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2012年10月16日火曜日

イ・ソンヒの「慎ましい告白」

イ・ソンヒはかつてMBCのテレビドラマ「ギブス家族」(2000年)に、自分の名前をパロディ化した患者役<イ・ソンフィ(이선휘)>で出演したことがある。劇中、病院のホール、患者たちの前で彼女が歌う「慎ましい告白(수줍은고백)」を、ブログ「愛、悲しみ..そして懐かしさ(사랑,슬픔..그리고 그리움)」で聴くことができる。感謝。
同ブログには、いつか彼女のアルバムで聞きたいという添え書きがある。

イ・ソンヒの公式ホームページにも同様に、この歌をアルバムに収録して欲しいというファンからのコメントが寄せられている。

(本ブログ関連:"イ・ソンヒのドラマ出演")

2012年10月15日月曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 チョン・スニョン

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(10/10)に、人物シリーズ49回目として、中国の二胡に似た、二弦の擦弦楽器の奚琴해금:ヘグム)奏者、チョン・スニョン(정수년)を紹介した。 

まずヘグムの紹介から始まった。
・昔、楽器を二種に大別し、弦楽器を「糸」、管楽器を「竹」と表現した。弦楽器中心の小規模室内楽を「ジュル(弦)風流(줄풍류)」、管楽器中心の場合は管楽器材料の竹(テナム、대나무)のテをとって「テ風流(대풍류)」と呼んだ。
・ヘグムは「ジュル風流」・「テ風流」共に使用されたが、ヘグムを糸でも竹でもない(弦楽器・管楽器のどちらにも属さぬ楽器)の意「非糸非竹(비사비죽)」と呼ばれた。
伝統的な弦楽器は、カヤグム(伽耶琴가야금)」やコムンゴ거문고)のように、爪弾いたり撥(スルテ)で音を出すものが中心だったため、弓で弦を擦(こす)るヘグムは弦楽器とみなされなかった。しかも竹製であるが、息を吹き込み音を出す管楽器でもないという訳だ。
・両方の楽器と共に演奏可能なヘグムについて、若干否定的な見方をされて来たが、現代では多くの人々に注目されている。

▼チョン・スニョンによる「その夜から明け方が来るまで(그 저녁무렵부터 새벽이 오기까지)」を聴く。ゆったりとした空気と時間が流れていく、そんな異国趣味?の漂う・・・どこまでも感傷的な美しい曲だ。



(チョ・へリョン演奏による:Youtubeに登録のSuperTheseusに感謝)

(ヘグム紹介の続き)
・この「その夜から明け方が来るまで」は、国楽室内楽団スルギドゥンのアルバムに収録された。雪が降り積もったソラク山で夜を過ごし、明け方を迎える、その美しい情景を曲の中に描いた。元々、舞踊曲だったが、その後テレビドラマの挿入歌がきっかけで話題となり、一般にヘグムが認識されるようになった。
・チョン・スニョンは、スルギドゥンで「その夜から明け方が来るまで」のヘグム演奏を担当した。
この後、ソロアルバム「공(空)」を発表。当時、国楽家たちにヘグムに対する偏見と、独奏楽器にすることへ抵抗感が少なくなかった。彼女の奏でる音色はそれまでの荒く騒がしいヘグムのイメージと違い、すっきりと落ち着いていて人々の心を揺るがす不思議な力があった。

▼チョン・スニョンによる「この世で美しいものたち(세상에서 아름다운 것들)」を聴く。新国楽というカテゴリーがあれば、その名がふさわしいだろう・・・古い皮に入った葡萄酒の香りは妖しい気がする。

・アルバム「공(空)」は、多くのヘグム奏者に影響を与え、そのことで彼女は「国楽界にヘグム革命」をもたらしたと評価されたそうだ。

次のようにチョン・スニョンプロフィールが紹介された。
・1964年 忠清北道永同に生まれる。(イ・ソンヒと同年代)
・中学時代からヘグムを学ぶ。国立国楽高等学校、ソウル大学に進学。大学卒業後、KBS国楽管弦楽団で活動し、現在は、韓国芸術総合学校伝統芸術院で教授を務め、夫のポ・ソンジェ(パンソリ一家に生まれた国楽家)と共に国楽の伝承と普及に尽力している。

▼チョン・スニョン他による民謡「晋州遊戯(チンジュユヒ、진주유희)」をアレンジした曲を聴く。のびやかな陽射しを受けて、軽やかに歩を進む・・・そんなゆったりした気分にさせる。


(感想)
国楽人口が、大学でも多数養成されれば、かれらの行き場は拡大する。革命とか新天地(フュージョン、コラボ)が登場するかもしれないが、それも国楽のカテゴリーなのだろうか・・・もっと自由のような気がするが。

2012年10月14日日曜日

薬用酒

むかし付き合い程度に酒は飲んだが、強い方ではなかった。自宅で晩酌の習慣もない。
実は酒飲みの気持ちが分からないでいる。まして、酔っ払って、何も覚えていないという経験もない。ただ酒粕を砂糖と一緒に湯に温めて飲んだとき、ふむふむ・・・こんなものかなあと想像することもある・・・確かに気分が軽くなる。

先日、薬局で買い物していたとき、薬用酒の「養命酒」を見つけて購入した。パッケージ付属のプラスティック製の小さなカップで、おちょぼのようにして飲む。約20mlの少量だが、すぐに体が熱くなる。アルコール分、14vol%の説明がある。ビールの3倍以上、紹興酒とほぼ同等の並みの濃度である。20mlは、一口ないし二口で飲めてしまう。それだけで、すっかり酔ってしまった。

イ・ソンヒには龍角散のCFがあるが、養命酒のものはないだろう。彼女がデビューした1984年当時の養命酒のCFがYoutubeにある・・・イ・ソンヒに関係ないけれど。

(Youtubeに登録のvioletcm01に感謝)

2012年10月13日土曜日

竜飛岬

先日(10/8)の秩父鉱山大黒坑の鉱物採集に一緒に行けなかった石仲間から、同時期に東北青森・秋田方面の旅行より帰京した知らせが届いた。ご夫婦二人旅だが、しっかり鉱山巡りも組み込まれていた。採集の成果を、後日教えていただくことになった。

その旅程で、津軽半島最北端の竜飛崎(岬)にも行かれたようだ。ここは、石川さゆりの1977年の歌「津軽海峡冬景色」(作詞阿久悠、作曲・編曲は三木たかし)に出てくる、知らぬ人のいない場所だ。冬の日本海、波しぶきの吹き抜ける荒々しい光景がイメージされる。

ところで、今晩のテレビ東京の「知られざる国道(酷道)歩きの旅」という、国道とは名ばかりの道を紹介する番組で、竜飛岬に至る国道339号線先端のレンガ道を安田大サーカスの 団長安田が歩いて見せた。終点は、演歌のイメージとは違って妙に明るい岬で、「津軽海峡冬景色」を記念した大きな石碑の赤いボタンを押すと、この歌が流れてくるという極めて健康的な観光地でもあった。

鉱物採集の結果と合わせて、竜飛岬の様子も聞かせていただくことにしよう。

(Youtubeに登録のDURAL0610に感謝)

2012年10月12日金曜日

イ・ソンヒの「本当に悪い」

恋の痛手を拭うように雨に濡れて立ちつづける、そんな歌が女性の曲には多い気がするが、男性の場合はどうだろう・・・雨音を聞きながら、傷心からもう次のことを考えている・・・そんな前向きというか、懲りないのか。実際は、どうだろうか。

イ・ソンヒの14集アルバム所収曲の、とても優しい旋律と穏やかな声質の「本当に悪い(참 나쁘다)」は、失恋も恋の一幕って感じているようなどこか少女っぽい響きがする。イ・ソンヒのこの変わらぬ清潔感がいいのだ。

(本ブログ関連:"14集「愛よ...」を聴く")



(Youtubeに登録のYuan-Chen Yangに感謝)

2012年10月11日木曜日

秋の夜は冷え込みます

中途半端なお天気で、暑いのやら寒いのやら。厚着すれば熱がこもってうっとうしくなり、薄着してストーブで部屋を温めれば暑過ぎる。一日の気温の変化に追いつかない。

やっぱり、寒いのは苦手です。

そこで、今年の電力消費を抑えるためエアコンを止めて、ガスストーブをAmazonに求めた。すこしでも電力を使わない(代替エネルギー使用の)エコ志向のつもりだ。ガスストーブはファンを使用しないものにした。だが対流があるので天井に熱が溜まるだろう・・・そのときは扇風機でも使おう・・・って、電気使ってるじゃない!

この頃、日当たりと日陰の温度差に驚く。サニー、太陽の陽射しが懐かしい。
ボニーMで知られる「サニー」って、作詞家ボビー・ヘブの着想に哀悼の意があるそうだ。(TOMOYO HARADA氏の「Sunny」の解説に感謝)

そういえば、これから見たいと思っている映画「Sunny サニー 永遠の仲間たち」のラストで、この曲が使われるのもうなづける・・・Youtubeで小出し映像を拾い見しながら考えたが・・・まずは、見なくちゃ始まらない。

(本ブログ関連:"サニー")

2012年10月10日水曜日

イ・ソンヒの「なぜ私だけ」

LPからCDへ、小劇場所有など、イ・ソンヒの音楽発表の媒体に変遷があるわけだが、その時期を正しく把握、整理できていない。
例えば、アルバム1集はLP版以外に、その後CD版もリリースされたと聞いているがその存在をつかんでいない。また手持ちのLP版アルバムは7集が一番新しいものだが、CD版のみになったのはいつのアルバムからだろうか。

イ・ソンヒのアルバム6集(1990年)所収の冒頭曲「なぜ私だけ(왜 나만)」(作詞・作曲チョ・ハムン)が、LPソースのもので、Youtubeに登録されている。レコード傷特有の、ちょっとしたノイズが聞こえて妙に味わいがある。もしかしたら、イ・ソンヒの初期唱法の究極かもしれないこの歌を聴いてみよう。悲しみ深い曲であるが。

(本ブログ関連:"なぜ私だけ")



(Youtubeに登録のcarcass1178に感謝)

2012年10月9日火曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 ユ・ギョンファ

 KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(10/3)に、人物シリーズ48回目として鉄弦琴(チョルヒョングム、철현금)の演奏者ユ・ギョンファ(劉京和?、유경화)を紹介した。 

まずチョルヒョングムの紹介から始まった。
・韓国伝統の弦楽器は、ほとんど絹糸弦を使用するが、鉄線(ワイヤー)弦使用の打絃楽器が二つある。
 ① 西洋から入った「洋琴/楊琴(ヤングム:양금で、朝鮮時代後期に中国を経て伝えられたという。ヤングムは、漢字で西洋の「洋」に「琴」と書く。本体に引かれた細い鉄線弦を、竹を薄く削って作ったチェ(채)という細い撥で弦を叩いて演奏する。
 ② 1940年代、ハワイアンギターを改造して作ったといわれる、新しい楽器「チョルヒョングム」(鉄弦を張ったコムンゴ(거문고)の意)が登場する。当初、唱劇の伴奏によく使われたが、テレビ普及により唱劇は姿を消し、チョルヒョングムも自然と忘れられた。1990年代、「晚霞(ノウル、노을:Sky At Sunset)」(作曲キム・ヨンドン、チョルヒョングム演奏ユ・ギョンファ)がきっかけで話題となった。

▼ユ・ギョンファ他による「晚霞」を聴く。ビブラートの効いた、どこか古都を想わせる感傷的な音色・・・鉄弦の響きを知る。

(チョルヒョングムの紹介の続き)
・チョルヒョングムは、竿の短いギターを横に寝かせたような形をしていて、右手に持つ短く細い撥のスルテ(술대)で打弦し、左手に持つ丸い形の石のようなノンオク(농옥)で擦弦して音に変化を与える。演奏道具は少し違うが、奏法はほぼコムンゴに同じ。

次のようにユ・ギョンファプロフィールが紹介された。
・4歳から舞踊を習い国楽にも親しむ。
・国立国楽高等学校でコムンゴを専攻。
・ソウル大学を卒業し、打楽器の演奏家として主に活動。
・1996年 チョルヒョングムに初めて出会う。現在、主にチョルヒョングムの演奏家として活躍。

