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2013年6月5日水曜日

芒種2013

今日は、立春から数えて9番目に当たる、二十四節気の「芒種(ぼうしゅ)」である。

Wikipediaなど参考にするとると、この節気は「(のぎ 、稲や麦の小穂の先端にある棘(とげ)のような突起)を持つイネ科植物のをまく頃だが・・・現在の(苗床への)種まきは、これよりも早い。」とのこと。

いかにも象形文字らしい姿をした「芒」の文字の起源を知りたいものだ。というのも、他の文字の不安なイメージ(形、音)に重なってしまい、ちょっと気になるからだ。

さて、梅雨入りしたにもかかわらず、湿気があっても晴天とは、都市生活者にとってありがたいが、農業生産者には迷惑かもしれない。さっそく、水不足の心配がいわれたりしている。

2013年6月4日火曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 田植え歌

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(5/29)に、文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第8回として「田植え」について紹介された。

まず労働謡について次の紹介から始まった。
・古人が共に農作業する際、息を合わせるため「労働謡(노동요)」を歌った。農業は天下の根本と考えられ、地域や季節により様々な農作業の歌が伝承された。うまい歌い手は、仕事ができる人同様に厚遇された。
・「朝鮮王朝実録」の(第7代国王)世祖세조、在位:1455年閏6月11日~1468年9月7日)の実録に、農作業の始まる春に江原道を巡幸し、襄陽(양양)で農作業歌の<のど自慢大会>を主催したという。最高の評価を得た歌い手、奴婢トングリ(동구리)には賞品として、服一着と楽士の資格が与えられ、王の駕籠に付き添うことまで許された。

▼江原道、襄陽の田植え歌「オランソリ(어랑소리)」を聴く。長閑な感じして、まるで田圃のなかで次々歌い手が引き継がれるよう。

次に田植えの共同作業について次のように説明した。
・米作には88の作業が必要といわれ、種籾選びから収穫に至るまで、農民はわが子のように農作物に接する。田植えは、一年の収穫を左右する重要な仕事で、まず種籾を狭所にぎっしり植えて育てた後、田に植替える。直接田に種籾を撒くよりも管理が楽で生産量もアップするからだ。
・以前農村に共同作業体「トゥレ(두레)」があった。人手を多数必要とする田植えの際、家ごとに順番を決め、村中共同で田植えを行なった。田植えをする家は、働きに来た人々のためご馳走を準備した。田植えの日は、村はお祭りのように盛り上がった。

▼京畿道 コヤンの田植え歌「ヨルソリ(열소리)」を聴く。こちらはリーダーの歌のもとに田植えする光景が浮かぶ・・・田圃の水面に青空が映る。

田植え歌のスピードについて次のような解説があった。
・労働謡は、一般的には長短が速く、テンポを速くして作業を速くする。一方、田植え歌は、田植えが明け方から日暮れに続くため、スピードを調節し、音を長く伸ばしたゆっくりなテンポのものが多い。

▼全羅南道 珍島の田植え歌「サンサソリ(상사소리)」を聴く。こちらは威勢がいいというか力強い・・・土地の神に願いを込めるように。

岸さんの言葉、息切れしない生活が大切という・・・本当にそうですね。

2013年6月3日月曜日

ひまわり

随分と以前、「戦争を知らない子供たち」(1970年、作詞北山修、作曲杉田二郎)という歌が流行った。当時の若者は、確かに戦争を知らないけれど、共通するのは、彼らの親の世代がいずれかの形であれ戦争を経験していたことだ。直接の思い出であろうとなかろうと、親は戦争の体験を問わず語りして、子供たちはその言葉を耳に残したと思う。もしかしたら日常のひょっとした瞬間に聞かされたかもしれない。

当時の若者は、直接知ることもない戦争の残渣をどこかに感じていた。それは消えることのない、ある意味、心の中に直接的な響きを持っていた。自分たちが、戦争という多くの犠牲の中を生き抜いた両親の子であることに気付かないはずはなかった。戦後に生まれたこと、その命が続くという自身の存在を、いずれは問わざるを得なかったのだ。

戦争を本当に知らない今の若い世代には、身内に戦争の鮮明な記憶を聞かされることは極めて少ないだろう。だから、「戦争を知らない子供たち」のような歌が生まれてくるはずもない。ある意味、必然性もないのだろう。

時に思うことがある。ひとは個人の経験の中でしか過去を語ることができない。どんなに時代のうねりが大きくても、経験はちっぽけな一つでしかない、今にいたる一つの糸でしかないことを思い知る。たとえ記憶の糸を紡ぎ合わせて時代を知ったとしても。

DVDで映画「ひまわり(I Girasoli)」(1970年日本公開)を見た。「戦争を知らない子供たち」の視点を越えることはできないが、齢を重ねて気付き、響いてくるものを感じた気がする。時代に翻弄されても、懸命に生き、そして小さくてもよい、生きるしかないのだから。生きるために幸せを求めたことを咎めることはできない。時代が運命を切り裂いたとしも、生きる価値を見出さなくては、ひとは生き続けることができないのだから。

(本ブログ関連:”ひまわり(映画)”)

大地に咲くひまわりは、陽射しをうけて黄色の花を輝かせ、ゆったりと風の動きに身をまかせる。無限に広がる畑に咲き続けるひまわりは、命を咲かせ種を残す。


(Youtubeに登録のsrbigote owariyaに感謝)

2013年6月2日日曜日

二宮鉱山、吉見町

前回(3/24)、埼玉県東秩父村朝日根と寄居町五ノ坪の鉱物採集のときと同じメンバーで、今回も埼玉県下の児玉郡神川町二宮鉱山(ニッケル鉱物)と比企郡吉見町(沸石)に出かけた。

集合場所は何とJR東海道線戸塚駅だ。待ち合わせ時間をゆるくしていただいたおかげで、いつもよりも自宅を出る時刻を遅く家を出る。
ところで戸塚駅の改札口が、上下2層あるとは知らず戸惑ったところを救出され・・・無事に定刻に出発。

最初に到着した、神川町二宮鉱山近くにある金讃神社周辺は、リーダーが前回来たときと比べて宅地化、整地化が進み、採集場所がリース会社敷地になったようで、断念か・・・そうはいっても、石の臭いを嗅いで辺りを探すと、道路際にある同社駐車場背面のわずかな斜面に、蛇紋岩を砕いた形跡があった。少し探し廻ったが、マックギネス石!なんて見つけることもできなくて。
採集結果は次の通り。
・黄鉄鉱(微粒)、苦灰石(ただしいただきもの)

次に、比企郡吉見町ひばりヶ丘に転じる。こちらも宅地化が進んでいて・・・高い場所からそれらしい岩場が見えたが、情報通りに見つからない・・・幸い、畑地でトラクターを運転していた地元の方に教えていただき、あっけなく採集場所にたどり着く。
採集結果は次の通り。
・(灰)菱沸石、黄鉄鉱(微粒)

言い訳として、現地到着と帰りの時間を考慮して、両採集時間はあっという間だった。

2013年6月1日土曜日

リンゴの実に例えると

日々の時間の進みを直感的に理解するのに、リンゴの齧り具合で例えるのがよい。今日から6月、リンゴの芯を中心に縦に輪切りすると、すでに5月まで食ってしまったのだから、半分位いしか残っていないことが分かる。

スケジュール管理ツールなど別にすれば、月別カレンダーやスケジュール手帳などは、今しか見ていないので、済んだことも残っていることも直感的でない。どうやら、日常ズルズルと過ごして、時間を消費というよりも浪費してしまったことに気付く・・・無駄に過ごしたということか。

食ってしまったリンゴは何処へ行ったのだろう、少しはリンゴの気持ちを考えるべきだろう。

あのう別に、あちらのリンゴのことではないですよ。

2013年5月31日金曜日

李明姫 伽耶琴公演

久し振りに地下鉄四谷三丁目駅近くにある韓国文化院に行く。「2013年定期公演シリーズ ~K-Cultureの魅力~」のPart2である、伽耶琴(カヤグム:가야금)奏者の李明姫(イ・ミョンヒ)の公演を見るためだ。

李明姫は、パンソリ「赤壁歌」、「沈清歌」、「春香歌」、「興甫歌」の中から代表的な歌を伽耶琴演奏と共に唱した。ステージ遠くに見た彼女は、ちょっとチョン・ドヨンに似て華奢な感じがしたが、声量豊で館内を圧倒した。併唱された内容が理解できれば、感動も深まっただろう・・・言葉は大事だ。なお、合いの手コス(고수)はイ・チャンソプが太鼓(プク)を打った。

パンソリと伽耶琴演奏の組み合わせを、何と呼ぶのだろうか。

また上記演目の途中に、節回しに次第に引き込まれる印象的なイ・キュジョンの「回心曲」、気品と美しい一瞬の静止を見せながら舞う金美福(キム・ミボク)の「花仙舞」が演じられた。

(本ブログ関連:"伽耶琴"、"パンソリ"、"回心曲")

(追記)
KBS Worldの番組「国楽の世界へ」を聴取しているお陰で楽しむことができた。感謝。

2013年5月30日木曜日

イ・ソンヒの「あなたに会いたいときは」

深い孤独に愛を沈めながらもなぜか想いはつのる・・・イ・ソンヒが28歳当時に歌った「あなたに会いたいときは(너를 만나고 싶을땐)」は、8集(1992年)の最後に収められていて余韻を残す。それは、恋を恋するように、美しい音色も加わって・・・乙女心とでもいうのでしょうか。

ローマの古い言葉にあるように、「愛はそれが目醒めてあるときに想像することを夢みる」と。いつの世も変わりませんね。だから繰り返しているのでしょう・・・そして新鮮なのでしょう。



(Youtubeに登録のlys2187に感謝)

2013年5月29日水曜日

梅雨入り2013

それらしくもなくて、何だかその気にならないのに、そうだといわれると、そうなのかもしれない。今日から関東地方も梅雨が始まった。

「つゆいり」とキーボードを打てば、「入梅」となる。「入梅」は、本来固定の6月初旬頃の季節用語(雑節)で、しとしとと間断なく静に降り続く表現に、「にゅうばい」の音が合っている気がする。
気象庁の「予報用語 > 季節現象」では、梅雨の期間に入ることに、用語「梅雨入り」を適用し、用語「入梅」は「使用を控えるもの」としている。従ってマスコミも「梅雨入り」を使う。

日本経済新聞の記事「関東甲信も梅雨入り 平年より10日早く」(5/29)は、今年の当地の梅雨入りを次のように報じている。(抜粋)
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・気象庁は29日午前、関東甲信地方が梅雨入りしたとみられると発表した。平年より10日昨年より11日早い
・関東甲信地方は湿った気流や前線の影響で、週末にかけて曇りや雨の日が増えるという。平年の梅雨明けは7月21日。
・まだ梅雨入りしていないのは、梅雨がない北海道を除き北陸と東北地方のみとなった。
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「北海道を除き」というのは気象上、北海道に梅雨は合致しないという意のようだ。

ちなみに関東地方の最近5年間の梅雨入り時期を、気象庁の「昭和26年(1951年)以降の梅雨入りと梅雨明け(確定値):関東甲信」によれば次の通り。
  年            入り                 明け     
2008年   5月29日ごろ   7月19日ごろ
2009年   6月 3日ごろ    7月14日ごろ
2010年   6月13日ごろ   7月17日ごろ
2011年   5月27日ごろ   7月 9日ごろ
2012年   6月 9日ごろ    7月25日ごろ
平 年      6月 8日ごろ    7月21日ごろ  

(本ブログ関連:"梅雨")

2013年5月28日火曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 諧謔

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(5/22)に、文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第7回として、「諧謔、こっけい」について紹介された。

まず国楽にも笑いをテーマにした諧謔的な音楽があるという次の紹介から始まった。
・韓国伝統文化に情緒としての「恨」があるが、ソンビの音楽には気品があり、庶民の伝統芸能「仮面劇タルチュム」には堕落(両班や僧侶)と浮気と嫉妬(爺さんと婆さん)などの風刺と諧謔があった。国楽にもこうしたテーマが伝承されている。
「蛙打令(メンコンイ・タリョン、맹꽁이 타령)」(1900年代頃)の、「メンコンイ」は動きが鈍く疎い人物として使われる。今から100年ほど昔、ソウルの真ん中を流れる清渓川に住む様々なメンコンイが現れ、人々の生き様を風刺した描写する。

▼「蛙打令」を聴く。五匹のカエルの姿は・・・言葉に納得して楽しむものだろうけど・・・。

次に、パンソリについても滑稽な描写を次のように紹介した。
・パンソリは、悲しみに泣き叫ぶかと思えば、何事もなかったように笑いはじけるジャンルだ。
- 「水宮歌」では、海の竜王が自分の病気を治すウサギを探すよう臣下に命じる。イカ、貝、ニシン、ひらめ、太刀魚などが登場して、竜王は病気を忘れて思わずつぶやく、「わしは竜王ではなく、これではまるでチュソクのための市の日に、商売のために出てきた魚売りではないか」。
- 「沈清歌」では、盲目の父の目を開かせるため娘が海に身を投じる悲劇の中で、主人公沈清が命の代わりに得た金を目当てに、後妻ペンドクと沈清の父との滑稽話が続く。
- 「赤壁歌」の中の赤壁火戦では、大軍を率いて呉国を攻撃した曹操は予想外の火攻めにあい退去する。こうした中にも裏をつく笑いの要素が含まれている。

▼ユン・ジンチョルによる「赤壁歌」の中から「赤壁火戦」を聴く。なぜか淡々として・・・ところで、朝鮮の古い時代の戦を題材にしたパンソリはないものだろうか。

・死は暗く厳粛なものだが、それさえ風刺の対象にした。特にパンソリは庶民から始まった文化のため、このような風刺の傾向が強いと思われる。不条理を笑いを通して表現するところがパンソリの力ではないか。

▼フュージョン国楽グループのプロジェクト・ロック(Rock、락)による「困るな(난감하네)」を聴く。これは・・・今様で。

2013年5月27日月曜日

イ・ソンヒ 50代最強の童顔女性

芸能人にとって若さは重要な武器だ。一般庶民(特に女性)にすればその秘訣を知りたいことだろう。若さ(すなわち童顔)の例から、イ・ソンヒは外れない。
WOW韓国経済TVの記事「バンパイア芸能人、ハン・ガイン、チョン・ヘヨン、イ・ソンヒ選定 <最強の童顔理由は?>」(5/27)は、美貌を保ち続ける3人の女性芸能人を紹介している。彼女たちの美しさに摩訶不思議さを感じて、「バンパイア(吸血鬼)芸能人」とまで呼んでいるが・・・。
ちなみに、イ・ソンヒは旧暦1964年11月11日(新暦12月14日)生まれで、「数え年」で50歳であるが、来年には新暦「満年齢」で50歳になる。

(本ブログ関連:"童顔"、"チョン・ドヨン")
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・[韓国経済TV、キム・ジウン インターン記者] 俳優ハン・ガイン、チョン・ヘヨン、イ・ソンヒがバンパイア(吸血鬼)芸能人に選ばれた。

・27日放送されたMBC「気持ち良い日(기분 좋은 날)」では、年代別最強の童顔芸能人の姿が電波に乗った。

・30代最強の童顔女性は、イ・ヨウォン、ユ・ジンを抜いて、ハン・ガインが選ばれた。整形外科専門医は「眉毛と目から出る明るいイメージが童顔を感じさせる」と説明した。

・引き続き40代最強jの童顔女性候補では、キム・ジス、チョン・ドヨン、チョン・ヘヨンが上がって、チョン・ヘヨンが選ばれた。整形外科専門医は「小さくて明るい目つき、やや長めなアゴの線、発達していない頬骨など全体的な容貌が理由」と話した。

最後に50代最強の童顔女性では、歌手イ・ソンヒが名を連ねた。明るい皮膚の色、小さい顔、微笑を浮かべた白い歯、濃い眉毛と髪が、イ・ソンヒを童顔にしてくれた
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(Youtubeに登録のbraun braunpsに感謝)

2013年5月26日日曜日

巨匠たちの帰還・・・チョー・·ヨンピルからイ・ソンヒまで!

