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2017年8月1日火曜日

イ・ソンヒ「見知らぬ海辺で」

夏だ夏だ、8月だ。名実ともに夏、8月と組み合わせると一層夏らしくなる。とはいえ、教室で夏の計画はと問われれば、「短期留学」だとか「海外旅行」だとかいう羨ましい話しが出る。わたしといえば、勉強しますと応えるしかない。予定がないのは楽ちんだが、たずねられると少々困ってしまう。

一体いつだろう、海に行ったのは。ずっと以前、静岡県の伊東市の大室山(単成火山)に寄って、城ヶ崎海岸で黒光りした溶岩流の跡を楽しんだくらい。浜辺まで行って、海水に足をつけたのは遠い昔のこと。それは、同じく河津町の浜で沸石を採っていたとき、満ち潮になって、自動的に足首までつかってしまったのだ。

イ・ソンヒの11集所収の「見知らぬ海辺で(낯선 바닷가에서)」(1998年、作詞イ・ジェギョン、作曲バク・セジュン)は、感傷的だが海を感じさせる。さんさんと日がふりそそぐ夏といった感じではないが聴いてみよう。次のMV映像は前にも触れたが、もしかしたらいわくつきのものかもしれない。

(本ブログ関連:”見知らぬ海辺で”)


あなたを全て忘れるため、ここまで来たのよ
空が、青い海と出会う場所に

一つずつ思い出を取り出して、もう二度と私の心に込められぬよう
そう、あなたを私も捨てたくて、私のこころから去ってよ (ha~)

たとえ、こんなに、あなたを押しやってみても、戻ってくる
白い波のように、もう一度探しに来て

あなたもまた心に、まだ私がいるのなら、私に帰ってきて
昔のように、私を愛してよ
           _______

一人残った時間は、恐ろしい沈黙になってしまって
たとえ私がいやだといっても、別れのときだったの (ha~)

この世の全ては、あなたから始まって、あなたがいない
私の現実という、深い悪夢だけよ

帰ってきて、私のそばに、私の手を握って
私の息が尽きるその日まで、あなたを待っているわ (ha~)


(Youtubeに登録のWSSIM2016に感謝)

2017年7月31日月曜日

こんにちは

イディッシュ語で「こんにちは」は、「Shalom Aleichem(その返しは、Aleichem Shalom)」で、「あなたに平和を」を意味するそうだ。これを筆名にした作家が「ショーレム・アレイヘム」だ。

韓国語の「こんにちは」は、「アンニョン・ハセヨ」で、「安寧(アンニョン)していらっしゃいますか(ハセヨ)」を意味し、<平和>に通じる<安寧>が使われている。

日本語の場合、「こんにちは」は、「こんにち(今日)は~」と後を略し、様子の具合を相手に任せる。新しい明治言葉のような響きがするが、「江戸期気の置けない仲間同士のあいさつだった」(「あいさつ言葉の変化」倉持益子、「明海日本語」第 18 号 増刊 (2013.11))そうだ。昔の日本は、平和も安寧も気にするまでもない、それが当り前だったのだろう。


(Youtubeに登録のThe Soul of Jewish Musicに感謝)

2017年7月30日日曜日

イ・ソンヒ 「オークバレー サマーフェスティバル」8/5

ニュース1の記事「オークバレー サマーフェスティバル... 8月19日まで」(7/25、パク・テスン記者)によれば、イ・ソンヒがオークバレーリゾートで開催される「オークバレー サマーフェスティバル」(7/28~8/19)の、8/5の舞台に登場すると報じている。

(参考)オークバレーリゾート(namu.wiki「スキー場」)
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・江原道原州市地正面月松里にあるスキー場で、江原道と京畿道の境界近くに位置する。
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(追記:7/31付け)
中央日報の記事「歌手イ・ソンヒ、8月5日 原州のオークバレーで公演」(7/31)に詳細が触れられている。
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・イ・ソンヒさんは、江原道を訪れたのは異例で、江原道最初のイ・ソンヒ無料公演という点で、さらに格別だ。
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2017年7月29日土曜日

イ・ソンヒ 「私はいつもあなたを」

イ・ソンヒが、4集所収の「私はいつもあなたを(나 항상 그대를)」(1988年、キム・ミンジョン作詞、ソン・シヒョン作曲)を、MBCの深夜音楽番組「音楽旅行ラララ(음악여행 라라라)」で歌った様子をYoutubeで視聴してみよう。

(本ブログ関連:”私はいつもあなたを”)

放送は、彼女のコンサート「招待」(2009年4月1日~5日)の前月末(3月25日)に流されたものだが、それ以前に録画されている。コンサート直前のこと、彼女の高精細(HD)のアップ映像が貴重だったが、放送の歌の仕上がりが微妙だった。今も少々気にかかっている。でも、彼女の歌には不思議な安堵感がある。ぞれはいつも然変わりない。


