▼▼ 青字下線付語句のリンク先は、マウス右クリック+<新しいタブ>で進んでください。(本ブログ関連)の最下段に「次の投稿ホーム」があるとき次ページがあります。▼▼
検索キーワード「ナフナ」に一致する投稿を関連性の高い順に表示しています。 日付順 すべての投稿を表示
検索キーワード「ナフナ」に一致する投稿を関連性の高い順に表示しています。 日付順 すべての投稿を表示

2020年11月19日木曜日

テス兄貴

「トロット(韓国演歌)の皇帝」といわれる歌手羅勲児(나훈아、ナフナ)の歌「テス兄貴」が話題になっている。

(本ブログ関連:”ナフナ”)

「テス兄貴」のテスはソクラテスの意で、朝鮮日報の記事に「ソクラテスに『兄貴』と呼びかけ、人生について問いかけるという歌詞の羅勲児の曲」、中央日報の記事に「テスとはソクラテスの略語。哲学者ソクラテスに生活の困難を吐露する内容の曲」と注釈されている。歌詞にはドラマ性もあるが、なぜソクラテスなのかは正直分らない・・・人生の難解さに例えられているようでもあるが。

庶民の心情を歌っているとして、韓国内の政治談議に使われている。女性外相に(本来の政治的な)自覚を求めることに、あるいは独特な韓国の家賃制度対策に副首相が矢面にたっていることに、この歌がマスコミや国政の中で以下のように語られている。とはいえ、エリートが敵対する相手(エリート)に、庶民の歌を利用することが果たして正解なのかは知らない。

ところで日本では、羅勲児のカタカナ表記を「ナフナ」とするケースが多い。姓名を区別して「ナ・フナ」とする例はわずかだ。一般に外国人のカタカナ表記で、姓名を区分するのに使われる中黒(・)が、彼の場合なぜないのか訳を知りたいところだ。


■朝鮮日報/朝鮮日報日本語版の記事
「康京和、女性であることのせいにするな…ただ本人が無能なだけ」(梁昇植(ヤン・スンシク)記者、2020/11/18 07:18)から抜粋
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2020/11/18/2020111880001.html
----------------------------
朴宣映(パク・ソニョン)元議員、康京和(カン・ギョンファ)外相の「女性だから…」発言を批判

朴宣映氏は「自分の能力不足なのに、恥もない」「最近(韓国の有名演歌歌手)羅勲児(ナ・フナ)が、いや全国民が一様に『テス兄貴』(ソクラテスに『兄貴』と呼びかけ、人生について問いかけるという歌詞の羅勲児の曲)を追い求めるのかやっと分かった。あなたは自分自身のことを知るべきだ」・・・
----------------------------

■中央日報/中央日報日本語版の記事
「【コラム】韓国政府、「むしろ何もするな」」(ムン・ビョンジュ経済EYEチーム長、2020.10.19 14:12)
https://japanese.joins.com/JArticle/271327
----------------------------
住宅問題で国民が苦しんでいる。韓国鑑定院によると、9月の全国住宅の伝貰(チョンセ、契約時に一定の金額を賃貸人に預け、月々の家賃は発生しない不動産賃貸方式)は0.53%上昇した。5年5カ月ぶりの最大幅だ。国土研究院の調査の結果、9月の全国の伝貰市場消費心理指数は123.9だった。2015年10月(127.8)以降の最高値だ。今月に入ってからも第2週基準でソウルのマンションの伝貰金は67週連続の上昇となった。夏に契約更新請求権と上限制を骨子とする改正賃貸借法が施行されると、上昇の勢いがさらに強まった。

政府・与党はこうした伝貰物件不足を解消するための追加対策を検討し始めた。居住者保護案が議論されている。これについて「洪楠基(ホン・ナムギ)経済副首相救助」という声が出ている。ソウル麻浦(マポ)に伝貰で暮らす洪楠基経済副首相が居住中のマンションの伝貰期間を延長できなくなったうえ、売却契約までしていた義王市のマンションは借家人の契約更新要求で売れなくなったという事実が伝えられた時期と対策が議論された時期が重なっているからだ。

洪副首相はインターネット上で笑いの対象となっている。伝貰物件を見るために並ぶ人に洪副首相の顔を合成したパロディ写真が登場した。「一国の副首相として清吏の象徴のようだ」「麻浦区(マポグ)の家主の皆さん…伝貰契約をしに来れば事情を配慮してほしい」などのコメントが不動産コミュニティーに書き込まれている。各種不動産規制を管轄する官僚がむしろその規制で「伝貰難民」になった状況を皮肉っているのだ。

