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2013年10月16日水曜日

台風26号

台風26号は、太平洋上エネルギーを満喫しながら、好き放題に強風と強雨を撒き散らして関東に接近した。薄明かりの朝方5時過ぎに雨脚はいっそう強まり、ときどき唸り声あげて家を揺らす。

気象庁は警戒呼びかけのため、新たに「これまでに経験のない~」という表現を使うようになり、天候の脅威が深まるなか、今回「10年に1度の~」という強烈な但し書きがつけられた。気象表現が強まれば強まるほど、庶民には自然への無力さが増す。とはいえ、テレビの現場レポートは冷静である。

地元地域について、Weathernews(06:38現在)は次のように解説している。
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大雨のピークは7時頃までですが、外出危険な暴風のピークは10時頃まで。雨が止んだ後も昼前まで外出は控えて下さい。また、朝は交通機関に大きな影響が出る見込みです。
※増水した河川や用水路は大変危険です。近づかないようにして下さい。
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前回の台風20号(9/6)のときも強烈だったことを思い出す。20号の強風が夜闇に襲った不気味さと比べて、今回は朝方明るくなる中でのこと、ちょっと気分が違ってきて、余裕が出るのは不思議だ。

さて、この程度で? 7時頃にピークを迎えるのならばいいのだが。
・・・どうやら、このままでおさまりそうだ。(07:00)
・・・おやおや、07:10頃から上空でしきりに風が唸り、吹き寄せる。このまましばらく様子見だな。
・・・昼前に、いつもと変わらぬ空模様に戻った。

(追記)
KBS WORLDが毎週放送する「国楽の世界へ」を聴取して、その内容と感想を週遅れで記しているが、先週(10/9)は「ハングルの日」記念番組のため休止した。

(追記)
伊豆七島(伊豆諸島)最大の島である大島に、前線停滞による集中豪雨の結果、多数の犠牲者が出た。

2013年10月15日火曜日

台風26号接近

昼過ぎ小雨がぱらつき、夕方には本格的な雨に変わった。雨脚はまだ穏やかだが、この後台風26号の強風・強雨が関東地方を襲う予想。その規模は、10年に1度の勢力とのこと。雨戸を閉めて台風に備える・・・それしか打つ手がないのだ。

TBSニュースは次のように報じている。(10/15、13:05)

首都圏を「10年に1度」の勢力の台風が襲うおそれ
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台風26号について気象庁が記者会見を開き、台風が(明日)16日朝、関東地方に最も接近すると予想される点について、首都圏を「10年に1度」の勢力の台風が襲うおそれがあるとして、厳重な警戒を呼びかけました。

「(関東に接近する台風では)ここ10年くらいで最も中心気圧が低いこれほどの台風は久しぶりなので警戒が必要」(気象庁予報部予報課 内田裕之主任予報官)

気象庁は、台風26号が16日朝、中心気圧が960ヘクトパスカルと非常に低い状態で関東地方に接近すると予想されることについて、2004年10月に東海地方や関東地方などに大きな被害をもたらした台風22号を例に、「首都圏を『10年に1度』の勢力の台風が襲うおそれがある」と表現して、厳重な警戒を呼びかけました。
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不気味さがます。刻々と迫る台風襲来、待つのはいやなものだ・・・悪い想像が働いてしまう。

2013年10月14日月曜日

体育の日2013

今日は祝日「体育の日」だ。久し振りに小金井公園を散策する。公園広場には、おさなごを相手にする若い家族連れが多い。陽射しも暖かくよい、小さな子どもたちのはしゃぎ声は更によい。

1964年の「東京オリンピック」開催日が10月10日だったことから「体育の日」として祝日となったが、前週末土曜日から3連休になるよう、10月の第2月曜日を祝日とした「ハッピーマンデー制度」(2000年)のおかげで、今年は今日がその祝日になった。(Wikipediaより)

(本ブログ関連:”1964年”)

で、体育の日にちなんで何かしたかというと・・・公園をぐるりと回っただけ。公園内の「江戸東京たてもの園」に寄って、同収蔵品による「武蔵野の歴史と民俗」展を見学する。正直、常設に近いもので、すでに何度見たことのある展示物だが、ちょっと気になったものがある。

観音塚古墳(東京都大田区)出土の水晶製切子玉(きりこぎょく)、碧玉製管玉および丸玉だ。特に硬度7の水晶を、縦長に中央を膨らませるように面切りした形に磨き上げている切子玉に興味を引いた。鉱物採集で、石英を叩くとき、その硬さに閉口するのに、水晶を面加工するなんてどれほど手間取ったことだろう。その時代、石職人がいて(儀式や埋葬品などの)宝石の加工も手がけていたのだろう。

そんなわけで「体育の日」の今日のんびりと、体を使わすに過ごした。

2013年10月13日日曜日

イ・ソンヒ「あなたが私を愛されるなら」

イ・ソンヒの7集に所収の「あなたが私を愛されるなら(그대가 나를 사랑하신다면)」(1991年)は、美しい旋律に載せて呪文のように、もしそうならばと仮定を繰り返す・・・そうなればよいのに。でも恋の歌としては想い続けるしかない、その方が押し寄せる情感が広がる。

彼女が、2011年2月3日のカーネギーホールのコンサート曲目に選んだように、この曲は元気溌剌とした少女から、しっとりとした女性をイメージさせる変曲点となるべきものだった。

(本ブログ関連:”カーネギーホール”)

(Youtubeに登録の여행 숲속に感謝)

2013年10月12日土曜日

10月の真夏日(更新)

昼間、ジャケットの下を半袖シャツにして外出の暑さをしのいだが、額にじわじわ汗が滲んだ。しかし天気予報の通り、夕方には横風が地面を這うように吹いてきて、秋の深まりを思い知らされる。

天頂に雲一点ないのに、陽の沈んだ後わずかに明かりを残した西の空に、灰色の雲がうねうね横たわり、まるで連山のような雲間から巨人が覗き見しているようだ。暑い夏の終日なら、そんな気にはならなかっただろうけど、秋風の後ろに冬の到来を思うと、自然の振る舞いに既に負けていることに気付く。

ところで、昨日(10/11)都心の最遅「真夏日」を更新したばかりというのに、今日再更新したと時事通信(時事ドットコム)の記事「真夏日、最も遅い記録更新=東京都心で31.3度-気象庁」(10/12)は次のように報じている。
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・北海道付近の低気圧に向かって、南から暖かい空気が流入した影響で、12日も関東地方で気温が上がり、東京都心では最高気温31.3度を観測した。1875年の統計開始以来、最も遅い真夏日となり、11日に更新したばかりの記録を塗り替えた。
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暑いのはうんざり、けれど涼しいのはさびしい、そして寒いのはもっといやだ。今も外では、風が吹き止まずにいるよ。

(本ブログ関連:”10月の真夏日”)

2013年10月11日金曜日

10月の真夏日

秋分の日(9/23)は遠に過ぎたというのに、今日の暑さは秋であることを忘れさせる。温暖化が進んでいるとはいっても、秋となればヒンヤリすることもあって、一度はストーブをつけたというのに、季節がすっかり逆戻りしたよう。

朝からじわじわ暑さが増して、熱気のこもった2階から1階へ退散し扇風機をまわす。クーラーをいれるほどではないが、外出すれば長袖シャツの袖口がピッタリはりつく。額の汗は止まらない・・・これでは夏じゃないか。

読売新聞の記事「都心で最も遅い真夏日…1875年統計開始から」(10/11)によれば、今日は都心の観測史上最も遅い真夏日になったという。
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・日本列島は11日、太平洋高気圧に覆われて各地で気温が上昇し、東京都心は午後1時過ぎ、30.0度を観測した。
気象庁によると、東京都心では1875年(明治8年)の統計開始から最も遅い真夏日となった。

・これまでに東京都心で真夏日が最も遅かったのは、1915年に31.3度を観測した10月9日だった。
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そんなわけで暑い一日だった。夜になっても、熱気が部屋に残っている。外は、きっと落ち着きのない秋の夜空なんだろうな。

2013年10月10日木曜日

イ・ソンヒの「天使は泣かない」

木管の序奏で始まる、イ・ソンヒの4集所収「天使は泣かない(천사는 울지 않아요)」(ソン・シヒョン作詞作曲、1988年)は、端正に4拍子をきざみつつ、次第に高揚するように歌う。女学生ファンの心理に応えた、愛への興味と同時に健全さを併せ持つ。天使に託して、夜から朝への転換、そして永遠をめざすとても前向きな響きがする。

このアルバムが発表された年は、ソウルオリンピックが開催され、ひとびとは明るい朝陽を浴びていたことだろう。

ちなみに、同アルバムには、彼女の代表曲となる「私はいつもあなたを(나 항상 그대를)」(ソン・シヒョン作詞、キム・ミンジョン作曲)が収められている。ともに、無垢な想いを感じさせる歌である。


(Youtubeに登録のcoffeeletterに感謝)

2013年10月9日水曜日

記憶力

今に始まったわけではないが、つまり最初からよかったわけではないのだが、歳とともに記憶力が後ずさりする。歳は増えても記憶力は減るだけ。

最近のタレントさんは、例えばAKBについて誰一人わからない。そんなとき、名前さえ知れば、画像検索とYoutubeで情報を得ることができる。テレビで以前見かけたのなら記憶をよびさませるし、初めてならこういうイメージなんだなとわかる。

ところで、歌手は歌詞をどうやって覚えているのだろう。スタジオなら、譜面台やプロンプター、あるいは手書きカンペのようなもので見ることができるだろうけれど。
ライブの場合、しかも持ち歌でないものを歌うときはどうだろう。ステージの前縁にディスプレイが数台斜めに置かれているのを見るが役立てているのだろうか。・・・歌手に、一言のもとに否定される顰蹙もので、失礼なものいいかもしれないけれど。

実は、イ・ソンヒが「島の赤んぼう(섬집아기)」をテレビのトーク番組で歌っていたが、そのときの歌詞が微妙に違っていて笑いをとっていた。こんなふうに記憶違いも笑って済ませればいいのだが。

2013年10月8日火曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 世宗

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(10/2)に、文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第26回として、朝鮮時代の王であった世宗(세종)大王について紹介した。

まず、世宗大王の人物について次のような説明から始まった。
・ソウルの光化門広場に世宗大王の銅像がある。朝鮮時代第4代の王である世宗大王(1397年5月7日~1450年5月18日)は、1443年ハングル(한글)を考案し、その3年後ハングル作成の目的と原理を記載した「訓民正音(훈민정음)」を公布した。当時朝鮮国内で中国の漢字(漢文)が使用されていた中で、同書にハングル創作の理由を次のように記されている。
「わが国の語音は中国とは異なり、漢字と噛み合っていないので、愚かな民たちは言いたいことがあっても書き表せずに終わることが多い。予(世宗)はそれを哀れに思い、新たに28文字を制定した。人々が簡単に学習でき、また日々の用に便利なようにさせることを願ってのことである。」(Wikipedia:訓民正音

▼「国文余興(국문뒤풀이)」を聴く。「ハングルを学ぶ過程を歌にしたもの・・・ハングルの並びが歌詞となっている」そうだ。・・・国楽のどこに位置づけられるのかな、のどかでのんびりと聞こえる。

次にハングル文字の原理と作品について次のように解説された。
・ハングル文字は唯一、創設者と、その日時、原理まで明らかにされていて、訓民正音の解例本はユネスコ世界記録遺産に登録された。そのハングル文字の原理は、民のために作られたために、5つの基本子音と3つの基本母音の組み合わせからなる理解しやすく、記号のようだが、簡単、かつ科学的な原理が元になっている。
世宗大王は(命じて)、朝鮮建国を綴った(ハングル文献の)楽章、叙事詩である「龍飛御天歌(용비어천가)」や、釈迦の教えをまとめた「月印千江之曲(월인천강지곡)」など、様々な文学作品を残した。「龍飛御天歌」はその歌詞が音楽として現代まで残されていつ。

▼管弦合奏の「與民樂(여민락)を聴く。荘厳な響きがする・・・それにしても洗練されている。

最後に、世宗大王にかかわるイベントについて次のように紹介された。
・世宗大王は音楽の分野にも多くの関心を寄せた。当時、政治と音楽には密着な関係があると考えられた。世宗大王が直接、木の棒で地面に印を付けながら作曲したといわれる「宗廟祭礼楽」は、現在も毎年5月の第一日曜日に、宗廟祭礼を行う際に演奏されており、ユネスコ人類の無形文化にも登録されている。
10月9日は「ハングルの日」で、今年から再び祝日とされた。

▼「私たちが望むわが国(우리가 원하는 우리나라)」を聴く。コラボというか、ショスタコもさぞや・・・今様である。

2013年10月7日月曜日

イ・ソンヒの童謡「青い心 白い心」

イ・ソンヒの童謡集「愛唱童謡(애창동요)」(1993年:9曲+9曲)」に、「青い心 白い心(파란 마음 하얀 마음)」(魚孝善作詞、韓龍煕作曲)が収録されている。日本の唱歌にも通じる、夏と冬の季節と色合いを心に浮かべながら歌う。この歌は、日本の教科書にも載ったことがあるそうだが、現在どうなっているのだろうか。
Youtubeに、イ・ソンヒ自身の歌声が収録されたものが見つからないのは残念だ。

(本ブログ関連:”イ・ソンヒの童謡集”)

この曲について、東京書籍の東書WEBショップには、次のような解説がある。
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・1957年に韓国国定教科書に収録されてから子どもたちの間で広く歌われるようになった童謡です。1950年の朝鮮戦争の時期には,放送局の企画で「明るく美しい歌を歌おうキャンペーン」が繰り広げられ、その中で制定されたうちの1曲です。
清楚ですがすがしく、青く澄み切った空のように美しい気持ちを歌ったこの曲は、多くの韓国の子どもたちの間で歌われ、今日に受け継がれています。歌詞は韓国語の現地読みと日本語歌詞と両方載せています。3拍子の流れにのって明るい声で歌いましょう。隣国である韓国の童謡に親しむ意義深い曲です。    
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2013年10月6日日曜日

イ・ソンヒの「因縁」

久し振りに、イ・ソンヒの13集「四春期」(2005年)所収の「因縁(인연)」を聴いてみよう。映画「王の男(왕의 남자)」(2005年)に使われたといわれるが、実際は映画中で(サウンドトラックとして)使われたわけではないという。同映画未見のため確認したわけではないが、別にミュージックビデオ(MV)風に使われだけのようだ・・・であるから、今後も同映画の鑑賞予定を立てていない。

「因縁」のタイトルについては、他に「絆」とか「縁」などがある。すなわち、東洋の生命観である輪廻的な縁(えにし)をベースに歌っている。今は叶わぬことでも、因縁があればいずれ出逢うこともあるかもしれないという期待を・・・。

(本ブログ関連:”因縁”)

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2013年10月5日土曜日

(資料)イ・ソンヒのスター・ストーリー「2.私が三歳も若く生きることになった理由」

先日(9/27)、「スポーツ韓国」の紙面(1991年3月8日~4月5日)に連載された、イ・ソンヒ27歳当時の「スター・ストーリー」記事の目次を紹介したが、その第2回目をここに載せたい。感謝。

(本ブログ関連:”(資料)イ・ソンヒ(27歳当時)の「スター・ストーリー」”、”資料:이선희 Profile”)


[2] 私が三歳も若く生きることになった理由
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小さいことは美しいんですって?
わたしは背が小さくて、
あなたはわたしを見おろしているじゃない。

まるで、小さな子どもを相手にするように、
あなたはわたしを子ども扱いする。
けれど、わたしは大人よ。

それでも、あなたの前ではどうしようもありません。
胸がドキドキするのに、
顔が赤らむのに、
何の文句を言うことができないのです。

大きくなりたいです。
あなたの心の中で。
あなたの寝ついた間に、こんなに大きくなって、

朝になったら、あなたは見つけるでしょう。
手に負えないほど大きくなってしまったわたしを。


私の自作詩「小さな不満(조그마한 불평)」の全文だ。

私は(陰暦)1964年11月11日忠清南道保寧郡珠山面篁栗里257番地に生まれた。

父(이종규、54歳)、母(최병문、.52歳)は、私が最初の子供なのでそれとなく息子であることを期待したようだ。

更に母の胎夢は唐辛子畑で草取りするものであり、父は裏山で虎が家の垣根の中に入ってくる夢を見たので、内心息子であることを確信したという。

    (参考)「(資料)胎夢

「唐辛子」は言うまでもなく、「虎」も勇敢な男児の象徴だから、息子を望んだのもそれほど無理はなかったと思う。

いずれにせよ私は女の子で世の中に出てきて、山の神を意味する虎の夢のために、私の名前には、神仙の「仙」が入るようになった。

    (参考)イ・ソンヒの漢字名は「李仙姫」である。

娘が生まれただけでも残念なのに、新生児のときの私の姿は、それこそまともに一人前に用を果たすことができるかと疑がわれほどに、「姿」が言葉にならなかったという。両親によると、頭の大きさが体の正確に2倍だった。

私の戸籍上の生年月日は、1967年3月10日である。出生届は3年も遅れたのだ。
書類上は、この世で3年の間、存在していなかった他ならぬ私であり、みれば自然に色々な憶測も多かった。

    (参考)修正届けの遅れは、後の彼女のソウル市議会議員選挙立候補で問題となった。

未熟児なのですぐに死ぬと早合点をして、最初から出生届を先送りしたとか、あるいは戸籍上には64年生まれになっているが67年生まれのふりをして通しているとか・・・。

不本意ながら、なんと三歳も若返ることができた根本的な原因は、祖母と父との間の「コミュニケーション上の錯誤」だった。

その時も今も、常に寺と家を行き来している父は、私が生まれた直後に再び入山した。寺に入った父は、祖母に出生届けを頼んだので、当然戸籍に登載(登録)されていると考えていて、祖母は、昔の田舎の老人たちが当然そうであるように、うっかり忘れていたという。