いつもあなたを、慕っているのに
思うようにはいけない
今日も、セピア色した写真の中に
あなたの姿しのぶわ
*
いつもあなたに、会いたいのに
あなたは何処へ立ったの
優しいその姿、涙で染めるわ
あなた、私に戻ってよ

戻ってきて、私のところへ
すべて、あなただけなのよ(Oh~Oh~Oh)

燃える私の愛、避けられないのよ
あなた、私に(Oh~~)戻ってよ

(*以下繰り返し)

(戻ってきて・・・)
あなた、戻ってきてよ
すべて、あなただけなのよ

燃える私の愛、避けられないのよ
あなた、私に(Oh~~)戻ってよ


(Youtubeに登録のMBCkpopに感謝)

2017年7月28日金曜日

鉱物好きの心理

対象が「鉱物」というだけかもしれないが、鉱物好きの心理にどんな側面があるか、思いつくまま列挙する。鉱物好きのそれぞれにとって、以下の好奇心が多かれ少なかれ織り交ざっているだろう。とはいえ、鉱物マニアの集いでは、「理科(科学)的好奇心」だけを語らざる得ない。他の好奇心については、口外せずひそかに心にしまっておくようだ。

理科(科学)的好奇心:
・いわゆる鉱物マニアが賛同する、まさに好奇心の本流であり、基層を成す心理だろう。(アマチュアの世界)
・博物学の出発点であり、科学との接点を大事にする科学信仰がある。(科学者を頂点にしたピラミッドの世界)
・他の自然物(化石、昆虫など)採集マニアと太い共通点がある。(古典分類学の世界)

貴族所有的好奇心:
・ヴィクトリア/欧州貴族風な博物学を母胎とした、世界自然を把握(征服支配)する手段としての収集と陳列。
・財力と知恵が合一したサロン的世界に酔いしれることができる、うらやましい世界。
・知的孤高を貴種とする高踏的な社会。意識せずとも、世間から自然に遠ざかる。

美意識的好奇心:
・鉱物好きの原点に、結晶の美しさがあって、「水晶に始まって、水晶に終わる」とか。
・石から雲や水が湧き出るのを見るような超自然で幻想的(文学的)世界へ誘う好奇心。
・石の姿形(形態)に、自然との抽象的相似を感じとる凝縮された、水石的古来の美意識。

産業的好奇心
・鉱物と宝飾が混在した世界で、とくに女性の宝石好きとつながる。男は黙って見守る。
・鉱物を社会に産業として応用する。実は、好奇心を経済的に支えてきた土台骨。鉱物マニアは黙って見守る。

神秘的好奇心:
・石に霊的力(Power)を感じとる、鉱物好きにとって近寄りがたい、外来種グループ。


(本ブログ関連:”鉱物マニア”)


(付記)
鉱物採集マニアについて
・国内産の鉱物標本を最重視する。(完全な結晶、大きな標本は自慢になる)
・自分の手で採集した「標本」にこそ価値を置く。(仲間との標本交換もあるが)
・標本に「鉱物名・鉱山名」など記載した「ラベル」が必須。(日付は特に重視しない)
・具体的な「採集地点(位置)」については、仲間内でも秘匿するケースがある(多い)。
・鉱物鑑定(鉱物名を判別)能力により、身分はヒエラルキー化される。
・採集の際、身の丈に合った量を心掛ける・・・むやみに産地を掘り返し大量獲得しない。
・結局、健康でないと採集活動は続けられない・・・しみじみと。

2017年7月27日木曜日

始めの16歩 イディッシュ語

16日目。残すところあと一日となったが、これまで進歩したのだろうか、成長したのだろうか。いいえ、いいえ、全然! と自信をもっていえる。それに比べて、(他言語)留学の経験あるクラス仲間の進歩は素晴らしい。唯々感心するばかり。

(本ブログ関連:”始めの ~歩 イディッシュ語”、”イディッシュ語”)

そういえばこんな話しを思い出す。中学時代、バスケットボール部に入部すれば背が伸びて女の子にもてると錯覚する男子学生が多かった。でも、それは逆で、バスケット競技がうまくて背が高いから女の子にもてたのだ・・・ニキビ面の少年たちにそれが理解できるには少々時間がかかった。

とはいえ、何とかすれば何とかなるの信念で、あきらめず、ラストに向かって頑張ろう。

・先生がネットで見つけた、古いイディッシュ語の初級教科書「דער אָנהײבער」(The Beginner)から、① 教室のお絵かき風景、② 母と娘のドレスの買物、③ 少年と犬の親密な関係

・先生推奨の入門書(復習編):「レッスン2」(דער לערער און די תּלמידים אין קלאַס)の文法事項の確認:① 形容詞の語尾、② 対格の形容詞、③ 否定形などの作り方。および入門書テキス掲載の「Question」と「Exercise」の解答練習。

・(今回は教室移動したため、環境が整わずネット教材YiddishPOPの学習はできなかった)

(パッといきましょう、明るく元気に! めでたいじゃありませんか!)