洪副首相は「伝貰金の上昇の要因について関係部処間で綿密に点検・議論していく」と明らかにした状態だ。与党と歩調を合わせて文在寅(ムン・ジェイン)政権の24回目の不動産対策を用意するという意味と考えられる。しかし不安だ。対策がまた副作用を招かないか心配する声が出ている。テス兄さん(韓国有名トロット歌手ナフナの最新曲。テスとはソクラテスの略語。哲学者ソクラテスに生活の困難を吐露する内容の曲)に尋ねればこう答えるかもしれない。「むしろ何もするな」。
----------------------------

■ハンギョレ新聞の記事
「『テス兄貴』響いた国政監査場、『麻浦区ホン・ナムギさん』が召喚された」(チム・ミョンソン記者、10-16 18:26初)
http://www.hani.co.kr/arti/economy/property/966109.html
----------------------------
16日に開かれ、国土交通省、国政監査では、歌手ナ・フナさんの新曲「テス兄貴」が鳴り響いて、「麻浦区に住むホン・ナムギさん」*が伝貰難民事例として登場するなど、最近不安様相を見せている伝貰市場をはじめとする政府の不動産政策に野党議員の批判があふれた。

(*)「麻浦区に住むホン・ナムギさん」とは、まさに副首相のことで・・・

 この日、ソン・ソクジュン「国民の力(党)」**議員は、政府世宗庁舎で開かれた国土部国政監査でキム・ヒョンミ長官の質疑に先立ち「テス兄貴、世の中はなぜこうなんだよ、なんでこんなに辛どいんだ」というナ・フナさんの新曲「テス兄貴」の部分を流した。続いて「大衆歌謡には、国民の心、時代精神が込められている」とし、「数回続く住宅政策で、国民の生活は苦しくなった」と述べた。

(**)「国民の力(党)」は最大野党
----------------------------

テス兄貴!(테스형!)」 ナフナ(羅勲児、나훈아:作詞・作曲とも)

어쩌다가 한바탕 턱 빠지게 웃는다
たまに、ひとしきり笑いこける
그리고는 아픔을 그 웃음에 묻는다
そして、痛みをその笑いにそっとしまう
그저 와준 오늘이 고맙기는 하여도
ただ、来てくれた今日はありがたいけど
죽어도 오고 마는 또 내일이 두렵다
死んでもやって来るまた明日が怖い

아 테스형 세상이 왜 이래 왜 이렇게 힘들어
あぁ、テス兄貴、世の中はなぜこうなんだよ、なんでこんなに辛どいんだ
아 테스형 소크라테스형 사랑은 또 왜 이래
あぁ、テス兄貴、ソクラテス兄貴、愛はまたなぜこうなんだよ
너 자신을 알라며 툭 내뱉고 간 말을
汝自身を知れと ぽんと吐き捨てて行った言葉を
내가 어찌 알겠소 모르겠소 테스형
俺が分かるはずがないよ、テス兄貴

울 아버지 산소에 제비꽃이 피었다
うちの親父の墓にスミレの花が咲いた
들국화도 수줍어 샛노랗게 웃는다
野菊もはにかんで真っ黄色に咲きほころぶ
그저 피는 꽃들이 예쁘기는 하여도
ただ、咲く花が美しいことはあっても
자주 오지 못하는 날 꾸짖는 것만 같다
よく来られない俺を叱っているようだ
아 테스형 아프다 세상이 눈물 많은 나에게
あぁ、テス兄貴、痛い世間が涙もろい俺に
아 테스형 소크라테스형 세월은 또 왜 저래
あぁ、テス兄貴、ソクラテス兄貴、歳月はまたどうしてああなのか
먼저가본 저세상 어떤 가요 테스형
先に行ってみたあの世はどうですか、テス兄貴
가보니까 천국은 있던 가요 테스형
行ってみたら天国はあったんですか、テス兄貴

아 테스형 아 테스형 아 테스형 아 테스형
あぁテス兄貴、あぁテス兄貴、あぁテス兄貴、あぁテス兄貴
아 테스형 아 테스형 아 테스형 아 테스형
あぁテス兄貴、あぁテス兄貴、あぁテス兄貴、あぁテス兄貴

( ナフナの「テス兄貴!」ミュージックビデオ)
(Youtubeに登録のDanalEntertainmentに感謝)


■聯合ニュースの記事(日本語版)
「[韓流]BTSよりナフナ MVがユーチューブで1位」(hjc@yna.co.kr、10.23 11:10)
https://jp.yna.co.kr/view/AJP20201023001500882?section=search
----------------------------
【ソウル聯合ニュース】韓国のベテラン歌手、羅勲児(ナフナ)の新曲「テス兄さん!」(原題)のミュージックビデオ(MV)が動画投稿サイト「ユーチューブ」の韓国人気MVチャート(集計期間:10月9~15日)で1位を記録した。BTS(防弾少年団)やBLACKPINK(ブラックピンク)など世界的な人気を誇るアイドルグループのMVを抑えての首位獲得となった。

