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2013年7月30日火曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 煙草

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(7/24)に、文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第16回として、「煙草(담배)」について紹介された。

まず煙草の効用の紹介から始まった。
・朝鮮王朝22代目の王、正祖(정조)の詩文「弘齋全書」には、「暑さに対しては、これを和らげてくれる・・・。また寒さも和らげてくれる・・・。食事の後・・・寝付けないとき・・・詩を書いたり文章を書くとき、会話をするとき、正座をして心静めるときなど、どのようなときもとても有益」という煙草の効用について記載がある。

▼「煙草打令(담바귀타령)」を聴く。とても洗練(今様化)された歌い方・・・紫煙がゆらり漂うよう。

・次に煙草の伝来と普及について次のように解説された。
煙草は、朝鮮時代中頃(1600年前後)に日本から伝来して、当初は「南草」もしくは「南靈草」と呼ばれた。後に日本語の「タバコ」が変化して、「タムバゴ」や、「タムバグィ」と呼ばれるようになった。
煙草は薬と考えられ、例えば寄生虫で腹を壊したとき、歯が痛むときなどに喫煙すると苦痛が和らいだという。また虫に刺されたとき、煙草を吸った後の唾液を塗ったり、傷口を止血した。膿みができたときも煙草が利用された。特に老廃物除去の効用が長く信じられた。
このような理由から、煙草は老若男女問わず、幅広く愛用して親しまれた。
学問を教える師匠と弟子が、ともに向かい合って煙草を吸ったり、朝廷で煙草をくわえながら議論したため、王殿は煙草の煙でいっぱいだったという記録まで残っている。

▼童謡「唐辛子を食べてぐるぐる、煙草を吸ってぐるぐる」を聴く。童謡ですけど・・・煙草を吸ったの? それとも煙草の葉を食ったの?・・・解釈は諸説あるような?

最後に禁煙について次のように説明した。
・喫煙の習慣を憂慮する声も上がった。特に光海君(광해군)は煙草の煙を嫌い、その後目上の人前で喫煙を避ける習慣が広まった。許薰(허훈)は、子供の禁煙の詩「禁南草(금남초)」を作った。詩中、煙草のせいで、肺の中が真っ黒になり、顔は浅黒くなり、態度も傲慢となり、元気もなくなると、その害について淡々と綴り、煙草は百害無益と指摘した。現在でも当てはまる言葉だろう。

▼京畿民謡「沙鉢歌(사발가)」を聴く。・・・いろいろな歌詞があるようで、まさに煙草の煙りです。

旧いメディアは大丈夫かな?

その昔(あるいは今も?)、大きな会場のスクリーンに、リモコン操作でコマ送りできるスライド映写機が使われた。そのスライド写真は今も保管され参照できるのだろうか。

家族の思い出を楽しむツールに、家庭用8mm映像フィルム、VHSやβビデオカメラの録画テープなどがある。さらに、DVDやブルーレイ・ディスクはどうだろう。わずか一世代中に技術革新はすさまじく、次々新商品になって登場して、人々はそのたび付き合わされてきた。

後の世代は、残された様々な機器を操作できるのだろうか。陳腐化したメディアをどう扱えばよいだろうか。東京新聞の記事「開かずの電子資料 OS更新 図書館泣かせ」(7/28、中村陽子)は、PCのOSバージョンアップによる問題を次のように報じている。(抜粋)
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・融資の審査などに使う「第11次 業種別審査事典」CD-ROM版、江戸期に編さんされた名所案内「江戸名所図会」のデジタル解説書…。東京都立中央図書館で、CD-ROMの一枚をパソコンのドライブに入れると、目次までは表示されるが、その先はエラーメッセージが表示され、再生できない

・電子情報の長期保存について研究している小林敏夫氏(神奈川大非常勤講師)は「超長期に情報を保存し、必要な時に再生できる仕組みを作らなければ、やがて大量にデータが消える。その中には人類にとって貴重な情報も含まれるだろう」と指摘する。情報を処理する技術は、この数十年で飛躍的に発達してきたが、保存にはあまり目が向けられてこなかった。「社会活動のほとんどが電子技術に依存する時代。デジタルデータの長期保管の問題は、図書館だけでなく、研究機関や企業も一緒に取り組むべき課題だ」と話している。
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これって、後先き考えない技術進歩の呪縛に気付く・・・工学は時代を超えられない。

ところでわが家は、VHSテープをいつか見るためと、プレーヤーとブラウン管テレビを残しているが、利用した記憶はない。一方、Windows3.1対応の、北方ルネッサンスの画家を紹介したCD「ファン・エイク」(新潮美術ROMシリーズ、1997年)は、Windows7でも以前同様に動作してくれる。運がいいのかな。

2013年7月29日月曜日

江辺歌謡祭

イ・ソンヒが歌謡界にデビューするきっかけとなった、MBCの第5回「江辺歌謡祭(강변가요제)」(1984年)に於いて、仁川大学の男女デュエット「4幕5場」として、「Jへ(J에게)」を歌い大賞を受賞したのが、29年前の今日だった。

(本ブログ関連:"(資料)イム・ソンギュン")

この「Jへ」を作詞・作曲したイ・セゴン(李世建、이세건)とイ・ソンヒの出会いは、彼女が高校2年生のときに通っていた音楽教室でのことで、ある意味、この曲を救い運命を変えたのは、他ならぬイ・ソンヒ自身だったといえる。

(本ブログ関連:"「Jへ」との出会い"、"チャン・ウクチョ音楽室")

さらに、この曲タイトルにあるイニシャルの「J」は、作者イ・セゴンが友人のドイツ留学先に送る手紙の書き出しの宛名書きからヒントを得たという話がある。

(本ブログ関連:"イニシャルJ")

ステージ上での彼女の髪型やスカートをはいていた理由など、この歌謡祭にまつわる話題にはこと欠かない・・・。

(本ブログ関連:”江辺歌謡祭”)



(Youtubeに登録の526apolloに感謝)

2013年7月28日日曜日

夏の熱気に誘われて

コーラス・グループ「サーカス」の女性ボーカルの叶正子さんは印象的でした。現在、娘さんがメンバーに加わって新しい構成になっているそうで・・・先日、ラジオでうかがったばかりですが。

サーカスの曲といえば、夏に相応しいかな、「MR.サマータイム」(1978年)が忘れられません。お洒落で、情熱的で、そして危うい歌詞に惹かれないわけにはいきませんでした。でも、叶さんのセンスというか、イメージの良さが曲の美しさを際だたせてくれていたのを覚えています。

ところで、「MR.サマータイム」の原曲は、Wikipediaによれば、フランスのシンガーソングライター、ミッシェル・フュガン(Michel Fugain、1942年12月グルノーブル生まれ)作曲の「Une Belle Histoire」だそうです。こちらは、物語にしては早回しでしょうか、たとえ神の導きによる贈り物だったにしても。もう少し叙情が欲しいものです。南と北に分かれる二人には、若過ぎたのでしょうね。

で、どちらを聴こうかな・・・やっぱり、サーカス版を聴くことにしましょう。



(Youtubeに登録のAyakoFuji2に感謝)

2013年7月27日土曜日

この砂はみんな水晶だ。中で小さな火が燃えている。

ブラジルの肩に当たる、大西洋に面した北東部州の海岸に「レンソイス・マラニャンセス国立公園(Parque Nacional dos Lençóis Maranhenses)」がある。砂漠と見間違えるほどの広大さであるだけでなく、何よりも特徴的なことに、真っ白な砂つぶからできていて「純白の砂漠」と形容されること、雨期に点在する大きな池に、そのときだけ産卵のため魚が出現することを、TBSのテレビ番組「奇跡の絶景ミステリー 地球46億年!大自然の神秘はこう創られた」が紹介した。

15万5000haの公園に広がる砂丘の白砂は、100%石英砂でできている。石英の砂が集まると、雪と同じで原理で、白く見える・・・と解説していたが、幾重にも繰り返される白砂の砂丘世界は想像を超える。室内でテレビ画面から知る、白い世界はどうだったのだろうか・・・太陽光まぶしさ、砂漠の風、気温、白砂の反射光と熱気、そして白い世界の香り・・・直接経験してみたいものだ。

ブラジル北部の地質は火成岩の花崗岩(石英を成分のひとつとする)でできていて、それが地上に押し上げられ、やがて川に削られ、海へ流される。遠浅の海岸に流されついたとき、石英だけが分離され、風の力で逆に内陸へと運び打ち上げられることで、巨大な石英粒の海岸を形成したという。

真白の世界、それはファンタジーのような夢の舞台だ。手にする砂が、白く輝き指の間をサラサラと流れ落ちる・・・まるで、銀河の乳白色の世界を確かめる、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」のようだ。
二人の少年、ジョバンニとカムパネルラが、「銀河鉄道」の停車駅「銀河ステーション」で降りて見た光景を思い出す。

ちなみに、石英の中で透明な結晶をしたものを水晶という。
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カムパネルラは、そのきれいな砂を一つまみ、掌(てのひら)にひろげ、指できしきしさせながら、夢(ゆめ)のように云っているのでした。
「この砂はみんな水晶だ。中で小さな火が燃えている。」
「そうだ。」どこでぼくは、そんなこと習ったろうと思いながら、ジョバンニもぼんやり答えていました。

河原の礫(こいし)は、みんなすきとおって、たしかに水晶や黄玉トパースや、またくしゃくしゃの皺曲(しゅうきょく)をあらわしたのや、また稜(かど)から霧(きり)のような青白い光を出す鋼玉やらでした。ジョバンニは、走ってその渚(なぎさ)に行って、水に手をひたしました。けれどもあやしいその銀河の水は、水素よりももっとすきとおっていたのです。それでもたしかに流れていたことは、二人の手首の、水にひたったとこが、少し水銀いろに浮ういたように見え、その手首にぶっつかってできた波は、うつくしい燐光(りんこう)をあげて、ちらちらと燃えるように見えたのでもわかりました。
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2013年7月26日金曜日

津波が湾内の泥を押し流すこと

異性を知らずこの世を去った若者を惜しんで、せめてあの世で男女の縁を結ばせようとする儀式が日本や近隣の国々にある。空想の婚姻でも、残された者にとっては、命の永続性を願うことに通じる。

しかし既婚者が亡くなったとき、あの世の世界に、以前と異なる男女の関係が突然現れたら厄介なことだろう。あの世は不可侵なのだから。

以前、NHKテレビで東北の大震災のドキュメント中に、柳田国男の「遠野物語」にある、次の伝承に通じるできごとが紹介された。
事実に人のこころの難しさを感じたが、あの世とこの世をさ迷う、現(うつつ)の幻視かもしれない。震災は、深く沈殿していた「わだかまり」を呼び覚ましつつも、津波という大きな不幸とともに流し去る機会を与えてくれたのかもしれない。

「遠野物語 九十九」(改行、読点任意設定)
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土淵村の助役北川清という人の家は、字火石(ひいし)にあり。代々の山臥(やまぶし)にて祖父は正福院といい、学者にて著作多く、村のために尽したる人なり。
清の弟に福二という人は、海岸の田の浜へ婿(むこ)に行きたるが、先年の大海嘯(おおつなみ)に遭いて妻と子とを失い、生き残りたる二人の子とともに元(もと)の屋敷の地に小屋を掛けて一年ばかりありき。

夏の初めの月夜に便所に起き出でしが、遠く離れたるところにありて行く道も浪(なみ)の打つ渚(なぎさ)なり。霧の布(し)きたる夜なりしが、その霧の中より男女二人の者の近よるを見れば、女は正(まさ)しく亡くなりしわが妻なり。思わずその跡をつけて、遥々(はるばる)と船越(ふなこし)村の方へ行く崎の洞(ほこら)あるところまで追い行き、名を呼びたるに、振り返りてにこと笑いたり。男はとみればこれも同じ里の者にて海嘯の難に死せし者なり。自分が婿に入りし以前に互いに深く心を通わせたりと聞きし男なり。

今はこの人と夫婦になりてありというに、子供は可愛(かわい)くはないのかといえば、女は少しく顔の色を変えて泣きたり。死したる人と物いうとは思われずして、悲しく情なくなりたれば足元(あしもと)を見てありし間に、男女は再び足早にそこを立ち退(の)きて、小浦(おうら)へ行く道の山陰(やまかげ)を廻(めぐ)り見えずなりたり。追いかけて見たりしが、ふと死したる者なりしと心づき、夜明けまで道中(みちなか)に立ちて考え、朝になりて帰りたり。その後久しく煩(わずら)いたりといえり。
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2013年7月25日木曜日

イ・ソンヒの「あなたに会いたいときは」(再)

イ・ソンヒの8集に所収の「あなたに会いたいときは(너를 만나고 싶을땐)」(作詞ファン・チョンウォン、作曲キム・ヨンドン、1992年)は、無垢な恋が時間も位相も迷路にあるようでかわいらしい。
それも、8集のほぼ全体を作曲した、作曲家キム・ヨンドンの曲調の多様さから聴いてしまうのだろう。

この涼やかな曲を聴いていると、わたしも爽やかな風にあたり、夏の夕べのしるしをうけたい気がする。

(本部ログ関連:"あなたに会いたいときは")



(Youtubeに登録のKnightmareSMに感謝)

2013年7月24日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 三伏

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(7/17)に、文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第15回として、(日本の夏の「土用の丑の日」のような)夏の最も暑い時期を意味する「三伏삼복)」について紹介された。

まず、三伏の起源について次のように始まった。
・一番日の長い夏至を過ぎると、本格的な夏が来る。韓国では、特に陰暦の6~7月頃の最も暑い時期を「三伏」といい、「初伏」、「中伏」、「末伏」の三つの日を合わせた言葉だ。また「伏」の字には、人も犬のように地面に這いつくばるの意がある。
陰陽五行で、「夏の火」に対し「秋の鉄」が三度屈服する説もあり、ことわざに、「三伏の期間には唇についたご飯粒も重い」がある。三伏の日は、仕事を休み、山川で涼み、精のつく料理を食べて一日を過ごす。

▼パンソリ「水宮歌(수궁가)」の中から、宴会での「鳥やけものたちの上座争い(날짐승 상좌다툼하는데)」の題目を聴く。パンソリ「兎鼈歌」・・・知恵あるウサギの肝か?

次に、三伏の食習慣(ケジャンクク)について次のように説明された。
・三伏の日に、屋外で食事をすることを、「ポクタリム(복달임)」、または「ポンノリ(복놀이)」といい、スイカやマクワウリの果物、小豆粥を炊いたもの、参鶏湯やケジャンクク(개장국、犬肉の煮込み)を食べた。
朝鮮時代後期の風俗を綴った、1840年前後の「東国歳時記」(洪錫謨著、東洋文庫版より)の旧暦6月の「三伏」の項の「狗醤」に、「狗(イヌ)肉を煮てそれに葱(ネギ)を和し、再びよく煮る。名づけて狗醤(クチャング)という。これに鶏肉や竹筍(タケノコ)をいれれば、更に味がよくなる。狗醤に胡椒をふりかけ、白飯を入れたのを時食として食べる。このようにして発汗すれば、暑気を退け、虚弱を補強するのに効き目がある。だから市中でも、これが多く売られる。」と記している。

(本ブログ関連:"東国歳時記")

・陰陽五行では、犬は東西南北の「西の動物」で、「鉄の気運」を持っており、「夏の火」の気運によって、体中の鉄の気運が溶け出すところ、犬を食べることで、「鉄の気運」を補うと説明する。

▼西道地方の民謡で、「狗打令(개타령)」を聴く。やっぱりイヌの鳴き声、夜も過ぎて朝にもなれば鶏のコケコッコー、何があったのやら・・・。

最後に三伏の日の行事について次のように解説された。
・昔は、休暇や旅行をすることはなく、谷や川辺で冷たい水につかったり、髪を洗ったりすることを行事のひとつと考えられた。ソウルでは、三清洞の井戸の水を飲んだり、川で行水をしたりしたという。この日に、薬水といわれる泉の水で髪を洗うと、病気が去り、できものも良くなると信じられた。そのため、この風習を「水に当たる」ともいう。
人に酷な夏の暑さも、田の稲には、初伏、中伏、末伏の度に一歳年を取るといわれ、ありがたがられた。農夫は、三伏の日に、お餅やチヂミを持って田に行き、豊作を祈願した。また農家では三伏の日の雨を「農事雨」と言い、豊作をもたらすとして歓迎した。暑い日の、かすかに吹く風、暑さを追い払うかのようなにわか雨(소나기)に、ありがたく感じる。

▼「風の花園(바람의 화원)」を聴く。・・・題名の通り今様である。

岸さんのことば、「微かな風、僅かな雨といった、小さな自然の恵みにも感謝の心を持つことが、実は夏を楽しむ方法のひとつかも知れませんね」。

2013年7月23日火曜日

ブログ(Blogger)をクロームで表示する(続)

ブラウザを「クローム(Chrome)」に変更したところ、見かけ上、問題なく早い感じで本ブログが表示されるようになった。しかも、「メインページ」を7件に落としたけれど、14件に戻しても問題ないようだ。

クロームの場合、IEと違って、テキスト部分をまず優先してザ~ッと表示し、その後、埋め込んだYoutube映像などを(ページをスクロールするごとに)パラパラと次々表示していくように見える・・・詳しいことはサッパリわからないけれど。

使い勝手からいいんじゃないかな・・・すぐに埋め込みのYoutubeを起動することもないのだから。時間差を利用した、効率的なページ内展開だと思いますよ。

今日から、ブラウザは「クローム」!に完全に切り替えることにした。

(本ブログ関連:"ブログ(Blogger)をクロームで表示する")


(後日追記)
二十四節気の「大暑」の名の通り、暑い一日だった。おまけに、夕方に土砂降りで、いっとき建物の中で時間を過ごすはめになった・・・蒸し暑さは返って増すばかり。


2013年7月22日月曜日

ブログ(Blogger)をクロームで表示する

どうしたらよいのか。本ブログ(Blogger)の表示がとても遅いのだ。

主にブラウザとして、「IE」を利用してきたが、本ブログ立ち上げ時の「メインページ」がとても重いのだ。設定の「最大件数で表示」を、31件→14件→7件に減らしていったが、効果が見られない。

ちなみに表示時間を次のwebwaitで測定した。
http://webwait.com/

(上記の7件表示で設定で)、ブラウザを「クローム(Chrome)」に変更したところ、今度はIEと比べて早く表示するようになった。

それでも、平均 15.09 sec になった。(23.04 sec のときもある・・・)

やっぱり、「Google Blogger」は、クロームがいいのだろうか・・・なぜ?

