連休中のテレビ番組(複数)で、昆虫の「アリ(蟻)」の話題があり、素人の聞きかじりだが、次のような面白い話があった。ただし、話者や番組名はうろ覚えではっきりしない。ご勘弁。
(本ブログ関連:”蟻”)
・アリは、固体一匹一匹について、単純な行動をしている。(それらが集合して社会性を持つ)
・アリは、複数の目的地をつなぐ経路について、最短経路をとる能力がある。(=粘菌にも同様な話しがある)
・アリは、縦列を組みながら進むが渋滞しないのは、互いに適切な距離を設けているから。
それから、こんな話題(番組)もあった。シンプルなルールに基づいた結果、複雑なように見えるというのは楽しい。動物の体の模様について、小さな点を単純なルールで配置すると、様々な形になるというのだ。(チューリング・パターンというそうだ・・・「動物の皮膚模様形成原理」(大阪大学 近藤滋教授))
(追記)
フィボナッチ数という並び方で、自然の連鎖を説明できる・・・全てに語っているのではないだろうけれど、命が数字に置き換えられるような気がして何だか変な気分がする。
昔は、細胞一個を見ても器官は見えないという話しがあったけれど、分化の研究から細胞をつなぐ糊の話しが出てきたし、それだけじゃない、iPS細胞が器官に直結するという話しにまでなった。
2015年5月7日木曜日
2015年5月6日水曜日
立夏2015
ひと月に2つの節気が巡って3ヶ月、春も終わり、いよよ夏来たる。二十四節気の「立夏」の今日も、晴れた空に緑がまぶしい。
(本ブログ関連:”立夏”)
5月の連休も今日でおしまい。でも、地元図書館のスタディー・ルームは満員だった。若者たちはしっかりと学ぶべきものを持ち、目標に向かっているようだ。この休日を、きっと充実させたことだろう。
おじさんときたら、長袖シャツもさすがに暑苦しくて、ようやく衣替えの踏ん切りがついたところ。そういえば、街の衣料品店の棚はとっくに夏に衣替えしているのに気付く。
夏は来ぬ、夕方に風が止んで、昼間を思い返して思うこと。唱歌「夏は来ぬ」(作詞佐佐木信綱、作曲小山作之助、1896年)を聞けば、心も身も初夏の佇まいしてくる。(台湾は、すでに梅雨入りしたという)
(Youtubeに登録のsuginami384に感謝)
(本ブログ関連:”立夏”)
5月の連休も今日でおしまい。でも、地元図書館のスタディー・ルームは満員だった。若者たちはしっかりと学ぶべきものを持ち、目標に向かっているようだ。この休日を、きっと充実させたことだろう。
おじさんときたら、長袖シャツもさすがに暑苦しくて、ようやく衣替えの踏ん切りがついたところ。そういえば、街の衣料品店の棚はとっくに夏に衣替えしているのに気付く。
夏は来ぬ、夕方に風が止んで、昼間を思い返して思うこと。唱歌「夏は来ぬ」(作詞佐佐木信綱、作曲小山作之助、1896年)を聞けば、心も身も初夏の佇まいしてくる。(台湾は、すでに梅雨入りしたという)
(Youtubeに登録のsuginami384に感謝)
2015年5月5日火曜日
子どもの日 2015
5月の陽射しは深くて、通り道の垣根の若葉をきらきらと輝かす。まさに新緑の初夏といえる。
連休の終わりが迫ったためか、昼下がりの街は静かだった。散歩の耳をかすめる、小さな風音が気になる程度だ。子どもたちのいる近所の家々は、ガレージに車をとめている。不思議なほどに物音のない休日だ。ゴールデンウィークの家族サービスも一段落したのだろう。(街の本屋巡りをしたが、そそるものは見つからず)
でも、公園広場に行けば、子どもたちが思いっきり大声を出して走り回っている姿を見ることができただろう。今日という日は、それを見なけりゃ過ごしたことにならぬのに、散歩途中で引き返したことが悔やまれる。
明日は、振替休暇(=憲法記念日の5/3が日曜日だったため)だ。終われば日常に戻る。きっと、翌日からを気がかりな親と、連休遊びを消化し切れない子どもたちが、家の中にいることになる。親は英気養い。子は不燃焼か。
(付記)
陽射しの良いこんな日こそ、イ・ソンヒの「五月の陽射し」を聴きたい。でも、今聴くには美味し過ぎるので、もうちょっと後日にしよう。
連休の終わりが迫ったためか、昼下がりの街は静かだった。散歩の耳をかすめる、小さな風音が気になる程度だ。子どもたちのいる近所の家々は、ガレージに車をとめている。不思議なほどに物音のない休日だ。ゴールデンウィークの家族サービスも一段落したのだろう。(街の本屋巡りをしたが、そそるものは見つからず)
でも、公園広場に行けば、子どもたちが思いっきり大声を出して走り回っている姿を見ることができただろう。今日という日は、それを見なけりゃ過ごしたことにならぬのに、散歩途中で引き返したことが悔やまれる。
明日は、振替休暇(=憲法記念日の5/3が日曜日だったため)だ。終われば日常に戻る。きっと、翌日からを気がかりな親と、連休遊びを消化し切れない子どもたちが、家の中にいることになる。親は英気養い。子は不燃焼か。
(付記)
陽射しの良いこんな日こそ、イ・ソンヒの「五月の陽射し」を聴きたい。でも、今聴くには美味し過ぎるので、もうちょっと後日にしよう。
2015年5月4日月曜日
ロコモ(みどりの日2015)
祝日「みどりの日」の今日、いつも通っている地元の体育施設で、特別な体操教室があって出かけた。コースは、「膝痛(しっつう)ロコモ」という、膝に負担のかからない運動だった。
夜道で転んで右膝を強打して以来、半年を過ぎたというに、90%の回復だ。今も、胡坐をかくのに不便を感じている。そこで、数あるコースの中から選んだ次第。丁寧に指導していただいたけれど、今回の運動メニューを今後も自宅でこなしてこそ意義があるのに・・・ひと頼みの性分ゆえ、先行きに自信ない粗忽さ。
ところで、コース名のロコモについて、最初に浮かんだのは、ハワイ料理の「ロコモコ」だった。運動しようというのに、初めに食い物とはあきれる・・・でも、ロコモコは、子どもが喜びそうな組み合わせ料理といったところか、うまそうだ。
本来、「ロコモ」の名は、「ロコモ対策」の運動のようだ。運動性(Locomotive)の低下、すなわち関節痛など含めて運動機能の不全(Locomotive syndrome)をさすようだ。私には、もっと気楽に、ロコモーションが連想されるけど。
ロックの原点をビートルズに宗旨替えした転向者が多くて、以前のものを忘れた風潮があるのは、おじさんにとって痛く残念である。子どものころ、よく聞こえた「ロコモーション」(1962年)は、いまの私と違ってまことに軽快な響きだった。いわゆる、第2世代の、三人娘の中で、控えめながら存在感のある伊東ゆかりがカバーした「ロコモーション」が懐かしい。
(Youtubeに登録の六三四Ⅲ 八野に感謝)
夜道で転んで右膝を強打して以来、半年を過ぎたというに、90%の回復だ。今も、胡坐をかくのに不便を感じている。そこで、数あるコースの中から選んだ次第。丁寧に指導していただいたけれど、今回の運動メニューを今後も自宅でこなしてこそ意義があるのに・・・ひと頼みの性分ゆえ、先行きに自信ない粗忽さ。
ところで、コース名のロコモについて、最初に浮かんだのは、ハワイ料理の「ロコモコ」だった。運動しようというのに、初めに食い物とはあきれる・・・でも、ロコモコは、子どもが喜びそうな組み合わせ料理といったところか、うまそうだ。
本来、「ロコモ」の名は、「ロコモ対策」の運動のようだ。運動性(Locomotive)の低下、すなわち関節痛など含めて運動機能の不全(Locomotive syndrome)をさすようだ。私には、もっと気楽に、ロコモーションが連想されるけど。
ロックの原点をビートルズに宗旨替えした転向者が多くて、以前のものを忘れた風潮があるのは、おじさんにとって痛く残念である。子どものころ、よく聞こえた「ロコモーション」(1962年)は、いまの私と違ってまことに軽快な響きだった。いわゆる、第2世代の、三人娘の中で、控えめながら存在感のある伊東ゆかりがカバーした「ロコモーション」が懐かしい。
(Youtubeに登録の六三四Ⅲ 八野に感謝)
2015年5月3日日曜日
今年も、3分の1食ってしまった
例年、日めくりカレンダーに苦労していた。ついおろそかにすると、数日分残ってしまい、あわてて切り剥がしたりした。それを、今年からPCデスクにくくりつけることで、簡単に、忘れることなく日めくりできるようになった。
毎日、一枚一枚、剥がしていくうちに、一日の重さが日めくりカレンダーの一枚のように思えて、逆に気が重くなる。あっけないほどに日が進んでいることを実感する。そして、とうとう、今年も3分の1が過ぎてしまった。
リンゴの実に例えると、その3分の1を食ってしまったことになる。日めくりカレンダーの減り具合にあっけなさを感じるのと同様、何の味わいもせず口にしてしまったのが残念。後悔するほど目標もなかったくせに、忸怩たる思いだけは残る。
(本ブログ関連:”リンゴ”)
イ・ソンヒには、この5月、リンゴの花咲く頃にことづけて愛を歌った、13集所収の「リンゴの木の下で(사과나무 아래서)」(2005年)がある。美しい旋律にひたって、時を慰めに、癒しを求めたいものです。私の場合は、時間に置いてけぼりされたウサギのように、大変だ、大変だ・・・ Oh dear! Oh dear! I shall be too late!
(Youtubeに登録のlys2187に感謝)
毎日、一枚一枚、剥がしていくうちに、一日の重さが日めくりカレンダーの一枚のように思えて、逆に気が重くなる。あっけないほどに日が進んでいることを実感する。そして、とうとう、今年も3分の1が過ぎてしまった。
リンゴの実に例えると、その3分の1を食ってしまったことになる。日めくりカレンダーの減り具合にあっけなさを感じるのと同様、何の味わいもせず口にしてしまったのが残念。後悔するほど目標もなかったくせに、忸怩たる思いだけは残る。
(本ブログ関連:”リンゴ”)
イ・ソンヒには、この5月、リンゴの花咲く頃にことづけて愛を歌った、13集所収の「リンゴの木の下で(사과나무 아래서)」(2005年)がある。美しい旋律にひたって、時を慰めに、癒しを求めたいものです。私の場合は、時間に置いてけぼりされたウサギのように、大変だ、大変だ・・・ Oh dear! Oh dear! I shall be too late!
(Youtubeに登録のlys2187に感謝)
2015年5月2日土曜日
八十八夜 2015
雑節には、一年の季節の始まりである「立春」を起点に数える、今日の「八十八夜」、台風時期の「二百十日」などがある。農業と縁遠く、気候とも真正面に向き合うことの少ない都市生活者にとっては、そもそも立春について意識がうすい。この八十八という日数が来ても、感慨は足りない。
(本ブログ関連:”八十八夜”)
雑節の八十八夜は、そもそも農家にとって遅霜への注意喚起だったそうだ(Wikipedia)。一方、この八十八について「米という文字は、八と十と八を重ねてできあがることから、縁起のいい農の吉日とされています」という解説本まである(「日本の七十二候を楽しむ」東邦出版)。
ところで、今日を何かの標で確認するのに、八十八夜を織り込んだ唱歌「茶摘み」がある。季節としての八十八夜を、歌詞の最初に持ってきている。この唱歌の由来といわれる(通説だが)、宇治田原町(教育委員会)の「宇治田原の茶摘み歌」を見ると、「八十八夜の お茶に会う」がある。茶摘みを機会に男女の契りを想わせる、いわゆる明るい民謡独特な表現だ。唱歌が静止した光景とするなら、民謡は活き活きとした生命感がある。
緑茶はうまい、歳とともに実感する。和室が似合う飲みもの。静かに時間を楽しむことができる。戻るべきもののようだ。
(本ブログ関連:”八十八夜”)
雑節の八十八夜は、そもそも農家にとって遅霜への注意喚起だったそうだ(Wikipedia)。一方、この八十八について「米という文字は、八と十と八を重ねてできあがることから、縁起のいい農の吉日とされています」という解説本まである(「日本の七十二候を楽しむ」東邦出版)。
ところで、今日を何かの標で確認するのに、八十八夜を織り込んだ唱歌「茶摘み」がある。季節としての八十八夜を、歌詞の最初に持ってきている。この唱歌の由来といわれる(通説だが)、宇治田原町(教育委員会)の「宇治田原の茶摘み歌」を見ると、「八十八夜の お茶に会う」がある。茶摘みを機会に男女の契りを想わせる、いわゆる明るい民謡独特な表現だ。唱歌が静止した光景とするなら、民謡は活き活きとした生命感がある。
緑茶はうまい、歳とともに実感する。和室が似合う飲みもの。静かに時間を楽しむことができる。戻るべきもののようだ。
2015年5月1日金曜日
イ・ソンヒと「ニンジン」、「サニー」
イ・ソンヒのファンクラブに「ニンジン」の名の付くものがあるが、もともとは彼女自身の食習慣に由来する。それについては、以前ブログに資料を記した。あらためて、以下整理する。
同様に、ファンクラブに、「サニー」の名のつくものもあるようだ。これについては、中学教師に付けられたあだ名という。根拠は明確でないが、彼女のローマ字綴りが、イ・ソンヒ → Lee Sun Hee から、ソン=Sun をヒントにしたのではないかと推測する。
(本ブログ関連:”サニー”)
さて、本題のニンジンについては、以下の通り。
(本ブログ関連:”(資料)イ・ソンヒのスター・ストーリー「10.それが歌なの 発声練習では」”)
---------------------------------------------------------
・熱狂ファンに自ら少しでも誠意の表示をするという気持ちで始めたのが、1年に四回ずつ直接お送りするファンクラブ誌「ニンジン」である。ファンクラブの会員数が1万5千人ほどだから、一度発送するには、それこそ私の周辺には「大騒ぎ」がある。
・「ニンジン」の内容は、「イ・ソンヒは、その間何をしながら過ごしたか」が主流をなしてファンたちの各種「称賛」と「抗議」、そして「悩みの相談」も多く入っている。 懸賞クイズもある。「イ・ソンヒ姉さんが一番明るく笑う時は、歯が最大限でいくつ見えでしょうか?」
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(本ブログ関連:”イ・ソンヒ 歌謡祭が生んだ歌手”)
「毎日経済(매일경제)」1984年11月24日
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国民学校 5学年のときからミュージカルで実力固めて
(ミニインタビュー)
・「歌謡界のシンデレラと呼ばれることについて、イ・ソンヒさんは不満が多い。たまたま運良く、自分が人気を得ることになったのでは決してないからというもの。
(略)
しかし、どんなに忙しくても欠かさないのはニンジン食べること。 一日2本ずつ毎日食べるのは幼いころからの習慣だ。茶目っ気の多いこのお嬢さんは、ガールフレンドをたくさん引き連れていて、おかげで中学時代の体育の先生が付けた『サニー』をはじめ、『ワルヒ(おてんばソンヒ)』などのニックネームだけでも20ヶ以上に達すると・・・」(略)
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同様に、ファンクラブに、「サニー」の名のつくものもあるようだ。これについては、中学教師に付けられたあだ名という。根拠は明確でないが、彼女のローマ字綴りが、イ・ソンヒ → Lee Sun Hee から、ソン=Sun をヒントにしたのではないかと推測する。
(本ブログ関連:”サニー”)
さて、本題のニンジンについては、以下の通り。
(本ブログ関連:”(資料)イ・ソンヒのスター・ストーリー「10.それが歌なの 発声練習では」”)
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・熱狂ファンに自ら少しでも誠意の表示をするという気持ちで始めたのが、1年に四回ずつ直接お送りするファンクラブ誌「ニンジン」である。ファンクラブの会員数が1万5千人ほどだから、一度発送するには、それこそ私の周辺には「大騒ぎ」がある。
・「ニンジン」の内容は、「イ・ソンヒは、その間何をしながら過ごしたか」が主流をなしてファンたちの各種「称賛」と「抗議」、そして「悩みの相談」も多く入っている。 懸賞クイズもある。「イ・ソンヒ姉さんが一番明るく笑う時は、歯が最大限でいくつ見えでしょうか?」
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(本ブログ関連:”イ・ソンヒ 歌謡祭が生んだ歌手”)

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国民学校 5学年のときからミュージカルで実力固めて
(ミニインタビュー)
・「歌謡界のシンデレラと呼ばれることについて、イ・ソンヒさんは不満が多い。たまたま運良く、自分が人気を得ることになったのでは決してないからというもの。
(略)
しかし、どんなに忙しくても欠かさないのはニンジン食べること。 一日2本ずつ毎日食べるのは幼いころからの習慣だ。茶目っ気の多いこのお嬢さんは、ガールフレンドをたくさん引き連れていて、おかげで中学時代の体育の先生が付けた『サニー』をはじめ、『ワルヒ(おてんばソンヒ)』などのニックネームだけでも20ヶ以上に達すると・・・」(略)
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2015年4月30日木曜日
KBS WORLD「国楽の世界へ」 鳥に関わる曲
KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(4/22)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、鳥に関連する3曲を紹介した。
始めに、春を知らせる「ツバメ(燕、제비)」と陰暦3月3日の「桃の節句(삼짇날)」の関わりについて次のように紹介された。
・3月3日は「ひな祭り」だが、陰暦3月3日の上巳は「桃の節句」という。陰暦9月9日に旅立ち、南で過ごしたツバメが戻る日でもある。韓国では、3の数を重視した。ハングルも、天地人の三才が調和を成したもの。じゃんけんも3回勝負する。
・ツバメは、3のつく日に行き来した。パンソリ、「興甫歌(興夫歌、흥보가)」にもツバメが登場する。真面目なフンボに、財産を運んでくる。その日が陰暦3月3日だった。近頃、農村でもツバメを見かけなくなった。今年はどのくらいのツバメが戻ってきたのだろう。
▼ 京畿地域の雑歌、「十二の雑歌」から「ツバメの歌(제비가)」を聴く。雁、ウグイス、ホトトギス、オウム、ツル、クジャク、数々の鳥が登場する。
・この「ツバメの歌」には、数々の鳥が登場するだけでなく、歌詞も面白い。パンソリ「春香歌(춘향가)」や、「沈清歌(심청가)」、「興甫歌」から様々な歌詞を組み合わせて、色々な内容があるが、結局、別れを切なく思う気持ちを表している。暖かい春、楽しそうに戯れる鳥、そして愛する人との別れの寂しさを表している。桃の節句は、本格的に春がはじまる日だ。
次に、桃の節句の食べ物、花煎(화전)と花麺(화면)を次のように紹介された。
・山野に行き、ヂヂミや麺料理(クッス)を食べて花見を楽しんだ。ヂヂミに、花のヂヂミがある。ヂヂミの粉を練り、焼くときツツジの花弁を載せる。これが花のヂヂミ、花煎だ。また、花麺は、ツツジを入れて粉を練り、蜂蜜入り五味子(オミジャ)の汁と一緒に食べる。美しい桃色が春らしさを足してくれる。
▼ サムルノリと歌で、「鳥打令(새타령)」を聴く。今様にアレンジして、楽しげである。
最後に、桃の節句の時期の酒と、「鳥打令」の鳳凰について次のように紹介された。
・桃の節句に酒も欠かせない。ツツジで醸した「杜鵑酒(두견주)」という。他に、春の酒に焼酎と薬酒を混ぜた「過夏酒(과하주)」、梨と生姜が入った「梨薑酒(이강주)」などある。酒とつまみで春を楽しむ中、歌も出たはず。
・この季節、食糧が底をつき苦しい生活した民もいた。「鳥打令」に鳳凰が登場する。豊作の鳥として、君子の出現を知らせるともいわれた。貧しい民に、食糧問題を解決する王が最高の王であった。「鳥打令」にも鳳凰が豊作の鳥として出てくる。
▼ 鳳凰を象徴する楽器笙簧(생황)の演奏で、「ワルツナンバーワン」を聴く。人形劇、空高くゆたりと浮かぶよう、今様である。
・笙簧、鳳凰の鳴き声に最も似た楽器といわれるが、想像の生き物で、鳴き声を聞いた人はいない・・・。
始めに、春を知らせる「ツバメ(燕、제비)」と陰暦3月3日の「桃の節句(삼짇날)」の関わりについて次のように紹介された。
・3月3日は「ひな祭り」だが、陰暦3月3日の上巳は「桃の節句」という。陰暦9月9日に旅立ち、南で過ごしたツバメが戻る日でもある。韓国では、3の数を重視した。ハングルも、天地人の三才が調和を成したもの。じゃんけんも3回勝負する。
・ツバメは、3のつく日に行き来した。パンソリ、「興甫歌(興夫歌、흥보가)」にもツバメが登場する。真面目なフンボに、財産を運んでくる。その日が陰暦3月3日だった。近頃、農村でもツバメを見かけなくなった。今年はどのくらいのツバメが戻ってきたのだろう。
▼ 京畿地域の雑歌、「十二の雑歌」から「ツバメの歌(제비가)」を聴く。雁、ウグイス、ホトトギス、オウム、ツル、クジャク、数々の鳥が登場する。
・この「ツバメの歌」には、数々の鳥が登場するだけでなく、歌詞も面白い。パンソリ「春香歌(춘향가)」や、「沈清歌(심청가)」、「興甫歌」から様々な歌詞を組み合わせて、色々な内容があるが、結局、別れを切なく思う気持ちを表している。暖かい春、楽しそうに戯れる鳥、そして愛する人との別れの寂しさを表している。桃の節句は、本格的に春がはじまる日だ。
次に、桃の節句の食べ物、花煎(화전)と花麺(화면)を次のように紹介された。
・山野に行き、ヂヂミや麺料理(クッス)を食べて花見を楽しんだ。ヂヂミに、花のヂヂミがある。ヂヂミの粉を練り、焼くときツツジの花弁を載せる。これが花のヂヂミ、花煎だ。また、花麺は、ツツジを入れて粉を練り、蜂蜜入り五味子(オミジャ)の汁と一緒に食べる。美しい桃色が春らしさを足してくれる。
▼ サムルノリと歌で、「鳥打令(새타령)」を聴く。今様にアレンジして、楽しげである。
最後に、桃の節句の時期の酒と、「鳥打令」の鳳凰について次のように紹介された。
・桃の節句に酒も欠かせない。ツツジで醸した「杜鵑酒(두견주)」という。他に、春の酒に焼酎と薬酒を混ぜた「過夏酒(과하주)」、梨と生姜が入った「梨薑酒(이강주)」などある。酒とつまみで春を楽しむ中、歌も出たはず。
・この季節、食糧が底をつき苦しい生活した民もいた。「鳥打令」に鳳凰が登場する。豊作の鳥として、君子の出現を知らせるともいわれた。貧しい民に、食糧問題を解決する王が最高の王であった。「鳥打令」にも鳳凰が豊作の鳥として出てくる。
▼ 鳳凰を象徴する楽器笙簧(생황)の演奏で、「ワルツナンバーワン」を聴く。人形劇、空高くゆたりと浮かぶよう、今様である。
・笙簧、鳳凰の鳴き声に最も似た楽器といわれるが、想像の生き物で、鳴き声を聞いた人はいない・・・。
2015年4月29日水曜日
黄金沢鉱山(金山)
先日、日曜日(26日)になすべきことをせず、のらりくらり過ごしていると、月曜の晩に、お誘いの電話をいただく。「水曜日、『昭和の日』(本日)に、採集に行こう」とのこと。どこにする?・・・山梨県、黄金沢鉱山に即決する。去年の5月18日、黄金沢金山の名で採集に行ったところだ。
(本ブログ関連:”黄金沢鉱山(金山)”)
早朝、始発電車に乗り待ち合わせ駅から、H氏の車に同乗させていただき現地に向かう。4月も終わる今日この頃なれば、街はすっかり明るいで、寒くもない。やはり、春過ぎの鉱物採集は、ルンルン気分である。さあ、金でも採ろうか、車骨鉱でも採ろうか。
(参考) 「鉱物ウォーキングガイド 関東甲信越版」(著:松原聰)に産地紹介あり。
祝日の今日、思いのほか道路はガラリとしていた。現地に、途中、沢(小川?)を渡るところがある。元気なH氏は、岩の上を飛ぶように渡ったが、体の重い私は、枯れ木を杖代わりにして渡河? 時間はたっぷりある。
採集現場で驚く。前回と比べて、掘り起こされた石が辺りに転がっていたのだ。いわゆる、「産地荒ら」しのような掘り返しではない。採掘者に感謝。
無造作に放り出された、石々は、どれもこれも銀色に反射していた。高望みはできないが、それなりに次のようなものを採集した。
・黄鉄鉱、黄銅鉱(いくらでも)、方鉛鉱(なんぼでも)、斑銅鉱、褐鉄鉱、磁硫鉄鉱、硅孔雀石、閃亜鉛鉱、(ミメット鉱?)
(本ブログ関連:”黄金沢鉱山(金山)”)
早朝、始発電車に乗り待ち合わせ駅から、H氏の車に同乗させていただき現地に向かう。4月も終わる今日この頃なれば、街はすっかり明るいで、寒くもない。やはり、春過ぎの鉱物採集は、ルンルン気分である。さあ、金でも採ろうか、車骨鉱でも採ろうか。
(参考) 「鉱物ウォーキングガイド 関東甲信越版」(著:松原聰)に産地紹介あり。
祝日の今日、思いのほか道路はガラリとしていた。現地に、途中、沢(小川?)を渡るところがある。元気なH氏は、岩の上を飛ぶように渡ったが、体の重い私は、枯れ木を杖代わりにして渡河? 時間はたっぷりある。
採集現場で驚く。前回と比べて、掘り起こされた石が辺りに転がっていたのだ。いわゆる、「産地荒ら」しのような掘り返しではない。採掘者に感謝。
無造作に放り出された、石々は、どれもこれも銀色に反射していた。高望みはできないが、それなりに次のようなものを採集した。
・黄鉄鉱、黄銅鉱(いくらでも)、方鉛鉱(なんぼでも)、斑銅鉱、褐鉄鉱、磁硫鉄鉱、硅孔雀石、閃亜鉛鉱、(ミメット鉱?)
2015年4月28日火曜日
地震について
東日本大震災で、現地とは比較にならないが、揺れの凄まじさをこの地なりに経験した。地震の瞬間、身動きできぬ無力さを実感したし、震災の情報が伝わるたび、恐怖は後から来た。
(本ブログ関連:”地震”)
ネパール大地震は、プレートが衝突して作り上げた世界最大の高地で発生した。エベレストの高さに圧倒されるとき、実はその地下で巨大なエネルギーが今も衝突している。マントルのうねりがある限り、プレートは止まらない。
被災者の数が次第に増えている。もどかしさを感じる。国連によると、ネパール(人口2780万人)の800万人が被災したと推計されるという。つらいことだが、亡くなった方の数は考える以上だ。
自然災害となれば無力さがますます増す。次は私たちの番かもしれないからだ。凡俗の身には、悟りも生き方も分かるはずもない。一度経験すると強くもなるし弱くもなる。
地震のおびえを知らない、次の世代の方が強く生き抜くことができるかもしれない。恐怖は遺伝子に閉まっておこう。
(本ブログ関連:”地震”)
ネパール大地震は、プレートが衝突して作り上げた世界最大の高地で発生した。エベレストの高さに圧倒されるとき、実はその地下で巨大なエネルギーが今も衝突している。マントルのうねりがある限り、プレートは止まらない。
被災者の数が次第に増えている。もどかしさを感じる。国連によると、ネパール(人口2780万人)の800万人が被災したと推計されるという。つらいことだが、亡くなった方の数は考える以上だ。
自然災害となれば無力さがますます増す。次は私たちの番かもしれないからだ。凡俗の身には、悟りも生き方も分かるはずもない。一度経験すると強くもなるし弱くもなる。
地震のおびえを知らない、次の世代の方が強く生き抜くことができるかもしれない。恐怖は遺伝子に閉まっておこう。
2015年4月27日月曜日
MP710
スマホやタブレットに追いかない。大分差がついたが、焦りはない。
携帯音楽プレーヤーは、語学用に購入したTranscendのMP310を重宝している。これ以上、関心が先に進まなかったが、出先でYoutube動画を見たいと、TranscendのMP710を入手した。おじさんには、これで充分、早速試してみた。
何の動画を見るかって?・・・決まってる、イ・ソンヒさんですよ。さっそく、2004年の20周年コンサートの動画を入れさせてもらいました。外出先で見るには最高・・・図書館のスタディールームで試してみましたよ。
(もし、DVDがあれば即求めます!・・・2014年の30周年版DVDもあれば欲しい!)
テキストも読めるとの事で、青空文庫の折口信夫「信太妻の話」を入れてみた。果たして、読む気になるのか・・・こちらは、まだ感想がまとまらない。まあ、付録機能のようなものだ。
(追記)
陽射し燦燦、木漏れ陽する公園の小道を散歩した。気象庁の観測(近在地)では、今年最高の気温(「6月中旬並み」)、25.7℃だった。日陰のベンチに坐り、新聞を読む。記事に気になることも気がかりもない。
遠くを小学生が列になって公園から帰る姿が見えた。彼らを見ながら思った。そう、君たちがいなければ未来はない。未来を託す可愛らしい宝だ。
携帯音楽プレーヤーは、語学用に購入したTranscendのMP310を重宝している。これ以上、関心が先に進まなかったが、出先でYoutube動画を見たいと、TranscendのMP710を入手した。おじさんには、これで充分、早速試してみた。
何の動画を見るかって?・・・決まってる、イ・ソンヒさんですよ。さっそく、2004年の20周年コンサートの動画を入れさせてもらいました。外出先で見るには最高・・・図書館のスタディールームで試してみましたよ。
(もし、DVDがあれば即求めます!・・・2014年の30周年版DVDもあれば欲しい!)
