▼▼ 青字下線付語句のリンク先は、マウス右クリック+<新しいタブ>で進んでください。(本ブログ関連)の最下段に「次の投稿ホーム」があるとき次ページがあります。▼▼

2013年2月15日金曜日

ロシアの隕石落下

明朝<日本時間午前4時24分頃、直径45メートル、重さ推定13万トンの小惑星が地表から地球2個分ほどの距離を通過する>(毎日jp 2/9)といわれ、関心を持っていた矢先、ロシアに隕石が落下した。現在、けが人400人以上といわれている・・・更に増加とのこと。

「ロシアの声」(2/15)は次のように報じている。
ウラルの上空で15日朝、爆発音が鳴り響き、焦げた破片が地上に降り注いだ。
・チェリャビンスク(Челябинск)では、携帯電話の受信障害が発生したほか、一部の住民は避難を余儀なくされた。スヴェルドロフスク州でも、航空機の破片のようなものが落下したとの目撃情報が寄せられた。
・なお、間もなく「ロシア非常事態省」と学者らは、これは隕石雨であると発表した。小惑星は地球の表面に達する前に爆発したため、住民は難を逃れた。 

参考: Youtube映像(登録のAskar Oryngaliに感謝)
https://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=inPclE7RwFY

2013年2月14日木曜日

イ・ソンヒの「夜が来れば」

手元に鉱物結晶がある。マグマや熱水が地中の岩石を通り抜けるとき、圧力と熱も加わって、析出した結晶の種が冷えながら次第に美しい結晶を人知れず創った・・・ものだ。

イ・ソンヒも初期に、トロットの風味や面影を残したものがある。デビュー4年後の1988年に、4集アルバムに収めた「夜が来れば(밤이 찾아 오면)」もそうだ。
美しく緑が冴える山々に日暮れて、夜がたずねてくれば、孤独に押しつぶされそうになる。そんな中でも秘めた想いは冷めることなく・・・。Youtubeで、しのびつづける歌「夜が来れば」を聴こう。

<Youtube削除済み>

(Youtubeに登録のKnightmareSMに感謝)

2013年2月13日水曜日

雪どけ

朝方、滴の垂れる音がして、やがて屋根から雪がドンと落ちる音が始まった。屋外を覗けば、深夜に降ったろう雪が半透明になって、通り道のすみにわずかに残っていた。
成人の日(1/14)の大雪と比べようもない小降りだったようで、昼までには、路上の雪は跡形もなく消えるだろう。

YOMIURI ONLINEの記事「東京の雪や雨、ほぼやむ…多摩は6センチの積雪」(2月13日07時35分)によれば、日中には雪はほとんど解ける見込みだそうだ。
・気象庁は13日午前7時22分、東京の雪や雨がほぼやんだと発表した。
・午前6時現在の積雪は、多摩西部で6センチ程度になっている。 日中は気温が上がるため、雪はほとんど解ける見込みだが、同庁は13日午前の積雪による交通障害や、13日夜から14日朝にかけての路面凍結に注意を呼びかけている。

すっかり乾いた昼の道路は、雪が消えて日向はほんのり暖まるものの、ちょっと風が吹けば随分と寒い・・・やっぱり春には程遠いな。

2013年2月12日火曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 金玉心

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(2/6)に、人物シリーズ66回目としてパンソリの物語を歌い表現する伝説のソリックン(소리꾼)、金玉心(キム・オクシム、김옥심、1925年~1987年)を紹介した。

(参考)「"不運な名唱"金玉心を覚えてますか」(ハンギョレニュース、2006年10月25日

金玉心の歌声に魅せられた、名唱たちの言葉の紹介から始まった。
・パンソリ保有者候補の趙通達(조통달)は、「私の師匠である朴初月(박초월)先生は、歌の稽古の合間に彼女の歌声が聞こえてくると、プク(太鼓、북)の撥(バチ)を置き、その声に聞き入っていました。そして、聞き終わるといつも、どうしたらあのような哀愁ある歌が歌えるのだろうと感嘆していたものです」と当時を振り返った。
・さらに、京畿民謡の金英妊(김영임)も、金玉心の歌声について、「彼女の声は誰にも真似できない、天からの授かり物だ」と表現した。
・また、李殷官(이은관)も「京畿民謡、西道民謡の歌い手の中でも一番だ。彼女以上の声を持った歌い手はもう二度と現れることはないだろう」と絶賛した。
・長い間、歌い手として空白期間があったため、一般に記憶があまり残っていないが、歌い手の間で高い評価を受けた。

