KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(5/13)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、「先生の日(교사의 날)」(5月15日、1964年~1972年、1982年~)に関連する3曲を紹介した。
始めに、孔子の言葉から「先生の日」の意義を、世宗大王の「龍飛御天歌(용비어천가)」から「与民楽(여민락)」の始まりについて、次のように紹介された。
・孔子いわく、「三人行けば必ず我が師あり」(三人連れで行けば、その中に学ぶべきものがある)。5月15日は「先生の日」であり、ハングルを作った世宗大王の生まれた日でもある。この日に、世宗大王を記憶し、先生に感謝する。世宗大王はハングル創生後、楽章 · 叙事詩「龍飛御天歌」の作成を命じた。朝鮮時代、歴代王の業績を記録した最初のハングル文献である。そして、この詩を歌にしたのが、民と共に楽しむの意の「与民楽」だ。今は歌は消え去り、器楽曲として伝わる。
▼ 「与民楽」の演奏を聴く。宮廷曲にしては軽快、なるほど歌いだしそうな旋律がする。
次に、朝鮮後期、丁若鏞(정약용、1762年~1836年)と黃裳(황상、1788年~1863年)の出会を次のように紹介された。
・朝鮮後期最高の学者と言われた丁若鏞は、政治的理由で、長い間島流しになった。ある時、少年、黃裳が訪ねてきた。ソウルの立派な学者の噂を聞き、学びに来たのだ。身分も低く賢くもない少年は、少し内気になって、「こんな者でも勉強ができますか」と尋ねた。丁先生は、「学ぶ者には三つの大きな病がある」と答え、① 記憶力が良く、何事もすぐに覚えてしまう人は、自分の能力を信頼して適当になってしまう。② 書く能力が優れて、すぐに詩作し、どうしても内容が軽くなってしまう。③ 理解力が良く、何事もすぐに理解して、悟ることができず長続きしない。でも、「君にはそんな病気はない」と答えた。感動を受けた少年は勉学に励み、後日、作った詩は、著名な金正喜(김정희)も感動させた。
▼ 茶を嗜みつつの「草堂の白い湯のみに広がる茶花の香り(초당 흰 찻잔에 스며 퍼지는 찻꽃향기)」を聴く。視覚的今様。
・丁若鏞は、茶山草堂(다산초당)で茶をしながら多くの本を書き上げた。
最後に、朴貴姫(박귀희)(1921年-1993年)の国楽芸術学校設立について次のように紹介された。
・伝統音楽、特に(低く見られた)パンソリや民謡などは、師から弟子へと伝わってきた。だから師弟関係は強固である。日本統治時代、朝鮮戦争を経験した朴貴姫など歌い手たちが集まって、国楽芸術学校(국악예술학교)*を設立する。この学校で多くの学生が勉強に励んだ。・・・(* 「国楽芸術学校」の正式名称不明)
▼ 夏の美しい景色の意の「緑陰芳草(녹음방초)」を、カヤグム演奏と歌で聴く。乾いた風のように淡々として・・・。
2015年5月21日木曜日
2015年5月20日水曜日
聊斎志異「石清虚」
希少な石を愛する人は、とどめがない。そこには、物欲と紙一重の世界がある。しかし、何かしら意義を求めるなら、志において、その高まりなのだろうけれど・・・。
「聊斎志異」(蒲松齢著、1640年~1715年)、岩波文庫版(立間祥介編訳)の最終所収の「雲の湧く石 - 石清虚」は、主人公(邢雲飛)の愛石ぶりを、その始まりから死後に至るまで顛末を語る。
(本ブログ関連:”聊斎志異”、”石”)
(概要)
-----------------------------------------------
あるとき、川底で見つけた石が深い襞にきざまれ峨々たる山容をあらわし、雨が降りそうになると、いくつもの穴から綿のような雲が黙々と湧き出した。
これを求め奪おうとする権力者から逃れたところに、元来の所有者である老人(それが証拠に、石の穴の奥にある「清虚天石供」*の五文字を指摘する)が現れる。主人公は、寿命(石の穴の数)を減らして(潰して)までして、老人から貰い受ける。
(*) 注釈に、「清虚天は、清虚洞天ともいい道教説話中の仙境。また月の宮殿ともいう。そこの石供(石の飾り物)の意」とある。
その後、泥棒に石を盗まれ、その取調べに関与した役人に奪われてしまうが、夢の中に登場した男に、再び取り戻す機会を知らされる。役人没後、その家の者に盗まれた石が、市場に売りに出さたのを知りようやく手元に置くことができる。
主人公は、八十九歳でなくなるとき、石を墓に供にするよう息子に言いつける。ところが、墓荒らしにあい、息子は思いあぐねて道を歩いていると、二人の男が彼の前に来て、売ってしまったと詫びる。
役所に賊を突き出し、石が見つかったものの、そこの役人は我が物にしようとする。倉庫に納めるよう命じられた下僕は石を落としてしまう。息子は、砕けた石を集めて、主人公の墓に供えた。
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岩波文庫版は、展開を淡々と語って終わる。
ところで、石の世界を集めたアンソロジー「書物の王国6 鉱物」(国書刊行会)では、同作品を「石を愛する男」(増田渉訳)として採りあげている。物語の最後、次のような文が続いている。
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「身をもって石に殉じる」とは・・・石狂いにもほどがあるけれど、そんな世界にどっぷりはまった人には、選択の余地はないようだ。精神性までが、文字通り物化してしまった世界のようだ。
「聊斎志異」(蒲松齢著、1640年~1715年)、岩波文庫版(立間祥介編訳)の最終所収の「雲の湧く石 - 石清虚」は、主人公(邢雲飛)の愛石ぶりを、その始まりから死後に至るまで顛末を語る。
(本ブログ関連:”聊斎志異”、”石”)
(概要)
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あるとき、川底で見つけた石が深い襞にきざまれ峨々たる山容をあらわし、雨が降りそうになると、いくつもの穴から綿のような雲が黙々と湧き出した。
これを求め奪おうとする権力者から逃れたところに、元来の所有者である老人(それが証拠に、石の穴の奥にある「清虚天石供」*の五文字を指摘する)が現れる。主人公は、寿命(石の穴の数)を減らして(潰して)までして、老人から貰い受ける。
(*) 注釈に、「清虚天は、清虚洞天ともいい道教説話中の仙境。また月の宮殿ともいう。そこの石供(石の飾り物)の意」とある。
その後、泥棒に石を盗まれ、その取調べに関与した役人に奪われてしまうが、夢の中に登場した男に、再び取り戻す機会を知らされる。役人没後、その家の者に盗まれた石が、市場に売りに出さたのを知りようやく手元に置くことができる。
主人公は、八十九歳でなくなるとき、石を墓に供にするよう息子に言いつける。ところが、墓荒らしにあい、息子は思いあぐねて道を歩いていると、二人の男が彼の前に来て、売ってしまったと詫びる。
役所に賊を突き出し、石が見つかったものの、そこの役人は我が物にしようとする。倉庫に納めるよう命じられた下僕は石を落としてしまう。息子は、砕けた石を集めて、主人公の墓に供えた。
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岩波文庫版は、展開を淡々と語って終わる。
ところで、石の世界を集めたアンソロジー「書物の王国6 鉱物」(国書刊行会)では、同作品を「石を愛する男」(増田渉訳)として採りあげている。物語の最後、次のような文が続いている。
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異史氏曰く----
並みすぐれた物は、禍のもとである。身をもって石に殉じようとするにいたっては、執着もまた甚だしい!だが結局は石が人と最後までいっしょになっていたのだから、石に情がないなどとだれが言えようか!昔の人は、「士は己を知る者のために死す」と言ったが、それは決して言い過ぎではない。石ですらなおこんなふうである。まして人間においておやだ!