そのせいで67年に生まれた私の弟も、私の戸籍上の年齢に合わせて出生届を1年遅らせなければならなかった。

大学卒業後、繊維芸術系で働いている弟は、私のために一才ほど減ってしまったことを返って幸いに思っている。 1年の浪人の末に大学に入ったが、各種の書類上は明らかに私の年齢で入学したわけだ。
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2013年10月4日金曜日

(資料)胎夢

韓国の伝承に、婦人が受胎する前後に見る夢(胎夢、태몽)の内容によって、産まれる赤子の男女の区別ができるという。「韓国の男児選好とその問題」(李京銀、杏林大学院「大学院論文集」、2003.3 Vol.1)に、次のような紹介がある。
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・(韓国の)ある婦人が受胎する前後に、婦人自身あるいは夫人の母、姑などの親族が見る夢を胎夢という。
・夢の中でも、竜、蛇、鶴、牛、馬、亀などの動物の夢は男児を産む夢として知られ・・・その他、桃やリンゴなどの果物および花の夢は、女児を産む夢として知られている。
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イ・ソンヒの場合、母親の胎夢で「唐辛子畑」が見られたようで、男児が期待されたという。

AMAZONの商品説明に「唐辛子の意味は・・・ 韓国では昔から家を守るため、特に男児の出産を願うアイテム」なんていうのもある。

ちなみに、唐辛子の形には男児につながるイメージがちょっと浮かぶような・・・かわいらしい。

2013年10月3日木曜日

江戸の残党

岡本綺堂の「綺堂むかし語り」に十歳頃の思い出として、維新後に生きたかつての武士と思われる人物について小文がつづられている。

「市ヶ谷(いちがや)辺に屋敷を構えていた旗本八万騎の一人」だったが身を落とし、おでんを担ぎ売りに来る男がいて、岡本綺堂の父親と挨拶するのを見たという。子どもながらに、「普通の商人(あきんど)とは様子が違うと思った。その頃にはこんな風の商人がたくさんあった。」

あるいは、「四谷伝馬町(よつやてんまちょう)の通りには幾軒の露店(よみせ)が出ていた。そのあいだに筵(むしろ)を敷いて大道(だいどう)に坐っている一人の男が、半紙を前に置いて頻(しきり)に字を書いていた。」・・・「その頃には通りがかりの人がその字を眺めて幾許(いくら)かの銭を置いて行ったものである。」
そして、父に渡された二十銭紙幣を、いわれるままその男の前に置いて一目散に父のもとに戻ったという。・・・「父はなんにも語らなかったが、おそらく前のおでん屋と同じ運命の人であったろう。」

もちろん、新政府によろしく身を寄せたものもいるだろうけれど、「明治十五、六年の頃」でも、器用に生きることのできなかったもの、心に傷を負ったままのものもいた。そして彼らは、その寿命とともに歴史に埋もれた。

2013年10月2日水曜日

イ・ソンヒ 「HIDDEN SINGER」に出演か

サムスンと名目上分離関係にる韓国代表紙「中央日報」傘下の、総合編成チャンネルテレビ局「JTBC」の番組「HIDDEN SINGER(히든싱어) シーズン2」に出演が期待される歌手に、イ・ソンヒがあげられていると、「アジア経済」(10/1)が報じた。
なお、同シーズン2の放送は、10月12日夜11時予定されている。

「HIDDEN SINGER」は、カーテン越しに隠れている本物の歌手と5人のものまねシンガーとが歌を競いあい、聴衆100人がラウンドを重ねながら歌い手を次々ふるい落していくという、生き残りゲーム的な展開だ。見たことはないけれど・・・Youtubeで「HIDDEN SINGER」と検索すれば、大体の様子が見当つく。今まで知らない面白そうな番組構成だ。

同シーズン1では、本物の歌手がそれぞれ優勝している・・・当たり前かな。

2013年10月1日火曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 広大

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(9/25)に、文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第25回として、大道芸人の広大(クァンデ、광대)について紹介した。

まず、広大といわれた人々の紹介から次のように始まった。
・広く大道芸人を指す広大とは、現代の西洋式サーカスのピエロが思い浮かぶが、伝統的な広大は、人々の行きかう通りで楽器を演奏したり、仮面を被って踊った男寺党牌(ナムサダンペ、남사당패)の一団や、綱渡り(チュルタギ、줄타기)を見せたり、笑い話などを聞かせた漫才師たちがいわれた。広大には、パンソリの歌い手も含まれる。朝鮮時代末期、パンソリをまとめた申在孝(신재효、1812年~1884年)は、「広大」という歌を作り、パンソリを歌う広大の条件を示し、「一に人物、二に語り、三に声、四に身振り手振りが必要」と歌っている。

▼短歌「広大歌(광대가)」を聴く。パンソリの重要なキーワードの語りが・・・でもリズムが優先する。

次にパンソリ歌い手に求められる条件を詳しく次のように説明された。
- 「一に人物」は、生まれながらの外見を指す。見目形がいいことよりも、人を相手とするため、好感が持てる顔だったり、様々なパンソリの役に当てはまる、平凡ながらも自在に表情を操れる顔が広大にふさわしい。
- 「二に語り」は、大衆を相手に話したり歌ったりするため、語り上手でなければならない。
- 「三に声」は、パンソリの歌い手としてふさわしい、完成された声を指し、自身の芸事が境地に達した広大にふさわしい声をいう。
- 「四に身振り手振り」は、場面に応じて表現豊かに演じ、登場人物になりきる広大の動きに関する条件だ。
パンソリは一人劇、一人芝居と言われる通り、歌い手にどのような姿が求められているのか想像がつく。

▼パンソリ「赤壁歌(적벽가)」の中から「長承打令(장승타령)」を聴く。随分とドラマチックに聞こえてくる。

最後に、広大の伝統と現状について次のように解説された。
・広大は、人々に笑いや余裕を与えるものの、昔は常に低い身分として差別された。自ら望んで広大になるよりは、引継がれる家業のように伝わった。冷遇された身分ながら、広大たちは練習と訓練にいそしみ、芸を磨きようやく人々の前に立ち、パンソリを伝えることができた。
現在、5大パンソリに発展したのも、こうした広大の努力があったからだ。広大の精神は、国楽が大衆の趣向に合わない現状でも、若い国楽家に伝えられている。

▼「ノモガンネ(넘어갔네)」を聴く。何気ない日常のように、甘く柔らかなフレーズが耳に残る・・・今様である。

2013年9月30日月曜日

(資料)20代の脱進歩傾向

韓国の世代について。イ・ソンヒを取り囲む40代から50代に焦点をあてて世論調査を追跡しているが、20代に新しい傾向があるとのこと。この傾向、どこかで見たようなもの・・・世界的傾向か。

(本ブログ関連:”世代”)

国民日報の記事「[保守化する20代] 『若さ≠進歩』 古い服を脱ぐ」(9/28、チョン・スミン記者)は、韓国ギャラップによる大統領支持率調査の結果をもとに、20代の脱進歩傾向について次のように報じた。(抜粋)

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・・・(専門家は)世論調査で示された20代の保守的立場は、「若さ=進歩」の等式が古いものであることを物語っているが、これを「20代の保守化」と規定しにくいと口をそろえた。「保守化」よりも「脱進歩」にもっと近いものである。

20代の脱進歩は理念より現実に敏感なこの世代の特性に起因する。民主化以後に生まれ、理念的・政治的激変なしに育った20代は、以前の世代とは全く別の「脱近代第1世代」であり、 社会進出を控えて低成長の障壁に阻まれた「低成長世代」だ。理念の問題を熟考する理由は減り、授業・アルバイト、 就職の悩みが必須になった。

当面の問題(イシュー)に敏感に反応するのも、安全保障問題に不安を感じるのも、現実の安定を優先することから始まる。このため、彼らは自分が保守か進歩かの傾向を明らかにするのに躊躇しないが、自分の信念の誕生の背景をきちんと説明できない。専門家たちは、それなりの方法で世の中に反応する20代を責めることはできないと言う。・・・
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2013年9月29日日曜日

秩父鉱山 大黒の河原、石灰沢

朝明けは遅く、夕暮れは早い。薄明かりのホームに始発電車を待ち、待ち合わせ駅を降りて、いつもお世話になる石仲間の車に早速同乗。朝方には、秩父鉱山の大黒の河原に着いた。

[大黒の河原]
朝は少々涼しい。薄手のヤッケを着て鉱物採集を開始した。いわゆる大黒の河原を今回も特定できていないため、いつもの同チャレンジ場所よりだいぶ上流にある脇道から河原に降りて、下流へ歩を進めた。

切り立った岸に川が挟まれて、河原がないような所では、早目に沢の崖を登った。社宅の廃墟跡の幾段もの石組みを横目にして迂回するように下流へ向かった。ある空き地で、キューピー人形や、ブラウン管テレビがぽつん廃棄されたまま置かれているのを見た。そこには若い働き手の家族がいたのだろうか。

途中の河原で鉱物採集をしている親子と会った。彼らも、友だち情報を元に来たものの、場所の確信はないという・・・一体、大黒の河原はいずこ。

しかも、目立った成果をあげられず、白鉄鉱のみ・・・如何んせん。

[石灰沢]
次に、採集場所をずっと上流にある秩父鉱山石灰沢へ移した。こちらも表面採集だけではだいぶきつい。途中昼食をはさみながら、ずっと採集を続けるも、河原の転石が陽を反射してまぶしい。随分と喉が渇く。そんなわけで、ヤッケは御免となった。昼間はやはり暑い。

こちらでは、オーソドックスだが採集種類を次のように増やすことにした。
・孔雀石、磁鉄鉱、黄鉄鉱、黄銅鉱、緑廉石、方解石・石英、
・等質石灰岩

帰宅したとき、辺りはとっくに暗くなっていた。

2013年9月28日土曜日

第68回国民体育大会総合開会式、第13回全国障害者スポーツ大会開式

「国体」のフルネームの話題があって、「国民体育大会」とあらためて確認した。韓国語教室の生徒の一人(若手おじさん、失礼)が、54年振りに東京で開催される「第68回国民体育大会、第13回全国障害者スポーツ大会」の開会式上空を飛行する「ブルーインパルス」を見たいと早退された。

会場は、調布市にある「味の素スタジアム」で、会場の外からも展示飛行が十分楽しめるという。飛行のスケールを考えれば、まさにその通りなわけで、どんなものかわたしも見てみたい気がした。

ブルーインパルスの機体は、川崎重工T-4 (練習機)だが、昔の記憶にノースアメリカンのセイバー(F-86F)がおぼろげにある・・・古いかなあ。ブルーインパルスのベースが、今回の東日本大震災(2011年3月11日)で津波被害受けた、松島基地ということは記憶に新しい。

教室の帰り道、会場の上空をヘリコプター数機が旋回取材しているのが見えた。


(Youtubeに登録のasihika3891に感謝)

2013年9月27日金曜日

寒いのか暑いのか

昨夜は冷えた。そして今朝涼しさが残った。で、ちょいと厚着して出かけたら、昼に汗をかいた。帰りに、スーパーで箱型のケースに入ったアイスクリームとドリップコーヒーを買う・・・品揃えがバラバラである。

この状態は、暑いのか寒いのか、(大阪弁風に)ようわかれへん。夏と秋の汽水域というか、熱力学第二法則状態というか、混沌として収斂(大阪弁風に)せえへん。ただし寒い方向に進むのだけは勘弁して欲しい。寒いのは苦手だ。

今晩、深夜の気温はわるくない・・・寒さが厳しくない。今、アイスクリームを食いながらしたためている。
このまま秋晴れが続けば・・・日曜日も高気圧に覆われ続けて天気が良いという。何かいいことがありそうだ。

2013年9月26日木曜日

彼岸明け

「秋分の日」(9/23)を挟んで前後3日間の「彼岸」が今日明けた。そして、まさに<秋>の深まりを感じる。今晩の帰り道、風に驚いた。本当に秋なんだ。

今朝、テレビの天気予報で、雨雲レーダーに風向きの矢印を重ねたCGを見たが、太平洋沖を大きく東に方向を変えた台風20号の影響で、北風が吹き込むという解説があった。
今晩、上空にうなる音が聞こえたとき、ああ、これじゃあ<冬>だと一瞬思った。風は結構冷たかった・・・。

ところで、遠く離れた相手と通じるには今でも電話だろう。耳元の小さなスピーカーから流れる肉声はどんなにかすれていても実感する。イ・ソンヒの12集所収の「世界中が眠りに落ちた後から(온 세상 잠든 후부터)」(2001年)は、<雪の夜>の電話に最後の言葉を残すよう。


(Youtubeに登録のCool Kidに感謝)

2013年9月25日水曜日

(資料)イ・ソンヒのスター・ストーリー「1.余裕のアピール力を持った歌手」

先日(9/27)、「スポーツ韓国」の紙面(1991年3月8日~4月5日)に連載された、イ・ソンヒ27歳当時の「スター・ストーリー」記事の目次を紹介したが、その第1回目をここに載せたい。感謝。

(本ブログ関連:”(資料)イ・ソンヒ(27歳当時)の「スター・ストーリー」”、”資料:이선희 Profile”)


[1] 余裕のアピール力を持った歌手
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ゆらぐる思い出のページをめくれば
ああ、遂に果たせなかった悔しさと侘しい贖罪が

むかしのことのように、ぼんやりとかすむ窓枠の塵(ちり)のように
ああ、胸に積もるよ、今は遠ざかったあなたの微笑みのように

雨風がなくても春は来て夏は行く
ああ、あなたよ・・・涙がなくても、花は咲き葉はやがて散る

ああ、わたしに残った懐かしい歳月を浮かべて、眠りにつくよ、夢を見るよ・・・


私の6集アルバムに入っている、ソン・シヒョン(송시현)作詞・作曲の「思い出のページをめくれば(추억의 책장을 넘기면)」の歌詞である。今、私の心境はこの歌の歌詞とほとんど差がない。1984年MBC FMの「江辺歌謡祭」で大賞を受賞して以来、過去7年間の歳月は、国内外での数々のコンサート、アルバム発表、ミュージカル出演、そして自作詩集の出版などで息つまるように突き進んだ日々だった。

今しばらく自分自身を整理してみる機会を持たなければならない。ただ音楽に対する熱い情熱一つで声を限りに歌い続けながら、マスコミによって一日で「歌謡界のシンデレラ」になった気持ちを満喫していた当時、ちょうど二十歳の年齢は、いつのまにか27才の女性に成長した。

周りの環境も色々な変化があった。デビュー当時、余裕がなかった家の暮らしも、今はかなり豊かになった。少年少女の歓声と拍手喝采の中にひたすら自惚れていた私はその間に、「公人」としての大衆歌手の役割を考えてみるようになった。それで、今盛んに進めているのが北朝鮮でのコンサートである。叶うなら、平壌の舞台の上で倒れることがあっても、全てを注いでしまうだろう・・・

私を大切にしてくださるファンも、むかしは青少年層一色だったが、今はその方が結婚もして職場も持ち、また、大学に進学したりしているからか、10代から30代に至るまでまんべんなくファンレターを送っていただいている。

その間、私は「歌唱力が優れた歌手」という評をしばしば聞いてきた。そうするうちに、いつからか私はダイナミックでパワーあふれる歌がまさに私だけの個性だと信じるようになった。

だが、6集アルバム「思い出のページをめくれば」では、成人趣向だがスローな味の歌が主流をなす新しい試みでファンに「イ・ソンヒも余裕のアピール力を持つ歌手だ」という認識を一新したことは大切な収穫だ。

今後もずっと、既存の人気に安住せず、冒険になるとしても明るくて希望に満ちたメッセージを歌に入れる作業を継続しようと思う。

今後、この欄を通じて、はじめて私の存在が世の中に知らされた後の7年. そしてそれ以前の20年を淡々と書いていく。まだ多くの人生経験をしたとはいえない私だが、歌謡生活を中間決算するという心掛けで私が過ぎた27年を飾り気なく告白しようと思う。
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2013年9月24日火曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 秋夕

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(9/18)に、文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第24回として、祭日の秋夕(チュソク、추석)の言葉でもある「ハンガウィ(한가위)」について紹介した。

まず、秋の真ん中の名節を表す「ハンガウィ」についての解説から始まった。
・伝承に、新羅の儒理(유리)尼師今王時代、王が王女二人を選び各々に王宮の女性をつけ、陰暦7月15日から機を織らせて8月15日にどちらが多くの布を完成させたか競わせた。負けた側は馳走を準備し、皆共に食事を歌い踊った。
このように八月の中間に行われる集いを「ハン・ガウィ(大・中間の意)」といい、大きな名節を表す。昔からの名節も今は多く忘れられる中、正月、ソルラルと並び、このハンガウィ(チュソク)も代表的な名節といえる。

▼全羅南道の「カンガンスルレ(강강술래)」を聴く。古来南風の海洋に育まれた、女性の生き方に因んだ民俗的に明るく強い遊び歌のよう。

次にハンガウィの民族行事の踊りを次のように紹介された。
・ハンガウィの代表的な遊に「カンガンスルレ」がある。月の出に、海の砂浜、村の広場に女性たちが集まり、彼女たちが中心となる独特なものと言える。手に手をとって円を作り右に大きく回る。空の丸い月と地上で円陣を組む女たちが一体となり、共に声をそろえ歌い回り続ける。日常生活の素朴な題材を表現した様々な表現がある。
- 円陣の中に2、3人が飛び出し、自由に踊るナムセンイノリ
- 前の人の腰にしがみつく形で一列をつくり、一人が列の背中の上を歩いて渡るキワパルキ
慶尚道地方に伝わる「ウォルウォリチョンチョ」ンという遊びは、女性が様々歌いながら円を描いて踊るという点で、カンガンスルレと似ている。これらの踊りの由来については、はっきりとしたことはわかっていない。

▼慶尚道地方の「ウォルウォリチョンチョン(월워리청청)」を聴く。フレーズを、そして後追いを繰り返して・・・女性たちが一体化するよう。

最後に、ハンガウィの大衆の楽しみについて次のように紹介された。
・ハンガウィはその年の収穫を先祖に捧げ、感謝を伝えるところに意義がある。夏、玉のような汗を流し仕事に励んだ農民は、この日ばかりは良い服を着て、お腹いっぱい食べ、余裕あるひと時をを楽しんだ。
中には、経済的な理由で名節の準備ができない家もあった。パンソリ「フンボガ」に、チュソクに、フンボの元に届いた瓜から、米やお金があふれ出る題目は、こうした人々の心内を代弁する一曲だといえるだろう。

