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2014年11月2日日曜日

イ・ソンヒの「リンゴの木の下で」

この時期、リンゴの話になる。それも輪切りして食ってしまった大きさを思い返して、一年を無為に徒食したと慨嘆する、ついついそんな例えにリンゴの実は都合がよい。

リンゴは花が咲き、実が実のり、その香りするときがよいけれど、物語のリンゴ畑には、アンビバレンツな要素が欠かせない。それに、どこか異国の風がするのはなぜだろう。Wikipediaによれば、「日本で栽培されているものは、明治時代以降に導入されたもの」との記述がある。

イ・ソンヒの13集「四春期」に所収の「リンゴの木の下で(사과나무 아래서)」(2005年)は、洒落た旋律に想いを深く重ねたよう。リンゴ畑には、本当は何もないのだが・・・。

(本ブログ関連:”リンゴの木の下で”)

ところで、最近は見かけなくなった印度リンゴが好きだったなあ。

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2014年11月1日土曜日

11月のある日

いよよ残り2ヶ月。といえば日々忙しく振舞う言い草のよう。けれど、そうじゃない。いつのまにか、気付けば11月になっていた。一年を一個のリンゴに例えると、縦割りした実をとっくに、5/6も食ってしまったわけ。今は1/6しかない。

小さな頃、親父がリンゴを剥いて切ってくれたとき、何度も呼び寄せようと実を小さくしてくれた・・・何度も何度も戻っては頂だいをいって、口に入れてもらった記憶がある。小さなリンゴも悪くはない。

ところで、それぞれ年末の計画を教室で語り合ったけど、私には計画も予定もないとしか答えようがない。残りが少ないのに、まだある、まだあると考えていた。何もかも含めてそんなものだ。

今日、11月に入ったばかり。右膝が回復したら、薄紫の妖精(結晶)、セリウム・フローレンスに会いたい。そういえば、今月末、魚の干物巡りなんてことを計画していたのを思い出した。

今月にちなんだ、ギター曲「11月のある日(Un día de noviembre)」(1968年、レオ・ブローウェル(Leo Brouwer、1939年~))を聴いてみよう。キューバの作家とはいえ、ジュリアードで師事したような方だから、この曲に、11月にどんな思いを込めているのだろう。ハバナとニューヨークでは趣も感傷も誘い方が異なるだろうけれど(映画のサウンドトラックだったという噂もあるようだが)。さあ、年の瀬に浮かび流れていこうか・・・。


(Youtubeに登録のCecilio Pereraに感謝)

2014年10月31日金曜日

ハロウィン

毎年、この時期、「日本でハロウィンは・・・」とブツブツいっても始まらない。でも、一つだけ、いいたいことがある。あれって、まだ子どもたちに受け入られてないでしょ、だって彼らは、何とかウォッチに夢中だもん。

(本ブログ関連:”ハロウィン”)

ファッション・娯楽イベント・食品・メディア業界 ⇒ 若い女性(⇒若い母親⇒子ども) ⇒ 周りの男性

流行の注入口が、バレンタインデーのように、日本オリジナルになってしまってないだろうか。バター風味がして、オレンジ色ばかりがが目立つ。

でもねえ、若い人たちへ、ブツブツいえるかどうか。高度成長時代、全員が謳歌したときは、もっと凄まじかった。この時期、遊びの名目(イベント)が足りないからと、若者たちが遊ぶ機会を作ったとしても、それをとやかくいうものじゃない。

おじさんは、そういって納得する。でもねえ、ケルトだ、キリスト教との習合だとか・・・いってもねえ。

2014年10月30日木曜日

紅葉(もみじ)

道で転んで、右膝小僧をすりむいたのが、ちょうど3週間前の夜。今も歩くに少々かばい気味。急なねじりや、しゃがんでハンマーを振り下ろす、山中の鉱物採集に出向くには、ちょっと時間が要りそう。どっぷり秋が深まったというに、身動きできないのは残念。

