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2017年2月25日土曜日

(資料)イ・ソンヒのソウル特別市議会議員選挙当時の写真集

イ・ソンヒは、1991年の地方自治制復活にあたり、(初の本格的)韓国地方議会議員選挙に当時の与党「民自党」から27歳の若さで出馬した。そのときの貴重な映像がYoutubeに登録されている。「ソウル特別市議会議員選挙候補者 合同演説会 - 麻浦区甲(選挙管理委員会」の横断幕を背景に演説する様子が撮られている。

出馬のいきさつ(与党側の思惑)、家族の対応と彼女の戸籍年齢、当選後の政治活動と所属政党の遍歴などについて、次の(本ブログ関連)のリンク先に情報を収集している。

(本ブログ関連:”市議会議員選挙”、"イ・ソンヒと政治"、”政治(全般)”)

イ・ソンヒがソウル特別市議会議員選挙に出馬した年に発表したアルバムは7集で、タイトル曲は「あなたが私を愛されるなら (그대가 나를 사랑하신다면)」だ。なお、次の映像中の曲は、彼女のアルバム14集収録の「あなたの道(너의길)」で、2009年に発表されたもの。


(Youtubeに登録のjung .Pに感謝)

2017年2月24日金曜日

(雑談)ちょっとした疑問

江戸時代の日本画、とりわけ奇想画への見直しが盛んだ。明治期に来日した欧米の豪商が奇想画を買い上げた結果、それらを鑑賞できるというのが現状だ。美術品の掘り起こしといった感がないでもない。キュレーター(学芸員)にとって新たに業績が加わることになる。

歴史の浅いアメリカの商人が好んだものは、伝統的美意識というより、ある意味せっかちで新規性に富んだもの、通俗性をベースにしているといっていいかもしれない。日本画家では、伊藤若冲、曾我蕭白が、今年は河鍋暁斎がピックアップされる。また、オランダ画家では、カメラ・オブスキュラの技術で徹底的に遠近法にこだわったフェルメールが好まれる。いってみれば、市民意識的な視覚といった(見る側の立場が欠けた)、見えるものへのこだわりを感じる。

さて偉そうな話はここまでにして、極東の私たちの美意識にちょっとした疑問がある。
・青い目の「歌舞伎」を見たことがあるだろうか。一方で、若い芸能タレントまでがシェイクスピアの(赤毛)芝居をありがたがる風潮がある。
・昔、N響だ、日本フィルだなどと知った振りをしたが、Youtubeを覗けば、アジア各都市に交響楽団がある。欧米人の目に、西洋楽器に没入する姿はどのように見えているのだろうか。
・学校教育で、美術の時間に日本画の時間がどれほどあったろうか。せいぜい美術史でくくった程度ではないか。同様に、音楽の時間に、和楽器(琵琶、琴、三味線、つづみ)の演奏、あるいは浄瑠璃、長唄のごときまで体験したことがあるだろうか。毎年、西洋主体の美術系・音楽系大学の卒業生が大量に出る。小中高の教職員が、彼らの受け入れ口になっている。

仏像を信仰対象というより、美術品として見る意識がある。細部を克明に撮った写真家もいた。現在の私たちは、信仰対象と美術品の間を揺れているように思うが、明治維新の廃仏毀釈で行なわれた惨状をとっくに忘れている。同じく、明治維新の結果、学校教育につながるべき江戸の絵画や音楽の血管が切られてしまったようだ。

2017年2月23日木曜日

山怪

ブログに先ほど記した「キツネにかかわる伝承の分布」の続き。

イ・ソンヒの「狐の嫁入り」(OST)をきっかけに、キツネの話をしたらきりがない。稲荷神社から童話まで、キツネにまつわる奇談、伝承がたくさんある。それに、キツネは化けるとき、タヌキがちょっと間抜けで要領が悪いのに比べて、悪賢く、エロチックであったりする。キツネの化かしには、人間を上から目線でこけにしている節がある。その分、後で痛い目に会うが。

(本ブログ関連:”狐の嫁入り”、””)

先に記した「キツネにかかわる伝承の分布」の中で、「山怪(さんかい)」(田中康弘著)について触れた。同書は、山に住む人々の<山にまつわる不思議な話や体験>が語られている。図書館で借りられるまで待とうと思っていたが、本屋で立ち読みしたらすぐに読みたくなって求めた。

(本ブログ関連:”山怪”)

「山怪」の一番最初の話「狐火があふれる地」(秋田県北部の村、マタギ発祥の地)に、なんとキツネが尻尾を振りながら光を発したのを目撃する体験が語られている。フィンランドの伝承、<キツネの尾には、雪原に触れたことから、火花を巻き上げてオーロラの明かりにする>を思わせる。

「狐火があふれる地」から(抜粋)
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ある日の夕方・・・庭先を抜けると家の裏山に向かう・・・(狐を、母親と一緒に見つける)・・・
狐は山の斜面に差しかかると、その尻尾を大きく振り出した。
「狐がぴょんと跳ぶのが凄いものなあ。そして尻尾をくるくる、くるくるって回すんだぁ。そしたらそのたびにペロペロペロペロって光るんだ。あれは見たもんでねえと分かんねぇ、見事なもんだったよ」
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キツネにかかわる伝承の分布