2013年7月21日日曜日

イ・ソンヒの企業イベント参加

今月中旬に行なわれた、イ・ソンヒのしばらく振りのステージを、Youtubeで見ることができる。といっても、企業イベントに参加したときのもののようだ。相変わらず健やかな笑顔と、すっきりとした歌声で聴衆の心をとらえていた。

歌手生活として必要な選択だったろうけれど、いろいろな意味で考えさせられる。

(追記)
そういえば地元小学校の夏休みは、7月20日(土)~8月31日(土)で、昨日の土曜日から始まっていた。ご近所のかわいい小学生が昼頃に、「こんにちは!」と可愛い挨拶を受けたのはそういうことだったのかと・・・楽しい!夏休みが始まった。

2013年7月20日土曜日

「サンドロール」ネクター完熟バナナクリーム&ホイップ

コッペパンである。ただし、バナナ味のクリームを、その上面中央、縦長の切れ目に塗り込んでいる。

コッペパンの語源は別にして、子どものころのコッペパンは、真ん中に切れ目も、味もなかった。いってみれば、給食に出てくる(主食)パンのイメージだった。

それが或るとき、コッペパンの中央切れ目に、白色のバタークリームを満たし、中央に赤い半球のゼリーを置いてあるものが登場して、菓子パンの代表みたいだった記憶がある。生クリームのケーキが出てくるまで、パン屋がつなぎの役を果たしてくれたのだ。今も、ときたま似たような菓子パンを目にすることがあるが、そっけなく目を他に移すと、何だか罪深い思いをする。あれほど憧れていたのに、そんなに簡単に忘れることができるのかと・・・菓子パンの視線を感じるのだ。

不思議なことに当時、バナナ味のクリームが入った菓子パンはなかったなあ。バナナ味の棒アイスはあったのに。いや、もしかしたらバナナ色のクリームの入ったコッペパンがあったかもしれない・・・な。

さて、このバナナ味がするコッペパンの商品名は、「『サンドロール』 ネクター完熟バナナクリーム&ホイップ」(山崎製パン)という。サンドロールというネーミングで、別物になってしまいそうだ。
味は懐かしい甘味・風味だ・・・そう、パンの袋に解説があって、「不二家の『ネクター完熟バナナ』をイメージしたバナナクリームと、ホイップクリームをサンドしました」とある。タイアップ商品だ。

バナナクリームは、完熟の名に相応しく熟したバナナの色・・・そう、あの薄茶色なのだ。ところが、ホイップクリームについては、食ってしまった後でパン袋の記載で気付いたので、残念ながら未確認だ。
バナナが貴重品だった頃を知らない、今の子どもたちがどんな反応するのか知りたい。わたしにしてみれば、郷愁のバナナ味なのだから。

ところで、「不二家の『ネクター完熟バナナ』」は未飲。有名メーカーなのに気付かなかったとは・・・次回、スーパーストア店頭で、よ~く観察・探さねばならない。こちらの味も確かめたい。

バナナ味の巡礼はまだまだ続くよ。

(本ブログ関連:"バナナ")

2013年7月19日金曜日

イェイツの「宝石を食ふもの」

芥川龍之介訳による、イェイツの「ケルトの薄明(THE CELTIC TWILIGHT)」(William Butler Yeats)の中の3編が青空文庫に掲載されている。原本は、「(全体は約四〇の章からなる)ケルト民族の持つ、精霊や幻想の話を集めた小品、挿話集」とのこと。

青空文庫にある、3編のひとつに「宝石を食ふものthe eaters of precious stones)」がある。白日の夢に見た光景をなぞらえて、ケルト芸術の疲弊を暗喩したのだろうか、美しい宝石を貪るサルの姿に、「美なる物を求め、奇異なる物を追ふ人々が、平和と形状とを失つて、遂には無形と平俗とに堕する事を知つた」。真の美を、俗において我執にはかる限り、それは物欲の対象以外の何物でもなく、跡には底なしの空虚だけが残ることになる。

(本ブログ関連:"薄田泣菫「石を愛するもの」"、"青空文庫”)
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Ⅰ 宝石を食ふもの

平俗な名利の念を離れて、暫く人事の匆忙(そうぼう=忙しさ)を忘れる時、自分は時として目ざめたるまゝの夢を見る事がある。或は模糊たる、影の如き夢を見る。或は歴々として、我足下の大地の如く、個体の面目を備へたる夢を見る。其模糊たると、歴々たるとを問はず、夢は常に其赴くが儘に赴(おもむ)いて、我意力は之に対して殆ど其一劃を変ずるの権能すらも有してゐない。夢は夢自らの意志を持つて居る。そして彼方此方と揺曳(ようえい)して、其意志の命ずるまゝに、われとわが姿を変へるのである。

一日、自分は隠々として、胸壁(きょうへき=盛土)をめぐらした無底の大坑を見た坑は漆々然として暗い。胸壁の上には無数の猿がゐて、掌に盛つた宝石を食つてゐる。宝石は或は緑に、或は紅に輝く猿は飽く事なき饑(き=飢え)を以て、ひたすらに食を貪るのである

自分は、自分がケルト民族の地獄を見たのを知つた。己自身の地獄である。芸術の士の地獄である。自分は又、貪婪(どんらん)止むを知らざる渇望を以て美なる物を求め奇異なる物を追ふ人々が、平和と形状とを失つて、遂には無形と平俗とに堕する事を知つた

自分は又他の人々の地獄をも見た事がある。其一つの中で、ピイタア(Peter)と呼ばるゝ幽界の霊を見た。顔は黒く唇は白い。奇異なる二重の天秤の盤(さら)の上に、見えざる「影」の犯した悪行と、未(いまだ)行はれずして止んだ善行とを量(はか)つてゐるのである。自分には天秤の盤(さら)の上り下りが見えた。けれ共ピイタアの周囲に群つてゐる多くの「影」は遂に見る事が出来なかつた。

自分は其外に又、ありとあらゆる形をした悪魔の群を見た。魚のやうな形をしたのもゐる。蛇のやうな形をしたのもゐる。猿のやうな形をしたのもゐる。犬のやうな形をしたのもゐる。それが皆、自分の地獄にあつたやうな、暗い坑のまはりに坐つてゐる。そして坑の底からさす天空の、月のやうな反射をぢつと眺めてゐるのである。
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2013年7月18日木曜日

薄田泣菫「石を愛するもの」

インターネットの「青空文庫」に、薄田泣菫の「石を愛するもの」という短文がある。石を愛でる中国古典の奇人を述べている。変わらぬ石を愛着する姿に、神仙の不易に似たものを感じるかもしれないが、その実、生身の世俗部分がひょいと顔を出す可笑しさがある。

(本ブログ関連:"青空文庫”)

Wikipediaによれば、「宋代の書家として名声を馳せた米元章」は、「米芾(米元章)は奇矯な性格で、古書・名画を貪欲に蒐集するばかりではなく、奇石怪石の蒐集も趣味とし、名石に出会うと手を合わせて拝み、石に向かって『兄』よばわりするほどであったと伝えられる。よって、しばしば狂人扱いされて」とある。
ちなみに、米元章が居を定めたという潤州(現在の江蘇鎮江)から北西二百数十Km先に、奇石を産するという霊璧の地がある。

米元章の石好きに対して、それ以上に物欲をみせてしまった上役の滑稽な話を薄田泣菫はつぎのように著している。(抜粋)
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霊璧は変つた石を産するので名高いところだが、米元章はそこからあまり遠くない郡で役人をしてゐたことがあつた。大の石好きが、石の産地近くに来たのだから堪らない。元章は昼も夜も石を集めては、それを玩んでゐるばかしで、一向役所のつとめは見向かうともしないので、仕事が滞つて仕方がなかつた。ところへ、丁度楊次公が按察使として見廻りにやつて来た。楊次公は、元章とは眤懇のなかだつたが、役目の手前黙つてもゐられないので、苦りきつていつた。
『近頃世間の噂を聞くと、また例の癖が昂じてゐるさうだね。石に溺れて役向きを疎にするやうでは、お上への聞えもおもしろくなからうといふものだて。』
 米元章は上役の刺(とげ)のある言葉を聞いても、ただにやにや笑つてゐるばかしで、返事をしなかつた。そして暫くすると、左の袖から一つの石を取出して、按察使に見せびらかした。
『といつてみたところで、こんな石に出会つてみれば、誰だつて愛さないわけにゆかないぢやありませんか。』
 楊次公は見るともなしにその石を見た。玉のやうに潤ひがあつて、峰も洞もちやんと具つた立派な石だつた。だが、この役人はそしらぬ顔ですましてゐた。すると、米元章はその石をそつと袖のなかに返しながら、今度はまた右の袖から一つの石を取出して見せた。
『どうです。こんな石を手に入れてみれば、誰だつて愛さないわけに往かないぢやありませんか。』
 その石は色も形も前のものに較べて、一段と秀れたものだつた。米元章はそれを手のひらに載せて、やるせない愛撫の眼でいたはつて見せた。楊次公は少しも顔色を柔げなかつた。
 米元章はその石をもとのやうに袖のなかに返したかと思ふと、今度はまた内ふところから、大切さうに第三の石を取出した。按察使はそれを見て、思はず胸を躍らせた。黒く重り合つた峰のたたずまひ、白い水の流れ、洞穴と小径との交錯、――まるで玉で刻んだ小天地のやうな味ひは、とてもこの世のものとは思はれなかつた
『どうです。これを見たら、どんな人だって、愛さないわけにはゆきますまい。』
 嬉しくてたまらなささうな米元章の言葉を、うはの空に聞きながら、楊次公は呻くやうに言つた。
『ほんたうにさうだ。私だつて愛する…………』
 そしてすばしこく相手の手からその石をひつ攫(さら)つたかと思ふと、獣のやうな狡猾さと敏捷さとをもつて、いきなり外へ駆け出して往つた。
 門の外には車が待たせてあつた。楊次公はそれに飛び乗るが早いか、体躯(からだ)中を口のやうにして叫んだ。
『逃げろ。逃げろ。早く、早く……』
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水晶の玉中に先を占うように、奇石に宇宙の凝縮を幻視することができれば立派な石狂いだ。ただし、この石狂い、物欲と紙一重で、奇においては狂気に走らせ、俗においては我執に囚われる。奇と俗の峻別できぬものに触ってならない世界なのかもしれない。

2013年7月17日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 東屋(あずまや)

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(7/10)に、文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第14回として、風流を感じながら涼をとることのできる「東屋(あずまや、정자)」について紹介された。

まず川遊びの話題や曲紹介から始まり、東屋と楼閣について次のような解説があった。

▼フュージョン国楽グループThe林による「夏の眠り(여름잠)」を聴く。古趣を残しながらも今様である。

・美しい山川を背景に「東屋」は、壁のない柱に屋根をのせただけで、床に木板を敷いた建屋である。私有の場合、冬にも利用できるよう中央に小さなオンドル部分を設けたという。東屋より若干大きなものを「楼閣」と呼び、ほとんどが高い丘の上や、土石で固めた土台上に建てたため「楼台」ともいう。今も、江原道江陵市の鏡浦臺や、慶尚南道晋州市の矗石樓の楼閣は全国的に知られる。
・東屋や楼閣は主に両班が使用して、詩を読み、絵を描き、音楽を聴くといった風流を楽しんだ。竹で有名な全羅南道潭陽は、東屋文化で最も有名で、都落ちしたソンビたちが集まり、各々東屋(俛仰亭、息影亭、瀟灑園、環碧堂など)を建て、「歌辞(가사)」と呼ぶ独特な詩文化を育てた。歌辞文学の大家、鄭澈(정철、1536年~1593年)も、この地で「星山別曲」、「思美人曲」など代表作を書いたといわれる。

▼「瀟灑園(소쇄원)」を聴く。風流を意識した描写的な音色・・・今様である。

代表的な庭園の瀟灑園について次のように紹介された。
・紹介曲のタイトルに使われた「瀟灑園(소쇄원)」は、16世紀に梁山甫(양산보)によって作られた庭園で、生い茂った竹道を入ると、待鳳臺、光風閣、霽月堂の小さな東屋が配置され、その間を渓流が流れ、小さな滝がある。大きくはないが、自然をそのままに生かし、空間を有効に利用して、必要に応じて手が加えられた。梁山甫は子孫に、この場所を売り渡したり、またむやみに手を加えてはならぬと遺言した。

▼江原道の「江陵鏡浦臺(강릉 경포대)」を聴く。砂洲に封されたのか、鏡浦湖の水面は静に、歌も穏やかに流れる。

2013年7月16日火曜日

イ・ソンヒの「Jへ」

イ・ソンヒのデビュー曲であり、国民歌手に一挙に高めたのが「Jへ(J에게)」(1984年)だ。彼女には、圧倒的な歌唱力だけでなく、この曲の作者との不思議な出会い、大賞受賞したMBC第5回「江辺歌謡祭」(1984年7月29日)ステージ上のスタイルなど興味深いものがある。

その江辺音楽祭が催された時期にそろそろ迫ってきた。何度も聴いては胸にしみる「Jへ」をYoutubeで見てみよう。多分、2004年20周年コンサートの映像で、その最後に歌われたもののようだ。

(本ブログ関連:"Jへ-1"、"Jへ-2"、"Jへ-3"、"Jへ-4")



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2013年7月15日月曜日

いつまでも若いねえ

子どものころ、銀幕スターが健在だった時代、いつも両親が口にしていたのは、山本富士子の「いつまでも若いねえ」だった。そうかなあ、若いっていうのは、それこそ吉永小百合のように初々しい若手女優のことではないのかなと、疑問を持ちながらも聞き流していた。

そういえば、最近の実力スターというのは誰なんだろうか。映画館に足を運んで邦画を見たのは、いつのことだろうか。なんと随分以前の「劒岳 点の記」(2009年)が一番新しいのだ。それは将来、映画界を背負っていく役者たちが演じていた。香川照之、浅野忠信だ。

では、テレビを探しても見当たらない。役者が浮かんでこないのだ。懐かしいマクルーハン流にいえば、銀幕に投影して映じられる反射の世界と、テレビ画面の内部から電子的に映じられる放出の世界の違いだろう・・・って、煙にまかれるけれど、この大量消費の現代、心的な映像に長くとどまる役者はいないようで、光りのままに発散して霧消するようだ。

いつまでも若いねえ、という前に姿を消してしまうのだろう。あるいは、若いねえといういうには、とっくに廻りが歳をとり過ぎたのだろうか。

2013年7月14日日曜日

「【萬物相】大学歌謡祭」

先月(6月)の2日に発表された、MBCの「大学歌謡祭(대학가요제)」(1977年~)の中止について、朝鮮日報の記事「【萬物相】大学歌謡祭」(7/14、呉太鎮(오태진)首席論説委員)は、大学歌謡際前後に出身の歌手たちと、歌謡祭の終焉を次のよう紹介している。

(本ブログ関連:"大学歌謡祭")
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1970年代の『KBS杯争奪全国のど自慢(KBS배 쟁탈 전국노래자랑)』は土曜日の夜、人々の目を白黒テレビにくぎ付けにした。韓国初のテレビ歌謡コンテストということで、ものすごい人気だった。71年の第1回大会年末決戦のことは40年以上も前だがはっきりと覚えている。勝者は18歳のキム・ミョンヒだった。ギターを弾きながら、細かく震えるビブラートで「セノヤ セノヤ」を歌った。現在は中堅ジャズシンガー、ユン・ヒジョンとして活躍している。丸刈りの頭を毛糸の帽子で隠した高校生チョン・ヨンノクは「デュオ」というグループで出場して奨励賞を手にした。

・この番組は70年代末に一度なくなり、80年に『全国のど自慢』として復活したが、新人歌手発掘ではなく、地域の人々が集うのど自慢大会になった。77年にMBCが始めた「大学歌謡祭」に人気を奪われたためだ。そのころの大学生たちはロックバンドに夢中だった。ソウルだけでも20を超えるバンドが毎年集まり、腕を競った。大学歌謡祭は若者文化を自作曲コンテストへと導き入れ、維新体制(朴正煕〈パク・チョンヒ〉大統領による独裁体制)に息を詰まらせていた若者たちに熱狂的に支持された。

