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2015年6月13日土曜日

イ・ソンヒの書「夢よ、愛よ、出会いよ」

写真:gmarketに掲載の写真
1991年(11月1日)、イ・ソンヒが(ケイステップインターナショナルより)出した自伝「夢よ、愛よ、出会いよ(꿈이여 사랑이여 만남이여)」は、どうやら、本ブログの左に置いた、「ブログ本文&資料」の「・資料:이선희 Profile (自伝~1991年、27歳まで)」*に該当するようだ。(同書が入手できれば一挙に判明することだが)

(*) 「スポーツ韓国」紙面(1991年3月8日~4月5日)に、12回に渡って掲載された自伝と、書籍として自伝が出版された年が一致する。

(本ブログ関連:”夢よ愛よ出会いよ”)

時期的な根拠以外に、ブログ「PETERLOG」の「イ·ソンヒと高音이선희와 고음)」に紹介された、次の記述からも推測できる。(感謝)
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・1991年に出した自叙伝「夢よ、愛よ、出会いよ」でも明らかにしたように、彼女は、「ダイナミックでパワーあふれる歌手」という・・・。
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上記ブログでは、イ・ソンヒの音楽性の変化について、彼女の初期からの「高音」の発声や「パンパラパンパ」した威勢のよさが影をひそめるタイミングを示し、考察している。

2015年6月12日金曜日

(雑談)アリ+ハチの話し

アリ(蟻)について、身近に観察したことを記したり、思いつくまま雑誌や書籍など孫引きして楽しんでいる。今回も受け売りだが、おもしろい記事があった。

(本ブログ関連:”アリ”、”ハチ”)

<アリの行列>
以前、アリの行列が渋滞しないのは、互いの距離が開いているからという話しを受け売りした。今回は、雑誌「Newton」(2015)の7月号に、科学ニュースの短報、「アリの渋滞回避方法」(ドイツ、へーニッケ博士ら)が載っているので記す。
① アリの行列は、数が増えても混雑せず渋滞しないのは、列を増やしたり速さをコントロール(最大1.5倍)するからだそうだ。
② また、行列がすれ違うとき、巣に帰ろうとするアリは左によけるとのこと。
何だか、②については、左側通行の正当性・根拠を与えられたような気がして・・・。

<ドローン>
ところで、最近賑わしている、あの空を飛び回る「ドローン(drone)」であるが、ハチの発するブーンという音を指すともいわれる。
「働かないアリに意義がある」(長谷川英祐著)によると、アリと同じ、(真社会性社会性昆虫である、ハチも女王蜂と働きバチ(メス)で構成されていて、オスは1回の交尾のため存在して、その後死ぬ。そのため「厄介者」と呼ばれるそうだ。さらに、ミツバチのオスについて、次のような悲しい話まである。
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・新しく生まれた女王が充分な回数の交尾を済ますと、働きバチはまだ巣にいるオスにエサを与えなくなり、激しく攻撃して巣から追い出してしまいます。追い出されたオスたちは、むなしく死んでいくしかありません。
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ネット英語辞書「英辞郎」で、<drone>を見ると。
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1.《昆虫》〔ミツバチの〕雄バチ◆特に女王蜂との生殖専門の
2.怠け者、ぐうたら者、ごくつぶし、横着者
-- 以下略 --
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<イ・ソンヒは、アリよりキリギリス>
ところで、イ・ソンヒは、大学受験の高3の夏に「アリとキリギリス」のどちらを選んだか。
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・遊んでばかりいた子どもも高3になれば、慌てて入試勉強に没頭するのが常なのに、なぜか私だけは万事泰平だった。
・そのとき、私の心は、イソップ寓話に出てくる「アリ(蟻)」よりも「キリギリス」の側に傾いていたようだ。だから、友達が夏の間、アリのよう熱心に教科書と格闘したときに、私はキリギリスのように歌いながら暑い夏を涼しくおくった。
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2015年6月11日木曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 並唱

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(6/3)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、弾き語りしながら歌う「並唱〔併唱〕(병창)」に関する3曲を紹介した。

始めに、撥弦楽器の伽耶琴(カヤグム、가야금)を演奏しながら歌う「伽耶琴並唱」について次のように紹介された。
・楽器を演奏しながら歌う「並唱」に、伽耶琴演奏して歌う伽耶琴並唱がある。並唱は、朝鮮後期に生まれた奏法で、パンソリ中よく知られた部分や短歌、民謡を歌う。パンソリで喉を痛め仕方なく歌うものと軽視されたが、日本統治の頃から、レベルの高い並唱がはじまり、人気のジャンルとなった。朴貴姫が重要無形文化財に指定されるに至り、今では伽耶琴と歌、両方できるジャンルとされる。パンソリと比べ歌のリズムは単純だが、歌と融合した伴奏に魅力がある。

▼ 伽耶琴並唱の「春香歌(춘향가)」から、「千字注解(천자뒷풀이)」を聴く。知ってるか? 知ってますとも・・・長々暗誦する。

・「春香伝(춘향전)」の李夢龍(이몽룡)は、春香との待ち合わせで、時間まで居ても立っても居られない。本を読んでも落ち着かす、仕方なく使いの房子(방자、地方官の役職)とおしゃべりをはじめた。それが「春香歌」の「千字注解」の場面だ。

次に、弦楽器の玄琴(コムンゴ、거문고)を演奏しながら歌う「玄琴並唱」について次のように紹介された。
・玄琴の並唱、玄琴並唱は伽耶琴並唱と比べ、曲の数も演奏する者も多くない。申快童が初めて玄琴並唱を歌い、今では弟子の金泳宰(김영재)だけが後を継いでいる。

▼ 玄琴並唱の、全国の景勝地を遊覧して風流を楽しむ、「八道遊覽歌(팔도유람가)」を聴く。浮き世を離れて・・・のんびりと。

最後に、「ピアノ並唱」というジャンルについて次のように紹介された。
・伽耶琴並唱と玄琴並唱以外に、最近はピアノの並唱もある。はじまりは、チェ・ジュンという体が不自由(自閉症のひとつで、人と目を合わせたり話すのが苦手で、口の筋肉や体が硬くなる症状)な青年である。偶然接したパンソリをきっかけに、もともと指が硬くなるのを防ぐためにピアノを習っていたので、歌とピアノを組み合わせて、音楽を通じて自分だけの世界を乗り越えた。

▼ チェ・ジュンのピアノ並唱、パンソリ「興甫歌(フンボカ、흥보가)」から「花草欌(화초장)」を聴く。花模様、今様に多彩。

・「興甫歌(朴多令)」は、兄ノルボ(놀보)と弟フンボ(흥보)の物語り。

2015年6月10日水曜日

イ・ソンヒの「ライラックが散るとき」

もうライラックは散ってしまっただろうか。遠くに見るこの花は、薄紫色に木を包む。近寄ると、花弁が思いのほか肉厚なのに驚く。藤棚の花のように、そよとした風情はないが、どちらかといえば、洋風であり、博物学図鑑に画かれているような重さがある。

だから、イ・ソンヒが、10集所収の「ライラックが散るとき(라일락이 질때、歌詞)」で、この花にどんなイメージを重ねたのか知りたい。ライラック(Lilac)という語感か、あるいは薄紫色した色感か。いかであれ、彼女がシンガーソングライターとして、初めて世に出した情感深い名曲だ。コンサートにはかかせない。

(本ブログ関連:”ライラックが散るとき”)


(Youtubeに登録の태양 sunに感謝)

(ところで)
韓国のおじさんに、(金管ながら木管扱いの)管楽器サキソフォン演奏が流行ったことがあったそうだ。今でもそうなのか、これまた知りたいところだ。
この「ライラックが散るとき」は、演奏でいうところの<歌う>、あるいは効かせどころが随所にある。韓国のおじさんアマチュア・ソロ奏者たちが、(イ・ソンヒの作品の中でとりわけ)この曲を次々チャレンジしているのを、Youtube検索で知ることができる。サキソフォンを持っているなら、吹かせたくなる気分、分からないわけではない。

2015年6月9日火曜日

イ・チョク「嘘、嘘、嘘」

おじさんとしては、男性歌手に関心はないが、イ・ソンヒとの関わりから、愛弟子イ・スンギの話題がニュースに大きく載ると目を通している。今回も、Googleニュースに「イ・スンギのニューアルバム、予約ランキング1位に!」(Kstyle、6/9)との記事があった。6集フルアルバム「そして…(그리고...)」のことだそうだ。それに、現在、Gyaoで放映中の、「君たちは包囲された(너희들은 포위됐다)」(第1回)も見ている。

そこで、ずっと視野を広げて、他の男性歌手を聴くのに、良いヒントをいただいた。教室で先生が、シンガーソングライターのイ・チョク(이적)の日本コンサートに、先週行かれた話しをされた。みなキョトンとしたので、返って驚かれたようだ。(最初聞いたとき、女性歌手チョクウ(적우)のことかと思った・・・)

(本ブログ関連:”シンガーソングライター”)

まずは、彼がKBSミュージックバンクで1位となったという、ソロアルバム5集「孤独の意味」のタイトル曲「嘘、嘘、嘘(거짓말 거짓말 거짓말)」(2013年)を聴いてみよう。美しい曲調ながら、独特で柔らかく力強い多様な声質が加わって、歌詞に思いをはせ、その世界に深まる。

恋の離別と思って聞くのも良いし、捨てられた子の悲しみと思って聞くこともできる。次第に、心に響き、沁み渡る。(ブログ「gooddaddy」に感謝)


(Youtubeに登録のMBCkpopに感謝)

2015年6月8日月曜日

梅雨入り 2015

今日、<東海>と<関東甲信>が梅雨入りした。平年通りで、昨年と比べて3日遅い。沖縄奄美のほかは、だいたい6月初旬に収まるようだ。

(本ブログ関連:”今年の梅雨入り”、”梅雨”)

とはいえ、今日は一日晴れていたような? むしろ、今晩遅くから明日昼ごろまで雨降りとのこと。それでも梅雨入りだ。


平成27年の梅雨入り(気象庁、更新日:平成27年6月8日)

地方        平成27年        平年差      昨年差       平年               昨年
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沖縄         5月20日ごろ   11日遅い  15日遅い   5月09日ごろ    5月05日ごろ
奄美         5月19日ごろ   08日遅い  14日遅い   5月11日ごろ    5月05日ごろ
九州南部  6月02日ごろ   02日遅い   同じ          5月31日ごろ    6月02日ごろ
九州北部  6月02日ごろ   03日早い   同じ          6月05日ごろ    6月02日ごろ
四国         6月03日ごろ   02日早い  01日遅い   6月05日ごろ    6月02日ごろ
中国         6月03日ごろ   04日早い  01日遅い   6月07日ごろ    6月02日ごろ
近畿         6月03日ごろ   04日早い   同じ          6月07日ごろ   6月03日ごろ
東海         6月08日ごろ    同じ        04日遅い    6月08日ごろ   6月04日ごろ
関東甲信  6月08日ごろ    同じ         03日遅い   6月08日ごろ    6月05日ごろ
北陸         6月12日ごろ                                                         6月05日ごろ
東北南部  6月12日ごろ                                                         6月05日ごろ
東北北部  6月14日ごろ                                                         6月06日ごろ
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(資料)イ・ソンヒが李鍾賛夫妻とKBS TV「名士の家庭」に出演したこと

イ・ソンヒと政治の関わりは、ネット記事で語られることがある。また、彼女の名声を重ねて(したたかに)思い出語りされることもある。彼女の胸中しかあずかり知れぬことなのに。それでも、或る一瞬、ある一言から、当時の彼女について、わずかに推し量るヒントが得られそうな気もする。

(本ブログ関連:”イ・ソンヒと政治”、”イ・ソンヒと政治(続)”、”「Jへ」と「DJへ」”)
(本ブログ関連:”ソウル市会議員”)

興味深い回顧録がある。東亜日報掲載の「”安企部で働いて欲しい”・・・押しよせる人事請託 - [憧憬 李鍾賛 回顧録]<40> 金大中政府、安全企画部長就任」(5/30)である。要職にあった人物だけに、それとなく書かれた一言に関心が及ぶ。(抜粋)

李鍾賛(이종찬)は、「1998年2月に発足した金大中*政権では、国家安全企画部(安企部)の部長**に任命され、翌99年1月に安企部から改編された国家情報院の初代院長となった(~1999年3月)。」(Wikipediaより)
イ・ソンヒは、複雑な政情の中に揺れる、この人物と似た道すじをたどったように見える。

(*)   金大中大統領の就任期間、1998年2月25日~2003年2月24日
(**) 安全企画部長に就任、1998年3月5日

ちなみに、「自由と真理への無言の献身」という国家情報院の院訓を作成したようだ。一方、以前の安全企画部の部訓は「情報は国力である」だった。

さて、本題、東亜日報掲載の回顧録に、イ・ソンヒに触れた次のようなくだりがある。
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ところで、李鍾賛夫婦は、金大中が大統領に就任した年(1998年)の3月2日、大統領秘書室長夫妻から昼食に招待された。

その二日後(1998年3月4日)、李鍾賛は、KBS TV「名士の家庭(명사들의 가정)」番組に出演した。妻はもちろん、歌手イ・ソンヒも一緒に出演した。
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2015年6月7日日曜日

伊守山鉱山、(真米鉱山)

昨晩、福島県まで鉱物採集の遠出が決まった。

早朝、東の空、たなびく雲の下が真っ赤に染まっていた。不思議なことに、その赤色が、雲の上に漏れていない。駅ホームの穏やかな気温に、返って真冬の厳しさを思い出す。これからは、歳と相談して採集の季節も考えねばならないだろう。

いつもの待ち合わせ駅前から、H氏の車に同乗させていただき、一路北上する。

<真米鉱山>
目指す「真米(まごめ)鉱山」のある福島県南会津町の空気は澄み、陽射しは鋭い。森の木々は葉を艶やかに反射して、包むように広がる。来てよかった。
ここでは、蛍石や硫化鉱物(方鉛鉱、閃亜鉛鉱など)が採れるという。期待が膨らむ。

<鱒沢>沿いに車を走らせるも、10年振りとのこと、目指すズリがなかなか見つからないようだ。車を降りて、数ヶ所確認したが、結局沢の入り口まで戻る。(帰宅して、ネット情報で確認したところ、もう少し上流を探した方がよかったかもしれない)
ということで、真米鉱山とはすれ違いに終わった。

<伊守山鉱山>
採集場所を、急遽変更。栃木県塩谷郡塩谷町「伊守(いもり)山鉱山」へ移す。道路沿い、まさに横付けである。鉱山とは思えぬ小さな丘、あるいは小山だ。斜面を一周しながら登る。けっこう急傾斜である。(本来は金山とのこと)
見上げると、坑道が何箇所か見える。小山の一番上の方にある坑道に入れるようだ。(私は臆病なので遠慮した)

ここでの採集物である「重晶石」(BaSO4)は、薄いガラス板状の小さな四角の結晶で、薄紅色の母岩に斜めに張り付いている。今回の採集はこれだけであるが、満足だった。
ちなみに、重晶石でできた「砂漠のバラ」も有名である。

