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2017年3月16日木曜日

イ・ソンヒの5月、米ロスアンゼルス公演

中央日報のLA版の記事、「国民のディーバ(歌姫)イ・ソンヒ『The Great Concert』LAコンサート開催」(3/13)は、昨年9月にソウル*を起点にして、その後、全国12都市**で開催されたイ・ソンヒの「The Great Concert」を、米国ロスアンゼルス***で単独公演すると次のように記している。

(*) 昨年9月にソウルで開催した「The Great Concert」: コンサート・レポート
(**) 記事入力が3月13日となっているが、本文最後に、「The Great Concert」の国内最終日(慶山:3月4、5日)をこれからのように記しているので、記事はそれ以前に作成されたものと考えられる 。
(***)「The Great Concert」は、米ロスアンゼルスに次いで、9月に豪シドニーでも単独公演を予定している。

(本ブログ関連:”The Great Concert”)

ところで、3年前のことだが、コンサート(「歌う イ・ソンヒ」)の全国ツアーを終えたばかりの頃、スターニュース記事(2014年11月17日)は、「(イ・ソンヒの所属事務所の)フックエンターテインメント関係者は、17日のスターニュースに『全国ツアーを有する間にも、国内で公演した都市はもちろん、しなかった都市で年末コンサートなどアンコール公演を持つという提案を多数受けた』とし、『韓国を越えて、アメリカとオーストラリアなど海外でも単独コンサートをして欲しいという要望が殺到し、今も同じ』と伝えた。」と伝えている。
もしかしたら、今回の米・豪コンサートは、このような流れの中で計画、実現の運びになったのかもしれない。

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・「J 撫でる風に..J あなた想えば..」 そのとき、ラジオから流れ出た繊細ながらも切なかったその声。清く澄んでいるが心の琴線に響く声。このような修飾語を、一度にすべて持つことができる歌手は、大韓民国でイ・ソンヒしかいない。

(参考)イ・ソンヒのデビュー曲 「Jへ(J에게)」

(Youtubeに登録のjustine kellyに感謝)

・いよいよイ・ソンヒの声をLAで来る5月20日初めて直接聞くことができるようになった。デビューから30年を過ぎたイ・ソンヒだが、既成世代(社会の中心世代)には、いまだに彼女の初デビュー舞台がずっと鮮やかなままである。奇妙なギャザースカートに、やぼったかったポグルパーマ。顔の半分を覆ってしまうサングラスまで。歌唱力同様に、彼女のファッションは大衆に新鮮な衝撃を与えた。心地よいながら切ない声で聴衆の心をひたらせてしまったイ・ソンヒは、結局、1984年のMBC「辺歌謡祭」で優勝を射止めた。

・そんな風にデビューしたイ・ソンヒは、歌謡界で新しいパラダイム(規範)を引き起こし始めた。正規(公式)アルバム*ただ一枚なくて、歌謡祭の出場曲だった「JへJ에게)」一曲で、その年の新人賞、人気歌謡賞などを含むすべての賞をさらった。保守的だった当時の放送界では、他放送会社でデビューした歌手に、その他の放送会社の活動を許諾しなかったにもかかわらず、MBC出身であるイ・ソンヒがKBSの新人賞を受賞する奇跡に近い歴史を記録した。

(*)彼女の正式アルバム第1集は、1984年のMBC「江辺歌謡祭」の翌年にリリースされた。

・のみならず、「女性歌手には男性ファンが多い」という偏見を打ち破ることで、チョー・ヨンピル(조용필)の「兄さん部隊」に次ぐ、イ・ソンヒの(女子学生だけのファンフループ)「姉さん部隊(언니부대)」を誕生させた。彼女のマスコットであった丸いメガネと、(ショート)カット・ヘヤスタイルは女子学生たちの間でとんでもない人気とともに、「イ・ソンヒ症候群(シンドローム)」を引き起こした。イ・ソンヒらしいボーイッシュな魅力で、彼女は男性ファンだけでなく、トムボーイ(Tomboy、おてんば娘)ファンたちを引き連れて全盛期を享受した。

・今とは違って、リップ・シンク(くちパク)が存在しなかったその時期、イ・ソンヒは澄んで力ある声で、多くの名曲を誕生させた。「Jへ」、「分かりたいです(알고 싶어요)」、「私いつもあなたを(나 항상 그대를)」、「秋の風(갈바람)」、「ヤング(영)」など、今聞いても全く野暮ったくない名曲は、いまも多くの愛(支持)を受けている。そのうちの1集に収録されている、はやいビートの曲である「あ! 昔よ(아 옛날이여)」を完ぺきに消化して、ジャンルがない(こだわらない)歌手であることを証明した。その他にも、シン・ジュンヒョン(신중현)の「美しい江山(아름다운 강산)」をリメークしてパワフルなボーカルを披露した。

・彼女の伝説は今なお書きつがれている。世界的な歌手たちにだけ与えられる栄光を、イ・ソンヒは、2011年、ニューヨークのカーネギーホールのメイン公演会場「アイザック・スターン オディトリアム」で享受した*。

(*)2011年2月3日夜、ニューヨークのカーネギー・ホールの全席完売している。

・イ・ソンヒは、2014年、(アルバム14集以来)5年という空白を破って、正規アルバム15集を発表した。デビュー30周年を記念するスペシャル アルバムでもって、イ・ソンヒはファンたちに「歌を聞く楽しみ」*を分かつために、5年の間、アルバムを準備したと明らかにした。そのうちの、タイトル曲「その中であなたに出会って(그 중에 그대를 만나)」は、曲は楽器配列(編成)を最小化して、イ・ソンヒのアピール力の濃厚な音色をそのままに再現した。