(Youtubeに登録のThe Soul of Jewish Musicに感謝)

2017年7月26日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」興甫歌・・・悪者役

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(7/19)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、パンソリ「興甫歌(흥보가)」などの悪者役に関連する曲を紹介した。

始めに、物語のキーになる悪役、パンソリ「興甫歌」の意地悪な兄「ノルボ」について次のように紹介された。
・映画やドラマは、俳優の演技力とシナリオの良さが重要だが、時に悪者役や面白いキャラクターも必要で、観客はそこに集中する。伝統芸能「パンソリ」にも、そんな存在がいる。善人な弟「興甫」が怪我をしたツバメの脚を治し、ツバメが運んできた「ふくべ(瓢箪)」のおかげで金持ちになる。その話を聞いた意地悪な兄「ノルボ」が、ツバメの脚を怪我させて、治そうとする。「興甫歌」は、ノルボの呆れ果てた話から始まる。金持ちになった興甫を一番先に訪ね、何かもらおうとするノルボの性格がよく分かる。

▼ パンソリ「興甫歌」から、「ノルボの意地悪打令(놀보 심술타령」を聴く。抑揚を豊につけて聞かせる。

次に、パンソリ「沈清歌(심청가)」の「意地悪ばばあ(뺑덕어멈)」について次のように紹介された。
・ノルボの意地悪さは、常人に真似ができぬレベルで、自分の利益に関わらず、他人をいじめるのを楽しむ性格だ。他のパンソリで、「沈清歌」にも、そんな人物が登場する。意地悪で不細工な女を「意地悪ばばあ」というが、「沈清歌」の主人公「沈清」の継母がそう呼ばれる。利益の有無を考えず、とにかく意地悪する「興甫歌」のノルボと少し違い、目の不自由な沈清の父に、金目当てに近寄る彼女は、他人を気にせず、自分の利益だけ考える。どちらが悪者か、順位つけも容易でない。

▼ パンソリ「沈清歌」から、「意地悪ばばあの行い(뺑덕어멈 행실)」を聴く。空恐ろしさが漂うよう。

最後に、部下を考えぬ三国志の武将「曹操」を描いた、パンソリ「赤壁歌(적벽가)」について次のように紹介された。
・中国の三国志の一部を描いたパンソリ「赤壁歌」に登場する一人に、武将の「曹操」がいる。赤壁の戦いで多くの兵士が犠牲になるとき、曹操は自分の命ばかりに気をとられた。生き残った兵士と山を越えるときも同じだった。組織のリーダーがこんなキャラクターでは大変なことになる。兵士たちも曹操に歯向かおうとした。曹操が、そんな兵士たちを一々相手にする場面もある。

▼ パンソリ「赤壁歌」から、「曹操が兵士を点呼する場面(조조 군사 점고 대목)」を聴く。身近に聞く愚痴のようとのこと。

2017年7月25日火曜日

水晶果

冷たい飲み物に多種多様ある。韓国の庶民の味で、好みは「バナナ牛乳」だが、日本の店頭で見かけたことがない。乳製品の性質上、輸入販売できないという・・・そんな理由を聞いたことがある。

缶入り飲み物では、「水晶果*(수정과)」が喉ごしがいい。自販機から取り出して飲むと、冷たくて、シナモンの香りが広がり美味い。この作り方を、Youtubeにいくつも紹介がある。驚いたのは、材料の「シナモン」すなわち「ニッキ」/「桂皮」が、乾燥した皮であり、そのまま使用していることだ。てっきり粉末状にしたものと思っていたからだ。
(* 水晶果: 正式には「水生果」のようだ。鉱物趣味にとっては、「水晶果」の方がいいのだが)

① シナモンの皮を水で煮込むと茶色の液体になる。
② 別途、生姜のスライスを水煮する。
③ これら、①と②を混ぜ合わせ、(無漂白)砂糖を加えれば煮汁ができあがる。
④ 最後に、柔らかな干し柿をカップに置き、上記③の煮汁を足して冷やせば完成。

以前、ソウルの延世大学の近くにある「奉元寺」(太古宗: もしかして、イ・ソンヒの父親と縁があるのではないかと思い)を訪れたとき、< 境内に「玉泉梵音大学と霊山斎保存会」の名を記した建物があり、茶室でボランティアの方に水晶果をいただき、干し柿のサービスを受けた > ことがある。

暑い夏に、甘い香りなのに、きりりと引き締める、冷たく冷やした「水晶果」はかかせない。

2017年7月24日月曜日

原子時計

今日も暑く、湿気がべったりまとわりつく。図書館本館に行けば休館。そこで、このまま歩を進めて、標準時刻を大きく表示して見せる施設へ行ってみることにした。汗はだらだら。

励起されたセシウムが、その後、元に戻るとき放出するエネルギー(電磁波)の(固有)周波数を元に時間を決める「セシウム原子時計」を見てきた、と言っても展示品だが。大小の二つの装置が置かれていて、短期と長期の制御のための装置と聞いた・・・が、ど素人ゆえ、皆目見当付かず・・・そういうものかと納得するしかない。小型装置の内部が見えて、中心部品に大きくHewlett-Packardの文字が見えた・・・ムムム。これって、イ・ソンヒが生まれた1964年に発表されたもの(HP 5060A)の系列?