2015年6月6日土曜日

芒種2015

生活がそうでないから、直感できぬものに農事がある。二十四節気の「芒種」、種撒きの時期というが、近所で農作業を見ることはない。少し遠出して見る畑は、家庭農園だったり、農家でも葉物野菜が主でイネとは関係ないようだ。

(本ブログ関連:”芒種”)

電子辞書「漢字源」によれば、「芒」は、尖ったの意があり、草葉や穀物の尖った先や、刀剣の切っ先、光線の先端(光芒)を示す。また、「暗い」、「隠す」の意もある。「芒種」の場合、ノギ()に隠れる種を指して、いずれ実となるのを示しているのだろう。

さらに、「ぼんやりくらいさま」の用例、「人之生也、固若之(是)芒乎(人の生まるるや、もとより是くのごとく芒きかな)」がある。荘子「斉物論 第二」にあるようで、元をたどると、痴愚論のような滑稽すら感じる。荘子の大意のなかで、問題提起なのだろうけれど。

市井の者が語る言葉ではないようだ。凡人にとって、つまり農奴を所有する大地主が司祭の言葉に涙するように、ある意味カタルシスかもしれない。どこまで通じるか確かでない。正しい言葉に違いないが、受容する側が生半可なのだから。相済まないこと。

ああ、それより今日はひんやりしている。

2015年6月5日金曜日

イ・ソンヒの「雨降る街に立って」

梅雨入り間近に迫った今日、午後から降り始めた雨は、夕方になって一時、雨脚を強めた。随分と粗な雨だ。これでは、イ・ソンヒの9集所収の「雨降る街に立って(비오는 거리에 서서)」(1994年、作詞・作曲イ・スンジン)のように、雨の街に待ち続けるわけにはいかないだろう。

(本ブログ関連:”雨降る街に立って”)

ずぶ濡れになっても断ち切れぬ、そんな女性の心情を歌う中島みゆきに比べれば、イ・ソンヒの歌は、どこか抒情的で(世界に触れることがないという意味で)少女的である。濡れねずみの心を、イ・ソンヒに表現して欲しいとは思わないけれど。でも、この歌は本当に美しい。

「雨降る街に立って」

雨降る街に立って、あなたを待っているのね
行き交うたくさんの人たちの中で、私は立ち続けるのね
降る雨の中で、たたずんであなたを待っているけれど
どこにも見つからないあなたは、雨に濡れた私の心が分かるの

雨降る街に立って、あなたを思っているけれど
みすぼらしい私の姿は、私にも、どうしょうもできないの
消えていく、あなたの悲しい後ろ姿のように一人でここに

雨降る街に立って、あなたを待っているのね
暗い夜は更けていくのに、あなたは見えないのね


(Youtubeに登録のkang yeol jungに感謝)

2015年6月4日木曜日

大華鉱山「灰重石」

それでも、石好きの端くれにいる。ところで、イ・ソンヒのコンサートで韓国を訪れたことはあるけれど、鉱山、地質博物館どころか、鉱物標本がありそうなソウル市内の自然史博物館すら行ったことがない。それも・・・なんだなあと反省している。

以前、ある物産フェアに、韓国の宝石・鉱物装飾商のブースがあった。ちょっと覗いて、鉱物採集に興味があるなどと(日本語で)話しているうちに、私が参加している石仲間の会の名前をあげたところ、様子が変わってしまった。そう・・・会の名前に、韓国では馴染めない単語が混じっていたのだ。

ソウルの大型書店で、韓国産のきれいなカラー版の鉱物図鑑を求めたが、洋書(=外国産鉱物)ならあるといわた。(Smithsonian Handbooksの鉱物図鑑を韓国語版にしたものはあったが)

(本ブログ関連:”鉱物図鑑”)

ブックフェアでも、韓国の出版社の人に同様の質問をしてみたが無いらしい。韓国の鉱物マニアは、一体どんな図鑑を持っているのだろうか。(もちろんアマチュア向けの図鑑だが)

あるとき、鉱物フェアで、韓国産鉱物標本の「灰重石」(CaWO4)が販売されていたので、早速購入した。産地は、忠清北道(충청북도)の中原郡(중원군)仰城面(앙성면)(現忠州市충주시)大華鉱山(태화광산)で、「楽しい鉱物図鑑」(掘秀道著)に記載されていて、代表的な産地のようだ。

(本ブログ関連:”灰重石”)

灰重石標本を、手元にあるチープな紫外蛍光ランプで照らしてみたが、蛍光作用しない・・・残念。

ちなみに、大華鉱山以外の韓国の鉱山(蔚山、月岳、山内、日光)と、日本の鉱山(喜和田)で産出された灰重石中のイットリウム(Y)含量を分析して、鉱床の違いを考察した資料がネットにある。(「韓国及び日本の6鉱山産の灰重石中のY含量」)

(付記)
<重石>の名の通り、タングステン仲間の「鉄マンガン重石」((Fe,Mn)WO4)は、何度も訪れた茨城県錫高野で手に入れた。山道に転がっていたが、今はズリでもあまり見つからない。(掘り返す気力のある人は別だが)

2015年6月3日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 花に関する音楽

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(5/27)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、美しい季節、春の花に関する3曲を紹介した。

始めに、イパブの木(이팝 나무)の花と米粒の例えから、亡くなった子供たちの伝説について次のように紹介された。
・5月に咲く花に、イパブの木のがある。日本でヒトツバタゴと呼ばれ、4月から6月に咲く、白い花びらと細長い形が特徴。飯(팝)の米粒に似ることから名付けられた。大きな木を覆うほど大変華やかだ。
・昔、白い米粒を「イバブ」と発音し、「イパブ」に変わった。食べ物が十分でない当時、花が米粒にも見えた。全羅北道鎮安の馬耳山付近、馬嶺小学校があり、樹齢の長いヒトツバタゴの小さな森がある。もとは、栄養不足で亡くなった子供たちの墓場であった。あの世で満腹になれるようにと、ヒトツバタゴを植えたのだ。木や花に色々な逸話が伝わるが、この伝説は悲しい。

▼ 山に咲く花「山有花(산유화)」の曲を聴く。こちらは山の花、海にオギヨディオラがあったことを思い出す。今様だ。

・詩人金素月(김소월)の詩「山有花」は、大変有名な詩で知られるが、特定の花でなく、山に咲く花を指す。
・ヒトツバタゴの花が満開になると、その年は豊作になるという。田仕事の合間、花が目に入っただろう。豊作への念願だった。

次に、桐の木(오동 나무)で、娘のため作る箪笥、またその花の香りについて次のように紹介された。
・この季節、桐の花が咲く。乾燥させると、軽く、虫にも強いので、家具に適している。箪笥や楽器、宝石箱にも使われる。昔、娘が生まれると、桐を植え、嫁入りの年頃になえうと、箪笥を作った。
・また、学者のソンビは、桐に鳳凰が訪れるとして、大事にしていた。桐は葉が出る前に紫の花を咲かせ、香りも見事だ。

▼ 打弦のコムンゴ演奏「音を夢見る木(소리를 꿈꾸는 나무)」を聴く。現代風思念的な間合いが響く。

最後に、花にはそれぞれ象徴があるという、次のように紹介された。
・昔の人々は花にも意味をつけた。花に、それぞれ地位と品格があり、花に関する歌もあるが、歌詞が興味深い。牡丹の花は花の中の王で、ひまわりは太陽を見つめる忠臣。蓮の花は君子で、華やかなアンズの花は小さい者を指す。アンズの花がどうして小さい者を指すか理由は知られない。どう評価されようとも、それぞれ役割がある。

▼ 女唱歌曲(여창가곡)編数大葉(편수대엽)、「牡丹の花は(모란은)」を聴く。ゆたりとして、花の空間が現れるよう。

・編数大葉には、菊や梅の花にいたるまで、その花の特徴を興味深く表現している。

2015年6月2日火曜日

イ・ソンヒの清雅さについて

イ・ソンヒについて語るとき、ネット記事に「清雅(청아)」という表現を目にすることがある。また、彼女の初期の歌で、3集所収の「清らかな恋(청아한 사랑)」(1986年)のようにタイトルにも使われている。昔風スタイルのイントロは、どこかで聞いたような懐かしさもある。いってみれば、見守る恋の歌である。

日本語の「清雅」は、「きよらかでみやびなこと」(広辞苑)。どちらかといえば日常あまり使わない、みやびな雰囲気する雅語だ。

イ・ソンヒについて一言でいえばということになって、「清雅(청아)」と表現したところ、この言葉は韓国でも余り使わないという。電子辞書に用例として、「清雅な笛の音」(Prime)という表現があった。

彼女のデビュー当時のイメージに、健全さがある。くしくも時代の風潮に適合した。結果として、歌謡界の<女性>を前に出す雰囲気にそぐわぬ女子学生たちに、すぐに受け入れられた。

彼女の、健全さは時代におもねたわけではなかったが、放って置かれなかった。一時期、時代の波に右に左に揺れた。今は、国民歌手として存在を自ら認めているようだ。

彼女の清雅さのベースには、健全さ、健康さがある。デビュー当時、ボーイッシュなと表現されたが、今は少女のような童顔と形容される。これは、彼女とともに時代を経た、現在のアジュンマたち(かつての女高生たち)が求める理想の姿かもしれない。

2015年6月1日月曜日

(まとめ)2014年のイ・ソンヒについて

歌うひと、イ・ソンヒの2014年の音楽分野について<まとめ>るなら、こんなのはどうだろうか。

▼ 陰暦の1964年11月11日(陽暦12月14日)、忠清南道保寧郡珠山面篁栗里に、歌手イ・ソンヒは最初の子として生まれた。両親は、虎や唐辛子畑で草取りする夢を見て、男の子を期待したようだ。

▼ とりわけ、祖父は優しく大切にしてくれただけでなく、音楽への関心を植えつけてくれたようだ。
音楽的才能を開かせたのは、父親が「梵唄」の指導者だった影響があるように思われる。

▼ 小柄な体ながら、爆発的な発声力を持って、1984年にMBC「江辺音楽祭」に「Jへ(J에게)」で登場した、めがね姿にパーマをした少女は、その実力をためて、昨年デビュー30周年を迎えた。

▼ 80年代の歌手といわれながら、様々な試行を経て、音楽性豊かなアーティストであると同時に、今なお、後進の発見や育成に余念がない。

▼ 昨年の2014年、ある意味久し振りのカムバックといわれたが、その実力は、韓国ギャラップの調査で、次の通りわかる。
・「韓国人が最も好きな歌手(2004年~2014年)」で2位 (1位:チョー・ヨンピル)
・「2014年を輝かせた曲」で3位 (1位:IU 「あなたの意味」)
   ⇒ イ・ソンヒ「その中であなたに出会って(그 중에 그대를 만나)」(2014年)
・「愛唱曲 2004年~2014年」で7位 (1位:オ・スングン「私の歳がどうだから」)
   ⇒ イ・ソンヒ「因縁(인연)」(2005年)

▼ 2014年リリースした「その中であなたに出会って」は、NABugs!、Soribada、NAVER MUSICなどの音楽配信サイトで、1位を獲得した。

▼ 2014年の30周年コンサート、「歌う人 イ・ソンヒ」は、最初のソウル世宗文化会館に始まり、全13都市、27回公演の全国ツアーを全席完売している。

▼ その結果もあって、彼女の所属する「フックエンターテインメント」事務所の業績も大幅に上昇して、昨年の売上高は、159億3,500万ウォンで、前年比61.8%増加した。営業利益は、46億8,000万ウォンで218.1%増えた。

▼ 現在、「歌王」と呼ばれる男性トップ歌手がチョー・ヨンピルであるのに対して、女性のトップ歌手は、国民歌手としてあげられる、イ・ソンヒである。

2009年、2011年、そして2014年のソウル世宗文化会館での彼女のコンサートを見ることができたのは、私の幸運であり自慢である。

2015年5月31日日曜日

イ・ソンヒと友人たち

イ・ソンヒが、関わりある友人と共に登場する「イ・ソンヒと友人たち(이선희와 친구들)」(2004年8月21日)は、自身の曲だけでなく、途中、トロットもはさんで歌い聞かせる、まさに歌謡ショーである。(別コーナーでは、愛弟子イ・スンギとのデュエットもあった)

番組の5日後、「Jへ 20年 イ・ソンヒ コンサート」が世宗文化会館で開かれる(2004年8月26日~28日)ことになる。このような形で、イ・ソンヒがテレビ登場するのは、コンサートに向けて高揚させる意味もあるのだろう。スタジオの観客は最高で幸運なプレゼント受けたことになる。(もっとも収録はずっと前だったろうけれど)

イ・ソンヒ曲から
・5集所収「私の街(나의 거리)」(1989年)
・4集所収「愛が散るこの場所(사랑이 지는 이자리)」(1988年)
・2集所収「秋の風(갈바람)」(1985年)
・5集所収「ひとしきり笑いで(한바탕 웃음으로)」(1989年)

トロット曲からカバー
・シム・スボン 「憎い(미워요)」     ⇒ (本ブログ関連:”シム・スボン”)
・チュ・ヒョンミ 「片思い(짝사랑)   ⇒ (本ブログ関連:”チュ・ヒョンミ”)」

イ・ソンヒ曲から
・12集所収「この歌をかりて(이 노래를 빌려서)」(2001年)
・4集所収「私はいつもあなたを(나 항상 그대를)」(1988年)


가요쇼 - 이선희와 친구들 ('04. 8. 21) from Forever Sunny on Vimeo.