(*)2014年のコンサートタイトルは、「歌うイ・ソンヒ」だった。

・甘美なバラードから軽快でパワフルな音楽まで問題なく消化するイ・ソンヒならばこそ、ドラマと映画のO.S.Tでももれなく名をあげている。イ・ソンヒの初O.S.Tの開始点は、ドラマでも映画でもない、アニメ主題曲だった。80年代の老若男女漏れなく好きだった、国民漫画「走れハニー(달려라 하니)」の主題曲は、彼女の澄んで軽快な声で全国路地にこだました。

・2005年度に発表したイ・ソンヒの「因縁(인연)」という曲は、一千万の観客を動員した(映画)「王の男」に挿入され、多くの愛(支持)を受けた。彼女が直接作詞、作曲をした曲を以って、歌だけうまく歌う歌手ではない、シンガーソングライターの面目を見せたりもした。

・のみならず、視聴率21.0%(ニールセンコリア提供)で、盛況裡に放映を終えたSBSの水木ドラマ「青い海の伝説(푸른 바다의 전설)」 (イ・ミンホ、チョン・ジヒョン主演)のO.S.T 「風花(바람꽃)」を歌って各種音源チャート上位圏に進入した。ドラマと映画に出てくる主人公たちの感情を視聴者に伝達して「O.S.Tの女王」というタイトルを再度確実にした。

・最近では、芸能を通じてもファンとコミュニケートしている。(SBSの)サバイバル音楽番組「ファンタスティック・デュオ」に出演したイ・ソンヒは、一般人「朗朗18歳 イェジンお嬢さん」と共に舞台を作り上げて、5連勝を達成して名誉の卒業をした。最高の賛辞を受けたイ・ソンヒとイェジン嬢さんの(歌う)「私はいつもあなたを」、「美しい江山」と、「思い出のページをめくれば」は、いまだ番組のレジェンド舞台として残っている。

・小さい体格にもかかわらず、パワフルな歌唱力のために、「小さな巨人」というニックネームを持っているイ・ソンヒは、本人自らも彼女の声は「天がくださった贈り物」と表現した。そんな夢のようなイ・ソンヒの声を、目前で聞くことができる機会がついに来たのだ。

・イ・ソンヒは、昨年9月、ソウルを始め大邱、全州、光州、(大田 )、釜山、仁川、高陽、昌原、水原、議政府、清州など、6ヶ月を経た全国ツアーを持っており、来る3月慶北(慶尚北道)の慶山を最後に国内公演を盛況裡に終了した。全国ツアーを終えたイ・ソンヒは、デビュー32周年をむかえて、(米国)LAの公演を始め、9月には豪州シドニーのオペラハウスでも公演を繰り広げ、本格ワールドツアーを上がる予定だ。

・現在、国内ツアー中の「The Great Concert 」(を含めて)イ・ソンヒは、2006年、(2009年)、2011年、2014年の公演で、4千席余の(ソウル)「世宗文化会館」が全回売り切れる記録的な名品コンサートの記録を立てた。音楽はもちろん、ファンに最高の舞台を見せようとするティーバ(歌姫)の情熱と細心ながらもダイナミックである舞台と演出は観客の胸に長らく残るだろう。そのお目見えが、来る5月20日の夕方7時、LA近郊のパーム スプリングスに位置したファンタジー・スプリングス リゾートで開かれる

・イ・ソンヒは、「2017 The Great Concert イ・ソンヒ」 LA公演で、「分かりたいです」、「私たちは」*をはじめとして、「因縁」、「思い出のページをめくれば」、「美しい江山」などの珠玉のようなヒット曲を聞かせて、LAの米州韓人に思い出の旅行をプレゼントする予定だ。

(*)「私たちは(우리는)」(1986年)は、ソン・チャンシクの代表曲である。
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2017年3月15日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 つつじの花

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(3/8)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、「つつじの花(진달래꽃)」に関連した曲を紹介した。

始めに、詩人金素月(김소월、1902年~1934年)の「つつじの花」の詩について次のように紹介された。
・詩にさほど興味がなくても、だれもが知る作品がある。金素月の詩「つつじの花」もそうだ。韓国人が好きな詩のトップを争うこの詩を、始めから終わりまで謳える人も多い。「私が嫌いになって/去って行かれるなら/何も言わずに行かせて差し上げます」に始まり、後半を「つつじの花を//その道筋にまき散らし//自分は絶対涙など見せない」と語る、易しい表現の短詩だが心に響く。多くの作曲家が、この詩に曲を付けている。

▼ 「つつじの花」の歌を聴く。金素月の詩を、古い西の彼方の民謡のように素朴に歌う。

次に、金素月の「つつじの花」の詩を収めた、唯一の詩集「つつじの花」について次のように紹介された。
・金素月の唯一の詩集「つつじの花」に載る「つつじの花」の詩は、高麗の歌謡曲「帰乎曲(가시리)」、および「アリラン」と共に代表的な別れの歌だ。1922年発表の「つつじの花」の詩は、3年後発行の詩集で一部表現が変わる。詩中、「寧邊に薬山/つつじの花」とある「寧邊」は、北部の平安道の地名で、「薬山」は同地の山名だ。薬草が多く、体に良い水が湧くことで薬山と呼ばれる。山が険しく、「平安道で外敵を防御できるところはここしかない」という記録もある。その景色は美しく、春には赤いつつじが薬山を覆い、燃えているような壮観さという。