▼金玉心による「旌善アリラン(정선아리랑)」を聴く。暖かい庭先で聞くような・・・ほんのりした歌声だ。

・彼女は、京畿民謡の女性スター(李銀珠(イ・ウンジュ、이은주)、黙桂月(ムク・ケウォル、묵계월)、安翡翠(アン・ビチィ、안비취))たちが人間文化財の脚光を浴びるその影(選定からはずされる)に置かれることになる。

次のように金玉心のプロフィールが紹介された。
・1925年、ソウルに生まれる(本名、愛姫)。子供の頃から歌が上手かった。
・12歳  幼くして家計のため咸鏡道へ奉公に出て3年ほど下働きして、同地方の歌を覚えたという。
・その後ソウルに戻り、広く知られた朱壽奉(주수봉)に師事。シジョ(時調시조)、カサ(歌詞、가사)、雑歌などを学び、正式に歌の道へ進む。 逍遥山(소요산)の山裾にある滝の下で3年余り修練したという。

▼金玉心による西道(半島北部地域の黄海道と平安道地方)民謡の「キンアリ(긴아리)」を聴く。開けた窓を通じてどこからか聞こえてくるような、素朴な感じがしてとてもよい。

・朝鮮戦争(1950年6月25日~1953年7月27日)勃発後、陸軍軍芸隊に加入し、慰問公演なども行い、民謡「恨五百年」、「旌善アリラン」など広める役割も果たした。
・1960年代末、広く活躍したそんな矢先、突然、高血圧で倒れて音楽活動を全て休止した。
・1987年 悲運の名唱はこの世を去った。

▼金玉心による「回心曲(フェシムゴク、회심곡)」を聴く。他の歌い手に共通する独特な節回しとは違った、日常の物音に溶け込むような自然な響きがする。

2013年2月11日月曜日

永遠の嘘をついてくれ

今日は祝日(「建国記念の日」)、朝からの心地よい陽射しに誘われて外出したはよいが、吹く風の冷たさにうろたえる。そのまま小金井公園を散策すれば、寒風のなか野球場で楽しむ素人野球を観戦したり、広場の家族連れを遠く眺めたりした。

でも冷たい風に追われての帰り道、近所の図書館に寄って、休館日に唯一空いている読書室で手持ちの本を読めば、やがてウツラウツラして時間が過ぎる。日暮れて外に出れば、先ほどにも増して寒さがしみる。こんなはずじゃなかった・・・などといいながら帰宅する。暖かい日だったと、嘘でもいいから言って欲しい一日だった。

こんな日だから、吉田拓郎(1946年~)と中島みゆき(1952年~)の「永遠の嘘をついてくれ」(1996年、歌詞UTA-NET)をYoutubeで聴いて、嘘でもいいから暖かくなろう。



(Youtubeに登録のsouthwave5963に感謝)

2013年2月10日日曜日

今年は何処で鉱物採集

今年は何処で鉱物採集しようかと、栃木の鉱物仲間との新年会に参加する。いつもなら電車を乗り継いで出かけるのだが、今回は早朝迎えに来ていただいたйо氏の車に同乗して向かった。

のんびりと石談義のなかで、次々と採集候補地が挙がり検討された。末席のわたしとしては、何処でもOK、いつでもOKなので、雑談のタイミングには生真面目に割り込みを忘れなかったが・・・。
後日、幹事さんから届く4月以降の採集地リストが楽しみである。

新年会の後、特別ユニットによる今月の採集候補地も案出したし、今年は快調な滑り出しである。

2013年2月9日土曜日

Legend 100 Artist!

ケーブルテレビMnetは、韓国の「音楽の多様な音楽的価値を見せるため、音楽性、大衆性および時代に及ぼした影響などを評価して、2013年の観点からLegend Artistを選定して、大衆音楽史の偉大なアーティスト(100名)を再照明」することになった。

その「Legend 100 Artist!」第1回放送に、イ・ソンヒの名が挙げられ、他にも次のような歌手たちが登場した。残念ながら未見のため・・・Youtubeで探してみるかな・・・あっありました、80年代を代表する歌手として、チョ・ヨンピルとイ・ソンヒが紹介されています。

・日時: 1月15日、夜12時~
・司会: ペ・チョルス(MC)