(追記)真夏日、夏日
5月の締めに暑い日が続いた。本日(5/31)も何と真夏日となった。読売新聞の記事「東京・千代田区32.2度…5月の観測史上最高」(5/31 19時22分)は、東京の真夏日と夏日の日数について、次のように報じている。(抜粋)
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・31日は本州を中心に晴天が広がり、東京都千代田区では午後2時45分頃、5月として観測史上最高となる32.2度を記録した。
・5月に同区で30度以上の真夏日となったのはこれで3日目で、1876年の観測開始以来、2004年と並んで最多。5月の夏日も22日目となり、これまでの記録の18日を大きく更新した。
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2015年5月30日土曜日

小笠原諸島西方沖地震

今夜、CDデータの移動に四苦八苦していたとき、嫌な予感する小さな揺れが始まった。次第に強まり、やがて一瞬激しい横揺れして家が軋んだ。いよいよ来たなと焦ったが、意外なほど短時間に減衰した。体感は、震度3+、ないし震度4(急な横揺れのとき)といった感じだった。

すぐに、テレビをつけた。緊急放送がこれほど待ち遠しかったのは久し振りだ。アナウンサーが伝える、震源の深さや、マグニチュードの規模を聞いて、その値の大きさに驚いた。ぜひとも、詳しい解説を聞きたい。

気象庁発表: 平成27年05月30日20時30分
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30日20時24分頃地震がありました。
震源地は小笠原諸島西方沖(北緯27.9度、東経140.8度)で、
震源の深さは約590km地震の規模(マグニチュード)は8.5と推定されます。
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(修正) 5/31 震源要素(暫定値) 気象庁発表) 
  ・地震発生時刻   平成27年5月30日20時23分
 ・緯度          北緯 27度51.6分
 ・経度          東経 140度40.9分
 ・深さ           682km
 ・マグニチュード   8.1

気象庁発表の通り、当地の震度は体感通り、震度3だった。

(付記)
最近、震源とは違って、別場所で震度が大きいことがあった。今回もそうだ・・・「異常震域」の可能性とのこと。
・5/25 : 震源地、埼玉県北部、震源の深さは約50km、地震の規模(マグニチュード)は5.6
            ⇒ 茨城県土浦市常名、震度5弱
・今回: 震源地、小笠原諸島西方沖、震源の深さは約590km、地震の規模(マグニチュード)は8.5
            ⇒ 東京都小笠原村母島、震度5強埼玉県鴻巣市中央ほか、震度5弱 / (追記)神奈川県二宮町中里 震度5強 

2015年5月29日金曜日

口永良部島新岳が噴火

鹿児島県の南に浮かぶ、屋久島の西にある口永良部島(くちのえらぶじま)で、今日の午前9時59分に、新岳が噴火した。最近、国内であまり見かけない幅広い垂直な黒い噴煙が高く舞い上がり、一部が重みに耐えられず落下して火砕流となった。マグマ爆発といわれている。(災害緊急放送で定評の放送局が、「火砕流」の定義に慎重だったためか、島の地図上に図示するのが遅かったのが気になった)

幸い島民に重大な事故はなかったようだが、全島避難の事態とになり、ほとんどの方が隣りの屋久島へ一時避難している。この先、大変不安なことだろう。(三宅島、大島の事例を思い出す)

素人は、先の東日本大震災の影響を考える。プレートの動きと大規模地殻変動を想像し、近々の地震噴火を結び付けてしまう。この時期、地震火山学者の冷静な語り口を、冷静に受容できないのが残念だ。(自然のメカニズムは、もっと単純ではないかと、いぶかしむばかり)

九州には巨大カルデラが存在する。阿蘇カルデラ(阿蘇山)、 姶良カルデラ(桜島)、鬼界カルデラ(薩摩硫黄島)などが並んでいる。その南に、今回の口永良部島がある。(九州南部のカルデラ群をモデルにした小説を読んだことがあるだけに気がかりだ)

(参考) 産業技術総合研究所「口永良部島火山地質図

今は、早く沈静化して欲しいと願っている。

イ・ソンヒが合唱団審査委員に立つこと

第二次世界大戦直後、朝鮮半島は政情が複雑化し、南北に国家が成立した。そのため、建国の時期やその政府について多様な議論がある。韓国では、1945年8月15日を「光復節」と定めている。混乱の時期から国家樹立の経緯をたどると次のようになる。

1945年08月15日: (日本)太平洋戦争終戦
1945年09月02日: (日本)米戦艦ミズーリ号上で日本政府が連合国と降伏文書調印
                            (朝鮮)第二次世界大戦終結に伴い連合軍軍政下
1945年09月09日: (連合軍軍政期)朝鮮総督府の降伏文書調印、以降連合軍軍政期
1948年07月12日: (韓国)大韓民国憲法を制定 (同月17日発布)
1948年08月15日: (韓国)大韓民国の成立 (李承晩大統領が大韓民国樹立を宣言)

今年は、光復節から70年になるため、いろいろなイベントが予定されているようだ。その一つに、KBS NEWSの記事「【芸能】 『わたしは テハン・ミングク』 イ・ソンヒ - イ・クムヒ、解放ベビー世代合唱団の審査委員に立つ」(5/28)が伝える、「解放ベビー世代合唱団(해방둥이 합창단)」の話題がある。

(本ブログ関連:”ソウル市議会”)
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・今年で70周年を迎える光復節に大韓民国の国民が、一つになって楽しもうという新概念のフェスティバル、KBSの国民大合唱「わたしはテハン・ミングク」に歌手イ・ソンヒが加わった。

・国民大合唱「わたしはテハン・ミングク」は、公式ホームページはもちろん、公式YouTubeやFaceBook、毎週火~金の夜10時55分に放送される KBS 1TV「私たちは(우리가)」、そして6月13日(土)午後8時から60分毎週放送される事前ドキュメンタリーなど、SNS、インターネット、オフラインを網羅して国民と直接コミュニケーションを楽しむ3ヶ月間の大長期プロジェクトだ。

・また、光復節当日である8月15日には、ソウル・ワールドカップ公演会場で、このプロジェクトに申請をした7万名の国民が大合唱を繰り広げる予定だ。

・こうした中、「解放ベビー世代合唱団(해방둥이 합창단)」が、7万国民大合唱プロジェクトの一部門に参加するため、新たに結成されて関心が集まっている。大韓民国の光復と同じ年の、1945年に生まれた人たちで構成された「解放ベビー世代合唱団」 は、光復70周年を迎えた大韓民国の現代史を全身で証言する人々であるだけに、815プロジェクト「わたしはテハン・ミングク」に重厚な意味を加える。

・総360名が志願した「解放ベビー世代合唱団」は、二度のオーディションを経て最終45名が選抜されて本格的な歩みに出る。何より、歌手イ・ソンヒがこれらを導いていく予定と期待が集まっている。

・イ・ソンヒは、「解放ベビー世代合唱団」のオーディション現場に審査委員として登場、参加者一人一人と率直に通じ合って、彼らの歌に耳を傾けるのはもちろん、貫禄の音楽家らしい専門家的姿で現場をとりこにした。

・特に、イ・ソンヒとの友情で一緒に審査委員席を輝かせたアナウンサーのイ・クムヒと天才ピアニストのチェ・テワン*によってさらに活気あふれる進行を継続することができた。三名の審査委員は、緊張した参加者を配慮して気楽に話を続けられる雰囲気を誘導したし、参加者たちも自然にそれぞれの熱い人生を打ち明けて感動の波を誘った。

(参考)先日5/21の、イ・ソンヒ、イ・スンギ「セブランス家族音楽会」に参加している。

・このために、オーディション現場の高潮した雰囲気をほてるように熱くしたこれらのさまざまな事情に対して、すでに期待感が造成されている。イ・ソンヒと解放ベビー合唱団員が共に作っていく胸の熱くなった3ヶ月間の旅程は、国内全域に次元が違う感動をもたらすと関心を集めている。
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2015年5月28日木曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 仏教音楽

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(5/20)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、今年の5月25日(月)(陰暦4月8日)の釈迦誕生を祝う日(「灌仏会」)にちなんで、仏教に関連する3曲を紹介した。

(付記)
イ・ソンヒの父が、梵唄の指導者であったことから、彼女の音楽の源泉(才能)がそこにあったような気がしてならない。
(本ブログ関連:”(資料)イ・ソンヒのスター・ストーリー「3.宗教家である父と、自然とともに過ごした幼い子供」”)

始めに、「初八日(초파일)」の祭事と、風流を楽しむ曲「霊山会相영산회상)」について次のように紹介された。
・「初八日」は、毎月8番目の日だが、昔は陰暦4月8日の釈迦誕生の日を指して祝った。寒暑もない春に、人々は米を持って寺に向かった。交通も不便な時代、寺にたくさんの知り合いが集い、親に付いてきた子供たちもいて、おもちゃや菓子を売る人もいた。五色の提灯や音楽も聞こえる。そんな素晴らしい季節に誕生された。

▼ 霊山会上(浄土)の仏と菩薩を讃嘆する意の「霊山会相仏菩薩(영산회상불보살)」を聴く。荘重に編曲したもの。

・両斑の風流曲に「霊山会相」がある。もともと仏教の声楽曲だった。「霊山会相仏菩薩」の歌詞からなり、歳月を経て、風流を楽しむときの音楽になった。

次に、釈迦と摩訶迦葉(マハーカッサパ)の間の拈華微笑と、仏教音楽の梵唄(ぼんばい)について次のように紹介された。
・古代インドのマガダ国の首都の近くにある、霊鷲山(りょうじゅせん)での出来事。釈迦が菩薩に対して仏教の教義を説いていると、空から花の雨が降ってきたという。また、ある日、説法を聞きに集まった大衆の前で、釈迦は一輪の花を見せたが、何も語らない。大衆は訳が分からないまま黙っていると、ただ一人、弟子の摩訶迦葉だけは釈迦を理解し微笑んだ。仏心を伝える仕草の拈華微笑は、字や言葉を使わぬ以心伝心に通じる。この光景をあらわした「霊山会相図」や、音楽にした「霊山会相」がある。

▼ 僧侶が梵唄で長く伸ばして歌う「ジッソリ挙霊山(짓소리 거령산)」を聴く。一体どんな場面で歌ったのだろうか。

・僧侶が儀式で歌うものを「梵唄(범패声明)」と言う。「ジッソリ(짓소리)」は梵唄のひとつ、「挙霊山(거령산)」は曲名で、16文字の歌詞を長く伸ばして歌うのが特徴。長くは一時間も歌うため、世の中で最も長い歌だろう。梵唄は、梵の音、「梵音(범음)」とも言う。「梵」はインドを意味し、宇宙の原理を指すこともある。また、このリズムを、水中で泳ぐ魚に例えて、「魚山어산)」とも言う。統一新羅時代に唐から入り、歌曲や民謡など民間の音楽にも大きな影響を及ぼした。伝統文化ともいえる。

▼ 「霊山会相」の中から、シタール、弦楽器ヘグムとヤングムの演奏「細霊山(세령산)」を聴く。インドの香りは・・・静かな曲だ。

2015年5月27日水曜日

夏日和というより、夏そのものといった感じ

気象区分でいう「春」(3~5月)の終わりに迫る今日、寒いのが苦手で暖かい方がいいといった私でも、2日連続の<真夏日>には少々ウンザリする。外出すれば、逃げ場のない陽射しにくるまれてしまい、空調の効いた体操教室では、すぐに汗がにじんでくる。家に帰れば、扇風機が登場した。

ところで朝のテレビで、気象予報士が、5月の東京都心での<夏日>はこのままいくと過去(1876年以降)最多だし、<真夏日>の2日連続!は過去2回目になるだろうといっていた。どうやら、その通りになってしまった。

どちらを向いても、陽が暮れても、暑い暑い。

▼ 東京都心観測地点
葵町(1875年6月~) → 代官町 → 竹平町 → 大手町 → 北の丸公園(2014年2月~))

▼ 気象用語(夏日、真夏日、猛暑日、熱帯夜など): 気象庁「天気予報等で用いる用語 」より
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夏日   :日最高気温が25度以上の日。
真夏日:日最高気温が30度以上の日。
猛暑日:日最高気温が35度以上の日。
熱帯夜:夜間の最低気温が25度以上のこと。(備考: 気象庁の統計種目にはない。)

冬日   :日最低気温が0度未満の日。
真冬日:日最高気温が0度未満の日。
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2015年5月26日火曜日

イ・ソンヒ「私はいつもあなたを」

イ・ソンヒの音楽的変化が起き始めたといわれる4集に所収の、「私はいつもあなたを(나 항상 그대를)」(1988年、キム・ミンジョン作詞、ソン・シヒョン作曲)は、彼女の曲集の中では大衆的でトロット寄りである。だから、お笑い映画「家門シリーズ」のOST(映画音楽)に採用されたし、チャートのトップにも立ったし、カラオケ曲の定番である・・・(私のカラオケ必須曲でもある)。

2004年、世宗文化会館で催された「20周年記念コンサート」で歌う、彼女の映像がYoutubeにある。余裕と自信、そして清雅さの全てを視聴できる。鮮明な映像を何度も見て、澄んだ声を何度も聴くことができる。さあ視聴しよう。

(本ブログ関連:”私はいつもあなたを”、”家門シリーズ”)


「私はいつもあなたを」

いつもあなたを、慕っているのに
思うようにはいけない
今日も、セピア色した写真の中に
あなたの姿しのぶわ
*
いつもあなたに、会いたいのに
あなたは何処へ立ったの
優しいその姿、涙で染めるわ
あなた、私に戻ってよ

戻ってきて、私のところへ
すべて、あなただけなのよ(Oh~Oh~Oh)

燃える私の愛、避けられないのよ
あなた、私に(Oh~~)戻ってよ

(*以下繰り返し)

(戻ってきて・・・)
あなた、戻ってきてよ
すべて、あなただけなのよ

燃える私の愛、避けられないのよ
あなた、私に(Oh~~)戻ってよ

(Youtubeに登録のpops8090に感謝)


(追記)
昼下がり、歯科医院に行く途中、太陽光に押されるような(まるで「太陽風」?)、そして巻きくるめられるような圧迫感があった。
毎日新聞の記事「天気:東京都心の夏日、最多タイ…5月に入り18日目」(5/26)によると、「東京都心では午後0時台に30度を超えた。都心で最高気温が30度以上の<真夏日>となるのはことし初めて。午前中から25度以上に達し、最高気温が25度以上の<夏日>となっていた。5月に東京都心が<夏日>となるのは18日目で、1967年と98年と並んで過去最多タイとなった」とのこと。

2015年5月25日月曜日

久し振りの強い地震

窓がざわついて突風でも吹いたかと思った。グラグラと揺れが始まり、次第に強まる地震に、不思議と落ち着いていた。あの日以来なんとなく震度がわかったような気がして、妙な気がする。大丈夫だろうという予感すらしていた。

とはいえ、すぐにテレビをつけた。各局はテロップで地震速報した。こんなとき、やっぱりNHKに限る、すぐに詳しく放送が始まった。

気象庁の、地震速報は次の通り。当地の体感は、震度3といったところかと思った通り・・・下記速報にある<各地の震度>と同じだった。だから、どうということはないのだが。


平成27年05月25日14時33分 気象庁発表
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25日14時28分頃地震がありました。
震源地は埼玉県北部(北緯36.1度、東経139.6度)で、
震源の深さは約50km、地震の規模(マグニチュード)は5.6と推定されます。
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「平成27年5月25日14時28分頃の埼玉県北部の地震について」 気象庁発表
http://www.jma.go.jp/jma/press/1505/25a/kaisetsu201505251545.pdf

(資料)イ・ソンヒの歌が国境をまたいで流れたこと

女性の声で相手側(兵士)に対し、戦意を萎えさせる心理戦がある。例えば、太平洋戦争中、ラジオから流れた東京ローズはよく知られている。当時、ドイツでも、Axis Sallyと呼ばれる女性がプロパガンダ放送されたという。

現在の朝鮮半島の南北対立は、朝鮮戦争停戦の延長であり、さまざまな心理戦が行なわれていると、中央日報の記事、「韓国、対北ビラにラーメン・ストッキング…北は『DMZ女性軍入浴』心理戦(1)(2)」(2014年10月14日)は伝えている。(抜粋)

その中で、イ・ソンヒが歌謡界に出るきっかけになった曲「Jへ」(1984年)を、休戦ラインをまたいで拡声器を使って南から北側へ流したと語られている。しかも、「イ・ソンヒは長期にわたり心理戦要員が選ぶベスト歌手だった」。裏面史である。

(本ブログ関連:”Jへ”、”ソウル市議会”)

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 ・「ビラ(bill)」は知っている。70年近い分断の時期、南北が休戦ラインを挟んでどんなことをしてきたのか。今は「伝単」という高尚な名前で変身したビラには、分断と対決の歴史がそのまま反映されている。

 ・心理戦は放送や手紙など、さまざまな手段を動員する。四面楚歌という故事成語も結局は漢の劉邦の軍に包囲された楚の項羽軍に故郷の歌を聴かせて投降させたという古典的な心理戦術といえる。

