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2015年10月17日土曜日

イ・ソンヒとイ・スンギの「Jへ」デュエット

SBS歌謡ショー、「イ・ソンヒと友人達(이선희와 친구들)」(2004年8月21日)で、イ・ソンヒと愛弟子イ・スンギが、彼女のデビュー曲「Jへ」をデュエットする場面がある。この年の同月、イ・ソンヒは、8月26日~28日に世宗文化会館大劇場で「Jへ 20年 イ・ソンヒ コンサート」を開いている。この放送の直後である。一方、放送少し前の6月25日に、イ・スンギは1集アルバムでデビューしている。

(本ブログ関連:”「イ・ソンヒと友人達」(1)(2)”、”イ・スンギ”、”Jへ”)

イ・ソンヒとイ・スンギの「Jへ」のデュエット映像は様々あるが、次の映像は爽やかな師弟関係の始まりを示している。イ・ソンヒの眼差しから穏やかさと、すこぶる清潔感を、イ・スンギからは初々しさ(当時17歳)が感じられる。特に、イ・ソンヒの、白いシャツに勿忘草色した上着がとても似合っている(ファッションについて説明できないのが残念)。

(Youtubeに登録の아카시아 Acaciaに感謝)

2015年10月16日金曜日

(雑談) 階段の蓄光シール

夜、走行する自転車のランプは、必ずしも点けっぱなしのものでなくてよいという。LEDランプのように点滅するものでも、法律上、自転車の存在を示せるなら問題ないそうだ。とはいえ、ランプを点滅する自転車と、夜道ですれ違うとき、本気度が感じられないのはどうしてだろう。

教室に通うのに自転車を利用している。日没後なので、車輪の回転を利用したLEDランプを灯しているが、実はもう一つ、点滅するLEDの懐中電灯を手首にぶらせげている。これは効果てき面、狭い路地を行き交う自動車が気付いて、ゆっくりすり抜けてくれる。光の点滅は、おもちゃの三要素(音、光、動き)のひとつであるように、人を素早く反応させる。

暗闇に光る標識(非常口照明など)は道標になる。地面にあれば、足の踏み場を示すガイドにもなる。そこで、わが家の階段に、一段一段、滑り止めを貼ると同時に、蓄光シールも貼った。陽がかげると、しばらく効果を発揮して、怪しく薄みどり色に光っている。

夜間、階段の明かりをつけっぱなしにして、光のエネルギーが蓄光シールに溜まるようにしている。階段を上がるとき、いったん明かりを消して、蓄光シールの発光を楽しんでいる。そもそも階段に照明があるのに、われながら阿呆なことをしているなと思っている。

2015年10月15日木曜日

イ・ソンヒの「夜が来れば」

イ・ソンヒの初期アルバム、4集所収の「夜が来れば(밤이 찾아 오면)」(1988年、作詞・作曲ユン・ヒジュン)は、トロット気分満開だ。それに、彼女の若さ溢れる高音を目いっぱい効かせている。いってみれば、大きな網を広げたアルバムだったのかもしれない。

なにしろ、彼女の歌唱力はトロットはもちろん、国楽(=民謡を含む伝統音楽)もカバーするのだから。この歌の歌詞に、民謡にある<西山に沈む陽>が浮かぶが、ドップリ漬かっているわけでもない。とはいえ後の8集(1992年)で、国楽、民謡と正面を切った試行が結実することになる。

(本ブログ関連:”夜が来れば”)


西山に陽(ひ)沈むよ、夜が訪ねくるよ
夜深まり行けば、寂しさがまたくるよ
*
懐かしさ 染まれば、夢も消えて
寂しさが たまれば、愛だけ待つよ

寂しさ 慰める、この私にはないのね
私は未知らぬ あなたを 待ちながら
この夜も、この夜も 寂しさを癒すよ

(*以下繰り返し)
この夜も、この夜も 寂しさを癒すよ

(Youtubeに登録のJ-GODに感謝)

2015年10月14日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 秋

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(10/7)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、秋にかかわる3曲を紹介した。