▼パンソリ「興甫歌(흥보가)」から瓜を割る題目を再構成した「フンボガうれしと(흥보가 좋아라고)」を聴く。驚きと笑いがとまらない、そわそわする・・・今様の伴奏をつけて。

2013年9月23日月曜日

秋分の日2013

今日は「秋分の日」。ひんやりした曇天の一日。ご近所の通り道で遊ぶ子どもたちの戯れる声が聞こえなかったら、どうといったこともない祝日に終わったことだろう。元気な声はよい、彼らに元気をいただく。

夕方の薄闇を散歩中、一瞬小雨を感じたが、それ以上変化はなかった。静かな一日に終わりそうだ。

こんなときだから、艶やかに紅葉を重ねるもみじの木漏れ陽を、 燃えるように真っ赤に敷きつめた曼珠沙華(彼岸花)の群生を見てみたい。

それから、しみじみと秋を想わせてくれる文部省唱歌「もみじ」(高野辰之作詞・岡野貞一作曲、1911年)を聴いてみよう。

(本ブログ関連:”秋分の日”、”紅葉”)

2013年9月22日日曜日

(資料)イ・ソンヒ(27歳当時)の「スター・ストーリー」

イ・ソンヒのプロフィールについては、ネット上でいろいろと見ることができるが、信頼できるメディアに掲載された彼女自身の言葉を探していたところ、なんと12年前の「スポーツ韓国」紙面(1991年3月8日~4月5日)に、12回に渡って掲載された彼女の「スター・ストーリー」があった。

イ・ソンヒ27歳のときの言葉であり、生硬さも感じられるが、時代と人生を経過した現在、変化や相違があるかもしれないものの、貴重な記録(事実)も含まれているのでここに資料化したい。

内容は次の通りである。(感謝)

(本ブログ関連:”資料:이선희 Profile”)

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[目次] 小さな巨人 イ・ソンヒ
http://sports.hankooki.com/starstory/people/lsh/lsh_main.htm

[1] 余裕のアピール力を持った歌手
http://sports.hankooki.com/starstory/people/lsh/lsh1.htm

[2] 私が三歳も若く生きることになった理由
http://sports.hankooki.com/starstory/people/lsh/lsh2.htm

[3] 宗教者である父と、自然と友だった幼い子ども時代
http://sports.hankooki.com/starstory/people/lsh/lsh3.htm

[4] 頻繁な転校と、「病気っ子」といわれていた国民学校(小学校)時代
http://sports.hankooki.com/starstory/people/lsh/lsh4.htm

[5] 私はもうこれ以上内気な子どもではなかった
http://sports.hankooki.com/starstory/people/lsh/lsh5.htm

[6] キリギリスのように歌いながら高3の熱い夏を...
http://sports.hankooki.com/starstory/people/lsh/lsh6.htm

[7] 「江辺歌謡祭」の裏話
http://sports.hankooki.com/starstory/people/lsh/lsh7.htm

[8] 夜の舞台時代の警備員の話
http://sports.hankooki.com/starstory/people/lsh/lsh8.htm

[9] 忙しい活動の中の毎日
http://sports.hankooki.com/starstory/people/lsh/lsh9.htm

[10] 「それが歌なの 発声練習では」
http://sports.hankooki.com/starstory/people/lsh/lsh10.htm

[11] 私の華麗な事件
http://sports.hankooki.com/starstory/people/lsh/lsh11.htm

[12] 統一のための触媒になりたい
http://sports.hankooki.com/starstory/people/lsh/lsh12.htm

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2013年9月21日土曜日

転寝(うたたね)

いつもファストフードのメニューを見て、朝食セットの写真が気になり、どんなものか食ってみようと今朝出かけた。丼飯に生玉子、納豆、ヒジキの煮物と味噌汁といったシンプルな組み合わせだが、朝の食事をはずしがちなものにとって結構ヘビーでありヘルシーだった。

ちょいとコンビニに寄って新聞を買う。図書館に到着したものの開館まで30分間あって、のんびり紙面に目を通す。新聞記事のポイントは朝方ネットで一覧したタイトルと同じわけで、関心記事だけ拾い読みする。

図書館入り口には利用者が並んでいる。入館後、学習ルームのデスクを借りるわけだが、ここからが問題だった。昨日の夜更かしが過ぎたか少々、いやかなり眠たい。隣の学生は・・・なんと、早々デスクに頭を置いて転寝を始めたではないか。おいおい、そちらのモードに引き込まないで欲しい。

そんなわけで、図書館を午前で切り上げて一旦自宅に戻る・・・今日は暖かくて昼寝したくなるな・・・そうはいかない、午後の準備もしなくちゃ。


(付記)
NHKスペシャル「神の数式」(第1回)が放送された。この世界をあらわす美しい神の数式には・・・結局、粒子と質量まで説明されているが重力が組み込まれていない・・・といってもねえ、転寝しなかったけど、自分たちの世界というより不思議世界の話を聞いているような気分だった。
洞窟、数式、最近は深海も大好きなNHKらしい大変良心的な番組だった。

ところで、第2回は明日21:00から。えっ、半沢直樹とバッティングするよ・・・。

2013年9月20日金曜日

彼岸の入り

来週月曜日(9/23)、祝日でもある「秋分の日」を中心に、その前後3日間ずつを合わせて計7日間を「彼岸会(ひがんえ)」と呼び、今日はその第1日である。仏教用語につながる言葉だが、実際は太陽の動きと関連した古い伝承のよう・・・いかに。

太陽の日照変化は、生存と生産にかかわる重要な現象だけに、世界の民族は春分、秋分の日にさまざまな行事をおこない平安を祈る。気候がいよいよ冬に方向を切り換える秋分の日の、今日はその入り口なのだ。

秋になると、イ・ソンヒの2集所収の「秋の風(갈바람)」(1985年)の聴かなければならないだろう・・・何度聴いてもすばらしい、秋の風にこころも奪われるよ。

(本ブログ関連:”秋の風”)


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2013年9月19日木曜日

十五夜

今日は旧暦の八月十五日、陽の落ちた帰り道、東の空にくっきりと輝く満月が浮かんでいた。今晩の月を中秋の名月という。

外出の帰り道、吉祥寺の駅ビルで「月見だんご」でもと探したが、食品フロアに十五夜に団子を供えるといった祭事の気配は見つからない。そんなものかなと、地元駅の街にある和菓子屋に寄ったところ、閉店の最中・・・あきらめることにした。

団子がなくても、まんまるお月さまはいらっしゃる。十五夜の童心に帰ったよう、ちょっとはしゃいだ気分になる。

ところで吉祥寺の書店で、「桃源郷 - 中国の楽園思想」(河合康三、講談社選書メチエ)をもとめた。同書の「はじめに」におやっと思わせる、こんな記述がある。

「中国の楽園といえば、誰もがすぐ桃源郷を思い浮かべる。陶淵明の『桃花源記』が描き出した桃源郷こそ、典型的な楽園と考えられてきた。」
「桃花源はそれほどよく知られているのに、中国にはそれに類する話、それに続く話が意外に少ない。典型的な楽園を描いた作品は『桃花源記』がほとんど唯一のものだといってもよい。」
「(楽園とは異なる方向に向かった思いの先の)その一つは仙人の住む世界である。」

・・・なんだか、いい感じがしてきました、先が楽しみです。

(本ブログ関連:”桃源郷”)

イ・ソンヒの「狐の嫁入り(여우비)」以来、狐<神仙<・・・桃源郷へと、気ままであるが興味が広がる。関心に一貫性があるかは別にして、夢想はみるみる拡大する。わたしにとって、イ・ソンヒのイメージが強固になるようだ。それは楽しいことでもある。

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2013年9月18日水曜日

秋ひんやり

昼間はまだ暑いくらいで半袖を着ているが、陽がかげると秋なんだなあと気付く。ここ数日夜半の冷え込みがはげしい。一昨日から夜には毛布と長袖が必要になった。

秋の気付きに風の音があるけれど、今秋は台風のおかげで詩情どころではなかった。それでも、気温の変化には素直に反応する。歳をとると、肘の外側が冷えることに気になる。

涼しくなると物淋しい、寒くなるのはごめんだ。秋はすぐに過ぎて、冬の入り口としか思えない。

ところで、手入れの素晴らしいご近所の栗林は、台風が落とした毬栗をすぐに片付けられていた。季節にきちんと向き合う人には、こんな愚痴は関係ないだろう。

2013年9月17日火曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 ふるさと

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(9/11)に、文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第23回として、「ふるさと(고향)」について紹介された。

まず、ふるさとへの思いを語る言葉と心象について次の紹介から始まった。
・熟語に「首丘初心(수구초심)」がある。キツネが自分の死を悟ったとき、こうべを自らが住んだ洞穴に向けるということから、故郷を懐かしむ心の意として使われる。死しては故郷の土に帰りたいという心を語る言葉だ。
生まれ育った場所、竹馬の友と遊んだ記憶。また、ふるさとにいる両親を思うこうしたふるさとへのイメージは、現代も懐かしさという名で刻まれているようだ。

▼童謡「故郷の春(고향의 봄)」(1923年頃)を聴く。ちょっとアレンジが・・・児童が歌うのかと思いきや。

次にふるさとにつながる神話や熟語を次のように解説された。
・神話を伝える「三国遺事(さんごくいじ)」(13世紀末)に登場する古朝鮮の始祖檀君(단군)に始まり、高句麗の朱蒙(주몽)、新羅の朴赫居世(혁거세)、金閼智(김알지)、伽耶の金首露(김수로)王などは、天から降臨または降臨した人物の子孫である。
ふるさとを「故郷山川(고향산천)」とも呼ぶ。懐かしい人々、夏には友と水浴びをし、魚を捕まえて遊んだ川、秋には栗を拾い、薪を準備した裏山。自然風景もふるさとの大切な要素だ。
詩人朴木月(박목월、1916年1月6日~1978年3月24日)に、ふるさとは故郷で見た月の如く常に傍らにあると歌った作品「故郷の月(고향의 달)」がある。

  こうこうと明るいあの月は、故郷の月だ、故郷の月だ。
  千里離れても、私について来たのか。
  故郷山川を思い描くこの心は、変わることがない、変わることがない。

▼朴木月の詩「故郷の月」(作曲黄秉冀、1936年~)を聴く。古調に発声の新しさが重なり合って・・・しっとりします。

最後に、ふるさとについて次のように故事に触れられた。
・昔、百済滅亡後、国を失い再びふるさとに帰ることができず唐の人となったり、また一部は日本に渡ったという。
パンソリ「沈清歌」でも、主人公沈清は最終的には皇后となったが、故郷の父を忘れることができず、空飛ぶ雁の群れに父への手紙を渡してくれと歌う。

▼パンソリ「沈清歌」の中から「秋月満庭(추월만정)」を聴く。想う心があってこそふるさとである。


(追記)
昨夕につづき今日も、美しい夕焼けを見た。夕陽は赤く、雲は薄紅に染まり、空はどこまでも深く青かった。

2013年9月16日月曜日

イ・ソンヒの「四春期」

強弱をつけて襲う風に、二階の窓が揺れる。朝からテレビは、各地の台風による被災状況を中継した。進路をこちらに向けて近づく台風に恐ろしくなる。そんなわけで、階下に降りると、変なもので強風を感じないですみ気が休まる。
昼になると、外は忘れたように少し風が残ったものの、嘘のように落ち着いてきた。

イ・ソンヒの13集アルバム「四春期(사춘기)」(2005年)のタイトルと同じ「四春期」を聴いてみよう。旋律は明るく素直、決してドラマチックでないけれど穏やかだ。毎日毎日、少しずつ互いに似ていくという、もしかしたら平凡だけど一番だね。自然も生き方も、平穏が一番。

(本ブログ関連:”四春期”)



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(追記1)
天気も回復して出かけて、用事を済ませ帰ろうと建物を出ると、夕方の東の空に浮ぶ淡いピンク色の雲の中からうっすらと月の明かりが見えた。次に陽の落ちる西の空を見て驚いた。夕陽を受けて南北に並んだ帯状の雲が赤く染まっていたのだ。実に見事な美しい夕焼け空だった。
思わず帰り道とは逆方向になると分かっていたが、しばらく夕陽を追いかけた。台風一過の贈り物である。ただし台風のせいで、近所の栗畑では、緑色の毬をつけた大きな栗の実がいくつも落ちていたけれど。

(追記2)
今回の台風は、日本に上陸するまで気圧を下げて強力化した新しいタイプだ。
テレビの気象予報士が話題にしたことだが、このまま温暖化が進めば、将来日本近海で台風が発生する・・・そんな時期がくるかもしれないという。、

2013年9月15日日曜日

日曜はだめよ

やっぱりというか思った以上の雨降りだ。朝方7時前後、天空の貯水池が決壊したかと思わせる、蓮っ葉で詩情のかけらもない土砂降りになった。雨粒などは無縁だ。それでも、およそ10分過ぎにはおとなしくなり、いつもの雨音に変わった。その後の静けさはうそのよう。

先日(9/13)、秩父鉱山鉱物採集の再延期を相談したとき、今日の雨降りの予報は午後だったと思が、どうやら早まったようだ。・・・そして気を許してはいけないみたい。

毎日jp(9/15)によれば、こちらに台風が上陸しそうと、次のように報じている。
・大型の台風18号は、15日には次第に進路を東よりにかえ、暴風域を伴いながら四国の南から紀伊半島沖を北東に進み、16日には東日本太平洋側に上陸する恐れがある。
・15日午前7時現在、東京都、神奈川県、茨城県、静岡県の一部に大雨洪水警報、愛知県の一部に波浪警報が出ている。」

朝方、Weathernewsの関東エリアの「雨雲レーダー」によれば、まだ安心してはいけないようだ。
雨雲が北へ移動中   北へ進む雨雲が通過して、パラパラ・サーッと雨を降らせます。特に昼過ぎにかけては活発な雨雲が通過して、激しい雨や雷雨となることがあります竜巻などの激しい突風を伴う可能性もあるので、注意して下さい。13時前後まで強い雨が続きます

まあ、そんなわけで「日曜はだめよ(Ποτέ Την Κυριακή)」(1960年)・・・真面目もいいけれど、こんなときは陽気に笑って過ごそう。



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2013年9月14日土曜日

(資料)狐、托枳尼天、稲荷

稲荷の成立について、狐と托枳尼(ダキニ)の関係について。

(本ブログ関連:”稲荷”)

折口信夫「信太妻
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・日本の狐も、上古と近世には、やさしい感じを持つて語られて居るが、平安朝から後久しく、恐しくて執念深いものとなつたのは、托枳尼(ダキニ)の修法の対象として使はれたせゐであらうと想像してゐる。
・稲荷の狐は、南方熊楠翁の解説によれば、托枳尼修法の対象なる托枳尼(ダキニ)と言ふ狼の様な獣の、曲解せられた物だと言ふ事である。其は、外来のものであるが、固有の使はしめと思はれて居るものにも、此類の役獣がありさうな暗示にはなる。

J-Wikipedia「托枳尼天(ダキニテン)」
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習合: 狐は古来より、古墳や塚に巣穴を作り、時には屍体を食うことが知られていた。また人の死など未来を知り、これを告げると思われていた。あるいは狐媚譚などでは、人の精気を奪う動物として描かれることも多かった。荼枳尼天はこの狐との結びつきにより、日本では神道の稲荷と習合するきっかけとなったとされている。なお、狐と荼枳尼の結びつきは既に中国において見られるが、狐(野干)に乗る荼枳尼天の像というのは中世の日本で生み出された姿であり、インド・中国撰述の密教経典・儀軌には存在しないものである

<検討>
稲荷の起源と隆盛、発展と分岐は注意を要する。現在の稲荷信仰には、仏教系(托枳尼)と神道系があるが、どちらが歴史的に先に成立したのか。稲荷と狐の関係は成立と同時期か、それとも成立後に付け加えられたものか・・・知りたいところだ。

2013年9月13日金曜日

中島みゆきの「あした天気になれ」

先週日曜日、空模様が怪しいという天気予報があって、秩父鉱山の鉱物採集を延期した。今度こそ楽しみにしていた明後日日曜日の仕切り直しは、台風18号の影響もあり、残念ながら再延期しようということになった。
日曜日にしか行けないという我がままを聞いていただき、迷惑をかけ続けている。恐縮。

雨が好きではないのに、どうしてかなあ・・・うまくいきませんが、明日は何かいいことあると思いますよ。そんなわけで、中島みゆきの「あした天気になれ」を聴こう。

(本ブログ関連:”中島みゆき”)



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2013年9月12日木曜日

風立ちぬ

新大久保で仲間と貴重なよもやま話をした後、電車で帰る途中、宮崎駿作品の「風立ちぬ」を見ようと吉祥寺の駅を降りた。

アニメ「職人」として、宮崎監督の思いや美意識のすべてがこの映像に込められたのではないかと思ったりした。

「飛行機は美しい」と発することができるか。要求された仕様を求め満たすことから創られる、機能美、造形美に耽溺できるかということだ。しかし飛行機は、道具としての意味合いから、この言葉は誤解されやすいのも事実だ。

堀越二郎の設計による九試単戦のイメージ(モックアップ)は、この作品の基調をなしていたような気がするが・・・コルセアを思い出してしまった。それは、海鳥が海面下の魚群を求めて上空から飛び込むときの翼を思わせる。いかにも鋭敏な機能美がある。

ところで、作品中、随所に登場した計算尺が懐かしい。技術屋だったという祖父の遺品の計算尺を持って受けた授業を思い出す。あの真っ白で滑らかに動く、乗除計算をする計算尺は、中学生にとって不思議だった。対数目盛りを使っているなんて後で知るわけだが。(実際の授業では、教材用の簡易な計算尺が配られたはず・・・)

そして、美しいところだけを残して去ったヒロインが忘れられない。今までの宮崎作品の女性像とは違って、思わず一瞬息が詰まるような、血管が透けてみえる生身の人間を感じた。(男の視点からだろうけれど・・・)

