2012年のノーベル医学生理学賞を、京都大iPS細胞研究所所長の山中伸弥教授(50)に贈ると発表した。受賞理由は「細胞の初期化」。英ケンブリッジ大のジョン・ガードナー博士と共同受賞。

・日本人のノーベル賞受賞は2010年の鈴木章氏、根岸英一氏に続き19人目。医学生理学賞は1987年の利根川進・米マサチューセッツ工科大教授に次ぎ2人目。これまでの受賞者18人のうち、湯川秀樹博士をはじめ10人が京都にゆかりがある

研究の内容の何が凄いのか?・・・ムムムッ、次のNewton誌で勉強します!

その前に、Youtubeに登録の<高校生特別授業「京都賞 高校フォーラム 」- 人間万事塞翁が馬 ->(2010年11月16日、1h20m47s)で、山中教授の講演を高校生たちと一緒の気持ちになって拝聴しよう。大阪弁をまじえた講演は、山中教授の若き研究者時代やES細胞・iPS細胞研究について知ることができると同時に、若者たちにどれほど大きな人生の、未来への指針を与えたことだろう。そのうえ、部下研究者への思い遣りを忘れないお話しにも敬服する。

(Youtubeに登録のKyoDaiOcwに感謝、感謝)

2012年10月7日日曜日

鉱物採集の延期・延期

朝一番の電車に乗って鉱物採集に出かけるため、今日の日付にかわった深夜をずっと起きていた。テレビで放送の映画「ニュースの天才(Shattered Glass)」(感情移入に注意!)を見ていたところ、今回お世話になる方から電話がかかってきて、「こちらは今雨降りだが、そちらはどう?」という。

あわてて外を見れば、暗闇に音も無くしとしとと雨が降っている。インターネットの天気予報も午前半ばまで雨天のようだ・・・ということで、秩父大黒抗の河原に降りての採集は増水を危ぶみ、明日に延ばすことになった。実は、当初6日に予定していたものが、今日7日になり、明日8日に延期したことになる。

ところで、別のテレビチャンネルで、リメーク版の映画「イルマーレ」を放送していた・・・こちらは、おじさん向きではないようなので、朝寝することにしよう。

2012年10月6日土曜日

マクドナルドで・・・

今日も昼過ぎは暑い。小金井公園近くにあるマクドナルド店で過ごそうと出かける。この店の2階は広く、スペースを開けて座席が並んでいて、休日の今日も混んでいない。そんなわけで、コーヒーを飲みながら図書館で借りた本をのんびり読んだりした。

西側の窓辺で読書していると、陽が落ちるのが早く、先ほどブラインドで日除けしたのに、ヒンヤリしてみるみる冷えてくる。明日は、秩父鉱山の大黒抗に鉱物採集に行く・・・体力温存が必要だ。

2012年10月5日金曜日

イ・ソンヒの「因縁」

イ・ソンヒが、今の時代の若者たちに最も知られる曲をあげるとすれば、「因縁(인연)」と「狐の嫁入り(여우비)」になるだろう。

「因縁」については、映画「王の男(왕의 남자)」(2005年)のOSTといわれているが(未見)、MBCのインタビュー番組「黄金漁場-膝打ち道士」(2009年)で、イ・ソンヒは、MBCテレビドラマ「チェオクの剣다모:茶母)」(2003年)の、主人公チャン・チェオク(ハ・ジウォン、하지원)と、主人公の彼女が仕えるファンボ・ユン(イ・ソジン、이서진)との関係からインスピレーションを得たと語っている。
また、「狐の嫁入り」は、SBSテレビドラマ「僕のガールフレンドは九尾狐(내 여자친구는 구미호)」(2010年)のOSTとして歌われた。

(本ブログ関連:"因縁"、"狐の嫁入り")

次の映像は多分、麗水万博会場の「ポップフェス アンコール公演」(8/9)のときに、ファンがハンディ・ビデオカメラで手振れもなく、実に丁寧に撮影されたものだ。彼女の気品と清雅さを、ファンの視線を借りて見ることができる。
撮影者のそばで、舞台のイ・ソンヒに合わせて一緒に歌う声が入っていない。(昨年ソウルの彼女のコンサート会場で、隣の席の男性がずっと歌っていた。韓国のコンサートでは「普通」のことなのかもしれない・・・)



(Youtubeに登録のemt kimに感謝)

2012年10月4日木曜日

おばさん(アジュンマ)とお嬢さん(アガシ)