・休戦ラインの拡声器で南北は、数キロ離れた場所の兵士の耳が痛くなるほど出力競争をした。北朝鮮は帰順誘導放送を、韓国は歌謡で対抗する局面だった。主に女性歌手の曲を流したが、84年に「Jへ」でデビューしたイ・ソンヒは長期にわたり心理戦要員が選ぶベスト歌手だった
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2015年5月24日日曜日

向谷鉱山

明け方、階段を3段、踏み外してズルズルと落下。右足の親指と人差し指を捻挫したようだ。せっかくの鉱物採集日だというに、なんということ。

でも、石採りの妄想は既に始まっていた。止めるわけにはいかない。行かないわけにはいかない。

早朝、石仲間のS氏とJR駅前で待ち合わせして、迎えに来ていただいたH氏の車に同乗し、全員集合場所のPAで指導者Y氏と合流。長野県茅野市にある向谷(むかいだに)鉱山へと向かう。

今回の目的は、都茂鉱(Tsumoite、BiTe)だ。噛み付く(bite)わけではない。組成が、Bi(ビスマス)とTe(テルル)という、島根県の都茂鉱山で発見された珍しい鉱物なのだ。それが、何と長野県の向谷鉱山でも発見されて話題になった・・・。

そんなわけで、都茂鉱目指して、山中を車が走る、走る。まさに(春最終の)、夏日和だ。

なだらかなズリ跡には、すでに、訪れた採集者が砕いたらしく、岩が散乱していた。斜面はやがて急勾配になるが、冒険はしない。ゆるりとした場所で、石割りを始めた。ガイドブックなど資料によれば、似た鉱物を含めて、多くが<石英>の中にあるという・・・。
しかし、見当たらない、石英の片鱗すらないのだ。

結局、目指す都茂鉱と、誰も出会うことができなかった。現地で、朝はオニギリ一個だけ、昼は食を忘れてまで探したのに、見つからなかったけれども、久し振りにリフレッシュできるよい機会に恵まれた。感謝。

強いて、採集物を列挙すれば、次の通り。
・毒鉄鉱、水晶(群晶)+雲母、黄鉄鉱、硫砒鉄鉱

鉱山につながる山道の入り口に戻って帰り仕度をしている時、地元の方だろうか、車が止まった。気のいい親父さんから、「ずいぶんと沢山の人が来たよ」と話しかけられた。やっぱり、採集し尽くされたのかもしれない、皆で納得した。

2015年5月23日土曜日

パティ・キムの「愛するマリア」

韓国歌謡を聞くとき、女性歌手の大ベテランとして、トロットならイ・ミジャ(李美子:이미자、1938年2月28日~)があるように、洋楽からパティ・キム패티김、1938年2月28日~)があげられるだろう。昔、私にとっては、パティ・キムの名はどこからともなく聞こえていたが、あるとき秋葉原での仕事帰りに購入した彼女のアルバムを聴いて驚いてしまった・・・大袈裟にいえば驚天動地した。帰宅して、その夜はパティ・キム漬けになってしまった。

ブログで何度か触れたが、彼女は日本でいえば、雪村いづみ(1937年3月20日~)のような気がしてならない。その歌唱力は、圧倒的で衰えを知らなかった。先日、パティ・キムは引退発表したけれど。

(本ブログ関連:”パティ・キム”)

彼女のアルバムの中で、ずっと耳の底に残った(韓国風にいうと”中毒性のある”)のは、「愛するマリア(사랑하는 마리아)」(作詞・作曲吉屋潤:길옥윤、1969年)だった。彼女とこの歌の作家との関係については、とても大きな物語があった・・・しかし、ネットでは忘れられようとしている、時代は無情だ。

心の痛手と違って、軽快なリズムとリフレインが明るさを盛り上げる、楽しい曲だ。

「愛するマリア」

マリア、マリア、愛するマリア
マリア、マリア、愛するマリア
君と別れてから、花を植えたよ
悲しい心に、花を植えたよ

マリア、マリア、愛するマリア
マリア、マリア、愛するマリア
春が再び戻って、花が咲いたよ
懐かしいように、花が咲いたよ

マリア、マリア、愛するマリア
マリア、マリア、愛するマリア
君を思いながら、花を見たよ
この胸に戻ってこいよと、花を見たよ

マリア、マリア、愛するマリア
マリア、マリア、愛するマリア
忘れるためにと、花を折ったよ
涙を流しながら、花を折ったよ

マリア、マリア、愛するマリア
マリア、マリア、愛するマリア
マリア、マリア、マリア、マリア
マリ~~ア~

(Youtubeに登録のJohn Nohに感謝)

2015年5月22日金曜日

イ・ソンヒ、イ・スンギ「セブランス家族音楽会」

写真=フックエンターテインメント
イ・ソンヒは、若いころから慈善活動を続けてきた。(現在

今回、所属事務所のイ・スンギと共に、関係者の入院先の病院で、小児患者のための家族音楽会を開いたと、中央日報の記事「【フォト】 イ・ソンヒ 『爆発する歌唱力』」(5/21、ニュース・エン、イム・セヨン記者)は、次のように伝えている。師弟のなかで、慈善の継承が行なわれていることがわかる。
小児癌患者を助ける「新村セブランス病院」での才能寄付(=재능기부:能力を活かしたボランティア行為)

(本ブログ関連:”慈善活動”、”ソウル市議会”)

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イ・ソンヒ、イ・スンギが、子ども患者のために立った。

イ・ソンヒ、イ・スンギと一緒に「セブランス家族音楽会」が5月21日午後、ソウル西大門区新村洞セブランス病院で開かれた。

この日の公演には、イ・ソンヒ、イ・スンギなどが参加した。

イ・スンギ、イ・ソンヒの所属事務所「フックエンターテインメント」関係者は、ニュース・エンと通話で、「イ・スンギが新村のセブランス病院の小児患者のため、治療費を後援したのは事実」と伝えた。

(本ブログ関連:”フックエンターテインメント”)

関係者は、「最近、所属事務所の代表が、新村のセブランス病院に入院し、イ・スンギが病気見舞いによく来て、小児病棟の患者たちをもどかしく思い、支援したいという考えを伝えた。病院側と支援策について協議して、治療費を支援した」と説明した。
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(追記)
この音楽会で、イ・ソンヒは、「私はいつもあなたを」、「その中であなたに出会って(그중에 그대를 만나)」、「因縁(인연)」、および「Jへ」を歌ったようだ。

2015年5月21日木曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 先生の日

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(5/13)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、「先生の日(교사의 날)」(5月15日、1964年~1972年、1982年~)に関連する3曲を紹介した。

始めに、孔子の言葉から「先生の日」の意義を、世宗大王の「龍飛御天歌(용비어천가)」から「与民楽(여민락)」の始まりについて、次のように紹介された。
・孔子いわく、「三人行けば必ず我が師あり」(三人連れで行けば、その中に学ぶべきものがある)。5月15日は「先生の日」であり、ハングルを作った世宗大王の生まれた日でもある。この日に、世宗大王を記憶し、先生に感謝する。世宗大王はハングル創生後、楽章 · 叙事詩「龍飛御天歌」の作成を命じた。朝鮮時代、歴代王の業績を記録した最初のハングル文献である。そして、この詩を歌にしたのが、民と共に楽しむの意の「与民楽」だ。今は歌は消え去り、器楽曲として伝わる。

▼ 「与民楽」の演奏を聴く。宮廷曲にしては軽快、なるほど歌いだしそうな旋律がする。

次に、朝鮮後期、丁若鏞(정약용、1762年~1836年)と黃裳(황상、1788年~1863年)の出会を次のように紹介された。
・朝鮮後期最高の学者と言われた丁若鏞は、政治的理由で、長い間島流しになった。ある時、少年、黃裳が訪ねてきた。ソウルの立派な学者の噂を聞き、学びに来たのだ。身分も低く賢くもない少年は、少し内気になって、「こんな者でも勉強ができますか」と尋ねた。丁先生は、「学ぶ者には三つの大きな病がある」と答え、① 記憶力が良く、何事もすぐに覚えてしまう人は、自分の能力を信頼して適当になってしまう。② 書く能力が優れて、すぐに詩作し、どうしても内容が軽くなってしまう。③ 理解力が良く、何事もすぐに理解して、悟ることができず長続きしない。でも、「君にはそんな病気はない」と答えた。感動を受けた少年は勉学に励み、後日、作った詩は、著名な金正喜(김정희)も感動させた。

▼ 茶を嗜みつつの「草堂の白い湯のみに広がる茶花の香り(초당 흰 찻잔에 스며 퍼지는 찻꽃향기)」を聴く。視覚的今様。

・丁若鏞は、茶山草堂(다산초당)で茶をしながら多くの本を書き上げた。

最後に、朴貴姫(박귀희)(1921年-1993年)の国楽芸術学校設立について次のように紹介された。
・伝統音楽、特に(低く見られた)パンソリや民謡などは、師から弟子へと伝わってきた。だから師弟関係は強固である。日本統治時代、朝鮮戦争を経験した朴貴姫など歌い手たちが集まって、国楽芸術学校(국악예술학교)*を設立する。この学校で多くの学生が勉強に励んだ。・・・(* 「国楽芸術学校」の正式名称不明)

▼ 夏の美しい景色の意の「緑陰芳草(녹음방초)」を、カヤグム演奏と歌で聴く。乾いた風のように淡々として・・・。

2015年5月20日水曜日

聊斎志異「石清虚」

希少な石を愛する人は、とどめがない。そこには、物欲と紙一重の世界がある。しかし、何かしら意義を求めるなら、志において、その高まりなのだろうけれど・・・。

「聊斎志異」(蒲松齢著、1640年~1715年)、岩波文庫版(立間祥介編訳)の最終所収の「雲の湧く石 - 石清虚」は、主人公(邢雲飛)の愛石ぶりを、その始まりから死後に至るまで顛末を語る。

(本ブログ関連:”聊斎志異”、””)

(概要)
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あるとき、川底で見つけた石が深い襞にきざまれ峨々たる山容をあらわし、雨が降りそうになると、いくつもの穴から綿のような雲が黙々と湧き出した。

これを求め奪おうとする権力者から逃れたところに、元来の所有者である老人(それが証拠に、石の穴の奥にある「清虚天石供」*の五文字を指摘する)が現れる。主人公は、寿命(石の穴の数)を減らして(潰して)までして、老人から貰い受ける。

(*) 注釈に、「清虚天は、清虚洞天ともいい道教説話中の仙境。また月の宮殿ともいう。そこの石供(石の飾り物)の意」とある。

その後、泥棒に石を盗まれ、その取調べに関与した役人に奪われてしまうが、夢の中に登場した男に、再び取り戻す機会を知らされる。役人没後、その家の者に盗まれた石が、市場に売りに出さたのを知りようやく手元に置くことができる。

主人公は、八十九歳でなくなるとき、石を墓に供にするよう息子に言いつける。ところが、墓荒らしにあい、息子は思いあぐねて道を歩いていると、二人の男が彼の前に来て、売ってしまったと詫びる。

役所に賊を突き出し、石が見つかったものの、そこの役人は我が物にしようとする。倉庫に納めるよう命じられた下僕は石を落としてしまう。息子は、砕けた石を集めて、主人公の墓に供えた。
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岩波文庫版は、展開を淡々と語って終わる。

ところで、石の世界を集めたアンソロジー「書物の王国6 鉱物」(国書刊行会)では、同作品を「石を愛する男」(増田渉訳)として採りあげている。物語の最後、次のような文が続いている。
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異史氏曰く----
並みすぐれた物は、禍のもとである。身をもって石に殉じようとするにいたっては、執着もまた甚だしい!だが結局は石が人と最後までいっしょになっていたのだから、石に情がないなどとだれが言えようか!昔の人は、「士は己を知る者のために死す」と言ったが、それは決して言い過ぎではない。石ですらなおこんなふうである。まして人間においておやだ!
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「身をもって石に殉じる」とは・・・石狂いにもほどがあるけれど、そんな世界にどっぷりはまった人には、選択の余地はないようだ。精神性までが、文字通り物化してしまった世界のようだ。

2015年5月19日火曜日

トロピカーナ エッセシャルズ カルシウム BANANA BLEND

テレビの築地場外市場の取材で、美味しそうに卵を焼いている光景があった。職人が作るのだから、美味くてきれいに仕上がるに決まっている・・・と分かっているが、真似したくなった。

早速、スーパーで専用の卵焼きフライパンを買った。而して、玉子も大量購入し試してみた。しかし、返しがうまくできない。ふわふわした感触もなければ、きれいに丸まって、美味しそうな姿にならない・・・そして作り過ぎた。

それはそれとして。

スーパーへ行けば、必ずバナナ味した食べ物・飲み物を探す。今回、ジュース棚に、バナナの姿をデザインした小さな紙パック(330ml)があった。横書きに「Tropicana Essentials カルシウム」と表記し、縦書きに「BANANA BLEND」の表示がある。バナナピューレを含む4種類(ぶどう、バナナ、いちご、ブルーベリー)の果実をブレンドしているというのだ。

バナナ味の巡礼は、バナナ味一本で勝負するものを本来の主旨にしているが、この際、バナナの絵柄を前面に出したパッケージデザインを慮って取りあげた。(以前、ミックスジュースに触れたこともあるが)

果汁20%の中、バナナの割合はいかに・・・飲んだ瞬間、バナナを探した。しかし、口中にミックスジュース特有の甘い香りだけが残った。もう一度飲んだ。いがいが感が喉奥に微妙に感じた。もっと飲んだ。330mlは、意外と腹にこたえる。

今回、無理強いした感がある。思いが強すぎたようだ。捲土重来、次回を期したい。

バナナ味の巡礼はまだまだ続くよ。

(本ブログ関連:"バナナ")

2015年5月18日月曜日

「石の中に潜んでいる竜」

鉱物には、相容れぬものが恰も共存しているように見えることがある。水晶(SiO2)の、透明で美しい六角柱の中に、例えば細い針状の植物が見える。実は、苦土電気石の針状結晶が抱有されたもので、「ススキ入り水晶」と呼ばれる。草状以外に、水が入っている場合もある。

透明柱状の先に、尖った錐状の頭を持った、満足できる水晶を採ったことがない。まして、「ススキ入り水晶」のような珍しいものは、標本でしか接したことがないけれど・・・。

メノウ(瑪瑙、主成分SiO2)の塊りに水が入っているもの(「水入りメノウ」)がある。こちらは、なぜか市中に出回っている。商品性があるのだろう。振ると、削り込んだ奥で水が揺れているのが見えたりする。その中で、魚が泳いでいないかと空想したくなる。

江戸時代、奇談を収集したものに「耳嚢」(根岸鎮衛著)がある。その一つに、石集めの奇人の代表である、木内石亭と「石の中に潜(ひそ)んでいる竜」にまつわる話が収められている。長谷川政春訳の「耳袋」(教育社)で読んでみる。

(本ブログ関連:”石亭”、””)

(概要)
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あるとき、行脚の僧が石亭の家に泊まった。石亭が愛石を見ていると、僧が「珍しい石を持っていて、荷物に入れております」と答えた。

