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2014年1月23日木曜日

寒気の緩む気配して

最近、寒気の緩む気配がする。三寒四温には早過ぎるが、いっときでも春が近いと思わせてくれるのはありがたい。強張っていた体が、合わせるようにほぐれていくのを感じる。

春になれば、木々が幹中の水を走らせて若芽を膨らませるように、人の体も血流を巡らせるだろう。若ければ躍動に、年とればそれなりに元気につながる。おじさんは、ようやく背筋が伸びるというもの。

ところで人体を車に例えると、経年の痛みはあちこちキズや錆となって見つかる。よくぞ大きなトラブルもなく動いてくれたと思う。心臓は一時も休みなく脈打ち続けたのだから。人工物なら、そうはうまくいかない。随時の修理と定期的な部品交換が必要だ。生命体は丈夫だ、柔軟に内部から身を移し変えるのだから。

時として思うことがある。<セミ>は地中で幼虫に成長するのに「17年(アブラゼミは6年)」、地上に出て成虫として活動するのに「1-2週間(実際は、1ヶ月ほど)」という命であるが、彼らは一生をどう思っているのだろう。
そう、地中の孤独な時間だって、結構充実していたんじゃないだろうか・・・と。<セミ>にとって、人生の晴舞台は、もしかしたら地上に上がる時だったのかもしれないってね。

ぱあーっと明るく広がる直前は、何にも増して楽しい。

2014年1月22日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 長丞(チャンスン)

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(1/15)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第39回として、日本の道祖神にも似た「長丞*(チャンスン、장승)」にまつわる話を紹介した。

    (*)長丞: 別名「将軍標」、近くでは高麗駅および高麗神社で二柱の境界標を見る。

まず始めに、長丞の姿と役割について次のような紹介から始まった。
・長丞は、手足もなく、ぶっきらぼうに突き立ち、顔だけギョロッと飛び出た目玉と、平べったい団子っ鼻が刻まれている。犬歯を突き出し、泣き笑いか分からない奇怪な表情だ。
・昔は村の入口に男女対の長丞が立ち、男の長丞は「天下大将軍」、女の長丞は「地下女将軍」の文字が体に刻まれ、村を守る役割をした。長丞の表情を滑稽・奇怪というが、見る人の心の投影かもしれない。訪れた人物が善良な場合はこれを歓迎し、悪徳な場合は足止めさせ戻るよう祈願して作られた。

▼ 「赤壁歌(적벽가)」*の中から「長丞打令(장승타령)」を聴く。敗走の曹操(조조)が長丞を押し倒したそうだが・・・

    (*)赤壁歌: 「韓国人の情緒に合わせて創作または修正された部分も多い」(Ko-wikipedia

この歌では、同じ木から生まれても、長丞となった不遇の身を嘆く。とはいえ、長丞は道端に立ち道標の役割も果たした。

▼ 「ピョン・ガンスェ(변강쇠)打令(타령)」を聴く。ピョン・ガンスェが長丞を薪にしてしまう・・・この歌でも、長丞はその身を嘆くとか。そこに、「横負歌」とかイロイロ情報が耳に入って・・・。ところで、歌声は読経の如し。

次に、長丞の起源や地域性について次のように解説された。
・長丞の起源や由縁について、確かなことは不明だが、古代の性器崇拝信仰や、民間信仰のひとつの「ソンドル(선돌/입석, 立石)」、「ソッテ(솟대)」の風習からという見方が有力のようだ。また、トッケビ도깨비)という鬼顔や、土俗的な仮面のイメージにつながるという考え方もある。
・長丞は、地域によって素材や顔の形が少しずつ違う。①湖南(ホナム:全羅南道と全羅北道の総称)や嶺南(ヨンナム:慶尚南道と慶尚北道の総称)の南道地方では石像が多く、平たく丸みを帯びた南方系の顔。②京畿道や忠清道地方では主に木像で、顔が長く目が切れ長で、鼻も長い北方系の顔。狭い国土の中、多様な文化が混じり合い発展したことを、長丞の顔つきからも推測できる。また、③済州島では、「トルハルバン(돌하르방)」と言われる石像が、長丞の役割を担った。このトルハルバンは本土の長丞の奇怪な姿と異なり、自愛に満ちた表情で、島に来る人々を迎える。

▼ 済州民謡「シナウェギソリ(신아외기소리)」を聴く。労働歌ながら子どもにも馴染みやすい歌で、今様編曲ながら楽しい。

2014年1月21日火曜日

40代、新しい文化消費の主役に

イ・ソンヒは、「旧暦」1964年11月11日生まれで「数え年」では50代とされるが、「新暦」に照らしてみると12月14日生まれのため、「満年齢」では現在49歳の40代である。
e-todayの記事「40代、大衆文化に応答する  少年の感性持った‘新世代中年’、新しい文化消費の主役に」(1/14、チェ・ドゥソン記者)は、韓国の40代が新しい文化消費の主役にという次のような紹介がある。(抜粋)