キツネは、日本人にとって身近な生き物で、昔話や「稲荷神社」などの伝承で知られた存在だが、欧米では狡猾な害獣として扱われているようだ。英国貴族にいたっては、スポーツ感覚でキツネ狩り(Fox hunting)を楽しんだ。

(本ブログ関連:”稲荷神社”)

欧米人にとって、てなづける対象でもないキツネたちを、日本で飼育している場所がある。東北、宮城県白石市の「宮城蔵王キツネ村」がそれだ。来日の欧米人観光客に、(キツネと親しむ)驚きと日本旅行の話題(思い出)となっている。(以前、同施設に興味・関心があって、私も一度行って見たいと思ったことがあるが・・・)

ロシアには、学術的な目的で、キツネの家畜化*を(オオカミからイヌが家畜化したのと対照して)研究している施設があるという。上記「キツネ村」は、放し飼いの観光施設といったところだろうけれど。
(*)家畜化:ナショナルジオグラフィック誌「特集:野生動物 ペットへの道」(2011年3月号)

ところで、中高年のおじさんたち中心に読まれている、<山にまつわる不思議な話や体験談を集めた>書籍「山怪(さんかい)」(田中康弘著、山と渓谷社)があり、ネットで書評をよく見かける。(図書館でも人気で、いつも貸し出し中である)

YOMIURI ONLINE(読売新聞)の記事、「日本の山には『何か』がいる! ・・・ 続く『山怪』ブーム」(2/17、伊藤譲治)は、著者とのインタビューを通じて、山での怪異を演じるキツネとタヌキの地理的分布(特性)を次のよう紹介している。
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・(著者が)日本各地を回って分かったのは、北に行けば行くほど、狐に関する話が多くなるということ。西に行くほど狐の影響が薄れる。なぜか四国はほとんどが狸の話で、狐は出てこないのだという。「山怪は、姿は確認できないが、音のみ、気配のみという場合が多い。目に見えないもの、何だか分からないものは身近なもののせいにしてきた。狐や狸は山では身近な存在だから、狐や狸のせいにしてきたのではないか」と推測。「山の怪異は、現象ではなく心象だと思う。脳内に浮かび上がる風景だと思うが、その風景を浮かび上がらせる何かが、間違いなく山にはある」と語る。
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「日本動物民俗誌」(中村禎理著、海鳴社、1987年)は、キツネの信仰の代表である「稲荷神社」の分布が東北日本に偏在していることを次のように解説している。
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・山の神に関連していえば、キツネは同じく山の神に帰属するサルと対抗するもので、稲荷神社は東北日本に多く、後者(サル)につながる日吉(日枝)神社は西南日本に多いという。
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2017年2月22日水曜日

イ・ソンヒ 5月LA・9月シドニー、ワールドツアー

イ・ソンヒは、5月米国、9月豪州のワールドツアーを計画しているという。エクスポーツニュース紙の記事「イ・ソンヒ サイド『5月LA・9月シドニーで ワールドツアー・コンサート進行』」(2/21)は、次のように報じている。(抜粋)
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・歌手イ・ソンヒがワールドツアーに出る。
・(イ・ソンヒの)所属事務所「フックエンターテインメント」サイド関係者は、21日、エクスポーツニュースに「イ・ソンヒが来る5月に米国のLA、9月にオーストラリアのシドニーでコンサートを進める。以後、他国も検討中だが、イ・ソンヒのコンディションおよび日程などを調整してみなければならない」と公式立場を明らかにした。
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ちなみに、イ・ソンヒは、昨年9月に開始した国内ツアー ”The Great Concert” を、次の通り、来月45の慶州慶山でのコンサートを以って終了する。しばらく休憩を取り、ワールドツアーに向けて準備するという。

2016-17 コンサ-ト ”The Great Concert” (9/2-4)
・ソウル09.02-04:「世宗文化会館」 ★9月4日レポート
・大邱 09.24-25:「EXCO5階コンベンションホール」
・全州 10.07-08:「韓国音(ソリ)文化の殿堂」野外音楽堂
・光州 10.22:「光州女子大学」ユニバーシアード体育館
・大田 11.05-06:「大田貿易展示館」
・釜山 11.19-20:「KBS 釜山ホール」
・仁川 12.03:「仁川 南洞体育館」
・高陽 12.17:「一山 KINTEX」第1展示場3Aホール
・昌原 12.31:「昌原コンベンションセンター(CECO)」
・水原 '17.01.21-22:「水原 室内体育館」
・議政府 '17.02.04-05:「議政府 室内体育館」
・清州 ’17.02.18-19:「清州大学 石隅文化体育館」
・慶山 ’17.03.04-05:「慶山 室内体育館」

KBS WORLD「国楽の世界へ」 春香の歌

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(2/15)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、パンソリの主人公の「春香(춘향)」や「沈清(심청)」に関連した3曲を紹介した。