▼ユ・ギョンファによる「金永哲(キム・ヨンチョル、강영철)流チョルヒョングム・サンジョ(散調)」中の「チュンジュンモリ(중중모리)」を聴く。軽快ながら、どこかアジア的なにおいがしてくる。

プロフィール紹介の続き)
・国立国楽高等学校時代の同級生と共に、国楽と現代音楽の融和を図るアンサンブル「サンサン(상상)」を結成する。さらに、民俗信仰のクッ(굿)に興味を持ち、これらの音楽のアレンジにも積極的にチャレンジしている。またインド音楽との関係も深めている。

▼ユ・ギョンファ他による「東海岸舞楽-話題(トンヘアンムアク-ファドゥ、동해안 무악-화두)」を聴く。即興だそうだが・・・落ち着いた感じがする。

朝バナナ

今朝もバナナ味を楽しむ。一昨日、農工大前のスーパーいなげやで見つけたミニッツメイド(日本コカコーラ)のヨーグルト風味ゼリー飲料「朝バナナ」(容量180g、果汁2%)を食す。

吸引口からゼリーのやわらかな塊りを吸い込むごとに、舌触りがバナナに似ていることに気付く。それも、ぐーっとやわらくなってしまった、グニャリととろける寸前のバナナの食感だ。なるほどなるほど、ちょっと可笑しくなる。
くどくない味具合。かすかにすっぱいヨーグルト風味も加わってまろやかになっているのだろう・・・バナナとミルクを一緒にミキサーにかけるとうまいのに通じる。

連休も終わって静かな曇り空の朝、ひんやりした朝バナナが秋の深まりを教えてくれるとは・・・。

まだまだ続くよ、バナナ味巡礼。

(本ブログ関連:"バナナ味")

2012年10月8日月曜日

秩父鉱山大黒坑

念願の産地、秩父鉱山大黒坑にようやく鉱物採集に出かけた。超!有名なこの場所へ行きたいと思いながら、おもむくには人頼りのためなかなかチャンスに恵まれず延び延びになっていたが、今日ようやく実現した。(当初6日に予定したが、7日に、そして8日の今日に延びた)
自然金にする?、それとも車骨鉱にする?・・・ああ、煩悩がとけない。

採集場所が秩父方面だからといって、いつものように地元駅始発電車に乗らずに済むかといえば、そうでもない。その分、仲間との集合時刻が繰り上がってしまったのだ。結局始発電車に乗ることになる・・・眠気も同じだ。

道路は順調で、出合トンネルを抜けた先にあるトンネル出口の右手広場に8時半に着く。早速、河原に 降りて採集を開始する。黄鉄鉱・黄鉄鉱・・・磁鉄鉱・磁鉄鉱・・・と辺りに散らばっている。河原を遡行して橋をくぐれば坑口が見えるが、今回の採集はもっぱら橋より下流でおこなう。

今回の成果は次の通り。
・黄鉄鉱、磁鉄鉱(葉片状)、白鉄鉱?、磁硫鉄鉱、方解石、灰鉄柘榴石、閃亜鉛鉱
・方鉛鉱+硫黄?+車骨鉱?
・ブーランジェ鉱+菱マンガン鉱、バビントン鉱+方解石

いつもの通り、名のある石は・・・そう、いただき物ばかりである。

ところで同地に、小学校低学年の坊やと幼稚園ぐらいの女の子を連れた若い夫婦が採集に来られていた。興味と驚きと感激を同時に経験することができる子どもたちと、それを見守る両親の眼差しがとてもよかった。

ノーベル医学生理学賞

<京都、滋賀を中心に発行されている>という京都新聞の記事「山中京大教授にノーベル賞 iPS細胞で医学生理学賞」(10/8)によれば、関西出身の京都大学山中伸弥教授がノーベル医学生理学賞を受賞したと次のように報じている。(抜粋)
地元紙の報道だけに、詳細な記事も見たいものだ。また、Newton誌がどんな特集を組むのか楽しみだ。

・スウェーデン王立カロリンスカ研究所は8日、2012年のノーベル医学生理学賞を、京都大iPS細胞研究所所長の山中伸弥教授(50)に贈ると発表した。受賞理由は「細胞の初期化」。英ケンブリッジ大のジョン・ガードナー博士と共同受賞。

・日本人のノーベル賞受賞は2010年の鈴木章氏、根岸英一氏に続き19人目。医学生理学賞は1987年の利根川進・米マサチューセッツ工科大教授に次ぎ2人目。これまでの受賞者18人のうち、湯川秀樹博士をはじめ10人が京都にゆかりがある

研究の内容の何が凄いのか?・・・ムムムッ、次のNewton誌で勉強します!

その前に、Youtubeに登録の<高校生特別授業「京都賞 高校フォーラム 」- 人間万事塞翁が馬 ->(2010年11月16日、1h20m47s)で、山中教授の講演を高校生たちと一緒の気持ちになって拝聴しよう。大阪弁をまじえた講演は、山中教授の若き研究者時代やES細胞・iPS細胞研究について知ることができると同時に、若者たちにどれほど大きな人生の、未来への指針を与えたことだろう。そのうえ、部下研究者への思い遣りを忘れないお話しにも敬服する。

(Youtubeに登録のKyoDaiOcwに感謝、感謝)

2012年10月7日日曜日

鉱物採集の延期・延期

朝一番の電車に乗って鉱物採集に出かけるため、今日の日付にかわった深夜をずっと起きていた。テレビで放送の映画「ニュースの天才(Shattered Glass)」(感情移入に注意!)を見ていたところ、今回お世話になる方から電話がかかってきて、「こちらは今雨降りだが、そちらはどう?」という。

あわてて外を見れば、暗闇に音も無くしとしとと雨が降っている。インターネットの天気予報も午前半ばまで雨天のようだ・・・ということで、秩父大黒抗の河原に降りての採集は増水を危ぶみ、明日に延ばすことになった。実は、当初6日に予定していたものが、今日7日になり、明日8日に延期したことになる。

ところで、別のテレビチャンネルで、リメーク版の映画「イルマーレ」を放送していた・・・こちらは、おじさん向きではないようなので、朝寝することにしよう。

2012年10月6日土曜日

マクドナルドで・・・

今日も昼過ぎは暑い。小金井公園近くにあるマクドナルド店で過ごそうと出かける。この店の2階は広く、スペースを開けて座席が並んでいて、休日の今日も混んでいない。そんなわけで、コーヒーを飲みながら図書館で借りた本をのんびり読んだりした。

西側の窓辺で読書していると、陽が落ちるのが早く、先ほどブラインドで日除けしたのに、ヒンヤリしてみるみる冷えてくる。明日は、秩父鉱山の大黒抗に鉱物採集に行く・・・体力温存が必要だ。

2012年10月5日金曜日

イ・ソンヒの「因縁」

イ・ソンヒが、今の時代の若者たちに最も知られる曲をあげるとすれば、「因縁(인연)」と「狐の嫁入り(여우비)」になるだろう。

「因縁」については、映画「王の男(왕의 남자)」(2005年)のOSTといわれているが(未見)、MBCのインタビュー番組「黄金漁場-膝打ち道士」(2009年)で、イ・ソンヒは、MBCテレビドラマ「チェオクの剣다모:茶母)」(2003年)の、主人公チャン・チェオク(ハ・ジウォン、하지원)と、主人公の彼女が仕えるファンボ・ユン(イ・ソジン、이서진)との関係からインスピレーションを得たと語っている。
また、「狐の嫁入り」は、SBSテレビドラマ「僕のガールフレンドは九尾狐(내 여자친구는 구미호)」(2010年)のOSTとして歌われた。

(本ブログ関連:"因縁"、"狐の嫁入り")

次の映像は多分、麗水万博会場の「ポップフェス アンコール公演」(8/9)のときに、ファンがハンディ・ビデオカメラで手振れもなく、実に丁寧に撮影されたものだ。彼女の気品と清雅さを、ファンの視線を借りて見ることができる。
撮影者のそばで、舞台のイ・ソンヒに合わせて一緒に歌う声が入っていない。(昨年ソウルの彼女のコンサート会場で、隣の席の男性がずっと歌っていた。韓国のコンサートでは「普通」のことなのかもしれない・・・)



(Youtubeに登録のemt kimに感謝)

2012年10月4日木曜日

おばさん(アジュンマ)とお嬢さん(アガシ)

イ・ソンヒの高校生時代の雰囲気を知るには良いかもしれない映画「Sunny サニー 永遠の仲間たち」が、10/21(日)-22(月)に四谷の韓国文化院で、東京国際映画祭提携企画「コリアン・シネマ・ウィーク2012」の一つとして上映される。

ちなみに、サニーはイ・ソンヒの愛称でもある。映画タイトルのヒントになったのでは・・・と思ってしまう。サニーは生き生きと輝く若さそのものだ。

'70~'80年代の洋楽を含めてヒット曲が流れるという。主人公が2011年に42歳というから、イ・ソンヒより5つほど年下の世代で、1986年の高校生時代のお嬢さん(アガシ)からおばさん(アジュンマ)になっても、変わらぬ友情を確かめ合う物語のようだ。

さて、おばさんとお嬢さん(아줌마와 아가씨)については、インターネット上にいろいろとユーモアたっぷりに対比した書き込みがある。この映画が、それをどう表現しているのやら。
ともあれ、見なくては始まらない。

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(付記)
ところで、10月にといわれていたチャン・ユンジョンの日本進出はどうなるのだろう・・・気の毒なことだ。

2012年10月3日水曜日

“アジュンマ”パワー

「この世にアジュンマの子どもでない人はいない!」と豪語する、韓国最強のアジュンマについて、「中央SUNDAY」(第290号)のコラム「韓国"アジュンマ"パワー」(趙煥復)を中央日報(10/2-(1)(2))が掲載しているので、次に抜粋する。

・アジュンマは一般的にもじゃもじゃのパーマ頭にトレパンを履き、利害関係に目が利き、周辺を意識しない行動派という印象を与える。そのため世の中には男性と女性そしてアジュンマがいるという笑い話がある。

・いまやアジュンマたちが家庭の砦から次第に国の柱になりつつある。韓国の歴史でも国難の時期にアジュンマの役割が輝いた事例は数えきれないほど多い。女は弱いが母は強いというが、アジュンマはさらに強い。アジュンマは外国語で1文字2文字では簡単に翻訳できない韓国だけの単語だ。

(本ブログ関連:"アジュンマ" ←画面右下の「前の投稿」もクリックを!)

ちなみに、KSB WORLDの番組「玄海灘に立つ虹」のなかでも月曜に放送される、こちらも最強タッグを組むお二人(マルコメのお母さん、ソウルのアリスさん)のトークは楽しい。特に「アジュンマの井戸端会議」のコーナーは、世相をアジュンマの新鮮な視点で知らせてくれる。

でもねえ、結局は、アジュンマは韓国の暖かい懐(ふところ)に違いない。

2012年10月2日火曜日

キム・ドンリュル

今日から韓国語教室の後期授業が始まった。新たな受講者も加わり、受講者ひとりひとり自己紹介して、韓国語学習の受講動機や期間(経験)、そして得意不得意分野について述べた。当然ながらわたしは、イ・ソンヒのファンであることも付け加えた。

さて、韓国語の講師はお若いにもかかわらず、イ・ソンヒを子どものころからご存知だったようだ。けれど、受講者のみなさんは誰一人知らなかったのだ・・・それがとても残念。
講師の言葉を借りれば、イ・ソンヒについて、どこか少年のようなところがあった、若いときから変わらぬ容貌、古風で懐かしい顔立ち、家庭教師のような真面目な雰囲気と表現された。

講師から、イ・ソンヒのイメージにつながるという、(作詞・作曲家でありバラード)歌手キム・ドンリュル(김동률、1974年)が紹介されたので、インターネットで調べてみた。(参照: Ko-Wikipedia、他より)
・イ・ソンヒより10年後の1974年に誕生している。
・延世大学校在学中、ソ・ドンウクと一緒に作った2人組のデュエット・グループ「展覧会」で、1993年MBC「大学歌謡祭(대학가요제)」に参加して、「夢の中で(꿈 속에서)」で大賞と特別賞を受賞して本格的な活動を開始した。
・Youtubeに登録の曲から、未来しか存在しない若者の軽快な「出発(출발)」(アルバム:5集 Monologue2008年)を選んでみた。