始めに、「興打令(흥타령)」に歌われる、秋の夜の聴くと酒について次のように紹介された。
・月明かりの美しい、菊香漂う秋の夜に、窓の外に菊を植えて、酒を醸しておくという詩が浮かぶ。酒が発酵する頃、菊の花が咲く。友が訪ねてくる前に、美味い酒を用意しておくのだ。そして、その夜、琴に似た玄琴(コムンゴ、거문고)と共に夜通し遊ぶという内容。月明かりも大変美しい季節、ロマンチックな風景が込められた歌がある。二つの地域(全羅道と慶尚道地域)で親しまれた長い歌、南道雑歌「興打令」だ。

▼ 「興打令」を聴く。人生を眺めた歌のようだが、淡々というより粘りのある歌い方だ。

次に、相性の良さを表す「琴瑟(금슬)」や「壎篪相和(훈지상와)」から、併奏(병주)曲「笙簫併奏(생소병주)」について次のように紹介された。
・歌も人も相性の良さがあるように、楽器も互いに調和するものがある。夫婦仲の睦まじさを指す「琴瑟が良い」の「琴瑟」は、琴と瑟の二つの弦楽器だ。音色が相性が良く、ひとつの言葉になった。管楽器にも似た「壎篪相和」がある。今は途絶えた土笛と竹笛の調和から、兄が土笛を吹き、弟が竹笛で答えるの意で、兄弟仲の良さを例える。二つの楽器で演奏することを「併奏」という。曲「笙簫併奏」は、「笙簧(생황)」と「短簫(단소)」の管楽器の二重奏だ。「笙簧」は、伝統楽器中、唯一和音を奏でる楽器で、竹管でできているが、金属のような響きをして、鳳凰の鳴き声に似るといわれる。「短簫」は、清く美しい、空を飛ぶような音色だ。

▼ 朝鮮時代、ソンビが楽しんだ伴奏曲を管楽器用に編曲した「笙簫併奏、水龍吟(수룡음)」を聴く。駆ける風流の如し。

最後に、歌「タルコリ(달거리(月令歌:월령가))」について次のように紹介された。
・人について知りたければ、その友人を観察するという。似た者同士交わるからだ。友は、最も分かりやすい鏡という言葉もある。愛する人がそのようであるなら、なお幸せだ。京畿地域の雑歌「タルコリ」は、1月、2月、3月・・・と、月ごとに、適切な歌詞を付けて歌う。一年12ヵ月、友、夫や妻など身近な人を恋しく思い歌う。

▼ 歌「十二雑歌」から「タルコリ」を聴く。素朴な響きするが、一年を語る、誰がどんな風に歌ったのだろうか。

2015年10月13日火曜日

さても夜道の寒さよ

久し振りの教室、今夜から後期が始まった。賽の河原の石積みか、それとも生来の怠け癖のためか、一向に進歩がないのに気付く。「どじでのろまなカメ」でも、いいことにしよう。

刺激を受けての帰り道、夜風が寒い。いつのまにこんなに冷えるようになったのだろう。気分はもう冬。おかげで、赤色に連なって点滅する道路工事のランプが、クリスマスの電飾のように見えてくる。動画にしてアップしたい気分だった。

夜分9時過ぎの気温は17℃くらい。昔の井の頭公園プールの水温だ。やっぱり冷たいか。寒さがどんどん増す。帰り道を考えて、これからは厚着が必要かもしれない。

(付記)
近所のコンビニで、飲料水「毎日の 朝バナナオレ」(エルビー)を見つけた。以前、飲んだような、そうでないような不確かだったが、購入してみた・・・やはり、去年、味見していた。
本物のバナナか使われているかどうか、私の喉は、アレルギーのイガイガで判定できる。今回もイガイガ感があったので合格。バナナ味の巡礼はまだ続く。

(本ブログ関連:”バナナ味”)

2015年10月12日月曜日

(雑談) 体育の日の昼寝

「体育の日」の祝日、穏やかな陽射しに誘われて、辺りをぐるりと散歩した。

(本ブログ関連:”体育の日 ”)

小学校の校庭で、町内会の運動会が開かれたようだ。昼ころ学校前を通ったとき、人影がまばらだった。もしかしたら、午前中に終わってしまったのかもしれない。それとも、昼休みだったのだろうか。

以前、ひまわりを咲かせて、あっというまに刈り取った畑地に、ネットを被せた畝が複数並んでいる。ネットは真っ白なものと、薄紅色のものがある。色の違いは何なのか、一体何を栽培しているのだろう。