消費において新しい傾向であるが、流行の中身は復古調というのが特徴なのかもしれない。

ところで、若年と高年世代との狭間にある40代は、社会的に<現在の40代が、以前のような「安定的な階層」から「不安定な階層」に転落したという現実がある>という厳しい見方も他方にある。

(本ブログ関連:”40代”)
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・40代が大衆文化消費の中心層に浮び上がった。歌謡、映画、ドラマなどに復古熱風が激しい。 tvNドラマ「応答せよ1994」は文化産業全般的に大きい成功を収めたし、映画、公演界全般には初恋の思い出が主な素材として位置づけて1990年代を呼び戻している。

・昨年唯一の1000万観客映画「7号室のプレゼント」のリュ・スンニョンを始め、「雪国列車」のソン・ガンホ、「監視者たち」のソル・ギョング、「新世界」のファン・ジョンミン、イ・ジョンジェ、「かくれんぼ」のソン・ヒョンジュなど40代男性俳優の映画は、40代観客の好評に力づけられて全て興行に成功した。

・映画専門サイトのマックス・ムービー映画研究所発表は、2013年映画前売り観客分布資料によれは映画館客のうち、10代3.5%、20代24.2%30代40.5%40代24.9%、50代以上が6.9%を占め・・・「40代観客増加は、映画館客2億人突破を説明できる最も大きいキーワードだ。40代は家族単位観客でチケット購買量が20代より1~2枚さらに多い」と分析した。

・放送界では・・・やはり40代男性視聴者の共感を形成して新しい文化トレンドとして位置を確立した。

・大衆音楽界も同じだ。昨年「ハロー」を歌ったチョー・ヨンピルの突風の後にも40代ファンの「賓客(ひんきゃく)」があった。10年ぶりアルバムは40~50代消費者をレコード売り場とコンサート場に呼び入れ・・・20万枚の高い販売高を記録した。関係者は、40~50代が最もたくさん訪れたと説明する。

・キム・ナンド ソウル大教授は、最近発刊の「トレンド コリア2014」を通じて、「以前の中年世代のライフ・スタイルと決別を宣言した、新世代中年男性たちが文化の中心にある新しい40代は少年のような感性を持った『おとな子ども』たちだこれらは、既に社会的に強制された男性的イメージから抜け出して、美容・余暇・文化など多様な方面で消費の主役として位置を確立している」と40代の新しい文化消費主役での浮上を説明した。
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2014年1月20日月曜日

大寒2014 (冬哀傷)

今日は二十四節気最後の節気「大寒」である。次は二十四節気の最初に戻り、「立春」(2/4)となる。大寒は最も寒い時期といわれるが、ようやく一年の季節が一区切りされ、最終章を迎えたと考える方が先立つ。立春まで、ひと我慢である。

夕方の5時頃には陽が暮れて、一日が短くせわしく感じられたが、最近は5時過ぎでも薄明かりして余裕が出てきた感がある。夏のように、午後7時を過ぎても昼間の余韻が残っているのが理想だ。それなら、「白夜」なんか最高だろう・・・と思っても、その反対に「極夜」があって、うまい具合に我がまま通りにならない。地球が地軸を傾けて公転しているからだ。

寒い夜には、熱いラーメンがうまい。といっても、最近、夜食がきつくなってきた・・・。
ともあれ、ラーメンができあがるまでの時間に作詞したという逸話がある、5集所収の名曲「冬哀傷(겨울 애상)」(作詞:キム・ヨイル作曲:ソン・シヒョン、1989年)を聴いてみよう。まるで、氷世界が共振するような、透明感あふれる旋律も素晴らしい。そして、イ・ソンヒの安定感ある歌に聞き惚れる。

(本ブログ関連:”イ・ソンヒの「冬哀傷」を作詞した場面”、”冬哀傷”)


星明かりに澄み映える  私の悲しい顔よ
雁が鳴きながら  飛び去る  空を  見る

懐かしさ雪のように積もり  丘を転がり超えて
青い月明かり  降り注ぐ  私の空っぽの  庭に

風は木の葉を 吹きたてて  消えたが
なぜ痛く懐かしい小船は  私の胸に浮かんでいるのか

消すことが  できないのか
冬になるとよみがえる姿

青く冷たい  私の愛
凍ってしまった悲しい後姿

風は木の葉を 吹きたてて  消えたが
なぜ痛く懐かしい小船は  私の胸に浮かんでいるのか

消すことが  できないのか
冬になるとよみがえる姿

青く冷たい  私の愛
凍ってしまった悲しい後姿
凍ってしまった悲しい後姿

(Youtubeに登録のksj25374110に感謝)