石亭の頼みに、僧はその石を見せた。色は黒く、こぶしのような形であって、くぼんでいるところに水気があった。石亭は、自分の石と交換を申し出た。僧は、欲を持つ身でないので譲った。

そして、この石を机の上に置き、硯の上にのせてみると、清浄な水が硯の中にみちて、その有様は、言い尽くしがたいものであった。

この石を大切にしていると、ある老人がつくづくと眺めて、「このように水気を生ずる石には、きっと竜がひそんでいるはず」、遠くへ捨てるようにと言った。しかし、石亭はかまわずいた。

ところがある時、空も曇ってどんよりしている時に、この石の中から気を吐く様子があった。驚いた石亭は、老人の言葉を思い出し、村人に捨てるよう頼んだところ、老人は焼き捨てるべきとまで言ったが、人里離れたお堂に納め置いた。

その夜更けに風雨も強く、雷鳴もはなはだしくなり、その堂の中から雲が立ち起こり、雨の激しく降る中を昇天するものがあった。後になって、このお堂に行ってみると、あの石は二つに砕け、堂の有様は、まったく竜が天にのぼったかのようであった。

そのため、村では奇妙なこともあるらしいと話しをした。そして、その折に、あの石を焼いてしまうべきといった者の家は、恐ろしいことに、こなごなに壊されていたと、ある人が語った。
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(参考)
忍石(しのぶいし)」も、装飾的意味合いでよく見かける。まるで植物の葉の並びを石灰表面に描いたようだ。

2015年5月17日日曜日

今年の梅雨は 2015

このところの天候で、<台風>の早い到来ばかり目に付く。私にとって、通年では更に二つ苦手なものがある。<冬の寒さ>と<梅雨の湿気>だ。冬の寒さにはストーブやエアコンで温まり、梅雨の湿気には除湿機を総動員する。だが、台風には打つ手はない。

(本ブログ関連:”梅雨”)

今年も<梅雨>が確実にやって来るが、去年と比べて少々出遅れているらしい。気象庁の「平成27年の梅雨入り(速報値)」は、各地域ごとの過去の梅雨入り時期(平年と昨年)について、次のように掲載している。今日現在、沖縄、奄美が未だ梅雨入りしておらず、もしかすると、九州と逆転するかもしれないという話しがあるようだが・・・どうなるだろうか。

地方 平年 昨年
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沖縄 5月 9日頃 5月5日頃
奄美 5月11日頃 5月5日頃
九州南部 5月31日頃 6月2日頃
九州北部 6月 5日頃 6月2日頃
四国 6月 5日頃 6月2日頃
中国 6月 7日頃 6月2日頃
近畿 6月 7日頃 6月3日頃
東海 6月 8日頃 6月4日頃
関東甲信 6月 8日頃 6月5日頃
北陸 6月12日頃 6月5日頃
東北南部 6月12日頃 6月5日頃
東北北部 6月14日頃 6月6日頃
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(北海道がないのは、同地に梅雨がないため)

実は、空模様が気掛かりだ。来週の日曜日(24日)に、長野県にある鉱山へ行きたいと思っている。今のところ天候予測は曇りとのこと。その数日前は、ずっと晴れ・曇りが続いているので、無事に実施できそうだ。

それに、今年も恒例の「第28回 東京国際ミネラルフェア」(6/5~6/9、新宿)が開催される。こちらは、雨に関係ないので、心配なく覗いて見たいと思っている。

2015年5月16日土曜日

イ・ソンヒの「愛しただけなのに」

イ・ソンヒのアルバム10集 「First Love」 (1996年:歌詞)は、彼女がシンガーソングライターに変身したといわれるアルバムである(ほぼ全て彼女の作詞・作曲したものだ)。

その中で、「愛しただけなのに(사랑했을 뿐인데)」は、彼女が歌まっしぐらに駆けてきた感があるので、結婚しているとはいえ、妙に大人っぽい感じがする。決してちぐはぐでないし、私の純粋培養のイメージから超えそうなものの、でも声質は変わらない。いたって健康である。その辺の微妙なバランスが楽しいのかもしれない。

(本ブログ関連:”愛しただけなのに”)


「愛しただけなのに」

手にできぬ、あなただから
この夜もっと、さびしい Uu... Uu...

お互いが、なぜ遠ざかるの
お互いは、こんなものだったの

その明かりのもとで、私にくれながら
私のすべて、みな持ってしまって UuuUu...

笑いもなく、終わりにしようって
私の弱い心に、メスを入れるのね

愛しただけなのに

一日も欠かさず、会いたいと
あなた一人だけ、信じて待って欲しいと

その明かりのもとで、私にくれながら
私のすべて、みな持ってしまって UuuUu...

笑いもなく、終わりにしようって
私の弱い心に、メスを入れるのね

愛しただけなのに

(Youtubeに登録のhirekatu3に感謝)

2015年5月15日金曜日

(雑談) いつの間にか自分のものとしていること

生命って何?

水平的なダイナミクスでいえば、自己複製できるものだろう。更にいえば、生命体である自身と、外部(<自然<環境)との間で、物質・エネルギー的な出入り(調整・平衡)することだろう。内部に恒常性を持っているともいえる。

時間的なダイナミクスでいえば、進化である。

進化は偶然の産物といわれる。ただし、どうやら進化の枝分かれは、それを単純に繰り返すだけでなくて、ときとして、進化の枝が絡み合うこともあったようだ。

細胞の中でエネルギー発生に有効な器官ミトコンドリアは、外部から細胞に混入したもののようだ。それが、ごく自然に(重要な役割を持って)共存していることになる。

先日、NHKのドキュメンタリー番組「生命大躍進」で、動物の「目」の誕生が紹介された。その起源は、植物性の光反応を担う細胞がプランクトンによって、クラゲに取り込まれたことに始まるそうだ。無脊椎動物(節足動物)の複眼へ、脊椎動物のカメラ眼へと進化したというのだ。

細胞内レベルの器官として、あるいは体レベルの器官として、いつの間にか自分のものとしているが、気付いてないものが、まだまだ他にあるかもしれない。

考えてみれば、人間の思考もそうかもしれない。進歩につながるものならいいのだが。

2015年5月14日木曜日

「バナナブラン」

今日も、スーパーの棚にバナナ味の菓子を見つけた。

主婦向け菓子の王者(と私は思っている)ブルボン社の「Banana Blanche バナナブラン」だ。主婦向けの特徴(と私は思っている)は、コストパフォーマンス(総量/価格)が良く、一品は小さ目のサイズで食べやすく、甘味がほどほどなことだろう。

菓子箱に「キャラメル香るふんわりケーキ」と記載され、成分表示として、バナナ香料、キャラメル香料、洋酒使用アルコール分1.1%とある。食べれば、口中にバナナの香りが広がるが、(バナナ果汁成分の表示ががないので)バナナ・アレルギー気味の私の喉に、イガイガ感が残らない・・・良いことだが、ちょっとさびしいような。

主婦向け菓子は、<お話し>しながら食べるという間合いがあるから、ゆっくり口に進むだろう。そういえば、菓子皿にはいろいろ菓子を盛り合わせるようだ。

バナナ味の巡礼はまだまだ続くよ。

(本ブログ関連:"バナナ")

KBS WORLD「国楽の世界へ」 父母の日

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(5/6)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、「父の日・母の日」(5月8日)に関連する3曲を紹介した。

始めに、「父の日・母の日」と親に報いる労働歌「相杵歌(상저가)」について次のように紹介された。
・一生懸命努力したつもりでも、悔いが残ることがある。特に、家族、中でも両親にであれば、その悔いは一生残る。両親のいる内に孝行せよというのもそのためだ。5月8日は「父の日・母の日」だ。父母別々でなく一緒に感謝する。
・高麗時代に、臼で穀物をつく労働歌「相杵歌」(≒朝鮮初期楽譜:韓国民族文化大百科事典)がある。<がたんとうるさい臼でも、穀物をつくことができるから幸いである。まずは両親に食膳を整え、残りのものを自分が食べよう>という内容だ。白米でなくても食べられる幸せという歌詞もある。この曲はリズムは失われ、歌詞だけが伝わっている。

▼ 「相杵歌」にリズムをつけた<創作曲>「新・相杵歌」を聴く。心情に響かせる、今様の国楽である。

・昔は食事のたび、臼で穀物をついて支度した。毎回米を食べたわけでない。庶民は、特別な正月や両親の誕生日などに白米を食べた。普段は麦や粟のような穀物を食べた。白米でなくても、親のために幸せな気持ちで食事の支度をしたという、親を想う歌だ。

次に、母を想う歌「思母曲(사모곡)」について次のように紹介された。
・高麗時代、母を想う歌「思母曲」がある。農作業に使う鎌と鍬(くわ)を親に例えている。鍬も必要だが、鎌にはかなわない。つまり、父の愛も大きいが、母の愛ははるかに大きいという意だ。

▼ 朝鮮初期に記録された歌詞に、昔のリズムを最近<復元>した「思母曲」を聴く。厳かな曲調、今様である。

最後に、「父の日・母の日」成立の背景と、「父の歌(아버지의 노래)」について次のように紹介された。
・(「思母曲」は)母の愛が大きいと歌うが、韓国のしきたりとも関連がある。5月8日の「父の日・母の日」は、1956年に制定され、「母の日」であった。当時。父を上長と特にもてなしたので、母は比較的おろそかになっていた。この日だけでも、母に親孝行する意があり、母の日として始まったが、今では「父の日・母の日」になった。最近、父子の触れ合いが減り、寂しい想いをすることも多いようだ。
・父を想う歌もある。<一生涯、無口だった父>と始まる。悲しいときも嬉しいときも無口であった・・・。

▼ 「父の歌」を聴く。母親の姿は前から見て、父親の姿は後ろから見る・・・そんなためを息をしてしまいそう、今様である。

2015年5月13日水曜日

イ・ソンヒの「五月の陽射し」

昨晩の台風(6号)は、今日の日付に変わる頃に、すっかり凪いだ感じだった。転寝して気付いたときには治まっていたという、少々気抜けしたものだったが、大事にいたらず幸いだった。

ところが、今朝のニュースで知ったことだが、早朝、宮城県沖を震源とする地震(M6.8)が発生したという。岩手県花巻市で、震度5強だったという。自然は少しも油断できない。

そんな朝、台風一過の晴れやかな空が広がっていた。まさに五月の陽射しだ。

イ・ソンヒには、5集に収録した「五月の陽射し(오월의 햇살)」(1989年)があるが、1990年にモントリオール室内オーケストラと協演した公演実況版アルバムがある。(この協演版は、「『なぜ私だけ(왜 나만)』など新曲が収録され、会場の(イ・ソンヒの語り)コメントを余すところなく、そのままに盛り込んで、臨場感を生々しく生かしたのが特色である」とのこと・・・公式ホームページ)
協演ステージの、彼女の初々しい様子を(コメント省略だが)Youtubeで見ることができる。

(本ブログ関連:”モントリオール室内オーケストラ”)

この「五月の陽射し」には、さまざまな思いが込められているという。

(本ブログ関連:”五月の陽射し”)

(Youtubeに登録のKoreanMusicSubsに感謝)

2015年5月12日火曜日

5月の台風6号 (2015)

2009年以来、このブログに台風について記述した最も早い時期は、2011年5月(台風2号)だ。それ以降、またしても5月のこの時期に台風到来、それも台風6号という。温暖化だからだろうか、台風発生が矢継ぎ早のようだ。

市役所から、台風6号について注意喚起メールが届いた。また、ネットのWeathernewsによれば、(地元Pinpoint地区について)「今夜は雨風がだんだん強まり、夜遅くがピークに。道路冠水や交通の乱れの可能性があるため、早めの帰宅をおすすめします」とのこと。

夕方過ぎ、灰色の雲が重くかぶさるようで、台風の迫り来る緊迫感がある。風はときたま、かすめるように吹くだけで、台風前の静けさといったところだ。とはいえ、夜分に厳しさが予想されるため、今晩予定の教室が休講となった。強風と土砂降りの帰り道ではかなわないからだ。

突然の地震も恐ろしいが、今来るとばかり待ちかまえる台風も嫌なものだ。でもこう考えることがある。私たちの祖先は、自然の変化と襲来を経験することで、より逞しく賢くなったのではないかと。遠く昔の遺伝子が、欠けることなく継承されてきたことに感謝しつつ思う。

2015年5月11日月曜日

過ぎし日の思い出

なんともセンチメンタルな、メアリー・マックレガー(Mary Macgregor、1948年5月6日~)が歌った、1976年リリースした「Torn Between Two Lovers」(日本盤「過ぎし日の思い出」)という、3角関係に陥った女性の心を歌ったものがある。

この辺の女性心理を分析したいが、口先が寒いので・・・ そういえば、女性タレントが言っていた。女性の記憶は、「オーバーライド」だそうだ。その点、男は、「デリート」といいながら、多分、外付けHDDに「リムーブ」しているのだろう・・・男はそんなもんだ。

穏やかな陽射しを感じさせる、甘い旋律である。なぜか浮かんだのが、BS番組「小さな村の物語イタリア」のオープン・エンドに流れる「L'Appuntamento逢引き)」(Ornella Vanoni)で、少し酔った気分にさせる、ついつい聞き入ってしまう曲だ。

メアリー・マックレガーは、映画版「銀河鉄道999」(1979年)のエンディングテーマ曲「SAYONARA」を歌ったそうだ。(他に「Love Light」)・・・マニアックでないので未見であるが。

(Youtubeに登録のClasicos de la Discoに感謝)

2015年5月10日日曜日

母の日2015

母について語られたものを、このブログで触れたのは次の通り。

・イ・ソンヒ : 「走れハニー」、「母をたずねて三千里」、イ・ソンヒのエピソードイ・ソンヒの生誕

・アソール : 「Mama」 ⇒ Youtube(<もっと見る>に英語訳歌詞あり)

エセーニン : 「母への手紙」 ⇒ Youtube(<もっと見る>に英語訳歌詞あり)

申京淑 : 「母をお願い」


昼下がり、近所の幼稚園から母子が一緒に帰るのを目にすることがある。そんなとき、つくづく感じるのは、わが子と対等に会話している母親の姿だ。幼い子と一体感が強いとばかり思っていただけに、ちょっと不思議な気がした。そこに、子の成長を見守る母親がいたし、家族が出来上がりつつあるようにも見えた。多分、子育てしながら母親も成長していくのだろう。・・・優しきお母さん方に思うこと。
それにしても、父親はそんな母子のゆったりとした慈愛に満ちた変化に気付いているのだろうか。

2015年5月9日土曜日

イ・ソンヒの「お姉ちゃん」

イ・ソンヒの5集(1989年)は、ある意味若さの瞬発といったスタイルと違って、今になおつながる豊かさを持っているように思う。「私の街」、「五月の陽差し」、「ひとしきり笑いで」、「貴方よ」、「水仙」、「冬哀傷」、「花火のように」、「海になって」、「お姉ちゃん」、「心のように、貴方のそばに」が並ぶ珠玉集だ。