始めに、パンソリ「春香歌(춘향가)」の物語と、それと異なる逸話について次のように紹介された。
・民族芸能のパンソリは、「興夫歌(흥보가)」、「沈清歌(심청가)」、「春香歌」、「赤壁歌(적벽가)」、「水宮歌(수궁가)」の五つが伝わる。歴史を素材にした「赤壁歌」以外は、伝説をまとめたもので、「春香歌」は妓生の娘の春香と御曹司の李夢龍(이몽룡)の愛の物語。春香は美しい娘、李夢龍は科挙に合格の高官として登場する。ところで、従来と一風変わった説話では、春香を不細工、李夢龍も頭の芳しくない親の財で遊び歩く暇人という。ある日、李夢龍はブランコ그네)に乗った春香を見て、両親の反対を押して結婚する。いざ結婚をしてみると、見初めたときの春香でなく違いに驚く。李夢龍は家を出て戻らず、春香は自ら命を絶つ。村人が、そんな春香の霊を慰めるため作ったのが、パンソリ<春香の物語>という。


(Daumに登録の유박사に感謝)

▼ <アニメとパンソリが融合した>作品から「余りにも不細工な春香(너무도 못생긴 춘향)」を聴く。既視感が・・・。

次に、パンソリ「春香歌」の春香の悲恋の背景、現代に置き換える想像について次のように解説された。
・パンソリ「春香歌」では、春香は美しく学問にも素養のある意志の強い人物で、李夢龍が科挙試験に去った後、後任の地方官の誘いに応じなかった。その後、李夢龍が「民情を探るために密かに地方を巡り、民をいじめる者を罰する」勅命を奉じて、わざと乞食姿で現れる。春香の母は、春香の辛い境遇を嘆き李夢龍を諌める。そんな母を春香は引き留めたが、気持ちはいかばかりだったろう。自分が死ぬ羽目になっても、乞食姿の李夢龍のため節義を守りたかったのか。妓生の娘と両班の御曹司の結婚事体、当時の常識とは合わなかった。仮に物語りが現代としたら、春香はどうなったろうか。

▼  春香の物語りが現代としたらと歌った曲「李夢龍」(プロジェクトロック)を聴く。今様の元気良さ。

最後に、「沈清歌」の主人公「沈清」の想いについて次のように紹介された。
・「春香歌」は節義、「赤壁歌」と「水宮歌」は国への忠誠、「興夫歌」は兄弟愛、「沈清歌」は親孝行を強調する。パンソリに人々の情動が自然でないことがある。最近、そんなパンソリの主人公をモダンに斟酌した曲が多い。
・「沈清」は、盲の父の目を治すため、自らを犠牲にした物語だ。父のために船に乗って去った彼女の思いは複雑だったはず。親孝行な娘だったが、なぜこんな目に合わねばならなぬのかという、恨みもあったかもしれない。そんな想いを表現した。

▼ 沈清の複雑な想いを表現した「清、海になる(청 바다가 되다)」を聴く。悲しみの海は黒く、浪は深い・・・今様で。

2017年2月21日火曜日

オーロラとキツネ

このブログでは、イ・ソンヒの歌に関わるテーマを選んでいる。九尾狐と人との縁をドラマにした劇中歌「狐の嫁入り(여우비)」を彼女が歌ったことから、キツネに関連する話題について記載している。

この寒い時期だからか、「フィンランド政府観光局公式ホームページ」の「気になる話題(人気記事)」に、「オーロラ  キツネが飛び散らせる火花?」がある。

フィンランドの北部(ラップランドなど)に住むサーミ(Sápmi)の人々の伝説に、オーロラ(極光)は「キツネが北極圏の丘を走るとき、尻尾が雪原に触れ、それが火花となって巻き上がり、夜空に光となって現れる」という。洋の東西を問わず、キツネと光(あるいは火)は馴染みやすい民間伝承のようだ(例えば、日本では「狐火」があるように・・・、そういえばブラウザに”Firefox”があったりして)。

(本ブログ関連:”狐の嫁入り”、”稲荷”)不思議な力がある。

キツネの尾が雪原に触れて、火花を巻き上げ、オーロラの明かりになるには、自然の条件も必要のようだ。余りに寒い極北の地ラップランドでは、雪は乾いてパウダー状になるという。雪を巻き上げながら、夜行性のキツネがオーロラの夜を走り回るのも合点が行く。
ところで、日本の場合は、雪に湿気があって積もることが多い。

2017年2月20日月曜日

イ・ソンヒの「離別小曲」

イ・ソンヒの12集所収の「離別小曲(이별 소곡)」(2001年、作詞クォン・ジンヨン、作曲イ・ソンヒ)は、しっとりとした抑制のきいた曲だ。先週から、彼女の別れ歌を聴いてきた。2集所収の「恋人のなみだ(연인의 눈물)」(1985年)、4集所収の「さようなら(안녕)」(1988年)、そして今日の「離別小曲」。

(本ブログ関連:”離別小曲”)

アルバムの発行年に従って、別れの場面も変わってくるようで、対象化から孤独までさまざま。初期の、のりしろの大きな別れに比べれば、年とともに味わいは深くなる・・・。この後、より大きな世界観を示すことになる、15集タイトル曲「その中であなたに出会って(그 중에 그대를 만나)」(2014年)が登場する。