2014年1月19日日曜日

数え年と満年齢

イ・ソンヒの年齢を数えるのに、「旧暦」と「新暦」、および「数え年」と「満年齢」の組み合わせで、毎回頭の中が交通整理で大変だ。
韓国では日常、誕生日を「旧暦」で、年齢を「数え年」で数えるようだ。(70年代初頭までは、旧暦の誕生日を祝ったそうだ。また現在、満年齢表記する場合、その旨「満歳(만 나이)」と注記するようだ)

イ・ソンヒの誕生日
・旧暦: 1964年11月11日
・新暦: 1964年12月14日 ← 彼女の公式ホームページでは、こちらで祝っている。(

イ・ソンヒの年齢
・「数え年」の場合
 - 誕生した年を1歳とし、翌年の新暦元旦を以って1歳ずつ加算する。
 - 誕生した1964年が1歳、今年2014年に51歳となる。 ← 韓国マスコミは昨年、彼女を50代とした。
・「満年齢」の場合
 - 新暦1964年12月14日に0歳で誕生、今年2014年12月14日までは49歳、まだ40代である。


そんなわけで、過去ブログで、年齢計算の仕方を間違えたところがある?・・・なら修正しなくちゃ。

2014年1月18日土曜日

イ・ソンヒの「思い出のページをめくれば」

イ・ソンヒの成熟を象徴する意味で、彼女の分岐点ともなった作品である、6集所収の「思い出のページをめくれば(추억의 책장을 넘기면)」(1990年、作詞・作曲ソン・シヒョン)は、彼女が述懐するように、一方で「ファンはほとんど期待もしなかった歌をもっと好きだった」、まさにその曲でもあった。音楽において、彼女は常に幸運に恵まれた歌手だ。

(本ブログ関連;”(資料)イ・ソンヒのスター・ストーリー「1.余裕のアピール力を持った歌手」”)
(本ブログ関連;”(資料)イ・ソンヒのスター・ストーリー「8.夜の舞台時代の警備員の話」”)
(本ブログ関連;”「思い出のページをめくれば」”)


ゆらぐる思い出のページをめくれば
ああ、遂に果たせなかった悔しさと侘しい贖罪が

むかしのことのように、ぼんやりとかすむ窓枠の塵(ちり)のように
ああ、胸に積もるよ、今は遠ざかったあなたの微笑みのように

雨風がなくても春は来て夏は行く
ああ、あなたよ・・・涙がなくても、花は咲き葉はやがて散る

ああ、わたしに残った懐かしい歳月を浮かべて、眠りにつくよ、夢を見るよ・・・


(Youtubeに登録のJzongwに感謝)

2014年1月17日金曜日

冬の土用

冬にも「土用」がある。Wikipediaの土用の説明に「四立(立夏・立秋・立冬・立春)の直前約18日間ずつ」があって、今日(1/17)の「冬の土用の入り」から「立春」(2/4)の前日2月3日までを指している。夏の土用は暑気払いとして鰻を食うが、冬の土用の場合、一体何を食うのだろうか。

スーパーやコンビニの商品棚には、気早く2月3日の「節分」に撒く豆や恵方巻(こちらはサンプルだが)、2月14日の「バレンタインデー」のチョコレート(手造り用の材料として)が並んでいる。

ちょっと残念なのは、この地に土着の風物が足りないことだ。遠の昔に農作業は消えてしまい、人々の営み中に季節を知ることはできない。流通の商品棚や通信の画面(テレビやインターネット)の中でしか感じられない。

寒暖以外に、自然の息吹を、生活に溶け込んだ伝統の行事や祭事を通じて気付きたいものだ。

(追記)
今日は、「阪神・淡路大震災」(1995年1月17日)から数えて19年目にあたる。関東の住人にとって、果たして、「東日本大震災」(2011年3月11日)を経験しなかったら、関西のひとびとの恐怖を想い描くことがどれくらいできたろうか。6年の間に東西で発生したこれらの震災は、わたしたちの心の中に自然に対してだけでなく、人との絆の意味をあらためて思い知らせた。

2014年1月16日木曜日

冬さまざま

昨日ほどではないというが、今日だってだいぶ寒い。外出には、コートの襟首まで閉じるほどだ。こんな寒中、赤ん坊をコートに包(くる)んで母子一体となった買い物姿を見ると、母性の逞しさを感じる。そして口の中で、頑張れとつぶやいてしまう。(赤ん坊は、いずれそんな覚えはないだろうけれど、あなたのお母さんは立派だよ!)