秋といえば、小学生の頃好きでよく口ずさんだ歌に「秋の夕日に 照る山紅葉(もみじ)」で始まる、「紅葉(もみじ)」(作詞 高野辰之(1876年~1947年)、作曲 岡野貞一(1878年~1941年))がある。紅葉の織り成す華やかさというよりは、夕暮れに薄まる山裾が処どころ陽を受けて、そこだけ彩る静かな情景を想像したりした。当時、子どもの耳に日常入ってくる音楽と比べて、上品さがよかった。


(Youtubeに登録のf3113663eeeに感謝)

2014年10月29日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 煙草

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(10/22)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第77回として、「煙草(담배:tobaco)」にまつわる話を紹介した。

始めに、朝鮮王朝22代国王正祖(정조/이산、1752年~1800年)と煙草のまつわる話しを次のように紹介された。
・正祖の代、文化が大きく花開き、煙草が伝わったのもこの頃。正祖は愛煙家と知られ、国の高官選抜試験に煙草について出題したほどだ。
・学問に優れ、ハングル創生の世宗(세종、1397年~1450年)の如く学問好きの王と知られた。国政に情熱を注ぎ、疲れも人並み以上だったろう。そんな彼の唯一慰めが煙草だった。読書以外に趣味はなく、若い時から学問にだけ没頭し、疲れをに眠れぬ夜も多かった。王位に就いて以来、病がひどく薬も効かぬとき、(日本伝来の)南靈草(남령초=煙草)だけが症状を和らげた記録がある、彼は煙を吸うと胸がすっきりしてよく眠れたと話した。

▼ (童謡)民謡「辛い唐辛子食べてめーめm、煙草の煙吸ってめーめm(고추 먹고 맴맴 담배 먹고 맴맴)」を聴く。(「めーめm」:子どもたちがぐるぐるまわり遊びをしながら唱える掛け声)

次に、正祖が愛した煙草の起源と伝来について、次にように説明された。
・正祖は、煙草好きだが、健康への影響は考えなかったか。煙草に、肺を痛める可能性があると、伝来時に知られていた。煙草を止めなかったのは、公務のストレスのためと推測される。
・1616年、朝鮮に煙草が伝わった。その数年後の1622年、身分や老若男女を問わず煙草が広まった。アメリカのインディアンに始まったとされる煙草は、1550年代後半、ヨーロッパで栽培されるようになり、その約50年後、既にアジア、朝鮮まで伝わる。南米のジャガイモがヨーロッパに伝わるのに200年近くかかったのに比べて、煙草は速く世界に広まった。

▼ 煙草の打令(타령)の歌「煙草打令(담바귀타령)」を聴く。たたみ掛けるように、次へ次へと移る。

最後に、煙草の商品化、風俗化にまつわる話しを次のように紹介された。
・当時、煙草は食糧にも深刻な影響を与えた。農家が米よりも煙草栽培を優先したからだ。米を作るべき田が煙草栽培の畑に変わったのだ。
・また、煙草は人の関係にも影響した。正祖の臣下、蔡濟恭(채제공)は、煙草に関わる出来事で、官職を辞そうとしたことがある。あるとき、道端で、乱れた服装で煙草を吸う若者の一団に注意したところ、反発した若者を結局捕えたが、彼らの友人たちが押し寄せ徹夜して座り込んだため、結局、煙草のせいで恥をかいたという逸話がある。

▼ 「煙草の害悪(담배의 해악)」を聴く。・・・

2014年10月28日火曜日

イ・ソンヒの参加はなかった: MCモン6集

ニュースを見て、正直MCモンの音楽分野に関心が薄いせいもあって、そうだったのか・・・という感じだ。MKスポーツの記事「MCモン6集『Miss Me or Diss Me』(私を恋しいか、それとも、ののしるか)、イ・ソンヒの参加はなかった」(10/28、イ・チヨン インターン記者)は、MCモンの最新アルバムにイ・ソンヒが参加しなかったと次のように報じている。

関心の薄さについて断っておくと、MCモンだからではなく、今回のアルバムがどんなものかも知らないが、ヒップ・ホップの世界に寄っていく気力はないのです。おじさんとしては、既に「選択と集中」の時代に突入しているのですから・・・相済みません。