TV朝鮮は、「巨匠たちの帰還・・・チョー・·ヨンピルからイ・ソンヒまで!」(5/25)の紹介の中で、チョー・·ヨンピルの最近の話題に合わせて、イ・ソンヒについて、「繊細ながらも爆発的な歌唱力のイ・ソンヒも、戻ってくる準備に乗り出しました。来年、デビュー30周年を記念する全国ツアー・コンサートと新しいアルバム準備の真っ最中です。」と報じた。

登録(tvchosun01)された映像には、イ・ソンヒの直接のコメントはなく、彼女のステージを写した一瞬の表情の選択に何処か引っ掛かるものがあるけれど・・・。


2013年5月25日土曜日

(資料)イ・ソンヒが再婚した夫

渡米と同時にイ・ソンヒが不幸なできごとを乗り越えて再婚した夫について、女性東亜の記事「ベールに包まれたイ・ソンヒの夫 直接会ってみると」(5/24)は、インタビューを交えて次のように報じている。(文キム・ミョンヒ記者、写真イ・キウク記者)

(2006年)
・2006年、イ・ソンヒ(現在49歳)の再婚はいろいろ衝撃的だった。当時、イ・ソンヒは、所属事務所のクォン・ジンヨン代表に、交際する人がいるという事実を知らせて、引退を暗示するような発言を残したまま男性と一緒にアメリカに向かった。

・「国民歌手」のイ・ソンヒが、急に国内の生活を整理して引退の示唆までしようと、ファンたちは大きく当惑した。それから四ヶ月後の2006年11月19日、イ・ソンヒは、ファンカフェに文を書いて、自分の再婚の事実を知らせた。当時、イ・ソンヒは「一般人の配偶者が私生活の露出を敬遠するため、秘密裏に結婚し、(当分は、韓国を離れて)アメリカの大学で体系的に音楽の勉強をする計画だ。前から勉強をしたかったものの状況がままならなかったが、夫のおかげで勇気を出すことができた」と打ち明けた。

(2007年)
・その後、イ・ソンヒは、夫のチョン某氏(58)と一緒に米国イリノイ州に滞在し、娘の留学生活を世話して、コミュニティカレッジで英語の授業を受けて新婚生活を満喫した。その間、韓国の知人全ての連絡を切断しているようにした。最側近の人たちでさえ、イ・ソンヒと連絡が取れないと、イ・ソンヒの家族に電話をかけて「米国にいるイ・ソンヒの安否が気になるので、彼女から連絡がくれば、電話一つ必ずして欲しい」という願いをしておくほどだった。

(本ブログ関連:”イ・ソンヒの娘”)

・その間、韓国では、夫のチョン氏の過去の色々な噂が出回った。イ・ソンヒとの結婚が、再婚とか再々婚とかいう、彼の過去と関連した内容だった。また、しばらくの間、イ・ソンヒとチョン氏がアメリカで離婚したという噂が流れたりもしたが、その頃夫婦が一緒に知人の結婚式に賀客で参加したのをきっかけに離婚説は事実無根と明らかになった。

(2008年-2009年)
・イ・ソンヒが2008年に米国から帰国した後、コンサートやアルバム発売を通じた正式カムバック手順を踏まないで、地方のイベントなどにだけ姿を現わしたのに、夫婦に経済的な問題があるではないかという疑惑も起こった。イ・ソンヒは、2009年のMBC「黄金漁場 - 膝打ち導師」に出演しても、「夫のおかげで、娘との関係が良くなった」とだけ話しただけで、その他の私生活については、非常に言葉を慎んで再婚生活に対する知りたくなる事を(返って)煽った。


베일에 싸인 이선희 남편 직접 만나보니


180cmの長身の好男子。「インタビューに応じたら妻に怒られる」

베일에 싸인 이선희 남편 직접 만나보니

・こうした中、最近イ・ソンヒの夫が、ソウル良才洞(양재동)で日本式居酒屋を運営するという消息が聞こえてきた。彼は、個人的知り合いで訪ねてきた客と酒杯を傾けたりもするが、終始愉快に会話を引っ張りながらも、イ・ソンヒの夫として話題になるのは負担になると伝えられた。

・記者が訪れた時も、彼は知人との集まりを持っていた。180cm程になる背丈の好男子である彼は「私はこの酒場の社長ではなくて、後輩たちを助けたり、人々に会うために時々立ち寄る程度」と述べた。最近、活動がまばらな妻イ・ソンヒの近況については「非常によくやっている。今は休んでいるが近いうちにコンサートをするのか、アルバムを出すのかよくわからない。妻の歌手活動については一切関与していない」と述べた

・正式のインタビューを要請すると、彼は「妻に怒られる」と手で遮りながら笑った。二人が私生の活露出を敬遠する理由には「再婚する時に確認されなかった悪意ある報道があまり多く出たために心の傷を負ったからだ」と述べた。

・チョン氏は、かつて言論(メディア)に、韓国と米国を行き来しながら事業をすると報道されたが、事実、彼はソウルの有名私立大学で建築学を専攻し、米国に留学し、修士号まで取った建築家だ。イ・ソンヒは、自分の娘をアメリカに留学させて、米国留学の経験があるチョン氏から多くの支援を受け、その過程で愛が芽生えたという。

・チョン氏は、現在建築デザイン研究所を運営する一方、ある私立大学で非常勤講師として学生たちを教えている。そのおかげで、大学を卒業した弟子たちが彼に会うためにたびたびこの場所を探したりすることもあると。

・居酒屋が入店しているビルは、チョン氏の所有だ。良才川を見下ろす大通りに位置し、カフェ、バー、病院などが入った6階建ての建物で、かなり安定した賃貸収入を期待することができるという点で、イ・ソンヒ夫婦が経済的に問題があるという噂を一蹴させるに十分だった

・チョン氏の知人たちは一様に彼の人となりを高く評価し、イ・ソンヒ夫婦がいろいろな噂に包まれたことを惜しんだ世間で起きている疑惑とは異なり、イ・ソンヒが良い「因縁(인연')」と会ったのは明らかである。

2013年5月24日金曜日

イ・ソンヒと清渓川復元

韓国のブログ*から知ったことだが、イ・ソンヒはソウル市議会議員時代(1991年~1995年)に、同市を流れる清渓川(청계천)について市民に戻さなければならないと「原状回復を主張します」という、5月23日放送のSBS「一夜のTV演芸」で回顧されたと紹介している。
「美しい江山」の賛歌に通じる、環境について早くから発言していたことになる。

(*)ブログタイトル:「因縁というのでしょう、拒むことができないのです!!」(イ・ソンヒの「因縁(인연)」の歌詞から採ったのでしょう)。感謝。

(本ブログ関連:"イ・ソンヒのソウル市議会議員")



(追記)
上記について、東亜日報の記事「イ・ソンヒ、(李明博 元)大統領よりも先に清渓川の復元主張」(5/22)でも紹介されている。

2013年5月23日木曜日

秩父鉱山大黒川原

秩父鉱山の大黒の川原に鉱物採集に行く。今日は、ありがたいことに鉱物仲間のёб氏が自宅前に車をつけてくれたおかげで、そのまま大黒の駐車場で現地集合することができた。感謝。

前回同様にXa氏を交えて、大黒の川原で鉱物採集する。自然金欲しさに、ふるいとパンニング皿を用意したが・・・。
まず、橋の下をくぐって、急斜面の上側に坑口をのぞかせる処までと・・・川をちょっと遡行したが、わたしだけ諦めた・・・ああ高さに足腰が追いつかない。お二人の情報によれば、坑口周辺に黄鉄鉱石が転がっていたという。

そこで独り、最初の川原に戻って次の鉱物を採集した。(もらい物を含む)
・菱マンガン鉱、磁鉄鉱、(?)ザクロ石、黄鉄鉱、閃亜鉛鉱

次に、ネット情報をもとに自然金を求めて川原を下る。砂防ダムまで至るが、残念ながら該当の場所が見つからない・・・そこで途中に合流している川に入り遡行したが、ここでも残念な結果に終わった。
とりあえず次のものを採集。(もらい物を含む)
・黄鉄鉱、硫砒鉄鉱

(本ブログ関連:"秩父鉱山大黒坑")

(追記)
川の岩石歩きに四苦八苦するわが身を考えると、今日、史上最高齢の80歳で最高峰エベレスト(標高8,848m)を登頂された三浦雄一郎氏のパワーに敬服の至り。今後の鉱物採集に参加をあやぶんでいたわたしだが、もう一度気を取り直して、しばらく継続することにする。

2013年5月22日水曜日

amor

ギリシア・ラテン引用語辞典のラテン語の部に「amor(愛)」の項を探すと、ぽいと吐き出された愛の捻じれで面白いものがある。ランダムに列記する。

amor ex oculis oriens in pectus cadit.  愛は眼より出でて胸に入る。

amor quod suspicatur vigilans, somniat.  愛はそれが目醒めてあるときに想像することを夢みる。

amor tussisque non celantur. 恋と咳とは隠されず。

2013年5月21日火曜日

小満2013

今日は二十四節気の「小満」。街に、森に、畑に溢れた緑は、夏の陽を受けてまばゆく輝く。豊かな実りに向けて準備は整ったようだ。

というか、小満のこと意識になかったなあ・・・確かに、春の寒暖が次第に収斂して、初夏の頭上の日差しに驚くこともあるが、日々生活は、野の緑、森の緑、畑の緑と疎遠だし・・・。

そうそう、明後日には、緑の風を確かめに、秩父鉱山大黒に行こう。

KBS WORLD「国楽の世界へ」 初八日

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(5/15)に、文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第6回として、日本の「花祭り」に当たる、旧暦4月8日に釈迦の誕生を祝う仏教行事の「灌仏会(かんぶつえ)」すなわち「初八日(チョパイル、초파일)」について紹介された。

まず「初八日」の行事について次の紹介から始まった。
・旧暦4月8日(今年5月17日、最近では新暦4月8日)の釈迦生誕日を祝う「灌仏会」(花祭り)は、韓国ではキリスト教のクリスマスに比する行事である。釈迦生誕日の4月8日から「初八日」と呼ばれ、「釈迦誕生日(釋迦誕辰日、석가탄신일)」、「お釈迦様がいらした日(부처님오신날)」と呼ばれ、全国的に行事が行われる。

▼仏教象徴の花からチョン・ジュソンの歌による「蓮の花咲く」を聴く。今様の・・・音色に東洋の香りを重ねて。

韓国(朝鮮)仏教、「八関会」について次のように紹介された。
・紀元前5世紀頃インドに始まった仏教は、西暦372年高句麗に伝来したとされ、以後、統一新羅、高麗では国教に指定された。現在、登録文化財の約65%が仏教関連といわれ、仏教は韓国に深く根付いた伝統文化でもある。
・釈迦誕生日は、「初八日」と呼ばれ、様々な行事が行われてきた。特に新羅時代の風習である「八関会(팔관회)」と、「タプトリ(탑돌이)」は長く続いた。
八関会は、不殺生、不偸盗、不姦淫、不妄語、不飮酒の5戒律に、贅沢しない、高い処に座らない、午後に断食を行うの3戒律を合わせて、一日に8戒律を守る仏教儀式である。
タプトリは、夜通し塔の周りを巡り、自ら、そして家族の健康と安寧を祈願する仏教の修行である。

▼キム・ヨンイム歌による「タプトリ」を聴く。繰り返す旋律が次第に心地よく耳に、心に残るよ。

「タプトリ」について、関連する逸話(三国遺事(13世紀末))と、行事が次のように紹介された。
・新羅のキム・ヒョンが初八日にタプトリを行ったところ、美しい女人が現れ一目で魅了されるが、後にトラの化身であることを知る。しかしひたむきな愛に感動したトラは命をかけて彼を守った。
・初八日は、道に沿って明るい提灯が飾られる。この風習も統一新羅時代に始まったといわれる。ニンニク、スイカ、つるなどの形の提灯が並び楽しむことから、「観灯遊び(관등놀이)」という。中でも蓮の花形の提灯が一番多く見られ、蓮の提灯を点す意から「蓮灯会」とも呼ぶ。毎年、この時期に開く蓮灯会は、韓国を代表する祭りのひとつであり、昨年重要無形文化財に指定された。

▼パク・ヤンドク他の歌による南道雑歌「報念(보렴)」(報施念佛の略)を聴く。土の香りがしてくる・・・祈りが集合して次第にうねりとなるような本当の力を感じる。

2013年5月20日月曜日

小学校の真実

小学校の真実といっても、別に不都合な真実なんていった大げさなものじゃない。テレビ娯楽番組で世代別に小学校時代の給食の思い出語りするのに、ひとつだけ気になったことがある。

一番上の世代が語ったことだが、給食に出た脱脂粉乳のミルクがいやでいやでしょうがなかったという話しに、本当にそうだったろうかと思い返した。元気なだけが取り柄の男の子たちは、ミルクのおかわりに並んだものだよ。まあ、地方の小学校だったからかもしれないが、あんなに否定されると、脱脂粉乳のミルクが可哀相で弁明したくなる。

それに、こんな工夫もしたものだ。大粒の豆のぜんざいが出たときは甘さもあるので、それと脱脂粉乳のミルクを一緒に混ぜたりしたものだ・・・まろやかになって意外と好評だったよ。
そんなわけで当時は、脱脂粉乳のミルクが臭いと完全否定されていたわけはなかった。考えてもみて欲しい・・・給食時間に、みながミルクを窓の外にそっと棄てていたわけじゃなかったでしょ。
脱脂粉乳のミルクが臭いという言葉も、そのとき聞かなかったような気がする・・・後から出てきた言葉じゃないのかな。

アメリカン・ポップから一夜にしてビートルズファンに変わったかのごとく語られるのと同様に、今から見て記憶を整理し直しているのじゃないのかと・・・ちょっと気になる。どうやら記憶は、時間と空間が遠ざかるほど純化されるようだ。

今ではスーパーの商品棚に脱脂粉乳は「スキムミルク」の名で出ているが、あまり日が当たらないようだ。

(付記)
思い出したことがある。小学校の給食棟の脇に、大きな(ガソリン?)ドラム缶サイズの茶色した固い紙筒があって、表に星条旗をアレンジしたデザインとその下に両側から握手する手首の絵が描かれていた。何が入っていたのだろうか・・・小麦粉、それとも脱脂粉乳? ぼくらは、そんな時代に育ったんだよ。

2013年5月19日日曜日

思いつくまま冬虫夏草

テレビ情報番組で、ネパールの農民が山肌に茂る短い草むらの中から冬虫夏草を探し出し、それを仲買人に売って生活費の足しにすることから始まり、最終的に中国で驚くほど高価な食材となるまでをドキュメント風に紹介した。
採集に子供の目力が役立つと、作業を手伝わせる場面があるが、経緯にちょっとした脚色があるのかな。

なぜ虫が草になってしまうのだろうか・・・どちらかといえば、それを知りたかった。菌類が昆虫の体内に侵食(寄生)して宿主を乗っ取ってしまうのだが、そんなことがあるなんて、むかし白戸三平の漫画で知ったときには驚いた。

四方田犬彦は「白土三平の食物誌」の中で、冬虫夏草を題材にしたストーリーを次のように紹介している。
「初期の『甲賀武芸帖』の・・・第二話では、不老長生の妙薬を求める旅に出た少年が、冬虫夏草を発見したものの吹雪に遭難してしまい、みずからが巨大な冬虫夏草の温床と化してしまう。 」

そういえば、落語に「頭山(あたまやま)」があって、サクランボの種を飲み込んだけちん坊が、頭頂に育った桜の木を引き抜いた穴に、最後は身を投じる。人間版の冬虫夏草、いな冬人夏樹とでもいうのか、それにしてもメビウスの輪のように、空間がねじれるという不思議でおかしな展開だ。

ところで、ヘビが自分の尻尾を食べたら最後はどうなるだろう。

2013年5月18日土曜日

シルヴィ・ヴァルタンの「あなたのとりこ」

鉱物仲間といつものように思い出話しになって、イタリア(カンツォーネ)のジリオラ・チンクェッティ(Gigliola Cinquetti、1947年12月20日~)と、フランス(フレンチ・ポップ)のシルヴィ・ヴァルタン (Sylvie Vartan, 1944年8月15日~)のどちら、となれば可愛さは共に比べようもないが、いかにもヨーロッパのパリの香りを運んでくれたシルヴィ・ヴァルタンかな・・・と合点する。

カテゴリーに富んだアメリカン・ポップにどっぷり漬かっていたところに(それしか知らなかったのだが)、突然ヨーロッパから可愛い娘(こ)たちが次々押し寄せてきた。それも、みな明るく元気で極めて健康的、愛くるしさを前面に出した歌手たちだった・・・だから、すぐにラジオに耳を傾けた。

なかでもシルヴィ・ヴァルタンにひき寄せられた・・・流れてくる旋律は、まさにフレンチ・ポップだけれど、それとは別に印象的な彼女の目にとても強い親和を感じた。

(本ブログ関連:"シルヴィ・ヴァルタン")

そんなわけで、いかにもフレンチ・ポップの曲「あなたのとりこ(Irrésistiblement)」(1968年)をYoutube で聴いてみよう。

(Youtubeに登録のintheHailarに感謝)

2013年5月17日金曜日

イ・ソンヒの「お姉ちゃん」

韓国の童謡には、ソウルに出たまま戻らぬ兄を想い探す「兄を思うと(오빠생각)」(作詞チェ・スンエ【当時12歳、1925年11月】、作曲パク・テジュン)があるが、それと対称的にイ・ソンヒの5集(1898年)所収のものに、姉を想う歌「お姉ちゃん(누나야)」(作詞・作曲キム・チャンワン)がある。

陽の光の中、風そよぐ中に姉を求める、どこか懐かしい、まるで童謡のように心に残る。Youtubeでイ・ソンヒの美しい歌のままに聴いてみよう。

(本ブログ関連:"童謡")

(Youtubeに登録のkang yeol jungに感謝)

2013年5月16日木曜日

(資料)チョー・ヨンピルの音楽著作権 (文化体育観光部の見解)

最近、新アルバム(4/23)がリリースされ、今月5/13までの3週間に15万枚に達したと復活振りが話題になっているチョー・ヨンピルだが、イーデイリースターの記事「チョー・ヨンピル論議の31曲公演・放送著作権料正常分配」(5/2、チョ・ウヨン記者)は、「文化体育観光部(=省)、一部誤解正して」の副題を付して、次のように報じている。

(本ブログ関連:"(資料)歌王チョー・ヨンピルと音楽著作権 ①"、"(資料)歌王チョー・ヨンピルと音楽著作権 ②")
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・文化体育観光部は、歌手チョー・ヨンピルの歌をめぐる著作権の雑音について一部誤って知らされた事実を正そうと乗り出した。