今日、明日の二日間開催の国立研究開発法人「情報通信研究機構(NICT)」本部の「夏休み特別公開」をちらり見して来たわけだ。夏休みとはいえ、今日・明日は月曜日・火曜日、完全に子ども向けに催されており、子どもたちが大勢押しかけていた。主に母親連れの理科少年少女たちといった賑わい振りだ。日本の科学の将来は明るい、頑張れ理科の子どもたち。

ところで、「情報通信研究機構」の仕事を、標準電波による時刻管理が業務の中心と思っていたらとんでもなく違っていた。それは100年前の話しのようだ。現在は、地球と宇宙を囲む、情報通信ネットワークの研究開発がメインだ。部外者の素人が気に掛けるのも何だが、情報通信ネットワークの研究については、さまざまな機構で進められているだろうから、その棲み分けはどうなっているのだろう。情報(ソフト)+通信ネットワーク(ハードウェア)は、ソフトウェアとハードウェアの混在した領分で、色々な立場からチャレンジできるからだ。

2017年7月23日日曜日

大暑 2017

今日は、二十四節気の「大暑」。連日の暑さゆえ納得するものの、昨年は22℃近くと冷え冷えしていた・・・と、ブログを見直して思い出す。その程度に、季節の変化について思い出が定かでないのだから、その他の物事をしっかり記憶できるはずもない。

(本ブログ関連:”大暑”)

外出しようか、どうしようかと迷っているうちに、一日が過ぎてしまった。

最近、南極から分離した氷塊(棚氷)が、日本に流れついたら随分涼しくなるなんて妄想する。そんな空想のできるおもしろツールが、Gigazineに紹介(7/23)された。

ドイツの新聞社「Berliner Morgenpost」が公開したもので、「南極大陸から分離した総重量1兆トンの『ラーセンC棚氷』」を地図上の任意の場所に移動できるツールだ。

関東地方の地図上にプロットしたら、その規模がとんでもなくでかいのに驚く。これじゃ、関東地方全体が極寒に戻ってしまうだろう。

ところで、昨日(7/22)、「暑気払い」に出かける途中、小学校前に栽培されていた小型のひまわりが全て刈り取られているのを見た。畑地が茶色の地肌に戻っているのに残念な気がした。でも、小学校が「夏休み」に入った後のこと・・・子どもたちに心配りしたのだろうか。

2017年7月22日土曜日

暑気払い

以前の教室仲間から「暑気払い」の誘いがあり、参加させていただいた。久し振りにもかかわらず、変わりない元気な姿と再会できたことが何よりだ。会話と食事、そして酒も加わり楽しい宴を過ごすことができた。幹事さんにいつもながら、感謝。

気付けば深夜遅くまで盛りあがり、帰途につく。帰宅すれば翌日(7/23)零時を過ぎていた。ブログの性質上(日付を尊重?して)、7/22作成とアリバイ作りする。

「暑気払い」の通り、今月の暑さは月初からのこと。何度か小雨や雷雨を経験したが、それも夜が多く、ひと月を通じて印象が少ない。「梅雨明け」宣言(7/19)も、そんな中でのことだった。なんだかズルズルと夏へ突入する。だから余計に「暑気払い」は意味がある。

(参考) 気温に関する用語: 気象庁
   ・夏日: 日最高気温が 25℃以上の日
   ・真夏日: 日最高気温が 30℃以上の日
   ・猛暑日: 日最高気温が 35℃以上の日

2017年7月、「東京」の最高気温と天気概況(気象庁「過去の気象データ検索 > 日ごとの値」より)







最高
気温
天気概況


(06:00-18:00)

(18:00-翌日06:00)




1 25.3 雨時々曇 曇後雨

2 32 曇時々雨

3 32.5

4 29.9 雨後曇時々晴

5 31.4 曇一時晴 曇一時雨

6 30.7 曇時々晴 曇時々晴

7 32.3 快晴

8 33.7

9 32.5 晴後一時薄曇

10 32.1 晴後時々曇

11 31.6 晴一時曇 晴一時曇

12 33.1 晴時々曇

13 33.4 晴後時々曇 晴一時曇

14 32.4

15 33.7 晴後時々薄曇 薄曇

16 34.9 薄曇 曇後一時雨、雷を伴う

17 35 薄曇一時雨

18 32.7 曇時々晴一時雨、雷を伴う 曇時々晴

19 31.1 晴時々曇 曇時々晴

20 32.3 晴時々曇

21 33.7





2017年7月21日金曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」竜揚水歌

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(7/12)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、雨水に関連する曲を紹介した。
(未聴のため、Youtube映像など参考にした)