(Youtubeに登録のMBCfestival、HopeOfLetterに感謝)う

彼岸花

せっかくの10月、景色は黄昏ているわけではないけれど、街の文具店にもう来年の手帳が並べられているのを見ると、年の残りを追いやられ、まるでショートカットされているような気がする。

この秋訪れたい場所に、西武池袋線高麗駅そばにあって、辺り一面に彼岸花(ヒガンバナ、曼珠沙華)が群生する巾着田がある。林の下に咲き乱れる紅い花弁は、まるで絨毯のよう・・・そんな記憶をまた確かめたいと思う。

(本ブログ関連:”彼岸”)

球根に毒性があり、「彼岸」の名を持ち、しかも紅い極彩色で辺りを威圧するかのような強さと妖しさを漂わせる。この花に、引き付けては恐れさせる魔性を感じる。決して気を許すことのできない花だ。

むかし、仕事の研修で伊豆に行ったとき、夕陽を受けて山間を走る列車の線路わきを、彼岸花の紅い塊りがいくつも車窓を流れていくのが見えた。黄昏時にもかかわらず、彼岸花は薄闇に混じることはなかった。その存在を強く意識つける紅い色に一瞬恐怖を感じた。

そのとき、石川さゆりの「天城越え」(作詞:吉岡治、作曲:弦哲也、1986年)を思い出した。「浄蓮の滝」の言葉から「情恋」を、「山が燃える」から彼岸花の紅い炎を想起した。まるで、情恋に身を燃やす「道行き物」のようだと、列車の振動に揺られながら感じた。

(Youtubeに登録のgaeajapenに感謝)

2012年10月1日月曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 スルギドゥン

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(9/26)に、人物シリーズ47回目としてフュージョン国楽演奏集団スルギドゥン(슬기둥)を紹介した。
ところで番組ホームページにあるリンク先音源は「人物シリーズ」#46のもののようだが・・・

はじめに、スルギドゥン誕生の経緯について次のような紹介があった。
・1980年代 民主化運動盛んな中、大学では民衆運動の一環として、人々の記憶の端に追いやられていた国楽に注目が集まるようになった。
・1978年 初めて登場した<サムルノリ사물놀이)>が瞬く間に人気を集め、国楽家の間で新しい音楽を作ろうという動きが活発化した。
・1985年 スルギドゥンが結成され、「コップンネヤ(꽃분네야)」、「サンジュモシムギ(상주모심기)」、「サントッケビ(산도깨비)」などふるさとの匂いを感じさせる国楽歌謡で注目を浴びた。以来、国楽の魅力を伝え続ける、まさにフュージョン国楽の歴史と言っても過言ではない。

▼スルギドゥン(カン・ホジュンの歌)による「コップンネヤ(꽃분네야)」を聴く。まさに民謡のゆるやかな素朴な響きそのものである・・・発声、演奏ともにメディアの流れに沿っているようで。

次のようにスルギドゥンのプロフィールが紹介された。
・1985年6月 ある放送局主催の青少年音楽会で、歌を担当した青年カン・ホジュンが歌った「コップンネヤ」が話題となり、これをきっかけに国楽室内楽団スルギドゥンが正式誕生する。
・結成当時のメンバー(8人)は、 KBS国楽管弦楽団員を中心に、テグムとソグムはイ・ジュノ、ピリと歌はカン・ホジュン、カヤグムはミン・イシク、ピリはムン・ジョンイル、カヤグムとヤングムはノ・ブヨン、ヘグムはチョン・スニョン、アジェンはオギョンヒ、そしてシンセサイザーをジョ・グァンジェが担当した。

(参考)ハンギョレニュース「国楽整形術師 "スルギドゥン" 25年の內功(内的進化?)を見て」(2010年2月17日、チョン・サンヨウン記者

(スルギドゥンのプロフィール続き
・伝統楽器にシンセサイザーが加わり、現代的な雰囲気を醸し出すと同時に表現の幅を広げた。当時の社会を反映した曲を多数発表し、国楽は昔の音楽ではなく、現代まで続く伝統文化と強調した。

▼スルギドゥン(カン・ホジュンの歌)による「君のために歌う歌(그대를 위해 부르는 노래)」を聴く。のんびりと漂うような旋律は、古い皮袋に入れたまだ新しい葡萄酒のようで・・・。

 (スルギドゥンのプロフィール続き
・スルギドゥンの曲で、「サントッケビ」や「ケグリソリ」は小学校教科書に載り話題となった。創作国楽が音楽のひとつのジャンルとして受け入れられたのでは・・・。この音楽団体が結成されて、すでに30年近く経ち、初期メンバーは中堅演奏者、指揮者や大学の教授などになりグループを去った。
・現在のメンバーには、KBS国楽管弦楽団の常任指揮者である初期メンバーのイ・ジュノが団長として残り、新しい若い後輩たちと活動を続けている。

▼スルギドゥン演奏による「新船歌(シンペンノリ신뱃놀이)」を聴く。東洋的叙情を西洋的編曲で覆うとこうなるのだろうか・・・。

2012年9月30日日曜日

台風17号

今夜の台風は、紀伊半島東岸に沿って北上し、東海地方の愛知県に上陸して本州を縦断、北海道を抜けるようだ。テレビは、きめこまかく台風情報を流している。満潮とのタイミングも不安だが、上陸後の強風も恐れる。このところ、自然災害におののかされている気がする。

夕方、地元図書館を出たとき、かすかに雨を感じて急いで帰宅した。一雨あったものの、まだ本格的な台風襲来をうけていない。深夜のようだ。

雨戸を閉めるなど準備を済ませている。子どものころ、九州にいたときは、木製の雨戸を父親が釘で打ち付けていたことを思い出す。最近まで、なんとなく台風をやり過ごしてきたが、今回はいやな予感がする。

室内の湿気が相変わらずうっとおしい。強風の気配はまだない。

Wheathernewsの地元の気象予報によれば次の通り。(18:10現在)
・台風17号の直撃で、今夜は雨風が強まる一方。特に夜9時頃~深夜0時頃は猛烈な風が吹き、外出危険な暴風雨になります。屋外は危険なので外出は控えて下さい。
・(風速はかえって今の時刻が12m/sで、0時は10m/sと減速していくようだ)

2012年9月29日土曜日

小金井お月見のつどい

昨日記したサンレモ音楽祭ではないが、地元にも小さな祭りがあって、「お月見のつどい」が小金井公園の江戸東京たてもの園前広場で開かれた。今年で第45回目になるという、この町にしっかり根付いた祭りになっている。

広場のステージでは、地元関係者がいろいろな演目を発表していた。例えば、学生たちが会場の幼児と一緒に遊戯劇をしたり、草笛のグループが童謡を吹いたりした。野天会場の座席に腰をかけて聴いたのは、地元音楽教室のフルートとクラリネット講師によるアンサンブルだった。二人の奏者は楽しそうに、童謡やポップを聴かせてくれた。
彼女たちの演奏時間が余ったらしく、司会者がアンコールに会場の誰かがメモ書きして渡したというジャズナンバー曲からいきなり、打ち合わせもなく壇上の彼女たちに伝えたのだ・・・奏者たちは譜面がないので・・・ということで、ディズニー映画「ピノキオ」の「星に願いを」をフルート独奏した。

ところで、ステージの司会者がアンコール曲を希望した当人を壇上から探し求めたが見当たらないのだ・・・どうしたことだろう、こんなことってありかなあ。

夕方、の空を見れば、墨を流したような雲の中に月が薄赤く色づいて浮かんでいた。月齢13、満月は明晩である。

2012年9月28日金曜日

サンレモ音楽祭

考えてみれば、イタリア好きな方が身近にいるもので、毎週通う健康体操クラスで唯一若いインストラクターはイタリア語を学んでいるという。来週イタリア旅行されるとのこと、何処を巡るのかを知らないけれどサンレモ音楽祭の街、サンレーモはどうなのだろう。
それから、鉱物仲間にも外面は日本人だが中身はイタリア人という人物がいて、イタリアの歌の話になると歌手の名前が次々挙がってくるけれどさっぱり記憶に残らない。

イ・ソンヒとからめて、彼女の誕生した1964年についてサンレモ音楽祭(冬季シーズン)を調べてみると、大賞は ジリオラ・チンクェッティ(Gigliola Cinquetti)とパトリシア・カルリ(Patricia Carli)の「Non ho l'età(夢みる想い)」だった。「ノノリター」の歌いだしの方が、題名よりも印象に残っている。

そうそう、同じく入賞者に「ほほにかかる涙(Una Lacrima Sul Viso)」を歌ったボビー・ソロ(Bobby Solo)、フランキー・レイン(Frankie Laine)がいる。ボビー・ソロの歌声が懐かしい。当時の日本では、ヨーロピアン・ポップが普通に流行っていたものだ。

(Youtubeに登録のyougakumusic1に感謝)

ところで、なぜ2人受賞なのだろうと同音楽祭の受賞者のリストを見れば、例年2人受賞が並んでいる。イタリア人と外国人歌手の組み合わせという*。

(*)参考:ブログ「cnz27hrio」、ブログ「日本盤ジャケット(ドーナツ盤)にみる Pops の歴史」に感謝。

(本ブログ関連:"イタリア")

2012年9月27日木曜日

イ・ソンヒの「秋の風」

イ・ソンヒがステージで名曲「秋の風(갈바람)」)」(歌詞ブログ「heesuna nada」《heesun_i》に感謝を歌う映像は、Youtubeにpops8090が登録された2004年の世宗文化会館のものでしか見ることができない。
本ブログには過去に3回も同じ映像を載せているが、今回も繰り返す。

彼女がデビュー2年後にリリースしたアルバム2集(1986年)に所収されたもので、初期に作られたことに驚く。しみじみと秋の風の、心にしみるさびしさと、せつなさを歌い上げる名曲である。

(本ブログ関連:"秋の風")



(Youtubeに登録のpops8090に感謝)

2012年9月26日水曜日

バナナ味Gokuri

バナナ味巡礼の続き。先日、農工大(工学部)前にあるスーパーいなげやで、サントリーのバナナ味の飲料「Gokuri」(容量400mg、果汁15%)を見つけた。全体が黄色で、栓付きの高さ約165mmの缶入りである。

うたい文句は「食べごろバナナの甘くやさしい味わいと爽やかな飲み心地。」・・・つまり、バナナイメージのトロリとした食感はなく、香料の効いたサラサラした味わいで後にひくことはない。いってみれば、あっさりしたバナナジュースだ。となると(ここ数日の涼しさでは)、一気に飲むには400mgの量は多いかな・・・今日、飲んで気付いた。

まだまだ、バナナ味巡礼は続けるよ。

(本ブログ関連:"バナナ味")

2012年9月25日火曜日

メンターにしたい男女芸能人1位は?