 同曲は8月にリリースしたアルバムの収録曲で、哲学者ソクラテスを「テス兄さん」と呼びながら世知辛い世の中を嘆く歌詞が特徴。KBS第2テレビが秋夕(中秋節、今年は10月1日)に合わせて特別公演として企画し、先月30日に放送した羅勲児の単独コンサートで披露されてから中年層だけでなく若年層からも爆発的な関心を集めた。韓国の音楽配信サイト、ジニーミュージックではストリーミング数が前週に比べ3733%増加した。
 MVの再生回数は22日現在、745万回を超えた。
----------------------------

2011年9月17日土曜日

イ・ソンヒのトロット・メドレー

年初(1/3)に触れた、イ・ソンヒのトロット・メドレーのYoutube映像を久し振りに見る。

歌謡界で国民歌手の称号をもち、長くトップの地位を保ち続けるイ・ソンヒは、歌唱力に裏打ちされているのは当然だし、ファンとも、時代を共にし安定した良好な関係を続けている。2009年、本年の2011年と、(韓国)国内コンサートツアーを各年10ヶ所の諸都市で開催している。

彼女が大衆の支持を得る理由に、幅広いレパートリーがある。歌い続けるバラードだけでなく、大衆に深く厚い層を持つ歌謡曲(トロット)や民謡、あるいは国楽にまで及んでいる。
シム・スボンの「愛しか私はわからない(사랑 밖에 난 몰라)」、ナフナの「ムシロ(무시로)」、チュ・ヒョンミの「片想い(짝사랑)」を、原曲に敬意を表しながら軽快に自分のものにして歌う、彼女の姿がYoutubeに登録されていて、(彼女がトロットや民謡を歌う他のYoutube映像もそうだが)観客との一体感が素晴らしい。

解説によれば、2001年6月5日のテレビコンサートで、自由大邱文化放送によるもののようだ。(画面には、イ・ソンヒスペシャル「MBC歌謡コンサート」と表示。MBC=文化放送)

(Youtubeに登録のtheykilledmon013pic、maxmike0320526apolloに感謝)

(本ブログ関連:”シム・スボン”、”ナフナ”、”チュ・ヒョンミ”)

2011年1月3日月曜日

イ・ソンヒとトロット

イ・ソンヒの歌唱力については、守備範囲が広く、その実力から「国民歌手」といわれる所以であるが、その彼女が、トロットを歌う動画(「MBC歌謡コンサート イ・ソンヒ スペシャル」)が昨日Youtubeに登録された。今回も登録者は時の旅人の26apolloである。感謝。
イ・ソンヒが聴衆と一体となって実に軽やかに、そしてたくみに歌う、トロットメドレーの曲目は次の通り。
・シム・スボン「愛しか私はわからない(사랑밖엔 난몰라)」
・ナフナ「ムシロ(무시로)」
・チュ・ヒョンミ「片想い(짝사랑)」

(本ブログ関連:”シム・スボン”、”イ・ソンヒの本歌取り”)

なお上記の他に、イ・ソンヒが圧倒的な歌唱力でトロットを歌う代表的な動画がYoutube にある。曲目は次の通り。
・イ・ミジャ「椿娘(동백 아가씨)」
・キム・テヒ「昭陽江の娘(소양강 처녀)」

(Youtubeに登録のtheykilledmon、013pic、www0433、naragoyo、yokosuka30に感謝)

2013年4月29日月曜日

(資料)歌王チョー・ヨンピルと音楽著作権 ①

最近、チョー・ヨンピルの新しいアルバムについて話題が出ている。ところで、著作権問題をチョー・ヨンピルを事例に、デジタルデイリーの記事「【ICT法を正しく知る】 歌王チョー・ヨンピルと音楽著作権 ①」(4/29。キム·ギョンファン弁護士)が記しているので見てみよう。感謝。
 ------------------------------------------------------------------------------------
今年は、1967年にデビューした歌手チョー・ヨンピルの45周年だ。1980年代、(ファンによる)「兄さん部隊」を形成し、韓国の大衆歌謡史に一線を引いた歌手チョー・ヨンピル。その間多数のヒット曲を出しながら、同時に多様な音楽実験をした韓国大衆音楽界の生きた伝説。それゆえ歌手の王(歌王)と呼ばれる歌手。
最近還暦を越えた歌王チョー・ヨンピルの、新しいアルバム発売、ショーケース(新曲発表会)、コンサートと、25年前の著作権事情が、シナウィのリーダーのシン・テチョルがあげたフェイス・ブックの文章*のために広く知られて遺憾を醸し出している。その理由を当時の新聞記事および判決文を土台に再構成してみる。