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「身をもって石に殉じる」とは・・・石狂いにもほどがあるけれど、そんな世界にどっぷりはまった人には、選択の余地はないようだ。精神性までが、文字通り物化してしまった世界のようだ。
2015年5月19日火曜日
トロピカーナ エッセシャルズ カルシウム BANANA BLEND
テレビの築地場外市場の取材で、美味しそうに卵を焼いている光景があった。職人が作るのだから、美味くてきれいに仕上がるに決まっている・・・と分かっているが、真似したくなった。
早速、スーパーで専用の卵焼きフライパンを買った。而して、玉子も大量購入し試してみた。しかし、返しがうまくできない。ふわふわした感触もなければ、きれいに丸まって、美味しそうな姿にならない・・・そして作り過ぎた。
それはそれとして。
スーパーへ行けば、必ずバナナ味した食べ物・飲み物を探す。今回、ジュース棚に、バナナの姿をデザインした小さな紙パック(330ml)があった。横書きに「Tropicana Essentials カルシウム」と表記し、縦書きに「BANANA BLEND」の表示がある。バナナピューレを含む4種類(ぶどう、バナナ、いちご、ブルーベリー)の果実をブレンドしているというのだ。
バナナ味の巡礼は、バナナ味一本で勝負するものを本来の主旨にしているが、この際、バナナの絵柄を前面に出したパッケージデザインを慮って取りあげた。(以前、ミックスジュースに触れたこともあるが)
果汁20%の中、バナナの割合はいかに・・・飲んだ瞬間、バナナを探した。しかし、口中にミックスジュース特有の甘い香りだけが残った。もう一度飲んだ。いがいが感が喉奥に微妙に感じた。もっと飲んだ。330mlは、意外と腹にこたえる。
今回、無理強いした感がある。思いが強すぎたようだ。捲土重来、次回を期したい。
バナナ味の巡礼はまだまだ続くよ。
(本ブログ関連:"バナナ")
早速、スーパーで専用の卵焼きフライパンを買った。而して、玉子も大量購入し試してみた。しかし、返しがうまくできない。ふわふわした感触もなければ、きれいに丸まって、美味しそうな姿にならない・・・そして作り過ぎた。
それはそれとして。
スーパーへ行けば、必ずバナナ味した食べ物・飲み物を探す。今回、ジュース棚に、バナナの姿をデザインした小さな紙パック(330ml)があった。横書きに「Tropicana Essentials カルシウム」と表記し、縦書きに「BANANA BLEND」の表示がある。バナナピューレを含む4種類(ぶどう、バナナ、いちご、ブルーベリー)の果実をブレンドしているというのだ。
バナナ味の巡礼は、バナナ味一本で勝負するものを本来の主旨にしているが、この際、バナナの絵柄を前面に出したパッケージデザインを慮って取りあげた。(以前、ミックスジュースに触れたこともあるが)
果汁20%の中、バナナの割合はいかに・・・飲んだ瞬間、バナナを探した。しかし、口中にミックスジュース特有の甘い香りだけが残った。もう一度飲んだ。いがいが感が喉奥に微妙に感じた。もっと飲んだ。330mlは、意外と腹にこたえる。
今回、無理強いした感がある。思いが強すぎたようだ。捲土重来、次回を期したい。
バナナ味の巡礼はまだまだ続くよ。
(本ブログ関連:"バナナ")
2015年5月18日月曜日
「石の中に潜んでいる竜」
鉱物には、相容れぬものが恰も共存しているように見えることがある。水晶(SiO2)の、透明で美しい六角柱の中に、例えば細い針状の植物が見える。実は、苦土電気石の針状結晶が抱有されたもので、「ススキ入り水晶」と呼ばれる。草状以外に、水が入っている場合もある。
透明柱状の先に、尖った錐状の頭を持った、満足できる水晶を採ったことがない。まして、「ススキ入り水晶」のような珍しいものは、標本でしか接したことがないけれど・・・。
メノウ(瑪瑙、主成分SiO2)の塊りに水が入っているもの(「水入りメノウ」)がある。こちらは、なぜか市中に出回っている。商品性があるのだろう。振ると、削り込んだ奥で水が揺れているのが見えたりする。その中で、魚が泳いでいないかと空想したくなる。
江戸時代、奇談を収集したものに「耳嚢」(根岸鎮衛著)がある。その一つに、石集めの奇人の代表である、木内石亭と「石の中に潜(ひそ)んでいる竜」にまつわる話が収められている。長谷川政春訳の「耳袋」(教育社)で読んでみる。
(本ブログ関連:”石亭”、”石”)
(概要)
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あるとき、行脚の僧が石亭の家に泊まった。石亭が愛石を見ていると、僧が「珍しい石を持っていて、荷物に入れております」と答えた。
石亭の頼みに、僧はその石を見せた。色は黒く、こぶしのような形であって、くぼんでいるところに水気があった。石亭は、自分の石と交換を申し出た。僧は、欲を持つ身でないので譲った。
そして、この石を机の上に置き、硯の上にのせてみると、清浄な水が硯の中にみちて、その有様は、言い尽くしがたいものであった。
この石を大切にしていると、ある老人がつくづくと眺めて、「このように水気を生ずる石には、きっと竜がひそんでいるはず」、遠くへ捨てるようにと言った。しかし、石亭はかまわずいた。
ところがある時、空も曇ってどんよりしている時に、この石の中から気を吐く様子があった。驚いた石亭は、老人の言葉を思い出し、村人に捨てるよう頼んだところ、老人は焼き捨てるべきとまで言ったが、人里離れたお堂に納め置いた。
その夜更けに風雨も強く、雷鳴もはなはだしくなり、その堂の中から雲が立ち起こり、雨の激しく降る中を昇天するものがあった。後になって、このお堂に行ってみると、あの石は二つに砕け、堂の有様は、まったく竜が天にのぼったかのようであった。
そのため、村では奇妙なこともあるらしいと話しをした。そして、その折に、あの石を焼いてしまうべきといった者の家は、恐ろしいことに、こなごなに壊されていたと、ある人が語った。
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(参考)
「忍石(しのぶいし)」も、装飾的意味合いでよく見かける。まるで植物の葉の並びを石灰表面に描いたようだ。
透明柱状の先に、尖った錐状の頭を持った、満足できる水晶を採ったことがない。まして、「ススキ入り水晶」のような珍しいものは、標本でしか接したことがないけれど・・・。
メノウ(瑪瑙、主成分SiO2)の塊りに水が入っているもの(「水入りメノウ」)がある。こちらは、なぜか市中に出回っている。商品性があるのだろう。振ると、削り込んだ奥で水が揺れているのが見えたりする。その中で、魚が泳いでいないかと空想したくなる。
江戸時代、奇談を収集したものに「耳嚢」(根岸鎮衛著)がある。その一つに、石集めの奇人の代表である、木内石亭と「石の中に潜(ひそ)んでいる竜」にまつわる話が収められている。長谷川政春訳の「耳袋」(教育社)で読んでみる。
(本ブログ関連:”石亭”、”石”)
(概要)
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あるとき、行脚の僧が石亭の家に泊まった。石亭が愛石を見ていると、僧が「珍しい石を持っていて、荷物に入れております」と答えた。
石亭の頼みに、僧はその石を見せた。色は黒く、こぶしのような形であって、くぼんでいるところに水気があった。石亭は、自分の石と交換を申し出た。僧は、欲を持つ身でないので譲った。