そういえば、今年から毎日一枚ずつ剥がす日めくりカレンダーが加わった。これが結構手間がかかり、気付けば昨日のママ、何てことを繰り返している。ひと月たって、ああ時の流れの速い事よと諦観してみせるが、日めくりだと毎日追われ、今年の時間が加速したような気がする。いずれ時間に追いつけなくなるときが・・・。

昨年の成人の日は1月14日で、まさかの大雪だった。今年の冬は一昨日~昨日に降雪の気配があったが、予報の通り積もることはなかった。近在のスーパーは、プラスティック製の雪かきスコップを陳列している。オレンジ色のでっかいものだ。買った方が良いのだろうか・・・といっても、数年に1回くらいしか使うこともない。どうしようか。

冬でも石採りに行きたいが、寒いのはつらい。歳とともに、ますます厳しく感じる。といいながら、今年最初の採集地は錫高野を予定している。ここでは以前、積雪が残った沢で採集していたとき、吹き降りる沢風にビニールの雨合羽でも耐えられず、熱燗缶の日本酒で寒さをしのいだことがある・・・でも、全然温まらないのに酔いだけが廻るのだ。そして、さめた後の悲惨さといったら。

早く冬が終わらないかな。

2014年1月15日水曜日

(資料)イ・ソンヒのスター・ストーリー「10.それが歌なの 発声練習では」

先日(2013/9/27)、「スポーツ韓国」の紙面(1991年3月8日~4月5日)に連載された「イ・ソンヒ27歳当時のスター・ストーリー」記事の目次を紹介したが、その第10回目をここに載せたい。感謝。

イ・ソンヒの、ヒットの数々とトラブル、慈善活動、海外とのかかわり(マイケル・ジャクソン、レスリー・チャン)、ファンクラブ誌(ニンジン)などを知ることができた。

(本ブログ関連:”(資料)イ・ソンヒ(27歳当時)の「スター・ストーリー」”、”資料:이선희 Profile”)

[10] それが歌なの 発声練習では
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・1985年11月、私の2集アルバムが出た。タイトル曲は「秋の風」。

・ところで、この歌が盛んに電波に乗っている頃、盗作の是非にまきこまれて、すぐさま放送停止にあってしまった。公演倫理委員会が立てた理由は、キム・ヨンジャさんが1983年発表した「愛の迷路」中の「あぁ、私たちの愛のロウソクの灯り/消えて道に迷ったね」の部分をそのまま盗作したというのだ。私が作曲した歌でなく、何か抗弁する立場ではなかったが、ちょっとくやしかった。メロディが全く同じならばともかく.・・・結局、私は「秋の風」を再録音しなければならなかった。それでも若干惜しくなかったのは、「ケンチャナ(大丈夫)」が「秋の風」に劣らずヒットしたという事実だ。慰めはなった。

・3集の「分かりたいです」を準備しながら、私は最初のリサイタルを持った。それが1986年7月26日、 収益金は全額「恵まれない学生家長*助け合い」募金に出した。奨学金形式で渡されたお金の中には、新光女子中と祥明女子高の後輩に与えられたのもある。最初の数回は、学校に直接訪ねて行って、奨学金を学校に寄託したが、そのたびに校長先生が学生たちに紹介してほめるお言葉がなぜか過分で照れくさくて、この頃は人伝に学校に送っている。

    (*)学生家長: 家長の役割を合わせ持つ学生 (本ブログ関連:”学生家長”)

・当時は、「学生家長」という概念さえ曖昧な時だったので、私は「有名税」を利用したいわゆる、「マスコミ・プレー」をよくした。広告費はとても高くて、また往来にポスター貼りは不法で・・・したがって、私は放送に出演するたびに、私の慈善公演日程を大々的に「広報」したりした。

・実際にチャリティー・コンサートを準備しながら、後悔(?)もたくさんある。準備期間が3ヶ月ほどかかるからだ。普通のファンは、TVに映らなければ「あの子、もう終わった」といいながら速断することが常なので、コンサート準備期間中には、かなり大きい打撃を甘受しなければならないのだ。

・とにかく、困難を訴える学生家長の手紙を知らない振りすることもできなくて、収益金を狙った(?)慈善公演を今まで40回余り行った。手に余っても、引き続き強行しようとしている。

3集では「分かりたいです」が最も多い愛を受けた(人気があった)曲だ。1987年4月の一ヶ月間、放送回数107回を記録したので、いつでもどこででも聞こえる歌だったと言える。「やはり」タイトル曲でないこの歌が大ヒットした原因は、ヤン・インジャ先生*の歌詞のためのようだ。「忙しい時、電話しても私の声うれしいんですか」などの歌詞は、女性心理を見抜いたという評を聞いて、それゆえに男性ファンからは「男に疲れさせる(重い)歌」という愚痴も聞こえてきた。

    (*)本ブログ関連:”ヤン・インジャ

時折、私に向かって「それが歌か、発声練習では」と厳しく批判する人もいる。認める。私の歌が主に高音域中心であるから

それで、6集「思い出のページをめくれば」では、トーンをかなり低く下げた。偏狭な考えかも知れないが、6集くらいで満足できなければ、私は致し方ない。世の中のすべての人を満足させる能力は私にはないので。

私はそれなりに情熱と誠意を尽くして歌う。全身に力を集中して「熱唱」する数年・・・いつのまにか私の手の平にはタコができた。私も知らない新しいマイクを握った掌中に力が入っていたようだ。