(本ブログ関連:”飛行機が好き”)

(付記)
米ノースロップ社のフリーダムファイターがタイガーの名で主役からはずれた後、タロンの名で練習機として、特にNASA仕様でスペースシャトルの帰還・着陸時に随行した光景が目に残る。あの真っ白で優美な機体は、空の女王に相応しい。

2013年9月11日水曜日

リンゴを4分の3ほど食っちゃった

早いもので、文具店には来年の手帳が並んでいるし、eメールで新しい年賀状ソフトの割引案内まで来る・・・そうだ、夏が過ぎれば、秋、冬は一気呵成、一年はあっという間に終わってしまう。

今月も初旬が終わり月末にでもなれば、一年をリンゴに例えれば、4分の3食ってしまったことになる。リンゴを立てに輪切りして残った部分を見ると、どれだけ消化してしまったか驚くだろう・・・今年は、もう少ししかないのだ。

ところで輪切りにするのに、MRIなんてあるけれど、あれは凄いね。うるさいというか、ゴトゴト音を立て、まるで今輪切りにしてますよってな感じで撮影が進む。事前に閉所恐怖症じゃないかという確認まであって、体がスライスされていくようで・・・少々怖い。

リンゴのように食われるわけではないので、MRIは終われば五体満足のまま。画像診断の結果はその後に知らされる・・・あっと驚いたりして。そう、この一年も・・・あっと驚いたりして。

2013年9月10日火曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 月

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(9/4)に、文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第22回として、「月(달)」について紹介された。

「月」の話題の始めに、中国宋代の詩人”蘇東坡(そとうば)”について次のような紹介から始まった。
・蘇東坡は本名を”蘇軾(そしょく)”といい、父親の”蘇洵”、弟の”蘇轍”と共に”三蘇”と呼ばれた。彼らは唐・宋の八大家に属したことから、蘇家の文学的資質が察せられる。それだけに災いに巻き込まれることも多く、蘇東坡は、権力者の目に届かぬ処に長く流刑の身を強いられた。過酷な人生が、皮肉にも文人としての才能を開花させた。
陰暦の”ボルム(보름)”、つまり15日の最も明るい満月で知られるが、実は翌16日頃が一番丸く明るい。こうした月を眺め、ゆったり流れる川に船を浮かべ、客人と酒を酌み交わしながらうたった詩が、蘇東坡の代表作「赤壁賦」だ。

▼「赤壁賦(적벽부)」を聴く。水の流れが速いのかな、軽快なテンポで進む・・・。


壬戌之秋
壬戌(みずのえいぬ)の秋

七月既望
(陰暦)七月の既望(十六日)

蘇子與客泛舟
蘇子、客と舟を浮べて

遊於赤壁之下
赤壁の下に遊んでいるとき

清風徐來
清風(澄んだ風)が、徐(おもむ)ろに吹いて来て

水波不興
水波は興らず穏やかだ。

舉酒屬客
酒杯を挙げて客に勧め

誦明月之詩
(詩経にある)”明月の詩”を誦し(歌い)

歌窈窕之章
”窈窕の章”を歌うとき

少焉月出於東山之上
少焉(やがて)、月が東の山の上に出(い)でて、

徘徊於斗牛之間
斗牛(北斗七星)の間を過ぎていった。

白露横江、水光接天白露
白露(霧)が江(川)に横たわり、水光(水の色)は空に写っていた。

・まさに風流と言える。月が明るくきれいに照らす夜は、 蘇東坡でなくても感情が豊かになり、詩の一編もしたためたくなる。韓国にも同じく、月の夜の情景を詠んだ詩が数多く残されている。その中でシジョ(時調、시조)として今も歌われる作品「月正明(월정명)」がある。

     月が本当に明るくて、秋の川に船を浮かべてみた。
     子供に川の中の明月を取り出して、
     月見をさせてやりたいものだ。

▼時調「月正明」を聴く。月に照らされ振り返って見れば、長く伸びた自身の影に驚くよう。

月についての民族性と満月の夜の催しについて次のように説明された。
・昔は陰暦を基準に生活した。月の満ち欠けから歳月の流れを推察し、天に向かいチェサ(祭祀、제사)を行ったりした。強い熱と光を持つ太陽が男性を象徴し、穏やかでほんのりとした月は女性を象徴した。そのため、月は多産や豊作を意味した。
月が最も明るい旧暦1月と8月の15日に、大切な名節も位置づけられ、この時期、今も各地で豊年を祈願する様々な催しが行なわれる。
月の明るい秋の夜、思い浮かぶのは、懐かしい人々の顔ではないか。男唱歌曲のオルラク(言楽、언락)もこうした月の夜に恋しい人を思う心情を歌った一曲で、明るい月が庭を照らし、窓に木の陰が揺れるだけでも胸がときめく、と歌っている。

▼男唱歌曲「オルラク(언락)」を聴く。揺ったりして優雅・・・随分とソフィストケートされている。

2013年9月9日月曜日

イ・ソンヒの「自転車」

歩いては時間の余りの緩やかさのため、自動車ではあっという間に過ぎるため、通り道の微妙な起伏は気付かぬものだ。そんなとき、自転車はペダルを漕ぐ足に、流れる景色を視る目にわずかな傾斜まで感じることができる。

自転車は、ほどほどに惰性で進む。坂道を上がるときは力が要るが、下るときは任せたまま。急な坂道になれば、その差は激しい。平たい道を進むときは、自分の力加減で速くも遅くもなる。景色の流れる速さも違ってくる。そして、止まる場所も自分で決めればよい。

イ・ソンヒの13集所収の「自転車(자전거)」(2005年)は、もしかしたら坂道も見ず、そして気付かず、ちょっとフラつかせながら想いだけで走っている自転車のよう。もったいないけれど、若いときは、いつだって主人公は自分ですから。チリリン。

(本ブログ関連:”自転車”)



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2013年9月8日日曜日

2020年東京オリンピック決定

本日予定の秩父鉱山鉱物採集は、空模様が芳しくなく、来週に延期になった。午前4時に決まった。昨日(土曜日)か今日(日曜日)に、鉱物採集へ行こうと誘っていただいたのに、自分の都合で今日に延ばしたところ、あいにくの空になってしまった。恐縮の至りだ。

Weathernewsは、4時現在、埼玉県秩父地方の天気を「午前中と夕方以降に雨が降りやすく、ザッと強く降ったり、雷の可能性もあります。ただ、昼頃から夕方前は雨の止み間が多くなる見込みです。」と予報している。

秩父鉱山の場合、沢に入ることもあるので延期がベストだろう。因みにWeathernewsは、当地の天気についても上記と同様のコメントしているため、今日は一日おとなしくしていよう。

さて明け方を騒がした、2020年オリンピック開催地のIOC投票経過には驚いた。

上記の通り、鉱物採集について電話相談していたとき、第一回の投票で過半数を超す開催地が決まらなかったため、東京を残してイスタンブールとマドリードによる2位争いの再投票が行なわれイスタンブールになった。直後、東京とイスタンブールによる最終投票が実施された。結果は5時発表という・・・そのままテレビを見続けてしまう、眠れないじゃないか。

テレビ解説で、一般的な予想と比べてマドリードが脱落したことについて、将来のパリオリンピック開催とか、次のIOC会長候補に同じヨーロッパ圏(ドイツ)のひとがいるからとか、裏側の駆け引きが関係しているという話も聞こえてきた。

05:20、2020年オリンピック開催地が東京に決定。逆転の可能性もあったので驚きでいっぱい。

2020年の新しい日本が見えるようだ。

2013年9月7日土曜日

白露2013

今日は二十四節気の立春から数えて15番目に当たる「白露(はくろ)」だ。昨晩から、涼しさが急に増し、扇風機の用もなく寝苦しさから解放され、秋の気配が一層深まった。

白露の名の通り、露を結ぶ時期である。この露に、神仙の香りが加わって霊水になれば、うまい酒ができるのでは。そんな銘の酒はないのだろうか。どうやら、山形の地に白露の名を冠した清酒があるようだ・・・ちょっと飲んでみたい気がする。

2013年9月6日金曜日

飛行機が好き

宮﨑駿(みやざき はやお、1941年1月5日~)監督のアニメ作品を映画館で見たのは唯一「紅の豚」(1992年)だけだが、他の作品についてもテレビ放送されたものをいくつか見た。それらの中に、天翔る飛行機の雄姿を夢見た少年時代を経験したものに感応できるものがあった。

ところで、中学時代のこと、技術・家庭科の男子向け授業の終わりに、教師が黒板にチョークで、しっかりしたぶれのない線で飛行機の三面図を描いてくれた。生徒たちに、設計投影図に少しでも関心を持たせたかったのだろう。地味な感じだが誠実な教師の記憶が今も残っている。

当時、少年漫画雑誌に太平洋戦争を背景にした少年パイロットの物語が連載されていた。宮崎監督が今回題材にされた「零戦」だけでなく、「紫電改」などいろいろな機種が登場した。
普段からそんな漫画に接していた少年たちにとって、教師が黒板に飛行機の絵を描いたからといって、決して突飛なことではなかった。

今日、宮﨑駿監督の引退の記者会見があった。時代に対するいさぎよさを感じる。
監督は、飛行機つまりメカが大好きなようで、今回話題の作品「風立ちぬ」は、その集大成なのだろう。同作品未見のため、詳しく存じないが、飛行機の設計者のはなしのようだ。近々必ず映画館で見たいと思っている。

因みに、わたしの好きな飛行機は、いろいろな用途、輸送機や旅客機に使われた双発の星型レシプロエンジン(P&H製)の、あのスタート音がたまならないダグラスDC3だ。後年、ハワイ飛行中のコックピット内でのやりとりが録音されたカセットテープ(「DC3 Nostalgic Flight in Hawaii」1981年、KSZ5288)を入手して、ヘッドホンで大音響にして何度も聞いたことを思い出す。

(参考)「【航空100年】DC-3特集 DC-3コックピットの録音」に感謝。録音のいきさつ・・・そうだったのですか。

2013年9月5日木曜日

大雨警報

今日の日付に変わった午前2時頃、強烈な土砂降りの音に目が覚めた。外が明るければ、雨脚の様子も確認できたろうけれど、真夜中では屋根を打つ雨音の激しさだけだ。九州に上陸した台風17号は、温帯低気圧に変わった後も、影響を残している。

ネットを見れば、気象庁から東京地方の「大雨と雷及び突風気象情報」が次のように出ている。
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[気象状況]
北日本から東日本に前線が停滞しています。この前線に向かって暖かく湿った空気が流れ込んでいるため、関東甲信地方では大気の状態が非常に不安定となっています。
 
[防災事項]
東京地方では、5日明け方にかけて1時間に60ミリの非常に激しい雨の降る所があるでしょう。
低い土地や地下施設への浸水、河川の増水、はん濫、土砂災害に警戒してください。  (以下略)
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東京都に大雨警報が発令されたようだ。
10分も続かないが、気分は1時間100mmの豪雨が繰り返しやって来て・・・次第に遠のいていった。

ウェザーニュースの雨雲レーダーによる解説では、伊豆半島-神奈川-東京に至るライン状の雨雲がずっと居座り続けているとのこと。そして、午前3時過ぎた今も、小振りながら雷鳴を混じえた豪雨が、忘れたようにやって来る。

2013年9月4日水曜日

釜山アジアド主競技場 公演

メトロ新聞(9/4)によると、イ・ソンヒが、27日、朝鮮戦争停戦60周年に当たり、釜山「UN記念公園」で韓国仏教界による開催予定の「韓半島平和大会」(午前10時から)に続いて行われる、「釜山アジアド主競技場」での公演(午後2時から)に出ると、次のように報じられている。(抜粋)

(本ブログ関連:”仏教信者”、”韓国仏教”)
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・韓国仏教界が停戦60周年を迎えて、韓半島と世界の平和を祈る「韓半島平和大会」を27日開催する。
・記念公演は、キム・ヨンドン総監督の指揮で国楽人ファン・ビョンギと歌手イン・スニ、イ・ソンヒ、ポール・ポッツ、ボビー・キム、イ・エジュ伝統舞踏会、釜山市立国楽管弦楽団など舞台を飾る。
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2013年9月3日火曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 酒

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(8/28)に、文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第21回として、「酒(술)」について紹介された。

まず酒にまつわる詩人の解説から次のように始まった。
・韓国の代表的な酒には、相性の良いつまみも決まっていて、マッコリにはチヂミ、焼酎には海鮮もの、ビールにはチキンがある。ところで、今も昔も酒席が重視され、朝鮮時代のカサ(歌辞、가사)文学で知られる松江鄭澈(송강정철、1536年~1593年)は、政治に力があったが、風流もこよなく愛した人物と知られる。松江鄭澈が残したシジョ(時調、시조)に、酒をモチーフにしたものが残されている。

「ソン・グォンノン*の家に酒が出来上がったという話を昨日聞き、牛に乗って駆けつけた。
おぉ、グォンノンはいるか、私が来たと伝えてくれ。」
(*)ソン・グォンノン(성궐롱)は、鄭澈と親しいソン・フンと言われる。

▼南道民謡「フンタリョン(흥타령)」を聴く。菊酒を月明かりに照らされて飲みあかそうか・・・ゆたりと時間が流れるよう。

伝統の酒について次のように紹介された。
・昔、酒は、よき人々と共に心酔うものと考えられ、名節や節気など先祖の祭祀を捧げるため、家々で作った酒を「家醸酒(가양주)」と呼んだ。家門、酒作りの腕、さらには地域によって多種多様な味と香りを醸し出した。名のある家門の酒は上等を表す「名家銘酒」といわれ、客も、先祖のための祭祀(제사)も多かった。自然、酒を造る頻度も多くなり腕が上がった。
今も各地に伝統酒が残されていて、慶州の法酒(ポプジュ)/全州の梨薑酒(イガンジュ)/京畿道のムンベ酒/済州島のオメガ酒/忠清南道沔川の杜鵑酒(トゥギョンジュ)/韓山の素穀酒(ソゴクジュ)/珍島の紅酒(ホンジュ)などがある。

▼朴木月(박목월、1916年~1978年)の詩、チャン・サイク(장사익、1949年~)が歌う「旅人(나그네)」を聴く。酒の香り引き寄せられ、漂う雲のように、いや月のように・・・酔っているかな。

高麗時代の文人と、仕掛けのある酒器について次のように語られた。
・高麗時代の文人李奎報(이규보、1168年~1241年)は、詩とコムンゴ、そして酒を楽しむことを日課とした。酒がないと詩を書くこともできず、「酒でほろ酔い気分となり、体の力が抜けると心が活発となり、踊りも踊り歌も歌う。これは全て酒がさせたことだ」といった。
昔の人も酒の良し悪しを知っていて、教訓を込めた「戒盈杯(계영배)」が残されている。この杯は、70%以上酒が注がれると、自動的に全ての酒が下へ流れ落ちる仕掛けになっている。

▼「倡夫打令(창부타령)」を聴く。まるで言葉を旋律のように、するすると入り込んでくるような、軽快さと摩訶不思議な・・・(俺は)酔っているのかなという感じ。

昨日の竜巻

昨日、夏の陽射しを思わせる暑い晴れた昼過ぎ、遠く北西の空に真っ白な巨大な雲が浮かんでいるのが見えた。それは、一般的な積乱雲の説明にあるような柱状のものではなく、どちらかといえば玉子を横向きにしたような巨大な形状だった。

同じ時間帯だったと思うが、YOMIURI ONLINE(9/3、01時39分)によれば、「(昨日の)2日午後2時過ぎ、埼玉県越谷市など同県東部と千葉県野田市で突風が発生」し、「気象庁によると、巨大な積乱雲『スーパーセル』が発生していた可能性が高いという。」ことだ。

高温、ゲリラ豪雨を伴う亜熱帯化が進んでいるかと思えば、北米のような竜巻まで例年化してきている。この辺りも、台風の強風で家が軋んだこともある。
気象、地震、そういえば「地震、カミナリ、火事、親父」か。冷や水のままであればいのだが。

2013年9月2日月曜日

イ・ソンヒのカバー「その時 その人」

イ・ソンヒが、全国ツアー中の2009年7月5(日)、「清州芸術の殿堂」のステージで、シム・スボンの「その時 その人(그때 그 사람)」をカバーしている珍しい映像がYoutubeにある。それは、1978年の第2回「MBC大学歌謡祭」で、当時、明知大学校経営学科在学中のシム・スボンが作詞作曲したトロットにジャズ風味のスタイルで歌った、後の彼女の代表的な曲のひとつだ。

K-Wikpediaによれば、「シム・スボンは、参加した歌謡祭で入賞をすることはできなかったが、大学歌謡祭で初めてトロット・ジャンルで出場した異色な経歴に大衆に注目されるという、自身が学んだジャズ音楽でないトロットで初めて歌謡界に足を踏み入れた。」ことになる。

(本ブログ関連:”シム・スボン”)

まずは、イ・ソンヒの選曲に会場がわいた後、客席と一緒に歌う「その時 その人」を聴いてみよう。



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2013年9月1日日曜日

超小型電気自動車

これからは二輪の自転車より、四輪車の方がむしろ安全だよと、親類との電話で知らされた。市内を巡るのに、両隣り駅以上行動するには電車を利用するしかないが、両隣り駅までの範囲内なら自転車が便利だ。日頃、公園や図書館へ通うのに、自転車が重宝している。

自転車は、自身の転倒や事故と遭遇の危険性を考えると、周りを剛体で囲んだ乗り物(四輪者)の方がもっと安全というわけだ。そこで生活圏での利用車である、正式名称「環境対応車(超小型モビリティをはじめとする電気自動車等)」、いわゆる「超小型電気自動車」はどうだろうか・・・と話題になった。

超小型電気自動車については詳細を知らないが、Youtubeやネット記事などを見ると、ちょっと魅かれるものがある。できれば、一回充電(2時間位いで)で航続距離200Kmなんて・・・無理だろうか。

自転車の場合、駐輪は容易だが、超小型車とはいえ自動車であるだけに、高齢化時代に台数が増えれば、特に近距離利用を目的にしているため、身近な駐車スペースの確保が問題になるだろう。

ちょっと(超小型電気自動車に)乗ってみたい気がする・・・今は、ど派手なデザインに見えるけど。

(参考)
Diamond Onlineの記事「ホンダ参入でもガラパゴス化『超小型モビリティ』の危機」(8/6

2013年8月31日土曜日

カレンダー

一般に、年末になると翌年のカレンダー、手帳そして日記を、企業宣伝用に貰ったり、ギフトや自分用に購入することがある。さらに最近では、4月の新年度を起点にスタートできるようにした手帳や日記なども店頭で見ることができる。

ところで先日、文具店に、来年度用の綺麗な表紙の手帳が並んでいた。今頃どうして、というのが率直な感想だ。そんなに早く、来年の予定が埋まっているのだろうか、そんなに忙しいのだろうか・・・不思議だ。それより、この夏のスケジュールはどうだったのかな?