(本ブログ関連:”イ・ソンヒ、MCモンとコラボか”)
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・MCモンのカムバックが目前に迫ってきた。MCモンは、11月3日、5年ぶりに正規アルバムを発表する。2009年に発表した正規5集以後、5年ぶりのカムバックである。MCモンの6集アルバムは、全13曲の収録曲で構成されており、9曲目(トラックリスト)の「0904」を除く12曲が、同僚歌手のフィーチャリングで飾られた歌だ。

・今月初めに、MCモン、イ・ソンヒ、ケリー、ペク・チョン、ホ・ガク、ヒョリン、エイーリーなど国内有名なミュージシャンがフューチャリングした音源を出すと予告した。しかし、公開されたトラックリストによれば、イ・ソンヒは、今回のアルバムに参加していなかった。

(以下略)
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2014年10月27日月曜日

Chromeの管理(ブックマーク、タブなど)文字が”囗”になること

実は困ったことがあった。Chromeのバージョンが「38.0.2125.104 m」に上がって以来、Chromeの管理(ブックマーク、タブなど)文字のうち、ハングルだけが ”囗” 表示になってしまった。(漢字、かな、アルファベットは表示)
この現象をChromeのヘルプにある「問題報告」に通知したが・・・いつか改善されるだろうと。

ユーザーに解消策がないものか気になりネットに探してみると、次のYAHOO「知恵袋」で名案を見つけた。感謝。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12137179822

質問者の回答者に対するお礼コメントに述べられた通り実行(Chrome再起動も!)すると、ハングルが無事表示された。(「その他の返信」にある、書体は”Meiryo UI”に変更するのが見やすくていいですね)

2014年10月26日日曜日

和菓子「御栗林」

近所の駅のそばに小さな和菓子屋があって、地元伝統の(幕府献上品であった)栗の実を使った、新しい和菓子を知らせる幟(のぼり)を店頭に立てている。外出の折、寄ってみた。

(本ブログ関連:”栗林”)

栗の実を丸々使った洋菓子や和菓子は他にもいろいろある。この和菓子がどんな工夫をしているのか関心があったからだ。柔らかにした栗の実の周りを、ぼそぼそ乾いた餡でくるみ、全体を固めの皮で包み仕上げている。総じて甘みは抑えられている。年配者には、栗の実の食感の乏しさと、(ビニールパックしているが)乾燥気味なのが少々気になる。

観光地の土産品と似たものにならぬよう、地元の歴史を備えた栗の実を使っているゆえ、まだまだ工夫を加えてしっかりした銘菓になって欲しい。

2014年10月25日土曜日

遠近法(消失点)

遠近法の絵画に、全てが集中して消える先に一体何があるのだろうか。絵画を見るままに見るといった、共通な視座があるのだろうか。もしかしたら、そのように見慣れているだけではないだろうか。時代とともに、絵画は、制作する者、所有する者、見る者それぞれにとって、入り混じったものがあるのではないだろうか。

(本ブログ関連:”遠近法”)

今の時代、映像を見慣れているので、遠近法は不思議でない。しかし、日本画に遠近法が登場したのは随分と後のことだ。なぜなのだろう・・・結局、日本画は、「日本画」という言葉とは違った存在だったのかもしれない。「西洋画」に対置して東洋画とか日本画といった配置をするのは、何かを歪めているかもしれない。

西洋画の遠近法について妄想したい。残念ながら、日本画の空間認識について何も知らないので・・・。

現実の世界を大きな升目を持つ網目を通して覗き、それと同じ升目のある画布に升目ごと転写すると、リアルな世界が再構成される。升目は一律でなく遠景が空気の厚い層に薄まり、全体像は遠近法の世界に収斂する。絵画工房の画工が気づかぬはずはない。

北方ルネッサンス絵画は、空間を緻密に埋める。隙間があってはならないのだ。間隙が存在したりすると、見える世界が崩壊するとでも思っているのだろうか、一部の隙があってはならないのだ。究極、視座をおろそかにできなくなる。
ファン・アイク(1395年頃~1441年)の「アルノルフィーニ夫妻像」は、遠近法の奥に壁に掛けられた鏡があり、そこに画家本人が描かれている。この絵画は、ファン・アイクの視覚を通したものでもあることになる。まるで、市民社会という視覚でもあるようだ。

レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452年~1519年)の初期作品「受胎告知」は、聖母マリアの右手の動きとは別に、精緻に描いた作品と評価される。この絵は、遠景に尖った峰を持つ白い山腹に視線が収斂する。けれど、その消失点を意識されることはないようだ。一点に集中する視座は、特に宗教画には好ましいのかもしれない。

遠近法を合理的な視点でとらえる道具に、ピンホール・カメラを原理にした、カメラ・オブスキュラがある。誰もが一度、ピンホールでできる上下さかさまの映像を見た経験があるだろう。まるで、手に取るように現実世界がすくい取れるような錯覚をする。

フェルメール(1632年~1675年)の絵画が特にアメリカで好まれるという。フェルメールの視座は、ファン・アイクのような自意識を感じられない。見たものを印画紙に落とした、対象化した世界のように見える。カメラ・オブスキュラの世界なのだ。多分、タイム・トリップして彼の時代を覗く即物的な感触が好まれるのだろう。

そして、シネマトグラフの動く映像に市民が驚嘆した時代、印象派の画家たちは格闘していた。当時、カメラ技術の進歩で、今は忘れ去られた写真家たちが絵画と対峙する世界を写し取っていた。画家が、視座を画家個人のものに取り戻そうとした時代、遠近法はどうやら重要ではなくなったようだ。

絵画は、遠近法の奥にある消失点の先に、結局何も見出しえなかったようだ。シネマトグラフがそれを越えたのだから、絵画は画家の自我に直結するしかなくなったのだろう。現代絵画は空間さえ再構成しようとした。

2014年10月24日金曜日

ノート(筆記帳)サイズ、A4それともB5

仕事で文書作成にパソコンだけを使い、手書きの習慣からすっかり疎遠になって以来、あるとき驚いた。久し振りにノート帳に手書きすると、文字が恐ろしく汚いのだ。もともと綺麗な文字だったわけではないが、それにしても余りにまずい。

指先のコントロールがきかなくなったのか、すっきりした線が引けなくなっているのだ。もしかしたら歳のせいかと思い、文字を小さくすれば力も要らず小奇麗にまとまると思いきや、それも満足なものでなかった。どうやら、手書きの基本動作を忘れてしまったようだ。手書きの習慣の必要性を痛感した。

ノート(筆記帳)の場合、書道と違い、コンスタントに簡潔な文字を書き記した方が後で見やすい。指先を力まず、流れるように書ければベストだ。0.5mm、4B芯のシャープペンシルと、ノック式の消しゴムを使っている。どちらも力をコントロールしやすいからだ。

学生時代、授業内容を漏らさず記そうと、大判のA4サイズを使った。書き足し、補足、付記に便利だからだ。しかし、そんな余力もなく、何もかも書くことを止めてエッセンスだけ残せばよいという風に考えを改めると、ノートサイズは小型のB5サイズで十分と気付いた。

適時、適当な場所で見直すのに便利なノートサイズはB5だろう。一般書もB5サイズが多い。日本人の体形にあっているのかもしれない。もしA4サイズのノートを使うと、持ち運びにA4が入るバッグが必要になり、ついつい何でも入れてしまい重くなる。ノートを基準に、動作につながる物のサイズを考えるとよいのかもしれない。

最近は、A6のメモ帳を重宝している。思いつくものを何でも記入している。つまり、どんどん身軽になってきている。

2014年10月23日木曜日

イ・ソンヒがファッションコレクションを待つ写真

イ・ソンヒについて、実はよく語れないことがある。彼女の髪型とか服装のファッションなど、女性ならご存知だろうが、そのスタイル名についてだ。もともと、短髪にメガネとズボンスタイルという飾り気のないのがトレードマークのため、過去の新聞記事などで、彼女のファッションを詳しく触れているものをあまり見たことがない。

(日本の)女性ファンが、イ・ソンヒのファッションについて解説していただけると、Google画像検索で適度に検証できるのだが。

WOW韓国経済TVの記事「イ・ソンヒ 『私も、チ・ジュンヒのコレクションを見に来ました』」(10/23、キム・チユン記者、bntニュース配信)は、イ・ソンヒの写真を掲載して、次のように書いているが・・・上記のような分けでファッション関連についてよく分からない。(抜粋)
・「2015 S/Sソウル・ファッションウィーク」が22日午後、ソウル東大門区東大門デザインプラザで開かれた。チ・ジュンヒの「Miss Gee Collection」のコレクションで、歌手イ・ソンヒがショーを待っている。
(以下略)