(*:参考) Innolife「チョ・ヨンピル、31曲著作権盗まれ虚脱」(4/20

歌王チョー・ヨンピルは、1976年覚えやすいハスキーボイスでノスタルジックな歌詞が融合した「釜山港へ帰れ」という曲で大衆に広く知られ始めた。その時、歌王は26歳であったが、すでに歌手のキャリアは10年にもなった。高校2年生の時から、米8軍舞台でボーカルグループで活動して発表したこの曲は、曲のタイトルのためか、釜山から旋風的な人気を集めソウルに上陸するようになった。
しかしながら、 「釜山港へ帰れ」という曲は、発表時から著作権紛争を引き起こすことになる。作曲家ファン・ソンウ氏が「地球レコード」、「キング・プロダクション」、「オアシス・レコード」、「ヒット」という4つのレコード会社に著作権を譲渡してしまったからだ。だから、イ・ミジャ、ナフナ、ソン・テグァン、チョ・ギョンス、キム・ヨンジャなど15人の歌手がこの曲を争って歌ってアルバムを出す奇妙な現象も発生した。
チョー・ヨンピルは、「釜山港へ帰れ」を「キング・プロダクション」で出盤(レコーディング)したが、翌年の1977年シン・テチョルの父シン・ジュンヒョンがいる「地球レコード」に移籍することになる。この時から、地球レコード社のイム社長との縁が始まる。

地球レコード社は、その当時の代表的なレコード会社として、チョー・ヨンピルが専属していた1980年代の初めには、イ・ミジャが専属していた太陽音響と共に、最も多くの歌手を抱えていた大型レコード会社であった。今のSM、YG程度に考えると良いだろう。

しかしながら、大衆に知られる前の1972年の大麻事件が後になって問題になって、チョー・ヨンピルの活動は長くは続かず、自粛の時間を持つことになった。だが、1979年末の大麻芸能人の放送活動の規制が解けて、チョー・ヨンピルは、1980年初めにドラマ主題歌「窓の外の女」で再び派手な回復をすることになる。
以後チョー・ヨンピルは、「窓の外の女」が収録された1集を含む2集「ロウソクの灯」(1980年)、3集「赤とんぼ」(1981年)、4集「探せぬウグイス」(1982年)、5集「友よ」(1983年)、6集「涙のパーティー」(1984年)、7集「旅に出よう」(1985年)、8集「虚空」(1985年)までのアルバムを地球レコードで出盤(レコーディング)した。
地球レコードでこのように多くのアルバムが出すことができたのは、歌王チョー・ヨンピルが1977年10月21日から1986年11月30日までの9年間、地球レコードの専属契約歌手だったからだ。

ここでは、専属契約とは、その当時の主流的な契約形態として、レコードやテープが売れるとは関係なく、一定の期間(通常2~3年)の間の専属契約金だけ受ける契約の形態である。この契約形態は、全面的にレコード会社に有利だったが、当時歌手は多く、レコード社が寡占型としても少なかったので、レコードを出さなければならない歌手としてはどうしようもなかった(1983年東亜日報の記事によると、当時、歌手1400人のうち100人がレコード会社専属していたという)。

1981年の東亜日報の記事を見ると、「ディスクとテープが100万枚売れても、チョー・ヨンピルが受けとったのは金で1000万ウォンと乗用車一台という事実は、私たちの歌謡界の不正の一断面を現したのだ」と表現されているので、専属契約の弊害が並大抵ではなかったようだ。だから、トップ歌手チョー・ヨンピルも生活のために夜の舞台に立つ他なかったという。

このような専属契約金(または専属金)は、1985年頃には1億ウォンを超えて、その頃イ・ソンヒは2億ウォンを要求したりもしたが、1987年頃から主流的な契約形態が「印税制」に移ることになる。

1988年の東亜日報の記事によると、専属契約制を選択した人気歌手の場合、2〜3年専属期間に3000万ウォンから5000万ウォン程度の専属金を受けて、逆に印税制を選択すると、アルバム1枚当たり650ウォンの印税を受けるという印税制を選んだ場合、10万枚の販売に5000万ウォン程度の収益が生じる

作曲家ㆍ作詞家の事情は歌手よりもはるかに劣悪だった。1982年の毎日経済の記事によると、1曲あたり1万5000ウォンから2万ウォン程度を受けたという、その事情を知り得た。チョー・ヨンピルのヒット曲である「窓の外の女」の作詞家ペ・ミョンスク氏が受けた金は20万ウォンに過ぎなかった。チョー・ヨンピルが1981年に受け取った金は1000万ウォンだったので、1/50にしかならないレベルだ。

一方、他の歌手のように歌王チョー・ヨンピル側も専属契約が終了する1986年11月30日頃、地球レコード社のイム社長に印税制転換を提案し、1986年12月31日印税制を主な内容とする契約を締結されることになる。

当時の状況について、1987年の京郷新聞の記事によると、「地球レコードと専属契約をしたチョー・ヨンピルは、3年単位の契約を更新してきたが、この間印税制と併用する条件で、1億2000万ウォンを受けたことが分かった」とする。