生きていくことが、とても辛いです
そばにはあなたが  いたのに
あなたなしに生きるなんて、一人になるなんて
思ってみたことないのに

残った人はそれでも  生きられるという
その言葉が、さらに苦しめます
こんなに会いたいのに  忘れることができないのに
残った私には  苦しい重荷なだけです

私に待てといわれるなら  ただこう生きろといわれるなら
それはとても残酷じゃないの
あまりにも会いたいのに こんな私を置いて行かれたのですか
愛してる 待てと いっておいて

生きていくことが  つらいのです
私に残ったあなたの  名残りだけで・・・
              ______        

一生いきていっても、遂げられぬ恋なのに
なぜ私には時間をくれなかったのですか
残ったものはもうありません
戻せるのなら、以前のように一緒にできるのなら

生きていくことが  つらいのです
私に残ったあなたの  名残りだけで・・・

生きていく痛ましさ  もういいわ
わたしも 今 あなたのそばに 行きます


(Youtubeに登録のdove2727に感謝)

2017年2月19日日曜日

(雑談)調布飛行場を巡る

ぶらぶら散歩。時のままに見た通りダラダラと記す。

日曜の昼、今日が最終日の「梅まつり」を見に、北にある公園へ行こうと家を出たものの、位置が間逆の「調布飛行場」へ足を向けることにした。ほんの気紛れ、実は、真っ青な空に<飛行機雲>が走っているのが見えたからだ。それも、白く細長い雲の筋を残して天空を西へ横切っていた。

(本ブログ関連:”調布飛行場”)

調布飛行場へ行く途中にある公園のベンチでしばらく日向ぼっこする。陽射しが穏やかで、風も爽やか、余りに気持ちよくて一瞬まどろみかけた。そうもいかず、公園を貫く小川に沿って下流へ向かう。橋を渡って、隣接する別の公園に入り、小道を南に抜ける。

公園を出て少し進むと、調布飛行場の滑走路が現れる。「ドルニエ228」の3機が駐機していた。そのうち1機が目の前を北にタキシングし、滑走路に入るやすぐに南へ滑走、離陸した。その後も南の空へ機体が飛び立った。(Youtube映像で、いったん北へ離陸し、南に反転するものもあるが・・・)
日曜日に、こんなに続けてドルニエ機が離陸する様子を見たことがない。多分、時間帯によるのだろうけれど。

飛行場南側には、スポーツ競技場が何面も整備されている。競技場は広く、野球場、サッカー場、テニスコートなど多様である。野球やサッカーは主に少年(小学生くらい)たちが試合をしていた。女子(中高生くらい)サッカーの試合もあった。
(少年の試合には、母親たちが多数応援に来ていて・・・微笑ましくあり可笑しな思いがした)

調布飛行場の周遊(周辺巡り)の終盤、Uターンした道で、「味の素スタジアム」に出くわした。本格的サッカー競技場を間近に見たのは初めて。脇を通りながら巨大施設の全体を目にすることはできない。サッカー競技場がこんなに大きなものとは知らなかった。

帰り道、再び、西に飛翔する飛行機雲を見た。何だかとても懐かしい思いをした。

荒井由美(松任谷由美)の「ひこうき雲」(1973年)には、しみじみとします。

(Youtubeに登録のhigh_note Music Loungeに感謝)

2017年2月18日土曜日

suomen kieli

先週に引き続き、近隣の街の公民館で催されたフィンランド紹介のイベントに出かけた。講師は、テレビでおなじみの坂根シルック氏(東京農工大特任准教授)。話しぶりが、柔和で丁寧、温和な人柄を感じさせた。配布のプロフィールから、日本との縁が長く深いようだ。後で話題にされたことだが、日本人とフィンランド人は共に寡黙で、気質が似ているという。

以下は、わたしが関心のあった内容。その他に、地誌(地勢)、自然(四季、気象)、国民性(宗教、平和で平等意識が強い)、学制、および現在の社会的課題(社会福祉、格差)などについて語られたが・・・詳細は別の機会に記したい。

フィンランド史
「スウェーデン時代(1150年~1809年)」*、「ロシア時代(1809年~1917年)」**、「フィンランド時代(1917年12月6日~)」の3分類されるという。(実は、スウェーデン時代以前の宗教、言語について知りたかったが・・・)
   (*)1155年:スウェーデンによる北方十字軍の支配下になる
   (**)1917年:ロシア革命に乗じてロシアより独立

海に囲まれた日本人の国境感覚と違って、国家が地続きで隣接する場合、国境は川や丘の向こうにある。シルック氏の父方の故郷である「カレリア」***地方は、フィンランドとロアシア・ソ連との間で割譲が繰り返された。同地の争いを含めて、次のような戦が続く。「冬戦争(1939年~1940年:対露)」、「接続戦争(1941年~1944年:対露)」、「ラップランド戦争(1944年~1945年:対独)」
   (***)カレリア:スプートニクス(The Spotnicks)の「霧のカレリア(karelia)」(1965)を思い出す。
             (ブログ「澎湖島のニガウリ日誌」に感謝)