出演*: ペ・チョルス、イム・ジンモ(音楽評論家)**、ユン・シムドク、イ・ナニョン、イ・ミジャ、シン・ジュンヒョン、パティ·キム、サヌルリム、ドルグックァ、ナムジン、ナフナ、ユン・ボクヒ、セシボンと仲間たち、ハン・デス、ヤン・ヒウン、ユン・スイル、H.O.T、チョ・ヨンピル、イ・ソンヒ、ナミ、キム・ワンソン、バク・ナムジョン、キム・ヒョンシク、キム・グァンソク、ユ・ジェハ、イ・ムンセ、シン・スンフン、キム・ゴンモ、ソテジとアイドゥル
(*) 出演者には、亡くなった方もいるので、映像主体だろう。
(**) イム・ジンモは音楽評論家のため、彼以外の28名(またはグループ)が歌手である。

(Youtubeに登録のMnetに感謝)

・第1回放送 #1
・第1回放送 #2
・第1回放送 #3
・第1回放送 #4
・第1回放送 #5
・第1回放送 #6
・第1回放送 #7
・第1回放送 #8

2013年2月8日金曜日

CCJクラフト見本市

今日も寒い一日だった。そんなとき、親類から外出のヒント・メールをもらい、池袋にある自由学園の「明日館」(フランク・ロイド・ライト設計)で開催の「CCJクラフト見本市」(1/7~9)に早速出かけた。
伝統的手工芸品の、織物・染織、革製品、ガラス、竹・木・漆細工、金工、陶磁器など多数の作り手が、展示ブースに製品を紹介をする見本市で、今日・明日は一般公開日である。

街を歩けば冬風に震えたものの、会場は暖かく、そのうえ多数のご婦人方に気押されて汗をかいてしまう。まっ、そんな中、木工品、金工、陶磁器などのブースを中心に巡った・・・というのも、素人に何となく分かりやすかったからだが。

豊田木工所(栃木県)の木製「鹿沼組子キット」は、42個の木製部品が入っていて、組み立てると<急須敷き>になる。組立意欲が湧いてきて求めた。実はもっと欲しかったものが同ブースにあったのだ。部品数は少ないが組み立て難度が高い木製キーホルダーの部品が展示されていたが、素人には難しく非売品とのことであきらめた。

帰り道、ジュンク堂書店に寄って岩波文庫「棠陰比事」(桂万栄編、駒田信二訳)を入手する。いってみれば、昔の中国の大岡裁きのような名裁判が列記されたもので、歳とるとほっとしながら読めて良い。韓国語の参考書も買ったが、本当に使うのかなあ・・・。

2013年2月7日木曜日

立川断層帯2013

立川断層(帯)といえば、以前、地震についての市民講座で当面問題ないだろうという話しだったが、一昨年の政府の地震調査委員会による活断層見直しの結果、地震発生確率が高まった。
現在、立川断層の調査が行なわれていて、その成果の一部が次のように報じられた。(抜粋)

(本ブログ関連:"立川断層")

★TBS News: 「8万6000棟倒壊の想定も、『立川断層』を公開」(2/6)・・・TV映像で分かりやすく紹介

★東京新聞: 「『立川』横ずれ断層か 大規模掘削 地震の頻度など調査へ」(2/7)・・・写真・地図あり
・マグニチュード(M)7級の首都直下地震を起こす可能性があるとされる立川断層帯の活断層面が東京大などの大規模掘削調査で確認され、6日に東京都武蔵村山市の調査地で公開された。

・断層が確認されたのは東京都立川市と武蔵村山市にまたがる日産自動車村山工場の跡地。東西250メートルにわたって幅30メートル、深さ10メートルの溝を掘ったところ、多摩川に運ばれた砂利が堆積した3万~5万年前の地層の中に、団子状の粘土が挟まった地震活動の跡が見つかった

現れた断層は垂直に近い急角度で、従来想定されていた地層が上下方向にずれる「逆断層」ではなく、水平方向にずれる「横ずれ断層」である可能性があるという。東京大地震研究所の石山達也助教は「今回は断層がどこに存在するかを明確にするのが目的。地震の頻度などは今後の調査で情報を得たい」と説明する。

・掘削調査は2月中に終了するが、引き続き地盤を機械で振動させる人工地震による地下探査などで2014年度まで集中的に調べ、どんな地震を起こす可能性があるかを予測する

・<立川断層帯>埼玉県飯能市の名栗断層と、東京都青梅市から府中市までの立川断層からなる。全体の長さはおよそ33キロ。政府の地震調査委員会は今後30年間の地震発生確率を0.5~2%と推定するが、東日本大震災の影響で発生確率が高まったとされる。マグニチュード(M)7.4程度の地震を起こす可能性もあるとされる。


(付記)
Q.今回調査から、縦ずれでなく、横ずれと分かったそうだが、地震の規模に違い(影響)があるのだろうか?
    (NHKニュースでは、断層は(横ずれ+縦ずれ)の合成だそうで、震災への影響も大きそう)
Q.立川断層帯=(立川断層+名栗断層)、だそうだが、立川断層≠名栗断層なのか、同一なのか?
Q.2014年までの調査で、地震発生確率の精度に効果が期待できるか?