▼寧邊の歌「寧邊歌(영변가)」を聴く。薬山東台の美しい景色と人生の無常を・・・賑やかに歌っている。

最後に、「寧邊の薬山」の意と、金素月の詩集「つつじの花」初版本の文化財登録について次のように紹介された。
・「寧邊歌」は、1節が「寧邊の薬山」と始まるため「寧邊歌」と名付けられた。薬山のつつじの花を知る人なら、その一区切りだけで風流と別れの歌と気付くはず。それを現代風にしたのが詩人金素月だ。彼の詩集「つつじの花」は、1925年の初版が4点が現存し、文化財に登録されている。美しいだけでなく、子供たちのおやつ(花煎、화전)になる花でもある。

▼  擦弦楽器ヘグム演奏による「つつじ」を聴く。ヘグムはビオラに似て深く掴み入るよう・・・今様に。

2017年3月14日火曜日

春よ、来い

民家の庭先にそびえる「ハクモクレン」の木が、まるで蝋燭立てを飾るよう白い花を咲かせている。始めは小さかったものが、花弁を膨らませ包むようにして、次第に花先を天空に向けて咲き誇る。こうなると壮観で、毎年この時期が楽しみである。

花の固まり具合と上向き加減からハクモクレンと思っている。そこの主が、長い庭木バサミで枝を切り取っているのと出会うことがあるので、正式な樹木名を聞いてみたい気もするが、なんとなく面倒になり通り過ぎてしまう。

ネットで確認したところ、モクレン、ハクモクレン、コブシについて違いを解説しているブログがあって、自分の解釈通りハクモクレンで正解のようだ。

今日は雨模様の一日だったが、ようやく落ち着いた。それでも、明日まで気温は冷え切って、例年通りの春に成るには時間が要るようだ。先日聞いた天気予報では、3月いっぱいかかるという。三寒四温の陽射しにその気になるが春はまだ遠い。

松任谷由実作詞、作曲の歌「春よ、来い」(1994年)を聴く。おっと、沈丁花の花に始まり、ハクモクレンについてなにもないけれど、春を待つ気持ちなんだから・・・いいではないか。


(Youtubeに登録のhigh_note Music Loungeに感謝)

2017年3月13日月曜日

サンシュユ、ハナモモ

空からの鈍い明りしかない冷えびえとした公園に、われながら物好きと思いつつ散歩に出かけた。もちろん人影はまばらだった。

先月中旬に「梅まつり」を終えた梅林を訪ねてみた。閑散とした光景を想像していたが、なんと7割方の木々に紅梅、白梅を残していた。花はいかばかりと寄ってみなければ、こんな景色を知ることはなかったろう。盛りを過ぎているが、それでも梅林に入ると花の香りを一瞬感じたりした。

ところで梅林の外縁には、以前、「ロウバイ(蝋梅)」、「ミツマタ(三椏)」が咲いていたが、今回は「サンシュユ山茱萸)」、「ハナモモ(花桃)」に代わっていた。
特に、サンシュユの木の全体を、黄色の小さな塊りが覆っているのが目に付く。そう思って見回すと、あちこちに黄色の花したサンシュユの木があるのに気付いた。

地面から幹を二つに分けてスッと伸びたハナモモの木は、名前から連想する桃色とは違い、白色の花が全体を飾っていた。その落ち着いた色振りが、かえって愛らしさを増していた。今回、ハナモモの木を一つだけ目にした。サンシュユと合わせて、この時期に来なければ、今まで同様に気付かずに終わっていたかもしれない。

(本ブログ関連:”蝋梅”、”ミツマタ”、”サンシュユ”)

2017年3月12日日曜日

お水取り

この時期、気になるのが、奈良「東大寺」で3月1日から2週間行なわれる「修二会(しゅにえ)」*の中の「お水取り」の行事だ。今晩、庶民にとっては一番のクライマックスだが、関西のことゆえなかなか聞こえてこない。

(*)修二会:1250有余年の歴史を持つという。関わった僧侶たちの顔々を想像すると歴史の重みが増してくる。

「お水取り」には、庶民に春を知らせ健康安全を分ける「お松明(たいまつ)」がある。長い竹竿の先に火を灯した松明を、「童子」**が「二月堂」の(バルコニー風の)舞台を小走りしながら欄干の先で揺すって火の粉を撒く。人びとは、二月堂の下に群がり、火の粉を求める(高い舞台から落ちるので、燃えかすになっていて火傷の心配はない・・・直に浴びることもない)。

(**)童子: 童子といっても子どもではない。

これまで、「お水取り」に3度ばかり行ったことがある。1度目は仕事を早めに終わらせて新幹線で駆けつけた。2度目はそれが間に合わず、夜の奈良公園の屋台で、生姜風味の効いた甘酒を飲んだ。3度目は、無理せずツアーに参加してゆっくり楽しんだ(これは実に楽ちんだった)。

今年こそはと思いながら、間際になって気付き残念がる、そんなことを繰り返してきた。今年はだめだったが、来年はきっと行こう・・・と。来年、どうしようか。

(本ブログ関連:”お水取り”)