フィンランド語
フィンランド語は、1922年に第2母国語となったが、現在の話者は、フィンランド語:90%、スウェーデン語:5%、サーミ語:数パーセントとのこと。
   Suomi kieli : フィンランドのことば(名詞+名詞)
   suomen kieli : フィンランド語(形容詞+名詞)
フィンランド語の簡単な挨拶について、15語ほど紹介された。その中で日本人に好まれている言葉として、「kiitos」が紹介された。確かに街中で見たことがありますね。
(実は、フィンランド語の膠着語らしさについて聞いてみたかったが・・・。現在、「フィンランド語のしくみ」(吉田欣吾)を読んでいるものの、まだ Tuo on sinun kirjasi. の段階で、膠着語がどうだこうだを知るレベルで全く!無くて・・・)

フィンランド人の好み
・コーヒー
・アイスクリーム
・キャンドル(蝋燭)
ちなみに、数駅先の町にあるベーカリーに、シルック氏推奨の(フィンランド風)ライ麦パンがあるという。このパンは、まるで日本人にとって米のようなものらしい。近々食してみたい。

2017年2月17日金曜日

春一番 2017

朝からせわしく風が吹き窓を揺する。南の風だから温むはずなのに、最初にしたことはストーブに火をつけることだった。気分は、いまだ冬から脱していない。今年最初の「春一番」が吹いた。都心の気温は、9時現在で何と16℃だそうだ。

(本ブログ関連:”春一番”)

朝日新聞(デジタル)の記事「関東と北陸で春一番 各地で気温上昇、強風に注意」(2/17、10時48分」は、春一番の模様を次のように報告している。(抜粋)
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気象庁は(本日)17日、北陸と関東地方で「春一番」が吹いたと発表した。・・・関東、北陸の昨年の春一番は2月14日だった。(本日)17日午前10時までの最大瞬間風速は東京都心で18.0メートル・・・各地で気温も上昇し、東京都心や横浜市では17日午前9時現在で16度となった
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ちなみに、気象庁の「風向に関する用語」で、「春一番」について次のように解説している。(風速の基準はいかに?)
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冬から春への移行期に、初めて吹く暖かい南よりの強い風。
(備考)気象庁では立春から春分までの間に、広い範囲(地方予報区くらい)で初めて吹く、暖かく(やや)強い南よりの風としている。
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春一番」といえば、キャンディーズの「もうすぐ春ですね 恋をしてみませんか」の歌詞が浮かんでくる。春風に押し出される恋の芽吹きというものか、1975/6年の《ちょっと気取ってみませんか》と呼びかける可愛らしい歌だ。

2017年2月16日木曜日

観梅

今日の都心の最高気温は、13.7℃(12:46)だった。その頃に、「梅」の開花の様子を見たく公園に出かけた。春一番も近いという。かまえた防寒着が何となく重く感じたが、この暖かさは明日までらしい。とはいえ、陽射しはのんびり穏やかで、平日ながら人出もある。日光に温もろうという、おじさん、おばさんたちばかりだが・・・。

今年は「梅まつり」単独の開催でなく、「四季の花まつり<冬>」との併催のようで、それも18(土)、19(日)に開かれるという。だが、梅林の方はすでに9割方花開き、一部の梅花は萎れ始めている。公園併設の建物園前の広場には、それを見越してだろうか、早々に屋台テントが並んでいるのだが・・・。













梅の賑やかさに押されるように、梅林の縁にひっそりと「蝋梅」が美しい黄金色の花を咲かせている。微風のせいで薄まった、ほどよい香りがあたりに漂う。例年、観梅に合わせて蝋梅の花に近寄って、その香気を確かめている。

2017年2月15日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 島歌

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(2/8)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、島歌に関連した3曲を紹介した。

始めに、全羅道地域の島「可居島(가거도)」の歌を楽しむ「山台(산다이)」について次のように紹介された。
・三面海に囲まれた国土は島が多く、概ね3,000ほどある。西海岸と南海岸、中でも、全羅道地域に集中する。全羅道の莞島、麗水地域の清青色の海辺に、まるで田畑のように、海産物の海苔やカキの養殖場が広がる。その合間に並ぶ島々は、野に立つ山にも見える。島嶼と陸とは往来が難しく、島ならではの文化が伝承した。そのひとつに、「山台」という島民が集い歌う楽しみがある。語源は不明だが、仮面をつけて踊る「山台」遊びに由来する説もある。
・西南海岸地方の島遊びの「山台」は、主に節句や葬儀に、魚市場で行われた。子供たちが山に行って遊ぶ「山遊び山台」などへ進展した。「可居島山台」は、みなで繰り返すのではなく、一人ずつ歌うのが特徴。

▼ 可居島地域の歌「可居島山台」を聴く。可居島の生活に根ざした歌か、素朴なフレーズを次々手渡して歌う。

次に、全羅南道の「巨文島(거문도)」の「舟歌(뱃노래)」について次のように紹介された。
・人々は、昔から歌がとても好きで、仕事にも歌は欠かせなかった。農作はもちろん、漁労にも歌は必須だった。海の仕事も一人でできることは余りなく、みなで力を合わせ、呼吸を合わせるのに歌は最も適していた。櫓を漕ぐ音(歌)、網を引く声(歌)、魚を釣り揚げるとき出す声(歌)など、多様な声(歌)が伝わっている。海の男が海に対して歌う声は、力強いのが特徴。