テキストも読めるとの事で、青空文庫の折口信夫「信太妻の話」を入れてみた。果たして、読む気になるのか・・・こちらは、まだ感想がまとまらない。まあ、付録機能のようなものだ。
(追記)
陽射し燦燦、木漏れ陽する公園の小道を散歩した。気象庁の観測(近在地)では、今年最高の気温(「6月中旬並み」)、25.7℃だった。日陰のベンチに坐り、新聞を読む。記事に気になることも気がかりもない。
遠くを小学生が列になって公園から帰る姿が見えた。彼らを見ながら思った。そう、君たちがいなければ未来はない。未来を託す可愛らしい宝だ。
2015年4月26日日曜日
イ・ソンヒ「走れハニー」
イ・ソンヒは、少女漫画が原作(イ・ジンジュ)の初期アニメの代表作といわれる、KBSの「走れハニー(달려라 하니)」(1988年、全13話)で、主題歌「走れハニー」(作詞イ・ジンジュ、作曲パン・ヨンソク)を歌っている。
早くに母親をなくした少女ハニーは、逆境を撥ね退け、小柄ながらもスポーツを通じて健全に成長するさまを描いているという・・・Youtubeで、番組をいくつか視聴できる。(アニメディスク版の主題歌歌手はチョン・ヨジン)
(本ブログ関連:”走れハニー”)
本ブログで以前紹介した、「(資料)レジェンド・プロファイル16弾-イ・ソンヒ」(ムン・ジョンホ)によれば、番組の当時の位置づけについて、「真にすべて、時代が要求する健全さの標本であったし、イ・ソンヒもまたそのような役割を厭わず、国民の自負心を鼓吹させる歌もよく歌った」と語られている。まさに、イ・ソンヒの他曲同様、彼女の持つ清潔さ、健全さにぴったり適合したものだったといえる。ちなみに、物語の主人公の父親は、海外に出稼ぎに行き失明する・・・どこか、パンソリの「沈清歌」に裏打ちでもされているかと思うほど。
「走れハニー」
私はねぇ、ママが世界一大好き、空と地ほど
ママに会いたくなれば走るのよ、両手握って
走れ、走れ、走れハニー(ハニー)
世界の果てまで(果てまで)、走れハニー(ハニー)
私はねぇ、悲しさ見せるの大嫌い、弱くなるから
さびしく涙したら走るのよ、風のように
走れ、走れ、走れハニー(ハニー)
世界の果てまで(果てまで)、走れハニー(ハニー)
私はねぇ、あだ名の「頑張り屋」がお気に入り、じゃなきゃ勝たないわ
みなみな抜いて走るのよ、ママの懐(むね)に
*走れ、走れ、走れハニー(ハニー)
世界の果てまで(果てまで)、走れハニー(ハニー)
(*以下繰り返し2回)
(Youtubeに登録のkimyonsamaに感謝)
早くに母親をなくした少女ハニーは、逆境を撥ね退け、小柄ながらもスポーツを通じて健全に成長するさまを描いているという・・・Youtubeで、番組をいくつか視聴できる。(アニメディスク版の主題歌歌手はチョン・ヨジン)
(本ブログ関連:”走れハニー”)
本ブログで以前紹介した、「(資料)レジェンド・プロファイル16弾-イ・ソンヒ」(ムン・ジョンホ)によれば、番組の当時の位置づけについて、「真にすべて、時代が要求する健全さの標本であったし、イ・ソンヒもまたそのような役割を厭わず、国民の自負心を鼓吹させる歌もよく歌った」と語られている。まさに、イ・ソンヒの他曲同様、彼女の持つ清潔さ、健全さにぴったり適合したものだったといえる。ちなみに、物語の主人公の父親は、海外に出稼ぎに行き失明する・・・どこか、パンソリの「沈清歌」に裏打ちでもされているかと思うほど。
「走れハニー」
私はねぇ、ママが世界一大好き、空と地ほど
ママに会いたくなれば走るのよ、両手握って
走れ、走れ、走れハニー(ハニー)
世界の果てまで(果てまで)、走れハニー(ハニー)
私はねぇ、悲しさ見せるの大嫌い、弱くなるから
さびしく涙したら走るのよ、風のように
走れ、走れ、走れハニー(ハニー)
世界の果てまで(果てまで)、走れハニー(ハニー)
私はねぇ、あだ名の「頑張り屋」がお気に入り、じゃなきゃ勝たないわ
みなみな抜いて走るのよ、ママの懐(むね)に
*走れ、走れ、走れハニー(ハニー)
世界の果てまで(果てまで)、走れハニー(ハニー)
(*以下繰り返し2回)
(Youtubeに登録のkimyonsamaに感謝)
2015年4月25日土曜日
バナナカステラ
近所のスーパーで、菓子パンサイズの袋に入った「バナナカステラ」を見つけた。
餡入りのカステラ菓子で、外側に「BANANA」文字をレリーフして焼き上げている。シンプルな菓子名と形状から、何となく屋台菓子を思い起させる。原材料に「バナナ入り白あん」と表示されている。食べた瞬間、バナナ風味が口中に広がる。食後も風味が強烈に残る。まさに、直球勝負のBANANA味だ。
(本ブログ関連:"バナナ")
ところで菓子袋に、「Café」とféの字を強調して描かれている。バナナは鉄分(Fe)が豊富なのかと、「栄養素別食品一覧表」をネットで見たところ、そうでも・・・ないようだ。
”バナナカステラ” についてネット検索すると、関西原産で、数社で販売される当り前の菓子のようだ。どうりで、今回購入した菓子メーカーの販売部門が東京にあって、お客様相談係が大阪にあるわけだ。菓子のシンプルなデザインといい、2本入りといったことから・・・「関西菓子」を感じた次第。
感想を大阪弁で何と言ったらよいだろうか。ネットに、「『標準語→大阪弁変換』プログラム osaka.exe のJavaScriptバージョンで、テキストの文章を大阪弁に変換」するサイト(Osaka JS さくらさくらWORLD)があったので、変換させていただいた。感謝。
「とても美味しかったです」 ⇒ 「どエライ美味しかったや」
バナナ味の巡礼はまだ続く。
餡入りのカステラ菓子で、外側に「BANANA」文字をレリーフして焼き上げている。シンプルな菓子名と形状から、何となく屋台菓子を思い起させる。原材料に「バナナ入り白あん」と表示されている。食べた瞬間、バナナ風味が口中に広がる。食後も風味が強烈に残る。まさに、直球勝負のBANANA味だ。
(本ブログ関連:"バナナ")
ところで菓子袋に、「Café」とféの字を強調して描かれている。バナナは鉄分(Fe)が豊富なのかと、「栄養素別食品一覧表」をネットで見たところ、そうでも・・・ないようだ。
”バナナカステラ” についてネット検索すると、関西原産で、数社で販売される当り前の菓子のようだ。どうりで、今回購入した菓子メーカーの販売部門が東京にあって、お客様相談係が大阪にあるわけだ。菓子のシンプルなデザインといい、2本入りといったことから・・・「関西菓子」を感じた次第。
感想を大阪弁で何と言ったらよいだろうか。ネットに、「『標準語→大阪弁変換』プログラム osaka.exe のJavaScriptバージョンで、テキストの文章を大阪弁に変換」するサイト(Osaka JS さくらさくらWORLD)があったので、変換させていただいた。感謝。
「とても美味しかったです」 ⇒ 「どエライ美味しかったや」
バナナ味の巡礼はまだ続く。
2015年4月24日金曜日
星の花火
宇宙に対する関心は、星々の映像を見て楽しむ程度。「暗黒物質(dark matter)」とか、「ダークエネルギー」といった言葉にSF的なイメージを浮かべて何となくうれしくなる素人だ。
(本ブログ関連:”ダークマター”)
昔、「馬頭星雲」の不思議な似姿に息をのみ、「わし星雲」が赤ちゃん星を生み出す光景に驚嘆した。これらは写真があってのこと。特に後者の写真は、ハッブル宇宙望遠鏡のおかげだ。
宇宙は大きい。人間は宇宙の塵でできている。人はときに、宇宙の大きさに対して己の諸事の小ささを自省する。そのとき少々ストイックになるが、すぐに忘れる。ハッブルは、そんな私を呼び戻してくれる。
ハッブルが、1990年4月24日以来、宇宙の壁飾りを撮影し続けて25周年を迎えたと、東京新聞の記事「ハッブル25年祝う『星の花火』 NASAが画像公開」(4/24)は、次のように報じている。
-------------------------------------------
・【ワシントン共同】ハッブル宇宙望遠鏡の打ち上げから25年となるのを祝福し、米航空宇宙局(NASA)と欧州宇宙機関(ESA)は23日、夜空に開く花火のような星団の画像を公開した。
・りゅうこつ(竜骨)座の方向にあって、地球から2万光年離れた「ウェスタールンド2(Westerlund 2)」*は、約3千の恒星が集まった天体。中心部には誕生から約200万年と比較的若く高温で巨大な星々があり、周囲のガス状物質の内部では新たな星が次々に誕生しているとみられている。
(*)「ウェスタールンド」は、スウェーデンの天文学者Bengt Westerlundの名にちなむ。
・全長約13m、重さ約11トンのハッブルは、1990年4月24日に米スペースシャトル「ディスカバリー」で地球を回る軌道に打ち上げられた。
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(Youtubeに登録のHubble Space Telescopeに感謝)
(本ブログ関連:”ダークマター”)
昔、「馬頭星雲」の不思議な似姿に息をのみ、「わし星雲」が赤ちゃん星を生み出す光景に驚嘆した。これらは写真があってのこと。特に後者の写真は、ハッブル宇宙望遠鏡のおかげだ。
宇宙は大きい。人間は宇宙の塵でできている。人はときに、宇宙の大きさに対して己の諸事の小ささを自省する。そのとき少々ストイックになるが、すぐに忘れる。ハッブルは、そんな私を呼び戻してくれる。
ハッブルが、1990年4月24日以来、宇宙の壁飾りを撮影し続けて25周年を迎えたと、東京新聞の記事「ハッブル25年祝う『星の花火』 NASAが画像公開」(4/24)は、次のように報じている。
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・【ワシントン共同】ハッブル宇宙望遠鏡の打ち上げから25年となるのを祝福し、米航空宇宙局(NASA)と欧州宇宙機関(ESA)は23日、夜空に開く花火のような星団の画像を公開した。
・りゅうこつ(竜骨)座の方向にあって、地球から2万光年離れた「ウェスタールンド2(Westerlund 2)」*は、約3千の恒星が集まった天体。中心部には誕生から約200万年と比較的若く高温で巨大な星々があり、周囲のガス状物質の内部では新たな星が次々に誕生しているとみられている。
(*)「ウェスタールンド」は、スウェーデンの天文学者Bengt Westerlundの名にちなむ。
・全長約13m、重さ約11トンのハッブルは、1990年4月24日に米スペースシャトル「ディスカバリー」で地球を回る軌道に打ち上げられた。
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(Youtubeに登録のHubble Space Telescopeに感謝)
2015年4月23日木曜日
(雑談) 映画の比較
昔、VHS版「我が心のオルガン(내 마음의 풍금)」(1999年)を、あるファエで偶然入手して、言葉も分からずに見た。17歳の小学5年生の少女が、新任の男性教師に淡い恋心を持つという、寓話的な世界を描いている。1960年代の世相というより、ノスタルジックな農村風景を象徴するようだった。なにより、チョン・ドヨン(전도연)演じる少女の一途さに見入ってしまったものだ。そして、思いがかなうラストに仕上げてくれた。
(本ブログ関連:”我が心のオルガン”、”チョン・ドヨン”)
「我が心のオルガン」と同じく、1960年代の江原道の田舎を舞台にするものの、ある意味、間逆な世界を描いたのが「我らの歪んだ英雄(우리들의 일그러진 영웅)」(1992年)だ。小学5年生の教室を、教師に代って、15歳の級長が暴力で規律を作り実質支配する。ソウルから来た転校生は、正義の名で抵抗するが、いつか支配を受け入れ同化し、むしろ意図的に取り入ろうとすらする。当時の世情を汲んでいるのだろうか、狭い世界に置かれた人間の本性を、根源を、小学生の世界で語っているのかもしれない。
しかし、新任教師の登場によって、この世界は崩れ、新しい正義が規範とされる。生徒たちは新しい正義に進んで同調する。
後年、新任の教師は中央の政治家へ転身し、主人公の転校生は予備校教師となる。暴力によって支配された経験は、再会した同級生たちの心に深く澱となっているように見えた。
両映画には、小学校の校舎が火事になる場面もある。何かが崩れ落ちる象徴なのだろうか。相似するものが多々あるが、「我が心のオルガン」には、もしかしたら「我らの歪んだ英雄」に対する、対照的な意図があったのではと推測してしまう。
(付記)
テレビで知ったのだが、最近の女性の仲間内で、「マウント」するという言葉があるそうだ。これは、ニホンザル社会の序列付けに使われる、「マウンティング」という社会的な動作からきたのだろう。不思議なことに、チンパンジーに分類されるボノボでは、逆の意味を持つ。
小さなケージに飼われたニワトリ集団は、「つつき」を行ない順位付けする。しかし、広い場所で放し飼いすると、その現象がなくなると読んだ記憶がある。ニワトリは、鳥類という、恐竜の現在の姿だ。他者との差異と支配関係を求める順位制は、古くからの生命の必然かもしれない。
(本ブログ関連:”我が心のオルガン”、”チョン・ドヨン”)
「我が心のオルガン」と同じく、1960年代の江原道の田舎を舞台にするものの、ある意味、間逆な世界を描いたのが「我らの歪んだ英雄(우리들의 일그러진 영웅)」(1992年)だ。小学5年生の教室を、教師に代って、15歳の級長が暴力で規律を作り実質支配する。ソウルから来た転校生は、正義の名で抵抗するが、いつか支配を受け入れ同化し、むしろ意図的に取り入ろうとすらする。当時の世情を汲んでいるのだろうか、狭い世界に置かれた人間の本性を、根源を、小学生の世界で語っているのかもしれない。
しかし、新任教師の登場によって、この世界は崩れ、新しい正義が規範とされる。生徒たちは新しい正義に進んで同調する。
後年、新任の教師は中央の政治家へ転身し、主人公の転校生は予備校教師となる。暴力によって支配された経験は、再会した同級生たちの心に深く澱となっているように見えた。
両映画には、小学校の校舎が火事になる場面もある。何かが崩れ落ちる象徴なのだろうか。相似するものが多々あるが、「我が心のオルガン」には、もしかしたら「我らの歪んだ英雄」に対する、対照的な意図があったのではと推測してしまう。
(付記)
テレビで知ったのだが、最近の女性の仲間内で、「マウント」するという言葉があるそうだ。これは、ニホンザル社会の序列付けに使われる、「マウンティング」という社会的な動作からきたのだろう。不思議なことに、チンパンジーに分類されるボノボでは、逆の意味を持つ。
小さなケージに飼われたニワトリ集団は、「つつき」を行ない順位付けする。しかし、広い場所で放し飼いすると、その現象がなくなると読んだ記憶がある。ニワトリは、鳥類という、恐竜の現在の姿だ。他者との差異と支配関係を求める順位制は、古くからの生命の必然かもしれない。
2015年4月22日水曜日
KBS WORLD「国楽の世界へ」 あの世の歌
KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(4/15)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、死に関連する3曲を紹介した。
始めに、亡くなった人の魂を呼び込む「ペベンイ・グッ(배뱅이 굿)」について次のように紹介された。
・「ペベンイ・グッ」で有名な李殷官(이은관、1917年~2014年)名唱がいる。節句に、テレビから「ベベンイが来ました(배뱅이가 왔소이다)」の歌詞がよく聞こえてきた。ベベンイ(배뱅이)が何か分からなくても、「ベベンイ・グッ」の歌舞は広く知られた。巫堂(무당、巫女)が神にお告げする祭儀(クッ、굿)ではなく、これを素材にした伝統芸能(民俗劇)だ。パンソリと似るが、パンソリは南の地方中心である反面、ペベンイ・グッは北側の黄海道中心だ。
・ある名門の一人娘ペベンイが18歳の若さで亡くなる。老いた両親は、娘の魂に会いたく、国中の有名な巫堂を探してクッを行う。魂を呼び込むのは簡単でない。それを聞いた旅人が両親を騙し、魂が訪れきたように振る舞い、金を取って逃げてしまう。
▼ 「ペベンイ・グッ」から、「国中の巫堂がクッを行う場面(팔도 무당 굿하는데)」を聴く。随分賑やかな祭儀に聞こえる。
次に、「恨(ハン、한)」とクッの祭儀の関係について次のように説明された。
・人が死ぬとどうなるのか、昔から人が悩んだ問題だ。韓国では、死後、人の魂はあの世に行くと信じた。時々、子孫に会いに戻ってくるともいわれる。この世に名残惜しい人は、あの世に渡れず留まるとされ、「恨」と言う、一種の恨みがある。人を恨み、残念に思う気持、悔しさや悲しさ、これらが入れ混じった感情を指す。恨を持つ人は、自分も知らぬ内に人に害を与えることもあるため、クッを行って、恨を晴らすように誘導した。亡くなった人のための儀式だが、実は生きている人のためでもある。互いに憎しみや恨みを晴らすための装置ともいえる。
▼ 恨み、恨を歌った曲「バリアラリ(바리아라리)」を聴く。不思議な味がする演奏に載せて・・・味わい深い今様。
最後に、あの世の神「バリテギ(바리데기)」の話と「コプリ(고풀이)」の意味について次のように説明された。
・バリテギは、娘として生まれたため、王に捨てられてしまったが、王が重病にかかったとき、命がけで薬を見つけたのは、バリテギだった。薬を探しにあの世まで行ったのだ。そして、あの世を治める神となる。
・全羅道地域の「シッキム・グッ(씻김굿)」儀式では、亡くなった人の恨を晴らす過程を「コプリ」という。白の長い布に、七つまたは十二の結び目をつくり、柱に固定させる。結び目は恨を意味するようで、巫女が歌を歌いながらゆっりと布を引っ張り、結び目を一つずつ解く。その様子を見ながら、その場にいる人々も恨を晴らす。
▼ 珍島の「コプリ」を聴く。始原的な響きがする・・・地元の人々の現地録音だろうか。
キム・ボエさんの言葉。明日(4/16)は、旅客船セウォル号が沈没して一年になる。「コプリ」が、わずかでも慰めになればと願う気持ちです・・・とのこと。
始めに、亡くなった人の魂を呼び込む「ペベンイ・グッ(배뱅이 굿)」について次のように紹介された。
・「ペベンイ・グッ」で有名な李殷官(이은관、1917年~2014年)名唱がいる。節句に、テレビから「ベベンイが来ました(배뱅이가 왔소이다)」の歌詞がよく聞こえてきた。ベベンイ(배뱅이)が何か分からなくても、「ベベンイ・グッ」の歌舞は広く知られた。巫堂(무당、巫女)が神にお告げする祭儀(クッ、굿)ではなく、これを素材にした伝統芸能(民俗劇)だ。パンソリと似るが、パンソリは南の地方中心である反面、ペベンイ・グッは北側の黄海道中心だ。
・ある名門の一人娘ペベンイが18歳の若さで亡くなる。老いた両親は、娘の魂に会いたく、国中の有名な巫堂を探してクッを行う。魂を呼び込むのは簡単でない。それを聞いた旅人が両親を騙し、魂が訪れきたように振る舞い、金を取って逃げてしまう。
▼ 「ペベンイ・グッ」から、「国中の巫堂がクッを行う場面(팔도 무당 굿하는데)」を聴く。随分賑やかな祭儀に聞こえる。
次に、「恨(ハン、한)」とクッの祭儀の関係について次のように説明された。
・人が死ぬとどうなるのか、昔から人が悩んだ問題だ。韓国では、死後、人の魂はあの世に行くと信じた。時々、子孫に会いに戻ってくるともいわれる。この世に名残惜しい人は、あの世に渡れず留まるとされ、「恨」と言う、一種の恨みがある。人を恨み、残念に思う気持、悔しさや悲しさ、これらが入れ混じった感情を指す。恨を持つ人は、自分も知らぬ内に人に害を与えることもあるため、クッを行って、恨を晴らすように誘導した。亡くなった人のための儀式だが、実は生きている人のためでもある。互いに憎しみや恨みを晴らすための装置ともいえる。
▼ 恨み、恨を歌った曲「バリアラリ(바리아라리)」を聴く。不思議な味がする演奏に載せて・・・味わい深い今様。
最後に、あの世の神「バリテギ(바리데기)」の話と「コプリ(고풀이)」の意味について次のように説明された。
・バリテギは、娘として生まれたため、王に捨てられてしまったが、王が重病にかかったとき、命がけで薬を見つけたのは、バリテギだった。薬を探しにあの世まで行ったのだ。そして、あの世を治める神となる。
・全羅道地域の「シッキム・グッ(씻김굿)」儀式では、亡くなった人の恨を晴らす過程を「コプリ」という。白の長い布に、七つまたは十二の結び目をつくり、柱に固定させる。結び目は恨を意味するようで、巫女が歌を歌いながらゆっりと布を引っ張り、結び目を一つずつ解く。その様子を見ながら、その場にいる人々も恨を晴らす。
▼ 珍島の「コプリ」を聴く。始原的な響きがする・・・地元の人々の現地録音だろうか。
キム・ボエさんの言葉。明日(4/16)は、旅客船セウォル号が沈没して一年になる。「コプリ」が、わずかでも慰めになればと願う気持ちです・・・とのこと。
2015年4月21日火曜日
顔の識別(3)
ネットニュースで、ある女優さんの写真を見ていたら、別の女優さんと識別できぬことに気付いた。そんな経験を以前のブログに記したのを思い出し、見直したら、今回と同じ女優さん同士の組み合わせだった。相変わらず区別できないでいる。・・・ブログに記すことで、顔の混同を整理したつもりだったのに。
(本ブログ関連:”顔の識別”)
飛びぬけて愛らしい女優さんを区別できないのかと思うと、非常に残念で、切ないことだ。今はもう、アイドルたちの識別を遠くに諦めている、
昔、人気の映画俳優は、銀幕のスターだった。映画館に出かけて、スクリーンの上でしか会えぬ存在だった。映画館という擬似共同性にある固有の崇拝対象だった。ブロマイドという護符が売られたりした。その後、テレビ俳優が登場し、ネットに取り上げられるようになった。スターは、家に(TV)、部屋に(PC)、ポケット(携帯)に降臨した。ファンのすぐそばにまで近寄ってきたのだ。
今、3文字のアイドル集団が隆盛である。ファン心理について、2つの面で考えてみた。
① 誰もが主人公となる期待だ。ずっと昔のこと、男子向け漫画やテレビのヒーローは、孤高の人だった。それが、いつのまにか兄弟となり、戦隊となった。女子向けの場合も同様。この延長に、主人公は多数に分散・分枝した。
② 今時の空気だ。主人公が一人だと、ファン同士で取り合いになる。それをうまく避け、調和させるためにも、主人公の分散・分枝が必要だった。そんなニーズにうまく合っているように見える。
とはいえ、そのときその場で違いを求めた顔にも時代性がある。いずれ振り返って見れば、時代という同一さに気付くことだろう。こちらの場合は、識別能力の衰えだけじゃない。
(本ブログ関連:”顔の識別”)
飛びぬけて愛らしい女優さんを区別できないのかと思うと、非常に残念で、切ないことだ。今はもう、アイドルたちの識別を遠くに諦めている、
昔、人気の映画俳優は、銀幕のスターだった。映画館に出かけて、スクリーンの上でしか会えぬ存在だった。映画館という擬似共同性にある固有の崇拝対象だった。ブロマイドという護符が売られたりした。その後、テレビ俳優が登場し、ネットに取り上げられるようになった。スターは、家に(TV)、部屋に(PC)、ポケット(携帯)に降臨した。ファンのすぐそばにまで近寄ってきたのだ。
今、3文字のアイドル集団が隆盛である。ファン心理について、2つの面で考えてみた。
① 誰もが主人公となる期待だ。ずっと昔のこと、男子向け漫画やテレビのヒーローは、孤高の人だった。それが、いつのまにか兄弟となり、戦隊となった。女子向けの場合も同様。この延長に、主人公は多数に分散・分枝した。
② 今時の空気だ。主人公が一人だと、ファン同士で取り合いになる。それをうまく避け、調和させるためにも、主人公の分散・分枝が必要だった。そんなニーズにうまく合っているように見える。
とはいえ、そのときその場で違いを求めた顔にも時代性がある。いずれ振り返って見れば、時代という同一さに気付くことだろう。こちらの場合は、識別能力の衰えだけじゃない。
2015年4月20日月曜日
穀雨2015
一日中、雨、雨、雨、そして風。今日は二十四節気の「穀雨」、春の最後にあたる。次は、夏の始まり「立夏」だ。何てこと、まだ春を満喫していないのに。これから、いかにもカラッとした夏が来るわけでもない、梅雨が待っているのだから。春を楽しんでおけばよかった。
(本ブログ関連:”穀雨”)
春はいいな・・・そういえば、先日、夜桜の話で、花見の人々を含めて美しさを歌った、与謝野晶子の「乱れ髪」(「与謝野晶子歌集」岩波文庫)の2番目にある、「清水(きよみず)へ祇園をよぎる花月夜 こよひ逢ふ人みな美くしき」があると記した。
同「乱れ髪」の1番目は、春らしい、しなやかで溌剌とした、いかにも若い女性らしさを表現している、「その子二十(はたち)櫛に流るる黒髪のおごりの春の美くしきかな」である。若さを見せつけるようでまぶしい。芽吹く力はそれだけで価値がある。
穀雨は、慈雨となるかな、若い女性が濡れていれば、そこにドラマがあるようだ。おじさんがぬれていると、濡れネズミ。
(本ブログ関連:”穀雨”)
春はいいな・・・そういえば、先日、夜桜の話で、花見の人々を含めて美しさを歌った、与謝野晶子の「乱れ髪」(「与謝野晶子歌集」岩波文庫)の2番目にある、「清水(きよみず)へ祇園をよぎる花月夜 こよひ逢ふ人みな美くしき」があると記した。
同「乱れ髪」の1番目は、春らしい、しなやかで溌剌とした、いかにも若い女性らしさを表現している、「その子二十(はたち)櫛に流るる黒髪のおごりの春の美くしきかな」である。若さを見せつけるようでまぶしい。芽吹く力はそれだけで価値がある。
穀雨は、慈雨となるかな、若い女性が濡れていれば、そこにドラマがあるようだ。おじさんがぬれていると、濡れネズミ。
イ・ソンヒが歌ってみると
昨年の2014年8月16日(土、午後11時~)に放送された、JTBCの「HIDDEN SINGER(히든싱어)3」の中で他の歌手を交えて、イ・ソンヒがいろいろな曲を歌った様子をYoutubeで見ることができる。曲目はまだあったかもしれないけれど、次のように並べてみた。
(本ブログ関連:”HIDDEN SINGER”)
静かに、そしてじっくりと歌い聞かせるイ・ソンヒの凄さを感じるとともに、そっと差し伸べるような彼女の眼差しもいい。歌に重ねて伝えるようだ。
<焼酎一杯(소주 한잔)>임창정
<わたしを悲しませるひとたち(나를 슬프게 하는 사람들)>김경호
<DASH>백지영
<希望歌(희망가)>채규엽(蔡奎燁)・・・(ブログ「守護天使」に感謝)
<忘れないで(잊지 말아요)>백지영
(以上、Youtubeに登録のlys2187、Acaciaに感謝)
(本ブログ関連:”HIDDEN SINGER”)
静かに、そしてじっくりと歌い聞かせるイ・ソンヒの凄さを感じるとともに、そっと差し伸べるような彼女の眼差しもいい。歌に重ねて伝えるようだ。
<焼酎一杯(소주 한잔)>임창정
<わたしを悲しませるひとたち(나를 슬프게 하는 사람들)>김경호
<DASH>백지영
<希望歌(희망가)>채규엽(蔡奎燁)・・・(ブログ「守護天使」に感謝)
<忘れないで(잊지 말아요)>백지영
(以上、Youtubeに登録のlys2187、Acaciaに感謝)
2015年4月19日日曜日
(資料) 稲荷神社の鳥居はなぜ赤いか
稲荷神社には、朱色で小柄の鳥居が連なることがある。その下を潜り抜けるうち、不思議な高揚感に気付く。辺りが朱に染まったような錯視をする。社殿に近づくとき、朱は人の心に何かを共鳴させる。それが何か分からないが、合点させる力がある。
(本ブログ関連:”稲荷”)
国立国会図書館の「レファレンス共同データベース」(島根県立図書館提供)にQAがあって、「鳥居の起源や形、色について知りたい。稲荷神社の鳥居がなぜ赤なのか等。」の質問に次のように回答している。
---------------------------------------------
資料2: 「鳥居」 川口謙二ほか著、東京美術、1987.8
・p73「鳥居の色」では、「近藤喜博氏は『稲荷信仰』という著書のなかで、「朱塗の社殿には、実は原始神の一般的属性となっていた荒振るものの性格から考えられる色釈(朱塗)によるものがすでにあったと考え」られ「そうした性格の神々の上に寺院の朱塗が荒振るものの炎の怨念に結びつき、さらにそれを助長したのだと見る」ことができると述べており、鳥居の朱色もまた、このような信仰の上に立って成立しているものと考えることができるのでは」ないかとある。
資料3: 「狐」 吉野裕子著、法政大学出版局、1980
・p117~119「稲荷と朱」のなかにp117「朱の鳥居」があり、なぜ鳥居が赤く塗られなければならないかの明確な理由づけは今日なおされていないとしながら、私見として、「狐は土徳の持主である。陰陽五行思想において、土を生じるものは火でなければならない。「火生土」「火、土を生ず」の理である。火の色はもちろん赤色である。そこで稲荷祭祀の始まる場所、つまりその入口には何を措いてもまず火気の象徴である朱の鳥居をもうけることになったと思われる」とある。
---------------------------------------------
なかなか難題なようで、起源は相当根が深いのかもしれない。土俗的で直截な、感覚的・感性的な起源を、具体的なもので知るのは容易でないようだ。
