アイドル歌手と実力派歌手は、繰り返し登場するようだ。大衆は好みが続かず変わりやすい。それに合わせて芸能界に登場する歌手たちは大変だ。永遠の実力を持ち合わせてないと更に厳しくなるだろう。そして、彼ら彼女らを支えるバックはもっと大変に違いない。
スターニュースの記事「氾濫するガールズグループの市場、K-POP脅かす暗い"影" 」(3/8、ファイナンシャルニューススター、キム・ドンジュ記者)は、ガールズグループたちの苦心を次のように報じている。(抜粋)
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・「こんにちは! 新人ガールズグループの○○○です」
・一日とおかず、歌謡界の門をたたく新人ガールズグループたちがあふれている。昨年だけで新たにデビューしたガールズグループが30余チームで、今や「アイドル準備生100万時代」という言葉が軽く聞こえない世の中である。
・・・(代表的な)ガールズグループの市場は、国内で大きな反響を起こし、安定した収益性モデルが定着化されながら誰もが、それぞれ企画会社が市場に参入するきっかけを作った。
・しかし、このような傾向は含量未達(能力不足)の企画会社が生産する量産型ガールズグループの出現という副作用につながった。・・・K-POP舞台上の派手な光の向こうに、少しずつ暗い影が垂れ落ちているのだ。
・去る2011年デビューした5人組ガールズグループAはデビュー以来、特別な活動を継続することができなかった。企画会社で野心満々に準備したが、既に飽和したガールズグループ市場で一回の活動で大衆に注目させるには難しかったせい。
・デビュー当時未成年であったメンバーが、ぱっと成長して成人になったが、まだ特別な作業の便りがない。「近いうちにカムバック舞台必要か」と話していた企画会社の関係者は、今日明日と期限だけ先送りするだけだ。
・ほぼ同時期にデビューしたガールズグループBは、状況がさらに良くない。デビュー当初の音楽活動はもちろん、ドラマと芸能活動にも乗り出したが、何の反応を得なかった挙句の果てに、既存のメンバー2名を新たに交換して、再出発を報じたが、これさえも成果がなかった。
・この企画会社も、すぐにグループのカムバックの意志をメンバーたちに根気強く明らかにしているが、その時期がいつになるかは未知数だ。すでにデビューしてから約2年が過ぎたが、メンバーたちの活動に伴う正当な収入の精算を受けたことがなくて、これは単独で個人で活動をしたメンバーも同じだ。
・新生の芸能企画社Cは、昨年4人組ガールズグループをデビューさせたが、一度地上波音楽番組出演後行方をくらました。これに放送舞台という徹底的に「アイドル」というタイトルを得るための一つの作業過程があっただけだった。
・現在、国内には別名3大企画会社とわれる「SMエンターテイメント」、「YGエンターテイメント」、「JYPエンターテイメント」など一部の大型企画会社を除く、不良で零細な企画会社が約2000社にのぼるが、この数字さえ正確に把握されてないのが実情だ。現行上登録制ではなく申告制なので、一部の資本と意志さえあれば誰でも芸能企画会社を設立することができる。
・結局、このような現実の中、時代に押し流されて乱立している不良企画のために、デビューはもちろんのこと、経済活動をしていない芸能人や練習生の被害者が続々と発生している。
・業界関係者によると、ガールズグループのチームをデビューさせることにだけ数千万ウォン~数億単位の費用が発生して、新しいアルバムを製作する場合にも少なくない支出が生じるため、資本基盤が不十分な企画会社であるほど、所属ガールズグループが成功しなければ少なくない打撃を被ることになる。
・「収益創出」を目標に、深い苦悶や準備なしでどんぶり勘定式でそらぞらしいガールズグループを生産したため、これらの成功確率も著しく落ちるしかない。それでも、企画会社の立場でも莫大な費用をかけて制作したガールズグループを簡単に解体させることもできぬことだ。
・「アイドル」というタイトル自体、悪用する事例も探してみることができる。最初から地上波放送などにしばらく出演して公認されたタイトルを得て、これを利用した売値を膨らませて、地方を転々とし、行事やCFなどだけを狙う方法である。
・ある歌謡関係者は「すでに国内のガールズグループ市場は飽和状態を超えて久しい。ただし、一部の安定した収益モデルがあるため、大型企画会社はもちろん、中小企画社たちもガールズグループというチャンスの稼ぎを放さずにいる」と診断した。
・特に「制作者の深い省察と悩みなく無分別に生産されたガールズグループは、良い成果を上げることができず、資本が不十分な企画会社である場合、簡単に崩れるしかない」とし、「このような現象は、世界へ伸びて行くK-POPブームもよいことでない。 より慎重な姿勢が必要だ」と指摘した。
・また、他の業界関係者は「まず、無差別に生まれる不良企画会社の乱立を防ぐことができる制度的な装置や基準などが必要だ」とし、「協会や政府次元でたくさん努力しなければならない」と伝えた。
・昨年5月に文化体育観光部は、このような状況を認識して韓国演芸製作者協会、韓国芸能マネジメント協会と一緒に、芸能企画社全数調査と企画会社・マネージャー登録制の推進などの内容を盛り込んだ「芸能マネジメント産業の先進化案」を明らかにしたが、現在まで遅々として進まない状況だ。
・今年も昨年に劣らぬ数の新人ガールズグループがあふれ出てくるものと業界はみている。豊かになったK-POP市場に満足していれば、影がより濃くなる前に一日も早く取りはらわなければならない視点だ。
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(本ブログ関連:"(資料)アイドルの脱アイドル化"、"(資料)アイドル過剰時代"、"大衆は「100%本物の音楽」を望む"、"韓国アイドルグループ歌手の今後の動向"、"(資料)K-Gallup「2012年今年を輝かせた10代歌手と歌謡 」"、"オーディション"、"アイドルブームに陰り"、"昨年のトップ5の歌手(グループ):2011.12.26 Gallup Korea発表"、"韓国ギャラップ調査")
2013年3月15日金曜日
2013年3月14日木曜日
(資料)80年代人気のあった歌手BEST10
チャンネルイエスの記事「2010年代 "ビッグバン"があるならば、80年代文化革命は"シナウィ"」(2/28、オム・ジヘ記者)に、<80年代人気のあった歌手BEST10>が紹介されており、イ・ソンヒについて次のように記している。
・1984年、第5回「江辺歌謡祭」での、「Jへ」で大賞を受賞してデビュー、爆発的な歌唱力と少年のようなヘアスタイルとズボンだけにこだわる身なりで、(ファンの間に)「お姉さん部隊」を作った。
1984年<歌謡トップ10>で5週連続1位をつづけて、新人賞、最高人気歌謡賞、10代歌手賞に初の3冠王にのぼるなど大きな人気を集めた。
・1985年の初アルバム<ああ、昔よ>が発売されるやいなや、7曲が<歌謡トップ10>順位に進入した。
・1986年には「分かりたいです」が5週連続1位をつづけながら、ゴールデンカップを二番目に占めて、一ヶ月の放送回数107回、MBCラジオ音楽チャートで15週1位の記録を作った。
・1989年の5集<ひとしきり笑いで>は、「私の街」が5週連続1位で、4番目のゴールデンカップを受賞し、「ひとしきり笑いで」が1990年に3週連続1位を占めて、1989年、1990年のアルバムに2年連続ゴールデンディスク賞を占める記録を立てた。1989年には韓国歌手としては初めて国内で英語アルバムを製作して海外ポップ市場に進出した。
(追記)
上記記事には、イ・ソンヒの他に次の歌手(およびグループ)が挙げられている。
チョー・ヨンピル (本ブログ関連)
チョン・ヨンノク (本ブログ関連)
チュ・ヒョンミ (本ブログ関連)
チェ・ソンス
キム・ワンソン (本ブログ関連)
イ・ジヨン (本ブログ関連)
ソバンチャ
キム・ボムニョン (本ブログ関連)
イ・サンウン(リーチェ) (本ブログ関連)
・1984年、第5回「江辺歌謡祭」での、「Jへ」で大賞を受賞してデビュー、爆発的な歌唱力と少年のようなヘアスタイルとズボンだけにこだわる身なりで、(ファンの間に)「お姉さん部隊」を作った。
1984年<歌謡トップ10>で5週連続1位をつづけて、新人賞、最高人気歌謡賞、10代歌手賞に初の3冠王にのぼるなど大きな人気を集めた。
・1985年の初アルバム<ああ、昔よ>が発売されるやいなや、7曲が<歌謡トップ10>順位に進入した。
・1986年には「分かりたいです」が5週連続1位をつづけながら、ゴールデンカップを二番目に占めて、一ヶ月の放送回数107回、MBCラジオ音楽チャートで15週1位の記録を作った。
・1989年の5集<ひとしきり笑いで>は、「私の街」が5週連続1位で、4番目のゴールデンカップを受賞し、「ひとしきり笑いで」が1990年に3週連続1位を占めて、1989年、1990年のアルバムに2年連続ゴールデンディスク賞を占める記録を立てた。1989年には韓国歌手としては初めて国内で英語アルバムを製作して海外ポップ市場に進出した。
(追記)
上記記事には、イ・ソンヒの他に次の歌手(およびグループ)が挙げられている。
チョー・ヨンピル (本ブログ関連)
チョン・ヨンノク (本ブログ関連)
チュ・ヒョンミ (本ブログ関連)
チェ・ソンス
キム・ワンソン (本ブログ関連)
イ・ジヨン (本ブログ関連)
ソバンチャ
キム・ボムニョン (本ブログ関連)
イ・サンウン(リーチェ) (本ブログ関連)
2013年3月13日水曜日
風塵
今日の天気は気まぐれというか、わがままというか変転はなはだしい。暖かい中、朝から夕方まで南の強風*が吹きつけ、天空をうなるように音をたてた。
(*)「東京都心では最大瞬間風速27.4メートル、最高気温は4月下旬並みの21.2度を観測した。」(産経ニュース)
道路に並んだ電信柱をつなぐ電線は泳ぐように風に揺れたし、地元の公園にある健康体操教室の入り口に並んだ自転車は、地表の風に煽られてことごとく倒れていた。余りの風の強さに、健康体操教室の生徒の中には、休まれた方もいる。
テレビのニュース(FNN)で、成田空港が風に巻き上げられた塵で視界不良となり、着陸予定の旅客機が羽田空港着に変更したと報じていた。天気予報解説者によれば、この現象を「風塵」と呼び、先日の「煙霧」とは異なると説明した*。
(*)風塵とは「その場所にあった砂ぼこりが風で舞い上がり、視界が悪くなる現象」で、煙霧とは「舞い上がった砂ぼこりが、長い距離を風に運ばれて、地表近くに落ちてきたときに視界が悪くなる現象」と解説した。
ところが今度は、夜になって雨が降りだした。明日は、最高気温が12℃とぐっと冷えるという。
(*)「東京都心では最大瞬間風速27.4メートル、最高気温は4月下旬並みの21.2度を観測した。」(産経ニュース)
道路に並んだ電信柱をつなぐ電線は泳ぐように風に揺れたし、地元の公園にある健康体操教室の入り口に並んだ自転車は、地表の風に煽られてことごとく倒れていた。余りの風の強さに、健康体操教室の生徒の中には、休まれた方もいる。
テレビのニュース(FNN)で、成田空港が風に巻き上げられた塵で視界不良となり、着陸予定の旅客機が羽田空港着に変更したと報じていた。天気予報解説者によれば、この現象を「風塵」と呼び、先日の「煙霧」とは異なると説明した*。
(*)風塵とは「その場所にあった砂ぼこりが風で舞い上がり、視界が悪くなる現象」で、煙霧とは「舞い上がった砂ぼこりが、長い距離を風に運ばれて、地表近くに落ちてきたときに視界が悪くなる現象」と解説した。
ところが今度は、夜になって雨が降りだした。明日は、最高気温が12℃とぐっと冷えるという。
2013年3月12日火曜日
KBS WORLD「国楽の世界へ」 金一球
KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(3/6)に、人物シリーズ70回目として、パンソリの赤壁歌(チョッピョッカ、적벽가)の芸能保有者である名唱、金一球(キム・イルグ、김일구、1940年~)を紹介した。
まず、「広大(カンデ、광대)」の解説から始まった。
・広大は、パンソリの他に、綱渡り(ジュルタギ、줄타기)、軽業、仮面劇、人形劇などの伝統芸能を職業とする集団の意。李朝末期、パンソリを整理した申在孝(シン・ジェヒョ、신재효、1812年~1884年)は、次の4つを広大の条件としてあげた。
① 「人物」、見目形より、その役に合った姿であること。
② 「語り」、広大が基本的に話し歌うため、語りが上手であること。
③ 「完成された声」、自身の芸事が頂点に達すること。、
④ 「身振り手振り」、演じる際の体の動きに関する条件である。
▼金一球による短歌「広大歌(광대가)」を聴く。申在孝創作のパンソリで、彼が唱えた広大のあるべき姿が淡々とつづくよう・・・。
(参考)「短いバンソリにみられる人生観」(李文相、「東アジア研究」2009.3)・・・「広大歌」歌詞訳掲載
次のように金一球のプロフィールが紹介された。
・1940年、全羅南道和順に生まれる。父は、西便制の「春香歌」の歌い手、金東文(キム・ドンムン、김동문)名唱。
・10歳になる前からパンソリの稽古を始めた。
・光州へ引越して、孔大一(コン・デイル、공대일)名唱に師事。また他分野を開くため、木浦の張月中仙(チャンウォルジュンソン、장월중선)名人を訪ねた。
・張月中仙は、パンソリ、コムンゴ、カヤグム、舞踊、ボムピなど伝統文化全般に渡る歌や楽器に優れ、唱劇団の伴奏をしていた際、韓一燮(ハン・イルソプ、한일섭)名人と共に「散調牙筝」(サンジョアジェン、산조아쟁)を考案し演奏した。その貴重なメロディーを金一球に伝授した。
・散調は、パンソリのメロディーをベースとしており、幼児からパンソリに親しんだ金一球はすぐに演奏するようになった。さらに上を目指して、「伽耶琴散調」(カヤグムサンジョ)の名人、元玉花(ウォン・オクファ、원옥화)に再び師事して、それをマスターした。
▼金一球による散调「ホトゥンカラッ(허튼 가락)」を聴く。散調の本来の名前が、この曲名("
でたらめな調子" )だそうだが・・・ちょっとチェロに似てモダンな感じがする。
・その後、ソウルに再上京し、国立劇場で唱劇伴奏者として活動。元来パンソリを専門としていたので、楽器よりも歌へと、パンソリに再入門し実力を伸ばした。
・金一球の婦人(スグンガの芸能保有者候補)、息子(パンソリ歌い手)とともに国楽一家である。
▼金一球によるパンソリ「赤壁歌」中の「孔明東南風吹くを祈る場面(공명 동남풍 비는 대목)」を聴く。・・・三国志、火攻めの策を計る。ここも物語りがつづく。
まず、「広大(カンデ、광대)」の解説から始まった。
・広大は、パンソリの他に、綱渡り(ジュルタギ、줄타기)、軽業、仮面劇、人形劇などの伝統芸能を職業とする集団の意。李朝末期、パンソリを整理した申在孝(シン・ジェヒョ、신재효、1812年~1884年)は、次の4つを広大の条件としてあげた。
① 「人物」、見目形より、その役に合った姿であること。
② 「語り」、広大が基本的に話し歌うため、語りが上手であること。
③ 「完成された声」、自身の芸事が頂点に達すること。、
④ 「身振り手振り」、演じる際の体の動きに関する条件である。
▼金一球による短歌「広大歌(광대가)」を聴く。申在孝創作のパンソリで、彼が唱えた広大のあるべき姿が淡々とつづくよう・・・。
(参考)「短いバンソリにみられる人生観」(李文相、「東アジア研究」2009.3)・・・「広大歌」歌詞訳掲載
次のように金一球のプロフィールが紹介された。
・1940年、全羅南道和順に生まれる。父は、西便制の「春香歌」の歌い手、金東文(キム・ドンムン、김동문)名唱。
・10歳になる前からパンソリの稽古を始めた。
・光州へ引越して、孔大一(コン・デイル、공대일)名唱に師事。また他分野を開くため、木浦の張月中仙(チャンウォルジュンソン、장월중선)名人を訪ねた。
・張月中仙は、パンソリ、コムンゴ、カヤグム、舞踊、ボムピなど伝統文化全般に渡る歌や楽器に優れ、唱劇団の伴奏をしていた際、韓一燮(ハン・イルソプ、한일섭)名人と共に「散調牙筝」(サンジョアジェン、산조아쟁)を考案し演奏した。その貴重なメロディーを金一球に伝授した。
・散調は、パンソリのメロディーをベースとしており、幼児からパンソリに親しんだ金一球はすぐに演奏するようになった。さらに上を目指して、「伽耶琴散調」(カヤグムサンジョ)の名人、元玉花(ウォン・オクファ、원옥화)に再び師事して、それをマスターした。
▼金一球による散调「ホトゥンカラッ(허튼 가락)」を聴く。散調の本来の名前が、この曲名("
でたらめな調子" )だそうだが・・・ちょっとチェロに似てモダンな感じがする。
・その後、ソウルに再上京し、国立劇場で唱劇伴奏者として活動。元来パンソリを専門としていたので、楽器よりも歌へと、パンソリに再入門し実力を伸ばした。
・金一球の婦人(スグンガの芸能保有者候補)、息子(パンソリ歌い手)とともに国楽一家である。
▼金一球によるパンソリ「赤壁歌」中の「孔明東南風吹くを祈る場面(공명 동남풍 비는 대목)」を聴く。・・・三国志、火攻めの策を計る。ここも物語りがつづく。
2013年3月11日月曜日
松餅
明日は、旧暦二月一日。「朝鮮歳時記」(洪 錫謨著、姜 在彦訳)の二月の項を見ると、この朔日(1日:月の始まり)に「松餅」を作ると、次のように記している。
・(旧暦)正月十五日につくった「禾竿」(화간:束ねた藁に、稲・黍[きび]・稗[ひえ]・粟[あわ]の穂を包んで豊作の祈りのため竿先に飾りにしたもの)の籾[もみ]をおとして、白餅を搗[つ]く。大きいのは、掌[てのひら]の如く、小さいのは卵ぐらいとし、すべて半月形につくる。蒸した豆をもって餡とし、甑[こしき:蒸し器のひとつ]のなかに松葉で隔てながら白餅を並べて蒸しあげる。それを甑から出して水で荒い、香油を塗る。これを名づけて松餅(송편、ソンピョン)という。
・《 そして、これを使用人などに、歳の数だけ分け与えたりもしたようだ 》
ところで、松(マツ)は常緑樹の代表であり、生命力を感じさせる。その力を受けて作られた松餅は、韓国の秋の「秋夕(チュソク)」に飾られるが、上記のように旧暦二月朔日の明日はどうなのだろうか。
・(旧暦)正月十五日につくった「禾竿」(화간:束ねた藁に、稲・黍[きび]・稗[ひえ]・粟[あわ]の穂を包んで豊作の祈りのため竿先に飾りにしたもの)の籾[もみ]をおとして、白餅を搗[つ]く。大きいのは、掌[てのひら]の如く、小さいのは卵ぐらいとし、すべて半月形につくる。蒸した豆をもって餡とし、甑[こしき:蒸し器のひとつ]のなかに松葉で隔てながら白餅を並べて蒸しあげる。それを甑から出して水で荒い、香油を塗る。これを名づけて松餅(송편、ソンピョン)という。
・《 そして、これを使用人などに、歳の数だけ分け与えたりもしたようだ 》
ところで、松(マツ)は常緑樹の代表であり、生命力を感じさせる。その力を受けて作られた松餅は、韓国の秋の「秋夕(チュソク)」に飾られるが、上記のように旧暦二月朔日の明日はどうなのだろうか。
2013年3月10日日曜日
煙霧
一日、風の強い日だった。玄関のドアを開けて外をみれば、押し入るように風が吹き込んできて・・・そんなわけで外出を控えた。昼過ぎに、窓越しの明かりが何となく弱くなって、まるで色付きのフィルターで覗いたようになった。全体に薄茶色の光線に変わった。
毎日jp(新聞)の記事「夏日:都心で25.3度…今年初 『煙霧』も発生」(3/10、山崎征克、柳澤一男)によれば、最初の日最高気温25度以上の「夏日」とともに、「煙霧」が発生したと次の通り報じている。(抜粋)・・・ところで、煙霧って何?
・東京都心は10日、最高気温25.3度を記録し、今年最初の夏日となった。6月中旬並みの気温で、3月の観測史上で最高。その後は一転して北からの強い風が吹き、舞い上がったほこりで極端に視界が悪くなる「煙霧」も発生した。
・煙霧とは、乾燥したほこりなどが大気中に浮遊して水平に見渡せる距離(視程)が10キロ未満になっている状態。都心では10日午後1時半ごろから発生し、同2時40~50分には視界2キロと最も悪くなった。最大瞬間風速18.8メートルの強風が吹き、最小湿度が29%になるなど、ほこりが舞い上がりやすい条件が重なったためとみられる。
・寒冷前線の影響で、関東地方は10日午後をピークに気温が急激に下がり、11日朝の都心の最低気温は3度と予想されている。
砂ほこりが風に舞い上がって、太陽の光りをさえぎっているのだろうけど、「煙霧」については正直使い慣れていない。それにしても、室内にいて気付くほどに明かりが落ちたのに驚いた。そして、明朝寒いとは・・・。
(追記)
WBCは鬱憤晴らしか、凄い!・・・TV解説者の桑田氏の冷静な語り口に感服する。
毎日jp(新聞)の記事「夏日:都心で25.3度…今年初 『煙霧』も発生」(3/10、山崎征克、柳澤一男)によれば、最初の日最高気温25度以上の「夏日」とともに、「煙霧」が発生したと次の通り報じている。(抜粋)・・・ところで、煙霧って何?
・東京都心は10日、最高気温25.3度を記録し、今年最初の夏日となった。6月中旬並みの気温で、3月の観測史上で最高。その後は一転して北からの強い風が吹き、舞い上がったほこりで極端に視界が悪くなる「煙霧」も発生した。
・煙霧とは、乾燥したほこりなどが大気中に浮遊して水平に見渡せる距離(視程)が10キロ未満になっている状態。都心では10日午後1時半ごろから発生し、同2時40~50分には視界2キロと最も悪くなった。最大瞬間風速18.8メートルの強風が吹き、最小湿度が29%になるなど、ほこりが舞い上がりやすい条件が重なったためとみられる。
・寒冷前線の影響で、関東地方は10日午後をピークに気温が急激に下がり、11日朝の都心の最低気温は3度と予想されている。
砂ほこりが風に舞い上がって、太陽の光りをさえぎっているのだろうけど、「煙霧」については正直使い慣れていない。それにしても、室内にいて気付くほどに明かりが落ちたのに驚いた。そして、明朝寒いとは・・・。
(追記)
WBCは鬱憤晴らしか、凄い!・・・TV解説者の桑田氏の冷静な語り口に感服する。
2013年3月9日土曜日
イ・ソンヒの「あなたの香り」(ふたたび)
イ・ソンヒの春を語る歌に「あなたの香り(그대 향기)」がある。アルバム14集「愛よ...(사랑아...)」(2009年)の最初の収録曲である。去年の今頃に本ブログで触れた曲でもあるが、季節にも合っているのでYoutubeで聴いてみよう。歌とともに彼女の清潔な感じをよくとらえているスナップを見ることができる。
重い冬籠もりからようやく抜け出したように、暖かい春の息吹に押されて前を見つめるばかり。懐かしい思い出とともによぎる、春風の香りに誘われて踊るよう、若者は季節にすばやく感応する。
(本ブログ関連:"愛よ...")
(Youtubeに登録のlys2187に感謝)
重い冬籠もりからようやく抜け出したように、暖かい春の息吹に押されて前を見つめるばかり。懐かしい思い出とともによぎる、春風の香りに誘われて踊るよう、若者は季節にすばやく感応する。
(本ブログ関連:"愛よ...")