ところで、当地で(生きている間に)地震に遭遇したら、震度6弱は免れない。つまり、立っていることが困難になり、耐震性のない家は倒壊するものがあり、一部の列車に脱線の可能性が出ることになる・・・以前なら、まるで映画のようといったが、今回の東日本大震災以降、絵空ごとといなす余裕はない。

2013年2月6日水曜日

イ・ソンヒの「あなたのそばに」

先日(1/14)と同じ気圧配置のため、南の暖かい風は、北から張り出した寒気に冷えて、朝方小雪を降らせたものの、どうやら雨になったようだ。せっかく昨日購入した、雪かき用のスコップは必要なくなった。

こんな寒い日だからこそ、イ・ソンヒの10集アルバム「First Love」(1996年)所収の「あなたのそばに(그대 곁으로)」を聴いてみよう。
つめたく冷えた心を変えることはできないけど、この世はひとつしかないから、そばへ寄り添おうと・・・でもねえ、今日の空のように結局濡れそぼるだけになりはしないかと。



(Youtubeに登録のKnightmareSMに感謝)

2013年2月5日火曜日

雪かき用スコップ

前回(1/14)の大雪に懲りて、予報されている明日の降雪に備えるため、雪かき用スコップを求めてホームセンターに行った。当然ながら、スコップ商品棚に雪かき用のものは売り切れていてなかった。しょうがない・・・土掘り用の先端の尖ったものを購入した。

明日の日付に変わる頃から雪空になるそうだ・・・朝になったら、雪かきでもしようか。そんな必要がないことを期待する。何しろ、前回は積もった雪を、自然に溶けるに任せたのだから。

KBS WORLD「国楽の世界へ」 金演洙

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(1/30)に、人物シリーズ65回目としてパンソリの名人、金演洙(キム・ヨンス、김연수:1907年 ~1974年)を紹介した。

まず、パンソリの成立の解説から始まった。
・昔、文字を読めない庶民のために読み聞かせて生活する人々の中から、登場人物を真似たり、旋律を加えたりして、パンソリの形態を持つ歌が生まれたといわれる。
・朝鮮時代末には、庶民やさらに両班(ヤンバン、양반)階級だけでなく、王までもが楽しむ音楽ジャンルとして広まった。身分の高い人前で演ずる際、歌詞に漢文や故事成語などを織り交ぜるようになった。しかし、パンソリの歌い手である「クァンデ(広大、광대:大道芸人)」たちにとって、その意味の理解は難しかったため、勝手な解釈で故事成語を入れたりして支離滅裂な歌詞となる事態が発生した。
・こうした状況のなか、金演洙はパンソリ歌詞の整理に努めた。

(本ブログ関連:"パンソリ")

▼金演洙による「春香歌(춘향가)」の中から、「千字文後解*(チョンジャディプリ、천자 뒤풀이)」を聴く。では、千字文を剥きになって諳んじる房子の心底はいかばかりか。
(*)千字文後解:「後解」について「全羅北道 韓国伝統ソリ文化」参照

次のように金演洙プロフィールが紹介された。
・1907年 全羅南道高興に生まれる。
・14歳まで書堂서당:寺子屋)で漢文を学び、高興普通学校、ソウル中東中学校に通った後帰郷。
・29歳のとき、歌の勉強を始める。遅いスタートだが、劉聖俊(ユ・ソンジュン、유성준)名唱について「水宮歌(スグンガ、수궁가)」を習得する。その後、朝鮮声楽研究会に入り、多くの名唱から現在残るパンソリ全5曲を学ぶ。
才能あるものの歌い手として声質が向かず、声量も弱いという弱点を克服し、さらに間違った解釈のパンソリ歌詞の漢文を正す作業など行った。

▼ 金演洙による「水宫歌(スグンガ、수궁가)」の中から「杲杲天邊(コゴチョンビョン、고고천변)」を聴く。語り口調なので・・・。

・1967年 東亜放送で、1日3、4時間ずつ何日にも渡り<パンソリ全5曲>を録音し、それを一日10分ずつ140回余りに分けて放送して大きな反響を受けた。当時はまだ、パンソリが大衆的な音楽だった。音源は後にまとめて発売され、貴重な資料となる。その後、<パンソリ5曲>の歌詞内容をまとめた資料集を発刊し、後輩たちの指導も熱心に行った。
・1974年 没する。