鳥居の朱色の顔料は、本来何を原料にしているのだろうか。社寺建造物美術協議会のホームページの「丹塗」のページに、「鳥居でおなじみの朱色を建造物装飾の言葉では丹塗り(にぬり)といいます。・・・鉛丹(えんたん、金属鉛を加熱し酸化させて作る赤色の顔料)の粉を膠水で溶いた丹で塗り上げます」と説明されている。
鉛丹は、wikipediaによれば、「四酸化三鉛 (Pb3O4) を主成分とする赤色の無機顔料」とのこと。
以前、本ブログで紹介したように、山師が座に坐るのに、「(「山例五十三条」には)山師の座席までも規定し、「山師金掘師の筋糺は金山師正面次は銀山師次は(・・・この間に鉛山師・・・)銅山師と順列たるべし」と言ふた」そうで、「鉛」の扱いは「銅」より重視されたようだ。
(本ブログ関連:”稲荷”)
国立国会図書館の「レファレンス共同データベース」(島根県立図書館提供)にQAがあって、「鳥居の起源や形、色について知りたい。稲荷神社の鳥居がなぜ赤なのか等。」の質問に次のように回答している。
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資料2: 「鳥居」 川口謙二ほか著、東京美術、1987.8
・p73「鳥居の色」では、「近藤喜博氏は『稲荷信仰』という著書のなかで、「朱塗の社殿には、実は原始神の一般的属性となっていた荒振るものの性格から考えられる色釈(朱塗)によるものがすでにあったと考え」られ「そうした性格の神々の上に寺院の朱塗が荒振るものの炎の怨念に結びつき、さらにそれを助長したのだと見る」ことができると述べており、鳥居の朱色もまた、このような信仰の上に立って成立しているものと考えることができるのでは」ないかとある。
資料3: 「狐」 吉野裕子著、法政大学出版局、1980
・p117~119「稲荷と朱」のなかにp117「朱の鳥居」があり、なぜ鳥居が赤く塗られなければならないかの明確な理由づけは今日なおされていないとしながら、私見として、「狐は土徳の持主である。陰陽五行思想において、土を生じるものは火でなければならない。「火生土」「火、土を生ず」の理である。火の色はもちろん赤色である。そこで稲荷祭祀の始まる場所、つまりその入口には何を措いてもまず火気の象徴である朱の鳥居をもうけることになったと思われる」とある。
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なかなか難題なようで、起源は相当根が深いのかもしれない。土俗的で直截な、感覚的・感性的な起源を、具体的なもので知るのは容易でないようだ。
鳥居の朱色の顔料は、本来何を原料にしているのだろうか。社寺建造物美術協議会のホームページの「丹塗」のページに、「鳥居でおなじみの朱色を建造物装飾の言葉では丹塗り(にぬり)といいます。・・・鉛丹(えんたん、金属鉛を加熱し酸化させて作る赤色の顔料)の粉を膠水で溶いた丹で塗り上げます」と説明されている。
鉛丹は、wikipediaによれば、「四酸化三鉛 (Pb3O4) を主成分とする赤色の無機顔料」とのこと。
以前、本ブログで紹介したように、山師が座に坐るのに、「(「山例五十三条」には)山師の座席までも規定し、「山師金掘師の筋糺は金山師正面次は銀山師次は(・・・この間に鉛山師・・・)銅山師と順列たるべし」と言ふた」そうで、「鉛」の扱いは「銅」より重視されたようだ。
2015年4月18日土曜日
(雑談)空の女王からカードの話し
昔、中学の「技術(=職業?)・家庭」の授業で、基本投影図の3面図の書き方を教わった。教師は物静かな人で、ときどきマニアックな面を見せてくれた。あるとき、作図の延長で、黒板にゼロ戦の姿を描いたのだ。飛行機好きな子どもたちとの距離が一気に縮まったことはいうまでもない。しかし後になって気になったことだが、当時の教師間の関係は、相当憶測すべき事情があったはずだろうけど。
飛行機ファンにとって、美しい機体として忘れられないのは、以前ブログで触れた、米ノースロップ社の「タロン(Talon)」(T38練習機)だ。特に、NASAで使用の白色塗装した優雅な曲線は美の極致で、私にとって「空の女王」だった。タロンが「空の女王」と呼ばれていたとずっと思っていたのだが、ネットを見返すと見つからない・・・空の女王で検索すると、ボーイング747旅客機が出てくる(私には正直異論がある・・・けれど)。
女王といえば、客船にその名を示すものもあるが、ダムにまであるそうだ。古い週刊誌を見ていたら、いわゆるダムマニアのリストの中で、群馬県「奈良俣ダム」がダムの女王にあげられていた。裾の広いなだらかな傾斜を持つ構造は、垂直にせき止めたいわゆるダムらしい力強さとは違って、穏やかで包容力を感じさせる。そこに女性的なものが彷彿されるのだろう。
ダムの管理事務所を訪れると、「ダムカード」をくれる。以前、ダム近くで石採りしたとき、同行者が同ダム事務所からもらってきてくれたことがあった。そのとき始めて知ったことだ。
ところで、JAXAが人工衛星などの追跡と通信のための通信所や観測所を訪れると、「アンテナカード」をくれるそうだ。ダムの数より少ないが、全国に点在している。中学生だったら、高校生だったら夢もあって、こちらも!欲しくなるだろうな。
・勝浦宇宙通信所(千葉県)
・臼田宇宙空間観測所(長野県)
・増田宇宙通信所(鹿児島県)
・沖縄宇宙通信所(沖縄県)
2015年4月17日金曜日
稲荷神社、桜、鳥居、狐像
春らしい暖かな昼下がり、しばらく滞在した図書館から外へ出て驚いた。建物の周り、明るい日向が雨に濡れていたのだ。午後のひととき降るという天気予報の通りだった。
建物の中で全く気付かなかった。雨空特有の明かりを落とす気配もなかったし、窓から入る明りに変化もなかった。それほど明るい中での雨だったのだ。もしかすると、「天気雨」だったのかもしれない。
(本ブログ関連:”天気雨(狐の嫁入り)”、”稲荷”)
図書館に隣接する、西陽を受けた稲荷神社の八重の桜花は、薄紅色を冴え渡らせ、赤い鳥居を引き立たせるように咲き、境内全体を覆っていた。
引き寄せられるように、稲荷神社へ行くと、神社入り口に、若者が立ち、桜花の下の光景をカメラに収めていた。さっきの雨が誘ったようだ。
西日が、境内の色彩を際立たせる。薄紅色の桜の花は、光を受けて膨らみを増し、赤い鳥居は艶ややに輝く。石の狐は、色彩に溺れることなく、何か見定めているようにさえ思えた。正直、稲荷神社の狐像と視線を合わせるのは力がいることだが。
いつも、狐像を撮るのは遠慮していた。今回、春爛漫をともにしたく、境内横手からうかがうようにして、桜、鳥居、そして狐像を合わせて撮影させていただいた。
建物の中で全く気付かなかった。雨空特有の明かりを落とす気配もなかったし、窓から入る明りに変化もなかった。それほど明るい中での雨だったのだ。もしかすると、「天気雨」だったのかもしれない。
(本ブログ関連:”天気雨(狐の嫁入り)”、”稲荷”)
図書館に隣接する、西陽を受けた稲荷神社の八重の桜花は、薄紅色を冴え渡らせ、赤い鳥居を引き立たせるように咲き、境内全体を覆っていた。
引き寄せられるように、稲荷神社へ行くと、神社入り口に、若者が立ち、桜花の下の光景をカメラに収めていた。さっきの雨が誘ったようだ。
西日が、境内の色彩を際立たせる。薄紅色の桜の花は、光を受けて膨らみを増し、赤い鳥居は艶ややに輝く。石の狐は、色彩に溺れることなく、何か見定めているようにさえ思えた。正直、稲荷神社の狐像と視線を合わせるのは力がいることだが。
いつも、狐像を撮るのは遠慮していた。今回、春爛漫をともにしたく、境内横手からうかがうようにして、桜、鳥居、そして狐像を合わせて撮影させていただいた。
2015年4月16日木曜日
(資料)イ・ソンヒ「因縁」 女子十二楽坊との協演
イ・ソンヒの13集に所収の名曲「因縁(인연)」(2005年)は、韓国ギャラップの調査「愛唱曲 2004-2014比較」(調査時期2014年10月2日~29日、全国満13才以上男女、1,700人面接調査)に見られるように、韓国大衆から愛唱曲として第7位の支持を集めている。様々な試行を踏まえて、東洋的感性を結晶化した曲である。
(本ブログ関連:”因縁”)
イ・ソンヒは、「因縁」を中国の伝統楽器演奏グループ「女子十二楽坊」と協演したことがある。その舞台責任者だった、「ショー演出の大物」といわれた・・・という、チン・ピルホン前KBS局長が逝去した記事があった。同氏とその他著名な芸能人と、例えば、チョー・ヨンピルとの関わりについて記事にされている。
ここでは、デイリー韓国の記事「逝去したチン・ピルホン前局長、歌手イ・ソンヒとの格別の気息『再照明』」(4/16、イシューチーム)にある、前局長とイ・ソンヒとの縁(=因縁)について記す。
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「チン・ピルホン」
「伝説の芸能PD」、チン・ピルホン前KBS局長が逝去した中、彼と歌手イ・ソンヒとの縁(=因縁)も再照明(=ものごとの価値を再び探り出す)されている。
過去、チン・ピルホンPDは、イ・ソンヒと女子十二楽坊の協演舞台の総責任を引き受けたことがある。
当時、イ・ソンヒは映画「王の男」でオリジナル・サウンド・トラック(=OST)の収録曲だった「因縁」を歌い、これに合わせて「女子十二楽坊」が中国伝統楽器の演奏をリリースした。
チンPDは、これについてある媒体とのインタビューで、「桜の花が満開の春の感じを生かすために、舞台の装飾を満開の花を象徴するデザインにした。春の陽射しのスターたちの華やかな大きな祭りになることだろう」と伝えた。
(以下ネチズンの反応について略)
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(Youtubeに登録のjaysbar4uに感謝)
(本ブログ関連:”因縁”)
イ・ソンヒは、「因縁」を中国の伝統楽器演奏グループ「女子十二楽坊」と協演したことがある。その舞台責任者だった、「ショー演出の大物」といわれた・・・という、チン・ピルホン前KBS局長が逝去した記事があった。同氏とその他著名な芸能人と、例えば、チョー・ヨンピルとの関わりについて記事にされている。
ここでは、デイリー韓国の記事「逝去したチン・ピルホン前局長、歌手イ・ソンヒとの格別の気息『再照明』」(4/16、イシューチーム)にある、前局長とイ・ソンヒとの縁(=因縁)について記す。
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「チン・ピルホン」
「伝説の芸能PD」、チン・ピルホン前KBS局長が逝去した中、彼と歌手イ・ソンヒとの縁(=因縁)も再照明(=ものごとの価値を再び探り出す)されている。
過去、チン・ピルホンPDは、イ・ソンヒと女子十二楽坊の協演舞台の総責任を引き受けたことがある。
当時、イ・ソンヒは映画「王の男」でオリジナル・サウンド・トラック(=OST)の収録曲だった「因縁」を歌い、これに合わせて「女子十二楽坊」が中国伝統楽器の演奏をリリースした。
チンPDは、これについてある媒体とのインタビューで、「桜の花が満開の春の感じを生かすために、舞台の装飾を満開の花を象徴するデザインにした。春の陽射しのスターたちの華やかな大きな祭りになることだろう」と伝えた。
(以下ネチズンの反応について略)
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(Youtubeに登録のjaysbar4uに感謝)
2015年4月15日水曜日
KBS WORLD「国楽の世界へ」 皐皐天邊ほか
KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(4/8)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第100回として、パンソリ「水宮歌(수궁가)」のカメやウサギの経験にまつわる3曲を紹介した。
(本ブログ関連:”水宮歌”)
始めに、初めての経験の感動を、パンソリ「水宮歌」で、陸を初めて見た亀を元に次のように紹介された。
・旅は新しい世界を経験する期待感がある反面、金と体力を使い大変な思いをする。ちなみに経験として、リンゴをよく知るにはどうすれば良いか。美しい絵や映像を見たり、栽培法を説明した本を読むことでできるが、一口味わってこそ知ることがある。
・ウサギの肝を巡るパンソリの「水宮歌」に、カメが初めて海を出て、陸地を経験する場面がある。太陽が昇り、その日差しが静かな漁村を照らす。海中の景色しか知らないカメがどう感じたか、その感動は、人が宇宙を経験するようなものだろう。
▼ 初めて見る景色を歌う「皐皐天邊(고고천변)」をカヤグム弾き語りで聴く。軽快な伴奏・・・音楽的に継承して。
次に、誰がどこに座るか、動物たちの世界で「上座争い(상좌다툼)」する話について次のように紹介された。
・旅の魅力は、色々な人と出会えることだ。新しい景色も良いが、時がたてば感動は薄れる。でも旅先で会った人々の思い出は長く記憶に残る。
・陸に上がったカメは様々な動物と出会う。その日はちょうど年に一度の動物の祭りだった。神話の麒麟や獅子、猿、リスやウサギなどみな集まった。昔も今も、誰がどこに座るかが大事な問題だ。自分が年上だと、お互いに上座に座りたがる。年長者を高める韓国の風習が、動物にも当てはまった。
▼ 「水宮歌」から動物らの「上座争い」の歌を聴く。海であれ陸であれ、いずこも見栄の張り合いということか。正調。
最後に、違う文化の出会いを、「ウサギの物語り(토끼 이야기)」について次のように紹介された。
・違う文化圏に生まれ育った人々の出会いには色々な妨げがある。言語だけでなく文化的背景も違うからだ。会話の内容も、違う意味で解釈されることもある。前向きに考えすぎて、騙されることもあるかもしれない。
・ウサギの肝を騙し取ろうとする「水宮歌」の話。ウサギの肝を探してくるように命じられたカメは、ウサギをおびき出す。官職に就けると言われたウサギは、意気揚々海中に入るが、待っていたのは、肝を狙う兵士たちだった。王の薬にウサギの肝が必要だったのだ。ウサギは自分が騙されたのと同じように、今度は王を騙して仕返しし、やっとのことで命を救う。
▼ 出会いをサムルノリと歌で表現した「ウサギの物語り」を聴く。何ぜ・・・今様である。
(付記)
私のカウントで今回で、たしか100回目になる・・・でも、番組のリストを見ると、201回目?になるよう。どこかで大きなカウントミスをしてしまっているのか・・・今頃になっていうのも憚るが。次回から、番組回数の付記をひかえます。
(本ブログ関連:”水宮歌”)
始めに、初めての経験の感動を、パンソリ「水宮歌」で、陸を初めて見た亀を元に次のように紹介された。
・旅は新しい世界を経験する期待感がある反面、金と体力を使い大変な思いをする。ちなみに経験として、リンゴをよく知るにはどうすれば良いか。美しい絵や映像を見たり、栽培法を説明した本を読むことでできるが、一口味わってこそ知ることがある。
・ウサギの肝を巡るパンソリの「水宮歌」に、カメが初めて海を出て、陸地を経験する場面がある。太陽が昇り、その日差しが静かな漁村を照らす。海中の景色しか知らないカメがどう感じたか、その感動は、人が宇宙を経験するようなものだろう。
▼ 初めて見る景色を歌う「皐皐天邊(고고천변)」をカヤグム弾き語りで聴く。軽快な伴奏・・・音楽的に継承して。
次に、誰がどこに座るか、動物たちの世界で「上座争い(상좌다툼)」する話について次のように紹介された。
・旅の魅力は、色々な人と出会えることだ。新しい景色も良いが、時がたてば感動は薄れる。でも旅先で会った人々の思い出は長く記憶に残る。
・陸に上がったカメは様々な動物と出会う。その日はちょうど年に一度の動物の祭りだった。神話の麒麟や獅子、猿、リスやウサギなどみな集まった。昔も今も、誰がどこに座るかが大事な問題だ。自分が年上だと、お互いに上座に座りたがる。年長者を高める韓国の風習が、動物にも当てはまった。
▼ 「水宮歌」から動物らの「上座争い」の歌を聴く。海であれ陸であれ、いずこも見栄の張り合いということか。正調。
最後に、違う文化の出会いを、「ウサギの物語り(토끼 이야기)」について次のように紹介された。
・違う文化圏に生まれ育った人々の出会いには色々な妨げがある。言語だけでなく文化的背景も違うからだ。会話の内容も、違う意味で解釈されることもある。前向きに考えすぎて、騙されることもあるかもしれない。
・ウサギの肝を騙し取ろうとする「水宮歌」の話。ウサギの肝を探してくるように命じられたカメは、ウサギをおびき出す。官職に就けると言われたウサギは、意気揚々海中に入るが、待っていたのは、肝を狙う兵士たちだった。王の薬にウサギの肝が必要だったのだ。ウサギは自分が騙されたのと同じように、今度は王を騙して仕返しし、やっとのことで命を救う。
▼ 出会いをサムルノリと歌で表現した「ウサギの物語り」を聴く。何ぜ・・・今様である。
(付記)
私のカウントで今回で、たしか100回目になる・・・でも、番組のリストを見ると、201回目?になるよう。どこかで大きなカウントミスをしてしまっているのか・・・今頃になっていうのも憚るが。次回から、番組回数の付記をひかえます。
2015年4月14日火曜日
(資料)岡本綺堂「中国怪奇小説集-酉陽雑爼(唐)」の九尾狐
青空文庫に岡本綺堂の「中国怪奇小説集-酉陽雑爼(唐)」に、「九尾狐」の項があって、その超越する力について次のように記している。日本の九尾狐の妖艶な化身というより、隠し持った妖気の強さを知ることになる。
(本ブログ関連:”九尾狐”)
「中国怪奇小説集」で、「酉陽雑俎」について次のように説明している。「この作者は唐の段成式であります。彼は臨淄の人で、字を柯古といい、父の文昌が校書郎を勤めていた関係で、若いときから奇編秘籍を多く読破して、博覧のきこえの高い人物でありました。官は太常外卿に至りまして、その著作は『酉陽雑爼』(正編二十巻、続集十巻)をもって知られて居ります」
-------------------------------------------------------
むかしの説に、野狐の名は紫狐といい、夜陰に尾を撃つと、火を発する。怪しい事をしようとする前には、かならず髑髏をかしらに戴いて北斗星を拝し、その髑髏が墜ちなければ、化けて人となると言い伝えられている。
劉元鼎が蔡州を治めているとき、新破の倉場に狐があばれて困るので、劉は捕吏をつかわして狐を生け捕らせ、毎日それを毬場へ放して、犬に逐わせるのを楽しみとしていた。こうして年を経るうちに、百数頭を捕殺した。
後に一頭の疥のある狐を捕えて、例のごとく五、六頭の犬を放したが、犬はあえて追い迫らない。狐も平気で逃げようともしない。不思議に思って大将の家の猟狗を連れて来た。監軍もまた自慢の巨犬を牽いて来たが、どの犬も耳を垂れて唯その狐を取り巻いているばかりである。暫くすると、狐は跳って役所の建物に入り、さらに脱け出して城の墻に登って、その姿は見えなくなった。
劉はその以来、狐を捕らせない事にした。道士の術のうちに天狐の法というのがある。天狐は九尾で金色で、日月宮に使役されているのであるという。
-------------------------------------------------------
先日のブログ((資料) 那須野の殺生石)で、古に「犬追物」という、囲いのなかで犬を射る式法の話しを記したが、その由縁は九尾狐を射落としたことにある。犬と狐が登場するのは因果かもしれない。とはいえ、狐の霊力は高く、犬を凌駕することになる。
また、物語りに「疥のある狐」が登場するが、稲荷に笠森盛稲荷がある。同稲荷は、「瘡守(かさもり)に通じて、瘡平癒から、皮膚病、梅毒に至るまで霊験ある」(Wikipedia)とのこと。近在の稲荷も、江戸期に川崎宿から参りに来たという。
極にあるものは、その対極に変身する底知れぬ霊力を宿しているのかもしれない。
(本ブログ関連:”九尾狐”)
「中国怪奇小説集」で、「酉陽雑俎」について次のように説明している。「この作者は唐の段成式であります。彼は臨淄の人で、字を柯古といい、父の文昌が校書郎を勤めていた関係で、若いときから奇編秘籍を多く読破して、博覧のきこえの高い人物でありました。官は太常外卿に至りまして、その著作は『酉陽雑爼』(正編二十巻、続集十巻)をもって知られて居ります」
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むかしの説に、野狐の名は紫狐といい、夜陰に尾を撃つと、火を発する。怪しい事をしようとする前には、かならず髑髏をかしらに戴いて北斗星を拝し、その髑髏が墜ちなければ、化けて人となると言い伝えられている。
劉元鼎が蔡州を治めているとき、新破の倉場に狐があばれて困るので、劉は捕吏をつかわして狐を生け捕らせ、毎日それを毬場へ放して、犬に逐わせるのを楽しみとしていた。こうして年を経るうちに、百数頭を捕殺した。
後に一頭の疥のある狐を捕えて、例のごとく五、六頭の犬を放したが、犬はあえて追い迫らない。狐も平気で逃げようともしない。不思議に思って大将の家の猟狗を連れて来た。監軍もまた自慢の巨犬を牽いて来たが、どの犬も耳を垂れて唯その狐を取り巻いているばかりである。暫くすると、狐は跳って役所の建物に入り、さらに脱け出して城の墻に登って、その姿は見えなくなった。
劉はその以来、狐を捕らせない事にした。道士の術のうちに天狐の法というのがある。天狐は九尾で金色で、日月宮に使役されているのであるという。
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先日のブログ((資料) 那須野の殺生石)で、古に「犬追物」という、囲いのなかで犬を射る式法の話しを記したが、その由縁は九尾狐を射落としたことにある。犬と狐が登場するのは因果かもしれない。とはいえ、狐の霊力は高く、犬を凌駕することになる。
また、物語りに「疥のある狐」が登場するが、稲荷に笠森盛稲荷がある。同稲荷は、「瘡守(かさもり)に通じて、瘡平癒から、皮膚病、梅毒に至るまで霊験ある」(Wikipedia)とのこと。近在の稲荷も、江戸期に川崎宿から参りに来たという。
極にあるものは、その対極に変身する底知れぬ霊力を宿しているのかもしれない。
2015年4月13日月曜日
キム・ヒジン「花の指輪さして」
美しいフォーク曲がある。今は、済州出身の歌手キム・ヒジンの澄んだ優しい歌声で聞くことができる。彼女と同郷の歌手ウニ(キム・ウニ)の「花の指輪さして(꽃반지 끼고)」だ。本ブログで何度か触れているが、残念ながらCDを入手できないでいる。
(本ブログ関連:”キム・ヒジン”)
花の指輪は、いつまでも遡れる言葉だ。幼い頃の花摘みであり、若い二人のぎこちない触れ合いである。イ・ソンヒの歌「You(ヨン)」にも、この言葉がある。こちらはめっぽう明るく突き抜けている。どちらであれ、大事にしたい思い出でもある。
「花の指輪さして」
思い出される その小道
あなたが 作った 花の指輪さして
優しく 手を取り 歩いた 小道が
今では 去ってしまった 美しい 思い出
(トゥルルル~ルルルル~ルルルル)
思い出される その浜辺
あなたと 二人で積んだ砂の城
波頭が寄せた その浜辺も
今では 去ってしまった 美しい 思い出
(トゥルルル~ルルルル~ルルルル)
あなたが 作った 花の指輪
さびしい 夜なら 胸に抱いて
あなたを しのぶ 昔が思い出され
あなたは 遠い 夜空の あの星
(トゥルルル~ルルルル~ルルルル)
あの 星
(Youtubeに登録のsamuel teに感謝)
(付記)
最近、どこか身近な感じする、ちょっとぽっちゃり顔の女性に人気あるようだ。日本のことだが、NTVの水卜麻美アナウンサーとか、NHK渡辺蘭気象予報士とか・・・あっ、もしかしたら私だけの見解かもしれませんが。
(本ブログ関連:”キム・ヒジン”)
花の指輪は、いつまでも遡れる言葉だ。幼い頃の花摘みであり、若い二人のぎこちない触れ合いである。イ・ソンヒの歌「You(ヨン)」にも、この言葉がある。こちらはめっぽう明るく突き抜けている。どちらであれ、大事にしたい思い出でもある。
「花の指輪さして」
思い出される その小道
あなたが 作った 花の指輪さして
優しく 手を取り 歩いた 小道が
今では 去ってしまった 美しい 思い出
(トゥルルル~ルルルル~ルルルル)
思い出される その浜辺
あなたと 二人で積んだ砂の城
波頭が寄せた その浜辺も
今では 去ってしまった 美しい 思い出
(トゥルルル~ルルルル~ルルルル)
あなたが 作った 花の指輪
さびしい 夜なら 胸に抱いて
あなたを しのぶ 昔が思い出され
あなたは 遠い 夜空の あの星
(トゥルルル~ルルルル~ルルルル)
あの 星
(Youtubeに登録のsamuel teに感謝)
(付記)
最近、どこか身近な感じする、ちょっとぽっちゃり顔の女性に人気あるようだ。日本のことだが、NTVの水卜麻美アナウンサーとか、NHK渡辺蘭気象予報士とか・・・あっ、もしかしたら私だけの見解かもしれませんが。
2015年4月12日日曜日
西王母
浮世絵に関心があるわけでなく、まして肉筆画に興味が向いたこともない。ただ、ネットのニュースで、江戸中期の浮世絵師、喜多川歌麿(宝暦3年・1753年頃~文化3年・1806年)の手になる中国の仙女「西王母」の肉筆画が発見されたそうだ。
西王母については、例によって、イ・ソンヒの名に「仙」があること→仙界→「山海経」つながりである。
(本ブログ関連:”西王母”、”山海経”)
どんな絵かとネットに探してみれば、浮世絵らしからぬ中国風の色調で、やや面長な(この辺りが浮世絵風か)若い女性のねじるような立ち姿で、いかにも中国の古い衣装を流れるような筆致で描いている。奥にある腰高な卓上に桃が置かれているようだが・・・保存状態のためか古色に滲んでいる。
女性はいい、悪の化身といえど、最後には慈母的な要素が与えられる。鬼子母神にしてしかりである。きっと、物語り作者が捨て置けず少しずつ和らげていったのだろう。桃(=命)を手にするとき、子を抱き上げるとき、生命に直接つながる力を持つだけに視線を変えてしまったようだ。
ところで、この「西王母」の絵は、美術展「肉筆浮世絵-美の競艶 ~浮世絵師が描いた江戸美人100選~」で見ることができる。
美術展巡回スケジュール
【大阪展】 2015年4月14日(火)~6月21日(日) 大阪市立美術館
【長野展】 2015年7月11日(土)~10月13日(火) 北斎館(予定)
【東京展】 2015年11月20日(金)~2016年1月17日(日) 上野の森美術館
今年遅く東京でも開かれるので行ってみたい。
西王母については、例によって、イ・ソンヒの名に「仙」があること→仙界→「山海経」つながりである。
(本ブログ関連:”西王母”、”山海経”)
どんな絵かとネットに探してみれば、浮世絵らしからぬ中国風の色調で、やや面長な(この辺りが浮世絵風か)若い女性のねじるような立ち姿で、いかにも中国の古い衣装を流れるような筆致で描いている。奥にある腰高な卓上に桃が置かれているようだが・・・保存状態のためか古色に滲んでいる。
女性はいい、悪の化身といえど、最後には慈母的な要素が与えられる。鬼子母神にしてしかりである。きっと、物語り作者が捨て置けず少しずつ和らげていったのだろう。桃(=命)を手にするとき、子を抱き上げるとき、生命に直接つながる力を持つだけに視線を変えてしまったようだ。
ところで、この「西王母」の絵は、美術展「肉筆浮世絵-美の競艶 ~浮世絵師が描いた江戸美人100選~」で見ることができる。
美術展巡回スケジュール
【大阪展】 2015年4月14日(火)~6月21日(日) 大阪市立美術館
【長野展】 2015年7月11日(土)~10月13日(火) 北斎館(予定)
【東京展】 2015年11月20日(金)~2016年1月17日(日) 上野の森美術館
今年遅く東京でも開かれるので行ってみたい。
2015年4月11日土曜日
バランスボール
バランスといっても綱渡りのウォーカーでもスコアカードでもない。塩化ビニール製のボールである。体操教室でよく使用しているので、わが家でも同じものを求めて使っている。
(安全のため、品質にはくれぐれもご注意を!)
教室では、固い体を延ばすように、真面目にボールを利用している。一方、家では、それを思い出したように万分の一ほど使っている。気迫不足のためか、もっぱらボールに乗って、ぼんやり体を揺ら揺らしている・・・ばかり。
でも、背筋がしゃきっとする効用に気付き、もう一つ大きなサイズのものをお願いした。今、それに乗りながら、このブログを作成しているところだ。
朝起きたばかりのテレビ視聴用(φ55cm)とパソコン作業用(φ65cm)の2種類となった・・・実は、もう一つあって、手毬サイズ(φ26cm)の小さなものだ。これは、椅子に坐るとき、腰上側の背中と、椅子の背の間に置いて、体が前屈みにならないようにしている。意識付けにけっこう最適。
そんなわけで、体幹がぐっと伸びてきたような・・・気がする。
問題は、決まった時間、決まった回数をきちんとこなすことだ。いつでもできると、置いておくだけにならないようにしたい。
(追記1)
テレビのコメンテーターが言っていた。アメリカの野球選手(二塁手)は、ゴロを低い位置ですくい上げ、体をひねって一塁に送球できる。彼らの肩甲骨が、日本人に比べて動きやすいからだというのだ。だから、アメリカ人に肩こりがない・・・だそうだ。
(追記2)
体操教室の先生の話。歳寄りの猫背は、両肩甲骨間の筋肉の衰え。肩甲骨を背骨に寄せるような運動を勧められた。生徒仲間は家でやっているかな。私は思い出したようにしている。
(安全のため、品質にはくれぐれもご注意を!)