(Youtubeに登録のlys2187に感謝)
2013年3月8日金曜日
小金井公園の観梅
![]() |
小金井公園の梅林 |
公園には、梅林と称する一画があって、毎年紅や白色の花をかせている。この冬の寒さにかまけて、2月16日(土)~24日(日)に開かれた小金井公園「うめまつり」に行かなかった分を補う意味もあって、ぽかぽか日和に誘われて出かけたわけだ。
昼過ぎも相変わらず陽気で、梅林には年配者か幼子連れの親子が引き寄せられ、満開の梅の花を愛で、漂う香りを楽しみ遊んでいた。
ところで、花粉症は少し落ち着いてきたが、春先は杉の花粉に、秋はブタクサの花粉に反応してしまうようだ。この厄介な花粉の姿が、科学雑誌「Newton」4月号に、色付けされた電子顕微鏡写真*で掲載されている。ああ・・・見ているだけで鼻水が、くしゃみが出るよ。
(*)出典:「花粉の世界をのぞいてみたら」(医学生物学電子顕微鏡技術学会編、エヌ・ティー・エス発行)
(追記)
WBCは苦戦の道を歩んでいる。今、延長10回裏1点差を守り抜いて次ステップに進んだ・・・疲れたぁ。
2013年3月7日木曜日
フラッシュバックメモリーズ 3D
民家の塀越しに、枝振りを丸く剪定した梅の木が3本、身をつつむように真っ白に花を咲かせていた。街灯に照らされて浮かんだ梅花は、はっと息を呑むような絢爛さである。夜の梅も、なかなかいいものだ。
一昨昨日(3/5)、映画「ジャンゴ 繋がれざる者」を見た吉祥寺の同じ映画館に、今日は親類に紹介された映画「フラッシュバックメモリーズ 3D」を見に行った。毎週木曜日、夜9時30分のみ開演なのだ。今晩は、しかも大音響セットを使って上映とのことで、ほぼ満席に近かった。
首都高で自動車事故に遭遇し、不思議な心的体験から無事生還した、唯一記憶障害を残した演奏家の日常生活のドキュメント映画と予想したが、ほぼ演奏場面中心に、彼や彼の家族の想いを記したメモなどが画面の背景(または前景)に映じられた。
オーストラリアのアボリジニの管楽器「ディジュリドゥ」を演奏する彼は、記憶消失の症状に葛藤しながらも、家族の絆を支えに演奏を続ける。
楽器ディジュリドゥの発する、まるで大地の唸り、大気の鳴動のような重低音に圧倒される。どこかで聴いた・・・そう、モンゴルのホーミー(Хөөмий)の発声を想起させるように、管が轟かす。アボリジニの民族楽器と、絶え間ないパーカッションによる強烈な現代的演奏が次々展開された。それは、音楽家としての彼の回想であり未来への予告でもあるようだった。
久し振りに心に響いた映画だった。
(参考)Youtube映像「Didgeridoo」、登録者ididjaustraliaに感謝。
(追記)
一昨昨日、映画「ジャンゴ」を見に吉祥寺の街に出てからというもの、花粉症になってしまったよ・・・何年振りだろう。歳とともに、過敏な症状は治まると思っていたのに、再発するとは・・・鼻水、くしゃみが出っ放しである。
一昨昨日(3/5)、映画「ジャンゴ 繋がれざる者」を見た吉祥寺の同じ映画館に、今日は親類に紹介された映画「フラッシュバックメモリーズ 3D」を見に行った。毎週木曜日、夜9時30分のみ開演なのだ。今晩は、しかも大音響セットを使って上映とのことで、ほぼ満席に近かった。
首都高で自動車事故に遭遇し、不思議な心的体験から無事生還した、唯一記憶障害を残した演奏家の日常生活のドキュメント映画と予想したが、ほぼ演奏場面中心に、彼や彼の家族の想いを記したメモなどが画面の背景(または前景)に映じられた。
オーストラリアのアボリジニの管楽器「ディジュリドゥ」を演奏する彼は、記憶消失の症状に葛藤しながらも、家族の絆を支えに演奏を続ける。
楽器ディジュリドゥの発する、まるで大地の唸り、大気の鳴動のような重低音に圧倒される。どこかで聴いた・・・そう、モンゴルのホーミー(Хөөмий)の発声を想起させるように、管が轟かす。アボリジニの民族楽器と、絶え間ないパーカッションによる強烈な現代的演奏が次々展開された。それは、音楽家としての彼の回想であり未来への予告でもあるようだった。
久し振りに心に響いた映画だった。
(参考)Youtube映像「Didgeridoo」、登録者ididjaustraliaに感謝。
(追記)
一昨昨日、映画「ジャンゴ」を見に吉祥寺の街に出てからというもの、花粉症になってしまったよ・・・何年振りだろう。歳とともに、過敏な症状は治まると思っていたのに、再発するとは・・・鼻水、くしゃみが出っ放しである。
2013年3月6日水曜日
講演会「韓国映画にみる伝統音楽と芸能」
今日は本当に暖かい。冬着をブレザーに替えて外出する。帰宅も全然OK。どこからか花の香りが漂ってきそうな春の夜道だ・・・そういえば、小学校の垣根の沈丁花はどうしているかな。
今晩、韓国文化院で開催された講演会「韓国映画にみる伝統音楽と芸能」(講師:植村幸生東京芸術大学音楽学部教授)に行く。毎週、KBS WORLDの放送「国楽の世界へ」(解説:岸加那子アナウンサー)のおかげで、少しは身についた知識をベースにして講演を楽しく聴くことができた。
次の3っつの映画を題材に、韓国伝統音楽(国楽)についての歴史、宗教および、音楽上の解説があった。
・「風の丘を越えて 西便制」(1993年、監督イム・グォンテク、主演オ・ジョンヘほか)
特にシャーマニズム(巫俗)にはじまり、民間芸能としてのパンソリの説明がされた。
・「黄眞伊」(1986年、監督ペ・チャンホ、主演チャン・ミヒほか)
コムンゴ:男性、カヤグム:女性という楽器の区別意識が20世紀に入って固まったようだ。
・「王の男」(2005年、監督イ・ジュンイク、主演カム・ウソンほか)
仮面劇、燕山君の話しから、トリックスター(山口昌男)のような関係が説明された。
わたしにすれば、「黄眞伊」から「分かりたいです(알고싶어요)」を、「王の男」から「因縁(인연)」を、イ・ソンヒの歌にからめてお話が展開されたら最高でしたが・・・今回そんなわけにいきませんけどね。
投影された講演資料を、ホームページに掲載していただけたら幸いです。
今晩、韓国文化院で開催された講演会「韓国映画にみる伝統音楽と芸能」(講師:植村幸生東京芸術大学音楽学部教授)に行く。毎週、KBS WORLDの放送「国楽の世界へ」(解説:岸加那子アナウンサー)のおかげで、少しは身についた知識をベースにして講演を楽しく聴くことができた。
次の3っつの映画を題材に、韓国伝統音楽(国楽)についての歴史、宗教および、音楽上の解説があった。
・「風の丘を越えて 西便制」(1993年、監督イム・グォンテク、主演オ・ジョンヘほか)
特にシャーマニズム(巫俗)にはじまり、民間芸能としてのパンソリの説明がされた。
・「黄眞伊」(1986年、監督ペ・チャンホ、主演チャン・ミヒほか)
コムンゴ:男性、カヤグム:女性という楽器の区別意識が20世紀に入って固まったようだ。
・「王の男」(2005年、監督イ・ジュンイク、主演カム・ウソンほか)
仮面劇、燕山君の話しから、トリックスター(山口昌男)のような関係が説明された。
わたしにすれば、「黄眞伊」から「分かりたいです(알고싶어요)」を、「王の男」から「因縁(인연)」を、イ・ソンヒの歌にからめてお話が展開されたら最高でしたが・・・今回そんなわけにいきませんけどね。
投影された講演資料を、ホームページに掲載していただけたら幸いです。
チャン・ユンジョンの「最期の川」(原題:「招魂」)
朝鮮日報の記事「チャン・ユンジョン、日本演歌チャート1位 '気炎'」(3/6、ペク・チウン記者)によると、一般社団法人全国有線音楽放送協会の2月度集計(期間:2013.02.01~2013.02.28)で、「トロットクイーンのチャン・ユンジョンが、日本2集タイトル曲「最期の川」(2013年)*で演歌チャート1位を占めた」と次のように報じた。(抜粋)
(*)作詩:キム・スンゴン(日本語作詩:田久保真見)、作曲:イム・ガンヒョン、編曲:イム・ガンヒョン
-----------------------------------------------------
・有線ランキングチャートは日本の音楽有線放送のなかで高い認知度を誇り、チャンネルで紹介された曲回数と、ユーザーが「もう一度聴きたい曲」に申請した回数をもとにランキングを集計する。演歌チャートは、この中で最もランキングが難しい部門に数えられる。特に外国の歌手が1位を占めたのは異例なことで、チャン·ユンジョンの人気を実感させる。
-----------------------------------------------------
<Youtubeによる映像>
・韓国原曲「招魂(초혼)」(2010年)・・・韓国固有の信仰(巫俗)をベースにした映像
・日本語版「最期の川」(2013年)
(付記)
原曲「招魂」(2010年)と「最期の川」では、歌詞中の主人公(男女)が逆転している。正直、声の張りから言えば原曲の方がいいような・・・日本語の一音(子音+母音)一音で細(こま)切れになっているからだろうか。逆にいえば、日本の歌の場合、母音に音色を与えることになる・・・のだが。
(*)作詩:キム・スンゴン(日本語作詩:田久保真見)、作曲:イム・ガンヒョン、編曲:イム・ガンヒョン
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・有線ランキングチャートは日本の音楽有線放送のなかで高い認知度を誇り、チャンネルで紹介された曲回数と、ユーザーが「もう一度聴きたい曲」に申請した回数をもとにランキングを集計する。演歌チャートは、この中で最もランキングが難しい部門に数えられる。特に外国の歌手が1位を占めたのは異例なことで、チャン·ユンジョンの人気を実感させる。
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<Youtubeによる映像>
・韓国原曲「招魂(초혼)」(2010年)・・・韓国固有の信仰(巫俗)をベースにした映像
・日本語版「最期の川」(2013年)
(付記)
原曲「招魂」(2010年)と「最期の川」では、歌詞中の主人公(男女)が逆転している。正直、声の張りから言えば原曲の方がいいような・・・日本語の一音(子音+母音)一音で細(こま)切れになっているからだろうか。逆にいえば、日本の歌の場合、母音に音色を与えることになる・・・のだが。
2013年3月5日火曜日
啓蟄2013
立春から数えて、二十四節気の三番目、啓蟄である。冬の寒さに耐えた虫たちが顔を出すという。この日に合わせたように、陽射しも気温も穏やかで春らしくなった。
ポカポカ天気に誘われて吉祥寺に、アメリカ映画「ジャンゴ 繋がれざる者」(監督・脚本;タランティーノ)を見に行く。帰りがけ、吉祥寺駅ビルの<アトレ吉祥寺>に寄って美味いものを探したが、人混みのせいか厚手の冬着のためか汗があふれた。今週さらに気温が上がり、天候も恵まれ外出するのによいタイミングである。
アクション映画「ジャンゴ」の感想・・・先日DVDレンタルで見た韓国映画「ハウスメイド(下女:하녀)」(2010年、主演:チョン・ドヨン)のときもそうだったが、見終わった後、気が重くなる。歳をとると将来への余白がなくなっているのだろう、次への期待がすぼむのだ。監督が投げかけたものは、まだ終わらないのだろう。
ポカポカ天気に誘われて吉祥寺に、アメリカ映画「ジャンゴ 繋がれざる者」(監督・脚本;タランティーノ)を見に行く。帰りがけ、吉祥寺駅ビルの<アトレ吉祥寺>に寄って美味いものを探したが、人混みのせいか厚手の冬着のためか汗があふれた。今週さらに気温が上がり、天候も恵まれ外出するのによいタイミングである。
アクション映画「ジャンゴ」の感想・・・先日DVDレンタルで見た韓国映画「ハウスメイド(下女:하녀)」(2010年、主演:チョン・ドヨン)のときもそうだったが、見終わった後、気が重くなる。歳をとると将来への余白がなくなっているのだろう、次への期待がすぼむのだ。監督が投げかけたものは、まだ終わらないのだろう。
KBS WORLD「国楽の世界へ」 韓忠垠
KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(2/27)に、人物シリーズ69回目として、横笛ソグム(小笒:소금)の若手演奏者、韓忠垠(ハン・チュンウン:한충은)を紹介した。
まず、「三絃(弦)三竹」の解説から始まった。
・約1500年前の統一新羅時代に奏された楽器に「三絃(弦)三竹(삼현삼죽)」がある。<三弦(弦)>とはカヤグム・コムンゴ・琵琶を、<三竹>とはテグム(大笒)・チュングム(中笒)・ソグム(小笒)を指すといわれる。その中でチュングムは朝鮮時代に、琵琶も植民地時代にその伝承が途絶えた。
・ソグムも、一時期、中国伝来の唐笛に押され、演奏されなくなったが、1950年に再び、復活することになる。昔の形と少し異なるが、高く澄んだ音は以前のまま(?)という。最近は、創作音楽で独奏楽器としても使われる。
(付記)
古楽器による西欧クラシック演奏がある。上記古代の楽器(演奏)が、近現代(最近)になって途絶えたり、復活したりするのが気になる。歴史的な検証を知りたいところだ。
▼韓忠垠のテグムとソグムによる「morning」(2006年)を聴く。この日常生活に違和感のない、木管のソフトな響きがする軽やかな今の音色だ。
次のように韓忠垠のプロフィールが紹介された。
・学生時代に偶然聞いたラジオのテグム演奏に魅了され国立国楽高等学校に入学。
・現在、KBS国楽管弦楽団のテグム副主席の若手演奏家。幅広い人脈ネットワークを持つ。
・大衆音楽家と出会いも増え、ピアノと共にジャズ演奏したことで<フュージョン国楽>にも関心を持ち、長い経歴を持つ創作室内楽団「スルギドン」や、フュージョンロックグループ「ユーラシアの朝」などと演奏活動を行う。映画界では、キム・ギドク監督のデビュー作「ワニ」のメインタイトル曲を担当するなど、多くの人気作品の映画音楽を手がけた。
・最近では、国境を越えた音楽交流を行い、新しい音楽への挑戦を目指している。
(付記)
明るい照明、採光のある今様のショッピン街を通るとき、心地よい音楽が流れる・・・今の音楽だ。
まず、「三絃(弦)三竹」の解説から始まった。
・約1500年前の統一新羅時代に奏された楽器に「三絃(弦)三竹(삼현삼죽)」がある。<三弦(弦)>とはカヤグム・コムンゴ・琵琶を、<三竹>とはテグム(大笒)・チュングム(中笒)・ソグム(小笒)を指すといわれる。その中でチュングムは朝鮮時代に、琵琶も植民地時代にその伝承が途絶えた。
・ソグムも、一時期、中国伝来の唐笛に押され、演奏されなくなったが、1950年に再び、復活することになる。昔の形と少し異なるが、高く澄んだ音は以前のまま(?)という。最近は、創作音楽で独奏楽器としても使われる。
(付記)
古楽器による西欧クラシック演奏がある。上記古代の楽器(演奏)が、近現代(最近)になって途絶えたり、復活したりするのが気になる。歴史的な検証を知りたいところだ。
▼韓忠垠のテグムとソグムによる「morning」(2006年)を聴く。この日常生活に違和感のない、木管のソフトな響きがする軽やかな今の音色だ。
次のように韓忠垠のプロフィールが紹介された。
・学生時代に偶然聞いたラジオのテグム演奏に魅了され国立国楽高等学校に入学。
・現在、KBS国楽管弦楽団のテグム副主席の若手演奏家。幅広い人脈ネットワークを持つ。
・大衆音楽家と出会いも増え、ピアノと共にジャズ演奏したことで<フュージョン国楽>にも関心を持ち、長い経歴を持つ創作室内楽団「スルギドン」や、フュージョンロックグループ「ユーラシアの朝」などと演奏活動を行う。映画界では、キム・ギドク監督のデビュー作「ワニ」のメインタイトル曲を担当するなど、多くの人気作品の映画音楽を手がけた。
・最近では、国境を越えた音楽交流を行い、新しい音楽への挑戦を目指している。
(付記)
明るい照明、採光のある今様のショッピン街を通るとき、心地よい音楽が流れる・・・今の音楽だ。
2013年3月4日月曜日
春の気配
この冬を忘れたように、春が一挙に押しかけてきた。ご近所の塀越しに、白い花びらを輝かせている梅があちこちに見える。ようやく心地よい季節になった。
Weathernewsのピンポイント天気予報で、近くの都市立川市の週間予報を見ると、気温は13℃から徐々に上がり、今週土曜日にはMax20℃になると予測している。「今週はだんだん気温上昇。週後半は春本番のポカポカ陽気になるので、スプリングコートの準備を。花粉の大量飛散にも要注意です」とのこと。春に合わせた衣替えか・・・いやいや、硬軟両様の構えが必要だろう。
気象協会の「1ヶ月予報」(3月1日発表)によると、関東甲信地方の3月の気温は、平年より低い(20%)、平年並(40%)、平年より高い(40%)で、「1週目後半から2週目にかけて気温がかなり高くなる見込みです」とのこと。今週の暖かさを大事にして、久し振りに遠出でもしてみようか。
(本ブログ関連:"春")
Weathernewsのピンポイント天気予報で、近くの都市立川市の週間予報を見ると、気温は13℃から徐々に上がり、今週土曜日にはMax20℃になると予測している。「今週はだんだん気温上昇。週後半は春本番のポカポカ陽気になるので、スプリングコートの準備を。花粉の大量飛散にも要注意です」とのこと。春に合わせた衣替えか・・・いやいや、硬軟両様の構えが必要だろう。
気象協会の「1ヶ月予報」(3月1日発表)によると、関東甲信地方の3月の気温は、平年より低い(20%)、平年並(40%)、平年より高い(40%)で、「1週目後半から2週目にかけて気温がかなり高くなる見込みです」とのこと。今週の暖かさを大事にして、久し振りに遠出でもしてみようか。
(本ブログ関連:"春")
2013年3月3日日曜日
(資料)アイドルの脱アイドル化
韓国音楽業界の「(年度別)その年を輝かせた歌手」の調査や報告など動向を見ると、アイドルグループに徐々に地殻変動が起きているようだ。朝鮮日報の記事「K-POPアイドル、生き残りかけた『脱アイドル化』」(3/3、鄭智燮記者)は、変革の必要性を次のように報じている。いずれ、ファン層の関心の向け方にも影響が出るだろう。
(抜粋・・・アイドルグループ固有名称など削除)
・<記事論旨>今年はアイドルが「変身」に苦心/昨年音楽配信100位以内の新人はたった3人/ユニット・コラボ・演技に活路さぐる/事務所「ファン層拡大のため苦肉の策」/一部に「脱アイドル現象始まった」「いろいろな試みで音楽の質を上げて」との声も
・くっついて、離れて、変身して・・・。アイドル歌手たちは「生き残り」のためもがいている。 「アイドル市場はピークに達し、今や下降に入っている。無限の生存競争が始まったのだ」というのだ。
・最近のアイドルの動きで最も顕著なのは「ユニット(チーム内の小グループ)」活動だ。女性アイドルグループ、男性アイドルグループでユニットを作り、先月一斉に新曲をリリースした。
・グループの垣根を越えた「コラボ」も盛んだ。新曲にフィーチャリングしたり、新曲でデュエットを披露している。新人グループのメンバーが、グループがポピュラーになる前に一人で別の歌手のアルバムに参加するケースも登場した。
・「副業」を始めたアイドルも多い。演技もするアイドル、つまり「演技ドル」だ。地上波テレビ局のドラマに登場する。歌手デビューと同時に女優デビューも果たした新しいケース・・・
・一方、所属グループでの活動がしばらくない中で地上波ドラマに出演、歌手ではなく女優として認知度を上げる・・・。
・このような現象については「飽和状態に達したアイドル市場で何とか名前と顔を売ろうという切迫した状況がもたらしたもの」との見方もある。事実、この1年間にデビューしたアイドルは少なくとも30組以上あるが、総合音楽チャート「gaonチャート」の年末総合音楽配信ランキングで100位以内に入った新人は、オーディション番組で準優勝したソロ女性シンガー3人だけだった。いわゆる「アイドルグループ」は一つもない。アイドルが歌手として生き残ることはそれほど難しくなっているのだ。
・韓国音楽コンテンツ産業協会のチェ・グァンホ事務局長は「投資しているだけに、最大限の収益を上げなければならないと考える芸能プロダクション側としては、なるべく多くの活動をさせて採算を取らざるを得ない。ユニットに分けたりソロ活動をしたりすれば音楽配信収益も上げられるのでは」と語った。
・こうした「サバイバル合戦」が激化するにつれ、アイドルの所属事務所側の悩みも深まっている。昨年、大手芸能プロダクションのマネジメントでデビューした男性アイドルグループの関係者は「これといった成果はなかった。メンバーたちは地道にドラマのオーディションを受けているが、まだ良い結果が出ないので悩んでいる」と話す。事務所関係者は「グループの将来のためには、現在10代に固定されているファン層を広げるのが生き残りへの道だと判断、メンバーそれぞれが持つコンテンツを最大限に引き出し、ユニット・ソロ・演技活動を展開している。うちだけでなく、ほかのグループも同じ立場なので、今後は競争がますます激しくなるだろう」と語った。
・現在の状況は「避けて通れない生みの苦しみ」という声も多い。「脱アイドル系の音楽の流れを誰がつかむかにより、若いアイドルたちのサバイバルが決まるかもしれない」(ポピュラー音楽評論家イ・ギョンジュン氏)という意見がある一方で、「アイドルたちがいろいろと試みたり努力したりすれば音楽の質が高まり、韓流の影響力が続くきっかけになる可能性もある」(MBC『音楽中心』イ・チョルミン・プロデューサー)という意見もある。
(本ブログ関連:"(資料)アイドル過剰時代"、"大衆は「100%本物の音楽」を望む"、"韓国アイドルグループ歌手の今後の動向"、"(資料)K-Gallup「2012年今年を輝かせた10代歌手と歌謡 」"、"オーディション"、"アイドルブームに陰り"、"昨年のトップ5の歌手(グループ):2011.12.26 Gallup Korea発表"、"韓国ギャラップ調査")
(抜粋・・・アイドルグループ固有名称など削除)
・<記事論旨>今年はアイドルが「変身」に苦心/昨年音楽配信100位以内の新人はたった3人/ユニット・コラボ・演技に活路さぐる/事務所「ファン層拡大のため苦肉の策」/一部に「脱アイドル現象始まった」「いろいろな試みで音楽の質を上げて」との声も
・くっついて、離れて、変身して・・・。アイドル歌手たちは「生き残り」のためもがいている。 「アイドル市場はピークに達し、今や下降に入っている。無限の生存競争が始まったのだ」というのだ。
・最近のアイドルの動きで最も顕著なのは「ユニット(チーム内の小グループ)」活動だ。女性アイドルグループ、男性アイドルグループでユニットを作り、先月一斉に新曲をリリースした。
・グループの垣根を越えた「コラボ」も盛んだ。新曲にフィーチャリングしたり、新曲でデュエットを披露している。新人グループのメンバーが、グループがポピュラーになる前に一人で別の歌手のアルバムに参加するケースも登場した。
・「副業」を始めたアイドルも多い。演技もするアイドル、つまり「演技ドル」だ。地上波テレビ局のドラマに登場する。歌手デビューと同時に女優デビューも果たした新しいケース・・・
・一方、所属グループでの活動がしばらくない中で地上波ドラマに出演、歌手ではなく女優として認知度を上げる・・・。
・このような現象については「飽和状態に達したアイドル市場で何とか名前と顔を売ろうという切迫した状況がもたらしたもの」との見方もある。事実、この1年間にデビューしたアイドルは少なくとも30組以上あるが、総合音楽チャート「gaonチャート」の年末総合音楽配信ランキングで100位以内に入った新人は、オーディション番組で準優勝したソロ女性シンガー3人だけだった。いわゆる「アイドルグループ」は一つもない。アイドルが歌手として生き残ることはそれほど難しくなっているのだ。
・韓国音楽コンテンツ産業協会のチェ・グァンホ事務局長は「投資しているだけに、最大限の収益を上げなければならないと考える芸能プロダクション側としては、なるべく多くの活動をさせて採算を取らざるを得ない。ユニットに分けたりソロ活動をしたりすれば音楽配信収益も上げられるのでは」と語った。
・こうした「サバイバル合戦」が激化するにつれ、アイドルの所属事務所側の悩みも深まっている。昨年、大手芸能プロダクションのマネジメントでデビューした男性アイドルグループの関係者は「これといった成果はなかった。メンバーたちは地道にドラマのオーディションを受けているが、まだ良い結果が出ないので悩んでいる」と話す。事務所関係者は「グループの将来のためには、現在10代に固定されているファン層を広げるのが生き残りへの道だと判断、メンバーそれぞれが持つコンテンツを最大限に引き出し、ユニット・ソロ・演技活動を展開している。うちだけでなく、ほかのグループも同じ立場なので、今後は競争がますます激しくなるだろう」と語った。
・現在の状況は「避けて通れない生みの苦しみ」という声も多い。「脱アイドル系の音楽の流れを誰がつかむかにより、若いアイドルたちのサバイバルが決まるかもしれない」(ポピュラー音楽評論家イ・ギョンジュン氏)という意見がある一方で、「アイドルたちがいろいろと試みたり努力したりすれば音楽の質が高まり、韓流の影響力が続くきっかけになる可能性もある」(MBC『音楽中心』イ・チョルミン・プロデューサー)という意見もある。
(本ブログ関連:"(資料)アイドル過剰時代"、"大衆は「100%本物の音楽」を望む"、"韓国アイドルグループ歌手の今後の動向"、"(資料)K-Gallup「2012年今年を輝かせた10代歌手と歌謡 」"、"オーディション"、"アイドルブームに陰り"、"昨年のトップ5の歌手(グループ):2011.12.26 Gallup Korea発表"、"韓国ギャラップ調査")
2013年3月2日土曜日
清潔なひと
イ・ソンヒについては、高音で透き通るような声質に合わせて、廻りを明るく照らす若々しさから、清雅とまで礼賛を繰り返している。ことに、2004年の20周年記念コンサートの、Youtubeでしか拝見できないが、一部の隙もない存在感あふれる彼女の姿には圧倒される。
そんな彼女について廻りの女性陣に尋ねたことがある。少し冷ややかなのだ。こちらをおもんぱかって、すこしは同意して欲しいのに、そうはいかないらしい。「わたしたちの女性グループにも似た人が(複数)いる」というのだ。不思議な心理である。
以前、インタビュー記事で、彼女について「地下鉄に乗っているようなひと」と評した記事を読んだ記憶がある。レンズを通して視る写真家の言だったろうか。誰にも好まれる、親和力を持った存在として彼女を語ったと・・・解釈した。
今日の韓国語教室で、(韓国芸能人で)どんなタイプが好みかという話題に、イ・ソンヒのような清潔なひとと答えたが、韓国出身の先生はちゃんとフォローしてくれた。分かる人には分かるのだ。
そんな彼女について廻りの女性陣に尋ねたことがある。少し冷ややかなのだ。こちらをおもんぱかって、すこしは同意して欲しいのに、そうはいかないらしい。「わたしたちの女性グループにも似た人が(複数)いる」というのだ。不思議な心理である。
以前、インタビュー記事で、彼女について「地下鉄に乗っているようなひと」と評した記事を読んだ記憶がある。レンズを通して視る写真家の言だったろうか。誰にも好まれる、親和力を持った存在として彼女を語ったと・・・解釈した。
今日の韓国語教室で、(韓国芸能人で)どんなタイプが好みかという話題に、イ・ソンヒのような清潔なひとと答えたが、韓国出身の先生はちゃんとフォローしてくれた。分かる人には分かるのだ。
2013年3月1日金曜日
フルCG版のオードリー・ヘップバーン
映像情報のGigaZine(3/1)の記事で、英チョコレート会社"ギャラクシー"のCMに、オードリー・ヘップバーンがフルCGで登場するCFを紹介している。Youtubeの映像で彼女の美しい姿を見てみよう。
事故で止まったバスの乗客の彼女を、自分のオープンカーに誘った若者を運転手に見立ててしまうなんて、ファンのために彼女の気品とプライドを護ってくれて妙味である。彼女の口元や目元の微妙な表情と優雅な仕種は、ディズニーアニメを参考にしたのだろうか。それにしても、よくできている。ようやく落ち着いて彼女が口にするチョコレート"Galaxy Smooth Milk"を食べてみたい気もする。
(Youtubeに登録のdionicus感謝)
事故で止まったバスの乗客の彼女を、自分のオープンカーに誘った若者を運転手に見立ててしまうなんて、ファンのために彼女の気品とプライドを護ってくれて妙味である。彼女の口元や目元の微妙な表情と優雅な仕種は、ディズニーアニメを参考にしたのだろうか。それにしても、よくできている。ようやく落ち着いて彼女が口にするチョコレート"Galaxy Smooth Milk"を食べてみたい気もする。
(Youtubeに登録のdionicus感謝)
(付記)
上記映像の制作背景を紹介しているYoutube(”The Story Behind The 2014 Galaxy Chocolate Ad Production With Audrey Hepburn !” 登録者Old Time Photos)がある。
- https://www.youtube.com/watch?v=7pTHlkOwahE
登録者メモによれば、デジタルエフェクト社のFramestoreは、オードリー・ヘップバーンのCGによる顔再現に1年かかったという。そのため、ヘップバーンに似た人物(最終的に2名の美しい女性)を起用している。
2013年 春一番いかに
昨日、今日、暖かさがつづき、ストーブをつけたり消したりと・・・微妙な気温に、熱々のお茶も少しぬるめでもかまわないといった具合だ。
カレンダー上、今日から「春」(3~5月)が始まる。ときどき思い返すように風が吹いているが、「春一番」になるのだろうか。
春一番は、立春(2/4)から春分(3/20)までの間に吹く強風をいうようだが、気象庁の定義はいくつかの条件があって、それをカバーしないと、なかった年も出てくる・・・去年(2012年)がそうだった。だから埃を巻き上げ、花粉を撒き散らすかもしれない春一番の風でも、春を知らせる貴重なしるしなのだ。
(本ブログ関連:"春一番")
陽気に誘われて、ちょいと・・・おやおや、風の勢いが増してきたぞ。今度は花粉症の心配かい。
<春一番、関東に吹きました>
共同通信の記事「列島に『春一番』 関東、中四国、九州で」(2013/03/01 12:33)によれば、関東地方も春一番が吹いたと次のように報じた。(抜粋)
・気象庁は1日、関東と中四国、九州北部(山口県含む)で「春一番」が吹いたと発表した。日本海で発達中の低気圧に向かって、暖かい南寄りの風が吹き込んだ。
・気象庁によると、最大瞬間風速は東京都心16.8m(≧8m)・・・で風向きはいずれも南寄り。午前10時現在の気温は東京都心15.2℃(>昨日)・・・まで上昇した。
最終的にTBSテレビの天気予報によれば、森田正光氏が、最大瞬間風速17.2m、気温17.6℃と報じた。
カレンダー上、今日から「春」(3~5月)が始まる。ときどき思い返すように風が吹いているが、「春一番」になるのだろうか。
春一番は、立春(2/4)から春分(3/20)までの間に吹く強風をいうようだが、気象庁の定義はいくつかの条件があって、それをカバーしないと、なかった年も出てくる・・・去年(2012年)がそうだった。だから埃を巻き上げ、花粉を撒き散らすかもしれない春一番の風でも、春を知らせる貴重なしるしなのだ。
(本ブログ関連:"春一番")
陽気に誘われて、ちょいと・・・おやおや、風の勢いが増してきたぞ。今度は花粉症の心配かい。
<春一番、関東に吹きました>
共同通信の記事「列島に『春一番』 関東、中四国、九州で」(2013/03/01 12:33)によれば、関東地方も春一番が吹いたと次のように報じた。(抜粋)
・気象庁は1日、関東と中四国、九州北部(山口県含む)で「春一番」が吹いたと発表した。日本海で発達中の低気圧に向かって、暖かい南寄りの風が吹き込んだ。
・気象庁によると、最大瞬間風速は東京都心16.8m(≧8m)・・・で風向きはいずれも南寄り。午前10時現在の気温は東京都心15.2℃(>昨日)・・・まで上昇した。
最終的にTBSテレビの天気予報によれば、森田正光氏が、最大瞬間風速17.2m、気温17.6℃と報じた。
2013年2月28日木曜日
2月も終わり
物事がどれ位い済んだか、あるいは未だどれ位い残っているかを直感的に理解するのに、むかしからリンゴの食べ具合をイメージしていた。リンゴを立てて、芯を通るように上から切り分けるのだ。
2月は、太陽暦の都合で28日(または29日)しかないので、今日で終わりだ。一年(十二ヶ月)をリンゴ一個に例えると、六分の一食ってしまったことになる。まだまだ残りがあるようだが、この場合、消化の速度の方が気になる。歳とともに加速しているのだ。
リンゴには、人生のリンゴ、カレンダーのリンゴ、そして仕事のリンゴなどがある。
仕事のスケジュール管理の最初に、土日や祝日だけでなく正月やお盆などの休日を差し引いて工数を考えなければならない。特に2月は28日(または29日)しかないのがやっかいである。通常月より2~3日少ないのだから。
例えば4月に利用開始の場合、3月を(総合など)テスト月とするなら、2月までに開発ほかが終了していなければならない。その2月が、28日しかないのだ・・・日数の少なさに、カレンダーをうらめしく思うことになる。
いつも月末になって思うのだが、来月からは真剣にするぞって。
もう、2月のことは忘れてしまった。明日から、いよいよ季節は春である。
2月は、太陽暦の都合で28日(または29日)しかないので、今日で終わりだ。一年(十二ヶ月)をリンゴ一個に例えると、六分の一食ってしまったことになる。まだまだ残りがあるようだが、この場合、消化の速度の方が気になる。歳とともに加速しているのだ。
リンゴには、人生のリンゴ、カレンダーのリンゴ、そして仕事のリンゴなどがある。
仕事のスケジュール管理の最初に、土日や祝日だけでなく正月やお盆などの休日を差し引いて工数を考えなければならない。特に2月は28日(または29日)しかないのがやっかいである。通常月より2~3日少ないのだから。
例えば4月に利用開始の場合、3月を(総合など)テスト月とするなら、2月までに開発ほかが終了していなければならない。その2月が、28日しかないのだ・・・日数の少なさに、カレンダーをうらめしく思うことになる。
いつも月末になって思うのだが、来月からは真剣にするぞって。
もう、2月のことは忘れてしまった。明日から、いよいよ季節は春である。
2013年2月27日水曜日
ペドロ&カプリシャスの「別れの朝」
ペドロ&カプリシャスの「別れの朝」(1971年、訳詞:堀内みち子・なかにし礼)は、今の時代はどんな風か知らないが、別れの歌としてカッコよかったのだ。演歌のように後ろ髪を残すでなく、フォークのように思い出語りにふけるでもない、ほどほどに切なさがあった。オーストリアの原曲に、新しい別れの場面を歌詞に、なかにし礼がのせたのだから。
なによりこの曲を印象深くさせたのは、ボーカルの前野曜子だった。彼女のイメージは、(昔風の表現でいう)クールだったし、歌声も硬質な感じがした。どこか突き放したようで、都会的な響きがした・・・でも歌詞の舞台は。どうであれ、こんな感じの離別は洒落ていた。
だから、ペドロ&カプリシャスの初期の主な代表作は、前野曜子が歌っていたと思い込んでいた。その一体感は長くイメージとして残った。
(本ブログ関連:"別れの朝")
(Youtubeに登録のHiroppy419に感謝)
なによりこの曲を印象深くさせたのは、ボーカルの前野曜子だった。彼女のイメージは、(昔風の表現でいう)クールだったし、歌声も硬質な感じがした。どこか突き放したようで、都会的な響きがした・・・でも歌詞の舞台は。どうであれ、こんな感じの離別は洒落ていた。
だから、ペドロ&カプリシャスの初期の主な代表作は、前野曜子が歌っていたと思い込んでいた。その一体感は長くイメージとして残った。
(本ブログ関連:"別れの朝")
(Youtubeに登録のHiroppy419に感謝)
2013年2月26日火曜日
KBS WORLD「国楽の世界へ」 鄭權鎭
KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(2/20)に、人物シリーズ68回目として、「宝城ソリ(ポソンソリ、보성소리)」といわれる歌の伝承者、鄭權鎭(チョン・クォンジン、정권진:1927年~1986年)を紹介した。
まずはじめに、パンソリ流派の「西便制と「東便制」の歴史解説から始まった。
・朝鮮時代末、興宣大院君(1820年~1898年)の寵愛を受けたパンソリ歌手、朴裕全(박유전)の歌は、「江山制(강산제)」或いは韓半島西側地域で歌われたため「西便制(서편제)」と呼ばれた。
・興宣大院君失脚(1873年)後、ソウル(漢城)を離れた朴裕全に教えを受けた弟子の鄭在根(정재근)は、後に甥の鄭應珉(정응민)を連れてソウルに上京。植民地時代、鄭應珉はひとりソウル(京城)で歌の勉強を続け、朴裕全の没を期に帰郷する途上、「東便制(동편제)」の名唱金贊業(김찬업)について学ぶ。後に全羅南道宝城(ポソン)に落ち着き後輩の指導にあたる。「西便制」と「東便制」を重ねた独特な「宝城ソリ」は、鄭應珉の息子鄭權鎭が伝承する。
▼鄭權鎭による「水宫歌(수궁가)」の中から「ウサギが絵を描く題目」を聴く。優しい口調で子どもに童話を語るよう・・・。
・鄭應珉は、他の弟子をとっても、息子鄭權鎭にはパンソリを学ぶことを許さなかったほど、厳しい修練を必要とするものであったが、幼い頃から聞いて覚えた歌で、父と同じ道を歩むこととなる。
次に、鄭權鎭のプロフィールが紹介された。
・1927年 全羅南道 宝城に生まれる。
・15歳、歌を学び始めるものの、昼の仕事の後、夜に歌の勉強を続ける日々を送る。
・1950年 朝鮮戦争勃発。特別採用で警察官となる。南島民謡を歌い放送を通じてパルチザンの投降を促す。
・30代になり、警察の職を辞し、正式に歌い手として活動を始める。
・1961年 国立唱劇団発足。団員活動と伴に国楽芸術学校で歌を教え、自身の歌の確立、完成へ整える。
▼鄭權鎭による「沈清歌(심청가)」の中から「泛彼中流(범피중류)」を聴く。悲愴な始まりにもかかわらず抑制を効かせて深い悲しみを歌っているのだろうか。
・1982年まで 国楽芸術学校での指導後、全南大学の国楽科の教授として招聘される。
・1986年 持病で没する。
・現在、鄭權鎭の長男鄭会泉は国立唱劇団長と全北大学教授を経て、国立伝統芸術高等学校(旧国楽芸術学校)校長、次男鄭会浣はテグム演奏者、三男鄭会石は国立国楽院パンソリ団員として、国楽界で活躍している。
▼鄭權鎭による「沈清歌(심청가)」の中から「沈奉事(봉사:盲人)が目を開く題目」を聴く。目が開いて喜びの後、何が起こるかの見えないとは・・・。
(参考)「第 III 章 パンソリが文学に与えた影響」:元東京外国語大学教授三枝壽勝氏のホームページに「パンソリ」の要約紹介ならびに解説がある。
まずはじめに、パンソリ流派の「西便制と「東便制」の歴史解説から始まった。
・朝鮮時代末、興宣大院君(1820年~1898年)の寵愛を受けたパンソリ歌手、朴裕全(박유전)の歌は、「江山制(강산제)」或いは韓半島西側地域で歌われたため「西便制(서편제)」と呼ばれた。
・興宣大院君失脚(1873年)後、ソウル(漢城)を離れた朴裕全に教えを受けた弟子の鄭在根(정재근)は、後に甥の鄭應珉(정응민)を連れてソウルに上京。植民地時代、鄭應珉はひとりソウル(京城)で歌の勉強を続け、朴裕全の没を期に帰郷する途上、「東便制(동편제)」の名唱金贊業(김찬업)について学ぶ。後に全羅南道宝城(ポソン)に落ち着き後輩の指導にあたる。「西便制」と「東便制」を重ねた独特な「宝城ソリ」は、鄭應珉の息子鄭權鎭が伝承する。
▼鄭權鎭による「水宫歌(수궁가)」の中から「ウサギが絵を描く題目」を聴く。優しい口調で子どもに童話を語るよう・・・。
・鄭應珉は、他の弟子をとっても、息子鄭權鎭にはパンソリを学ぶことを許さなかったほど、厳しい修練を必要とするものであったが、幼い頃から聞いて覚えた歌で、父と同じ道を歩むこととなる。
次に、鄭權鎭のプロフィールが紹介された。
・1927年 全羅南道 宝城に生まれる。
・15歳、歌を学び始めるものの、昼の仕事の後、夜に歌の勉強を続ける日々を送る。
・1950年 朝鮮戦争勃発。特別採用で警察官となる。南島民謡を歌い放送を通じてパルチザンの投降を促す。
・30代になり、警察の職を辞し、正式に歌い手として活動を始める。
・1961年 国立唱劇団発足。団員活動と伴に国楽芸術学校で歌を教え、自身の歌の確立、完成へ整える。
▼鄭權鎭による「沈清歌(심청가)」の中から「泛彼中流(범피중류)」を聴く。悲愴な始まりにもかかわらず抑制を効かせて深い悲しみを歌っているのだろうか。
・1982年まで 国楽芸術学校での指導後、全南大学の国楽科の教授として招聘される。
・1986年 持病で没する。
・現在、鄭權鎭の長男鄭会泉は国立唱劇団長と全北大学教授を経て、国立伝統芸術高等学校(旧国楽芸術学校)校長、次男鄭会浣はテグム演奏者、三男鄭会石は国立国楽院パンソリ団員として、国楽界で活躍している。
▼鄭權鎭による「沈清歌(심청가)」の中から「沈奉事(봉사:盲人)が目を開く題目」を聴く。目が開いて喜びの後、何が起こるかの見えないとは・・・。
(参考)「第 III 章 パンソリが文学に与えた影響」:元東京外国語大学教授三枝壽勝氏のホームページに「パンソリ」の要約紹介ならびに解説がある。
2013年2月25日月曜日
イ・ソンヒのトロット・メドレー、ふたたび
イ・ソンヒは、他の歌手とどう違うのかと問われれば、いわゆる色とか癖があるというわけでなく、力強い発声と高音、透明感ある声質というべきなのだろう。しかも、それだけでない。デビュー当時、少女たちを中心にファン層が広がったのは、健康的で清潔感にあったようだ。女性を強調するような歌謡ステージとは異なるスタイルに関心がもたれた。それは決して奇抜ではない、むしろ普通なメガネ姿の短髪の風貌で、ボーイッシュでもあったのだ。彼女の天性の、サニーの愛称に相応しい輝くものがあった。
そんな彼女が、ジャンルにこだわらず、才能のままトロットを歌いあげるステージを、Youtube映像でふたたび見てみよう。デビュー後17年の2001年、実力をいやまして次の曲を歌う。
・シム・スボン( 심수봉)の「愛しか私はわからない(사랑 밖에 난 몰라)」(1987年、6集) → こちらも!