(Youtubeに登録の朝日新聞に感謝)

2017年3月11日土曜日

(雑談)花粉症

花粉症に、若いときから悩まされてきた。目のかゆみは留まることがなく、目頭の奥深くかゆみが増し、目尻はひりひりする。困ったことに、指で掻いたりこすったりするうちに結膜炎になったりもした。

(本ブログ関連:”花粉症”)

鼻の方も大変で、鼻水は止まらず、ティッシュのせいで鼻孔が赤く腫れ、クシャミが始まると、けたたましいほどうるさく連発する。電車内だと、周りの乗客に気遣いして途方にくれる。耳鼻科と眼科に何度お世話になったことか。

それが、最近、歳とともに花粉症が弱まってきている。抗原に対する感度が鈍くなったというだけかもしれないが。ここ数年、年初に喘息もどきの咳込みがあって、体が花粉症どころでなかったからかもしれない。おかげで、花粉症を乗り切ってきた。

今年の初めも、軽い咳込みがあって喘息を心配したが、以前と比べて軽症だった。その分、反動だろうか、今頃になって花粉症の予兆を感じる。何となく鼻水が、何となく涙目に、何となくくしゃみが出やすくなっている。

もしかしたら、少し若返ったのかもしれない。それなら幸いだが・・・。

2017年3月10日金曜日

イ・ソンヒ「あなたの香り」

イ・ソンヒのアルバム14集に所収の「あなたの香り(그대 향기)」(作詞クォン・ジンヨン、イ・ソンヒ、作曲イ・ソンヒ、編曲チェ・テワン、2009年)は、柔らかな春の陽射しを浴びながら軽やかに歌う恋歌で、冬を乗り越えた自信を感じる。

(本ブログ関連:”あなたの香り”)

イ・ソンヒには、寄りかからず媚びることもしない、そして自意識を透けて見せつける必要もない余裕がある。彼女と近い世代の女性たちにとって、それは彼女と結び合わせる共感になっているだろう。おじさんも人混みの中で、彼女の雰囲気をふと気付かされることがある。ぶれない清潔さほど凛として美しいものはない。


*あなたはなつかしい愛でしょう
なつかしさは 愛と同じ

重さに耐え切れなかったなつかしさ
風に乗せてみます

聞こえますか 私の心の声
届くように差しあげる祈り

**陽射しあふれる ある春に
私たちのまた会える日を
忘れずに覚えます
あなたを待つでしょう

踊る春風に乗った
あなたの香り思い出します
なつかしさは愛になって
あなたに届くでしょう

(*以下すべて繰り返し)

(**以下繰り返し)

あなたに届くでしょう


(Youtubeに登録のlys2187に感謝)

2017年3月9日木曜日

(雑談)字下手

雑談というより愚痴に近いことだが、端正な(きれいで読みやすい)文字を書くことができない。

元々、書字が上手といわれたこともないし、自分で上手いと思ったこともない。会議資料を読みやすいように心がけたが、オフィスのPC利用が進むと、手書き書類の必要性が全くといっていいほどなくなった。

それでも、会議やセミナーなどで、自分のノートにメモをとる必要がある。気付くのは、自筆の文字の汚さだ。なぐったような文字になる。電子化で、漢字を忘れる問題より深刻だ。

歳をとると、握力の衰えからか、ますます悪筆になった。文字を大きく書くと、その崩れ方のひどさ加減にうなる・・・というか、愕然とする。そこで最近は、下手さを誤魔化すように、できるだけ小さく書くように心がけている。

ところで市民教室で、同じ時間、同じ内容を聞いているのに、実にきれいにノートに書写されている方がいるが、不思議でならない。余程に、早く整然と書く(手や指を動かす)ことができるのだろう。

教室で書いたノートを見直すとき、意味不明なことがある。決してうつらうつらしながら書いたわけではないのに。悪筆のせいだけだろうか・・・。

2017年3月8日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 アリラン

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(3/1)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、「アリラン(아리랑)」に関連した曲を紹介した。(本放送を未聴のため英語版紹介を参照した)

※ 朝鮮民謡として知られる「アリラン」については、今まで繰り返し詳細に放送でされている。重複を避けたが、次の「本ブログ関連」のリンク先で従前の内容を確認することができる。

(本ブログ関連:”アリラン”)

記録に残る「アリラン」の歌の採集について次のように紹介されている。
ホーマー・ハルバート(Homer Hulbert、1863年~1949年)は、20世紀初頭、朝鮮王朝の最後に米国から来た宣教師(歴史家、言語学者)で、政治的困難な時代の高宗を(外交顧問となり)助けた。(1905年の「第二次日韓協約(乙巳条約)」締結の際、それに抗して密使として米国に渡る)
彼はまた、「アリラン」を楽譜に書き写した最初の人物であり、「朝鮮の人々の主要な歌」として西洋に公開した。
・音声学者ヴィルヘルム・デーゲン(Wilhelm Albert Doegen、1877年~1967年)は、第一次世界大戦中の1915年、プロイセン蓄音委員会の委託を受け、民族学研究として、ドイツの捕虜収容所に収容された様々な民族兵士の言語と民謡を録音した(215民族の音声などを収集)。ドイツ当局が録音した曲に、ロシアに従軍した朝鮮(高麗)系兵士によって歌われた「アリラン」があった。最も不確かで恐ろしい状況でも、「アリラン」が朝鮮人のアイデンティティを維持するのを助けた歌であることを示した。