ニール・セダカ(Neil Sedaka, 1939年3月13日~)の「カレンダー・ガール(Calendar Girl)」(1960年)は、青春真っ盛りだ。9月には、歌の主人公の少年も16歳なのか、恋人がスウィート・シクスティーンになる。もしかしたら、カレンダーに載るモデルに仮託しているのかもしれない。暑い夏はもうじき終わりだ。そして想いを次々カレンダーに書き込もう。

(本ブログ関連:”ニール・セダカ”)

Youtube画像削除済
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2013年8月30日金曜日

イ・ソンヒに似ている

あいにく、韓国の若手女優ハン・ヒョジュについてはよく知らぬのですが、ネットのニュース記事に、彼女がシンガポールの映画祭に出かけるため、仁川空港で見かけた姿が、イ・ソンヒのようという話がありまして、他にもブログ「SUMMER IS UPON US」に、そのときのスナップ写真が多数並んでいます・・・。感謝。

ブログの写真を見れば、まさにそっくり。「80年代のイ・ソンヒじゃない?」とか、「髪(ヘヤー)スタイルひとつで90年代っぽく」とか・・・お洒落について分かりませんが、よく似ています。つまり、イ・ソンヒの持つ清潔感を、この若い女優さんも受け入れたく、表現したく気に入っているのかも知れません。

そう思いませんか。

2013年8月29日木曜日

イ・ソンヒのトロット・メドレー みたび

イ・ソンヒの幅広いレパートリーと歌唱力については、何度も何度も触れて来たが、百聞は一見に如かず、Youtubeで彼女のトロット・メドレーの映像に接すれば・・・それで、十分だろう。

彼女がここで歌う3曲については、次の(本ブログ関連)リンクで紹介しているが、・・・<いつでも>うろ覚えのため、ナフナ(羅勲児)の歌に”アムロ”という曲はなかったかなあと思い浮かべたけれど・・・それじゃ、安室奈美恵のアムロでしょ・・・てな具合で・・・頓珍漢にも程がある、ああ、記憶の悪さに針の筵(ムシロ)だ。

(本ブログ関連:”イ・ソンヒのトロット・メドレー”)



(Toutubeに登録の013picに感謝)

2013年8月28日水曜日

夏に戻る

昼過ぎに出かけた体操教室は、先々週の盆休みと、先週の別件で欠席のため、2回分を空けての出席となった。久し振りという感じで始まったが、随所で運動にミスがあった。いつも完全ではないし、まっ、そんなものだろうけれど、最後までやり通せたのだから善しとしよう。

昼間の陽射しはヒリヒリするほど、まるで夏に戻ったよう。おまけに空気も透き通って、街並みの景色がすっきり見えて気持ちよい。このまま晴天が続けば・・・と思っても、週末の土日は台風15号の影響でくずれるそうだ。

夏の気分を持続するには、榊原郁恵ちゃんの「夏のお嬢さん」を聞きましょうか・・・な。今も、彼女がTVに登場すると、「郁恵ちゃん」と呼んでしまうよ。

秋もいいけど、やっぱり夏がいい。

(Youtubeに登録のH19782334に感謝)

2013年8月27日火曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 桐の木

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(8/21)に、文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第20回として、「桐(오동)の木」について紹介された。

まず桐の木にまつわる、鳳凰の伝承について次のような紹介から始まった。
・韓国の花の王は牡丹、百獣の王は虎であり、鳥の王は鳳凰と言われる。鳳凰は、一度姿を現すと天下が平安、泰平の象徴となる想像上の動物だ。松の実のみ口にし、桐の木だけに止まる。そこで、身分の高いソンビは居間(사랑방)の周辺に、桐や青桐を植え、鳳凰が来るのを待った。
ところで、桐の木のせいで意外なことも起こった。桐の木にまつわる時調(시조)を紹介する。

「窓に影が見え隠れするので、恋しいあの方がいらしたのだと急いで外に出てみると、あの方はおらず、月が明るく光っている。桐の木の濡れた葉に鳳凰が来て、長い首を曲げて、羽をつくろっている影だった。夜だったからよかったものを、昼であったら誰かが見かけて恥をかくところだった」

(参考)「コ・ヒョサン ブログ(Blog)」に上記曲の紹介がある。感謝。

▼男唱歌曲、言楽(언락)時調 「碧紗窓が(벽사창이)」を聴く。ゆったりとして、(上記歌詞から)恋よりも鳳凰の幻想が主ではと思うのだが・・・女性の心情と違って、男の論理かな。

▼楽器コムンゴによる(歌曲)「掃葉山房(소엽산방)」の演奏を聴く。雨音が人の心を乱すというには、こちらも、ゆたりとして・・・どこか新しさを感じて気になれば、作曲者は黄秉冀(ファン・ビョンギ、황병기)(1936年5月31日~)で・・・現代の作曲である。

高級部材として楽器や家具に使われる桐の木の素晴らしさを次のように解説された。
・高級材として、軽くゆがみが少ないという特性が重宝される桐は、楽器や家具に広く使われた。昔、娘が生まれると、庭に桐の木を植え、その成長が早いため、娘が嫁ぐときに桐で箪笥を作って持たせたという。
桐は、楽器コムンゴやカヤグム製作の重要な部材のひとつだ。桐は寿命が長く千年を経ても、常にメロディーを奏でるという。楽器であれ、家具であれ、丁寧に加工し、丹精をこめて作り上げれば、使い手も、こうした一生物の家具や楽器に愛着を持って接することができる。そのとき、桐の木のすばらしさを実感できるのではないだろうか。

▼楽器カヤグムによる「知恵の香り(슬향)」の演奏を聴く。・・・若手演奏家による、旋律、リズムともに今様である。

2013年8月26日月曜日

イ・ソンヒの「夜が来れば」

このごろの陽の落ち方に、秋の気配を感じるようになった。以前は、翳った後にも残る熱暑のために、一日の終わりを遅く感じたものだ。この熱気がさめて、気付けばしんみりした秋の夜になっている・・・季節感は先回りできない。予感できないものだ。

西山に陽は沈み、後に熱い想いだけが残る・・・民謡の言葉をかりて歌う、4集所収の「夜が来れば(밤이 찾아 오면)」(1988年)は、この時期に合うかもしれない。

イ・ソンヒが支持されつづけるのは、そのベースに大衆歌謡があることだ。Youtubeで、トロットや民謡を次々に歌いこなす彼女の姿を見ることができる。
初期らしく、張り上げるようにして歌う、彼女の声は若々しい。

(本ブログ関連:”夜が来れば”)

<Youtube削除済み>

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2013年8月25日日曜日

百日紅(サルスベリ)

百日も咲くことから百日紅(ヒャクジツコウ、Lagerstroemia indica)といわれる、サルスベリの花がこの時期目に付く。丈を高く育てる植木園のものはもちろんだが、民家の小ぶりの百日紅までが通り道に枝先を伸ばし、花咲きを誇っている。多く桃色だが一部白色もある。小さな花弁が密集して、みずから覆うように飾る。

独特な幹の形状と、花の色合は、まさに中国の古い絵画を思い出させる。考えてみるに、桃色の透明感が、桜花とは違うようだ。百日紅は小花が集まり、花弁を光が透過しにくいため、表面の色合いを眺めることになる。それは、絹布に描いた絵のように、反射を頼りに色彩を楽しむことになる。

原産が中国南部とのこと・・・この花に馴染むとき、自然と中国風の色彩を感じているのだろう。

(本ブログ関連:”百日紅”)


(付記)
図書館の帰り道、裏通りで若い父親と小学校の低学年らしい坊やが、サッカーごっこをしていた。わたしがその脇を通り抜けるため、しばらく小休止する間、父親はしゃがんで自宅の塀の下に生えた雑草を抜き始めた。
そのとき、サッカーボールを手にした坊やが、父親に言った。「もう、遊ばないよ」と。ちゃんと相手してくれないなら、遊んであげないよということのようだ。坊やは、いつのまにか、父親を相手に遊んであげているのだと思っている。
わたしは心の中で、その父親に代わってつぶやいた、「このおじさんが行ったら、ちゃんと相手するから・・・」と。

2013年8月24日土曜日

セスジツユムシ

今までの猛暑はどこへやら、今日の朝夕、すっかり秋の気配になった。そして夜、なんと虫の声がするではないか。もしかすると、今年初めて庭先に聞く虫の音かもしれない。
どうやら一匹の虫が擦音を響かせて、「チーチーチーチー ~」に始まり、「チチッチーチーチッチーチーチッチ~ チーチーチー」と鳴き続ける。この組み合わせを何度も繰り返すのだ。

コオロギでない、はて何の虫かと調べれば、どうやら鳴き声のパターンから「セスジツユムシ(Ducetia japonica)」(写真)のようだ。もちろん、夜の庭に出て固体を確認したわけではない・・・が。

庭のドクダミ草のかげで鳴いているのだろうか。朝夕の気温が落ち着き、虫の音も加わって、これで秋らしい秋になった。

あれほど(30分ほど)鳴いていたセスジツユムシが静かになった。鳴き場所を変えたようだ。・・・おやおや10分ほどして、また鳴きはじめた。そうだ、セスジツユムシはいる。命を鳴かせている。

2013年8月23日金曜日

処暑 2013

夏を惜しむ・・・そんな、時季がやってきた。うるさかった陽射しが懐かしいほどに、朝夕に秋の気配を深める。寒さが苦手なわたしは、これからの気候の変化にとまどう。

今日は、二十四節気の立春から数えて十四番目の「処暑」。立秋と白露の間にあり、次の白露を過ぎれば秋分になる。季節は循環するといっても、今は気温の下り坂だ。

子どもの頃、夏休みの終わりといえば、遊び疲れて、ひんやりした畳の感触が心地よくて寝てしまい、やがて差し込んできた燈色の夕陽に照らされて辺りをうかがうと、庭先で鳴くツクツクボウシの声、台所で夕食の用意をしている母親が、食材をコトコト切っている音が聞こえてきた。子どもながらに、夏の終わりは私的なものだった。

夏の終わりといえば、歌や小説の題材に合うようだ。いささか手垢の付いた表現だが、毎年どこからか聞こえてくる。ちょっとセンチメンタル、酷寒が迫るほど瀬戸際でないのが都合いいのだろう。

2013年8月22日木曜日

イ・ソンヒの「いつも愛してる」

今日は昼から夜の入り口まで長時間、久し振りの仲間たちと、たっぷり(勉強)具合について話しを咲かせた。いろんなヒントをもらったといった方が正しい。そして、あっという間に時間が過ぎた。

ミーティングも終わった帰り道、昼間の暑さがまだ残っていた。玄関のドアを開けると、逃げ場を失った熱気が出口を求めて殺到した。

こんなときには、爽やかに心響くものが欲しい。イ・ソンヒの8集所収の「いつも愛してる(언제나 사랑해)」を聴いて、くつろごう。光の風がキラキラ揺れて愛を運ぶ・・・若い想いがうらやましい。

(本ブログ関連:”いつも愛してる”)



(Youtubeに登録のlys2187に感謝)

2013年8月21日水曜日

そういえば、今年は海に縁がないらしい。たまたま日本海に面した道の駅で、温泉につかったり、あわびを食ったりしたことはあるが、鉱物採集に行く道すがらのできごとであり、遠く広がる水平線を眺めたり、あるいは水浴びするといった目的で寄ったわけではない。

秋の気配が感じられると、この夏に大事なことをし忘れたように思うのは・・・勝手なこと。もし、真夏に海に行くことがあったら、(くそ)暑いのになぜ出かけるんだと口にしたに決まっている。忘れ物は、後になって気付くもの。

波寄せる海辺、明るい愛の歌といえば、シャルル・トレネ(Charles Trenet)の甘い声がする「ラ・メール(La mer)」(1943年)やパット・ブーン(Pat Boone)が優等生的な律儀な声でカバー(1957年)した「砂に書いたラブレター(Love Letters in the Sand)」を思い出す。

(Youtubeに登録のDonhaUrraca、catman916に感謝)

シャルル・トレネの「ラ・メール」を、フィリオ・イグレシアス(Julio Iglesias)が歌ったものが、映画「裏切りのサーカス(Tinker Tailor Soldier Spy)」のラストに流れたのが印象的だった。内部の「もぐら(モール)」をあぶり出すという重苦しくしんどいストーリーだが、その解決の結果、次のステップへ進むというのだろうか、妙に力強く明るい。果たして、選曲の意図は何だったのだろうか。

(本ブログ関連:”恵方巻きって何?”)


(追記)
北の丸公園にある科学技術館で開催中の企画展に行ってきた。親類が関わっている「キッチンの科学」催事が目当てだったのだが、昼過ぎの休憩ためか関係者不在で、展示物を見学するに終わったのは残念。
実は、最初からいろいろなことがあった。出発駅のホームで電車を待っていると、隣り駅で人身事故があったため到着が遅れるというのだ。やがて現れた電車の運転席を見ると、何とガラス窓が割れてへこんでいるではないか。当然、車両変更のため乗客は全員降ろされ、われわれと一緒に次の電車を待つことになった。それにしても生々しい光景だ。
しかも、帰りの電車が地元駅に到着する直前、土砂降りになってしまい、しばらく構内で雨宿りしたりした。今日はノイズの多い一日だった。

2013年8月20日火曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 アリラン

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(8/15)に、文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第19回として、朝鮮半島に伝わる民謡「アリラン아리랑)」について紹介された。

まず、或るアメリカ人によるアリランと次のような出会いの紹介から始まった。
・1937年、米国女性記者ニム・ウェールズ(Nim Wales:エドガー・スノーの最初の妻、本名Helen Foster Snow)は、中国の延安で朝鮮人青年キム・サン(本名張志楽、中国共産党により反革命罪とスパイ罪で翌年粛清される)と出会う。後年、彼とのインタビュー記録「アリランの歌(Song of Ariran)」を出版。その中に次の一節がある。「私の人生は失敗の連続だった。わが国の歴史もまた失敗の連続だった。私はただひとつ、私自身に対してのみ勝利しただけだった。しかし、前進し続ける自信を得るに当たっては、このわずかな勝利だけでも十分だった。」 アリランは、他国で命を落とした朝鮮青年たちの生き様が込められた歌でもある。
8月15日の「光復節(광복절)」にちなんで、逆境にも負けず、再び立ち上がる韓国の象徴的な民謡「アリラン」を紹介する。

▼「江原道アリラン(강원도 아리랑)」を聴く。まるで清く澄んだ水の中で聞くよう・・・今様である。
⇒ Youtube:「나윤선」(登録者の종숙 유に感謝)

流転のなかにも、「アリラン」が歌われた話を次のように紹介された。
・アリランは、いつ、どこで始まったのか、その意味は何か今も謎であるが、韓国人はアリランを歌い、ひとつに団結してきた。旧ソ連のスターリン時代に中央アジアへ強制移住された「高麗人」も、植民地支配に命をかけて海外で活動した人たちもアリランを歌った。
先日、慶尚北道聞慶においてアリラン展「道の上の歌、峠の声:アリラン」が開かれ、1916年にドイツで録音されたアリランの音源が公開された。キム・グレゴリー、アン・ステファン、ユ・ニコライ(?)たち青年が残したと伝えられる。彼らは、第一次世界大戦時、ロシア軍に徴兵され、ドイツ軍の捕虜となった。音声学者のヴィルヘルム・デーゲン(Wilhelm Albert Doegen、当時215民族の音声などを収集)により、この歌が収録された。捕虜となり、祖国を遠く離れ、見知らぬ人々の前でアリランを歌わねばならなかった彼らの心情は、いかばかりだったろう。

▼「尚州アリラン(상주 아리랑)」を聴く。金素姫(김소희)名唱(명창)の本格的な歌だ。

現代のアリランについて次のような解説があった。
・昨年、ユネスコの人類の無形遺産にアリランが登録され、「多様な社会的背景の中で、継続して歌われ、ひとつの共同体のアイデンティティの証であり、社会的団結力を高めるものだ」と理由説明された。
外国人にもアリランは、韓国の代表的音楽である。小説「大地(The Good Earth)」の作家パール・バック(Pearl Sydenstricker Buck)も1963年、韓国を舞台とした小説「生きる葦(The Living Reed)」の表紙にアリランの文字で飾ったという。
また、今年は朝鮮戦争休戦60周年を迎える。1953年の休戦協定調印式の席(李承晩は欠席)で、韓国と北朝鮮が同時にアリランの演奏を行った記録がある。(・・・どのようなタイミングだったのか?)