将来の歌手を発掘するオーディション番組の人気は衰えることがない。番組審査員であると同時に指導も行なうメンター制度という韓国のオーディション番組独特なスタイルから、期待されるメンターを男女芸能人から選ぶアンケートが行なわれたりする。ACROFANの記事「メンターにしたい男女芸能人1位は?」(9月21日)は、アンケート結果を次のように報じている。(抜粋)

・俳優キム・ナムジュ(女性)と国民MCユ・ジェソク(男性)が、「メンターにしたい男女芸能人」の1位に上った。(株)エデュウィル(eduwillが文化公演イベントに参加した会員1,079人を対象にアンケート調査を実施した結果。

・「メンターにしたい女性芸能人」は、①俳優キム・ナムジュが23.8%(257人)で1位に上がり、②21.9%(237人)を得た俳優キム・ヘスが続いた。③歌手イ・ソンヒは19.4%(209人)を、④俳優コ・ヒョンジョンは18.4%(198人)、⑤俳優パク・ミソンが16.5%(178人)の順だった。

・「メンターにしたい男性芸能人」は、①MCユ・ジェソクが43.1%(465人)の支持を得て1位を占めた。②俳優キム・ピョンマンは18.4%(198人)で2位に上がったし、③俳優アン・ソンギが17.5%(189人)の順だった。④プロデューサー・歌手パク・チニョンは12.8%(138人)、⑤歌手・作曲家キム・テウォン8.2%(89人)となった。

・回答者の46.8%(505人)は「周りにメンターにしたい人が<いる>」と答えた。<ない>は35.8%(386人)、<よく分からない>17.4%(188人)の順だった。

・「メンターが必要だと感じる<とき>」についての質問には、41.2%(445人)が<社会生活に必要な助言を聞きたいとき>と答えており、<心中の話を交わしたいと思うとき>は29.4%(317人)だった。<頼れる人が必要なとき>は19.3%(208人)、<硬い人脈を構築したいとき>4.6%(50人)、 <その他の意見>は5.5%(59人)となった。


(本ブログ関連:"イ・ソンヒ、人生のメンターに選ばれる"、"イ・ソンヒ「一緒に働きたい職場の上司」"、"メンター")

2012年9月24日月曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 黃秉冀

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(9/19)に、人物シリーズ46回目として撥弦楽器カヤグム伽耶琴가야금)演奏家、黄秉冀(ファン・ビョンギ、황병기)(1936年5月31日~)を紹介した。
(Ko-Wiki情報などからも、インテリでエリート中のエリートといった存在だろう)

まずカヤグムの復習から始まった。
・桐製胴体の上に載せられた弦を<指で弾いて>音を出す撥弦楽器で、外見や奏法は日本の琴によく似る。独奏曲としてもよく使われ、韓国の伝統楽器を代表する存在。
  → (東アジア全域に広がるロングシタール(long zither)類の伝統楽器の一つ)
・歴史的に、名が示す通り伽耶の国で作られたといわれるが、普及し広く演奏されたのは、伽耶滅亡後の新羅の国になってといわれる。
仏教が盛んだった新羅では、梵唄(ボムペ、범패)といわれる、インドからシルクロードを経て伝来の仏教音楽が各地で演奏されたという。

黄秉冀のカヤグム創作曲の基盤について解説された。
・はるか昔の仏教音楽を思い、黄秉冀が作り出したのが、カヤグム独奏曲「沈香舞(チムヒャンム、침향무)」。それまでのカヤグムの調律方法を変え、さらに両手で同時に弦を弾いたり、爪で弦をこすって音を出すなど、新しい演奏方法で注目を集め、カヤグム創作曲の基盤を作り上げた。
・カヤグム演奏家を目指す人なら、必ず学ぶ、カヤグム創作曲のひとつとして選ばれる。

▼黄秉冀のカヤグム演奏による「沈香舞(チムヒャンム)」の「第一楽章」を聴く。ひとつひとつ揺らぐように弦にリズムを与える・・・始まりを意識させるような。Ko-Wikiにある「天使の襟がなびくような透明なグリッサンドの分散和音」という音色と響きも聴いてみたい。

次のように黄秉冀プロフィールが紹介された。
・1936年 ソウル(京城府)に生まれる。
・1951年 中学生のとき 初めてカヤグムに出会う。(朝鮮戦争のため釜山で避難生活していた)
・1959年 ソウル大学法学部卒業。(国楽演奏家としてはかなり異色な学歴の持ち主)
ソウル大2年生のとき、KBS主催の全国国楽コンクールで1位を獲得する快挙を成し遂げ、ソウル大学の音大学長の目にとまり、法学部卒業と同時に、音大講師として働くことになる。
・1963年 4章からなる初の創作音楽「森」を発表。(カヤグムの音色で叙情的な自然描写を試みる)

▼黄秉冀のカヤグム演奏による「森(숲)」の中から、第3楽章「雨(비)」と第4楽章「月光(달빛)」を聴く。細かく繰り返すリズムは雨降りを想いださせる。余韻響く音色から静寂な夜の奥域を・・・少し賑やかに感じさせるけど。

・1970年代半ば アジェンの弓を使ってカヤグムの弦を擦ったり叩いたりする演奏に、さらに奇怪な女性の声が加わる、不思議な一曲「迷宮」を発表し若者にも話題になる。
作品に共通して言えることは、山や川、自然をテーマにしている。

▼黄秉冀作曲による「掃葉山房(ソヨプサンバン(소엽산방)」中から、「トドゥリ(도들이)」のコムンゴ거문고)演奏を聴く。リズムを浮き出すように、間を聴かせる・・・。

2012年9月23日日曜日

雨が降ってる日曜日

今日は朝から夕方まで雨が降った。いつもの部屋着ではヒンヤリして冷える。
テレビの天気予報で、「東京は、午後になって最低気温を記録し、およそ2ヶ月ぶりに20度を下回りました。」(日本気象協会)といっていた。

日曜日の雨降りで、昔のCMソングにこんなのがあったのを思い出す。「雨が降ってる日曜日、坊や泥んこなぜ泣くの、あそこのかどで転んだの、・・・」

Youtubeに歌を探したが原画が見つからない。インターネットの投稿*(Lococom 200a氏に感謝)から、インスタントラーメンのCMソングだったことを知った(思い出した)。
NHKの「みんなのうた」で歌われてもおかしくないような曲調で、囁くような優しい歌だ。Youtubeで再見できないものだろうか。

(*)NeowingでCD「ヴィンテージCMソングコレクション」に収録のこの曲(「明星即席ラーメンのうた」)が試聴できる。

2012年9月22日土曜日

秋分の日2012

昨年の今日、秋分の日の前日、米国の上層大気調査衛星「UARS」落下で騒いでいたが、今年は不安な落下物の騒ぎはない。先日(9/14)、日本の宇宙ステーション補給機「こうのとり」(HTV3)が無事任務を終えて計画通り大気圏に再突入したぐらいかな。

秋分の日の今日、雨上がりの落ち着いた静かな一日だ。

国立天文台によれば、東京の今日の「日の入り」時刻は、17:38。

(本ブログ関連:"秋分の日")

イ・ソンヒと小劇場とフックエンターテインメント

イ・ソンヒが自身のために小劇場を持った時期がある。10年前であるが、佛教新聞の記事「仏教信者 歌手イ・ソンヒ ライブ劇場引き受け」(2002年7月12日、ハ・チョンウン記者)は、彼女が大学路(テハンノ)にあったライブ劇場を引き継いだ経緯を次のように記している。
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・1984年の江辺歌謡祭の大賞曲「Jへ」で私たちのそばに近づき、「ライブの女王」と呼ばれてきた歌手イ・ソンヒ(38)が、先月(2002年6月)29日大学路のライブ劇場を引き受け、国内では初めて歌手が公演会場を直接運営することになった

・全盛期時代、小さな体躯で信じられない程おおきな声で歌い上げる爆発的な歌唱力を認められたイ・ソンヒは、去る(サッカー)ワールドカップ応援舞台でも大曲「美しい江山」を歌って躍動的なパワーをリリースした。昨年、レコード12集を出した彼女は、レコード販売は既成歌手の限界を抜け出すことができなかったが、舞台では断然最高級大型公演での招請者では(熱烈?)順位。ライブ劇場を買収してからも「まず生きている歌の広場である公演会場で、一番先に舞台に立ちたい」と話すほど小劇場公演の魅力にすっかりはまっていた。

・知られるようにイ・ソンヒは、仏教音楽「梵唄(ポムペ)*」の伝授者で出家した父親イ・ジョンギュ氏の影響で、幼い時から仏教的生活に慣れている仏教信者だ。「父がおられる寺は常に鬱蒼とした森の中にあるので、幼い時から自然を友として過ごしたのが最も良かった」と回顧した彼女は「その時代、猟師の空気銃に犠牲になった鳥を探して薦度**した記憶が鮮明だ」と話した。

(*補注)本ブログ関連:"梵唄"
(**補注)薦度:仏教で死者の霊魂を極楽に導くこと。

・イ・ソンヒが3年前(1999年)から毎年公演をしてきたライブ劇場は、300席余りの小劇場で、キム・チャンフンの100日コンサートが終わる10月6日以後半月間新装に入った後、10月下旬に再開館する。
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またその後について、日曜新聞の記事「スクープ イ・ソンヒの退職・結婚説後遺症」(2006年10月1日、シン・ミンソプ記者)によれば、彼女のプライベート問題も含めて、小劇場について次のような情報を知らせている。(抜粋)
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・小劇場は、彼女が渡米(2006年7月)前および帰国(2008年10月)後も所属する、企画会社フックエンターテインメントの前身である。
・小劇場の代表取締役であったイ・ソンヒは、(渡米前の)フックエンターテインメントの理事として活動してきた。
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(本ブログ関連:"フックエンターテインメント")

2012年9月21日金曜日

雨降りお月さん

強くなったり弱くなったり、今日は一日中雨が降りつづいた。まっそんなわけで、夜、雨空にお月さんが見えるわけはないが、野口雨情作詞、中山晋平作曲の「雨降りお月さん」を聴いてみよう。
Youtubeの解説にはないが、歌は由紀さおりである。彼女の懐かしく親しみやすい歌声に引き込まれる。

考えてみれば、月夜の晩、小雨が降る中をお嫁に行くという光景は不思議だ。狐雨と狐の嫁入りを合体させたような・・・。

(Youtubeに登録のwins2routerに感謝)

2012年9月20日木曜日

芝居「Sloth-スロウス[怠惰]-」

先日見たドキュメンタリー映画「クレイジーホース」の中で舞台監督をつとめていたフィリップ・ドゥクフレと縁のある親類から、今度は池袋シアターグリーンBaseTheaterで本日初演の芝居「Sloth-スロウス[怠惰]-」(作・演出花田智)を紹介され観劇に出かけた。池袋の街は何年振りだろう。芝居を見るのも何年振りだろう。

作家である花田智氏は、演出家であると同時にもうひとつの肩書、細菌生物学者(産業技術総合研究所(産総研))を持つ。その守備範囲の振幅の大きさに驚く。
芝居は、<七つの大罪シリーズ>の六番目の舞台という。同氏の作品や芝居について今回初めて接するので、見たままの感想しか語れないが。

若者向けということで少々構えて行ったら、素人感想だが、ミステリーアクションといって良いかも知れない・・・ストーリー展開のおもしろい芝居だった。潜入と逆襲、資金洗浄と宝石エメラルド、追う側・追われる側それぞれ内部の疑心暗鬼、そして速やいセリフ廻し、大音響、照明・映像と息つく暇がない。

ところで、芝居でキーになるものに、コロンビアのエメラルドの宝石がでてきた。
・エメラルドの起源について、妻フラとその夫テナの・・・妻の不義にもかかわらず許す夫に対して岩に変身した妻が流す悔恨の涙がエメラルドになったという・・・伝説が語られた。
・コロンビア産のエメラルドには、三相インクルージョン(個体、気体、液体)の特徴があると語られた。

(参考)「楽しい鉱物図鑑」(堀秀道著)のエメラルドから:
・緑柱石(Beryl)の、緑色したもの。宝石の女王といわれる。色の原因はクロムの混入。
・もっとも有名な産地コロンビアは黒色頁岩、石灰岩などの堆積岩を切る熱水脈に結晶が入って、黄鉄鉱などを伴う特殊な産状である。
・(二級品について)色をよくするためオイルや樹脂を浸みこませるなどの、さまざまざまな処理がおこなわれている・・・ことがあるようだ。

(本ブログ関連:"緑柱石")

(付記)
芝居小屋(シアターと呼ぶけれど)の近くに美味しいドラ焼きの「すずめや」があると、これも親類に教えられ、観劇前に寄って購入する。二つを袋に入れてもらったが、もう一つは店内で口にする許可をもらい味見した。
しっかりと小豆粒が感じられ、甘過ぎず程よい大きさで満足した。こちらも大成功。

2012年9月19日水曜日

イ・ソンヒの「Jへ」

イ・ソンヒのデビュー曲「Jへ(J에게)」は、作曲家イ・セゴン(李世建、이세건)との不思議な縁によるものであり、その曲をもって1984年の「江辺歌謡祭」舞台に登場したスタイルもかなり不思議だった。

ところでYoutubeに新しく登録された、アンコールに「Jへ」を歌う若いイ・ソンヒの映像は、頬にあどけなさを残す、さわやかでボーイッシュなものだ。当時の音楽界にあって、新しいタイプの歌手であり、女子学生ファンたちが身近に存在を感じた、彼女たちにとってアバターであったという評論も十分にうなづける。

(本ブログ関連:"Jへ"、"イ・セゴン")


(Youtubeに登録のsunnyfan100に感謝)