地球レコード社は、当時の状況を「歌手チョー・ヨンピル氏とは、1977年10月21日から1986年11月30日まで専属歌手制で継続されてきた間、本契約の期間満了前、印税制に転換することにし、これに加え著作権(上記期間中の自作曲:31曲)のみ譲渡を受けることにして、弊社は相当な金額を支払うことで合意したが以後、歌手当事者が自分の著作権一切を譲渡してしまえば、将来の収入が少ないようなので、著作権の一部を譲り受けてほしいと懇請するので、公演権と放送権は歌手に与えて、制作会社としての特性上、複製権と配布権だけ弊社が譲り受けることに譲歩しました(1986年12 31。法律事務所で公証人) 」と述べている(出典:http:// nbbs2.sbs.co.kr /)。

まとめると、チョー・ヨンピルが作曲した31曲のコピー・配布権は地球レコード社が持っていて、公演・放送権は、チョー・ヨンピルが持っているというのだ。そのため、チョー・ヨンピルが自分の曲を複製して発売したり、配布する権利がなく、放送や公演で歌を歌うことができるが、その歌でアルバムやDVDを発売すると地球レコード社に収益が戻ることになる
 ------------------------------------------------------------------------------------

2012年11月14日水曜日

(資料)「母をお願い」の中で母がうたう歌

申京淑(シン・ギョンスク、신경숙)の小説「母をお願い」(安宇植訳、集英社文庫)の中で、長兄をソウルに送り出した後、切ない思いをする母親(オンマ)について触れるところがある。庭先に並べた容器の甕(かめ)をこすりながら、遠くの息子に心通わせようと母親が口ずさむ。

(第一の)主人公である娘は、母親の心境と涙に気付いていたろうに、その後ろ姿に「オンマ!」と呼びかける・・・。

そのとき、母親の口からトロットの一節を聞いている。ナムジン(南珍、남진)の「カスマプゲ(痛心、가슴아프게)」(1967年)の出だしの「わたしとあなたの間にあの海がなかったら/辛い別離だけはなかったろうに・・・・・・」や、ナフナ(羅勲児、나훈아)の「愛は涙の種(사랑은 눈물의 씨앗)」(1968年)の「・・・・・・いつかあなたは/わたしを棄てたりなさらないでしょう」だ。

(Youtubeに登録のmomo86ist、sclctradingに感謝)

(本ブログ関連:"申京淑")

2013年10月28日月曜日

パティ・キムの引退公演

韓国歌謡のCDを集めだしたのは、秋葉原にあった研修センターの帰り道、電器店やCDショップを巡って見つけたパティ・キム(패티김、1938年2月28日~)のCDアルバムからだった。パティ・キムの歌う「マリア」の声量というべきか迫力にひかれて、彼女のシリーズはもちろん、ナフナ(羅勲児)やイ・ミジャ(李美子)、ヘウニ(혜은이)、ミン・ヘギョン(閔海景)などのCDやVHSを探した。当時、日本における代表的な韓国歌手はケイ・ウンスク(桂銀淑)だった。彼女の韓国歌謡からトロットを含めて様々な曲目を知った。

韓国専門書店にも足を運んで店主から情報を得たり、新大久保というよりはそれ以前のこと、新宿職安通りに面した「コリアプラザ」のCDの山をなめた。その頃やっと、イ・ソンヒのCDと出逢うことができた。もちろん、イ・ソンヒについては、CDだけでなく、LPレコードを探しにソウル地下街にある中古LPショップに出かけたことはいうまでもない。

ところで、そのパティ・キムが引退を発表したのは、昨年の2月15日のことだったが、ついに今月の26日に引退公演を迎えた。連合ニュースの記事「パティ・キム、55年の歌人生終了... "本当に恵まれた"」(10/26、イ・テス記者)は、「26日午後、松坡区芳夷洞オリンピック公園体操競技場で開かれた、公式引退公演『グッバイ パティ - パティ・キム 彼女が歌う最後の歌』」を次のように報じている。(抜粋)

(本ブログ関連:”パティ・キム”)

----------------------------------------------
「長年いつも拍手で私を愛してくださりありがとうございます。私は今、舞台を去りますが、みなさんのそばにいつも私の歌があるよう願います。」

歌手パティ・キム(75)は「ありがとうございます。グッバイ!」という挨拶を最後にマイクを置いて舞台を去った。55年の舞台人生の幕を下ろす瞬間だった。

後輩歌手のヤン・ヒウン(楊姬銀)、イ・ソンヒ、イン・スニ、イ・ウンミなどと孫たちは、先輩であり祖母である彼女に花束を渡して祝福し、客席は手を振って最後の挨拶を送った。
----------------------------------------------