私の名前の前に「歌手」という接頭辞がつき始めて以来、私は実に多くの仕事を経験した。

日刊スポーツのゴールデン・ディスク賞5連覇*をはじめとして、歌謡と関連した賞ほぼ一度ずつは全て取ってみた。そして望んだだけファンから愛も受けている。今でもファンレターと一緒に熊のぬいぐるみなど様々なプレゼントの包が、1年なら小型トラック2台分位ずつ家に舞い込む。

    (*)ゴールデン・ディスク賞5連続受賞、1990年12月9日(イ・ソンヒ公式ホームページより

外国にも何度も出かけたし、私の歌が香港映画「野生の花」*の主題歌で歌われることもあった。 また、つぎつぎ翻案して歌った外国の歌手もかなり多くて、誰が誰なのか確かに分からないほどだ。

    (*)香港映画「野生の花」・・・未確認

あの有名なマイケル・ジャクソンも、私とともにデュエット・アルバムを吹き込もうと申し入れて来たりした。ところで問題は「踊り」だった。レコードと同時に、ミュージックビデオまで作るつもりだったジャクソンは、テープに録音された「私はいつもにあなたを」など数曲を聞いてみて極めて満足したのか、私自身の振りつけ担当まで付けてやると米国に来ないかなど、積極性を見せたが私は断った。理由は、ただ一つ。 自尊心(プライド)が傷つけられたためだ。

「時価いくらの世界的なスターでも、私に2年も踊りを習えだって? フン、素晴らしいね、このひとは。 私、そんなに暇な女ではないね」

香港の歌手、張國榮(レスリー・チャン)とも共に舞台に立ったことがある。彼のステージ・マナーは本当に良かった。かなり多くの曲を歌ったが、そのうちの二曲だけがライブであった。放送でもないコンサートなのに・・・それは香港式、いや英国式なのか?

「張國榮」といえば思い浮かぶ気が乗らない記憶一つがある。彼は若くも老いもない女性を自分の母親と紹介したが、その女性は私が張國榮と話すたびにとても気遣う様子だった。「チェッ」誰が自分の息子、なんという大儺(鬼払い)。*

    (*)世間で言われるような関係はなかったのだろうか

ところで後ほど分かってみれば、彼女がまさに張國榮の隠した「スポンサー」とか。だが確認する方法はない。

ファンが声援してくださることにはいつも感謝するが、できるならあまり興奮はしないようにされたら良いだろう。特にコンサート現場では。

1987年の冬、63ビルディングで公演を持った時、女子学生4人が気絶したことがある。病院に移す途中、靴までなくしたそのうちのある少女に私の履き物を履かせてあげて、私はスリッパ姿で帰宅したりした。弱り目にたたり目で、その日、汝矣島(ヨイド)広場ではある政党の群衆(大衆)集会があったので、そこでケガした人々に、私のコンサートで過度に興奮した少女4人まで加勢して、近所の病院は時ならぬ好況(?)を向かえ、汝矣島一帯の交通はしばらくの間麻痺したようなものだった。

熱狂ファンに自ら少しでも誠意の表示をするという気持ちで始めたのが、1年に四回ずつ直接お送りするファンクラブ誌「ニンジン」である。ファンクラブの会員数が1万5千人ほどだから、一度発送するには、それこそ私の周辺には「大騒ぎ」がある。

「ニンジン」の内容は、「イ・ソンヒは、その間何をしながら過ごしたか」が主流をなしてファンたちの各種「称賛」と「抗議」、そして「悩みの相談」も多く入っている。 懸賞クイズもある。「イ・ソンヒ姉さんが一番明るく笑う時は、歯が最大限でいくつ見えでしょうか?」
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2014年1月14日火曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 北斗七星

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(1/8)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第38回として、「北斗七星(북두칠성)」にまつわる話を紹介した。

まず、夜空の星々と北斗七星の歌について、次のような紹介から始まった。
・韓国のことわざに、とても不可能の意を表す、「空の星を取る(하늘의 별 따기)」がある。確かに、星を手にすることは難しく、現代の都心では、星さえ忘れて暮らしている。昔の人々は、きらめく夜空を見上げて様々な思いをはせ、星々に特別な力があると考えた。
・朝鮮時代の女性歌曲(여창가곡)にも、北斗七星(평롱)が登場する。「北斗七星、一つ、二つ、三つ、四つ、五つ、六つ、七つの星たちよ、私の願いを聞いてください。恋しいあの方がいらっしゃったから、この夜がどうか、ゆっくりと明けるようにしておくれ」。

▼ 界面調(계면조) 平弄(평롱)「北斗七星(북두칠성)」を聴く。星の輝きする・・・今様に編曲したのか?