・初期の大学歌謡祭は歌手のイ・スマン(이수만)が司会をした。ソウル大学農学部に通う大学生のバンド「サンド・ペブルス(샌드페블즈)」にいたイ・スマンは、今やK-POP界を担う大手事務所SMエンターテインメントの会長だ。第1回大賞は、イ・スマンの4年後輩のサンド・ペブルスが「僕、どうしたら(나 어떡해)」で獲得した。このグループの1年先輩に当たるキム・チャンフンが作詞・作曲した。兄のキム・チャンワンと共に「サンウルリム(こだま)」を結成した、あのキム・チャンフンだ。釜山大学合唱団「引き潮(썰물)」の「押し寄せる波の音に(밀려오는 파도소리에)」が優勝した第2回大会も話題になった。

・第2回に準優勝に当たる金賞を受賞したのは、「曲がりくねった道(돌고 돌아가는 길)」を歌った檀国大学のノ・サヨン(노사연)だった。銀賞にはペ・チョルス率いる航空大学在学生によるバンド「滑走路」の「仮面劇」が選ばれた。だが、当時人気があったのは断然、明知大学のシム・ミンギョンだった。大学生お決まりのジーンズとTシャツではなく、きちんとした襟のある水色のワンピース姿でピアノの前に座った。歌もロックやフォークではなく、トロット(明るい歌詞やメロディーの演歌)だった。シム・ミンギョン(심민경)はピアノを弾きながら自作曲「あの時 あの人(그때 그 사람)」を情感豊かに歌った。間もなく「歌手シム・スボン(심수봉)」としてデビュー、この曲は歌謡ランキング番組を総なめにした。

・数々のスター歌手やヒット曲を生み出した大学歌謡祭が、その歴史にピリオドを打った。MBCは、「制作費がかなり掛かるのに視聴率は非常に低い。大衆と呼応できない『むなしいこだま』だった」と理由を説明した。2000年代になるとスター育成は芸能プロダクションが担うようになった。そして歌手の登竜門といえばオーディション番組に取って代わられた。昨年の大学歌謡祭の賞金は500万ウォン(約44万円)だったが、オーディション番組の賞金は5億ウォン(約4400万円)に達した。あらゆる分野間で壁が取り払われようとしている時代に、大学生という「くくり」があるのも感覚的に古かったのだろう。70-80年代に青春を過ごした世代にとってまた一つ、思い出が遠くなった。
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2013年7月13日土曜日

コンサート専用会場の急務

韓国の(主にソウルの)コンサート会場の現況から、イーデイリーの記事「コンサート専門公演会場 至急だ」(7/1、カン・キョンロク記者)は、コンサート専用会場の必要性を次のように報じている。(抜粋)
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大衆文化評論家カン・テギュ審査委員の提言

チョー・ヨンピルとイ・ムンセ。久しぶりに繰り広げられた両巨匠の舞台は、偶然にも音楽専門の公演会場ではなかった。体育競技場でコンサートを催したという事実が、いつまでも心残りだ。両公演会場ともに最高のサウンドを演出するには、構造的限界を持つ場所だ。もし、音楽公演のための専門の公演会場だったら、胸にぶつかる(響く)音の感度は想像以上だっただろう。

蚕室(チャムシル)運動場で公演が行なわれるとき、この場所で公演をしたひとたちの助けが切実なわけだ。チョー・ヨンピルの公演を支援するチームは、ノウハウがあると聞いた。体育館で公演を開けば、空気と音の流れの妨げを多く受けるほかない。音楽の音が裂けて、歌手の声が潰れる。

最近、文化体育観光部が、京畿道高陽市一山(イルサン)の韓流ワールドになるコンサート専用公演会場を設立することに決めた。1万5,000人以上を収容できる規模だ。韓流ワールド内の、2万余坪の公演会場敷地の無償使用と、収益許可などを通した民間投資事業で推進される。のろかったが、歓迎するだけのことだ。惜しい点は、ソウル市内にこれぐらいの規模の専門公演会場がまだないという点だ。


★(現在)コンサートが開かれている主な場所

◇蚕室(잠실)総合運動場
位置: ソウル特別市松坡区(ソンパグ)マドゥル路5街道113(蚕室洞10).
規模: 70,091席.

◇ソウル・ワールドカップ競技場
位置: ソウル特別市麻浦区(マポグ)、上岩(サンアム)地区.
規模: 66,806席

◇世宗文化会館大劇場
位置: ソウル、鍾路区(チョンノグ)世宗大路175(世宗路81-3).
規模: 3,022席.

◇チュンム・アートホール
位置: ソウル特別市中区、興仁洞(フンインドン)131.
規模: 大劇場(1,236席)、中劇場ブラック(327席)、小劇場ブルー(258席)=総1,821席.

◇芸術の殿堂
位置: ソウル特別市瑞草区(ソチョグ)、瑞草洞(ソチョドン)700.
規模: オペラハウス-オペラ劇場(2,340席)、トウォル劇場(675席)、自由小劇場(400席)、音楽堂-コンサートホール(2,600席)、リサイタルホール(400席)=総6,415席.

◇ユニクロ アクス(UNIQLO AX)
位置: ソウル特別市広津区、広壮洞319-33.
規模: 1,090席(スタンディング公演基準2,500人).

◇オリンピック体操競技場
位置: ソウル特別市松坡区、芳夷洞88-2.
規模: 14,730席.

◇奨忠(장충)体育館
位置: ソウル特別市中区、獎忠洞2街200-102.
規模: 5,248席.
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2013年7月12日金曜日

イ・ソンヒとシン・スンフンの「思い出のページをめくれば」

90年代、イ・ソンヒの完成度を高めたといわれる名曲「思い出のページをめくれば(추억의 책장을 넘기면)」(1990年、6集)を、シン・スンフンとデュエットする珍しい映像をYoutubeで見た。ともにバラード歌手として、(韓国の)国民歌手の名を冠しているだけに大いに期待して・・・といっても、随分と古い画面だ。

(本ブログ関連:"思い出のページをめくれば")

一体いつ頃のものだろうか。1990年デビューした頃のシン・スンフンだろうか。正直なところ、イ・ソンヒの歌に対して、音程、貫禄で対等ではない・・・そんな時期のもののようだ。
とはいえ、現在のシン・スンフンは、アルバム枚数、コンサート回数など飛び抜けた存在である。



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2013年7月11日木曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 麻

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(7/3)に、文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第13回として、「麻(모시)」について紹介された。

まず麻糸をよるときの歌の紹介から次のように始まった。
・伝統衣装の韓服は、今もわずかだが年を通してお爺さんやお婆さんが着て過ごす。季節ごと素材が違い、夏は雪のような白い麻だ。
・トンボの羽のように細かく編んだ麻服を作るのは至難の技で、4千回に渡る作業工程が必要という。そのひとつに「モシサムギ」があり、(イラクサ科の植物)カラムシ(苧、모시풀)から繊維を取り出し、唇と唾液で糸をよる作業を語る、女性歌曲(가곡)の「モシルル(모시를)」がある。
・切れた糸を再びつなぐように、愛もつなぎつながって永遠なることを祈る女性の心が歌われる。

▼女性歌曲「モシルル」を聴く。糸は愛もつなぎ、命もつなぐよう・・・糸よりの作業で女性の間で歌われたのだろう。淡々とした時間(の流れ)を感じる。

麻布の特徴と歴史について次の解説があった。
・真夏に気温が40℃に近づく湿気の多い韓国では、糊付けされた薄い麻服は、最高級の贅沢品だ。パリッとする生地は、風をよく通し、汗をかいても体につかず快適だ。古くなれば少し手を加えて、新しい服のようによみがえる。
・夏に生い茂ったカラムシを刈り、水につけ、天日に干す作業を繰り返し、白くなった硬い繊維を、つばをつけながら歯で細く割り裂く。歯で作業するため、歯がぼろぼろになったという。
・麻は乾燥に弱く、すぐに切れる。梅雨に、部屋の戸を閉め、湿気の多い室内で作業すると、糸はやわらかく、機織機もスムーズになる。できあがった糸は、漂白したり、米ぬかや紅花などで染めた。

▼慶尚北道醴泉に伝わる「サムサンヌン(삼삼는)ソリ(소리)」を聴く。回転作業のためかリズムをもって歌う、いかにも労働の歌だが、繰り返す旋律が次第に根を張るようだ。

・製作に人手のかかる麻の服は、「自然の風、太陽の光り、そして時間。ひとびとの真心が作りあげた賜物といえるかもしれません」。
・麻服は、高麗時代に王から庶民まで広がり、朝鮮時代に高級化が進み麻の生産禁止令が出たほどだ。近年、麻は超高級品として認識されるが、現在(中国産の麻が増え)、韓国産の入手が難しく、カラムシから糸をとる人々も少なくなっている。

▼「ハヌルソ(하늘소)」を聴く。・・・カミキリムシ。そうか噛み切るところからの選曲か・・・今様だ。

2013年7月10日水曜日

え~っ、東京はこんなに暑いのか

昨日まで3泊4日、新潟・秋田・岩手の三県をまたがって鉱物採集巡りをした。戻ってみて東京がこんなに暑いなんて想像もしなかった。なにしろ、雨合羽を着てずぶ濡れになりながら鉱山ズリ跡を探していたのだから。

(本ブログ関連:"新潟・秋田・岩手鉱物採集")

雨に濡れた毎日、地元に温泉を探しては、暖まり着替えしなければならなかったが・・・いい経験だった。「鉱物採集≫温泉」もいいが、「鉱物採集≒温泉」はもっといいだろう。

近所のひまわり畑が今年も花を咲かせている。姿も小さく、畑地も大きくはないが、一面に埋まる黄色いひまわりは、暑い夏の風に相応しい。ひまわりはまだまだ大きくなるだろうから、これから楽しみだ。

2013年7月9日火曜日

新潟・秋田・岩手鉱物採集(3) 和賀仙人鉱山

(後日追記)

昨日中に秋田から、福島に移って、ようやく天気は落ち着き始めたが、相変わらずの怪しい曇り空だった。採集成果は残念だったが、番外のものがあった。

・目的の場所へ移動するも、連日の雨で河が増水して、渡河できない・・・というより、この崖をどうやって降りるつもりだのかと不安になる。

・結局、あきらめて帰途につこうと駐車した場所から国道へ坂を登ろううとしたとき、キャンイングカーがスリップしてしまう。脇の林の中を見ると、どうやらこの場所は苦労するらしく、枯れ木が積んである。これを下敷きにして登ることができた。もちろん、漬かった枝木は元に戻した。

・伝聞情報があって、近くにズリがあるので探そうということになり、見つけた場所に番外の鉱物があった。この旅の最後にして最大の贈り物だ。

・昼を越えてしまい、急いで帰宅の途についた。その途中、「湯田ダム」(総貯水量:1億1416万㎥)に寄って、例のダムカードをもらう・・・癖になりそう。

・家に戻ったのは、とうに深夜零時を越えていた。同行のみなさんお疲れさま。

(本ブログ関連:"新潟・秋田・岩手鉱物採集")

2013年7月8日月曜日

新潟・秋田・岩手鉱物採集(2) 亀山盛鉱山、荒川鉱山

(後日追記)

昨日中に新潟から、秋田に移ったが、今朝から小雨が降ったり止んだりして、結局ずぶ濡れになる。水晶以外めぼしいものを採集できず。

「亀山盛(きさもり)鉱山」で昼過ぎまで採集。
・奥地の駐車場に電力関係の駐車があり、そこに居合わせた婦人から、貯鉱場跡を教えてもらうものの、ただの広場に変わっていた。

・目的地への道のりは意外と広く歩きやすい。ズリは急斜面のため、もっぱら川底から10m程度の高さまでで採集。水晶は白濁の群晶のみだが、(その片割れか)透明な単晶を入手したが・・・。その他に孔雀石など。

・雨脚は衰えず、体も冷えてくる。


「荒川鉱山」は午後になってから採集。
・亀山盛鉱山と背中合わせの場所というが、車ではけっこう遠い。雨脚はますます強まる、土砂降りだ。

・今回同行の仲間が以前採集した場所に行くが、状況は一変して、ただの草地に化したようだ。

・昨晩泊まったオートキャンプ場に戻り、周辺を探すが、先の欠けた結晶の群晶が転がっているだけ。移動して、大きな岩壁の下に行くも採集の形跡もない。

・次の採集地へ行く途中、同行の仲間が「協和ダム(総貯水量780万㎥)」の事務所で入手した案内書を分けてもらう。ダムカードは発行していないそうだ。

・次の採集地「和賀仙人鉱山」近くの錦秋湖の湖畔に駐車して泊まる。朝まで風景はおあずけ。

(本ブログ関連:"新潟・秋田・岩手鉱物採集")

2013年7月7日日曜日

新潟・秋田・岩手鉱物採集(1) 飯豊鉱山

(後日追記)

朝から小雨、全身びしょ濡れとなり成果なし。

・新潟県の「飯豊(いいで)鉱山」(加治川治水ダム:総貯水量2.250万㎥)にて、「黄鉄鉱」を伝聞情報を頼りに探すも、産地確認できずに終わる。どうやら、ベテランでさえ苦心の場所のようだ。

・緑茂れる山中、雨と草木の露を受けて分け入ったため、雨合羽は役に立たず、汗も加わって全身びしょ濡れとなる。

・仲間の鉱物マニアから、ダム事務所でもらった「ダムカード」を分けてもらう。カードがあるなんて初めて知った。

・次の採集地近くにあるキャンプ場へ移動して泊まる。

(本ブログ関連:"新潟・秋田・岩手鉱物採集")

2013年7月6日土曜日

今日から、そうだ東北へ鉱物採集に行こう

急遽決まったことだが、石仲間のキャンピングカーに同乗させてもらい今晩から、おじさん3人組で東北の鉱山跡を巡って鉱物採集しに行きます。
いつまで・・・多分、火曜日か水曜日頃に帰京予定です。山の中からネットにアクセスできないので、このブログはしばらくお休みだ。

採集品は、等軸のでっかい黄鉄鉱、きれいな緑水晶など・・・朝から期待と妄想をして仕度を始めているれど、いかになりますやら。

(後日追記)
・夜、キャンピングカーは、一路、北へ進み、<磐梯山SA>駐車場に泊まる。

(本ブログ関連:"新潟・秋田・岩手鉱物採集")

(付記)
毎日新聞の記事「梅雨明け:関東甲信で 昨年より19日早く 史上4位タイ」(7/6、小泉大士、飯田和樹)によれば、どうやら梅雨が明けのようで次のように報じている。
先ほど、歯科医院で先生と梅雨というよりはカッとした夏のようですね・・・と話をしたばかり。

気象庁は6日、関東甲信で梅雨明けしたとみられると発表した。平年より15日早く、昨年と比べても19日早い。6日の梅雨明けは関東甲信では1951年の統計開始以来4位タイの早さとなった。

(本ブログ関連:"梅雨入り2013")

2013年7月5日金曜日

「第20回 東京国際ブックフェア」と芝居「プライド[傲慢]」

今日は一日中、汗をかきながら有明と池袋の2ヶ所を巡った。

午前から昼をまたいで、東京ビッグサイトで開かれた「第20回 東京国際ブックフェア」に行く。まず、2つのセミナー、韓国の出版業界の現状と翻訳出版事情について日韓関係者の話しを聴く。
講演録に相当する冊子が事前に配布されたので、両国の出版事情が理解しやすい。例えば、取り次ぎという管理システムの有無、再販制度の有無、日韓・韓日翻訳点数などについて日韓に大きな違いがあるが、何が売れるかという出版ビジネスの課題は双方同様である。
2012年度の出版売り上げ、日本(雑誌9,385.4億円+書籍8,012.9億円)、韓国(5兆6,754億ウォン≒5,675億円)。
さらに、電子書籍マーケットについて、日本(730億円)、韓国(60億円)という市場規模に大小の差はあるものの、今後の影響について語られた。

セミナーの次に、ブックフェアに出展の書店コーナーに欲しい書物との出会いを求めて会場を巡った。それは鉱物関連であり、稲荷信仰関連の分野だったが、残念ながら目ぼしい本は見つからなかった。あるいは高価すぎた。
今回、ブックフェアのテーマ国に韓国がなったが、販売してくれる本はなくて。随分以前、そんな機会もあったけれど。

(本ブログ関連:"第16回 東京国際ブックフェア"、"第17回東京国際ブックフェア"、"第18回東京国際ブックフェア"、第19回行かず残念)

それにしても、ブックフェア恒例のCD販売が、一般CDショップと変わらぬ価格帯になっているのが残念。
東京ビッグサイトの最後に、親類の紹介で、同館内別会場で開催中の「ナノ・マイクロビジネス展」を覗く。

3時過ぎ、東京ビッグサイトから池袋へ向かう。
昨年も観劇した、演劇レーベルBö-tanzの「七つの大罪シリーズ最終章 プライド[傲慢]」(作はなださとし)を見るためだ。今回はシリーズ最終に相当する7作目で、昨年6作目「スロウス[怠惰]」を初めて見てからの2回目だ。今回は親類と合流して・・・。

前回(6作目)は、緑の宝石エメラルドをストーリー展開のキーに使ったが、今回は青紫のカーネーションが素材に使われ・・・降りそそぐことになる。

(本ブログ関連:"芝居「Sloth-スロウス[怠惰]-」")

大音響と早い台詞廻しに、おじさんは追いつくのに大変だ・・・役者さんの舞台へ注ぎ込む情熱、そして熱演に圧倒される。

2013年7月4日木曜日

MBC「大学歌謡祭」廃止

1984年、イ・ソンヒが思い出深いスタイルで登場してデビューのきっかけになったMBCの「江辺歌謡祭(강변가요제)」からはチャン・ユンジョンなど数々の歌手が誕生したが、1979年以来つづいたこの音楽祭は2001年に終了した。