今年の「Miss Gee Collection」について紹介しているブログ(Style N)を覗いてみたら、おじさんには全然無縁の世界のようで・・・。

これからも、イ・ソンヒについては、ファッション以外について記してみよう。それで十分だと思う。

2014年10月22日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 節気と贈り物

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(10/15)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第76回として、昔の「節気と贈り物」にまつわる話を紹介した。

まず、朝鮮後期の書家、秋史・金正喜김정희、1786年~1856年)と茶の関わりについて、つぎのように紹介された。
・節気は、1年を24等分して約15日毎に分けた季節。四季のある地域では、ここに春、夏、秋、冬など季節の名を付けた。季節に、人々はどんな風習を楽しみ、プレゼントをし合っただろうか。

(参考)日本の「二十四節気

・「秋史体(추사체)」の書体を生み出した、書家、金正喜(号は秋史)は、島流しの済州島で寂しく生活する中、茶をよく飲んだ。金正喜に茶を送ったのは、草衣禅師(초의선사、1786年~1866年)だ。全羅南道海南(해남)の大興寺(대흥사)に住み、茶文化を花咲かせた。金正喜が草衣禅師に送った手紙に、「茶の収穫の時期はまだですか。首を長くして待っています。茶を収穫したら壺にしっかりと包んで送ってください」といった内容がある。送って欲しい茶に細かく注文できるほど、親しい間柄を表している。

(本ブログ関連:”KBS WORLD「国楽の世界へ」 済州島”)

▼ ヘグム演奏「世の中で美しいもの(세상에서 아름다운 것들)」を聴く。情感あふれる穏やかで心地よい今様の音色だ。

次に、金正喜が草衣禅師に茶を願った手紙と一緒に扇子を贈った話しを、次のように紹介された。
・金正喜は、貴重な茶をねだる手紙と一緒に、贈り物として、彼の書体の入った扇子を送った。当時、扇子の価値は今と違ったはず。庶民にとっては、うちわであり、虫よけの道具でもある必要なものだ。上流階級のヤンバンにとっては、地位を表す手段であり、人前で表情を隠す道具でもある。また、自分を守る武器としても活用した。扇子を送るのは、今年もよろしくという意があるという。

▼ 演奏「贈り物(선물)」を聴く。これも映画音楽のような、情緒深い今様の旋律だ。

最後に、年間を通して、節季のいろいろな風習(行事)について、次のように解説された。
・冬至(12/21)は、一年で昼が最も短い日だ。この日から昼が長くなる。一年を締めくくり、新年を迎えるこの時期に、新しいカレンダーをプレゼントした。カレンダーには色々な節気が記される。
・釈迦の誕生を祝う「初八日(초파일)」に、家族の名を刻んだ提灯をつるす。また、日本の中元に当たる「百中(백중)」には、使いの物に新しい服を作ってやる。新穀を神に供える「上月(상달)」には、祭祀を捧げた餅を分け合う。餅にも色々な種類があった。

▼ 各月の節気を歌った雑歌「タルコリ(달거리)」を聴く。 月巡る中、大衆の交わりを歌う・・・民謡と違って。

2014年10月21日火曜日

イ・ソンヒの「冬哀傷」

まだ秋が終わらないというに、ストーブは入れるし、厚着して、去年よりも早く冬に向けて身支度している。年々早まる(歳とともにそう感じるのだろうけれど)、冬の気配を恨み、暖かい春を待ち望んでいる。

ここ数年、雪の積もり方がおかしい。雪融けに、2階の屋根から塊りがドスンと落ちるついでに雨樋(あまどい)を2度も破砕している。また、玄関先を雪掻きしたばかりなのに、すぐに屋根から雪が落ちてうず高く積もる。そこで、雪国のものと思っていた雪止めの必要性を感じ、業者さんに取り付けてもらうことにした。温暖化といわれながら、雪の量が極端過ぎる。