そして、この石を机の上に置き、硯の上にのせてみると、清浄な水が硯の中にみちて、その有様は、言い尽くしがたいものであった。
この石を大切にしていると、ある老人がつくづくと眺めて、「このように水気を生ずる石には、きっと竜がひそんでいるはず」、遠くへ捨てるようにと言った。しかし、石亭はかまわずいた。
ところがある時、空も曇ってどんよりしている時に、この石の中から気を吐く様子があった。驚いた石亭は、老人の言葉を思い出し、村人に捨てるよう頼んだところ、老人は焼き捨てるべきとまで言ったが、人里離れたお堂に納め置いた。
その夜更けに風雨も強く、雷鳴もはなはだしくなり、その堂の中から雲が立ち起こり、雨の激しく降る中を昇天するものがあった。後になって、このお堂に行ってみると、あの石は二つに砕け、堂の有様は、まったく竜が天にのぼったかのようであった。
そのため、村では奇妙なこともあるらしいと話しをした。そして、その折に、あの石を焼いてしまうべきといった者の家は、恐ろしいことに、こなごなに壊されていたと、ある人が語った。
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(参考)
「忍石(しのぶいし)」も、装飾的意味合いでよく見かける。まるで植物の葉の並びを石灰表面に描いたようだ。
2015年5月17日日曜日
今年の梅雨は 2015
このところの天候で、<台風>の早い到来ばかり目に付く。私にとって、通年では更に二つ苦手なものがある。<冬の寒さ>と<梅雨の湿気>だ。冬の寒さにはストーブやエアコンで温まり、梅雨の湿気には除湿機を総動員する。だが、台風には打つ手はない。
(本ブログ関連:”梅雨”)
今年も<梅雨>が確実にやって来るが、去年と比べて少々出遅れているらしい。気象庁の「平成27年の梅雨入り(速報値)」は、各地域ごとの過去の梅雨入り時期(平年と昨年)について、次のように掲載している。今日現在、沖縄、奄美が未だ梅雨入りしておらず、もしかすると、九州と逆転するかもしれないという話しがあるようだが・・・どうなるだろうか。
地方 平年 昨年
-----------------------------
沖縄 5月 9日頃 5月5日頃
奄美 5月11日頃 5月5日頃
九州南部 5月31日頃 6月2日頃
九州北部 6月 5日頃 6月2日頃
四国 6月 5日頃 6月2日頃
中国 6月 7日頃 6月2日頃
近畿 6月 7日頃 6月3日頃
東海 6月 8日頃 6月4日頃
関東甲信 6月 8日頃 6月5日頃
北陸 6月12日頃 6月5日頃
東北南部 6月12日頃 6月5日頃
東北北部 6月14日頃 6月6日頃
-----------------------------
(北海道がないのは、同地に梅雨がないため)
実は、空模様が気掛かりだ。来週の日曜日(24日)に、長野県にある鉱山へ行きたいと思っている。今のところ天候予測は曇りとのこと。その数日前は、ずっと晴れ・曇りが続いているので、無事に実施できそうだ。
それに、今年も恒例の「第28回 東京国際ミネラルフェア」(6/5~6/9、新宿)が開催される。こちらは、雨に関係ないので、心配なく覗いて見たいと思っている。
(本ブログ関連:”梅雨”)
今年も<梅雨>が確実にやって来るが、去年と比べて少々出遅れているらしい。気象庁の「平成27年の梅雨入り(速報値)」は、各地域ごとの過去の梅雨入り時期(平年と昨年)について、次のように掲載している。今日現在、沖縄、奄美が未だ梅雨入りしておらず、もしかすると、九州と逆転するかもしれないという話しがあるようだが・・・どうなるだろうか。
地方 平年 昨年
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沖縄 5月 9日頃 5月5日頃
奄美 5月11日頃 5月5日頃
九州南部 5月31日頃 6月2日頃
九州北部 6月 5日頃 6月2日頃
四国 6月 5日頃 6月2日頃
中国 6月 7日頃 6月2日頃
近畿 6月 7日頃 6月3日頃
東海 6月 8日頃 6月4日頃
関東甲信 6月 8日頃 6月5日頃
北陸 6月12日頃 6月5日頃
東北南部 6月12日頃 6月5日頃
東北北部 6月14日頃 6月6日頃
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(北海道がないのは、同地に梅雨がないため)
実は、空模様が気掛かりだ。来週の日曜日(24日)に、長野県にある鉱山へ行きたいと思っている。今のところ天候予測は曇りとのこと。その数日前は、ずっと晴れ・曇りが続いているので、無事に実施できそうだ。
それに、今年も恒例の「第28回 東京国際ミネラルフェア」(6/5~6/9、新宿)が開催される。こちらは、雨に関係ないので、心配なく覗いて見たいと思っている。
2015年5月16日土曜日
イ・ソンヒの「愛しただけなのに」
イ・ソンヒのアルバム10集 「First Love」 (1996年:歌詞)は、彼女がシンガーソングライターに変身したといわれるアルバムである(ほぼ全て彼女の作詞・作曲したものだ)。
その中で、「愛しただけなのに(사랑했을 뿐인데)」は、彼女が歌まっしぐらに駆けてきた感があるので、結婚しているとはいえ、妙に大人っぽい感じがする。決してちぐはぐでないし、私の純粋培養のイメージから超えそうなものの、でも声質は変わらない。いたって健康である。その辺の微妙なバランスが楽しいのかもしれない。
(本ブログ関連:”愛しただけなのに”)
「愛しただけなのに」
手にできぬ、あなただから
この夜もっと、さびしい Uu... Uu...
お互いが、なぜ遠ざかるの
お互いは、こんなものだったの
その明かりのもとで、私にくれながら
私のすべて、みな持ってしまって UuuUu...
笑いもなく、終わりにしようって
私の弱い心に、メスを入れるのね
愛しただけなのに
一日も欠かさず、会いたいと
あなた一人だけ、信じて待って欲しいと
その明かりのもとで、私にくれながら
私のすべて、みな持ってしまって UuuUu...
笑いもなく、終わりにしようって
私の弱い心に、メスを入れるのね
愛しただけなのに
(Youtubeに登録のhirekatu3に感謝)
その中で、「愛しただけなのに(사랑했을 뿐인데)」は、彼女が歌まっしぐらに駆けてきた感があるので、結婚しているとはいえ、妙に大人っぽい感じがする。決してちぐはぐでないし、私の純粋培養のイメージから超えそうなものの、でも声質は変わらない。いたって健康である。その辺の微妙なバランスが楽しいのかもしれない。
(本ブログ関連:”愛しただけなのに”)
「愛しただけなのに」
手にできぬ、あなただから
この夜もっと、さびしい Uu... Uu...
お互いが、なぜ遠ざかるの
お互いは、こんなものだったの
その明かりのもとで、私にくれながら
私のすべて、みな持ってしまって UuuUu...
笑いもなく、終わりにしようって
私の弱い心に、メスを入れるのね
愛しただけなのに
一日も欠かさず、会いたいと
あなた一人だけ、信じて待って欲しいと
その明かりのもとで、私にくれながら
私のすべて、みな持ってしまって UuuUu...
笑いもなく、終わりにしようって
私の弱い心に、メスを入れるのね
愛しただけなのに
(Youtubeに登録のhirekatu3に感謝)
2015年5月15日金曜日
(雑談) いつの間にか自分のものとしていること
生命って何?
