孫が凄いことになっているというメールをお嫁さんからいただいた。つくっておいた「おにぎり」を、<少し目を離した隙に、テーブルの上からどうやって取ったのか、床の上でご飯つぶをばらまきながら食べてます>、というのだ。
メールに添付の動画を見るとなるほど、孫は床に座って口の周りと服の両手両足に飯つぶを付け、声を上げながら、手の中に残っている「おにぎり」を口に運ぼうとしている。やがて気配を察したのか、どうしたらよいか戸惑うように泣き声に変わっていく。どうもまずいことになったと感じたのだろう。孫にとって、「おにぎり」との最初の遭遇が、こんなことになってしまい可愛いくてたまらない。
メールの最後に、<どんどんやんちゃになって、嬉しいやら悲しいやら鍛えられる毎日です>と、孫を暖かく見守る言葉が綴られている。
2010年2月7日日曜日
2010年2月6日土曜日
2010年2月5日金曜日
80年代へヴィメタル
2010年2月4日木曜日
立春2010
今日は暦の上で春の初め、立春である。小金井公園の梅林も一部花を咲かせているが、太陽が雲に隠れるとまだまだ寒い。
「東国歳時記」の立春の項に、「立春の日、春に宜(よろ)しき字を門に貼る」(荊楚歳時記)を引いて、「春聯(れん)を貼り、立春を祝う。これを春祝という。」と記している。
立春にかかわる来歴が記載されているが、民間の慣いの部分を抜書きする。
「民間でも柱や門楣(もんび)につぎのような文例の対聯を書いて貼る。」(次の対の中から選ぶ)
寿如山 富如海
去千災 来百福
立春大吉 建陽多慶 ← ポピュラーのようだ。(입춘대길 건양다경)
尭之日月 舜之乾坤
愛君希道泰 憂国願年豊
父母千年寿 子孫万代栄
天下太平春 四方無一事
国有風雲慶 家無桂玉愁
災従春雪消 福逐夏雲興
北堂萓草緑 南極寿星明
天上三陽近 人間五福来
鶏鳴新歳徳 犬吠旧年災
掃地黄金出 開門百福来
鳳鳴南山月 麟遊北岳風
門迎春夏秋冬福 戸納東西南北財
六鰲拝献南山寿 九竜載輪四海珍
天増歳月人増寿 春満乾坤福満家
「歳粧(ソルビム:설빔)して(門扉の左右に貼られた)春聯の前に立つ子どもたち」との写真がある。
(参考)
「文化日報(문화일보)」の記事「立春大吉(입춘대길)」(2/4、ファン・ソンギュ(황성규)論説委員)
(追記)
「chosun.com(朝鮮日報)」の記事「幸運を願って…」(2/2)、「jo!ns(中央日報)」の記事「立春大吉、春よ来い!」(2/5)に写真がある。
「東国歳時記」の立春の項に、「立春の日、春に宜(よろ)しき字を門に貼る」(荊楚歳時記)を引いて、「春聯(れん)を貼り、立春を祝う。これを春祝という。」と記している。
立春にかかわる来歴が記載されているが、民間の慣いの部分を抜書きする。
「民間でも柱や門楣(もんび)につぎのような文例の対聯を書いて貼る。」(次の対の中から選ぶ)
寿如山 富如海
去千災 来百福
立春大吉 建陽多慶 ← ポピュラーのようだ。(입춘대길 건양다경)
尭之日月 舜之乾坤
愛君希道泰 憂国願年豊
父母千年寿 子孫万代栄
天下太平春 四方無一事
国有風雲慶 家無桂玉愁
災従春雪消 福逐夏雲興
北堂萓草緑 南極寿星明
天上三陽近 人間五福来
鶏鳴新歳徳 犬吠旧年災
掃地黄金出 開門百福来
鳳鳴南山月 麟遊北岳風
門迎春夏秋冬福 戸納東西南北財
六鰲拝献南山寿 九竜載輪四海珍
天増歳月人増寿 春満乾坤福満家
「歳粧(ソルビム:설빔)して(門扉の左右に貼られた)春聯の前に立つ子どもたち」との写真がある。
(参考)
「文化日報(문화일보)」の記事「立春大吉(입춘대길)」(2/4、ファン・ソンギュ(황성규)論説委員)
(追記)
「chosun.com(朝鮮日報)」の記事「幸運を願って…」(2/2)、「jo!ns(中央日報)」の記事「立春大吉、春よ来い!」(2/5)に写真がある。
2010年2月3日水曜日
孫と節分
4日後に11ヶ月になる孫が、初めての豆まきを済ませたかどうかメールしたところ、父親のオニの面に向かって、伏目がちに「う、う、う~ァ、う~ァ」といいながら豆袋を振り回している孫の動画が送られてきた。
「豆を一応投げています」という母親の声が聞こえる。この14秒の動画には、若い家族の幸せが一杯詰まっている。
「豆を一応投げています」という母親の声が聞こえる。この14秒の動画には、若い家族の幸せが一杯詰まっている。
イ・ソンヒのスター誕生
「時事今日(시사오늘)」の記事「歌謡界最高のスターを誕生させた歌」(2/2:パク・チスン(박지순)記者)に、イ・ソンヒが「Jへ」をもって登場した経緯が整理されている。その中で、新たに知った話題は次の通りである。
・第5回「江辺歌謡祭」で大賞受賞した際、4幕5場デュエットとして共に歌ったイム・ソンギュン(임성균)が仁川専門大機械科2学年だったこと。(なおイ・ソンヒは同大環境管理課1学年で当時21才だった)
・デビュー当時の彼女のスタイルの事情を、第1集LPジャケット裏表の写真で説明。
・イ・ソンヒが高3のときに通った、「チャン・ウクチョ(장욱조)音楽室」のチャン・ウクチョが、「チャン・ウクチョとコインドル: Jang, Wook-Jo & A Dolmen 」として活動したこと。