この歌謡祭と対比されるものに、同じくMBCの「大学歌謡祭(대학가요제)」があった。1977年を第一回としながら昨年まで継続したこの音楽祭もついに終焉を迎えたと、インターネットニュース・シンムンゴは、「大学歌謡祭 『時代変わったのではなく、MBCが変わった』」(7/4)と次のように伝えている。
しかし記事にあるイ・ソンヒは「大学歌謡祭」出身ではないのだが。それに、「大学歌謡祭」にはシム・スボンがいる。
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去る36年間青年文化を引っ張ってきたMBC「大学歌謡祭」が廃止された。MBCは去る(6月)2日、大学歌謡祭プログラムに対して視聴率低調を理由に廃止を確定したと明らかにした。

MBCは今年、大学歌謡祭の予算を策定しておらず、関係者は「時代が変わった。『大学歌謡祭』の影響力と人気が以前とは違ったのが事実」としながら、「もう終える時が来たたようだ」と伝えた。

1977年初めて開催された「大学歌謡祭」は、昨年開かれた第36回まで何と36年の間、新人歌手の登竜門だった。大学歌謡祭は、ペ・チョルス、キム・ドンリュル、シン・ヘチョル、ノ・サヨン、イム・ベクチョン、イ・ソンヒ、キム・ギョンホなどを輩出してきた。

これに対し「大学歌謡祭」廃止は、単純に長寿プログラムが消えるのではなく、時代を風靡した文化コンテンツを一つ失うということなので意味するところが大きい。

一方、インターネットユーザーたちは、「時代が変わったのではなく、MBCが変わった」としながら、「惜しい」という反応が多かった。
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もっぱらスターが出てこないからというのが理由のようだが・・・。

2013年7月3日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 扇子

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(6/26)に、文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第12回として、「扇子(부채)」について紹介された。

まず生活に見る扇子姿を次のように紹介した。
・暑い夏、扇子を片手に真っ白な韓服で、大木の下に座る老人に仙人の風情を感じる。祖母は孫が寝付くまで横でやさしく団扇(うちわ)で扇ぎ、ハエや蚊などを追い払う。また気性の激しいアジュンマたちは、頭にくると胸の前で扇子を激しくあおぎ心を静める。
昔の人々は、使い手のある扇子に八徳(・陽射しを防ぐ徳、・涼しい風を与える徳、・湿気を除く徳、・下に敷いて座る徳、・作りやすい徳、・値段が安い徳、・雨を防ぐ徳、・甕の蓋として使う徳)があると重宝した。

▼「夏の太陽(여름의 태양)」を聴く。陽が射すように、もはやラテン・・・今様である。

国楽で扇子なしには口演できない「パンソリ」について次のように解説した。
・パンソリは、10分から5、6時間におよぶ。歌い手は、テンポをとる伴奏の太鼓(プク)の叩き手コス(고수)と共に、ひとり舞台の中心に立ち、長丁場をこなすため体力と忍耐が必要だ。
そこで、歌い手の支えとなるのが手に持った扇子だ。歌の山場やつらいシーンなどになると、扇子を持つ両手に力を入れ、祈るようにして歌う。また題目によって、「興甫歌」で瓜を割るのこぎり、「沈清歌」で沈清の盲いた父の杖など、様々な小道具としても活躍する。

▼沈清歌の中から「沈清の盲いた父が風呂にはいる題目(심봉사 목욕하는데 )」を聴く。搾り出すようにうなり歌う・・・風呂に入るのに?・・・どうなのだろう。

さらに扇子の使い道について次のように説明した。
・「八徳扇(팔덕선)」は、草の茎を丸く編んだ庶民用の団扇として知られる。パンソリの歌い手が持つ扇子「合竹扇(합죽선)」は、材料に竹が使われて開閉でき、紙の部分に絵や文字などを描いて個性を出す。
紙の代わりにシルクを張った扇子、冬に防寒のため顔を隠して使用する扇子もあった。冬用扇子は、手のかじかみを防ぐため、持ち手に鹿やカワウソの皮を張ったりした。
婚礼の際、新郎が新婦の家に乗馬し行くとき、顔を隠すため使った「郎扇(낭선)」や、両班が葬儀の際、顔を隠し喪中を示すため使った「喪扇(상선)」などが残されている。

▼The 林グループによる「風の音の森(바람소리 숲)」を聴く。描写に富んだ・・・今様である。

(付記)
わたしも親類から扇子をいただいたばかりで、歳に合わせた色合いを選んだとのこと・・・なるほど。

2013年7月2日火曜日

半夏生2013

我が家の庭にはドクダミが生い茂って、そのまま放置しているため、薬効のせいか虫もわかない・・・と、不精をプラスに言い訳する。さて、開花期に、そのドクダミに似た臭いのする「ハンゲショウ」があるそうだが見たことあるような、ないような。

Wikipediaの「ハンゲショウ」に、「生薬の半夏(はんげ)はカラスビシャクから採れるものであり本種(ハンゲショウ)とは関係がないが、本種と開花時期が重なることから名前の由来にかかわりがあるとする説もある」とのこと。これまた、カラスビシャクを知らぬために何ともいいようがない。
それにしても、ハンゲショウもカラスビシャクも地味な草だ。

今日は、そのハンゲショウが花を咲かせる頃、二十四節気の一つである「半夏生(はんげしょう)」だ。朝からどんよりした空模様で、半夏生の「半」の字にふさわしい中途半端な感じがして・・・高空を飛ぶジェット機の響きがかすかにするだけで、静かなときが流れている。

この雑節(半夏生)をよく知らないが、農家の生活に密着したもののようで、最近書店で目にして求めた「日本の七十二候を楽しむ」(文 白井明大, 絵 有賀一広)によれば、「田植えを終わらせる、農事の節目とされています」として、この時期にちなんで次のキーワードをあげている。
「祇園祭」、「はも」、「おくら」、「半夏雨」、「うどんの日」、「たこの日」など。解説は読んでいただくことにして、なるほど少しは半夏生が実感してくる。

2013年7月1日月曜日

ノウゼンカズラ、ナガミヒナゲシ

通り道の塀を越えて、湧き出るようにして重なり合いながら咲くオレンジ色の花を目にする。「ノウゼンカズラ」の花だ。あまり気付かなかったものの、最近あちこちで見るようになった。その色合いが、従来になく明るく洒落ていて、オレンジ色の軽快な感じが受け入れられるのだろう。

Wikipediaによれば、「ノウゼンカズラ(凌霄花、紫葳、Campsis grandiflora)はつる性木本」とのこと。確かに近づいてよく見れば、つる状に伸びた茎に花が咲き連なり、まるで寄生しているのかと見紛うほどだ。夕方、陽が陰りだした頃、遠くに浮かぶこの花に、ほっとした安らぎを思うことがある。一輪の美しさというより、群れてこそ美しい庶民的な花なのかもしれない。

この色合い、どこかで見たと思い返せば、もう時期を過ぎたが、これも流行か最近あちこちで咲く「ナガミヒナゲシ」がある。これもWikipediaによれば、「ナガミヒナゲシ長実雛芥子、長実雛罌粟、Papaver dubium)は、ケシ科の一年草」とのこと。

ナガミヒナゲシの花は、まるで世話も受けずに、どちらかといえば身の置き場をわきまえて、一本一本けなげに咲いているように見えて切ない思いがする。なぜ、通り道の埃が吹き寄せる塀の下に植えたのかと。でも、この花は芯が強いのだろう、雑草化しつつあるというのだが、どうなることか。

2013年6月30日日曜日

韓国50代が迎える定年60歳制

韓国の年齢は数え年が普通だが、「2016年から60歳定年延長」というとき、その60歳は「数え歳」なのか「満年齢」なのか・・・実際は、満年齢であるが気になる。

(本ブログ関連:"ベビーブーマー")

JETROの海外研究員レポート「韓国ベビーブーマーの過去、現在、未来-『彼らは声を出して泣かない』から」(2013年4月、安倍誠)の「はじめに」、次のように韓国ベビーブーマーを定義している。(抜粋)
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・第二次世界大戦後、多くの国では、急速な出生数の向上、いわゆるベビーブームが生じ、そこで生まれたベビーブーマーたちはその社会において独特な地位を占めることになった。ベビーブームの期間は国によってまちまちであり、アメリカでは1946年から1959年まで日本では1947年から1949年までと言われるが、韓国の場合、朝鮮戦争の後になる1955年から1963年までがベビーブームであったとされる。現在、ベビーブーマーは約734万人、総人口の約14%を占めている。年齢は満49歳から57歳くらいまで、韓国では数え年で年齢を語ることが多いので、韓国的に言えば現在の50代がほぼベビーブーマーに相当することになる。彼らは1970年代から90年代の韓国の高度成長を支えてきた世代でもある。

朝鮮Bizの「定年60歳延長、労・使・政 葛藤新しい火種となるか」(2013年4月23日、イ・シンギ記者)は、2016年からの60歳定年延長について次のように報じている。(抜粋)
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朴槿恵政府の重要な選挙公約の一つである定年延長義務化が政界の立法で可視圏に入った。
・(4月)23日、国会環境労働委員会は、公共・民間部門の定年を満60歳に延長する「雇用上の年齢差別禁止と高齢者の雇用の促進に関する法律の一部改正案」を可決した。改正案は、現行法上の勧告事項である「定年60歳」を義務と規定し、従業員300人以上の事業所は、2016年1月1日から国と自治体と従業員300人未満の事業所は、2017年1月1日から段階的に適用することにした。

朝鮮日報(6/30)の「【コラム】60歳定年制を成功させるには」(5/16、金洪秀記者)は、対象となる50代について次のように記している。(抜粋)
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・韓国では大学を卒業した男性が兵役を終えれば27歳前後になり、それからやっと就職して50代の前半まで25年ほど働いてから退職する。しかも韓国人にとって50代の前半あるいは中ごろは、子どもを教育し独立させるために一生のうちで最も多くの金が必要な時期だ。そのため韓国人にとって50代の退職は、人生における「財政の絶壁」となっているのだ。


来年、1964年生まれのイ・ソンヒも「満年齢」で50代に入る。国民歌手らしく、ベビーブーマーも共有する<健全で希望に満ちた彼女らしい清潔な歌>が聞かれることになるかもしれない。

(追記)
今日は6月最後の日、今年も半分過ぎることになる・・・1年のリンゴを半分食ってしまった。残りのリンゴを考えると、時間を無為に過ごした罪深さをひしひしと感じる。

2013年6月29日土曜日

イ・ソンヒの「私はいつもあなたを」

Youtubeはありがたくて、イ・ソンヒのデビューの契機となった1984年の「江辺音楽祭」から数々の映像を見ることができる。その中でも、2004年の世宗文化会館でのコンサートステージ映像は素晴らしい。

イ・ソンヒをコンサート会場で直接見たのは、2009年(COEXセンター)と2011年(世宗文化会館)の2度しかない。デビュー30周年にあたる来年の2014年に、彼女のコンサートが予定されているので、コンサート会場へ足を運ぶことができればと思っている。

次の彼女の映像は2004年の世宗文化会館コンサートのもので、円熟味が増して歌唱力が最高にのっているときだったかもしれない。こうして見ることができるのはありがたい。「私はいつもあなたを(나 항상 그대를)」(1988年、キム・ミンジョン作詞、ソン・シヒョン作曲)は、彼女のファンの心情のように何度も聴きたい名曲だ。

(本ブログ関連:"私はいつもあなたを")



(Youtubeに登録のpops8090に感謝)

(追記)
昨晩のPCトラブルで、気になってマウスを買い換えた。微妙に右利き用の曲面が彫り込んでいる。左利きにとって、実に不都合なことだが、こんなことは慣れているよ(耐えてきたよ)・・・ああ、それにしても、鏡像、光学異性体、D/L型の世界は不便だよ。

2013年6月28日金曜日

不都合なこと

ちょっとPCに不都合なことが起こった。

Windows画面は正常に立ち上がるが、マウスでクリックしてもコマンドの実行におそろしく時間がかかる。
同じ現象が別PCでも再現した・・・ただし、マウスは共用した。

Windows終了時に、特定メモリエリヤがreadできないというメッセージが表示されたりして・・・。

あるいは、ウィルス対策ソフトのコンフリクトのせいか・・・。

(追記)
ああ、それから、今日入れたばかり歯の金属が、夕食時にとれてしまった・・・。

2013年6月27日木曜日

キタキツネ

北海道のキタキツネの観察者であり写真家として知られる竹田津実獣医師がいる。キタキツネが話題になり、写真でこまかく生態が知られたのも同氏のおかげだ。(花のそばで、首を傾げるキタキツネの子どもの可愛い写真にはまったものだ・・・どうやら、次に記す雑誌の表紙写真だったようだ)

昔、平凡社から出版された「アニマ」という雑誌があった。良心的な出版社らしく、雑誌「太陽」につながるエコの風情も加味した動物専門誌で、何度か購読した記憶がある。その別冊として「季刊アニマ」が登場して、いわば雑誌「アニマ」のムック版にあたるもので、狐好きのわたしは、今も「狐」をとりあげた「季刊アニマ」を手元に残している。それは、1975年冬季発行のものだ。

その中に、「キタキツネと農民と私」(竹田津実)の文があり、狐に対する恐れが伝染していく体験が書かれていた。「キツネが農夫をからかっている」という電話に呼ばれ駆けつけると、巣穴を壊され中にいた子キツネの命を奪った農夫の家に母キツネが、何度追い払っても近づいてくるというのだ。物を投げても動じない、じりじりと迫る母キツネの執拗さに、「得体の知れない恐怖」を竹田津獣医までが感じ怖気づきそうになる。

実は、死んだ子キツネを農夫が馬小屋に放り込んだことを嗅ぎ取り、母キツネが取り戻そうとしたのだ。狐に対する言い伝えや、巣穴の破壊行為、子キツネ殺しが重なり、その場に居合わせた人たちの心を揺さぶって、泣き出す老婆、焼酎をあおる農夫とさまざまな反応が起こったという。
原因が分かったとしても、この経験は不思議な心的な共有を通じて言葉に残されることになる。

わたしたちは伝承の虜である。今もその輪から逃れることはできない。狐に対する恐怖や畏怖はある意味深層に達し、わたしたちの自然観であると同時に、固有の価値観を見せてくれる貴重な民俗資料でもあるようだ。

2013年6月26日水曜日

結晶洞窟のこと

何気なくテレビのチャンネルを回していたら(古い表現だねえ)、NHKで以前放送されたもので、プレミアムアーカイブスの「ハイビジョン特集 驚異の結晶洞窟」に行きあたった。

鉛、亜鉛を採掘するメキシコのナイカ鉱山の洞窟で偶然発見された、まるで人間がミニチュア世界に置かれたような錯覚をする巨大結晶群を見ることができる。洞窟ドキュメントが大好きなNHKは、この巨大結晶について、これまで何度か取り扱っているが、ここではその成因などについて興味ある話題を提供している。

・鉱山採掘のため、地下水を排出したことにより洞窟が発見された。
・石膏の巨大結晶中に存在する水の中の空包を基に、結晶が50℃代でできたと推定される。
・巨大結晶の折れた部分が再結晶化する速度から、結晶の起源を50万年前と推定される。
・そもそも洞窟は、硫化水素を食性とするバクテリアが排出した硫酸で侵食拡大したと推定される。

最後のバクテリの存在の例証として、同じくメキシコのヴィラ・ルース洞窟が紹介されたが、あの美しい硫黄結晶の空間が見られなかったのは残念。わたし的には、硫黄結晶が好きなんですが・・・ナイカの石膏結晶は余りに巨大過ぎて想像を超えてしまう。まさに、上記番組が主軸にした、ジュール・ヴェルヌの「地底探検」の世界だ。

(本ブログ関連:"結晶洞窟")

2013年6月25日火曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 神仙(仙人)

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(6/19)に、文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第11回として、このシリーズでは珍しい(イ・ソンヒ(李仙姫)の「仙」の字につながる)、「神仙(仙人」について紹介された。

(本ブログ関連:"李仙姫の名前")

まず仙人即ち神仙について次のように始まった。
・東洋には不老長寿の考えがあり、俗世を離れ、精神を磨き、境地に至る生き方が信じられた。韓国ではそれを手にした仙人を「神仙(신선)」と呼び、神仙の境地の歌や絵が数多く残っている。仙人を歌った「辞説頭学時調(サソルジルムシジョ、사설지름시조)」は、旋律が緻密の意の「サソル」、最初を高い声で叫ぶ意の「ジルム」が合わさっている。

▼辞説頭学時調の「鶴に乗って横笛を吹く(학타고 저불고)」を聴く。長いトーンが空を滑空する鶴のように響く。

仙人の役割について次のように解説した。
・紀元前5世紀に遡る中国に仙人の関心があり、半人半獣の姿で、理想郷(蓬莱など)に住む不死の超人と言われた。中国初代皇帝始皇帝は、仙人の話しを知って不老不死を得るため仙薬を捜した。当時、仙人になるには一定の素質があり、仙人の住む山に入って祭祀(제사 )をせねばならないと信じられた。数百年が流れ仙人は人間に近づき、人も特別な修行で仙人になれると信じられ、様々な術も語られた。
西洋錬金術が科学を発展させたように、仙人の道も人間の体と自然の調和をはかった。昔の仙人の絵に(日本のとよく似た)「笙簧(センファン:생황)」を演奏する姿がある。