・文化体育観光部は、最近歌謡界の話題に浮び上がったチョー・ヨンピルの「奪われた著作権」論議と関連して事実関係を明確にしたいと、2日報道資料を配布した。

・先立ってシン・テチョル(=シン・ジュンヒョンの息子)は、自身のフェイスブックに「チョー・ヨンピルが過去所属会社と契約を間違って彼が直接作曲した『窓の外の女』、『赤とんぼ』など31曲の著作権を奪われた」という内容の文を載せたことがある。

・前所属会社のイム某会長がチョー・ヨンピルと契約しながら、「著作権の一部譲渡」契約を(自身に有利なように)そっと組み入れたせいで、チョー・ヨンピルは本人の歌であるのに録音したり公演するとき著作権料を彼に支払わなければならないという主張だった

・これは、各言論媒体(=メディア)で引用されて扱われながら深刻な問題として浮び上がった。ネチズンも批判の声を高めた。あるポータルサイトでは、イム会長の著作権返還を要求する請願運動が進行中でもある。

・だが、文化体育観光部は「複製権および配布権を除いた公演権と伝送権などは、依然としてチョー・ヨンピルにある」と明らかにした。キム・ジヒ著作権産業課事務官は「チョー・ヨンピルが本人の歌を公演するときにも著作権料を支払わなければならないという、一部媒体の記事内容は事実と違う」として「実際のチョー・ヨンピルは、議論になった31曲の公演、放送、伝送などにともなう著作権使用料を正常に分配を受けている」と伝えた。

・ただし、文化体育観光部は「チョー・ヨンピルが作曲した歌中の31曲の複製権および配布権がイム会長に1986年譲渡されたのは事実」としながら、「2000年の著作権譲渡事実確認訴訟の大法院判決でもイム会長側が勝訴した」と確認した。チョー・ヨンピル側は、曲自体の複製・配布権でなくレコードの複製・配布権と聞いて譲渡したと主張したが、これは裁判所で不認定されたという説明だ

・一方、国内の著作財産権の種類は、複製権、公演権、空中送信権(放送権・伝送権・デジタル音声送信権)、展示権、配布権、貸与権、2次的著作物作成権などがある。

・チョー・ヨンピルは、先月の新しいアルバム発売記念ショーケイス(=発表会)現場で該当論議について「当時は著作権という概念がなかった時代であった」としながら「事実、私は今でも(著作権法を)よく分からない。私は音楽だけする人間」と話した。
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(付記)
韓国の「著作権法」の第4節「著作財産権」の第1款「著作財産権の種類」・・・著作者が有する。

第16条(複製権): 著作者(=著作物を創作した者)は、その著作物を複製する権利を有する。
第17条(公演権): 著作者は、その著作物を公演する権利を有する。
第18条(公衆送信権): 著作者は、その著作物を公衆送信する権利を有する。
第19条(展示権): 著作者は、美術著作物等の原作品又はその複製物を展示する権利を有する。
第20条(配布権): 著作者は、著作物の原作品又はその複製物を配布する権利を有する。ただし、著作物の原作品又はその複製物が当該著作財産権者の許諾を得て販売等の方法により取引に供された場合には、この限りでない。〈改正2009・4・22〉
第21条(貸与権): 前条ただし書の規定にかかわらず、著作者は、販売用音盤又は販売用プログラムを営利を目的として貸与する権利を有する。〈改正2009・4・22〉
第22条(二次的著作物の作成権): 著作者は、その著作物を原著作物とする二次的著作物を作成して利用する権利を有する。

2013年5月15日水曜日

(資料)韓国の50代に揃ったベビーブーマーの問題点

今後、老齢期を迎える韓国の50代世代について、文化日報の記事「経済奇跡実現したベビーブーマー(団塊)世代の危機」(5/7、ハン・ギョンヒェ、ソウル大消費者児童学部教授・老年学)は考えられる問題点を次のように報じている。

(本ブログ関連:"(資料)韓国の50代"、"(資料)韓国50代アジュンマ"、"(資料)韓国50代アジョシ")
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・戦争や経済的理由で先延ばしして出産したことで出生率が高まり出生児数が急増する「ベビーブーム」は、韓国だけでなく世界的に観察される現象である。米国は第二次世界大戦が終わった1947年から開始され、韓国は6.25(朝鮮戦争:1950年6月25日~1953年7月27日休戦)直後の1955年から開始され、1963年まで続いた韓国のベビーブーマーは、全人口の14%に達するが、今はみな50代になった

・これらは、韓国社会の主役として経済成長を後押しした世代であり、その過程で達成の経験を味わった世代でもある。これらのベビーブーマーの長兄格である1955年生まれが50代半ばに入った2010年から、これらの退職と老齢期の進入が社会にどのような影響を与えるかについての社会的関心が急増し始めた。

・ソウル大研究チームは、メットライフ財団の支援を受けて2010年に4668人のベビーブーマーを対象に研究を行った。そして昨年、これらの追跡が可能な3275人から現在の生活の質と過去2年間の変化の様相を調査した。研究結果も予想を裏付ける方向だった。一言で言えば、過去2年間の経済・健康・家族関係など様々な側面からベビーブーマーの生活の質は全体的に悪くなったことが分かった。

・老年期に一歩近づいたにもかかわらず、老後のための投資が減り、身体と精神の健康の両方に問題があるハイリスク集団の割合が増えた。経済的条件や健康が悪化している状況で、ベビーブーマーは、「熱心に持ちこたえている」ように見える。実質所得は減少したが、子供の教育費と医療費の支出が増加し、これに対してベビーブーマーは、余暇費を削減し、引退後のために準備した預貯金を解約する方法で対応して持ちこたえていることが分かった。現在の生活の重たさのために、将来に対する準備を放棄する姿だ

特に子供のための支出は、ベビーブーマーの家計と老後の準備に大きな負担として作用している。18歳の成人になると独立する外国とは異なり、韓国のベビーブーマーは子供の高等教育、結婚費用や新居の購入にかなりの費用を支払うことが分かった。青年就業が困難になり、人的資本への投資の必要性が大きくなり、子どもの教育への投資が相当期間続く現実が反映されたのだ。劣悪な労働市場の環境がこれらの問題の源であるが、過度な教育熱や贅沢な婚礼文化などもこのような現象に一助となるという点で、ベビーブーマーの意識変化が要求される。

・経済的な側面に劣らず憂慮すべき結果は、ベビーブーマーの結婚満足度が低く、離婚を真剣に考慮したことがある場合が多いという点である平均25年以上の長い結婚生活を維持しているにも半分に近い割合(47%)が結婚生活に満足できず、3分の1程度が真剣に離婚を考えていることが分かった。中年期は子供がすべて独立して夫婦だけが残される「空の巣期間(empty nest period)」の開始に夫婦関係に大きな変化が起きて適応が要求される時点だ。

引退と身体の老化は、夫婦関係にマイナスの影響を与えやすい。この時、夫婦関係が十分に確立されていなければ、老齢期の生活の質に重大な影響を及ぼすことになる。特に、世帯所得が低い集団では結婚の満足度が低く、離婚を考慮比率が高いことが示された結果は、夫婦間の問題の根底に経済的問題があることを強く示唆している。これらをターゲットとする支援策の用意が必要である。家族の安定性は、適正な生活の質の維持の根幹となる。家族の不安定性の増幅は、社会的コストにつながるという点で、「結婚の質(marital quality)」の問題は、私的・個人的問題ではなく、社会的な問題との認識が必要である。
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(付記)
1964年(陰暦の)11月11日生まれのイ・ソンヒは、韓国では一般的な「数え歳」で50歳であるが、「満年齢」で来年50歳になる。そんな彼女の容貌について、ネットに礼賛が登録されている。「イ・ソンヒの来し方..最高 四次元の壁* の童顔 この顔がリアル50歳? ますます若返りね!」(5/12、ドリームス)に掲載の写真を見てみよう。

(*)四次元の壁: 俗語で「越えられない壁」の意だそうだ。

(本ブログ関連:"イ・ソンヒの童顔の秘訣"、"イ・ソンヒの年齢"、"イ・ソンヒの輝き"、"10歳若く見える"、"イ・ソンヒ インタビュー")

2013年5月14日火曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 両親の日

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(5/8)に、文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第5回として、母の日と父の日を一緒にした5/8の記念日「両親の日(オボイナル、어버이날)」について紹介された。

まず、親孝行についてカラスの別名の紹介から始まった。
・韓国では(カラスよりも見かけるという)カササギは、幸運を招く吉鳥と好まれ、片やカラスは、鳴き声、真っ黒な姿に良く思う人はいないが、昔の人々はカラスを尊んだ。鳥は親が子に餌を運び、育てるが、カラスは更に成鳥して、老いた親に食べ物を運ぶといい、「反哺(はんぽ)鳥(반포조)」とも呼ばれる。・・・5月8日は、韓国では「両親の日」である。

▼ソン・ムンソンの歌による「お母さん(어머니)」を聴く。今様で・・・らしい民謡の節も入れている。

親孝行を題材にしたパンソリ「沈清歌」を次のように紹介された。
・生後まもなく母と死別した主人公「沈清」は、盲目の父に大切に育てられる。赤貧の中、物乞いして父を養った。16歳のとき、父の目を開かせられる金を受けるため、荒海に人柱となる決意をする。身を投じた彼女は、感動した神により現世に送られ、後に王の后となり、父の目もついに見えるようになる。
・子を思う親の心、親を思う子の心は、誰もが共感できる。「沈清歌」は、演劇に再構成した「唱劇」でも公演され、感動が倍増される。

▼パク・エリの歌と国立唱劇団による「沈清が人柱となるため売られていく題目」を聴く。劇的な響きがして・・・庶民としては素直に聴いてしまう。


・先に逝った子へ親の切ない思いが込められた歌だが、題材は悲しいもののコミカルに描かれる。遅く授かって、この上なく可愛がった娘「ペベンイ」が去ったことに老夫婦は悲しみにくれる。その魂だけでも再び会いたいと全国からムーダン(巫堂、무당)を集めては、霊を呼び寄せる祭祀「クッ(굿)」を行う。
あるとき、村を通りかかった旅人が噂を耳にして悪知恵を働かせる。娘について調べ、偽ムーダンとなって両親を訪ねる。娘の霊が憑依したかのように演じて人々をひやかす。偽物にも関わらず、娘に再び会えたと、両親はこの旅人に全財産を惜しみなく与える。滑稽な展開の中にも、両親の心を感じることができる。

▼イ・ウングァン他による「ペベンイ・クッ」中から、「八道巫堂がクッを行う題目」を聴く。賑やかな調子が伝わる。

2013年5月13日月曜日

イ・ソンヒの「本当に悪い」

現在、イ・ソンヒの最新のアルバムは、2009年にリリースした14集「愛よ...(사랑아...)」である。同年以降、2011年の国(韓国)内コンサート・ツアー、2012年のオーディション番組「偉大なる誕生」におけるメンター(審査員であり指導者)を担ったことなどがあるが、今年の大きなイベント予定はまだ発表されていない・・・早く知りたいものだ。

14集所収の「本当に悪い(참 나쁘다)」は、寄せては返す心の波に浮かぶ想いが、次第に沖合いに流されてしまうように、かなわぬもどかしさを歌う。
いろいろな試行がもられた同アルバムの中でこの曲は、いつものイ・ソンヒらしい作品である。



(Youtubeに登録のYuan-Chen Yangに感謝)

2013年5月12日日曜日

子守唄

今日は「母の日」。幼い子どもを育てる母親たちを見ていてつくづくたいしたものだと思う。決論を急ぐ世間にどっぷり身を浸す男たちとは別の世界があって、幼児の発達に付き合っていくには気長でタフでなくては難しい・・・そんな風になれるものを、わが子を身ごもった女性なればこそ持ち合わせることができるのだろう。

平和な世に幸せな家庭なら母親はたくましく優しい。無意識のうちに子どもたちは感じている。やがて子どもたちは気付く、その愛は深く、思い出に果てがないことを。
ところで、アジュンマの言葉に、「この世にアジュンマの子どもでない人はいない!」がある。母親側の絶対の自信の表れである・・・これに勝る言葉はない。

(本ブログ関連:"アジュンマ")

世界のどの子守唄にも共感できる。子守唄は母親が子に与える心のメトロノームだ。落ち着きと安心がある。そして、童謡は子どもの心に形を与える。
イ・ソンヒは数々の童謡を歌っている。その中にちょっと切ないけれど美しい響きのする歌がある。「島の赤んぼう(섬집아기)」だ。母と子の思いが重なって、潮風と波音が聞こえてくるよう。

(本ブログ関連:"童謡")

ところで最近、「ルネッサンス」がブームのようで、雑誌で特集が続き、代表する画家の美術展も開かれている。教科書的にはルネッサンスを、ギリシャ文化を取り入れた復興であるという。確かに、地中海の明るさからそうなのかもしれないが、それが及んだ北方ルネッサンスにはそんな雰囲気はないけれど。
結局、キリスト教の大きな潮流にルネッサンスがあることは確実で、分かりやすさを避けたがるかもしれないけれど、庶民としては聖母子の図像の変化を見るだけで十分楽しいものだ。

(Youtubeに登録の성배 길に感謝)

2013年5月11日土曜日

小学校

先日、イ・ソンヒが通った小学校(初等学校)の創立70周年記念行事があって、彼女が出席したそうだ。小学校は、いろいろな思い出の宝庫だ。けれど本人が気付かないものもある。

むかし仕事で、或る小学校の先生に原稿をいただきに学校まで行ったことがある。受付の指示に従って、担任をされている1年生の教室に向かったとき、なんとも可愛らしい幼児の臭いがしてきた・・・そう、いわゆる小便臭いというやつだ。いずれ、自分たちがそんな臭いをしていたなんて知らぬまま大きくなるのだろうし、そうだった。

近所に小学校があるが、最近は子どもたちの遊ぶ様を覗くこともはばかれる時代になったので、気軽に見て楽しむのが難しい。それでも、下校時にランドセルをゆらゆら揺らして、行ったりきたりしながら連れ歩いている集団を見ると・・・ついつい、むかしを思い出してしまう。

ところで、イ・ソンヒが卒業した上記ソウルの小学校については分かったが、最初に入学した小学校については情報が足りない。

(本ブログ関連:"イ・ソンヒが通った小学校"、"イ・ソンヒの小学生時代"、"イ・ソンヒと家族")

2013年5月10日金曜日

片道切符

ちょいと遠出に利用するJRの運賃精算はカードSuicaを使う。自動改札機にこのSuicaをかざせばスッと通り抜けられて便利だ。ただ当たり前になってしまって・・・。

昔の切符は、駅窓口で係員に行く先を告げて運賃を支払って厚紙の切符をもらい、改札口の駅員にパンチしてもらった。やがてボタン式の自動販売機にかわり、Suicaカード利用になった。
最近は、携帯やスマートフォンでも決済できるそうだが・・・。

今や現金精算もなければ切符も存在しない、全て電子に頼っている。でも長距離列車となれば、切符もあって、旅らしい雰囲気がまだ残っている。社用でなければ更によい。片道切符で、どきどきするような旅をしてみたい・・・。

片道切符というわけで、ニール・セダカ(Neil Sedaka)の「恋の片道切符(One way ticket (to the blues))」(1959年)でも聞いてみようかな。これって、昔の「悲しき~」シリーズのように、ダメな坊やの失恋ソングっていうわけで、おまけにWikipediaによれば、成立の経緯から日本だけヒットしたそうだ・・・、そんなわけで英語版Wikipediaでは冷遇されている。
子どものころ、この曲はまさにアメリカン・ポップそのものだったのに・・・。

(Youtubeに登録のMilos1430に感謝)

2013年5月9日木曜日

図書館

むかし頭が冴えていた頃は、勉強の始めが何となくボーっとしていても、あら不思議すぐに頭がスキッとしてきてエンジン全開とになり、苦もなくスイスイ勉学が進んだものだ。

それがどうしたことか、歳をとるとエンジンのかかりが鈍くなる。そんなとき、近所の図書館の学習室に寄って、若い人たちと肩を並べて調べ物でもすると良い具合にはかどる。頭がちょいと若返った気がして、ときには図書館の学習室も良いものだ。

ところで、市民サークルの家族連れが集まっているようで、賑やかな声がする。幼い子どもの声も混じって楽しい雰囲気がしていた・・・そんなとき、幼児の泣き声が廊下から伝わってきた。
どうしたものかと、廊下をたどっていくとどうやら小さな男の子が締め出されたらしく、ドアの前で泣いていたのだ。どうしたのと頭をなでながら、ドアを開けると母親がいて(つまりドア越しにわが子に注意を向けていたのでしょう)、「部屋の中にいると泣いて、外がいいというもので・・・」という。

坊やは、部屋の中はイヤ・・・でも廊下はもっとイヤだったのだろう。それで、肩を押しながら部屋の中に入ってもらったというわけ。その後、泣き声は聞こえてこなかった・・・坊やもおじさんの出現にちょいと驚いて、お母さんのそばにいる安心の方を選んだのだろう。
図書館は楽しい場所でもあるね。

2013年5月8日水曜日

イ・ソンヒが通った小学校

アジア・トゥデイの記事「ソウル梨泰院小、開校70周年記念式 開催」(4/30、キム・ソンミ記者)は、4月30日に行なわれた梨泰院小学校(初等学校)の開校70周年記念式典にイ・ソンヒが出席したと次のように報じている。(抜粋)

・【写真】 30日、ソウル梨泰院小開校70周年記念式典開催し、ユ校長歌手イ・ソンヒさんお祝いのケーキ​​を切っている。
・(ソウル龍山区の地下鉄6号線「緑莎坪駅(ノクサピョン)」北東にある)梨泰院初等学校は、1943年(5月1日)に開校し、歌手イ・ソンヒさん*など卒業生2万459人を輩出した。

(*)イ・ソンヒは、梨泰院初等学校34回卒業生である。(leesunhee_com

(本ブログ関連:"イ・ソンヒの小学生時代"、"イ・ソンヒと家族")

2013年5月7日火曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 宗廟

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(5/1)に、文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第4回として、祖先祭祀場である「宗廟(そうびょう、종묘)」について紹介された。

朝鮮王朝の宗廟祭礼を次のような紹介があった。
・518年間続いた朝鮮王朝(1392年~1910年)の歴代の王を讃える宗廟祭礼が、毎年5月の第一日曜日、ソウル鐘路にある宗廟でとり行われる。

▼バイナログ(Vinalog)演奏による「Land of Morning Calm」を聴く。今様で・・・以前聴いたような。

・「Land of morning calm」は、朝鮮を指す言葉として漢字の「朝」と、鮮やかの「鮮」の字を翻訳したものである。
・ソウルにある宗廟の中で最も重要な建物は、歴代の王と王妃の位牌が祀られる霊廟だ。王の位牌を祀るたび霊廟を増築した109mの木造建築物で、ユネスコ世界遺産に登録されている。
・宗廟で祭礼儀式が毎年行なわれ、儀式と儀式の際に音楽と舞が演じられる。音楽は主に、王の学問の徳を讃える「保太平(ポテピョン、보태평)」と、軍事上の功績を讃える「定大業(チョンデオプ、정대업)」の二つがある。それぞれ11曲からなり、各曲には歌と舞がつく。舞は、8人一列で八列作って踊るため「八佾舞(パイルム、팔일무)」と呼ばれる。

▼国立国楽院の演奏による、「保太平」の中から「熙文(ヒムン、희문)」、「基命(キミョン、기명)」、「帰仁(クィイン、귀인)」を聴く。古式ゆかしく・・・雅楽に似た響きがする。

・朝鮮王朝初期、祭礼に中国音楽を演奏していたが、570年ほど前の世宗大王(1397年~1450年)の世に独自の宗廟祭礼楽が作られたという。

▼国立国楽院の演奏による、「定大業」の中から「昭武(ソム、소무)」、「篤慶(ドッキョン、독경)」、「濯征(タクチョン、탁정)」を聴く。太鼓に始まり行進につながる管の音へと・・・でもゆるりと。

2013年5月6日月曜日

なぜ?