(雑談)本当は誰なの

世の中には可笑しな話がある。先日、ある映画の上映会に出かけた途中、商店街で見かけた<たい焼き屋>の看板が「天然たいやき」と銘打っていた 。客が数人並び、まさに採れたてのたい焼きを待っていたのだ。

<出自>を天然と誇るたい焼きがあるのなら、筒井康隆の短編に、<出自>を「本家」・「元祖」と競うターザンが登場するスラップスティック・コメディがある。観光地の名産みやげ物屋に見かけるものだ。また、見世物小屋で有名な話だが、由緒正しき「義経幼少のみぎりの頭蓋骨」なんてものもある。脱皮するヘビだって、骨まで次々と残さない。

落語に、自分の死体を引き取りに行く「粗忽長屋(そこつながや)」がある。お前の死体を見つけたと知らせるやつも粗忽だが、真に受けて取りに行くのも・・・。しまいに、死体を運んでいる自分が誰だか分からなくなる。あるいは、自分の頭にできた池に最後に身を投じる「頭山(あたまやま)」もそうだ。池に沈んだのは自分なのかどうか、これも分からなくなるだろう。

まあ、こうやって話を眺めているうちはいいけれど、自分が誰か分からなくなることもあれば、自分以外、誰も分からなくなることもあるだろう。この場合はもっと切実なことだ。必死に自分を取り戻したい気持ちがよく分かる。

もしかしたら、映画「怪しい彼女」のファンタジーは、おばあちゃんが孫に輸血するとき見た一瞬の夢だったかもしれない。若いときの自分を取り戻したかったのかもしれない。

(本ブログ関連:”怪しい彼女”)

2017年3月7日火曜日

イ・ソンヒの「見知らぬ海辺で」

イ・ソンヒの11集所収の「見知らぬ海辺で(낯선 바닷가에서)」(1998年、作詞イ・ジェギョン、作曲バク・セジュン)は、決断に戸惑う女性の熱情の深さを歌う。歌の場面に海辺が選ばれたわけだが、彼女は、このミュージックビデオ(MV)撮影中に負傷する事故に見舞われる(Ko-Wikipediaにさらりと触れている)。

(本ブログ関連:”見知らぬ海辺で”)

では、「見知らぬ海辺」のMVはどんな映像だったのだろうか、そして事故はどんな様子だったのだろうか気になっていた。それを知ることのできるYoutubeの登録がある。コメント欄(Jeong Jade)に書き込みもあって、検証したわけでないが、事故内容を次のように記している。
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これを撮っている途中、ベンチの後にあるあの電灯が倒れて、そこに頭を真正面に受けてしまった.. おかげで、このアルバム活動をきちんとすることができなかったんですよ。
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事故の状況どうやら見えてきた気がする。負傷の程度は不明だが、大事故にいたらなかったのかもしれない(いやいや大変だったはず)。映像で、浪が寄せて来る場面に一瞬ひやりとするものがあるが(浪が、電灯の倒れに加速をつけたかも知れない)・・・。

MVにはめがね姿のイ・ソンヒと、それをはずしたイ・ソンヒが、対比するように登場する。


あなたを全て忘れるため、ここまで来たのよ
空が、青い海と出会う場所に

一つずつ思い出を取り出して、もう二度と私の心に込められぬよう
そう、あなたを私も捨てたくて、私のこころから去ってよ (ha~)

たとえ、こんなに、あなたを押しやってみても、戻ってくる
白い波のように、もう一度探しに来て

あなたもまた心に、まだ私がいるのなら、私に帰ってきて
昔のように、私を愛してよ
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一人残った時間は、恐ろしい沈黙になってしまって
たとえ私がいやだといっても、別れのときだったの (ha~)

この世の全ては、あなたから始まって、あなたがいない
私の現実という、深い悪夢だけよ

帰ってきて、私のそばに、私の手を握って
私の息が尽きるその日まで、あなたを待っているわ (ha~)


(Youtubeに登録のWSSIM2016に感謝)

2017年3月6日月曜日

(童話)自分はどっち

思考ゲームみたいな童話。先日触れた、母語イディッシュ語が主体である作家アイザック・バシェヴィス・シンガーの童話集「お話を運んだ馬」(岩波少年文庫)に、「自分はネコだと思っていた犬と/自分は犬だと思っていたネコのお話」がある。

(本ブログ関連:”イディッシュ語”)

貧しい農家を行商人が訪れた。農家の主婦が、無理して「鏡」を買ってしまうことから、家族だけでなく、飼い犬とネコまで巻き込んだ大騒ぎになる。そこで、題名の犬とネコの騒動にしぼる。

元々、犬とネコの2匹は、自分たち以外の動物を知らない。だから自分は互いに相手と同じ生き物だと思っている。犬はネコを見ていて、自分も同じ姿のネコだと思っているし、ネコは犬を見ていて、自分も同じ姿の犬だと思っている。そこに、「鏡」が置かれたのだ。

犬は「鏡」の中の犬の姿に驚き吠え、ネコは「鏡」の中のネコの姿に驚きつかみかかる。自分にとって見たことのない動物が突然現れたのだから。やがて興奮は高まり、収拾がつかなくなった犬とネコの2匹は、生まれて初めて飼い主も慌てるほどの本格的な取っ組み合いをする。