童謡のような響きで、遠くへ行った姉を懐かしむ、幼い妹の歌「お姉ちゃん(누나야)」は、聴くものの心を澄ますようだ。童謡の「兄を思うと(오빠생각)」とか「愛しい(私の)妹」(보고픈 내 누이)」に通じる、兄弟姉妹の切ない思慕や情愛が感じられる美しい曲だ。

(本ブログ関連:”お姉ちゃん”)

5集について音楽評論は、この「お姉ちゃん」に視点をあてながら、次のように語っている。

Mnetのアーティスト・レビューは、イ・ソンヒのアルバム4集から6集について、次のような紹介をしている。
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イ・ソンヒの音楽に変化が起き始めたのは4集アルバムからだった。「愛が散るこの場所」・「私はいつもあなたを」(1988)、「私の街」・「五月の陽射し」(1989)、「なぜ私だけ」・「思い出のページをめくれば」(1990)に続く4、5、6集は、全て大衆的に良い反応を得たが、以前と同じ程ではなかった
だが、作曲家ソン・シヒョンに出会い、歌詞とメロディでずっと叙情性を追求し、一層成熟した音楽への意欲を見せる。当時のヒット曲である「愛が散るこの場所」、「ひとしきり笑いで」、「私の街」、「思い出のページをめくれば」などは、そういったスタイルを反映する。
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イ・ソンヒの「4集+5集(All That Masterpiece)」(24bit-remastering版)について、チョン・イルソ(정일서)KBSラジオPDは、アルバム紹介を次のように記している。
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・5集は・・・、グループ「山びこ(산울림)」のキム・チャンワン(김창완)が作詞、作曲した二曲が収録されていて目を引くだけでなく、同年イム・ジフン(임지훈)によっても歌われた「お姉ちゃん(누나야)」と、ハミングとナレーションが続く独特の雰囲気の曲「水仙(수선화)」がそれで、キム・チャンワン特有の歌詞とイ・ソンヒのしなやかでしっかりした声が調和する「水仙」は多少実験的な曲だ。
ソン・シヒョンは、4集に続き5集でも中枢的な役割をしている。アルバムの代表曲の「ひとしきり笑いで」と「冬哀傷」は、まさに彼が作った曲だ。
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2015年5月8日金曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 申潤福

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(4/29)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、朝鮮後期の有名な画家、申潤福신윤복, 1758年~没年不明)に関連する3曲を紹介した。

(本ブログ関連:”申潤福”、”金弘道”)

始めに、画家金弘道김홍도、1745年~1806年)と、申潤福の「蓮池の女人연당의 여인)」図について次のように紹介された。
・天才画家といわれた金弘道は、主に庶民の生活を描いた。一方、申潤福は、上流階層の風流や男女の愛情を素材にした作品が多く、妓女がよく登場する。金弘道と比べて、華やかな色彩を使っている。
・申潤福の「蓮池の女人」図は、庭池に蓮の花が咲き、一人の女がそれを見つめ、長いキセルと楽器の「笙簧(センファン、생황)」を持って座っている。もと妓女の様だが、歳をとり引退して、過ぎし歳月を深く思うさまを描いている。

▼ 笙簧演奏で「足跡(발자욱)」を聴く。心にこしかたをたどるような風情する・・・今様である。

・笙簧は、羽をたたんでいる鳳凰の姿に、その音色は鳳凰の鳴き声に例えられ、鳳凰の音ともいう。金弘道は笙簧を神仙と一緒に描いたが、申潤福は妓女が演奏する楽器として描いた。

次に、作品「舟遊清江(주유청강)」、「賞春野興(상춘야흥)」図について次のように紹介された。
・川に船を浮かべ風流を楽しむ「舟遊清江」図も同じだ。妓女が笙簧を奏し、男は横笛「大笒(대금)」を吹いている。
・花が綺麗に咲く春の庭園で風流を楽しむ様を描いた「賞春野興」図がある。身分あるらしい二人の男が主人公で、丘上で自分の敷物に座り、その間に妓女が二人、向かい側に玄琴(コムンゴ、거문고)、大笒、奚琴(ヘグム、해금)など奏する者がいる。演奏が素晴らしいからか、独奏の場面だったからか、人々は玄琴の方を見ている。演奏が終わると、二人は詩作したり、絵を描き、この日を記録しただろう。

▼ 玄琴の音を繰り返し奏する意の演奏「両清還入(양청도드리)」を聴く。千年万歳、素朴で舞踏的な香りする。

最後に、「雙劍對舞(쌍검대무)」図について次のように紹介された。
・申潤福は、身分の高くない両斑や妓女などに注目して多く描いた。それらには、愛情がこもっている。印象深い作品に「雙劍對舞」図があげられる。向かい合う二人の踊り子が、長い剣を持って踊る。見物するソンビや妓女、そして演奏する者の姿もあり、派手な服装の踊り子が印象的だ。・・・短い剣を持ち活き活きとしているとのこと。

▼ 竹管楽器を中心に奏する風流の意の「竹風流(대풍류)」を聴く。踊り子の姿をとのこと・・・こちらは洗練された響きだ。

2015年5月7日木曜日

(雑談)アリについて聞きかじり

連休中のテレビ番組(複数)で、昆虫の「アリ(蟻)」の話題があり、素人の聞きかじりだが、次のような面白い話があった。ただし、話者や番組名はうろ覚えではっきりしない。ご勘弁。

(本ブログ関連:””)

・アリは、固体一匹一匹について、単純な行動をしている。(それらが集合して社会性を持つ)

・アリは、複数の目的地をつなぐ経路について、最短経路をとる能力がある。(=粘菌にも同様な話しがある)

・アリは、縦列を組みながら進むが渋滞しないのは、互いに適切な距離を設けているから。

それから、こんな話題(番組)もあった。シンプルなルールに基づいた結果、複雑なように見えるというのは楽しい。動物の体の模様について、小さな点を単純なルールで配置すると、様々な形になるというのだ。(チューリング・パターンというそうだ・・・「動物の皮膚模様形成原理」(大阪大学 近藤滋教授))


(追記)
フィボナッチ数という並び方で、自然の連鎖を説明できる・・・全てに語っているのではないだろうけれど、命が数字に置き換えられるような気がして何だか変な気分がする。

昔は、細胞一個を見ても器官は見えないという話しがあったけれど、分化の研究から細胞をつなぐ糊の話しが出てきたし、それだけじゃない、iPS細胞が器官に直結するという話しにまでなった。

2015年5月6日水曜日

立夏2015

ひと月に2つの節気が巡って3ヶ月、春も終わり、いよよ夏来たる。二十四節気の「立夏」の今日も、晴れた空に緑がまぶしい。

(本ブログ関連:”立夏”)

5月の連休も今日でおしまい。でも、地元図書館のスタディー・ルームは満員だった。若者たちはしっかりと学ぶべきものを持ち、目標に向かっているようだ。この休日を、きっと充実させたことだろう。

おじさんときたら、長袖シャツもさすがに暑苦しくて、ようやく衣替えの踏ん切りがついたところ。そういえば、街の衣料品店の棚はとっくに夏に衣替えしているのに気付く。

夏は来ぬ、夕方に風が止んで、昼間を思い返して思うこと。唱歌「夏は来ぬ」(作詞佐佐木信綱、作曲小山作之助、1896年)を聞けば、心も身も初夏の佇まいしてくる。(台湾は、すでに梅雨入りしたという)

(Youtubeに登録のsuginami384に感謝)

2015年5月5日火曜日

子どもの日 2015

5月の陽射しは深くて、通り道の垣根の若葉をきらきらと輝かす。まさに新緑の初夏といえる。

連休の終わりが迫ったためか、昼下がりの街は静かだった。散歩の耳をかすめる、小さな風音が気になる程度だ。子どもたちのいる近所の家々は、ガレージに車をとめている。不思議なほどに物音のない休日だ。ゴールデンウィークの家族サービスも一段落したのだろう。(街の本屋巡りをしたが、そそるものは見つからず)

でも、公園広場に行けば、子どもたちが思いっきり大声を出して走り回っている姿を見ることができただろう。今日という日は、それを見なけりゃ過ごしたことにならぬのに、散歩途中で引き返したことが悔やまれる。

明日は、振替休暇(=憲法記念日の5/3が日曜日だったため)だ。終われば日常に戻る。きっと、翌日からを気がかりな親と、連休遊びを消化し切れない子どもたちが、家の中にいることになる。親は英気養い。子は不燃焼か。

(付記)
陽射しの良いこんな日こそ、イ・ソンヒの「五月の陽射し」を聴きたい。でも、今聴くには美味し過ぎるので、もうちょっと後日にしよう。

2015年5月4日月曜日

ロコモ(みどりの日2015)

祝日「みどりの日」の今日、いつも通っている地元の体育施設で、特別な体操教室があって出かけた。コースは、「膝痛(しっつう)ロコモ」という、膝に負担のかからない運動だった。

夜道で転んで右膝を強打して以来、半年を過ぎたというに、90%の回復だ。今も、胡坐をかくのに不便を感じている。そこで、数あるコースの中から選んだ次第。丁寧に指導していただいたけれど、今回の運動メニューを今後も自宅でこなしてこそ意義があるのに・・・ひと頼みの性分ゆえ、先行きに自信ない粗忽さ。

ところで、コース名のロコモについて、最初に浮かんだのは、ハワイ料理の「ロコモコ」だった。運動しようというのに、初めに食い物とはあきれる・・・でも、ロコモコは、子どもが喜びそうな組み合わせ料理といったところか、うまそうだ。

本来、「ロコモ」の名は、「ロコモ対策」の運動のようだ。運動性(Locomotive)の低下、すなわち関節痛など含めて運動機能の不全(Locomotive syndrome)をさすようだ。私には、もっと気楽に、ロコモーションが連想されるけど。

ロックの原点をビートルズに宗旨替えした転向者が多くて、以前のものを忘れた風潮があるのは、おじさんにとって痛く残念である。子どものころ、よく聞こえた「ロコモーション」(1962年)は、いまの私と違ってまことに軽快な響きだった。いわゆる、第2世代の、三人娘の中で、控えめながら存在感のある伊東ゆかりがカバーした「ロコモーション」が懐かしい。

(Youtubeに登録の六三四Ⅲ 八野に感謝)

2015年5月3日日曜日

今年も、3分の1食ってしまった

例年、日めくりカレンダーに苦労していた。ついおろそかにすると、数日分残ってしまい、あわてて切り剥がしたりした。それを、今年からPCデスクにくくりつけることで、簡単に、忘れることなく日めくりできるようになった。

毎日、一枚一枚、剥がしていくうちに、一日の重さが日めくりカレンダーの一枚のように思えて、逆に気が重くなる。あっけないほどに日が進んでいることを実感する。そして、とうとう、今年も3分の1が過ぎてしまった。

リンゴの実に例えると、その3分の1を食ってしまったことになる。日めくりカレンダーの減り具合にあっけなさを感じるのと同様、何の味わいもせず口にしてしまったのが残念。後悔するほど目標もなかったくせに、忸怩たる思いだけは残る。

(本ブログ関連:”リンゴ”)

イ・ソンヒには、この5月、リンゴの花咲く頃にことづけて愛を歌った、13集所収の「リンゴの木の下で(사과나무 아래서)」(2005年)がある。美しい旋律にひたって、時を慰めに、癒しを求めたいものです。私の場合は、時間に置いてけぼりされたウサギのように、大変だ、大変だ・・・ Oh dear! Oh dear! I shall be too late!


(Youtubeに登録のlys2187に感謝)

2015年5月2日土曜日

八十八夜 2015

雑節には、一年の季節の始まりである「立春」を起点に数える、今日の「八十八夜」、台風時期の「二百十日」などがある。農業と縁遠く、気候とも真正面に向き合うことの少ない都市生活者にとっては、そもそも立春について意識がうすい。この八十八という日数が来ても、感慨は足りない。

(本ブログ関連:”八十八夜”)

雑節の八十八夜は、そもそも農家にとって遅霜への注意喚起だったそうだ(Wikipedia)。一方、この八十八について「米という文字は、八と十と八を重ねてできあがることから、縁起のいい農の吉日とされています」という解説本まである(「日本の七十二候を楽しむ」東邦出版)。

ところで、今日を何かの標で確認するのに、八十八夜を織り込んだ唱歌「茶摘み」がある。季節としての八十八夜を、歌詞の最初に持ってきている。この唱歌の由来といわれる(通説だが)、宇治田原町(教育委員会)の「宇治田原の茶摘み歌」を見ると、「八十八夜の お茶に会う」がある。茶摘みを機会に男女の契りを想わせる、いわゆる明るい民謡独特な表現だ。唱歌が静止した光景とするなら、民謡は活き活きとした生命感がある。

緑茶はうまい、歳とともに実感する。和室が似合う飲みもの。静かに時間を楽しむことができる。戻るべきもののようだ。

2015年5月1日金曜日

イ・ソンヒと「ニンジン」、「サニー」

イ・ソンヒのファンクラブに「ニンジン」の名の付くものがあるが、もともとは彼女自身の食習慣に由来する。それについては、以前ブログに資料を記した。あらためて、以下整理する。

同様に、ファンクラブに、「サニー」の名のつくものもあるようだ。これについては、中学教師に付けられたあだ名という。根拠は明確でないが、彼女のローマ字綴りが、イ・ソンヒ → Lee Sun Hee から、ソン=Sun をヒントにしたのではないかと推測する。

(本ブログ関連:”サニー”

さて、本題のニンジンについては、以下の通り。

(本ブログ関連:”(資料)イ・ソンヒのスター・ストーリー「10.それが歌なの 発声練習では」”)
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・熱狂ファンに自ら少しでも誠意の表示をするという気持ちで始めたのが、1年に四回ずつ直接お送りするファンクラブ誌「ニンジン」である。ファンクラブの会員数が1万5千人ほどだから、一度発送するには、それこそ私の周辺には「大騒ぎ」がある。

・「ニンジン」の内容は、「イ・ソンヒは、その間何をしながら過ごしたか」が主流をなしてファンたちの各種「称賛」と「抗議」、そして「悩みの相談」も多く入っている。 懸賞クイズもある。「イ・ソンヒ姉さんが一番明るく笑う時は、歯が最大限でいくつ見えでしょうか?」
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(本ブログ関連:”イ・ソンヒ 歌謡祭が生んだ歌手”)

「毎日経済(매일경제)」1984年11月24日
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国民学校 5学年のときからミュージカルで実力固めて
(ミニインタビュー)
・「歌謡界のシンデレラと呼ばれることについて、イ・ソンヒさんは不満が多い。たまたま運良く、自分が人気を得ることになったのでは決してないからというもの。
(略)
しかし、どんなに忙しくても欠かさないのはニンジン食べること。 一日2本ずつ毎日食べるのは幼いころからの習慣だ。茶目っ気の多いこのお嬢さんは、ガールフレンドをたくさん引き連れていて、おかげで中学時代の体育の先生が付けた『サニー』をはじめ、『ワルヒ(おてんばソンヒ)』などのニックネームだけでも20ヶ以上に達すると・・・」(略)
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2015年4月30日木曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 鳥に関わる曲

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(4/22)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、鳥に関連する3曲を紹介した。