次に、北斗七星に寄せる思いの強い歴史的、文化的なかかわりについて次のように解説した。
・北斗七星は、ひしゃく形をして明るく光るため、簡単に見つかる。西洋では神話に登場するが、韓国でも、先史時代の支石墓(コインドル、고인돌)に、北斗七星が刻まれている。また高句麗時代の墓の壁画に北斗七星が描かれている。
・空に東西南北の四方位を守る神がいて、北斗は北の空を司る神の意がある。さらに空を神と見立てて、北はその喉と舌に当たり、北斗七星は、空それ自体を象徴すると捉えられた。
・古く、空は人の運命をも左右する力を持つとされ、北斗七星は人間の生き方、寿命、幸福、災いなどと関連すると神格化された。(一)母親は、家族の健康と和平を祈るため、甕の上に水を汲んで、北斗七星に祈りをささげた。(二)(シャーマンの)巫堂(ムーダン、무당)によるクッ(굿)のお払いの際、北斗七星を祀ることが多かった。さらに、(三)寺院には、釈迦を祭った本堂とは別に、七星閣(チルソンガク、칠성각)という小さな建物がある。仏教が根付く過程で、深く信じられた北斗七星信仰をたくみに習合した。

▼ 済州(島)の七頭堂クッ(칠머리당굿)中の「七星本プリ(칠성 본풀이)」を聴く。淡々と語りつぐ・・・七にこだわり、ヘビ信仰と?(「本プリ」とは、クッを受ける神が神となった話を含む部分とのこと)

最後に、済州島の北斗七星にまつわる伝説を次のように紹介した。
・済州島には、(一)年老いた母に孝行を尽くした息子たちが死後に星となった話、(二)あの世の尊い薬を手に入れ、父の命を救ったパリ姫の息子が7つの星となった話が伝えられている。この島の北斗七星の伝説には、不思議なことに、全て女性が関連している。女性が他地域に比べて多く、家庭のやりくりを主導していた風習が反映されていたからだろう。

▼ 「The Starry Night(별금자)」を聴く。コムンゴファクトリーの演奏・・・超モダンで難解に・・・。

・・・わかりました、空の星を眺めながら、遠く宇宙のかなたに想いをはせてみましょう。

2014年1月13日月曜日

冬景色(続)

今日は成人の日。夕方の街中、成人式の帰りだろうか、かわいらしい振袖姿があちらこちらに目につく。何はともあれ、若いことはよいものだ。当人たちにとって、私のときもそうだったが、成人式の今日は単なる通過点でしかない。でも、この日を祝われてこそ、自覚を促されるというもの。頑張れ。

ところで、近隣の駅ビルにある本屋で、「唱歌・童謡ものがたり」(読売新聞文化部、岩波現代文庫)を求めた。というのも、本書に収められた71曲中に、昨日の本ブログに記した唱歌「冬景色」について、次のような記載(岡田康晴記者)を目にしたからだ。(抜粋)

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「私が好きなのは『朧月夜(おぼろつきよ)』と・・・・・・『冬景色』です」
皇后陛下(美智子妃殿下)からそうお聞きして、国語学者の金田一春彦はポンとひざを打ちたかったという。金田一も詞の美しい、この二つの歌が大好きだった。

『冬景色』は、一九一三年(大正二)、音楽教科書「尋常小学唱歌(五)」で発表された。

(歌詞が当時として斬新な)六五調の節回しとリズミカルな三拍子
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この項の最後に、作詞・作曲不詳であるいきさつと、作詞者の推定までされていて興味深い。

それにしても、この歌の始まり(早朝)と終わり(黄昏)の描写がことのほか美しい。

    さ霧消ゆる湊江(みなとえ)の
    舟に白し朝の霧

    若(も)し燈火(ともしび)の漏れ来ずば
    それと分じ野辺の里

2014年1月12日日曜日

冬景色

冬の夜、起きているときはガス・ストーブで部屋中熱くしても、就寝中はガス・ストーブをつけっ放しにするわけにもいかず、足元を暖めるため電気あんかを使った。しかし、それでも暖が足りず、昨晩ついに電気マットに取り替えた。

今年の冬は、昨年より厳しいのだろうか、それとも歳とともに寒さに耐え難くなったのか。こんなとき、少しでも心を癒すのは昔の歌だ。文部省唱歌の「冬景色」は、その歌詞がなぜか優雅な気がする。しっかりした文体は、心落ち着かせるものだ。
「京都 大原 三千院」の詞で思い出深い、デュークエイセスの歌で「冬景色」を聴いてみよう。

(Youtubeに登録のhinanohiに感謝)

2014年1月11日土曜日

イ・ソンヒの「あなたに届くなら」

イ・ソンヒの11集所収の「あなたに届くなら(너에게 가면)」(1998年)は、この歌の作者から、あるいは彼女の人生から、つい深読みしたくなるが、素直に聴けばよいのであって、かえって何処かで耳にしたような親和な曲風である・・・でも、気になる。

(本ブログ関連:”イ・ソンヒの「あなたに届くなら」”)