(コインドル(고인돌)は新石器時代末期の支石墓のことで、ちなみに「コインドル愛好会」というホームページがある。)
(本ブログ関連:全て2009年の4/13、6/7、6/8、8/4、8/25、10/2、10/17、11/14 、11/29、 11/30 【付録】10/5)
・第5回「江辺歌謡祭」で大賞受賞した際、4幕5場デュエットとして共に歌ったイム・ソンギュン(임성균)が仁川専門大機械科2学年だったこと。(なおイ・ソンヒは同大環境管理課1学年で当時21才だった)
・デビュー当時の彼女のスタイルの事情を、第1集LPジャケット裏表の写真で説明。
・イ・ソンヒが高3のときに通った、「チャン・ウクチョ(장욱조)音楽室」のチャン・ウクチョが、「チャン・ウクチョとコインドル: Jang, Wook-Jo & A Dolmen 」として活動したこと。
(コインドル(고인돌)は新石器時代末期の支石墓のことで、ちなみに「コインドル愛好会」というホームページがある。)
(本ブログ関連:全て2009年の4/13、6/7、6/8、8/4、8/25、10/2、10/17、11/14 、11/29、 11/30 【付録】10/5)
2010年2月2日火曜日
イ・ソンヒの小学生時代
イ・ソンヒの子ども時代の音楽環境を知りたいが、それを進めるヒントがなかなか見つからない。
昨年4月のいくつかのニュース記事に、イ・ソンヒが出演したMBC「黄金漁場」トーク番組で、小学校6年まで寺に住んでいたと語ったことが報じられている。
一部ブログでは、父親が(仏教)太古宗で梵唄の指導をしていたと紹介している。太古宗の場合、妻子の住まいは寺院の外にあるといわれているので、「寺に住んだ」というのは具体的にどのような空間のことだろうか。例えば、居宅が寺院敷地の近辺にあったのか、それとも寺院につながっていたのか。
また、イ・ソンヒの公式ホームページ(HOME > Biograph > 프로필)では、梨泰院初等学校(이태원 초등학교)を卒業ということで、ソウルの初等学校が考えられる。梨泰院近くにあって、通学範囲のいずれの寺が、彼女の居住した寺ということになるのだろうか。また、本籍地の保寧からソウルへ転校したのだろうか。もしそうなら、その時期はいつか。あるいは、本籍地での居住経験はないのか。
どちらにしろ、父親が梵唄を指導していたと仮定して、それを身近に感じていたというのが一番わかりやすいのだが。
昨年4月のいくつかのニュース記事に、イ・ソンヒが出演したMBC「黄金漁場」トーク番組で、小学校6年まで寺に住んでいたと語ったことが報じられている。
一部ブログでは、父親が(仏教)太古宗で梵唄の指導をしていたと紹介している。太古宗の場合、妻子の住まいは寺院の外にあるといわれているので、「寺に住んだ」というのは具体的にどのような空間のことだろうか。例えば、居宅が寺院敷地の近辺にあったのか、それとも寺院につながっていたのか。
また、イ・ソンヒの公式ホームページ(HOME > Biograph > 프로필)では、梨泰院初等学校(이태원 초등학교)を卒業ということで、ソウルの初等学校が考えられる。梨泰院近くにあって、通学範囲のいずれの寺が、彼女の居住した寺ということになるのだろうか。また、本籍地の保寧からソウルへ転校したのだろうか。もしそうなら、その時期はいつか。あるいは、本籍地での居住経験はないのか。
どちらにしろ、父親が梵唄を指導していたと仮定して、それを身近に感じていたというのが一番わかりやすいのだが。
2010年2月1日月曜日
雪
今冬の初雪は、1/12に降った「みぞれ」だった。つまり、初雪の範疇にみぞれも入るわけだ。しかし今晩、正真正銘の雪が降り積もっている。
asahi.comの記事「都心もうっすら積雪 関東甲信、朝までに大雪の恐れ」(2/1、22時24分)に、気象庁「によると、2日午前6時までの予想降雪量は(略)。東京都心でも2日明け方までに3~5センチの降雪が予想されるという。」とのこと。
明朝、初めて雪景色の世界を眺める孫に、それがどのように見えるか楽しみである。
(追記)
今日の午後は雨降りもあり、外出できなかった孫がなかなか寝付かないと、お嫁さんからメールをいただいた。メールに添付の動画に、次のようにやさしく誘う母親の声が聞こえるが、孫は寝てくれない。
「眠たくない? ・・・ 寝ないの? ・・・ 眠くなってきた? ・・・ 寝ようか? ・・・ ネンネする?」
やっぱり、可愛い孫は寝てくれない。
asahi.comの記事「都心もうっすら積雪 関東甲信、朝までに大雪の恐れ」(2/1、22時24分)に、気象庁「によると、2日午前6時までの予想降雪量は(略)。東京都心でも2日明け方までに3~5センチの降雪が予想されるという。」とのこと。
明朝、初めて雪景色の世界を眺める孫に、それがどのように見えるか楽しみである。
(追記)
今日の午後は雨降りもあり、外出できなかった孫がなかなか寝付かないと、お嫁さんからメールをいただいた。メールに添付の動画に、次のようにやさしく誘う母親の声が聞こえるが、孫は寝てくれない。
「眠たくない? ・・・ 寝ないの? ・・・ 眠くなってきた? ・・・ 寝ようか? ・・・ ネンネする?」
やっぱり、可愛い孫は寝てくれない。
2010年1月31日日曜日
鉱物のつどい