佇んでいると、ぽかぽか陽気に昼寝したくなる。でも、昼寝は午後3時までだそうだ。「3時のおやつ」というじゃないか・・・、そのときが一番、気を抜きたくなるというに。しかも、30分以上はだめ、それ以上だと本格的な睡眠に入るそうで、20分以内が目安という。

頑張って昼寝をしなかった。けれど、夕方に転寝してしまった。とろりとまどろんだので、その時間が分からない。

2015年10月11日日曜日

金鉱の妖霊 乾麂子

鉱物採集に、大方はズリ(選鉱後の石捨て場)の斜面を漁る。体力と好奇心があれば、腰の深さまで掘り返す人もいる。そうでなければ、表面採集といいつくろって、ズリ表面を軽く掻く。私は後者である。

鉱物産地には、鉱山跡ゆえ坑口がそのままになっていることがある。ベテランは、坑道に入って探すこともあるそうだが、現地に詳しい仲間がいる場合のようだ。表面採集する者には、坑口を覗くことはあっても、中に踏み込む勇気はない。

先だって、鉱物仲間の方から聞いた話、暗闇を進んで行くと、立て坑らしいものがあって、水がたまっているような音がしたという。無茶なことをと、唖然とした。

鉱山には、女王が登場する童話の世界もあるが、実際、死と隣り合わせゆえに恐怖が勝る。岡本綺堂の「中国怪奇小説集 子不語」に、死んでいることを知らずさまよう亡者が登場する「金鉱の妖霊」がある。彼らを「乾麂子(かんきし)」という。(「青空文庫」より)

(本ブログ関連:”坑夫”)

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・乾麂子(かんきし)というのは、人ではない。人の死骸の化したるもの、すなわち前*に書いた僵尸(きょうし)のたぐいである(*「僵尸(屍体)を画く」)。雲南地方には金鉱が多い。その鉱穴に入った坑夫のうちには、土に圧されて生き埋めになって、あるいは数十年、あるいは百年、土気と金気に養われて、形骸はそのままになっている者がある。それを乾麂子と呼んで、普通にはそれを死なない者にしているが、実は死んでいるのである。

・死んでいるのか、生きているのか、甚だあいまいな乾麂子なるものは、時どきに土のなかから出てあるくと言い伝えられている。鉱内は夜のごとくに暗いので、穴に入る坑夫は額の上にともしびをつけて行くと、その光りを見てかの乾麂子の寄って来ることがある。かれらは人を見ると非常に喜んで、烟草をくれという。烟草をあたえると、立ちどころに喫ってしまって、さらに人にむかって一緒に連れ出してくれと頼むのである。その時に坑夫はこう答える。

・「われわれがここへ来たのは金銀を求めるためであるから、このまま手をむなしゅうして帰るわけにはゆかない。おまえは金の蔓のある所を知っているか」

・かれらは承知して坑夫を案内すると、果たしてそこには大いなる金銀を見いだすことが出来るのである。そこで帰るときには、こう言ってかれらを瞞のを例としている。
「われわれが先ず上がって、それからお前を籃にのせて吊りあげてやる」

・竹籃にかれらを入れて、縄をつけて中途まで吊りあげ、不意にその縄を切り放すと、かれらは土の底に墜ちて死ぬのである。ある情けぶかい男があって、瞞すのも不憫だと思って、その七、八人を穴の上まで正直に吊りあげてやると、かれらは外の風にあたるや否や、そのからだも着物も見る見る融けて水となった。その臭いは鼻を衝くばかりで、それを嗅いだ者はみな疫病にかかって死んだ。

・それに懲りて、かれらを入れた籃は必ず途中で縄を切って落すことになっている。最初から連れて行かないといえば、いつまでも付きまとって離れないので、いつもこうして瞞すのである。但しこちらが大勢で、相手が少ないときには、押えつけ縛りあげて土壁に倚りかからせ、四方から土をかけて塗り固めて、その上に燈台を置けば、ふたたび祟りをなさないと言い伝えられている。