▼笙簧、短箫に牙筝を加えた「水龍吟(수룡음)」を聴く。楽器の織り合い続く音がまるで水流のよう。

有名な仙人の姿について次のように紹介された。
・朝鮮時代の画家金弘道김홍도)は、仙人の絵を多数残した。その中に、仙人が大きな松の木の下に座って笙を吹く「松下吹笙図(송하취생도)」がある。仙人は笙簧、笛、琵琶などの楽器を好み、鶴に乗って空を飛び回ったという。
仙人の長寿の秘訣は不老草や西王母の桃などを食べることだ。西王母の桃を盗んで食べた仙人東方朔は18万年の命を授かることになった。人々の寿命を司る仙人南極老人、男女の縁を司る仙人月下老人などが広く知られている。
また、韓国では、民族起源の檀君や新羅時代の学者崔致遠최치원も仙人になったといわれる。

▼The 林グループによる「天の川を見ていた日(은하수를 보던 날)」を聴く。・・・今様である。

岸さんの締めの言葉、「不老長寿を願うことは叶わぬことですが、仙人のように、人生を楽しむ余裕を持ちながら生活することはできそうですね」の通り、エンジョイできるもの探していますよ。

2013年6月24日月曜日

イ・ソンヒの「狐の嫁入り」

価値観や習俗さらには民俗(民族)など越えるとき、その境界に曖昧模糊としたバッファー(空隙)が生じてやがて揺らぎ始める。それは不安であり、希望でもあり、結婚する女性の心理に特に通じるのかもしれない。
明るい陽射しに浮かぶ期待、暗雲に漂う当惑という対比の中で、高揚した感情が解かれるとき涙に変わり、「狐の嫁入り」の雨が降る。けれど雨はやすやすとは癒してくれない。

SBSのロマンチック・コメディ「僕のガールフレンドは九尾狐」の純真な主人公ミホのように、イ・ソンヒの清澄な歌「狐の嫁入り(여우비)」(2010年)を久し振りに聴いてみよう。

(本ブログ関連:"狐の嫁入り")



(Youtubeに登録のJunJunTeam1に感謝)

2013年6月23日日曜日

子安千代稲荷像

天気も悪くない、小金井公園にふらりと散歩する。同園併設の「江戸東京たてもの園」では現在、「大奥女中とゆかりの寺院」展が開催されている。たてもの園の会員でもあり、興味も湧いて少し覗いてみようかと入館した。

子安千代稲荷像(遠壽院)
奥女中を通じて、徳川家から縁ある寺院へ、いろいろと資金援助されていることを示す古文書が多数展示されている。もちろん活字解説付きを見てのことだが、そのなかになぜか稲荷の文字が散見され気になった。

展示物に「子安千代稲荷像」があり、「稲荷」の名にひかれて鑑賞する。なまめかしく体をよじらせて横たわる狐の上に、この稲荷像が立っているわけだが、左手に幼児を抱き、右手に宝珠(玉)のようなものを持っている。頭に豪華な飾りがあって、これは何の像かと関心が深まる。

像の名の「子安」から、安産に関連するのだろうか。いずこ、いずれの世にも共感するものだ。ふくよかで穏やかな姿に安らぐ思いがする。
また「千代」*については、この像がはじめ何処にあったのかを考えれば、江戸城との関連について解説を目にすることができる。
しかし、なぜ「稲荷」なのかわからないけれど、ネット上に「子安稲荷神社」**もあるので、特別なものでなく、庶民にもいき渡ったものなのだろう。稲荷には神道系、仏教系ともにあるが、寺院におかれていることから、仏教系のものだ。もしかして、菩薩の姿なのだろうか。

(*)「千代」について、次の二つの解説から知られる。
① 上記展示に、「江戸城紅葉山に安置されていたものを、幕府瓦解後各地の寺院へ奥女中たちが避難させたと伝えられる仏像の一つ」とある。
② この像を、現在蔵している遠壽院の解説に、「江戸城内の大奥に祭られ、最後の老女・瀧山が給仕役を務めたもので、維新後当院に祭られた。江戸城を千代田城ともいったことからこの名がつけられている。遠壽院では、代々、将軍家の祈祷を行っており、その祈祷が大奥で行われたことのゆかりを示す。」とある。

(**)池袋シティガイドの「稲荷神社(子安稲荷神社)」などの紹介。

(本ブログ関連:"稲荷"、"九尾狐"、"狐の嫁入り")

2013年6月22日土曜日

ライアテア・ヘルム

ようやくの顔をのぞかせた太陽に誘われて、午前中、親類を訪ねる。からりとした空気はいいものだ。ずっとこの天気が続けばいいのになんて、農家の方には恐縮なことを思ったりする。

親類に、鉱物採集の石仲間からいただいた、イ・ソンヒの写真つきTシャツを話題にする。彼女の写真を携帯の待ち受けにしていて、それを見せると、綺麗なひとだ、清潔な感じがすると、イ・ソンヒのファンとして大変満足な感想をいただく。

午後には、そのTシャツ現物を持って、韓国語教室の生徒仲間に見せる。これまた納得いく反響をいただく。しかも、生徒それぞれ好みの(今様のK-POP)歌手がいて、そちらの写真つきTシャツが欲しいなどと勝手な?要望までいわれる。Tシャツが大変好評な証なんだよ。

ところで、石仲間との会話で、鉱物の他に関心があるという(イタリアン・ポップス以外に)ハワイアンについても聞く。ハワイアン、う~ん、でも夏なもんで?・・・ということで、ライアテア・ヘルム(Reiatea Helm )が勧められた。初めて知った歌手をYoutubeで初めて探す。

彼女の「LEI KUI」を聴く。レイの花を糸で繋ぐことをいっているのでしょうか。(ハワイ語を紹介しているブログ「'A'ole Pilikia」に感謝)
優しく澄んだ高音、しかも穏やかに。ハワイの風にレイの花が香る・・・なんて想像してしまう。ウクレレでなくギターの伴奏に合わせて歌うのは、新参者にはちょっと新鮮である。



(Youtubeに登録のgraziemillioneに感謝)

2013年6月21日金曜日

夏至2013

「夏至」だというのに今日の空模様はかんばしくない。一日中ぽつり雨が続いた。梅雨前線と台風4号による降雨は、西日本に大きな被害を及ぼしたようだ。台風4号は、熱帯性低気圧に変わったものの、思った以上に影響は大きい。雨は今晩深夜まで降るという。

(本ブログ関連:"夏至")

この雨の中、机上鉱物採集でお世話になっている石仲間と昼飯談話をした。何と、舞台衣装の作者でもある石仲間から、イ・ソンヒの写真をプリントしたTシャツをいただいたのだ。

さて、その写真とは、2011年5月に開かれた彼女のコンサート「五月の陽射し(오월의 햇살)」のポスターに使われたものだ。インターネットから探し出してくれたようだ。左に、(コンサート案内などの文字は無いが)同じ写真*を載せる。彼女の美しさを見事にとらえた写真である。

(*)写真:ブログ「拾い入れた宝物倉庫(주워담은 보물창고)」より。感謝。

(本ブログ関連:"ソウル2日目:2011イ・ソンヒ コンサート")

果たして、この大切なTシャツを着ることができるのか・・・大事なお宝だ、飾っておこう。

2013年6月20日木曜日

梅雨前線

今年の梅雨入りは「平年より10日、昨年より11日早い」との発表にもかかわらず、当初空梅雨の傾向が見られたが、ここ数日の雨で心配はすっかり打ち消された。本来なら農家への恵みの雨と喜ぶべきところ、この雨、まだ数日続くという。わがままを承知でいえば、街の人間はそろそろ飽いてくる・・・なんてわがままなことか。

天気予報で、梅雨前線の根元が遠くインド洋にあるという解説を聞いてビックリ。前線はいつまで居続けるのやら。そのうえ、台風4号までもが南から接近、この停滞前線に沿って東に転進して、また雨を降らすという。でも、これが普通の梅雨時期の天候なんでしょうね。

いつまでたっても、季節の変化になじめませんね。雨には晴れを、晴れには湿り気を、暑さには涼しさを、寒さには暖かさを・・・そういっているうちに、なじむではなく慣れていくようです。
ただし、除湿機はつけっ放しですけどね。

2013年6月19日水曜日

イ・ソンヒ「草原」

イ・ソンヒのやさしく透き通る高い声は心にしみわたり、あるときはその力強い声に元気を与えられる。彼女の持つ健康さと清潔さは、今もアーティストとして大事なひとつの側面である。彼女に多くのファンがつながっている理由でもある。ファンサイトを見ればわかることで、そこに飾られている写真の選定から、ファン心理を読み解くことができる・・・かもしれない。

彼女は、様々な音楽スタイルを試行して現在、東洋回帰的な安定が見られるが、ファンとしては他方で、彼女の初期の持ち味も大切にしたい。彼女のアルバム8集(1992年)に収められた「草原(초원)」(キム・ヨンドン作詞・作曲)は、自然派志向の作者の原曲であるが、まるで童謡のような色彩を感じる。青空を流れる白い雲、見上げる草原の二人・・・ああやっぱり、こんな感じがいいな・・・でもやがて雲が夕立になるというのは、どういうことなのか気になるけれど。

(本ブログ関連:"童謡")



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2013年6月18日火曜日

土砂降り

よい天気で蒸し暑い。そんな中、隣り町、隣り駅にある駅ビルのレストランで昼食をとる。その後、のんびり駅前の図書館で時を過ごした。しばらくして外を眺めれば、路面に雨滴が跳ね返る土砂降りだ。ガラス窓越しなので、叩きつける雨音が聞こえてこない。時間を止めて眼をこらすと、図書館前の広場に雨がまるで円錐のガラスの造形のように現れては消える。不思議な光景に釘付けになる。

待つこと一時間ばかり。やがて雨脚は落ち着き、ようやく帰宅することができた。雨不足の空梅雨の話しもあったが、これから数日間雨がつづくという。

KBS WORLD「国楽の世界へ」 端午の日

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(6/12)に、文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第10回として、「端午(단오)の日」について紹介された。

まず、陰陽と端午の日について次の説明から始まった。
・東洋では(古代中国から)、万物が「陰陽」の気の調和で成立し、変化すると信じられた。陰は影、陽は光の意があり、女・男、臣下・王、偶数・奇数などの関係に当てる。
・特に、同じ奇数(陽)が並ぶ月日は意味を持ち(日本では節句)、(以下旧暦)1月1日を正月の「ソルラル(설날)」、3月3日を春の始まる「三巳日(サムジッナル、삼짇날)」、5月5日を夏の始まる端午の日の「戌衣日(スリッナル、수릿날)」という。
・スリッナルのスリには「神」と「高い」の意があり、偉大なる神の太陽神を意味する。燃える陽の夏がきて、農作物がすくすく育つ希望が込められる。今年の端午の日は、6月13日(旧暦5月5日)である。

▼東海岸巫俗(シャーマニズム)音楽の中から「プノリ(푸너리)」を聴く。同じリズムを繰り返して、次第に高揚感を高めていく・・・初源の響きがして。

端午の日の行事について次のような紹介があった。
・この時期、農家は田植えをある程度終え、端午の日に豊作を祈願して様々な行事で一日を過ごす。
・各地に固有の風習が伝承されていて、江原道江陵の「江陵端午祭(강릉단오제)」が最も有名だ。端午の一月ほど前から、神に奉げる神酒を醸し準備を始める。江陵の関門の大関嶺を司る山の神と、村の守護神の城隍神(성황신)に儒教式「祭祀(제사)」を奉げる。端午の日には次の行事も行われる。
- シャーマンの「巫堂(ムーダン、무당)」による、住民の安寧と豊穣を祈願する祭儀「クッ(굿)」が行われる。
- 普段手荒く扱われた役所の奴婢による官奴仮面劇が行われる。仮面劇(タルチュム、탈춤)は、江陵以外にも、殷栗タルチュム、鳳山タルチュム、康翎タルチュム、京畿道の山台劇(サンデノリ)などがある。仮面劇のほとんどは、両班を嘲笑、風刺する内容で、この日だけは両班も見て見ぬふりをしたという。

▼鳳山地域で端午の日に歌われた「トンドルナリ、ラリラドントルリピリ」を聴く。なんとも親和力のある旋律が繰り返され・・・誘われて、口ずさんでしまう。いいなあ。

・さらに、男はシルム(相撲に例えられる)や力自慢などで、女は川に下りて菖蒲湯で髪を洗ったり、村のブランコ(クネ、그네)で遊び楽しんだ。
パンソリの春香歌に、端午の日の様子があり、クネで遊ぶ春香を両班の息子李夢龍が見初めるシーンがある。

▼「春香歌」の中から「春香がブランコに乗る題目」を聴く。・・・初恋ねえ。

岸さんの締めの言葉、「端午の時期は、初々しい初恋の始まりにぴったりの、この上なくよい季節だといえるかもしれませんね」・・・なるほどなるほど。

2013年6月17日月曜日

紫陽花

夕方の明るさに誘われて、小金井公園に散歩に行く。6時過ぎ、さすがに人影がまばらなこと、圧倒的な静けさに夕暮れが近いことを感じる。

太い雲が数本浮かんでいる空を高く、豆粒のような飛行機がゆるり浮かんでいる。かすかな風音に遠くから響く爆音が混じる。しっとり滲み始めた草色の広場を囲む木立が、夕陽の影に溶け込み深緑になっていく。

公園に紫陽花を探した。梅雨どきの公園は人気がないからだろうか意外に少ない。そんな中、「江戸東京たてもの園」との仕切りの鉄柵の隙間から、色合いの美しい紫陽花が顔をのぞかせる。本来の青紫色、青味がかった桃色、そして白い色など多彩だ。

日が暮れて、紫陽花の艶やかさを眺めるのが難しくなってきた。そろそろ帰宅せねばならない。

2013年6月16日日曜日

ニコライ・レーリッヒ

今朝のテレビで、作曲家、指揮者、研究者、演奏家が円座して、ストラビンスキーИ́горь Фёдорович Страви́нский、1882年6月17日~1971年4月6日)の「春の祭典」についてわかりやすく紹介する番組(「題名のない音楽会」)があった。バレエ音楽のこの作品は、民族音楽からロックに至るまで裾野は広く、かつ現代音楽に影響を及ぼしたと評価されていた。
11拍子の解説では、そのリズムの採り方で演奏の仕方が変わると話されていたが・・・そうなんですかとうなづくばかり。指揮者のスタイルまで映像で見られて・・・分からないままだが音楽家たちの世界を覗かせていただいた。

「春の祭典」の舞台にかかわった人々の中に、ニコライ・レーリッヒНиколай Константинович Рёрих1874年10月9日~1947年12月13日)という美術家がいたとの話しから、初めて宇宙飛行(1961年4月12日)したガガーリンЮрий Алексеевич Гагарин、1934年3月9日~1968年3月27日)の言葉が紹介された。
ガガーリンの「地球は青かった」という有名な言葉の後に、「まるでニコライ・レーリッヒの絵のようだった」と続くというのだ。

ガガーリンの地球周回中の言葉と伝えられている「地球は青かった」は、実際はもっと具体的な描写だったようで、それほどロマンチックなものではないが。上記の「まるでニコライ・レーリッヒの絵のようだった」とは、いつ語ったのだろうかと、R-Wikipediaを見れば次のような補足(トリビア)があった。
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1961年4月12日、宇宙へ最初の飛行中、宇宙飛行士ユーリイ・ガガーリンは、彼の日誌に書いた
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ちなみに、その内容は、 ガガーリン著「宇宙への道」(江川卓訳、新潮社、1961年)に、「やがて地球の大気をとおして太陽の光線がもれてきた。地平線上が明るいオレンジ色に輝きはじめた。空色、青色、すみれ色、黒と移りかわる七色の虹のかぎろい。とても言葉にはつくせない色の諧調! まるでニコライ・レーリヒの絵を見るようだ!」と書かれているそうだ。(「沼野恭子研究室」感謝)

ニコライ・レーリッヒの名はいかにもドイツ風で、その名を初めて聞いた子どものころといえばインディジョーズ風の冒険話しが大好きだったので、神秘主義の危ない世界から彼の名前を知った記憶がある。(ニコライ・レーリッヒはドイツ系ロシア人で、ニコライ・リョーリフの名が正式だろう)

ところで、ニコライ・レーリッヒの美術館(Nicholas Roerich Museum)がニューヨークにあって、彼の年代別作品をネット上で見ることができる。なるほど青色の美しい世界だ。青色はヒマヤラの峰を突き抜けて宇宙につながる。

さて最後に、「楽しい鉱物学」(堀秀道著)に記されているように、シルクロードは絹を運んだ路であるが、ラピスラズリの石の深い青色を見れば、それを求めずにはおられない、ラピスラズリの路でもあったという説明に納得する。ラピスラズリには宇宙の青色がある。

2013年6月15日土曜日

イ・ソンヒの「小さな恋歌(ソナタ)」 (再)

イ・ソンヒが清しく歌う、しかもめずらしいハーモニーまで聞ける、8集所収の「小さな恋歌(ソナタ)」(작은 연가、作詞ハン・チョンウォン、作曲キム・ヨンドン、1992年)は、タイトルの通り、幼い少女の恋歌のようで・・・森の葉擦れが、野花を揺らすそよ風が、川堤のせせらぎが、そっと聞こえてくる・・・そんな舞台で歌うようで。いやいや、気恥ずかしいけれど、いい歌です。

(本ブログ関連:"小さな恋歌(ソナタ)")



(Youtubeに登録のKnightmareSMに感謝、お世話になります)