イ・ソンヒの高校生時代の雰囲気を知るには良いかもしれない映画「Sunny サニー 永遠の仲間たち」が、10/21(日)-22(月)に四谷の韓国文化院で、東京国際映画祭提携企画「コリアン・シネマ・ウィーク2012」の一つとして上映される。

ちなみに、サニーはイ・ソンヒの愛称でもある。映画タイトルのヒントになったのでは・・・と思ってしまう。サニーは生き生きと輝く若さそのものだ。

'70~'80年代の洋楽を含めてヒット曲が流れるという。主人公が2011年に42歳というから、イ・ソンヒより5つほど年下の世代で、1986年の高校生時代のお嬢さん(アガシ)からおばさん(アジュンマ)になっても、変わらぬ友情を確かめ合う物語のようだ。

さて、おばさんとお嬢さん(아줌마와 아가씨)については、インターネット上にいろいろとユーモアたっぷりに対比した書き込みがある。この映画が、それをどう表現しているのやら。
ともあれ、見なくては始まらない。

(本ブログ関連:"アジュンマ" ←画面右下の「前の投稿」もクリックを!)


(付記)
ところで、10月にといわれていたチャン・ユンジョンの日本進出はどうなるのだろう・・・気の毒なことだ。

2012年10月3日水曜日

“アジュンマ”パワー

「この世にアジュンマの子どもでない人はいない!」と豪語する、韓国最強のアジュンマについて、「中央SUNDAY」(第290号)のコラム「韓国"アジュンマ"パワー」(趙煥復)を中央日報(10/2-(1)(2))が掲載しているので、次に抜粋する。

・アジュンマは一般的にもじゃもじゃのパーマ頭にトレパンを履き、利害関係に目が利き、周辺を意識しない行動派という印象を与える。そのため世の中には男性と女性そしてアジュンマがいるという笑い話がある。

・いまやアジュンマたちが家庭の砦から次第に国の柱になりつつある。韓国の歴史でも国難の時期にアジュンマの役割が輝いた事例は数えきれないほど多い。女は弱いが母は強いというが、アジュンマはさらに強い。アジュンマは外国語で1文字2文字では簡単に翻訳できない韓国だけの単語だ。

(本ブログ関連:"アジュンマ" ←画面右下の「前の投稿」もクリックを!)

ちなみに、KSB WORLDの番組「玄海灘に立つ虹」のなかでも月曜に放送される、こちらも最強タッグを組むお二人(マルコメのお母さん、ソウルのアリスさん)のトークは楽しい。特に「アジュンマの井戸端会議」のコーナーは、世相をアジュンマの新鮮な視点で知らせてくれる。

でもねえ、結局は、アジュンマは韓国の暖かい懐(ふところ)に違いない。

2012年10月2日火曜日

キム・ドンリュル

今日から韓国語教室の後期授業が始まった。新たな受講者も加わり、受講者ひとりひとり自己紹介して、韓国語学習の受講動機や期間(経験)、そして得意不得意分野について述べた。当然ながらわたしは、イ・ソンヒのファンであることも付け加えた。

さて、韓国語の講師はお若いにもかかわらず、イ・ソンヒを子どものころからご存知だったようだ。けれど、受講者のみなさんは誰一人知らなかったのだ・・・それがとても残念。
講師の言葉を借りれば、イ・ソンヒについて、どこか少年のようなところがあった、若いときから変わらぬ容貌、古風で懐かしい顔立ち、家庭教師のような真面目な雰囲気と表現された。

講師から、イ・ソンヒのイメージにつながるという、(作詞・作曲家でありバラード)歌手キム・ドンリュル(김동률、1974年)が紹介されたので、インターネットで調べてみた。(参照: Ko-Wikipedia、他より)
・イ・ソンヒより10年後の1974年に誕生している。
・延世大学校在学中、ソ・ドンウクと一緒に作った2人組のデュエット・グループ「展覧会」で、1993年MBC「大学歌謡祭(대학가요제)」に参加して、「夢の中で(꿈 속에서)」で大賞と特別賞を受賞して本格的な活動を開始した。
・Youtubeに登録の曲から、未来しか存在しない若者の軽快な「出発(출발)」(アルバム:5集 Monologue2008年)を選んでみた。

(Youtubeに登録のMBCfestival、HopeOfLetterに感謝)う

彼岸花

せっかくの10月、景色は黄昏ているわけではないけれど、街の文具店にもう来年の手帳が並べられているのを見ると、年の残りを追いやられ、まるでショートカットされているような気がする。

この秋訪れたい場所に、西武池袋線高麗駅そばにあって、辺り一面に彼岸花(ヒガンバナ、曼珠沙華)が群生する巾着田がある。林の下に咲き乱れる紅い花弁は、まるで絨毯のよう・・・そんな記憶をまた確かめたいと思う。

