一年をカレンダーで区切り、季節で区切り、二十四節気で区切り、年中行事で区切る。一日だって、時計の短針、長針だけなく、細長い秒針で区切る。実にせわしい(今はデジタル表示が中心だが)。
それだけじゃない、一年を1/4、1/3、1/2(半分)といった具合にまとめて区切り、時の流れに嘆息する。無常と言って諦念する。いまさら悟りに及ばないのだが。とはいえ、のんびりと時間の経過に気付くのも悪くはない。
最近、寒い夜に電熱敷布の温度を上げて就寝すると眠りが深く、目覚めが驚く遅い時間だったりする。そんなとき、「会津磐梯山」に登場する、小原庄助さんの気分になる。
ー ただし、そのせいで自然観察会や探鳥会を、何度となく欠席することになった。これは大きな困りごとだ。
(本ブログ関連:”小原庄助さん”)
この小原庄助さんは、戦前のお座敷文化に合わせてレコード化された民謡の元歌(「会津盆唄」)に後付けされたといわれている・・・が、それ以前にも小原庄助さんが登場する俗謡があったという。そんな話題が、次のNHK福島のサイトにある。
■ NHK福島 WEB特集
「民謡・会津磐梯山『小原庄助さん』の謎」
ー https://www.nhk.or.jp/fukushima/lreport/article/002/36/
朝寝して困ることがまだある。
① それは朝食後に服用するはずの薬の扱いだ。昼食時にずらせば、一日の服用回数が減ってしまう。小さな困りごとだが。
② 寝床で寝ぼけながら、きょうの予定に何かあったのではと思う。それがはっきりしないで、あわてるのも困りごとだ。