教室では、固い体を延ばすように、真面目にボールを利用している。一方、家では、それを思い出したように万分の一ほど使っている。気迫不足のためか、もっぱらボールに乗って、ぼんやり体を揺ら揺らしている・・・ばかり。
でも、背筋がしゃきっとする効用に気付き、もう一つ大きなサイズのものをお願いした。今、それに乗りながら、このブログを作成しているところだ。
朝起きたばかりのテレビ視聴用(φ55cm)とパソコン作業用(φ65cm)の2種類となった・・・実は、もう一つあって、手毬サイズ(φ26cm)の小さなものだ。これは、椅子に坐るとき、腰上側の背中と、椅子の背の間に置いて、体が前屈みにならないようにしている。意識付けにけっこう最適。
そんなわけで、体幹がぐっと伸びてきたような・・・気がする。
問題は、決まった時間、決まった回数をきちんとこなすことだ。いつでもできると、置いておくだけにならないようにしたい。
(追記1)
テレビのコメンテーターが言っていた。アメリカの野球選手(二塁手)は、ゴロを低い位置ですくい上げ、体をひねって一塁に送球できる。彼らの肩甲骨が、日本人に比べて動きやすいからだというのだ。だから、アメリカ人に肩こりがない・・・だそうだ。
(追記2)
体操教室の先生の話。歳寄りの猫背は、両肩甲骨間の筋肉の衰え。肩甲骨を背骨に寄せるような運動を勧められた。生徒仲間は家でやっているかな。私は思い出したようにしている。
2015年4月10日金曜日
(資料) 那須野の殺生石
イ・ソンヒが、愛弟子イ・スンギ主演のSBSドラマ「僕のガールフレンドは九尾狐」で、テーマ曲「狐の嫁入り(여우비、天気雨)」を歌って以来、九尾狐や稲荷など狐に関する故事を巡っている。
国立国会図書館のデジタルコレクションに、大正11年出版の「奇蹟ものがたり:行脚しらべ」(物集高見(もずめ たかみ)著、雄文堂, 1922年)がある。いきなり、採集話しに始まって終わる(序文も解説もない)体裁の一般向け奇談集だ。その中で、「那須野の殺生石」があり、帝(=鳥羽上皇)を迷わした九尾狐(=玉藻前)の話が次のように語られている。
なお、著者物集高見は、東京帝大教授を退官後、「在野の学者として研究に没頭し、貧窮の中で全国を行脚して約5万冊の書物を集め、さらにその総てを読破した」(Wikipedia)とある。
(本ブログ関連:”九尾狐”、”殺生石”、”安倍晴明”、”国立国会図書館”)
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「那須野の殺生石」
久寿元年(=1154年)近衛院の御宇、仙洞に一人の美女出現し玉藻と云ふやがて后となりて帝を悩したり。宮中の御騒ぎ一方ならず、投薬看護をさをさ怠りなかりしも、御悩は日々重らせ給ふのみ。依って典薬頭を召して御尋ねありけるに、御悩は御邪気に渡らせ給ふ由申上げたり。さらば陰陽頭を召せとて安倍泰成(=安倍晴明)を呼ばれたるに、泰成は急ぎ御祈祷然るべしと言上に及びたり。何故かと公卿大臣等より御尋ねありければ、さればにて候。これは日頃御寵愛なる玉藻の所為にて候玉藻前は下野国那須野(=栃木県)に住める金毛九尾の狐にて、決して人間にあらず。此の狐昔唐土にては殷の時至の后姐巳(=だっき)となり、玄宗皇帝の時には楊貴妃となり、常に美貌を装ひ、君を迷はし徳を敗り国を傾く。今や又我が朝に渡りて君を悩まし奉るなり。ゆめ御油断あるべからずと憚る所なく申上げたれば、さらばとて泰成に太山府君奉祭御幣の役目仰せ付けられければ、勅命なれば辞むに由なく御受けせり。泰成彼の玉藻前に天神地袛の幣帛をもたせ、祭文を読み立てたれば忽ち御幣を捨て原の狐となって逃げ失せたり。これが為め、君の御悩は立所に平癒しければ御感斜ならず。泰成は世にも稀なる面目を施したり。
其の後三浦介(=義明)上総介(=広常)の両将に対し、那須野狩の院宣ありければ、勅命背き難く、那須野に行きて狩しけるが、名におふ狐の事とて、天に翔り地を走ることさながら神変なり。然し此方も亦東国屈指の名将、争で獣に引けを取るべき、遂に狐を狩取って上洛す。
院には御感の余り、那須野にて狩りし時の装束を着け、当時の有様を模し見せよとの御諚ありて、赤犬一疋出されたり。依って勅に従ひ其の射止めたる模様を御覧に入れければ、実に弓矢の秘術なりと御賞めあり、其の式法を犬追物と名け後永く行はれたり。
又此の狐腹内には金の壷あり、其の中に仏舎利ありたれば、これを院に献じ奉りたり、猶額にありたる白玉はこれを三浦介に、尾の先にありたる二つの針の中其の一つは上総介に賜ひ、狐をば宇治宝蔵に納められけり。那須の殺生石は即ち此の狐の霊を祀りたるものなり。
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上記の最後にある、後日談として、狐の「腹内には金の壷あり、其の中に仏舎利あり」、「額にありたる白玉」、「尾の先にありたる二つの針」など知らなかった。
物語は、モデルとなった皇后美福門院(藤原得子)の美貌に対する嫉妬、寵愛による権勢の確執など背景にあったといわれるが、下野国那須野が登場するのなぜだろうか。
国立国会図書館のデジタルコレクションに、大正11年出版の「奇蹟ものがたり:行脚しらべ」(物集高見(もずめ たかみ)著、雄文堂, 1922年)がある。いきなり、採集話しに始まって終わる(序文も解説もない)体裁の一般向け奇談集だ。その中で、「那須野の殺生石」があり、帝(=鳥羽上皇)を迷わした九尾狐(=玉藻前)の話が次のように語られている。
なお、著者物集高見は、東京帝大教授を退官後、「在野の学者として研究に没頭し、貧窮の中で全国を行脚して約5万冊の書物を集め、さらにその総てを読破した」(Wikipedia)とある。
(本ブログ関連:”九尾狐”、”殺生石”、”安倍晴明”、”国立国会図書館”)
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「那須野の殺生石」
久寿元年(=1154年)近衛院の御宇、仙洞に一人の美女出現し玉藻と云ふやがて后となりて帝を悩したり。宮中の御騒ぎ一方ならず、投薬看護をさをさ怠りなかりしも、御悩は日々重らせ給ふのみ。依って典薬頭を召して御尋ねありけるに、御悩は御邪気に渡らせ給ふ由申上げたり。さらば陰陽頭を召せとて安倍泰成(=安倍晴明)を呼ばれたるに、泰成は急ぎ御祈祷然るべしと言上に及びたり。何故かと公卿大臣等より御尋ねありければ、さればにて候。これは日頃御寵愛なる玉藻の所為にて候玉藻前は下野国那須野(=栃木県)に住める金毛九尾の狐にて、決して人間にあらず。此の狐昔唐土にては殷の時至の后姐巳(=だっき)となり、玄宗皇帝の時には楊貴妃となり、常に美貌を装ひ、君を迷はし徳を敗り国を傾く。今や又我が朝に渡りて君を悩まし奉るなり。ゆめ御油断あるべからずと憚る所なく申上げたれば、さらばとて泰成に太山府君奉祭御幣の役目仰せ付けられければ、勅命なれば辞むに由なく御受けせり。泰成彼の玉藻前に天神地袛の幣帛をもたせ、祭文を読み立てたれば忽ち御幣を捨て原の狐となって逃げ失せたり。これが為め、君の御悩は立所に平癒しければ御感斜ならず。泰成は世にも稀なる面目を施したり。
其の後三浦介(=義明)上総介(=広常)の両将に対し、那須野狩の院宣ありければ、勅命背き難く、那須野に行きて狩しけるが、名におふ狐の事とて、天に翔り地を走ることさながら神変なり。然し此方も亦東国屈指の名将、争で獣に引けを取るべき、遂に狐を狩取って上洛す。
院には御感の余り、那須野にて狩りし時の装束を着け、当時の有様を模し見せよとの御諚ありて、赤犬一疋出されたり。依って勅に従ひ其の射止めたる模様を御覧に入れければ、実に弓矢の秘術なりと御賞めあり、其の式法を犬追物と名け後永く行はれたり。
又此の狐腹内には金の壷あり、其の中に仏舎利ありたれば、これを院に献じ奉りたり、猶額にありたる白玉はこれを三浦介に、尾の先にありたる二つの針の中其の一つは上総介に賜ひ、狐をば宇治宝蔵に納められけり。那須の殺生石は即ち此の狐の霊を祀りたるものなり。
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上記の最後にある、後日談として、狐の「腹内には金の壷あり、其の中に仏舎利あり」、「額にありたる白玉」、「尾の先にありたる二つの針」など知らなかった。
物語は、モデルとなった皇后美福門院(藤原得子)の美貌に対する嫉妬、寵愛による権勢の確執など背景にあったといわれるが、下野国那須野が登場するのなぜだろうか。
2015年4月9日木曜日
イ・ソンヒの「共存」
イ・ソンヒにとって90年代は、国楽の伝統や同時代の音楽語法などを取り入れたりした、大衆を再獲得するための模索の時代だったという。
(本ブログ関連:”(資料)レジェンド・プロファイル16弾-イ・ソンヒ”)
とはいえ、その時代の空気を直接知らない彼方のファンにとっては、彼女の美しい旋律に接する幸いがある。イ・ソンヒの11集所収の「공존(共存)」(1998年、チョ・ウンヒ作詞、イ・ソンヒ作曲)は、今の若者の耳にどう聞こえるか知らないが、静かな感動を与えてくれる。ある意味ドラマチックである。つい彼女の人生を重ね合わせてしまう・・・考え過ぎかな。
(本ブログ関連:”共存(공존)”)
「共存(공존)」
旅は終わったの、私たちの愛も
戻るには、あまりにも遠い 道に旅立ったわ
夜空の星のように、胸に積もる
一瞬の、愛は過ぎても 思い出は残って
*私のそばに止まった風、私の中にあふれた陽射し
いつか、傍(そば)を通り過ぎていくでしょう
永遠(とは)に私は見れなくとも
一つになれなかった、世界が嫌(いや)になっても
恋しい、私の心の根は
いつも貴方に向いて深いから
(*)以下繰り返し
夜空の星のように、胸に積もる
一瞬の愛は過ぎても、思い出は残ったわ
う~ん
(Youtubeに登録のlys2187に感謝)
(本ブログ関連:”(資料)レジェンド・プロファイル16弾-イ・ソンヒ”)
とはいえ、その時代の空気を直接知らない彼方のファンにとっては、彼女の美しい旋律に接する幸いがある。イ・ソンヒの11集所収の「공존(共存)」(1998年、チョ・ウンヒ作詞、イ・ソンヒ作曲)は、今の若者の耳にどう聞こえるか知らないが、静かな感動を与えてくれる。ある意味ドラマチックである。つい彼女の人生を重ね合わせてしまう・・・考え過ぎかな。
(本ブログ関連:”共存(공존)”)
「共存(공존)」
旅は終わったの、私たちの愛も
戻るには、あまりにも遠い 道に旅立ったわ
夜空の星のように、胸に積もる
一瞬の、愛は過ぎても 思い出は残って
*私のそばに止まった風、私の中にあふれた陽射し
いつか、傍(そば)を通り過ぎていくでしょう
永遠(とは)に私は見れなくとも
一つになれなかった、世界が嫌(いや)になっても
恋しい、私の心の根は
いつも貴方に向いて深いから
(*)以下繰り返し
夜空の星のように、胸に積もる
一瞬の愛は過ぎても、思い出は残ったわ
う~ん
(Youtubeに登録のlys2187に感謝)
2015年4月8日水曜日
KBS WORLD「国楽の世界へ」 花柳東風
KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(4/1)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第99回として、春を示す歌3曲を紹介した。
始めに、春の気候は毎年似ていながら、初めて迎えるような気まぐれさがあるという詩を次のように紹介された。
・春の訪れと共に衣替えの時期、人々の服装も軽くなるが、花冷えは突然くる。大陸からの黄砂や、霧が立ち込める日もある。見当がつかぬ天気だ。そんな頃、突然花開く4月になる。中国宋代の詩*に、気まぐれな春の天気を歌ったものがある。
岸草不知縁底緑 川沿いの草がどうして緑なのか知らない
山花試問爲誰紅 山に咲く花は誰のために紅いのだろうか
元造本來惟寂寞 自然を造った神はじっとしているのに
年年多事是春風 毎年の春風は何と仰々しいのだろう
(*)「張渠(장거)」作と韓国のネットにあるが、日本のネットで見つけられない・・・。
▼ 花と柳と春風を指す演奏「花柳東風(화류동풍)」を聴く。花舞う春を描写する若いフュージョン国楽バンドの曲。
次に、別れに柳を折って渡した妓生の洪娘(홍랑)の詩について次のように紹介された。
・春に、凍り付いた地面と川が融け始めると、冬に留まっていた旅人は旅路につく。中に、別れの名残り惜しい人々もいた。芽ぐみはじめた柳の枝を折って別れの贈り物にした。船場でよく見かけるもので、折った枝がすぐ根を下ろすからだ。見送る者の心を供にさせてという意があった。
・昔、洪娘という妓生が作った、旅路につく恋人に柳を折って<窓の外に植えてください>(人爲試向庭前種)という詩が伝わっている。「柳」の字は「リュウ」と読み、留まるの「留」と同じ音読みする。旅立つ人に留まってほしい気持ちを込めて柳を送った。
▼ 京畿地域の民謡「別れの歌(이별가)」を聴く。別れの場面、随分と冷静で民謡らしさと違った趣すらする。
最後に、 京畿地域の曲、山打令(산타령)の「ノルリャン(놀량)」について次のように紹介された。
・春には、のどかな天気が気持ちを和ませる花見や遠足がある。それぞれ多様な人生があり、生き方がある。
・京畿地方に「ソンソリ(선소리)山打令」がある。「ソンソリ」は、立ったまま歌う意で、動詞の「立つ」(서다)と、「音」(소리)が一つになった言葉。「山打令」は山の打令(=音頭)。妓生が慎ましやかに座って歌うのと比べ、対照的な雰囲気で、歌い手は立ったまま小太鼓を奏したり、布を振り回して踊りながら歌う。山に行って遊ぼうという内容が多いことから「山打令」と言う。山打令は<山や川、草木が生い茂り、見ているだけでも楽しい>という歌詞の「ノルリャン」から始まる。
▼ 京畿地域の山打令から「ノルリャン」を聴く。いいな、掛け声(感嘆)も楽しそう・・・民謡らしい明るさ。
(付記)
今日は完全に冬支度に逆戻り。雨は冷たく重い・・・見た目には霙(みぞれ)と思わせた。本当の春はいつのことか・・・しばらく、ストーブから離れられない。
始めに、春の気候は毎年似ていながら、初めて迎えるような気まぐれさがあるという詩を次のように紹介された。
・春の訪れと共に衣替えの時期、人々の服装も軽くなるが、花冷えは突然くる。大陸からの黄砂や、霧が立ち込める日もある。見当がつかぬ天気だ。そんな頃、突然花開く4月になる。中国宋代の詩*に、気まぐれな春の天気を歌ったものがある。
岸草不知縁底緑 川沿いの草がどうして緑なのか知らない
山花試問爲誰紅 山に咲く花は誰のために紅いのだろうか
元造本來惟寂寞 自然を造った神はじっとしているのに
年年多事是春風 毎年の春風は何と仰々しいのだろう
(*)「張渠(장거)」作と韓国のネットにあるが、日本のネットで見つけられない・・・。
▼ 花と柳と春風を指す演奏「花柳東風(화류동풍)」を聴く。花舞う春を描写する若いフュージョン国楽バンドの曲。
次に、別れに柳を折って渡した妓生の洪娘(홍랑)の詩について次のように紹介された。
・春に、凍り付いた地面と川が融け始めると、冬に留まっていた旅人は旅路につく。中に、別れの名残り惜しい人々もいた。芽ぐみはじめた柳の枝を折って別れの贈り物にした。船場でよく見かけるもので、折った枝がすぐ根を下ろすからだ。見送る者の心を供にさせてという意があった。
・昔、洪娘という妓生が作った、旅路につく恋人に柳を折って<窓の外に植えてください>(人爲試向庭前種)という詩が伝わっている。「柳」の字は「リュウ」と読み、留まるの「留」と同じ音読みする。旅立つ人に留まってほしい気持ちを込めて柳を送った。
▼ 京畿地域の民謡「別れの歌(이별가)」を聴く。別れの場面、随分と冷静で民謡らしさと違った趣すらする。
最後に、 京畿地域の曲、山打令(산타령)の「ノルリャン(놀량)」について次のように紹介された。
・春には、のどかな天気が気持ちを和ませる花見や遠足がある。それぞれ多様な人生があり、生き方がある。
・京畿地方に「ソンソリ(선소리)山打令」がある。「ソンソリ」は、立ったまま歌う意で、動詞の「立つ」(서다)と、「音」(소리)が一つになった言葉。「山打令」は山の打令(=音頭)。妓生が慎ましやかに座って歌うのと比べ、対照的な雰囲気で、歌い手は立ったまま小太鼓を奏したり、布を振り回して踊りながら歌う。山に行って遊ぼうという内容が多いことから「山打令」と言う。山打令は<山や川、草木が生い茂り、見ているだけでも楽しい>という歌詞の「ノルリャン」から始まる。
▼ 京畿地域の山打令から「ノルリャン」を聴く。いいな、掛け声(感嘆)も楽しそう・・・民謡らしい明るさ。
(付記)
今日は完全に冬支度に逆戻り。雨は冷たく重い・・・見た目には霙(みぞれ)と思わせた。本当の春はいつのことか・・・しばらく、ストーブから離れられない。
2015年4月7日火曜日
(雑談) デジタルなこと
デジタルについていけない。ネット上での人間関係がよく分からないためfacebookに全くノータッチだし、twitterには登録したものの囁(ささや)くこともないのでそのままだ。また、街に出てネットを覗くこともないので、スマフォもタブレットといったツールの必要性も感じない。どうしてもといえば、つまり時代に合わせるためなら、タブレットくらいだろうけど、で?何を見るのということになる。
外での通信手段はもっぱらガラケー(携帯端末)で、これで充分と思っている。そういえば、公衆電話を利用したことが最近ない。知人には、今も頑としてガラケーすら持とうとしない御仁もいるけれど。
タブレットを小学生に配る時代だそうだ。それを聞いて思い出すのは、学校で視聴覚機器とかCAIといったツールだ。いつも新しい指導方法を模索する教育者がいる。
昔、日立のBASICマスターというマイコン(=パソコン)で、カセットテープの音声とデータを同期してディスプレイを通じて学習する教育ソフトを作ったことがある。いわゆる機能試作的なものだ。感じたことがあった。それは、目の前に入ってくるまではデジタルだが、それが記憶となり定着するのは人間の頭の中の問題ということだ。
つまり、知識として実となるのは永遠の課題ということだろう。
近頃、「自炊」といって、既存の紙書籍を裁断し、スキャナーにかけpdf化する、電子書籍作りのようなことがある。Youtubeでそんな作業を紹介しているのを見ると、思い出すことがある。必要な書籍を買って「積んどく」だ。購入すれば安心というわけだ。あるいは、必要な資料を、コピー(ゼロックスすると言ったものだが)しておくと、それだけで知識化した気になる。
自炊には、積んどくやコピーに似たところがある。それより、私には書籍が裁断機にかけられる光景が耐えられない。
外での通信手段はもっぱらガラケー(携帯端末)で、これで充分と思っている。そういえば、公衆電話を利用したことが最近ない。知人には、今も頑としてガラケーすら持とうとしない御仁もいるけれど。
タブレットを小学生に配る時代だそうだ。それを聞いて思い出すのは、学校で視聴覚機器とかCAIといったツールだ。いつも新しい指導方法を模索する教育者がいる。
昔、日立のBASICマスターというマイコン(=パソコン)で、カセットテープの音声とデータを同期してディスプレイを通じて学習する教育ソフトを作ったことがある。いわゆる機能試作的なものだ。感じたことがあった。それは、目の前に入ってくるまではデジタルだが、それが記憶となり定着するのは人間の頭の中の問題ということだ。
つまり、知識として実となるのは永遠の課題ということだろう。
近頃、「自炊」といって、既存の紙書籍を裁断し、スキャナーにかけpdf化する、電子書籍作りのようなことがある。Youtubeでそんな作業を紹介しているのを見ると、思い出すことがある。必要な書籍を買って「積んどく」だ。購入すれば安心というわけだ。あるいは、必要な資料を、コピー(ゼロックスすると言ったものだが)しておくと、それだけで知識化した気になる。
自炊には、積んどくやコピーに似たところがある。それより、私には書籍が裁断機にかけられる光景が耐えられない。
2015年4月6日月曜日
(資料) 昨年(2014年)のイ・ソンヒ所属事務所の業績
昨年2014年、イ・ソンヒは、<デビュー30周年>にあたり、15集アルバム「セレンディピティ(SERENDIPITY)」リリース、世宗文化会館および全国コンサートツアー*などにより、大衆の圧倒的な支持を受けた。
(*)コンサート規模は、「13都市27回公演で、デビュー30周年および15集発売記念の全国ツアーを全回ソールドアウトさせて、合計7万余のファンと会う大記録をたてることになった。」 ・・・ チケット代を仮に 10,000円とすると、7万×1万円=7億円 に相当。
また、韓国ギャラップの昨年についての調査から、歌手陣で圧倒的な上位人気を占めた結果を次のように知ることができる。
・(資料) 韓国ギャラップ「韓国人が最も好きな歌手2004-2014」、イ・ソンヒ2位!
・(資料) 2014年を輝かせた歌手 - イ・ソンヒ曲3位 ・・・ 「その中であなたに出会って(그 중에 그대를 만나)」(2014年)
・(資料) 韓国ギャラップ調査「愛唱曲 2004-2014比較」 ・・・「因縁(인연)」(2005年)
今回、彼女が所属する事務所「フックエンターテインメント(Hook엔터테인먼트)」の昨年業績が発表され、イ・ソンヒの貢献の大きさを示す結果となっている。マネートゥデイ記事「イ・ソンヒ コンサート ソールドアウトして..所属会社の利益が何と・・・フックエンター、昨年営業利益46.8億ウォン・・・前年比218.1%↑」(4/5、キム・ゴンウ記者)は、次のように報じている。
まさに、彼女の実力の賜物であり、彼女へのファンの変わらぬ支持を示す。
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・イ・ソンヒ、イ・スンギ、イ・ソジンの所属会社である「フックエンターテインメント」は、昨年の営業利益が218.1%増えたことが分かった。デビュー30周年を迎えたイ・ソンヒの活躍が、業績の上昇を牽引したと分析される。
・5日、金融監督院によれば、フックエンターテインメントは、昨年の売上高が159億3,500万ウォンで前年対比61.8%増加した。営業利益は、46億8,000万ウォンで218.1%増えた。
・去る2002年に設立されたフックエンターは、イ・ソンヒ、イ・スンギ、イ・ソジンが所属している。イ・ソンヒのマネジャー出身である、クォン・ジンヨン代表が持分100%を保有している。
・フックエンターは、毎年100億~150億ウォンの売上高と、15億~16億ウォンの営業利益を着実に上げている。営業利益ネースでは、監査報告書が初めて報告された2011年以後最高実績だ。
・フックエンターの営業利益率は、29.3%だ。 11~14%水準であるSM、YGエンターテインメントなど大手事務所より収益構造が優れたわけだ*。所属アーティストであるイ・ソンヒ、イ・スンギ、イ・ソジンが皆安定した収益源であるためであると分析される。
(*)下記(参考)の昨年発表資料(2013年について)では、17~20%だったと推定される。2014年については、「11~14%水準」となったのだろうか?
・フックエンターは、所属アーティストの数が少なくて、年間人件費が4億~6億ウォンしか発生しない。また、収益配分比率も各種費用を差し引いた後、7対3の水準で合理的なものと見られる。
・特に、昨年実績は、デビュー30周年を迎えたイ・ソンヒの活躍が影響を及ぼしたものと観測される。イ・ソンヒは、昨年3月、デビュー30周年記念15集アルバム「セレンディピティ」を発表した。
・タイトル曲「その中であなたに出会って」は、イ・ソンヒだけの深い響きがあるという評価を受け、音源チャートをを制した。特に、13都市で開かれた全国コンサートは、27回全て全席売り切れを記録した。
・フックエンターは、所属会社とアーティスト間の、長年の間を共にして互いの信頼度が高い方である。イ・スンギは、年利子なしで所属事務所に、47億2,500万ウォンを貸していることが明らかになった。
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(参考)
昨年同時期に発表された資料 (今年発表資料は未確認):
中央日報「(2013年について)売り上げ急増の芸能企画会社、利益はYGが最も順調=韓国」(2014年4月10日)
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・国内3大芸能企画会社であるSMエンターテインメント・YGエンターテインメント・JYPエンターテインメントの売上額が最近3年間で2倍になったことが分かった。9日、金融監督院の電子公示システムによれば
- SMの売上額は昨年(2013年)1,643億ウォン(約162憶円)で、2010年の864億ウォンから90.2%増だ。
- JYPも102億ウォンから178億ウォンへと74%増えた。
- YGは同期間に448億ウォンから2.4倍の1,057億ウォンに増えて、最初に1000億ウォン台を売り上げた。・・・
・売上額は急増したが営業利益・当期純利益はこれに及ばなかった。
- SMの営業利益は2010年から3年間で257億ウォンから346億ウォンに34.6%増えたが、同期間の当期純利益は244億ウォンから176億ウォンに27.9%減った。
- JYPもやはり営業利益が2010年には1億ウォンの黒字だったが、昨年まで3年連続で赤字を記録した。昨年の当期純損失は44億ウォンだった。
- YGだけが期間営業利益が111億ウォンから185億ウォンに66.7%増加し、当期純利益が83億ウォンから139億ウォンに67.5%増えた。
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(参考)
エイベックス・グループ・ホールディングスの「平成26年3月期 決算短信〔日本基準〕(連結)」
- p.3に「音楽事業」について、平成25,26年度の売上高、営業利益など記載されている。
(*)コンサート規模は、「13都市27回公演で、デビュー30周年および15集発売記念の全国ツアーを全回ソールドアウトさせて、合計7万余のファンと会う大記録をたてることになった。」 ・・・ チケット代を仮に 10,000円とすると、7万×1万円=7億円 に相当。
また、韓国ギャラップの昨年についての調査から、歌手陣で圧倒的な上位人気を占めた結果を次のように知ることができる。
・(資料) 韓国ギャラップ「韓国人が最も好きな歌手2004-2014」、イ・ソンヒ2位!
・(資料) 2014年を輝かせた歌手 - イ・ソンヒ曲3位 ・・・ 「その中であなたに出会って(그 중에 그대를 만나)」(2014年)
・(資料) 韓国ギャラップ調査「愛唱曲 2004-2014比較」 ・・・「因縁(인연)」(2005年)
今回、彼女が所属する事務所「フックエンターテインメント(Hook엔터테인먼트)」の昨年業績が発表され、イ・ソンヒの貢献の大きさを示す結果となっている。マネートゥデイ記事「イ・ソンヒ コンサート ソールドアウトして..所属会社の利益が何と・・・フックエンター、昨年営業利益46.8億ウォン・・・前年比218.1%↑」(4/5、キム・ゴンウ記者)は、次のように報じている。
まさに、彼女の実力の賜物であり、彼女へのファンの変わらぬ支持を示す。
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・イ・ソンヒ、イ・スンギ、イ・ソジンの所属会社である「フックエンターテインメント」は、昨年の営業利益が218.1%増えたことが分かった。デビュー30周年を迎えたイ・ソンヒの活躍が、業績の上昇を牽引したと分析される。
・5日、金融監督院によれば、フックエンターテインメントは、昨年の売上高が159億3,500万ウォンで前年対比61.8%増加した。営業利益は、46億8,000万ウォンで218.1%増えた。
・去る2002年に設立されたフックエンターは、イ・ソンヒ、イ・スンギ、イ・ソジンが所属している。イ・ソンヒのマネジャー出身である、クォン・ジンヨン代表が持分100%を保有している。
・フックエンターは、毎年100億~150億ウォンの売上高と、15億~16億ウォンの営業利益を着実に上げている。営業利益ネースでは、監査報告書が初めて報告された2011年以後最高実績だ。
・フックエンターの営業利益率は、29.3%だ。 11~14%水準であるSM、YGエンターテインメントなど大手事務所より収益構造が優れたわけだ*。所属アーティストであるイ・ソンヒ、イ・スンギ、イ・ソジンが皆安定した収益源であるためであると分析される。
(*)下記(参考)の昨年発表資料(2013年について)では、17~20%だったと推定される。2014年については、「11~14%水準」となったのだろうか?
・フックエンターは、所属アーティストの数が少なくて、年間人件費が4億~6億ウォンしか発生しない。また、収益配分比率も各種費用を差し引いた後、7対3の水準で合理的なものと見られる。
・特に、昨年実績は、デビュー30周年を迎えたイ・ソンヒの活躍が影響を及ぼしたものと観測される。イ・ソンヒは、昨年3月、デビュー30周年記念15集アルバム「セレンディピティ」を発表した。
・タイトル曲「その中であなたに出会って」は、イ・ソンヒだけの深い響きがあるという評価を受け、音源チャートをを制した。特に、13都市で開かれた全国コンサートは、27回全て全席売り切れを記録した。
・フックエンターは、所属会社とアーティスト間の、長年の間を共にして互いの信頼度が高い方である。イ・スンギは、年利子なしで所属事務所に、47億2,500万ウォンを貸していることが明らかになった。
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(参考)
昨年同時期に発表された資料 (今年発表資料は未確認):
中央日報「(2013年について)売り上げ急増の芸能企画会社、利益はYGが最も順調=韓国」(2014年4月10日)
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・国内3大芸能企画会社であるSMエンターテインメント・YGエンターテインメント・JYPエンターテインメントの売上額が最近3年間で2倍になったことが分かった。9日、金融監督院の電子公示システムによれば
- SMの売上額は昨年(2013年)1,643億ウォン(約162憶円)で、2010年の864億ウォンから90.2%増だ。
- JYPも102億ウォンから178億ウォンへと74%増えた。
- YGは同期間に448億ウォンから2.4倍の1,057億ウォンに増えて、最初に1000億ウォン台を売り上げた。・・・
・売上額は急増したが営業利益・当期純利益はこれに及ばなかった。
- SMの営業利益は2010年から3年間で257億ウォンから346億ウォンに34.6%増えたが、同期間の当期純利益は244億ウォンから176億ウォンに27.9%減った。
- JYPもやはり営業利益が2010年には1億ウォンの黒字だったが、昨年まで3年連続で赤字を記録した。昨年の当期純損失は44億ウォンだった。
- YGだけが期間営業利益が111億ウォンから185億ウォンに66.7%増加し、当期純利益が83億ウォンから139億ウォンに67.5%増えた。
-------------------------------------------------
(参考)
エイベックス・グループ・ホールディングスの「平成26年3月期 決算短信〔日本基準〕(連結)」
- p.3に「音楽事業」について、平成25,26年度の売上高、営業利益など記載されている。
2015年4月5日日曜日
清明2015
きょうは、二十四節気の「清明(せいめい)」。雁が北を目指すという。いよいよ、春が顔をのぞかせて、すべてが清く活きいきする頃。ところが、花冷えも収まらず、気温も上下して、4月というに何だか寒い日曜日だ。・・・おまけに、今週、またも寒の戻りがあるという。
(本ブログ関連:”清明”)
1~3月を終えて、今年の四分の一を食ってしまったことに気付く。一年をリンゴの実に例えると、その大きさ、過ぎた速さにたじろぐ。PC横に日めくりカレンダーを置いたせいか。手を伸ばせばすぐに日めくりできる。カレンダーを日ごと剥がすたび、身を削る気がすることがある。
せっかくの休日を、「桜祭り」見物することなく、寒さが億劫で、出歩くこともなく、ストーブの暖を求めてしまった。一日ズルズルして、ズルズル終わりそう。
(本ブログ関連:”清明”)
1~3月を終えて、今年の四分の一を食ってしまったことに気付く。一年をリンゴの実に例えると、その大きさ、過ぎた速さにたじろぐ。PC横に日めくりカレンダーを置いたせいか。手を伸ばせばすぐに日めくりできる。カレンダーを日ごと剥がすたび、身を削る気がすることがある。
せっかくの休日を、「桜祭り」見物することなく、寒さが億劫で、出歩くこともなく、ストーブの暖を求めてしまった。一日ズルズルして、ズルズル終わりそう。
2015年4月4日土曜日
丹念熟成 バナナ
近所のスーパーで、バナナ味したクリームが中に詰まっている菓子パン「丹念熟成 バナナ」(神戸屋)を求める。いわゆる、製菓パンメーカーの(イチゴ)ジャムパンとかクリームパンと同形・同サイズの菓子パンだ。菓子パンで、細長のコッペパンに縦長に切り込みして、バナナ味のバタークリームを入れたものを食べたことはあるが、今回のような菓子パンスタイルのものは初めてだ。
(本ブログ関連:"バナナ")
結論からいえば、クリームパンのカスタードクリームがバナナ味になったようなもの。それ以外は、ジャムパンとかクリームパンと変わらない。どちらかといえば、学校のクラブ活動帰りの高校生たち向けといった感じで、パン生地の割合が多い。
バナナ味と風味は、あっさりしている。パンの袋に次のような記載がある。「クリームの中の黒い粒はバナナ由来ですので、安心してお召し上がりください」とのこと。果実のバナナを食べると、喉にイガイガ感がするが、このパンも同様だ・・・バナナ成分があるということ。
バナナ味の巡礼はまだ続く。
(付記)
今夕、一段と冷え込む。桜並木路の桜も枝振りがはっきりするほど。だいぶ散ったようだ。車がほとんど通らぬ所なので、路の中央を親子連れの自転車が通り過ぎるとき、小さな子どもが、「雪のようだね」という声が聞こえた。そう、辺り一面、桜の花びらが舞い散って薄く積もっていた。
(本ブログ関連:"バナナ")
結論からいえば、クリームパンのカスタードクリームがバナナ味になったようなもの。それ以外は、ジャムパンとかクリームパンと変わらない。どちらかといえば、学校のクラブ活動帰りの高校生たち向けといった感じで、パン生地の割合が多い。
バナナ味と風味は、あっさりしている。パンの袋に次のような記載がある。「クリームの中の黒い粒はバナナ由来ですので、安心してお召し上がりください」とのこと。果実のバナナを食べると、喉にイガイガ感がするが、このパンも同様だ・・・バナナ成分があるということ。
バナナ味の巡礼はまだ続く。
(付記)
今夕、一段と冷え込む。桜並木路の桜も枝振りがはっきりするほど。だいぶ散ったようだ。車がほとんど通らぬ所なので、路の中央を親子連れの自転車が通り過ぎるとき、小さな子どもが、「雪のようだね」という声が聞こえた。そう、辺り一面、桜の花びらが舞い散って薄く積もっていた。
2015年4月3日金曜日
イ・ソンヒとレスリー・チャン
時事ウィークの記事、「歌手イ・ソンヒ 『レスリー・チャン(張國榮)が直接、香港見物させて』特別な縁(인연)、視線集中」(4/1、ナ・ウンジャン記者)は、イ・ソンヒとレスリー・チャンとの<特別な縁>について次のように報じている。回りが気にするほどのことだったのか、そうでもないのか、あるいはあこがれだったのか・・・憶測というより、想いはつきない。
レスリー・チャン(1956年9月12日~2003年4月1日)は、複雑な関係を持つ人間だったようで、彼との縁というよりは、むしろ交流といった方がよいのではないかと思うのだが。・・・現在のイ・ソンヒにApril Foolのような思い出として残ることになる。
-------------------------------------------------
・歌手イ・ソンヒと故レスリー・チャンの特別な縁が話題だ。
・今年、レスリー・チャンが亡くなって12周忌(2003年4月1日没)を迎え、相変らず彼を懐かしがるファンが少なくない中で、過去イ・ソンヒがレスリー・チャンとの格別だった縁について打ち明けたエピソードが、再び取り沙汰されている。
・イ・ソンヒは、去る2011年4月「ユ・ジェソク、キム・ウォンヒの遊びにおいで」に出演して、過去レスリー・チャンとの大切な思い出について告白した。
・当時の放送に一緒に出演したイ・スンギが先に暗示した。イ・スンギは、1989年に来韓したレスリー・チャンとイ・ソンヒが合同コンサート(「イ·ソンヒ&レスリー·チャンジョイントコンサート」1989年4月16日、蚕室体操競技場)をした」と述べ、これに対しイ・ソンヒは「公演の後に、レスリー・チャンの招待で香港を訪問した」と用心深く思い出を打ち明けた。
・イ・ソンヒは、レスリー・チャンが直接運転して、香港の見物をさせてくれたりもした」と同時に、「チョウ・ユンファ(周潤發)など、当時最高の香港スターたちが出席した船上パーティーにも招待された」と、レスリー・チャンとの親交を公開し、出演陣をびっくりさせた
・一方、レスリー・チャンは、2003年遺作「異度空間」を残して、4月1日香港のマンダリン・オリエンタル・香港ホテルで投身して亡くなった。今年でもう、亡って12周忌になった。
-------------------------------------------------
イ・ソンヒの自伝にあたる「イ・ソンヒのスター・ストーリー」10話にも、当時世界的な話題を提供していたマイケル・ジャクソンやレスリー・チャンと交流があったことを記しているが、レスリー・チャンについては次のように語られている・・・ただし、正確な年度がここでは読み取れない。(どうやら、レスリー・チャンのバックから子ども扱いされたようなニュアンスを感じるのだが?)
(本ブログ関連:”(資料)イ・ソンヒのスター・ストーリー「10.それが歌なの 発声練習では」”)
-------------------------------------------------
・香港の歌手、張國榮(レスリー・チャン)とも共に舞台に立ったことがある。彼のステージ・マナーは本当に良かった。かなり多くの曲を歌ったが、そのうちの二曲だけがライブであった。放送でもないコンサートなのに・・・それは香港式、いや英国式なのか?