始めに、春を知らせる「ツバメ(燕、제비)」と陰暦3月3日の「桃の節句(삼짇날)」の関わりについて次のように紹介された。
・3月3日は「ひな祭り」だが、陰暦3月3日の上巳は「桃の節句」という。陰暦9月9日に旅立ち、南で過ごしたツバメが戻る日でもある。韓国では、3の数を重視した。ハングルも、天地人の三才が調和を成したもの。じゃんけんも3回勝負する。
・ツバメは、3のつく日に行き来した。パンソリ、「興甫歌(興夫歌、흥보가)」にもツバメが登場する。真面目なフンボに、財産を運んでくる。その日が陰暦3月3日だった。近頃、農村でもツバメを見かけなくなった。今年はどのくらいのツバメが戻ってきたのだろう。

▼ 京畿地域の雑歌、「十二の雑歌」から「ツバメの歌(제비가)」を聴く。雁、ウグイス、ホトトギス、オウム、ツル、クジャク、数々の鳥が登場する。

・この「ツバメの歌」には、数々の鳥が登場するだけでなく、歌詞も面白い。パンソリ「春香歌(춘향가)」や、「沈清歌(심청가)」、「興甫歌」から様々な歌詞を組み合わせて、色々な内容があるが、結局、別れを切なく思う気持ちを表している。暖かい春、楽しそうに戯れる鳥、そして愛する人との別れの寂しさを表している。桃の節句は、本格的に春がはじまる日だ。

次に、桃の節句の食べ物、花煎(화전)と花麺(화면)を次のように紹介された。
・山野に行き、ヂヂミや麺料理(クッス)を食べて花見を楽しんだ。ヂヂミに、花のヂヂミがある。ヂヂミの粉を練り、焼くときツツジの花弁を載せる。これが花のヂヂミ、花煎だ。また、花麺は、ツツジを入れて粉を練り、蜂蜜入り五味子(オミジャ)の汁と一緒に食べる。美しい桃色が春らしさを足してくれる。

サムルノリと歌で、「鳥打令(새타령)」を聴く。今様にアレンジして、楽しげである。

最後に、桃の節句の時期の酒と、「鳥打令」の鳳凰について次のように紹介された。
・桃の節句に酒も欠かせない。ツツジで醸した「杜鵑酒(두견주)」という。他に、春の酒に焼酎と薬酒を混ぜた「過夏酒(과하주)」、梨と生姜が入った「梨薑酒(이강주)」などある。酒とつまみで春を楽しむ中、歌も出たはず。
・この季節、食糧が底をつき苦しい生活した民もいた。「鳥打令」に鳳凰が登場する。豊作の鳥として、君子の出現を知らせるともいわれた。貧しい民に、食糧問題を解決する王が最高の王であった。「鳥打令」にも鳳凰が豊作の鳥として出てくる。

▼ 鳳凰を象徴する楽器笙簧(생황)の演奏で、「ワルツナンバーワン」を聴く。人形劇、空高くゆたりと浮かぶよう、今様である。

・笙簧、鳳凰の鳴き声に最も似た楽器といわれるが、想像の生き物で、鳴き声を聞いた人はいない・・・。

2015年4月29日水曜日

黄金沢鉱山(金山)

先日、日曜日(26日)になすべきことをせず、のらりくらり過ごしていると、月曜の晩に、お誘いの電話をいただく。「水曜日、『昭和の日』(本日)に、採集に行こう」とのこと。どこにする?・・・山梨県、黄金沢鉱山に即決する。去年の5月18日、黄金沢金山の名で採集に行ったところだ。

(本ブログ関連:”黄金沢鉱山(金山)”)

早朝、始発電車に乗り待ち合わせ駅から、H氏の車に同乗させていただき現地に向かう。4月も終わる今日この頃なれば、街はすっかり明るいで、寒くもない。やはり、春過ぎの鉱物採集は、ルンルン気分である。さあ、金でも採ろうか、車骨鉱でも採ろうか。

(参考) 「鉱物ウォーキングガイド 関東甲信越版」(著:松原聰)に産地紹介あり。

祝日の今日、思いのほか道路はガラリとしていた。現地に、途中、沢(小川?)を渡るところがある。元気なH氏は、岩の上を飛ぶように渡ったが、体の重い私は、枯れ木を杖代わりにして渡河? 時間はたっぷりある。

採集現場で驚く。前回と比べて、掘り起こされた石が辺りに転がっていたのだ。いわゆる、「産地荒ら」しのような掘り返しではない。採掘者に感謝。

無造作に放り出された、石々は、どれもこれも銀色に反射していた。高望みはできないが、それなりに次のようなものを採集した。

・黄鉄鉱、黄銅鉱(いくらでも)、方鉛鉱(なんぼでも)、斑銅鉱、褐鉄鉱、磁硫鉄鉱、硅孔雀石、閃亜鉛鉱、(ミメット鉱?)

2015年4月28日火曜日

地震について

東日本大震災で、現地とは比較にならないが、揺れの凄まじさをこの地なりに経験した。地震の瞬間、身動きできぬ無力さを実感したし、震災の情報が伝わるたび、恐怖は後から来た。

(本ブログ関連:”地震”)

ネパール大地震は、プレートが衝突して作り上げた世界最大の高地で発生した。エベレストの高さに圧倒されるとき、実はその地下で巨大なエネルギーが今も衝突している。マントルのうねりがある限り、プレートは止まらない。
被災者の数が次第に増えている。もどかしさを感じる。国連によると、ネパール(人口2780万人)の800万人が被災したと推計されるという。つらいことだが、亡くなった方の数は考える以上だ。

自然災害となれば無力さがますます増す。次は私たちの番かもしれないからだ。凡俗の身には、悟りも生き方も分かるはずもない。一度経験すると強くもなるし弱くもなる。

地震のおびえを知らない、次の世代の方が強く生き抜くことができるかもしれない。恐怖は遺伝子に閉まっておこう。

2015年4月27日月曜日

MP710

スマホやタブレットに追いかない。大分差がついたが、焦りはない。

携帯音楽プレーヤーは、語学用に購入したTranscendのMP310を重宝している。これ以上、関心が先に進まなかったが、出先でYoutube動画を見たいと、TranscendのMP710を入手した。おじさんには、これで充分、早速試してみた。

何の動画を見るかって?・・・決まってる、イ・ソンヒさんですよ。さっそく、2004年の20周年コンサートの動画を入れさせてもらいました。外出先で見るには最高・・・図書館のスタディールームで試してみましたよ。
(もし、DVDがあれば即求めます!・・・2014年の30周年版DVDもあれば欲しい!)

テキストも読めるとの事で、青空文庫の折口信夫「信太妻の話」を入れてみた。果たして、読む気になるのか・・・こちらは、まだ感想がまとまらない。まあ、付録機能のようなものだ。


(追記)
陽射し燦燦、木漏れ陽する公園の小道を散歩した。気象庁の観測(近在地)では、今年最高の気温(「6月中旬並み」)、25.7℃だった。日陰のベンチに坐り、新聞を読む。記事に気になることも気がかりもない。
遠くを小学生が列になって公園から帰る姿が見えた。彼らを見ながら思った。そう、君たちがいなければ未来はない。未来を託す可愛らしい宝だ。

2015年4月26日日曜日

イ・ソンヒ「走れハニー」

イ・ソンヒは、少女漫画が原作(イ・ジンジュ)の初期アニメの代表作といわれる、KBSの「走れハニー(달려라 하니)」(1988年、全13話)で、主題歌「走れハニー」(作詞イ・ジンジュ、作曲パン・ヨンソク)を歌っている。
早くに母親をなくした少女ハニーは、逆境を撥ね退け、小柄ながらもスポーツを通じて健全に成長するさまを描いているという・・・Youtubeで、番組をいくつか視聴できる。(アニメディスク版の主題歌歌手はチョン・ヨジン)

(本ブログ関連:”走れハニー”)

本ブログで以前紹介した、「(資料)レジェンド・プロファイル16弾-イ・ソンヒ」(ムン・ジョンホ)によれば、番組の当時の位置づけについて、「真にすべて、時代が要求する健全さの標本であったし、イ・ソンヒもまたそのような役割を厭わず、国民の自負心を鼓吹させる歌もよく歌った」と語られている。まさに、イ・ソンヒの他曲同様、彼女の持つ清潔さ、健全さにぴったり適合したものだったといえる。ちなみに、物語の主人公の父親は、海外に出稼ぎに行き失明する・・・どこか、パンソリの「沈清歌」に裏打ちでもされているかと思うほど。

「走れハニー」

私はねぇ、ママが世界一大好き、空と地ほど
ママに会いたくなれば走るのよ、両手握って
走れ、走れ、走れハニー(ハニー)
世界の果てまで(果てまで)、走れハニー(ハニー)

私はねぇ、悲しさ見せるの大嫌い、弱くなるから
さびしく涙したら走るのよ、風のように
走れ、走れ、走れハニー(ハニー)
世界の果てまで(果てまで)、走れハニー(ハニー)

私はねぇ、あだ名の「頑張り屋」がお気に入り、じゃなきゃ勝たないわ
みなみな抜いて走るのよ、ママの懐(むね)に
*走れ、走れ、走れハニー(ハニー)
世界の果てまで(果てまで)、走れハニー(ハニー)

(*以下繰り返し2回)

(Youtubeに登録のkimyonsamaに感謝)

2015年4月25日土曜日

バナナカステラ

近所のスーパーで、菓子パンサイズの袋に入った「バナナカステラ」を見つけた。
餡入りのカステラ菓子で、外側に「BANANA」文字をレリーフして焼き上げている。シンプルな菓子名と形状から、何となく屋台菓子を思い起させる。原材料に「バナナ入り白あん」と表示されている。食べた瞬間、バナナ風味が口中に広がる。食後も風味が強烈に残る。まさに、直球勝負のBANANA味だ。

(本ブログ関連:"バナナ")

ところで菓子袋に、「Café」とféの字を強調して描かれている。バナナは鉄分(Fe)が豊富なのかと、「栄養素別食品一覧表」をネットで見たところ、そうでも・・・ないようだ。

”バナナカステラ” についてネット検索すると、関西原産で、数社で販売される当り前の菓子のようだ。どうりで、今回購入した菓子メーカーの販売部門が東京にあって、お客様相談係が大阪にあるわけだ。菓子のシンプルなデザインといい、2本入りといったことから・・・「関西菓子」を感じた次第。

感想を大阪弁で何と言ったらよいだろうか。ネットに、「『標準語→大阪弁変換』プログラム osaka.exe のJavaScriptバージョンで、テキストの文章を大阪弁に変換」するサイト(Osaka JS さくらさくらWORLD)があったので、変換させていただいた。感謝。

     「とても美味しかったです」 ⇒ 「どエライ美味しかったや」

バナナ味の巡礼はまだ続く。

2015年4月24日金曜日

星の花火

宇宙に対する関心は、星々の映像を見て楽しむ程度。「暗黒物質(dark matter)」とか、「ダークエネルギー」といった言葉にSF的なイメージを浮かべて何となくうれしくなる素人だ。

(本ブログ関連:”ダークマター”)

昔、「馬頭星雲」の不思議な似姿に息をのみ、「わし星雲」が赤ちゃん星を生み出す光景に驚嘆した。これらは写真があってのこと。特に後者の写真は、ハッブル宇宙望遠鏡のおかげだ。

宇宙は大きい。人間は宇宙の塵でできている。人はときに、宇宙の大きさに対して己の諸事の小ささを自省する。そのとき少々ストイックになるが、すぐに忘れる。ハッブルは、そんな私を呼び戻してくれる。

ハッブルが、1990年4月24日以来、宇宙の壁飾りを撮影し続けて25周年を迎えたと、東京新聞の記事「ハッブル25年祝う『星の花火』 NASAが画像公開」(4/24)は、次のように報じている。
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・【ワシントン共同】ハッブル宇宙望遠鏡の打ち上げから25年となるのを祝福し、米航空宇宙局(NASA)と欧州宇宙機関(ESA)は23日、夜空に開く花火のような星団の画像を公開した。

りゅうこつ(竜骨)座の方向にあって、地球から2万光年離れた「ウェスタールンド2(Westerlund 2)」*は、約3千の恒星が集まった天体。中心部には誕生から約200万年と比較的若く高温で巨大な星々があり、周囲のガス状物質の内部では新たな星が次々に誕生しているとみられている。

(*)「ウェスタールンド」は、スウェーデンの天文学者Bengt Westerlundの名にちなむ。

・全長約13m、重さ約11トンのハッブルは、1990年4月24日に米スペースシャトル「ディスカバリー」で地球を回る軌道に打ち上げられた。
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(Youtubeに登録のHubble Space Telescopeに感謝)

2015年4月23日木曜日

(雑談) 映画の比較

昔、VHS版「我が心のオルガン(내 마음의 풍금)」(1999年)を、あるファエで偶然入手して、言葉も分からずに見た。17歳の小学5年生の少女が、新任の男性教師に淡い恋心を持つという、寓話的な世界を描いている。1960年代の世相というより、ノスタルジックな農村風景を象徴するようだった。なにより、チョン・ドヨン전도연)演じる少女の一途さに見入ってしまったものだ。そして、思いがかなうラストに仕上げてくれた。

(本ブログ関連:”我が心のオルガン”、”チョン・ドヨン”)

「我が心のオルガン」と同じく、1960年代の江原道の田舎を舞台にするものの、ある意味、間逆な世界を描いたのが「我らの歪んだ英雄(우리들의 일그러진 영웅)」(1992年)だ。小学5年生の教室を、教師に代って、15歳の級長が暴力で規律を作り実質支配する。ソウルから来た転校生は、正義の名で抵抗するが、いつか支配を受け入れ同化し、むしろ意図的に取り入ろうとすらする。当時の世情を汲んでいるのだろうか、狭い世界に置かれた人間の本性を、根源を、小学生の世界で語っているのかもしれない。

しかし、新任教師の登場によって、この世界は崩れ、新しい正義が規範とされる。生徒たちは新しい正義に進んで同調する。

後年、新任の教師は中央の政治家へ転身し、主人公の転校生は予備校教師となる。暴力によって支配された経験は、再会した同級生たちの心に深く澱となっているように見えた。

両映画には、小学校の校舎が火事になる場面もある。何かが崩れ落ちる象徴なのだろうか。相似するものが多々あるが、「我が心のオルガン」には、もしかしたら「我らの歪んだ英雄」に対する、対照的な意図があったのではと推測してしまう。

(付記)
テレビで知ったのだが、最近の女性の仲間内で、「マウント」するという言葉があるそうだ。これは、ニホンザル社会の序列付けに使われる、「マウンティング」という社会的な動作からきたのだろう。不思議なことに、チンパンジーに分類されるボノボでは、逆の意味を持つ。
小さなケージに飼われたニワトリ集団は、「つつき」を行ない順位付けする。しかし、広い場所で放し飼いすると、その現象がなくなると読んだ記憶がある。ニワトリは、鳥類という、恐竜の現在の姿だ。他者との差異と支配関係を求める順位制は、古くからの生命の必然かもしれない。

2015年4月22日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 あの世の歌

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(4/15)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、死に関連する3曲を紹介した。