▼「新アリラン(신아리랑)」を聴く。子どもの声は和む、いいなあ・・・普通の小学校の普通の子どもの歌なんですよね。それを見守る家族のやさしい眼差しすら感じてくるよ。この子たちが未来へ歌い継ぐ。

2013年8月19日月曜日

イ・ソンヒの「分かりたいです」

「知りたい」と「分かりたい」という言葉の(求め方の)違いは・・・

対象を物質にすると、
・「自動車を知りたい」は、自動車の外観、スペック(諸元)、性能などを知りたい・・・ことになるが、
・「自動車を分かりたい」となると、スペックなど以上のもの(製作者の設計思想、自分との親和性などまで)を求めることになる。

対象を「あなた」にすると、
・「あなたを知りたい」は、相手の生い立ちなども含めて属性(人となり)を知りたい・・・ことになるが、
・「あなたをわかりたい」となると、属性以上の心的な共有(つまり自分をどう思っているのかまで)を求めることになる。

「知りたい」と言われたら応えられることも、「分かりたい」と言われると重くなってしまう。そんなにしてまで、実は自分の想いを相手に伝えたいという「分かりたいです」は、重なりと密度の大きい、とても切なく愛しい言葉だ。

心に浮かぶ相手に問いを重ねる、イ・ソンヒの3集所収の「分かりたいです(알고 싶어요)」(1986年)をYoutubeで聴いてみよう。

(本ブログ関連:”分かりたいです”)



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2013年8月18日日曜日

肩コリと膏薬

首筋や肩のコリがきついので、薬局で膏薬を買った。膏薬は、商品名をいえばわかりやすいかもしれないが・・・いってみればサロンパスを小さくしたようなもので、3cm四方のサイズの貼り薬だ。

首筋や肩を指で押してはコリのキツイところを探し出し、そこに膏薬を貼り付けるのだが、不思議なことがある。まず、一番キツイところから、次にキツイところへと順に貼っていくうちに、あれれ・・・ここもこっていたのかと、今まで意識しなかったところにも貼る。というか、強いコリに隠れていた弱いコリが、次々と姿を現すようだ。

コリとは、そんなものかもしれない。普段感じるコリとは、局所的に象徴的に集中したもので、他のコリを緩慢にしてしまい、コリ全体の鬱陶しさを逃す仕組みになっているのではないか。コリや痛みを上手く調整するシステマチックな機構が、組織や器官を持つ生命体の平衡力にあるのかもしれない。

一晩貼り続けて翌朝には、嘘のように首筋や肩のコリが癒されている。ただし、楽になったからといって、膏薬を貼つけたまま外出すると、首筋の膏薬が目立ってしまうのではと思う・・・いや、他人はそんなこと気にもとめないだろう、ましてオジサンならどうでもいいことだろうけれど。

2013年8月17日土曜日

(資料)日本の主要な韓流ファン層

聯合ニュースの記事「韓国創作ミュージカル 日本で苦戦=大作は大ヒット」(8/13)は、「ミュージカル韓流」ムードで進出しようとしている日本市場の分析の中で、日本の主要な「韓流ファン」層の属性を「40~50代の主婦が観客の大部分を占める」と、次のように伝えている。(抜粋)

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・韓国のミュージカル界が「ミュージカル韓流」ムードに乗って相次いで日本に進出していることについて、一部では日本市場を冷静に分析し現実を直視すべきだという声が出ている。

・日本での「ミュージカル韓流」はジャンルや作品自体が持つ力というよりは、「K-POP韓流」から派生した錯覚だというのだ。また、20~30代をメーンターゲットにする韓国の創作ミュージカルの場合、40~50代の主婦が観客の大部分を占める日本市場でどのように活路を見いだすか考えるべきだという指摘もある。 

・実際に、アミューズ代表取締役会長の大里洋吉氏は先ごろ、ソウルで行われた講演会で、日本で韓国作品が善戦しているとは言えないとしながら、「想像以上に((20~30代)若者層の)マーケットがない」と苦しい状況を説明した。
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ところで現在、主要な韓流ファン層である40~50代主婦に、いずれ本来見合ったものも必要では・・・と思うが、(特定の年齢層に集中する)彼女たちのファンになった心情や動機が果たして何だったのか、依然としてつかめない。

先日、葛飾区のコンサートホールで開かれた、イ・ウンミのステージに集まった女性客の年齢層ともほぼ一致しているようだ。

(本ブログ関連:”イ・ウンミ コンサート”)

2013年8月16日金曜日

エルガー「愛の挨拶」

その昔、レーザーディスクが普及し始めた頃、会社に設置されたパイオニア製の装置で、暇なときに・・・正直、時間もわきまえず・・・視聴したものだ。

(本ブログ関連:”愛の挨拶”)

特に、NHKの「名曲アルバム」ソフト所収の、東京フィルハーモニー交響楽団演奏による、エドワード・エルガー (Sir Edward William Elgar、1857年~1934年)の「愛の挨拶(Salut d'amour)」(1889年)を楽しんだ。このアルバムは、一曲が数分演奏されるわけなので、息抜きに持って来いの音楽だった。

Youtubeには、(エルガーと教え子との関係から)ピアノ独奏、あるいはピアノとヴァイオリン演奏が多く登録されているが、やっぱりオーケストラによるものがいい。

レーザーディスクでは、きれいな花の咲いている景色が記憶にある。いかにもビクトリア朝(1837年~1901年)の自信と優雅に満ちた時代の香りのする愛の挨拶だ。そんな音楽に、どっぷり漬かって、おう揚に楽しむのも悪くないだろう。

(参考)
「イギリス音楽の楽しみ(その2)」(中野重夫、神田雑学大学定例講座No.437、平成20年12月19日)、感謝。

2013年8月15日木曜日

イ・ソンヒのカバー「愛しか私はわからない」

イ・ソンヒが、2004年のデビュー20周年のコンサートステージ(世宗文化会館)でカバーした、シム・スボン(심수봉)の「愛しか私はわからない(사랑 밖에 난 몰라)」(1987年)の映像について、このブログに記したのが、ちょうど去年の今頃のことだ。

シム・スボンが「後輩歌手たちが歌った(自分の)『愛しか私はわからない』の中で、イ・ソンヒの歌が最も印象に残る」と評価したカバーだけに、Youtubeで見ることのできる貴重な映像でもある。

韓国の歌手のカバーは、原曲を尊重しアレンジを極力避けるように見受けられるが、この場合、シム・スボンが賞賛したように原曲の持つ情念を的確に表した、いわば本歌取りのようなしっとりとした優美さがある。

(本ブログ関連:”イ・ソンヒのカバー「愛しか私はわからない」”)

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2013年8月14日水曜日

玄関ドアを開けると、足元を一筋の蟻(アリ)の隊列が続いて、裏木戸の奥に進んでいるのが見える。彼らに気付いて以来、ときたま観察するが、その隊列が変わることはない。

蟻がどこへ向かっているのか、そして何をしているのかまで関心を深めることはないが、毎日ご苦労さま・・・といった感じでそのつど眺める。歳をとると、お互い同じ命を持っているんだなと、感じるようになった。

蟻について知らないし、蟻の方だって人間のことなんか知らないだろう。ときたまドア越しに出入りする人間の足裏に用心しているが、それ以外は無縁で、蟻は彼らなりの仕事に専念し励んでいるのだろう。

考えてみれば、玄関ドア下の隊列は一方向に進んでいるように見える・・・往路なのか、復路なのか、それとも行きは隊列を組み、帰りは三々五々バラバラに戻っているのだろうか。いつ始めて、いつ終わるのだろうか・・・休止はどんな風にしているのだろうか・・・多分、夜間は休んでいると思うが、どうだろう。

先日、玄関先のタイルの上に、仰向けに転がっていた小さなトカゲが、翌日は体が小さくなり、二日後には消えていた。多分、蟻たちが迂回して、運んで行ったのではないだろうか。命が、命を分け与えて循環していると思う。

2013年8月13日火曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 立秋

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(8/7)に、文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第18回として、「立秋입추)」について紹介された。

(本ブログ関連:”2012立秋”、”2013立秋”)

まず暦としての立秋について次のように説明された。
・8月7日は暦上、二十四節気の立秋にあたる。その名の通り、秋の運気が立ち上がる意を持つ。今の時期、秋の気配すら見えぬが、やがて暑さも下り、稲穂が出て短い時間だが花も咲く。草取り(김매기)など、農作業がある程度終わると、穀物の生育を見守る時間が必要になる。
この時期、通り過ぎる風が多く、大切に育てた農作物が、強風に倒れる様を見つめるしかない農民の心情は計り知れない。そのため昔、五日間以上雨が続くと、官庁が祈晴祭(기청제)を行い、雨がやむよう儀式を行った。

▼「野原で(들판에서)」を聴く。田園を描いた叙情的な風景曲とでも・・・今様の演奏曲である。

立秋にちなむ詩について次のような紹介があった。
・立秋は、陽暦の8月初めにあたり、陰暦の7月になる。朝鮮時代(19世紀前半)、農村の季節ごとの風景を詠んだ農書「農家月令歌(농가월령가)」(丁学游:정학유、1816年)があって、立秋の頃を歌った内容がある。

ハングルで書かれた「農家月令歌」は、7月について、次のように記している。
(参考)http://www.seelotus.com/gojeon/gojeon/ga-sa/nong-ga-07.htm  感謝。

「7月の真夏になると、二十四節気上、立秋となる。
残暑が残るといっても、季節は騙せないもののようだ。
雨も細く降り、風も変わってくる。
七夕に織姫と彦星が流した涙が雨となり、その涙の混ざった雨が過ぎていき、
桐の葉が落ちるようになる頃、
眉毛のような形の三日月が西の空にかかった。
悲しいかな、農夫たちよ。われわれはほとんどが仕事である。
安心してはいけない。まだ遠い道のりだ。
きれいに草取りをし、稲の選定、鎌を研いで、あぜを刈り、ご先祖様のお墓の草取り、堆肥となる草を刈り取り、まとめて積み上げ、田んぼと畑には案山子を、畑の脇の道もきれいにし、覆った土も取り除いて整理する。
よく肥えた柔らかい畑に肥料をやってさらに成熟させ、キムチを漬けるキムジャンのための大根や白菜は他人より先に植え、棘のある木で作った囲いで踏まれないようにしておく。
キリギリスの鳴く声、君のための声。あの声を聞いて心を落ち着けよう。」

▼「秋が来れば(가을이 오면)」を聴く。自然に親しみ躍動するよう・・・清しい旋律、今様である。



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最後に黄真伊(황진이)の「想思夢(상사몽)」の詩が朗読された。
・・・岸さんの言葉、「秋は、心の底にひそめておいた昔のひとがふと思い出される季節でもあります」

相思相見只憑夢   あなたに会えるのは夢の中だけ 
儂訪歡時歡訪儂   おなじ道をたどり、ふたたび会うことができた
願使遙遙他夜夢   願えばいつも夢の中で
一時同作路中逢   いつもあの道で会える

▼黄真伊の詩をテーマとした演奏曲「想思夢」を聴く。昔のひとにとって、夜の闇と明かりの対比はいかばかりだったでしょうか。

(本ブログ関連:”黄真伊”)

2013年8月12日月曜日

ペルセウス座流星群

今晩から明日未明にかけて、ペルセウス座流星群を観察できるかもしれない。

8月中旬午前0時頃 東京の星空 (東京国立天文台)
日本経済新聞の記事「ペルセウス座流星群、12日夜から見ごろに」(8/10)によれば、「今年は月明かりの影響を受けず、全国的に晴天予想と好条件が重なる。・・・肉眼で十分楽しめるといい、真夏の星空を見上げる絶好の機会となりそうだ。」とのこと。

国立天文台の特設サイトに掲示された、今晩24:00の東京の星空図を見れば、北東の空からペルセウス座流星群が降ってくるイメージがわく。
ただし、「最も条件がよい場合には、1時間に50個以上・・・都市部では、見える流星の数はずっと減り、1時間に数個程度になってしまうこともあります。」とのこと。

さて、今晩は食事に出かけるので、その帰り道に小金井公園にでも寄って、幸運にも流星のひとつかふたつ眺めることができれば楽しい(幸運)だろう。

一昨年も深夜の小金井公園に観察しに行ったんだけど・・・あいにく曇り空で観察できなかった。しかも、いろいろな流星群を眺めようとしたけれど、残念ながら当地では目視はむつかしいようだ・・・今日も見ようとする先にいうことじゃないけれど。

(本ブログ関連:”ペルセウス座流星群”、”流星群”)

(追記)
夕方、食事に行こうと待ち合わせた地元駅口で、ゴロゴロ、バリバリ、ドドーンと雷鳴が響き渡り、上空に稲妻が次々と走った。やがて降りだした小雨は、土砂降りに変わり、雨しぶきが駅構内に吹き込んで来た。雨宿りの客は、居場所をじりじりとずらし後退した。やがて空は暗くなる・・・どうしようか。
風雨小休止、さっそく駅前の韓国料理屋に駆け込んで夕食会を始めた。
帰り道、空を見れば、どんよりと曇っている。
今回もやっぱり、ペルセウス座流星群の観察は難しそうだ。⇒ その後も、曇りっぱなし+雨!

SOLiVEスター「流星特設サイト」で鑑賞。ジョニー・デッブの美星天文台(岡山県井原市美星町)の流星はデカイ!

(追記)
四国の四万十市は観測史上最高の41℃を観測したそうだ。この暑さ、どこまで上昇する気なのだろう。時事ドットコムの記事「高知で41度、史上最高=6年ぶり更新、3日連続40度超-熱中症に注意・気象庁」(8/12)は、次のように報じている。(抜粋)
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・日本列島は12日も太平洋高気圧に覆われて関東以西で気温が大幅に上昇し、高知県四万十市では午後1時42分に41.0度を観測して、全国の史上最高を更新した。最高気温が40度を超えたのは3日連続。
・これまでの最高は、2007年8月16日に埼玉県熊谷市と岐阜県多治見市で観測した40.9度だった。
今回、41.0度を観測した四万十市西土佐用井の「江川崎」では、10日に40.7度、11日に40.4度を観測した同じ地点で3日連続で40度を超えたのは初めて。山間部(注:盆地上)で晴れが続いた上、海からの涼しい風が入らなかったのが上昇の主因という。
30度以上の真夏日となった所は706地点と今夏最多で、全国927地点の76%を占めた。35度以上の猛暑日は243地点に上った。
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2013年8月11日日曜日

雷鳴

今日の暑さには、さすがに閉口した。2階の閉切った部屋に上がると、室内に溜まった空気が熱容量を持った物質で、びっしりと充填していることを実感した。用事が済めば、もはや長居の必要はない。
そんなわけで、1階の自分部屋は、苦手なエアコンを29℃にゆるく設定して、それに扇風機の微風を加えて涼み、やり過ごした。

午後3時前後、激しいカミナリが続き、辺りの空気をバリバリと響かせて落雷した。まじかに雷鳴が轟くあいだ、3度も停電したのだ。今年になって、2回目の瞬断だ・・・久しく忘れていた停電の光景を思い出した。

子どもの頃、夜間に台風に襲われて停電で部屋が真っ暗になり、準備していたローソクに火が灯ると、母親を中心にローソクの揺れる灯りにみなの顔が浮かびあがって、いつもと違う楽しさがあった。なぜかはしゃいだ記憶がある。そのときばかりは、暗闇が決して怖いものではなかった。

今日のカミナリの後、土砂降り雨がしばらく続いた。恵みの雨といった想いをわかせない。むしろ、熱せられた地面から上昇した空気が上空で持ちこたえられなくなり、雨になって降ってきた・・・いや、落ちてきたとしか思えないのだ。それも降り終われば、街に爽やかな空気が流れ、何事もなかったようにひとびとで溢れていた。

2013年8月10日土曜日

バナナのミルクラテ

バナナ味の食べ物や飲料水に遭遇するのは、まことに偶然で、探して見つかるものでない・・・虚心坦懐、心穏やかにしてこそ幸運に巡り合う・・・まっ、それほどでもないが。

(本ブログ関連:”バナナ”)

一昨日の晩、駅前のコンビニ店で見つけたのが、500mlの紙パッケージに入った乳飲料「バナナのミルクラテ」(果汁5%、製造足柄乳業、販売高梨乳業)だ。容器は平凡な直方体のパッケージだが、表面に印刷された写真や商品ロゴなどのデザインが、素人ながらいい感じがする。

で、冷蔵庫に冷やし置いて、後日ゆっくり味合おうと楽しみにしていたが、昨晩の余りの暑さのため飲むことにした・・・というか、やっぱり気になって飲んでしまった。

バナナ味は、オーソドックスな甘味付けで、飲んだ後に喉の奥にしっかり甘みが残り、バナナの果汁5%に応じてイガイガ感も残る。

最近、気になっているのが、果実のバナナをミルクと一緒にミキサーにかけて飲んだ後、喉の奥がイガイガすることだ。ネット情報などでは「アレルギー症状」では、という回答もある。(対策については、該当の飲食を控えなさいとのこと)

それはそうとして、止められませんな。バナナ味の巡礼は・・・まだまだ続く。

2013年8月9日金曜日

イ・ソンヒの「五月の陽射し」

イ・ソンヒの名曲「五月の陽射し(오월의 햇살)」(5集、1989年)は、作詞イ・ソンヒ(李仙姫)とユン・ハンギ(尹恒基、윤항기)、作曲ユン・ハンギとされている。

(本ブログ関連:”五月の陽射し”)

「80年5月の歌と本」(THIS IS GAME、2013年5月31日、イム・サンフン記者)に、この「五月の陽射し」についてイ・ソンヒが語ったインタビューの一部を次のように紹介している部分がある。
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「五月の陽射し」はその中でも最も大きい愛(支持)を受けた歌です。イ・ソンヒは当時、ある新聞とのインタビューでこのような話をしました。「その中で、私の歌を含めて大衆歌謡の歌詞が現実から離れすぎていたと思います。これからは、庶民の人生(いきざま)、意識ある若者の情緒を込めた歌を歌いたいです。」
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ユン・ハンギには、Ko-Wikipediaによれば、妹にあのユン・ボクヒ(尹福姫、윤복희)がいる。1967年にミニスカートで登場した彼女は衝撃的だったという。

(本ブログ関連:”ユン・ボクヒ”)

2013年8月8日木曜日

(資料)Mnet アーティスト・レビュー「イ・ソンヒ」

Mnetのアーティスト・レビューは、イ・ソンヒについて次のような紹介をしている。内容からこの記事の作成時期は、2011年に彼女のニューヨークのカーネギーホール公演(2月3日)直前のようだ。
(来年2014年は、イ・ソンヒのデビュー30周年にあたるのでいろいろと追記されるだろう)

(本ブログ関連:”資料:이선희 Reviewal (仕掛かり中)