パティ・キムを日本人歌手にあてはめれば、雪村いずみに当たるのではないだろうか。ともに、時代とジャンル、それにスケールの大きさが重なる大歌手だ。

最後にパティ・キムについて、彼女と吉屋潤(길옥윤)との、出会いと「別離」を知らぬ人はいない。

2012年2月3日金曜日

節分 2012

「鬼は外~!、福は内~!」の掛け声を、今晩聞くことはできなかった。孫(お兄ちゃん)は鬼が苦手だし、孫娘(いもうと)は撒いた豆を食べないためだ。ちいさな孫たちと一緒に楽しい節分の行事ができる日が待ち遠しい。

今日から韓国語教室は、新しい先生を迎えて次のステップに進むことになった。幸い、イ・ソンヒのこともイ・スンギについてもご承知だ。何と羅勲児(ナフナ、나훈아)をご贔屓とのこと。彼の代表曲「遥か遠い故郷(머나먼 고향)」を、本ブログの左にエンベッドしている。

(Youtubeに登録の1kochaに感謝)

2013年2月9日土曜日

Legend 100 Artist!

ケーブルテレビMnetは、韓国の「音楽の多様な音楽的価値を見せるため、音楽性、大衆性および時代に及ぼした影響などを評価して、2013年の観点からLegend Artistを選定して、大衆音楽史の偉大なアーティスト(100名)を再照明」することになった。

その「Legend 100 Artist!」第1回放送に、イ・ソンヒの名が挙げられ、他にも次のような歌手たちが登場した。残念ながら未見のため・・・Youtubeで探してみるかな・・・あっありました、80年代を代表する歌手として、チョ・ヨンピルとイ・ソンヒが紹介されています。

・日時: 1月15日、夜12時~
・司会: ペ・チョルス(MC)

出演*: ペ・チョルス、イム・ジンモ(音楽評論家)**、ユン・シムドク、イ・ナニョン、イ・ミジャ、シン・ジュンヒョン、パティ·キム、サヌルリム、ドルグックァ、ナムジン、ナフナ、ユン・ボクヒ、セシボンと仲間たち、ハン・デス、ヤン・ヒウン、ユン・スイル、H.O.T、チョ・ヨンピル、イ・ソンヒ、ナミ、キム・ワンソン、バク・ナムジョン、キム・ヒョンシク、キム・グァンソク、ユ・ジェハ、イ・ムンセ、シン・スンフン、キム・ゴンモ、ソテジとアイドゥル
(*) 出演者には、亡くなった方もいるので、映像主体だろう。
(**) イム・ジンモは音楽評論家のため、彼以外の28名(またはグループ)が歌手である。

(Youtubeに登録のMnetに感謝)

・第1回放送 #1
・第1回放送 #2
・第1回放送 #3
・第1回放送 #4
・第1回放送 #5
・第1回放送 #6
・第1回放送 #7
・第1回放送 #8

2014年3月24日月曜日

イ・ソンヒのトロット・メドレー

トロットは韓国の「演歌」、歳をとれば帰りたくなる故郷のようなもの、老若男女に通底する琴線だろう。だから(昨日クラシックを、先ほどポップスを聞いたとしても)聴衆は手拍子を打ち、顔がほころぶ。大衆という名の土俗性へ、直截な民謡とは違った形で、回帰できる迂回路である。
イ・ソンヒは、そんなトロットを、いとも容易に聴衆を取り込みながら歌いこなすことができる。まさに「国民歌手」といわれる所以でもある。今年のコンサートの中でも、どんなトロット曲を聞かせてくれるのだろうか。

(本ブログ関連:”トロット”)

次のYoutubeで、イ・ソンヒが歌うトロット曲
・シム・スボン「愛しか私はわからない(사랑밖엔 난몰라)」
・ナフナ「ムシロ(무시로)」
・チュ・ヒョンミ「片想い(짝사랑)」


(Youtubeに登録の526apolloに感謝)

2011年11月23日水曜日

神野美伽/OVER THE SEA

神野美伽が韓国語で歌ったアルバム「OVER THE SEA  해협을 넘어서」(海峡を越えて、1999年)がYoutubeに登録されている。このアルバムがリリースされた翌々年の2001年に、彼女は、NHKの語学講座「アンニョンハシムニカ・ハングル講座」の「歌うハングル酒場」コーナーにママ役で出演して、代表的なトロットを歌っている。さらに翌年の2002年には、サッカーのW杯が日韓共同で開催されるに至る。

このアルバム「海峡を越えて」には日本語訳の冊子もあり、制作の意義を、「『同根異花』の歌が海峡を越えた!」(小西良太郎、スポーツニッポン新聞社)のなかで次のように解説している。
・韓国側の(ナフナを筆頭に幅広いジャンルからの)作曲者がメロディーを先に書き、日本の作詞家が、はめ込む型で詩を作った。
・(両国当事者の)「腕くらべ」・・・情熱のつばぜり合い・・・。これに神野美伽が、乗らなければ嘘である。・・・・