耐えられぬ日々の様に  忘れられないあなたに届くなら
ふるえる手で  記憶の中をたぐっても

怒れぬ時間の中で  忘れられないあなたの前に立てば
私の小さな手に  むせび泣きささやくでしょう

倒れないで、私が耐えられる また戻ってくる  その日を忘れないで
いわないで、あなたをしのんで待っています

隠さないで、忘れられぬ時間を すすり泣きながら  私のぬれた目で
愛しています、永・遠・に


(Youtubeに登録のsunnyfan100に感謝)

2014年1月10日金曜日

「知りたい」と「分かりたい」こと

以前このブログで、イ・ソンヒの「分かりたいです」という曲名から、「知りたい」と「分かりたい」ことについて考えてみた。

(本ブログ関連:”イ・ソンヒの「分かりたいです」”、”分かりたいです”)

さらにもう一歩、高尚な捉え方かもしれないが、次のような話を読んで、上記曲名の理解にそのまま当てはめてよいか躊躇するが・・・ある高名な歴史家*が、若い頃に恩師の語った言葉を伝えたもので、歴史(対象)と取り組む姿勢を若者に伝えたものだ。

(恩師の言葉) 「解るということはそれによって自分が変わるということでしょう」
(歴史家の解説) 「・・・何かを知ることだけではそうかんたんに人間は変わらないでしょう。しかし、『解る』ということはただ知ること以上に自分の人格にかかわってくる何かなので、そうのような『解る』体験をすれば、自分自身が何がしかは変わるはずだと思えるのです。」

この言葉を、世俗に引き寄せて、曲名「分かりたいです」を解すれば、想いを相手に伝え、応えを求めて、よって自身が変わろうとするまでを含むようだ。一方、「知りたいです」では、知りたい側の言葉だけで、相手との共鳴する想いが響いてこない。

少々大げさだが、そう理解した。

(*)「自分のなかに歴史を読む」阿部謹也著)

2014年1月9日木曜日

健康体操教室の翌日は

毎週水曜日に、市の施設で開かれる健康体操教室に通っている。年末と年始の2回は休みだったため、体が少々なまってきたところで、昨日、今年最初の教室に出かけた。

運動を教わっているとき、「休みの間、自宅でやっていましたか?」という先生の問いかけに、視線が思わず天井に向いてしまう。まあ、回りの皆さんも同様だったが。そんなわけで、久し振りの運動をして気付いたのは、①屈伸をすると腹が邪魔になる、②太もも、ふくらはぎの後ろ側を伸ばすと痛いのだ。年末、年始をダラダラ過ごしたせいだろうか。反省。

いつも通りの体操にもかかわらず、(それを家で繰り返すこともなく)暫く間を空けたため、「明日は体が痛くなりますよ」といわれた・・・まさにその通り、今日は体のあちこちが強張る。あらためて、体操教室のありがたさに気付く、人間の体は少しの荷重が必要だ。納得。

ところで、椅子に座りながらブログを作成しているとき、姿勢が自然と前かがみになるのを防ぐために、子ども用のボール(φ22cm位い)を背中~腰にあてて、背筋を伸ばすようにしている。まだ一ヶ月ほどの試行だが、姿勢を意識するのに無理のない道具だと思う。推奨。

2014年1月8日水曜日

イ・ソンヒの「Jへ」

イ・ソンヒは20歳になる1984年に、MBCの第5回「江辺歌謡祭」において、「Jへ(J에게)」で大賞を受賞してデビューを果たした。このいきさつについては、本ブログで何度も繰り返しとりあげてきた。

(本ブログ関連:”Jへ”、”江辺歌謡祭”、”イ・ソンヒのスター・ストーリー「7.『江辺歌謡祭』の裏話」”)

「サニー」の愛称でファンに親しまれる彼女は、今年デビュー30周年を迎える。来月、アルバム15集を出すことになり、マスコミは、「いつの間にかデビュー30年」、「カムバック」、「ディーバ(歌姫)の帰還」と同時に、昨年のチョー・ヨンピルの復活に照らして、「バタフライ効果」、「音楽業界の圧力」などとベテラン歌手の彼女への大きな期待を伝えている。

「江辺歌謡祭」のステージに立ったイ・ソンヒは、ある意味、歌の力だけを信じて挑むことができた、よき時時代の象徴でもあった。

(Youtubeに登録の526apolloに感謝)

2014年1月7日火曜日

ボルヴィック

数日前、名前を忘れたがテレビ番組で、スタッフ?の(日本)女性がフランスの名勝を廻るというコーナーがあって、ある家?に泊った翌朝、その家庭の若い娘が洗顔しないことに驚く場面があった。フランスの水道水は硬質で、肌が荒れるからだそうで、以って化粧水で代用するという。

いわれることに、フランスの水道水は硬水のため、飲料水に適さない。代わりに、ミネラルウォーターやワインを飲むのだと。日本でポピュラーな、フランスのミネラルウォーターに「ボルヴィック(Volvic)」がある。このボルヴィックは、どんな処で汲み出されているのだろうか。