▼金演洙による「興夫歌(フンボガ、흥보가)」の中から「花草藏(ファチョジャン、화초장)」を聴く。途切れることなく、跳ねるような早いテンポの語り口・・・。

2013年2月4日月曜日

立春2013

先日の強風は、春一番になり損ねたようだ。立春以降に吹く、「初めての南寄り(東南東から西南西)の強風」しか春一番に当てはまらないのだから。

二十四節気の第一番目に当たる立春の今日は、春の始まりである。

今日は静かな日だ。風音もしなければ、空にこもる街の騒音も不思議なほどにかすかだ。ときたま地元飛行場の着陸コースをゆるゆるとたどるプロペラ機のエンジン音が聞こえるくらい。

春の陽射しにぬるむご近所の駐車場で、薄茶色の猫が車のタイヤに向かって尻尾をゆらゆらと振っていた。そばを通り過ぎるとき、何事かと車の下側を覗くと、身をくねらせて白い腹を少し見せるように横たわっている猫がいた。春のきざしに誘われて、生き物たちは正直に活動を始めたようだ。

(本ブログ関連:"立春")

ところで、今週の水曜日に雪が降るって・・・今度は、まじめに雪掻きしなくちゃ。

2013年2月3日日曜日

恵方巻きって何?

得体の知れないものなんて食えるかよと、長年意地を張って拒絶していた「恵方巻き」を、ついに信念を破って、近所のDVDレンタル店に寄ったついでに、階下のスーパーで買ってしまった。(以前、お相伴して食ったことはあるが、自分のために買ったのは初めてである)
何のことはない、太巻き寿司じゃないかといえばそれまでだが、一体この風習を知らない。子どものころに住んだ九州でも、この東京でも覚えがない。

商業主義に乗ってしまい、「バレンタインチョコ」と同じだといえば、いかにも高見からいっているようだが、じゃあ「蒲焼き」はどうなんだといわれると・・・源内さん御免なさいだ。わたしが陥落したように、この「恵方巻き」もいつか習慣となって、風習になるのだろうか。

「恵方巻き」は、太いのにあっさり食えてしまったよ、物足りない・・・と食欲がそそる自分に忸怩たる思いする。本当に信念がない。

さて、借りてきたDVDの方はシビアな内容だ。題名「裏切りのサーカス」というより、ジョン・ル・カレの「ティンカー・テイラー・ソルジャー・スパイ(Tinker Tailor Soldier Spy)」といった方がわかりやすい。
決してアクション映画とはいいがたい地味なストーリーだが、時系列を錯綜させながら、サーカス(英国秘密情報局上層部)のコントロール(上級者)に潜む裏切り者(モール)をあぶりだしていく。

世界が固定していた時代にリアリティがあったものを、その時代を知らない若者がどのように受けとめるのだろうか知りたいところだ。
どうやら、わたしたちの正義や進歩は、世界が二分されていたとき作られたものがあって、その仕切りがなくなると、一体あれってどうなんだと立ち尽くすしかない。その時代、その現場に立ったものは、その時しか意味を見い出せない。

ラストに、主人公がサーカスに再び迎え入れられるとき流れるフリオ・イグレシアス(Julio Iglesias)が歌う「ラ・メール(La Mer)」をYoutubeで聴こう。



(Youtubeに登録のmwGhost45に感謝)

2013年2月2日土曜日

ふれあいスポーツ教室

小金井公園にある総合体育館で、東京都と小金井市によるオリンピックムーブメント共同推進事業として、「スポーツ祭東京2013開催記念  ふれあいスポーツ教室」が開催された。

イベントの中でも、ロンドン・パラリンピック陸上競技(男子100m・200m)出場の「古畑篤朗選手の車椅子陸上教室」に参加した。小体育館といえど2階観覧席のある、バスケットボール2面分の広い会場だ。子どもから大人まで多数が集まった。

地元健康体操教室で、いつもお世話になっている指導者の方の司会で始まった。登場した古畑選手は、最初ちょっとシャイな感じがしたが、競技用車椅子の紹介や競技活動について説明と質疑が始まると俄然、快活な若者になった。

競技用車体について質問したりしたが・・・質疑の中で驚いたのは、車体フレームと半年ごとに取り替えるというタイヤの費用だろう・・・全て自費というのにまたビックリした。大変なことだ。公的支援の必要性を感じた。
その後、参加の子どもたちが喜んだのは、トラック競技用車体やバスケットボール競技用車体への試乗だろう。体育館内をところ狭しと走り回ったことはいうまでもない。