2012年9月18日火曜日

バナナのオムレット

バナナ味巡礼の続き。武蔵小金井のイトーヨーカドー菓子売り場で、ブルボン製「バナナのオムレット」(6個入り:約50×50mm/個)を見つけた。黄色の薄いスポンジケーキを二つ折りして、バナナピューレを閉じこんだ白いホイップクリームを挟んでいる。さらに、クリームがはみ出ないように、両サイドをシュガーコーティングしている。

一口、食するとバナナの香りが広がる。主婦層に人気のある製菓会社の製品だけに、思いの外あっさりしている。ところで、バナナの香りはどこからするのかと探しながら口にすると、口中に甘味が蔓延してわからなくなる。どうやら、真ん中のクリーム類に味と香りを仕組んでいるようだが。
ただし、3個連続して食うと、さすがに・・・。

(本ブログ関連:"バナナ味")

KBS WORLD「国楽の世界へ」 金政丞

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(9/12)に、人物シリーズ45回目として風流音楽(풍류음악)の伝承者で、管楽器テグム大笒대금)の若き奏者である金政丞(キム・ジョンスン、김정승)を紹介した。

「郷制(ヒャンジェ)弦(ジュル)風流」の紹介から始まった。
・方言のように、歌も地域ごとに少しずつ雰囲気やメロディーに違いがある。教養人の「風流音楽」も、地方に伝わるうち少しずつ変化した。
・「風流音楽」中、特に弦楽器が中心となる楽曲を、弦=ジュル(줄)と合わせて、地域ごと特色ある「ジュル風流」と呼ぶ。さらに故郷の郷=ヒャン(향)と、制度の制=ジェ(제)を合わせて「ヒャンジェ・ジュル風流」と呼び現在唯一、全羅北道地方に今なお強く息づいている。

風流音楽の継承者、金政丞について次のように紹介された。
・現在、注目を浴びているテグム奏者の金政丞は、風流音楽の技術と精神を受け継いでいる。

▼金政丞の管楽器タンソ(短簫:단소)ほかによる「平弄(ピョンロン、평롱)」を聴く。緩やかに流れるピアノの響きに合わせて、タンソの音色がのどやかな気分に浸らせる・・・モダンな感じで。

次のように金政丞プロフィールが紹介された。
・祖父の金茂圭(キム・ムギュ、김무규)は、全羅南道求禮(クレ)地方に伝承された「クレ・ヒャンジェジュル風流」の芸能保有者で、タンソ演奏にも長けたという。1990年代に国楽ブームを巻き起こした映画「西便制」に、弦楽器コムンゴを演奏する老人役で登場した。
・この祖父を持つ金政丞は、同年代の多くの若手演奏家が大衆と調和を図り、フュージョン音楽に関心を持つケースが多い中で、国立国楽院の正楽団と風流音楽を受け継ぐ正農楽会で、宮中音楽と風流音楽の伝承に専念している。
・一方で、現代音楽アンサンブル活動も行い、現代の韓国音楽の発展にも尽くしている。紹介する音楽は、伝統的なメロディーをそのまま生かし、ピアノやチェロなどの伴奏を加える形式である。

▼金政丞の管楽器トゥンソ(洞箫、퉁소)ほかによる「獻天壽(ホンチョンス、헌천수)」を聴く。・・・とてもソフィストケートされて。

上記「獻天壽」の演奏について解説された。
・宮中音楽、民間の舞踊音楽としても演奏されていた一曲。宮中音楽として演奏される場合は主に、センファン(笙簧、생황)とタンソの二重奏か、ここにヤングム(洋琴(楊琴)、양금が加わった三重奏で演奏されることが多い。金政丞は、民間で広く親しまれていたトゥンソを使って演奏している。

▼金政丞の管楽器テグムほかによる「淸聲曲(チョンソンゴク、청성곡)」を聴く。ピアノを水琴窟のように脈を打たせて、古風にテグムの高音を響かせる・・・。

2012年9月17日月曜日

特別展「石の世界-地球・人類・科学-」

どうやら残暑を持ちこたえられなくなってきたようだ。昨夜の強雨で、午前の空は冴え渡り、木々の緑葉が太陽の陽を受けてきらきらと反射している。この透明感は台風一過に似ている。あるいは、ちょっとした高原の気分である。

そんな心地よい時間に、東大の駒場博物館で展示されている、特別展「石の世界-地球・人類・科学-」(7月21日~9月17日)に出かけた。実は先日、時間の都合で同展示の岩石展示(1F)しか見ていなかった。今日が最終日ということもあり、見損ねた鉱物展示(2F)を見ずにはおられぬという心境で観覧した。岩石展示と同規模を想定していたのだが、正直いって、鉱物展示は岩石展示の半分も満たなかった。内容も、日本産鉱物が主体というわけでもなかったし、工業製品や宝飾に使われる鉱物の応用といった・・・(子どもたちの)夏休み向けを意識したこじんまりしたものだった。

なお展示中の紫水晶のラベルに、慶尚南道蔚州郡三南面神佛山のものがあった。やや褐色に古びて見えるが形状はしっかりした群晶である。神佛山の麓に「紫水晶鉱山」という記載が「韓國道路地圖」(中央地圖文化社)に見られる。ちなみに同標本ラベルに、今はなき凡地学研究社からの購入と書かれていた。

(本ブログ関連:"特別展示「石の世界」"、"紫水晶"、"石の世界")


(余談)
帰りの電車、わたしの隣りが2席空いているところに、太目の女性と痩せた男性の若いペアが座った。甘えた女性が男性にしなだれたところ・・・支える男性がやがて力尽きてわたしの方に傾斜してきたのだ。おいおいと思いつつ、席を変えたのはいうまでもない。男は大変だね、頑張れ!

2012年9月16日日曜日

「枯葉」はまだ

今夕、ひと雨降っても残暑の鬱陶しさは癒えない。秋には程遠い日が続いている。それでも一足先に、秋の気分に少しひたってみようかな。

秋の代表曲はシャンソンの「枯葉(Les feuilles mortes)」だろうけれど、印象に残っているのは、やっぱりナット・キングコール(Nat King Cole、1919年3月17日~1965年2月15日)の英語版の歌("Autumn Leaves")だろう。アメリカンポップの目まぐるしい順位競争とは無縁な立ち位置にいた彼の歌に、都会的な独特な響きを子どもながら感じた。だから、何かにつけて彼の歌声が記憶のベースにある。

夏の思い出、秋の後悔、忘却の冬は迫ってくる・・・、なんだかセンチメンタルだねえ。やっぱり、この歌、暑い時期に聞くには早かったかもしれない。

(Youtubeに登録のPUNISHER6002に感謝)

(本ブログ関連:"ナット・キングコール")


(追記)
今晩遅く、NHKのBSプレミアム(午後11:30~午前0:00)で、【ココロとカラダ満つる時間(とき) おふっ、「とよた真帆 石は地球のプレゼント」】が放送された。俳優のとよた真帆が、地質や石に興味があるようで、自然景観を散策する番組だった。途中から見たので、長瀞の赤壁の河原観察と、長野県川上村の水晶の洞窟展示のシーンだけだが。もう一度、再放送してくれないかな。
「石(鉱物)が好き」というタレントがいると、無条件に好感を持ってしまう。彼女は美人だし・・・ね。

2012年9月15日土曜日

キム・ジョンホの「見知らぬ少女」

心と体を深く病んだ歌手キム・ジョンホ(김정호、1952年3月27日生まれ)が、肺結核のため短い生涯を終えたのは33歳と8ヶ月の1985年11月29日のことだ。その彼の代表曲「見知らぬ少女」(1974年)を知ったのは、ケイ・ウンスクのコンサートビデオ(1997年、新宿厚生年金会館)の中で歌われたことからだった。

(本ブログ関連:"キム・ジョンホ")

耳にいつまでも残る、しっとりとした憂いのある曲調のこの「見知らぬ少女(이름모를 소녀」を、Youtubeにある彼の声で聴いてみよう。
(Youtubeに登録のshvalueに感謝)

キム・ジョンホについて、Daumミュージックに掲載のユン・ホジュン(윤호준)の「世界を変えた歌9弾 -キム・ジョンホの"見知らぬ少女"」(2011.9.20)に次のように語られている。(一部抜粋)
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・「見知らぬ少女」には、実にキム・ジョンホの全てが含まれていた。ポップの一般的な進行形式に従わぬ曲構造、ギターのゆるやかなリズム、曖昧ながらも神秘的なバース(verse:節(ふし))のメロディ、途切れそうな切々たるリフレイン、うっすら感じさせる民謡あるいは国楽の香りが、互いを密かに共有した。曲をこのように切なくさせた彼は、舞台の上で大きな目をそっと閉じた。自分への没入、悲しみの極限に向かって突き進む姿であったし、今まで歌謡史で見られなかった姿だった。ビョン・ジンソプとシン・スンフンとユン・ジョンシンの音楽的先祖にキム・ジョンホを直ちに結びつけるのは無理があるだろうが、少なくとも情緒的側面で彼は韓国バラードの原形を提示した人物であることに間違いない。

・曲の前奏をあふれ満たす弦楽合奏が最近バラードにも同じように使われるという事実を勘案する時、「見知らぬ少女」は音楽的にもバラードの先輩の役割をする。・・・
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(本ブログ関連:"バラード"、"(資料)ユン・ホジュン「世界を変えた歌36弾-イ・ソンヒ"Jへ」"

2012年9月14日金曜日

天地真理の「恋する夏の日」

秋に入ったというのに、最高気温は30℃を下る気配はない。夏はとうに過ぎても、真夏日というこの名の暑さは一体いつまで続くのだろう。
近所にある植木園のサルスベリ(百日紅)は、なんとも中国風の紅紫の花弁が密集する時期は過ぎて、白く脱色されたような花が強い陽射しにもめげず所々に残っている。もしかすると、残暑に咲く種類なのかもしれないが。

まぶしい陽射しは健康的だし、そんな夏を歌った曲も健康的だ。
天地真理の「恋する夏の日」(1973年、作詞:山上路夫、作曲:森田公一)は、若さと健康さが同等であった時代の歌だ。テレビのブラウン管に映し出された彼女の溌剌とした姿は、近所のお嬢さんであり、お姉さんであった。新鮮で愛くるしかったその声は暖かく、まるで幼稚園の先生でもあり、保育園(所)の保育士でもあった。
今の彼女は、ヘウニ以上に変貌したけれど・・・。

(Youtubeに登録のtippu1958に感謝)

2012年9月13日木曜日

(資料)486世代

イ・ソンヒが当てはまる韓国の386世代について関心を持っている。ただし、彼女の行動と、386世代の持つ独特のイメージが同じであるというつもりはない。あくまで、世代の区切りとして見てみたい。

386世代には先鋭的なイメージがあったが、現在は社会的な中心に位置づけられている。彼らの動向は、今後の政治、経済に大きな影響を与える基点となるだろう。彼らは486世代と呼び変えられ、その存在について朝鮮日報は次のように報じている。

記事「働き盛りなのになぜ?職場追われる韓国の40代」(パク・ユヨン記者、2012/09/13)より。
・(40代社員のリストラと再就職から起業計画への事例)
韓国社会の主軸だった「486世代」(40代で、80年代に大学に通い、60年代生まれの人)が景気低迷のあおりで職場を追われている。統計庁は(9月)12日、8月の就業者数が前年同月比で36万4000人増えたが、40代は7000人減少し、3カ月連続の落ち込みとなったことを明らかにした。

■486世代の就業者、金融危機以来の減少
・8月の就業者の増減を年齢別に見ると、30代、50代、60代以上は前年同月に比べ増えたが、20代(9万8000人減)と40代は減少した。20代の減少は既に傾向として定着し社会問題になっているが、40代の減少は新たな現象だ。

(本ブログ関連:"(資料)40代の変化"、"(資料)40代の変化-2"、"(資料)ソウル市長選挙に見る世代別背景")

バナナオーレ

きのう、これもスーパーいなげやで購入した、伊藤園の190mg缶ジュース「バナナオーレ」(乳飲料、果汁1%)については、既にブログに記したと思っていたが、夕方冷蔵庫から取り出して飲みながら、ブログを確認したら未だなのに気付いて、あわてて記載する。