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イ・ソンヒは、1984年歌謡界にデビュー、以後立て続けに急成長して人気を享受し、90年代初めまで最も人気ある女性歌手であった。
80年代後半まで、彼女は全盛期には、どんな男性歌手よりも女学生ファンを多く引き連れたし、特に可愛いらしいイメージとボーイッシュなイメージを同時に持つ、彼女の容貌と服装は女性たちの熱狂的な支持を勝ち取った。彼女はまた、小柄に似合わない最高の歌唱力を持つという評価を得る。

1984年
イ・ソンヒは1984年の「江辺歌謡祭」で、イム・ソンギュンと共に「4幕5場」チームで出場、「Jへ」で大賞を受ける。この歌は、歌謡祭以後にも全国的なヒットを記録、イ・ソンヒというスターを誕生させる。男性歌手の人気が事実上歌謡界を牛耳っている頃に、ズボン姿でショートカットのイ・ソンヒは新鮮な風を巻き起こした。 

1985年-1986年
彼女は、1985年「4幕5場」チームが事実上瓦解して単独でデビューする。デビューアルバムは、「Jへ」、「ああ!昔よ」、「葛藤」が収録、大成功を記録する。イ・ソンヒの人気はまさに爆発的だった。 各種歌謡祭とランキング歌番組をさらったし、その人気は2集につながった。
1985年2集には、「秋の風」、「ケンチャナ」などが収録、ヒットし彼女は最高の女歌手の地位を占める。
1986年には、3集が持続的な愛(支持)を受けた。「ヨン」、「分かりたいです」が引き続きヒットし、再び主な賞と順位を占めた。 

1988年、1989年、1990年
イ・ソンヒの音楽に変化が起き始めたのは4集アルバムからだった。「愛が散るこの場所」・「私はいつもあなたを」(1988)、「私の街」・「五月の陽射し」(1989)、「なぜ私だけ」・「思い出のページをめくれば」(1990)に続く4、5、6集は、全て大衆的に良い反応を得たが、以前と同じ程ではなかった。
だが、作曲家ソン・シヒョンに出会い、歌詞とメロディでずっと叙情性を追求し、一層成熟した音楽への意欲を見せる。当時のヒット曲である「愛が散るこの場所」、「ひとしきり笑いで」、「私の街」、「思い出のページをめくれば」などは、そういったスタイルを反映する。
その上、シン・ジュンヒョンの原曲である「美しい山河」は、原曲とはまた違ったすがすがしく軽快な味をプレゼント、国民歌謡と認められていまだに彼女の各種行事でこの曲を熱唱するのを見ることができる。

1990年代-2001年
イ・ソンヒの人気は、90年代に入ってくると、その程度がかなり弱くなる。8集から10集まで、ほとんど2年に一度の割合でアルバム発表しながら、活発なライブ活動も続けるが、ただ一曲のヒット曲がないのは残念な部分である。
イ・ソンヒ個人的には、結婚と離婚が続きながら、難しい時期を送った。だが、着実にライブとミュージカルなどの領域で活動してきた彼女は、2001年には自身の歌手生活を振り返って新しい作業を兼ねた12集「My Life + Best」を発表し、このアルバムにはパク・チニョン、キム・ジョンソのような後輩ミュージシャンが参加した。

2011年
2011年2月3日に世界的な歌手だけが立つことのできるというニューヨークのカーネギーホールの中でも最も大きいメイン公演会場である「アイザック・スターン オーディトリウム」で韓国の大衆歌手では3番目に単独公演を持った。2800席余に達する座席が皆売り切れという大記録を立てて、韓国人で最多観客動員でニューヨークの韓人史のある一線を引くことになった。
国内では2011年5月21日と22日、ソウル世宗文化会館での公演を始め全国巡回公演に出る。
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2013年8月7日水曜日

立秋 2013

土砂降りもあったけど、暑い日が続く。あまりの暑さのためか、夏休みのはずなのに、日中近所の子供たちの遊び声を聞くことができない・・・家族旅行に出かけたのか、あるいはお稽古ごとなのか。

猛暑と暦の秋が混在する。今日は二十四節気の大きな節目の夏至と冬至の中間点である「立秋」だ。いよいよ、秋が始まった。暦は一歩先行する。

(本ブログ関連:”立秋”)

ウェザーニュースの天気予報によれば、「今日は太陽ギラギラ。厳しい暑さの立秋となります。9月前半まで暑さが続くので、夏バテしないようご注意ください。」と、そして今後一週間については、「晴れて厳しい暑さが続きます。熱中症対策は万全に。特に土曜日は猛暑になるところもあります。」とのこと、暑さはしばらく居座り続けるようだ。

それでは体操教室で一汗かいてきましょうか。

2013年8月6日火曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 草取り

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(7/31)に、文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第17回として、「草取り(김매기)」について紹介された。

まず夏の草取りについて次の紹介から始まった。
・雑草という名の植物はない。育つ環境で花と呼ばれたり、雑草と見られる。夏、農業で最も大切なのは、雑草を除去すること(김매기)だ。炎天に、時に降る天の恵み、こうした夏は穀物にとって、この上ない良い季節と言えるが、雑草にとっても成長に適した気候だ。
農民は、鋭い草で腕をひっかけぬよう長袖を着て、暑い一日肌を隠し、腰をかがめて働く。こうした苦しい草取りの作業を3回ほど繰り返して、ようやく秋の収穫を迎えることができる。辛い作業も、共に声を合わせると、疲れが和らぎ力も沸いてくる。

▼京畿道高陽地方の「山打令(산타령)」を聴く。どこかカラッとして、賑やかで、明るい。(次の解説も参考に)

次に高陽地方の「山打令」に、中国にある山の名が歌われることを次のように解説された。
・京畿道、高陽地方の「山打令」の歌詞に、同地方に実在する山である、コク、チョンバル、コボンの名が登場するが、これらにまぎれて中国河南省洛陽市に在る北邙(북망)山の名が出る。
昔、洛陽は高貴の人が多く住み、死後に葬られる所が北邙山だったことから、北邙山は死後行くところの意を表すようになった。草取り歌に。北邙山がなぜ組入れられたか定かでないが、楽しみながら、また労働の苦しさを和らげるために歌った。

▼忠清道地方の「キンバンア(긴 방아)打令」、「バンア(방아)打令」を聴く。呼応しながらシンプルな旋律の繰り返しは労働の歌らしい・・・若い声(合唱)がいいな。

草取りの効用と済州島の草取り歌について次のように説明された。
・歌いながらする草取りは、雑草を取り除く他に、草が根から抜かれた場所の土がほぐれ、空気の通りを良くし、また水分を十分保つ役割もする。草取りに使う手持ち鍬(호미)の言葉を使って、「手持ち鍬の先に百の稲が生る」とあるほど、草取り作業は重要とされた。
済州島では雑草(검질)を抜きながら歌う「サデソリ(사데소리)」がある。済州島は水田よりも、畑仕事が多く、主に女性が畑で歌った。

▼済州島地方の「雑草取り(검질사데)」を聴く。力強く、たくましさがみなぎっている・・・畑地で次々と女性たちが歌い廻したのだろう。

・・・そうですね、岸さんの言うように、労働の歌を聴くとき、どこかで感謝の気持ちを持つということ、本当にそう思いました。

2013年8月5日月曜日

イ・ソンヒの「秋の風」

昼の日向、街がまるで台風一過のように透明感のある澄んだ空気になっていることに驚く。思わず昨日の天気がどうだったか振り返ったりした。焦点深度の深いというように、遠く通り道の並木の葉の細部にいたるまで、くっきりと浮かんで見えた。

陽射しも強く、本格的な夏だというのに、二十四節気ではこれから立秋を迎えようとしている。季節の変わり目に気づかなくとも、やがて吹く風の気配で知ることになるのだろう。

イ・ソンヒの2集所収の「秋の風(갈바람)」(1985年)は、どうやら迎える風ではない。心を奪い、愛しさだけを残して去る秋の風のようだ。乙女心と秋の風というわけには、いかない・・・のだろう。

(本ブログ関連:”秋の風”)


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2013年8月4日日曜日

イ・ウンミ コンサート

イ・ウンミ이은미、1966年生まれ)のコンサートが、東京の葛飾区青砥にある「かつしかシンフォニーヒルズ」の「モーツァルトホール」(1318席)で開かれた。一昨日の大阪でのコンサートに続くものだ。

今回、幸運にも石仲間の配慮で、コンサートチケットを紹介いただき、久し振りに都内を横断して、かつ久し振りにコンサートに出かけることができた。感謝。

京成本線の青砥駅を出て道案内の掲示板に従って歩んだつもりが、どうやら道を間違えたようだ。道中で青年に尋ねたところ、私の方向音痴に見かねたのだろう、何とコンサートホール近くまで同行してもらったのだ。感謝。

観客の中心は、圧倒的に50歳前後とそれ以上の世代の女性(アジュンマ)たちが多数占めていて、若い女の娘やおじさんたちの姿は少数だった。特に男性は女性に付いてきた・・・といった具合の連中ばかり。
(左の写真は、コンサート終了後の混み合うロビー)

コンサートが盛り上がると、会場は一斉にstandup、jumpといった賑わい振りだが、おじさんたちは、座席に沈潜するしかない。

さて、「素足の歌姫」イ・ウンミについては、彼女の代表曲「恋人がいます(애인 있어요)」(2006年)と、ミニアルバム「音の上を歩く(소리 위를 걷다)」を購入した以外、Youtubeで彼女のステージの様子を見るだけで余り存じていない。そんなわけで、彼女の生の声が聴けるこのチャンスを幸運にと出かけた。

彼女の「恋人がいます」は、2008年1月~2009年8月まで、(韓国の)カラオケで一番歌われた。また、韓国のネットで、彼女のステージマナーを賞賛する言葉を目にする。今日、まさにそれを実感した。
そして、パワーに圧倒された。

(本ブログ関連:”カラオケで最もよく歌われた曲:2009”)

コンサートの曲順は思い出しながら次の通りである。(不明、誤記については容赦)

・「世界で一番大きいピグミー(세상에서 가장 큰 피그미)」から始まった。
・「ある恋しさ(어떤 그리움)」(1994年)
・「別れるところです(헤어지는 중입니다)」(2009年)
・Misiaのカバー
・「私をだました(날 속였다)」
・「いいひと」
・キム・ボムスのカバー(「ハル(하루)」)
・「恋人がいます(애인 있어요)」
・「」
・「Nocturn」
・小田和正のカバー(「言葉にできない」)
・(ロックンロール曲)
・ナミ(나미)の「悲しい縁(슬픈 인연)」(原曲:橋幸夫「」)カバー  ・・・(本ブログ関連:”絆そして縁”)
・「君は美しい」
・「恋人がいます」(日本語バージョン)
・「」

(曲目は記憶を覚まして追加予定)


最後に、イ・ソンヒとイ・ウンミのそれぞれのファンが、いかにファンであるかを述べ合っている掲示板がある。

(参考:”イソンヒについてフリートーク(別)”)

2013年8月3日土曜日

夏の歌

夏だというのに、湿気で一日鬱陶しい。すっきりした気分になれないものだろうか。

以前、本ブログに朝鮮日報の記事「韓国のテレビ局、失われた夏」(2011/8/3)で、夏にヒットした曲が紹介されていることを記した。

(本ブログ関連:”夏の歌”)
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・夏は本来、KーPOP界やテレビ局にとっては見過ごせない重要なシーズンだった。『夏』(飛び石、1978年)、『旅に出よう』(チョー・ヨンピル、85年)、『夏の中で』(デュース、94年)、『浜辺の女』(クール、97年)などは、その年の夏に大ヒットし、今でも愛されている国民的ポップス・ナンバーだ。
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そのなかで、チョー・ヨンピルの「旅に出よう(여행을 떠나요)」(1985年)は、2011年にイ・ソンヒの世宗文化会館でのコンサートで、イ・スンギが若さ溢れる熱気でカバーしたのを思い出す。

さあ夏だ、山彦が聞こえる渓谷に流れる冷たい水を、そよぐ涼しい風を楽しもう。バックパックを背負って都会を抜け出そう。
・・・おじさんには、高尾山がせいぜいだけど。

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2013年8月2日金曜日

(雑談)電子書籍端末

電子辞書は便利だ。紙製本の辞書と比べて、薄くて軽く携帯によい。スバリ知りたい言葉を検索する辞書本来の目的に合致している。

いわれることだが、辞書をパラパラとめくると、面白い言葉に出会う楽しみがある・・・元々語彙力が豊富で、表現力のある方に効用があることで、せいぜい言葉の意味を探し、身に付けることで精一杯のものには、少々重荷な効用だ。

目的を絞った電子辞書は重宝する。ところで、同じ文字情報を提供するものに電子書籍端末がある。読書ツールで、視認性がよければ問題ないが、次のような課題があるのではないだろうか。
① 日ごろ読書している人ならば有効だろうが、元々月一冊も読まない人にはどうだろう。
② 書斎や書棚が好きな人には、本に囲まれる楽しさを味わえなくなる。

ということで、こんな使い方もあるのではと考えてみた。
① じっくり活字を追って読み込むよりも、漫画や写真などを楽しむ人には良いかもしれない。
② 読書を消費的に楽しむ、つまり流行を追う人に合っているかもしれない。

で、こんな電子書籍端末を想像する。週刊誌や文庫本などのサイズでできた、折り曲げ可能な一枚の透明な端末があって、街中で新刊本が自動的にダウンロードされる。試し読み可能で、欲しければ求めればよい・・・そんな時代がやがて来るだろう。
週刊誌やマンガなどは、この端末に合っているのではないだろうか。

一方、書籍を熟読、あるいは積ん読が好きな人、書籍に囲まれたい人は、紙の書籍を書店で購入すればよい。電子書籍と印刷書籍は棲み分けされることになるだろう。(個人経営の書店にとって厳しさは変わらないだろうけれど)

2013年8月1日木曜日

登山

高齢者の人口比が増大しているのは、日本だけではない。韓国の高齢化率は現在加速化して、2050年以降は日本を超えるといわれる。高齢者は寿命が延びて、その分元気だ。時間があれば、行動範囲も広がる。その結果、国内にとどまらず、外国まで足を伸ばすことになる。アウトドア志向なら、その傾向は一層強まるのかもしれない。

ソウルの街をバスの車窓から覗くと、アウトドア用品の洒落たショップが随所に見られた。テレビの情報では、「東大門登山用品通り」があるそうだ。まずは形から入るという、スポーツファッションに関心が強いのかもしれない。御茶ノ水界隈のスポーツ用品店の賑わいと比べてどうだろう。

ソウルの背後に迫る山並みを見ると、行ってみようかなという軽い気分になりそうだ。その北漢山の峰々は標高799m~836mというから、高尾山の599mと近いようだ。

ところで、イ・ソンヒの若さと体力管理の秘訣は登山という。申京淑の短編にソウルの民家に接した山歩きがあったし、冬に岩肌を見せる北漢山に孤高を感じるという詩人の朗読を聞いたことがある。

(本ブログ関連:”イ・ソンヒの童顔の秘訣”、”詩と音楽の集い”)

花崗岩の多い韓国では樹木種が限定されているのだろうか。ハイキングコースではあったが、延世大学から奉元寺につづく山は松の木ばかりだった。韓国人の韓国語先生から聞いた話では、圧倒的に松が多いという。

花崗岩地質は山の高さにも影響するのだろうか。韓国の山は2,000mを越えるものはないが、日本は3,000mを越える山が(百名山中に)21山ある。

(本ブログ関連:”韓国の山”、”韓国の地質”、”(資料)韓国の鉱物資源”)

ちなみに、山登りは苦手である。ただし、鉱物採集のためなら多少はいとわない・・・鉱山跡で採集することは、鉱山の物流を考えれば元々高山ではないけれど。

2013年7月31日水曜日

7月最後の「7月の朝に」

早いもので今日までに、今年の7/12を消化したことになる。一年をリンゴの実にたとえると、7/12食ったわけだが少々イメージしにくい。むしろ、あと5ヶ月しか残っていないといった方が分かりやすいかもしれない。実は、しみじみそんな話をしたばかり・・・で。

月日のたつ早さに驚く。とはいえ、これから盛夏が待ち構えているし、その後ろにいる秋や冬の訪れを思うと気が重い。一年は当分、終わりそうもない。

7月に因んだものはないかとYoutubeを探せば、ユーライア・ヒープ(Uriah Heep)の「7月の朝(July Morning)」(1971年)がある。

ロックバンドは苦手だが、ヒットは定石通りバラードなんですね。それにしても、随分と長い前奏(一般的な曲なら30数秒なんだけれど)で、しかも途中でロック風からバラード風に変わるし・・・愛を探すこの曲を聴いてみましょうか。

石の下に隠された愛の宝を求めて、つまりやることはすべてやったけれど、燃えるような愛に巡り会うことはなかった・・・。

おじさんにはハードロックの響きは耳が痛い。有能な編曲者がソフトにアレンジしたものがあれば、そちらを聴いてみたい気がする。
バラード部分はウエットに富んでいて、いいんじゃないかな。

(本ブログ関連:"")

2013年7月30日火曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 煙草

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(7/24)に、文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第16回として、「煙草(담배)」について紹介された。

まず煙草の効用の紹介から始まった。
・朝鮮王朝22代目の王、正祖(정조)の詩文「弘齋全書」には、「暑さに対しては、これを和らげてくれる・・・。また寒さも和らげてくれる・・・。食事の後・・・寝付けないとき・・・詩を書いたり文章を書くとき、会話をするとき、正座をして心静めるときなど、どのようなときもとても有益」という煙草の効用について記載がある。

▼「煙草打令(담바귀타령)」を聴く。とても洗練(今様化)された歌い方・・・紫煙がゆらり漂うよう。

・次に煙草の伝来と普及について次のように解説された。
煙草は、朝鮮時代中頃(1600年前後)に日本から伝来して、当初は「南草」もしくは「南靈草」と呼ばれた。後に日本語の「タバコ」が変化して、「タムバゴ」や、「タムバグィ」と呼ばれるようになった。
煙草は薬と考えられ、例えば寄生虫で腹を壊したとき、歯が痛むときなどに喫煙すると苦痛が和らいだという。また虫に刺されたとき、煙草を吸った後の唾液を塗ったり、傷口を止血した。膿みができたときも煙草が利用された。特に老廃物除去の効用が長く信じられた。
このような理由から、煙草は老若男女問わず、幅広く愛用して親しまれた。
学問を教える師匠と弟子が、ともに向かい合って煙草を吸ったり、朝廷で煙草をくわえながら議論したため、王殿は煙草の煙でいっぱいだったという記録まで残っている。

▼童謡「唐辛子を食べてぐるぐる、煙草を吸ってぐるぐる」を聴く。童謡ですけど・・・煙草を吸ったの? それとも煙草の葉を食ったの?・・・解釈は諸説あるような?