・それと反対に、こちらが小人数で、相手が多数のときは、死ぬまでも絡み付いていられるので、よんどころなく前にいったような方法を取るのである。
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(追記)http://open-lit.com/listbook.php?cid=4&gbid=160&start=0 より。「開放文學」に感謝。
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 乾麂子
  乾麂子,非人也,乃僵屍類也。雲南多五金礦,開礦之夫,有遇土壓不得出,或數十年,或百年,為土金氣所養,身體不壞,雖不死,其實死矣。
  凡開礦人苦地下黑如長夜,多額上點一燈,穿地而入。遇乾麂子,麂子喜甚,向人說冷求煙吃。與之煙,噓吸立盡,長跪求人帶出。挖礦者曰:「我到此為金銀而來,無空出之理。汝知金苗之處乎?」乾麂子導之,得礦,必大獲。臨出,則紿之曰:「我先出,以籃接汝出洞。」將竹籃繫繩,拉乾麂子於半空,剪斷其繩,乾麂子輒墜而死。
  有管廠人性仁慈,憐之,竟拉上乾麂子七八個。見風,衣服肌骨即化為水,其氣腥臭,聞之者盡瘟死。是以此後拉乾麂子者必斷其繩,恐受其氣而死;不拉,則又怕其纏擾無休。
  又相傳,人多乾麂子少,眾縛之使靠土壁,四面用泥封固作土墩,其上放燈台,則不復作祟;若人少乾麂子多,則被其纏死不放矣。
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乾麂子はあわれだ。坑夫になる前身を語られず、まして地の底にいて自らの死も知らずにいる。出会った坑夫に金銀の蔓(鉱脈)を教える引きかえに地上へ上がることを願う。しかし、地上で、彼らは忌み嫌われる存在でしかない。

私は、幸いにも今までに恐怖と遭遇したことはない。ただ、山中を歩くとき、草を踏む音、靴を引きずる音、潅木をかする音、それらが微妙にずれあって、最後尾にいて、あたかも私の後にもうひとり誰かがついてきているような錯覚を覚えることがある。

2015年10月10日土曜日

イ・ソンヒの「愛が散るこの場所」

イ・ソンヒの動画は、Youtubeで見たのが最初だった。次の映像と同じものだが、少々左右が圧縮されて面長になっている。以前見たものは、自然な印象で、頬に膨らみもあり健康的で、何より、歌唱力に圧倒されたものだ。2004年、世宗文化会館での、20周年記念コンサートの姿だ。

そのとき歌われた、4集収録の「愛が散るこの場所(사랑이 지는 이 자리)」(1988年、作詞・作曲:ソン・シヒョン)は、若さの生硬さに磨きが加わり、美しく余韻を含んで響いた。その10年後の昨年には、円熟味を増した。

(本ブログ関連:”愛が散るこの場所”)


「愛が散るこの場所」

花びら舞い散るとき、あなた目覚めないで
あれほど美しかった、花びらだったじゃない

愛が遠のくとき、あなた黙って去るのですか
あれほど愛した思い出が、壊れるのか恐わくて

*愛が散るこの場所、思い出だけ悲しくて
あなた目覚めないで、涙見せたくないのよ

私が恋しいとき、あなた帰ってきてもいいわよ
あれほど愛した昔に、戻りたいです

(*以下繰り返し)


(Youtubeに登録のd'abord musiqueに感謝)

2015年10月9日金曜日

善意

イ・ソンヒは、善意の人である。デビュー当初、困難な状況にあっても強く生きる学生たちを支援する慈善活動を始めた根幹にある。宗教的環境に育ったことも、その背景にあるのかもしれない。

イ・ソンヒは、善意を信じるからこそ、人を信じたのかもしれない。ときに、善意を実現するために、政治の世界を往来したこともある。

イ・ソンヒは、歌手人生を切り開いてきた。善意の明かりをいったん手元に置いて、自らの道筋を照らす齢にいるのではないだろうか。

善意のくびきから、どうか自由になって欲しい。思い過ごしだろうか。

2015年10月8日木曜日

寒露、「猿に始まり狐に終わる」こと

今日は二十四節気の「寒露」。「露が冷気により凍りそうになるころ」(Wikipedia)だそうで、今朝は相当に冷え込んだ。

寒露の音から、カンロ飴や甘露煮をイメージして「甘露」が浮かんで、甘味を帯びそうな気がする。「うまい、うまい」と絶賛するのに、「甘露、甘露」と殿様が(昔の映画で)いったりもした。

ところで、地元にある武蔵野大学で、狂言師の野村萬斎氏(1966年~)を迎えて、武蔵野大学客員教授の羽田昶氏との対談を聴く公開講座があった。能楽資料センターによる連続公開講座(「けものイロイロ―― 能・狂言に見る鳥獣・霊獣」)の最終回だが、初めて知って、初めて同敷地を訪れた次第。