2013年6月14日金曜日

アジサイ

梅雨の「アジサイ」(アジサイ科アジサイ属)は、当たり前の花だ。子どものころから、何処へ行っても身近な花のため、特に知ろうともしない平凡な存在だった。
今でも、ご近所を巡ると、垣根越しにアジサイの青紫の様々なグラディエーションを持った花弁(実は萼【がく】)が覗かれる。もし見過ごしたとしても、気に留めないだろうな・・・だって雨が降れば必ず、何処からかその姿をぽっかりと浮ばせるのだから。

アジサイの漢字名は、色貴やかな色彩に合う「紫陽花」が代表的であるが、その色の変化(へんげ)から別名「八仙花」ともいう。韓国では「水菊(수국)」の名があてられているが、見るからに菊の姿をしている日本の「水菊(ミズギク)」とは異なる。

ところで、アジサイの花で有名な紫陽花寺の名月院が鎌倉にある。祖母が、わざわざ田舎から来て、能の「鉢の木」で知られる鎌倉幕府の第5代執権北条時頼の墓へ参ったのがおよそ40年ほど前のことだろうか。当時も紫陽花寺として知られた名所であった。ところで、名月院の紫陽花が、昔からのものでないことを祖母から聞かされた記憶がある。

紫陽花を名所にするものが各地にあるが、名月院は、わたしの知る限り初期のような気がする。当たり前の花から、愛でる花に変わったように、時代がゆとりを持ち始めていたのだろう。

五、六年前のこと、この時期に同寺を訪れたことがある。紫陽花の名の穏やかな響きに魅かれてか、多くの観光客が訪れて列をなしていた思い出がある。

2013年6月13日木曜日

(資料)童謡「狐の嫁入り」

今日もお天道様は冴えなかった。天候と縁のある「狐の嫁入り」をネットで探していたら、日本の童謡に「狐の嫁入り」(歌永岡志津子、作詞泉漾太郎、作曲平岡均之、日本ポリドール管弦楽団、レコード3685-B)がYoutubeに登録されていた。
歌詞画面もあって、天気のよいのに雨降りの中を進む狐の嫁入り行列を、SP時代(年代不詳)の古い歌で味わうことができる。

(本ブログ関連:"狐の嫁入り")

作詞の泉漾太郎(1908年1月5日~1996年10月23日*)は栃木の出身とのこと。野口雨情を師として仰いだという、那須塩原にある旅館和泉屋の当主だった田代太平(筆名泉漾太郎)**のことのようだ。
同じ那須の湯本付近に殺生石になって残った九尾狐の伝説があるが、泉漾太郎は九尾狐の伝説をもとに歴史小説「新版 花妖殺生石 九尾の狐後日譚」を著したようだ。どんな内容なのだろう・・・。

(*) d-score
(**) 和泉屋旅館ギャラリー

(Youtubeに登録のnack500に感謝)

2013年6月12日水曜日

シルヴィ・ヴァルタン「アイドルを探せ」

シルヴィ・ヴァルタン(Sylvie Vartan、1944年8月15日~)の「(邦題)アイドルを探せ(La plus belle pour aller danser:踊りに行く一番の美人)」(1964年)は、イ・ソンヒが生まれた年に登場した。

(本ブログ関連:"シルヴィ・ヴァルタン")

この題名について、邦題と原題の関係は、映画タイトルと収録曲の関係だ・・・そうで。今から恋に出かける間際、自分に釘付けにして見せるわと夢が膨らむ少女の想い・・・可愛いいね。

彼女の印象は、当時ラジオから得たものでしかないから、なにしろ若い女の子のEPレコードを買うなんて照れる年代だったので、彼女の容姿をしっかり見つめた記憶はないけれど、遠目にちらりと見やって、聞こえぬよう心の中で可愛いなと思ってたりして・・・。

そんな、シルヴィ・ヴァルタンの目元があるときからちょっと変わったりして、それは少女が化粧して変わったのだろうと思っていたが。最初の印象が強くて、目尻がツンとした、どちらかといえばアジア的な香りがしていたけれど、清清しいパリジェンヌに変わりなかったよ。

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2013年6月11日火曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 霊山斎

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(6/5)に、文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第9回として、仏教儀式のひとつである「霊山斎(ヨンサンジェ、영산재)」について紹介された。今回は、待望の「霊山斎」だ!

(本ブログ関連:"霊山斎")

まず行事としての霊山斎について次の紹介から始まった。
・「6・25」と呼ぶ「朝鮮戦争」(1950年6月25日~1953年7月27日休戦)の厳しい困難を乗り越えて今があるのは、命をささげた人々のためとして、6月6日を記念日「顕忠日」としている。政府が記念式典を開き、国立墓地である顕忠院を参拝する。
・新村にある太古宗태고종)の本山奉元寺봉원사)は、伝統的仏教儀式のひとつである「霊山斎」を6月6日に行なう。霊山斎は、霊魂の冥福や極楽往生を祈願する儀式で、古く歴史を持ち、独特な音楽と踊りを持つ。2009年、ユネスコ無形文化遺産に登録された。

▼霊山斎の音楽を現代風にアレンジした一曲「香を焚く」を聴く。・・・今様で、軽快で。

霊山斎での梵唄の来歴について次の解説があった。
・霊山斎の「梵唄(ボムペ、범패)」は、釈迦と歴代高僧の言葉を歌詞とするため、歌というよりは念仏に聞こえる。1500年余り前、インド仏教音楽がシルクロードを経由して中国、韓国に伝えられた。梵唄は、インド伝来の歌の意がある。
・当初、梵唄は特別な人々の間で伝承されたが、統一新羅時代、真鑑(진감)禅師(774年~850年)が唐に留学して新しい形の梵唄を学んだ結果、広く歌われようになった。
・梵唄は、専門的に学んだ僧侶だけが歌えるもので、歌詞を長く伸ばすのが特徴。例えば、霊魂を明るい道へ引導し、「引路王菩薩(인로왕보살)」を呼び寄せるために「南無大聖  引路王菩薩(나무대성인로왕보살)」を歌うとき、この9文字の歌詞に一時間ほどかける。南無(나무)の二文字に15分くらいで、発音はもはや意味を成さず、「あぁ、えぇ」といい母音を長く伸ばす。これにメロディーと長短(リズム)を付けて長吟する。高度な集中力が必要なため、梵唄を歌う僧侶は、歌うこと自体ひとつの修練と考える。

▼「南無大聖 引路王菩薩」の中から一部を聴く。聞くというよりは、ことばの響きやうねりを自己に同一化することなのだろうか。

霊山斎での舞について次の紹介があった。
・仏教儀式の舞踊は「法鼓(법고)」と呼ばれ、4つの代表的踊りがある。
- 小さな太鼓をたたきながら踊る「法鼓舞」
- インド伝来の楽器の鈸羅(バラ)を持って踊る「鈸羅舞」
- 蝶のようにひらひら揺れる美しい服を着て踊る「胡蝶舞」
- 悟りを開くための道を示す「打柱舞」
霊山斎は本来、亡くなった人の冥福を祈るための儀式だが、それ以外にも、この世に彷徨う霊魂を始め、儀式の場に集まったすべての人々、そして動物や虫たちに至るまで、釈迦の言葉を聞いて悟りを開かせるという大きな意味を持つ。幼虫が殻を脱ぎ捨て蝶となるように、苦悩から抜け出し、解脱の境地に至るようにという、釈迦の慈悲そのものという。

▼霊山斎で踊られる鈸羅舞の際に演奏される「千手鈸羅(천수바라)」を聴く。

(参考)奉元寺の霊山斎での千手鈸羅


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2013年6月10日月曜日

イ・ソンヒの「離別小曲」

イ・ソンヒが抑制してしっとり歌う、12集所収の「離別小曲(이별소곡)」(2001年、作詞クォン・ジンヨン、作曲イ・ソンヒ)に描かれる二人は、どのような経緯で離別したのだろうか。そして、主人公が想い浮かべる相手はどうしてしまったというのか。最後のフレーズ、「あなたのそばにきます」とは、一体何を意味しているのだろう。

離別という過去を記憶に秘すことができず、回想が次の想いに進むようで・・・心配するよ。

ところで、この歌の作詞・作曲の二人は、イ・スンギのアルバム(Shadow、2009年)の共同プロデューサーでもあるそうだ。

(本ブログ関連:"離別小曲")



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2013年6月9日日曜日

(資料)天気雨の民俗名

先日、太陽につながる映画「ひまわり」やイ・ソンヒの歌「キツネの嫁入り(天気雨)」について触れたが、「Sunshower(天気雨)」をE-Wikipediaで眺めてみれば、世界の民俗がこの言葉に付けたものに、なぜか動物の「結婚式」(一部に出産など)のイメージが多いのに気付く。

(本ブログ関連:"狐の嫁入り"、"(資料) 韓国テレビドラマの九尾狐")
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・南アフリカ(英語):「猿の結婚式」、(ズールー語):「サルの結婚式」、(アフリカーンス語):「ジャッカルの結婚式」、あるいは、「雨降りに太陽がかすかに輝くときジャッカルは狼の妻と結婚する」
・(ヒンディー語):「狐の結婚式」
・(コンカニ語)「猿の結婚式」
・(シンハラ語)「狐の結婚式」
・(ベンガル語)「狐の結婚式」
・ブラジル:「雨と太陽、カタツムリの結婚式」、「太陽と雨、寡婦の結婚」、または「狐の結婚式」
・韓国:「雄虎が狐と結婚する」
・日本:「狐の結婚式」(狐の結婚式が開かれる)
・スウェーデン:「vitterväder」
・モロッコ:「狼の結婚式」
・エリトリア:「ハイエナが出産している」
・(様々なアフリカの言語):「ヒョウが結婚している」
・ケニアで:「ハイエナが結婚している」
・ブルガリア:「熊の結婚」
・タミル(ナードゥ州、南インド):「狐とカラス/カラスが結婚する」
・イラン北部(Mazandarani語):「ジャッカルの結婚式」
・英国の一部:「猿の誕生日」
・(パシュトー語):「ジャッカルの結婚式」
・パキスタン(パンジャブ語):「片目のジャッカルの結婚式」
・フィリピン:「Tikbalang(山や森林に棲む馬頭の怪物)の結婚式」
・ハワイ:「ゴースト・レイン」
・エルサルバドル:「鹿が出産している」
・バングラデシュ:「狐が結婚する」
・フランス:「オオカミの結婚式」
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2013年6月8日土曜日

御栗林

当地は江戸時代に、新田開発された、南に野川を臨む武蔵野の丘陵地のため、水田のような水利に恵まれず、農産物として主に陸稲や麦などが生産された。他にも栗の林が造られ、当時の徳川幕府に献上されたという。その意味で、歴史的に栗の産地であり、今なお生産されているが名産地として知られていないようだ。

現在、近所のそこかしこに栗林が未だあって、その管理状況を見ると、個々生産者の性格が感じられておもしろい。小学校近くの栗林は、とても管理が行き届いて、見ていてすがすがしい。あるとき、高齢の方が作業しているのを見かけたことがあるが、厳とした気風を遠くから感じた気がした。今日も見事に花を咲かせている。

ところで、小学校の門の前に史跡「御栗林跡」の掲示板が置かれていて、栗林の来歴を次のように記している。(要約)
・武蔵野新田世話役として活躍した川崎平衛門定孝は、元文年間(一七三六~一七四一)、十町二反歩(約十万二千平方メートル)に及ぶ「御栗林」を造り、武蔵野新田十か所に管理を任せた。
・精選した二千粒を幕府に献上し、残りを食料として「十ヶ新田」の他、付近の三十四の新田に配った。
・御栗林は、嘉永五年(一八五二)に大規模な補修が行なわれ、明治初年まで続いた。現在、地元の公園や通りにその名を残している。

(余談)
江戸の農家に生まれた二男、三男は養子になるか、家付きのままに終わるか、それとも水はけのよくない新田開発にチャレンジするか・・・そうして武蔵野新田が生まれた。

2013年6月7日金曜日

(資料) 韓国テレビドラマの九尾狐

イ・ソンヒが、愛弟子イ・スンギの主演したSBSのテレビドラマ「僕のガールフレンドは九尾狐」で、テーマ曲「狐の嫁入り(여우비、天気雨)」を歌って以来、狐に関する故事(九尾狐、稲荷など)に関心を持ってきた。古今東西を問わず人間との関わりの多い狐は、米作の豊穣につながる神仏(宗教)性と、本来の肉食という2つの側面を持つ興味深い動物である。
東亜日報の記事「ドラマの中の『九尾狐』、40年間のキャラクター変遷の歴史」(6/7)は、テレビドラマの中で異種としての怪物、弱者、友人など変遷する九尾狐について、次のように紹介している。(최고야記者:best@donga.com )

(本ブログ関連:”九尾狐”)
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●怪物で少数者で…今は友人

《狐は古くからずる賢くて狡猾な動物に通じた。口碑文学に伝わる130編余の狐の説話で、狐は忍術)を使い、人間を脅かす存在として描かれる。多くの狐は、人間界に降りて人のふりをして発覚し、殺されたり、追い出される悲運をむかえる。数多くのキツネの説話中、九尾狐の話が特に注目される理由は、尾が九つ付いたキツネが美しい女性に変身して人間の肝(きも)を貪るという劇的な設定のためだ。1970年代から九尾狐の説話をモチーフにしたドラマが作られ続けている理由だ。40年以上の歳月を経て、変化している禁断のキャラクターを概観する。》

●2000年代以前 敵対的な九尾狐

1970年代から1990年代までは"人食い"の九尾狐が登場する時期だった。この時期の九尾狐は、KBSのテレビドラマ「伝説の故郷」などの恐怖物にのみ存在した。九尾狐が人間になるためには、100日間(長くは10年間)、人間と一緒に暮らしたり、人間の肝100個を食べなければならないというふうに設定されていた。

しかし、九尾狐がなぜ、人間になりたがるのかははっきりしていなかった。九尾狐が人間に生まれ変わることに成功し、幸せに暮らしたというストーリーなどない。大半は人間に殺されたり、森の中に永遠に隠れて暮らすために去るという悲劇的な結末で終わった。

人間との敵対性も激しい。九尾狐をよこしまな物とみなし、取り立てた理由も無く殺そうとする狩人が登場したり、人間に子供を殺された九尾狐が、怖い復讐の化身となり、人間の世界を脅かす。たとえ、人間を信じる"やさしい九尾狐"といえども、人間の裏切りによって信頼はまもなく憤りに変わる。短くは100日から、長くは10年間、人間になるための九尾狐の努力を、人間が一夜にして踏みにじるからだ。

●2000年代は、韓国社会のマイノリティー

21世紀初頭、ドラマの中の九尾狐は強力な怪物から、異種の少数者へと変わる過渡期を迎える。この時期の九尾狐は、人間社会に共存するが、一緒に馴染められず、時には弾圧を受ける弱者として現れる。かつて、九尾狐の恐怖物の根幹を成していた"人間対九尾狐"という善悪構図から脱し、共存するものの、受け入れたくない"嫌われる存在"と認識される時期だ。同様に、この時期もハッピーエンドはない。

このようなパターンは、1999年夏以降制作が中止となったが、2008年に復活した「伝説の故郷」で、はっきりと現れている。2008~2009年に制作された「伝説の故郷-九尾狐の巻」には、人間によって一方的に殺される九尾狐が出てくる。人間らは、富貴栄華をもたらす狐の玉を手にしたり、家門の秘密を守るため、九尾狐を殺戮する。

”フュージョンの九尾狐”も登場した。2004年KBSのドラマ「九尾狐外伝」は、現代社会を生きる九尾狐族と、彼らを皆殺ししようとする「SCIS」という団体との対立を描いた。九尾狐族と人間との男女の愛を中心に扱ったが、人間の世界に暮らしている少数者として、九尾狐に焦点を当てた。

2000年代は、韓国社会で、外国人労働者や多文化家庭、トランスジェンダー、同性愛者など、社会的少数者への関心が急増した時期。九尾狐の変化も、時代的変化と無縁ではないというのが、専門家の主張だ。

●2010年に入っては、友人または能力者

フュージョンの九尾狐の延長線上で、2010年以降、かわいくて突拍子だったり、正義に燃える”人間よりもさらに人間らしい"尾狐のキャラクターが登場する。

2010年のSBSのドラマ「僕の彼女は九尾狐」の女優のシン・ミナは、突拍子で愛嬌たっぷりの彼女・九尾狐役に扮した。さらに、肉を買うためにはじめたバイトで、経済事情が悪化した彼氏を食べさせる生活力の強いかわいいキャラクターとして描かれている。九尾狐が人間になり、幸せな結末を迎えた唯一のドラマだ。

現在放送中のMBCのドラマ「九家の書(구가의 서)」でも、獣人の九尾狐の青年に扮したイ・スンギは、人間よりも人間らしい義理派だ。家族同然の付き合いをしてきた人たちを忘れることができず、彼らを守るため、命も惜しまない。膨大な怪力を、正義のために使ったりもする。

恐怖物からフュージョン劇へと変わる過程で表れる最大の特徴は、九尾狐が人間になりたがる理由がはっきりしていることだ。かつては、なりふり構わず人間になる道を選んだなら、最近の九尾狐は、愛する人間と一緒にいたいという強い欲望を抱いている。九尾狐はもはや、怪物やマイノリティーではなく、人間と共存する友人として認識されている。
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(付記)
ところで、”フュージョン”ドラマとは、いろいろな要素を併せ持った(時代性や価値観が自由な視点の)ドラマといったところだろう。

2013年6月6日木曜日

ブルーライト

パソコンのLEDモニター画面から発する光りに、ブルーライト(高エネルギー可視光線)の成分があって、眼精疲労につながるため、それをカットするメガネが販売されている。日頃、ブルーライトを気にしないでもなかったが、わざわざ購入するまでもない、・・・と思っていた。