気分一新、美しく澄んで輝き、やがて消える雪の結晶のような儚(はかな)い恋歌、イ・ソンヒの5集に所収の名曲「冬哀傷(겨울 애상)」(作詞:キム・ヨイル作曲:ソン・シヒョン、1989年)を聞いてみよう。この歌にハッとしてわれに返り、冬へのわだかまりも溶けるというもの。

(本ブログ関連:”冬哀傷”)

(Youtubeに登録のRuby Kangに感謝)

2014年10月20日月曜日

ブルーライト(再)

ノーベル物理学賞で話題の青色LEDだが、ちょっと前に、PCの液晶画面の青色成分(ブルーライト)が問題になっていた。PCを見続けると、目の奥に青色光が強く差し込むので、それを低減するためにいくつかの策が語られた。ひとつにブルーライト対応メガネ、もうひとつにディスプレイの青色成分の調整、最後に年齢に応じた対応だ。

(本ブログ関連:”PCのブルーライト”)

① 情報誌の付録についていた、ブルーライト対応メガネを装着する。PC画面全体に薄く赤味がさす。
② PCのデスクトップの色補正して、青色成分の明るさを抑える。PC画面全体から青味が減るような。
③ 年齢的には青色の感度が衰えているので、対応の必要なしとの情報を知る・・・ああ、そうですか。

年齢は別にして、対応メガネを装着し、ディスプレイの青色成分を減衰すると、両目の奥に四方から飛び込むようなインパクトが和らぎ、PC画面が穏やかになる・・・ちょっとモヤッとした感じで目に優しそう。そうすることで、眼精疲労に効果があるのか、正直よく分からないが、やらないよりはやった方がよいだろう。目に差すような青色光のエネルギーが弱まる気がする。長時間ディスプレイを見続ける場合、こんな対策もありだろう。

ところで、今年のクリスマスは以前に増して、街の何処かしこ青いLED照明に包まれることだろう。今まで以上に。

Youtubeの「ブルークリスマス」は、別の意味でブルーな若者たちのクリスマス。プレスリーの歌で聞いてみよう。

(本ブログ関連:”ブルークリスマス”)

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2014年10月19日日曜日

遠近法

子どもの頃、児童画といわれる、遠近法とは全く異なる表現が嫌だった。それは、子どもの時代に見られる独特なもので、(大人が忘れた)子どもらしい表現と絶賛されるものだ。でも、当時は見えるように描いてこそ絵ではないのかと思ったものだ。
(今の私には、児童画の伸びやかな表現が可愛らしくてたまらない・・・歳をとって気づいたが)

児童画は、運動会などを表現するとき、運動場を絵の中心に配置して、絵の上側に頭を上向きにした子どもたちを描くのに対して、絵の下側には頭を下向きにした子どもたちを描く。まるで、地球上の人々を宇宙遠くから眺めるようだ。

これは、視座が運動場の中心にあって、全て見るために頭(眼球)を回転させることからくるのだろう。つまり、視座が絵の中心に配置しながら、視線は固定しない。もし、遠くから俯瞰するように、つまり視座を鳥の目のように上空に置けば、登場人物たちの頭は、すべて上向きになるのだが。そこで、遠近法でない集団画の場合、地面を斜めにして、視座と登場人物とが等距離になるようする。一定の範囲内に、登場人物を集団に分けて配置すると、均等に描写することができる。

例えば、日本画で、屏風絵「洛中洛外図」は、集団を区分するのに雲のようなものを挟み込んでいる。また、好みの絵が多い、北方ルネッサンス絵画の場合、遠近法の表現はあるものの、説明的な要素が多いものがある。ヒエロニムス・ボスの「快楽の園」に見られる宗教的な説諭、ピーター・ブリューゲルの「ネーデルラントの諺」に見られる世俗の風刺のように、解釈を一義にして見る目を動かすことになる。

(本ブログ関連:”ブリューゲル”、”北方ルネッサンス”)

これらの作品は、今でいう絵画というよりは、絵に語られる物語なのではないだろうか。作品を、見る側の立場も含めて理解しなければならないような気がする。作品には3つの立場があるように思う。作品の制作者という立場(所有者と見る者を意識する)、作品の所有者(見せる側)、見る者(見る側)。それぞれが別個であるとは限らない。また、今風の絵画鑑賞という見る側が大衆化してきた時代変遷は興味深い。・・・もしかしたら、遠近法の絵画技法は、世俗化と連動しているのかもしれないなんて考えてしまう。