・「張國榮」といえば思い浮かぶ、気が乗らない記憶一つがある。彼は若くも老いもない女性を自分の母親と紹介したが、その女性は私が張國榮と話すたびにとても気遣う様子だった。「チェッ」誰が自分の息子、なんという大儺(鬼払い)。*
(*)世間で言われるような関係はなかったのだろうか
・ところで後ほど分かってみれば、彼女がまさに張國榮の隠れ「スポンサー」とか。だが確認する方法はない。
-------------------------------------------------
次のYoutubeに、イ・ソンヒとレスリー・チャンが、彼女のデビュー作「Jへ」をデュエットする場面がある(音質・画像とも厳しい!)。映像タイトルに、「若者の行進 ジョイント・コンサート 1985」とある。イ・ソンヒ、デビュー2年目のこと、爆発的な人気の彼女とはいえ、そんな彼女とデュエットしたことになる。・・・なお、同視聴者の反応に「懐かしいヨン~~、88年放送ではないかヨン??」とのコメントもある。画面に、「オリンピック体操競技場より KBS」とある・・・同88年のソウル・オリンピック開催前に会場として使用したことになるのか。
(Youtubeに登録のsunnyfan100に感謝)
なお、ある韓国ブログ情報に、この後レスリー・チャンがイ・ソンヒの他曲をリメイクしたとの情報があるが、未確認。・・・これ以上調べる気はありません。
レスリー・チャン(1956年9月12日~2003年4月1日)は、複雑な関係を持つ人間だったようで、彼との縁というよりは、むしろ交流といった方がよいのではないかと思うのだが。・・・現在のイ・ソンヒにApril Foolのような思い出として残ることになる。
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・歌手イ・ソンヒと故レスリー・チャンの特別な縁が話題だ。
・今年、レスリー・チャンが亡くなって12周忌(2003年4月1日没)を迎え、相変らず彼を懐かしがるファンが少なくない中で、過去イ・ソンヒがレスリー・チャンとの格別だった縁について打ち明けたエピソードが、再び取り沙汰されている。
・イ・ソンヒは、去る2011年4月「ユ・ジェソク、キム・ウォンヒの遊びにおいで」に出演して、過去レスリー・チャンとの大切な思い出について告白した。
・当時の放送に一緒に出演したイ・スンギが先に暗示した。イ・スンギは、1989年に来韓したレスリー・チャンとイ・ソンヒが合同コンサート(「イ·ソンヒ&レスリー·チャンジョイントコンサート」1989年4月16日、蚕室体操競技場)をした」と述べ、これに対しイ・ソンヒは「公演の後に、レスリー・チャンの招待で香港を訪問した」と用心深く思い出を打ち明けた。
・イ・ソンヒは、レスリー・チャンが直接運転して、香港の見物をさせてくれたりもした」と同時に、「チョウ・ユンファ(周潤發)など、当時最高の香港スターたちが出席した船上パーティーにも招待された」と、レスリー・チャンとの親交を公開し、出演陣をびっくりさせた
・一方、レスリー・チャンは、2003年遺作「異度空間」を残して、4月1日香港のマンダリン・オリエンタル・香港ホテルで投身して亡くなった。今年でもう、亡って12周忌になった。
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イ・ソンヒの自伝にあたる「イ・ソンヒのスター・ストーリー」10話にも、当時世界的な話題を提供していたマイケル・ジャクソンやレスリー・チャンと交流があったことを記しているが、レスリー・チャンについては次のように語られている・・・ただし、正確な年度がここでは読み取れない。(どうやら、レスリー・チャンのバックから子ども扱いされたようなニュアンスを感じるのだが?)
(本ブログ関連:”(資料)イ・ソンヒのスター・ストーリー「10.それが歌なの 発声練習では」”)
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・香港の歌手、張國榮(レスリー・チャン)とも共に舞台に立ったことがある。彼のステージ・マナーは本当に良かった。かなり多くの曲を歌ったが、そのうちの二曲だけがライブであった。放送でもないコンサートなのに・・・それは香港式、いや英国式なのか?
・「張國榮」といえば思い浮かぶ、気が乗らない記憶一つがある。彼は若くも老いもない女性を自分の母親と紹介したが、その女性は私が張國榮と話すたびにとても気遣う様子だった。「チェッ」誰が自分の息子、なんという大儺(鬼払い)。*
(*)世間で言われるような関係はなかったのだろうか
・ところで後ほど分かってみれば、彼女がまさに張國榮の隠れ「スポンサー」とか。だが確認する方法はない。
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次のYoutubeに、イ・ソンヒとレスリー・チャンが、彼女のデビュー作「Jへ」をデュエットする場面がある(音質・画像とも厳しい!)。映像タイトルに、「若者の行進 ジョイント・コンサート 1985」とある。イ・ソンヒ、デビュー2年目のこと、爆発的な人気の彼女とはいえ、そんな彼女とデュエットしたことになる。・・・なお、同視聴者の反応に「懐かしいヨン~~、88年放送ではないかヨン??」とのコメントもある。画面に、「オリンピック体操競技場より KBS」とある・・・同88年のソウル・オリンピック開催前に会場として使用したことになるのか。
(Youtubeに登録のsunnyfan100に感謝)
なお、ある韓国ブログ情報に、この後レスリー・チャンがイ・ソンヒの他曲をリメイクしたとの情報があるが、未確認。・・・これ以上調べる気はありません。
2015年4月2日木曜日
「桜祭り」前日
明日から「桜祭り」を開くという、昼下がりの公園に、桜の様子を見に行った。一昨日、風に煽られて街の桜が散り始めているのを見たからだ。幸い、この二日間静穏に恵まれ、元気を取り戻したようで、公園の桜は咲き誇っていた。
平日にもかかわらず、思いの他人出が多く驚く。考えてみれば今日は春休み。幼児から小学生くらいまでの子どもと遊ぶ親子連れや、誘い合わせた若者たちで賑わっていた。小さな子どもらの遊び声は、春らしい活気を与えてくれる。
平日にもかかわらず、思いの他人出が多く驚く。考えてみれば今日は春休み。幼児から小学生くらいまでの子どもと遊ぶ親子連れや、誘い合わせた若者たちで賑わっていた。小さな子どもらの遊び声は、春らしい活気を与えてくれる。
公園敷地内のあちこちに桜の木が植えられていて、人々は巡るようにして花見する。もちろん定番の、花の下にシートをひいて車座になって談笑するグループもある。桜は、みなをにこやかにさせる。
普段巡ることのない公園西側の入口では、黄色の菜の花と、満開の桜を合わせて見ることができる。十分に春三昧した気持ちになる、ちょっとした贅沢な場所だ。
KBS WORLD「国楽の世界へ」 パンソリ登場人物の視点
KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(3/25)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第98回として、伝統芸能のパンソリ(판소리)から、登場人物の立場を変えてみた3曲を紹介した。
(本ブログ関連:”水宮歌(수궁가)”、”赤壁歌(적벽가)”、”沈清歌(심청가)”)
始めに、意味が変化した「善男善女(선남 선녀)」や「張三李四(장삼 이사)」について次のように紹介された。
・「善男善女」は元来、仏教信者で教えに従う人々を指す。韓国ではその意が変わりハンサムな男と綺麗な女を指すのが一般的だ。また、「張三李四」も同じく、張と李の息子を指したが、張と李がありふれた姓であることから、今は普通で平凡な人を指す意に変わった。歴史に記録はないが、人から人へ物語や歌を通じて伝わった。
・パンソリも、ストーリーの所々に人々の喜びや悲しみが出てくる。うまく読み取るのも、パンソリの楽しみ方だ。
▼ パンソリ「水宮歌」から、「困るな(난감하네)」を聴く。カメの立場で歌ったコラボ的今様。
・パンソリ「水宮歌」は、ウサギの肝をめぐる話だ。龍王からウサギの肝を探してくるように命じられた使いのカメは、ウサギを一度も見たことも、陸地がどこかも分からない。命令には逆らえない。やっとのことでウサギをおびき出して連れてくるが、愚かな龍王のせいでウサギを逃してしまう。それでもウサギの肝を求める王の前でカメは困ってしまう。
次に、パンソリ「赤壁歌」には、中国の小説「三国志演義」にない部分があることについて次のように紹介された。
・パンソリ「赤壁歌」は、「三国志演義」を元にした曲で、最高権力者となった曹操が、呉国を攻める内容が中心だ。有名な武将が作戦を立てて戦う。でも、まともな武器もなく命をかけて戦ったのは、名の知れぬ兵士だ。パンソリには、原作で触れぬ兵士たちのストーリーが登場する。
▼ 「赤壁歌」から戦の後に残った兵士を点呼する「軍士点考(군사점고)」を聴く。・・・語りが続く。
・戦に敗れ兵士たちと後退する場面だ。生き残った者を確認する。兵士は曹操に不満を抱き、非難する。
最後に、パンソリ「沈清歌」は、妻に先だたれた盲(めしい)の夫と赤子(娘)、村人の関係について次のように紹介された。
・「沈清歌」では、沈清の父は若いとき視力を失い、妻が針仕事をして金を稼いだ。妻は、夫の世話から家事まで担ったが、娘沈清を出産して亡くなる。
▼ 「沈清歌」から葬式での「郭夫人の棺が出る場面(곽씨 부인 상여 나가는데)」を聴く。賢婦人への理解と別れ・・・。
・残された夫は、葬式の準備など一人で出来ず、村人のおかげで葬儀を終え、沈清も育てることができた。
(本ブログ関連:”水宮歌(수궁가)”、”赤壁歌(적벽가)”、”沈清歌(심청가)”)
始めに、意味が変化した「善男善女(선남 선녀)」や「張三李四(장삼 이사)」について次のように紹介された。
・「善男善女」は元来、仏教信者で教えに従う人々を指す。韓国ではその意が変わりハンサムな男と綺麗な女を指すのが一般的だ。また、「張三李四」も同じく、張と李の息子を指したが、張と李がありふれた姓であることから、今は普通で平凡な人を指す意に変わった。歴史に記録はないが、人から人へ物語や歌を通じて伝わった。
・パンソリも、ストーリーの所々に人々の喜びや悲しみが出てくる。うまく読み取るのも、パンソリの楽しみ方だ。
▼ パンソリ「水宮歌」から、「困るな(난감하네)」を聴く。カメの立場で歌ったコラボ的今様。
・パンソリ「水宮歌」は、ウサギの肝をめぐる話だ。龍王からウサギの肝を探してくるように命じられた使いのカメは、ウサギを一度も見たことも、陸地がどこかも分からない。命令には逆らえない。やっとのことでウサギをおびき出して連れてくるが、愚かな龍王のせいでウサギを逃してしまう。それでもウサギの肝を求める王の前でカメは困ってしまう。
次に、パンソリ「赤壁歌」には、中国の小説「三国志演義」にない部分があることについて次のように紹介された。
・パンソリ「赤壁歌」は、「三国志演義」を元にした曲で、最高権力者となった曹操が、呉国を攻める内容が中心だ。有名な武将が作戦を立てて戦う。でも、まともな武器もなく命をかけて戦ったのは、名の知れぬ兵士だ。パンソリには、原作で触れぬ兵士たちのストーリーが登場する。
▼ 「赤壁歌」から戦の後に残った兵士を点呼する「軍士点考(군사점고)」を聴く。・・・語りが続く。
・戦に敗れ兵士たちと後退する場面だ。生き残った者を確認する。兵士は曹操に不満を抱き、非難する。
最後に、パンソリ「沈清歌」は、妻に先だたれた盲(めしい)の夫と赤子(娘)、村人の関係について次のように紹介された。
・「沈清歌」では、沈清の父は若いとき視力を失い、妻が針仕事をして金を稼いだ。妻は、夫の世話から家事まで担ったが、娘沈清を出産して亡くなる。
▼ 「沈清歌」から葬式での「郭夫人の棺が出る場面(곽씨 부인 상여 나가는데)」を聴く。賢婦人への理解と別れ・・・。
・残された夫は、葬式の準備など一人で出来ず、村人のおかげで葬儀を終え、沈清も育てることができた。
2015年4月1日水曜日
神野美伽「夜桜善哉」
多分、至極若い頃に耳にした、与謝野晶子の、「清水へ祇園をよぎる花月夜 こよひ逢ふ人みな美くしき」(歌集「みだれ髪」、1901年)は、想像を掻き立てる視覚的な歌だ。
花見の中でも、とりわけ夜桜見物は、人を惹きつける共感深い習俗だ。夜の灯り、人の波にもまれ、不思議な高揚感がある。春の夜は、若者を上気させ、夢心地に誘う浮橋のようなもの。でも、この季節は、重ねてこそ知るものがある。
神野美伽の「夜桜善哉」(作詞:荒木とよひさ、作曲:金賢奎、編曲:南郷達也、1999年)は、この季節に相応しい。睦まじい夫婦(めおと)にとって、春を再び確かめ合うよい機会になるかもしれない。
(本ブログ関連:”神野美伽”)
(Youtubeに登録のkece3に感謝)
(追記)
夕方の帰り道、一陣の風に木蓮の花弁が次々と落ちてきた。散るという風情はなかった。薄曇りの空、寒さが増したようだ。驚いたことに、小学校の垣根の桜が、花を散り始めた。一部、地面に散った花弁が舞い上がったりもした。あっけない終わり方をしているように見えた。何としても、桜の散り際を眺めておきたい。
花見の中でも、とりわけ夜桜見物は、人を惹きつける共感深い習俗だ。夜の灯り、人の波にもまれ、不思議な高揚感がある。春の夜は、若者を上気させ、夢心地に誘う浮橋のようなもの。でも、この季節は、重ねてこそ知るものがある。
神野美伽の「夜桜善哉」(作詞:荒木とよひさ、作曲:金賢奎、編曲:南郷達也、1999年)は、この季節に相応しい。睦まじい夫婦(めおと)にとって、春を再び確かめ合うよい機会になるかもしれない。
(本ブログ関連:”神野美伽”)
(Youtubeに登録のkece3に感謝)
(追記)
夕方の帰り道、一陣の風に木蓮の花弁が次々と落ちてきた。散るという風情はなかった。薄曇りの空、寒さが増したようだ。驚いたことに、小学校の垣根の桜が、花を散り始めた。一部、地面に散った花弁が舞い上がったりもした。あっけない終わり方をしているように見えた。何としても、桜の散り際を眺めておきたい。
2015年3月31日火曜日
桜
図書館へ借りた本を返しに行く道々、あちこち桜が満開なのに驚く。いつの間にこんな風になっていたのだろう。小学校の垣根に、老人ホームの入り口に、そして駅に続く並木道に、一気に花開いているのだ。ついつい視線が上がっている。
(本ブログ関連:”桜”、”サクラ”)
暖かい風が過ぎる、こじんまりした公園中央の小高い場所に、児連れの母親たちが一団となって坐り春を興じていた。幼い子どもたちにとってはエネルギー発散のため、母親たちにとっては一瞬の解放のため。
桜は、毎年印象が違う。見る側のとらえ方、感慨が変わるからだろう。自身もそう感じる、何となく納得する。子どものころ見た桜の花は桜色、すなわち薄いピンク色だった。それが、歳々次第に白色が増してきた。
今日の桜の花は、めっぽう白かった。ぬるい春風に揺れる様は、それでも昔のままだ。つい気持ちも緩む。見上げる桜が、西陽を受けて淡い桜色になってきた。左の写真におさめたが、子どものとき見たものとはやはり違うようだ。
地元の桜の名所は、4月3日(金)~5日(日)に「桜祭り」を催すという。これでようやく春が来る。人混みと分かっていても、陽気に引かれて花見に行くことになるだろう。
(本ブログ関連:”桜”、”サクラ”)
暖かい風が過ぎる、こじんまりした公園中央の小高い場所に、児連れの母親たちが一団となって坐り春を興じていた。幼い子どもたちにとってはエネルギー発散のため、母親たちにとっては一瞬の解放のため。
桜は、毎年印象が違う。見る側のとらえ方、感慨が変わるからだろう。自身もそう感じる、何となく納得する。子どものころ見た桜の花は桜色、すなわち薄いピンク色だった。それが、歳々次第に白色が増してきた。
今日の桜の花は、めっぽう白かった。ぬるい春風に揺れる様は、それでも昔のままだ。つい気持ちも緩む。見上げる桜が、西陽を受けて淡い桜色になってきた。左の写真におさめたが、子どものとき見たものとはやはり違うようだ。
地元の桜の名所は、4月3日(金)~5日(日)に「桜祭り」を催すという。これでようやく春が来る。人混みと分かっていても、陽気に引かれて花見に行くことになるだろう。
2015年3月30日月曜日
バナナアイス-ブラック・クッキー入り
バナナと名のつく菓子、飲料、アイスあれば、ためらわず味見する。それが、同世代なら分かってくれるだろうバナナへの願望だ、想いだ。
(本ブログ関連:"バナナ")
風呂上りにアイスが美味い季節になってきた。先日買った、アイスバーの「バナナアイス-ブラック・クッキー入り」(FUTBA、果汁5%)を口にした。黄色のバナナ形状していて、柔らかで粘りのあるバナナ味するアイスで、ブラッククッキー(黒色のクッキーの紛粒)を混ぜたクリームをコーティングしている。あら不思議、目をつぶると、バナナの香りして、クッキー入りのクリームの感触が、バナナをイメージさせる。
今までにないこの口ざわり、これを発明・発見した技術者に乾杯。素晴らしく、楽しいアイデアだ。
ところで、このフタバ食品、昨日鉱物採集に行った富井鉱山と同じ宇都宮市にある。とはいえ、南北に大きな市ゆえ、市の中心とずーっと北の郊外といった距離関係だが。
バナナ味の巡礼はまだ続く。
(本ブログ関連:"バナナ")
風呂上りにアイスが美味い季節になってきた。先日買った、アイスバーの「バナナアイス-ブラック・クッキー入り」(FUTBA、果汁5%)を口にした。黄色のバナナ形状していて、柔らかで粘りのあるバナナ味するアイスで、ブラッククッキー(黒色のクッキーの紛粒)を混ぜたクリームをコーティングしている。あら不思議、目をつぶると、バナナの香りして、クッキー入りのクリームの感触が、バナナをイメージさせる。
今までにないこの口ざわり、これを発明・発見した技術者に乾杯。素晴らしく、楽しいアイデアだ。
ところで、このフタバ食品、昨日鉱物採集に行った富井鉱山と同じ宇都宮市にある。とはいえ、南北に大きな市ゆえ、市の中心とずーっと北の郊外といった距離関係だが。
バナナ味の巡礼はまだ続く。
2015年3月29日日曜日
富井鉱山 2015.3
栃木県宇都宮にある富井鉱山へ行く。前回(2010年6月6日)から、およそ5年後、第6回目の採集となる。紫水晶の産地として何度か訪れたが、当初、工場跡地の広場周辺を巡り苦労したところ、その背にある山中と聞き、ようやく紫水晶を採集できた。今回、山中奥が様変わりしたとの情報を得て出かけた。
(本ブログ関連:”富井鉱山”)
早朝の乗り換え駅、先月(2/1)の茨城県錫高野採集と比べて、気温は穏やかになり、乗り換えの待ち時間に空が薄らぐのを見て、春の落ち着きを感じられた。
現地に10時頃到着。昼過ぎに雨の可能性があり、採集場所を2箇所(山中→広場)に絞った。紫水晶の美晶は不発だったが、結果は次の通り。
・山中:黄銅鉱、黄鉄鉱(等軸、微小)、水晶(微小群晶、紫?)、班銅鉱、銅藍
・広場:黄鉄鉱(等軸、小)・・・苦労した記憶がよみがえり、さっぱり成果を得ず。
天気予報の通り、帰路小雨が続いた。
(付記)
上記の「山中奥が様変わりした」の通り、採集者によってズリ場が徹底的に掘り返されていた。木の根元まで掘り込んだ結果、倒木まであった。これほど凄まじい光景は始めてだ。
(付記)
同行H氏から、小来川鉱山での鉱物採集で驚くような体験をしたことを聞いた。
(追記)
富井鉱山周辺に梅が花を咲かせていた。南に位置する利根川の堤に菜の花が群生していた。
(本ブログ関連:”富井鉱山”)
早朝の乗り換え駅、先月(2/1)の茨城県錫高野採集と比べて、気温は穏やかになり、乗り換えの待ち時間に空が薄らぐのを見て、春の落ち着きを感じられた。
現地に10時頃到着。昼過ぎに雨の可能性があり、採集場所を2箇所(山中→広場)に絞った。紫水晶の美晶は不発だったが、結果は次の通り。
・山中:黄銅鉱、黄鉄鉱(等軸、微小)、水晶(微小群晶、紫?)、班銅鉱、銅藍
・広場:黄鉄鉱(等軸、小)・・・苦労した記憶がよみがえり、さっぱり成果を得ず。
天気予報の通り、帰路小雨が続いた。
(付記)
上記の「山中奥が様変わりした」の通り、採集者によってズリ場が徹底的に掘り返されていた。木の根元まで掘り込んだ結果、倒木まであった。これほど凄まじい光景は始めてだ。
(付記)
同行H氏から、小来川鉱山での鉱物採集で驚くような体験をしたことを聞いた。
(追記)
富井鉱山周辺に梅が花を咲かせていた。南に位置する利根川の堤に菜の花が群生していた。
2015年3月28日土曜日
イ・ソンヒの「私はいつもあなたを」
昨年4月、イ・ソンヒが30周年コンサートで歌った、4集収録の「私はいつもあなたを(나 항상 그대를)」(1988年、キム・ミンジョン作詞、ソン・シヒョン作曲)を、Youtubeで見ることができる。途中、「一緒に歌ってください」と、会場を巻き込んでの熱唱だ。この歌はコンサートの定番である。思わず口ずさんだものです。
(本ブログ関連:”「私はいつもあなたを」”)
シリーズ映画のOSTに使われたり、日本のオールド留学生の耳に残ったりと、この曲についての話題は多い。今回は、30周年の落ち着いた(ファン層の)雰囲気の中で聴いてみる。
「私はいつもあなたを」
いつもあなたを、慕っているのに
思うようにはいけない
今日も、セピア色した写真の中に
あなたの姿しのぶわ
*
いつもあなたに、会いたいのに
あなたは何処へ立ったの
優しいその姿、涙で染めるわ
あなた、私に戻ってよ
戻ってきて、私のところへ
すべて、あなただけなのよ(お~お~お)
燃える私の愛、避けられないのよ
あなた、私に(おおお)戻ってよ
(*以下繰り返し)
(戻ってきて・・・)
あなた、戻ってきてよ
すべて、あなただけなのよ
燃える私の愛、避けられないのよ
あなた、私に(おおお)戻ってよ
(Youtubeに登録の도미정に感謝)
(本ブログ関連:”「私はいつもあなたを」”)
シリーズ映画のOSTに使われたり、日本のオールド留学生の耳に残ったりと、この曲についての話題は多い。今回は、30周年の落ち着いた(ファン層の)雰囲気の中で聴いてみる。
「私はいつもあなたを」
いつもあなたを、慕っているのに
思うようにはいけない
今日も、セピア色した写真の中に
あなたの姿しのぶわ
*
いつもあなたに、会いたいのに
あなたは何処へ立ったの
優しいその姿、涙で染めるわ
あなた、私に戻ってよ
戻ってきて、私のところへ
すべて、あなただけなのよ(お~お~お)
燃える私の愛、避けられないのよ
あなた、私に(おおお)戻ってよ
(*以下繰り返し)
(戻ってきて・・・)
あなた、戻ってきてよ
すべて、あなただけなのよ
燃える私の愛、避けられないのよ
あなた、私に(おおお)戻ってよ
(Youtubeに登録の도미정に感謝)
2015年3月27日金曜日
(資料) 山師
鉱物マニアの端くれで、アマチュアの末席にずっと留まっている。少しも上達しない。けれど、山中に宝探しするようなわくわく感が忘れられず、今も続けている。といって独力で探し廻ることはない、というよりできない。ベテランについて、鉱山跡のズリ場を(ほんの少し)掘り返す。事前の鉱物産地情報が必要で、もっぱら人脈に頼っている。
その昔、石採りがどうだったか気になる。黎明の山頂に光輝を見てとか、深山の懐に雲立つ場所があってとか、鉱山の発見に神仙というか山岳信仰的なロマンを感じる。さらに、史実を知らないが、鉱山技術にキリシタンの流れがあったという噂を聞いたこともある。そんなわけで、昔に探鉱して、採鉱、精錬、流通といった鉱山経営の一大プロジェクトを遂行した「山師」について、概要だけでも知りたいと思う。
(本ブログ関連:”山師”)
国立国会図書館のデジタルコレクションに、昭和初期のものであるが、一般向けに鉱山についての基礎知識を書いたという「鉱山発見の実際知識」(東京研修社、昭和13年)が公開されている。昔は一般に、鉱山が今より身近だったのだろうか。
同「序説」に、「山師」についての紹介がある。長めの引用になるが次に書き写す(下線は追記)。この書が出た頃(昭和初期)まで、山師の名を、リスペクトされる本来の技能者としてスウィングバックが試みられたようだが・・・すでに遅すぎたのだろう。
ちなみに、青空文庫に公開されている、明治以降の書籍を<山師>で検索してみると、偏見に満ちた用法がわかる。山師が、江戸幕府と密着した利権を持っていたので維新後に蔑まされたのか、あるいは江戸時代に既にそうだったからかは知らないが。
------------------------------------------
一、山師
鉱石及び鉱床を探索してこれを発見する事を探鉱と云ひ之をなす人を探鉱者と言ふ。而して此等鉱石と鉱床とは決してむやみに撒布されるものにあらず、此の事業に従はんと欲せば先ず充分の修養をなし能く鉱石及び鉱床の智識を得て着手すべきである。
今日にあっては山師なる名称は大に悪用され詐偽又は投機者と同一意義に使用さるゝに至った。此語は主として鉱山に用ゐられ今日の語で云へば鉱山の持主又は技師長と云ふやうな人に適用されて居た。乱世時代にあって各地の英雄が鉱山殊に金山を尊んだことは非常なものであって殆んど其價を問はざる観があった。
徳川家康の如き駿河日陰沢に於て金山を経営し且つ之を監督せるとき自ら筆を執って山例五十三条を制定して鉱業を盛んに保護奨励したものである、此山例中各所に山師なる語を用ゐて曰く「山師金掘師を野武士と称すべし」と、即ち鉱山の鉱主より鉱夫に至る迄武士を以て待遇されたるであった 曰く「山師金掘師つ儀は関所見石(みいし)と一通りして可相通事」と。鉱山関係の者は鉱石一片を持参すれば無切符で関所を通された。「山師金掘師に於ては山内諸事停止したるのなし鋪内では今日ある命ならざればなり」と規定し且つ「山師金掘師人を殺し山内に駆け込むとも留置き仔細を改如何事も山師金掘師の筋明白相立候はゞ留置相働かせ可申事」と。鉱山師坑夫等には最上権を與(あた)へ時としては殺人罪までもゆるされた又山師の座席までも規定し、「山師金掘師の筋糺は金山師正面次は銀山師次は銅山師と順列たるべし」と言ふた。右の規定を見るも分るが如く山師なるものは鉱山師に対する一つの尊称であって、鉱山家となり、又技術を指導するのであった。
されば今日にあって適当の方法により国宝たるべき金の産出に努力せんか。世の金山氏は即ち右の山師として尊敬を集むるであらう。
幕藩時代には何事でも血統を重んじるもので此探鉱者となる人でも亦一定の家筋があって。
此家には立派な鉱物標本を備え、其標本は縮緬の敷物に載せられ、桐の箱に納められ家宝として之を子孫に伝へ一子相伝として鉱石の智識を授け、常に山野を跋渉して鉱石の探索に努めた。されど惜しむべきは彼等に組織的頭脳なく、また泰西の学術を学ぶこともなかったので、只鉱石の外見上のことにて■石のこと聞き覚え之を携へて奔走したるに過ぎなかった。従って大なる収穫もなかった訳である。
此の如く無知なる探鉱者即ち無法なる探鉱をなし自ら産を失ひ又人に迷惑を掛くるに至った。従って無法なる企業者亦は投機者に山師なる悪称を與ふるに至った、今後の探鉱者は必ず基礎あり智識ある人格者でなくてはならない。
------------------------------------------
上記引用に、山師と(新しい時代の)探鉱者が区別されている。探鉱者は、智識も格式もない・・・いってみれば産地を荒らすマニア並みの扱い。そう考えると分かる気がする。それにしても、本当の山師に一度会ってみたかった。
その昔、石採りがどうだったか気になる。黎明の山頂に光輝を見てとか、深山の懐に雲立つ場所があってとか、鉱山の発見に神仙というか山岳信仰的なロマンを感じる。さらに、史実を知らないが、鉱山技術にキリシタンの流れがあったという噂を聞いたこともある。そんなわけで、昔に探鉱して、採鉱、精錬、流通といった鉱山経営の一大プロジェクトを遂行した「山師」について、概要だけでも知りたいと思う。
(本ブログ関連:”山師”)
国立国会図書館のデジタルコレクションに、昭和初期のものであるが、一般向けに鉱山についての基礎知識を書いたという「鉱山発見の実際知識」(東京研修社、昭和13年)が公開されている。昔は一般に、鉱山が今より身近だったのだろうか。
同「序説」に、「山師」についての紹介がある。長めの引用になるが次に書き写す(下線は追記)。この書が出た頃(昭和初期)まで、山師の名を、リスペクトされる本来の技能者としてスウィングバックが試みられたようだが・・・すでに遅すぎたのだろう。
ちなみに、青空文庫に公開されている、明治以降の書籍を<山師>で検索してみると、偏見に満ちた用法がわかる。山師が、江戸幕府と密着した利権を持っていたので維新後に蔑まされたのか、あるいは江戸時代に既にそうだったからかは知らないが。
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一、山師
鉱石及び鉱床を探索してこれを発見する事を探鉱と云ひ之をなす人を探鉱者と言ふ。而して此等鉱石と鉱床とは決してむやみに撒布されるものにあらず、此の事業に従はんと欲せば先ず充分の修養をなし能く鉱石及び鉱床の智識を得て着手すべきである。
今日にあっては山師なる名称は大に悪用され詐偽又は投機者と同一意義に使用さるゝに至った。此語は主として鉱山に用ゐられ今日の語で云へば鉱山の持主又は技師長と云ふやうな人に適用されて居た。乱世時代にあって各地の英雄が鉱山殊に金山を尊んだことは非常なものであって殆んど其價を問はざる観があった。
徳川家康の如き駿河日陰沢に於て金山を経営し且つ之を監督せるとき自ら筆を執って山例五十三条を制定して鉱業を盛んに保護奨励したものである、此山例中各所に山師なる語を用ゐて曰く「山師金掘師を野武士と称すべし」と、即ち鉱山の鉱主より鉱夫に至る迄武士を以て待遇されたるであった 曰く「山師金掘師つ儀は関所見石(みいし)と一通りして可相通事」と。鉱山関係の者は鉱石一片を持参すれば無切符で関所を通された。「山師金掘師に於ては山内諸事停止したるのなし鋪内では今日ある命ならざればなり」と規定し且つ「山師金掘師人を殺し山内に駆け込むとも留置き仔細を改如何事も山師金掘師の筋明白相立候はゞ留置相働かせ可申事」と。鉱山師坑夫等には最上権を與(あた)へ時としては殺人罪までもゆるされた又山師の座席までも規定し、「山師金掘師の筋糺は金山師正面次は銀山師次は銅山師と順列たるべし」と言ふた。右の規定を見るも分るが如く山師なるものは鉱山師に対する一つの尊称であって、鉱山家となり、又技術を指導するのであった。
されば今日にあって適当の方法により国宝たるべき金の産出に努力せんか。世の金山氏は即ち右の山師として尊敬を集むるであらう。
幕藩時代には何事でも血統を重んじるもので此探鉱者となる人でも亦一定の家筋があって。
此家には立派な鉱物標本を備え、其標本は縮緬の敷物に載せられ、桐の箱に納められ家宝として之を子孫に伝へ一子相伝として鉱石の智識を授け、常に山野を跋渉して鉱石の探索に努めた。されど惜しむべきは彼等に組織的頭脳なく、また泰西の学術を学ぶこともなかったので、只鉱石の外見上のことにて■石のこと聞き覚え之を携へて奔走したるに過ぎなかった。従って大なる収穫もなかった訳である。
此の如く無知なる探鉱者即ち無法なる探鉱をなし自ら産を失ひ又人に迷惑を掛くるに至った。従って無法なる企業者亦は投機者に山師なる悪称を與ふるに至った、今後の探鉱者は必ず基礎あり智識ある人格者でなくてはならない。
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上記引用に、山師と(新しい時代の)探鉱者が区別されている。探鉱者は、智識も格式もない・・・いってみれば産地を荒らすマニア並みの扱い。そう考えると分かる気がする。それにしても、本当の山師に一度会ってみたかった。
2015年3月26日木曜日
ぬくい
今日、「寒の戻り」はおさまって、春らしい暖かさになった。このままずっと続いて欲しい。
それでも、日向と日陰で温度差を感じる。歩道を歩くとき、自然と建物の影になる側を避けている。
空気に、春の穏やかさがあるわけではない。「ぬくい」といった感触になるには少し時間が必要。
「ぬくい」を方言と思っていたが、どうやらそうでもないらしい。ネット情報では各地にあるようだ。
子ども時代、使っていた「ぬくい」は、包まれるような気がして、私には「春」にもっとも相応しい言葉だ。
それでも、日向と日陰で温度差を感じる。歩道を歩くとき、自然と建物の影になる側を避けている。
空気に、春の穏やかさがあるわけではない。「ぬくい」といった感触になるには少し時間が必要。
「ぬくい」を方言と思っていたが、どうやらそうでもないらしい。ネット情報では各地にあるようだ。
子ども時代、使っていた「ぬくい」は、包まれるような気がして、私には「春」にもっとも相応しい言葉だ。
2015年3月25日水曜日
卒業式
春だというに、寒風厳しく、まるで冬に戻ったよう。花冷えの一日。
ところで、昼過ぎ、体操教室に行く道で、何組もの親子連れとすれ違う。フォーマルに身を固めた母親の前を、歩を早めて子どもたちが歩いている。小学校の卒業式の帰りのようだ。
可笑しいのは男の子たちだ。何というか現実感がないのだ。きっと、彼らは押し出されるようにして卒業したのだろう。どっちに向いていいのやらといった感じで、足取りも頼りない
世に「中二病」という言葉、ギャグがある。Wikipediaにある、ヲタク文化研究会著の「オタク用語の基礎知識」の引用の孫引きになるが、次のような特徴が記されている。
1.洋楽を聴き始める。
2.旨くもないコーヒーを飲み始める。
3.売れたバンドを「売れる前から知っている」とムキになる。
4.やればできると思っている。
5.母親に対して激昂して「プライバシーを尊重してくれ」などと言い出す。
6.社会の勉強をある程度して、歴史に詳しくなると「アメリカって汚いよな」と急に言い出す。