最終回のテーマは、「猿に始まり狐に終わる」という、狂言に現れる生き物について、野村萬斎氏の経験に照らしながら語るかたちで進行された。

狂言の初舞台は、3,4歳ころに「靱猿(うつぼざる)」の舞台で猿の姿に扮することから始まるそうだ。今回のテーマにある、<狐に終わる>というべき演目として、「釣狐(つりぎつね)」を初めて演じた(披(ひら)いた)のが1988年とのことで、ここから真の演者としてわざを深めていくことになったという。

狂言のスタンスに、「このあたりのものでござる」という言葉があるというそうだ。人、生き物すべてに通じる考え方であり、立場(領分)という。物語が、この理(ことわり)から外れるとき、狂言は滑稽さの中に逆転や逆襲の姿が見え隠れすることになる。

(<狐>に関心あって講演会に出かけたが、とてつもなく大きな世界に出会った気がした)

(Yotubeに登録のodessanokaidanchに感謝)

2015年10月7日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 風流音楽

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(9/30)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、ソンビ선비)が「風流(풍류)」を楽しむときに聞いた音楽にかかわる3曲を紹介した。

始めに、自ら「看書痴(간서치)」と称した、李徳懋이덕무、1741年~1793年) の詩について次のように紹介された。
・ソンビが風流を楽しむとき聞く音楽を、風流音楽という。朝鮮後期のソンビ李徳懋の詩に、「秋の風は心を元気にし、森を通り過ぎる風は、まるでコムンゴのように聞こえる。水鳥はひっそりと、陶淵明の詩を聞いている。彼の詩は心の中を清くし、平和で古めかしい」という内容がある。李徳懋は本を読むことが好きで、自ら「看書痴」(読書に没頭し、世事に興味ない人)と表現したほどだ。秋風を感じながら詩を謳うソンビの趣に、一度は真似てみたい、それにぴったりの音楽がある。

▼ 朝鮮後期、風流音楽の「霊山会相(영산회상)」の一曲目、大笒(テグム)演奏「上霊山(상령산)」を聴く。ゆたりと響く。

次に、洪吉周(홍길주、1786年~1841年)の「読書の5つのレベル」について次のように紹介された。
・李徳懋と同時代のソンビの洪吉周は、読書を5つのレベルに分けて記録した。① 最も高いレベルは、体を清くすること。② 古いものから学び、今直面した問題にうまく適用させること。③ 文章を磨き上げて、世の中に名を知らせること。④ 記憶力を生かし、他の人に誇示すること。⑤ 最も低いレベルでは、暇つぶしに読書をして時間を無駄にすること。昔、ソンビにとって読書は、生活そのものであり義務でもあった。早朝、読書で一日を始め、昼寝するときも本をそばに置いた。時には、友人と自然の中で、詩を作ったり、絵や音楽を楽しんだ。これを風流と言いう。

▼ 風流音楽「霊山会相」の6曲目、下絃の楽曲の意、「下絃還入(하현도드리)」演奏を聴く。風流と素朴の一体のよう。

最後に、ソンビの風流とは別の「民間風流(민간풍류)」について次のように紹介された。
・ソンビが風流を楽しむときに聞く風流音楽(または風流)という。九曲で構成される霊山会相などが代表的だ。また、庶民のパンソリが宮廷でも親しまれ、風流音楽は、地方から貴族に、そして庶民へと伝わった。このように変化した風流を、「民間風流」という。わずか数十年前まで、各地に律房(율방)という風流の室内演奏空間があった。人々が定期的に集まり、聞かせるためでなく、自分たちが好きな音楽を演奏していた。

▼ 民間風流から「クルゲヤンチョンとウチョ(글게양청, 우조)」を聴く。舞いを誘う趣がある。なるほど民間だ。

・「クルゲヤンチョン」は、ソウルの風流「ヤンチョントドゥリ」と同じ曲だが、ソウルでなく全羅道地域の律房で歌われたもの。

2015年10月6日火曜日

「ノーベル物理学賞」梶田隆章・東京大宇宙線研究所長

昨日、大村智・北里大特別栄誉教授の「ノーベル医学生理学賞」受賞に続き、今日は「ノーベル物理学賞」を梶田隆章・東京大宇宙線研究所長らが受賞した。受賞理由は、「ニュートリノが質量を持つことを示すニュートリノの振動の発見」とのこと。