水平的なダイナミクスでいえば、自己複製できるものだろう。更にいえば、生命体である自身と、外部(<自然<環境)との間で、物質・エネルギー的な出入り(調整・平衡)することだろう。内部に恒常性を持っているともいえる。
時間的なダイナミクスでいえば、進化である。
進化は偶然の産物といわれる。ただし、どうやら進化の枝分かれは、それを単純に繰り返すだけでなくて、ときとして、進化の枝が絡み合うこともあったようだ。
細胞の中でエネルギー発生に有効な器官ミトコンドリアは、外部から細胞に混入したもののようだ。それが、ごく自然に(重要な役割を持って)共存していることになる。
先日、NHKのドキュメンタリー番組「生命大躍進」で、動物の「目」の誕生が紹介された。その起源は、植物性の光反応を担う細胞がプランクトンによって、クラゲに取り込まれたことに始まるそうだ。無脊椎動物(節足動物)の複眼へ、脊椎動物のカメラ眼へと進化したというのだ。
細胞内レベルの器官として、あるいは体レベルの器官として、いつの間にか自分のものとしているが、気付いてないものが、まだまだ他にあるかもしれない。
考えてみれば、人間の思考もそうかもしれない。進歩につながるものならいいのだが。
水平的なダイナミクスでいえば、自己複製できるものだろう。更にいえば、生命体である自身と、外部(<自然<環境)との間で、物質・エネルギー的な出入り(調整・平衡)することだろう。内部に恒常性を持っているともいえる。
時間的なダイナミクスでいえば、進化である。
進化は偶然の産物といわれる。ただし、どうやら進化の枝分かれは、それを単純に繰り返すだけでなくて、ときとして、進化の枝が絡み合うこともあったようだ。
細胞の中でエネルギー発生に有効な器官ミトコンドリアは、外部から細胞に混入したもののようだ。それが、ごく自然に(重要な役割を持って)共存していることになる。
先日、NHKのドキュメンタリー番組「生命大躍進」で、動物の「目」の誕生が紹介された。その起源は、植物性の光反応を担う細胞がプランクトンによって、クラゲに取り込まれたことに始まるそうだ。無脊椎動物(節足動物)の複眼へ、脊椎動物のカメラ眼へと進化したというのだ。
細胞内レベルの器官として、あるいは体レベルの器官として、いつの間にか自分のものとしているが、気付いてないものが、まだまだ他にあるかもしれない。
考えてみれば、人間の思考もそうかもしれない。進歩につながるものならいいのだが。
2015年5月14日木曜日
「バナナブラン」
今日も、スーパーの棚にバナナ味の菓子を見つけた。
主婦向け菓子の王者(と私は思っている)ブルボン社の「Banana Blanche バナナブラン」だ。主婦向けの特徴(と私は思っている)は、コストパフォーマンス(総量/価格)が良く、一品は小さ目のサイズで食べやすく、甘味がほどほどなことだろう。
菓子箱に「キャラメル香るふんわりケーキ」と記載され、成分表示として、バナナ香料、キャラメル香料、洋酒使用アルコール分1.1%とある。食べれば、口中にバナナの香りが広がるが、(バナナ果汁成分の表示ががないので)バナナ・アレルギー気味の私の喉に、イガイガ感が残らない・・・良いことだが、ちょっとさびしいような。
主婦向け菓子は、<お話し>しながら食べるという間合いがあるから、ゆっくり口に進むだろう。そういえば、菓子皿にはいろいろ菓子を盛り合わせるようだ。
バナナ味の巡礼はまだまだ続くよ。
(本ブログ関連:"バナナ")
主婦向け菓子の王者(と私は思っている)ブルボン社の「Banana Blanche バナナブラン」だ。主婦向けの特徴(と私は思っている)は、コストパフォーマンス(総量/価格)が良く、一品は小さ目のサイズで食べやすく、甘味がほどほどなことだろう。
菓子箱に「キャラメル香るふんわりケーキ」と記載され、成分表示として、バナナ香料、キャラメル香料、洋酒使用アルコール分1.1%とある。食べれば、口中にバナナの香りが広がるが、(バナナ果汁成分の表示ががないので)バナナ・アレルギー気味の私の喉に、イガイガ感が残らない・・・良いことだが、ちょっとさびしいような。
主婦向け菓子は、<お話し>しながら食べるという間合いがあるから、ゆっくり口に進むだろう。そういえば、菓子皿にはいろいろ菓子を盛り合わせるようだ。
バナナ味の巡礼はまだまだ続くよ。
(本ブログ関連:"バナナ")
KBS WORLD「国楽の世界へ」 父母の日
KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(5/6)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、「父の日・母の日」(5月8日)に関連する3曲を紹介した。
始めに、「父の日・母の日」と親に報いる労働歌「相杵歌(상저가)」について次のように紹介された。
・一生懸命努力したつもりでも、悔いが残ることがある。特に、家族、中でも両親にであれば、その悔いは一生残る。両親のいる内に孝行せよというのもそのためだ。5月8日は「父の日・母の日」だ。父母別々でなく一緒に感謝する。
・高麗時代に、臼で穀物をつく労働歌「相杵歌」(≒朝鮮初期楽譜:韓国民族文化大百科事典)がある。<がたんとうるさい臼でも、穀物をつくことができるから幸いである。まずは両親に食膳を整え、残りのものを自分が食べよう>という内容だ。白米でなくても食べられる幸せという歌詞もある。この曲はリズムは失われ、歌詞だけが伝わっている。
▼ 「相杵歌」にリズムをつけた<創作曲>「新・相杵歌」を聴く。心情に響かせる、今様の国楽である。
・昔は食事のたび、臼で穀物をついて支度した。毎回米を食べたわけでない。庶民は、特別な正月や両親の誕生日などに白米を食べた。普段は麦や粟のような穀物を食べた。白米でなくても、親のために幸せな気持ちで食事の支度をしたという、親を想う歌だ。
次に、母を想う歌「思母曲(사모곡)」について次のように紹介された。
・高麗時代、母を想う歌「思母曲」がある。農作業に使う鎌と鍬(くわ)を親に例えている。鍬も必要だが、鎌にはかなわない。つまり、父の愛も大きいが、母の愛ははるかに大きいという意だ。
▼ 朝鮮初期に記録された歌詞に、昔のリズムを最近<復元>した「思母曲」を聴く。厳かな曲調、今様である。
最後に、「父の日・母の日」成立の背景と、「父の歌(아버지의 노래)」について次のように紹介された。
・(「思母曲」は)母の愛が大きいと歌うが、韓国のしきたりとも関連がある。5月8日の「父の日・母の日」は、1956年に制定され、「母の日」であった。当時。父を上長と特にもてなしたので、母は比較的おろそかになっていた。この日だけでも、母に親孝行する意があり、母の日として始まったが、今では「父の日・母の日」になった。最近、父子の触れ合いが減り、寂しい想いをすることも多いようだ。
・父を想う歌もある。<一生涯、無口だった父>と始まる。悲しいときも嬉しいときも無口であった・・・。
▼ 「父の歌」を聴く。母親の姿は前から見て、父親の姿は後ろから見る・・・そんなためを息をしてしまいそう、今様である。
始めに、「父の日・母の日」と親に報いる労働歌「相杵歌(상저가)」について次のように紹介された。
・一生懸命努力したつもりでも、悔いが残ることがある。特に、家族、中でも両親にであれば、その悔いは一生残る。両親のいる内に孝行せよというのもそのためだ。5月8日は「父の日・母の日」だ。父母別々でなく一緒に感謝する。
・高麗時代に、臼で穀物をつく労働歌「相杵歌」(≒朝鮮初期楽譜:韓国民族文化大百科事典)がある。<がたんとうるさい臼でも、穀物をつくことができるから幸いである。まずは両親に食膳を整え、残りのものを自分が食べよう>という内容だ。白米でなくても食べられる幸せという歌詞もある。この曲はリズムは失われ、歌詞だけが伝わっている。
▼ 「相杵歌」にリズムをつけた<創作曲>「新・相杵歌」を聴く。心情に響かせる、今様の国楽である。