鉱物の会(栃木)の本年最初の集まりに参加する。会場が南宇都宮のため、早朝に家を出る。満月翌日の丸く赤い月が、西の空低くかかっていた。まだまだ寒さは厳しい。
主テーマの本年の進め方のほかに、次のような解説と標本提供があった。
・「劈開」についての解説と合わせて、水晶の劈開が結晶表面ではなく、結晶内部に(C軸に平行に劈開面ができ、先がフカヒレ状に広がって)存在することを標本で観察した。これまで、水晶をきちんと見ていなかったことを反省する。
・また「南田(のうだ)石」、「海緑石」と「溶結凝灰岩」、「こぶり石(菩薩石)」の解説と標本までいただく。
および「斜開銅鉱」、「鉄斧石」の標本をいただく。
・ユーモア標本として、好物名「メレンゲ」の手作り菓子が配られた。(標本は、現在胃中にある)
採集地の情報をいただいた。
・紫水晶の産地、「富井鉱山」の産地情報をいただく。従来の採集ルートとは別ルートのヒントを入手した。(毎月xаякава氏と鉱物採集しているが、来月の候補地を富井鉱山にしようということで一致した)
主テーマの本年の進め方のほかに、次のような解説と標本提供があった。
・「劈開」についての解説と合わせて、水晶の劈開が結晶表面ではなく、結晶内部に(C軸に平行に劈開面ができ、先がフカヒレ状に広がって)存在することを標本で観察した。これまで、水晶をきちんと見ていなかったことを反省する。
・また「南田(のうだ)石」、「海緑石」と「溶結凝灰岩」、「こぶり石(菩薩石)」の解説と標本までいただく。
および「斜開銅鉱」、「鉄斧石」の標本をいただく。
・ユーモア標本として、好物名「メレンゲ」の手作り菓子が配られた。(標本は、現在胃中にある)
採集地の情報をいただいた。
・紫水晶の産地、「富井鉱山」の産地情報をいただく。従来の採集ルートとは別ルートのヒントを入手した。(毎月xаякава氏と鉱物採集しているが、来月の候補地を富井鉱山にしようということで一致した)
2010年1月30日土曜日
離れ部屋
先日(1/26)、神保町の韓国専門書店で入手した小説「離れ部屋」(申京淑著、安宇植訳)を今日からを読み始めた。(「朝鮮仏教史」鎌田茂雄著も合わせて入手)
第1章の出だしに、第1回「大学歌謡祭(학가요제)」(1977年)で大賞受賞したグループSand Pebbles(샌드 페블즈)の曲「わたし、どうしよう(나 어떡해)」(歌詞)について物語っている。外の世界(都会)とは縁遠いところにいる16歳の少女にとって、この曲は驚きであり、「思わずからだが竦(すく)むくらいびっくりして、ラジオのスイッチを切ってしまった。」ものだったが、歌詞中にリフレインされる「ナ オットケ」が気になり、拒絶していたもののやがて歌うようになっていく。
物語は始まったばかり、これからどうなるか楽しみである。
(YouTubeに登録のorienkoreanに感謝)
(付記)
・maniadbの解説によれば、「Sand Pebbles」の登場は、以後80年代までグループサウンドの全盛期を開く出発点となった貢献を記している。
・「申京淑」については、本ブログの'09年の6/7、7/24に記載。
第1章の出だしに、第1回「大学歌謡祭(학가요제)」(1977年)で大賞受賞したグループSand Pebbles(샌드 페블즈)の曲「わたし、どうしよう(나 어떡해)」(歌詞)について物語っている。外の世界(都会)とは縁遠いところにいる16歳の少女にとって、この曲は驚きであり、「思わずからだが竦(すく)むくらいびっくりして、ラジオのスイッチを切ってしまった。」ものだったが、歌詞中にリフレインされる「ナ オットケ」が気になり、拒絶していたもののやがて歌うようになっていく。
物語は始まったばかり、これからどうなるか楽しみである。
(YouTubeに登録のorienkoreanに感謝)
(付記)
・maniadbの解説によれば、「Sand Pebbles」の登場は、以後80年代までグループサウンドの全盛期を開く出発点となった貢献を記している。
・「申京淑」については、本ブログの'09年の6/7、7/24に記載。
2010年1月29日金曜日
しかけ絵本
孫に絵本をプレゼントしたいが、まだ10ヶ月を越えたところなので、本に遊びがなければならないだろう。そこで、見て楽しい「しかけ(細工)絵本」を探している。
1月の絵本は、ヒヨコの羽毛、サメの肌、カメレオンの舌など触ったときの感触を模擬できるもので、文字はほとんどなくて、動物の姿絵を見て、触って楽しめる絵本だ。
ところで絵本は紙で作られているので、子どもの手で容易に破けてしまうが、それでよいと考えている。孫は絵本を楽しそうに触る分、ちゃんとしかけを破いてくれる。大いに結構、本に親しんでくれればよいわけだから。
2月は、孫が手持ちできる程度の小型の絵本で、いろいろな色を細工を通して楽しめるものだ。いづれしかけ絵本に慣れたら、次は物語絵本に関心を向けてくれれば良いと思っている。
ところで、最近のしかけ絵本はスゴイ。凄まじいほどの細工が施されている。喜ぶのは大人なのかもしれないものがある。
(YouTubeに登録のmakototosotoyamaに感謝)
1月の絵本は、ヒヨコの羽毛、サメの肌、カメレオンの舌など触ったときの感触を模擬できるもので、文字はほとんどなくて、動物の姿絵を見て、触って楽しめる絵本だ。