▼ ボルヴィックを販売しているKIRINのホームページに、次のように紹介されている。
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・ボルヴィックが生まれるフランス中部オーヴェルニュ地方は、「ピュイ・ド・ドーム」、「カンタル」、「オート・ロワール」、「アリエ」の4つの県からなり、北のアリエ県を除く南部3県は全て山岳地帯で、中央山地(マッシフ・サントラル)と呼ばれています。フランスの中では珍しく変化に富んだ地形をもつこの地方では、昔の火山活動でできた湖や渓谷がいたる所にあります。

・ボルヴィックの水源地はおよそ4,000ヘクタール。その広さは東京ドーム約850個分にも及びます。フランス中部オーヴェルニュ地方に広がる火山自然公園の中心にあるピュイ山脈。・・・

・オーヴェルニュ地方に広がる緑濃い火山自然公園の北端にある美しい村がボルヴィックの故郷、ボルヴィックです。・・・
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ボルヴィックは、硬度60で「軟水」の範疇に入る、1927年に発見された比較的歴史の新しいミネラルウォーターである。


▼ 「ヨーロッパ火山紀行」(小山真人著、ちくま新書)に、ボルヴィックの産地ピュイ・ド・ドームが次のように紹介されている。
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・パリ盆地と地中海にはさまれる形で、広大なフランス中央山塊(Massif central)が存在し、2000メートル近い高山がひしめいている。ただし、山塊の大部分は、険しい山と言うよりはなだらかな高原によって占められている。・・・

・このフランス山塊に数多くの火山が存在する、といっても大部分はすでに活動を終えた古い火山であり、豊かな森におおわれ、その懐には町や村が作られている。・・・

・ピュイ・ド・ドームは、シェヌ・デ・ビュイ火山群の最高峰(一四六四メートル)であり、およそ一万一○○○年前に噴火した溶岩ドームである。高原上に噴出したので、ドームそのものの高さは四五○メートルであり、ドームの底径は二キロである。・・・

・シェヌ・デ・ビュイ火山群には数多くのハイキングコースが整備されている。・・・お勧めは、ピュイ・ド・ドーム北側にあるいくつかのスコリア丘や溶岩ドームである。・・・
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約1万1,000年前に噴火した溶岩ドームのピュイ・ド・ドーム(Puy de Dôme)の写真を見ると、何となく伊豆半島の伊東にある、約4000年前に噴火した単成火山であるスコリア丘の大室山の姿を連想する。時間の経過と、緑に覆われた遠望がそうさせるのだろう。

ボルヴィックのボトルラベルに、なだらかな緑のピュイ・ド・ドームの絵が描かれている。高尾山に登るような気楽さなのだろうか・・・。

(本ブログ関連:”大室山”)

KBS WORLD「国楽の世界へ」 (吉報)

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、毎週水曜日に放送されているが、先週水曜日は元旦(1/1)であり、特別放送(仁川アジア大会開催)のためにお休みだった。

ところで、昨年大晦日(12/31)に「アナウンサー・オン・パレード」があって、日本語放送の番組関係者がそろって歌対抗する恒例のイベントを放送した。

そのなかで、いつも楽しく拝聴している「国楽の世界へ」担当の岸加那子さんが、昨年3月17日に結婚されて、今年には赤ちゃん誕生と紹介された。おめでとうございます。そしてお体大事に願います。

七草粥

今日で松の内が明ける。

「せり/なずな、ごぎょう/はこべら/ほとけのざ、すずな/すずしろ」と暗記した、春の七草の七草粥を食べる風習がある。草の名は何となく覚えても、七草粥を食べた覚えはない。

春の息吹を感じるよう、そろそろ気持ちを切りかえるときである。

2014年1月6日月曜日

本屋の棚から消えるもの

文学者であり小説家が、以前雑誌に肩のこらぬ連載をしていて、それがまとまって確か文庫本になっていた筈だと、近在の中古書チェーン店の数店に探しに行った。ところが、その方の作品が書棚に驚くほど見当たらないのだ。

昨年、亡くなられたばかりというのに、扱いがこんな風なのかと少々驚いた。旧仮名遣いを押し通したせいでもないだろうけれどと思いながら、書店を巡ったが、何処も同じだった。今の若い世代には、とっつきにくい作家だったのかもしれない・・・そうでもあるまいに。似た雰囲気の女性作家も、今は高齢となれば作品は見当たらない。

文学や評論は、活字として残ると思いたいのだが、残念なことに余程に特質なのものでない限り、読み継がれることは結局ないのだろう。つくづく古典の凄さがわかるというものだ。

本屋の書棚から、時代を共有しただけだが、著名な作家、文学者そして評論家たちの作品が次々消えていくのは、火が薄れていくようでさびしいものだ。