最後に禁煙について次のように説明した。
・喫煙の習慣を憂慮する声も上がった。特に光海君(광해군)は煙草の煙を嫌い、その後目上の人前で喫煙を避ける習慣が広まった。許薰(허훈)は、子供の禁煙の詩「禁南草(금남초)」を作った。詩中、煙草のせいで、肺の中が真っ黒になり、顔は浅黒くなり、態度も傲慢となり、元気もなくなると、その害について淡々と綴り、煙草は百害無益と指摘した。現在でも当てはまる言葉だろう。

▼京畿民謡「沙鉢歌(사발가)」を聴く。・・・いろいろな歌詞があるようで、まさに煙草の煙りです。

旧いメディアは大丈夫かな?

その昔(あるいは今も?)、大きな会場のスクリーンに、リモコン操作でコマ送りできるスライド映写機が使われた。そのスライド写真は今も保管され参照できるのだろうか。

家族の思い出を楽しむツールに、家庭用8mm映像フィルム、VHSやβビデオカメラの録画テープなどがある。さらに、DVDやブルーレイ・ディスクはどうだろう。わずか一世代中に技術革新はすさまじく、次々新商品になって登場して、人々はそのたび付き合わされてきた。

後の世代は、残された様々な機器を操作できるのだろうか。陳腐化したメディアをどう扱えばよいだろうか。東京新聞の記事「開かずの電子資料 OS更新 図書館泣かせ」(7/28、中村陽子)は、PCのOSバージョンアップによる問題を次のように報じている。(抜粋)
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・融資の審査などに使う「第11次 業種別審査事典」CD-ROM版、江戸期に編さんされた名所案内「江戸名所図会」のデジタル解説書…。東京都立中央図書館で、CD-ROMの一枚をパソコンのドライブに入れると、目次までは表示されるが、その先はエラーメッセージが表示され、再生できない

・電子情報の長期保存について研究している小林敏夫氏(神奈川大非常勤講師)は「超長期に情報を保存し、必要な時に再生できる仕組みを作らなければ、やがて大量にデータが消える。その中には人類にとって貴重な情報も含まれるだろう」と指摘する。情報を処理する技術は、この数十年で飛躍的に発達してきたが、保存にはあまり目が向けられてこなかった。「社会活動のほとんどが電子技術に依存する時代。デジタルデータの長期保管の問題は、図書館だけでなく、研究機関や企業も一緒に取り組むべき課題だ」と話している。
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これって、後先き考えない技術進歩の呪縛に気付く・・・工学は時代を超えられない。

ところでわが家は、VHSテープをいつか見るためと、プレーヤーとブラウン管テレビを残しているが、利用した記憶はない。一方、Windows3.1対応の、北方ルネッサンスの画家を紹介したCD「ファン・エイク」(新潮美術ROMシリーズ、1997年)は、Windows7でも以前同様に動作してくれる。運がいいのかな。

2013年7月29日月曜日

江辺歌謡祭

イ・ソンヒが歌謡界にデビューするきっかけとなった、MBCの第5回「江辺歌謡祭(강변가요제)」(1984年)に於いて、仁川大学の男女デュエット「4幕5場」として、「Jへ(J에게)」を歌い大賞を受賞したのが、29年前の今日だった。

(本ブログ関連:"(資料)イム・ソンギュン")

この「Jへ」を作詞・作曲したイ・セゴン(李世建、이세건)とイ・ソンヒの出会いは、彼女が高校2年生のときに通っていた音楽教室でのことで、ある意味、この曲を救い運命を変えたのは、他ならぬイ・ソンヒ自身だったといえる。

(本ブログ関連:"「Jへ」との出会い"、"チャン・ウクチョ音楽室")

さらに、この曲タイトルにあるイニシャルの「J」は、作者イ・セゴンが友人のドイツ留学先に送る手紙の書き出しの宛名書きからヒントを得たという話がある。

(本ブログ関連:"イニシャルJ")

ステージ上での彼女の髪型やスカートをはいていた理由など、この歌謡祭にまつわる話題にはこと欠かない・・・。

(本ブログ関連:”江辺歌謡祭”)



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2013年7月28日日曜日

夏の熱気に誘われて

コーラス・グループ「サーカス」の女性ボーカルの叶正子さんは印象的でした。現在、娘さんがメンバーに加わって新しい構成になっているそうで・・・先日、ラジオでうかがったばかりですが。

サーカスの曲といえば、夏に相応しいかな、「MR.サマータイム」(1978年)が忘れられません。お洒落で、情熱的で、そして危うい歌詞に惹かれないわけにはいきませんでした。でも、叶さんのセンスというか、イメージの良さが曲の美しさを際だたせてくれていたのを覚えています。

ところで、「MR.サマータイム」の原曲は、Wikipediaによれば、フランスのシンガーソングライター、ミッシェル・フュガン(Michel Fugain、1942年12月グルノーブル生まれ)作曲の「Une Belle Histoire」だそうです。こちらは、物語にしては早回しでしょうか、たとえ神の導きによる贈り物だったにしても。もう少し叙情が欲しいものです。南と北に分かれる二人には、若過ぎたのでしょうね。

で、どちらを聴こうかな・・・やっぱり、サーカス版を聴くことにしましょう。



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2013年7月27日土曜日

この砂はみんな水晶だ。中で小さな火が燃えている。

ブラジルの肩に当たる、大西洋に面した北東部州の海岸に「レンソイス・マラニャンセス国立公園(Parque Nacional dos Lençóis Maranhenses)」がある。砂漠と見間違えるほどの広大さであるだけでなく、何よりも特徴的なことに、真っ白な砂つぶからできていて「純白の砂漠」と形容されること、雨期に点在する大きな池に、そのときだけ産卵のため魚が出現することを、TBSのテレビ番組「奇跡の絶景ミステリー 地球46億年!大自然の神秘はこう創られた」が紹介した。

15万5000haの公園に広がる砂丘の白砂は、100%石英砂でできている。石英の砂が集まると、雪と同じで原理で、白く見える・・・と解説していたが、幾重にも繰り返される白砂の砂丘世界は想像を超える。室内でテレビ画面から知る、白い世界はどうだったのだろうか・・・太陽光まぶしさ、砂漠の風、気温、白砂の反射光と熱気、そして白い世界の香り・・・直接経験してみたいものだ。

ブラジル北部の地質は火成岩の花崗岩(石英を成分のひとつとする)でできていて、それが地上に押し上げられ、やがて川に削られ、海へ流される。遠浅の海岸に流されついたとき、石英だけが分離され、風の力で逆に内陸へと運び打ち上げられることで、巨大な石英粒の海岸を形成したという。

真白の世界、それはファンタジーのような夢の舞台だ。手にする砂が、白く輝き指の間をサラサラと流れ落ちる・・・まるで、銀河の乳白色の世界を確かめる、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」のようだ。
二人の少年、ジョバンニとカムパネルラが、「銀河鉄道」の停車駅「銀河ステーション」で降りて見た光景を思い出す。

ちなみに、石英の中で透明な結晶をしたものを水晶という。
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カムパネルラは、そのきれいな砂を一つまみ、掌(てのひら)にひろげ、指できしきしさせながら、夢(ゆめ)のように云っているのでした。
「この砂はみんな水晶だ。中で小さな火が燃えている。」
「そうだ。」どこでぼくは、そんなこと習ったろうと思いながら、ジョバンニもぼんやり答えていました。

河原の礫(こいし)は、みんなすきとおって、たしかに水晶や黄玉トパースや、またくしゃくしゃの皺曲(しゅうきょく)をあらわしたのや、また稜(かど)から霧(きり)のような青白い光を出す鋼玉やらでした。ジョバンニは、走ってその渚(なぎさ)に行って、水に手をひたしました。けれどもあやしいその銀河の水は、水素よりももっとすきとおっていたのです。それでもたしかに流れていたことは、二人の手首の、水にひたったとこが、少し水銀いろに浮ういたように見え、その手首にぶっつかってできた波は、うつくしい燐光(りんこう)をあげて、ちらちらと燃えるように見えたのでもわかりました。
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2013年7月26日金曜日

津波が湾内の泥を押し流すこと

異性を知らずこの世を去った若者を惜しんで、せめてあの世で男女の縁を結ばせようとする儀式が日本や近隣の国々にある。空想の婚姻でも、残された者にとっては、命の永続性を願うことに通じる。

しかし既婚者が亡くなったとき、あの世の世界に、以前と異なる男女の関係が突然現れたら厄介なことだろう。あの世は不可侵なのだから。

以前、NHKテレビで東北の大震災のドキュメント中に、柳田国男の「遠野物語」にある、次の伝承に通じるできごとが紹介された。
事実に人のこころの難しさを感じたが、あの世とこの世をさ迷う、現(うつつ)の幻視かもしれない。震災は、深く沈殿していた「わだかまり」を呼び覚ましつつも、津波という大きな不幸とともに流し去る機会を与えてくれたのかもしれない。

「遠野物語 九十九」(改行、読点任意設定)
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土淵村の助役北川清という人の家は、字火石(ひいし)にあり。代々の山臥(やまぶし)にて祖父は正福院といい、学者にて著作多く、村のために尽したる人なり。
清の弟に福二という人は、海岸の田の浜へ婿(むこ)に行きたるが、先年の大海嘯(おおつなみ)に遭いて妻と子とを失い、生き残りたる二人の子とともに元(もと)の屋敷の地に小屋を掛けて一年ばかりありき。

夏の初めの月夜に便所に起き出でしが、遠く離れたるところにありて行く道も浪(なみ)の打つ渚(なぎさ)なり。霧の布(し)きたる夜なりしが、その霧の中より男女二人の者の近よるを見れば、女は正(まさ)しく亡くなりしわが妻なり。思わずその跡をつけて、遥々(はるばる)と船越(ふなこし)村の方へ行く崎の洞(ほこら)あるところまで追い行き、名を呼びたるに、振り返りてにこと笑いたり。男はとみればこれも同じ里の者にて海嘯の難に死せし者なり。自分が婿に入りし以前に互いに深く心を通わせたりと聞きし男なり。

今はこの人と夫婦になりてありというに、子供は可愛(かわい)くはないのかといえば、女は少しく顔の色を変えて泣きたり。死したる人と物いうとは思われずして、悲しく情なくなりたれば足元(あしもと)を見てありし間に、男女は再び足早にそこを立ち退(の)きて、小浦(おうら)へ行く道の山陰(やまかげ)を廻(めぐ)り見えずなりたり。追いかけて見たりしが、ふと死したる者なりしと心づき、夜明けまで道中(みちなか)に立ちて考え、朝になりて帰りたり。その後久しく煩(わずら)いたりといえり。
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2013年7月25日木曜日

イ・ソンヒの「あなたに会いたいときは」(再)

イ・ソンヒの8集に所収の「あなたに会いたいときは(너를 만나고 싶을땐)」(作詞ファン・チョンウォン、作曲キム・ヨンドン、1992年)は、無垢な恋が時間も位相も迷路にあるようでかわいらしい。
それも、8集のほぼ全体を作曲した、作曲家キム・ヨンドンの曲調の多様さから聴いてしまうのだろう。

この涼やかな曲を聴いていると、わたしも爽やかな風にあたり、夏の夕べのしるしをうけたい気がする。

(本部ログ関連:"あなたに会いたいときは")



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2013年7月24日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 三伏

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(7/17)に、文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第15回として、(日本の夏の「土用の丑の日」のような)夏の最も暑い時期を意味する「三伏삼복)」について紹介された。

まず、三伏の起源について次のように始まった。
・一番日の長い夏至を過ぎると、本格的な夏が来る。韓国では、特に陰暦の6~7月頃の最も暑い時期を「三伏」といい、「初伏」、「中伏」、「末伏」の三つの日を合わせた言葉だ。また「伏」の字には、人も犬のように地面に這いつくばるの意がある。
陰陽五行で、「夏の火」に対し「秋の鉄」が三度屈服する説もあり、ことわざに、「三伏の期間には唇についたご飯粒も重い」がある。三伏の日は、仕事を休み、山川で涼み、精のつく料理を食べて一日を過ごす。

▼パンソリ「水宮歌(수궁가)」の中から、宴会での「鳥やけものたちの上座争い(날짐승 상좌다툼하는데)」の題目を聴く。パンソリ「兎鼈歌」・・・知恵あるウサギの肝か?

次に、三伏の食習慣(ケジャンクク)について次のように説明された。
・三伏の日に、屋外で食事をすることを、「ポクタリム(복달임)」、または「ポンノリ(복놀이)」といい、スイカやマクワウリの果物、小豆粥を炊いたもの、参鶏湯やケジャンクク(개장국、犬肉の煮込み)を食べた。
朝鮮時代後期の風俗を綴った、1840年前後の「東国歳時記」(洪錫謨著、東洋文庫版より)の旧暦6月の「三伏」の項の「狗醤」に、「狗(イヌ)肉を煮てそれに葱(ネギ)を和し、再びよく煮る。名づけて狗醤(クチャング)という。これに鶏肉や竹筍(タケノコ)をいれれば、更に味がよくなる。狗醤に胡椒をふりかけ、白飯を入れたのを時食として食べる。このようにして発汗すれば、暑気を退け、虚弱を補強するのに効き目がある。だから市中でも、これが多く売られる。」と記している。

(本ブログ関連:"東国歳時記")

・陰陽五行では、犬は東西南北の「西の動物」で、「鉄の気運」を持っており、「夏の火」の気運によって、体中の鉄の気運が溶け出すところ、犬を食べることで、「鉄の気運」を補うと説明する。

▼西道地方の民謡で、「狗打令(개타령)」を聴く。やっぱりイヌの鳴き声、夜も過ぎて朝にもなれば鶏のコケコッコー、何があったのやら・・・。

最後に三伏の日の行事について次のように解説された。
・昔は、休暇や旅行をすることはなく、谷や川辺で冷たい水につかったり、髪を洗ったりすることを行事のひとつと考えられた。ソウルでは、三清洞の井戸の水を飲んだり、川で行水をしたりしたという。この日に、薬水といわれる泉の水で髪を洗うと、病気が去り、できものも良くなると信じられた。そのため、この風習を「水に当たる」ともいう。
人に酷な夏の暑さも、田の稲には、初伏、中伏、末伏の度に一歳年を取るといわれ、ありがたがられた。農夫は、三伏の日に、お餅やチヂミを持って田に行き、豊作を祈願した。また農家では三伏の日の雨を「農事雨」と言い、豊作をもたらすとして歓迎した。暑い日の、かすかに吹く風、暑さを追い払うかのようなにわか雨(소나기)に、ありがたく感じる。

▼「風の花園(바람의 화원)」を聴く。・・・題名の通り今様である。

岸さんのことば、「微かな風、僅かな雨といった、小さな自然の恵みにも感謝の心を持つことが、実は夏を楽しむ方法のひとつかも知れませんね」。

2013年7月23日火曜日

ブログ(Blogger)をクロームで表示する(続)

ブラウザを「クローム(Chrome)」に変更したところ、見かけ上、問題なく早い感じで本ブログが表示されるようになった。しかも、「メインページ」を7件に落としたけれど、14件に戻しても問題ないようだ。

クロームの場合、IEと違って、テキスト部分をまず優先してザ~ッと表示し、その後、埋め込んだYoutube映像などを(ページをスクロールするごとに)パラパラと次々表示していくように見える・・・詳しいことはサッパリわからないけれど。

使い勝手からいいんじゃないかな・・・すぐに埋め込みのYoutubeを起動することもないのだから。時間差を利用した、効率的なページ内展開だと思いますよ。

今日から、ブラウザは「クローム」!に完全に切り替えることにした。

(本ブログ関連:"ブログ(Blogger)をクロームで表示する")


(後日追記)
二十四節気の「大暑」の名の通り、暑い一日だった。おまけに、夕方に土砂降りで、いっとき建物の中で時間を過ごすはめになった・・・蒸し暑さは返って増すばかり。


2013年7月22日月曜日

ブログ(Blogger)をクロームで表示する

どうしたらよいのか。本ブログ(Blogger)の表示がとても遅いのだ。

主にブラウザとして、「IE」を利用してきたが、本ブログ立ち上げ時の「メインページ」がとても重いのだ。設定の「最大件数で表示」を、31件→14件→7件に減らしていったが、効果が見られない。

ちなみに表示時間を次のwebwaitで測定した。
http://webwait.com/

(上記の7件表示で設定で)、ブラウザを「クローム(Chrome)」に変更したところ、今度はIEと比べて早く表示するようになった。

それでも、平均 15.09 sec になった。(23.04 sec のときもある・・・)

やっぱり、「Google Blogger」は、クロームがいいのだろうか・・・なぜ?

2013年7月21日日曜日

イ・ソンヒの企業イベント参加

今月中旬に行なわれた、イ・ソンヒのしばらく振りのステージを、Youtubeで見ることができる。といっても、企業イベントに参加したときのもののようだ。相変わらず健やかな笑顔と、すっきりとした歌声で聴衆の心をとらえていた。

歌手生活として必要な選択だったろうけれど、いろいろな意味で考えさせられる。

(追記)
そういえば地元小学校の夏休みは、7月20日(土)~8月31日(土)で、昨日の土曜日から始まっていた。ご近所のかわいい小学生が昼頃に、「こんにちは!」と可愛い挨拶を受けたのはそういうことだったのかと・・・楽しい!夏休みが始まった。