ところで絵本は紙で作られているので、子どもの手で容易に破けてしまうが、それでよいと考えている。孫は絵本を楽しそうに触る分、ちゃんとしかけを破いてくれる。大いに結構、本に親しんでくれればよいわけだから。
2月は、孫が手持ちできる程度の小型の絵本で、いろいろな色を細工を通して楽しめるものだ。いづれしかけ絵本に慣れたら、次は物語絵本に関心を向けてくれれば良いと思っている。
ところで、最近のしかけ絵本はスゴイ。凄まじいほどの細工が施されている。喜ぶのは大人なのかもしれないものがある。
(YouTubeに登録のmakototosotoyamaに感謝)
2010年1月28日木曜日
7080世代の好きな曲
一昨年のことであるが、KBS1音楽番組「コンサート7080(콘서트 7080)」は200回放送('08.11.3)にあたり、全国の満39歳以上~59歳未満の男女ネットユーザー1,988人を対象に、70〜80年代の国内歌謡の中から好きな曲を、10曲以上30曲以内で選んでもらった。(hanafos_shop、KBS World掲載より)
1位~10位の結果は次の順の通り。
・ヤン・ヒウン(양희은): 朝露(아침이슬)
・キム・ヒョンシク(김현식): 私の愛、私のそばに(내사랑 내곁에)
・チョー・ヨンピル(조용필):友よ(친구여)
・オニオンズ(어니언스): 手紙(편지)
・イ・ヨン(이용): 忘れられた季節(잊혀진 계절)
・ソン・チャンシク(송창식): 鯨狩り(고래사냥)
・シム・スボン(심수봉): あの時、あの人(그때 그사람)
・ノ・サヨン(노사연): 出会い(만남)
・イ・ソンヒ: Jへ
・キム・ジョンホ(김정호): 見知らぬ少女(이름 모를 소녀) 【ケイ・ウンスクのコンサート版も良い!】
(YouTubeに登録のakirafuse、VetteCruiser63、orienkorean、cfs814539に感謝)
1位~10位の結果は次の順の通り。
・ヤン・ヒウン(양희은): 朝露(아침이슬)
・キム・ヒョンシク(김현식): 私の愛、私のそばに(내사랑 내곁에)
・チョー・ヨンピル(조용필):友よ(친구여)
・オニオンズ(어니언스): 手紙(편지)
・イ・ヨン(이용): 忘れられた季節(잊혀진 계절)
・ソン・チャンシク(송창식): 鯨狩り(고래사냥)
・シム・スボン(심수봉): あの時、あの人(그때 그사람)
・ノ・サヨン(노사연): 出会い(만남)
・イ・ソンヒ: Jへ
・キム・ジョンホ(김정호): 見知らぬ少女(이름 모를 소녀) 【ケイ・ウンスクのコンサート版も良い!】
(YouTubeに登録のakirafuse、VetteCruiser63、orienkorean、cfs814539に感謝)
2010年1月27日水曜日
韓国仏教について
韓国仏教の概要を、日本の仏教と対比して紹介している論文「韓国仏教の特質 : 日本仏教のそれとの対比において」(前田 恵學著:愛知学院大学文学部紀要 6 、1976)を読む。
日本と韓国の仏教の相違を、「結び」の中で端的に「選択の仏教と総合統一の仏教」と語っている。
・「日本仏教では多数の経典や教説の中から最もすぐれた一つを選びとり、完成した人が宗祖として尊敬せられる。」とし、鎌倉時代を、「それまでの輸入移植の古代仏教を革新し、真に日本的な仏教を成立せしめた時代」と特筆している。
・「韓国仏教では、異なった特色を有する多数の宗派や潮流を会通し融合調和させた人が仰がれる。」とし、「朝鮮半島における(仏教の)関心は、中国においてすでにいくつかの宗派や潮流に分かれていた仏教を、いかに総合し会通するかに関心が向けられていた」という。
仏教の素養全くないが、韓国仏教についてこれから調べてみたい。イ・ソンヒの音楽環境のヒントを知りたいからだが・・・。(本ブログ関連:'09/11/7)
(付記)
ところで、韓国の寺刹は檀家制度ではないそうだ。(「朝鮮仏教史」鎌田茂雄著)
日本と韓国の仏教の相違を、「結び」の中で端的に「選択の仏教と総合統一の仏教」と語っている。
・「日本仏教では多数の経典や教説の中から最もすぐれた一つを選びとり、完成した人が宗祖として尊敬せられる。」とし、鎌倉時代を、「それまでの輸入移植の古代仏教を革新し、真に日本的な仏教を成立せしめた時代」と特筆している。
・「韓国仏教では、異なった特色を有する多数の宗派や潮流を会通し融合調和させた人が仰がれる。」とし、「朝鮮半島における(仏教の)関心は、中国においてすでにいくつかの宗派や潮流に分かれていた仏教を、いかに総合し会通するかに関心が向けられていた」という。
仏教の素養全くないが、韓国仏教についてこれから調べてみたい。イ・ソンヒの音楽環境のヒントを知りたいからだが・・・。(本ブログ関連:'09/11/7)
(付記)
ところで、韓国の寺刹は檀家制度ではないそうだ。(「朝鮮仏教史」鎌田茂雄著)
2010年1月26日火曜日
みかん
NHKテレビで、近年ミカンの売り上げが減少傾向にあると紹介されていた。市場の仲買人がインタビューに答えて、家族で炬燵を囲む生活スタイルが減ってきていることを要因にあげていた。ミカンと平行して炬燵も売り上げが減少しているグラフが表示された。