「ニュートリノ」と聞いた瞬間から頭が混乱する。まして、その重要さが悲しいかな、とんと理解できないのだ。小柴昌俊・東京大学名誉教授が2002年に「ノーベル物理学賞」を受賞されたときもそうだった・・・何となく素通りしていた。

この後、「戸塚洋二・東京大特別栄誉教授」の業績、「(岐阜県・神岡鉱山にある)スーパーカミオカンデ」や「ニュートリノ振動」などのキーワードについて、テレビの解説を聞いて判ったつもりになるしかないだろう・・・けれど。

「Newton」の次号を購入して、絵解き記事を見ることにしよう。「ノーベル医学生理学賞」あり、「ノーベル物理学賞」ありで、楽しくなりそうだ。

2015年10月5日月曜日

「ノーベル医学生理学賞」大村智・北里大特別栄誉教授

今年のノーベル医学生理学賞は、日本の大村智(さとし)・北里大特別栄誉教授(80)らが受賞した。大村氏の業績は、「回虫寄生虫によって引き起こされる感染症に対する新たな治療法に関する発見」とのこと。

ノーベル賞については、いつも聞くたび初めて知ることばかりだが、今回は日本とは余り縁のない風土病の患者を救っている医薬品の研究に対してのようだ。微細な遺伝子工学が華々しい今どき、研究を理解できないがゆえに一見地味に見えるが、これからテレビの解説を聞くたびに業績の偉大さを知ることになるだろう。

ご自身の口から、「人のために(役立つ)研究をする」という、子どもたちにとっても大きな道標となる素晴らしい業績だ。


(追記1)
スポニチの記事「受賞の大村さん ノーベル財団インタビューに『私はラッキー』」(10/5)に、次のような逸話を紹介している。
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・大村さんは、放線菌の一種が「エバーメクチン」という有用物質を作ることを見つけた。大村さんは「微生物が重要だとの信念は正しかった」と感慨深げに振り返った。
・発見の現場は静岡県のゴルフ場近く。(ノーベル)財団側から経緯を聞かれると、大村さんは笑いながら「ゴルフが好きだからと思われるでしょうが、コースの芝の上ではなく、コース脇の木立でした」と答えた。
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(追記2)
初めて社会へ出たときの経歴が、その後の研究への視点を定めたのだろうか。(Wikipediaより)
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1954年 - 山梨県立韮崎高等学校卒業後、山梨大学学芸学部自然科学科へ進学。
1958年 - 山梨大学学芸学部自然科学科卒業。大学卒業後は理科教諭として東京都立墨田工業高等学校定時制に勤務。
1963年 - 東京理科大学大学院理学研究科修士課程修了
1963年 - 山梨大学助手
1965年 - (社)北里研究所入所
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(追記3)
NHKテレビによると、農家のあとを継ぐ予定だった高校時代に、盲腸で入院したとき、父親から大学への進学が許されたという。

2015年10月4日日曜日

丸木橋

先日、伊豆下田の高根山鉱山に鉱物採集に行ったとき、どうということない小川に架かった小さな橋を渡った。丸木を束ねたもので、一本橋でないにもかかわらず、丸木というだけで足が一瞬すくんだ。

昔、どこだったか、小さな沢(≒小川)だが深くえぐった急流で、そこに架かる一本の丸木橋を渡ったことがある。同行者はすいすいと渡ってしまったのについていけないのだ。丸木を見るだけで足がふらつき、途中で立ち往生するに決まっていると予感した。

付近で一本の大きな枯れ木を探し出し、それを杖代わりにして川底に突き刺し、カニの横歩きのようにすり足して、3点を支えに渡った。2速歩行を断念したのだ。帰りはどうしたかって? そう、遠回りして川筋の上流にある橋を探したわけだ。元の位置に戻るのに苦労したのはいうまでもない。果たして、同行者と落ち合えるだろうか心配した。

バランスをとるのは難しい。支点の置き場所に困るのだ。自身が支点になると思っても、足元がぐらついていたら、絶えず支点を移動させなければならない。そうなると自信もなくなる。丸木橋の上は、まさに瀬戸際で、頼りになるものは体力しかないのだから。