絵画は最初から「絵画」ではなかったと思う。私は、仏像や仏画が美術や芸術作品として語られるのに、今も違和感を感じる。

2014年10月18日土曜日

超小型電気自動車に乗って

私の自動車免許証はゴールド(優良運転者免許証)だ。無事故、無違反の賜物である。というより、免許証はあれど、ずっと運転していないからだ。じゃあ、何のため免許証を持ち続けているのかといえば、これほど便利な身分証明証はない。そんなわけで、ずっと更新している。

鉱物採集に行くのに、いつもH氏の車に同乗させてもらっている。助手席に坐っているだけで、何のナヴィゲーターの役も務まっていない・・・何度も通った採集地への道、行きと同じ帰り道ですらよく覚えていない。やっぱり車の運転には不向きかもしれない。最初はそういって謙遜していたが、最近は確信している。

とはいえ、自動車に関心ないわけではない。安全な超小型電気自動車が身近になったら近所まわりに乗ってみたい・・・果たして何年先か。心配なのは運転の感を取り戻せるかということだ。近所の自動車教習所に通わなければならないだろう。

電気自動車について十数年ほど昔のこと。バスに乗っていたら、ある自動車メーカーの前のバス停から技術者らしき数人が乗ってきた。奥の座席で、ぼそぼそ話しているのが聞こえた。これからは電気の時代か・・・とため息をついていた。
電気自動車といわれても、素人には模型自動車に載せるマブチモーターのイメージしかない。技術者には大変な時代なんだなと思った。これから彼らが、どんな車を提供してくれるのか楽しみだ。

で、何のために超小型電気自動車に乗りたいのかって・・・、それは川べりに行って、自動車の中で、イ・ソンヒさんの歌を大声でカラオケしてみたいのダ。一人カラオケボックスとして。

2014年10月17日金曜日

膝小僧をすりむいて(続々)

先週の今日、転んでしまった右膝の痛みはゆるり治まってきているようだ・・・が。当初2日間つづけて貼った湿布にかぶれてしまい、痒みと痛さに悩まされている。ふくらはぎが、ちょっと突っ張った感じがして強張りがある。

どの程度リハビリすればよいか分からない。素人判断なので、むしろ運動不足かもしれない。まだまだ靴下を履くのも脱ぐのも難儀する(難しい)程度の回復状況なのだ。

ところで先日Y氏から、長野県茅野市にある金鶏鉱山の美味しい話をいただいた。クロム白雲母、苦土電気石、テルル蒼鉛鉱、セリウム・フローレンス石という・・・来月かな、よけいに夢(欲)が膨らむ。

セリウム・フローレンス石、何と美しい名だ。そして、薄紫色した可憐な結晶よ。一度、私と出会ってくれないだろうか・・・。もしよかったら、日本式双晶にもお会いしたい。正夢にならんことを。

(資料)世宗文化会館の歴史(続)

世宗文化会館の歴史について資料を探している。韓国Wikipediaの「世宗文化会館(세종문화회관)」の沿革の項に、同館着工時、何を念頭に置いたか、およびソウルの公演会場の変遷について、次のように記している。(抜粋)

(本ブログ関連:”(資料)世宗文化会館の歴史”、”世宗文化会館”)

ソウルの公演会場の変遷: 「京城府民館」 ⇒ 【「雩南会館 → 市民会館」 ⇒ 「世宗文化会館」】
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日帝強占期(日本統治時代)には、現在のソウル市議会の建物として使用されている「京城府民館」が総合芸術施設として機能した。光復(独立)後、1961年11月(10月?)に竣工・オープンした「市民会館」がその後に続いたが、1972年に火災で焼失した。これソウル特別市で大規模な総合公演場を建設する計画を用意して、1974年 1月に着工した。

1978年4月14日に竣工(工事終了)と同時に開館され、南北統一時、会議場の使用を念頭に置いて建てた、3,800席以上の大劇場と、532議席の小劇場など、当時最大規模の施設を備えて話題になった。しかし、1980年代に「芸術の殿堂」など他の総合公演場が開館すると、立地が弱くなり始め、ソウル特別市側の安易な運営体系に問題点があるという指摘も絶えず続いた。