炬燵の四方にひとが座ったらテレビが見えませんねと、司会者が語っていた。テレビのせいだけではないだろうが、みなで炬燵に暖まり、ミカンの皮をのんびり剥きながら、談話する余裕までなくなったのだろうか。
ところが、要因はそれだけではなくて、ミカンの皮を剥くこと自体面倒だとか、女性の爪(のマニュキア)を汚すからとか、いろいろ説明されていた。ティッシューをミカンにかぶせて皮を剥いている映像を見たときには、さすがにたまげた。実際、こんなことをしているのだろうかと思ったりもしたが。
しまいには、皮剥き済ミカンの商品まで登場した。時代は変わってしまったと思わざる得なかった。
足腰を炬燵で暖めて、ちょっと喉が乾いたとき、冷たいミカンを食うのは美味い。ファンヒーターで部屋全体暖めたときは、それこそオレンジジュースとか、アイスクリームが合うのかもしれない。
テレビを見て思い巡らし、炬燵から抜け出て、台所のミカンを炬燵の上に運んだ。そして立て続けミカンを食った。炬燵で食うミカンはやっぱり美味い。
(付記)
神保町の韓国関連の専門書店で、太古宗の寺院リストを見せていただいた。イ・ソンヒの父親が仏教音楽「梵唄」(ぼんばい:범패【参考:NAVER百科事典】)の伝授をしていた寺院を知りたかったからだ。(彼女の歌唱に仏教音楽の唱法が影響しているかヒントをつかみたい)
父親の寺院があるのは、彼女の本籍地の保寧なのか、それとも小学校を通ったソウル梨泰院地区近くにあるのか、候補をあげたかったからだが・・・難しい。
(本ブログ関連:'09/12/26、1/7 )
炬燵の四方にひとが座ったらテレビが見えませんねと、司会者が語っていた。テレビのせいだけではないだろうが、みなで炬燵に暖まり、ミカンの皮をのんびり剥きながら、談話する余裕までなくなったのだろうか。
ところが、要因はそれだけではなくて、ミカンの皮を剥くこと自体面倒だとか、女性の爪(のマニュキア)を汚すからとか、いろいろ説明されていた。ティッシューをミカンにかぶせて皮を剥いている映像を見たときには、さすがにたまげた。実際、こんなことをしているのだろうかと思ったりもしたが。
しまいには、皮剥き済ミカンの商品まで登場した。時代は変わってしまったと思わざる得なかった。
足腰を炬燵で暖めて、ちょっと喉が乾いたとき、冷たいミカンを食うのは美味い。ファンヒーターで部屋全体暖めたときは、それこそオレンジジュースとか、アイスクリームが合うのかもしれない。
テレビを見て思い巡らし、炬燵から抜け出て、台所のミカンを炬燵の上に運んだ。そして立て続けミカンを食った。炬燵で食うミカンはやっぱり美味い。
(付記)
神保町の韓国関連の専門書店で、太古宗の寺院リストを見せていただいた。イ・ソンヒの父親が仏教音楽「梵唄」(ぼんばい:범패【参考:NAVER百科事典】)の伝授をしていた寺院を知りたかったからだ。(彼女の歌唱に仏教音楽の唱法が影響しているかヒントをつかみたい)
父親の寺院があるのは、彼女の本籍地の保寧なのか、それとも小学校を通ったソウル梨泰院地区近くにあるのか、候補をあげたかったからだが・・・難しい。
(本ブログ関連:'09/12/26、1/7 )
2010年1月25日月曜日
天の賜物
イ・ソンヒの歌唱について、小柄で信じられないほどの<爆発的な歌唱力>、<清々しい高音と突き出す直接的声量>と讃えられることが多い。
イ・ソンヒが、昨年初('09.1.4)のKBS2「ハッピーサンデー-不朽の名曲スペシャル」の番組に出演した際、司会の「20年前と声が変わっていない」という問いかけに対して、「私の声は、天がくれた贈り物」とこたえている。ただし、「普段、声を大きく出す方ではない」と声を大切にする生活習慣を語っている。(eNewstoday:2009.1.4)
そして他番組でもそうだったが、現在の人生を語る彼女の静かでシャイな話しぶりこそ、いわれる上記イメージを内包しながらもそれを既に脱却している根拠となるのかもしれない。
彼女の新しいアルバムや、ツアーコンサートについて、今年も話題が早く出ることを待っている。
(本ブログ関連:全て2009年7/25、8/27、11/7)
イ・ソンヒが、昨年初('09.1.4)のKBS2「ハッピーサンデー-不朽の名曲スペシャル」の番組に出演した際、司会の「20年前と声が変わっていない」という問いかけに対して、「私の声は、天がくれた贈り物」とこたえている。ただし、「普段、声を大きく出す方ではない」と声を大切にする生活習慣を語っている。(eNewstoday:2009.1.4)
そして他番組でもそうだったが、現在の人生を語る彼女の静かでシャイな話しぶりこそ、いわれる上記イメージを内包しながらもそれを既に脱却している根拠となるのかもしれない。
彼女の新しいアルバムや、ツアーコンサートについて、今年も話題が早く出ることを待っている。
(本ブログ関連:全て2009年7/25、8/27、11/7)
2010年1月24日日曜日
歌謡曲の語彙
国立情報学研究所の「論文情報ナビゲータ(CiNii)」で「韓国歌謡」を検索してみたところ、「韓国歌謡曲の語彙の頻度分析」(劉 美貞、大分県立芸術文化短期大学研究紀要 43, 151-167, 20060131) という論文を見ることができる。