近所の書店で、経済紙系の流行情報誌に、ブルーライト・カットのメガネが付録になっているのを見つけて、ものは試しと雑誌を購入して、PC作業で使ってみた。
PC画面全体に赤味がして、白地は白地らしく白さを増したように見える。メガネを外すと、画面が薄く青色に覆われたような気がする、・・・テレビ画面でも同様だ。

ところで、上記情報誌の出版元が併設するネット情報欄「トレンド・フォーカス」の記事「・・・タダでできる『ブルーライト除去法』があった!」に、モニター画面に青色を使わないようにすればよいという手頃な方法が紹介されている。が、50~60代になると、眼の水晶体が濁りだしているので、青色光が自然とカットされるので心配ないとのこと、・・・齢をとると、何もしなくてもブルーライト・カットの眼になるなんて。

PCでブルーライトを心配しなくてよくなった世代には、郷愁のブルーライトといえば横浜の明かりだろうさ、・・・Youtubeで探して聴いてみようか。

2013年6月5日水曜日

芒種2013

今日は、立春から数えて9番目に当たる、二十四節気の「芒種(ぼうしゅ)」である。

Wikipediaなど参考にするとると、この節気は「(のぎ 、稲や麦の小穂の先端にある棘(とげ)のような突起)を持つイネ科植物のをまく頃だが・・・現在の(苗床への)種まきは、これよりも早い。」とのこと。

いかにも象形文字らしい姿をした「芒」の文字の起源を知りたいものだ。というのも、他の文字の不安なイメージ(形、音)に重なってしまい、ちょっと気になるからだ。

さて、梅雨入りしたにもかかわらず、湿気があっても晴天とは、都市生活者にとってありがたいが、農業生産者には迷惑かもしれない。さっそく、水不足の心配がいわれたりしている。

2013年6月4日火曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 田植え歌

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(5/29)に、文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第8回として「田植え」について紹介された。

まず労働謡について次の紹介から始まった。
・古人が共に農作業する際、息を合わせるため「労働謡(노동요)」を歌った。農業は天下の根本と考えられ、地域や季節により様々な農作業の歌が伝承された。うまい歌い手は、仕事ができる人同様に厚遇された。
・「朝鮮王朝実録」の(第7代国王)世祖세조、在位:1455年閏6月11日~1468年9月7日)の実録に、農作業の始まる春に江原道を巡幸し、襄陽(양양)で農作業歌の<のど自慢大会>を主催したという。最高の評価を得た歌い手、奴婢トングリ(동구리)には賞品として、服一着と楽士の資格が与えられ、王の駕籠に付き添うことまで許された。

▼江原道、襄陽の田植え歌「オランソリ(어랑소리)」を聴く。長閑な感じして、まるで田圃のなかで次々歌い手が引き継がれるよう。

次に田植えの共同作業について次のように説明した。
・米作には88の作業が必要といわれ、種籾選びから収穫に至るまで、農民はわが子のように農作物に接する。田植えは、一年の収穫を左右する重要な仕事で、まず種籾を狭所にぎっしり植えて育てた後、田に植替える。直接田に種籾を撒くよりも管理が楽で生産量もアップするからだ。
・以前農村に共同作業体「トゥレ(두레)」があった。人手を多数必要とする田植えの際、家ごとに順番を決め、村中共同で田植えを行なった。田植えをする家は、働きに来た人々のためご馳走を準備した。田植えの日は、村はお祭りのように盛り上がった。

▼京畿道 コヤンの田植え歌「ヨルソリ(열소리)」を聴く。こちらはリーダーの歌のもとに田植えする光景が浮かぶ・・・田圃の水面に青空が映る。

田植え歌のスピードについて次のような解説があった。
・労働謡は、一般的には長短が速く、テンポを速くして作業を速くする。一方、田植え歌は、田植えが明け方から日暮れに続くため、スピードを調節し、音を長く伸ばしたゆっくりなテンポのものが多い。

▼全羅南道 珍島の田植え歌「サンサソリ(상사소리)」を聴く。こちらは威勢がいいというか力強い・・・土地の神に願いを込めるように。

岸さんの言葉、息切れしない生活が大切という・・・本当にそうですね。

2013年6月3日月曜日

ひまわり

随分と以前、「戦争を知らない子供たち」(1970年、作詞北山修、作曲杉田二郎)という歌が流行った。当時の若者は、確かに戦争を知らないけれど、共通するのは、彼らの親の世代がいずれかの形であれ戦争を経験していたことだ。直接の思い出であろうとなかろうと、親は戦争の体験を問わず語りして、子供たちはその言葉を耳に残したと思う。もしかしたら日常のひょっとした瞬間に聞かされたかもしれない。

当時の若者は、直接知ることもない戦争の残渣をどこかに感じていた。それは消えることのない、ある意味、心の中に直接的な響きを持っていた。自分たちが、戦争という多くの犠牲の中を生き抜いた両親の子であることに気付かないはずはなかった。戦後に生まれたこと、その命が続くという自身の存在を、いずれは問わざるを得なかったのだ。

戦争を本当に知らない今の若い世代には、身内に戦争の鮮明な記憶を聞かされることは極めて少ないだろう。だから、「戦争を知らない子供たち」のような歌が生まれてくるはずもない。ある意味、必然性もないのだろう。

時に思うことがある。ひとは個人の経験の中でしか過去を語ることができない。どんなに時代のうねりが大きくても、経験はちっぽけな一つでしかない、今にいたる一つの糸でしかないことを思い知る。たとえ記憶の糸を紡ぎ合わせて時代を知ったとしても。

DVDで映画「ひまわり(I Girasoli)」(1970年日本公開)を見た。「戦争を知らない子供たち」の視点を越えることはできないが、齢を重ねて気付き、響いてくるものを感じた気がする。時代に翻弄されても、懸命に生き、そして小さくてもよい、生きるしかないのだから。生きるために幸せを求めたことを咎めることはできない。時代が運命を切り裂いたとしも、生きる価値を見出さなくては、ひとは生き続けることができないのだから。

(本ブログ関連:”ひまわり(映画)”)

大地に咲くひまわりは、陽射しをうけて黄色の花を輝かせ、ゆったりと風の動きに身をまかせる。無限に広がる畑に咲き続けるひまわりは、命を咲かせ種を残す。


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2013年6月2日日曜日

二宮鉱山、吉見町

前回(3/24)、埼玉県東秩父村朝日根と寄居町五ノ坪の鉱物採集のときと同じメンバーで、今回も埼玉県下の児玉郡神川町二宮鉱山(ニッケル鉱物)と比企郡吉見町(沸石)に出かけた。

集合場所は何とJR東海道線戸塚駅だ。待ち合わせ時間をゆるくしていただいたおかげで、いつもよりも自宅を出る時刻を遅く家を出る。
ところで戸塚駅の改札口が、上下2層あるとは知らず戸惑ったところを救出され・・・無事に定刻に出発。

最初に到着した、神川町二宮鉱山近くにある金讃神社周辺は、リーダーが前回来たときと比べて宅地化、整地化が進み、採集場所がリース会社敷地になったようで、断念か・・・そうはいっても、石の臭いを嗅いで辺りを探すと、道路際にある同社駐車場背面のわずかな斜面に、蛇紋岩を砕いた形跡があった。少し探し廻ったが、マックギネス石!なんて見つけることもできなくて。
採集結果は次の通り。
・黄鉄鉱(微粒)、苦灰石(ただしいただきもの)

次に、比企郡吉見町ひばりヶ丘に転じる。こちらも宅地化が進んでいて・・・高い場所からそれらしい岩場が見えたが、情報通りに見つからない・・・幸い、畑地でトラクターを運転していた地元の方に教えていただき、あっけなく採集場所にたどり着く。
採集結果は次の通り。
・(灰)菱沸石、黄鉄鉱(微粒)

言い訳として、現地到着と帰りの時間を考慮して、両採集時間はあっという間だった。

2013年6月1日土曜日

リンゴの実に例えると

日々の時間の進みを直感的に理解するのに、リンゴの齧り具合で例えるのがよい。今日から6月、リンゴの芯を中心に縦に輪切りすると、すでに5月まで食ってしまったのだから、半分位いしか残っていないことが分かる。

スケジュール管理ツールなど別にすれば、月別カレンダーやスケジュール手帳などは、今しか見ていないので、済んだことも残っていることも直感的でない。どうやら、日常ズルズルと過ごして、時間を消費というよりも浪費してしまったことに気付く・・・無駄に過ごしたということか。

食ってしまったリンゴは何処へ行ったのだろう、少しはリンゴの気持ちを考えるべきだろう。

あのう別に、あちらのリンゴのことではないですよ。

2013年5月31日金曜日

李明姫 伽耶琴公演

久し振りに地下鉄四谷三丁目駅近くにある韓国文化院に行く。「2013年定期公演シリーズ ~K-Cultureの魅力~」のPart2である、伽耶琴(カヤグム:가야금)奏者の李明姫(イ・ミョンヒ)の公演を見るためだ。

李明姫は、パンソリ「赤壁歌」、「沈清歌」、「春香歌」、「興甫歌」の中から代表的な歌を伽耶琴演奏と共に唱した。ステージ遠くに見た彼女は、ちょっとチョン・ドヨンに似て華奢な感じがしたが、声量豊で館内を圧倒した。併唱された内容が理解できれば、感動も深まっただろう・・・言葉は大事だ。なお、合いの手コス(고수)はイ・チャンソプが太鼓(プク)を打った。

パンソリと伽耶琴演奏の組み合わせを、何と呼ぶのだろうか。

また上記演目の途中に、節回しに次第に引き込まれる印象的なイ・キュジョンの「回心曲」、気品と美しい一瞬の静止を見せながら舞う金美福(キム・ミボク)の「花仙舞」が演じられた。

(本ブログ関連:"伽耶琴"、"パンソリ"、"回心曲")

(追記)
KBS Worldの番組「国楽の世界へ」を聴取しているお陰で楽しむことができた。感謝。

2013年5月30日木曜日

イ・ソンヒの「あなたに会いたいときは」

深い孤独に愛を沈めながらもなぜか想いはつのる・・・イ・ソンヒが28歳当時に歌った「あなたに会いたいときは(너를 만나고 싶을땐)」は、8集(1992年)の最後に収められていて余韻を残す。それは、恋を恋するように、美しい音色も加わって・・・乙女心とでもいうのでしょうか。

ローマの古い言葉にあるように、「愛はそれが目醒めてあるときに想像することを夢みる」と。いつの世も変わりませんね。だから繰り返しているのでしょう・・・そして新鮮なのでしょう。



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2013年5月29日水曜日

梅雨入り2013

それらしくもなくて、何だかその気にならないのに、そうだといわれると、そうなのかもしれない。今日から関東地方も梅雨が始まった。

「つゆいり」とキーボードを打てば、「入梅」となる。「入梅」は、本来固定の6月初旬頃の季節用語(雑節)で、しとしとと間断なく静に降り続く表現に、「にゅうばい」の音が合っている気がする。
気象庁の「予報用語 > 季節現象」では、梅雨の期間に入ることに、用語「梅雨入り」を適用し、用語「入梅」は「使用を控えるもの」としている。従ってマスコミも「梅雨入り」を使う。

日本経済新聞の記事「関東甲信も梅雨入り 平年より10日早く」(5/29)は、今年の当地の梅雨入りを次のように報じている。(抜粋)
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・気象庁は29日午前、関東甲信地方が梅雨入りしたとみられると発表した。平年より10日昨年より11日早い
・関東甲信地方は湿った気流や前線の影響で、週末にかけて曇りや雨の日が増えるという。平年の梅雨明けは7月21日。
・まだ梅雨入りしていないのは、梅雨がない北海道を除き北陸と東北地方のみとなった。
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「北海道を除き」というのは気象上、北海道に梅雨は合致しないという意のようだ。

ちなみに関東地方の最近5年間の梅雨入り時期を、気象庁の「昭和26年(1951年)以降の梅雨入りと梅雨明け(確定値):関東甲信」によれば次の通り。
  年            入り                 明け     
2008年   5月29日ごろ   7月19日ごろ
2009年   6月 3日ごろ    7月14日ごろ
2010年   6月13日ごろ   7月17日ごろ
2011年   5月27日ごろ   7月 9日ごろ
2012年   6月 9日ごろ    7月25日ごろ
平 年      6月 8日ごろ    7月21日ごろ  

(本ブログ関連:"梅雨")

2013年5月28日火曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 諧謔

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(5/22)に、文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第7回として、「諧謔、こっけい」について紹介された。

まず国楽にも笑いをテーマにした諧謔的な音楽があるという次の紹介から始まった。
・韓国伝統文化に情緒としての「恨」があるが、ソンビの音楽には気品があり、庶民の伝統芸能「仮面劇タルチュム」には堕落(両班や僧侶)と浮気と嫉妬(爺さんと婆さん)などの風刺と諧謔があった。国楽にもこうしたテーマが伝承されている。
「蛙打令(メンコンイ・タリョン、맹꽁이 타령)」(1900年代頃)の、「メンコンイ」は動きが鈍く疎い人物として使われる。今から100年ほど昔、ソウルの真ん中を流れる清渓川に住む様々なメンコンイが現れ、人々の生き様を風刺した描写する。

▼「蛙打令」を聴く。五匹のカエルの姿は・・・言葉に納得して楽しむものだろうけど・・・。

次に、パンソリについても滑稽な描写を次のように紹介した。
・パンソリは、悲しみに泣き叫ぶかと思えば、何事もなかったように笑いはじけるジャンルだ。
- 「水宮歌」では、海の竜王が自分の病気を治すウサギを探すよう臣下に命じる。イカ、貝、ニシン、ひらめ、太刀魚などが登場して、竜王は病気を忘れて思わずつぶやく、「わしは竜王ではなく、これではまるでチュソクのための市の日に、商売のために出てきた魚売りではないか」。
- 「沈清歌」では、盲目の父の目を開かせるため娘が海に身を投じる悲劇の中で、主人公沈清が命の代わりに得た金を目当てに、後妻ペンドクと沈清の父との滑稽話が続く。
- 「赤壁歌」の中の赤壁火戦では、大軍を率いて呉国を攻撃した曹操は予想外の火攻めにあい退去する。こうした中にも裏をつく笑いの要素が含まれている。

▼ユン・ジンチョルによる「赤壁歌」の中から「赤壁火戦」を聴く。なぜか淡々として・・・ところで、朝鮮の古い時代の戦を題材にしたパンソリはないものだろうか。

・死は暗く厳粛なものだが、それさえ風刺の対象にした。特にパンソリは庶民から始まった文化のため、このような風刺の傾向が強いと思われる。不条理を笑いを通して表現するところがパンソリの力ではないか。

▼フュージョン国楽グループのプロジェクト・ロック(Rock、락)による「困るな(난감하네)」を聴く。これは・・・今様で。

2013年5月27日月曜日

イ・ソンヒ 50代最強の童顔女性

芸能人にとって若さは重要な武器だ。一般庶民(特に女性)にすればその秘訣を知りたいことだろう。若さ(すなわち童顔)の例から、イ・ソンヒは外れない。
WOW韓国経済TVの記事「バンパイア芸能人、ハン・ガイン、チョン・ヘヨン、イ・ソンヒ選定 <最強の童顔理由は?>」(5/27)は、美貌を保ち続ける3人の女性芸能人を紹介している。彼女たちの美しさに摩訶不思議さを感じて、「バンパイア(吸血鬼)芸能人」とまで呼んでいるが・・・。
ちなみに、イ・ソンヒは旧暦1964年11月11日(新暦12月14日)生まれで、「数え年」で50歳であるが、来年には新暦「満年齢」で50歳になる。

(本ブログ関連:"童顔"、"チョン・ドヨン")
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・[韓国経済TV、キム・ジウン インターン記者] 俳優ハン・ガイン、チョン・ヘヨン、イ・ソンヒがバンパイア(吸血鬼)芸能人に選ばれた。

・27日放送されたMBC「気持ち良い日(기분 좋은 날)」では、年代別最強の童顔芸能人の姿が電波に乗った。

・30代最強の童顔女性は、イ・ヨウォン、ユ・ジンを抜いて、ハン・ガインが選ばれた。整形外科専門医は「眉毛と目から出る明るいイメージが童顔を感じさせる」と説明した。

・引き続き40代最強jの童顔女性候補では、キム・ジス、チョン・ドヨン、チョン・ヘヨンが上がって、チョン・ヘヨンが選ばれた。整形外科専門医は「小さくて明るい目つき、やや長めなアゴの線、発達していない頬骨など全体的な容貌が理由」と話した。

最後に50代最強の童顔女性では、歌手イ・ソンヒが名を連ねた。明るい皮膚の色、小さい顔、微笑を浮かべた白い歯、濃い眉毛と髪が、イ・ソンヒを童顔にしてくれた
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(Youtubeに登録のbraun braunpsに感謝)

2013年5月26日日曜日

巨匠たちの帰還・・・チョー・·ヨンピルからイ・ソンヒまで!