「鏡」に映った本当の姿を知ったとき、それを事実として受け止められない大混乱の結果、犬は屋外に、ネコは家の中に置かれた。一方、「鏡」は人間にも欲望を混乱させた・・・。結局、行商人に「鏡」を返すことになる。

考えてみれば、私も鏡無しに直接自分の姿を見たことはない。

(付記)
享保の改革で、郷土史で知られる川崎平右衛門(定孝)の武蔵野新田開発に焦点をあてた講演があった。武蔵野の名主の長男に生まれたが家督を弟に譲り、幕府の行政官として武蔵野新田開発だけでなく、後に、美濃の国の治水、石見銀山の鉱山経営に功績を残した。

2017年3月5日日曜日

啓蟄 2017

小学校の垣根に沿って行けば、そこには「沈丁花」の小さな花が身を包むように咲き、甘い香りを漂わせていた。昼間のことだから、先に花の姿が目に入り、夜道のときのような香りに気付く驚きにはならなかったが、それでも充分春らしい風情を感じた。

今日は二十四節気の「啓蟄」。陽気に誘われて穴から虫が這い出る時候だそうだ。確かに昼は暖かくなった。でも、風が吹けば少々肌寒いし、夜ともなれば冬の気分が抜けきれない。暑苦しさを感じながら、今もストーブを点けている・・・反省が足りない。

(本ブログ関連:”沈丁花”、”啓蟄”)

近隣の街の駅ビルにある書店に行く。結局めぼしい書籍と出会えなかったが・・・何しろ行き当たりばったりで。そんなわけで雑誌を購入。先月から求め始めたのが、旅客機専門の航空機雑誌「AIRLINE」(イカロス出版)だ。どうも、最近、気分が中学生に戻りつつある。
・先月号(3月号):「旅客機図鑑」 ← 787 vs A350
・今月号(4月号):「ターボプロップ入門」 ← ターボプロップ vs レシプロ、それにNCAのDo228
・来月号(5月号):「新・航空管制の世界」 ← (すぐに「品切れ」になるだろうな)

それから、大学生のわびしい心を慰めてくれた、城達也のスマートで清清しいナレーションで始まったFM-Tokyoの「ジェットストリーム(JET STREAM)」は、深夜、気分を一気に成層圏にまで運んでくれた。懐かしい。

(本ブログ関連:”ジェットストリーム”)


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2017年3月4日土曜日

ひな流し

昨日の「雛祭り」が終わって思い出すことに、「流し雛」の風習がある。手作り人形の飾りを川に流すイメージがある。「お盆」に戻った先祖の魂を送り帰す「灯篭流し」 に似て、祭りの終わりに、雛人形の魂を(在るべき処へ)送り返す気がする。

「流し雛」を間近に経験したことはないが、それを大型にしたような行事を、NHKのテレビ番組で見た。今日の日付に変わった深夜、午前3:15~3:30に放送された「にっぽんカメラアイ『お人形とわたし』」(3/4)でのことだ。

番組に「人形供養で有名な和歌山・淡島神社。女性カメラマンの感性がとらえたのは…」という解説がある。いわゆる「雛壇」に飾られる本格的な雛人形を最後に預かることで知られる神社の行事で、人形のサイズから行事の規模も大きくなったのだろう、「雛流し」神事と呼んでいる。

(番組解説から抜粋)
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和歌山市にある淡嶋(あわしま)神社。人形供養を行うこの神社には一年間で約6000体ものひな人形が納められ、3月3日に行う「ひな流し」神事に向けて社殿の中に飾られる。
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雛人形を乗せた白木造りの小船3艘は、互いに綱につながれ、釣り船に先導されて海に出る。その後、小船は回収され、浜で「お焚き上げ」される。

瀬戸内海の淡路島の対岸、和歌山県淡嶋神社で行なわれる、この雛人形の魂を海に送る行事から、同じ和歌山県の南端、那智勝浦町大字浜にある「補陀洛山寺」へと空想が広がる。

学生時代に読んだ「火山列島の思想」(益田勝実著)で知った(衝撃を受けた)ことだが、箱の中に渡海者を密閉した船を大海に流す「補陀洛渡海」が想起される。南方の観音菩薩の住処「補陀洛」へ行き着くことを願った死出である。小説ならば、渡海者を現代人の心理に見立て、死への恐怖に迫るだろうが、それを見送った当時の人々はいかに。生と死の境界があいまいだった時代のことだ。(境界の曖昧さは、今までにも起ってきたことだが)

(参考)「補陀落 観音信仰と日本文学」(川村湊、新潮社


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2017年3月3日金曜日

桃の節句に

温水ボタンを押すとき、そばのデジタル時刻表示に同じ数字が並んでいたりすると何だかいい気分になる。「11-11」(11時11分)といった按配だが、偶然に巡り合せた幸運といった感じだ。実利はないが、うれしい余韻がかすかに残る。

数字合わせの代表で、ある意味季節を知らせる「節句」に心を動かす。伝統となれば、子どもたちの笑顔が浮かぶ、愛しむもの。桃の花、雛壇飾りなど賑やかな「桃の節句」は、その色彩の柔らかさから、春の気配を思わせる。

近所の公民館にこの時期に合わせてか、「つるし飾り」があった。きれいな色紙を折り合わせて作ったのだろう。小さな飾りを順に紐につなぎ、それらを天井からいくつも吊るしている。素朴なのに華やかさが漂い、桃の節句の「雛祭り」を気付かせる。