1920年代から1990年代までの歌謡曲について、語彙分析して頻出度合いの高い語彙を紹介している。当然ながらイ・ソンヒの「Jへ(J에게)」も含まれる。
そこで分かりやすい「情意」に関する語彙について見ると、次のもがあげられている。
・高頻度:「사랑(恋)」、「사랑하다(愛する)」、「울다(泣く)」、「눈물(涙)」、「아(ア)」
・形容詞:「슬프다(悲しい)」、「그립다(懐かしい)」
CiNiiは学術論文など信頼度の高い資料をいろいろと検索できる。
1920年代から1990年代までの歌謡曲について、語彙分析して頻出度合いの高い語彙を紹介している。当然ながらイ・ソンヒの「Jへ(J에게)」も含まれる。
そこで分かりやすい「情意」に関する語彙について見ると、次のもがあげられている。
・高頻度:「사랑(恋)」、「사랑하다(愛する)」、「울다(泣く)」、「눈물(涙)」、「아(ア)」
・形容詞:「슬프다(悲しい)」、「그립다(懐かしい)」
CiNiiは学術論文など信頼度の高い資料をいろいろと検索できる。
2010年1月23日土曜日
坑夫
日頃、鉱物採集に出向く茨城県の錫高野(すずごや)は、高取鉱山と背中合わせである。錫高野の名の通りスズ石、および鉄マンガン重石(タングステン)などを採取できる。一方、高取鉱山は現在も排水処理が行われており、一般の入山禁止である。
高取鉱山を舞台にしたといわれる小説に宮嶋資夫著の「抗夫」(大正五年、1916年)がある。茨城県の鉱山に関わるものをチェックしていて、同県の筑波書林という地方出版社の「ふるさと文庫」シリーズの1冊として収められているものを見つけた。
⇒同小説は、日本ペンクラブの「電子文藝館」のpdf版で読むことができるのを発見!!
小説は、血と腕力の主人公の抗夫が、行き場のない苛立ちのまま、暴力と本能を頼みに生きようとする物語である。当時の抗夫の悲惨さは、主人公の父親が抗夫病(よろけ)になり死期を覚り行方不明になること、頭上を掘り進んだ岩が砕け落ちる事故死などに描写されている。生きるだけしか許されず、生き方を獲得できなかった抗夫達は、にもかかわらず姑息さと狡さにしか身を処することができない。アウトローの主人公はそれを本能的に嗅ぎ取る。そして血の固まりになり、抗夫仲間の惨たらしい仕打ちの中、主人公は最後をむかえることになる。
⇒CiNiiに、西田勝氏による本作品の<解説(NHKラジオ放送の速記録に加筆)>pdfがある。
作品中の鉱物描写の部分を抜書きする。
「彼の前には刳(えぐ)られた山の肉の断面が立っている。赤黒い母岩を貫いて走っている真白い筋のような、やや傾斜した硅石の脈の中には、オルフラマイトが石炭のように光っていた。真鍮色の硫化鉄や金色の銅、緑の鮮(あざや)かな孔雀石も鏤(ちりば)んでいる。小さな剣を植えたような透明六方石のスカリは、所々に氷のような光を放っていた。カンテラの焔(ほのお)がゆらめくと樋(ひ)の内は仏壇のように美しく輝いた。」
・オルフマライト: 鉄マンガン重石
・硫化鉄: 黄鉄鉱など
・金色の銅: 黄銅鉱?
・透明六方石: 水晶
・(スカリ: 不明)
ところで、小説では舞台を池井鉱山としているが、高取鉱山は池内鉱業所と呼ばれていたと、上記書籍「抗夫」のあとがきに記されている。また宮嶋資夫は高取鉱山の現場事務員として働いたことがあると、上記<解説>に記されている。
小説の中で野州鉱山の事件(暴動)について触れる箇所があるが、足尾銅山の鉱毒事件のいきさつを喩えたものか?
(ただし野州鉱山は栃木県足尾銅山近くに個別にも実在する)
高取鉱山を舞台にしたといわれる小説に宮嶋資夫著の「抗夫」(大正五年、1916年)がある。茨城県の鉱山に関わるものをチェックしていて、同県の筑波書林という地方出版社の「ふるさと文庫」シリーズの1冊として収められているものを見つけた。
⇒同小説は、日本ペンクラブの「電子文藝館」のpdf版で読むことができるのを発見!!
小説は、血と腕力の主人公の抗夫が、行き場のない苛立ちのまま、暴力と本能を頼みに生きようとする物語である。当時の抗夫の悲惨さは、主人公の父親が抗夫病(よろけ)になり死期を覚り行方不明になること、頭上を掘り進んだ岩が砕け落ちる事故死などに描写されている。生きるだけしか許されず、生き方を獲得できなかった抗夫達は、にもかかわらず姑息さと狡さにしか身を処することができない。アウトローの主人公はそれを本能的に嗅ぎ取る。そして血の固まりになり、抗夫仲間の惨たらしい仕打ちの中、主人公は最後をむかえることになる。
⇒CiNiiに、西田勝氏による本作品の<解説(NHKラジオ放送の速記録に加筆)>pdfがある。
作品中の鉱物描写の部分を抜書きする。
「彼の前には刳(えぐ)られた山の肉の断面が立っている。赤黒い母岩を貫いて走っている真白い筋のような、やや傾斜した硅石の脈の中には、オルフラマイトが石炭のように光っていた。真鍮色の硫化鉄や金色の銅、緑の鮮(あざや)かな孔雀石も鏤(ちりば)んでいる。小さな剣を植えたような透明六方石のスカリは、所々に氷のような光を放っていた。カンテラの焔(ほのお)がゆらめくと樋(ひ)の内は仏壇のように美しく輝いた。」
・オルフマライト: 鉄マンガン重石
・硫化鉄: 黄鉄鉱など
・金色の銅: 黄銅鉱?