最後に、古畑選手から、次回パラリンピックへの参加の意欲ある発言があり、応援の拍手を以って閉会となった。

正直、身近でなかったパラリンピックとの距離が、今回大いに近まったことはいうまでもない。今年、「スポーツ祭東京2013」の名で国体が東京で開催される。東京スタジアム(調布市)の陸上競技場での古畑選手の活躍を期待し応援したい。

2013年2月1日金曜日

イ・ソンヒの「小さな恋歌(ソナタ)」

イ・ソンヒが韓国伝統音楽の国楽に新しい境地を求めて、成果を収めたのがアルバム8集「小船(조각배)」(1992年)である。東洋的な風情を漂わす弦の音に始まり、笛の音に終わる「小さな恋歌(ソナタ)(작은 연가)」(作詞:ファン・チョンウォン、作曲:キム・ヨンドン)を収録している。

風そよぐ森の中でも、草花の咲く野の道でも、陽射し傾く川岸辺でも、小さな想いをこめた恋の歌が聞こえてくるよう・・・Youtubeで聴いてみよう。



(Youtubeに登録のmaonsanに感謝)

2013年1月31日木曜日

イ・ソンヒとイ・スンギの関係

MLBPARKの掲示板に、「イ・ソンヒとイ・スンギの関係は非常に独特のケースでしょう。」(2011年6月1日)の投稿があり、署名は何と「坂本龍馬」なのだ・・・なぜ?
次のように、イ・ソンヒの人となりも含めて語られていて関心深い。感謝。

(本ブログ関連:"イ・スンギ")
----------------------------------------

これ(イ・ソンヒとイ・スンギの関係)が、囲碁のような徒弟制度で伝わるケースではよくあることだけど・・・

芸能界ではほとんど見られない事例でしょう。

イ・ソンヒとイ・スンギが初めて出会ったのが2002年の冬頃なんですが・・・

これは、もう放送であまりに何度も語られて良く知られた話でしょう。 

その年の秋に、イ・ソンヒが大学路(テハンノ)に小劇場を買いとったが、当時上渓(高等学校の)バンド ・サークルにいたイ・スンギが、その地域のバンド サークル連合コンサートを企画して、公演会場がイ・ソンヒ所有の小劇場であって、そこで初めて会ったそうですね。

そして当時は、イ・ソンヒとイ・スンギの所属会社である「フックエンターテインメント」が今のような演芸企画会社ではなかったために・・・(当時も、あることはあったが、これは芸能人企画会社というよりは一種の公演企画会社の性格でした。イ・ソンヒが本人の公演を直接企画しながら必要になって作った会社でしたよ。芸能人を育てようと作った会社でなく)・・・他の企画会社のように合宿所のような所もなかったし・・・それからデビューする前の約1年ほどを、イ・ソンヒが(彼を)直接自宅に連れていきました。

歌手としてトレーニングするだけでなく、ご飯も炊いてあげ、学校に行かせながらママの役割までしたんですね

これは「遊びにおいで」でも話したが、詳しい話は、イ・クムヒの「朝の広場」で、数回出てきたことがあります。イ・スンギの非公式な放送デビューが、2004年度に「朝の広場」で、イ・ソンヒの自宅が最初に紹介される回でした。その後にも、イ・ソンヒの家が出てくる時、イ・スンギが共に出てきたことがあったし・・・

そして・・・イ・スンギが発表したアルバムの中で、イ・ソンヒが米国に行っている時に出した2枚のリメーク ・アルバムと3集を除いた残りの1、2、4集の企画者はイ・ソンヒです。1集は、サイが一緒にプロデュースしたが、2、4集は、イ・ソンヒが企画とプロデュースの責任を負いましたよ。

また、イ・スンギの3度のコンサートの中で、イ・ソンヒが米国に行っている時のコンサートを除いて、2度のコンサート公演の演出者がイ・ソンヒです。そのおかげで、イ・スンギのコンサートの構成は、イ・ソンヒのコンサートとほとんど完ぺきに全く同じです。歌手が全然違うけれども、同じ人が企画したというのがとても分かるほどで・・・

コンサートの話をもっとするなら・・・2004年以後、イ・ソンヒのコンサートには固定ゲストが常にいます。みなご存じのように正にイ・スンギですよ。歌手としてイ・スンギのデビューは、「僕の彼女だから」でなく、厳密にいえば、イ・ソンヒの2004年の「20周年コンサート」でした。まだアルバムが出る前、イ・ソンヒのコンサートにゲストでプロ舞台に初めて立ちましたよ。そして、本当に特別な事情がない限り・・・ イ・ソンヒがコンサートをすれば、その場所がどこでも、その時間がいつでも、イ・スンギはゲストに出てきます。