始めに、「やり桶(용두레)」で揚水するとき歌う「竜揚水(용두레질)」について次のように紹介された。
・今春は干ばつが続き、農作に影響を与えた。今は、水利が整い揚水機もあるが、昔は干ばつが大変だったはず。国楽に、低所の水を高所の田に引き入れるとき歌う「竜揚水」がある。丸太を細長く舟形に削った「やり桶」を使う。3本柱を支えにして、紐に吊るした「やり桶」を二、三人で揺らして水を田に引き上げる。このときの歌は、息を合わせ、労働の効率を上げ、多く水を運ぶ役割をする。

▼ 京畿地方高陽の「竜揚水歌(용두레질 소리)」。

次に、昔の干ばつ時の雨乞い祭りについて次のように紹介された。
・米食の韓国では、春に田植えし、梅雨の雨を待ち望む。昔の王や政治家は、干ばつが続くと行動を慎んだ。王は普段の仕事部屋でなく、外で仕事をし、食事を減した。王の不徳で政治が滞り、天罰を受けたと考えたからだ。民と共に苦しみに耐える意もある。だが解決できぬときに、雨乞い祭りをした。囚人の赦免、貧民の救済、壊れた墓の修理などもした。雨乞い祭りは、王が主管する以外に、田舎の女性も行った。命を身ごもる女性を通じて、天の恵みを受ける期待をしてのことだ。

▼ 南道地域の女性が遊びで歌った民謡「ドゥンドンギ打令(둥덩(당?)기타령)」。子どもは可愛い。

最後に、雨乞い祭りに、神が裁くことのない女性や子どもが登場することについて次のように紹介された。
・竜は、雨を司る神とされ、地名に「竜(용)」の字が付くものが多くある。これは、雨乞い祭りがよく行われた場所だ。神が裁くことのないと女性や子どもが竜を描いた旗を持って歩いた。竜がいるとされた池に、虎を追い込むこともあった。眠っていた竜が目を覚まし、雨を降らせると信じられたからだ。雨乞い祭りは、雨が降るまで続けた。結局、100%の効果があることになる。自然に屈しない人間の意志を表したのかもしれない。

▼ 「サレバッ アリラン(사래밭 아리랑)」。「サレバッ」は、小作管理人の報酬畑を指すとのこと。

2017年7月20日木曜日

始めの15歩 イディッシュ語

15日目。今年の前期受講は、後2回を残すのみになった。思えば遠く来たものだ。でもよく見れば、スタート地点がすぐ後ろにある。(夏休みにイディッシュ漬けになるしかないのだろうか・・・)

・先生推奨の入門書(復習編):「レッスン2」(דער לערער און די תּלמידים אין קלאַס)のExercise。先生手作りの問題で、本文中の空欄に動詞を穴埋めする。世界に住むユダヤ人の人口マップを紹介された。
(テキストを復習したにもかかわらず、穴埋めどころか穴だらけ・・・となる)

・先生紹介のネット公開教材ソフト(YiddishPOP)の「レベル2-5」(!הײַןט בױען מיר אַ סך )。スティックを使って模型の家作り。材料の依頼に関わる動詞の命令型、家の構造に関わる名詞の複数形など確認。

・先生がネットで見つけた、古いイディッシュ語の初級教科書「דער אָנהײבער」(The Beginner)から、柱時計の時刻を見て、一生懸命答えようとする小さな女の子と、それを暖かく見守る母。(いかにも賢い子どもが育つ環境だと話題になる)

他の言語を専門にする若い参加者と先生の間でとりかわされた話題を傾聴する。言葉と民俗(あるいは民族)の気質は、密接なつなりを持っているに違いない。

(本ブログ関連:”始めの ~歩 イディッシュ語”、”イディッシュ語”)

私ら世代に知らぬものがない、ミュージカル「屋根の上のバイオリン弾き」から「日は昇り、日は沈む」を聴こう。人生は一粒の種。やがてひまわりの花が美しく咲く。


(Youtubeに登録のMsLijeBaileyに感謝)

2017年7月19日水曜日

イ・ソンヒ 「なぜ私だけ」

イ・ソンヒの人気曲を知りたければ、カラオケで歌われる彼女の曲目リストを見ればよい。もちろん、素人には難曲もあるだろうけど、気にしないで歌うものだ。もしかして、独りカラオケなんてこともあるから。(私も、やってみたいと思いながら、独りカラオケにはいまだに躊躇する・・・何を今更!)