・透明六方石: 水晶
・(スカリ: 不明)
ところで、小説では舞台を池井鉱山としているが、高取鉱山は池内鉱業所と呼ばれていたと、上記書籍「抗夫」のあとがきに記されている。また宮嶋資夫は高取鉱山の現場事務員として働いたことがあると、上記<解説>に記されている。
小説の中で野州鉱山の事件(暴動)について触れる箇所があるが、足尾銅山の鉱毒事件のいきさつを喩えたものか?
(ただし野州鉱山は栃木県足尾銅山近くに個別にも実在する)
2010年1月22日金曜日
イカロス
中学時代、教壇から見て教室の後ろ側の席に座っていた。授業に気乗りしなくなると、図書室から1巻ずつ借りていた美術全集本を取り出しては、膝の上に載せて隠れるように眺めていた。お気に入りは、北方ルネッサンスの巻だった。
代表的な画家ファン・エイク(兄弟)やデューラーは、その正統さに好奇心をくすぐられることはなかった。もっぱら奇妙な画風の画家にひかれたものだ。ボッシュからブリューゲルと、グリューネバルトあたりだった。(もちろん、デューラーの銅版画「メランコリア」には、好奇心を傾けた)
また同美術本に写真で納められた、ドイツ教会彫刻(木彫)の執拗な細密さに驚嘆した。
特に興味を持ったのは、ピーター・ブリューゲル(父)だった。ボッシュの系譜の怪奇な要素と、風刺の効いた庶民の諧謔さの要素に、もっぱら関心が向いた。絵画の中に配置された、ひとこまひとこまを謎解きのように楽しみ見るだけで、授業の退屈さから逃れることができた。
当時、ブリューゲルに「農民画家」という感想を思い浮かべることはなかった。 (むかし「農民画家」といわれたことと、庶民史に通じた現在の「農民画家」の解釈は当然異なるだろう)
後に、ポスターサイズの写真や絵画が流行った時期に、ブリューゲルの作品「農家の婚礼」と「農民の踊り」の印刷物を購入して部屋に飾ったりもした。
また最近では、彼の絵は図象学に囚われているようで、近寄りがたい画家になってしまった。反面、市民講座では人気の画家である。
ブリューゲルの作品に「イカロスの墜落のある風景」がある。<ロウ>で固めた羽をつけたイカロスが上空に飛び、太陽の熱で<ロウ>が溶けて海に墜落したギリシャ神話を題材にしている。その絵は、イカロスがどこにいるのかと探すほどにドラマチックではない。作画同時代の日常風景が(意味を持たせているのだろうが)描かれている。
ところで、宇宙航空開発機構(JAXA)が本年度打ち上げ予定の小型ソーラ電力セイル実証機を「IKAROS(イカロス)」と命名している。太陽の光を受けて、金星軌道に向かって宇宙を航海するというが、神話の通り太陽の方向に近づいていくのだ。この実証機イカロスへのメッセージを公募しているが・・・。
★★★★★ 孫がテレビCMに夢中になり母親の呼びかけに一顧だにしない動画が届いた ★★★★★
代表的な画家ファン・エイク(兄弟)やデューラーは、その正統さに好奇心をくすぐられることはなかった。もっぱら奇妙な画風の画家にひかれたものだ。ボッシュからブリューゲルと、グリューネバルトあたりだった。(もちろん、デューラーの銅版画「メランコリア」には、好奇心を傾けた)
また同美術本に写真で納められた、ドイツ教会彫刻(木彫)の執拗な細密さに驚嘆した。
特に興味を持ったのは、ピーター・ブリューゲル(父)だった。ボッシュの系譜の怪奇な要素と、風刺の効いた庶民の諧謔さの要素に、もっぱら関心が向いた。絵画の中に配置された、ひとこまひとこまを謎解きのように楽しみ見るだけで、授業の退屈さから逃れることができた。
当時、ブリューゲルに「農民画家」という感想を思い浮かべることはなかった。 (むかし「農民画家」といわれたことと、庶民史に通じた現在の「農民画家」の解釈は当然異なるだろう)
後に、ポスターサイズの写真や絵画が流行った時期に、ブリューゲルの作品「農家の婚礼」と「農民の踊り」の印刷物を購入して部屋に飾ったりもした。
また最近では、彼の絵は図象学に囚われているようで、近寄りがたい画家になってしまった。反面、市民講座では人気の画家である。
ブリューゲルの作品に「イカロスの墜落のある風景」がある。<ロウ>で固めた羽をつけたイカロスが上空に飛び、太陽の熱で<ロウ>が溶けて海に墜落したギリシャ神話を題材にしている。その絵は、イカロスがどこにいるのかと探すほどにドラマチックではない。作画同時代の日常風景が(意味を持たせているのだろうが)描かれている。
ところで、宇宙航空開発機構(JAXA)が本年度打ち上げ予定の小型ソーラ電力セイル実証機を「IKAROS(イカロス)」と命名している。太陽の光を受けて、金星軌道に向かって宇宙を航海するというが、神話の通り太陽の方向に近づいていくのだ。この実証機イカロスへのメッセージを公募しているが・・・。
★★★★★ 孫がテレビCMに夢中になり母親の呼びかけに一顧だにしない動画が届いた ★★★★★
2010年1月21日木曜日
イ・ソンヒとジャージャー麺