20周年(コンサート)の時も同じで、2006年の「因縁」(コンサート)の時も同じであり、今年(2009年コンサート)も同じです。 (さらに、その忙しいスケジュール下で、10分の舞台のために米国(カーネギーホール)にもついて行きましたよ。) イ・スンギが言うには、(イ・ソンヒ)先生のコンサートに自分が出るのは、ゲストに出るのではないといいます。

ただし、2009年の全国ツアーの場合、当時の日程が「華麗なる遺産」のドラマ撮影と重なったため、イ・スンギがゲストとしてたくさん参加できなかったが、ドラマ撮影が終わった後は全て参加したし、いつも話が先生のコンサートには自分が常に出なければならないのに、今年は出られないので惜しいという話でした。

(これは個人的な考えですが・・・イ・スンギが一般的な芸能人と比較すると、まだ軍隊に行く時期がしばらくあったけれど、すでに軍隊の話をしていて具体的に三十になる前に転役(予備役)する。と、話すのが・・・イ・ソンヒの30周年コンサートの日程と関連があるでしょう。イ・スンギは、イ・ソンヒの30周年となる2014年に司会でなければなりませんね。今回のコンサートでも、スンギが出てきて、とりわけ27周年(2011年)《一昨年(2009年)のツアーが終わった25周年だから当然だが、27周年になぜ!!! 》を強調しましたよ。)

では、イ・スンギのコンサートにイ・ソンヒはどうするのか・・・

これが事実とはちょっと驚くべきです。前にこのような前例は見たことがないけれど・・・ 前に話したように、イ・ソンヒが「イ・スンギコン(サート)」を企画・演出する総監督じゃないですか? ところで、その総監督が公演のゲストとして(舞台に)立ちます。昨年、イ・スンギのコンサートにイ・ソンヒがゲストで登場するという話があったが、事実私も信じませんでしたね。イ・ソンヒのコンサートに、イ・スンギがゲストで立つのは、いくらイ・スンギがトップスターになるとしても当然の道理だが・・・師匠であり、公演総監督であるイ・ソンヒが「イ・スンギコン(サート)」にゲストで出てきて歌を歌うわけがあるか・・・

ところで、その公演の少し前にあった、イ・スンギのサムスン広告ファンミーティング行事に、イ・ソンヒが登場したんですよ。嘘だと思ったが本物でしたよ。本当に何でもない(いくらサムスンでも)ただでさえ単純な広告行事に、イ・ソンヒがゲストで出てきて歌を歌いました。あのイ・ソンヒがね!!!

ああしたところまで出るほどなら、まさか総監督でもコンサートに出るという話が流言であるはずがないね・・・と思ったが、なるほど出てくるだけです。

そしてドラマ・・・「僕のガールフレンドは九尾狐」は、イ・ソンヒが直接音楽監督として作品に参加したので、あえて話す必要がなくて・・・

興味深いことは、「華麗なる遺産」撮影の当時、そこのスタッフたちと出演者が、イ・ソンヒとたびたび会ったということです。当時、イ・ソンヒは25周年全国ツアー準備で真っ最中、忙しかったがそれでも時間があるときは、おやつを包んで撮影現場を訪れたと言いますね。一番おもしろい話は、イ・ソンヒがイ・スンギの小遣いを渡したとの話なのに・・・何か実現したかは分かりません。この時はもうお金はイ・スンギがもっと多く稼げる時なのに・・・

最後に、芸能を話そうとするなら・・・ 本来、イ・ソンヒは芸能にそんなにしばしば出演する人物ではありません。本人自らそんなことを間違っているという事実をよく知っていて・・・実際、本当にできないので(本当におもしろい話も、本当にヒヤリとする途方もない才能を持つ方でしょう、この旦那が。) 芸能は交渉が進んでも上手く行かないのに・・・

イ・ソンヒが熱心に芸能(番組など)に出演した時がぴったり1回あります。2004~2005年までの期間に、その他の活動期間全体に出たほど多く芸能に出演しましたね。そして、そのそばには常に新人のイ・スンギがいました。

帰国後、「膝打ち導師」に出演したことも多分・・・当時、イ・スンギとMBCがとげとげしい関係にならねばならなかった状況が大きく作用したと思います。そして、そのイ・ソンヒの側では「1泊2日」に出演した以後、イ・スンギが満2年ぶりに初めてMBC画面に登場する側でした。

そのまま・・・次の、彼に関連した話があって、イ・ソンヒの長い間のファンで・・・また、イ・スンギをデビュー前から見て、今はその熱烈なファンになってしまった立場で二人の関係に対してあれこれ知ることを話してみました。