受験生向けの記憶力に関するNHK-Eのテレビ番組で、<3文字を暗記する>というコーナーを見ていて、直接関係ないが、数字の3からふと気になったことがある。

2桁以上の3の倍数について、(桁数を気にせず)各位の値を足すと、3の倍数になるということだ。その理由について、ネット上の"QA欄"などに解説が載っているポピュラーな話題だけど。

3×1=3     ・・・    3
3×2=6     ・・・    6
3×3=9     ・・・    9
3×4=12   ・・・    1+2=3
3×5=15   ・・・    1+5=6
3×6=18   ・・・    1+8=9
3×7=21   ・・・    1+2=3
3×8=24   ・・・    2+4=6
3×9=27   ・・・    2+7=9
   ・・・       ・・・     ・・・
3×999=2997 ・・・  2+9+9+7=27

2013年5月5日日曜日

イ・ソンヒの「リンゴの木の下で」

リンゴは甘くて酸っぱいのがよい。その方が、本当のリンゴの味がする。子どもの頃のリンゴはみんなそうだった。熱を出すと、リンゴをすってガーゼで濾してもらい、ジュースにしたものを飲んだ。それは随分と甘くなっていた。いろいろな記憶につながるからか、余計にそう確信する。

ところで古い時代のリンゴの木の下には、(作家たちが描く)いろいろな・・・初恋もあれば、傲慢な愛もあったけれど、今は違う。イ・ソンヒの13集所収の「リンゴの木の下で(사과나무 아래서)」(2005年)には、5月のリンゴの花散るころになれば、木の下に立って笑うことができるかもしれない、そんな主人公の姿が見えてくる。

(本ブログ関連:"四春期"、"「カンホンの歌手列伝」 イ・ソンヒ"、"イ・ソンヒへの称賛"、"(資料)レジェンド・プロファイル16弾-イ・ソンヒ"、"写真家から見たイ・ソンヒ")



(Youtubeに登録のKnightmareSMに感謝)

2013年5月4日土曜日

稲穂神社

ゴールデンウィーク後半の今日、小金井公園を起点にしたウォーキングに参加する。例年のイベント(「ウォーキングフェスタ東京」)で、いくつかのコースから選択するのだが、年毎にだんだん歩く距離の短いものになる。暖かい陽射しを受けてゆるり、のんびり、散策を楽しんだ。

5kmのコースの途中、「(山王)稲穂神社」があって、その縁起が次のように紹介されている。
「江戸城の守護神として三百年あまり天下安泰の江戸麹町(東京 赤坂:日枝神社)山王宮より承応3年(1654)下小金井の新田開発のため、御分霊を祭る。/御神祭の大山咋神(おおやまくいのかみ)は開拓の神として古来より新天地への社業繁栄、家運隆昌の御神徳あり。/また山王の紳使(御神猿)は古くから魔が去る「まさる」と呼ばれ、 厄除、魔除の信仰を受け、犬と共に分娩の軽き安産の神とし信仰されている。 /境内に疱瘡神社、稲荷神社があり、病気平癒、縁結び、商売繁盛の御神徳。 」(宮司:渡邊陽正)

祭神は大山咋神で、江戸徳川家の氏神であり、比叡山延暦寺、そして中国の天台山の鎮守につながるという。まあ、そんな公的なものとは違って、ちゃんと庶民のための祈り場所もある。
それは本殿脇に設けられた小さな社の「疱瘡神社」と「稲荷神社」だ。疱瘡神社は、悪病の疱瘡に対する恐れから神頼みになったのだろう。興味深いのは、猿や犬とは関係のない稲荷神社だ。稲穂神社の名にある<稲穂>と縁のある<狐>から稲荷神社へ続くのは決して突飛ではないだろう。
江戸期の町に稲荷神社が次々置かれたそうなので、そんな風潮の中、この神社にも稲荷神社が置かれたのかもしれないが。

そんなわけで、ウォーキングに参加した幼子と一緒の家族連れがお参りしているのを見ながら、ゴールへむけてのんびり歩を進めた。

2013年5月3日金曜日

積ん読

音楽のオーディション番組で、歌手志望者が歌詞カードを手元にして歌ったところ、審査員が歌詞を暗記していないのは論外と厳しく叱責していた。コンサートで歌手が自分の持ち歌を多数諳んじて歌っているのに感心するが、プロとして当たり前のことなのだろう。

天才的な作曲家が幼い頃、一度聴いた合奏曲をスコアに記譜してピアノで演奏して見せたという逸話がある。そんな大それたことでなくてもよいが、外国語を一度聴けば記憶に残せる人がいたらうらやましい・・・まだ、そんな才人に会ったことはないけれど。

文字よりも、言霊に信が置かれていた時代には、一度聴けば記憶に残せる人がいたに違いない。今は、伝承が書物に置き換わってしまったので、そのような才人を表で見ることはない。
文字と書物と印刷術のおかげで、誰れでも平等に知識を得られるようになった・・・少なくとも視るレベルまでは。ただし、脳のなかで理解し記憶(定着)するという作業は、残念ながらどんなに技術が進歩しても平等ではない。

今は、誰れでも書籍を手に入れることができる時代だ。それで書籍を購入して身近に置くとなんとなく安心する・・・そんな経験が、資料をコピーしたりしたときにもある。
本は腐らない。次第に<積ん読>状態になってきて手に負えなくなる。
「まず皮切りに一踊り。/積んだ書物は山ほどあるが/とんと読みゃせぬわかりゃせぬ。」(「阿呆船(Das Narrenschiff )」、S.ブラント(Sebastian Brant)、訳:尾崎盛景)

2013年5月2日木曜日

イ・ソンヒの「5月の陽射し」

名実ともに風薫る5月、陽射しは明るく、風は心地よい。ほっとする新緑の時期になった。
5月といえば子どもの頃に、祝日の「子どもの日」に家族と郊外に出ておにぎりを食べたりしたこと、自宅の庭の小さな畑に作られたイチゴを遊びながら食べたこと・・・どれも食物に通じてしまうが忘れられない幸せな思い出だ。

イ・ソンヒの歌に、5月の風と陽射しに去来する想いを歌う、5集所収の「5月の陽射し(오월의 햇살)」(1989年、作詞:ユン・ハンギ、イ・ソンヒ、作曲:ユン・ハンギ)がある。彼女が歴史に接点を持ったとされる作品である。

(本ブログ関連:"5集")



(Youtubeに登録のKnightmareSMに感謝)

2013年5月1日水曜日

(資料)歌王チョー・ヨンピルと音楽著作権 ②

著作権問題をチョー・ヨンピルを事例に、デジタルデイリーがつづいて記事「【ICT法を正しく知る】 歌王チョー・ヨンピルと音楽著作権 ②」(4/29、キム·ギョンファン弁護士)を掲載しているので見てみよう。感謝。

チョー・ヨンピルがアーティストとしてまた脚光浴びれば、著作権問題はこじれて難しくなるというジレンマが発生しそう・・・。

(本ブログ関連:"(資料)歌王チョー・ヨンピルと音楽著作権 ①")
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1986年12月31日締結された(印税制を主な内容とする)契約は色々な内容が含まれているが、チョー・ヨンピル側と地球レコードの間の争いの核心であり、10年後の1997年にあった訴訟上の争点になったのは、「チョー・ヨンピルが直接作曲した31曲の複製・配布権の譲渡」だ

・おりしも同日である1986年12月31日、1957年に19世紀末日本の明治時代著作権法を書き写して制定されて以来30年間ただ一度も改正されなかった既存の著作権法が、ベルン条約の影響で新しく改正され、翌年である1987年7月1日施行を控えていた
1957年度の法では著作物に対する複製権・配布権の概念が定立がされず、単に著作物を「複製」して発売、または「配布」という行為をすることができる権利としての「発行権」という内容に含まれていた。このように、当時の法に内包はされているが明示にならなかった著作物に対する複製権・配布権が、チョー・ヨンピルと地球レコードの間の契約書に明記されたのだ。
・一方、1987年の法では複製権・配布権の概念を明らかに定義している。すなわち複製に対しては「印刷・写真・複写・録音・録画その他の方法によって類型物で再び制作すること」と、また、配布に対しては「著作物の原作品または、その複製物を一般公衆に代価を受けたり、受けなくて、譲渡または貸与すること」と独自に規定していた。

・この二種類の法を比較してみると、作詞者・作曲家の権利は比較的変わらなかったが、レコード制作者の権利には多少差があって、すなわち1957年の法では2次的著作者としてレコードの複製・配布権が認められた反面、1987年の法では著作隣接権者の権利としてレコードの複製・配布権が認められた。
・「複製・配布権」ということは、この懸案で二種類で使われることができる。歌(音楽著作物)の複製・配布権と、レコードの複製・配布権がそれだ。電子である歌の複製・配布権は、歌の著作権者、すなわち作詞家・作曲家が持つことで、後者であるレコードの複製・配布権はレコードの権利者、すなわちレコード制作者(著作隣接権者)が持つことだ。ただしレコードの複製・配布権は、必ず歌の著作権者の許諾を受けなければならないという点で限界を有している。

・チョー・ヨンピルと地球レコードの間の紛争で、1986年12月31日の契約が締結される以前には、チョー・ヨンピルが作曲した31曲の著作権は、各歌の作詞者とともに作曲家であるチョー・ヨンピルに帰属するということなので、31曲の複製・配布権は作曲家チョー・ヨンピルが各歌の作詞者とともに持っていた。反面レコードの複製・配布権はチョー・ヨンピルの許諾下に地球レコード社が持っていた。
・だが、1986年12月31日契約が締結された以後には、契約が有効ならば、地球レコード社は31曲自らの複製・配布権を譲り受けたので、歌自らの複製・配布権を持つことになる。

・上の1986年12月31日契約に対して、最近チョー・ヨンピルの所属会社YPCプロダクションはこの契約に対して訴訟が始まった理由を説明しながら「契約当時、『複製・配布権』を渡す行為を録音されたレコードの『版権』を渡すと理解したところで、歌の著作権利まで与えることとは考えることができなかった」と解明している。
・チョー・ヨンピル所属会社YPCプロダクションがいう「版権」という単語は、法的用語ではないが広く使われる用語として一意的に定義することは難しい。ときには著作権という意でも使われたり、ときには出版権という意で使われたりもする。

・色々な状況を推察してみると、チョー・ヨンピル側は「契約締結当時『歌』の複製・配布権を与えると理解しないで、『レコード』の複製・配布権を渡すと理解した」というものと解釈されるところ、チョー・ヨンピル側の「版権」の意味は「レコードの複製・配布権」を意味すると判断される。

・チョー・ヨンピル側の主張の通りすれば、歌の複製・配布権はチョー・ヨンピルが持つことで、レコードの複製・配布権を地球レコードが持つものになる。反対に、地球レコード社の主張の通りすれば、レコードだけでなく歌の複製・配布権も全部地球レコード社が持つものである

・ちなみに、歌に対する権利者は、3つの部分すなわち、①作詞者・作曲者、②演奏者・歌手などの実演者、③レコード制作者に分けられて各協会が組織されていて、現在の基準で見れば、600ウォンのダウンロード音源の一曲に対して、
=その中の40%(240ウォン)を、流通業社が持っていき、
=残りの60%(360ウォン)を、歌に対する権利者すなわち、①作詞者・作曲者:10%(60ウォン)、②演奏者・歌手などの実演者:6%(36ウォン)、③レコード制作者:44%(264ウォン)が分けて持っていくことになる。

・チョー・ヨンピルの主張の通りすれば、現在の基準で600ウォン中、チョー・ヨンピル側は96ウォン(①+②)、地球レコード社は264ウォン(③)を持っていき、地球レコード社の主張の通りすれば、600ウォン中のチョー・ヨンピル側は36ウォン(②)、地球レコード社は324ウォン(①+③)を持っていくことになる。

・契約締結以後、地球レコード社はチョー・ヨンピルから譲り受けた31曲の複製・配布権を根拠に、チョー・ヨンピルの許諾を受ける必要なく、ベストアルバム、オムニバスアルバム、ヒット曲コレクションアルバムなど色々なアルバムを出盤(レコーディング)して、チョー・ヨンピルの熱心なファンの多くの反発をかったりした。

・チョー・ヨンピル側と地球レコードの間に譲渡契約が締結された時から10年が過ぎた1997年1月頃、地球レコードのイム社長は、チョー・ヨンピルを相手に31曲の著作権(複製・配布権)を譲り受けたことの確認を求める内容の著作権譲渡の事実確認など請求訴訟を、ソウル地方裁判所の第12民事部に提起するに至る。(被告には韓国音楽著作権協会も含まれているがこの部分は除く)

言論(メディア)では、チョー・ヨンピルが先に訴訟を提起したことになっているが、実際には地球レコードのイム社長側が先に訴訟を提起した。地球レコードのイム社長側は、チョー・ヨンピルが自身に譲渡した31曲に対する著作権料を受けられなかったという理由で、チョー・ヨンピルを相手にこのような訴訟を提起したのだ。

この事件の争点は、チョー・ヨンピルとイム社長の間に締結された譲渡契約が、チョー・ヨンピル又はその代理人マネジャーのユ某氏の窮迫、軽率、無経験によるもので不公正な法律行為(民法第104条)に該当して無効なのかどうかであり、このような主張はチョー・ヨンピル側が出したことだった。

だが、裁判所はチョー・ヨンピル側の主張を受け入れなかった。訴訟は契約書内容がそのまま受け入れられて、地球レコードのイム社長に31曲に対する複製・配布権があるという内容で、チョー・ヨンピルの敗訴で終わった(事件番号:ソウル地方裁判所第12民事部1998.10.16.宣告97가합178判決)。
・特に第1審判決文によれば、チョー・ヨンピルのマネジャーのユ某氏が譲渡契約を締結したし、以後1987年8月頃チョー・ヨンピルの印鑑証明を添付して地球レコードのイム社長と共同で文化観光部長官(当時は文化公報部長官)に、31曲の歌に関する著作財産権のうち、複製、配布権の譲渡の登録を申請して(同月20)、その譲渡登録手続きを経了(경료:終了)されている、このような事実を推察してみると、普段の他の事案でも裁判所がよく受け入れていない民法第104条の不公正な法律行為抗弁を、この事案だけに特に受け入れてもらうのは難しかったものと見られる。

第1審判決に対して、チョー・ヨンピル側は控訴したが、控訴審やはり敗訴することになる(ソウル高等法院1999.11.30.宣告98나61038判決)。控訴審で、チョー・ヨンピル側は民法第104条の不公正な法律行為として無効の主張の他に、民法第103条の善良な風俗その他社会秩序違反として無効の主張、民法第109条の錯誤による意志表示として取り消しの主張までしたが、裁判所は全部受け入れなかった。