イ・ソンヒの仁川専門大学時代の音楽活動は、同大学で属した「4幕5場」チームとしてMBC「第5回 江辺歌謡祭」に出場し、大賞を受賞したことなどで知ることができる。
ところで、その当時の一般学生から見た彼女の姿が、次に紹介するブログに語られている。
ブログ「私の人生が暖かかった日々(내 인생이 따스했던 날들)」(2009/1/5)に、イ・ソンヒが通う大学の1年後輩だった記述者が、校内食堂で初めて彼女を見たときの感想が綴られている。
・イ・ソンヒを探しに校内食堂に入ったが、いくら見回しても見つからなかった。
・メガネをはずして、ジャージャー麺を熱心に食べている小さな女子学生が一人いた。その女学生が全部食べて立ち上がり眼鏡をかけると、ああイ・ソンヒだった。
新入生歓迎会で見たイ・ソンヒの歌に、鳥肌がたったにもかかわらず、日常のイ・ソンヒに接するととても地味で平凡に見えて驚いている。(いささかフレンドリー過ぎる表現が上記ブログにはあるが・・・)
いまどきの作られたアイドルとは違い、イ・ソンヒのスタートはそれほど自然だったといえる。
ところで、その当時の一般学生から見た彼女の姿が、次に紹介するブログに語られている。
ブログ「私の人生が暖かかった日々(내 인생이 따스했던 날들)」(2009/1/5)に、イ・ソンヒが通う大学の1年後輩だった記述者が、校内食堂で初めて彼女を見たときの感想が綴られている。
・イ・ソンヒを探しに校内食堂に入ったが、いくら見回しても見つからなかった。
・メガネをはずして、ジャージャー麺を熱心に食べている小さな女子学生が一人いた。その女学生が全部食べて立ち上がり眼鏡をかけると、ああイ・ソンヒだった。
新入生歓迎会で見たイ・ソンヒの歌に、鳥肌がたったにもかかわらず、日常のイ・ソンヒに接するととても地味で平凡に見えて驚いている。(いささかフレンドリー過ぎる表現が上記ブログにはあるが・・・)
いまどきの作られたアイドルとは違い、イ・ソンヒのスタートはそれほど自然だったといえる。
2010年1月20日水曜日
大寒2010
暦は「大寒」ながら、今日はゆるりと暖かいようで、孫も寝起きがご機嫌よく、日中散歩の足を少し遠くに伸ばすとのメールをいただく。
この「大寒(대한)」については、中都日報(중도일보)の「節気の話」(1/20)の中で、アン論説委員が次のよう解説されている。大寒は一年の終わり、二十四節気の最後の節気であること。それにまつわる食事や、次の節気「立春」前日の豆まきで年の終わり感じること、そして寒さに耐える梅などを縷々述べられている。
豆まきといえば、孫が父親の鬼の仮面にチョップしている、いい具合の写真がメールに添付されていた。それに、昨日公園で、一部花開いた梅を見てきたと、頭の中で話をつなげる。
(付記)
「東国歳時記」(洪錫謨 著)、十二月の「臘享」の項によれば、「李朝においては、冬至から第三番目の未(ひつじ)の日を臘日と定め、宗廟、社稷で大祭がおこなわれる。」と記されており、臘日は明日に相当する。
※「臘(납)」について、Wikippediaに「つなぎあわせる」の意と説明している。
ところで広辞苑では、「臘」を「①冬至の後、第3の戌(いぬ)の日に行う祭。猟の獲物を先祖百神に供える ②年の暮れ、陰暦12月の異称、・・・」と記している。「東国歳時記」にある未(ひつじ)と、戌(いぬ)の違いがある。
(追記)
asahi.comの記事(1/20、20:53)によれば、「東京都心でも平年より7.8度高い17.3度と4月上旬並みの暖かさ」だったとのこと。
この「大寒(대한)」については、中都日報(중도일보)の「節気の話」(1/20)の中で、アン論説委員が次のよう解説されている。大寒は一年の終わり、二十四節気の最後の節気であること。それにまつわる食事や、次の節気「立春」前日の豆まきで年の終わり感じること、そして寒さに耐える梅などを縷々述べられている。
豆まきといえば、孫が父親の鬼の仮面にチョップしている、いい具合の写真がメールに添付されていた。それに、昨日公園で、一部花開いた梅を見てきたと、頭の中で話をつなげる。
(付記)
「東国歳時記」(洪錫謨 著)、十二月の「臘享」の項によれば、「李朝においては、冬至から第三番目の未(ひつじ)の日を臘日と定め、宗廟、社稷で大祭がおこなわれる。」と記されており、臘日は明日に相当する。
※「臘(납)」について、Wikippediaに「つなぎあわせる」の意と説明している。
ところで広辞苑では、「臘」を「①冬至の後、第3の戌(いぬ)の日に行う祭。猟の獲物を先祖百神に供える ②年の暮れ、陰暦12月の異称、・・・」と記している。「東国歳時記」にある未(ひつじ)と、戌(いぬ)の違いがある。
(追記)
asahi.comの記事(1/20、20:53)によれば、「東京都心でも平年より7.8度高い17.3度と4月上旬並みの暖かさ」だったとのこと。
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