(本ブログ関連:”(資料)イ・ソンヒのカラオケ・リスト” 2015年8月2日現在)

イ・ソンヒの6集タイトル曲「なぜ私だけ(왜 나만)」(1990年、作詞・作曲:チョ・ハムン)は、叙情的で、情感交えて素人が歌うには難しいと思うが、カラオケリストにランクインしている。ファンにしてみればチャレンジしたい曲なのだろう。
イ・ソンヒの「なぜ私だけ」については、本ブログにこれまで何度か触れてきたので、ここでは、例によって「歌詞」を以下のように記してみた。

(本ブログ関連:”イ・ソンヒの「なぜ私だけ」”)


いつか言葉を失いました  笑うことさえ去ってしまい
月日をはかる道はなくて  想いだけがあふれています
疲れ果てとても疲れて  涙さえ枯れてしまって
愛も知らない  そんな人になってしまいます

なぜ私だけ 涙を流さねばならないの  それも誰にも気付かれず
なぜ私だけ 痛み持たねばならないの  手が触れぬ暗闇のなかで
これが私の 行く道ならば  どうすべきなのですか

いつか言葉を失いました  笑うことさえ去ってしまい
疲れ果てとても疲れて  涙さえ枯れてしまいました

なぜ私だけ 涙を流さねばならないの  それも誰にも気付かれず
なぜ私だけ 痛み持たねばならないの  手が触れぬ暗闇のなかで
これが私の 行く道ならば  どうすべきなのですか(繰り返し)


(Youtubeに登録の트로트7080に感謝)

(追記)梅雨明け
ハフィントンポスト紙(7/19)によれば、「きょう(19日)、気象庁は関東甲信、東海、近畿、中国地方の梅雨明けを発表しました。いよいよ夏本番です!」とのこと。平均より2日早いそうだが、貯水池の推量が、逆に気掛かり。(7/20追記)

2017年7月18日火曜日

東京 今年初めての猛暑日

今日は一日中蒸し風呂状態。暑さを逃れるのに空調に馴染めず、扇風機で体表の熱気を飛ばすにとどめる。筋肉が落ちたせいだろうか、扇風機の風だけで肘の辺りが冷たく冷え込んで、それだけで体調が怪しくなる。外出して、冷房のきいた所に長居できないのだ。

今日の熱気について、ハフィントンポスト紙の記事(7/17)は、「気象庁は7月17日、東京都心で気温が35度に到達したと発表した。東京都心としては、2017年初の猛暑日を観測した」と報じた(抜粋)。ついに、夏の地雷を踏んだようだ・・・このままいけば梅雨明けも間近という。・・・午後には雷雨が襲い、暑さも小休止した。

(参考) 気温に関する用語: 気象庁
・夏日: 日最高気温が 25℃以上の日
・真夏日: 日最高気温が 30℃以上の日
・猛暑日: 日最高気温が 35℃以上の日

それでも家にこだわるのは、イディッシュ語の準備のため、ネットのオンラインツールを利用しないと手も足も出ないからだ。
・オンライン・キーボード
・オンライン辞書
・オンライン翻訳
・Wikitionary(基本動詞の活用Conjugationを確認できる!)
便利なツールを、自宅のPCで利用するしかない、外出用ノートブックPCもスマートフォンも持っていないのだから。

ところで、Amazonに発注した「Modern ENGLISH-YIDDISH  YIDDISH-ENGLISH」辞書(U. Weinreich)がようやく届いた。学習者に必須といわれる辞書で、厚さと重さに、それだけで一段落したような気にさせるものがある。使いこなさなければいけないのに・・・、ああ、また汗が吹き出た。

2017年7月17日月曜日

イ・ソンヒ 一日2~3時間新聞を読むこと

イ・ソンヒは、一日、2~3時間かけて新聞を読むそうだ。朝鮮日報の記事「『1日、2~3時間新聞精読 公演の時にも大きな助け船です』 歌手イ・ソンヒさん」(6/24、キム・ソンヒョン記者)によれば、昔から新聞の熱心な読者のようで、その習慣を守り続けているようだ。

昨年、彼女は朝鮮日報の「読者権益保護委員」となって、<「公正な新聞、正確な新聞、信頼される新聞(공정한 신문, 정확한 신문, 신뢰받는 신문)」を原則に、毎月会議を持って読者観点でこの原則が守られたかを監視して討論している> という。生真面目なイメージする彼女に似合っている。

(本ブログ関連:”イ・ソンヒ、朝鮮日報の「読者権益保護委」を委嘱される”)

ところで、彼女が世代を共有する、いわゆる386世代の意識として、メディア選択に新聞の比重が大きいのかどうか・・・このあたりの(50代の)リテラシーについて資料があれば読みたいものだ。

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今年デビュー34年目を迎えた歌手イ・ソンヒさんは、「朝型人間」である。午前7時ごろ、ソウルの二村洞の自宅で起きると一番最初に手に取るのが朝刊紙である。(6月)21日に会ったイ・ソンヒさんは、「今日は忙しくて、タイトルだけを目を通してきた...」と言いながらも、経済の懸案をずらりと列挙した。(略)

頭の痛い時事問題は、歌手とはあまり関係のないことと思いやすい。しかし、イ・ソンヒさんは違った。「今日は、経済界の人たちの前で歌ったが、明日は労組幹部の前でも公演しなければならないのが歌手なんです。新聞を読んで、この方々が普段どのような悩みをするのか、どのような問題に関心があるのか注意深く見守っていると、歌の途中で言葉を一言いうにも十分に役に立ちます」