以上の熱い序論の通り、アルバムの歌詞とメロディには熱気があって美しい。その中でも、特に次の曲はお気に入りだ。

Youtube-1
Youtube-2   「6.인생은 간이역」(日本語タイトル)「人生は水の駅」
Youtube-3   「9.무정」(日本語タイトル)「砂に抱かれて」

ところで、彼女の「釜山海峡」(1997年)のYoutube映像がないのが残念だ。(カラオケ版は他の動画サイトにあるのだが)

そうそう、神野美伽は1965年生まれなので、イ・ソンヒより一つしただ・・・つまり、同じ世代である。

(Youtubeに登録のsaran06hyonmiに感謝)

(本ブログ関連:"釜山海峡の冬景色はいかに"、"神野美伽の「歌うハングル酒場」")

2016年2月11日木曜日

イ・ソンヒ、レジェンド・アーティスト

6日放送されたKBS 2TVの芸能番組「芸能街中継」で、レジェンド・アーティストの世論調査の結果、イ・ソンヒが4位を占めたことを、デイリアン(dailian)の記事、「チョー・ヨンピル、圧倒的支持で『レジェンド・アーティスト1位』 やはり歌王」(2/10、イ・ハンチョル記者)は次のように報じている。(記事の主旨は、チョー・ヨンピル礼賛であるが)

(本ブログ関連:最近の歌手ファンの調査結果
-------------------------------------------------------
・「歌王」チョー・ヨンピルが、全世代の圧倒的支持で「レジェンド・アーティスト」の1位に選ばれた。

・6日放送されたKBS 2TV芸能番組「芸能街中継」では、特別企画「韓国人が愛するレジェンド・アーティス」の世論調査結果が発表された。

・この日、チョー・ヨンピルは、20代のみで僅差で、故キム・グァンソクに1位を渡しただけで、30代から60代まで全1位を占める底力を誇示した。

・全体の順位2位は、90年代アイコンのソテジとアイドゥルが占め、イ・ミジャ、イ・ソンヒ、キム・グァンソク、イ・ムンセ、ナフナ、キム・ゴンモ、シン・スンフン、ナムジンなどが10位圏に名前を上げた。

・一方、チョー・ヨンピルは、1968年デビューして以後、48年間「友よ」、「赤トンボ」、「Q」、「ソウル、ソウル、ソウル」、「モナリザ」など数多くのヒット曲を流して、「歌王」として君臨してきた。
-------------------------------------------------------

1984年の江辺音楽祭大賞受賞(「Jへ」)、清清しくすっきりとした、爽やかな唱法、少女たちの偶像、姉さん部隊(女学生ファングループ)の始まり、アニメ「走れハニー」主題歌、歌謡界の女王・・・順位4位、支持返答率 23%、3位とのその差何と0.1% (1回答あたり、5人/グループの複数回答)

(Youtubeに登録の아카시아 Acaciaに感謝)

2013年8月29日木曜日

イ・ソンヒのトロット・メドレー みたび

イ・ソンヒの幅広いレパートリーと歌唱力については、何度も何度も触れて来たが、百聞は一見に如かず、Youtubeで彼女のトロット・メドレーの映像に接すれば・・・それで、十分だろう。

彼女がここで歌う3曲については、次の(本ブログ関連)リンクで紹介しているが、・・・<いつでも>うろ覚えのため、ナフナ(羅勲児)の歌に”アムロ”という曲はなかったかなあと思い浮かべたけれど・・・それじゃ、安室奈美恵のアムロでしょ・・・てな具合で・・・頓珍漢にも程がある、ああ、記憶の悪さに針の筵(ムシロ)だ。

(本ブログ関連:”イ・ソンヒのトロット・メドレー”)



(Toutubeに登録の013picに感謝)

2013年2月25日月曜日

イ・ソンヒのトロット・メドレー、ふたたび

イ・ソンヒは、他の歌手とどう違うのかと問われれば、いわゆる色とか癖があるというわけでなく、力強い発声と高音、透明感ある声質というべきなのだろう。しかも、それだけでない。デビュー当時、少女たちを中心にファン層が広がったのは、健康的で清潔感にあったようだ。女性を強調するような歌謡ステージとは異なるスタイルに関心がもたれた。それは決して奇抜ではない、むしろ普通なメガネ姿の短髪の風貌で、ボーイッシュでもあったのだ。彼女の天性の、サニーの愛称に相応しい輝くものがあった。

そんな彼女が、ジャンルにこだわらず、才能のままトロットを歌いあげるステージを、Youtube映像でふたたび見てみよう。デビュー後17年の2001年、実力をいやまして次の曲を歌う。

・シム・スボン(심수봉)の「愛しか私はわからない(사랑 밖에 난 몰라)」(1987年、6集)  → こちらも!
・ナフナ(나훈아)の「ムシロ(무시로)」(1989年)
・チュ・ヒョンミ(주현미)の「片想い(짝사랑)」(1989年)