▼ 全羅南道無形文化財の舟歌「巨文島舟歌(거문도 뱃노래)」を聴く。波頭を漕ぎ分け進む男たちが勇壮に歌うよう。

最後に、済州島民謡「ソウジェソリ(서우제소리)」について次のように紹介された。
・済州島は、石と風と女性の三つが多い「三多島」と呼ばれる。男が海で亡くなることが多く、比較的女性が多いからだろう。一方、社会活動する女性が多いという意味でもある。済州島では、女性が今も家計を管理をする場合が多い。田がなく畑仕事を中心にする。また、海の仕事で家族の生活を担った伝統がある。海女が海の中で歌った曲も伝わる。
・巫女がクッ(굿、祭祀)を行うとき歌った歌から始まり、海女が安全と裕福を祈った歌「ソウジェソリ」は、その後人々が遊ぶ時にも歌う民謡となったという。

▼ 人々が遊ぶ時にも歌う済州島の民謡「ソウジェソリ」を聴く。洗練された響きになって・・・。

2017年2月14日火曜日

イ・ソンヒの「さようなら」

恋人たちの別れを暗示する冷たいティーカップの前の二人を歌った、イ・ソンヒの2集収録の「恋人のなみだ」について、昨日のブログで触れた。その続きとして、彼女の4集収録の「さようなら(안녕)」(1988年、作詞イ・ギョンエ、作曲キム・イラン)を聴いてみたい。2集の「恋人のなみだ」から、4集の「さようなら」に至るに従い、別れの場面での女性像がはっきりしてくる気がする。

(本ブログ関連:”恋人のなみだ”、”さようなら”)

とはいえ、次のYoutube映像のイ・ソンヒときたら、まるで風呂上りのような風貌で、力強く歌う。1990年に訪れた、モントリオール室内楽団と共演した一場面で、26歳のときの頃、どこか未分化なボーイッシュな風情すらする。

(本ブログ関連:”モントリオール室内楽団”)

美し過ぎた思い出にふけりながら
あなたの寝顔を見つめて
あなたの額に口づけして
静かにささやいたわ
さようなら

ドアを、ドアを開けしなに心残りして
もう一度、あなたを見つめて
遠くから聞こえる夜明けの鐘に
静かにもう一度
さようなら

別れは、本当につらい
愛とは、ただあなた

けれど、去らねばならない私を引き止めないで
ああ、引き止めないでください
愛しています

ドアの、ドアの外に出たら、冷たい夜は明け
コートの襟を上げて、口笛吹いて
白(しら)露なのか涙なのか、私の目もとに流れ
静かにささやいたわ
さようなら

静かに、もう一度
さようなら、さようなら


(Youtubeに登録のKoreanMusicSubsに感謝)

2017年2月13日月曜日

イ・ソンヒの「恋人のなみだ」

イ・ソンヒのアルバム第2集に収録の「恋人のなみだ(연인의 눈물)」(歌詞)(1985年、作詞チョン・ウニ、作曲ナム・ククイン)は、予告なく出会い、限りなく愛を語った二人の別れを歌う。

(本ブログ関連:”恋人のなみだ”)

そのとき、目の前のティーカップを黙って見つめるだけ・・・。静かな別れの場面にティーカップはいいかもしれない。日本のペドロ&カプリシャスの「別れの朝」(1971年)もそうだったし。ガラスコップでは修羅場の跡のようで様にならない・・・。それにしても、二人がティーカップを見つめる場面は、韓国の歌によく見かける。

ここでは、イ・ソンヒの澄みわたる歌唱力に酔いしれたい。


(Youtubeに登録のdove2727に感謝)

2017年2月12日日曜日

(資料) 韓国の宗教人口 :「2015人口住宅総調査」 より

昨年(2016年)末に発表のデータだが、韓国統計庁の報道資料(プレスリリース)「2015人口住宅総調査の標本集計結果(人口、世帯、住宅基本特性項目)」(2016年12月19日)の中で、<1995年から10年周期で実施調査である>宗教分野について、(2015年の10年前の2005年と比べて)無宗教と答えた人の割合が初めて半数を超え仏教が2位に落ちプロテスタントが1位にのし上がったと報告された。

今回の2015年調査は、2005年までの全数調査に対して、<宗教分野>の調査は次のような標本/直接調査の2種で構成されている。
・インターネット調査 : 2015年10月24日~10月31日(8日間)
・本調査(訪問面接調査): 2015年11月1日~11月15日(15日間)

苦難の歴史的背景を持ち、檀家制度のない韓国仏教は独特な位置にある。また、キリスト教人口は日本と比べて極端に多い。特にプロテスタントについては、韓国特有の宗教ベースの事情が語られることがある。
ちなみに、イ・ソンヒ(家族)と仏教の深い関係については、本ブログで何度も触れている。

(本ブログ関連:韓国の”宗教人口”、”仏教宗派”)