今日は久し振りに、地元飛行場を一周し、大きな霊園を抜けて、川辺に続く公園を巡った。これで体力がついたかどうだか。地に足がつく大事さを感じた。

2015年10月3日土曜日

イ・ソンヒの「世界中が眠りに落ちた後から」

イ・ソンヒの12集所収の「世界中が眠りに落ちた後から(온 세상 잠든 후부터)」(2001年)は、雪景色の中に終わりを告げる物語りを歌う。どこか遠くから伝わるような荘厳で、絶対的な孤独の響きがする。

「一晩中雪が降ってきました。世界中が眠りに落ちた後から/悲しい私の心もわからぬまま朝はくるでしょう。・・・」

心のままに世界があったら、留まりつづけるかもしれない。夕べがあり朝があること、四季があること、もしかしたら幸いなことかもしれませんね。

この曲を、なぜか以前のこの時期にも選んでいた、冬が来る前に。

(Youtubeに登録のCool Kidに感謝)

2015年10月2日金曜日

谷村新司のShowTime [チョー・ヨンピル編]

1984年、イ・ソンヒが「江辺歌謡音楽祭」でデビューした同じ年、谷村新司は、韓国で現在「歌王」あるいは「国民歌手」と呼ばれるチョー・ヨンピル、香港のアラン・タムの3人と共にアジアの音楽祭「PAX MUSICA」の第1回を東京で開催した。谷村新司は、盟友となったチョー・ヨンピルと久し振りにソウルで対談をしている。

(本ブログ関連:”チョー・ヨンピル”)

その内容は、東日本大震災の直後、NHK-BSの「谷村新司のShowTime [チョー・ヨンピル編]」*(2011年4月16日)で放送された。(* : ブログ「チョーヨンピルファン」に感謝)

対談を通して、チョー・ヨンピルの音楽に対する真摯な態度を知ることができる。そして、音楽家として、時代の同伴者として、その立ち位置とスケールの大きさを教えてくれる。

(Youtubeに登録のHyunWoo Yoonに感謝)

2015年10月1日木曜日

(雑談) スマートフォンと本と情報

先日、都心に映画を見に行った帰り、電車の出入り口付近に立っていると、スマートフォンを手にした客が次々乗り込んできた。驚いたことは、おじさんたちまでがだ。

混んだ車内で、スマートフォンをながめる必然性があるのだろうか、いぶかしんだ。それとも、手持ち無沙汰で、暇つぶしからだろうか。回りのみながスマートフォンを手にしている光景は少々異様だった。不思議なこと、新宿駅からがらりと客が入れ替わったのだ。今度は本や新聞を読む客が増えてきたのだ。ほっとしたのはいうまでもない。ようやく、見慣れた昔の姿に戻った。

そうはいっても、5人も集まれば4人はスマートフォン、1人はガラケー、あるいはそれも持たないといった時代だ。でも、おじさんは取り残されたといった気後れはまだない。

ところで、一般家庭の(教育関連を除く)情報・通信費用は、どれくらいかかっているのだろうか。費用対効果について、1年分集計して考える必要性があると思うのだが。

TV(NHK)新聞固定電話携帯電話(スマフォ/ガラケー)×n人インターネット回線費+・・・+書籍(週刊誌)

相当な額を使って世情を知ることになるが、そんなに賢くなったような気がしない。

2015年9月30日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 秋夕、餅、風流

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(9/23)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、秋夕(추석、旧暦8月15日)、餅(떡)、風流(풍류)にかかわる3曲を紹介した。

始めに、節句や祭祀に、餅を食べた風習と喜びについて次のように紹介された。
・食べ物が十分でなかった昔、ことわざに「飯の上に餅」(飯の上に餅までのせてくれる)がある。良いものの上に、さらに良いものを添える意だ。日本の「錦上に花を添える」と同じようだ。餅は貴重な食べ物で、節句や祭祀に、すなわち秋夕にも用意した。精米場所(방앗간)に湯気が立つ。籠の中には、米が入り、作りたての餅を食べて幸せそうにしていた姿があった。