再掲:Youtube解説) 2001年6月5日のテレビコンサートで、自由大邱文化放送によるとのこと。
(画面に、イ・ソンヒスペシャル「MBC(文化放送)歌謡コンサート」の表示。会場客の年齢は高目です・・・)

(本ブログ関連:"トロット")



(Youtubeに登録のtheykilledmon、013pic、maxmike0320、526apolloに感謝)

2009年10月20日火曜日

大衆音楽専門家アンケート

dcinside.comに、昨年記事だが「ヘラルド経済新聞(헤럴드경제신문)」(2008.3.18)による、 大衆音楽専門家20人に 「韓国で一番歌の上手な歌手を求めるアンケート調査」結果が載っている。
専門家一人当たり5名の歌手を順位なく推薦。下記( )内は推薦数。
★最近歌の上手な歌手は?
1位:チョー・ヨンピル조용필(10)
2位:イ・スンチョル이승철 (9)
3位:イン・スニ인순이(8)
4位:イム・ジェボム임재범(5)
5位:キム・ボムス김범수、チョン・イングォン전인권 (4)
6位:キム・グァンソク김광석、キム・ヒョンシク김현식、ナオル나얼、イ・ミジャ이미자、イ・ウンミ이은미(2)
★技巧、声量など、技術的能力が最も優秀な歌手は?
1位:イ・スンチョル이승철(9)
2位:キム・ボムス김범수(7)
3位:イン・スニ인순이(6)
4位:チョー・ヨンピル조용필(5)
5位:チョン・フンヒ정훈희(4)
6位:コミ거미、ナオル나얼、バク・ソンジュ박선주、パク・ジョンヒョン박정현、イ・ソンヒ이선희、イ・ウンミ이은미、イム・ジェボム임재범(3)
7位:ナフナ나훈아、シム・スボン심수봉、チャン・ピルスン장필순、チョン・イングォン전인권(2)

イ・ソンヒが2006年7月に歌手活動を休止後渡米して在韓していない時期の調査である。彼女が帰国したのは2008年秋のことである。

2009年10月22日木曜日

映画「家門の危機」

韓国文化院で開かれた「韓国映画・ドラマ上映会」に行った。「家門シリーズ」第2作の「家門の危機」を見る。(ちなみに、第1作は「家門の栄光」、第3作は「家門の復活」であるが未見)
物語は、ソウルに進出したヤクザ(白虎組)の跡継ぎである未婚の長男(シン・ヒョンジュン)が、むかしの恋人の面影がある女性と出会い恋に落ちる。彼女は何と暴対担当の検事(キム・ウォニ)だったのだ。そこに、女性検事の先輩の男性検事が登場して、彼らの仲を嫉妬するという狂言回しをするところがみそだ。
イ・ソンヒの「私はいつもあなたを(나 항상 그대를)」を、第1作「家門の栄光」では、主人公のヤクザの娘が想いをつのらせてピアノで弾き語りする。第2作「家門の危機」でも、何と狂言回しの男性検事がこの曲をピアノで弾き語りするものの空しく徒労に終わる。この男性検事(コン・ヒョンジン)は、お笑いコンビ「次長課長」の河本準一にどこか似ていて、憎めないのが可笑しい。
コメディ映画らしく笑いが随所にある。ヤクザの長となって家門を守る母親の還暦祝いに、怪しげなそっくりさんの歌手が出演する。その名も、ナフナに非ず<ノフナ>である。観客のアジュンマたちにとってはどうでもよかったようだが。
(YouTubeに登録のlsh1004732に感謝)

2017年11月21日火曜日

イ・ソンヒのトロット・メドレー

イ・ソンヒがカバーする歌の範囲は果てがなく、どのような歌も、あたかも持ち歌のごとく聴かせる。それも、原曲へ敬意を込めてそこなわず。だから、誰もが受け入れ、納得する。次のYoutube映像にあるように、舞台でトロットのメドレーを披露したときの、会場の雰囲気からそれが容易にわかる。

(本ブログ関連:”トロットメドレー”)

しかも、彼女が最初に歌う、「愛しか私はわからない」の原曲歌手のシム・スボンは、かつて、「後輩歌手たちが歌った(自分の)『愛しか私はわからない』の中で、イ・ソンヒの歌が最も印象に残る」と語ったほど。

イ・ソンヒの歌唱力から、果たして彼女のジャンルは何かと聞かれるたび、どう答えていいのか戸惑うことがある。そこで、イ・ソンヒについてする説明は、「国民歌手」といわれている、ということから始める。

曲目:
・シム・スボン(심수봉)の「愛しか私はわからない(사랑 밖에 난 몰라)」(1987年、6集)
・ナフナ(나훈아)の「ムシロ(무시로)」(1989年)
・チュ・ヒョンミ(주현미)の「片想い(짝사랑)」(1989年)


(Youtubeに登録の526apolloに感謝)・・・何度も使用させていただきます。