手のひらサイズの金属缶に入ったバナナオーレは、生乳(70%使用)のまろやかさもあり、甘過ぎず、濃すぎず調度よい。何より適当にバナナ風味もあり、量も(物足りないかなと次を期待したくなるように)ほどよい。
飲んだ後、喉の奥をイガイガさせるバナナ独特の食味もあってなかなかリアルだ。

バナナ味の巡礼はまだまだ続く。

(本ブログ関連:"バナナ味")

バナナアイスバー

バナナ味の出会いは続く。昨日、農工大前にあるスーパーいなげやで買った森永社製アイスバー「チェリオCheerioチョコバナナ」(アイスミルク、果汁5%)を冷蔵庫から取り出す。よく冷えている。
朝っぱらからアイスバーを食うのは、このブログの<バナナ味の巡礼>のためで・・・。

さて、このアイスバーは、3層構造で中心に生チョコ(「隠し味にブランデーをいれたやわらかいチョコ」)、その周りをバナナ味のアイス(「チョコとの組み合わせがおいしいバナナアイス」)、そして外側を固いチョコ(「ピーナッツを混ぜ込んだビターチョコ」)でコーティングした、手の込んだものだ。
バナナ味は口にした最初だけ感じるものの、次第にチョコの甘さに頭がキンキンしてくる。まさに子ども菓子にピッタリ・・・子どもって相変わらず、こんなに甘~いのが好きなんだろうね。
このバナナアイスバー、生チョコとピーナッツチョコの挟み撃ちじゃ~!って感じだ。

バナナ味の巡礼はまだ続く。

(本ブログ関連:"バナナ味")

(付記)
ところで、このアイスバーの名前に「チェリオCheerio」が使われているが、むかし懐かしい学生時代にお世話になった、安くて量に富んだ飲料水を思い出す。こんなことがあった。学生会館にいたとき、突然サイレン音がした。何事かと騒がしい現場をのぞくと、ある学生がチェリオの自動販売機の取り出し口に手を突っ込んで抜けなくなったらしい。消防隊、救急隊に助け出されたのだろうけど、結末は知らない。
アイスバーと飲料水が同じ名前ということから、両者に何か関係でもあるのだろうか。

2012年9月12日水曜日

思い出のページをめくれば

今から10年ほど前の2003年、当時の30代が記憶する最も印象的な歌であり、ファンが「最もイ・ソンヒらしい曲」と感じるという、彼女のアルバム6集(1990年)に所収の「思い出のページをめくれば(추억의 책장을 넘기면)」(作詞・作曲:ソン・シヒョン)を聴こう。

2004年、デビュー20周年を記念して世宗文化会館大劇場でイ・ソンヒの歌う姿は、Youtubeの数々の映像の中で最も輝かしいものである。

(本ブログ関連:"思い出のページをめくれば")



(Youtubeに登録のpops8090に感謝)

2012年9月11日火曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 趙相賢

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(9/5)に、人物シリーズ44回目としてパンソリ판소리)の名唱、趙相賢(チョ・サンヒョン、조상현、1939年~)を紹介した。
ところで番組ホームページにあるリンク先音源は「人物シリーズ」#39のもののようだが・・・

メディアの中での国楽の現状について紹介から始まった。
最近の韓国は、国楽を扱うテレビ番組はほとんど見当たらない。ラジオ番組も数えるほどしかなく、唯一国楽専門のラジオ局があるだけで、そこで細々と国楽の伝統を守っているのが現状である。30年ほど前には、テレビやラジオで毎日のように興甫伝(フンブジョン)や春香伝(チュニャンジョン)など伝統的なパンソリを物語とした唱劇が、連続ドラマのように何回にも分けて放送されたという。
・メディアでパンソリが華やかな時代に活躍した歌い手の一人に趙相賢がいた。

▼趙相賢によるパンソリ「春香歌(춘향가)」の中から「赤城歌(チョクソンガ(적성가)」を聴く。李夢龍(이몽룡)が南原の楼閣(広寒桜)で景色を眺めて・・・熱く熱く語る。

パンソリのよい歌い手の条件について解説された。
・昔、パンソリを体系化した学者申在孝(シン・ジェヒョ、신재효、1812年~1884年)が、よい歌い手の条件として次の4つを挙げた。
▽ 一つ目は「人物」。歌い手の見目形の意ではなく、観衆が好感を持てる顔であったり、パンソリの内容に合わせて、自由自在に表情を変えらるといった面で、人物が重要という。
▽ 二つ目は「語り」。
▽ 三つ目は「声や歌い方の美しさ」。パンソリの物語を、歌詞やメロディー、長短(リズム)で、正確に声で表現することは当然、登場人物の心情変化などをその中に込めることが重要という。
▽ 四つ目は「演技力」。パンソリは一人音楽劇であるため、演技力は無視できない重要なポイントという。
・趙相賢は、この4つの条件を全て備えた歌い手で、背が高く、がっしりとした体型で、春香歌の李夢龍役にまさにぴったりだったという。

次のように趙相賢のプロフィールが紹介された。
・10歳から歌を習う傍ら、近くのソダン(서당:寺子屋)で漢文を学ぶ。その結果、漢文の多い難しいパンソリの歌詞を正確に、その意味を理解し、伝えるように歌うと評価されている。

趙相賢によるパンソリ「沈清歌(심청가)」の中から「沈清の盲いた父が慟哭する題目(심봉사 통곡하는 대목)」を聴く。失意に唸り振り絞るように歌う。

プロフィール(続き)
・その後、赤壁歌(チョクビョッカ、적벽가)、興甫歌(フンボガ、흥보가)を学ぶ。趙相賢がパンソリを学んでいた時代、全国的に普及し始めたテレビではパンソリを放送する固定番組が多かったという。

趙相賢による短歌(단가)「四季歌(사철가)」を聴く。 漢詩的世界、素養がなければ意はつくせそうもないのかな・・・。

2012年9月10日月曜日

日没

東京天文台の歴計算によれば、東京の日没は最遅くて19:01。それが次第に時間が上る。つまり暗くなるのがはやくなるわけで、今日も気付けば夕方に慌てて玄関の明かりをつけた。
昼間は相変わらず夏の陽射しを残して、気温も30度を下がらずにいる。一見夏が続いているようだが、すでに秋なのだ。だから、それに気付いたときに驚くことになる・・・いつものことながら。

東京(東京都):Tokyo
2011___________  2012__________
2011.07.01  19:01  2012.07.01  19:01
2011.07.10  18:59  2012.07.10  18:59
2011.07.20  18:55  2012.07.20  18:54
2011.08.01  18:46  2012.08.01  18:45
2011.08.10  18:37  2012.08.10  18:36
2011.08.20  18:25  2012.08.20  18:25
2011.09.01  18:10  2012.09.01  18:09
2011.09.10  17:57  2012.09.10  17:56

2012年9月9日日曜日

サマータイム

先日(8/19)、本ブログでコーラスグループ、サーカスの「Mr.サマータイム」(1978年)を聴いた。そこで、今日はサマータイムに合わせて、ジョージ・ガーシュウィン(George Gershwin、1898年9月26日~1937年7月11日)のオペラ「ポーギーとベス(Porgy and Bess)」(1935年)から「サマータイム(Summertime)」を聴こう。

小さな漁労の船着き場で、夫の帰りを待ちながら赤子に歌う母親の子守唄。Youtubeに登録の映画(Samuel Goldwyn、1959年)版は画面の色調が暗く、歌は切ない。明るい陽を浴びて底抜けに陽気な夏のイメージとはほど遠く、その日その日を精一杯働くひとびとの生活を想い感じさせる・・・といっても、この映画を見たわけではないので、安易な感情移入はご法度。

昨晩、NHKの番組「SONGS」で、ノラ・ジョーンズ(Norah Jones)が特集された。生い立ち、デビューそのものがドラマチックだし、独特な発声にひかれる。番組では歌われなかったが、彼女の「サマータイム」を聴いてみる。先日のラジオ番組では、カントリーとの関係が強調されていたが、この歌のように、ちょっと甘くてアンニュイなジャズがいいかもね。

(Youtubeに登録のlomonacodimitri、westdensに感謝)

2012年9月8日土曜日

イ・ソンヒの「少女と街灯り」

舌癌に倒れた兄(歌手チャン・ヒョン)の看病に疲れた、シンガーソングライター、チャン・ドク(장덕:1962年4月21日~1990年2月4日)は、兄より半年先に悲しい最後を遂げた。

彼女の追悼記念LPアルバム(1990年6月)に収録された、彼女の作詞・作曲した「少女と街灯り(소녀와 가로등)」を、Youtubeに登録されているイ・ソンヒの歌で聴いてみよう。

< 星ひとつない静かな夜、街灯の青白い明かりに少女は何を想うのだろうか >

なお、アルバム「イ・ソンヒ/チャン・ドク/チャン・ヒョン競唱(이선희/장덕/장현히트곡경창)」(1993年)にも同曲が収められている。


(Youtubeに登録のcarcass1178に感謝)

2012年9月7日金曜日

白露2012

今日は、二十四節気の(立春から数えて)15番目の「白露(はくろ)」である。白露の時季といっても露が草葉に着いた光景を、正直思い出せない。露といえば、むしろ夏の高原で、早朝の朝陽を受けて草花の上で輝いている記憶の方が強いかもしれない。

まだまだ暑さが残る小金井公園で、木立の合間を通り抜ける風に涼をとりながら、ベンチに座って書を読む。のんびりと緑陰の読書なのだが・・・やがて、知らぬ間に薮蚊が肘を刺す。そうなれば退散の時期だ。遠目には穏やかな読書姿に見えるかもしれないが、結構虫に襲われる。

ところで、小金井公園にはどうしてカラスが多いのだろう。野川公園では僅かしか目にしない(鳴き声も聞こえない)のに。

2012年9月6日木曜日

竹刀(しない)

天気予報によれば、熱暑はまだ続くようだが、ツクツクボウシの声が聞こえなくなったし、朝晩の水道水もヒンヤリしてきた。そろそろ夏は終わりのようだ。

武蔵小金井駅そばの農工大通りに、前から気になっていた剣道の武具店がある。実は、竹刀の小刀がないものかと先日のぞいてみたが、残念ながら置いてないという話だった。ありがたいことに何とその場で、竹刀の先端を切り落として小刀を作ってくれたのだ。感謝。

ところで、なぜ竹刀かって。実は、家にあった掃除に使う棒を竹刀のように上下に素振りしたところ、よろよろと揺れながら下りたのだ。いうまでもなく、筋力のバランスがとれなくなっていたのだ。そこで、家の中で素振りしても大丈夫な小刀の竹刀を探した・・・というわけだ。

持ち帰って、部屋の中で振り回しているが、いつまで続くものか。庭に出てやってもいいのだが、ちょっとはずかしい?