・ナフナ(나훈아)の「ムシロ(무시로)」(1989年)
・チュ・ヒョンミ(주현미)の「片想い(짝사랑)」(1989年)
(再掲:Youtube解説) 2001年6月5日のテレビコンサートで、自由大邱文化放送によるとのこと。
(画面に、イ・ソンヒスペシャル「MBC(文化放送)歌謡コンサート」の表示。会場客の年齢は高目です・・・)
(本ブログ関連:"トロット")
(Youtubeに登録のtheykilledmon、013pic、maxmike0320、526apolloに感謝)
そんな彼女が、ジャンルにこだわらず、才能のままトロットを歌いあげるステージを、Youtube映像でふたたび見てみよう。デビュー後17年の2001年、実力をいやまして次の曲を歌う。
・シム・スボン(
・ナフナ(나훈아)の「ムシロ(무시로)」(1989年)
・チュ・ヒョンミ(주현미)の「片想い(짝사랑)」(1989年)
(再掲:Youtube解説) 2001年6月5日のテレビコンサートで、自由大邱文化放送によるとのこと。
(画面に、イ・ソンヒスペシャル「MBC(文化放送)歌謡コンサート」の表示。会場客の年齢は高目です・・・)
(本ブログ関連:"トロット")
(Youtubeに登録のtheykilledmon、013pic、maxmike0320、526apolloに感謝)
2013年2月24日日曜日
錫高野#18
昨年の2月以来、久し振りに茨城県東茨城郡城里町の高取鉱山と背中合わせにある錫高野に鉱物採集に行く。早朝、未だ暗いうちに家を出たが、Xa氏との待ち合わせ場所であるJR駅に着いた頃には、空はすっかり明るくなっていた。春らしく、次第に日の出が早まってきている。おまけに今日の天候はいいようだ。
(本ブログ関連:"錫高野")
いつものように、仏国寺側から入山する。日ごろの運動不足がたたって、山越え時にゼエゼエと息を吐き、足が張ってくる・・・もちっと体力作りの重要性を感じた。
歩きはじめから冷気が強いため、ジャンパーの上に、簡易ヤッケと雨合羽を重ねる・・・風が吹けばフードを立てるほどだった。場所によっては雪が残っていたり、路面がツルツルに凍っている所があった。
さて今回は、(A)高取山ハイキングコースと一部重なる沢での水晶と、(B)巨大な岩が垂直にそそり立つ岩場での蛍石を中心に採集した。両場所も合わせて、鉱物採集の結果は次の通り。
・水晶(満足:透明感、かたち)
・鉄マンガン重石
・白鉄鉱
・硫砒鉄鉱
・黄銅鉱
・銅藍
・輝銅鉱
・硅孔雀石
・ブロシャン銅鉱
・蛍石(ルーペサイズ)
(残念ながら、錫石、トパーズには巡り会えなかった)
ところで、(A)地点で、地元の父と子(少年)からめぼしいズリ場を教えていただいた。(B)地点で、福島から久し振りに来たという方から、蛍石採集を応援していただいた。また帰り道、若い両親と子(少年)に出会い、蛍石採集の別場所を教えていただいた。
錫高野だけでなく、他の鉱物採集場所を含めて、一日にこれほど多く同好の士と出会い・会話(情報交換)したのは始めてのことだ。
そうそう、親子連れを見て、未来の鉱物マニア、もしかしたら研究者の芽が育っているようで微笑ましく思った。
(本ブログ関連:"錫高野")
いつものように、仏国寺側から入山する。日ごろの運動不足がたたって、山越え時にゼエゼエと息を吐き、足が張ってくる・・・もちっと体力作りの重要性を感じた。
歩きはじめから冷気が強いため、ジャンパーの上に、簡易ヤッケと雨合羽を重ねる・・・風が吹けばフードを立てるほどだった。場所によっては雪が残っていたり、路面がツルツルに凍っている所があった。
さて今回は、(A)高取山ハイキングコースと一部重なる沢での水晶と、(B)巨大な岩が垂直にそそり立つ岩場での蛍石を中心に採集した。両場所も合わせて、鉱物採集の結果は次の通り。
・水晶(満足:透明感、かたち)
・鉄マンガン重石
・白鉄鉱
・硫砒鉄鉱
・黄銅鉱
・銅藍
・輝銅鉱
・硅孔雀石
・ブロシャン銅鉱
・蛍石(ルーペサイズ)
(残念ながら、錫石、トパーズには巡り会えなかった)
ところで、(A)地点で、地元の父と子(少年)からめぼしいズリ場を教えていただいた。(B)地点で、福島から久し振りに来たという方から、蛍石採集を応援していただいた。また帰り道、若い両親と子(少年)に出会い、蛍石採集の別場所を教えていただいた。
錫高野だけでなく、他の鉱物採集場所を含めて、一日にこれほど多く同好の士と出会い・会話(情報交換)したのは始めてのことだ。
そうそう、親子連れを見て、未来の鉱物マニア、もしかしたら研究者の芽が育っているようで微笑ましく思った。
2013年2月23日土曜日
多分、今年最後の新年会
少しも上達しないくせ、ち~っともくじけないのがおじさんの強みである。
今年参加した新しい韓国語クラスの先生と生徒全員が揃って、新大久保駅そばの韓国料理店「やかんの物語(주전자 이야기)」で催した新年会に同席する。
店名の「やかん」は、マッコリを真鍮製やかんに入れて供するからだろうか・・・そもそも、マッコリをなぜやかんに入れるのだろう。同じく真鍮製の飲み容器のサバル(沙鉢)も一緒に配られたが、これって昔の小学校の給食に使われた食器にそっくりだ。
次は、みなで食したものばかりで・・・酔っていたので記憶があいまいだが。
・参鶏湯風の煮物(タッカンマリ?)
・付け合せ(黒豆ほか)
・チーズトッポギ・・・好評
・ニラのチジミ
・鳥の甘辛~い唐揚げ・・・好評
・かき氷パッピンス・・・好評
・アルコール類(マッコリほか)
ところで店内の大型TV画面に、K-POPスターが次々登場して歌っていた。他の生徒さんたちはそれを見て区別していたが・・・おじさんには、若いアイドル歌手はさっぱり分からない。
トロットは、K-POPと呼ばないのか~!(隣のうるさいグループに負けじと叫びたかった)
今年こそ、真面目に勉強しよう。
そして明日は、錫高野で鉱物採集だ。こちらも頑張るぞ!
今年参加した新しい韓国語クラスの先生と生徒全員が揃って、新大久保駅そばの韓国料理店「やかんの物語(주전자 이야기)」で催した新年会に同席する。
店名の「やかん」は、マッコリを真鍮製やかんに入れて供するからだろうか・・・そもそも、マッコリをなぜやかんに入れるのだろう。同じく真鍮製の飲み容器のサバル(沙鉢)も一緒に配られたが、これって昔の小学校の給食に使われた食器にそっくりだ。
次は、みなで食したものばかりで・・・酔っていたので記憶があいまいだが。
・参鶏湯風の煮物(タッカンマリ?)
・付け合せ(黒豆ほか)
・チーズトッポギ・・・好評
・ニラのチジミ
・鳥の甘辛~い唐揚げ・・・好評
・かき氷パッピンス・・・好評
・アルコール類(マッコリほか)
ところで店内の大型TV画面に、K-POPスターが次々登場して歌っていた。他の生徒さんたちはそれを見て区別していたが・・・おじさんには、若いアイドル歌手はさっぱり分からない。
トロットは、K-POPと呼ばないのか~!(隣のうるさいグループに負けじと叫びたかった)
今年こそ、真面目に勉強しよう。
そして明日は、錫高野で鉱物採集だ。こちらも頑張るぞ!
2013年2月22日金曜日
今日も机上鉱物採集
いつもいただくだけでお世話になっている鉱物仲間の新築宅を訪問して、そのうえ机上鉱物採集までした。
新築宅は、シアトルの伝統的家屋を参考にしたというシックな造りで、屋内は飾り付けから家具に至るまで自身で手を加えたという。家の内と外が完全に洋風スタイルの、とても豪華でお洒落なお宅である。
ところで驚いたのは、鉱物標本の種類の多さだけでなく、丁寧な手作りの標本ケースと詳細な標本ラベルだ。わたしの鉱物標本とはまるっきり違っていて、感心するばかりだ・・・そろそろ、わたしも標本整理(≒始末)をするかな。
標本を一個一個拝見して話しを聞く・・・趣味の話は止みません。そして、帰り際に次の机上鉱物採集のチャンスをいただいた。感謝。
・鍾乳石: 新潟県奥只見
・柘榴石: 長野県南佐久郡・栗生鉱山
・黒雲母: 福島県伊達郡・水晶山
新築宅は、シアトルの伝統的家屋を参考にしたというシックな造りで、屋内は飾り付けから家具に至るまで自身で手を加えたという。家の内と外が完全に洋風スタイルの、とても豪華でお洒落なお宅である。
ところで驚いたのは、鉱物標本の種類の多さだけでなく、丁寧な手作りの標本ケースと詳細な標本ラベルだ。わたしの鉱物標本とはまるっきり違っていて、感心するばかりだ・・・そろそろ、わたしも標本整理(≒始末)をするかな。
標本を一個一個拝見して話しを聞く・・・趣味の話は止みません。そして、帰り際に次の机上鉱物採集のチャンスをいただいた。感謝。
・鍾乳石: 新潟県奥只見
・柘榴石: 長野県南佐久郡・栗生鉱山
・黒雲母: 福島県伊達郡・水晶山
2013年2月21日木曜日
積雪
相変わらず最高気温10℃以下が続いて、慣れてくると不思議なことに、寒さをあきらめなのか気にならなくなっている。昼の陽だまりがわずかな時間だということも惜しくない。こんなもんだと、納得してしまっているのだ。
むかし、夏の井の頭公園の屋外プールで、水温が17℃の寒さにブルブル震えたものだが、今の気温はそれよりも10℃ほど低い。寒い寒いといっては、イヌイットのひとびとに笑われてしまうだろう・・・といっても、彼らの生活スタイルは全く今様だろうけど。
ところで、今日のNHKテレビのニュースで、「青森県の八甲田山系の酸ヶ湯(すかゆ)では積雪が5メートル15センチの積雪を観測(21日午後1時)」したと、降雪風景を報じた。さすがに当地の方々も、これには慣れてないようだけど。
イ・ソンヒが、アダモ(Salvatore Adamo)の「雪が降る(Tombe la neige)」(1963年)をカバーして、雪景色(孤独な少女)を歌う「雪が降る(눈이 내리네)」(1988年)を、Yuoutubeで聴いてみよう。
(登録のYoungbum Kimに感謝)
https://www.youtube.com/watch?v=t7FV-zhSg9g
(本ブログ関連:"雪が降る")
(付記)
ところで、北日本を襲っている大雪を何かに・・・例えば、低温エネルギーの活用など利用できないのかなあ。
むかし、夏の井の頭公園の屋外プールで、水温が17℃の寒さにブルブル震えたものだが、今の気温はそれよりも10℃ほど低い。寒い寒いといっては、イヌイットのひとびとに笑われてしまうだろう・・・といっても、彼らの生活スタイルは全く今様だろうけど。
ところで、今日のNHKテレビのニュースで、「青森県の八甲田山系の酸ヶ湯(すかゆ)では積雪が5メートル15センチの積雪を観測(21日午後1時)」したと、降雪風景を報じた。さすがに当地の方々も、これには慣れてないようだけど。
イ・ソンヒが、アダモ(Salvatore Adamo)の「雪が降る(Tombe la neige)」(1963年)をカバーして、雪景色(孤独な少女)を歌う「雪が降る(눈이 내리네)」(1988年)を、Yuoutubeで聴いてみよう。
(登録のYoungbum Kimに感謝)
https://www.youtube.com/watch?v=t7FV-zhSg9g
(本ブログ関連:"雪が降る")
(付記)
ところで、北日本を襲っている大雪を何かに・・・例えば、低温エネルギーの活用など利用できないのかなあ。
2013年2月20日水曜日
(資料)アイドル過剰時代
アイドルグループが中心を占める韓国音楽芸能界の変化(変身)の兆しを、ユニット化という編成替えや、アーティストとしての自立化などで語られているが、中央日報の記事「韓国のアイドル過剰時代、ミュージシャン変身は無罪?(1).(2)」(2/19)は、"ミュージシャン"というキーワードを使って、その変化を次のように語っている。(抜粋)
(本ブログ関連:"アイドル")
・アイドルの体質改革か、それとも一時的な対策か。歌謡界でアイドルからミュージシャンへの変身が目立っている。
・7人組グループINFINITEのドンウとホヤは、ヒップホップ・ユニットの「INFINITE H」を結成し、ヒップホップ・ミュージシャンに変身している。・・・アイドルバンドCNBLUEは、自作曲のミニアルバム「Re:BLUE」を発表し、オールライブの舞台を準備するなど、"ミュージシャン"に進化する姿を見せた。
・昨年、新しく結成された新鋭アイドルグループは50チームを超える。すでに飽和状態に達した無限競争のアイドル市場で、"ミュージシャン"という言葉は一つのマーケティング用語として乱用されているという批判もある。
◇事務所の個性vsメンバーの個性
・専門家は、アイドルとミュージシャンを区別する最も重要な要素を「音楽の主体性」と話す。「与えられたものでなく、自分だけの個性があるか」(音楽評論家イム・ジンモ氏)、「メンバーが主体になって音楽を生産して方向を決定しているか」(音楽評論家キム・ジャッカ氏)、「音楽的な哲学があるか」(文化評論家カン・テギュ氏)、「音盤が創意的な作品か」(音楽評論家パク・ジュンフム氏)を満たすかどうかだ。・・・イム・ジンモ氏は「韓流の未来のためにも、アイドルが実力を持たなければいけないという雰囲気が形成された。他人から受けた曲を消化して演技するという段階から抜け出し、自分だけの表現の世界を持つというのは確実にプラスとなる」と話した。
・一方、限界があるという指摘も出ている。パク・ジュンフム氏は「アイドルは練習生当時から事務所と従属関係にならざるを得ない。コンテンツが創意的でないため、寿命は短くなるしかない。 ミュージシャンは不可能な夢だ。ミュージシャンになろうとすれば、事務所を出て独立して活動しなければいけない。踊っても、楽器を演奏しても、別の形のアイドルにすぎない」と語った。
◇"ハンドシンク(空弾き)"するミュージシャン?
・CNBLUEを相手取りインディーバンドのクライングナッツが最近、著作権損害賠償請求訴訟を起こし、話題になった。CNBLUEが新人時代、Mnet音楽番組でクライングナットの音源を流して演奏するふりをし、その映像をDVDに入れて日本に輸出したということだ。
・ミュージシャンを目指したバンドのイメージは大きな打撃を受けた。ペ・スンタク氏は「アイドルもいくらでもミュージシャンに進化できる。しかし音楽とは関係がない芸能番組に出演しながら、突然、自作曲を作ったからミュージシャンとして見てほしい言っても、大衆や評壇が実力を確認する方法はない」と述べた。
・クラブで公演するインディーバンドとは違い、アイドルはライブ公演が少なく、芸能番組やドラマに出演して収益を出す構造に問題があるということだ。
・カン・テギュ氏は「音楽的主体性が生じるように所属事務所が配慮しなければ、ミュージシャンどころか"商品"にすぎない」と指摘した。 イム・ジンモ氏も「アイドル出身というレッテルはすぐに剥がれるものではない。CNBLUE事態はミュージシャンになる道がどれほど厳しいかを表している」と話した。
(本ブログ関連:"アイドル")
・アイドルの体質改革か、それとも一時的な対策か。歌謡界でアイドルからミュージシャンへの変身が目立っている。
・7人組グループINFINITEのドンウとホヤは、ヒップホップ・ユニットの「INFINITE H」を結成し、ヒップホップ・ミュージシャンに変身している。・・・アイドルバンドCNBLUEは、自作曲のミニアルバム「Re:BLUE」を発表し、オールライブの舞台を準備するなど、"ミュージシャン"に進化する姿を見せた。
・昨年、新しく結成された新鋭アイドルグループは50チームを超える。すでに飽和状態に達した無限競争のアイドル市場で、"ミュージシャン"という言葉は一つのマーケティング用語として乱用されているという批判もある。
◇事務所の個性vsメンバーの個性
・専門家は、アイドルとミュージシャンを区別する最も重要な要素を「音楽の主体性」と話す。「与えられたものでなく、自分だけの個性があるか」(音楽評論家イム・ジンモ氏)、「メンバーが主体になって音楽を生産して方向を決定しているか」(音楽評論家キム・ジャッカ氏)、「音楽的な哲学があるか」(文化評論家カン・テギュ氏)、「音盤が創意的な作品か」(音楽評論家パク・ジュンフム氏)を満たすかどうかだ。・・・イム・ジンモ氏は「韓流の未来のためにも、アイドルが実力を持たなければいけないという雰囲気が形成された。他人から受けた曲を消化して演技するという段階から抜け出し、自分だけの表現の世界を持つというのは確実にプラスとなる」と話した。
・一方、限界があるという指摘も出ている。パク・ジュンフム氏は「アイドルは練習生当時から事務所と従属関係にならざるを得ない。コンテンツが創意的でないため、寿命は短くなるしかない。 ミュージシャンは不可能な夢だ。ミュージシャンになろうとすれば、事務所を出て独立して活動しなければいけない。踊っても、楽器を演奏しても、別の形のアイドルにすぎない」と語った。
◇"ハンドシンク(空弾き)"するミュージシャン?