(以下略)
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2014年10月16日木曜日

イ・ソンヒの「あなたに会う」

音楽を聞いて心が和むのは、そのとき、穏やかな春の陽に温もる風に包まれたような安堵があるからだろうけれど、それが何処から来るのかは、人生観や経験によるだろう。ときに、記憶のざらつきを埋め合わせてくれる心地よい風が吹く。

イ・ソンヒの15集に所収の「あなたに会う(너를 만나다)」(作曲イ・ソンヒ、作詞エピトンプロジェクト、編曲ミス・ケイ)は、そんな幸運な、そしてどこか懐かしい巡り会わせをさせてくれる。

Daumの”music daum”は、彼女の曲目紹介のなかで、この「あなたに会う」について、次のように解説している。
「無声白黒映画を見るような、クラシックで優雅な雰囲気の曲。ヒップホップ・ジャンルで主に使用されるサンプリングしたような表現技法は、あたかも80~90年代のLP盤で音楽を聞く感じを与える。 また、繊細ながらも多様な感性を表現するために、息一つまでも注意深くレコーディングして、イ・ソンヒ声の魅力を倍に感じることができる曲の一つだ」

昔、ラジオにそうしたように、耳をそばだてて聴きたい。

(本ブログ関連:”イ・ソンヒの15集”)


(Youtubeに登録のCoffee Letter Storyに感謝)

2014年10月15日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 尹善道

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(10/8)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第75回として、朝鮮中期の文臣兼詩人の「尹善道윤선도)」(1587年6月22日~1671年6月11日)」にまつわる話を紹介した。

始めに、尹善道が島流しの中にあって残した「漁夫四時詞(어부사시사)」について、次のように紹介された。
・尹善道は65歳で官職を退き、済州島へ向かう途中、全羅南道にある美しい風景の甫吉島(보길도)に出会い定住した。そこで風流を楽しみながら数々の傑作を残した。
・尹善道の傑作の一つに、「漁夫四時詞」がある。世俗を離れて、釣りを楽しむソンビの春、夏、秋、冬を表したものだ。

▼ 「漁夫四時詞」から歌「水国に秋が(수국에 가을이)」を聴く。秋に澄んだ海を、漁師船が軽やかに進むを眺めるよう。

次に、「漁夫四時詞」がどのように作られたのかについて、次のように解説された。
・漁夫には、魚労で生計の道をはかる漁師と、自然を楽しんで歳月を釣りする人もいて「漁夫四時詞」の中の漁夫はソンビを指す。
・漁夫を賛美する文学に、戦国時代の屈原の「漁夫辞」に遡る。高麗時代に「漁夫詞」の短歌があった。朝鮮初期、聾巖 李賢輔(농암 이현보)が高麗時代の「漁夫詞」を詩歌「漁夫詞」に改作し、後に尹善道が漢詩から韓国語で楽しめるよう「漁夫四時詞」とした。尹善道の「五友歌(오우가)」は、我が友と聞かれれば、水と石、松と竹、そして昇る月、それ以外に何があるのかと・・・。

▼ 尹善道の歌「五友歌」から「我が友は何人だろう(내 벗이 몇이냐)」を聴く。・・・う~ん、静かにソンビの諦観なのか。

最後に、尹善道とコムンゴ거문고、「玄琴」)の関わりについて、次のような説明された。
・尹善道は70歳を過ぎて、北方の地、咸鏡道北青(북청)の辺鄙な場所に流される。そこで持ち主のない1つのコムンゴを知った彼が探し見つけた
ところ、意外にも郷里全羅南道海南の時代、同僚に貸したものだった。その音は慰めになったことだろう。
・尹善道が実際に演奏したという孤山遺琴(고산유금)は、住んでいた家に保存されているという。

▼ 演奏「コムンゴを弾きながら(거문고를 타면서)」を聴く。新酒の香りがする軽快な曲。

(付記)
流れに掉さして無理するよりも、時に滄浪之水にまま漬かってみるのも必要ではと感じる次第。