イ・ソンヒさんの「新聞愛」は、幼い頃に両親に学んだことでもある「1970〜1980年代の家庭では新聞の朝刊を朝開くことが日常的な姿だったじゃないですか私たちの家もそうでした。朝の新聞に、私の記事が載る日は、明るく笑って喜んだりしましたね」

昨年(2016年)、朝鮮日報の読者権益保護委員会の委員になって、新聞を読む時間もともに増えた。「きちんと精読しようと心に決めた日は、1日2〜3時間ずつ新聞を読もうと努力しました」
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2017年7月16日日曜日

路に立つ木は曲がって

子どものためのサイト「Yiddish far Kinder」の「」のページに紹介されている、イディッシュ語作家イツィク・マンゲルの詩「路に立つ木(אויפֿן וועג שטייט אַ בוים)」(Itzik Manger 1901年~1969年)は、歌にもなって、いろいろな歌手が披露していて、子守歌の範疇にも紹介されているようだ。

上記サイトには、この詩の簡単な紹介とともに、原詩イディッシュ語 - ローマ字表記(転写)- 英語訳を並列したpdfもある。(素直な)英語訳を参考に、この詩(歌)の見聞きすると、こんな感じだろうか。(イディッシュ語については、いつかチャレンジしたい)
母から飛び立ちたいと願う息子(Itsik)だが、寒さを案じる母は衣(ころも)を着重ねさねさせようとして・・・いつか、その衣が母の想いだったと気付くことになる。路に立つ木は曲がっていて、木のすべての鳥たちは飛び立った。

この歌(詩)は、次のYoutube(アニメ)で初めて知ったわけで。母親の無限の愛を感じさせる。アニメの中で、空を漂うさまに、シャガールの絵を思い出す。歌は、1951年、Leo Fuldによって歌われヒットしたそうだ。
次のアニメは、Efim Chernyの歌によるとのこと、童謡なような親しみやすさを感じる。


(Youtubeに登録のshosh38に感謝)

■ 作者イツィク・マンゲル自身によるイディッシュ語朗誦もある。いつか、聞き取れることを願ってリンク先を記す。
https://www.youtube.com/watch?v=RnhQHQrJj6Q


(付記)エセーニンの「母への手紙」
母親に対する思いを、さまざまな作品で知ることができる。なかでも、内村剛介訳のエセーニンの詩「母への手紙」*は忘れられない。エセーニンの生涯と重ねて読む(理解する)のとは別に、素直に共感できるものがある。うるさく思った母親の気遣い(しぐさ)が、実は心深く残っている。
(* Youtube:この登録者77easterly77の解説「もっと見る」には、英訳も併記されている )

2017年7月15日土曜日

(雑談)CAIについて

(一)
昔、CAI(コンピュータ支援教育)といって、コンピュータを介して学習する仕組みが叫ばれた。CAIは、オーディオ機器がずらりと並んだ語学のLL教室が普及し始めた頃に、追いつくように始まった。新しもの好きの教育関係者が飛びついたのはいうまでもない。

大型コンピュータの端末(TSO)で始めるには余りにコストがかかり過ぎた。せいぜい単一目的の技術研修や訓練用といった、機能検証扱いだった。それが、パソコン(当時はマイコン)が登場することで、ようやく学校教材の一部を適用できるまでになった。結局は、市販教材ソフトに見るべきものがないままに終わった。なぜなら、一般の印刷教材の穴埋め問題集でしかなかったからだ。

CAIの教育ソフトの背景を担ったのは、スモールステップで理解を重ねるプログラム学習方式だった。プログラム学習は行動理論先行で、まるで職業訓練用テキストのスタイルだった。大学教養程度の心理学や経済学をプログラム学習で学ぶ教科書が出版されたりしたが、うまくいかなかったようだ。そのことについて、触れたくないのだろうか、そんな経緯を記した関係者による文章を見かけない。

現在では、e-ラーンニングと呼んで、主にネット環境で学ぶ学習スタイルに衣がえしたようだ。個人の学習進度まで管理できて、こちらの方は、意外に企業内研修や資格取得などのための講座で、一般に余り知られてないが、使われているようだ。(かなり商用化が進んでいる)

ところで、企業内教育について、こんなことを語った本(書籍名は失念したが)を読んだことがある。企業内教育は、その到達が企業内であって、一般の教育のように枠を超える成果を求めるものではない、といった内容だった。企業内教育は、その組織に必要な技術や智識を習得するものであって、人間として成長を求めるものではないということだ。

企業内教育の期待は、敷居(閾値)が意外と低いといえる。経営の指南書も、目標が企業目的と合致して、利益の最大化を図る(効率化を重視して、のりしろをカットする)という解がある限り、ハウツーの域を出ないだろう。それに対して、子どもの教育に求められるのは、いかに大きなのりしろを作るかということだからだ。

(二)
CAIに見られるような、知識をシステマチックに吸収できるかという課題が残る。企業内研修の場合、学習者はその意識も欲求もすでに持ち合わせている。子どもの場合はそうはいかない。学校の授業は、特別な資質の子を除いて、普通の子どもには難行でしかないからだ。