・この訴訟は、再びチョー・ヨンピル側の上告で大法院(=最高裁判所)まで上がる。だが、大法院もやはりチョー・ヨンピルの上告を棄却して原審内容の通り確定した(大法院2000.4.21.宣告99다72989判決、著作権譲渡事実確認など)。
・大法院は、「抗訴法院は、この事件譲渡行為は不公正な法律行為または、善良な風俗その他社会秩序に違反して無効や錯誤による意志表示に該当してこれを取り消すという被告チョー・ヨンピルの抗弁を、判示のような理由で全部排斥したところ、これを記録と対照して調べれば、抗訴法院の上のような事実認定と判断は正しい」と判示した。
・一緒に「控訴審の判断にはこの事件契約の目的物が、楽曲自体でなくそれが録音された録音物(または、録音フィルム)として原告にその録音物に対する排他的使用権が移転されただけという被告チョー・ヨンピルの主張を排斥した趣旨が含まれているということが明らかなので、そこに上告理由の主張と同じ著作権契約の解釈に関する法理誤解や審理未尽または、判断遺脱の違法があるということはできない」と判示した。

・整理すれば、この事件の譲渡契約はレコードに対する複製・配布権の譲渡契約でなく、歌に対する複製・配布権の譲渡契約と解釈する他はなくて、この事件の譲渡契約に無効理由や取り消し理由が存在しなくて有効であるということだ

・チョー・ヨンピル側は大法院まで行って敗訴したこの判決は確定してこれ以上争うことはできない状態になったところ、判決の効力中、既判力()のためにチョー・ヨンピル側がたとえ訴訟を提起しても判決内容が変わらない。したがって、法的な解決方案はないと見ても差し支えない状況だ。

・ただし、双方合意としてチョー・ヨンピルが自身の曲を取り戻しに来る方法は残っている。地球レコードのイム某社長は、2006年に死亡したが、イム某社長の相続人が、現時点で、チョー・ヨンピルの31曲に対してチョー・ヨンピルに自発的に戻す方法がそれだ。

・もちろん無条件無料で戻すことが正しいといった意味ではない。契約当時とその後の具体的な金銭関係は、当事者他には誰も分からない部分なので、当事者が直接心を開いて虚心坦壊な対話をすることによって私たちの時代最高の歌王と一時代の最高のレコード制作者が心より和解して大衆音楽産業の発展に共に寄与するように祈るところだ。
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2013年4月30日火曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 ツツジ

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(4/24)に、文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第3回として「ツツジ(진달래)」について紹介された。

春の花について次のように説明された。
・韓国の南地域では、梅、レンギョウ、ツツジ、そして桜など、春を彩る様々な花がきれいに咲き誇る。4月なのに天気が安定せず、ソウルでは雪が降ったりして、昔から春の雪、春雪という言葉がある。春は気まぐれな季節なのかもしれない。汝矣島(ヨイド)にある国会議事堂周辺の道である輪中路(ユンジュンロ)は、桜が満開となれば、多くの花見客が訪れる。

▼童謡「故郷の春(고향의 봄)」(作詞:洪蘭坡、作曲:李元寿)を聴く。今様に・・・二胡の音で。

金素月(キム・ソウォル、김소월、1902年陰暦8月6日~1934年12月24日)の詩「ツツジの花(チンダルレコッ、진달래꽃)」*を次のように紹介された。
・国楽を初め大衆音楽にも歌われる有名な詩で、詩中のツツジは華やかな花というわけではないが、従順でありながら、凛とした強さを持つその姿に、詩人金素月は民族の情緒を込めたと言われている。

(*)解説者岸さんによる訳詩は、KBSホームページをご覧ください。

正歌の伝統歌曲形式による「ツツジの花」を聴く。ヨーロッパの古風な響きして・・・これも今様で。

・「ツツジの花」の詩にある薬山の名は、薬草がよく取れたこと、あるいは体によい水が湧いたことからという説がある。四方が高く険しく、岩を削って立てたような力強い姿の山で、春にはツツジ、秋には紅葉がとても見事という。

金光叔による西道民謡「寧辺歌(ヨンビョンガ、영변가)」を聴く。のんびりとして・・・自然に恵まれた体によい場所なのだろう。

2013年4月29日月曜日

(資料)歌王チョー・ヨンピルと音楽著作権 ①

最近、チョー・ヨンピルの新しいアルバムについて話題が出ている。ところで、著作権問題をチョー・ヨンピルを事例に、デジタルデイリーの記事「【ICT法を正しく知る】 歌王チョー・ヨンピルと音楽著作権 ①」(4/29。キム·ギョンファン弁護士)が記しているので見てみよう。感謝。
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今年は、1967年にデビューした歌手チョー・ヨンピルの45周年だ。1980年代、(ファンによる)「兄さん部隊」を形成し、韓国の大衆歌謡史に一線を引いた歌手チョー・ヨンピル。その間多数のヒット曲を出しながら、同時に多様な音楽実験をした韓国大衆音楽界の生きた伝説。それゆえ歌手の王(歌王)と呼ばれる歌手。
最近還暦を越えた歌王チョー・ヨンピルの、新しいアルバム発売、ショーケース(新曲発表会)、コンサートと、25年前の著作権事情が、シナウィのリーダーのシン・テチョルがあげたフェイス・ブックの文章*のために広く知られて遺憾を醸し出している。その理由を当時の新聞記事および判決文を土台に再構成してみる。

(*:参考) Innolife「チョ・ヨンピル、31曲著作権盗まれ虚脱」(4/20

歌王チョー・ヨンピルは、1976年覚えやすいハスキーボイスでノスタルジックな歌詞が融合した「釜山港へ帰れ」という曲で大衆に広く知られ始めた。その時、歌王は26歳であったが、すでに歌手のキャリアは10年にもなった。高校2年生の時から、米8軍舞台でボーカルグループで活動して発表したこの曲は、曲のタイトルのためか、釜山から旋風的な人気を集めソウルに上陸するようになった。
しかしながら、 「釜山港へ帰れ」という曲は、発表時から著作権紛争を引き起こすことになる。作曲家ファン・ソンウ氏が「地球レコード」、「キング・プロダクション」、「オアシス・レコード」、「ヒット」という4つのレコード会社に著作権を譲渡してしまったからだ。だから、イ・ミジャ、ナフナ、ソン・テグァン、チョ・ギョンス、キム・ヨンジャなど15人の歌手がこの曲を争って歌ってアルバムを出す奇妙な現象も発生した。
チョー・ヨンピルは、「釜山港へ帰れ」を「キング・プロダクション」で出盤(レコーディング)したが、翌年の1977年シン・テチョルの父シン・ジュンヒョンがいる「地球レコード」に移籍することになる。この時から、地球レコード社のイム社長との縁が始まる。

地球レコード社は、その当時の代表的なレコード会社として、チョー・ヨンピルが専属していた1980年代の初めには、イ・ミジャが専属していた太陽音響と共に、最も多くの歌手を抱えていた大型レコード会社であった。今のSM、YG程度に考えると良いだろう。

しかしながら、大衆に知られる前の1972年の大麻事件が後になって問題になって、チョー・ヨンピルの活動は長くは続かず、自粛の時間を持つことになった。だが、1979年末の大麻芸能人の放送活動の規制が解けて、チョー・ヨンピルは、1980年初めにドラマ主題歌「窓の外の女」で再び派手な回復をすることになる。
以後チョー・ヨンピルは、「窓の外の女」が収録された1集を含む2集「ロウソクの灯」(1980年)、3集「赤とんぼ」(1981年)、4集「探せぬウグイス」(1982年)、5集「友よ」(1983年)、6集「涙のパーティー」(1984年)、7集「旅に出よう」(1985年)、8集「虚空」(1985年)までのアルバムを地球レコードで出盤(レコーディング)した。
地球レコードでこのように多くのアルバムが出すことができたのは、歌王チョー・ヨンピルが1977年10月21日から1986年11月30日までの9年間、地球レコードの専属契約歌手だったからだ。

ここでは、専属契約とは、その当時の主流的な契約形態として、レコードやテープが売れるとは関係なく、一定の期間(通常2~3年)の間の専属契約金だけ受ける契約の形態である。この契約形態は、全面的にレコード会社に有利だったが、当時歌手は多く、レコード社が寡占型としても少なかったので、レコードを出さなければならない歌手としてはどうしようもなかった(1983年東亜日報の記事によると、当時、歌手1400人のうち100人がレコード会社専属していたという)。

1981年の東亜日報の記事を見ると、「ディスクとテープが100万枚売れても、チョー・ヨンピルが受けとったのは金で1000万ウォンと乗用車一台という事実は、私たちの歌謡界の不正の一断面を現したのだ」と表現されているので、専属契約の弊害が並大抵ではなかったようだ。だから、トップ歌手チョー・ヨンピルも生活のために夜の舞台に立つ他なかったという。

このような専属契約金(または専属金)は、1985年頃には1億ウォンを超えて、その頃イ・ソンヒは2億ウォンを要求したりもしたが、1987年頃から主流的な契約形態が「印税制」に移ることになる。

1988年の東亜日報の記事によると、専属契約制を選択した人気歌手の場合、2〜3年専属期間に3000万ウォンから5000万ウォン程度の専属金を受けて、逆に印税制を選択すると、アルバム1枚当たり650ウォンの印税を受けるという印税制を選んだ場合、10万枚の販売に5000万ウォン程度の収益が生じる

作曲家ㆍ作詞家の事情は歌手よりもはるかに劣悪だった。1982年の毎日経済の記事によると、1曲あたり1万5000ウォンから2万ウォン程度を受けたという、その事情を知り得た。チョー・ヨンピルのヒット曲である「窓の外の女」の作詞家ペ・ミョンスク氏が受けた金は20万ウォンに過ぎなかった。チョー・ヨンピルが1981年に受け取った金は1000万ウォンだったので、1/50にしかならないレベルだ。

一方、他の歌手のように歌王チョー・ヨンピル側も専属契約が終了する1986年11月30日頃、地球レコード社のイム社長に印税制転換を提案し、1986年12月31日印税制を主な内容とする契約を締結されることになる。

当時の状況について、1987年の京郷新聞の記事によると、「地球レコードと専属契約をしたチョー・ヨンピルは、3年単位の契約を更新してきたが、この間印税制と併用する条件で、1億2000万ウォンを受けたことが分かった」とする。

地球レコード社は、当時の状況を「歌手チョー・ヨンピル氏とは、1977年10月21日から1986年11月30日まで専属歌手制で継続されてきた間、本契約の期間満了前、印税制に転換することにし、これに加え著作権(上記期間中の自作曲:31曲)のみ譲渡を受けることにして、弊社は相当な金額を支払うことで合意したが以後、歌手当事者が自分の著作権一切を譲渡してしまえば、将来の収入が少ないようなので、著作権の一部を譲り受けてほしいと懇請するので、公演権と放送権は歌手に与えて、制作会社としての特性上、複製権と配布権だけ弊社が譲り受けることに譲歩しました(1986年12 31。法律事務所で公証人) 」と述べている(出典:http:// nbbs2.sbs.co.kr /)。

まとめると、チョー・ヨンピルが作曲した31曲のコピー・配布権は地球レコード社が持っていて、公演・放送権は、チョー・ヨンピルが持っているというのだ。そのため、チョー・ヨンピルが自分の曲を複製して発売したり、配布する権利がなく、放送や公演で歌を歌うことができるが、その歌でアルバムやDVDを発売すると地球レコード社に収益が戻ることになる
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2013年4月28日日曜日

結晶の世界

アフリカの奥地で、世界が結晶化する事件が起こり、そこに関わる登場人物や生き物たちが透明な硬質状の膜に覆われて結晶化していく・・・あるいは、ある病原体に感染したひとびとの血液がサラサラと顆粒状に結晶化する。

結晶の美しさは、規則性をもって析出したとき美しい・・・ことに透明で直線的な稜や等角な面があれば更によい。

アルプスの奥、氷河の上に転がった岩肌に、しっかりと根付いてきらめく水晶・・・辺りの雪景色から、これが氷の化石だと思っておかしくない。

わたしたちに"CO2"の世界があるように、"SiO2"の世界があってもおかしくない・・・だから、"Si"を体の構造に持つ生命体がいるのではと面白おかしく語った文章を読んだことがある・・・でも、体が硬いだろうというのがオチだったけれど。

そうだね、人間の体の中に石ができると困ってしまう・・・腎結石、尿結石、それに石頭。

(本ブログ関連:"結晶世界")

2013年4月27日土曜日

イ・ソンヒの「恋文」

女性の若さを表すキーワードに「童顔」があって、しばしばイ・ソンヒに形容される。この言葉には、人工的なものでない、自然な表出への素直な反応があって、彼女の美しい歌声とともなう風貌に、憧れと懐かしさを想い起こさせるのだろう。

まるで岸辺に誘う波音のように美しい序奏で始まる、イ・ソンヒの「恋文(연서)」(7集、1991年)をYoutubeで、そこに置かれたステージで見せる彼女の数々の写真を見ながら聴いてみよう。

(本ブログ関連:"恋文")



(Youtubeに登録のlys2187に感謝)

2013年4月26日金曜日

アルファルファ

そういえば昔、無声映画のスラップスティック・コメディを風味したような、子どもたちが徒党を組んでドタバタ劇をする「ちびっこギャング(Our Gang)」という白黒のアメリカのテレビ番組(1960年代はじめ)があった。一番記憶に残っているちびっ子は、子どもたちの中で存在感がありながらいささか宙に浮いているような"アルファルファ"だ。

映像は古く1930年代後半に制作した作品に登場したアルファルファ役の奮闘振りが印象深い。子どもたちの中で、のっぽで細長、決して強くはなかったし器用でもなかった。歌えば調子っぱずれだし・・・どちらかといえば雰囲気に乗れないけど頑張っているという役回りだ。

アルファルファって、牧草の一つ(マメ科、"ムラサキウマゴヤシ")であって、「糸もやし」の名もあるそうで、糸のようにもやしのように・・・細く長く伸びるのが特徴のようだ。

ちびっこアルファルファも大人になる。Wikipediaによれば、アルファルファ役のカール・スウィッツァー(Carl Dean Switzer、1927年8月7日~1959年1月21日)は、役者に加えて犬のブリーダーや狩猟ガイドもしたが・・・31歳の最期は、望ましいものではなかった。

2013年4月25日木曜日

(資料)結婚式の世論調査

韓国ギャラップ(KGallup)は、おもに結婚式に招待される側の視点と思われる、「結婚式の世論調査」をした。主な結果について次の通り発表(4/4)した。

(本ブログ関連:"ギャラップ")
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主な結果(回答末の( )内%は2005年対比、ほか)

・「最近の結婚式のご祝儀は?」: 「5万ウォン」 70% 、(ご祝儀平均6万ウォン(+1万8千ウォン))
・「結婚式のご祝儀、家計の負担になる」: 68%(+1%)
・「結婚式に出席する感じは?」: 「お祝いしに行く」 51%(-5%)、「儀礼的にお金を出しに行く」 30%(+3%)
・「結婚式の招待客の範囲は?」: 「近い親戚だけが参加するのが良い」 61%(+16%)、 「できるだけ多くの人に知らせるのが良い」 36%(-14%)
・「最近出席した結婚式の場所は?」: 「一般的な結婚式場」 79%、「ホテル」 8%、「教会/大聖堂」 7% (過去調査と比較して「一般的な結婚式場」は徐々に減少、 「ホテル」は増加傾向)
・「好みの結婚式の場所は?」: 「一般的な結婚式場」 51%、「教会/大聖堂」 15%、「ホテル」 3%
・「最近の結婚式、改善すべき点は?」: 「豪華、贅沢の結婚式」 31%、「形式的な手続き」 11%
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【調査の概要】
- 調査期間: 2013年4月1〜4日(4日間)
- サンプリング: 携帯電話RDD(ランダム作成の電話番号にかける手法:Random Digit Dialing)標本フレームから無作為抽出
- 応答方式: 電話調査員インタビュー
- 調査対象: 全国の満19歳以上の男女1,224人
- 標本誤差: ±2.8%ポイント(95%信頼水準)
- 回答率: 18%
- 依頼機関: 韓国ギャラップ独自調査

2013年4月24日水曜日

チック・コリア

昔のジャズ喫茶の思い出ときたら、吉祥寺だったかな、地下室につながる狭い階段を降りると、黒壁を背にした客がうつみき加減にタバコをふかし、部屋中を紫煙が幾重に漂っていて、いい具合に照明がゆらめいていたもんだ。まるで陰鬱さを証のようにして、視線をあわすこともなく、むしろ互いに心理的に距離をとるように、客たちは重い空間に沈んでいた・・・結局、そんな時代のポーズに長居できなかったけど。

あるとき、LPレコードのジャケットに、"Chick Corea"と大きく赤い筆記体で描かれたチック・コリアのピアノ即興曲集「Piano Improvisations Vol. 1」(1971年)があって、それを聞いたときには何だかほっとした。旋律に乗ってしまえばしめたもの、そのまま流れていけばいいのだし、即興そのままを体感できるような、自分の空間で自由に聞ける心地よさがあった。

それではYoutubeで、「Song for Sally」でも聞いてみようかな。(登録者Mike PianoPlayに感謝)

(付記)
ところで、タモリがピアノの白鍵だけで、「努力なしでチック・コリア風ピアノ演奏の技法発表」したのを聞いて笑ってしまったよ。そう、何だか謎解きしたようで、チック・コリアが誰にも内在するものをほどいてくれていたんだってことに気付いたんだね。タモリが、自宅でこの技法で演奏?すると、もっと没入すると言い訳していたのもうなづける。