2012年9月5日水曜日

イ・ソンヒの「離別小曲」

イ・ソンヒが、1998年のアルバム11集以来3年振りに、2001年3月26日リリーズした12集「MY LIFE」所収の名曲「離別小曲(이별 소곡)」(歌詞)は、いつも常に傍らにいた人を失った想いを歌う、自伝的要素を持ったものともいわれている。

Youtubeの映像は、聴衆が舞台下の観客の立場から、彼女の歌の世界に引き込まれていった様が見受けられる。

(本ブログ関連:"離別小曲")



(Youtubeに登録のdove2727に感謝)

2012年9月4日火曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 クリム(The林)

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(8/29)に、人物シリーズ43回目としてフュージョン国楽グループ・クリム(그림)を紹介した。

クリム誕生の紹介から始まった。
・1985年、音楽団体スルギドゥン(슬기둥)が初めて、大衆歌謡形式の国楽曲の発表を機に、2000年代に入り若い音楽家たちの手で本格的に<フュージョン国楽>という分野が確立され、その流れの中でクリムが誕生した。

▼クリムの演奏による「路戯(길놀이)」*を聴く。洋楽(器)と融合すると、固有の大地の響きより広い響きがしてくる・・・聞く耳、聞きたい耳、聞かせたい耳が集まる。
(*)むかし、本格的に演奏を始める前に、関心を集めるため演じたものと解説が加えられた。

クリムというグループの説明の続き。
・2001年1月 打楽器演奏家兼、作曲家のシン・チャンニョルの呼びかけで、国立国楽高校の同級生の、コムンゴのパク・チャンユン、カヤグムのチョン・ヘシム、ヘグムのキム・ジュリなどにより結成された。
・伝統的音楽だけに没頭してきた演奏家たちにとって、全く新しい世界だった。
・伝統音楽を教えてきた先生たちからは激しく叱責され、その存続が危ぶまれる時期もあった。紆余曲折を乗り越え、伝統的な国楽公演ホールではなく、若者たちの集まる空間を主な演奏場所とて育った・・・という。

▼クリムの演奏による「歌客(가객)」を聴く。西洋宗教音楽風に響かせて始まる。やがて中東のイメージがして・・・いろいろ試行錯誤の一つだろう。

クリムの名称(語義)について次のように解説された。
・グループ名クリムの正式表記は、英語冠詞「The」と漢字「林」を合成した「The林」で、「その林」を意味する。韓国語「その=ク(그)」と漢字「林=リム(림)」を合わせて「クリム」と呼んでいる。
・伝統音楽の<林>の中で、若者たちの感性に合った音楽を生み出し、そこから新しい<林>を作り出す若い演奏家たちをイメージした名前・・・とのこと。

▼クリムの演奏による「Cool Running」を聴く。若者に受け入れられる音楽、新しい音楽、として聞かせていただいた。

(補足)
・現在メンバーは、シン・チャンリョル(신창렬:作曲、パーカッション)、コ・ソクジン(고석진:作曲、ギター)、キム・ジュリ(김주리:ヘグム)、パク・ウジン(박우진:ベースギター)、シン・ヒョンジョン(신현정:作曲、ピアノ、シンセサイザー)、チョン・ヘシム(정혜심:カヤグム)、チョン·ジンウ(정진우:テグム、テピョンソ)が一緒に活動している。

2012年9月3日月曜日

ドルニエ228の鼻先

ほんのちょっと似てるだけのはなし・・・。
調布飛行場で見たNCA新中央航空)所有の高翼双発機ドルニエ228の鼻先が妙に気になって・・・何んだか似てるなあと思ったのが、新幹線700系先頭車両のノーズ形状だ。

(本ブログ関連:”調布飛行場”)

地上から見上げて気付かないが、Youtubeの映像では、若干俯角にドルニエ228の鼻先が見えるのでわかりやすい。
(Youtubeに登録のzakianateiに感謝)

今日はそれだけのはなしです。

2012年9月2日日曜日

イ・ソンヒのプロフィール

イ・ソンヒのプロフィールについて、インターネット上に記された情報を紹介してきた。

そこで、本ブログ画面の左側にある「ブログ本文&資料」>「資料:이선희 Profile」のページに、関連する過去の本ブログ記事を転載した。
ただし、彼女の生い立ちを追って(情報源を確証しつつ)作成したわけではないので、内容に重複したり矛盾するところがあるかもしれない。

彼女の生い立ちに沿って、過去の本ブログ記事を修正することなく、順次記事を転載していく予定。


(付記)
東大駒場の博物館で、展示「石の世界」(7月21日~9月17日)を開催している。昼に田園都市線に乗るため、昼前の30分ほどの短時間で観覧しようとしたが・・・1階の岩石展示場を見るだけで終わってしまった。あらためて、2階の鉱物展示場を訪れなければならない。
・展示品(岩石・鉱物)一覧のプリントが置いてあった。
・展示パネル内容のプリントが置いてあった。・・・他の博物館でも願いたいサービスだ。

2012年9月1日土曜日

Those Lazy-Hazy-Crazy Days of Summer

朝から曇り空。あやしい天候は、やがて昼頃に通り雨となって、辺りに激しい雨音を繰り返し響かせた。いっとき涼むものの、湿気の多い蒸し暑い空気が戻ってくる。

さて、今日も「クレイジー」でいきましょう。ナット・キング・コール(Nat King Cole、1919年~1965年)が没2年前にヒットを飾ったうちのひとつである、「Those Lazy-Hazy-Crazy Days of Summer」(1963年)はどうだろうか。

若いってクレイジーだから、だらだらと、ぼ~っとした夏の陽射しの中に飛び込んでいく・・・めざす娘(こ)がいれば最高。そんな夏がいつでもいてくれたらなんて願ったりして。このくそ暑い夏にだよ。

いっそ冷や水を浴びたいね。いつまでもだらだらとこんな夏が続くなんて。・・・でも、冬はもっといやだよ。

(Youtubeに登録のchargertomに感謝)

(本ブログ関連:"ナット・キング・コール")

2012年8月31日金曜日

クレイジーラブ

最近、トタン屋根を見ない。陽に焼けた屋根の上で泣く猫を見ることもない。暑さにみんな逃げ出した。わたしも、駅のそばのマクドナルドで涼をとることにする。ここは冷風がきついので、ホットコーヒーのMサイズを頼む。店内に親子連れが、それも父と子が結構いた。幼い子の「おいしいねえ」という声が聞こえてくると、何だか心が和む。そんな、のんびりした避暑とは別に・・・。

昨日の「クレイジーホース」のクレイジーつながりで、今日は恋狂い(恋に夢中)の歌、ポール・アンカPaul Anka)の「クレイジーラヴ(Crazy Love)」(1958年)を聴こう。ああ歳をとると、このクソ暑いときに、クレイジーラブといっても暑苦しい・・・と思うようになってしまった。他方、若者は元気で良い。

ポール・アンカは視覚的というより、どちらかといえばラジオで聞いた聴覚的な存在だった。だから、この歌はYoutubeで、静止画の方が似合っている。
ところで昔、写真で見た彼の容姿から、てっきりイタリア系だと思っていた・・・。

(Youtubeに登録のJunievelascoに感謝)

2012年8月30日木曜日

クレイジーホース

今日も一日暑く、外出すれば吹き出る汗でシャツが濡れてしまい、乾かす場所を探すのに大変だった。
 
最近、外出のヒントをいろいろと与えてくれる親類の紹介で、今夕Bunkamuraのル・シネマに映画「クレイジーホース・パリ」(監督フレデリック・ワイズマン:Frederick Wiseman)を見に出かけた。
 
谷底にある渋谷の街は、暑いうえに若者たちの人混みと熱気で息苦しい・・・本当に。
 
上映時間まで間があるので、Bunkamuraのザ・ミュージアムで開催のロシア革命前の画家「(イリヤ・)レーピンИлья́ Ефи́мович Ре́пин)」展を観覧する。惜しいことに、彼の代表作*のほとんどは出展されていない。せめて今回提携のトレチャコフ美術館所蔵の(まるで広角レンズで映じたような大衆のどよめきが聞こえる)ダイナミックな「クルスク県の復活大祭の十字行」が展示されていたら。
(*)「ヴォルガの舟曳き」、「トルコのスルタンへ手紙を書くザポロージャ・コサック」(共にロシア美術館所蔵)
 とはいえ、現物のデッサンを間近に見て、どうしてこんな筆致に描けるのだろうと感嘆するばかり。
 
そんな、ボルガの船曳きに代表される、ロシア革命前の苦難の時代からいきなり、現在のパリの別世界「クレイジーホース」に飛び込んだわけだ。題名のクレイジーホースは、紳士淑女や観光客の目を楽しませるパリのナイトスポットである。
 
正直いって、イ・ソンヒとは全くの別世界で・・・戸惑いっぱなし。
 
映画の中のダンサーの会話、制作者たちの議論をとらえたドキュメンタリー手法は、観客にいろいろと考えさせるのだろうが・・・残像にあるのは、おじさんとしてはダンサーのヒップ(お尻)とウェスト(腰)だけだ、やっぱり。
 
クレイジーホースの総支配人は、シルクド・ソレイユで12年間働いたそうで、そのあたりから、同舞台の監督をつとめたフィリップ・ドゥクフレ(Philippe Decouflé)**との縁があったのだろうか。
(**)ドゥクフレは、何と31歳の若さで、1992年のアルベールビル・オリンピックの開会式・閉会式の演出を担当している。当時の映像をYoutubeで見ると、演出にシルクド・ソレイユのイメージが重なる。
(Youtubeに登録のplaythefutureに感謝)
なお、彼に関する情報および来日の契機と関わりについて、親類からいろいろ話を聞いている。
 
映画の前半に、ドゥクフレはおおいに持論を語っていたが、後半になるとそれがどんどん少なくなっていった。(単に編集の都合ということだけとは思えない)
ダンスの「演出」という監督者のドゥクフレと、若手の「芸術監督」のアリ・マフダビとの関係が気になる。それは、彼らの役割・仕事の分担というだけでなく、人生の立場と考え方について・・・。
 
ドゥクフレが、アルベール・オリンピックの開・閉会式の演出を周りから任されたときのように、若手の芸術監督に対するものがあったのではと推測したが考えすぎだろうか。現在、50歳のドゥクフレと38歳の芸術監督アリ・マフダビの間柄だ。
 
アートの現場と同時にいろいろな人生も垣間見えたようなドキュメンタリーだ。


(付記)
クレイジー・ホースの名から、米国のネイティブ・インディアンのオグララ・スー族の戦士で英雄である「クレイージー・ホース」(Crazy Horse、1843年~1877年)を思い出す。彼がシッティング・ブル(Sitting Bull)とともに、インディアン掃討を図る米国第7騎兵隊のカスター将軍(George Armstrong Custer)以下を、1876年6月25日にリトル・ビッグホーン(Little Bighorn)で全滅させたことは、子どもの頃に西部劇映画の洗礼をうけた者なら知らない者はいない。

(補足)
茶の間のテレビ番組でも西部劇中の騎兵隊は容赦なかった。それが道義上許されなくなると次に登場したのが、第二次大戦の戦争もの(例えば「コンバット」(Combat!、1962年~1967年))だった。そこでは、米兵の銃弾に ドイツ兵が、まるで西部劇を繰り返すように次々もんどりうって倒れた。
ちなみに、イ・ソンヒの生まれた1964年に上映された映画「シャイアン」(Cheyenne Autumn)は、時代の風潮をうけて、以前の西部劇とは違った視点で作られるようになった頃のものだ。

(本ブログ関連:"映画の記憶")

2012年8月29日水曜日

イ・ソンヒの「一輪菊」

イ・ソンヒのアルバム9集(1994年)の第一曲目に所収の、アルバムタイトル曲でもある「一輪菊(한송이 국화)」(作詞チェ・ユジョン、作曲ヤン・ムンソン)がYoutubeに登録されているので聞こう。

既に記したものと重複するが次に記す。
黄色い花びらの一輪の野菊を眺めるとあなたを想うよと、東洋的な余韻をもって始まるものの、すぐにロックスタイルに力強く展開する可愛らしくも元気な歌だ。そう、照明の色も・・・。
ある意味、彼女の変曲点でもあった、伝統音楽(国楽)と接点をもったアルバム8集の次にチャレンジしたのが、このアルバム(9集)だったわけだ。
ところで、彼女は高校時代にハードロックに凝っていたという・・・なるほど。

(本ブログ関連:"一輪菊")



(Youtubeに登録の526apolloに感謝)

2012年8月28日火曜日

みつばちの記憶

思い出というのは実際不確かなもので、母親の背におぶられた写真から、記憶の底にあるとは思えない背景の町並みを定着して確信に変える。幼ければ幼いほど、原風景や心象は刷り込みに似て形作られるのかもしれない。

それでも、そんな親が伝える写真や言葉もないのに、自分だけの心にある光景がある。
ずっと幼い3、4歳の頃だろうか、母の干す白いシーツがまぶしい、そんな小さな庭先に咲いたヒナギクの花弁に蜜を求めて飛んでくるみつばちを素手で捕まえていたのだ。それも、手のひらに包むほどにたくさん。不思議なことに、みつばちはどれも刺さなかった。まるで眠るようにじっとかたまっていたのだ。
そんな思い出は、思い込みで作られたのではと解してしまいそうだが、間違いのない懐かしい記憶だ。

公園の花壇にみつばちを見るたび、手のひらにじっと一緒にいたみつばちの記憶がよみがえる。

2012年8月27日月曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 ノムルマチ

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(8/22)に、人物シリーズ42回目として国楽創作演奏グループ「ノルムマチ(노름마치)」を紹介した。