(本ブログ関連:”彼岸”)

球根に毒性があり、「彼岸」の名を持ち、しかも紅い極彩色で辺りを威圧するかのような強さと妖しさを漂わせる。この花に、引き付けては恐れさせる魔性を感じる。決して気を許すことのできない花だ。

むかし、仕事の研修で伊豆に行ったとき、夕陽を受けて山間を走る列車の線路わきを、彼岸花の紅い塊りがいくつも車窓を流れていくのが見えた。黄昏時にもかかわらず、彼岸花は薄闇に混じることはなかった。その存在を強く意識つける紅い色に一瞬恐怖を感じた。

そのとき、石川さゆりの「天城越え」(作詞:吉岡治、作曲:弦哲也、1986年)を思い出した。「浄蓮の滝」の言葉から「情恋」を、「山が燃える」から彼岸花の紅い炎を想起した。まるで、情恋に身を燃やす「道行き物」のようだと、列車の振動に揺られながら感じた。

(Youtubeに登録のgaeajapenに感謝)

2012年10月1日月曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 スルギドゥン

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(9/26)に、人物シリーズ47回目としてフュージョン国楽演奏集団スルギドゥン(슬기둥)を紹介した。
ところで番組ホームページにあるリンク先音源は「人物シリーズ」#46のもののようだが・・・

はじめに、スルギドゥン誕生の経緯について次のような紹介があった。
・1980年代 民主化運動盛んな中、大学では民衆運動の一環として、人々の記憶の端に追いやられていた国楽に注目が集まるようになった。
・1978年 初めて登場した<サムルノリ사물놀이)>が瞬く間に人気を集め、国楽家の間で新しい音楽を作ろうという動きが活発化した。
・1985年 スルギドゥンが結成され、「コップンネヤ(꽃분네야)」、「サンジュモシムギ(상주모심기)」、「サントッケビ(산도깨비)」などふるさとの匂いを感じさせる国楽歌謡で注目を浴びた。以来、国楽の魅力を伝え続ける、まさにフュージョン国楽の歴史と言っても過言ではない。

▼スルギドゥン(カン・ホジュンの歌)による「コップンネヤ(꽃분네야)」を聴く。まさに民謡のゆるやかな素朴な響きそのものである・・・発声、演奏ともにメディアの流れに沿っているようで。

次のようにスルギドゥンのプロフィールが紹介された。
・1985年6月 ある放送局主催の青少年音楽会で、歌を担当した青年カン・ホジュンが歌った「コップンネヤ」が話題となり、これをきっかけに国楽室内楽団スルギドゥンが正式誕生する。
・結成当時のメンバー(8人)は、 KBS国楽管弦楽団員を中心に、テグムとソグムはイ・ジュノ、ピリと歌はカン・ホジュン、カヤグムはミン・イシク、ピリはムン・ジョンイル、カヤグムとヤングムはノ・ブヨン、ヘグムはチョン・スニョン、アジェンはオギョンヒ、そしてシンセサイザーをジョ・グァンジェが担当した。

(参考)ハンギョレニュース「国楽整形術師 "スルギドゥン" 25年の內功(内的進化?)を見て」(2010年2月17日、チョン・サンヨウン記者

(スルギドゥンのプロフィール続き
・伝統楽器にシンセサイザーが加わり、現代的な雰囲気を醸し出すと同時に表現の幅を広げた。当時の社会を反映した曲を多数発表し、国楽は昔の音楽ではなく、現代まで続く伝統文化と強調した。

▼スルギドゥン(カン・ホジュンの歌)による「君のために歌う歌(그대를 위해 부르는 노래)」を聴く。のんびりと漂うような旋律は、古い皮袋に入れたまだ新しい葡萄酒のようで・・・。

 (スルギドゥンのプロフィール続き
・スルギドゥンの曲で、「サントッケビ」や「ケグリソリ」は小学校教科書に載り話題となった。創作国楽が音楽のひとつのジャンルとして受け入れられたのでは・・・。この音楽団体が結成されて、すでに30年近く経ち、初期メンバーは中堅演奏者、指揮者や大学の教授などになりグループを去った。
・現在のメンバーには、KBS国楽管弦楽団の常任指揮者である初期メンバーのイ・ジュノが団長として残り、新しい若い後輩たちと活動を続けている。

▼スルギドゥン演奏による「新船歌(シンペンノリ신뱃놀이)」を聴く。東洋的叙情を西洋的編曲で覆うとこうなるのだろうか・・・。