・CNBLUEを相手取りインディーバンドのクライングナッツが最近、著作権損害賠償請求訴訟を起こし、話題になった。CNBLUEが新人時代、Mnet音楽番組でクライングナットの音源を流して演奏するふりをし、その映像をDVDに入れて日本に輸出したということだ。
・ミュージシャンを目指したバンドのイメージは大きな打撃を受けた。ペ・スンタク氏は「アイドルもいくらでもミュージシャンに進化できる。しかし音楽とは関係がない芸能番組に出演しながら、突然、自作曲を作ったからミュージシャンとして見てほしい言っても、大衆や評壇が実力を確認する方法はない」と述べた。
・クラブで公演するインディーバンドとは違い、アイドルはライブ公演が少なく、芸能番組やドラマに出演して収益を出す構造に問題があるということだ。
・カン・テギュ氏は「音楽的主体性が生じるように所属事務所が配慮しなければ、ミュージシャンどころか"商品"にすぎない」と指摘した。 イム・ジンモ氏も「アイドル出身というレッテルはすぐに剥がれるものではない。CNBLUE事態はミュージシャンになる道がどれほど厳しいかを表している」と話した。
2013年2月19日火曜日
KBS WORLD「国楽の世界へ」 アンサンブルシナウィ
KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(2/13)に、人物シリーズ67回目として、2007年に結成された新しい国楽グループ「アンサンブルシナウィ(앙상블 시나위)」を紹介した。
(本ブログ関連:"シナウィ")
「シナウィ」と国楽グループ「アンサンブルシナウィ」の説明から始まった。
・シナウィは、巫俗音楽を起源に持つ、即興の器楽合奏曲を意味する。奏者同士、基本的な部分だけ取り決め、各自オリジナルのメロディーを基本リズムの長短(장단)にのせ演奏する。西洋音楽のようにハーモニーを奏でるのでなく、不規則な演奏ながら調和する。
・最近は、伝統的即興形式によらず、ある程度、固定されたリズムで奏するものが増えた。この伝統を基に、現代に響く音楽を目指して演奏活動するのがアンサンブルシナウィである。
▼「魂のためのカデンツァ」中から、「オンモリ、チュンモリ(엇모리、중모리)」を聴く。亡くなった人の魂を讃える珍島シッキムグッ(씻김굿)を基に再構成されたそうだが・・・聴きやすさに。
次に、アンサンブルシナウィのプロフィールが紹介された。
・2007年 結成。演奏技術と多様なジャンルとの調和を試み、国楽関係者、大衆からも大きな期待を寄せられる。メンバーは、伽耶琴に似るも擦弦楽器の「アジェン(牙筝、아쟁)」のシン・ヒョンシク(신현식、リーダー)、「パンソリ(歌)」のイ・ボングン(이봉근)、「カヤグム(伽耶琴、가야금)」のハ・セラ(하세라)、「打楽器」のキム・ジヘ(김지혜)、そして異色の経歴を持つ「ピアノ」のチョン・ソンヒ(정송희、作曲)である。
・演劇、ジャズ、舞踊、メディアアートなど多様なジャンルと融合し、現存の5つのパンソリから、広く知られる題目をピックアップし、新しく構成したりする。
・<フュージョン国楽>として、伝統音楽に西洋音楽や大衆音楽をのせる演奏が多い中で、アンサンブルシナウィは、伝統音楽に秘められた、現代に共感できる部分を探し求めている。
(付記)
例えば最近では、オペラ観覧がひとつの音楽鑑賞の地位を持つようになったが、青い目の歌舞伎を見る人がどれだけいるだろうか。音楽大の卒業者が多数になれば、その中の音楽人が、土(つち)に生き受け継がれてきたものを、容易に採譜し再構成して表現するようになるだろうけれど、それを生活者の土(つち)に戻すことはできるだろうか。いったん、すくいとったものは・・・。
(本ブログ関連:"シナウィ")
「シナウィ」と国楽グループ「アンサンブルシナウィ」の説明から始まった。
・シナウィは、巫俗音楽を起源に持つ、即興の器楽合奏曲を意味する。奏者同士、基本的な部分だけ取り決め、各自オリジナルのメロディーを基本リズムの長短(장단)にのせ演奏する。西洋音楽のようにハーモニーを奏でるのでなく、不規則な演奏ながら調和する。
・最近は、伝統的即興形式によらず、ある程度、固定されたリズムで奏するものが増えた。この伝統を基に、現代に響く音楽を目指して演奏活動するのがアンサンブルシナウィである。
▼「魂のためのカデンツァ」中から、「オンモリ、チュンモリ(엇모리、중모리)」を聴く。亡くなった人の魂を讃える珍島シッキムグッ(씻김굿)を基に再構成されたそうだが・・・聴きやすさに。
次に、アンサンブルシナウィのプロフィールが紹介された。
・2007年 結成。演奏技術と多様なジャンルとの調和を試み、国楽関係者、大衆からも大きな期待を寄せられる。メンバーは、伽耶琴に似るも擦弦楽器の「アジェン(牙筝、아쟁)」のシン・ヒョンシク(신현식、リーダー)、「パンソリ(歌)」のイ・ボングン(이봉근)、「カヤグム(伽耶琴、가야금)」のハ・セラ(하세라)、「打楽器」のキム・ジヘ(김지혜)、そして異色の経歴を持つ「ピアノ」のチョン・ソンヒ(정송희、作曲)である。
・演劇、ジャズ、舞踊、メディアアートなど多様なジャンルと融合し、現存の5つのパンソリから、広く知られる題目をピックアップし、新しく構成したりする。
・<フュージョン国楽>として、伝統音楽に西洋音楽や大衆音楽をのせる演奏が多い中で、アンサンブルシナウィは、伝統音楽に秘められた、現代に共感できる部分を探し求めている。
(付記)
例えば最近では、オペラ観覧がひとつの音楽鑑賞の地位を持つようになったが、青い目の歌舞伎を見る人がどれだけいるだろうか。音楽大の卒業者が多数になれば、その中の音楽人が、土(つち)に生き受け継がれてきたものを、容易に採譜し再構成して表現するようになるだろうけれど、それを生活者の土(つち)に戻すことはできるだろうか。いったん、すくいとったものは・・・。
2013年2月18日月曜日
チェバルクリ隕石
先日(2/15)、ロシアのウラル山脈南端にあるチェリャビンスク州方面に降った隕石情報について、一段落しつつあるようだ。東京新聞の記事「湖の鉱物 隕石と断定 『チェバルクリ』命名へ」(2/18、モスクワ=原誠司)は、次のように報じている。(抜粋)
・ロシア科学アカデミー所属の研究者は、隕石が落下したとされる同国ウラル地方・チェリャビンスク州のチェバルクリ湖の氷上で採取した小さな鉱物片を隕石の一部と断定した。湖の名前にちなみ「チェバルクリ隕石」と名付けられる予定。国営ロシア通信が十八日伝えた。
・鉱物片は〇・五~一センチの黒くごつごつした球状で、採取したウラル連邦大のビクトル・グロホフスキー(Viktor Grohovsky)教授らが成分を分析。「約10%の鉄分を含む一般的な特徴を備えた球状隕石*」と判明した。
・ロシア科学アカデミー所属の研究者は、隕石が落下したとされる同国ウラル地方・チェリャビンスク州のチェバルクリ湖の氷上で採取した小さな鉱物片を隕石の一部と断定した。湖の名前にちなみ「チェバルクリ隕石」と名付けられる予定。国営ロシア通信が十八日伝えた。
・鉱物片は〇・五~一センチの黒くごつごつした球状で、採取したウラル連邦大のビクトル・グロホフスキー(Viktor Grohovsky)教授らが成分を分析。「約10%の鉄分を含む一般的な特徴を備えた球状隕石*」と判明した。
2013年2月17日日曜日
隕石
ミネラルフェアやミネラルショーなどで、鉱物標本以外に目にするものに、化石標本や宝石(宝飾)素材などがあるが、隕石標本もその一つだ。
会場で販売される隕石標本は、特に見栄えのよい鉄隕石(隕鉄)が多い。その断面の持つ不思議な模様(「オクタヘドライトのウィドマンシュテッテン構造」・・・だそうだが)の幾何的美しさに魅かれるものの、関心はそれより深まらなかった。
今回のロシアでの隕石落下騒ぎから、少しは関心を持ってもいいのかもしれない。
ところで、隕石ハンターというプロがいて、宇宙科学者がテレビ解説で、彼らがサハラ砂漠で隕石を探しているなどと話していた。そんな場所よりもよいところがあって、聞いた話によれば、南極の隕石探しの方が容易だそうだが・・・誰でも簡単に行けるわけじゃないので、科学者にとっては安心なことだろう。
今回のロシアの隕石について、大気圏突入時の大きさ(重さは約1万トン、直径は約17メートル)という巨大サイズに比して、現在のところ発見されているものは、ロシア政府が大動員をかけても1cm程度のもばかりだそうだ。
一方、インターネットでは、(抜け目ない)一般人による落下隕石の販売(オークションか?)が早速始まった。
今年予定の鉱物関連のフェアやショーで、チェリャビンスクに落下したといわれる隕石が販売されることになるだろう。
会場で販売される隕石標本は、特に見栄えのよい鉄隕石(隕鉄)が多い。その断面の持つ不思議な模様(「オクタヘドライトのウィドマンシュテッテン構造」・・・だそうだが)の幾何的美しさに魅かれるものの、関心はそれより深まらなかった。
今回のロシアでの隕石落下騒ぎから、少しは関心を持ってもいいのかもしれない。
ところで、隕石ハンターというプロがいて、宇宙科学者がテレビ解説で、彼らがサハラ砂漠で隕石を探しているなどと話していた。そんな場所よりもよいところがあって、聞いた話によれば、南極の隕石探しの方が容易だそうだが・・・誰でも簡単に行けるわけじゃないので、科学者にとっては安心なことだろう。
今回のロシアの隕石について、大気圏突入時の大きさ(重さは約1万トン、直径は約17メートル)という巨大サイズに比して、現在のところ発見されているものは、ロシア政府が大動員をかけても1cm程度のもばかりだそうだ。
一方、インターネットでは、(抜け目ない)一般人による落下隕石の販売(オークションか?)が早速始まった。
今年予定の鉱物関連のフェアやショーで、チェリャビンスクに落下したといわれる隕石が販売されることになるだろう。
2013年2月16日土曜日
2012 DA14
正直、今朝方04:15に、一度屋外に出て南西の空を眺めましたよ・・・というか、望遠鏡レベルの明るさ(7等級)しかないとのことで、小惑星(2012 DA14)の姿を一瞥どころか寒さに負けて直ぐに家の中に引っ込んでしまったけれど。
でもねえ、昨日のウラル山脈の南端東側地域を襲った隕石の明るさをつい想像して、もしやと空を仰いだわけだけど・・・そんな筈はありゃしない、冬の空はいつまでたっても静かでしたよ。
さて、ウラル山脈は、ロシアの中でヨーロッパとアジアのにおいを東西に区分する、その東側はシベリアにつながっているわけで・・・昔のロシア人にとって、ウラルの山の向こうはどんなイメージだったのでしょうね。
はなしは、ガラリと変わって、韓国語教室で韓国では「山脈(산맥)」が普通に使われているそうだが・・・半島東側を背骨のように続く山々を、「大白山脈」などが連なって「白頭大幹(대간)」を成すと聞いていたが、山脈と大幹の関係はどうなんだろう。
でもねえ、昨日のウラル山脈の南端東側地域を襲った隕石の明るさをつい想像して、もしやと空を仰いだわけだけど・・・そんな筈はありゃしない、冬の空はいつまでたっても静かでしたよ。
さて、ウラル山脈は、ロシアの中でヨーロッパとアジアのにおいを東西に区分する、その東側はシベリアにつながっているわけで・・・昔のロシア人にとって、ウラルの山の向こうはどんなイメージだったのでしょうね。
はなしは、ガラリと変わって、韓国語教室で韓国では「山脈(산맥)」が普通に使われているそうだが・・・半島東側を背骨のように続く山々を、「大白山脈」などが連なって「白頭大幹(대간)」を成すと聞いていたが、山脈と大幹の関係はどうなんだろう。
2013年2月15日金曜日
ロシアの隕石落下
明朝<日本時間午前4時24分頃、直径45メートル、重さ推定13万トンの小惑星が地表から地球2個分ほどの距離を通過する>(毎日jp 2/9)といわれ、関心を持っていた矢先、ロシアに隕石が落下した。現在、けが人400人以上といわれている・・・更に増加とのこと。
「ロシアの声」(2/15)は次のように報じている。
・ウラルの上空で15日朝、爆発音が鳴り響き、焦げた破片が地上に降り注いだ。
参考: Youtube映像(登録のAskar Oryngaliに感謝)
https://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=inPclE7RwFY
「ロシアの声」(2/15)は次のように報じている。
・ウラルの上空で15日朝、爆発音が鳴り響き、焦げた破片が地上に降り注いだ。
・チェリャビンスク(Челябинск)では、携帯電話の受信障害が発生したほか、一部の住民は避難を余儀なくされた。スヴェルドロフスク州でも、航空機の破片のようなものが落下したとの目撃情報が寄せられた。
・なお、間もなく「ロシア非常事態省」と学者らは、これは隕石雨であると発表した。小惑星は地球の表面に達する前に爆発したため、住民は難を逃れた。
参考: Youtube映像(登録のAskar Oryngaliに感謝)
https://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=inPclE7RwFY
2013年2月14日木曜日
イ・ソンヒの「夜が来れば」
手元に鉱物結晶がある。マグマや熱水が地中の岩石を通り抜けるとき、圧力と熱も加わって、析出した結晶の種が冷えながら次第に美しい結晶を人知れず創った・・・ものだ。
イ・ソンヒも初期に、トロットの風味や面影を残したものがある。デビュー4年後の1988年に、4集アルバムに収めた「夜が来れば(밤이 찾아 오면)」もそうだ。
美しく緑が冴える山々に日暮れて、夜がたずねてくれば、孤独に押しつぶされそうになる。そんな中でも秘めた想いは冷めることなく・・・。Youtubeで、しのびつづける歌「夜が来れば」を聴こう。
<Youtube削除済み>
(Youtubeに登録のKnightmareSMに感謝)
イ・ソンヒも初期に、トロットの風味や面影を残したものがある。デビュー4年後の1988年に、4集アルバムに収めた「夜が来れば(밤이 찾아 오면)」もそうだ。
美しく緑が冴える山々に日暮れて、夜がたずねてくれば、孤独に押しつぶされそうになる。そんな中でも秘めた想いは冷めることなく・・・。Youtubeで、しのびつづける歌「夜が来れば」を聴こう。
<Youtube削除済み>
(Youtubeに登録のKnightmareSMに感謝)
2013年2月13日水曜日
雪どけ
朝方、滴の垂れる音がして、やがて屋根から雪がドンと落ちる音が始まった。屋外を覗けば、深夜に降ったろう雪が半透明になって、通り道のすみにわずかに残っていた。
成人の日(1/14)の大雪と比べようもない小降りだったようで、昼までには、路上の雪は跡形もなく消えるだろう。
YOMIURI ONLINEの記事「東京の雪や雨、ほぼやむ…多摩は6センチの積雪」(2月13日07時35分)によれば、日中には雪はほとんど解ける見込みだそうだ。
・気象庁は13日午前7時22分、東京の雪や雨がほぼやんだと発表した。
・午前6時現在の積雪は、多摩西部で6センチ程度になっている。 日中は気温が上がるため、雪はほとんど解ける見込みだが、同庁は13日午前の積雪による交通障害や、13日夜から14日朝にかけての路面凍結に注意を呼びかけている。
すっかり乾いた昼の道路は、雪が消えて日向はほんのり暖まるものの、ちょっと風が吹けば随分と寒い・・・やっぱり春には程遠いな。
成人の日(1/14)の大雪と比べようもない小降りだったようで、昼までには、路上の雪は跡形もなく消えるだろう。
YOMIURI ONLINEの記事「東京の雪や雨、ほぼやむ…多摩は6センチの積雪」(2月13日07時35分)によれば、日中には雪はほとんど解ける見込みだそうだ。
・気象庁は13日午前7時22分、東京の雪や雨がほぼやんだと発表した。
・午前6時現在の積雪は、多摩西部で6センチ程度になっている。 日中は気温が上がるため、雪はほとんど解ける見込みだが、同庁は13日午前の積雪による交通障害や、13日夜から14日朝にかけての路面凍結に注意を呼びかけている。
すっかり乾いた昼の道路は、雪が消えて日向はほんのり暖まるものの、ちょっと風が吹けば随分と寒い・・・やっぱり春には程遠いな。
2013年2月12日火曜日
KBS WORLD「国楽の世界へ」 金玉心
KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(2/6)に、人物シリーズ66回目としてパンソリの物語を歌い表現する伝説のソリックン(소리꾼)、金玉心(キム・オクシム、김옥심、1925年~1987年)を紹介した。
(参考)「"不運な名唱"金玉心を覚えてますか」(ハンギョレニュース、2006年10月25日)
金玉心の歌声に魅せられた、名唱たちの言葉の紹介から始まった。
・パンソリ保有者候補の趙通達(조통달)は、「私の師匠である朴初月(박초월)先生は、歌の稽古の合間に彼女の歌声が聞こえてくると、プク(太鼓、북)の撥(バチ)を置き、その声に聞き入っていました。そして、聞き終わるといつも、どうしたらあのような哀愁ある歌が歌えるのだろうと感嘆していたものです」と当時を振り返った。
・さらに、京畿民謡の金英妊(김영임)も、金玉心の歌声について、「彼女の声は誰にも真似できない、天からの授かり物だ」と表現した。
・また、李殷官(이은관)も「京畿民謡、西道民謡の歌い手の中でも一番だ。彼女以上の声を持った歌い手はもう二度と現れることはないだろう」と絶賛した。
・長い間、歌い手として空白期間があったため、一般に記憶があまり残っていないが、歌い手の間で高い評価を受けた。
▼金玉心による「旌善アリラン(정선아리랑)」を聴く。暖かい庭先で聞くような・・・ほんのりした歌声だ。
・彼女は、京畿民謡の女性スター(李銀珠(イ・ウンジュ、이은주)、黙桂月(ムク・ケウォル、묵계월)、安翡翠(アン・ビチィ、안비취))たちが人間文化財の脚光を浴びるその影(選定からはずされる)に置かれることになる。
次のように金玉心のプロフィールが紹介された。
・1925年、ソウルに生まれる(本名、愛姫)。子供の頃から歌が上手かった。
・12歳 幼くして家計のため咸鏡道へ奉公に出て3年ほど下働きして、同地方の歌を覚えたという。
・その後ソウルに戻り、広く知られた朱壽奉(주수봉)に師事。シジョ(時調、시조)、カサ(歌詞、가사)、雑歌などを学び、正式に歌の道へ進む。 逍遥山(소요산)の山裾にある滝の下で3年余り修練したという。
▼金玉心による西道(半島北部地域の黄海道と平安道地方)民謡の「キンアリ(긴아리)」を聴く。開けた窓を通じてどこからか聞こえてくるような、素朴な感じがしてとてもよい。
・朝鮮戦争(1950年6月25日~1953年7月27日)勃発後、陸軍軍芸隊に加入し、慰問公演なども行い、民謡「恨五百年」、「旌善アリラン」など広める役割も果たした。
・1960年代末、広く活躍したそんな矢先、突然、高血圧で倒れて音楽活動を全て休止した。
・1987年 悲運の名唱はこの世を去った。
▼金玉心による「回心曲(フェシムゴク、회심곡)」を聴く。他の歌い手に共通する独特な節回しとは違った、日常の物音に溶け込むような自然な響きがする。
(参考)「"不運な名唱"金玉心を覚えてますか」(ハンギョレニュース、2006年10月25日)
金玉心の歌声に魅せられた、名唱たちの言葉の紹介から始まった。
・パンソリ保有者候補の趙通達(조통달)は、「私の師匠である朴初月(박초월)先生は、歌の稽古の合間に彼女の歌声が聞こえてくると、プク(太鼓、북)の撥(バチ)を置き、その声に聞き入っていました。そして、聞き終わるといつも、どうしたらあのような哀愁ある歌が歌えるのだろうと感嘆していたものです」と当時を振り返った。
・さらに、京畿民謡の金英妊(김영임)も、金玉心の歌声について、「彼女の声は誰にも真似できない、天からの授かり物だ」と表現した。
・また、李殷官(이은관)も「京畿民謡、西道民謡の歌い手の中でも一番だ。彼女以上の声を持った歌い手はもう二度と現れることはないだろう」と絶賛した。
・長い間、歌い手として空白期間があったため、一般に記憶があまり残っていないが、歌い手の間で高い評価を受けた。
▼金玉心による「旌善アリラン(정선아리랑)」を聴く。暖かい庭先で聞くような・・・ほんのりした歌声だ。
・彼女は、京畿民謡の女性スター(李銀珠(イ・ウンジュ、이은주)、黙桂月(ムク・ケウォル、묵계월)、安翡翠(アン・ビチィ、안비취))たちが人間文化財の脚光を浴びるその影(選定からはずされる)に置かれることになる。
次のように金玉心のプロフィールが紹介された。
・1925年、ソウルに生まれる(本名、愛姫)。子供の頃から歌が上手かった。
・12歳 幼くして家計のため咸鏡道へ奉公に出て3年ほど下働きして、同地方の歌を覚えたという。
・その後ソウルに戻り、広く知られた朱壽奉(주수봉)に師事。シジョ(時調、시조)、カサ(歌詞、가사)、雑歌などを学び、正式に歌の道へ進む。 逍遥山(소요산)の山裾にある滝の下で3年余り修練したという。
▼金玉心による西道(半島北部地域の黄海道と平安道地方)民謡の「キンアリ(긴아리)」を聴く。開けた窓を通じてどこからか聞こえてくるような、素朴な感じがしてとてもよい。
・朝鮮戦争(1950年6月25日~1953年7月27日)勃発後、陸軍軍芸隊に加入し、慰問公演なども行い、民謡「恨五百年」、「旌善アリラン」など広める役割も果たした。
・1960年代末、広く活躍したそんな矢先、突然、高血圧で倒れて音楽活動を全て休止した。
・1987年 悲運の名唱はこの世を去った。
▼金玉心による「回心曲(フェシムゴク、회심곡)」を聴く。他の歌い手に共通する独特な節回しとは違った、日常の物音に溶け込むような自然な響きがする。
2013年2月11日月曜日
永遠の嘘をついてくれ
今日は祝日(「建国記念の日」)、朝からの心地よい陽射しに誘われて外出したはよいが、吹く風の冷たさにうろたえる。そのまま小金井公園を散策すれば、寒風のなか野球場で楽しむ素人野球を観戦したり、広場の家族連れを遠く眺めたりした。
でも冷たい風に追われての帰り道、近所の図書館に寄って、休館日に唯一空いている読書室で手持ちの本を読めば、やがてウツラウツラして時間が過ぎる。日暮れて外に出れば、先ほどにも増して寒さがしみる。こんなはずじゃなかった・・・などといいながら帰宅する。暖かい日だったと、嘘でもいいから言って欲しい一日だった。
こんな日だから、吉田拓郎(1946年~)と中島みゆき(1952年~)の「永遠の嘘をついてくれ」(1996年、歌詞UTA-NET)をYoutubeで聴いて、嘘でもいいから暖かくなろう。
(Youtubeに登録のsouthwave5963に感謝)
でも冷たい風に追われての帰り道、近所の図書館に寄って、休館日に唯一空いている読書室で手持ちの本を読めば、やがてウツラウツラして時間が過ぎる。日暮れて外に出れば、先ほどにも増して寒さがしみる。こんなはずじゃなかった・・・などといいながら帰宅する。暖かい日だったと、嘘でもいいから言って欲しい一日だった。
こんな日だから、吉田拓郎(1946年~)と中島みゆき(1952年~)の「永遠の嘘をついてくれ」(1996年、歌詞UTA-NET)をYoutubeで聴いて、嘘でもいいから暖かくなろう。
(Youtubeに登録のsouthwave5963に感謝)
2013年2月10日日曜日
今年は何処で鉱物採集
今年は何処で鉱物採集しようかと、栃木の鉱物仲間との新年会に参加する。いつもなら電車を乗り継いで出かけるのだが、今回は早朝迎えに来ていただいたйо氏の車に同乗して向かった。
のんびりと石談義のなかで、次々と採集候補地が挙がり検討された。末席のわたしとしては、何処でもOK、いつでもOKなので、雑談のタイミングには生真面目に割り込みを忘れなかったが・・・。
後日、幹事さんから届く4月以降の採集地リストが楽しみである。
新年会の後、特別ユニットによる今月の採集候補地も案出したし、今年は快調な滑り出しである。
のんびりと石談義のなかで、次々と採集候補地が挙がり検討された。末席のわたしとしては、何処でもOK、いつでもOKなので、雑談のタイミングには生真面目に割り込みを忘れなかったが・・・。
後日、幹事さんから届く4月以降の採集地リストが楽しみである。
新年会の後、特別ユニットによる今月の採集候補地も案出したし、今年は快調な滑り出しである。
2013年2月9日土曜日
Legend 100 Artist!
ケーブルテレビMnetは、韓国の「音楽の多様な音楽的価値を見せるため、音楽性、大衆性および時代に及ぼした影響などを評価して、2013年の観点からLegend Artistを選定して、大衆音楽史の偉大なアーティスト(100名)を再照明」することになった。
その「Legend 100 Artist!」第1回放送に、イ・ソンヒの名が挙げられ、他にも次のような歌手たちが登場した。残念ながら未見のため・・・Youtubeで探してみるかな・・・あっありました、80年代を代表する歌手として、チョ・ヨンピルとイ・ソンヒが紹介されています。
・日時: 1月15日、夜12時~
・司会: ペ・チョルス(MC)
・出演*: ペ・チョルス、イム・ジンモ(音楽評論家)**、ユン・シムドク、イ・ナニョン、イ・ミジャ、シン・ジュンヒョン、パティ·キム、サヌルリム、ドルグックァ、ナムジン、ナフナ、ユン・ボクヒ、セシボンと仲間たち、ハン・デス、ヤン・ヒウン、ユン・スイル、H.O.T、チョ・ヨンピル、イ・ソンヒ、ナミ、キム・ワンソン、バク・ナムジョン、キム・ヒョンシク、キム・グァンソク、ユ・ジェハ、イ・ムンセ、シン・スンフン、キム・ゴンモ、ソテジとアイドゥル
(*) 出演者には、亡くなった方もいるので、映像主体だろう。
(**) イム・ジンモは音楽評論家のため、彼以外の28名(またはグループ)が歌手である。
(Youtubeに登録のMnetに感謝)
・第1回放送 #1
・第1回放送 #2
・第1回放送 #3
・第1回放送 #4
・第1回放送 #5
・第1回放送 #6
・第1回放送 #7
・第1回放送 #8
その「Legend 100 Artist!」第1回放送に、イ・ソンヒの名が挙げられ、他にも次のような歌手たちが登場した。残念ながら未見のため・・・Youtubeで探してみるかな・・・あっありました、80年代を代表する歌手として、チョ・ヨンピルとイ・ソンヒが紹介されています。
・日時: 1月15日、夜12時~
・司会: ペ・チョルス(MC)
・出演*: ペ・チョルス、イム・ジンモ(音楽評論家)**、ユン・シムドク、イ・ナニョン、イ・ミジャ、シン・ジュンヒョン、パティ·キム、サヌルリム、ドルグックァ、ナムジン、ナフナ、ユン・ボクヒ、セシボンと仲間たち、ハン・デス、ヤン・ヒウン、ユン・スイル、H.O.T、チョ・ヨンピル、イ・ソンヒ、ナミ、キム・ワンソン、バク・ナムジョン、キム・ヒョンシク、キム・グァンソク、ユ・ジェハ、イ・ムンセ、シン・スンフン、キム・ゴンモ、ソテジとアイドゥル
(*) 出演者には、亡くなった方もいるので、映像主体だろう。
(**) イム・ジンモは音楽評論家のため、彼以外の28名(またはグループ)が歌手である。
(Youtubeに登録のMnetに感謝)
・第1回放送 #1
・第1回放送 #2
・第1回放送 #3
・第1回放送 #4
・第1回放送 #5
・第1回放送 #6
・第1回放送 #7
・第1回放送 #8
2013年2月8日金曜日
CCJクラフト見本市
今日も寒い一日だった。そんなとき、親類から外出のヒント・メールをもらい、池袋にある自由学園の「明日館」(フランク・ロイド・ライト設計)で開催の「CCJクラフト見本市」(1/7~9)に早速出かけた。
伝統的手工芸品の、織物・染織、革製品、ガラス、竹・木・漆細工、金工、陶磁器など多数の作り手が、展示ブースに製品を紹介をする見本市で、今日・明日は一般公開日である。
街を歩けば冬風に震えたものの、会場は暖かく、そのうえ多数のご婦人方に気押されて汗をかいてしまう。まっ、そんな中、木工品、金工、陶磁器などのブースを中心に巡った・・・というのも、素人に何となく分かりやすかったからだが。
豊田木工所(栃木県)の木製「鹿沼組子キット」は、42個の木製部品が入っていて、組み立てると<急須敷き>になる。組立意欲が湧いてきて求めた。実はもっと欲しかったものが同ブースにあったのだ。部品数は少ないが組み立て難度が高い木製キーホルダーの部品が展示されていたが、素人には難しく非売品とのことであきらめた。
帰り道、ジュンク堂書店に寄って岩波文庫「棠陰比事」(桂万栄編、駒田信二訳)を入手する。いってみれば、昔の中国の大岡裁きのような名裁判が列記されたもので、歳とるとほっとしながら読めて良い。韓国語の参考書も買ったが、本当に使うのかなあ・・・。
伝統的手工芸品の、織物・染織、革製品、ガラス、竹・木・漆細工、金工、陶磁器など多数の作り手が、展示ブースに製品を紹介をする見本市で、今日・明日は一般公開日である。
街を歩けば冬風に震えたものの、会場は暖かく、そのうえ多数のご婦人方に気押されて汗をかいてしまう。まっ、そんな中、木工品、金工、陶磁器などのブースを中心に巡った・・・というのも、素人に何となく分かりやすかったからだが。
豊田木工所(栃木県)の木製「鹿沼組子キット」は、42個の木製部品が入っていて、組み立てると<急須敷き>になる。組立意欲が湧いてきて求めた。実はもっと欲しかったものが同ブースにあったのだ。部品数は少ないが組み立て難度が高い木製キーホルダーの部品が展示されていたが、素人には難しく非売品とのことであきらめた。
帰り道、ジュンク堂書店に寄って岩波文庫「棠陰比事」(桂万栄編、駒田信二訳)を入手する。いってみれば、昔の中国の大岡裁きのような名裁判が列記されたもので、歳とるとほっとしながら読めて良い。韓国語の参考書も買ったが、本当に使うのかなあ・・・。
2013年2月7日木曜日
立川断層帯2013
立川断層(帯)といえば、以前、地震についての市民講座で当面問題ないだろうという話しだったが、一昨年の政府の地震調査委員会による活断層見直しの結果、地震発生確率が高まった。
現在、立川断層の調査が行なわれていて、その成果の一部が次のように報じられた。(抜粋)
(本ブログ関連:"立川断層")
★TBS News: 「8万6000棟倒壊の想定も、『立川断層』を公開」(2/6)・・・TV映像で分かりやすく紹介
★東京新聞: 「『立川』横ずれ断層か 大規模掘削 地震の頻度など調査へ」(2/7)・・・写真・地図あり
・マグニチュード(M)7級の首都直下地震を起こす可能性があるとされる立川断層帯の活断層面が東京大などの大規模掘削調査で確認され、6日に東京都武蔵村山市の調査地で公開された。
・断層が確認されたのは東京都立川市と武蔵村山市にまたがる日産自動車村山工場の跡地。東西250メートルにわたって幅30メートル、深さ10メートルの溝を掘ったところ、多摩川に運ばれた砂利が堆積した3万~5万年前の地層の中に、団子状の粘土が挟まった地震活動の跡が見つかった。
・現れた断層は垂直に近い急角度で、従来想定されていた地層が上下方向にずれる「逆断層」ではなく、水平方向にずれる「横ずれ断層」である可能性があるという。東京大地震研究所の石山達也助教は「今回は断層がどこに存在するかを明確にするのが目的。地震の頻度などは今後の調査で情報を得たい」と説明する。
・掘削調査は2月中に終了するが、引き続き地盤を機械で振動させる人工地震による地下探査などで2014年度まで集中的に調べ、どんな地震を起こす可能性があるかを予測する。
・<立川断層帯>埼玉県飯能市の名栗断層と、東京都青梅市から府中市までの立川断層からなる。全体の長さはおよそ33キロ。政府の地震調査委員会は今後30年間の地震発生確率を0.5~2%と推定するが、東日本大震災の影響で発生確率が高まったとされる。マグニチュード(M)7.4程度の地震を起こす可能性もあるとされる。
(付記)
Q.今回調査から、縦ずれでなく、横ずれと分かったそうだが、地震の規模に違い(影響)があるのだろうか?
(NHKニュースでは、断層は(横ずれ+縦ずれ)の合成だそうで、震災への影響も大きそう)
Q.立川断層帯=(立川断層+名栗断層)、だそうだが、立川断層≠名栗断層なのか、同一なのか?
Q.2014年までの調査で、地震発生確率の精度に効果が期待できるか?