昔、手伝ったことのある、中学生たちの塾で見た光景を思い出す。女子中学生は、中学二年の一学期頃まで、男子を軽くあしらっていた。子どもっぽく見えたのだろう。それが、夏休みを過ぎて登校してきた男子を見て、態度を改めることになる。彼らが一挙に男っぽくなっているのだ。たくましい骨のある顔つきに大きく変っているのだ。そのときから、女子は、今までフンと見ていた男子の前で、急におとなしくなる。
話しを元に戻す。今日見た、小学校の卒業式帰りの男の子たちは、中二病にも届かないところにいる。しばらくは、女の子に子ども扱いされるだろう。そう思われるに仕方ないほど、彼らは小学生のままである。当分の間はね。
多分、中学卒業生に合っているかもしれないけれど、風情のある柏原芳恵が歌う、「春なのに」(作詞・作曲中島みゆき、1983年)を聴いてみよう。ちなみに、柏原芳恵は、イ・ソンヒとほぼ同世代の、一つ歳下で、1965年10月1日生まれである。
(Youtubeに登録のidolEXに感謝)
(付録)レトロな感じがする、チャン・ユンジョンの「女子高卒業クラス」(キム・インスン歌、1975年)も聴いてみよう。
ところで、昼過ぎ、体操教室に行く道で、何組もの親子連れとすれ違う。フォーマルに身を固めた母親の前を、歩を早めて子どもたちが歩いている。小学校の卒業式の帰りのようだ。
可笑しいのは男の子たちだ。何というか現実感がないのだ。きっと、彼らは押し出されるようにして卒業したのだろう。どっちに向いていいのやらといった感じで、足取りも頼りない
世に「中二病」という言葉、ギャグがある。Wikipediaにある、ヲタク文化研究会著の「オタク用語の基礎知識」の引用の孫引きになるが、次のような特徴が記されている。
1.洋楽を聴き始める。
2.旨くもないコーヒーを飲み始める。
3.売れたバンドを「売れる前から知っている」とムキになる。
4.やればできると思っている。
5.母親に対して激昂して「プライバシーを尊重してくれ」などと言い出す。
6.社会の勉強をある程度して、歴史に詳しくなると「アメリカって汚いよな」と急に言い出す。
昔、手伝ったことのある、中学生たちの塾で見た光景を思い出す。女子中学生は、中学二年の一学期頃まで、男子を軽くあしらっていた。子どもっぽく見えたのだろう。それが、夏休みを過ぎて登校してきた男子を見て、態度を改めることになる。彼らが一挙に男っぽくなっているのだ。たくましい骨のある顔つきに大きく変っているのだ。そのときから、女子は、今までフンと見ていた男子の前で、急におとなしくなる。
話しを元に戻す。今日見た、小学校の卒業式帰りの男の子たちは、中二病にも届かないところにいる。しばらくは、女の子に子ども扱いされるだろう。そう思われるに仕方ないほど、彼らは小学生のままである。当分の間はね。
多分、中学卒業生に合っているかもしれないけれど、風情のある柏原芳恵が歌う、「春なのに」(作詞・作曲中島みゆき、1983年)を聴いてみよう。ちなみに、柏原芳恵は、イ・ソンヒとほぼ同世代の、一つ歳下で、1965年10月1日生まれである。
(Youtubeに登録のidolEXに感謝)
(付録)レトロな感じがする、チャン・ユンジョンの「女子高卒業クラス」(キム・インスン歌、1975年)も聴いてみよう。
KBS WORLD「国楽の世界へ」 春の曲
KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(3/18)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第97回として、春にまつわるツツジ、雪、清秋なのどの曲を紹介した。
始めに、ツツジの花の詩「ツツジ花(진달래꽃)」とその満開の春山を楽しむ「寧辺歌(영변가)」を次のように紹介された。
・南にツツジが花を咲き始めた。金素月(김소월、1902年陰暦8月6日~1934年12月23日)の詩に「ツツジ花」(1925年)がある。<いつか私のことが嫌いになって去って、行かれる際には、何も言わずに見送ります。・・・ツツジの花をまき散らして差し上げましょう>という内容。寂しいながら、鮮やかなその色彩が浮かぶ。詩は、北方の寧辺の薬草や水が出ることで名付けられた薬山(약산)で、ツツジ花を持ちきれぬほど摘み取って来ると歌う。
・薬山のツツジ花は、朝鮮末期の民謡「寧辺歌」の中にも伝わる。春に薬山は、真っ赤なツツジで覆われ、まるで燃えているように見えた。その中で春を楽しむ様子を表した歌だ。<若い時に楽しんでおこう>という歌詞から始まる。老いて病気になれば遊べないからだ。昔の歌には、若い内に、悔いが残らぬよう楽しもうというのが多い。
▼ 民謡「寧辺歌」の歌を聴く。春の日の温もりに体が動いて、若さをしみじみありがたるのんびりした光景か。
次に、春に雪が降る光景を表したファン・ビョンギの曲「春雪(춘설)」について次のように紹介された。
・春、急に寒くなることがある。こういう寒さを「コッセムチュイ(꽃샘추위)」と言い、日本の「花冷え」にあたる。すっかり春になったと思う頃、雪が降り出して、花びらの上に白い雪が積もる。これを「春雪」と言う。何とも不思議で美しいこの光景を、カヤグムで表現した曲がある。静かな朝からはじまり、平和を表現し、そして最後は、神秘的な様子を奏する。
▼ カヤグム演奏「春雪」を聴く。ぽつぽつと雪が降り積もる印象を奏でる・・・古い趣をした今様である。
最後に、春に相応しい、青春を歌うパク・インヘの歌「青春歌(청춘가)」を次のように紹介された。
・春と秋、春秋は季節以外に、年月や歳月をも意味する。春は若い頃、秋は老年に例える。「青春」という語は、10代後半から20代の若者を指す表現で、無限な可能性を秘める言葉だ。進路に悩む若者の間で、「つらいから青春だ(아프니까 청춘이다)」という言葉がはやったことがある。不安なことも多い時期だが、新しい経験をするには、春がぴったりの季節だ。
▼ 「青春歌」を聴く。青春応援歌だそうだ・・・旋律に、東西と時間が織り成す美しい今様である。
キム・ボエさんの言葉、「春は、人々を幸せにする不思議な力を持っています」、本当にそう思います。
始めに、ツツジの花の詩「ツツジ花(진달래꽃)」とその満開の春山を楽しむ「寧辺歌(영변가)」を次のように紹介された。
・南にツツジが花を咲き始めた。金素月(김소월、1902年陰暦8月6日~1934年12月23日)の詩に「ツツジ花」(1925年)がある。<いつか私のことが嫌いになって去って、行かれる際には、何も言わずに見送ります。・・・ツツジの花をまき散らして差し上げましょう>という内容。寂しいながら、鮮やかなその色彩が浮かぶ。詩は、北方の寧辺の薬草や水が出ることで名付けられた薬山(약산)で、ツツジ花を持ちきれぬほど摘み取って来ると歌う。
・薬山のツツジ花は、朝鮮末期の民謡「寧辺歌」の中にも伝わる。春に薬山は、真っ赤なツツジで覆われ、まるで燃えているように見えた。その中で春を楽しむ様子を表した歌だ。<若い時に楽しんでおこう>という歌詞から始まる。老いて病気になれば遊べないからだ。昔の歌には、若い内に、悔いが残らぬよう楽しもうというのが多い。
▼ 民謡「寧辺歌」の歌を聴く。春の日の温もりに体が動いて、若さをしみじみありがたるのんびりした光景か。
次に、春に雪が降る光景を表したファン・ビョンギの曲「春雪(춘설)」について次のように紹介された。
・春、急に寒くなることがある。こういう寒さを「コッセムチュイ(꽃샘추위)」と言い、日本の「花冷え」にあたる。すっかり春になったと思う頃、雪が降り出して、花びらの上に白い雪が積もる。これを「春雪」と言う。何とも不思議で美しいこの光景を、カヤグムで表現した曲がある。静かな朝からはじまり、平和を表現し、そして最後は、神秘的な様子を奏する。
▼ カヤグム演奏「春雪」を聴く。ぽつぽつと雪が降り積もる印象を奏でる・・・古い趣をした今様である。
最後に、春に相応しい、青春を歌うパク・インヘの歌「青春歌(청춘가)」を次のように紹介された。
・春と秋、春秋は季節以外に、年月や歳月をも意味する。春は若い頃、秋は老年に例える。「青春」という語は、10代後半から20代の若者を指す表現で、無限な可能性を秘める言葉だ。進路に悩む若者の間で、「つらいから青春だ(아프니까 청춘이다)」という言葉がはやったことがある。不安なことも多い時期だが、新しい経験をするには、春がぴったりの季節だ。
▼ 「青春歌」を聴く。青春応援歌だそうだ・・・旋律に、東西と時間が織り成す美しい今様である。
キム・ボエさんの言葉、「春は、人々を幸せにする不思議な力を持っています」、本当にそう思います。
2015年3月24日火曜日
蟻と空
今日の蟻(アリ)の親方は機嫌がいい、旅の思い出語りをした。
労働者諸君、いや、それじゃあ寅さんと同じだな。お前ら働き者たちよ、巣にいるときゃ、暗い一本道の穴ん中、上へ下へと伸びても、しょせん一本道。
じきに、お天道様が暖めてくれりゃ、上の世界に出るわけよ。そこは、歩いて這って知る地べた。いつまで行っても、まっ平らなところよ。隊列からはぐれるなよ。
でも、草木があれば蜜を吸いに登って行くことになる、ありがたいところさ。ところで知ってるかい、どこまで行ってもまっ平らな世界。砂漠(サバク)よ、熱くって水もない、そんなところに棲んでいるのがいる。お天道さまの光が頼りよ、初めに光だ。
あそこは、在るか無いかの厳しい世界。二項対立っていうか、二元論の世界よ。情け容赦もない。それに比べりゃ、おれたちには、草も木もある、山もある、それに海まである。おまけに時間もあって四季がある。おかげで冬ごもりもあらあな。大事なことだ。
おれたちゃ、幸運な世界に棲んでいる。何でもかんでも割り切れない世界よ。だからありがたいのさ。これも神様の思し召し。もうじき温もって、外に出て仕事だ、うんと働けよ。
(本ブログ関連:”蟻”)
労働者諸君、いや、それじゃあ寅さんと同じだな。お前ら働き者たちよ、巣にいるときゃ、暗い一本道の穴ん中、上へ下へと伸びても、しょせん一本道。
じきに、お天道様が暖めてくれりゃ、上の世界に出るわけよ。そこは、歩いて這って知る地べた。いつまで行っても、まっ平らなところよ。隊列からはぐれるなよ。
でも、草木があれば蜜を吸いに登って行くことになる、ありがたいところさ。ところで知ってるかい、どこまで行ってもまっ平らな世界。砂漠(サバク)よ、熱くって水もない、そんなところに棲んでいるのがいる。お天道さまの光が頼りよ、初めに光だ。
あそこは、在るか無いかの厳しい世界。二項対立っていうか、二元論の世界よ。情け容赦もない。それに比べりゃ、おれたちには、草も木もある、山もある、それに海まである。おまけに時間もあって四季がある。おかげで冬ごもりもあらあな。大事なことだ。
おれたちゃ、幸運な世界に棲んでいる。何でもかんでも割り切れない世界よ。だからありがたいのさ。これも神様の思し召し。もうじき温もって、外に出て仕事だ、うんと働けよ。
(本ブログ関連:”蟻”)
2015年3月23日月曜日
イ・ソンヒとINJ Orchestra
昨年、2014年4月、イ・ソンヒの30周年コンサート・ステージを、荘厳な音色に彩ったのが、弦と木管楽器中心とするINJ Orchestra(인제이오케스트라)だった。
30周年コンサート「歌うイ・ソンヒ」を楽しみに出かけたときのこと、昼過ぎソウルに到着して、ホテルに向かう前に会場に行ってみようと思い立って、世宗文化会館に寄った。入り口テラスに置かれたいくつかの椅子に、アジュンマ、アジョシたちが一休憩していたその中に混じって坐っていると、目の前を(名札を下げた)若者たちが次々と会館へ入って行くのが見えた。
コンサートの幕があがった時、さっきの若者たちは演奏者だったのではと思い返した。(舞台スタッフかもしれないが)
INJ Orchestraの規模について、facebook「クロスオーバー・アンサンブル i.n.j インジェイ(크로스오버 앙상블 i.n.j 인제이)」に、次のように記している。(2014年4月3日)
----------------------------------------
・アンサンブル・インジェイ(inj)が、「INJ Orchestra」という名前で、「イ・ソンヒ30周年コンサート」を準備中であります。
・音楽監督、編曲、演奏ともに、インジェイ・メンバーを中心に構成された35人組オーケストラです。
----------------------------------------
INJ Orchestraの母体について、facebook「인제이<inj>コミュニティー」は、次のように紹介している。(2012年6月21日)
----------------------------------------
・I.N.Jは、2009年創立されたピアノ・ヴァイオリン・フルート・チェロ編成のクロスオーバー・カルテットチームです。
・希望教会青年部で縁があって、I.N.J ( In the name of Jesus )という名前で志を集い、現在、病院、拘置所で教会演奏を中心に活動していて、映画音楽、オムニバス、およびシングル・アルバム発売とますます活発な演奏活動を広げています。(以下略)
----------------------------------------
このオーケストラの志と、イ・ソンヒの日ごろの慈善が重なるような気がする。30周年コンサートにまことにふさわしい協演だったのではないだろうか。
さて、イ・ソンヒのコンサートのための初リハーサルと、ステージ上でのリハーサル場面が、次のYoutubeに登録されている。(登録のsea silverに感謝)
・・・貴重な、珍しい映像である。いつまでも残ることを期待します。
なお、コンサート当日の光景を、本ブログ左に「이선희 30周年記念コンサート」として、Youtube映像をリンクしている。
コンサート序曲部のリハーサル(ゲネプロ)
初リハーサル、コンサートの最初の歌「Jへ」(イ・ソンヒの立会い、歌声を添える)
(付記)
なんていう寒さだ。冬着にすればよかった。桜もタイミングを失ったよう。・・・明々後日まで続くそうだ。
(追記)
本日、都内の「桜開花宣言」があった。(→ ことを、翌日(3/24)の朝のニュースで知った)
30周年コンサート「歌うイ・ソンヒ」を楽しみに出かけたときのこと、昼過ぎソウルに到着して、ホテルに向かう前に会場に行ってみようと思い立って、世宗文化会館に寄った。入り口テラスに置かれたいくつかの椅子に、アジュンマ、アジョシたちが一休憩していたその中に混じって坐っていると、目の前を(名札を下げた)若者たちが次々と会館へ入って行くのが見えた。
コンサートの幕があがった時、さっきの若者たちは演奏者だったのではと思い返した。(舞台スタッフかもしれないが)
INJ Orchestraの規模について、facebook「クロスオーバー・アンサンブル i.n.j インジェイ(크로스오버 앙상블 i.n.j 인제이)」に、次のように記している。(2014年4月3日)
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・アンサンブル・インジェイ(inj)が、「INJ Orchestra」という名前で、「イ・ソンヒ30周年コンサート」を準備中であります。
・音楽監督、編曲、演奏ともに、インジェイ・メンバーを中心に構成された35人組オーケストラです。
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INJ Orchestraの母体について、facebook「인제이<inj>コミュニティー」は、次のように紹介している。(2012年6月21日)
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・I.N.Jは、2009年創立されたピアノ・ヴァイオリン・フルート・チェロ編成のクロスオーバー・カルテットチームです。
・希望教会青年部で縁があって、I.N.J ( In the name of Jesus )という名前で志を集い、現在、病院、拘置所で教会演奏を中心に活動していて、映画音楽、オムニバス、およびシングル・アルバム発売とますます活発な演奏活動を広げています。(以下略)
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このオーケストラの志と、イ・ソンヒの日ごろの慈善が重なるような気がする。30周年コンサートにまことにふさわしい協演だったのではないだろうか。
さて、イ・ソンヒのコンサートのための初リハーサルと、ステージ上でのリハーサル場面が、次のYoutubeに登録されている。(登録のsea silverに感謝)
・・・貴重な、珍しい映像である。いつまでも残ることを期待します。
なお、コンサート当日の光景を、本ブログ左に「이선희 30周年記念コンサート」として、Youtube映像をリンクしている。
コンサート序曲部のリハーサル(ゲネプロ)
初リハーサル、コンサートの最初の歌「Jへ」(イ・ソンヒの立会い、歌声を添える)
(付記)
なんていう寒さだ。冬着にすればよかった。桜もタイミングを失ったよう。・・・明々後日まで続くそうだ。
(追記)
本日、都内の「桜開花宣言」があった。(→ ことを、翌日(3/24)の朝のニュースで知った)
2015年3月22日日曜日
イ・ソンヒの「分かりたいです」
今晩、2年間の仲間と春の宴に集った。自分のこととはいえ名残り惜しいが、幸いなことに繫がりもいただき、別の機会を得て、つたない努力を継続できるようになったのは幸いだ。感謝。
会の始まる前、イ・ソンヒの2集、3集のリマスタリング版CDを新宿のショップに依頼する。ならば入手困難な12集もリマスタリングして欲しいと願うのは、日本のファンの声、無理な話か。
ところで、一昨日の本ブログに、紹介させていただいた、大衆音楽評論家・ジャーナリストのパク・ソンソ氏の評論中に、イ・ソンヒの3集収録曲「分かりたいです(알고 싶어요)」(作詞ヤン・インジャ、作曲キム・ヒガプ、1986年)の成立について、直接に作詞者ヤン・インジャと作曲者キム・ヒガプとのインタビューが掲載されている。原曲の存在、歌詞の変更、そしてイ・ソンヒとの巡り会いという、いってみれば数奇で運命的なものがあった。
そればかりではない、この曲には、黄真伊(ファン・ジニ:황진이)を空想したイメージの膨らみ、漢詩まで産み出す後日談がある。イ・ソンヒには、名曲との何と不思議な縁と逸話の多いのだろう。
「分かりたいです」
月明りの夜、あなたは、誰を想いますか
夢路で、あなたは、何を見ますか
深い夜、一人醒めて、涙流しませんか
時に日記に、私のことも、記しませんか
私と逢って幸せでしたか、私の愛を信じますか
あなたを想えば、全て気掛かりです
____
一日中、私の想い、どれほど重ねますか
私本当に、あなたの、心に入りますか
雀のように、騒いでも、今でもかわいいですか
忙しいとき、電話しても、私の声嬉しいですか
私はとても綺麗ですか、心から私を愛してますか
本当に分かりたいです、話ししてください
(Youtubeに登録のhyunmi kimに感謝)
会の始まる前、イ・ソンヒの2集、3集のリマスタリング版CDを新宿のショップに依頼する。ならば入手困難な12集もリマスタリングして欲しいと願うのは、日本のファンの声、無理な話か。
ところで、一昨日の本ブログに、紹介させていただいた、大衆音楽評論家・ジャーナリストのパク・ソンソ氏の評論中に、イ・ソンヒの3集収録曲「分かりたいです(알고 싶어요)」(作詞ヤン・インジャ、作曲キム・ヒガプ、1986年)の成立について、直接に作詞者ヤン・インジャと作曲者キム・ヒガプとのインタビューが掲載されている。原曲の存在、歌詞の変更、そしてイ・ソンヒとの巡り会いという、いってみれば数奇で運命的なものがあった。
そればかりではない、この曲には、黄真伊(ファン・ジニ:황진이)を空想したイメージの膨らみ、漢詩まで産み出す後日談がある。イ・ソンヒには、名曲との何と不思議な縁と逸話の多いのだろう。
「分かりたいです」
月明りの夜、あなたは、誰を想いますか
夢路で、あなたは、何を見ますか
深い夜、一人醒めて、涙流しませんか
時に日記に、私のことも、記しませんか
私と逢って幸せでしたか、私の愛を信じますか
あなたを想えば、全て気掛かりです
____
一日中、私の想い、どれほど重ねますか
私本当に、あなたの、心に入りますか
雀のように、騒いでも、今でもかわいいですか
忙しいとき、電話しても、私の声嬉しいですか
私はとても綺麗ですか、心から私を愛してますか
本当に分かりたいです、話ししてください
(Youtubeに登録のhyunmi kimに感謝)
2015年3月21日土曜日
春分の日2015
「春分の日」の祝日、どんよりした空模様だ。朝、室温14℃ほどだが、思わずストーブに火を入れる。暖かさへの要求が次第に上がり、もしかしたら20℃近くになってもストーブを仕舞い込めずにいるかもしれない。年々歳々そうなっている感がする。
(本ブログ関連:”春分の日”)
本当の春はいつ、何なのか探している。梅、沈丁花、木蓮、桜を手掛かりにしてみるが、承諾できない感がある。ほのぼのとしてぬるい気配を感じながら、区切りというか、けじめというか、そんなものを求めている。
花吹雪の下、幼い子どもが桜の花びらを手にしようと走り回る姿を見るのがいい。これこそ春かもしれない。キャッキャと声して喜ぶ、あの無心さがうらやましい。おじさんの時計をもう一度巻き戻してくれるようだ。
天気図の前線は心配だが、花のそれはよい。桜の北上が待ち遠しい。
(本ブログ関連:”春分の日”)
本当の春はいつ、何なのか探している。梅、沈丁花、木蓮、桜を手掛かりにしてみるが、承諾できない感がある。ほのぼのとしてぬるい気配を感じながら、区切りというか、けじめというか、そんなものを求めている。
花吹雪の下、幼い子どもが桜の花びらを手にしようと走り回る姿を見るのがいい。これこそ春かもしれない。キャッキャと声して喜ぶ、あの無心さがうらやましい。おじさんの時計をもう一度巻き戻してくれるようだ。
天気図の前線は心配だが、花のそれはよい。桜の北上が待ち遠しい。
2015年3月20日金曜日
(資料)「【パク・ソンソ評論】 韓国最高のディーヴァ、イ・ソンヒを再び聞く」
今年1月、イ・ソンヒが1984年の「江辺歌謡祭」に登場して翌年発表した第1集アルバム「あ! 昔よ(아! 옛날이여)」(1985年)のリマスター版(JCDS0824)が発売された。そのとき、このアルバムについて解説された記事がネットにあって、本ブログに紹介させていただいた。
(本ブログ関連:”(資料)イ・ソンヒ「1集(REMASTERING ALBUM)」の紹介”)
(重複部分である第1集リマスター版の解説部分は上記リンク先を示してあるので、後述部分を次のように載せていただく。感謝)
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「8090熱風(80年代、90年代ブーム)」と共に「イ・ソンヒ再び聞くブーム」 - デビュー30年、イ・ソンヒのデビュー当時のレコードを再び聞き直す
改めて、「8090熱風」に加え、「イ・ソンヒの再リスニング」ブームである。
再び、歌謡界の原動力となっている、8090曲の単純な記憶の中の歌ではなく、
実際に、多くのオールドファンに思い出という新たな響きを満たしてくれている、
デビュー30年、しかし今も相変らず「少女」のような姿に透明な音色の、
そして、一層深くなった感性・・・イ・ソンヒは、ますます音楽愛好家の関心が高まる不思議な魅力の所有者だ。
特に、最近の世界的な傾向である、リマスタリング(Remastering)アルバムの発売ラッシュに合わせて、イ・ソンヒのデビュー当時のアルバム1、2、3集もすべてリマスタリング、再発売されるところになった。
このアルバムが発表された1980年代、わが国の大衆音楽界にも新しい変化を繰り返していた。
特に、当時の男女歌手の最高のスター、チョー・ヨンピルとイ・ソンヒによって、わが国大衆音楽の地図が「ポップの時代」から「歌謡の時代」に転換し始めたのがそれ。
最近のある調査で、40~50代中高年のための「土土歌(MBC「土曜日、土曜日は歌手だ」)」を作成するならば、最も見たい歌手Top3に、チョー・ヨンピル、イ・ムンセ、イ・ソンヒがそれぞれ選ばれた。
かように、彼らのその何がオールドファンを今でも熱狂させるのだろうか。
デビュー当時の、イ・ソンヒのアルバムを探して、再び聞いてみる。
(文、パク・ソンソ大衆音楽評論家、ジャーナリスト)
■ イ・ソンヒ1集、デビュー30周年を迎えるイ・ソンヒ 初のソロアルバム「あ!昔よ」
(略)本ブログ掲載の”(資料)イ・ソンヒ「1集(REMASTERING ALBUM)」の紹介”に相当します。
■ イ・ソンヒ2集 イ・ソンヒ再発見、10代若者のスターから万人の恋人に浮上する
「イ・ソンヒ2集」は、無限の変化を繰り返している、現在のイ・ソンヒに最も近いアバター(avatar)だ。現在のイ・ソンヒの歌には慣れ親しんでいるものの、初期の歌が多少馴染み薄い今の世代、すなわちニンジン(イ・ソンヒのファンクラブ)たちには、「デジャヴ(既視感、deja vu)」が強く感じられそうだ。様々なジャンルの歌でも、「絶対音感の所有者」という評価とともに、シンガーソングライターとしての第一歩を踏み出したアルバムだからである。
1984年、デビュー初年、MBC 10代歌手賞、新人賞、最高人気歌謡賞を総なめし、3冠王に上がったイ・ソンヒ、これに対し専属会社<地球(レコード)>は、「10代だけのスター」から「全国民的に愛を受ける歌手」にするために、ソン・ジュホ作曲の歌で満ちあふれた「1集」からの軌道を旋回、当時のヒットメーカー作家を大挙参加させて、二番目のレコード制作に入る。
「秋の風(갈바람)」(チョン・ウンイ作詞、ナム・グクイン作曲)、「ケンチャナ(괜찮아、大丈夫)」(パク・ゴンホ、イ・ボムヒ)、「貧しい恋人のために(가난한 연인을 위하여)」(イ・ギョンミ、イ・ヒョンソプ)、「ソウルの夜(서울의 밤)」(ハ・ジヨウン、イ・ホジュン)、「そうです、誤りは私にあります(그래요, 잘못은 내게 있어요)」(チュ・セホ、チョン・ギョンチョン)などをはじめとして、イ・ソンヒ本人作曲の「風の中で(바람 속에서)」まで。
「デビューから5ヶ月だけで、10代歌手賞を受賞するほどの大型歌手としての力量が十分だったんですよ。音感も非常に良かったし。そして、『江辺歌謡祭の1等』より、『歌謡界全体の1等』を作らなければならないという考えでヒットメーカーを動員、様々なジャンルで幅を広げましたよ。また、本人が直接作った曲はもちろん、(イ・ソンヒ)本人が歌いたいと持ってきた『後悔(후회)』まで多様に収録しました。」と、アルバムA&R(Artist&Repertoire)を務めたイム・ソクホ、当時文芸部長の言葉だ。このように幅広いジャンルを試みた「イ・ソンヒ再誕生プロジェクト」は、すぐに続く3集の収録曲「分かりたいです(알고 싶어요)」(ヤン・インジャ作詞、キム・ヒガプ作曲)などで絶頂に達する。
去る2012年、イ・ソンヒはある媒体とのインタビューでこのように明らかにした。 「これ(2012年)まで、音楽的関心や趣向がずっと変わってきましたよ。子供の頃は、音楽の海が無尽蔵なことをそこまで知らなかった。しかし、デビュー以来、私が手にしたものが全てではないということに気づいたでしょう。意地がちょっと強いけれど、心を開いて受け入れるのも分かります。他の人たちがこの音楽が好きだ、あなたのものにしてみろ・・・ そのように薦めれば、ためらわず受け入れました。」
作曲家なら誰も曲を与えたいこのシンデレラについて、「2集」参加の作家はこのように評価する。
「声において非常に原則的な歌手です。基本的な発声、正確な拍子はもちろん、感情を節制しながらも、音そのものを堅固に出す、きれいな声を持った歌手でしょう。そういう少女的感性を生かしたくて『そうです、誤りは私にあります』の歌詞を書きましたよ。」 - 作曲家チュ・セホ。
「歌詞と意を正確に伝達する優れた歌手です。歌詞の感情を適切に表現する点も高く評価したいです。」 - 作詞家イ・ギョンミ。
「音色自体に豊かな感性が含まれている不思議な魅力の所有者でしょう。中 - 低 - 高音域、どの音域でもブレのない歌唱力、そのような利点を生かしてあげたくて、『貧しい恋人のために』と『希望(소망)』を作りましたよ。」 - 作曲家イ・ヒョンソプ。
今から30年前の85年11月に発売された、このレコードジャケットとジャケットに入っているブロマイドも当時話題になった。俗称「おばさん(アジュンマ)パーマ」という、いわゆる「滝(폭포)パーマスタイル」で、<江辺歌謡祭>に初めて姿を現したイ・ソンヒが、いつのまにか10代の少女たちに「イ・ソンヒそっくり(따라하기)ブーム」を起こらせた、「トンボ眼鏡にカットヘヤのキャラクター」を存分に誇ったアルバムだからである。この写真は、現在のドキュメンタリー写真家キム・ヨンボムが当時ファッションとロマンのメッカであった梨大(梨花女子大)入口を巡って撮影したものである。
純粋さ、それ以上この歌に込められてまだドキドキがそのまま感じられる、イ・ソンヒだけのアナログ的感性、その深い響きがファンにどのような感動的に近付くかとても気になる。
■ イ・ソンヒ3集、最高のArtistが集まって作ったイ・ソンヒの力作、その美しいラブソング
新たに「8090熱風」と共に、「イ・ソンヒの再リスニング」ブームだ。耳を傾けるほど、清らかで透明な音色に盛り込められている感性の深さが違うためだ。再び歌謡界の原動力となっている8090曲の、単純な記憶の中の歌ではなく、実際に多くの人々にとって思い出となり、80年代と90年代をまた他の響きで満たしてくれている。
このアルバムが初めて発売された1986年11月、大衆音楽界も新しい変化を重ねていた。特に、当時の男女歌手最高のスター、チョー・ヨンピルとイ・ソンヒなどによって、韓国大衆音楽の支配権が「ポップの時代」から「歌謡の時代」に転換し始めたのがそれ。
「イ・ソンヒブーム」を起こしたこのアルバムは、当時の最高のアーティストたちが大挙参加した力作である。そのラインナップを見ると、「A&R(Artist&Repertoire)_イム・ソクホ/ Violin_キム・ドンソク/キム・ジョンサン、イ・グァンイル、チョン・ミョンジャ、キ・ムユソン、シン・ユミ/ Cello_クォン・スミ、ペク・ンオク/ Guitar_イ・ユシン、キム・グァンソク/ Keyboard&Synthesizer_キム・ヨンニョン、キム・ジョンテク/ Bass_イ・スヨン/ Drums_ペ・スヨン/指揮_オ・チス/ Recording&Mixing_イ・テギョン、チャン・インソク/ Cutting_チャン・ジョングァン/ Photo_ホ・ジョンテ/ Design_ファン・チョルジュン」。
「10代スター」から「万人の恋人」として位置づけになる2集に続き、3集も当時のヒットメーカーたちが大挙アルバムに参加した。作曲家キム・ヒガプ、ナム・ククイン、イ・ボムヒ、チェ・ジョンヒョクを始め、ロックスタイルの実験的な音楽を追求していたキム・ホンタク、ユン・フイジュンはもちろん、「大学歌謡祭」出身の大学生作曲家まで、例えば、プロからアマチュアまでの様々な音楽ジャンルが共存するアルバムなのである。
「Young(영)」、「涙(눈물)」に加え、イ・ソンヒ3集の中で最も注目された曲は、やはり「分かりたいです(알고 싶어요)」だ。今でも最もソンヒらしいという評価を受けるの歌でもある。
■ 名コンビ「ヤン・インジャとキム・ヒガプのカップル」が歌詞とメロディーでやりとりした世紀のラブレター、「分かりたいです」
▼先に発表した「Jへ(J에게)」と「あ!昔よ」がそうであったように、「分かりたいです」もイ・ソンヒにに来て新たに生まれた歌だ。この歌は、これより先に1978年、「秋の木々の間で(가을나무 사이로)」(キム・ヒガプ作詞・作曲、キム・イルウ*歌)というタイトルで、すでに発表された歌だ。題名と歌詞を変えて「分かりたいです」に再誕生させた作詞家ヤン・インジャさんに、当時の逸話を聞いてみた。
(*)「秋の木々の間で」を歌った歌手を、1984年にイ・スンジェ(이승재)と紹介する記述がある(チェ・ギュソン大衆文化評論家)。上記によれば、1978年発表とのことで更に以前になる。
(本ブログ関連:”分かりたいです”)
「1985年、仕事のためにキム・ヒガプ先生のお宅に行くことになりました。その日、音楽を一つ聞かせてくれましたが、『秋の木々の間で』という歌でしたね。メロディーが美しくて寂しい歌詞と合わないようだといったところ、それでは歌詞を新しく書いてみろとおっしゃったのです。それで歌詞を書こうと、あれこれと思って考えているちょうど、ラジオでエルヴィス・プレスリーの「Are You Lonesome Tonight」が流れて出てきました。注意深く聞いてみたら、歌詞が最初から最後まで、質問形式ですよね。だから私も質問だけの歌詞を一度作ってみよう、と思って作った歌です。」
しかし、しばらくの間、「分かりたいです」の歌詞は、キム・ヒガプ先生の引き出しの中でただ眠っていた。 「わけもなく一人で恥ずかしかったんですって。本当にまれことでしょうか? そうなのかも知らずに、私は、なぜ吹き込まないかとずっと尋ねたところ、そのたびに『しなければならないですね・・・』といって言葉を濁したんですね。」
▼歌詞を歌詞以上に考えたためなのか、当時の状況をキム・ヒガプ先生に直接聞いてみた。