イ・ソンヒが放送でも、「スンギのためにならば、見えることでも見えないことでも何でも全部話すことができる。」と話して・・・イ・スンギが毎度「一生の恩人、最も尊敬する師匠」と話すけれど・・・この二人の関係は本当に見れば見るほど・・・分かれば分かるほど美しくてほほえましい関係です。
----------------------------------------

2013年1月30日水曜日

歌姫

若いときは何もかも待ち遠しくて、頬をそよぐように時間が後ろに流れていった。しかし今は、時間に背を押されて、足をもつれさせながら歩いているよ。夢の中の自分が、さらに蝶になる夢を見ることもないし、緊張にぷつりと切れて癒しを求めることもない。そんな危なっかしい若者の特権が懐かしいですね。

中島みゆきの「歌姫」はむしろ、働き盛りの海外へ単身赴任中の男たちに聞かせる歌かも知れませんがYoutubeで聴いてみよう。

(本ブログ関連:"中島みゆき")



(Youtubeに登録のzxcrazybluexzに感謝)

2013年1月29日火曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 李世焕

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(1/23)に、人物シリーズ64回目として弦楽器コムンゴ*(玄琴거문고)の演奏者、李世焕(イ・セファン、이세환、1952年6月4日~)を紹介した。

(*)コムンゴは(日本の琴に似た)伽耶琴と同サイズだが、「伽耶琴の弦が12本で、直接、指で演奏するのに対し、コムンゴの弦は6本。それにスルテと呼ばれる、細くて短いばちを使って演奏するため、伽耶琴よりも荒々しい音を出す」。

(本ブログ関連:"コムンゴ")

まず、コムンゴ演奏の復活の解説から始まった。
・コムンゴ演奏の紹介曲「チュルガン(出鋼、출강)」は、力強くて何処か叙情的な音色があるが、チュルガンに、製錬所で純粋な金属を取り出す作業の意がある。1964年、北側の曲が始まりで、1995年に韓国に初めて伝えられた。当時、韓国国楽人たちは、北側でコムンゴ演奏はなくなったと考えられていたため、コムンゴの創作音楽は大きな話題となった。

李世焕と琴律楽会による「チュルガン(출강)を聴く。描写的な要素が強いのだろう・・・大味な感じがする。

・北側では1965年、伝統楽器の改良政策が進められたが、コムンゴは改良が難しく除外された。当時の韓国でもコムンゴの音色は国楽の現代化の波から取り残されつつあった。李世焕が「チュルガン」を発表したことで、仰々しい楽器というイメージをコムンゴから払拭し、躍動的で叙情的な音楽も演奏できるという認識を与えることになる。

▼李世焕他による「霊山会相(ヨンサンフェサン、영산회상)」中の「下絃還入(ハヒョンドドゥリ、하현도드리)」を聴く。風流なんでしょうか・・・でも少し賑やかな。

次のように李世焕プロフィールが紹介された。
・1960年代 国楽士養成所に入学。コムンゴ正音楽を学ぶ。
・その後、国立国楽院の正楽団で、コムンゴ演奏者として活動。アジェンとチョルヒョングムの演奏にも長けた。さらに、宮中音楽やソンビたちの音楽である正楽だけでなく、サンジョやシナウィ、舞踊音楽など、民俗音楽にも才能を発揮した。国楽家中で、正楽と民俗音楽の両分野に渡り活動する演奏家は稀。
・1980年代 李世焕を後援するする日本コムンゴ会が結成される。

▼李世焕他による申快童流(シン・クェドン流、신쾌동류)の「玄琴散調(サンジョ、산조)」を聴く。・・・ゆるりと聞き入る。

2013年1月28日月曜日

イ・ソンヒのOST「去らないで」

昨晩の冷え込みのせいで早朝小雪になったけれど、起きて外を見れば降り止んでいて、家の前の路に積もることなく、軒下に雪解け水がポトポトと垂れていた。
昼の日向には、雪降りのおもかげはなくなったが、ただただ寒かった。

今回の大統領選の結果を予見するような女性大統領の登場をドラマにした、SBSの「大物(대물)」(初回2010年10月6日)でイ・ソンヒが歌う「去らないで(떠나지 마)」を聴いてみよう。作曲家のイメージを尊重して、「(事前に)1、2度聞くだけにしました。あまり聞くと、その歌が私の考えで変わってしまうからです。録音スタジオでは、作曲家の要求をうけて4回程度歌いました。」(イ・ソンヒとのロングインタビュー)という。

(本ブログ関連;"去らないで")



(Youtubeを登録の526apolloに感謝)