ところで、当地で(生きている間に)地震に遭遇したら、震度6弱は免れない。つまり、立っていることが困難になり、耐震性のない家は倒壊するものがあり、一部の列車に脱線の可能性が出ることになる・・・以前なら、まるで映画のようといったが、今回の東日本大震災以降、絵空ごとといなす余裕はない。
現在、立川断層の調査が行なわれていて、その成果の一部が次のように報じられた。(抜粋)
(本ブログ関連:"立川断層")
★TBS News: 「8万6000棟倒壊の想定も、『立川断層』を公開」(2/6)・・・TV映像で分かりやすく紹介
★東京新聞: 「『立川』横ずれ断層か 大規模掘削 地震の頻度など調査へ」(2/7)・・・写真・地図あり
・マグニチュード(M)7級の首都直下地震を起こす可能性があるとされる立川断層帯の活断層面が東京大などの大規模掘削調査で確認され、6日に東京都武蔵村山市の調査地で公開された。
・断層が確認されたのは東京都立川市と武蔵村山市にまたがる日産自動車村山工場の跡地。東西250メートルにわたって幅30メートル、深さ10メートルの溝を掘ったところ、多摩川に運ばれた砂利が堆積した3万~5万年前の地層の中に、団子状の粘土が挟まった地震活動の跡が見つかった。
・現れた断層は垂直に近い急角度で、従来想定されていた地層が上下方向にずれる「逆断層」ではなく、水平方向にずれる「横ずれ断層」である可能性があるという。東京大地震研究所の石山達也助教は「今回は断層がどこに存在するかを明確にするのが目的。地震の頻度などは今後の調査で情報を得たい」と説明する。
・掘削調査は2月中に終了するが、引き続き地盤を機械で振動させる人工地震による地下探査などで2014年度まで集中的に調べ、どんな地震を起こす可能性があるかを予測する。
・<立川断層帯>埼玉県飯能市の名栗断層と、東京都青梅市から府中市までの立川断層からなる。全体の長さはおよそ33キロ。政府の地震調査委員会は今後30年間の地震発生確率を0.5~2%と推定するが、東日本大震災の影響で発生確率が高まったとされる。マグニチュード(M)7.4程度の地震を起こす可能性もあるとされる。
(付記)
Q.今回調査から、縦ずれでなく、横ずれと分かったそうだが、地震の規模に違い(影響)があるのだろうか?
(NHKニュースでは、断層は(横ずれ+縦ずれ)の合成だそうで、震災への影響も大きそう)
Q.立川断層帯=(立川断層+名栗断層)、だそうだが、立川断層≠名栗断層なのか、同一なのか?
Q.2014年までの調査で、地震発生確率の精度に効果が期待できるか?
ところで、当地で(生きている間に)地震に遭遇したら、震度6弱は免れない。つまり、立っていることが困難になり、耐震性のない家は倒壊するものがあり、一部の列車に脱線の可能性が出ることになる・・・以前なら、まるで映画のようといったが、今回の東日本大震災以降、絵空ごとといなす余裕はない。
2013年2月6日水曜日
イ・ソンヒの「あなたのそばに」
先日(1/14)と同じ気圧配置のため、南の暖かい風は、北から張り出した寒気に冷えて、朝方小雪を降らせたものの、どうやら雨になったようだ。せっかく昨日購入した、雪かき用のスコップは必要なくなった。
こんな寒い日だからこそ、イ・ソンヒの10集アルバム「First Love」(1996年)所収の「あなたのそばに(그대 곁으로)」を聴いてみよう。
つめたく冷えた心を変えることはできないけど、この世はひとつしかないから、そばへ寄り添おうと・・・でもねえ、今日の空のように結局濡れそぼるだけになりはしないかと。
(Youtubeに登録のKnightmareSMに感謝)
こんな寒い日だからこそ、イ・ソンヒの10集アルバム「First Love」(1996年)所収の「あなたのそばに(그대 곁으로)」を聴いてみよう。
つめたく冷えた心を変えることはできないけど、この世はひとつしかないから、そばへ寄り添おうと・・・でもねえ、今日の空のように結局濡れそぼるだけになりはしないかと。
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2013年2月5日火曜日
雪かき用スコップ
前回(1/14)の大雪に懲りて、予報されている明日の降雪に備えるため、雪かき用スコップを求めてホームセンターに行った。当然ながら、スコップ商品棚に雪かき用のものは売り切れていてなかった。しょうがない・・・土掘り用の先端の尖ったものを購入した。
明日の日付に変わる頃から雪空になるそうだ・・・朝になったら、雪かきでもしようか。そんな必要がないことを期待する。何しろ、前回は積もった雪を、自然に溶けるに任せたのだから。
明日の日付に変わる頃から雪空になるそうだ・・・朝になったら、雪かきでもしようか。そんな必要がないことを期待する。何しろ、前回は積もった雪を、自然に溶けるに任せたのだから。
KBS WORLD「国楽の世界へ」 金演洙
KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(1/30)に、人物シリーズ65回目としてパンソリの名人、金演洙(キム・ヨンス、김연수:1907年 ~1974年)を紹介した。
まず、パンソリの成立の解説から始まった。
・昔、文字を読めない庶民のために読み聞かせて生活する人々の中から、登場人物を真似たり、旋律を加えたりして、パンソリの形態を持つ歌が生まれたといわれる。
・朝鮮時代末には、庶民やさらに両班(ヤンバン、양반)階級だけでなく、王までもが楽しむ音楽ジャンルとして広まった。身分の高い人前で演ずる際、歌詞に漢文や故事成語などを織り交ぜるようになった。しかし、パンソリの歌い手である「クァンデ(広大、광대:大道芸人)」たちにとって、その意味の理解は難しかったため、勝手な解釈で故事成語を入れたりして支離滅裂な歌詞となる事態が発生した。
・こうした状況のなか、金演洙はパンソリ歌詞の整理に努めた。
(本ブログ関連:"パンソリ")
▼金演洙による「春香歌(춘향가)」の中から、「千字文後解*(チョンジャディプリ、천자 뒤풀이)」を聴く。では、千字文を剥きになって諳んじる房子の心底はいかばかりか。
(*)千字文後解:「後解」について「全羅北道 韓国伝統ソリ文化」参照
次のように金演洙のプロフィールが紹介された。
・1907年 全羅南道高興に生まれる。
・14歳まで書堂(서당:寺子屋)で漢文を学び、高興普通学校、ソウル中東中学校に通った後帰郷。
・29歳のとき、歌の勉強を始める。遅いスタートだが、劉聖俊(ユ・ソンジュン、유성준)名唱について「水宮歌(スグンガ、수궁가)」を習得する。その後、朝鮮声楽研究会に入り、多くの名唱から現在残るパンソリ全5曲を学ぶ。
才能あるものの歌い手として声質が向かず、声量も弱いという弱点を克服し、さらに間違った解釈のパンソリ歌詞の漢文を正す作業など行った。
▼ 金演洙による「水宫歌(スグンガ、수궁가)」の中から「杲杲天邊(コゴチョンビョン、고고천변)」を聴く。語り口調なので・・・。
・1967年 東亜放送で、1日3、4時間ずつ何日にも渡り<パンソリ全5曲>を録音し、それを一日10分ずつ140回余りに分けて放送して大きな反響を受けた。当時はまだ、パンソリが大衆的な音楽だった。音源は後にまとめて発売され、貴重な資料となる。その後、<パンソリ5曲>の歌詞内容をまとめた資料集を発刊し、後輩たちの指導も熱心に行った。
・1974年 没する。
▼金演洙による「興夫歌(フンボガ、흥보가)」の中から「花草藏(ファチョジャン、화초장)」を聴く。途切れることなく、跳ねるような早いテンポの語り口・・・。
まず、パンソリの成立の解説から始まった。
・昔、文字を読めない庶民のために読み聞かせて生活する人々の中から、登場人物を真似たり、旋律を加えたりして、パンソリの形態を持つ歌が生まれたといわれる。
・朝鮮時代末には、庶民やさらに両班(ヤンバン、양반)階級だけでなく、王までもが楽しむ音楽ジャンルとして広まった。身分の高い人前で演ずる際、歌詞に漢文や故事成語などを織り交ぜるようになった。しかし、パンソリの歌い手である「クァンデ(広大、광대:大道芸人)」たちにとって、その意味の理解は難しかったため、勝手な解釈で故事成語を入れたりして支離滅裂な歌詞となる事態が発生した。
・こうした状況のなか、金演洙はパンソリ歌詞の整理に努めた。
(本ブログ関連:"パンソリ")
▼金演洙による「春香歌(춘향가)」の中から、「千字文後解*(チョンジャディプリ、천자 뒤풀이)」を聴く。では、千字文を剥きになって諳んじる房子の心底はいかばかりか。
(*)千字文後解:「後解」について「全羅北道 韓国伝統ソリ文化」参照
次のように金演洙のプロフィールが紹介された。
・1907年 全羅南道高興に生まれる。
・14歳まで書堂(서당:寺子屋)で漢文を学び、高興普通学校、ソウル中東中学校に通った後帰郷。
・29歳のとき、歌の勉強を始める。遅いスタートだが、劉聖俊(ユ・ソンジュン、유성준)名唱について「水宮歌(スグンガ、수궁가)」を習得する。その後、朝鮮声楽研究会に入り、多くの名唱から現在残るパンソリ全5曲を学ぶ。
才能あるものの歌い手として声質が向かず、声量も弱いという弱点を克服し、さらに間違った解釈のパンソリ歌詞の漢文を正す作業など行った。
▼ 金演洙による「水宫歌(スグンガ、수궁가)」の中から「杲杲天邊(コゴチョンビョン、고고천변)」を聴く。語り口調なので・・・。
・1967年 東亜放送で、1日3、4時間ずつ何日にも渡り<パンソリ全5曲>を録音し、それを一日10分ずつ140回余りに分けて放送して大きな反響を受けた。当時はまだ、パンソリが大衆的な音楽だった。音源は後にまとめて発売され、貴重な資料となる。その後、<パンソリ5曲>の歌詞内容をまとめた資料集を発刊し、後輩たちの指導も熱心に行った。
・1974年 没する。
▼金演洙による「興夫歌(フンボガ、흥보가)」の中から「花草藏(ファチョジャン、화초장)」を聴く。途切れることなく、跳ねるような早いテンポの語り口・・・。
2013年2月4日月曜日
立春2013
先日の強風は、春一番になり損ねたようだ。立春以降に吹く、「初めての南寄り(東南東から西南西)の強風」しか春一番に当てはまらないのだから。
二十四節気の第一番目に当たる立春の今日は、春の始まりである。
今日は静かな日だ。風音もしなければ、空にこもる街の騒音も不思議なほどにかすかだ。ときたま地元飛行場の着陸コースをゆるゆるとたどるプロペラ機のエンジン音が聞こえるくらい。
春の陽射しにぬるむご近所の駐車場で、薄茶色の猫が車のタイヤに向かって尻尾をゆらゆらと振っていた。そばを通り過ぎるとき、何事かと車の下側を覗くと、身をくねらせて白い腹を少し見せるように横たわっている猫がいた。春のきざしに誘われて、生き物たちは正直に活動を始めたようだ。
(本ブログ関連:"立春")
ところで、今週の水曜日に雪が降るって・・・今度は、まじめに雪掻きしなくちゃ。
二十四節気の第一番目に当たる立春の今日は、春の始まりである。
今日は静かな日だ。風音もしなければ、空にこもる街の騒音も不思議なほどにかすかだ。ときたま地元飛行場の着陸コースをゆるゆるとたどるプロペラ機のエンジン音が聞こえるくらい。
春の陽射しにぬるむご近所の駐車場で、薄茶色の猫が車のタイヤに向かって尻尾をゆらゆらと振っていた。そばを通り過ぎるとき、何事かと車の下側を覗くと、身をくねらせて白い腹を少し見せるように横たわっている猫がいた。春のきざしに誘われて、生き物たちは正直に活動を始めたようだ。
(本ブログ関連:"立春")
ところで、今週の水曜日に雪が降るって・・・今度は、まじめに雪掻きしなくちゃ。
2013年2月3日日曜日
恵方巻きって何?
得体の知れないものなんて食えるかよと、長年意地を張って拒絶していた「恵方巻き」を、ついに信念を破って、近所のDVDレンタル店に寄ったついでに、階下のスーパーで買ってしまった。(以前、お相伴して食ったことはあるが、自分のために買ったのは初めてである)
何のことはない、太巻き寿司じゃないかといえばそれまでだが、一体この風習を知らない。子どものころに住んだ九州でも、この東京でも覚えがない。
商業主義に乗ってしまい、「バレンタインチョコ」と同じだといえば、いかにも高見からいっているようだが、じゃあ「蒲焼き」はどうなんだといわれると・・・源内さん御免なさいだ。わたしが陥落したように、この「恵方巻き」もいつか習慣となって、風習になるのだろうか。
「恵方巻き」は、太いのにあっさり食えてしまったよ、物足りない・・・と食欲がそそる自分に忸怩たる思いする。本当に信念がない。
さて、借りてきたDVDの方はシビアな内容だ。題名「裏切りのサーカス」というより、ジョン・ル・カレの「ティンカー・テイラー・ソルジャー・スパイ(Tinker Tailor Soldier Spy)」といった方がわかりやすい。
決してアクション映画とはいいがたい地味なストーリーだが、時系列を錯綜させながら、サーカス(英国秘密情報局上層部)のコントロール(上級者)に潜む裏切り者(モール)をあぶりだしていく。
世界が固定していた時代にリアリティがあったものを、その時代を知らない若者がどのように受けとめるのだろうか知りたいところだ。
どうやら、わたしたちの正義や進歩は、世界が二分されていたとき作られたものがあって、その仕切りがなくなると、一体あれってどうなんだと立ち尽くすしかない。その時代、その現場に立ったものは、その時しか意味を見い出せない。
ラストに、主人公がサーカスに再び迎え入れられるとき流れるフリオ・イグレシアス(Julio Iglesias)が歌う「ラ・メール(La Mer)」をYoutubeで聴こう。
(Youtubeに登録のmwGhost45に感謝)
何のことはない、太巻き寿司じゃないかといえばそれまでだが、一体この風習を知らない。子どものころに住んだ九州でも、この東京でも覚えがない。
商業主義に乗ってしまい、「バレンタインチョコ」と同じだといえば、いかにも高見からいっているようだが、じゃあ「蒲焼き」はどうなんだといわれると・・・源内さん御免なさいだ。わたしが陥落したように、この「恵方巻き」もいつか習慣となって、風習になるのだろうか。
「恵方巻き」は、太いのにあっさり食えてしまったよ、物足りない・・・と食欲がそそる自分に忸怩たる思いする。本当に信念がない。
さて、借りてきたDVDの方はシビアな内容だ。題名「裏切りのサーカス」というより、ジョン・ル・カレの「ティンカー・テイラー・ソルジャー・スパイ(Tinker Tailor Soldier Spy)」といった方がわかりやすい。
決してアクション映画とはいいがたい地味なストーリーだが、時系列を錯綜させながら、サーカス(英国秘密情報局上層部)のコントロール(上級者)に潜む裏切り者(モール)をあぶりだしていく。
世界が固定していた時代にリアリティがあったものを、その時代を知らない若者がどのように受けとめるのだろうか知りたいところだ。
どうやら、わたしたちの正義や進歩は、世界が二分されていたとき作られたものがあって、その仕切りがなくなると、一体あれってどうなんだと立ち尽くすしかない。その時代、その現場に立ったものは、その時しか意味を見い出せない。
ラストに、主人公がサーカスに再び迎え入れられるとき流れるフリオ・イグレシアス(Julio Iglesias)が歌う「ラ・メール(La Mer)」をYoutubeで聴こう。
(Youtubeに登録のmwGhost45に感謝)
2013年2月2日土曜日
ふれあいスポーツ教室
小金井公園にある総合体育館で、東京都と小金井市によるオリンピックムーブメント共同推進事業として、「スポーツ祭東京2013開催記念 ふれあいスポーツ教室」が開催された。
イベントの中でも、ロンドン・パラリンピック陸上競技(男子100m・200m)出場の「古畑篤朗選手の車椅子陸上教室」に参加した。小体育館といえど2階観覧席のある、バスケットボール2面分の広い会場だ。子どもから大人まで多数が集まった。
地元健康体操教室で、いつもお世話になっている指導者の方の司会で始まった。登場した古畑選手は、最初ちょっとシャイな感じがしたが、競技用車椅子の紹介や競技活動について説明と質疑が始まると俄然、快活な若者になった。
競技用車体について質問したりしたが・・・質疑の中で驚いたのは、車体フレームと半年ごとに取り替えるというタイヤの費用だろう・・・全て自費というのにまたビックリした。大変なことだ。公的支援の必要性を感じた。
その後、参加の子どもたちが喜んだのは、トラック競技用車体やバスケットボール競技用車体への試乗だろう。体育館内をところ狭しと走り回ったことはいうまでもない。
最後に、古畑選手から、次回パラリンピックへの参加の意欲ある発言があり、応援の拍手を以って閉会となった。
正直、身近でなかったパラリンピックとの距離が、今回大いに近まったことはいうまでもない。今年、「スポーツ祭東京2013」の名で国体が東京で開催される。東京スタジアム(調布市)の陸上競技場での古畑選手の活躍を期待し応援したい。
イベントの中でも、ロンドン・パラリンピック陸上競技(男子100m・200m)出場の「古畑篤朗選手の車椅子陸上教室」に参加した。小体育館といえど2階観覧席のある、バスケットボール2面分の広い会場だ。子どもから大人まで多数が集まった。
地元健康体操教室で、いつもお世話になっている指導者の方の司会で始まった。登場した古畑選手は、最初ちょっとシャイな感じがしたが、競技用車椅子の紹介や競技活動について説明と質疑が始まると俄然、快活な若者になった。
競技用車体について質問したりしたが・・・質疑の中で驚いたのは、車体フレームと半年ごとに取り替えるというタイヤの費用だろう・・・全て自費というのにまたビックリした。大変なことだ。公的支援の必要性を感じた。
その後、参加の子どもたちが喜んだのは、トラック競技用車体やバスケットボール競技用車体への試乗だろう。体育館内をところ狭しと走り回ったことはいうまでもない。
最後に、古畑選手から、次回パラリンピックへの参加の意欲ある発言があり、応援の拍手を以って閉会となった。
正直、身近でなかったパラリンピックとの距離が、今回大いに近まったことはいうまでもない。今年、「スポーツ祭東京2013」の名で国体が東京で開催される。東京スタジアム(調布市)の陸上競技場での古畑選手の活躍を期待し応援したい。
2013年2月1日金曜日
イ・ソンヒの「小さな恋歌(ソナタ)」
2013年1月31日木曜日
イ・ソンヒとイ・スンギの関係
MLBPARKの掲示板に、「イ・ソンヒとイ・スンギの関係は非常に独特のケースでしょう。」(2011年6月1日)の投稿があり、署名は何と「坂本龍馬」なのだ・・・なぜ?
次のように、イ・ソンヒの人となりも含めて語られていて関心深い。感謝。
(本ブログ関連:"イ・スンギ")
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これ(イ・ソンヒとイ・スンギの関係)が、囲碁のような徒弟制度で伝わるケースではよくあることだけど・・・
芸能界ではほとんど見られない事例でしょう。
イ・ソンヒとイ・スンギが初めて出会ったのが2002年の冬頃なんですが・・・
これは、もう放送であまりに何度も語られて良く知られた話でしょう。
その年の秋に、イ・ソンヒが大学路(テハンノ)に小劇場を買いとったが、当時上渓(高等学校の)バンド ・サークルにいたイ・スンギが、その地域のバンド サークル連合コンサートを企画して、公演会場がイ・ソンヒ所有の小劇場であって、そこで初めて会ったそうですね。
そして当時は、イ・ソンヒとイ・スンギの所属会社である「フックエンターテインメント」が今のような演芸企画会社ではなかったために・・・(当時も、あることはあったが、これは芸能人企画会社というよりは一種の公演企画会社の性格でした。イ・ソンヒが本人の公演を直接企画しながら必要になって作った会社でしたよ。芸能人を育てようと作った会社でなく)・・・他の企画会社のように合宿所のような所もなかったし・・・それからデビューする前の約1年ほどを、イ・ソンヒが(彼を)直接自宅に連れていきました。
歌手としてトレーニングするだけでなく、ご飯も炊いてあげ、学校に行かせながらママの役割までしたんですね。
これは「遊びにおいで」でも話したが、詳しい話は、イ・クムヒの「朝の広場」で、数回出てきたことがあります。イ・スンギの非公式な放送デビューが、2004年度に「朝の広場」で、イ・ソンヒの自宅が最初に紹介される回でした。その後にも、イ・ソンヒの家が出てくる時、イ・スンギが共に出てきたことがあったし・・・
そして・・・イ・スンギが発表したアルバムの中で、イ・ソンヒが米国に行っている時に出した2枚のリメーク ・アルバムと3集を除いた残りの1、2、4集の企画者はイ・ソンヒです。1集は、サイが一緒にプロデュースしたが、2、4集は、イ・ソンヒが企画とプロデュースの責任を負いましたよ。
また、イ・スンギの3度のコンサートの中で、イ・ソンヒが米国に行っている時のコンサートを除いて、2度のコンサート公演の演出者がイ・ソンヒです。そのおかげで、イ・スンギのコンサートの構成は、イ・ソンヒのコンサートとほとんど完ぺきに全く同じです。歌手が全然違うけれども、同じ人が企画したというのがとても分かるほどで・・・
コンサートの話をもっとするなら・・・2004年以後、イ・ソンヒのコンサートには固定ゲストが常にいます。みなご存じのように正にイ・スンギですよ。歌手としてイ・スンギのデビューは、「僕の彼女だから」でなく、厳密にいえば、イ・ソンヒの2004年の「20周年コンサート」でした。まだアルバムが出る前、イ・ソンヒのコンサートにゲストでプロ舞台に初めて立ちましたよ。そして、本当に特別な事情がない限り・・・ イ・ソンヒがコンサートをすれば、その場所がどこでも、その時間がいつでも、イ・スンギはゲストに出てきます。
20周年(コンサート)の時も同じで、2006年の「因縁」(コンサート)の時も同じであり、今年(2009年コンサート)も同じです。 (さらに、その忙しいスケジュール下で、10分の舞台のために米国(カーネギーホール)にもついて行きましたよ。) イ・スンギが言うには、(イ・ソンヒ)先生のコンサートに自分が出るのは、ゲストに出るのではないといいます。
ただし、2009年の全国ツアーの場合、当時の日程が「華麗なる遺産」のドラマ撮影と重なったため、イ・スンギがゲストとしてたくさん参加できなかったが、ドラマ撮影が終わった後は全て参加したし、いつも話が先生のコンサートには自分が常に出なければならないのに、今年は出られないので惜しいという話でした。
(これは個人的な考えですが・・・イ・スンギが一般的な芸能人と比較すると、まだ軍隊に行く時期がしばらくあったけれど、すでに軍隊の話をしていて具体的に三十になる前に転役(予備役)する。と、話すのが・・・イ・ソンヒの30周年コンサートの日程と関連があるでしょう。イ・スンギは、イ・ソンヒの30周年となる2014年に司会でなければなりませんね。今回のコンサートでも、スンギが出てきて、とりわけ27周年(2011年)《一昨年(2009年)のツアーが終わった25周年だから当然だが、27周年になぜ!!! 》を強調しましたよ。)
では、イ・スンギのコンサートにイ・ソンヒはどうするのか・・・
これが事実とはちょっと驚くべきです。前にこのような前例は見たことがないけれど・・・ 前に話したように、イ・ソンヒが「イ・スンギコン(サート)」を企画・演出する総監督じゃないですか? ところで、その総監督が公演のゲストとして(舞台に)立ちます。昨年、イ・スンギのコンサートにイ・ソンヒがゲストで登場するという話があったが、事実私も信じませんでしたね。イ・ソンヒのコンサートに、イ・スンギがゲストで立つのは、いくらイ・スンギがトップスターになるとしても当然の道理だが・・・師匠であり、公演総監督であるイ・ソンヒが「イ・スンギコン(サート)」にゲストで出てきて歌を歌うわけがあるか・・・
ところで、その公演の少し前にあった、イ・スンギのサムスン広告ファンミーティング行事に、イ・ソンヒが登場したんですよ。嘘だと思ったが本物でしたよ。本当に何でもない(いくらサムスンでも)ただでさえ単純な広告行事に、イ・ソンヒがゲストで出てきて歌を歌いました。あのイ・ソンヒがね!!!
ああしたところまで出るほどなら、まさか総監督でもコンサートに出るという話が流言であるはずがないね・・・と思ったが、なるほど出てくるだけです。
そしてドラマ・・・「僕のガールフレンドは九尾狐」は、イ・ソンヒが直接音楽監督として作品に参加したので、あえて話す必要がなくて・・・
興味深いことは、「華麗なる遺産」撮影の当時、そこのスタッフたちと出演者が、イ・ソンヒとたびたび会ったということです。当時、イ・ソンヒは25周年全国ツアー準備で真っ最中、忙しかったがそれでも時間があるときは、おやつを包んで撮影現場を訪れたと言いますね。一番おもしろい話は、イ・ソンヒがイ・スンギの小遣いを渡したとの話なのに・・・何か実現したかは分かりません。この時はもうお金はイ・スンギがもっと多く稼げる時なのに・・・
最後に、芸能を話そうとするなら・・・ 本来、イ・ソンヒは芸能にそんなにしばしば出演する人物ではありません。本人自らそんなことを間違っているという事実をよく知っていて・・・実際、本当にできないので(本当におもしろい話も、本当にヒヤリとする途方もない才能を持つ方でしょう、この旦那が。) 芸能は交渉が進んでも上手く行かないのに・・・
イ・ソンヒが熱心に芸能(番組など)に出演した時がぴったり1回あります。2004~2005年までの期間に、その他の活動期間全体に出たほど多く芸能に出演しましたね。そして、そのそばには常に新人のイ・スンギがいました。
帰国後、「膝打ち導師」に出演したことも多分・・・当時、イ・スンギとMBCがとげとげしい関係にならねばならなかった状況が大きく作用したと思います。そして、そのイ・ソンヒの側では「1泊2日」に出演した以後、イ・スンギが満2年ぶりに初めてMBC画面に登場する側でした。
そのまま・・・次の、彼に関連した話があって、イ・ソンヒの長い間のファンで・・・また、イ・スンギをデビュー前から見て、今はその熱烈なファンになってしまった立場で二人の関係に対してあれこれ知ることを話してみました。
イ・ソンヒが放送でも、「スンギのためにならば、見えることでも見えないことでも何でも全部話すことができる。」と話して・・・イ・スンギが毎度「一生の恩人、最も尊敬する師匠」と話すけれど・・・この二人の関係は本当に見れば見るほど・・・分かれば分かるほど美しくてほほえましい関係です。
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次のように、イ・ソンヒの人となりも含めて語られていて関心深い。感謝。
(本ブログ関連:"イ・スンギ")
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これ(イ・ソンヒとイ・スンギの関係)が、囲碁のような徒弟制度で伝わるケースではよくあることだけど・・・
芸能界ではほとんど見られない事例でしょう。
イ・ソンヒとイ・スンギが初めて出会ったのが2002年の冬頃なんですが・・・
これは、もう放送であまりに何度も語られて良く知られた話でしょう。
その年の秋に、イ・ソンヒが大学路(テハンノ)に小劇場を買いとったが、当時上渓(高等学校の)バンド ・サークルにいたイ・スンギが、その地域のバンド サークル連合コンサートを企画して、公演会場がイ・ソンヒ所有の小劇場であって、そこで初めて会ったそうですね。
そして当時は、イ・ソンヒとイ・スンギの所属会社である「フックエンターテインメント」が今のような演芸企画会社ではなかったために・・・(当時も、あることはあったが、これは芸能人企画会社というよりは一種の公演企画会社の性格でした。イ・ソンヒが本人の公演を直接企画しながら必要になって作った会社でしたよ。芸能人を育てようと作った会社でなく)・・・他の企画会社のように合宿所のような所もなかったし・・・それからデビューする前の約1年ほどを、イ・ソンヒが(彼を)直接自宅に連れていきました。
歌手としてトレーニングするだけでなく、ご飯も炊いてあげ、学校に行かせながらママの役割までしたんですね。
これは「遊びにおいで」でも話したが、詳しい話は、イ・クムヒの「朝の広場」で、数回出てきたことがあります。イ・スンギの非公式な放送デビューが、2004年度に「朝の広場」で、イ・ソンヒの自宅が最初に紹介される回でした。その後にも、イ・ソンヒの家が出てくる時、イ・スンギが共に出てきたことがあったし・・・
そして・・・イ・スンギが発表したアルバムの中で、イ・ソンヒが米国に行っている時に出した2枚のリメーク ・アルバムと3集を除いた残りの1、2、4集の企画者はイ・ソンヒです。1集は、サイが一緒にプロデュースしたが、2、4集は、イ・ソンヒが企画とプロデュースの責任を負いましたよ。
また、イ・スンギの3度のコンサートの中で、イ・ソンヒが米国に行っている時のコンサートを除いて、2度のコンサート公演の演出者がイ・ソンヒです。そのおかげで、イ・スンギのコンサートの構成は、イ・ソンヒのコンサートとほとんど完ぺきに全く同じです。歌手が全然違うけれども、同じ人が企画したというのがとても分かるほどで・・・
コンサートの話をもっとするなら・・・2004年以後、イ・ソンヒのコンサートには固定ゲストが常にいます。みなご存じのように正にイ・スンギですよ。歌手としてイ・スンギのデビューは、「僕の彼女だから」でなく、厳密にいえば、イ・ソンヒの2004年の「20周年コンサート」でした。まだアルバムが出る前、イ・ソンヒのコンサートにゲストでプロ舞台に初めて立ちましたよ。そして、本当に特別な事情がない限り・・・ イ・ソンヒがコンサートをすれば、その場所がどこでも、その時間がいつでも、イ・スンギはゲストに出てきます。
20周年(コンサート)の時も同じで、2006年の「因縁」(コンサート)の時も同じであり、今年(2009年コンサート)も同じです。 (さらに、その忙しいスケジュール下で、10分の舞台のために米国(カーネギーホール)にもついて行きましたよ。) イ・スンギが言うには、(イ・ソンヒ)先生のコンサートに自分が出るのは、ゲストに出るのではないといいます。
ただし、2009年の全国ツアーの場合、当時の日程が「華麗なる遺産」のドラマ撮影と重なったため、イ・スンギがゲストとしてたくさん参加できなかったが、ドラマ撮影が終わった後は全て参加したし、いつも話が先生のコンサートには自分が常に出なければならないのに、今年は出られないので惜しいという話でした。
(これは個人的な考えですが・・・イ・スンギが一般的な芸能人と比較すると、まだ軍隊に行く時期がしばらくあったけれど、すでに軍隊の話をしていて具体的に三十になる前に転役(予備役)する。と、話すのが・・・イ・ソンヒの30周年コンサートの日程と関連があるでしょう。イ・スンギは、イ・ソンヒの30周年となる2014年に司会でなければなりませんね。今回のコンサートでも、スンギが出てきて、とりわけ27周年(2011年)《一昨年(2009年)のツアーが終わった25周年だから当然だが、27周年になぜ!!! 》を強調しましたよ。)
では、イ・スンギのコンサートにイ・ソンヒはどうするのか・・・
これが事実とはちょっと驚くべきです。前にこのような前例は見たことがないけれど・・・ 前に話したように、イ・ソンヒが「イ・スンギコン(サート)」を企画・演出する総監督じゃないですか? ところで、その総監督が公演のゲストとして(舞台に)立ちます。昨年、イ・スンギのコンサートにイ・ソンヒがゲストで登場するという話があったが、事実私も信じませんでしたね。イ・ソンヒのコンサートに、イ・スンギがゲストで立つのは、いくらイ・スンギがトップスターになるとしても当然の道理だが・・・師匠であり、公演総監督であるイ・ソンヒが「イ・スンギコン(サート)」にゲストで出てきて歌を歌うわけがあるか・・・
ところで、その公演の少し前にあった、イ・スンギのサムスン広告ファンミーティング行事に、イ・ソンヒが登場したんですよ。嘘だと思ったが本物でしたよ。本当に何でもない(いくらサムスンでも)ただでさえ単純な広告行事に、イ・ソンヒがゲストで出てきて歌を歌いました。あのイ・ソンヒがね!!!