・昔は食事のたび、臼で穀物をついて支度した。毎回米を食べたわけでない。庶民は、特別な正月や両親の誕生日などに白米を食べた。普段は麦や粟のような穀物を食べた。白米でなくても、親のために幸せな気持ちで食事の支度をしたという、親を想う歌だ。
次に、母を想う歌「思母曲(사모곡)」について次のように紹介された。
・高麗時代、母を想う歌「思母曲」がある。農作業に使う鎌と鍬(くわ)を親に例えている。鍬も必要だが、鎌にはかなわない。つまり、父の愛も大きいが、母の愛ははるかに大きいという意だ。
▼ 朝鮮初期に記録された歌詞に、昔のリズムを最近<復元>した「思母曲」を聴く。厳かな曲調、今様である。
最後に、「父の日・母の日」成立の背景と、「父の歌(아버지의 노래)」について次のように紹介された。
・(「思母曲」は)母の愛が大きいと歌うが、韓国のしきたりとも関連がある。5月8日の「父の日・母の日」は、1956年に制定され、「母の日」であった。当時。父を上長と特にもてなしたので、母は比較的おろそかになっていた。この日だけでも、母に親孝行する意があり、母の日として始まったが、今では「父の日・母の日」になった。最近、父子の触れ合いが減り、寂しい想いをすることも多いようだ。
・父を想う歌もある。<一生涯、無口だった父>と始まる。悲しいときも嬉しいときも無口であった・・・。
▼ 「父の歌」を聴く。母親の姿は前から見て、父親の姿は後ろから見る・・・そんなためを息をしてしまいそう、今様である。
2015年5月13日水曜日
イ・ソンヒの「五月の陽射し」
昨晩の台風(6号)は、今日の日付に変わる頃に、すっかり凪いだ感じだった。転寝して気付いたときには治まっていたという、少々気抜けしたものだったが、大事にいたらず幸いだった。
ところが、今朝のニュースで知ったことだが、早朝、宮城県沖を震源とする地震(M6.8)が発生したという。岩手県花巻市で、震度5強だったという。自然は少しも油断できない。
そんな朝、台風一過の晴れやかな空が広がっていた。まさに五月の陽射しだ。
イ・ソンヒには、5集に収録した「五月の陽射し(오월의 햇살)」(1989年)があるが、1990年にモントリオール室内オーケストラと協演した公演実況版アルバムがある。(この協演版は、「『なぜ私だけ(왜 나만)』など新曲が収録され、会場の(イ・ソンヒの語り)コメントを余すところなく、そのままに盛り込んで、臨場感を生々しく生かしたのが特色である」とのこと・・・公式ホームページ)
協演ステージの、彼女の初々しい様子を(コメント省略だが)Youtubeで見ることができる。
(本ブログ関連:”モントリオール室内オーケストラ”)
この「五月の陽射し」には、さまざまな思いが込められているという。
(本ブログ関連:”五月の陽射し”)
(Youtubeに登録のKoreanMusicSubsに感謝)
ところが、今朝のニュースで知ったことだが、早朝、宮城県沖を震源とする地震(M6.8)が発生したという。岩手県花巻市で、震度5強だったという。自然は少しも油断できない。
そんな朝、台風一過の晴れやかな空が広がっていた。まさに五月の陽射しだ。
イ・ソンヒには、5集に収録した「五月の陽射し(오월의 햇살)」(1989年)があるが、1990年にモントリオール室内オーケストラと協演した公演実況版アルバムがある。(この協演版は、「『なぜ私だけ(왜 나만)』など新曲が収録され、会場の(イ・ソンヒの語り)コメントを余すところなく、そのままに盛り込んで、臨場感を生々しく生かしたのが特色である」とのこと・・・公式ホームページ)
協演ステージの、彼女の初々しい様子を(コメント省略だが)Youtubeで見ることができる。
(本ブログ関連:”モントリオール室内オーケストラ”)
この「五月の陽射し」には、さまざまな思いが込められているという。
(本ブログ関連:”五月の陽射し”)
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2015年5月12日火曜日
5月の台風6号 (2015)
2009年以来、このブログに台風について記述した最も早い時期は、2011年5月(台風2号)だ。それ以降、またしても5月のこの時期に台風到来、それも台風6号という。温暖化だからだろうか、台風発生が矢継ぎ早のようだ。
市役所から、台風6号について注意喚起メールが届いた。また、ネットのWeathernewsによれば、(地元Pinpoint地区について)「今夜は雨風がだんだん強まり、夜遅くがピークに。道路冠水や交通の乱れの可能性があるため、早めの帰宅をおすすめします」とのこと。
夕方過ぎ、灰色の雲が重くかぶさるようで、台風の迫り来る緊迫感がある。風はときたま、かすめるように吹くだけで、台風前の静けさといったところだ。とはいえ、夜分に厳しさが予想されるため、今晩予定の教室が休講となった。強風と土砂降りの帰り道ではかなわないからだ。
突然の地震も恐ろしいが、今来るとばかり待ちかまえる台風も嫌なものだ。でもこう考えることがある。私たちの祖先は、自然の変化と襲来を経験することで、より逞しく賢くなったのではないかと。遠く昔の遺伝子が、欠けることなく継承されてきたことに感謝しつつ思う。
市役所から、台風6号について注意喚起メールが届いた。また、ネットのWeathernewsによれば、(地元Pinpoint地区について)「今夜は雨風がだんだん強まり、夜遅くがピークに。道路冠水や交通の乱れの可能性があるため、早めの帰宅をおすすめします」とのこと。
夕方過ぎ、灰色の雲が重くかぶさるようで、台風の迫り来る緊迫感がある。風はときたま、かすめるように吹くだけで、台風前の静けさといったところだ。とはいえ、夜分に厳しさが予想されるため、今晩予定の教室が休講となった。強風と土砂降りの帰り道ではかなわないからだ。
突然の地震も恐ろしいが、今来るとばかり待ちかまえる台風も嫌なものだ。でもこう考えることがある。私たちの祖先は、自然の変化と襲来を経験することで、より逞しく賢くなったのではないかと。遠く昔の遺伝子が、欠けることなく継承されてきたことに感謝しつつ思う。
2015年5月11日月曜日
過ぎし日の思い出
なんともセンチメンタルな、メアリー・マックレガー(Mary Macgregor、1948年5月6日~)が歌った、1976年リリースした「Torn Between Two Lovers」(日本盤「過ぎし日の思い出」)という、3角関係に陥った女性の心を歌ったものがある。
この辺の女性心理を分析したいが、口先が寒いので・・・ そういえば、女性タレントが言っていた。女性の記憶は、「オーバーライド」だそうだ。その点、男は、「デリート」といいながら、多分、外付けHDDに「リムーブ」しているのだろう・・・男はそんなもんだ。
穏やかな陽射しを感じさせる、甘い旋律である。なぜか浮かんだのが、BS番組「小さな村の物語イタリア」のオープン・エンドに流れる「L'Appuntamento(逢引き)」(Ornella Vanoni)で、少し酔った気分にさせる、ついつい聞き入ってしまう曲だ。
メアリー・マックレガーは、映画版「銀河鉄道999」(1979年)のエンディングテーマ曲「SAYONARA」を歌ったそうだ。(他に「Love Light」)・・・マニアックでないので未見であるが。
(Youtubeに登録のClasicos de la Discoに感謝)
この辺の女性心理を分析したいが、口先が寒いので・・・ そういえば、女性タレントが言っていた。女性の記憶は、「オーバーライド」だそうだ。その点、男は、「デリート」といいながら、多分、外付けHDDに「リムーブ」しているのだろう・・・男はそんなもんだ。
穏やかな陽射しを感じさせる、甘い旋律である。なぜか浮かんだのが、BS番組「小さな村の物語イタリア」のオープン・エンドに流れる「L'Appuntamento(逢引き)」(Ornella Vanoni)で、少し酔った気分にさせる、ついつい聞き入ってしまう曲だ。
メアリー・マックレガーは、映画版「銀河鉄道999」(1979年)のエンディングテーマ曲「SAYONARA」を歌ったそうだ。(他に「Love Light」)・・・マニアックでないので未見であるが。