始めに、亡くなった人の魂を呼び込む「ペベンイ・グッ(배뱅이 굿)」について次のように紹介された。
・「ペベンイ・グッ」で有名な李殷官(이은관、1917年~2014年)名唱がいる。節句に、テレビから「ベベンイが来ました(배뱅이가 왔소이다)」の歌詞がよく聞こえてきた。ベベンイ(배뱅이)が何か分からなくても、「ベベンイ・グッ」の歌舞は広く知られた。巫堂(무당、巫女)が神にお告げする祭儀(クッ、굿)ではなく、これを素材にした伝統芸能(民俗劇)だ。パンソリと似るが、パンソリは南の地方中心である反面ペベンイ・グッは北側の黄海道中心だ
・ある名門の一人娘ペベンイが18歳の若さで亡くなる。老いた両親は、娘の魂に会いたく、国中の有名な巫堂を探してクッを行う。魂を呼び込むのは簡単でない。それを聞いた旅人が両親を騙し、魂が訪れきたように振る舞い、金を取って逃げてしまう。

▼ 「ペベンイ・グッ」から、「国中の巫堂がクッを行う場面(팔도 무당 굿하는데)」を聴く。随分賑やかな祭儀に聞こえる。

次に、「恨(ハン、한)」とクッの祭儀の関係について次のように説明された。
・人が死ぬとどうなるのか、昔から人が悩んだ問題だ。韓国では、死後、人の魂はあの世に行くと信じた。時々、子孫に会いに戻ってくるともいわれる。この世に名残惜しい人は、あの世に渡れず留まるとされ、「恨」と言う、一種の恨みがある。人を恨み、残念に思う気持、悔しさや悲しさ、これらが入れ混じった感情を指す。恨を持つ人は、自分も知らぬ内に人に害を与えることもあるため、クッを行って、恨を晴らすように誘導した。亡くなった人のための儀式だが、実は生きている人のためでもある。互いに憎しみや恨みを晴らすための装置ともいえる。

▼ 恨み、恨を歌った曲「バリアラリ(바리아라리)」を聴く。不思議な味がする演奏に載せて・・・味わい深い今様。

最後に、あの世の神「バリテギ(바리데기)」の話と「コプリ(고풀이)」の意味について次のように説明された。
・バリテギは、娘として生まれたため、王に捨てられてしまったが、王が重病にかかったとき、命がけで薬を見つけたのは、バリテギだった。薬を探しにあの世まで行ったのだ。そして、あの世を治める神となる。
・全羅道地域の「シッキム・グッ씻김굿)」儀式では、亡くなった人の恨を晴らす過程を「コプリ」という。白の長い布に、七つまたは十二の結び目をつくり、柱に固定させる。結び目は恨を意味するようで、巫女が歌を歌いながらゆっりと布を引っ張り、結び目を一つずつ解く。その様子を見ながら、その場にいる人々も恨を晴らす。

▼ 珍島の「コプリ」を聴く。始原的な響きがする・・・地元の人々の現地録音だろうか。

キム・ボエさんの言葉。明日(4/16)は、旅客船セウォル号が沈没して一年になる。「コプリ」が、わずかでも慰めになればと願う気持ちです・・・とのこと。

2015年4月21日火曜日

顔の識別(3)

ネットニュースで、ある女優さんの写真を見ていたら、別の女優さんと識別できぬことに気付いた。そんな経験を以前のブログに記したのを思い出し、見直したら、今回と同じ女優さん同士の組み合わせだった。相変わらず区別できないでいる。・・・ブログに記すことで、顔の混同を整理したつもりだったのに。

(本ブログ関連:”顔の識別”)

飛びぬけて愛らしい女優さんを区別できないのかと思うと、非常に残念で、切ないことだ。今はもう、アイドルたちの識別を遠くに諦めている、

昔、人気の映画俳優は、銀幕のスターだった。映画館に出かけて、スクリーンの上でしか会えぬ存在だった。映画館という擬似共同性にある固有の崇拝対象だった。ブロマイドという護符が売られたりした。その後、テレビ俳優が登場し、ネットに取り上げられるようになった。スターは、家に(TV)、部屋に(PC)、ポケット(携帯)に降臨した。ファンのすぐそばにまで近寄ってきたのだ。

今、3文字のアイドル集団が隆盛である。ファン心理について、2つの面で考えてみた。
① 誰もが主人公となる期待だ。ずっと昔のこと、男子向け漫画やテレビのヒーローは、孤高の人だった。それが、いつのまにか兄弟となり、戦隊となった。女子向けの場合も同様。この延長に、主人公は多数に分散・分枝した。
② 今時の空気だ。主人公が一人だと、ファン同士で取り合いになる。それをうまく避け、調和させるためにも、主人公の分散・分枝が必要だった。そんなニーズにうまく合っているように見える。

とはいえ、そのときその場で違いを求めた顔にも時代性がある。いずれ振り返って見れば、時代という同一さに気付くことだろう。こちらの場合は、識別能力の衰えだけじゃない。

2015年4月20日月曜日

穀雨2015

一日中、雨、雨、雨、そして風。今日は二十四節気の「穀雨」、春の最後にあたる。次は、夏の始まり「立夏」だ。何てこと、まだ春を満喫していないのに。これから、いかにもカラッとした夏が来るわけでもない、梅雨が待っているのだから。春を楽しんでおけばよかった。

(本ブログ関連:”穀雨”)

春はいいな・・・そういえば、先日、夜桜の話で、花見の人々を含めて美しさを歌った、与謝野晶子の「乱れ髪」(「与謝野晶子歌集」岩波文庫)の2番目にある、「清水(きよみず)へ祇園をよぎる花月夜 こよひ逢ふ人みな美くしき」があると記した。

同「乱れ髪」の1番目は、春らしい、しなやかで溌剌とした、いかにも若い女性らしさを表現している、「その子二十(はたち)櫛に流るる黒髪のおごりの春の美くしきかな」である。若さを見せつけるようでまぶしい。芽吹く力はそれだけで価値がある。

穀雨は、慈雨となるかな、若い女性が濡れていれば、そこにドラマがあるようだ。おじさんがぬれていると、濡れネズミ。

イ・ソンヒが歌ってみると

昨年の2014年8月16日(土、午後11時~)に放送された、JTBCの「HIDDEN SINGER(히든싱어)3」の中で他の歌手を交えて、イ・ソンヒがいろいろな曲を歌った様子をYoutubeで見ることができる。曲目はまだあったかもしれないけれど、次のように並べてみた。

(本ブログ関連:”HIDDEN SINGER”)

静かに、そしてじっくりと歌い聞かせるイ・ソンヒの凄さを感じるとともに、そっと差し伸べるような彼女の眼差しもいい。歌に重ねて伝えるようだ。

<焼酎一杯(소주 한잔)>임창정


<わたしを悲しませるひとたち(나를 슬프게 하는 사람들)>김경호


<DASH>백지영


<希望歌(희망가)>채규엽(蔡奎燁)・・・(ブログ「守護天使」に感謝)


<忘れないで(잊지 말아요)>백지영


(以上、Youtubeに登録のlys2187、Acaciaに感謝)

2015年4月19日日曜日

(資料) 稲荷神社の鳥居はなぜ赤いか

稲荷神社には、朱色で小柄の鳥居が連なることがある。その下を潜り抜けるうち、不思議な高揚感に気付く。辺りが朱に染まったような錯視をする。社殿に近づくとき、朱は人の心に何かを共鳴させる。それが何か分からないが、合点させる力がある。

(本ブログ関連:”稲荷”)

国立国会図書館の「レファレンス共同データベース」(島根県立図書館提供)にQAがあって、「鳥居の起源や形、色について知りたい。稲荷神社の鳥居がなぜ赤なのか等。」の質問に次のように回答している。
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資料2: 「鳥居」 川口謙二ほか著、東京美術、1987.8
・p73「鳥居の色」では、「近藤喜博氏は『稲荷信仰』という著書のなかで、「朱塗の社殿には、実は原始神の一般的属性となっていた荒振るものの性格から考えられる色釈(朱塗)によるものがすでにあったと考え」られ「そうした性格の神々の上に寺院の朱塗が荒振るものの炎の怨念に結びつき、さらにそれを助長したのだと見る」ことができると述べており、鳥居の朱色もまた、このような信仰の上に立って成立しているものと考えることができるのでは」ないかとある。

資料3: 「狐」 吉野裕子著、法政大学出版局、1980
・p117~119「稲荷と朱」のなかにp117「朱の鳥居」があり、なぜ鳥居が赤く塗られなければならないかの明確な理由づけは今日なおされていないとしながら、私見として、「狐は土徳の持主である。陰陽五行思想において、土を生じるものは火でなければならない。「火生土」「火、土を生ず」の理である。火の色はもちろん赤色である。そこで稲荷祭祀の始まる場所、つまりその入口には何を措いてもまず火気の象徴である朱の鳥居をもうけることになったと思われる」とある。
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なかなか難題なようで、起源は相当根が深いのかもしれない。土俗的で直截な、感覚的・感性的な起源を、具体的なもので知るのは容易でないようだ。

鳥居の朱色の顔料は、本来何を原料にしているのだろうか。社寺建造物美術協議会のホームページの「丹塗」のページに、「鳥居でおなじみの朱色を建造物装飾の言葉では丹塗り(にぬり)といいます。・・・鉛丹(えんたん、金属鉛を加熱し酸化させて作る赤色の顔料)の粉を膠水で溶いた丹で塗り上げます」と説明されている。

鉛丹は、wikipediaによれば、「四酸化三鉛 (Pb3O4) を主成分とする赤色の無機顔料」とのこと。

以前、本ブログで紹介したように、山師が座に坐るのに、「(「山例五十三条」には)山師の座席までも規定し、「山師金掘師の筋糺は金山師正面次は銀山師次は(・・・この間に鉛山師・・・)銅山師と順列たるべし」と言ふた」そうで、「鉛」の扱いは「銅」より重視されたようだ。

2015年4月18日土曜日

(雑談)空の女王からカードの話し

昔、中学の「技術(=職業?)・家庭」の授業で、基本投影図の3面図の書き方を教わった。教師は物静かな人で、ときどきマニアックな面を見せてくれた。あるとき、作図の延長で、黒板にゼロ戦の姿を描いたのだ。飛行機好きな子どもたちとの距離が一気に縮まったことはいうまでもない。しかし後になって気になったことだが、当時の教師間の関係は、相当憶測すべき事情があったはずだろうけど。

飛行機ファンにとって、美しい機体として忘れられないのは、以前ブログで触れた、米ノースロップ社の「タロン(Talon)」(T38練習機)だ。特に、NASAで使用の白色塗装した優雅な曲線は美の極致で、私にとって「空の女王」だった。タロンが「空の女王」と呼ばれていたとずっと思っていたのだが、ネットを見返すと見つからない・・・空の女王で検索すると、ボーイング747旅客機が出てくる(私には正直異論がある・・・けれど)。

女王といえば、客船にその名を示すものもあるが、ダムにまであるそうだ。古い週刊誌を見ていたら、いわゆるダムマニアのリストの中で、群馬県「奈良俣ダム」がダムの女王にあげられていた。裾の広いなだらかな傾斜を持つ構造は、垂直にせき止めたいわゆるダムらしい力強さとは違って、穏やかで包容力を感じさせる。そこに女性的なものが彷彿されるのだろう。

ダムの管理事務所を訪れると、「ダムカード」をくれる。以前、ダム近くで石採りしたとき、同行者が同ダム事務所からもらってきてくれたことがあった。そのとき始めて知ったことだ。

ところで、JAXAが人工衛星などの追跡と通信のための通信所や観測所を訪れると、「アンテナカード」をくれるそうだ。ダムの数より少ないが、全国に点在している。中学生だったら、高校生だったら夢もあって、こちらも!欲しくなるだろうな。
・勝浦宇宙通信所(千葉県)
・臼田宇宙空間観測所(長野県)
・増田宇宙通信所(鹿児島県)
・沖縄宇宙通信所(沖縄県)

2015年4月17日金曜日

稲荷神社、桜、鳥居、狐像

春らしい暖かな昼下がり、しばらく滞在した図書館から外へ出て驚いた。建物の周り、明るい日向が雨に濡れていたのだ。午後のひととき降るという天気予報の通りだった。

建物の中で全く気付かなかった。雨空特有の明かりを落とす気配もなかったし、窓から入る明りに変化もなかった。それほど明るい中での雨だったのだ。もしかすると、「天気雨」だったのかもしれない。

(本ブログ関連:”天気雨狐の嫁入り)”、”稲荷”)

図書館に隣接する、西陽を受けた稲荷神社の八重の桜花は、薄紅色を冴え渡らせ、赤い鳥居を引き立たせるように咲き、境内全体を覆っていた。

引き寄せられるように、稲荷神社へ行くと、神社入り口に、若者が立ち、桜花の下の光景をカメラに収めていた。さっきの雨が誘ったようだ。

西日が、境内の色彩を際立たせる。薄紅色の桜の花は、光を受けて膨らみを増し、赤い鳥居は艶ややに輝く。石の狐は、色彩に溺れることなく、何か見定めているようにさえ思えた。正直、稲荷神社の狐像と視線を合わせるのは力がいることだが。

いつも、狐像を撮るのは遠慮していた。今回、春爛漫をともにしたく、境内横手からうかがうようにして、桜、鳥居、そして狐像を合わせて撮影させていただいた。

2015年4月16日木曜日

(資料)イ・ソンヒ「因縁」 女子十二楽坊との協演

イ・ソンヒの13集に所収の名曲「因縁(인연)」(2005年)は、韓国ギャラップの調査「愛唱曲 2004-2014比較」(調査時期2014年10月2日~29日、全国満13才以上男女、1,700人面接調査)に見られるように、韓国大衆から愛唱曲として第7位の支持を集めている。様々な試行を踏まえて、東洋的感性を結晶化した曲である。

(本ブログ関連:”因縁”)

イ・ソンヒは、「因縁」を中国の伝統楽器演奏グループ「女子十二楽坊」と協演したことがある。その舞台責任者だった、「ショー演出の大物」といわれた・・・という、チン・ピルホン前KBS局長が逝去した記事があった。同氏とその他著名な芸能人と、例えば、チョー・ヨンピルとの関わりについて記事にされている。

ここでは、デイリー韓国の記事「逝去したチン・ピルホン前局長、歌手イ・ソンヒとの格別の気息『再照明』」(4/16、イシューチーム)にある、前局長とイ・ソンヒとの縁(=因縁)について記す。
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「チン・ピルホン」

「伝説の芸能PD」、チン・ピルホン前KBS局長が逝去した中、彼と歌手イ・ソンヒとの縁(=因縁)も再照明(=ものごとの価値を再び探り出す)されている。

過去、チン・ピルホンPDは、イ・ソンヒと女子十二楽坊の協演舞台の総責任を引き受けたことがある。

当時、イ・ソンヒは映画「王の男」でオリジナル・サウンド・トラック(=OST)の収録曲だった「因縁」を歌い、これに合わせて「女子十二楽坊」が中国伝統楽器の演奏をリリースした。

チンPDは、これについてある媒体とのインタビューで、「桜の花が満開の春の感じを生かすために、舞台の装飾を満開の花を象徴するデザインにした。春の陽射しのスターたちの華やかな大きな祭りになることだろう」と伝えた。

(以下ネチズンの反応について略)
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(Youtubeに登録のjaysbar4uに感謝)