TV朝鮮は、「巨匠たちの帰還・・・チョー・·ヨンピルからイ・ソンヒまで!」(5/25)の紹介の中で、チョー・·ヨンピルの最近の話題に合わせて、イ・ソンヒについて、「繊細ながらも爆発的な歌唱力のイ・ソンヒも、戻ってくる準備に乗り出しました。来年、デビュー30周年を記念する全国ツアー・コンサートと新しいアルバム準備の真っ最中です。」と報じた。

登録(tvchosun01)された映像には、イ・ソンヒの直接のコメントはなく、彼女のステージを写した一瞬の表情の選択に何処か引っ掛かるものがあるけれど・・・。


2013年5月25日土曜日

(資料)イ・ソンヒが再婚した夫

渡米と同時にイ・ソンヒが不幸なできごとを乗り越えて再婚した夫について、女性東亜の記事「ベールに包まれたイ・ソンヒの夫 直接会ってみると」(5/24)は、インタビューを交えて次のように報じている。(文キム・ミョンヒ記者、写真イ・キウク記者)

(2006年)
・2006年、イ・ソンヒ(現在49歳)の再婚はいろいろ衝撃的だった。当時、イ・ソンヒは、所属事務所のクォン・ジンヨン代表に、交際する人がいるという事実を知らせて、引退を暗示するような発言を残したまま男性と一緒にアメリカに向かった。

・「国民歌手」のイ・ソンヒが、急に国内の生活を整理して引退の示唆までしようと、ファンたちは大きく当惑した。それから四ヶ月後の2006年11月19日、イ・ソンヒは、ファンカフェに文を書いて、自分の再婚の事実を知らせた。当時、イ・ソンヒは「一般人の配偶者が私生活の露出を敬遠するため、秘密裏に結婚し、(当分は、韓国を離れて)アメリカの大学で体系的に音楽の勉強をする計画だ。前から勉強をしたかったものの状況がままならなかったが、夫のおかげで勇気を出すことができた」と打ち明けた。

(2007年)
・その後、イ・ソンヒは、夫のチョン某氏(58)と一緒に米国イリノイ州に滞在し、娘の留学生活を世話して、コミュニティカレッジで英語の授業を受けて新婚生活を満喫した。その間、韓国の知人全ての連絡を切断しているようにした。最側近の人たちでさえ、イ・ソンヒと連絡が取れないと、イ・ソンヒの家族に電話をかけて「米国にいるイ・ソンヒの安否が気になるので、彼女から連絡がくれば、電話一つ必ずして欲しい」という願いをしておくほどだった。

(本ブログ関連:”イ・ソンヒの娘”)

・その間、韓国では、夫のチョン氏の過去の色々な噂が出回った。イ・ソンヒとの結婚が、再婚とか再々婚とかいう、彼の過去と関連した内容だった。また、しばらくの間、イ・ソンヒとチョン氏がアメリカで離婚したという噂が流れたりもしたが、その頃夫婦が一緒に知人の結婚式に賀客で参加したのをきっかけに離婚説は事実無根と明らかになった。

(2008年-2009年)
・イ・ソンヒが2008年に米国から帰国した後、コンサートやアルバム発売を通じた正式カムバック手順を踏まないで、地方のイベントなどにだけ姿を現わしたのに、夫婦に経済的な問題があるではないかという疑惑も起こった。イ・ソンヒは、2009年のMBC「黄金漁場 - 膝打ち導師」に出演しても、「夫のおかげで、娘との関係が良くなった」とだけ話しただけで、その他の私生活については、非常に言葉を慎んで再婚生活に対する知りたくなる事を(返って)煽った。


베일에 싸인 이선희 남편 직접 만나보니


180cmの長身の好男子。「インタビューに応じたら妻に怒られる」

베일에 싸인 이선희 남편 직접 만나보니

・こうした中、最近イ・ソンヒの夫が、ソウル良才洞(양재동)で日本式居酒屋を運営するという消息が聞こえてきた。彼は、個人的知り合いで訪ねてきた客と酒杯を傾けたりもするが、終始愉快に会話を引っ張りながらも、イ・ソンヒの夫として話題になるのは負担になると伝えられた。

・記者が訪れた時も、彼は知人との集まりを持っていた。180cm程になる背丈の好男子である彼は「私はこの酒場の社長ではなくて、後輩たちを助けたり、人々に会うために時々立ち寄る程度」と述べた。最近、活動がまばらな妻イ・ソンヒの近況については「非常によくやっている。今は休んでいるが近いうちにコンサートをするのか、アルバムを出すのかよくわからない。妻の歌手活動については一切関与していない」と述べた

・正式のインタビューを要請すると、彼は「妻に怒られる」と手で遮りながら笑った。二人が私生の活露出を敬遠する理由には「再婚する時に確認されなかった悪意ある報道があまり多く出たために心の傷を負ったからだ」と述べた。

・チョン氏は、かつて言論(メディア)に、韓国と米国を行き来しながら事業をすると報道されたが、事実、彼はソウルの有名私立大学で建築学を専攻し、米国に留学し、修士号まで取った建築家だ。イ・ソンヒは、自分の娘をアメリカに留学させて、米国留学の経験があるチョン氏から多くの支援を受け、その過程で愛が芽生えたという。

・チョン氏は、現在建築デザイン研究所を運営する一方、ある私立大学で非常勤講師として学生たちを教えている。そのおかげで、大学を卒業した弟子たちが彼に会うためにたびたびこの場所を探したりすることもあると。

・居酒屋が入店しているビルは、チョン氏の所有だ。良才川を見下ろす大通りに位置し、カフェ、バー、病院などが入った6階建ての建物で、かなり安定した賃貸収入を期待することができるという点で、イ・ソンヒ夫婦が経済的に問題があるという噂を一蹴させるに十分だった

・チョン氏の知人たちは一様に彼の人となりを高く評価し、イ・ソンヒ夫婦がいろいろな噂に包まれたことを惜しんだ世間で起きている疑惑とは異なり、イ・ソンヒが良い「因縁(인연')」と会ったのは明らかである。

2013年5月24日金曜日

イ・ソンヒと清渓川復元

韓国のブログ*から知ったことだが、イ・ソンヒはソウル市議会議員時代(1991年~1995年)に、同市を流れる清渓川(청계천)について市民に戻さなければならないと「原状回復を主張します」という、5月23日放送のSBS「一夜のTV演芸」で回顧されたと紹介している。
「美しい江山」の賛歌に通じる、環境について早くから発言していたことになる。

(*)ブログタイトル:「因縁というのでしょう、拒むことができないのです!!」(イ・ソンヒの「因縁(인연)」の歌詞から採ったのでしょう)。感謝。

(本ブログ関連:"イ・ソンヒのソウル市議会議員")



(追記)
上記について、東亜日報の記事「イ・ソンヒ、(李明博 元)大統領よりも先に清渓川の復元主張」(5/22)でも紹介されている。

2013年5月23日木曜日

秩父鉱山大黒川原

秩父鉱山の大黒の川原に鉱物採集に行く。今日は、ありがたいことに鉱物仲間のёб氏が自宅前に車をつけてくれたおかげで、そのまま大黒の駐車場で現地集合することができた。感謝。

前回同様にXa氏を交えて、大黒の川原で鉱物採集する。自然金欲しさに、ふるいとパンニング皿を用意したが・・・。
まず、橋の下をくぐって、急斜面の上側に坑口をのぞかせる処までと・・・川をちょっと遡行したが、わたしだけ諦めた・・・ああ高さに足腰が追いつかない。お二人の情報によれば、坑口周辺に黄鉄鉱石が転がっていたという。

そこで独り、最初の川原に戻って次の鉱物を採集した。(もらい物を含む)
・菱マンガン鉱、磁鉄鉱、(?)ザクロ石、黄鉄鉱、閃亜鉛鉱

次に、ネット情報をもとに自然金を求めて川原を下る。砂防ダムまで至るが、残念ながら該当の場所が見つからない・・・そこで途中に合流している川に入り遡行したが、ここでも残念な結果に終わった。
とりあえず次のものを採集。(もらい物を含む)
・黄鉄鉱、硫砒鉄鉱

(本ブログ関連:"秩父鉱山大黒坑")

(追記)
川の岩石歩きに四苦八苦するわが身を考えると、今日、史上最高齢の80歳で最高峰エベレスト(標高8,848m)を登頂された三浦雄一郎氏のパワーに敬服の至り。今後の鉱物採集に参加をあやぶんでいたわたしだが、もう一度気を取り直して、しばらく継続することにする。

2013年5月22日水曜日

amor

ギリシア・ラテン引用語辞典のラテン語の部に「amor(愛)」の項を探すと、ぽいと吐き出された愛の捻じれで面白いものがある。ランダムに列記する。

amor ex oculis oriens in pectus cadit.  愛は眼より出でて胸に入る。

amor quod suspicatur vigilans, somniat.  愛はそれが目醒めてあるときに想像することを夢みる。

amor tussisque non celantur. 恋と咳とは隠されず。

2013年5月21日火曜日

小満2013

今日は二十四節気の「小満」。街に、森に、畑に溢れた緑は、夏の陽を受けてまばゆく輝く。豊かな実りに向けて準備は整ったようだ。

というか、小満のこと意識になかったなあ・・・確かに、春の寒暖が次第に収斂して、初夏の頭上の日差しに驚くこともあるが、日々生活は、野の緑、森の緑、畑の緑と疎遠だし・・・。

そうそう、明後日には、緑の風を確かめに、秩父鉱山大黒に行こう。

KBS WORLD「国楽の世界へ」 初八日

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(5/15)に、文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第6回として、日本の「花祭り」に当たる、旧暦4月8日に釈迦の誕生を祝う仏教行事の「灌仏会(かんぶつえ)」すなわち「初八日(チョパイル、초파일)」について紹介された。

まず「初八日」の行事について次の紹介から始まった。
・旧暦4月8日(今年5月17日、最近では新暦4月8日)の釈迦生誕日を祝う「灌仏会」(花祭り)は、韓国ではキリスト教のクリスマスに比する行事である。釈迦生誕日の4月8日から「初八日」と呼ばれ、「釈迦誕生日(釋迦誕辰日、석가탄신일)」、「お釈迦様がいらした日(부처님오신날)」と呼ばれ、全国的に行事が行われる。

▼仏教象徴の花からチョン・ジュソンの歌による「蓮の花咲く」を聴く。今様の・・・音色に東洋の香りを重ねて。

韓国(朝鮮)仏教、「八関会」について次のように紹介された。
・紀元前5世紀頃インドに始まった仏教は、西暦372年高句麗に伝来したとされ、以後、統一新羅、高麗では国教に指定された。現在、登録文化財の約65%が仏教関連といわれ、仏教は韓国に深く根付いた伝統文化でもある。
・釈迦誕生日は、「初八日」と呼ばれ、様々な行事が行われてきた。特に新羅時代の風習である「八関会(팔관회)」と、「タプトリ(탑돌이)」は長く続いた。
八関会は、不殺生、不偸盗、不姦淫、不妄語、不飮酒の5戒律に、贅沢しない、高い処に座らない、午後に断食を行うの3戒律を合わせて、一日に8戒律を守る仏教儀式である。
タプトリは、夜通し塔の周りを巡り、自ら、そして家族の健康と安寧を祈願する仏教の修行である。

▼キム・ヨンイム歌による「タプトリ」を聴く。繰り返す旋律が次第に心地よく耳に、心に残るよ。

「タプトリ」について、関連する逸話(三国遺事(13世紀末))と、行事が次のように紹介された。
・新羅のキム・ヒョンが初八日にタプトリを行ったところ、美しい女人が現れ一目で魅了されるが、後にトラの化身であることを知る。しかしひたむきな愛に感動したトラは命をかけて彼を守った。
・初八日は、道に沿って明るい提灯が飾られる。この風習も統一新羅時代に始まったといわれる。ニンニク、スイカ、つるなどの形の提灯が並び楽しむことから、「観灯遊び(관등놀이)」という。中でも蓮の花形の提灯が一番多く見られ、蓮の提灯を点す意から「蓮灯会」とも呼ぶ。毎年、この時期に開く蓮灯会は、韓国を代表する祭りのひとつであり、昨年重要無形文化財に指定された。

▼パク・ヤンドク他の歌による南道雑歌「報念(보렴)」(報施念佛の略)を聴く。土の香りがしてくる・・・祈りが集合して次第にうねりとなるような本当の力を感じる。

2013年5月20日月曜日

小学校の真実

小学校の真実といっても、別に不都合な真実なんていった大げさなものじゃない。テレビ娯楽番組で世代別に小学校時代の給食の思い出語りするのに、ひとつだけ気になったことがある。

一番上の世代が語ったことだが、給食に出た脱脂粉乳のミルクがいやでいやでしょうがなかったという話しに、本当にそうだったろうかと思い返した。元気なだけが取り柄の男の子たちは、ミルクのおかわりに並んだものだよ。まあ、地方の小学校だったからかもしれないが、あんなに否定されると、脱脂粉乳のミルクが可哀相で弁明したくなる。

それに、こんな工夫もしたものだ。大粒の豆のぜんざいが出たときは甘さもあるので、それと脱脂粉乳のミルクを一緒に混ぜたりしたものだ・・・まろやかになって意外と好評だったよ。
そんなわけで当時は、脱脂粉乳のミルクが臭いと完全否定されていたわけはなかった。考えてもみて欲しい・・・給食時間に、みながミルクを窓の外にそっと棄てていたわけじゃなかったでしょ。
脱脂粉乳のミルクが臭いという言葉も、そのとき聞かなかったような気がする・・・後から出てきた言葉じゃないのかな。

アメリカン・ポップから一夜にしてビートルズファンに変わったかのごとく語られるのと同様に、今から見て記憶を整理し直しているのじゃないのかと・・・ちょっと気になる。どうやら記憶は、時間と空間が遠ざかるほど純化されるようだ。

今ではスーパーの商品棚に脱脂粉乳は「スキムミルク」の名で出ているが、あまり日が当たらないようだ。

(付記)
思い出したことがある。小学校の給食棟の脇に、大きな(ガソリン?)ドラム缶サイズの茶色した固い紙筒があって、表に星条旗をアレンジしたデザインとその下に両側から握手する手首の絵が描かれていた。何が入っていたのだろうか・・・小麦粉、それとも脱脂粉乳? ぼくらは、そんな時代に育ったんだよ。

2013年5月19日日曜日

思いつくまま冬虫夏草

テレビ情報番組で、ネパールの農民が山肌に茂る短い草むらの中から冬虫夏草を探し出し、それを仲買人に売って生活費の足しにすることから始まり、最終的に中国で驚くほど高価な食材となるまでをドキュメント風に紹介した。
採集に子供の目力が役立つと、作業を手伝わせる場面があるが、経緯にちょっとした脚色があるのかな。

なぜ虫が草になってしまうのだろうか・・・どちらかといえば、それを知りたかった。菌類が昆虫の体内に侵食(寄生)して宿主を乗っ取ってしまうのだが、そんなことがあるなんて、むかし白戸三平の漫画で知ったときには驚いた。

四方田犬彦は「白土三平の食物誌」の中で、冬虫夏草を題材にしたストーリーを次のように紹介している。
「初期の『甲賀武芸帖』の・・・第二話では、不老長生の妙薬を求める旅に出た少年が、冬虫夏草を発見したものの吹雪に遭難してしまい、みずからが巨大な冬虫夏草の温床と化してしまう。 」

そういえば、落語に「頭山(あたまやま)」があって、サクランボの種を飲み込んだけちん坊が、頭頂に育った桜の木を引き抜いた穴に、最後は身を投じる。人間版の冬虫夏草、いな冬人夏樹とでもいうのか、それにしてもメビウスの輪のように、空間がねじれるという不思議でおかしな展開だ。

ところで、ヘビが自分の尻尾を食べたら最後はどうなるだろう。

2013年5月18日土曜日

シルヴィ・ヴァルタンの「あなたのとりこ」

鉱物仲間といつものように思い出話しになって、イタリア(カンツォーネ)のジリオラ・チンクェッティ(Gigliola Cinquetti、1947年12月20日~)と、フランス(フレンチ・ポップ)のシルヴィ・ヴァルタン (Sylvie Vartan, 1944年8月15日~)のどちら、となれば可愛さは共に比べようもないが、いかにもヨーロッパのパリの香りを運んでくれたシルヴィ・ヴァルタンかな・・・と合点する。

カテゴリーに富んだアメリカン・ポップにどっぷり漬かっていたところに(それしか知らなかったのだが)、突然ヨーロッパから可愛い娘(こ)たちが次々押し寄せてきた。それも、みな明るく元気で極めて健康的、愛くるしさを前面に出した歌手たちだった・・・だから、すぐにラジオに耳を傾けた。

なかでもシルヴィ・ヴァルタンにひき寄せられた・・・流れてくる旋律は、まさにフレンチ・ポップだけれど、それとは別に印象的な彼女の目にとても強い親和を感じた。

(本ブログ関連:"シルヴィ・ヴァルタン")

そんなわけで、いかにもフレンチ・ポップの曲「あなたのとりこ(Irrésistiblement)」(1968年)をYoutube で聴いてみよう。

(Youtubeに登録のintheHailarに感謝)

2013年5月17日金曜日

イ・ソンヒの「お姉ちゃん」

韓国の童謡には、ソウルに出たまま戻らぬ兄を想い探す「兄を思うと(오빠생각)」(作詞チェ・スンエ【当時12歳、1925年11月】、作曲パク・テジュン)があるが、それと対称的にイ・ソンヒの5集(1898年)所収のものに、姉を想う歌「お姉ちゃん(누나야)」(作詞・作曲キム・チャンワン)がある。

陽の光の中、風そよぐ中に姉を求める、どこか懐かしい、まるで童謡のように心に残る。Youtubeでイ・ソンヒの美しい歌のままに聴いてみよう。

(本ブログ関連:"童謡")

(Youtubeに登録のkang yeol jungに感謝)