ああしたところまで出るほどなら、まさか総監督でもコンサートに出るという話が流言であるはずがないね・・・と思ったが、なるほど出てくるだけです。
そしてドラマ・・・「僕のガールフレンドは九尾狐」は、イ・ソンヒが直接音楽監督として作品に参加したので、あえて話す必要がなくて・・・
興味深いことは、「華麗なる遺産」撮影の当時、そこのスタッフたちと出演者が、イ・ソンヒとたびたび会ったということです。当時、イ・ソンヒは25周年全国ツアー準備で真っ最中、忙しかったがそれでも時間があるときは、おやつを包んで撮影現場を訪れたと言いますね。一番おもしろい話は、イ・ソンヒがイ・スンギの小遣いを渡したとの話なのに・・・何か実現したかは分かりません。この時はもうお金はイ・スンギがもっと多く稼げる時なのに・・・
最後に、芸能を話そうとするなら・・・ 本来、イ・ソンヒは芸能にそんなにしばしば出演する人物ではありません。本人自らそんなことを間違っているという事実をよく知っていて・・・実際、本当にできないので(本当におもしろい話も、本当にヒヤリとする途方もない才能を持つ方でしょう、この旦那が。) 芸能は交渉が進んでも上手く行かないのに・・・
イ・ソンヒが熱心に芸能(番組など)に出演した時がぴったり1回あります。2004~2005年までの期間に、その他の活動期間全体に出たほど多く芸能に出演しましたね。そして、そのそばには常に新人のイ・スンギがいました。
帰国後、「膝打ち導師」に出演したことも多分・・・当時、イ・スンギとMBCがとげとげしい関係にならねばならなかった状況が大きく作用したと思います。そして、そのイ・ソンヒの側では「1泊2日」に出演した以後、イ・スンギが満2年ぶりに初めてMBC画面に登場する側でした。
そのまま・・・次の、彼に関連した話があって、イ・ソンヒの長い間のファンで・・・また、イ・スンギをデビュー前から見て、今はその熱烈なファンになってしまった立場で二人の関係に対してあれこれ知ることを話してみました。
イ・ソンヒが放送でも、「スンギのためにならば、見えることでも見えないことでも何でも全部話すことができる。」と話して・・・イ・スンギが毎度「一生の恩人、最も尊敬する師匠」と話すけれど・・・この二人の関係は本当に見れば見るほど・・・分かれば分かるほど美しくてほほえましい関係です。
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2013年1月30日水曜日
2013年1月29日火曜日
KBS WORLD「国楽の世界へ」 李世焕
KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(1/23)に、人物シリーズ64回目として弦楽器コムンゴ*(玄琴、거문고)の演奏者、李世焕(イ・セファン、이세환、1952年6月4日~)を紹介した。
(*)コムンゴは(日本の琴に似た)伽耶琴と同サイズだが、「伽耶琴の弦が12本で、直接、指で演奏するのに対し、コムンゴの弦は6本。それにスルテと呼ばれる、細くて短いばちを使って演奏するため、伽耶琴よりも荒々しい音を出す」。
(本ブログ関連:"コムンゴ")
まず、コムンゴ演奏の復活の解説から始まった。
・コムンゴ演奏の紹介曲「チュルガン(出鋼、출강)」は、力強くて何処か叙情的な音色があるが、チュルガンに、製錬所で純粋な金属を取り出す作業の意がある。1964年、北側の曲が始まりで、1995年に韓国に初めて伝えられた。当時、韓国国楽人たちは、北側でコムンゴ演奏はなくなったと考えられていたため、コムンゴの創作音楽は大きな話題となった。
▼李世焕と琴律楽会による「チュルガン(출강)」を聴く。描写的な要素が強いのだろう・・・大味な感じがする。
・北側では1965年、伝統楽器の改良政策が進められたが、コムンゴは改良が難しく除外された。当時の韓国でもコムンゴの音色は国楽の現代化の波から取り残されつつあった。李世焕が「チュルガン」を発表したことで、仰々しい楽器というイメージをコムンゴから払拭し、躍動的で叙情的な音楽も演奏できるという認識を与えることになる。
▼李世焕他による「霊山会相(ヨンサンフェサン、영산회상)」中の「下絃還入(ハヒョンドドゥリ、하현도드리)」を聴く。風流なんでしょうか・・・でも少し賑やかな。
次のように李世焕のプロフィールが紹介された。
・1960年代 国楽士養成所に入学。コムンゴ正音楽を学ぶ。
・その後、国立国楽院の正楽団で、コムンゴ演奏者として活動。アジェンとチョルヒョングムの演奏にも長けた。さらに、宮中音楽やソンビたちの音楽である正楽だけでなく、サンジョやシナウィ、舞踊音楽など、民俗音楽にも才能を発揮した。国楽家中で、正楽と民俗音楽の両分野に渡り活動する演奏家は稀。
・1980年代 李世焕を後援するする日本コムンゴ会が結成される。
▼李世焕他による申快童流(シン・クェドン流、신쾌동류)の「玄琴散調(サンジョ、산조)」を聴く。・・・ゆるりと聞き入る。
(*)コムンゴは(日本の琴に似た)伽耶琴と同サイズだが、「伽耶琴の弦が12本で、直接、指で演奏するのに対し、コムンゴの弦は6本。それにスルテと呼ばれる、細くて短いばちを使って演奏するため、伽耶琴よりも荒々しい音を出す」。
(本ブログ関連:"コムンゴ")
まず、コムンゴ演奏の復活の解説から始まった。
・コムンゴ演奏の紹介曲「チュルガン(出鋼、출강)」は、力強くて何処か叙情的な音色があるが、チュルガンに、製錬所で純粋な金属を取り出す作業の意がある。1964年、北側の曲が始まりで、1995年に韓国に初めて伝えられた。当時、韓国国楽人たちは、北側でコムンゴ演奏はなくなったと考えられていたため、コムンゴの創作音楽は大きな話題となった。
▼李世焕と琴律楽会による「チュルガン(출강)」を聴く。描写的な要素が強いのだろう・・・大味な感じがする。
・北側では1965年、伝統楽器の改良政策が進められたが、コムンゴは改良が難しく除外された。当時の韓国でもコムンゴの音色は国楽の現代化の波から取り残されつつあった。李世焕が「チュルガン」を発表したことで、仰々しい楽器というイメージをコムンゴから払拭し、躍動的で叙情的な音楽も演奏できるという認識を与えることになる。
▼李世焕他による「霊山会相(ヨンサンフェサン、영산회상)」中の「下絃還入(ハヒョンドドゥリ、하현도드리)」を聴く。風流なんでしょうか・・・でも少し賑やかな。
次のように李世焕のプロフィールが紹介された。
・1960年代 国楽士養成所に入学。コムンゴ正音楽を学ぶ。
・その後、国立国楽院の正楽団で、コムンゴ演奏者として活動。アジェンとチョルヒョングムの演奏にも長けた。さらに、宮中音楽やソンビたちの音楽である正楽だけでなく、サンジョやシナウィ、舞踊音楽など、民俗音楽にも才能を発揮した。国楽家中で、正楽と民俗音楽の両分野に渡り活動する演奏家は稀。
・1980年代 李世焕を後援するする日本コムンゴ会が結成される。
▼李世焕他による申快童流(シン・クェドン流、신쾌동류)の「玄琴散調(サンジョ、산조)」を聴く。・・・ゆるりと聞き入る。
2013年1月28日月曜日
イ・ソンヒのOST「去らないで」
昨晩の冷え込みのせいで早朝小雪になったけれど、起きて外を見れば降り止んでいて、家の前の路に積もることなく、軒下に雪解け水がポトポトと垂れていた。
昼の日向には、雪降りのおもかげはなくなったが、ただただ寒かった。
今回の大統領選の結果を予見するような女性大統領の登場をドラマにした、SBSの「大物(대물)」(初回2010年10月6日)でイ・ソンヒが歌う「去らないで(떠나지 마)」を聴いてみよう。作曲家のイメージを尊重して、「(事前に)1、2度聞くだけにしました。あまり聞くと、その歌が私の考えで変わってしまうからです。録音スタジオでは、作曲家の要求をうけて4回程度歌いました。」(イ・ソンヒとのロングインタビュー)という。
(本ブログ関連;"去らないで")
(Youtubeを登録の526apolloに感謝)
昼の日向には、雪降りのおもかげはなくなったが、ただただ寒かった。
今回の大統領選の結果を予見するような女性大統領の登場をドラマにした、SBSの「大物(대물)」(初回2010年10月6日)でイ・ソンヒが歌う「去らないで(떠나지 마)」を聴いてみよう。作曲家のイメージを尊重して、「(事前に)1、2度聞くだけにしました。あまり聞くと、その歌が私の考えで変わってしまうからです。録音スタジオでは、作曲家の要求をうけて4回程度歌いました。」(イ・ソンヒとのロングインタビュー)という。
(本ブログ関連;"去らないで")
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2013年1月27日日曜日
節電タップ
待機電力の無駄を省くなら、元から絶てばよいということで・・・スイッチ(ランプ)付きの6個口の延長タップを買ってきた・・・というのも以前から、同じ製品に、手元に置いたパソコン、プリンター、シュレッダーなどのプラグやA/Cアダプターを差し込んで利用しているからだ。
ところが少々困ったことに気付いた。以前から利用の延長タップにつないだA/Cアダプターは、細身にできていて、並べて差し込めるのだが、今回の延長タップに取り付けようとしたA/Cアダプターが、旧来サイズなのか大きくて、並べて差し込むことができないのだ・・・あれれ!。
結局、ラジオサーバーや小型スピーカーなどの大きめのA/Cアダプターは、別途延長タップにつぎ足した普通の延長タップに差し込んだ。エコやエコノミーを考えてしたことだが、意味があったのかよく分からんままだ。
結論。A/Cアダプターよ、もっと小さくなれ。
ところが少々困ったことに気付いた。以前から利用の延長タップにつないだA/Cアダプターは、細身にできていて、並べて差し込めるのだが、今回の延長タップに取り付けようとしたA/Cアダプターが、旧来サイズなのか大きくて、並べて差し込むことができないのだ・・・あれれ!。
結局、ラジオサーバーや小型スピーカーなどの大きめのA/Cアダプターは、別途延長タップにつぎ足した普通の延長タップに差し込んだ。エコやエコノミーを考えてしたことだが、意味があったのかよく分からんままだ。
結論。A/Cアダプターよ、もっと小さくなれ。
2013年1月26日土曜日
イ・ソンヒの「神がまた許すなら」 ふたたび
結晶の中を走る光が、内側から結晶面に反射してきらめく様に似て、イ・ソンヒの声はますます純化する。なんという透明感だろう。彼女の独特な声質がこの曲「神がまた許すなら(신이 다시 허락한다면)」 (作詞・作曲チョン・ヨンア)を一層引き立たせる。
魔法でとくことのできない心を、元に取り戻したいと神に願う・・・この曲については、以前触れたことがあるが、美しい響きをふたたびYoutubeで聴いてみたい。
(本ブログ関連:"イ・ソンヒの「神がまた許すなら」")
---- 現在、Youtube 「この動画は存在しません」表示 ---
(Youtubeに登録のKnightmareSMに感謝・・・どうして非売品を?)
魔法でとくことのできない心を、元に取り戻したいと神に願う・・・この曲については、以前触れたことがあるが、美しい響きをふたたびYoutubeで聴いてみたい。
(本ブログ関連:"イ・ソンヒの「神がまた許すなら」")
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2013年1月25日金曜日
今宵の月は
今日は思いのほか風が強い。遠目に常緑樹の木立が微動すらしないように見えても、その足元の枯れススキは大きく揺れている。おまけに昼間(13℃)に比べると、夕方になって気温が急に下がった。体感はもっと厳しい。
日没後の東の空に、千切れ雲を肘置きのようにして、煌々と月が輝いていた。青緑に色づいた天空を背景に、その白い姿を一層引き立たせていた。今まで見たことのない光景だ。
天気予報によれば、最低気温は0℃を切るかも・・・とのこと。
日没後の東の空に、千切れ雲を肘置きのようにして、煌々と月が輝いていた。青緑に色づいた天空を背景に、その白い姿を一層引き立たせていた。今まで見たことのない光景だ。
天気予報によれば、最低気温は0℃を切るかも・・・とのこと。
(資料)韓国50代アジュンマ
「アジュンマ(아줌마)」について数々いわれるが、中央日報の【噴水台】は、タイトル「韓国のアジュンマ、女性でも男性でもない…」(1/23)で、(結構どぎつい表現で)とんでもないような、そうでもあるような解説をしている。 (抜粋)
ところで同記事はアジュンマを、今回の大統領選挙で底力を発揮した50代世代に属しているとしているが・・・。
まずは、公理「この世にアジュンマの子どもでない人はいない!」を前提に読んでみよう。
(本ブログ関連:"アジュンマ")
・化粧をしても年齢はごまかすことはできない。目尻のしわが過ぎた歳月を物語る。大型スーパーのレジで一つひとつバーコードを通す50代の主婦社員。売り場のあちこちで熱心に販促をする50代の「アジュンマ(おばさん)」社員。商品を並べ、清掃し、フードコートで調理する50代のオモニ(母さん)社員。韓国の大型スーパーは50代のおばさんが流す汗で成り立っている。
・グーグルに「ajumma」を入力して検索すれば、約55万6000件のコンテンツが表示される。世界のネットユーザーが使用する「都市辞典(Urban Dictionary)」は「アジュンマは韓国の中年女性を意味する言葉としてよく知られているが、実際、韓国に暮らす人々にとってアジュンマは男性でも女性でもない“第3の性”と認識されている」と紹介している。韓国に暮らす外国人のインターネットサイト「カルビチム(galbijim)」には、「我が強く、荒く、赤紫色のズボンを履き、パーマ頭をし、地下鉄で鋭いひじ鉄砲を使う、ある程度の年を取った女性がアジュンマの典型的なイメージ」と説明されている。
・50代の女性の雇用率(人口に対する就業者数)が初めて20代の雇用率を上回ったという。統計庁が発表した「2012年雇用動向」によると、昨年、50代女性の雇用率は58.13%で、20代の雇用率(58.08%)を超えた。ベビーブーマー世代(朝鮮戦争直後に誕生した世代)の夫が職場から押し出され、子どもも就職難で仕事を見つけられない中、生計のために就職戦線に飛び込んだ50代のおばさんがそれだけ増えたということだ。足がむくみ、肩が痛くても家族のために熾烈に生きるこの地の50代のおばさんたち。彼女たちの献身のおかげで、私たちの家庭と社会が何とか成り立っているのではないだろうか。
(付記)
アジュンマは姿を変え、日本では、その心情を通底する"おばさん"と呼ばれる。列に並んで電車に乗るとき、エスカレーターで上がるとき、後ろからバッグ?でグイグイ押すようになったら、"おばさん"に脱皮した証だろう。
ところで、イ・ソンヒのデビュー30周年記念行事への取り組みがファンクラブで進行されているが、そのとき(正確には再来年元旦に)彼女は満年齢で50代になるわけで、アジュンマの仲間入りすることになるのだろうか・・・そんなぁ。
ところで同記事はアジュンマを、今回の大統領選挙で底力を発揮した50代世代に属しているとしているが・・・。
まずは、公理「この世にアジュンマの子どもでない人はいない!」を前提に読んでみよう。
(本ブログ関連:"アジュンマ")
・化粧をしても年齢はごまかすことはできない。目尻のしわが過ぎた歳月を物語る。大型スーパーのレジで一つひとつバーコードを通す50代の主婦社員。売り場のあちこちで熱心に販促をする50代の「アジュンマ(おばさん)」社員。商品を並べ、清掃し、フードコートで調理する50代のオモニ(母さん)社員。韓国の大型スーパーは50代のおばさんが流す汗で成り立っている。
・グーグルに「ajumma」を入力して検索すれば、約55万6000件のコンテンツが表示される。世界のネットユーザーが使用する「都市辞典(Urban Dictionary)」は「アジュンマは韓国の中年女性を意味する言葉としてよく知られているが、実際、韓国に暮らす人々にとってアジュンマは男性でも女性でもない“第3の性”と認識されている」と紹介している。韓国に暮らす外国人のインターネットサイト「カルビチム(galbijim)」には、「我が強く、荒く、赤紫色のズボンを履き、パーマ頭をし、地下鉄で鋭いひじ鉄砲を使う、ある程度の年を取った女性がアジュンマの典型的なイメージ」と説明されている。
・50代の女性の雇用率(人口に対する就業者数)が初めて20代の雇用率を上回ったという。統計庁が発表した「2012年雇用動向」によると、昨年、50代女性の雇用率は58.13%で、20代の雇用率(58.08%)を超えた。ベビーブーマー世代(朝鮮戦争直後に誕生した世代)の夫が職場から押し出され、子どもも就職難で仕事を見つけられない中、生計のために就職戦線に飛び込んだ50代のおばさんがそれだけ増えたということだ。足がむくみ、肩が痛くても家族のために熾烈に生きるこの地の50代のおばさんたち。彼女たちの献身のおかげで、私たちの家庭と社会が何とか成り立っているのではないだろうか。
(付記)
アジュンマは姿を変え、日本では、その心情を通底する"おばさん"と呼ばれる。列に並んで電車に乗るとき、エスカレーターで上がるとき、後ろからバッグ?でグイグイ押すようになったら、"おばさん"に脱皮した証だろう。
ところで、イ・ソンヒのデビュー30周年記念行事への取り組みがファンクラブで進行されているが、そのとき(正確には再来年元旦に)彼女は満年齢で50代になるわけで、アジュンマの仲間入りすることになるのだろうか・・・そんなぁ。
2013年1月24日木曜日
イ・ソンヒの主題歌「青い教室」
イ・ソンヒが主題歌や挿入歌を歌うものとして、思いつくまま列記すると、TVアニメについては、「走れハニー」、「母をたずねて三万里」、「小公女セーラ」などがある。またTVドラマは、最近の「僕のガールフレンドは九尾狐」や「(レディプレジデント)大物」の他にも、「おそれない愛(두려움 없는 사랑)」(未確認)や「ギブス家族」がある。映画には「家門シリーズ」、「炎のように蝶のように」がある。なお代表曲「因縁」は、未見であるが映画「王の男」の中では使われてないとのこと。等々。
ところで、MBC青少年ドラマ「青い教室(푸른 교실)」(1987~88年)の主題歌をイ・ソンヒが歌うオープニング映像がYoutubeに登録されているので聴いてみよう。若さ溢れて、息切れせんばかりに歌っているのが可愛い。
ああ、そういえば1972年から始まったNHKテレビの「中学生日記」は、去年の2012年3月16日に終了したんだな・・・こんなに続いていたことも、終わったことも知らなかったが。センセーショナルなテーマだけを扱わず、地味ながらじっくりと取り組んでいたような気がする。
(Youtubeに登録のsunnyfan100に感謝)
ところで、MBC青少年ドラマ「青い教室(푸른 교실)」(1987~88年)の主題歌をイ・ソンヒが歌うオープニング映像がYoutubeに登録されているので聴いてみよう。若さ溢れて、息切れせんばかりに歌っているのが可愛い。
ああ、そういえば1972年から始まったNHKテレビの「中学生日記」は、去年の2012年3月16日に終了したんだな・・・こんなに続いていたことも、終わったことも知らなかったが。センセーショナルなテーマだけを扱わず、地味ながらじっくりと取り組んでいたような気がする。
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2013年1月23日水曜日
(資料)インフルエンザ2013
今冬、「ノロウィルスが2006年に次ぐ勢いで蔓延しているという」ということで、気を付けていたが・・・といって、マスク未着用のまま何とかやり過ごしていたところに、今度はインフルエンザの流行という。産経ニュースの記事「インフルエンザ急増、12月の10倍 ノロ患者は減少」(1/22) によれば、インフルエンザの流行がこれからピークを迎えると、次のように報じている。(抜粋)
・インフルエンザは昨年12月中旬と比べ、10倍以上に急増し、流行が本格化する一方、昨年末に猛威をふるったノロウイルスなど感染性胃腸炎の1医療機関当たりの患者数が減少している。インフルエンザは例年1~2月ごろ流行のピークを迎えることから、国立感染症研究所(感染研)などが注意を呼びかけている。
・感染研によると、全国約5千の医療機関から報告された今年1月7~13日のインフルエンザの患者数は、1医療機関当たり12.07人。全国的な流行開始の指標である1.00人を今シーズン初めて上回った昨年12月中旬から約10倍に増えた。
・感染研感染症情報センターの安井良則・主任研究官によると、予防のポイントは、マスク着用や手洗いのほか
(1) 室内では適度な温度・湿度を保つ
(2) 栄養バランスのとれた食事と睡眠
(3) 人混みや繁華街への外出を控える-など。
(追記)
厚生労働省プレスリリース「インフルエンザの発生状況について」(1/18、抜粋)、
・定点医療機関からの報告をもとに、定点以外を含む全国の医療機関をこの1 週間に受診した患者数を推計すると約80 万人となり、(10%以上の年齢層は)
0~4 歳: 約8 万人(10.0%)
5~9 歳: 約8 万人(10.0%)
20 代: 約12 万人(15.0%)
30 代: 約12 万人(15.0%)、
40 代: 約11 万人(13.8%)、
であり、20 代以上の成人層が65.0%と多くを占めている。
・2012 年第36 週以降これまでの国内のインフルエンザウイルスの検出状況をみると、AH3 亜型(A 香港型)の割合が最も多く検出されている。
・感染研によると、全国約5千の医療機関から報告された今年1月7~13日のインフルエンザの患者数は、1医療機関当たり12.07人。全国的な流行開始の指標である1.00人を今シーズン初めて上回った昨年12月中旬から約10倍に増えた。
・感染研感染症情報センターの安井良則・主任研究官によると、予防のポイントは、マスク着用や手洗いのほか
(1) 室内では適度な温度・湿度を保つ
(2) 栄養バランスのとれた食事と睡眠
(3) 人混みや繁華街への外出を控える-など。
(追記)
厚生労働省プレスリリース「インフルエンザの発生状況について」(1/18、抜粋)、
・定点医療機関からの報告をもとに、定点以外を含む全国の医療機関をこの1 週間に受診した患者数を推計すると約80 万人となり、(10%以上の年齢層は)
0~4 歳: 約8 万人(10.0%)
5~9 歳: 約8 万人(10.0%)
20 代: 約12 万人(15.0%)
30 代: 約12 万人(15.0%)、
40 代: 約11 万人(13.8%)、
であり、20 代以上の成人層が65.0%と多くを占めている。
・2012 年第36 週以降これまでの国内のインフルエンザウイルスの検出状況をみると、AH3 亜型(A 香港型)の割合が最も多く検出されている。
2013年1月22日火曜日
KBS WORLD「国楽の世界へ」 孫範柱
KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(1/16)に、人物シリーズ63回目として日本の笙とよく似た楽器センファン(笙簧、생황)の演奏者、孫範柱(ソン・ボムジュ、손범주、1962年7月6日~)を紹介した。
まず、センファンの復習と解説から始まった。
・センファンは、丸い共鳴箱に17本の長さの違う竹の管を挿した独特な形をしている。
① 共鳴箱は、瓢箪の実を乾かして使ったが、自然素材のため割れやすく、音程の維持が難しいため、最近は丈夫な木や金属で作られている。② 共鳴箱に挿した竹の管は、音程を出すために長さが異なり、見た目には山に木々が突き出たような形をしている。③ 共鳴箱の中央にやかんの口のような吹き口があり、息を吹き入れたり、吸ったりして音を出す。伝統楽器中で唯一、複数音を同時に出す和音楽器である。
▼孫範柱のセンファン他(短箫)による「水龍吟(수룡음)」の演奏を聴く。随分と透明感溢れ、音色が新しい。
・センファンは、中国から伝来の楽器である。
三国時代(新羅、高句麗、百済)から存在していたようで、江原道平昌郡の上院寺(상원사)にある、新羅聖德王時代(725年)に作られた銅鐘の表面に、雲上でセンファンを吹く飛天像が描かれている。
(文献的に、楽器の形と名前の意味は「世宗実録」に記載。編纂1452年~1454年)
・わずかに伝承されたセンファンを、元々(日本の篳篥[ヒチリキ]に似た)ピリ(觱篥、피리)の演奏家だった孫範柱が復興させるために、1990年代初め頃から中国を訪れて演奏方法、楽器を作り方について学び、作曲や演奏をした。
▼孫範柱のセンファン他(シタール、コントラバス)による「飛天像(비천상)」の演奏を聴く。インド音楽風そのもので・・・これって、フュージョンというのかなあ。
次のように孫範柱のプロフィールが紹介された。
・国立国楽高等学校でピリを専攻し、その後、KBS国楽管弦楽団、国立国楽院・正楽演奏団を歴任。韓国センファン研究会を結成。最近は、創作活動する若い演奏家たちにもセンファンが広がっている。
▼孫範柱のセンファン他(鐵玄琴、短箫)による「細靈山(セリョンサン、세령산)」の演奏を聴く。結局、新しい皮袋に入れたなら発酵までに時間がかかるだろう。
まず、センファンの復習と解説から始まった。
・センファンは、丸い共鳴箱に17本の長さの違う竹の管を挿した独特な形をしている。
① 共鳴箱は、瓢箪の実を乾かして使ったが、自然素材のため割れやすく、音程の維持が難しいため、最近は丈夫な木や金属で作られている。② 共鳴箱に挿した竹の管は、音程を出すために長さが異なり、見た目には山に木々が突き出たような形をしている。③ 共鳴箱の中央にやかんの口のような吹き口があり、息を吹き入れたり、吸ったりして音を出す。伝統楽器中で唯一、複数音を同時に出す和音楽器である。
▼孫範柱のセンファン他(短箫)による「水龍吟(수룡음)」の演奏を聴く。随分と透明感溢れ、音色が新しい。
・センファンは、中国から伝来の楽器である。
三国時代(新羅、高句麗、百済)から存在していたようで、江原道平昌郡の上院寺(상원사)にある、新羅聖德王時代(725年)に作られた銅鐘の表面に、雲上でセンファンを吹く飛天像が描かれている。
(文献的に、楽器の形と名前の意味は「世宗実録」に記載。編纂1452年~1454年)
・わずかに伝承されたセンファンを、元々(日本の篳篥[ヒチリキ]に似た)ピリ(觱篥、피리)の演奏家だった孫範柱が復興させるために、1990年代初め頃から中国を訪れて演奏方法、楽器を作り方について学び、作曲や演奏をした。
▼孫範柱のセンファン他(シタール、コントラバス)による「飛天像(비천상)」の演奏を聴く。インド音楽風そのもので・・・これって、フュージョンというのかなあ。
次のように孫範柱のプロフィールが紹介された。
・国立国楽高等学校でピリを専攻し、その後、KBS国楽管弦楽団、国立国楽院・正楽演奏団を歴任。韓国センファン研究会を結成。最近は、創作活動する若い演奏家たちにもセンファンが広がっている。
▼孫範柱のセンファン他(鐵玄琴、短箫)による「細靈山(セリョンサン、세령산)」の演奏を聴く。結局、新しい皮袋に入れたなら発酵までに時間がかかるだろう。
2013年1月21日月曜日
イ・ソンヒとイ・スンギの「Jへ」
イ・ソンヒとイ・スンギによる、第15回「High1 ソウル歌謡大賞」(2004年)の舞台でデュエットを披露する映像がYoutubeに登録されていたが、いつの間にかなくなった。ところが昨年の今頃、その映像がより鮮明になって登録されていたのだ。
前半は、イ・スンギのデビューアルバム中のヒット曲「僕の彼女だから(내 여자라니까 )」であり、後半はイ・ソンヒのデビュー曲「Jへ」である。この映像が何より好ましいのは、イ・スンギを発掘して育成した、彼の母親と同じ歳という、イ・ソンヒの暖かい眼差しだだろう・・・さあ、聴いてみよう。