2013年4月23日火曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 獅子舞

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(4/17)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第2回として「獅子舞(사자춤)」について紹介された。

獅子舞の起源と音楽について次のように説明された。
・トラを山君(山の君子)と呼び、山の神の守護神としてきた韓国では各地域に、トラではない「獅子(ライオン)舞」が伝承している。インド(或いは中国)起源とする獅子舞は、三国(高句麗、百済、新羅)時代に伝来したといわれる。

金泳宰(김영재)による「広大の夢(광대의 꿈)」を聴く。手法・構成ともに・・・今様である。

・約1500年前、新羅の眞興(ジンフン、진흥)王の代、伽倻琴(カヤグム)の楽師于勒(ウ・ルクッ、우륵)が作った曲中に「獅子伎」があったこと。またその約300年後、学者の崔致遠(チェ・チウォン、최치원)の詩中に、獅子舞を描写した一節が含まれていることなどから推察されている。
・現在は、咸鏡道北青地方に伝わる「北青(プクチョン)獅子舞」が最も有名で、黄海道地域の「鳳山(ポンサン)仮面舞」、「康翎(カンリョン)仮面舞」、そして釜山地方の「水営野遊(スヨンヤリュ)」など多様な獅子舞が伝承されている。

北青獅子舞の中から「獅子の舞(사자춤)」を聴く。素朴な響きがよい・・・光景が見えるよう。
(参考)Youtubeに北青獅子舞の映像がある。登録者jajimalgobojiに感謝。

北青獅子舞の獅子は茶色の毛で顔も茶色をしているが、康翎仮面舞の場合は雪のような真っ白な毛に赤い顔をしている。威厳と勇猛を象徴することに変わりはない。獅子舞の際、鈴を鳴らして人々に知らせ、村の家々を回っては、鬼を追い払う。さらに、康翎仮面舞では、戒律を破った僧侶に対して罰を与えるお釈迦様の伝令役としての役割も兼任した。

▼弦楽室内楽団"チョコレート"による「木彫り人形の踊り(목각인형의 춤)」を聴く。これも手法・構成ともに・・・今様である。

2013年4月22日月曜日

(資料)きつね

日本霊異記」上巻第二話に、狐を妻として子を産ませた話しがある。古代の欽明天皇の時代に、嫁探しに出かけた男が女と巡り合い結婚する。一男をもうけたが、実は女は狐の化身であり、飼い犬に気付かれその身をあらわにしたのを見て男は、「汝と我との中に子を相生めるが故に、我は忘れじ。毎(つね)に来りて相寝よ」といった。ゆえに、また来て寝ることから、妻に「来つ寝(きつね)」の名がつく。

上品な薄紅色の裾(すそ)を引きつつ来た妻も、やがていずこかへと去る。それを偲んだ男は、「恋は皆我が上に落ちぬ たまかぎる はろかに見えて去(い)にし 子(=あのかわいい人)ゆゑに」と歌った。これは、消え去った妻への思いを夫が歌ったものであり、人形浄瑠璃の「葛の葉」に見られるように去り行く妻が残す、「恋しくば尋ね来て見よ 和泉なる信太の森のうらみ葛の葉」とは逆だ。

日本霊異記のこの説話の最後には、彼ら(人と狐であるが)二人の間の息子の名と、その一族の姓の由来について書き加えられている。「葛の葉」で残された子が安倍晴明であるように、子孫を残す意味があることに、両説話には共通性がある。狐に、そのような時間をくだる霊力があって、信仰につながるのも分かるような気がする。

(本ブログ関連:"クミホ"、"(資料)「山海経」中の九尾狐のこと"、"お稲荷さんと油揚げ"、"玄翁(げんのう)"、"九尾の狐"、"豊川稲荷東京別院散歩"、"狐の嫁入り"、"府中市郷土の森博物館")

2013年4月21日日曜日

健全なイメージの歌手

イ・ソンヒは、今も清潔感と若さを保ち続けているが、1960年前後のこと、ラジオやテレビで知ったアメリカの歌手の中で健全なイメージがあった歌手といえばまず、パットブーンPat Boone、1934年6月1日~)があげられる。見るからに端正な風貌であるだけでなく、声質もソフトでやさしく、まさに"優等生的"な歌手だった。まるで、ガールフレンドの親父でさえ認めるような信頼感を漂わせるようなものがあった・・・まあ、これは映画の一場面だが。
彼の代表的なカバー曲「砂に書いたラブレター(Love Letters In The Sand)」(1957年)はベストだろうが、この季節に合った「四月の恋April Love)」(1957年)も聴いてみたい。

また、日曜日の午前中にNHKのテレビ番組で見た、アンディ・ウィリアムス("Andy" Williams、1927年12月3日~2012年9月25日)のワンマンショーも懐かしい。清潔感があって、お茶の間で家族で見るのに違和感のない歌手だった。ムーン・リバーMoon River)」(1962年)が今も耳に残っている。
そうそう、テレビ画面で歌う彼のセーター姿は、そのまま間近で聞かせるようなアットホームな雰囲気がしたものだ。

(Youtubeに登録のにtachibana213、yootami感謝)

2013年4月20日土曜日

イ・ソンヒの「ライラックが散るとき」

イ・ソンヒ自身が語った言葉に、シンガーソングライターとして作品を世に出したのが、10集のときからで、その作品のひとつに「ライラックが散るとき」(1996年)がある。

春4~5月に咲くライラックを以前見たような気がする。その薄紫色の花が、どのように散るかは知らないけれど、厚みのある小さな花弁たちが樹下に次々とポツリ落ちるのだろうか。まさに青春の思い出の名にふさわしく、イ・ソンヒが余情をもって歌う「ライラックが散るとき」(MBC「人気歌謡 ベスト50」、78回、1997年1月25日)をYoutubeで聴いてみよう。

(本ブログ関連:"ライラック")



(Youtubeに登録のMBCkpopに感謝)

2013年4月19日金曜日

金曜の夜は

お~っと、気付けば時間が過ぎてしまった・・・今日のことごと雑記する。

・昨日は暖かくて外出にできるだけ軽い服装をしたがそれでも汗をかいた・・・今日は厚手に切り替えるほど寒い。傍のストーブを未だしまいこむことができない。

・書留封筒に少し大きめのサイズがあると知って郵便局で求めたら、料金が高くなるからと普通サイズを勧められた・・・ああ、同じものは既に家にあるのに・・・買ってしまったよ。

・昨日に続き今日も・・・千葉県東方沖、実際は銚子のほんの海側といったところだが、マグニチュード4.7の地震が発生した・・・不安になる。

2013年4月18日木曜日

ケーシージョーンズ 楽しいな~

子どもの頃に見た外国のテレビドラマに、ヘリコプターのパイロット、潜水ダイバー、駅馬車の御者などの職業と密接な人物を主人公にしたドラマがあった。

その中に、アメリカの鉄道機関士が主人公の連続ドラマ「ケーシージョーンズ(Casey JonesTV series)」があって、番組主題歌のフレーズ「ケーシージョーンズ 楽しいな~・・・」が今も耳に残っている。

機関車は、玩具のアイテムである動き・音・光りを備えた、子ども(男の子であるわけだが)が真っ先に関心を持つ乗り物のひとつだ。まして機関士へのあこがれは、列車を擬人化して見るよりもより直接的だ。主人公のケイシー・ジョーンズが実在していたと、実は今知ったけれど・・・やっぱり、伝説の人物だったんだね。

それに、機関車が登場する、夏の「銀河鉄道の夜」、冬クリスマスの「急行『北極号』」の物語も、子どもの頃に見た夢や幻想を思い起こさせてくれる。わたしが、クリスマスプレゼントにサンタクロースからもらった記憶にあるものも、小さな木製の機関車と客車が数台連結した旅客列車だった。

(Youtubeに登録のDavid Bowenに感謝)

2013年4月17日水曜日

今日も地震が続く

今日のテレビ各局は、三宅島の地震を報じた・・・といっても体感することはなくて、報道を通じて知ったわけだが。気象庁の地震情報を見ると、午前10時過ぎに地震が発生して以来、21:20現在までに、何と29回も地震が続いている。

NHKニュースによれば、「17日午後5時57分ごろ、三宅島近海でマグニチュード6.2の地震があり、三宅島で震度5強の揺れを観測したほか、震度4を新島、神津島、御蔵島で観測しました。」(4/17 18時45分)とのこと。
また気象庁によると、この地震は火山噴火と直結するものではないという。2000年と同様の大噴火が再現することはないようだ。

ところで今日も、与那国島、石垣島沖、そして宮城県沖に、マグニチュード5以上の地震が発生している・・・気にすると神経質になり、忘れるとドカンとやられる、ままならない。

秘密の湧き水

小学低学年の頃、よく遊んだ公園は大きな段差があって二段に分かれていた。公園上側は広場になっていて、ボール投げや自転車遊びをした。段を境い目に、下側を見下ろすように日陰棚があり、その両脇には階段が作られていた。公園下側も広場だったが、十分整備されてなくて次第に自然のまま茂みに変わっていた。

この茂みの奥に、子どもたちにとって秘密の水飲み場があった。公園に設置された水飲み場の水道蛇口から出る生温かい水よりも美味い、公園斜面に湧き水があったのだ。辺りは丈の高い草々に覆われていて、藪漕ぎするようにして進むと、小さな水溜りが見つかる。しゃがんで湧き出る水を手ですくって飲むそのとき、湧き口でキラキラと雲母が水流に舞っているのが見えた。夏のかんかん照りのときは、ことのほか美味しかった記憶がある。

子どもたちにとって、秘密の場所は共感しあえる場所だ。だから、近所の塀の下にある抜け道にも、猫ぐらいしか通り抜けないような家と家の隙間の陰にも、そして放置されていた防空壕跡の暗闇にも、自分たちだけが知っている秘密があった。そして、誰にも教えない秘密だぞと語り合いながら、その秘密を楽しんでいた。

今では、そんな秘密の場所もすっかり消えて、観光施設に造成されたという。でもねえ、秘密は今でも残っているし、近所の崖線で水が湧いているのを見ると、子どものときに仲間たちと持っていた秘密の迷路がどんなに大切かしみじみと思い返すよ。

2013年4月16日火曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 梅の花

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(4/10)に人物シリーズ75回目を終えて、今回から文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第1回音楽紹介が始まった。

今回はキーワードとして、ソンビ(선비)が愛したといわれる「梅」の花にまつわる音楽が紹介された。
・儒教でいう君子に基づいて、花で表現する四君子(사군자)すなわち「蘭菊竹梅(란국죽매)」がある。(日本の松竹梅に通じるかな・・・)

▼フュージョン国楽グループ・クリム(그림)の演奏による「花柳東風(화류동풍)」を聴く。東風吹かば匂い起こせや梅の花・・・でも、今様の都会で聞いた方がいいかな。

・朝鮮時代の知識人、退渓李滉(テゲイファン、1501年~1570年)は、逸話にもその関わりがあるほどに梅を愛したという。丹陽に郡守として赴任した先で出会ったのが官妓の杜香(トゥヒャン)だった・・・。(伝説に諸説あるようで)

▼チョン・ジンギョン(전진경)の歌(歌詞、가사)で「梅花歌(매화가)」を聴く。ずっとハイ・トーンで流れるように歌う。

・昔、祝いの宴を花で飾るときに紙の造花を使ったが、梅の花の場合、蜜蝋で作ったりもしたという。花→蜂(蜜)→花ということから、蜜蝋の造花を「輪廻の梅(윤회매)」といい・・・その花の姿を見て先祖に似た子孫と例えられる。

▼ハン・ウンヨン(한은영)の琵琶による「飛花点翠(ビファチョムチィ、비화점취)」を聴く。砂時計のような・・・これも、今様の都会で聞いた方がいいかな。

2013年4月15日月曜日

イ・ソンヒの「私の街」

MBCの音楽番組「音楽旅行 ラララ」(15回、2009年3月26日)で、イ・ソンヒが5集タイトル曲「私の街(나의 거리)」(1989年)を歌っている映像が、Youtubeに登録されている。
登録者の解説で、(英語)曲名を「My street」としている。そういえば「street=通り」には、「길」の他に「거리」もある訳で・・・。以前から紹介されている「私の街」のタイトルの方がいいような気もするけれど、歌詞では別れた場所をもっと限定しているし・・・「通り」の方がよいことになる。

(本ブログ関連:"イ・ソンヒの「私の街」"、"イ・ソンヒのアルバム枚数"、"イ・ソンヒの歌謡トップ10")


(Youtubeに登録のMBCkpopに感謝)

2013年4月14日日曜日

石の集い

午前中、突然小刻みに家がきしみ始め・・・やがて強い揺れが始まった。すぐに治まったが、いつもPC上で緊急地震速報を流してくれる"SignalNowExpress"が、まだ起動していなかった。ということは、緊急地震速報よりも速く地震が伝わってきたわけで、震源が近いことを示していた。

やがて"SignalNowExpress"が起動して、震源が埼玉県北部であることが分かった。それを追うようにテレビ画面も地震速報を表示した。気象庁の地震速報(10時26分発表)は次のようだ。
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14日10時22分頃地震がありました。
震源地は埼玉県北部(北緯36.0度、東経139.4度)で、震源の深さは約100km、地震の規模(マグニチュード)は4.7と推定されます。

(当地は、震度2と記されていた)
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震源が内陸部になって、この地に近づけば近づくほど現実味が増して不安が深まる。

一日風が強い。天気予報では、最高気温を21℃と報じていたが、体感はもっとひんやりした。

四谷に石の集い・・・もとい、石好きの集いへ行ってきた。会の昨年今年の活動報告と講演があった。石好きにとって「水晶に始まり水晶に終わる」という格言がある。どこかで聞いたことがあるでしょう。そう、「ヘラ鮒(ふな)に始まりヘラ鮒に終わる」という釣り師の言葉を。講演は、その水晶についてだ。
水晶の構造と結晶成長の形態学から、宇宙に水晶があるか?といった話題まで楽しく聴講した。

ベテラン会員提供の鉱物標本を次の通りいただいた。
・秋田県荒川鉱山: 水晶(華麗な群晶)
・岩手県仙人鉱山: 赤鉄鋼(輝く群晶)

2013年4月13日土曜日

淡路島付近で地震

朝、テレビをつけて驚いた。淡路島で大きな地震が発生したのだ。(気象庁地震情報
一瞬、「阪神・淡路大震災」(1995年1月17日)の光景が頭をよぎったが、ニュースによれば幸い大きな被害はなかったという。毎日jpの記事「淡路島震度6弱:11人が軽傷…落下物に接触、転倒などで」(4/13、08時53分(最終更新 04月13日 09時04分))は、次のように報じている。
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・13日午前5時33分ごろ、淡路島付近を震源とする地震があり、近畿を中心に中部から九州にかけての広い範囲で揺れて、兵庫県淡路市で震度6弱を観測した。気象庁によると、震源の深さは約10キロ、地震の規模を示すマグニチュードは6.0と推定される。地震によって若干の海面変動が予想されるが、津波の心配はないという。
・消防庁災害対策本部によると、午前8時15分時点で、落下物に接触したり、転んだりして、大阪府4人▽兵庫県6人▽徳島県1人−−の計11人が軽傷を負ったという。
・また、原子力規制庁によると、原発や原子力施設で異常は確認されていない。全国で唯一稼働中の関西電力大飯原初3、4号機(福井県)で震度3を観測したが、トラブルもなく運転を続けている。
 主な震度は次の通り。
 震度6弱=淡路市
 震度5強=南あわじ市
 震度5弱=洲本市、大阪府岬町、徳島県鳴門市、香川県東かがわ市、小豆島町
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今回は、震源が「阪神・淡路大震災」(マグニチュード7.3)の南端に属しながらも、地震のメカニズムは異なると報じられている。

2013年4月12日金曜日

稲荷神社

地元図書館の駐車場に隣接して、小さな稲荷神社がある。参道は、いくつも並ぶ鳥居をくぐるようにして社殿へつづく。
鳥居の赤い色と、花弁を重ねて今を盛りに咲く八重桜の薄紅色のコントラストが美しい。まさに西陽が射して、その色合いを互いに強調していた。奥の簡素な社殿に参拝して家内安全を祈ったのはもちろんだ。

総本社は、京都府京都市伏見にある伏見稲荷大社とのこと。そして、入り口の石(花崗岩)の鳥居の額束には、笠森稲荷神社の額が掲げてある。また、「笠森稲荷の『かさ』の音は『瘡』に通じることから疱瘡や皮膚病除けの流行神としても知られている。」(神社文化振興評議会)という。以前、郷土史家の方から、江戸期には遠く川崎(宿)からもこの稲荷を訪ねてくる女性たちがいたという。

薩長による明治以降の官製文化に対して、江戸風を期待するものもあるが、決して洒落た粋な世界だけだった訳ではなかったことを忘れてはならないだろう。

(本ブログ関連:"稲荷神社")

2013年4月11日木曜日

黄昏のビギン

黄昏の居心地よくない時間、ぽつんと突き放されたような気がする・・・時間の変わり目は曖昧だ。時の進み具合を時計とにらめっこしても、夕闇は刻々迫り、いつしか夜のとばりがすっかり降りたことに気付く。そんなとき、ちょっと余裕があれば時間の経過を楽しみたい。ちあきなおみの「黄昏のビギン」を口ずさんだりする。

ちなみに、彼女の歌では「紅とんぼ」も好きだな。この歌で歌手の技量が試されるというもの・・・。

(本ブログ関連:"CMソング")