朝鮮日報(日本語版)「韓国の信徒数1位はプロテスタント19.7%、無宗教は56%」(2016年12月30日、金翰秀(キム・ハンス宗教専門記者 , ソン・ジンソク記者)は、次のように報じている。(改行随時、抜粋)
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 10年に1度ずつ統計庁が実施する宗教分布調査で、2015年の信徒数が最も多かった宗教団体はプロテスタントであることが分かった。(2016年12月)19日に統計庁が発表した「2015人口住宅総調査」によると、
・韓国国民のうち宗教に入っている国民は43.9%入っていない国民(無宗教)は56.1%だった。1995年から10年周期で実施された同調査で無宗教と答えた人の割合が初めて半数を超えた。全回答者のうち、
プロテスタントを信じる人が19.7%(967万人)で、
仏教を信じる人が15.5%(761万人)だった。
カトリックは7.9%(389万人)だった。
宗教に入っていると答えた国民の実に98.3%がこの3団体の一つに属していることが分かった。円仏教、儒教、天道教などがこれに続いた。

 注目すべきことは、1995年と2005年の調査で
・常に1位を守ってきた仏教が2位に落ちて、
・これまで2位だったプロテスタントが1位にのし上がったことだ。
仏教は全回答者のうち1995年に23.2%、2005年に22.8%と、95年に19.4%、05年に18.2%だったプロテスタントよりも信徒数が多かったが、今回の調査で順位が入れ替わった。

 無宗教と答えた人の割合は、若者の間で高かった。20代は64.9%10代は62%が無宗教と回答したが、年齢の高まりとともに宗教に入っている人の割合が高まり、60代は57.7%70代以上は58.2%が宗教に入っていると答えた。地域別には、慶尚道は仏教全羅道はプロテスタントの信徒が相対的に多かった。

 今回の調査をめぐり、信頼性に問題があるとの指摘もある。最近はどの宗教団体であろうが、信徒数が減少する傾向にあるという点では同意するものの、わずか10年で仏教信徒とカトリック信徒の減少幅が非常に大きくなったのに対しプロテスタントだけが特に増加したという点は、一般の感覚とは開きがあるというのだ

(2)
 また今年は統計調査の方法が変更された点を問題として指摘する人もいる。5年周期で実施される人口住宅総調査(宗教は10年ごとに調査)は、2010年までは「全数調査」だったが、15年の調査では宗教分布の場合、「標本調査」に変更された。宗教分布の調査標本は1000万人だった。直接訪問が51.4%、ネット上のアンケートが48.6%だった

 こうした(統計調査)方法について、
(仏教の)曹渓宗の関係者は「インターネットに慣れていない高齢者信徒が多い仏教の立場からすれば、こうした調査方法は不合理と思われる。・・・
カトリック司教会の関係者も「カトリックは毎年末司教会のレベルで全国の信徒数を厳密に調査しているが、・・・統計庁の数値(389万人)との開きが大き過ぎる」と話す。
プロテスタント界の世論調査統計の専門家・・・は「プロテスタントの信徒が他の宗教団体の信徒に比べて宗教的なアイデンティティーがより強かったため、積極的に回答したものと思われる」とコメントした。

 このような指摘について、統計庁の関係者は「通常2万-3万人の標本でも国家統計を作成することを思えば、(今回の宗教調査は)標本が1000万人に上る大規模な調査であるだけに正確と判断できるほか、統計的にも全く問題がない」と説明している。
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(参考)「仏教新聞」は仏教徒人口の割合の減少について警鐘している。

2017年2月11日土曜日

カンテレ

今日は祝日「建国記念の日」、土曜日に重なって勿体無い思いをした人もいるかもしれない。わたしは、いつでもOKだが。朝から日当たりもよく、寒さを気にならなかったものの、都心の最高気温は、10.1℃と暖かくもなかった。10℃は微妙な境界のようだ。

(本ブログ関連:”建国記念の日”)

近隣の公民館で、フィンランドを知るイベントがあって、3回に分けて、①民俗楽器の演奏、②歴史・文化と言語の紹介、さらに ③料理作りまであるというので申し込んでみた。少し早めに出かけて、公民館の横にある文化財センターで歴史資料を見学。名勝の桜についての絵巻冊子を入手。貴重な古文書や絵葉書の写真が満載。

さて、フィンランドを知るイベントの第1回は、フィンランド民族撥弦楽器「カンテレkantele)」について、北海道在住の音楽家あらひろこ氏が、その起源をフィンランド民族叙事詩「カレワラ」に描写の部分を朗読・解説して、実際に演奏された。カンテレは、木製の底の空いた胴に5弦が張られたものが基本形で、小型ながら美しく共鳴する。カンテレを複数台用意していただき、参加者全員に順に触らせ、簡単な演奏を試させてくれた。演奏を聴き、楽器にチャレンジするという、貴重な経験をしたことになる。感謝。

カンテレ演奏の真似ごとをした曲は、「Rykälinnun laulu(鳥の歌)」で、白樺林の奥でゆったりと鳴く鳥のような指使いになったが、ネットで確認したところ、結構早いテンポで演奏していた。もしかしたら、ぴょんぴょん飛び回る小鳥のさえずりといったところだろうか。素人演奏は指が追いつかない。

次回は、フィンランドの歴史・文化と言語の紹介で、テレビで拝見したことのある坂根シルック氏(東京農工大特任准教授)のお話しという。実は、今日の最初に挨拶があり、日本語とフィンランド語、ハンガリー語との縁(膠着語)について語られたりした。