(Youtubeに登録のClasicos de la Discoに感謝)
2015年5月10日日曜日
母の日2015
母について語られたものを、このブログで触れたのは次の通り。
・イ・ソンヒ : 「走れハニー」、「母をたずねて三千里」、イ・ソンヒのエピソード、イ・ソンヒの生誕
・アソール : 「Mama」 ⇒ Youtube(<もっと見る>に英語訳歌詞あり)
・エセーニン : 「母への手紙」 ⇒ Youtube(<もっと見る>に英語訳歌詞あり)
・申京淑 : 「母をお願い」
昼下がり、近所の幼稚園から母子が一緒に帰るのを目にすることがある。そんなとき、つくづく感じるのは、わが子と対等に会話している母親の姿だ。幼い子と一体感が強いとばかり思っていただけに、ちょっと不思議な気がした。そこに、子の成長を見守る母親がいたし、家族が出来上がりつつあるようにも見えた。多分、子育てしながら母親も成長していくのだろう。・・・優しきお母さん方に思うこと。
それにしても、父親はそんな母子のゆったりとした慈愛に満ちた変化に気付いているのだろうか。
・イ・ソンヒ : 「走れハニー」、「母をたずねて三千里」、イ・ソンヒのエピソード、イ・ソンヒの生誕
・アソール : 「Mama」 ⇒ Youtube(<もっと見る>に英語訳歌詞あり)
・エセーニン : 「母への手紙」 ⇒ Youtube(<もっと見る>に英語訳歌詞あり)
・申京淑 : 「母をお願い」
昼下がり、近所の幼稚園から母子が一緒に帰るのを目にすることがある。そんなとき、つくづく感じるのは、わが子と対等に会話している母親の姿だ。幼い子と一体感が強いとばかり思っていただけに、ちょっと不思議な気がした。そこに、子の成長を見守る母親がいたし、家族が出来上がりつつあるようにも見えた。多分、子育てしながら母親も成長していくのだろう。・・・優しきお母さん方に思うこと。
それにしても、父親はそんな母子のゆったりとした慈愛に満ちた変化に気付いているのだろうか。
2015年5月9日土曜日
イ・ソンヒの「お姉ちゃん」
イ・ソンヒの5集(1989年)は、ある意味若さの瞬発といったスタイルと違って、今になおつながる豊かさを持っているように思う。「私の街」、「五月の陽差し」、「ひとしきり笑いで」、「貴方よ」、「水仙」、「冬哀傷」、「花火のように」、「海になって」、「お姉ちゃん」、「心のように、貴方のそばに」が並ぶ珠玉集だ。
童謡のような響きで、遠くへ行った姉を懐かしむ、幼い妹の歌「お姉ちゃん(누나야)」は、聴くものの心を澄ますようだ。童謡の「兄を思うと(오빠생각)」とか「愛しい(私の)妹」(보고픈 내 누이)」に通じる、兄弟姉妹の切ない思慕や情愛が感じられる美しい曲だ。
(本ブログ関連:”お姉ちゃん”)
5集について音楽評論は、この「お姉ちゃん」に視点をあてながら、次のように語っている。
Mnetのアーティスト・レビューは、イ・ソンヒのアルバム4集から6集について、次のような紹介をしている。
------------------------------------------
・イ・ソンヒの音楽に変化が起き始めたのは4集アルバムからだった。「愛が散るこの場所」・「私はいつもあなたを」(1988)、「私の街」・「五月の陽射し」(1989)、「なぜ私だけ」・「思い出のページをめくれば」(1990)に続く4、5、6集は、全て大衆的に良い反応を得たが、以前と同じ程ではなかった。
だが、作曲家ソン・シヒョンに出会い、歌詞とメロディでずっと叙情性を追求し、一層成熟した音楽への意欲を見せる。当時のヒット曲である「愛が散るこの場所」、「ひとしきり笑いで」、「私の街」、「思い出のページをめくれば」などは、そういったスタイルを反映する。
------------------------------------------
イ・ソンヒの「4集+5集(All That Masterpiece)」(24bit-remastering版)について、チョン・イルソ(정일서)KBSラジオPDは、アルバム紹介を次のように記している。
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・5集は・・・、グループ「山びこ(산울림)」のキム・チャンワン(김창완)が作詞、作曲した二曲が収録されていて目を引くだけでなく、同年イム・ジフン(임지훈)によっても歌われた「お姉ちゃん(누나야)」と、ハミングとナレーションが続く独特の雰囲気の曲「水仙(수선화)」がそれで、キム・チャンワン特有の歌詞とイ・ソンヒのしなやかでしっかりした声が調和する「水仙」は多少実験的な曲だ。
・ソン・シヒョンは、4集に続き5集でも中枢的な役割をしている。アルバムの代表曲の「ひとしきり笑いで」と「冬哀傷」は、まさに彼が作った曲だ。
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童謡のような響きで、遠くへ行った姉を懐かしむ、幼い妹の歌「お姉ちゃん(누나야)」は、聴くものの心を澄ますようだ。童謡の「兄を思うと(오빠생각)」とか「愛しい(私の)妹」(보고픈 내 누이)」に通じる、兄弟姉妹の切ない思慕や情愛が感じられる美しい曲だ。
(本ブログ関連:”お姉ちゃん”)
5集について音楽評論は、この「お姉ちゃん」に視点をあてながら、次のように語っている。
Mnetのアーティスト・レビューは、イ・ソンヒのアルバム4集から6集について、次のような紹介をしている。
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・イ・ソンヒの音楽に変化が起き始めたのは4集アルバムからだった。「愛が散るこの場所」・「私はいつもあなたを」(1988)、「私の街」・「五月の陽射し」(1989)、「なぜ私だけ」・「思い出のページをめくれば」(1990)に続く4、5、6集は、全て大衆的に良い反応を得たが、以前と同じ程ではなかった。
だが、作曲家ソン・シヒョンに出会い、歌詞とメロディでずっと叙情性を追求し、一層成熟した音楽への意欲を見せる。当時のヒット曲である「愛が散るこの場所」、「ひとしきり笑いで」、「私の街」、「思い出のページをめくれば」などは、そういったスタイルを反映する。
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イ・ソンヒの「4集+5集(All That Masterpiece)」(24bit-remastering版)について、チョン・イルソ(정일서)KBSラジオPDは、アルバム紹介を次のように記している。
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・5集は・・・、グループ「山びこ(산울림)」のキム・チャンワン(김창완)が作詞、作曲した二曲が収録されていて目を引くだけでなく、同年イム・ジフン(임지훈)によっても歌われた「お姉ちゃん(누나야)」と、ハミングとナレーションが続く独特の雰囲気の曲「水仙(수선화)」がそれで、キム・チャンワン特有の歌詞とイ・ソンヒのしなやかでしっかりした声が調和する「水仙」は多少実験的な曲だ。
・ソン・シヒョンは、4集に続き5集でも中枢的な役割をしている。アルバムの代表曲の「ひとしきり笑いで」と「冬哀傷」は、まさに彼が作った曲だ。
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2015年5月8日金曜日
KBS WORLD「国楽の世界へ」 申潤福
KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(4/29)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、朝鮮後期の有名な画家、申潤福(신윤복, 1758年~没年不明)に関連する3曲を紹介した。
(本ブログ関連:”申潤福”、”金弘道”)
始めに、画家金弘道(김홍도、1745年~1806年)と、申潤福の「蓮池の女人(연당의 여인)」図について次のように紹介された。
