先日の日曜日(2/15)、石見銀山について講演会があった。おもしろいテーマを選んで話しを聞かせてくれる団体(「雑学大学」)が主催したものだ。
以前、別団体主催だが、多摩の代官シリーズで、江戸初期の代官頭大久保長安と部下の話しを聞いたことがある。彼は才を見込まれ外様ながら徳川に従う。しかしながら彼とともに、彼の元で働いた十八代官には厳しい最後を迎えるものがあった。
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① 代官頭大久保長安(1545~1613年)は、(多数の金山を抱え甲州金で知られる)甲州武田家で、蔵前衆として金穀(金銭と穀物)をつかさどっていたが、同家滅亡後に徳川家康に仕え、八王子の代官や、金銀山(石見、伊豆、佐渡、南部)の開発とその金山奉行を勤めた。死後、疑獄が起こり一族は処罰される。
② 徳川の支配に、直接支配の「幕領」、間接支配の「私領」(知行権を与えられた:家臣旗本と大名)、「寺領」、「社領」がある。(八王子を治める大久保長安の下にいる十八代官について)
・十八代官は、幕領(=天領)支配を担った。
・十八代官は、在地性の強い世襲代官で、出自は圧倒的に旧武田家が多い。
・十八代官は、必ずしも十八家だけが担ったわけではない。代を経て、非役の小普請に落とされたり、切腹する者もいた。
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このとき、「徳川の不正に対する厳しさを、武田家末裔を体制から削ぎ落とす(意図があったかどうかは分からぬが)怖さを感じた」と感想を綴ったが、そう解釈してもよさそうなことを、石見銀山の話しからもうかがえた。
今回、熱水鉱床を持つ石見銀山について、関東石見銀山会会長渡辺辰朗氏から次のような話しを聞かせていただいた。鉱山技術で、露頭掘りから水平坑への発展、水平坑の換気と、水対策のための水抜坑を並走させたこと、また「山師」について、今でいうプロジェクトマネージャー的な、あるいはそれ以上の存在、銀山経営者だったことを知る。
さて、そのとき頂いた解説者著書「世界を動かした石見銀山」に、大久保長安に関連した次の記述がある。
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江戸時代草創期の天領支配は、奉行の裁量範囲が広く、運上にしても坑道開発投資にしても自由裁量で決められていたようです。・・・大久保石見守が余剰金を確保したのはごく当り前のことだったわけですが、病没するや否や「私服を肥やした蓄財は、幕府に対する陰謀あり」と一族郎党ともども処刑されてしまいます。あまりにも役職が集中したことは外様でありながら権力基盤を持ちすぎたことがねたみとなり、成長期に入った徳川幕府にとっては削ぐ必要があったのかもしれません。
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(ここに至る様々な伏線があるようだが)ある意味、権力集中の恐ろしさをまざまざと見せつけられる出来事だ。