2017年2月10日金曜日

雪降り

訪問先から外に出ると、どんより空の下、雪が舞っていた。まるで行方の定まらぬ花吹雪のよう、風に任せてあちこちへ散った。地面に積もるほどでもない。東京の雪は、今シーズンで5回目だそうだ。

子どもは雪が大好きだ。初めての雪にはしゃぐさまに、懐かしい驚きと興奮を呼び覚ませてれる。そんな純粋な振る舞いの数々を、Youtubeで見ることができる。よちよち歩きの幼子が、ふっくら積もった雪に、ころり転ぶのに笑ってしまう。

帰り道にも、楽しい場面に遭遇した。ある医院から母親に付いて出てきた小学生の男の子が、空からの雪によろこび、口を大きく開けて感蝕を確かめようとしていた。はたして満足できるほど口に入ったのか。母親は、それをたしなめるでなく、帰りの自転車の準備に忙しそう。

また、小学校の脇道を、傘を広げた低学年のランドセルが横並びしてふさいでいた。雪降りが止んだといっては大騒ぎ、小降りになったといっては傘を振り回す。集団を通り抜けた背後から、「雪だ!」、「雪だ!」と言い合っているのが聞こえてきた。一体、真っ直ぐ家に帰る気はあるのだろうか。

2017年2月9日木曜日

童謡「たきび」

昔は、家の庭で焚き火をしたりした。あるときは庭の落ち葉を掻き集めて山盛りし、焚き火と一緒に焼き芋を作った。また、あるときは庭に穴を掘って、家庭の可燃ゴミを燃やしたこともある。子どもにとって日常のひとこまだった。

それが今では、発ガン物質が出るとかで、屋外で物を燃やすことは禁じられている。まして路上で、子どもがすれば、火遊びと誤解されかねない。当たり前だったことが、当り前でなくなった。

童謡「たきび」(1941年、作詞巽聖歌、作曲渡辺茂)は、日常の歌だった。歌詞にある<しもやけ(霜焼け)>もなつかしい。冬の寒さに冷えて炎症した手足の指先が無性に痒くなる、特にこどもは。しもやけは普通なことと思っていた。

何よりなつかしいのは、焚き火の<炎>だろう。子どものやることだから、燃え上がるような真似はしない。炎が小さく揺れる程度だったが、まわりを囲む子どもたちの顔がやがて赤らみ暖まる。まるで仲良しの印のようだった。


(Youtubeに登録のf3113663eeeに感謝)

2017年2月8日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 立春

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(2/1)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、「立春(입춘)」に関連した3曲を紹介した。

始めに、陰暦の昔に、太陽の動きに合わせた「二十四節気」の登場について次のように紹介された。
・昔の暦は、現在の「陽暦」と違って、「陰暦」を使った。太陽でなく、月の動きを基準にした、一年十二月を見図った。それなり長所はあったが、太陽の動きに合わせて種撒きし、刈り取りする農作業で、適切な時期に合わせるのが難しかった。その短所を補ったのが「二十四節気」だ。一年を24等分し、四季を予測できるようにした。二十四節気は、春の「立春」に始まる(今年は陽暦の2/4)。長い冬もそろそろ終わりに近づいた。

ビバルディ「四季」から、第1楽章「春」を撥弦楽器の伽耶琴(カヤグム、가야금)演奏で聴く。ツィターを想わせる。

次に、立春を一年の始まりとして、「立春大吉」の札を門に貼り付ける風習について次のように紹介された。
・昔の冬は、今より寒いものだった。現代のような暖房設備もなく、良い素材の服もなかった。人々は、全身で寒さに打ち勝たねばならなかった。食糧は十分でなく、心も荒れただろう。そんな中でも、やがて春が訪れると思えば、嬉しかっただろう。春に種を撒き、その後穀物を収穫できるからだ。立春は、一年の始め、まさに春の始まりを知らせる日でもあった。今年の干支は酉。韓国では、立春に一年が始まる。この時、「立春大吉」の札を門に貼り付ける風習がある。文字を書けない人も能筆者に頼み貼り付けた。また、立春に、巫女が捧げる儀式より、札を貼る方が効能あるという。その年に悪災があれば、立春の札がまずかったという。他の風習が消えても、今だに立春に札を貼り付ける人が多い。

▼ 演奏「Spring Dance」(그림)を聴く。なんだか、観光招致のような明るくて元気な春・・・今様で。

最後に、立春に新鮮な野菜料理をしたり、豊作の占いをする風習について次のように紹介された。
・立春に、昔の宮中では「五辛飯(오신반)」*を食べた。野菜をからしで和えた料理だ。冬に新鮮な野菜が乏しく、ビタミンを補うためのもの。一般は、雪下に生える青菜を和えた「細生菜(세생채)」を食べた。今年の立春(2/4)に食べたい。
(*)五辛飯:「韓国民族文化大百科事典」によれば、「東国歳時記」(1849年)の頃にすでに定着したと推測される。
・また、五穀の種を窯で炒め、最も先に飛び出た穀物が豊作という風習もある。この占いを迷信とするより、昔の人々がそれだけ豊作を切に願ったことに心を寄せたい。

▼ 竹笛の短簫(タンソ、단소)などの演奏、「哨所の春(초소의 봄)」(1965年)を聴く。今様の軽快さ。