▼ 京畿民謡、穀物をつく臼(방아)の歌「臼打令(방아타령)」を聴く。どこか土俗的な精霊の響きを感じる。

次に、「三国史記」(1143年~1145年)記載の百結(백결、414年~?)の「臼打令」曲について次のように紹介された。
・餅に色々な種類がある。正月(설날)と盆には定番で、正月には、細長い餅(가래떡)を食べる。盆に当たる秋夕には、胡麻や栗などを入れた餅(송편)を食べる。「三国史記」に、餅をつく音を玄琴(コムンゴ거문고)で演奏した、百結先生の話がある。彼は玄琴が好きで、喜びや悲しみを全て玄琴で表現したという。ある日、節句を控え近所で臼をつく音が聞こえた。妻は、うちには穀物がないと心配したところ、先生は、生きることも死ぬことも、富貴もこの世で論じるものではない、悲しんではならない。君のために餅つきの音を演奏して慰めよういって、玄琴で演奏した「臼打令」曲は、今は失われたが、風流が残っている。

▼ 月に薄い雲がかかり光の輪が現れる「月暈(달무리)」の演奏を聴く。古皮袋に入れた新しい葡萄の酒のよう。今様である。

・三国史記に、百結先生の出身は記録されてないが、ある家譜によると、朴堤上(박제상)の息子、朴文良(박문량)と記録される。父朴堤上は新羅の人で、高句麗に捕まった王の弟を助けたという。

最後に、宮廷の機織りを競う行事について次のように紹介された。
・盆の秋夕にみなが集まり歌い踊る風習があった。これは、高句麗の第2代王の瑠璃は、宮廷の女性を二組に分け、機織りの競争をさせた。7月15日から一ヶ月間機織りをし、8月15日に勝敗を分けた。負けた方はご馳走を準備して勝った方をもてなし、音楽と踊りを楽しんだ。

▼ 演奏「風流都市(풍류도시)」を聴く。中国風の香りの物語的、今様の響きする。

・機織りを競った後、馳走と音楽、歌と踊りを楽しむことを「嘉俳(가배)」といった。これは、秋夕の別名でもある。

2015年9月29日火曜日

2度目の「怪しい彼女」

再び、映画「怪しい彼女수상한 그녀)」(2014年)を見た。1度目は昨年7月に都下の映画館で、2度目の今晩は四谷にある韓国文化院でだ。ともに大きなスクリーンなので、その分、感動も比例する。

(本ブログ関連:”映画「怪しい彼女」”)

この映画は、ハートウォーミングであり、コメディであり、ファンタジーだ。しかも涙腺を決壊させる。いつのまにか溜まった心の澱を浄化させてくれる、まことに爽快な映画でもある。

「ソウルミュージック・・・」、「えっ、ソウル?」、私も混乱する。

ところで、昔、話題の映画を何度見たかということが、芸能雑誌やラジオなどで語られた。記憶にあるのは、映画「ウェストサイドストーリー」を数十回見たというのだ。映画チケット代金を考えたら・・・。私にしてみれば、阿佐ヶ谷のすえた臭いのする古びた2番館で見ただけで、数を重ねる意欲は足りなかったが。

映画「怪しい彼女」は、不思議なことに、また見ようという気にさせてくれた。地下鉄駅までの帰り路、夜風が目元に涼しかった。

2015年9月28日月曜日

金木犀

そういえば、去年も同じ頃、金木犀(キンモクセイ)について記した。秋の落ち着きを感じさせる金木犀と、冬の寒さを和らげる沈丁花(ジンチョウゲ)の花は、季節の変化を香りで知らせる。

(本ブログ関連:”金木犀”、”沈丁花”)

子どものころ、実は、金木犀と沈丁花の香りは苦手だった。甘ったるくて濃い感じがした。それが歳とともに、季節感といった大きな感性で受容できるようになった。もしかしたら、嗅覚が鋭敏でなくなったからだろうか、なんて考えたりもする。

昼前、近くの公園を散策した。園内施設である建物園の入口両サイドに、金木犀の巨木が並んでいる。樹下を通るとき、甘い香りが漂うのを感じる。見上げると、オレンジ色の小さな花が咲き、飾っているのに気付く。

実は、もう一ヶ所、金木犀を楽しめる場所がある。公園への路に、金木犀が頭上まで、歩道を覆うように密集しているのだ。この歩道は、いずれ道路拡張工事のため取り除かれる運命にある。もしかしたら、この景観は今年で最後かもしれない。そう思うと、貴重な香りがしてくる。

(追記)
今夜の月は、いつもと比べて大きく見えるという「スーパームーン」だ。夜分、この目で確かめようと、近所の畑地まで出かけて空を見上げた。月は高く浮かんでいた。そうか・・・な、大きい・・・かな、ぶつぶついいながら佇んだ。乱視の目には、普段も「スーパームーン」だが。