(本ブログ関連:"イ・スンギ")
(Youtubeに登録のsunnyfan100に感謝)
前半は、イ・スンギのデビューアルバム中のヒット曲「僕の彼女だから(내 여자라니까 )」であり、後半はイ・ソンヒのデビュー曲「Jへ」である。この映像が何より好ましいのは、イ・スンギを発掘して育成した、彼の母親と同じ歳という、イ・ソンヒの暖かい眼差しだだろう・・・さあ、聴いてみよう。
(本ブログ関連:"イ・スンギ")
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2013年1月20日日曜日
大寒2013
「大寒」の今日、朝から冷えて、家に一日籠もりっぱなしだった。
このところ、最高気温は10℃を切っているし、最低気温は0℃前後まで下がり本当に寒く厳しい。おかげで、先週1/14日の大雪が、いまだに道路の隅にしがみ付くように残っている。ひかげ道にいたっては、雪が溶けずに凍ってしまい、歩くのに注意が必要だ。
weathernewsの立川地区の天気予報によれば、「長い飛行機雲が見られると、天気下り坂のサイン」とのこと・・・そういえば昨日、青空に一直線に伸びた見事な飛行機雲を見た。
後2週間も待てば、暦の上で「立春」になる。その日それを聴いた途端、冬に強張った体と気持ちが緩んでいくに違いない。二十四節気の言葉は不思議な力を持っている。
(本ブログ関連:"大寒")
このところ、最高気温は10℃を切っているし、最低気温は0℃前後まで下がり本当に寒く厳しい。おかげで、先週1/14日の大雪が、いまだに道路の隅にしがみ付くように残っている。ひかげ道にいたっては、雪が溶けずに凍ってしまい、歩くのに注意が必要だ。
weathernewsの立川地区の天気予報によれば、「長い飛行機雲が見られると、天気下り坂のサイン」とのこと・・・そういえば昨日、青空に一直線に伸びた見事な飛行機雲を見た。
後2週間も待てば、暦の上で「立春」になる。その日それを聴いた途端、冬に強張った体と気持ちが緩んでいくに違いない。二十四節気の言葉は不思議な力を持っている。
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2013年1月19日土曜日
鍵
例によって鉱物仲間に誘われて、ファミリーレストランに昼食に出かけたのだが、事前に服を着替えたときに財布も移すのを何と忘れてしまったのだ。結果、昼食をお世話になっただけでなく、ミニ・ライトペンまでいただいてしまった。
このミニ・ライトペンが凄いのは、レーザーポインター+ブラックライト(蛍光鉱物の反応確認)+LEDランプの3つの光源を装着しているからだ。
ライトペンをいただいた主旨は、蛍光鉱物(蛍石や燐灰ウラン 鉱*など)の蛍光反応を確認するツールとしてだ。蛍光鉱物の標本を奥にしまっているので、まずはポインターのレーザー光線を鏡2台に連続反射させて、光の直進と光力の衰えないのを楽しんでみたよ・・・ありがとうございました。
(*)NHK-BSで、25:00にドキュメンタリー「イエローケーキ」が再放送された。
ところで、夕方、教室の帰り道に鍵屋を見つけ、手持ち鍵の複製を作ってもらった。不思議なことに、人生長く続けていると、いつの間にか鍵がひとつ、ひとつ消えていくのだ。大事なものを守るべきものがいつの間にか少しづつ消失するなんて・・・。
まあ、そんなわけで中島みゆきの「Clavis - 鍵」をYoutubeで聴いてみよう。
(Youtubeに登録のdockonthekobeに感謝)
このミニ・ライトペンが凄いのは、レーザーポインター+ブラックライト(蛍光鉱物の反応確認)+LEDランプの3つの光源を装着しているからだ。
ライトペンをいただいた主旨は、蛍光鉱物(蛍石や燐灰ウラン 鉱*など)の蛍光反応を確認するツールとしてだ。蛍光鉱物の標本を奥にしまっているので、まずはポインターのレーザー光線を鏡2台に連続反射させて、光の直進と光力の衰えないのを楽しんでみたよ・・・ありがとうございました。
(*)NHK-BSで、25:00にドキュメンタリー「イエローケーキ」が再放送された。
ところで、夕方、教室の帰り道に鍵屋を見つけ、手持ち鍵の複製を作ってもらった。不思議なことに、人生長く続けていると、いつの間にか鍵がひとつ、ひとつ消えていくのだ。大事なものを守るべきものがいつの間にか少しづつ消失するなんて・・・。
まあ、そんなわけで中島みゆきの「Clavis - 鍵」をYoutubeで聴いてみよう。
(Youtubeに登録のdockonthekobeに感謝)
2013年1月18日金曜日
ジャミラ
勧善懲悪に見慣れたテレビ番組「ウルトラマン」の、第23話「故郷は地球」(1966年12月18日)に登場した「ジャミラ」*は驚愕だった。その回は、いつもながらの宇宙怪獣の地球襲撃と、それに対するウルトラマンの反撃という分かりやすい図式が崩れ、子ども番組ながら正義って何だろう?と考えさせるものだった。
(*)ジャミラの名は、Wikipediaによれば「アルジェリアの独立運動家ジャミラ・ブーパシャから頂いたもの」という。そういえば、新宿ミラノ座で「『アルジェの戦い』(原題:La battaglia di Algeri、1966年9月8日イタリアで公開[日本公開1967年2月25日])」を見た記憶がある。
宇宙に放置、見捨てられた宇宙飛行士が、恨みを積もらせて怪獣に変身し、地球を破壊しに戻ってくるのだ。ウルトラマンと戦いの結果、ついに弱点の水に溶かされ縮んでいく。断末魔の叫び声はやがて、赤子のように弱々しい泣き声に変わる。恨みも悲しみも全てを受け入れる母なる大地に吸収されていくのだろうけれど・・・。
けれど、ジャミラが一体何者であったのかという事実について、巨大な力は闇に葬ってしまう。これって子ども番組の展開なのかと感心したものだ。
それ以前にも、子ども向けのオーストラリア開拓時代を扱ったテレビドラマで、人間の矛盾を感じさせるものを見た。「フィップラッシュ」(1962年)に登場する犯罪者が、実は元牧師だったのだ。
世界は、正義と悪に二分されるだけではないってことを教えてくれる。正義と悪は、容易に入れ替ってしまうのだから。
(*)ジャミラの名は、Wikipediaによれば「アルジェリアの独立運動家ジャミラ・ブーパシャから頂いたもの」という。そういえば、新宿ミラノ座で「『アルジェの戦い』(原題:La battaglia di Algeri、1966年9月8日イタリアで公開[日本公開1967年2月25日])」を見た記憶がある。
宇宙に放置、見捨てられた宇宙飛行士が、恨みを積もらせて怪獣に変身し、地球を破壊しに戻ってくるのだ。ウルトラマンと戦いの結果、ついに弱点の水に溶かされ縮んでいく。断末魔の叫び声はやがて、赤子のように弱々しい泣き声に変わる。恨みも悲しみも全てを受け入れる母なる大地に吸収されていくのだろうけれど・・・。
けれど、ジャミラが一体何者であったのかという事実について、巨大な力は闇に葬ってしまう。これって子ども番組の展開なのかと感心したものだ。
それ以前にも、子ども向けのオーストラリア開拓時代を扱ったテレビドラマで、人間の矛盾を感じさせるものを見た。「フィップラッシュ」(1962年)に登場する犯罪者が、実は元牧師だったのだ。
世界は、正義と悪に二分されるだけではないってことを教えてくれる。正義と悪は、容易に入れ替ってしまうのだから。
2013年1月17日木曜日
残雪の新大久保
昼過ぎ、路肩に雪が少々残っている新大久保のコリアタウンに寄った。平日、木曜日の昼下がり、さすがに大雪の後でもあり、賑わいに欠けるように見えた。
暖かい時期と比べて街なかにおばさん(アジュンマ)たちの姿は多くなかったのだ・・・と思ったら、最近乱立ぎみのタレント商品ショップの暖かい店内に人だかりしていた。元気のよいアジュンマも、寒さには弱いようで表に出てこない。
今回は、実は親類から教えてもらった高田馬場にある郷土料理店に行ったついでだ。この店で、簡単なビジネスランチをと思って頼んだ、[うどん+天丼セット]が、それぞれ一人分はあろうかという満腹を通り越す分量だった。そんな状態で、隣り街の新大久保に来たものだから、体ユラユラ、汗タラタラ、街を一巡りするのに疲れ果てた。
CD・書籍の店に寄ってみたものの、とりわけめぼしいものはなかった。町の雰囲気は、おじさんたちを排除しているように思える・・・とっくに時代は変わったようだ。
暖かい時期と比べて街なかにおばさん(アジュンマ)たちの姿は多くなかったのだ・・・と思ったら、最近乱立ぎみのタレント商品ショップの暖かい店内に人だかりしていた。元気のよいアジュンマも、寒さには弱いようで表に出てこない。
今回は、実は親類から教えてもらった高田馬場にある郷土料理店に行ったついでだ。この店で、簡単なビジネスランチをと思って頼んだ、[うどん+天丼セット]が、それぞれ一人分はあろうかという満腹を通り越す分量だった。そんな状態で、隣り街の新大久保に来たものだから、体ユラユラ、汗タラタラ、街を一巡りするのに疲れ果てた。
CD・書籍の店に寄ってみたものの、とりわけめぼしいものはなかった。町の雰囲気は、おじさんたちを排除しているように思える・・・とっくに時代は変わったようだ。
2013年1月16日水曜日
雪道に心配して
一昨日の大雪で、家の前を南北に通る路に跡付けられた車の轍を除いて、雪のかたまりがまだ残っている。何しろ玄関横に置いたままの自転車のサドルに、雪が山盛りになっているのだから・・・放っていたのも何なので、取り除いたけれど。
そんなわけで、外出しようと考えても、テレビで繰り返し放送されるスッテンコロリンの転倒場面を思い出して躊躇する・・・遠出はなおさらだ。
数年前、みぞれが降る歩道で滑って、駐車中の自動車のバンパーそばにころげたことがある。もう少し近ければ、頭を強打したかもしれない。そのくせ石採りのためならば、雪道で限りなく危険な場所でも突き進むのだが。
NHKのNewsWebの記事「雪の被害 2人死亡1569人けが」(1/15、18時30分)によれば、今回の大雪被害状況は次のようだ。
・雪による被害が相次いだ関東甲信越の状況について、NHKがまとめたところ、これまでに2人が死亡、1569人(内:東京都242人)がけがをしています。
・車のスリップ事故など雪による車両の事故も、少なくとも5524件に上っています。
本日の体操教室がある公園までちょっと距離があり、途中、凍り道でよろけたら心配だ・・・それに寒いし、ということで、休むことにした。スダレを上げて遠くに雪山を見るわけでもないが、一日無理しないでいよう・・・でも、ずる休みは心に引っかかる。
そんなわけで、外出しようと考えても、テレビで繰り返し放送されるスッテンコロリンの転倒場面を思い出して躊躇する・・・遠出はなおさらだ。
数年前、みぞれが降る歩道で滑って、駐車中の自動車のバンパーそばにころげたことがある。もう少し近ければ、頭を強打したかもしれない。そのくせ石採りのためならば、雪道で限りなく危険な場所でも突き進むのだが。
NHKのNewsWebの記事「雪の被害 2人死亡1569人けが」(1/15、18時30分)によれば、今回の大雪被害状況は次のようだ。
・雪による被害が相次いだ関東甲信越の状況について、NHKがまとめたところ、これまでに2人が死亡、1569人(内:東京都242人)がけがをしています。
・車のスリップ事故など雪による車両の事故も、少なくとも5524件に上っています。
本日の体操教室がある公園までちょっと距離があり、途中、凍り道でよろけたら心配だ・・・それに寒いし、ということで、休むことにした。スダレを上げて遠くに雪山を見るわけでもないが、一日無理しないでいよう・・・でも、ずる休みは心に引っかかる。
2013年1月15日火曜日
KBS WORLD「国楽の世界へ」 曹永淑
KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(1/9)に、人物シリーズ62回目として、「女性国劇(여성국극)」*を後世に残すため尽力している曹永淑(チョ・ヨンスク、조영숙、1934年~)を紹介した。
(*)女性国劇:「春香伝」がYoutubeに登録されている。(登録者の"文化芸術の殿堂ルル"に感謝)
はじめに、女性国劇の復習と変遷について次のように始まった。
・以前、金素姫(キム・ソヒ)、朴貴姫(パク・グィヒ)名人などを紹介した際に女性国劇について触れた。
・1948年、女性パンソリ名人の金素姫、朴貴姫、林春鶯(イム・チュンエン、임춘앵)たちにより、伝統音楽を基本にした、音楽劇の一種である女性国劇が結成された。
・1949年、「お日様お月様(해님달님)」といった題名の公演を成功裏に収めた。
・1960年代初めまで、全国で爆発的な人気を博し、子供たちの憧れの的でもあった。団員は全て女性で、宝塚歌劇のように、男役も女性が男装して務めた。伝統的なパンソリでなく、説話や歴史的物語を題材にして、新しく物語を作り、それを演劇と音楽で構成した点が特徴。
・1960年代には、テレビの普及とともに、その姿を消すこととなった。
▼曹永淑と弟子による、女性国劇「善花王女(ソヌァコンジュ、선화공주)」中から、「薯童(ソドン、서동)と善花王女が初めて出会う題目」 を聴く。見てないけれどテレビドラマのことかな・・・賑やかだな。
次のように曹永淑のプロフィールが紹介された。
・1934年、咸鏡南道元山に生まれる。音楽一家で、パンソリ名唱の父は各地で働くことが多かった。
・当時、女性としては珍しく師範学校まで通ったが、朝鮮戦争勃発のため学業を断念し、林春鶯率いる国劇団体に入る。
・女性国劇が人気を得たのは短期間だったが、国楽界に与えた影響は少なくなく、伝統的パンソリにはなかった演劇形式を確立し、より効果的な音楽と音響のため、楽器の改良も積極的に行われた。
▼曹永淑と弟子による、「椿花打令(동백꽃 타령)」を聴く。幸せの不安と期待を包む赤い花、椿花節・・・椿娘・・・イ・ミジャ・・・ソン・ソヒ、あれれ。
・重要無形文化財第79号「パルタル(발탈)」の芸能保有者でもある。パルタルとは、演者の足の平に小さなお面をつけ、天幕の外にそのお面のついた足だけを出して歌に合わせて演技をする、ちょっとコミックな変わった演劇だが、現在この分野の後継者はほとんどいない。
・曹永淑は、こうした忘れ去られた伝統芸能をただ一人、その音楽を伝えるため力を尽くしている。
▼曹永淑と弟子による、女性国劇「阿房温達(パボオンダル、바보온달)」中から、「温達と平岡王女(ピョンガンコンジュ、평강공주)の山中生活の題目」を聴く。・・・いい話なんだろうな。
(*)女性国劇:「春香伝」がYoutubeに登録されている。(登録者の"文化芸術の殿堂ルル"に感謝)
はじめに、女性国劇の復習と変遷について次のように始まった。
・以前、金素姫(キム・ソヒ)、朴貴姫(パク・グィヒ)名人などを紹介した際に女性国劇について触れた。
・1948年、女性パンソリ名人の金素姫、朴貴姫、林春鶯(イム・チュンエン、임춘앵)たちにより、伝統音楽を基本にした、音楽劇の一種である女性国劇が結成された。
・1949年、「お日様お月様(해님달님)」といった題名の公演を成功裏に収めた。
・1960年代初めまで、全国で爆発的な人気を博し、子供たちの憧れの的でもあった。団員は全て女性で、宝塚歌劇のように、男役も女性が男装して務めた。伝統的なパンソリでなく、説話や歴史的物語を題材にして、新しく物語を作り、それを演劇と音楽で構成した点が特徴。
・1960年代には、テレビの普及とともに、その姿を消すこととなった。
▼曹永淑と弟子による、女性国劇「善花王女(ソヌァコンジュ、선화공주)」中から、「薯童(ソドン、서동)と善花王女が初めて出会う題目」 を聴く。見てないけれどテレビドラマのことかな・・・賑やかだな。
次のように曹永淑のプロフィールが紹介された。
・1934年、咸鏡南道元山に生まれる。音楽一家で、パンソリ名唱の父は各地で働くことが多かった。
・当時、女性としては珍しく師範学校まで通ったが、朝鮮戦争勃発のため学業を断念し、林春鶯率いる国劇団体に入る。
・女性国劇が人気を得たのは短期間だったが、国楽界に与えた影響は少なくなく、伝統的パンソリにはなかった演劇形式を確立し、より効果的な音楽と音響のため、楽器の改良も積極的に行われた。
▼曹永淑と弟子による、「椿花打令(동백꽃 타령)」を聴く。幸せの不安と期待を包む赤い花、椿花節・・・椿娘・・・イ・ミジャ・・・ソン・ソヒ、あれれ。
・重要無形文化財第79号「パルタル(발탈)」の芸能保有者でもある。パルタルとは、演者の足の平に小さなお面をつけ、天幕の外にそのお面のついた足だけを出して歌に合わせて演技をする、ちょっとコミックな変わった演劇だが、現在この分野の後継者はほとんどいない。
・曹永淑は、こうした忘れ去られた伝統芸能をただ一人、その音楽を伝えるため力を尽くしている。
▼曹永淑と弟子による、女性国劇「阿房温達(パボオンダル、바보온달)」中から、「温達と平岡王女(ピョンガンコンジュ、평강공주)の山中生活の題目」を聴く。・・・いい話なんだろうな。
2013年1月14日月曜日
まさかの大雪だ
「成人の日」の今日、天気予報の解説によれば、「爆弾低気圧」*のため当地も大雪だ。雪は、その微細な結晶のため吸音効果があって、休日の昼過ぎ、辺りは不思議なほどに静かである。外を覗くと、思った以上の降雪で、玄関のポストや鉄扉の上にこんもりと積もっているのが分かる。
(*)Wikipediaによれば、「爆弾低気圧("bomb" cyclone)とは、急速に発達し、熱帯低気圧(台風)並みの暴風雨をもたらす温帯低気圧を指す俗語」とのこと。
ようやく子どもたちの出番になったのか、通りから遊び声が聞こえてきた。雪の中を走ったり、雪投げしたり、雪だるまを作ったりすることだろう。「キャー」とか「ワーイ」と、楽しげな叫び声が始まった・・・そうでなくちゃね。
イ・ソンヒが、アダモ(Salvatore Adamo)の「雪が降る(Tombe la neige)」(1963年)をカバーして、同名曲「雪が降る(눈이 내리네)」(1988年)を歌っているので、Youtubeで聴いてみよう。
(本ブログ関連:"雪が降る")
(Youtubeに登録のsonga5に感謝)
(*)Wikipediaによれば、「爆弾低気圧("bomb" cyclone)とは、急速に発達し、熱帯低気圧(台風)並みの暴風雨をもたらす温帯低気圧を指す俗語」とのこと。
ようやく子どもたちの出番になったのか、通りから遊び声が聞こえてきた。雪の中を走ったり、雪投げしたり、雪だるまを作ったりすることだろう。「キャー」とか「ワーイ」と、楽しげな叫び声が始まった・・・そうでなくちゃね。
イ・ソンヒが、アダモ(Salvatore Adamo)の「雪が降る(Tombe la neige)」(1963年)をカバーして、同名曲「雪が降る(눈이 내리네)」(1988年)を歌っているので、Youtubeで聴いてみよう。
(本ブログ関連:"雪が降る")
(Youtubeに登録のsonga5に感謝)
2013年1月13日日曜日
公園の賑わい
厳しい寒さが続くが、昼間の暖かい陽射しに誘われて、日曜日の「小金井公園」に思いのほか多数の家族連れで賑わっていた。「成人の日」(15日火曜日)の祝日を、月曜日(14日)に前倒しすることで、土~月の3連休になったこともあるのだろう。
「子ども広場」や「わんぱく広場」は、走りまわる子どもと、それを見守る親たちで溢れていた。驚いたことに園内にある「江戸東京たてもの園」から、この3連休に小学生以下が入園無料となっていることもあり、一層にぎやかな声が聞こえてきた。
とはいえ、たてもの園前の広場に並んだベンチで日向ぼっこするには少々寒い。まだまだ冬の入り口だ。
ところで、公園からJR武蔵小金井駅に進む小金井街道の街路樹の枝に、ネコヤナギの花穂に似た小さな膨らみがいくつも付いていたが、何という木なのだろうか。・・・どうやら(市長のブログによれば)、「コブシ・ワダズ・メモリー」というモクレン科の木らしい。
「子ども広場」や「わんぱく広場」は、走りまわる子どもと、それを見守る親たちで溢れていた。驚いたことに園内にある「江戸東京たてもの園」から、この3連休に小学生以下が入園無料となっていることもあり、一層にぎやかな声が聞こえてきた。
とはいえ、たてもの園前の広場に並んだベンチで日向ぼっこするには少々寒い。まだまだ冬の入り口だ。
ところで、公園からJR武蔵小金井駅に進む小金井街道の街路樹の枝に、ネコヤナギの花穂に似た小さな膨らみがいくつも付いていたが、何という木なのだろうか。・・・どうやら(市長のブログによれば)、「コブシ・ワダズ・メモリー」というモクレン科の木らしい。
2013年1月12日土曜日
イ・ソンヒの「冬哀傷」
冬の青い月明かりに照らされた後姿は、ピンと張りつめた影を引きずる。夜の冷気は、熱い想いを凍らせて、再び触ることのできない、繊細なガラス細工のように結晶と化してしまう。そんな少女の心を、イ・ソンヒの「冬哀傷(겨울애상)」(アルバム5集、1989年)は歌う。
おじさんはこの冬、ただ冷え冷えしているだけだが、この歌の美しさに魅かれ、Youtubeで何度も聴いてしまう。
(本ブログ関連:"冬哀傷")
(Youtubeに登録のKnightmareSMに感謝)
おじさんはこの冬、ただ冷え冷えしているだけだが、この歌の美しさに魅かれ、Youtubeで何度も聴いてしまう。
(本ブログ関連:"冬哀傷")
(Youtubeに登録のKnightmareSMに感謝)
2013年1月11日金曜日
冬の夜
夜、家が凍えるようだ。芯から冷える気配がして、洗面所に行けば、昼間に暖気を取り入れようと開けた窓がそのままになっていた、どおりで寒いわけだ。
今、部屋のストーブでコーヒーを沸かしている。湯気が立ち、香りが部屋に漂えば、暖かさも増すというもの。
子どもの頃、三世代が暮らしていた社宅は棟がつながっていて、隣家に若夫婦が住んでいた。何かのきっかけで、お隣りに上がらせてもらったことがある。そのとき、えもいわれぬ心地よい香りがした。コーヒー豆を挽いたばかりだったのだろうか。当時、しばらく縁のなかった舶来の香りだったのだ。幼稚園前の子どもながらに、新婚家庭って、こんないい匂いがするもかと感心したものだ。
今夜は、Youtubeの「冬の夜」(明治45年3月:尋常小学唱歌)を聴いて、暖かい光りと会話を懐かしんでみよう。
(Youtubeに登録のKAZEKOZOU69に感謝)
今、部屋のストーブでコーヒーを沸かしている。湯気が立ち、香りが部屋に漂えば、暖かさも増すというもの。
子どもの頃、三世代が暮らしていた社宅は棟がつながっていて、隣家に若夫婦が住んでいた。何かのきっかけで、お隣りに上がらせてもらったことがある。そのとき、えもいわれぬ心地よい香りがした。コーヒー豆を挽いたばかりだったのだろうか。当時、しばらく縁のなかった舶来の香りだったのだ。幼稚園前の子どもながらに、新婚家庭って、こんないい匂いがするもかと感心したものだ。
今夜は、Youtubeの「冬の夜」(明治45年3月:尋常小学唱歌)を聴いて、暖かい光りと会話を懐かしんでみよう。
(Youtubeに登録のKAZEKOZOU69に感謝)
2013年1月10日木曜日
鉄道・絶景の旅
吉祥寺の家電量販店に行き、語学練習用のCDプレーヤーを探す。ついでに、テレビ売り場に寄って見ると、今わたしの目の前にデンと座っているやたら図体が大きく見える32型の液晶テレビが、店頭では小さく見えたのだから驚き。えっ、こんなに小さかったっけ・・・と思い、帰宅してもう一度見直せばやっぱりでっかいのだ。
さて今晩見た、BS朝日の番組「鉄道・絶景の旅」は、「新春!富士山をめぐる旅」(#77)で、富士山を背景に巡るローカル鉄道の旅だ。ここ地元から臨む富士の雄姿はもちろんだが、番組に登場するその姿は近場にあって迫力十分である。やはり、富士山は、そばに寄ってこそ真の絶景を拝めるだろう。
番組のナレーターである峠恵子は歌手でもあり、番組のオープニング/エンディングのテーマ曲や挿入歌を歌っている。お名前が、起伏に富んだ日本の山並みを越える鉄道にぴったりなのもうれしくなる。
鉄道は、旅の象徴であり、人の心を異空間に誘う。そんな気分にさせてくれているところに、彼女の声は不思議に溶け込んでくる。Youtubeに登録された、彼女が歌う「主人公」(作詩/作曲 さだまさし)を聴いてみよう。彼女のソフトな声質は、さだまさしの緩やかに流れるような歌詞と旋律にうまく織り合って、なかなかいい雰囲気だ。
そうそう、番組中に紹介された、<あかり亭>の「肉天うどん」(500円)が目に残った。「歯ごたえのある手打ちうどんと大きな天ぷらが絶品」とのこと。食ってみたい。まさにB級料理の真骨頂である、どんぶりを覆わんばかりの天ぷらを・・・ああ、あの迫力に負けてしまったよ。
さて今晩見た、BS朝日の番組「鉄道・絶景の旅」は、「新春!富士山をめぐる旅」(#77)で、富士山を背景に巡るローカル鉄道の旅だ。ここ地元から臨む富士の雄姿はもちろんだが、番組に登場するその姿は近場にあって迫力十分である。やはり、富士山は、そばに寄ってこそ真の絶景を拝めるだろう。
番組のナレーターである峠恵子は歌手でもあり、番組のオープニング/エンディングのテーマ曲や挿入歌を歌っている。お名前が、起伏に富んだ日本の山並みを越える鉄道にぴったりなのもうれしくなる。
鉄道は、旅の象徴であり、人の心を異空間に誘う。そんな気分にさせてくれているところに、彼女の声は不思議に溶け込んでくる。Youtubeに登録された、彼女が歌う「主人公」(作詩/作曲 さだまさし)を聴いてみよう。彼女のソフトな声質は、さだまさしの緩やかに流れるような歌詞と旋律にうまく織り合って、なかなかいい雰囲気だ。
そうそう、番組中に紹介された、<あかり亭>の「肉天うどん」(500円)が目に残った。「歯ごたえのある手打ちうどんと大きな天ぷらが絶品」とのこと。食ってみたい。まさにB級料理の真骨頂である、どんぶりを覆わんばかりの天ぷらを・・・ああ、あの迫力に負けてしまったよ。
2013年1月9日水曜日
全国のど自慢
プロ歌手を目指すオーディション番組だけでなく、一般参加によるのど自慢番組にも素晴らしい歌唱力の持ち主が現れることがある。東亜日報の記事「[映像] 全国のど自慢、イ・ソンヒ憑依のレジェンド誕生」(1/7)は、フィリピン出身の主婦がKBS「全国のど自慢」の番組で、イ・ソンヒの「美しい江山(아름다운 강산)」を驚異的なパワーで歌い上げたと、次のように記している。(抜粋)
・一般人を対象にした歌のコンテスト番組「全国のど自慢」で、また1人のレジェンドが誕生した。
・6日放送された「全国のど自慢」の巨済(コジェ)市編に出演した、フィリピン出身の主婦フロレンティーナ(29)さんがその主人公。一ヵ月前、第二子を出産して舞台に上がると、はにかむように挨拶を終えた彼女は、イ・ソンヒの「美しい江山」の伴奏が流れ出るとすぐに、180度変身した。序盤部を落ち着いて歌い注目を引き始めると、ハイライトの部分で訴求力の深くて高音域の歌唱力を爆発させた。あたかも、イ・ソンヒが憑依したような声で観客を圧倒させた。結局、彼女は最優秀賞の栄誉に授かり、100万ウォンの賞金を獲得した。
ところで、Youtubeに、当日の様子が登録されているので見てみよう。もしかしたら、今まで聞いてきたイ・ソンヒ以外の歌い手の中で一番パワフルかもしれない。それに、会場の楽しみ方もいいな。かように庶民性を引き出すこの番組はただものではない。
(Youtubeに登録のTheAwesomePickに感謝)
Mnetのオーディション番組「Superstar K3」にも、9ヶ月のプレママの若いお母さんが登場したことがある。将来のアジュンマたちに栄誉あれといいたい。
(本ブログ関連:"ミス・ハヴィシャム")
・一般人を対象にした歌のコンテスト番組「全国のど自慢」で、また1人のレジェンドが誕生した。