システムは、学校教育で子どもたちに貢献できるだろうか。見た目に知識を増やせるかもしれないが、決定的な問題がある。それは、知識をどんなに早く視聴覚化しても、それを脳内に定着できないということだ。記憶力を高めるのに有効かもしれないが、記憶力を付けるものではない。ただし、今までなら遠に放棄したかもしれない学習を、何とか持続する支えになっている気がするが、学習の外側のツールとしての有効性に変わりない。

システムは、思考の外側のツールでしかない。

少し、道外れする。一般にシステムは、頭脳に伝えるツールとして有効だが、頭脳から出す先としては要注意が必要だ。

システムは、単純な手入力のミスで、とてつもない大きな被害をもたらすことがある。それだけではない、システムに不注意な発言を登録すると、その結果が記録され、死後も永遠に残ることだ。本人の口から語られたあかしとして、墓碑銘どころでなくなる。SNSに語ることは、ある意味覚悟がいる。

特に、Twitterでどれほど大火傷していることだろう。脳内の知恵と相談しての発言なのだろうか。脳内に届かぬままに、反射的に言葉を吐き出していないだろうか。その記録は、日記といった限られた紙資料と違い、それこそシステマチックに(縦横に)分析され、色々な情報が取られることになる。

言葉は脳内で一旦咀嚼してから出すものと、庶民は生きる知恵としてそうやって実践してきた。

2017年7月14日金曜日

「きぼう」の Int-Ball

Jaxa(宇宙航空研究開発機構)の発表記事「きぼう船内ドローン『Int-Ball』からの映像初公開!」(7/14)に、何ともかわいらしい随伴型のドローンが紹介された。国際宇宙ステーション(ISS)の日本の実験棟「きぼう」の中で、宇宙飛行士が業務と併行していた撮影作業を代行する、自律移動型船内カメラだ。

無重力の室内、自由に移動が可能(12台のマイクロファンによる並進制御機能*)のようだ。しかも、撮影した映像を地上の管制官らも同時に確認できるという。これを介して随時適切な助言も可能になる。
(* 資料:「JEM自律移動型船内カメラについて」)

その「Int-Ball」の紹介映像を見て、いかにもアニメ好きな日本の製品らしい感じがした。ロボットクリエーターの高橋智隆氏のロボット「Robi」のデザインが浮かんできたが・・・関係されているのだろうか。
それはそれとして、Youtube映像に流れる音楽が、まるで子ども向けテレビ番組のようでおもしろい。母親に付いて回る幼児のイメージがするのだ。日本人は、対象を幼いイメージにして作り上げるかんどころがあるようだ。
・・・映像の最後に、電源が切れたといって、床に落ちるなんて・・・無重力でしょ、まったくアニメ感覚なんだから。もしかしたら、「Int-Ball」の正体はケロロ軍曹かもしれない。

遠い宇宙のISSの中、安全で正確な作業が要求される場面で、「Int-Ball」は宇宙飛行士にとって癒してくれる信頼できる相棒になるだろう。これが、私の部屋にいたら監視されているようで、少々厄介なのだが・・・でも、ぐうたらな日常を叱咤激励してもらうために悪くはない、なんて考えてしまう。


(Youtubeに登録のJAXAに感謝)

2017年7月13日木曜日

始めの14歩 イディッシュ語

14日目。先日の九州方面の豪雨災害と反対に、こちらは連日猛暑が続いている。教室へ通う途中、あまりの暑さに喫茶店でしばらく涼んだけれど、教室に着いたとたん汗が吹き出た・・・もしかしたら、イディッシュ語理解不足のせいで、冷や汗が出たのかもしれない。

・先生推奨の入門書(復習編):「レッスン1」(ייִדן אין אַלע לענדער)の Exercise の残り(F)を回答:短い英文をイディッシュ語に訳し、筆記体にしてホワイトボードに書くこと。

・先生紹介のネット公開教材ソフト(YiddishPOP)の「レベル2-4」(פֿרײַטיק באַק איך חלה)。バスケットボールをするスケジュールの相談・・・月曜日から日曜日まで予定を確認する。① 動詞が、文の構成単位の第2番目に置かれること。② 主語が דו の場合、「動詞(סט-)+主語(דו)」を、(סטו-)の形式に短縮できること。

(余談)素人そのものの質問だが、日本の「お盆」と似たものが、イスラエルにもあるのかうかがった・・・先祖供養というか、先祖と一体感を持って、一族が集うような風習があるのか知りたくて。(極東の日中韓でも先祖の捉え方は大部違っているように思うのだが、まして神との契約主体のユダヤ社会ではどうなのだろう?)

(本ブログ関連:”始めの ~歩 イディッシュ語”、”イディッシュ語”)

(音楽の宗教的意味合いについて存じませんが、とはいえ余りにも有名な・・・容赦を)

(Youtubeに登録のThe Soul of Jewish Musicに感謝)