(Youtubeに登録のkameari3brother、guitar1680073に感謝)

2013年4月10日水曜日

柳笙

今日から旧暦3月となる。韓国の「東国歳時記」(洪錫謨)の3月の項に、「兒童たちが柳の枝を折り、觱篥(ピリ피리) を作って吹く。之を柳笙(류생)という。」とあるが、どん楽器で、どんな音色をしたのだろうか。

子どもの頃、身の廻りにある自生の植物を使って音を鳴らしたりしたのは、(葉肉の厚いツバキの葉を使ってだったろうか)葉笛を作ったことくらいだ。上記のように柳の枝で作るとしたら、多分枝の表皮を残し、芯を繰り抜いたのだろう・・・似たような作業で、刀と鞘のおもちゃを作ったことがあるが。
さて、柳の枝の芯をくりぬいて、觱篥のようにリードまで作り込んだのだろうか・・・あるいは管の端を噛んでリード風にしたのだろうか。ちょっと試してみたい気がする。

(本ブログ関連:”東国歳時記”)

2013年4月9日火曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 朴範薰

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(4/3)に、人物シリーズ74回目として、日本の雅楽器の篳篥(ヒチリキ)に似た2枚リードの縦笛ピリ(觱篥:피리)の演奏家であり、指揮者、作曲家でもある朴範薰(パク・ボムフン、박범훈、1948年4月12日~)を紹介した。
人物シリーズは今回終了し、次回から新しいシリーズが始まるとのこと。

(本ブログ関連:"ピリ")

まず、日中韓にまたがる楽団の紹介から始まった。
・1993年9月、日中韓の3カ国を舞台に活動する楽団が設立された。そのプロジェクトに韓国で大きく関わったのが朴範薰である。

(参考)日本の関係楽団について(未確認):「オーケストラアジア
(参考)中国の「中央民族楽団」について:「中央民族楽団喜洋洋新年迎えのコンサート

▼KBS国楽管弦楽団による「祝宴舞(チュギョンム、축연무)」を聴く。賑やかで、いろいろな音が響き重なる・・・。

次のように朴範薰プロフィールが紹介された。
・1948年、京畿道楊平に生まれる。
・中学生の頃、地元の村へ来た、大道芸集団「寺党牌(ナムサダンペ:남사당패=旅芸人)」を率いたサム・ウンリョン(남운용?)の紹介で、ソウル国楽芸術高等学校に進学。国楽の基本から、ピリ、編曲、さらには西洋音楽に至るまで学ぶ。
・1968年にはメキシコオリンピックに派遣される民族芸術団の音楽を担当。
・大学進学後、国楽でなく西洋音楽の作曲を専攻。日本にも留学して、伝統楽器と西洋楽器の一緒の演奏を見て、その後のアジア民族楽団プロジェクトの花を咲かせた。
・寺院で偶然に西洋式の仏教音楽が歌われるのを聞き、興味を持ち研究した。曹渓宗立の仏教系私立大学の東国大学で哲学博士学位を取得。
・1986年のアジア競技大会、1988年のソウルオリンピックの開幕式音楽を担当。
・初の民間国楽管弦楽団「中央国楽管弦楽団」を創立後、国立国楽管弦楽団創団にも寄与した。
・中央大学の総長として、また最近では青瓦台の教育文化首席秘書官として活動した。

2013年4月8日月曜日

今日から一年生

晴天の午後、明るい道を正装姿の親子連れが歩いてくる。子どもは先を歩いては振り返り、親が追いつくのを待つ、その繰り返しだ。子どもの背中で真新しいランドセルが揺れている。

そうか、今日は小学校の入学式だったのだ。おちびさんたちはピカピカの一年生だったわけだ。そしてランドセルもピカピカだ。

中には、ママチャリに乗って帰っていく母子もいた・・・まだ幼稚園気分が抜けないのかな・・・いやいや、お母さんはきっと忙しい理由があるのだろう。あるいは、両手にランドセルを持つ父親の前を一人の女の子が先導し、後方を母親と一緒に歩くそっくりの女の子がいた・・・そう、双子なんだけど、もう性格が違ってきたのかな。

小学生は学校が好きだ。ラジオで聞いた話しだけど、ランドセルを家に置いたまま登校した子がいたそうな。それに、難病のため病室を出られない子も望むのは学校に行って友だちと会うことだ。

ちなみに、中学校の入学式は明日だそうだ。

2013年4月7日日曜日

イ・ソンヒの「愛が散るこの場所」

今朝から春らしい、いや初夏ほどの陽が射して、風は昨夜に増し空中を轟かしながらも夕方には一段落した。昼間の強風は、街角のあちこちに駐輪していた自転車を次々こがしていた・・・転がしていた。

通り道に見る八重桜は、薄紅色の八重の花弁を豪勢に咲かせていた。ソメイヨシノの花が、散るに従い黄緑の初々しい葉を表わしたのに比べて、八重桜はふっくらした花と一緒に茶色の葉が見える。まるで桜餅を包むため、塩漬けにして作られた桜葉のような色合いだ。満開の八重桜に食欲が湧いてくる。

先日、ソメイヨシノがさらさらと花を散らす様を見て、風が見えるような気がした。散る花はもう戻ることはないのだから、新しい花を咲かせてはどうだろう・・・イ・ソンヒのアルバム4集に所収の「愛が散るこの場所(사랑이 지는 이 자리)」(1988年)をYoutubeで聞いてみようか、菜の花だけど・・・。

(本ブログ関連:"愛が散るこの場所")



(Youtubeに登録のmaonsanに感謝)

2013年4月6日土曜日

春の嵐は来るのか

今日は、昼過ぎから空模様があやしくなってきて、午後2時半頃には小雨がぱらつき始めた。夕方の韓国語教室の帰り道、小雨に風が加わったものの強風までは至らなかった。午後10時過ぎの現在、天候は若干強めに進んでいるようだ・・・夜中はどうなるのだろう。

天気予報によれば、明朝には天気が回復しているようだが、実は、明日予定していた栃木の仲間との鉱物採集は中止している。お天道さまはままならぬ。

昨日から始まった小金井公園の「第59回 小金井桜まつり」(4月5日~7日)は、空模様の結果どうなるのだろう。今日の風雨で、桜の花がだいぶ散っているだろうけど・・・小金井市のWEBお知らせによれば、「4月6日、7日は荒天と予報されており、暴風雨の間は催し物が中止になる可能性もあります。」とのこと。

この世相、今日の春の嵐のようにあわただしい。無事にことが過ぎるのを願うばかり。

2013年4月5日金曜日

イ・ソンヒとフックエンターテインメント

イ・ソンヒが昨年3月に、所属企画会社フックエンターテインメントの社内取締役に登載(登記)されたと、マネートゥデイの記事「"CFキング" イ・スンギ、1年にどれくらいの儲けか見たら・・・」(4/4、キム・コンウ記者)は次のように報じている。(抜粋)

(本ブログ関連:"フックエンターテインメント")
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・2002年*、資本金5000万ウォンで設立されたフックエンターテインメントは公演企画・制作、マネジメント、不動産賃貸業を主な事業とする。所属芸能人はイ・スンギ、イ・ソンヒ、イ・ソジンなどだ。歌手イ・ソンヒ氏は、昨年(2012年)3月社内理事に登載(登記)**された。

(*)2002年6月29日にイ・ソンヒが大学路のライブ劇場を受け、国内初の歌手が公演会場を直接運営したのが前身。

(**)イ・ソンヒが以前所属した(経営も関わったとされる)フックエンターテインメントと、2008年末に米国から帰国後復帰した同事務所との関係が明示された。

・フックエンターは、所属芸能人の数は少ないけれど営業利益にだけ見れば一部マネジメント上場企業を跳び越える。昨年、チャン・ヒョク、ファン・ジョンウム所属会社IHQは営業利益が20億4700万ウォン水準だった。

・昨年、フックエンターは、マネジメント売り上げと推定されるサービス部門で93億2300万ウォンを稼いだ。この中で芸能人に支給される金額である手数料は、56億3500万ウォンを占めた。

・多くの収益をイ・スンギが上げたと仮定する場合、イ・スンギと所属会社の収益配分比率は、6対4程度と推定される。これはトップスターが所属会社と、8対2、または7対3で契約するのと比較するとき、所属会社に大きく有利な方だ。

・おかげで、イ・スンギの他にクォン・ジンヨン代表も相当な収入を上げたと見られる。 現在のフックエンターがある江南区、清潭洞の建物は、2004年にクォン代表が買収した所で、売買価格は確認されない。
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2013年4月4日木曜日

チョー・ヨンピルとイ・ソンヒのデュエット

昨日、本ブログに記した「最高のボーカル・アーティスト」で、<レジェンド100-アーティスト>にあげられた1980年代の歌謡界を拮抗したイ・ソンヒとチョー・ヨンピルが歌番組に一緒に出演しているYoutubeがあるので見てみよう。
登録者(MrWoober99)によると、この映像は番組「土曜日 土曜日は楽しくて」(1986-87年?)だそうで、二人が次のように歌っている。

・「冬のティールーム(그겨울의 찻집)」 チョー・ヨンピル
・「分かりたいです(알고싶어요)」 イ・ソンヒ
・「夢の対話(꿈의 대화)」(MBC1980年大学歌謡祭大賞曲) チョー・ヨンピルとイ・ソンヒ
・「君は僕が好き 僕は君が好き(나 너 좋아해 나 너 좋아해)」(チャンンドク)  チョー・ヨンピルとイ・ソンヒ

(本ブログ関連:"チョー・ヨンピル")

2013年4月3日水曜日

鳥インフルエンザA(H7N9型)

中国で死者も出している鳥インフルエンザについて、NHKニュースの記事「H7N9型 ヒトに感染しやすく変異」(4/3)は次のように報じている。
そういえば、2年前の今頃、新型インフルエンザの騒ぎでマスクが薬局から消えたことがあったが・・・。大騒ぎになる前に、十分な供給を願いたい。

(本ブログ関連:"インフルエンザ")
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・中国でこれまで少なくとも2人が死亡し、5人が重体になっている、鳥インフルエンザの「H7N9型」のウイルスは、遺伝子の一部がヒトに感染しやすく変異していることが、国立感染症研究所の分析で分かりました。
・専門家は「ヒトからヒトへの感染が起きていないか、注意深く監視する必要がある」と指摘しています。
・国立感染症研究所は、中国当局から、ヒトへの感染が相次いで明らかになったH7N9型の鳥インフルエンザウイルスの遺伝情報の提供を受け、遺伝子の配列などを詳しく分析しました。
・分析したのは、はじめに感染が確認された上海市の男性2人と安徽省の女性1人から分離されたウイルスの情報で、いずれも、ウイルスの増えやすさを決める特定の遺伝子が、ヒトの細胞の表面に感染しやすく変異していました
・このうち、上海市の一方のウイルスと安徽省のウイルスは変異した遺伝子の配列が一致していたということで、広い範囲で感染が広がっているおそれがあると指摘されています。
分析にあたった、国立感染症研究所インフルエンザウイルス研究センターの田代眞人センター長は、「H7型のウイルスは通常、毒性はそれほど強くないとされるが、免疫のある人はほとんどいないため、感染すると重症化するおそれがある。ウイルスがヒトに感染しやすくなっていることは間違いなく、ヒトからヒトへの感染が起きていないか、注意深く監視する必要がある」と指摘しています。
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(参考)国立感染症研究所掲載: 全文を確認願います

「中国における人での鳥のインフルエンザウイルスA(H7N9)感染症に関するQ&A 世界保健機関(WHO)」(抜粋)
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6. どのようにすれば個人レベルで鳥のインフルエンザウイルスA(H7N9)の感染を防ぐことができますか。

インフルエンザA(H7N9)を含め、多くの感染症を防ぐためには、基本的な衛生行動と食品衛生管理を行うことがその前提条件となります。
頻回の手指衛生、特に、食品を取り扱う間やその前後、食事前、トイレの後、動物やその排泄物を取り扱った後、手が汚れた時、また、家族の誰かが病気にかかっている場合には更に頻回に手洗いを行うこと。
・手指衛生は、医療機関においても、他の患者や医療従事者への感染を防ぐために必要です。原体は手洗いにより物理的に取り除かれますアルコールは消毒に用います(病原体を死滅させます)
・咳やくしゃみの際には、ティッシューで口や鼻を覆うこと
・高病原性鳥インフルエンザウイルスが存在する可能性があるいかなる環境においては、ウイルスに汚染された手指により、鼻、口、結膜にウイルスが運ばれる可能性を防ぐため、手洗いや速乾式刷り込みアルコール製剤の使用を含む手指衛生が重要です
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最高のボーカル・アーティスト

韓国の歌手の中でレジェンドに値するアーティストは誰か・・・スポーツ京鄕の記事「チョー・ヨンピル、音楽専門家たちが選んだ最高のボーカル・アーティスト 選定」(4/3、カン・ジュイル記者)は次のように報じている。(この企画は、Legend 100 Artist!の延長か・・・)
ちなみに、イ・ソンヒが選定されていることは言うまでもない。

(本ブログ関連:"チョー・ヨンピル")
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・「歌王」チョー・ヨンピルが、音楽専門家たちが選んだ最高のボーカル・アーティスト(歌手)に選ばれた。
・2日夜12時放送された、Mnet <レジェンド100-アーティスト>(以下<レジェンド100>)で、(大学)教授と歌謡専門記者、評論家、ミュージシャン、業界専門家などで構成された50人の審査委員団が選定した20人の歌手を公開した。

・最高ボーカル・アーティストに選ばれた歌王チョ・ヨンピルをはじめ、キム・ゴンモ、キム・グァンソク、キム・ヒョンシク、ナ・フナ、トゥルグクァ、ブラウンアイズ、ソン・チャンシク、シン・スンフン、シム・スボン、ヤン・ヒウン、ユン・ポクヒ、イ・ミジャ、イ・ソンヒ、イ・ソラ、イ・スンチョル、イン・スニ、イム・ジェボム、パティ・キム、ハン・ヨンエが名前を連ねた。 (ハングル順)

・イム・ジンモ音楽評論家は、「大衆は歌う人の優れた歌唱力に共感して感動する。 そのような意味で歌手に、昔も今も、歌唱力は重要な部分だ」として、「70年代から90年代まで色々な世代と階層を合わせて数多くの人気曲を出した、チョー・ヨンピルを韓国大衆歌謡歴史で最高の歌唱力を持っている音楽家に選ぶのに音楽関係者や言論(マスコミ)と、大衆の両方に異見はないだろう」と話した。

・<レジェンド100>は、韓国歌謡史を輝かせた伝説の歌手100人を選定してこれらを再照明する年間音楽キャンペーンだ。 4月の一月間、<エムネット・ボイスコリア2>、<エム・カウントダウン>、<ユン・ドヒョンのマストmust>など多様な音楽プログラムを通じて、これら20人を再照明する作業が一緒に行われる。
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2013年4月2日火曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 パク・ギョンソ

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(3/27)に、人物シリーズ73回目として、弦楽器の伽耶琴(カヤグム、가야금)の若手演奏家、パク・ギョンソ(박경소)を紹介した。

まず、国楽ならびに伽耶琴を新しい解釈で演奏活動している演奏家パク・ギョンソ紹介から始まった。
・「これは伽耶琴ではない(이것은 가야금이 아니다)」のタイトルを持つCDを発売して話題となった。

▼パク・ギョンソの伽耶琴による「Orbital Swing」(Cosmo Breeze:2008年収録)を聴く。・・・なるほど。

次のようにパク・ギョンソプロフィールが紹介された。
・1980年  ソウル特別市に生まれる。
・国立国楽中学校を卒業後、韓国芸術総合学校在学中から3人によるカヤグムアンサンブル「アウラ」の団員として活動を始めた。その後も他のグループ(オリエンタル・エクスプレス)でも活動を行い、現在は、ソロ演奏家として活動を行っている。
・また、伝統音楽を忠実に身につけ、重要無形文化財、第23号のカヤグムサンジョおよびビョンチャンの伝授者でもある。

2013年4月1日月曜日

サクラ、そして遺伝

今日も寒い。このところ寒暖のシーソーに揺れている。
近所のお宅の塀越しに咲く桜も、スーパーの駐車場脇の広場に咲く桜も、そして団地の通り道を花のトンネルにして咲く桜もみな花の盛りだ。

今日の風のせいで少し散り始めたものもあるが、これから芽を膨らませようとしているものもある・・・こちらは八重桜だろうか。寒さがつづくおかげで、観桜を当分楽しめそうだ。

話はガラリと変わるが、インターネットを見ていたら、ショウジョウバエの生育培地業者が減った・・・という。遺伝学研究の実験材料として、魅力が衰えたのだろうか。そういえば、蚕糸研究で世界をリードした日本のカイコの遺伝学研究も現在どうなっているのだろう。

ショウジョウバエ・・・遺伝学研究・・・国立遺伝学研究所とイメージが飛んでしまうが、親類から三島にある国立遺伝学研究所の一般公開が4月6日(土)にあって、当日「構内に咲く様々な種類の桜も楽しんでいただいております」とのこと。桜もいろいろ種類があって、研究所の名に相応しく全国から集められているそうだ。

遺伝学といえばむかし、裳華房が発刊していた雑誌「生物の科学 遺伝」(現在、エヌ・ティー・エス)があって、どちらかというと学校の生物教育現場を意識した内容だったような気がしたが、現在は生命科学の専門誌になっているようだ。

遺伝子を地図で見る時代から、DNAの単位で見る時代に。

2013年3月31日日曜日

春雨は好きですか

春雨の気配がしてのんびり家にこもっていると、陽がすっかりかげってしまった。春の日はあっけない。歳とともに時間が加速するよ・・・それでも子どもたちの元気な遊び声は、通りにこだましていた・・・彼らには、晴れの隙間を見つけて遊ぶのに十分な時間があるようで、春休みはすることでいっぱいだ。

春雨の歌は、イ・ウンハ(이은하:イ・ウナ)の「春雨(봄비)」(歌詞)もいいけれど、春の若者の臆病で不器用な恋の物語は新鮮で、フォークグループ・ペタラギ(배따라기)の「きみは春雨がとても好きですか(그댄 봄비를 무척 좋아하나요)」(1984年、歌詞)はどうだろうか。(他のYoutubeで、ヤン・ヒョンギョンのソロ・ステージを見られる)

(本ブログ関連:"きみは春雨がとても好きですか")


(Youtubeに登録のBuSan YoungDo Bridge BuSanに感謝)

2013年3月30日土曜日

花冷え

3月下旬、桜が満開になってから急に冷え込んだとき、「寒の入り」と「花冷え」のどちらで説明できるか調べたことを本ブログ(3/27)に記した。気象庁の用語に「花冷え」はなかったが、3~4月に再び寒気がくる「寒の戻り」はあった。

一般的な言葉として「花冷え」は、平年桜が満開する4月に襲う寒気と解釈したが、NHKのニュース中の天気予報でも気象予報士が、今日の冷え込みを「花冷え」といっていた。
結局、桜の開花時期であればカレンダーと関係なしに、「花冷え」の言葉は問題なく使えるのだろう。

ところで、今日の景色は寒風にさらされ、どんよりした空から漏れてくる光に錆びついていた。まるで薄赤茶色のフィルターを装着したカメラのファインダーから覗いているように見えた。おかげで、桜の花の薄桃色がいつもより増したようだ。イメージに合致しているといった方がよいかもしれない。風に舞う花弁も美しいが、路端に吹き集められた花びらが毅然として色合いを誇っているようにも見えた。

先日、朝のラジオニュース番組で、著名な気象予報士が面白いことを語っていた・・・その内容については更に確認しますといっていたが、結果を知りたい。
・桜の花が白く見えるのは、紫外線のせい?
・年寄りの目は経年、紫外線にやられているので、桜が白く見える?