「歌詞を受けてみると、率直な感情のままに直接的話法で表現しましたよ。なぜか瞬間恥ずかしい思いをした。何か一言いわなければならないではないか、という考えにぎこちない気分にもなって・・・だから、慌てて引き出しの中のうち閉じ込めて置きましたよ。そうしている間、イ・ソンヒの新しいアルバムに入れる曲を頼まれ、ヤン・インジャさんに歌を作ろうといったところ、「分かりたいです」こそイ・ソンヒにぴったり、なのに何をまたか・・・ってね。そして、しぶしぶ持っていった楽譜でした。最初はアルバムの裏に、それも三番目に挟んで入れたが皆がこの曲が良いということでしょう。いやはや・・・」
歌詞が、歌の理性ならばメロディーは歌の感性だ。その感性と理性に、イ・ソンヒのいきいきとして暗い影のない感情がさらに作用して、この歌は、発表直後の1987年当時、KBS「歌謡トップ10」の5週連続1位を取ってゴールデンカップを占めており、「You」、「闇は晴れて(어둠은 걷히고)」、「清らかな愛(청아한 사랑)」などと一緒に、イ・ソンヒに1987年ゴールデン・ディスク賞を与えた。
瞬く間に「万人の恋歌」に位置したこの歌(「分かりたいです」)は、その後、おしどり夫婦であり名コンビの「キム・ヒガプ - ヤン・インジャカップル」の結婚式の祝歌でも歌われた。新郎側の祝歌はブルーベルジュの「私の人生後悔はありませんが(내 인생 후회는 없지만)」、そして新婦側の祝歌がまさにこの歌「分かりたいです」であった。祝歌は、イ・ソンヒが直接歌った。
「イ・ソンヒを念頭に置いた歌詞とメロディー・・・イ・ソンヒは、私が望んだ私の姿の完成でした。歌が良いだけ考えも正しくて尊敬すべき部分が多い歌手ですよ。」ヤン・インジャさんのイ・ソンヒの評価がそうであるよう結論的に、この歌は、歌詞とメロディーでやりとりした「世紀のラブレター」であり、両方の結婚式場で祝歌に歌われた「愛のセレナーデ」になったわけである。一方、裏面のタイトル曲「遅れました(늦었어요)」は、ヤン・インジャさんが執筆したラジオドラマ「朝霧(아침안개)」の主題歌だ。
パワフルなロックスタイルの唱法がそっくりそのまま盛られている曲「もう離れなくちゃ(이제는 떠나야지)」と「暗闇を経て(어둠은 거치고)」もやはり、イ・ソンヒのもう一つの魅力が存分に引き立つ曲だ。
「歌唱力とフィーリング、そしてあや(彩)という三拍子を兼ね備えた歌手ですよ。特にイ・ソンヒのパワフルな歌唱力を生かすために、ソウル・シンガーのアレサ・フランクリン(Aretha Franklin)の歌を集中して聞きました。もちろん、イ・ソンヒはその時も見事だったが、時間が経つにつれ、より良い歌手になるだろう、こういう考えたこと思い出します。」 -「もう離れなくちゃ」の作曲家キム・ホンタク(He5、He6のリーダー)の言葉だ。
また、「その表情の意味(그 표정의 의미)」と「別れは本当に難しいです(이별은 정말로 어려워요)」は、1980年の「大学歌謡祭」に「厄払い(푸닥거리)」で参加した「ジプシー」のメンバーのヤン・シチュンが作った曲である。そのように、このアルバムを通じて当時の最高のヒットメーカーと、純粋な大学生作曲家たちが一緒に参加し、イ・ソンヒの隠れた魅力を多様に表出させている。
トップ・アーティストたちが参加したこのアルバムがリマスター作業を経て、原音そのままの音が蘇ったことも意味が大きい。まるで虫眼鏡で見るように声が、そして歌うシーンが歳月の厚さを退けて、まるで目の前に見えるようだ。アナログ的感性をそっくりそのまま再現した、30年前のこの曲は、母と娘の世代を分ける境界線ではなく、一緒に聞いても良い曲に生まれ変わるだろう。
デビュー30周年を経た今もまだ「少女」のような姿にきれいな透明な音色、そしてさらに深くなった感性・・・ますます関心が高まる不思議な魅力の持ち主、イ・ソンヒ。
「思い出はすべてを記憶できるが、記憶は全て思い出しきれない・・・」とか。しかし、長年の記憶の中で蘇る深い響き、鮮やかな現場の音を通じて、単に記憶される歌ではなく、多くの人々に、より大切な思い出としての地位になることを期待してみる。NM(NewsMaker)
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(付記)
イ・ソンヒの1集リマスタリングアルバムを手にしていた・・・ところ、なんと2集、3集もリマスタリングしているというではないか。ネットで調べると確かにある・・・また、新宿に行かねばならない。
(本ブログ関連:”(資料)イ・ソンヒ「1集(REMASTERING ALBUM)」の紹介”)
大衆音楽評論家・ジャーナリストのパク・ソンソ氏の評論で、リマスター版登場の意義を、彼女の衝撃的なデビューとその才能、国民からの支持について、振り返る意味で記されたものだ。
イ・ソンヒの初期アルバムが、続けてリマスタリングされている2集、3集についても、以下の記事のようにパク・ソンソ氏の評論がなされている。イ・ソンヒの2集以降、デビュー当時の活躍も含めて論評が、NewsMakerの記事、「【パク・ソンソ評論】現 大韓民国 最高のディーヴァ(歌姫)、イ・ソンヒを再び聞く」(3/5)として掲載されている。
特に、イ・ソンヒ最大級のヒット曲である「分かりたいです」登場に直接関わった作詞家、作曲家とのインタビューもあり大変興味深い記事になっている。
イ・ソンヒの初期アルバムが、続けてリマスタリングされている2集、3集についても、以下の記事のようにパク・ソンソ氏の評論がなされている。イ・ソンヒの2集以降、デビュー当時の活躍も含めて論評が、NewsMakerの記事、「【パク・ソンソ評論】現 大韓民国 最高のディーヴァ(歌姫)、イ・ソンヒを再び聞く」(3/5)として掲載されている。
特に、イ・ソンヒ最大級のヒット曲である「分かりたいです」登場に直接関わった作詞家、作曲家とのインタビューもあり大変興味深い記事になっている。
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「8090熱風(80年代、90年代ブーム)」と共に「イ・ソンヒ再び聞くブーム」 - デビュー30年、イ・ソンヒのデビュー当時のレコードを再び聞き直す
改めて、「8090熱風」に加え、「イ・ソンヒの再リスニング」ブームである。
再び、歌謡界の原動力となっている、8090曲の単純な記憶の中の歌ではなく、
実際に、多くのオールドファンに思い出という新たな響きを満たしてくれている、
デビュー30年、しかし今も相変らず「少女」のような姿に透明な音色の、
そして、一層深くなった感性・・・イ・ソンヒは、ますます音楽愛好家の関心が高まる不思議な魅力の所有者だ。
特に、最近の世界的な傾向である、リマスタリング(Remastering)アルバムの発売ラッシュに合わせて、イ・ソンヒのデビュー当時のアルバム1、2、3集もすべてリマスタリング、再発売されるところになった。
このアルバムが発表された1980年代、わが国の大衆音楽界にも新しい変化を繰り返していた。
特に、当時の男女歌手の最高のスター、チョー・ヨンピルとイ・ソンヒによって、わが国大衆音楽の地図が「ポップの時代」から「歌謡の時代」に転換し始めたのがそれ。
最近のある調査で、40~50代中高年のための「土土歌(MBC「土曜日、土曜日は歌手だ」)」を作成するならば、最も見たい歌手Top3に、チョー・ヨンピル、イ・ムンセ、イ・ソンヒがそれぞれ選ばれた。
かように、彼らのその何がオールドファンを今でも熱狂させるのだろうか。
デビュー当時の、イ・ソンヒのアルバムを探して、再び聞いてみる。
(文、パク・ソンソ大衆音楽評論家、ジャーナリスト)
■ イ・ソンヒ1集、デビュー30周年を迎えるイ・ソンヒ 初のソロアルバム「あ!昔よ」
(略)本ブログ掲載の”(資料)イ・ソンヒ「1集(REMASTERING ALBUM)」の紹介”に相当します。
■ イ・ソンヒ2集 イ・ソンヒ再発見、10代若者のスターから万人の恋人に浮上する
「イ・ソンヒ2集」は、無限の変化を繰り返している、現在のイ・ソンヒに最も近いアバター(avatar)だ。現在のイ・ソンヒの歌には慣れ親しんでいるものの、初期の歌が多少馴染み薄い今の世代、すなわちニンジン(イ・ソンヒのファンクラブ)たちには、「デジャヴ(既視感、deja vu)」が強く感じられそうだ。様々なジャンルの歌でも、「絶対音感の所有者」という評価とともに、シンガーソングライターとしての第一歩を踏み出したアルバムだからである。
1984年、デビュー初年、MBC 10代歌手賞、新人賞、最高人気歌謡賞を総なめし、3冠王に上がったイ・ソンヒ、これに対し専属会社<地球(レコード)>は、「10代だけのスター」から「全国民的に愛を受ける歌手」にするために、ソン・ジュホ作曲の歌で満ちあふれた「1集」からの軌道を旋回、当時のヒットメーカー作家を大挙参加させて、二番目のレコード制作に入る。
「秋の風(갈바람)」(チョン・ウンイ作詞、ナム・グクイン作曲)、「ケンチャナ(괜찮아、大丈夫)」(パク・ゴンホ、イ・ボムヒ)、「貧しい恋人のために(가난한 연인을 위하여)」(イ・ギョンミ、イ・ヒョンソプ)、「ソウルの夜(서울의 밤)」(ハ・ジヨウン、イ・ホジュン)、「そうです、誤りは私にあります(그래요, 잘못은 내게 있어요)」(チュ・セホ、チョン・ギョンチョン)などをはじめとして、イ・ソンヒ本人作曲の「風の中で(바람 속에서)」まで。
「デビューから5ヶ月だけで、10代歌手賞を受賞するほどの大型歌手としての力量が十分だったんですよ。音感も非常に良かったし。そして、『江辺歌謡祭の1等』より、『歌謡界全体の1等』を作らなければならないという考えでヒットメーカーを動員、様々なジャンルで幅を広げましたよ。また、本人が直接作った曲はもちろん、(イ・ソンヒ)本人が歌いたいと持ってきた『後悔(후회)』まで多様に収録しました。」と、アルバムA&R(Artist&Repertoire)を務めたイム・ソクホ、当時文芸部長の言葉だ。このように幅広いジャンルを試みた「イ・ソンヒ再誕生プロジェクト」は、すぐに続く3集の収録曲「分かりたいです(알고 싶어요)」(ヤン・インジャ作詞、キム・ヒガプ作曲)などで絶頂に達する。
去る2012年、イ・ソンヒはある媒体とのインタビューでこのように明らかにした。 「これ(2012年)まで、音楽的関心や趣向がずっと変わってきましたよ。子供の頃は、音楽の海が無尽蔵なことをそこまで知らなかった。しかし、デビュー以来、私が手にしたものが全てではないということに気づいたでしょう。意地がちょっと強いけれど、心を開いて受け入れるのも分かります。他の人たちがこの音楽が好きだ、あなたのものにしてみろ・・・ そのように薦めれば、ためらわず受け入れました。」
作曲家なら誰も曲を与えたいこのシンデレラについて、「2集」参加の作家はこのように評価する。
「声において非常に原則的な歌手です。基本的な発声、正確な拍子はもちろん、感情を節制しながらも、音そのものを堅固に出す、きれいな声を持った歌手でしょう。そういう少女的感性を生かしたくて『そうです、誤りは私にあります』の歌詞を書きましたよ。」 - 作曲家チュ・セホ。
「歌詞と意を正確に伝達する優れた歌手です。歌詞の感情を適切に表現する点も高く評価したいです。」 - 作詞家イ・ギョンミ。
「音色自体に豊かな感性が含まれている不思議な魅力の所有者でしょう。中 - 低 - 高音域、どの音域でもブレのない歌唱力、そのような利点を生かしてあげたくて、『貧しい恋人のために』と『希望(소망)』を作りましたよ。」 - 作曲家イ・ヒョンソプ。
今から30年前の85年11月に発売された、このレコードジャケットとジャケットに入っているブロマイドも当時話題になった。俗称「おばさん(アジュンマ)パーマ」という、いわゆる「滝(폭포)パーマスタイル」で、<江辺歌謡祭>に初めて姿を現したイ・ソンヒが、いつのまにか10代の少女たちに「イ・ソンヒそっくり(따라하기)ブーム」を起こらせた、「トンボ眼鏡にカットヘヤのキャラクター」を存分に誇ったアルバムだからである。この写真は、現在のドキュメンタリー写真家キム・ヨンボムが当時ファッションとロマンのメッカであった梨大(梨花女子大)入口を巡って撮影したものである。
純粋さ、それ以上この歌に込められてまだドキドキがそのまま感じられる、イ・ソンヒだけのアナログ的感性、その深い響きがファンにどのような感動的に近付くかとても気になる。
■ イ・ソンヒ3集、最高のArtistが集まって作ったイ・ソンヒの力作、その美しいラブソング
新たに「8090熱風」と共に、「イ・ソンヒの再リスニング」ブームだ。耳を傾けるほど、清らかで透明な音色に盛り込められている感性の深さが違うためだ。再び歌謡界の原動力となっている8090曲の、単純な記憶の中の歌ではなく、実際に多くの人々にとって思い出となり、80年代と90年代をまた他の響きで満たしてくれている。
このアルバムが初めて発売された1986年11月、大衆音楽界も新しい変化を重ねていた。特に、当時の男女歌手最高のスター、チョー・ヨンピルとイ・ソンヒなどによって、韓国大衆音楽の支配権が「ポップの時代」から「歌謡の時代」に転換し始めたのがそれ。
「イ・ソンヒブーム」を起こしたこのアルバムは、当時の最高のアーティストたちが大挙参加した力作である。そのラインナップを見ると、「A&R(Artist&Repertoire)_イム・ソクホ/ Violin_キム・ドンソク/キム・ジョンサン、イ・グァンイル、チョン・ミョンジャ、キ・ムユソン、シン・ユミ/ Cello_クォン・スミ、ペク・ンオク/ Guitar_イ・ユシン、キム・グァンソク/ Keyboard&Synthesizer_キム・ヨンニョン、キム・ジョンテク/ Bass_イ・スヨン/ Drums_ペ・スヨン/指揮_オ・チス/ Recording&Mixing_イ・テギョン、チャン・インソク/ Cutting_チャン・ジョングァン/ Photo_ホ・ジョンテ/ Design_ファン・チョルジュン」。
「10代スター」から「万人の恋人」として位置づけになる2集に続き、3集も当時のヒットメーカーたちが大挙アルバムに参加した。作曲家キム・ヒガプ、ナム・ククイン、イ・ボムヒ、チェ・ジョンヒョクを始め、ロックスタイルの実験的な音楽を追求していたキム・ホンタク、ユン・フイジュンはもちろん、「大学歌謡祭」出身の大学生作曲家まで、例えば、プロからアマチュアまでの様々な音楽ジャンルが共存するアルバムなのである。
「Young(영)」、「涙(눈물)」に加え、イ・ソンヒ3集の中で最も注目された曲は、やはり「分かりたいです(알고 싶어요)」だ。今でも最もソンヒらしいという評価を受けるの歌でもある。
■ 名コンビ「ヤン・インジャとキム・ヒガプのカップル」が歌詞とメロディーでやりとりした世紀のラブレター、「分かりたいです」
▼先に発表した「Jへ(J에게)」と「あ!昔よ」がそうであったように、「分かりたいです」もイ・ソンヒにに来て新たに生まれた歌だ。この歌は、これより先に1978年、「秋の木々の間で(가을나무 사이로)」(キム・ヒガプ作詞・作曲、キム・イルウ*歌)というタイトルで、すでに発表された歌だ。題名と歌詞を変えて「分かりたいです」に再誕生させた作詞家ヤン・インジャさんに、当時の逸話を聞いてみた。
(*)「秋の木々の間で」を歌った歌手を、1984年にイ・スンジェ(이승재)と紹介する記述がある(チェ・ギュソン大衆文化評論家)。上記によれば、1978年発表とのことで更に以前になる。
(本ブログ関連:”分かりたいです”)
「1985年、仕事のためにキム・ヒガプ先生のお宅に行くことになりました。その日、音楽を一つ聞かせてくれましたが、『秋の木々の間で』という歌でしたね。メロディーが美しくて寂しい歌詞と合わないようだといったところ、それでは歌詞を新しく書いてみろとおっしゃったのです。それで歌詞を書こうと、あれこれと思って考えているちょうど、ラジオでエルヴィス・プレスリーの「Are You Lonesome Tonight」が流れて出てきました。注意深く聞いてみたら、歌詞が最初から最後まで、質問形式ですよね。だから私も質問だけの歌詞を一度作ってみよう、と思って作った歌です。」
しかし、しばらくの間、「分かりたいです」の歌詞は、キム・ヒガプ先生の引き出しの中でただ眠っていた。 「わけもなく一人で恥ずかしかったんですって。本当にまれことでしょうか? そうなのかも知らずに、私は、なぜ吹き込まないかとずっと尋ねたところ、そのたびに『しなければならないですね・・・』といって言葉を濁したんですね。」
▼歌詞を歌詞以上に考えたためなのか、当時の状況をキム・ヒガプ先生に直接聞いてみた。
「歌詞を受けてみると、率直な感情のままに直接的話法で表現しましたよ。なぜか瞬間恥ずかしい思いをした。何か一言いわなければならないではないか、という考えにぎこちない気分にもなって・・・だから、慌てて引き出しの中のうち閉じ込めて置きましたよ。そうしている間、イ・ソンヒの新しいアルバムに入れる曲を頼まれ、ヤン・インジャさんに歌を作ろうといったところ、「分かりたいです」こそイ・ソンヒにぴったり、なのに何をまたか・・・ってね。そして、しぶしぶ持っていった楽譜でした。最初はアルバムの裏に、それも三番目に挟んで入れたが皆がこの曲が良いということでしょう。いやはや・・・」
歌詞が、歌の理性ならばメロディーは歌の感性だ。その感性と理性に、イ・ソンヒのいきいきとして暗い影のない感情がさらに作用して、この歌は、発表直後の1987年当時、KBS「歌謡トップ10」の5週連続1位を取ってゴールデンカップを占めており、「You」、「闇は晴れて(어둠은 걷히고)」、「清らかな愛(청아한 사랑)」などと一緒に、イ・ソンヒに1987年ゴールデン・ディスク賞を与えた。
瞬く間に「万人の恋歌」に位置したこの歌(「分かりたいです」)は、その後、おしどり夫婦であり名コンビの「キム・ヒガプ - ヤン・インジャカップル」の結婚式の祝歌でも歌われた。新郎側の祝歌はブルーベルジュの「私の人生後悔はありませんが(내 인생 후회는 없지만)」、そして新婦側の祝歌がまさにこの歌「分かりたいです」であった。祝歌は、イ・ソンヒが直接歌った。
「イ・ソンヒを念頭に置いた歌詞とメロディー・・・イ・ソンヒは、私が望んだ私の姿の完成でした。歌が良いだけ考えも正しくて尊敬すべき部分が多い歌手ですよ。」ヤン・インジャさんのイ・ソンヒの評価がそうであるよう結論的に、この歌は、歌詞とメロディーでやりとりした「世紀のラブレター」であり、両方の結婚式場で祝歌に歌われた「愛のセレナーデ」になったわけである。一方、裏面のタイトル曲「遅れました(늦었어요)」は、ヤン・インジャさんが執筆したラジオドラマ「朝霧(아침안개)」の主題歌だ。
パワフルなロックスタイルの唱法がそっくりそのまま盛られている曲「もう離れなくちゃ(이제는 떠나야지)」と「暗闇を経て(어둠은 거치고)」もやはり、イ・ソンヒのもう一つの魅力が存分に引き立つ曲だ。
「歌唱力とフィーリング、そしてあや(彩)という三拍子を兼ね備えた歌手ですよ。特にイ・ソンヒのパワフルな歌唱力を生かすために、ソウル・シンガーのアレサ・フランクリン(Aretha Franklin)の歌を集中して聞きました。もちろん、イ・ソンヒはその時も見事だったが、時間が経つにつれ、より良い歌手になるだろう、こういう考えたこと思い出します。」 -「もう離れなくちゃ」の作曲家キム・ホンタク(He5、He6のリーダー)の言葉だ。
また、「その表情の意味(그 표정의 의미)」と「別れは本当に難しいです(이별은 정말로 어려워요)」は、1980年の「大学歌謡祭」に「厄払い(푸닥거리)」で参加した「ジプシー」のメンバーのヤン・シチュンが作った曲である。そのように、このアルバムを通じて当時の最高のヒットメーカーと、純粋な大学生作曲家たちが一緒に参加し、イ・ソンヒの隠れた魅力を多様に表出させている。
トップ・アーティストたちが参加したこのアルバムがリマスター作業を経て、原音そのままの音が蘇ったことも意味が大きい。まるで虫眼鏡で見るように声が、そして歌うシーンが歳月の厚さを退けて、まるで目の前に見えるようだ。アナログ的感性をそっくりそのまま再現した、30年前のこの曲は、母と娘の世代を分ける境界線ではなく、一緒に聞いても良い曲に生まれ変わるだろう。
デビュー30周年を経た今もまだ「少女」のような姿にきれいな透明な音色、そしてさらに深くなった感性・・・ますます関心が高まる不思議な魅力の持ち主、イ・ソンヒ。
「思い出はすべてを記憶できるが、記憶は全て思い出しきれない・・・」とか。しかし、長年の記憶の中で蘇る深い響き、鮮やかな現場の音を通じて、単に記憶される歌ではなく、多くの人々に、より大切な思い出としての地位になることを期待してみる。NM(NewsMaker)
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(付記)
イ・ソンヒの1集リマスタリングアルバムを手にしていた・・・ところ、なんと2集、3集もリマスタリングしているというではないか。ネットで調べると確かにある・・・また、新宿に行かねばならない。
2015年3月19日木曜日
(雑談)言葉のギャグ
言葉遊びをする。高尚な熟語や、生活の知恵の俚諺にうなづきつつ、それだけが全てじゃないよ、逆だってあるよといったこと。文字や順番を入れ替えてみれば、日常こんなことざらにある。
・面従腹背 ⇒ 面背腹従 : 酒を飲むと「こんな会社、辞めてやる」といいながら、翌日ケロリと出社する者。
・木を見て森を見ず ⇒ 森を見て木を見ず : 一見聡明な総論ばかりで、仕事の積み重ねができない者。
ちょっとした言葉使いや思い込みに過ぎぬ、そのとき、その時代の一瞬の判断なのだろうけど、異なる立場になって知ること。
・自分は違う ⇒ みなと一緒 : 若い頃の自分の写真を見てやっと気付く。
・若いくせに ⇒ 年寄りのくせに : みないずれ同じ墓場に行くくせに。
最後に、蟻の親方の「お前は賢いか?」との問いかけに答えたら、言われたひとこと。
・「はい」と答えたら ⇒ 「だったら黙っていろ」
・「いや」と答えたら ⇒ 「だったら黙っていろ」
・面従腹背 ⇒ 面背腹従 : 酒を飲むと「こんな会社、辞めてやる」といいながら、翌日ケロリと出社する者。
・木を見て森を見ず ⇒ 森を見て木を見ず : 一見聡明な総論ばかりで、仕事の積み重ねができない者。
ちょっとした言葉使いや思い込みに過ぎぬ、そのとき、その時代の一瞬の判断なのだろうけど、異なる立場になって知ること。
・自分は違う ⇒ みなと一緒 : 若い頃の自分の写真を見てやっと気付く。
・若いくせに ⇒ 年寄りのくせに : みないずれ同じ墓場に行くくせに。
最後に、蟻の親方の「お前は賢いか?」との問いかけに答えたら、言われたひとこと。
・「はい」と答えたら ⇒ 「だったら黙っていろ」
・「いや」と答えたら ⇒ 「だったら黙っていろ」
2015年3月18日水曜日
彼岸2015
今日から彼岸の入り。春分の日(3/21)の前後に3日を置いて、一週間を「彼岸」とする。春と秋の2回あるが、地元に檀家となる寺もなく、街全体同じ空気があるわけではない。
いまとなっては、彼岸の行事は田舎のような共同性というか、同じリズムの生活空間の中でしか実感できないのかもしれない。
ところで、彼岸は仏教の言葉としてだけでなく、以前は強い転換場所の意にも使われていたが・・・今、流行らないのかもしれない。パラダイムシフトも一頃ほど使われていないし。
気温10℃を寒暖の境界に考えていたが、このところの暖かさに、境界を20℃に上げたい気がする。彼岸の境地とはほど遠い、楽な方に流れてしまう。欲にきりがない。
・・・結論が、すべて「~ない」になっている。煩悩のまま。
いまとなっては、彼岸の行事は田舎のような共同性というか、同じリズムの生活空間の中でしか実感できないのかもしれない。
ところで、彼岸は仏教の言葉としてだけでなく、以前は強い転換場所の意にも使われていたが・・・今、流行らないのかもしれない。パラダイムシフトも一頃ほど使われていないし。
気温10℃を寒暖の境界に考えていたが、このところの暖かさに、境界を20℃に上げたい気がする。彼岸の境地とはほど遠い、楽な方に流れてしまう。欲にきりがない。
・・・結論が、すべて「~ない」になっている。煩悩のまま。
KBS WORLD「国楽の世界へ」 林悌と妓生
KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(3/11)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第96回として、朝鮮時代中期の文人、林悌(임제、1549年~1587年)と、妓生(기생)の寒雨(한우)にまつわる話を紹介した。
始めに、文人林悌と妓生(黄眞伊、寒雨)との関わりについて次のように紹介された。
・文人、林悌が官職に就き地方へ向かうとき、当時最高の妓生といわれた黄眞伊(황진이、1506年?~1567年?)の墓を通りがかり、立ち止まって墓前に酒を注いだ。彼は黄眞伊の墓前で詩作した。<美しい顔は消え去って骨だけが残り、墓の前で酒を注いでも何の意味があるだろう>という内容だ。最高のロマンチストと言われた訳だが、人目を重視する上層の両班(양반)社会で大変なことになる。これが朝廷に伝わり、任地に到着せずして彼は免職となる。
・他にも有名な逸話がある。林悌は、妓生の寒雨と出会い、自ら詩を作る。<北の空が晴れているから出かけたものの、山には雪が降り、野原には雨が降る。濡れてしまったけれど、このまま眠るしかないだろう>というものだ。
▼ 林悌の詩から「北の空が晴れているから(북천이 맑다커늘)」の歌を聴く。詩を素材に昔話風にした今様である。
次に、林悌の詩に対する妓生寒雨の返詩について次のように説明された。
・林悌の詩の、空が晴れているのに、雪や雨が降って困るの意は、詩作のとき出会った寒雨(ハヌ、한우)の名に由来する。雨に濡れたまま眠るというのは、寒雨に自分を受け取ってくれるか尋ねることであり、これに対し寒雨も詩を作り、<枕と絹布団があるから、寒いところで寝ないで暖かくして寝てください>と答えた。ここでいう枕は鴨に似た、鴛鴦(オシドリ)を刺繍したもので、睦まじい夫婦を意味し、夫婦が一緒に使う枕だ。絹布団も若い夫婦が使う派手な模様のもので、寒雨も心を伝え、二人は天気に例えて互いの気持ちを確認した。彼らの詩は文字で伝わっている。
▼ 寒雨が答える歌「どうして凍えて寝るのですか(어이 얼어자리)」を聴く。詩を素材に昔話風にした今様である。
最後に、パンソリ「春香歌」と林悌の早逝について次のように紹介された。
・愛の歌と言えば、(説話「春香伝(춘향전)」を伝える)パンソリ「春香歌」が定番。虎の例えで始まる。<老虎が餌を見つけたものの、歯が抜けて食べられぬ>という内容だ。愛する人を目前にして、居ても立っても居られず落ち着かぬ様子を例えたもので、わくわくしながらもためらう心を表わす。
▼ パンソリ「春香歌」から「恋歌(사랑가)」を聴く。粘り気があって・・・歌の場面が気になるけれど。
・林悌は、高官になってからも党争(당쟁、붕당)を嘆き、官職を捨て山に遊んだ。39歳で早逝するが、短い人生の中、明快で率直な作品を多く残した。
(本ブログ関連:”黄眞伊(황진이)”、”春香歌”)
始めに、文人林悌と妓生(黄眞伊、寒雨)との関わりについて次のように紹介された。
・文人、林悌が官職に就き地方へ向かうとき、当時最高の妓生といわれた黄眞伊(황진이、1506年?~1567年?)の墓を通りがかり、立ち止まって墓前に酒を注いだ。彼は黄眞伊の墓前で詩作した。<美しい顔は消え去って骨だけが残り、墓の前で酒を注いでも何の意味があるだろう>という内容だ。最高のロマンチストと言われた訳だが、人目を重視する上層の両班(양반)社会で大変なことになる。これが朝廷に伝わり、任地に到着せずして彼は免職となる。
・他にも有名な逸話がある。林悌は、妓生の寒雨と出会い、自ら詩を作る。<北の空が晴れているから出かけたものの、山には雪が降り、野原には雨が降る。濡れてしまったけれど、このまま眠るしかないだろう>というものだ。
▼ 林悌の詩から「北の空が晴れているから(북천이 맑다커늘)」の歌を聴く。詩を素材に昔話風にした今様である。
次に、林悌の詩に対する妓生寒雨の返詩について次のように説明された。
・林悌の詩の、空が晴れているのに、雪や雨が降って困るの意は、詩作のとき出会った寒雨(ハヌ、한우)の名に由来する。雨に濡れたまま眠るというのは、寒雨に自分を受け取ってくれるか尋ねることであり、これに対し寒雨も詩を作り、<枕と絹布団があるから、寒いところで寝ないで暖かくして寝てください>と答えた。ここでいう枕は鴨に似た、鴛鴦(オシドリ)を刺繍したもので、睦まじい夫婦を意味し、夫婦が一緒に使う枕だ。絹布団も若い夫婦が使う派手な模様のもので、寒雨も心を伝え、二人は天気に例えて互いの気持ちを確認した。彼らの詩は文字で伝わっている。
▼ 寒雨が答える歌「どうして凍えて寝るのですか(어이 얼어자리)」を聴く。詩を素材に昔話風にした今様である。
最後に、パンソリ「春香歌」と林悌の早逝について次のように紹介された。
・愛の歌と言えば、(説話「春香伝(춘향전)」を伝える)パンソリ「春香歌」が定番。虎の例えで始まる。<老虎が餌を見つけたものの、歯が抜けて食べられぬ>という内容だ。愛する人を目前にして、居ても立っても居られず落ち着かぬ様子を例えたもので、わくわくしながらもためらう心を表わす。
▼ パンソリ「春香歌」から「恋歌(사랑가)」を聴く。粘り気があって・・・歌の場面が気になるけれど。
・林悌は、高官になってからも党争(당쟁、붕당)を嘆き、官職を捨て山に遊んだ。39歳で早逝するが、短い人生の中、明快で率直な作品を多く残した。
(本ブログ関連:”黄眞伊(황진이)”、”春香歌”)
2015年3月17日火曜日
20℃超え
一日が暖かく、冬服は深情けのようにうっとうしく感じられた。今年最高の気温だった。春は日ごと気温を増すとしても、今日、20℃の大きな区切りを超えた。(近在で、21.1℃)
青空にまぶしく真白いハクモクレンの花を見上げながら歩を進めると、小学校の裏手になる。雨降りだった昨日のブログに記したように、沈丁花の香りを確かめに行く。垣根の陰りに咲く、花弁の縁を紅色に滲ませた白い沈丁花の花は、温い空気に甘い香りを載せて、辺りに漂わせていた。春到来を実感する。
夕方に気付くのは、陽が長くなったことだ。以前はあっという間に隠れた太陽が、西の空、家並みの続く地平の上で、日没を躊躇するように輝いている。このまま暖かくなって欲しい。
とはいえ、春は、ようやく手に入れた不老の仙人となるべき秘薬を、なんの気迷いか飲み干すことを忘れさせる隙を作るという。変化に浮かれてばかりおられぬのかもしれない。
青空にまぶしく真白いハクモクレンの花を見上げながら歩を進めると、小学校の裏手になる。雨降りだった昨日のブログに記したように、沈丁花の香りを確かめに行く。垣根の陰りに咲く、花弁の縁を紅色に滲ませた白い沈丁花の花は、温い空気に甘い香りを載せて、辺りに漂わせていた。春到来を実感する。
夕方に気付くのは、陽が長くなったことだ。以前はあっという間に隠れた太陽が、西の空、家並みの続く地平の上で、日没を躊躇するように輝いている。このまま暖かくなって欲しい。
とはいえ、春は、ようやく手に入れた不老の仙人となるべき秘薬を、なんの気迷いか飲み干すことを忘れさせる隙を作るという。変化に浮かれてばかりおられぬのかもしれない。
2015年3月16日月曜日
沈丁花
今日はせっかくのぬくもりなのに、どこか冷え冷えする。雨脚が、春雨というには勢いがあって雅趣に乏しい。これを乗り越えれば、明後日は彼岸の入り、週末は春分の日だ。
春の近づきに気になるのが、沈丁花の花の香りだ。それがもう花弁を大きく膨らませ、一部の木々は花開いているというのに、まだ漂わないのだ。小学校の裏の垣根に咲く、この白い花を遠慮なく嗅いで見るのだが。
(本ブログ関連:”沈丁花”)
今日の雨に、沈丁花は香りを流されているかもしれない。こんな日だからこそ、石川さゆりの「沈丁花」(1978年、作詞東海林良、作曲大野克夫)の歌の始まりが思い浮かぶ。(Youtubeに登録のsui25huyoに感謝)
「降りしきる 雨の吐息に/濡れて傾く 沈丁花」、雨けぶる日には演歌がよく似合う。
このまま香りを逃してしまうのは惜しい。明日の晴れ間にもう一度出かけてみよう。
春の近づきに気になるのが、沈丁花の花の香りだ。それがもう花弁を大きく膨らませ、一部の木々は花開いているというのに、まだ漂わないのだ。小学校の裏の垣根に咲く、この白い花を遠慮なく嗅いで見るのだが。
(本ブログ関連:”沈丁花”)
今日の雨に、沈丁花は香りを流されているかもしれない。こんな日だからこそ、石川さゆりの「沈丁花」(1978年、作詞東海林良、作曲大野克夫)の歌の始まりが思い浮かぶ。(Youtubeに登録のsui25huyoに感謝)
「降りしきる 雨の吐息に/濡れて傾く 沈丁花」、雨けぶる日には演歌がよく似合う。
このまま香りを逃してしまうのは惜しい。明日の晴れ間にもう一度出かけてみよう。
2015年3月15日日曜日
SIMフリー
スマホやタブレットを持たぬ身なので、有用さが実感できない。欲しいから、必要だから物品を購入するのが購買行動だろうが、今のところそんなニーズがないのだ。
今日、SIMフリースマホの説明会に出て、キャリア販売のスマホより安価な、MVNO(昔でいうVANのような通信サービス会社)のSIMフリーサービスがあると聞いた。確かに比較すれば割安感がある。
ネットを外で見たいなら・・・という前提を聞いている内に、もやもやしてくる。ネットは自宅のPC利用で満足している。それで十分なのに、わざわざ外で(どこで?)見る必要性があるのだろうかと自問する。
周りから、スマホをせきたてられても、なかなかその気にならない。どんな場面で使うのかも、想像できないでいる。
この場合に限って、(今のまま)ガラケーじゃダメなんでしょうか? (ガラケーで、ネットもめったに見ることもないし)・・・なんとなく、早く結婚しろとせき立てられる娘さんのような心境か?