(本ブログ関連:”雛祭り桃の節句)”)

祭りの日の終わりに、雛壇を直ぐに片付けるというのも、昭和の住宅事情からだろう。のんびり眺めたいもの。

それはそうと、桃の花だけが咲きほこる「桃源郷」に興味そそられる。そこへ行った幸運を無為にするような、後に官に説くためあちこち目印を付けて帰るなんて野暮はせず、私なら桃源郷にずっと住まわせてもらうよ。

(本ブログ関連:”桃源郷”)

(追記)
そういえば、桃源郷へは川をたどったわけで、私たちは遥か彼方を往来するに、水を介するのが納得できるようだ。

(付記)
桃の節句と関係ないが、近所のお握り飯店で、できたての暖かいオニギリを買う。ほくほくして美味かった。何だか、家族の懐かしいオニギリがよみがえった気がした。きょうだいで我先に頬張ったなあ。

2017年3月2日木曜日

ヤン・スギョンとイ・ソンヒの友情

昨年、17年ぶりにカムバックした歌手ヤン・スギョン(양수경)とイ・ソンヒのはなし。

<1980年後半にデビューし、1990年代に人気を博した歌手ヤン・スギョンは、2016年8月19日に、1999年以来17年ぶりに、ニューアルバムを発売した。(WowKorea)>

日刊スポーツ(中央日報系)は、SBSの「燃える青春(불타는 청춘)」に出演したヤン・スギョンとの電話インタビューで、彼女がイ・ソンヒの友情に感謝して語った内容を次のように紹介している。

日刊スポーツ掲載記事:「 [直撃インタビュー]  '燃青(燃える青春)' ヤン・スギョン 『イ・ソンヒと30年友情、放送用(に話すのでは)ありません』」(3/1、イ・ミヒョン記者)より抜粋。
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・また、イ・ソンヒとの友情も誇示した。イ・ソンヒが、過去ヤン・スギョンが苦しかった時、何もいわずに通帳口座番号を知らせてくれと言ったという。これに、ヤン・スギョンは、イ・ソンヒについて「いつも心配してくれて、暖かい友」と説明した。
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2017年3月1日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 妓生と券(検)番

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(2/22)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、妓生の養成場「券(検)番(권번)」に関連した3曲を紹介した。

始めに、映画「解語花(해어화)」と妓生養成場の「券番」について次のように紹介された。
・唐代の美人楊貴妃を溺愛した皇帝玄宗は、彼女を愛するあまり国を危うくした。二人が散歩のとき、玄宗は庭に咲く蓮の花を見て、蓮の花が美しくとも、言葉を理解できるこの花には及ばないと楊貴妃を指して言った。そこから「解語花」の言葉が生まれた。また、詩歌に優れた妓生に使われたりした。昨年、妓生養成場の「券番」を舞台にした映画「解語花」が話題になった。
・朝鮮時代、妓生は職人の意「工人」(歌と踊り、楽器演奏する楽人の呼称)ともいわれ、最も身分の低い賤民とされたが、優れた妓生は無視できない存在だった。女性の読書、社会活動を禁じた時代、妓生は詩作や歌と踊りでソンビと接することができた。官に属す「官妓」、後に組合制、日本の影響を受けた「券番」を通じて活動した。券番は、今の芸能養成所のようなもので、若い娘を育て、妓生として送り出し、費用を集金する役割をした。

▼ 映画「解語花」で歌われた「愛、その嘘(사랑 거즛말이)」を聴く。愛の言葉も、夢のようというもみんな嘘・・・今様に。

次に、パンソリの名唱「金素姫(キム・ソヒ、김소희)」が登場したきっかけについて次のように紹介された。
・券番の妓生は、放送にもよく出演した。当時、放送局の国楽番組担当のプロデューサーだった李惠求(이혜구)博士は、金素姫の思い出を次のように語った。有名な妓生の出演には、放送局から迎えに行くのが慣行だったが、ある日、出演予定の妓生が来られず、その代わりに来た歌い手が、今では国楽で著名な、金素姫だったという。

▼ 戦もののパンソリ「赤壁歌(적벽가)」から「子龍が弓を射る場面(자룡 활 쏘는 대목)」を聴く。間断なく・・・軽快。

最後に、券番の教育と漢江氾濫のたび生じた川「ノドゥル江(노들강)」の曲について次のように紹介された。
・当時、女性の歌い手の多くは券番に所属した。国楽に大きく寄与した音楽家の多数も券番出身だ。券番の教育課程は厳しく、3年間様々な科目を学んだ。修業は一日6時間ほどで、歌曲と歌詞、時調(定型詩)、雑歌、楽器などを学び、詩作や、妓生としての身だしなみも習った。その過程を通じ、優れた妓生はプライドも高く、周りからも好遇された。
・券番の出身者には、映画「解語花」のように大衆歌手となり、国楽と大衆音楽の架け橋となるものもいた。

▼ 大衆音楽として作られ今は民謡になった「ノドゥル江辺(노들강변)」を聴く。えっ・・・ポンチャク? Web事故?