天気により、桜の色合いが違うことについて、今日の空模様から何となく納得できるが、年寄りの目については・・・どうなのだろう。
実は、青い目の場合、補色が強調されて、風景が赤っぽく見えるのではと・・・素人考えしているが、どんなものだろうか。

2013年3月29日金曜日

立川断層2013 (続)

今年2月7日に発表された立川断層帯の掘削調査結果について、今月28日になって、次のように修正発表されたと、YOMIURI ONLINEの記事「立川「横ずれ断層」は誤り、東大地震研が修正」(3/28)は下記のように報じている。(抜粋)

・掘削調査で確認した地層のずれは、断層ではなく土木工事などでできたとみられること。
・従って、断層は今回の調査で新たに発見したと思われた水平に動く横ずれ型ではないこと。

(本ブログ関連:"立川断層")
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・東京大学地震研究所などの研究チームは28日、武蔵村山市で実施した立川断層帯の掘削調査で今年2月に「断層の証拠」と発表していた岩石のような塊は、セメントとみられる人工物だったと修正した。
・研究代表者の佐藤比呂志・東大地震研教授(構造地質学)は「社会的に誤解を与えた」と謝罪した。

立川断層帯はこれまでの地形や地質の調査などから、東京都から埼玉県にかけて延びる活断層であることが分かっている。だが、最後にいつ動いたかなど詳細については不明な点が多いため、活断層や地質調査の第一人者として知られている佐藤教授を代表とする研究チームが文部科学省の委託を受け、今年度から3年計画で調査を始めていた。
・研究チームは昨年10月~今年2月、同市の日産自動車村山工場跡地に長さ250メートル、幅30メートル、深さ10メートルの巨大な溝(トレンチ)を掘削し、断層の位置や形状などを調べた

・調査では断層があると予想していた場所に地層の食い違いが見つかったため、「断層の可能性が高い」と判断。さらに、岩石の並び方などから、断層は水平に動く横ずれ型だとも推定していた。立川断層帯は断層が縦にずれる逆断層型というのが定説だったため、横ずれ型であれば震度分布が変わり、被害想定の見直しを迫られる可能性があった。2月6~9日には調査地点が一般公開され、佐藤教授らが分析結果を説明していた。しかし、現場を見た土木関係者から人工的な土地改変の影響の可能性を指摘され、掘削をさらに進めた結果、地下深部にまで地層の食い違いが見られないことが判明。岩石のような塊は工場施設の外壁があった場所の直下にあった。
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結果として、地元市民は何を知ったことになるのだろうか。

2013年3月28日木曜日

ラファエロ展

昨日までの寒さは一体何だったのかと思うほど、今日は暖かだった。春らしい陽気に誘われて、上野にある国立西洋美術館で開催中の「ラファエロ(Raffaello)」展を見に行くことにした。

ルネッサンス期に、わずか37歳で生涯を終わらせたラファエロ・サンツィオ(1483-1520年)の作品展だが、同展によれば「ヨーロッパ以外では初となる大規模なラファエロ展」という。今までこのような特別展がなかったことにちょっと不思議な気がする。(ラファエロに対する評価の風潮がそうさせたのかもしれない)

(本ブログ関連:"ラファエロ")

上野駅の改札口を出て驚いた。小さな子ども連れが多いのだ。春休み?・・・地元の小学校のスケジュールを調べると「3月26日~4月5日までは春休み」とのこと・・・なるほど、もう春休みだったのか。子どもたちは、動物園に行くのかな。
ラファエロ展も観客が後を絶たないほど盛況だった。一部の絵の前では、人だかりして鑑賞がままならないものもあった。混雑時の音声ガイドは、鑑賞の流れにサオさすような気が・・・。

さて、今回の展示画のなかで、まず見たかったのは、作品「大公の聖母」(1505-1506年)だ。フィレンツェ時代に、レオナルド・ダビンチの「繊細な明暗法の影響を受けた」(ラファエロ展「カタログ」:p.76)もので、聖母の穏やかなまなざしに心安らぐ・・・慈愛と、そして未来への微かな不安まで感じる。
この絵の聖母子の背景は、後世に黒く塗りつぶされたというが違和感ない。そう思い込んでいるからだろうか、むしろ絵に落ち着きと静謐すら感じさせる。

北方ルネッサンス好きにとって、おやっという思う解説があった。作品「エリザベータ・ゴンザーガの肖像」(1504年頃)だ。ラファエロが生まれ育ったウルビーノの地に戻り、ウルビーノ公妃となったいささか権高さを漂わすエリザベータを描いたものだ。
「同時期のほかの画家と同様、ラファエロがウルビーノの宮廷でも人気を博していたフランドルの肖像画技法に高い関心を払っているが、その結果、背景に見える風景描写に注意を払うようになった」(同展「カタログ」:p.74)という。実際、あのゴツゴツした岩の雰囲気は、フランドルにあるというよりも、北方の画家がアルプス越えしてまでイタリアに学ぼうとしたとき、アルプスに至る道すがら見た山景ではないだろうかといつも思っているのだが。
フランドルの画法が、逆にイタリにも影響を与えていたというのは楽しい。

カタログの解説「ラファエロ像の変遷と偶像化の過程」(同展「カタログ」:p.34、渡辺晋輔)にも触れられているのだが、ラファエロの下絵を元に作られた版画「パリスの審判」(1513-1515年、マルカントニオ・ライモンディ)の人物配置がおもしろい。版画右下3人の人物配置が、発表時に道徳的に問題視されたマネの作品「草上の食事(昼食)」(1862-1863年)と同じだからだ。このモチーフは、古代のレリーフ以来使われたものだそうだが、どうやらモネの絵の強烈なインパクトから、版画の構図に目がいったというのが正解だろう。

そうそう、ラファエロの作品「自画像」(1504-1506年)はおなじみだ。

(資料)韓国50代アジョシ

韓国の50代、特にサラリーマンについては、定年が50代半ばということもあり、その選択に直面するのが早いため、人生観に大きく反映するようだ。朝鮮日報の記事「【萬物相】男が50歳を過ぎたら」(3/27、朴海鉉[パク・ヘヒョン]論説委員)は、50代男性(アジョシ)の置かれた状況を次のように報じている。(抜粋)

(本ブログ関連:"50代")
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・心理学者によると、男が50歳を過ぎれば「第2の思春期」を迎えるという。ちょっとしたことでイライラし、すぐに泣き出してしまうこともあるらしい。また50歳を過ぎると知識や経験も豊富になり、若い人たちにあれこれおせっかいもしたくなるため、世代間の葛藤も増えてくる。そのためか退職して仕事をしなくなると雑念が増え、自分で自分の心と体を痛めつけてしまうことがよくあるようだ。

韓国でベビーブーム世代といわれる50歳から58歳の年代は715万人もいる。親の世話だけでなく、子どもを大学に行かせ、結婚もさせなければならないため、人生のあらゆる重荷を背負っているかのようだ。男たちは老後の備えもできていない平均53歳の若さで仕事をやめてしまう家では家長としての権威もずいぶん前から色あせた。元気を失った50代の男たちが増えたためか、彼らを慰めるための書籍が相次いで出版されている。

・男が50歳になって過去を振り返ると、誰でも後悔することが山のようにたくさんあるはずだ。それでも人生のさまざまな苦労を乗り越え、何とかここまで生きてきた。50歳という沼にはまって全ての活動をやめるのはまだ早い。まだまだ元気は残っているはずだ。
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2013年3月27日水曜日

寒の戻り

先週、土曜日が桜の満開で、もしかしたら見納めかもしれないと気をもんでいたが、ここ数日の寒さで、来週の日曜まで桜の咲き誇る姿を見ることができそうだ。

それにしても寒さがつづく。冬に逆戻りのようだ。
気象庁の予報用語「気温に関する用語」の項に、「3~4月に再び寒くなること」を「寒の戻り」としているので、ここ数日の具合に当たるだろう。
同用語には、よく使われる「花冷え」が載っていない。ただし、「こんにちは!気象庁です!平成23年3月号」に、「4月になってからも寒気が入って寒くなることを示す『花冷え』という言葉もあります」との記述がある。平年の4月にこそ、満開を迎える桜に「花冷え」の言葉が合っているのだろう。

まだまだ寒い。衣替えどころか、ストーブをしまうこともできない。

2013年3月26日火曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 金明煥

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(3/20)に、人物シリーズ72回目として、パンソリ(ひとつの物語[例:春香歌]を語りと歌で表現する音楽)の伴奏打楽器に使われるプク(太鼓、북)の名人金明煥(キム・ミョンファン、 김명환)を紹介した。

まずパンソリとプクの関係について解説が始まった。
・パンソリは、プクのリズム(長短)を頼りに物語を展開する。パンソリ界には、「一に鼓手(コス、고수)、二に名唱(ミョンチャン、명창)」という言葉があって、互いに息を合わせる重要性を語っている。
・名唱の影になりがちな中にあって、1978年に鼓手として初めて無形文化財芸能保有者に指定されたのが金明煥である。

▼金明煥のプクによる「春香歌(춘향가)」の中から「恋歌(사랑가)」を聴く。少々、唱者の迫力に・・・というより、抑制するようにリズムをとっているのかな。(宝城[ポソン]ソリ)

次のように金明煥プロフィールが紹介された。
・1913年 全羅南道谷城に生まれる。幼いときからレコードなどで国楽に親しむ。
・東京留学時、父の病のため帰国し結婚。妻の実家でプクを学ぶきっかけを得て、張判介(チョン・パンゲ、장판개)名唱に師事してパンソリとプクを始める。
・1930年代 林承根(イム・バンウル、임방울)名唱の口演に鼓手として正式デビューする。
・戦後、鄭應珉(チョン・ウンミン정응민)を訪ね、「宝城(ポソン)ソリ」を長く学び、伴奏で右に出るものが居ないといわれた。

▼金明煥のプクと、咸洞庭月(ハドンチョンウォル、함동정월)の「チェ・オクサム流カヤグムサンジョ」を聴く。カヤグムとプクの研ぎ澄まされたようなリズムのかけ合いがいい。

(咸洞庭月の業績について語られた・・・「カヤグム(伽耶琴)サンジョ(散調)」の復活を果たす)

▼金明煥の歌による短歌「鎮国名山(진국명산)」を聴く。「山からが良ければこそ立派な人物が生まれる」とソウルの山景を賛美する・・・のだろう。ゆるりと背景を見廻すように歌う。

2013年3月25日月曜日

イ・ソンヒの「因縁(인연)」

イ・ソンヒのバラードに、国楽が加わった後、さらに東洋的な色彩を重ねたのが13集「四春期」(2005年)収録の「因縁(인연)」かもしれない。その流れは、「炎のように蝶のように(불꽃처럼 나비처럼)」(2009年)や「狐の嫁入り(여우비)」(2010年)に引き継がれる。

彼女の「因縁」には、わずかな出会いでかなわぬ想いを、せめて輪廻で縁を果たそうと願う東洋的な香りがする。

(本ブログ関連:"因縁(인연)"、"炎のように蝶のように(불꽃처럼 나비처럼)"、"狐の嫁入り(여우비)")



(Youtubeに登録のdragonhand dragonに感謝)

2013年3月24日日曜日

東秩父村朝日根と寄居町五ノ坪

昨年5月に河津鉱山の鉱物採集に参加できなかったが、今回同じメンバーと共に、埼玉県東秩父村朝日根(パンペリー石の日本の第1号産地)と同寄居町五ノ坪に鉱物採集に出かけた。

提案メンバーに今回も現地まで連れていただき、採集の支援もしてもらったこと感謝、感謝。

第一ステップの集合が、いつもより近いJR駅だったので、明るんだ朝を余裕を持って家を出ることができた。そこから、毎度同乗させていただく車にメンバーと一緒に道中の会話を楽しんだ。

健康を主眼に参加したが、足取りが相変わらず定まらないで、みなに迷惑をかけてしまった。

さて、採集成果は次の通りで、実質いただきもので花を添えるといった体だが。

・埼玉県東秩父村朝日根: パンペリー石(脈状・・・繊維状を採れず)、曹長石(微小結晶群)、黄鉄鉱、黄銅鉱(紛失)、不明(微小柱状結晶群)
・埼玉県寄居町五ノ坪: クロス閃石、翡翠輝石(?)、磁鉄鉱+蛇紋岩

帰りの車中で、助手席に座りながら眠りこけてしまい、気付けばナビ役を後部席のメンバーにしていただいていた・・・スミマセンでした。

2013年3月23日土曜日

お花見

天気予報のお花見解説によると、空模様から今日の方が適しているだろうとのこと。野川に沿って隣接するものの、西武多摩川線に東西に区分されたような武蔵野公園と隣接の野川公園を巡った。

最初に武蔵野公園を歩く。家族連れの楽しそうな声があちこちから響いてきた。野川の北側にある調節池は、大雨でない限り普段は空床になっていて、今日のような晴れた日には集い楽しむ場所として最適だ。
 
写真の桜木立の奥には広場があって、本来そこで観桜するのだが、調節池の涸れた川床で花見をすれば、そこから見上げる桜の豪華さに酔いしれることだろう。そして、野川の南側グラウンドからは、野球観戦に叫ぶ子どもたちの声がひっきりなしに聞こえてきた。

次に、隣りの野川公園を巡る。公園敷地は、桜並木がつづく東八道路で南北に分けられていて、南側のエリアには桜木立が多く分散している。庶民的なお花見というよりは、公園散歩に適している。長い距離を歩いたので、喉が渇く。敷地の広さに比例して、家族連れも多く、休日をのんびり楽しめる場所だ。

(付記)
外資系ファンドに西武HD(ホールデイングス)が西武多摩川線、秩父線、山口線など不採算分野の売却など要求されているそうだが、まさか廃止はないだろう・・・沿線の生活、通学に影響が大きすぎる。

2013年3月22日金曜日

桜満開

「桜(サクラ)」の花弁は5枚、属するバラ科の「バラ」の原種をたどって見れば、やはり花弁は5枚だ。
鉱物にもサクラの名を冠した「桜石(さくらいし)」があって、元々「菫青石(きんせいせき)」が時とともに一部雲母化してできたもので、六角柱状の断面を見ると、あたかも花弁模様になっている。
ところで桜石の花弁の数を・・・よ~く見ると、6枚だ。
ちなみに、京都府亀岡市の桜天満宮にある桜の木の下の桜石は有名で、国の天然記念物になっているという。

さて、都心の桜が開花したのは先週土曜日の3/16だった。一週間後の今日、桜が満開した。日本経済新聞の記事「東京都心で桜満開 平年より12日早く」(3/22)は次のように報じている。(抜粋)

・気象庁は22日、東京都心の桜(ソメイヨシノ)が満開になったと発表した。満開は今シーズン、全国で初めてという。平年より12日早く統計を取り始めた1953年以降、最も早かった2002年に次ぐ2番目の早さ

・同日午前、東京・千代田の靖国神社の標本木で、8割以上が開花しているのを同庁の職員が確認した。
 
・東京都心は朝から晴れ間が広がり、同日正午の気温は14.7度。最高気温は4月中旬並みの19度まで上がる見込み。