・天才画家といわれた金弘道は、主に庶民の生活を描いた。一方、申潤福は、上流階層の風流や男女の愛情を素材にした作品が多く、妓女がよく登場する。金弘道と比べて、華やかな色彩を使っている。
・申潤福の「蓮池の女人」図は、庭池に蓮の花が咲き、一人の女がそれを見つめ、長いキセルと楽器の「笙簧(センファン、생황)」を持って座っている。もと妓女の様だが、歳をとり引退して、過ぎし歳月を深く思うさまを描いている。
▼ 笙簧演奏で「足跡(발자욱)」を聴く。心にこしかたをたどるような風情する・・・今様である。
・笙簧は、羽をたたんでいる鳳凰の姿に、その音色は鳳凰の鳴き声に例えられ、鳳凰の音ともいう。金弘道は笙簧を神仙と一緒に描いたが、申潤福は妓女が演奏する楽器として描いた。
次に、作品「舟遊清江(주유청강)」、「賞春野興(상춘야흥)」図について次のように紹介された。
・川に船を浮かべ風流を楽しむ「舟遊清江」図も同じだ。妓女が笙簧を奏し、男は横笛「大笒(대금)」を吹いている。
・花が綺麗に咲く春の庭園で風流を楽しむ様を描いた「賞春野興」図がある。身分あるらしい二人の男が主人公で、丘上で自分の敷物に座り、その間に妓女が二人、向かい側に玄琴(コムンゴ、거문고)、大笒、奚琴(ヘグム、해금)など奏する者がいる。演奏が素晴らしいからか、独奏の場面だったからか、人々は玄琴の方を見ている。演奏が終わると、二人は詩作したり、絵を描き、この日を記録しただろう。
▼ 玄琴の音を繰り返し奏する意の演奏「両清還入(양청도드리)」を聴く。千年万歳、素朴で舞踏的な香りする。
最後に、「雙劍對舞(쌍검대무)」図について次のように紹介された。
・申潤福は、身分の高くない両斑や妓女などに注目して多く描いた。それらには、愛情がこもっている。印象深い作品に「雙劍對舞」図があげられる。向かい合う二人の踊り子が、長い剣を持って踊る。見物するソンビや妓女、そして演奏する者の姿もあり、派手な服装の踊り子が印象的だ。・・・短い剣を持ち活き活きとしているとのこと。
▼ 竹管楽器を中心に奏する風流の意の「竹風流(대풍류)」を聴く。踊り子の姿をとのこと・・・こちらは洗練された響きだ。
(本ブログ関連:”申潤福”、”金弘道”)
始めに、画家金弘道(김홍도、1745年~1806年)と、申潤福の「蓮池の女人(연당의 여인)」図について次のように紹介された。
・天才画家といわれた金弘道は、主に庶民の生活を描いた。一方、申潤福は、上流階層の風流や男女の愛情を素材にした作品が多く、妓女がよく登場する。金弘道と比べて、華やかな色彩を使っている。
・申潤福の「蓮池の女人」図は、庭池に蓮の花が咲き、一人の女がそれを見つめ、長いキセルと楽器の「笙簧(センファン、생황)」を持って座っている。もと妓女の様だが、歳をとり引退して、過ぎし歳月を深く思うさまを描いている。
▼ 笙簧演奏で「足跡(발자욱)」を聴く。心にこしかたをたどるような風情する・・・今様である。
・笙簧は、羽をたたんでいる鳳凰の姿に、その音色は鳳凰の鳴き声に例えられ、鳳凰の音ともいう。金弘道は笙簧を神仙と一緒に描いたが、申潤福は妓女が演奏する楽器として描いた。
次に、作品「舟遊清江(주유청강)」、「賞春野興(상춘야흥)」図について次のように紹介された。
・川に船を浮かべ風流を楽しむ「舟遊清江」図も同じだ。妓女が笙簧を奏し、男は横笛「大笒(대금)」を吹いている。
・花が綺麗に咲く春の庭園で風流を楽しむ様を描いた「賞春野興」図がある。身分あるらしい二人の男が主人公で、丘上で自分の敷物に座り、その間に妓女が二人、向かい側に玄琴(コムンゴ、거문고)、大笒、奚琴(ヘグム、해금)など奏する者がいる。演奏が素晴らしいからか、独奏の場面だったからか、人々は玄琴の方を見ている。演奏が終わると、二人は詩作したり、絵を描き、この日を記録しただろう。
▼ 玄琴の音を繰り返し奏する意の演奏「両清還入(양청도드리)」を聴く。千年万歳、素朴で舞踏的な香りする。
最後に、「雙劍對舞(쌍검대무)」図について次のように紹介された。
・申潤福は、身分の高くない両斑や妓女などに注目して多く描いた。それらには、愛情がこもっている。印象深い作品に「雙劍對舞」図があげられる。向かい合う二人の踊り子が、長い剣を持って踊る。見物するソンビや妓女、そして演奏する者の姿もあり、派手な服装の踊り子が印象的だ。・・・短い剣を持ち活き活きとしているとのこと。
▼ 竹管楽器を中心に奏する風流の意の「竹風流(대풍류)」を聴く。踊り子の姿をとのこと・・・こちらは洗練された響きだ。
2015年5月7日木曜日
(雑談)アリについて聞きかじり
連休中のテレビ番組(複数)で、昆虫の「アリ(蟻)」の話題があり、素人の聞きかじりだが、次のような面白い話があった。ただし、話者や番組名はうろ覚えではっきりしない。ご勘弁。
(本ブログ関連:”蟻”)
・アリは、固体一匹一匹について、単純な行動をしている。(それらが集合して社会性を持つ)
・アリは、複数の目的地をつなぐ経路について、最短経路をとる能力がある。(=粘菌にも同様な話しがある)
・アリは、縦列を組みながら進むが渋滞しないのは、互いに適切な距離を設けているから。
それから、こんな話題(番組)もあった。シンプルなルールに基づいた結果、複雑なように見えるというのは楽しい。動物の体の模様について、小さな点を単純なルールで配置すると、様々な形になるというのだ。(チューリング・パターンというそうだ・・・「動物の皮膚模様形成原理」(大阪大学 近藤滋教授))
(追記)
フィボナッチ数という並び方で、自然の連鎖を説明できる・・・全てに語っているのではないだろうけれど、命が数字に置き換えられるような気がして何だか変な気分がする。
昔は、細胞一個を見ても器官は見えないという話しがあったけれど、分化の研究から細胞をつなぐ糊の話しが出てきたし、それだけじゃない、iPS細胞が器官に直結するという話しにまでなった。
(本ブログ関連:”蟻”)
・アリは、固体一匹一匹について、単純な行動をしている。(それらが集合して社会性を持つ)
・アリは、複数の目的地をつなぐ経路について、最短経路をとる能力がある。(=粘菌にも同様な話しがある)
・アリは、縦列を組みながら進むが渋滞しないのは、互いに適切な距離を設けているから。
それから、こんな話題(番組)もあった。シンプルなルールに基づいた結果、複雑なように見えるというのは楽しい。動物の体の模様について、小さな点を単純なルールで配置すると、様々な形になるというのだ。(チューリング・パターンというそうだ・・・「動物の皮膚模様形成原理」(大阪大学 近藤滋教授))
(追記)
フィボナッチ数という並び方で、自然の連鎖を説明できる・・・全てに語っているのではないだろうけれど、命が数字に置き換えられるような気がして何だか変な気分がする。
昔は、細胞一個を見ても器官は見えないという話しがあったけれど、分化の研究から細胞をつなぐ糊の話しが出てきたし、それだけじゃない、iPS細胞が器官に直結するという話しにまでなった。
2015年5月6日水曜日
立夏2015
ひと月に2つの節気が巡って3ヶ月、春も終わり、いよよ夏来たる。二十四節気の「立夏」の今日も、晴れた空に緑がまぶしい。
(本ブログ関連:”立夏”)
5月の連休も今日でおしまい。でも、地元図書館のスタディー・ルームは満員だった。若者たちはしっかりと学ぶべきものを持ち、目標に向かっているようだ。この休日を、きっと充実させたことだろう。
おじさんときたら、長袖シャツもさすがに暑苦しくて、ようやく衣替えの踏ん切りがついたところ。そういえば、街の衣料品店の棚はとっくに夏に衣替えしているのに気付く。
夏は来ぬ、夕方に風が止んで、昼間を思い返して思うこと。唱歌「夏は来ぬ」(作詞佐佐木信綱、作曲小山作之助、1896年)を聞けば、心も身も初夏の佇まいしてくる。(台湾は、すでに梅雨入りしたという)
(Youtubeに登録のsuginami384に感謝)
(本ブログ関連:”立夏”)