・6日放送された「全国のど自慢」の巨済(コジェ)市編に出演した、フィリピン出身の主婦フロレンティーナ(29)さんがその主人公。一ヵ月前、第二子を出産して舞台に上がると、はにかむように挨拶を終えた彼女は、イ・ソンヒの「美しい江山」の伴奏が流れ出るとすぐに、180度変身した。序盤部を落ち着いて歌い注目を引き始めると、ハイライトの部分で訴求力の深くて高音域の歌唱力を爆発させた。あたかも、イ・ソンヒが憑依したような声で観客を圧倒させた。結局、彼女は最優秀賞の栄誉に授かり、100万ウォンの賞金を獲得した。
ところで、Youtubeに、当日の様子が登録されているので見てみよう。もしかしたら、今まで聞いてきたイ・ソンヒ以外の歌い手の中で一番パワフルかもしれない。それに、会場の楽しみ方もいいな。かように庶民性を引き出すこの番組はただものではない。
(Youtubeに登録のTheAwesomePickに感謝)
Mnetのオーディション番組「Superstar K3」にも、9ヶ月のプレママの若いお母さんが登場したことがある。将来のアジュンマたちに栄誉あれといいたい。
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2013年1月8日火曜日
KBS WORLD「国楽の世界へ」 金静子
KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(1/2)に、人物シリーズ61回目として、弦楽器カヤグム(伽耶琴、가야금)の第一人者、金静子(キム・チョンジャ、김정자、1942年4月16日~)を紹介した。新年最初の放送である。
まず、カヤグムにまつわる逸話の紹介から始まった。
・カヤグムの故郷、伽耶が滅亡した際、同国の楽師ウルグ(于勒、우륵)はカヤグムを抱えて新羅に亡命し、新羅の若い音楽家たちにカヤグム音楽を伝承した。ある日、ウルグは、弟子たちが思いを込めて編曲したものを聞き、初め腹を立てたが、聴き終えて「楽しげだが無節制ではなく、悲しみもあるが悲痛ではない。正しい音楽だと言えるだろう。お前たちはこの音楽を王様の前で演奏するがいい」といった。
▼金静子の演奏による「霊山会相(ヨンサンフェサン、영산회상)」の中から「相霊山/上霊山(サンリョンサン(상령산)」を聴く。弦の音と音の空隙に不思議な余韻があって、それ自体ひとつの響きのよう。まさに東洋的な余白の美といえる。
・カヤグムは、朝鮮時代後期から多様な形に改良され、現代ではいくつもの種類がある。正しい音楽と書く「チョンアク(正楽、정악」)は、身分の高いソンビたちの風流として伽耶時代から伝えられて、今でも当時のメロディーを維持しながら演奏され、そこに昔の人々の音楽に対する思想もしっかりと込められている。
次のように金静子の進んだ道が紹介された。
・1942年 生まれる。
・1960年 ソウル大学に入学して初めてカヤグムを始める。当時、まだ近代化の波の真っ只中にあり、伝統文化は古びたもの、切り捨てなくてはならないものと見なされていた。
国楽科を設立して、国楽を後世に残すため努力した師匠イ・ヘグの姿に心を打たれ、カヤグムに対する関心と愛情をわかせた。
▼金静子の演奏による「男唱歌曲(남창가곡)」の中から「初数大葉(초수대엽)」を聴く。これもまた穏やかで粛然とした音色だ。むしろ余白に音を聴くようなものか・・・。
・大学でカヤグム専攻当時、ソンビたちが雑念を抑えるために演奏したという理想的で冷静な正楽を、生涯をかけて演奏すると心にきめた。
・長年、ソウル大学国楽科で学生たちの指導し、今も演奏活動を行っている。正楽を正しく次の世代に伝えていくため、色々な大学で教授として学生の指導にあたっている。
自身と同じような研究者による「正農楽会(정농악회)」(1977年)を発起した経験もある。正農楽会は人間の心を鎮める正しい音楽で畑を耕そうという意味が込められた名前で、正しい音楽で正しい人々を育てようという趣旨があるという。
▼金静子の演奏による「ウットドゥリ(웃도드리)」を聴く。優雅な調べだ。正楽の成立について知りたい・・・古楽というよりは、間の取り方に新しいものを感じる。
まず、カヤグムにまつわる逸話の紹介から始まった。
・カヤグムの故郷、伽耶が滅亡した際、同国の楽師ウルグ(于勒、우륵)はカヤグムを抱えて新羅に亡命し、新羅の若い音楽家たちにカヤグム音楽を伝承した。ある日、ウルグは、弟子たちが思いを込めて編曲したものを聞き、初め腹を立てたが、聴き終えて「楽しげだが無節制ではなく、悲しみもあるが悲痛ではない。正しい音楽だと言えるだろう。お前たちはこの音楽を王様の前で演奏するがいい」といった。
▼金静子の演奏による「霊山会相(ヨンサンフェサン、영산회상)」の中から「相霊山/上霊山(サンリョンサン(상령산)」を聴く。弦の音と音の空隙に不思議な余韻があって、それ自体ひとつの響きのよう。まさに東洋的な余白の美といえる。
・カヤグムは、朝鮮時代後期から多様な形に改良され、現代ではいくつもの種類がある。正しい音楽と書く「チョンアク(正楽、정악」)は、身分の高いソンビたちの風流として伽耶時代から伝えられて、今でも当時のメロディーを維持しながら演奏され、そこに昔の人々の音楽に対する思想もしっかりと込められている。
次のように金静子の進んだ道が紹介された。
・1942年 生まれる。
・1960年 ソウル大学に入学して初めてカヤグムを始める。当時、まだ近代化の波の真っ只中にあり、伝統文化は古びたもの、切り捨てなくてはならないものと見なされていた。
国楽科を設立して、国楽を後世に残すため努力した師匠イ・ヘグの姿に心を打たれ、カヤグムに対する関心と愛情をわかせた。
▼金静子の演奏による「男唱歌曲(남창가곡)」の中から「初数大葉(초수대엽)」を聴く。これもまた穏やかで粛然とした音色だ。むしろ余白に音を聴くようなものか・・・。
・大学でカヤグム専攻当時、ソンビたちが雑念を抑えるために演奏したという理想的で冷静な正楽を、生涯をかけて演奏すると心にきめた。
・長年、ソウル大学国楽科で学生たちの指導し、今も演奏活動を行っている。正楽を正しく次の世代に伝えていくため、色々な大学で教授として学生の指導にあたっている。
自身と同じような研究者による「正農楽会(정농악회)」(1977年)を発起した経験もある。正農楽会は人間の心を鎮める正しい音楽で畑を耕そうという意味が込められた名前で、正しい音楽で正しい人々を育てようという趣旨があるという。
▼金静子の演奏による「ウットドゥリ(웃도드리)」を聴く。優雅な調べだ。正楽の成立について知りたい・・・古楽というよりは、間の取り方に新しいものを感じる。
2013年1月7日月曜日
イ・ソンヒの「私はいつもあなたを(나 항상 그대를)」
イ・ソンヒの「私はいつもあなたを(나 항상 그대를)」は、何度聴いても楽しくなる。想いも、言葉も熱いのに、それを重く感じさせないのは、イ・ソンヒが持つ清潔さと微笑みのマジックのせいだろう。そして、映画「家門シリーズ」で歌われるシ-ンもよぎったりして、親しみやすさがますます増す。またこの曲で、新しい年を本格スタートしよう。
彼女のデビュー20周年記念コンサートの映像は秀逸で、まるで会場に居合わせたような感動を覚える。
(本ブログ関連:"私はいつもあなたを")
(Youtubeに登録のpops8090に感謝)
彼女のデビュー20周年記念コンサートの映像は秀逸で、まるで会場に居合わせたような感動を覚える。
(本ブログ関連:"私はいつもあなたを")
(Youtubeに登録のpops8090に感謝)
2013年1月6日日曜日
鉱物の集い2013
四谷で開かれた鉱物の集いに出席する。今年もこの会が繁栄することを祝う新年会であるが、恒例の鉱物バザーとオークションは参加者の最大関心事といってよいかもしれない。
バザーでは、参加者94名を5つのグループに分け、抽選グループの順にメンバーが別室に置かれた有志提供の鉱物標本を手にするわけだ。抽選の結果、順番は何と最後の5番目だった。あらかじめ目星をつけていたものは全く見当たらなかった。ああ、欲しいものは他のメンバーの手に渡ってしまった・・・とはいえ、次の通り標本を選りすぐった。
・[方鉛鉱・硫酸鉛鉱・緑鉛鉱+黄銅鉱・班銅鉱+水晶](新潟県魚沼市白板鉱山)
・[輝安鉱](埼玉県秩父六助沢)
・[ビンドハイム鉱](埼玉県秩父大黒坑)
・[赤鉄鉱(鏡鉄鉱)](岩手県湯田町和賀仙人鉱山)
・[(転炉スラグ)](栃木県足尾鉱山)
オークションは、有志提供標本中でも良質のものを入札するが、残念ながら2点とも外れてしまった。ああ、各地の水晶標本セットは惜しかったな。
その他、上記イベントと関係なく、次の鉱物提供がされたのでいただいた。
・[菱沸石+灰十字沸石](埼玉県吉見町)、[ブーランジェ鉱](埼玉県秩父大黒坑)
先日(1/4)採集に行った足尾鉱山文象沢の景観を記した「広報あしお」の記事「足尾の産業遺跡(40) 小滝文象沢三坑の検証」(平成17年3月号)のコピーを知人に渡した。今年もみなで採集に行きましょう。
バザーでは、参加者94名を5つのグループに分け、抽選グループの順にメンバーが別室に置かれた有志提供の鉱物標本を手にするわけだ。抽選の結果、順番は何と最後の5番目だった。あらかじめ目星をつけていたものは全く見当たらなかった。ああ、欲しいものは他のメンバーの手に渡ってしまった・・・とはいえ、次の通り標本を選りすぐった。
・[方鉛鉱・硫酸鉛鉱・緑鉛鉱+黄銅鉱・班銅鉱+水晶](新潟県魚沼市白板鉱山)
・[輝安鉱](埼玉県秩父六助沢)
・[ビンドハイム鉱](埼玉県秩父大黒坑)
・[赤鉄鉱(鏡鉄鉱)](岩手県湯田町和賀仙人鉱山)
・[(転炉スラグ)](栃木県足尾鉱山)
オークションは、有志提供標本中でも良質のものを入札するが、残念ながら2点とも外れてしまった。ああ、各地の水晶標本セットは惜しかったな。
その他、上記イベントと関係なく、次の鉱物提供がされたのでいただいた。
・[菱沸石+灰十字沸石](埼玉県吉見町)、[ブーランジェ鉱](埼玉県秩父大黒坑)
先日(1/4)採集に行った足尾鉱山文象沢の景観を記した「広報あしお」の記事「足尾の産業遺跡(40) 小滝文象沢三坑の検証」(平成17年3月号)のコピーを知人に渡した。今年もみなで採集に行きましょう。
2013年1月5日土曜日
(資料)「山海経」中の九尾狐のこと
イ・ソンヒのヒット曲「狐の嫁入り(여우비)」から、「お天気雨(狐の嫁入り)」のことや「九尾狐」に関心を持って調べてきた。そこで、九尾狐(クミホ:구미호)について、中国最古の地理書といわれる「山海経」(高馬三良訳、平凡社ライブラリー)から次の通り抜き出す。
(本ブログ関連:”狐の嫁入り”、”九尾狐”)
「南山経」
・(青丘之山に)獣がいる。その状は狐の如くで九つの尾、その声は嬰児のよう、よく人を食う。(これを)食ったものは邪気におそわれぬ。
「大荒東経」
・青丘の国あり、九尾の狐がいる。
「東山経」
・鳧麗(ふれい)の山といい。頂上には金・玉多く麓には箴石(はりいし)が多い。その状は狐の如くで九つの尾、九つの首、虎の爪、名は龍[姪]蛭(りょう[てつ]しつ)*。その声は嬰児のよう。これは人を食う。
* 龍: 「龍」の文字の下に「虫」を置く。
※ この獣に、「虎」の体の一部が加わっていることが興味深い。
「海外東経」
・青丘国はその北にあり。その狐は四つの足で九つの尾。
なお同書には、狐の姿であるものの九尾でない獣について、次の記述がある。
「東山経」
・獣がいる。その状は狐の如くで魚の翼(ひれ)、名は朱擩(しゅじゅ)*。なくときはわが名よぶ。
・姑逢山といい、草木なく金・玉が多い。獣がいる、その状は狐の如くで翼あり、その声は鴻(はくちょう)、鴈(かり)のよう。その名は撇撇(へいへい)**。これが現れると天下大いに旱(ひでり)する。
* 擩: 偏「 扌」→「犭」に置き換える。
** 撇: 偏「 扌」→「犭」に置き換える。
(本ブログ関連:”狐の嫁入り”、”九尾狐”)
「南山経」
・(青丘之山に)獣がいる。その状は狐の如くで九つの尾、その声は嬰児のよう、よく人を食う。(これを)食ったものは邪気におそわれぬ。
「大荒東経」
・青丘の国あり、九尾の狐がいる。
「東山経」
・鳧麗(ふれい)の山といい。頂上には金・玉多く麓には箴石(はりいし)が多い。その状は狐の如くで九つの尾、九つの首、虎の爪、名は龍[姪]蛭(りょう[てつ]しつ)*。その声は嬰児のよう。これは人を食う。
* 龍: 「龍」の文字の下に「虫」を置く。
※ この獣に、「虎」の体の一部が加わっていることが興味深い。
「海外東経」
・青丘国はその北にあり。その狐は四つの足で九つの尾。
なお同書には、狐の姿であるものの九尾でない獣について、次の記述がある。
「東山経」
・獣がいる。その状は狐の如くで魚の翼(ひれ)、名は朱擩(しゅじゅ)*。なくときはわが名よぶ。
・姑逢山といい、草木なく金・玉が多い。獣がいる、その状は狐の如くで翼あり、その声は鴻(はくちょう)、鴈(かり)のよう。その名は撇撇(へいへい)**。これが現れると天下大いに旱(ひでり)する。
* 擩: 偏「 扌」→「犭」に置き換える。
** 撇: 偏「 扌」→「犭」に置き換える。
2013年1月4日金曜日
足尾鉱山 小滝坑文象沢
昨晩、鉱物採集でいつもお世話になっているXa氏から連絡があって、足尾鉱山の小滝坑周辺で採集することが急遽決まった。お楽しみなことだが、始発電車を待つ早朝の駅ホームの寒さに震えた。歳とともに身が凍みる。
Xa氏の車に同乗して、渡良瀬川沿いの国道122号線を北上すると、粉雪が風に舞い始めた。幸い陽射しもあって、降り積もることはなかったが、ガードレール下の名残り雪を見て若干心配になる。
わたらせ渓谷鐵道の原向(はらむかい)駅を過ぎると、銀山平方面に左折する案内板が見える。そこから庚申川に沿って左折して山路を進む。
小滝坑の坑口手前にある「文象橋」から、右岸急斜面にある、残雪であいまいな両足幅の細道を探るようにして登る。途中、Xa氏が用意されたロープを頼りにしたりと、この時期難関な山道だ。ころげ落ちないかヒヤヒヤの連発だった。
やがてゆるりと斜面を下ると、ズリから流れた廃石がごろごろと積もった沢底に着く。いよいよ採集開始だ。
寒い。根雪をかすめる沢風が吹き付けて、とにかく寒い。厚手のジャンパーの上に、雨カッパで身を包んだ。
沢下方向を見ると、堰堤(えんてい)があることに気付く。これら景観について、「広報あしお」の記事「足尾の産業遺跡(40) 小滝文象沢三坑の検証」(平成17年3月号)に詳細に語られている。
採集結果であるが、いただきもの中心に次の通り。
・黄銅鉱、班銅鉱、方鉛鉱、黄鉄鉱、白鉄鉱、蛍石など
帰り道を心配したが、登り道の対岸側で、こちらは道幅もある緩やかな坂道で、安心して下ることができた。
Xa氏の車に同乗して、渡良瀬川沿いの国道122号線を北上すると、粉雪が風に舞い始めた。幸い陽射しもあって、降り積もることはなかったが、ガードレール下の名残り雪を見て若干心配になる。
わたらせ渓谷鐵道の原向(はらむかい)駅を過ぎると、銀山平方面に左折する案内板が見える。そこから庚申川に沿って左折して山路を進む。
小滝坑の坑口手前にある「文象橋」から、右岸急斜面にある、残雪であいまいな両足幅の細道を探るようにして登る。途中、Xa氏が用意されたロープを頼りにしたりと、この時期難関な山道だ。ころげ落ちないかヒヤヒヤの連発だった。
やがてゆるりと斜面を下ると、ズリから流れた廃石がごろごろと積もった沢底に着く。いよいよ採集開始だ。
寒い。根雪をかすめる沢風が吹き付けて、とにかく寒い。厚手のジャンパーの上に、雨カッパで身を包んだ。
沢下方向を見ると、堰堤(えんてい)があることに気付く。これら景観について、「広報あしお」の記事「足尾の産業遺跡(40) 小滝文象沢三坑の検証」(平成17年3月号)に詳細に語られている。
採集結果であるが、いただきもの中心に次の通り。
・黄銅鉱、班銅鉱、方鉛鉱、黄鉄鉱、白鉄鉱、蛍石など
帰り道を心配したが、登り道の対岸側で、こちらは道幅もある緩やかな坂道で、安心して下ることができた。
2013年1月3日木曜日
李仙姫の名前から(2)
イ・ソンヒの名「ソンヒ(선희)」と同じ名付けについて、次のような統計がある。(이루미작명SYS)
・「選好度: ソンヒ(선희)は、58番目(0.2%)でしばしば使われ、最も多い姓は金である。」
・「性別感: ソンヒ(선희)は、93.57%が女性の名前だ。」
・「出生情報: ソンヒ(선희)は、1985年度に最も多く出生し、ソウル特別市出生の場合が多かった。」
1984年の「江辺歌謡祭」でデビューした翌年、テレビを通じて賑わした彼女の名「ソンヒ(선희)」が多く名づけられたことに因縁があるように思える。彼女の健全なおもむきと名の持つ印象が、当時の都市部生活者に親和性があったのだろう。
(本ブログ関連:"イ・ソンヒという名前")
さて、話しを彼女の名の一文字「仙」の由来から、神仙伝説へイメージを膨らませてみよう。
最近の彼女のヒット曲に、「因縁(인연)」に代表する東洋的な雰囲気を漂わせる傾向があるが、「狐の嫁入り(여우비)」もそのひとつである。ドラマに登場する九尾狐は「山海経」まで遡るという。
・「紀元前2世紀から紀元3世紀頃にかけて中国で著された地理書『山海経』には実在とは思えぬ動植物の項が並んでいるが、その一書「南山経」で、青丘之山に「有獸焉 其狀如狐而九尾 其音如嬰兒 能食人 食者不蠱」*とあるのが九尾の狐に関する最初の記述であるとされる。」(Wikipedia「九尾狐」)
(*)「獣がいる。その状は狐の如くで九つの尾、その声は嬰児のよう、よく人を食う。(これを)食ったものは邪気におそわれぬ。」(高馬三良訳「山海経」)
(本ブログ関連:"Wikipedia「九尾狐」")
この「山海経」は、桃源郷(「桃花源の詩」)の散文を記した陶淵明もマニアだったらしく、「読山海経十三首」の詩を作っている。なるほど、彼が興味深く眺め見たこの書の挿絵には、九尾狐だけでなく不可思議なさまざまな生き物が登場する。
(本ブログ関連:"陶淵明-3")
イ・ソンヒの名前から、神仙の世界へ話しがとんでしまったが、彼女の東洋回帰に合わせてイメージ遊びさせてもらった。
(本ブログ関連:"李仙姫の名前から(1)")
・「選好度: ソンヒ(선희)は、58番目(0.2%)でしばしば使われ、最も多い姓は金である。」
・「性別感: ソンヒ(선희)は、93.57%が女性の名前だ。」
・「出生情報: ソンヒ(선희)は、1985年度に最も多く出生し、ソウル特別市出生の場合が多かった。」
1984年の「江辺歌謡祭」でデビューした翌年、テレビを通じて賑わした彼女の名「ソンヒ(선희)」が多く名づけられたことに因縁があるように思える。彼女の健全なおもむきと名の持つ印象が、当時の都市部生活者に親和性があったのだろう。
(本ブログ関連:"イ・ソンヒという名前")
さて、話しを彼女の名の一文字「仙」の由来から、神仙伝説へイメージを膨らませてみよう。
最近の彼女のヒット曲に、「因縁(인연)」に代表する東洋的な雰囲気を漂わせる傾向があるが、「狐の嫁入り(여우비)」もそのひとつである。ドラマに登場する九尾狐は「山海経」まで遡るという。
・「紀元前2世紀から紀元3世紀頃にかけて中国で著された地理書『山海経』には実在とは思えぬ動植物の項が並んでいるが、その一書「南山経」で、青丘之山に「有獸焉 其狀如狐而九尾 其音如嬰兒 能食人 食者不蠱」*とあるのが九尾の狐に関する最初の記述であるとされる。」(Wikipedia「九尾狐」)
(*)「獣がいる。その状は狐の如くで九つの尾、その声は嬰児のよう、よく人を食う。(これを)食ったものは邪気におそわれぬ。」(高馬三良訳「山海経」)
(本ブログ関連:"Wikipedia「九尾狐」")
この「山海経」は、桃源郷(「桃花源の詩」)の散文を記した陶淵明もマニアだったらしく、「読山海経十三首」の詩を作っている。なるほど、彼が興味深く眺め見たこの書の挿絵には、九尾狐だけでなく不可思議なさまざまな生き物が登場する。
(本ブログ関連:"陶淵明-3")
イ・ソンヒの名前から、神仙の世界へ話しがとんでしまったが、彼女の東洋回帰に合わせてイメージ遊びさせてもらった。
(本ブログ関連:"李仙姫の名前から(1)")
2013年1月2日水曜日
李仙姫の名前から(1)
イ・ソンヒ(李仙姫)の誕生にまつわる話題に、彼女の名「仙姫」に「仙」の字が織り込まれたことについて、次のように伝えられている。
(本ブログ関連:”李仙姫の名前”)
・「イ・ソンヒは、(陰暦の)1964年11月11日に、(本籍地)忠清南道保寧郡(現在は市)珠山面篁栗里に誕生した。父(イ・ジョンギュ:이종규)、母(チェ・ビョンムン:최병문)の初めての子として誕生した。父母のそれぞれの夢に、男の子が示唆されていた。父の夢にあらわれた、山の神を意味する虎のために、彼女の名前(李仙姫)に神仙の「仙」の字が入ることになった。」(「老木樹のチャン・ウクチョ(장욱조)が生命樹になって」)
(本ブログ関連:"イ・ソンヒの生誕")
最初の子として誕生した彼女だが、男子の誕生が期待されていたことを当然知ったのではないだろうか。デビュー以来、彼女がどことなくボーイッシュなズボン姿を続けた意味がそこにあったかもしれない・・・考え過ぎだろうか。
イ・ソンヒの父親が彼女の誕生前に見た夢に神仙の気配があったこと、一家が仏教と大きく関わっていたことなど合わせて、背景に東洋的世界を視るのもよいかもしれない。
関心の一つは、イ・ソンヒがSBSのロマンチック・コメディ「僕のガールフレンドは九尾狐」で歌ったメインテーマ曲「狐の嫁入り(여우비)」に登場する九尾狐だ。
(Youtubeに登録のps3hlproductionsに感謝)
・「天気の良い清い空で急に雨が降る時、韓国では『여우비-狐の雨』が降ると言います。」、「韓国ではもう一つ、『여우비』以外に『호랑이 장가간다-虎が妻をめとる(虎が結婚する日)』と言う表現もあります。(略) 韓国でも日本でも日照り雨は、動物の結婚と言う面白い言葉で表現するらしいですね。」(韓国文化院のコーナー「韓国語ひとこと」)
伝承「狐の嫁入り(여우비)」には<狐>だけでなく<虎>も象徴も含まれているようで、この歌から彼女への関心が一層大きく広がるのは不思議な気がする。
(本ブログ関連:"狐の嫁入り")
(本ブログ関連:”李仙姫の名前”)
・「イ・ソンヒは、(陰暦の)1964年11月11日に、(本籍地)忠清南道保寧郡(現在は市)珠山面篁栗里に誕生した。父(イ・ジョンギュ:이종규)、母(チェ・ビョンムン:최병문)の初めての子として誕生した。父母のそれぞれの夢に、男の子が示唆されていた。父の夢にあらわれた、山の神を意味する虎のために、彼女の名前(李仙姫)に神仙の「仙」の字が入ることになった。」(「老木樹のチャン・ウクチョ(장욱조)が生命樹になって」)
(本ブログ関連:"イ・ソンヒの生誕")
最初の子として誕生した彼女だが、男子の誕生が期待されていたことを当然知ったのではないだろうか。デビュー以来、彼女がどことなくボーイッシュなズボン姿を続けた意味がそこにあったかもしれない・・・考え過ぎだろうか。
イ・ソンヒの父親が彼女の誕生前に見た夢に神仙の気配があったこと、一家が仏教と大きく関わっていたことなど合わせて、背景に東洋的世界を視るのもよいかもしれない。
関心の一つは、イ・ソンヒがSBSのロマンチック・コメディ「僕のガールフレンドは九尾狐」で歌ったメインテーマ曲「狐の嫁入り(여우비)」に登場する九尾狐だ。
(Youtubeに登録のps3hlproductionsに感謝)
・「天気の良い清い空で急に雨が降る時、韓国では『여우비-狐の雨』が降ると言います。」、「韓国ではもう一つ、『여우비』以外に『호랑이 장가간다-虎が妻をめとる(虎が結婚する日)』と言う表現もあります。(略) 韓国でも日本でも日照り雨は、動物の結婚と言う面白い言葉で表現するらしいですね。」(韓国文化院のコーナー「韓国語ひとこと」)
伝承「狐の嫁入り(여우비)」には<狐>だけでなく<虎>も象徴も含まれているようで、この歌から彼女への関心が一層大きく広がるのは不思議な気がする。
(本ブログ関連:"狐の嫁入り")
2013年1月1日火曜日
初詣2013
ようやく陽が温もってきた午後、初詣に出かける。地元裏通りの路に面した、見落としそうな小さな神社である。それでも、境内には我が町のひとびとが次々と並んで参拝した。学問の神を祭っているが、今のところ学校世代が身内にいないため家内安全を祈った。
そのあと、道路を挟んで斜(はす)向かいにある稲荷神社にもうかがい、いくつも重なる赤い鳥居をくぐり抜けて祈ってきた。
初詣に祈った神々が、遠く福岡の大宰府と大阪の高槻にあるなんて、考えて見れば不思議な気がする。祈りは今日中にきっと届いていることだろう。
そのあと、道路を挟んで斜(はす)向かいにある稲荷神社にもうかがい、いくつも重なる赤い鳥居をくぐり抜けて祈ってきた。
初詣に祈った神々が、遠く福岡の大宰府と大阪の高槻にあるなんて、考えて見れば不思議な気がする。祈りは今日中にきっと届いていることだろう。
2013年にこんにちは
2013年、正月飾りを見ると、めでたくもあり、めでたくもなしか。でも、このときくらいめでたい気分にひたりたいものだ。人生のスタートはとっくに忘れたが、新年はそれをちょっぴり思い返させてくれる?・・・そんな風でもないけど、心機一転真っすぐ先を見てみよう・・・ああ、若くないから余りよく見えんな。
そんな風なら、イ・ソンヒが実は高校生のときに貰い受けたあのデビュー曲「Jへ(J에게)」(作詞・作曲イ・セゴン、1984年江辺歌謡際大賞)を気付け薬かわりに聴いて、ほとばしる若さを懐かしんでみよう。
(本ブログ関連:"Jへ" ← 表示後、画面右下の”前の投稿”クリックして次々参照します)
(Youtubeに登録のMBCkpopに感謝)
そんな風なら、イ・ソンヒが実は高校生のときに貰い受けたあのデビュー曲「Jへ(J에게)」(作詞・作曲イ・セゴン、1984年江辺歌謡際大賞)を気付け薬かわりに聴いて、ほとばしる若さを懐かしんでみよう。
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2012年12月31日月曜日
2012年にさようなら
今年も今日でおしまい。明日には、数え年なら直ぐに歳が足されるわけで、だから気付く・・・。
部屋の片付けが面倒で・・・片付けのハウツー本を買ってしまう。人付き合いが億劫になり・・・年賀状の作成枚数を減らしてしまう。そして、技術の流れに乗らないでいる・・・スマホもタブレットも、Twitterもfacebookも使えない、いや使わない。
そんなわけで、時間に対して「恩知らず」なことをつづけている。
ああ2012年、簡単に時間を取りこぼしてしまった、この「恩知らず」さを反省して、われらが歌姫、中島みゆきの歌を聴こう。それにしても「まだずっと好きだけど、ごめん」って、いさぎよいな。彼女は自分の影を歌わない。相手をじっと見つめる。視線がとても強いのだ。
(本ブログ関連:"ディーヴァ"、"時代"、"イ・ソンヒ「水仙」")
(Youtubeに登録のmiyukiofficialに感謝)
部屋の片付けが面倒で・・・片付けのハウツー本を買ってしまう。人付き合いが億劫になり・・・年賀状の作成枚数を減らしてしまう。そして、技術の流れに乗らないでいる・・・スマホもタブレットも、Twitterもfacebookも使えない、いや使わない。
そんなわけで、時間に対して「恩知らず」なことをつづけている。
ああ2012年、簡単に時間を取りこぼしてしまった、この「恩知らず」さを反省して、われらが歌姫、中島みゆきの歌を聴こう。それにしても「まだずっと好きだけど、ごめん」って、いさぎよいな。彼女は自分の影を歌わない。相手をじっと見つめる。視線がとても強いのだ。
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