今日、SIMフリースマホの説明会に出て、キャリア販売のスマホより安価な、MVNO(昔でいうVANのような通信サービス会社)のSIMフリーサービスがあると聞いた。確かに比較すれば割安感がある。
ネットを外で見たいなら・・・という前提を聞いている内に、もやもやしてくる。ネットは自宅のPC利用で満足している。それで十分なのに、わざわざ外で(どこで?)見る必要性があるのだろうかと自問する。
周りから、スマホをせきたてられても、なかなかその気にならない。どんな場面で使うのかも、想像できないでいる。
この場合に限って、(今のまま)ガラケーじゃダメなんでしょうか? (ガラケーで、ネットもめったに見ることもないし)・・・なんとなく、早く結婚しろとせき立てられる娘さんのような心境か?
2015年3月14日土曜日
(資料) 韓国ギャラップ「韓国人が最も好きな歌手2004-2014」、イ・ソンヒ2位!
韓国ギヤラップの面接調査による「韓国人の最も好きな人」で、歌手編について、2004年と2014年の比較調査結果が以下のように報告された。感謝。(抜粋)
先に、「(資料)韓国ギャラップ調査『愛唱曲 2004-2014比較』」について本ブログに載せ、イ・ソンヒの「因縁(인연)」が、なんと7位圏に入ったことを載せた。今回は、歌手本人についての愛好度を調査するものだ。その中で、イ・ソンヒはチョー・ヨンピルの1位に次いで、2位となった。本当に素晴らしい知らせだ。
(本ブログ関連:”ギャラップ” ⇒ リンク先表示下「次の投稿」に続く)
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●韓国人が最も好きな歌手:2004年イ・ミジ李美子ャ(5.6%) → 2014年チョー・ヨンピル(7.2%)
- 2004年上位10位圏内トロット歌手6人、2014年には4人に減って
・(10月2~29日)満13才以上の男女1,700人に最も好きな歌手を聞いた結果(面接調査、自由応答)、(参考グラフの通り、上位から)チョー・ヨンピル(7.2%)、イ・ソンヒ(4.4%)、チャン・ユンジョン(3.9%)、アイユ(3.6%)、テ・ジナ(3.3%)、EXO(2.9%)、イ・スンチョル(2.8%)、イ・ミジャ(2.8%)、ナ・フナ(2.5%)、少女時代(2.1%)の順だった。
・(第1位の)チョー・ヨンピルは ・・・歌謡界の頂きを守ってきた ・・・(略)
・(第2位の)イ・ソンヒは、1984年「江辺歌謡祭」でデビュー、爆発的歌唱力と特有のスタイルで当時「姉さん(オンニ)部隊」、「イ・ソンヒ シンドローム」を起こして、大きな愛を受けた。1990年代以後では、(ソウル市)市会議員、シンガー・ソングライター、プロデューサーとして活動範囲を広げて、アルバム発売とコンサート、OST参加などで着実にファンたちのそばを守ってきた。
・2013年が「歌王(チョー・ヨンピル)の帰還」で揺れた一年だったとしたら、2014年はイ・ソンヒが正規アルバム15集のタイトル曲「その中にあなたに出会って(그 중에 그대를 만나)」で各種チャートを席巻して「女王の帰還」を知らせた年であった。チョー・ヨンピルは、40代以上男女で均等の支持を受けたし、イ・ソンヒは彼より若干低い年齢帯、そして男性よりは女性の選好が目立った。
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(本ブログ関連:”その中にあなたに出会って”)
(参考グラフ) 韓国人が好きな歌手2004年-2014年(自由応答)・・・ギャラップ
- グラフ: 歌手名(デビュー年度)、上段2004年度、下段2014年度、支持率%)

(参考) 上位5位の歌手ごと支持率%(男女別/世代別/男女世代別/職業別/地域別)については、ソース資料を参照願います。
先に、「(資料)韓国ギャラップ調査『愛唱曲 2004-2014比較』」について本ブログに載せ、イ・ソンヒの「因縁(인연)」が、なんと7位圏に入ったことを載せた。今回は、歌手本人についての愛好度を調査するものだ。その中で、イ・ソンヒはチョー・ヨンピルの1位に次いで、2位となった。本当に素晴らしい知らせだ。
(本ブログ関連:”ギャラップ” ⇒ リンク先表示下「次の投稿」に続く)
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●韓国人が最も好きな歌手:2004年イ・ミジ李美子ャ(5.6%) → 2014年チョー・ヨンピル(7.2%)
- 2004年上位10位圏内トロット歌手6人、2014年には4人に減って
・(10月2~29日)満13才以上の男女1,700人に最も好きな歌手を聞いた結果(面接調査、自由応答)、(参考グラフの通り、上位から)チョー・ヨンピル(7.2%)、イ・ソンヒ(4.4%)、チャン・ユンジョン(3.9%)、アイユ(3.6%)、テ・ジナ(3.3%)、EXO(2.9%)、イ・スンチョル(2.8%)、イ・ミジャ(2.8%)、ナ・フナ(2.5%)、少女時代(2.1%)の順だった。
・(第1位の)チョー・ヨンピルは ・・・歌謡界の頂きを守ってきた ・・・(略)
・(第2位の)イ・ソンヒは、1984年「江辺歌謡祭」でデビュー、爆発的歌唱力と特有のスタイルで当時「姉さん(オンニ)部隊」、「イ・ソンヒ シンドローム」を起こして、大きな愛を受けた。1990年代以後では、(ソウル市)市会議員、シンガー・ソングライター、プロデューサーとして活動範囲を広げて、アルバム発売とコンサート、OST参加などで着実にファンたちのそばを守ってきた。
・2013年が「歌王(チョー・ヨンピル)の帰還」で揺れた一年だったとしたら、2014年はイ・ソンヒが正規アルバム15集のタイトル曲「その中にあなたに出会って(그 중에 그대를 만나)」で各種チャートを席巻して「女王の帰還」を知らせた年であった。チョー・ヨンピルは、40代以上男女で均等の支持を受けたし、イ・ソンヒは彼より若干低い年齢帯、そして男性よりは女性の選好が目立った。
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(本ブログ関連:”その中にあなたに出会って”)
(参考グラフ) 韓国人が好きな歌手2004年-2014年(自由応答)・・・ギャラップ
- グラフ: 歌手名(デビュー年度)、上段2004年度、下段2014年度、支持率%)

(参考) 上位5位の歌手ごと支持率%(男女別/世代別/男女世代別/職業別/地域別)については、ソース資料を参照願います。
2015年3月13日金曜日
「早春賦」
このごろ陽射しに、春の兆しして和らぐ。けれど陽が傾けば、まだ冬の寒さが残っているのに気付く。そんなとき、唱歌「早春賦」(作詞吉丸一昌、作曲中田章、1913年)にある、「春は名のみの」という詞を実感する。
(本ブログ関連:”早春賦”)
この歌を,「唱歌・童謡ものがたり」(読売新聞、岩波現代文庫)は最初に採り上げている。作詞した吉丸一昌の孫が、祖父の顕彰に奔走したこと、歌と縁の深い長野の安曇野で、冷えた若者の心を支えようとする女性の姿など描かれている。
何よりも、43歳で早逝した吉丸一昌の教育者としての生き方に志の高さを知る。苦学の経験から、東京府立三中の教諭時代、私財を投じて夜間学校を設立したという。頭の下がる話しだ。
彼の故郷、大分の臼杵市には「吉丸一昌記念館」がある。昔、大分に出張した帰り、臼杵にある磨崖仏の地を訪れたことがあったのを思い出した。国宝がこんなところにと思うほど、ひっそりとした長閑な田舎だった。
(Youtubeに登録のshimobunsadoに感謝)
(本ブログ関連:”早春賦”)
この歌を,「唱歌・童謡ものがたり」(読売新聞、岩波現代文庫)は最初に採り上げている。作詞した吉丸一昌の孫が、祖父の顕彰に奔走したこと、歌と縁の深い長野の安曇野で、冷えた若者の心を支えようとする女性の姿など描かれている。
何よりも、43歳で早逝した吉丸一昌の教育者としての生き方に志の高さを知る。苦学の経験から、東京府立三中の教諭時代、私財を投じて夜間学校を設立したという。頭の下がる話しだ。
彼の故郷、大分の臼杵市には「吉丸一昌記念館」がある。昔、大分に出張した帰り、臼杵にある磨崖仏の地を訪れたことがあったのを思い出した。国宝がこんなところにと思うほど、ひっそりとした長閑な田舎だった。
(Youtubeに登録のshimobunsadoに感謝)
2015年3月12日木曜日
KBS WORLD「国楽の世界へ」 厄除け打令
KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(3/4)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第95回として、小正月に関わる「厄除け・打令(액맥이・타령)」、および他2曲についての話を紹介した。
(本ブログ関連:”小正月”、”啓蟄”)
始めに、「小正月(정월대보름)」の行事・風習について次のように紹介された。
・昔、年明けの風習は、元旦のソルナルから15日後まで続いた。この「小正月」は、「正月(정월)」と陰暦正月の「15日間(대보름)」を合わせた表現で、「上元(상원)」とも言い、中国道教の行事「三元」の一つにあたる。韓国の小正月の間、十二支の順に日を巡る風習があった。ネズミの意の「子の日」に豆を炒って食べる。穀物を守る厄払いで、「豆と一緒に炒めよ(쥐알 볶아라 콩알 볶아라)」と言って炒る。「쥐」はネズミ、「쥐알」は小さいもの。「콩」は豆、「볶아라」は炒めよの意。そのことで穀物を守ろうとした。また、牛は農作業に欠かせぬため、「丑の日」に豆を入れた粥を食べさせ休ませた。ヘビの「巳の日」には髪をとかぬ風習があり、家に蛇が入らぬと信じた。
▼ 「厄除け打令」の歌を聴く。四方と中心、守りを固めて安心繁盛・・・農楽隊が家々(家中も)廻ったようだ。
次に、「ネドウィ(내더위=私の暑気)」の風習、「カンガンスルレ(강강술래)」という遊びについて次のように紹介された。
・昔、時期によって災いの種類が違うとされた。厄払い(액맥이)には、正月の厄払い、2月の厄払いなどといった歌があった。また、「小正月」の風習の一つに、暑気払い*があり、小正月の朝、最初に会った人に「わが暑気を買っていけ(내 더위 사가게)」と叫んで、夏の暑さをなすりつける。相手は、構えていて、言われたらすぐに言い返し、倍返しする。小正月と言えば、「カンガンスルレ」という遊びもある。女性が、体をつなぎ円を描きながら歌う遊びだ。
(*)「東国歳時記」(洪錫謨、訳姜在彦、東洋文庫)の「(旧暦)一月」、「上元」の項に「売暑」としてある。
「朝早く起きて、誰か人を見ればだしぬけにその名を呼ぶ。先方が返事をすればすかさず、『わが暑気を買え!』という。これを売暑という。・・・/かんがうるに、(中国宋代の人)范石湖の『売癡獃詞(ばいちがいし)』に、『除夜は更けても人は睡(ねむ)らず、癡獃(おろかもの)を買えと、人に呼びかける』とある。・・・今わが国で、上元に売暑する風俗も、これに似たものである。」
▼ 遊び歌「カンカンスルレ」を聴く。女性が満月に輪となって踊る・・・海洋性のものなのか、始原的な気がする。
最後に、二十四節気の「啓蟄」、イタヤカエデ(고로쇠)の樹液の薬効について次のように紹介された。
・明日(3月5日)は小正月、翌3月6日は節気の一つ「啓蟄」。節気は、一年を24等分して季節を表わしたもの。昼の長さを表す節気に、冬至、夏至、春分、秋分の日がある。また、春を知らせる節気に、立春や啓蟄がある。啓蟄の頃に、新年に入ってはじめて雷が鳴ると言われる。日本の「虫だしの雷」に通じる、冬ごもりした動物が驚き目を覚ます。さらに、植物も潤う季節になりる。韓国にはイタヤカエデの木があり、樹液を飲むと胃腸薬代わりになるとも言われる。春の気運が人の体にも作用すると信じられた。
▼ 春を知らせる「カエルへ(개구리에게)」をピリ演奏で聴く。子どもが喜びそうな全くの今様。愉快。
(本ブログ関連:”小正月”、”啓蟄”)
始めに、「小正月(정월대보름)」の行事・風習について次のように紹介された。
・昔、年明けの風習は、元旦のソルナルから15日後まで続いた。この「小正月」は、「正月(정월)」と陰暦正月の「15日間(대보름)」を合わせた表現で、「上元(상원)」とも言い、中国道教の行事「三元」の一つにあたる。韓国の小正月の間、十二支の順に日を巡る風習があった。ネズミの意の「子の日」に豆を炒って食べる。穀物を守る厄払いで、「豆と一緒に炒めよ(쥐알 볶아라 콩알 볶아라)」と言って炒る。「쥐」はネズミ、「쥐알」は小さいもの。「콩」は豆、「볶아라」は炒めよの意。そのことで穀物を守ろうとした。また、牛は農作業に欠かせぬため、「丑の日」に豆を入れた粥を食べさせ休ませた。ヘビの「巳の日」には髪をとかぬ風習があり、家に蛇が入らぬと信じた。
▼ 「厄除け打令」の歌を聴く。四方と中心、守りを固めて安心繁盛・・・農楽隊が家々(家中も)廻ったようだ。
次に、「ネドウィ(내더위=私の暑気)」の風習、「カンガンスルレ(강강술래)」という遊びについて次のように紹介された。
・昔、時期によって災いの種類が違うとされた。厄払い(액맥이)には、正月の厄払い、2月の厄払いなどといった歌があった。また、「小正月」の風習の一つに、暑気払い*があり、小正月の朝、最初に会った人に「わが暑気を買っていけ(내 더위 사가게)」と叫んで、夏の暑さをなすりつける。相手は、構えていて、言われたらすぐに言い返し、倍返しする。小正月と言えば、「カンガンスルレ」という遊びもある。女性が、体をつなぎ円を描きながら歌う遊びだ。
(*)「東国歳時記」(洪錫謨、訳姜在彦、東洋文庫)の「(旧暦)一月」、「上元」の項に「売暑」としてある。
「朝早く起きて、誰か人を見ればだしぬけにその名を呼ぶ。先方が返事をすればすかさず、『わが暑気を買え!』という。これを売暑という。・・・/かんがうるに、(中国宋代の人)范石湖の『売癡獃詞(ばいちがいし)』に、『除夜は更けても人は睡(ねむ)らず、癡獃(おろかもの)を買えと、人に呼びかける』とある。・・・今わが国で、上元に売暑する風俗も、これに似たものである。」
▼ 遊び歌「カンカンスルレ」を聴く。女性が満月に輪となって踊る・・・海洋性のものなのか、始原的な気がする。
最後に、二十四節気の「啓蟄」、イタヤカエデ(고로쇠)の樹液の薬効について次のように紹介された。
・明日(3月5日)は小正月、翌3月6日は節気の一つ「啓蟄」。節気は、一年を24等分して季節を表わしたもの。昼の長さを表す節気に、冬至、夏至、春分、秋分の日がある。また、春を知らせる節気に、立春や啓蟄がある。啓蟄の頃に、新年に入ってはじめて雷が鳴ると言われる。日本の「虫だしの雷」に通じる、冬ごもりした動物が驚き目を覚ます。さらに、植物も潤う季節になりる。韓国にはイタヤカエデの木があり、樹液を飲むと胃腸薬代わりになるとも言われる。春の気運が人の体にも作用すると信じられた。
▼ 春を知らせる「カエルへ(개구리에게)」をピリ演奏で聴く。子どもが喜びそうな全くの今様。愉快。
2015年3月11日水曜日
冬の蟻
ねぐら(塒)深く、酔いつぶれたアリの親方がテーブルに顎(あご)を置いたまま、この冬はしばれるといって、ぶつぶつ話しを続けた。・・・周りは、眠い目をこすりながらじっと耳を傾けた。
なんだとお、ねぐらというのは鳥の巣のことだと、わしらは昔は飛んだものだぞ。今だって、御かみさんの後について行くときゃ、羽をぶんぶんいわせるもんだ。そん時だけだがな。
それに、カチカチいうスズメバチも近い親戚だ。やつらは空を飛んで餌を探し回るが、わしらは地べたを這って探すわけよ。だから羽は邪魔。でも、顔を見ろ、そっくりだろ、どうだ。
それときたら、あのシロアリ野郎、勝手に名前を盗みやがって。やつらはゴキブリ野郎さ。堂々とお天道様に顔向けできない奴らだ。わしらとは違う。オスにしてもな。
でもなあ、人間の子どもは残酷なもんだ。小さいくせして、わしらのねぐらに一生懸命水を流し込むのだから。あれには参った。部屋中水びたしだ。奴らは飽きっぽいから大丈夫。逃げ道はいくらでもあらあな。
今日も寒いな。こうやって幸運にも生き残れるのは、神様の思し召しというもんだ。じき暖かくなりゃ仕事だぞ。ゆっくり体を休めておけよ。・・・周りの連中も、付き合いにぐったりして横になり寝息を立て始めた。
2015年3月10日火曜日
記憶違いと物忘れ
昨晩作成のブログで、イ・ウンハの曲名を間違えて書いてしまった。訂正したが、なんだか落ち着かない。記憶違いというのは少々つらいものだ。
ここ数日、思い出せない島があった。グアム島だ。なぜかオアフ島しか浮かんでこないのだ。オアフ島には行ったこともないのに。そんな虚ろなことがいろいろある。
昔、途中で転校した小学校の校歌の3番にある池の名前が思い出せなかった。さいわい、ネットに記された校歌を見て思い出した。校歌は、地元の有名な作家と有名な作曲家によるものだ・・・子どものころ、気にしてはいなかったが。
池に遊びに行ったことがある。桜の季節、小学校から一団となって花見したのだ。そこが、ある企業の貯水池だったとは今回はじめて知った。小さな子どもの記憶に残る桜は、いつも見上げるものだった。桜の季節は空が桜色していた。
ここ数日、思い出せない島があった。グアム島だ。なぜかオアフ島しか浮かんでこないのだ。オアフ島には行ったこともないのに。そんな虚ろなことがいろいろある。
昔、途中で転校した小学校の校歌の3番にある池の名前が思い出せなかった。さいわい、ネットに記された校歌を見て思い出した。校歌は、地元の有名な作家と有名な作曲家によるものだ・・・子どものころ、気にしてはいなかったが。
池に遊びに行ったことがある。桜の季節、小学校から一団となって花見したのだ。そこが、ある企業の貯水池だったとは今回はじめて知った。小さな子どもの記憶に残る桜は、いつも見上げるものだった。桜の季節は空が桜色していた。
2015年3月9日月曜日
春雨
今は帰国して日本を去った歌手に、ケイ・ウンスク(桂銀淑、1961年~)がいる。彼女の特徴にハスキーボイスがあった。いわゆる成熟した女性の低音というより、独特なかすれを持つ意味でのハスキーな声質が魅力だった。
同様なハスキーさで、しかも誕生も同年という歌手にイ・ウンハ(李銀河/イ・ウナ、이은하)がいる。日本で活躍はなかったようだが、NHKの番組で紹介され、日本の歌手が、彼女の歌う「まだあなたは私の愛(아직도 그대는 내사랑)」のうまさを賞賛した。
(訂正: 曲目を上記赤字の通り修正します。深謝)
しとしと降りの今晩、イ・ウンハが歌う「春雨(봄비)」(1979年、作詞:イ・ヒウ、作曲キム・ヒガプ)を聴いてみよう。
(本ブログ関連:”イ・ウンハ(이은하)”)
今となれば、あのハスキーも当時の韓国歌謡界独特の雰囲気だったのかもしれない。その中で、現在も活躍する歌手がイ・ウンハである。
「春雨(봄비)」
春雨に去ったひと、春雨に濡れて戻ったよ
あのときは、あの日には、笑って別れたが
今日このひととき、今日このひととき
あまりに惜しく
互いに涙で、窓を見るよ (あ~あ~あ)
春雨に戻ったひと、雨に胸濡らすよ
(以上繰り返し)
(Youtubeに登録の李銀河 - トピックに感謝)
同様なハスキーさで、しかも誕生も同年という歌手にイ・ウンハ(李銀河/イ・ウナ、이은하)がいる。日本で活躍はなかったようだが、NHKの番組で紹介され、日本の歌手が、彼女の歌う「まだあなたは私の愛(아직도 그대는 내사랑)」のうまさを賞賛した。
(訂正: 曲目を上記赤字の通り修正します。深謝)
しとしと降りの今晩、イ・ウンハが歌う「春雨(봄비)」(1979年、作詞:イ・ヒウ、作曲キム・ヒガプ)を聴いてみよう。
(本ブログ関連:”イ・ウンハ(이은하)”)
今となれば、あのハスキーも当時の韓国歌謡界独特の雰囲気だったのかもしれない。その中で、現在も活躍する歌手がイ・ウンハである。
「春雨(봄비)」
春雨に去ったひと、春雨に濡れて戻ったよ
あのときは、あの日には、笑って別れたが
今日このひととき、今日このひととき
あまりに惜しく
互いに涙で、窓を見るよ (あ~あ~あ)
春雨に戻ったひと、雨に胸濡らすよ
(以上繰り返し)
(Youtubeに登録の李銀河 - トピックに感謝)
2015年3月8日日曜日
春の気配が増してきた
日めくりカレンダーをPCそばに置いたため、日ごと忘れることなく剥がしている。一枚取れば裏をメモ紙にして・・・と思っているうちに次々溜まる。毎日があっけなく消費されて、果たして実のあるものになっているのか。日々、忘却の彼方へと過ぎていく、そんなところだ。
それでも、今日は春らしく暖かさを感じて、上着をコートから厚手のセーターに変えた。身軽になった気がする。外出すれば、少々寒いけれど痩せ我慢。いつもと違う隣り町の図書館本館へ行く。高い書棚にあって取りにくかった書籍(詩全集)が、目の高さに移動していた。微妙だがあちこち配置換えしている。
一日一日、気候も微かに変化している。斯様に変わるものもあれば、変わらぬものもあるけれど。今年は、ちょっと変化してみたい。生活リズムというか、時間割というか変化が必要だ。4月から新しいリズムで始めてみたいことがある。
イ・ソンヒ ファンは勿論このままだ。彼女のコンサートは、2、3年置きに開催のため、今年は遠出の予定もない。こちらにも何か変化が欲しいものだ。
それでも、今日は春らしく暖かさを感じて、上着をコートから厚手のセーターに変えた。身軽になった気がする。外出すれば、少々寒いけれど痩せ我慢。いつもと違う隣り町の図書館本館へ行く。高い書棚にあって取りにくかった書籍(詩全集)が、目の高さに移動していた。微妙だがあちこち配置換えしている。
一日一日、気候も微かに変化している。斯様に変わるものもあれば、変わらぬものもあるけれど。今年は、ちょっと変化してみたい。生活リズムというか、時間割というか変化が必要だ。4月から新しいリズムで始めてみたいことがある。
イ・ソンヒ ファンは勿論このままだ。彼女のコンサートは、2、3年置きに開催のため、今年は遠出の予定もない。こちらにも何か変化が欲しいものだ。
2015年3月7日土曜日
イ・ソンヒの「Jへ」
昨年4月、世宗文化会館での30周年コンサート「歌う イ・ソンヒ」(2014年4月)の始まりに、ステージにせり上がるイ・ソンヒの第一声は、1984年に歌ったデビュー曲「Jへ(J에게)」(作イ・セゴン)だった。威風堂々とさえ見える。まさにファンとともにあった歌だ。
(本ブログ関連:”Jへ” ⇒ リンク先表示右下「次の投稿」で更に続く)
ご覧の通り、会場は30周年コンサートらしい大人の雰囲気していて良い。もちろん、(次のYoutube映像に収録されていないが)コンサート後半には、観客らを熱狂させる(固有の琴線に響くというべきか)、「あ!昔よ」や「美しい江山」も歌われ、会場の熱気に圧倒される。彼女が長年支持される理由である。
「Jへ」
J 撫でる風に、J あなた想えば
今日も静かに、あなた 偲ぶわ
J きのうの夢に、J 出会った面影
わたしの胸に、染まっているのよ
J きれいな夏の日、遠く消えたとしても
J わたしの愛は、今も変わらない
J あなたを永久(とわ)に
J あなたを愛して
J ともに歩いた、J 思い出の道
わたしは今宵も、寂しく歩くのね
寂しく歩くのね
(Youtubeに登録のAlice Sk8erkittyに感謝)
(本ブログ関連:”Jへ” ⇒ リンク先表示右下「次の投稿」で更に続く)
ご覧の通り、会場は30周年コンサートらしい大人の雰囲気していて良い。もちろん、(次のYoutube映像に収録されていないが)コンサート後半には、観客らを熱狂させる(固有の琴線に響くというべきか)、「あ!昔よ」や「美しい江山」も歌われ、会場の熱気に圧倒される。彼女が長年支持される理由である。
「Jへ」
J 撫でる風に、J あなた想えば
今日も静かに、あなた 偲ぶわ
J きのうの夢に、J 出会った面影
わたしの胸に、染まっているのよ
J きれいな夏の日、遠く消えたとしても
J わたしの愛は、今も変わらない
J あなたを永久(とわ)に
J あなたを愛して
J ともに歩いた、J 思い出の道
わたしは今宵も、寂しく歩くのね
寂しく歩くのね
(Youtubeに登録のAlice Sk8erkittyに感謝)
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