2017年2月28日火曜日

(再)「人イヌにあう」から

以前、本ブログ(2014年10月3日金曜日)に、動物行動学者のコンラート・ローレンツ(Konrad Lorenz、1903年~1989年)の著書「人イヌにあう」(小原秀雄訳、至誠堂選書)から面白い記述を抜書きしたことがある。

飼いイヌ同士が吠えあう(行動する)とき、居るべき場所(明確な!テリトリー内)を前提にしているという例で、次のように紹介している。そして、この話とそっくりなYoutube映像と出あったので、ローレンツの記述と一緒に載せさせていただく。

(再掲:コンラート・ローレンツ著「人イヌにあう」より、元文に適宜段落付けした)
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・~私の年老いたブリイとその不倶戴天の敵、白いスピッツにかんするものである。このスピッツは緑に塗った木のかき根で仕切られ、村の通りにそって長くのびた幅の狭い庭のある家に住んでいた。この三十ヤードにわたるかき根にそって、二匹の英雄は、走って行ったりきたりしては激しく吠え、かき根の両端の折り返し点でちょっと止まっては、役にもたたない怒りのあらゆる動作と声をおたがいに投げつけるのであった。

・ある日やっかいな事態がもち上がった。かき根は修理中で、一部がそのためはずされたのだ。下手の半分がなくなっていた。さて、ブリイと私は家を出て丘を下り、川に向かった。スピッツはもちろん私たちに気づいて、庭でいちばん高い一角で、うなり、興奮のあまりふるえながら待ちかまえていた。最初に、おきまりの不動の姿勢でののしりあいがはじまった。それから二匹のイヌはそれぞれがかき根の両端で、前方に向かっていつもの早駆けをはじめた。

・ところがなんと、珍事勃発。彼らはかき根が取り払われている場所を駆け抜けてしまい、さらにののしり合戦が行なわれはずの庭の下手のはずれまできて、やっとおのれの失態に気づくしまつであった。彼らは毛を逆立て、恐ろしげにきばをむき出して、そこに立ち止まった---が、かき根はなかった。たちまち吠え声はやんだ。

・そこで、彼らはどうしただろうか? あたかも一心同体のごとく、彼らはくるりと向きを変え、横腹を接してまだ残っているかき根のところへとんでいった。そこで彼らは、まるで何ごとも起こらなかったかのように、ののしりを再会したのである。
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(Youtubeに登録のMarcus V. Jacobに感謝)

映画「ポエトリー アグネスの詩」

今日で2月が終わる。この月は28日か29日までしかなく、しかも、29日は閏(うるう)年に限ったこと。通常、月末の30、31日を経験することなく、あっというまに終わってしまう月だ。2月に仕事を計画するとき、一般的な感覚でM/M(man/month)を想定すると大変なことになる。時間が足りないのだ。

カレンダーに区切りが定まると、その日は思いのほか速く迫ってくる。人生がその最たるものだが、凡庸な学生時代もそうだった。準備不足のまま定期試験が近づくときの、焦りと慌てふためき。カレンダーには逃げ場がない。

久し振りに、四谷にある韓国文化院で開かれた映画上映会に出かけて、「ポエトリー アグネスの詩(原題 ””)」(イ・チャンドン監督、2010年)を鑑賞した。今までDVDや上映会で見たことのあるイ・チャンドンの作品には、「ペパーミント・キャンディー」(1999年)、「シークレット・サンシャイン」(2007年)がある。(「シークレット・サンシャイン」は、お気に入りの女優、チョン・ドヨンが主演したこともあって)

「ポエトリー アグネスの詩」は、訪問介護をしながら、中学生男子の孫と二人で暮らす60代半ばの女性の物語だ。生活は苦しいが、あるとき詩作や詩会を知って、人生を豊にしたいと思う。そんな矢先、孫の連座した事件と自身がアルツハイマーであることを知る。消える記憶ともがき苦しみながら、彼女は最後に、ある少女の名を冠した詩を一つ残す。

映画の率直な感想は、「もう一度、『ペパーミント・キャンディー』を見たような気がする」だ。象徴的な場面である、川の流れはよどみなくとどまることない。過去に戻ることのできぬ人生のように、でも、こんなことも考えてしまう。市井の多くは、美しい言葉より、時間を強引に止めたり、逆回ししてでも今の平安・欲望を望む。それが耐え切れぬほど穢れたことであっても。そうやって多くの時が過ぎてきた・・・とも。・・・だから、この作品が余計にしみるのかもしれない。


(Youtubeに登録のシネマトゥデイに感謝)

2017年2月27日月曜日

(雑談)ローカル誌に載った店

昨日は暖かだったと、今日の寒さにしみじみ思う。10℃が寒暖の境界と口癖ながら、今も19.2℃の部屋でストーブに暖まる。20℃が寒暖の境界といい出しかねない。

徐々に気温が上がるようで、今週後半から本格的な春の気配が寄せるという。来週には、地中から虫が顔を出す時期となる。

ところで、ローカル誌の記事に、地元のまさに身近なところに、ちょっとした食べもの屋があることを知った。こじんまりした町通りに、馴染客しか入らないような店構えして、うっかり寄った客に一見さんお断りといった風な冷たい視線が返ってくるんじゃないかと心配する。

今も勇気はないけれど、そんな店先に雑誌で知ったのだろうか若いお母さんたちがいた。そうか、恐れることもない。ちょっと行ってみようかな。それにしても、店のドア飾りが愛想ない。あれじゃ、田舎のおじさん、おばさんがたむろする、場末のカラオケ飲み屋にしか見えない。

いちど美味いものを食ってみようか。