5月の連休も今日でおしまい。でも、地元図書館のスタディー・ルームは満員だった。若者たちはしっかりと学ぶべきものを持ち、目標に向かっているようだ。この休日を、きっと充実させたことだろう。
おじさんときたら、長袖シャツもさすがに暑苦しくて、ようやく衣替えの踏ん切りがついたところ。そういえば、街の衣料品店の棚はとっくに夏に衣替えしているのに気付く。
夏は来ぬ、夕方に風が止んで、昼間を思い返して思うこと。唱歌「夏は来ぬ」(作詞佐佐木信綱、作曲小山作之助、1896年)を聞けば、心も身も初夏の佇まいしてくる。(台湾は、すでに梅雨入りしたという)
(Youtubeに登録のsuginami384に感謝)
2015年5月5日火曜日
子どもの日 2015
5月の陽射しは深くて、通り道の垣根の若葉をきらきらと輝かす。まさに新緑の初夏といえる。
連休の終わりが迫ったためか、昼下がりの街は静かだった。散歩の耳をかすめる、小さな風音が気になる程度だ。子どもたちのいる近所の家々は、ガレージに車をとめている。不思議なほどに物音のない休日だ。ゴールデンウィークの家族サービスも一段落したのだろう。(街の本屋巡りをしたが、そそるものは見つからず)
でも、公園広場に行けば、子どもたちが思いっきり大声を出して走り回っている姿を見ることができただろう。今日という日は、それを見なけりゃ過ごしたことにならぬのに、散歩途中で引き返したことが悔やまれる。
明日は、振替休暇(=憲法記念日の5/3が日曜日だったため)だ。終われば日常に戻る。きっと、翌日からを気がかりな親と、連休遊びを消化し切れない子どもたちが、家の中にいることになる。親は英気養い。子は不燃焼か。
(付記)
陽射しの良いこんな日こそ、イ・ソンヒの「五月の陽射し」を聴きたい。でも、今聴くには美味し過ぎるので、もうちょっと後日にしよう。
連休の終わりが迫ったためか、昼下がりの街は静かだった。散歩の耳をかすめる、小さな風音が気になる程度だ。子どもたちのいる近所の家々は、ガレージに車をとめている。不思議なほどに物音のない休日だ。ゴールデンウィークの家族サービスも一段落したのだろう。(街の本屋巡りをしたが、そそるものは見つからず)
でも、公園広場に行けば、子どもたちが思いっきり大声を出して走り回っている姿を見ることができただろう。今日という日は、それを見なけりゃ過ごしたことにならぬのに、散歩途中で引き返したことが悔やまれる。
明日は、振替休暇(=憲法記念日の5/3が日曜日だったため)だ。終われば日常に戻る。きっと、翌日からを気がかりな親と、連休遊びを消化し切れない子どもたちが、家の中にいることになる。親は英気養い。子は不燃焼か。
(付記)
陽射しの良いこんな日こそ、イ・ソンヒの「五月の陽射し」を聴きたい。でも、今聴くには美味し過ぎるので、もうちょっと後日にしよう。
2015年5月4日月曜日
ロコモ(みどりの日2015)
祝日「みどりの日」の今日、いつも通っている地元の体育施設で、特別な体操教室があって出かけた。コースは、「膝痛(しっつう)ロコモ」という、膝に負担のかからない運動だった。
夜道で転んで右膝を強打して以来、半年を過ぎたというに、90%の回復だ。今も、胡坐をかくのに不便を感じている。そこで、数あるコースの中から選んだ次第。丁寧に指導していただいたけれど、今回の運動メニューを今後も自宅でこなしてこそ意義があるのに・・・ひと頼みの性分ゆえ、先行きに自信ない粗忽さ。
ところで、コース名のロコモについて、最初に浮かんだのは、ハワイ料理の「ロコモコ」だった。運動しようというのに、初めに食い物とはあきれる・・・でも、ロコモコは、子どもが喜びそうな組み合わせ料理といったところか、うまそうだ。
本来、「ロコモ」の名は、「ロコモ対策」の運動のようだ。運動性(Locomotive)の低下、すなわち関節痛など含めて運動機能の不全(Locomotive syndrome)をさすようだ。私には、もっと気楽に、ロコモーションが連想されるけど。
ロックの原点をビートルズに宗旨替えした転向者が多くて、以前のものを忘れた風潮があるのは、おじさんにとって痛く残念である。子どものころ、よく聞こえた「ロコモーション」(1962年)は、いまの私と違ってまことに軽快な響きだった。いわゆる、第2世代の、三人娘の中で、控えめながら存在感のある伊東ゆかりがカバーした「ロコモーション」が懐かしい。
(Youtubeに登録の六三四Ⅲ 八野に感謝)
夜道で転んで右膝を強打して以来、半年を過ぎたというに、90%の回復だ。今も、胡坐をかくのに不便を感じている。そこで、数あるコースの中から選んだ次第。丁寧に指導していただいたけれど、今回の運動メニューを今後も自宅でこなしてこそ意義があるのに・・・ひと頼みの性分ゆえ、先行きに自信ない粗忽さ。
ところで、コース名のロコモについて、最初に浮かんだのは、ハワイ料理の「ロコモコ」だった。運動しようというのに、初めに食い物とはあきれる・・・でも、ロコモコは、子どもが喜びそうな組み合わせ料理といったところか、うまそうだ。
本来、「ロコモ」の名は、「ロコモ対策」の運動のようだ。運動性(Locomotive)の低下、すなわち関節痛など含めて運動機能の不全(Locomotive syndrome)をさすようだ。私には、もっと気楽に、ロコモーションが連想されるけど。
ロックの原点をビートルズに宗旨替えした転向者が多くて、以前のものを忘れた風潮があるのは、おじさんにとって痛く残念である。子どものころ、よく聞こえた「ロコモーション」(1962年)は、いまの私と違ってまことに軽快な響きだった。いわゆる、第2世代の、三人娘の中で、控えめながら存在感のある伊東ゆかりがカバーした「ロコモーション」が懐かしい。
(Youtubeに登録の六三四Ⅲ 八野に感謝)
2015年5月3日日曜日
今年も、3分の1食ってしまった
例年、日めくりカレンダーに苦労していた。ついおろそかにすると、数日分残ってしまい、あわてて切り剥がしたりした。それを、今年からPCデスクにくくりつけることで、簡単に、忘れることなく日めくりできるようになった。
毎日、一枚一枚、剥がしていくうちに、一日の重さが日めくりカレンダーの一枚のように思えて、逆に気が重くなる。あっけないほどに日が進んでいることを実感する。そして、とうとう、今年も3分の1が過ぎてしまった。
リンゴの実に例えると、その3分の1を食ってしまったことになる。日めくりカレンダーの減り具合にあっけなさを感じるのと同様、何の味わいもせず口にしてしまったのが残念。後悔するほど目標もなかったくせに、忸怩たる思いだけは残る。
(本ブログ関連:”リンゴ”)
イ・ソンヒには、この5月、リンゴの花咲く頃にことづけて愛を歌った、13集所収の「リンゴの木の下で(사과나무 아래서)」(2005年)がある。美しい旋律にひたって、時を慰めに、癒しを求めたいものです。私の場合は、時間に置いてけぼりされたウサギのように、大変だ、大変だ・・・ Oh dear! Oh dear! I shall be too late!
(Youtubeに登録のlys2187に感謝)
毎日、一枚一枚、剥がしていくうちに、一日の重さが日めくりカレンダーの一枚のように思えて、逆に気が重くなる。あっけないほどに日が進んでいることを実感する。そして、とうとう、今年も3分の1が過ぎてしまった。
リンゴの実に例えると、その3分の1を食ってしまったことになる。日めくりカレンダーの減り具合にあっけなさを感じるのと同様、何の味わいもせず口にしてしまったのが残念。後悔するほど目標もなかったくせに、忸怩たる思いだけは残る。
(本ブログ関連:”リンゴ”)
イ・ソンヒには、この5月、リンゴの花咲く頃にことづけて愛を歌った、13集所収の「リンゴの木の下で(사과나무 아래서)」(2005年)がある。美しい旋律にひたって、時を慰めに、癒しを求めたいものです。私の場合は、時間に置いてけぼりされたウサギのように、大変だ、大変だ・・・ Oh dear! Oh dear! I shall be too late!
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