ノルムマチとは?の紹介から始まった。
・公演やコンサートのステージの最後を、最も人気ある人がつとめるトリ文化は、古今東西問わず、韓国もそうである。朝鮮時代に、男寺党牌(ナムサダンペ、남사당패)という放浪芸人一座があり、その中でも最も芸に優れて最後に登場する人物を「ノルムマチ(노름마치)」と呼んだ。ノルム(노름=遊び)と、マチ(마치=終える)の意が合わさり、「共に遊ぶ時間を終える人物」を指す。
・1978年に誕生した「サムルノリ사물놀이)」のメンバー、イ・グァンス(이광수)が呼びかけ人となり、1993年に「イ・グァンスとノルムマチ」が誕生。
・ノルムマチが一般に知られたは、2005年の(燕山君と男大道芸人(クァンデ、광대、広大)を組合わせた)映画「王の男」におけるクァンデの演技指導や出演がきっかけという。・・・当方未見。
・代表やメンバーは変遷して・・・現在、パンソリ専門のキム・ジュホン(김주홍)が代表兼芸術監督を務め、これにイ・ホウォン(이호원)、オ・ヒョンジュ(오현주)、キム・ジョンミョン(김종명)の3人のメンバーが加わり活動を行っている。

▼ノルムマチによる「ピナリ(비나리-축원)」を聴く。ここでは日本の民謡に韓国のリズム(サムルノリ)を合体したような・・・。

▼ノルムマチによる「打(타징)」を聴く。銅鑼の音とテビョンソで始る、どこか宗教的な音色にアレンジが加わり始めたところで・・・この先どう展開するのだろうか聞きたい。

ノルムマチの基本的な特徴を次のように解説されている。
・彼らの音楽がより特別なものに感じるのは、安易に他国の楽器をとり入れたり、公演形式を崩したりすることなく、韓国の伝統楽器やメロディー、長短(장단)を基本とした音楽で人々の心を惹きつけているからではないでしょうか。

▼ノルムマチによる「ノルムマチシナウイ(시나위)」を聴く。これも総合化という複層的な響きがするものの・・・躍動感に溢れている。
(本ブログ関連:"韓国の風景")

2012年8月26日日曜日

西沢鉱山2012

2月に風邪をひいてすっかり体調を崩して以来、初の鉱物採集に出かけた。
栃木の鉱物仲間と一緒に、栃木県塩谷郡栗山村にある西沢鉱山(金山跡)を訪れる。前回来たときは、堆積物で埋まったダムを越えて、岩の転がるゆるい沢を登っての採集だったが、今回はかつて大規模鉱山(金山・銀山)跡地の湯川橋近辺での採集である。

採集目標である代表鉱物(マチルダ鉱/自然金、濃紅銀鉱、淡紅銀鉱)には、またしてもお目にかかることができなかったが、一応成果物は次の通り。

・玉髄、水晶、黄鉄鉱、閃亜鉛鉱、方鉛鉱、・・・ああ、それだけとはいえ、無事復帰できたことは喜ばしい。

ところで、今日の採集を始めた場所で、なぜかアサギマダラがわたしの周りを飛翔して、肩や背にとまり、終いには手の甲でしばらく羽を休めていた。次の採集場所に移ろうとすると、蝶は姿を消した。とても不思議な経験をした。

(本ブログ関連:"西沢鉱山"、"机上鉱山道具採集")

2012年8月25日土曜日

デザインサロントーク

以前、旧知が広告代理店にいて、地方公共団体などと一緒に、地域おこしや町おこしのイベントを総合的に企画していた。時代の趨勢に大きく影響されるそうで、果たして現在はどのような状況だろうか。

ところで、個々のお客(クライアント)とデザイナーの関係は、時代に関わりなく存在するわけで、そんな現場の話を、銀座松屋で開かれている「みつばち先生 鈴木輝隆展 咲いている花は絶対見逃さない」*のデザインサロントークで聞かせていただいた。
(*)実はこれも以前、東京大学総合研究博物館の特別展示「生きる形」を教えてくれて、図解事典「骨単(ホネタン)」の出版に関わっていると遠縁から紹介された。

アートに無縁の素人ゆえ、今日のトークで聞いた話を何かに転化できるわけでもなく、その場その時うなずくだけであるが・・・とはいえ実際に作製に当たった温泉のポスターやワインラベルのデザインの経緯から、クライアントに対するデザイナーの真摯な態度を知ることになる。
最後に「問題解決」という言葉があったが、司会者がデザイナーを(いわゆる)コンサルとは違いますよといっていたのが可笑しい。

ああ、それにしても今日は暑かった。帰り道、乗換駅の荻窪で立食いの冷やしたぬき蕎麦を食う。美味かった。

2012年8月24日金曜日

イ・ソンヒの「あなたが私を愛されるなら」 フルート前奏

イ・ソンヒが、「あなたが私を愛されるなら(그대가 나를 사랑하신다면)」(歌詞)の始まりにフルートを奏でる、1994年秋(9月)のコンサート映像がYoutubeに登録されているので聴いてみよう。(なお同曲は、1991年のアルバム7集に所収)

彼女のフルート演奏を初めて見た。ステージに工夫を加えようとチャレンジしている。そういえば、2009年、ソウルのCOEXオーディトリウムのコンサートでも、ギターやキーボードを演奏して歌っていた姿を思い出す。

(本ブログ関連:"あなたが私を愛されるなら")



(Youtubeに登録のToko5766に感謝)

2012年8月23日木曜日

千年鶴

映画「風の丘を越えて ソピョンジェ(西便制)」(1993年)の続編にあたる、映画「千年鶴(原題:천년학)」(2006年)を、 韓国文化院ハンマダンホールで見る。両編ともにイム・クォンテク監督の作品である。

それぞれ生い立ちの違う二人が、姉弟としてパンソリ師匠に育てられる映画「風の丘を越えて 西便制」は、パンソリのひそかな伝承を神話のごとく描いたからこそ、人々の共鳴を得たのだろう。姉と弟のその後を、プロットに追いつくように語られる「千年鶴」には、期待されるような幻想はなく、生身の人生だけが横たわる。
盲いた姉を探し求める弟に、果たして理があるのだろうか・・・人生を経るということは、つまり離別したときのままではない自身の理を問われることでもあるようだ。

KBS WORLDの「国楽の世界へ」は何度となくパンソリを聞かせて、その歴史を教えてくれる。そんなパンソリが物語の、それも庶民感情ままの場面で歌われると、今までと違って聞こえてくる。

(本ブログ関連:"西便制")

2012年8月22日水曜日

イ・ソンヒの「愛しただけなのに」

イ・ソンヒのアルバム10集 「First Love」(1996年)所収の第1曲「愛しただけなのに(사랑했을 뿐인데)」(作詞・作曲イ・ソンヒ)が、Youtubeに登録されているので聴いてみよう。彼女の独特な高音の特性を抑え、全体にしっとりした歌い方にして・・・やがて引き込まれるだろう。
彼女が本格的にシンガーソングライターに変身したといわれるこのアルバムは、ほぼ全て彼女が作詞・作曲したものである。

(本ブログ関連:"愛しただけなのに")



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2012年8月21日火曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 安翡翠

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(8/15)に、人物シリーズ41回目として京畿民謡の芸能保有者、安翡翠(アン・ビチィ、안비취、1926年~1997年)を紹介した。

古来ひとびとは歌と踊りを好んできた。今も宴会の席に欠かせない曲の紹介から始まった。

▼安翡翠の歌による「倡夫打令(チャンブタリョン、창부타령)」を聴く。掛け合いでなく独唱で聞かせ、地味ながら次第に踊りを誘う雰囲気がする。

この「倡夫打令」について次のように解説された。
・ソウル、京畿道地域で、占い師の巫堂(ムーダン、무당)がお祓い(クッ、굿)のときの歌が元になり、歌や踊りの神である倡夫(チャンブ、창부)を慰める際に歌われたという。日頃生活は厳しくとも、神と共に歌い踊り楽しもうという、庶民の切実な心情が伝わる一曲・・・とのこと。

次のように安翡翠のプロフィールが紹介された。
・1926年 ソウルで雑貨店を営む裕福な家に生まれる。
・13歳のとき、家出を決行し、正楽教習所に入る。
・1975年 李銀珠(イ・ウンジュ、이은주)、黙桂月(ムク・ケウォル、묵계월)と共に、重要無形文化財第57号、京畿民謡の芸能保有者に指定され、主にこの3人で音楽活動を行って、<安翡翠、黙桂月、李銀珠>の名で呼ばれる。
・1997年1月 没す。弟子のイ・チュンヒ(이춘희)が師匠の歌を引継ぎ発展している。

さらに安翡翠の名について次のような紹介がされた。
・安翡翠の本名は安福植(アン・ポクシク、안복식)である。福植は、韓国で男子の名だが、安翡翠のすぐ上の姉が幼いころ亡くなったため、次の娘は健康で長く生きて欲しいという両親の願いから授けられたという。
・翡翠の名は、16歳で初めてテレビ出演した際、師匠がつけた芸名である。翡翠*は、鳥の名前で、鳥のように美しい声で歌って欲しいという思いが込められている。
(*補注)ちなみに宝石のヒスイも、「翡翠」の字があてられ、原義は中国で元々鳥の「カワセミ」を指す言葉とのこと。

▼安翡翠、黙桂月、李銀珠の歌による「小春香歌(ソチュニャンガ、소춘향가)」を聴く。ゆったりと歌うホモフォニーの調べ・・・恋の歌なのかなあ。

この「小春香歌」について次のように解説された。
・「京畿雑歌」といわれる歌のひとつで、重要無形文化財に指定された。京畿民謡は、よく耳にするアリランやトラジタリョンなどではなく、京畿雑歌に属する曲を指す。京畿雑歌はこれまでに12曲が伝承されて「京畿12雑歌」とも呼ばれ、また舞台に座って歌うため、座唱(좌창)と言われることもある・・・とのこと。

▼安翡翠の歌による「悔心曲(フェシムゴク、회심곡)」(回心曲)を聴く。以前、松庵和尚の紹介のときに聴いたとき民謡風な感じがしたが、今回は宗教的な響きがしてくるのも不思議。
・・・イ・ソンヒと縁のある、宗教曲"梵唄"をいつかしっかりと聴いてみたいし・・・そんな機会が欲しい。

2012年8月20日月曜日

プロペラカフェ

今日の暑い日中、先週(8/16)行ったばかりの調布飛行場に再び訪れ、空港内のレストラン「プロペラカフェ」に寄って昼食をとることにした。

最初に目にしたのは、月曜日のためか、空港北側でNCA(新中央航空)の高翼双発機ドルニエ228が3機もならんで(掃除?をして)いる光景だ。

前回、旅客ターミナルの待合室に行ったとき、コーヒーを飲める場所が見つからず、帰宅後インターネットで調べたところ、プロペラカフェを知った。旅客ターミナルを更に南側に進むとAEROTECの表示のある建物があって、その1階にプロペラカフェがある。

同カフェ窓側席から、飛行場の様子を見ることができる。早速そこに座って、ランチメニューからベーコンエッグバーガーをいただく。一言で、ボリュームあり過ぎ。とはいえ、フライドポテトをゆっくり(時間をかけて)つまみながら、窓から直ぐの所に駐機している単発機2機種の姿を見る。
・JA72XL: Liberty XL2 ・・・ とりあえず、そのママじっと待機。
・JA4022: SOCATA、TB-21・・・ 整備の仕上がり点検のようで、昼食中ずっと、エンジンを吹かしたり、水平尾翼昇降舵を上下したりと、いろいろ観賞させてもらった。

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(本ブログ関連:"調布飛行場")

2012年8月19日日曜日

サーカスの「Mr.サマータイム」

暑い今日は、懐かしく、それでいて今なおお洒落な歌である、サーカスの(本格)デビュー曲「Mr.サマータイム」(1978年)をYoutubeで聴いてみよう。

デビュー当時、かれらの洗練されたコーラスにひかれた。軽快で透明感のある歌声が心地よかった。それは、端正な合唱でもなく、ムードあふれる歌謡でもない、新しくてとても新鮮な響きがした。テレビの歌番組でも、彼らの存在は独特な輝きを持って抜きんでていたような気がする。そして、TV画面のなかに、なぜか(長女)叶正子の姿ばかり見ていたのを思い出す。



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2012年8月18日土曜日

天気雨

昨日観覧した江戸東京たてもの園の「武蔵野の歴史と考古学」展は、今日、東京都埋蔵文化財センターの研究員によるスペシャルトークがあり、再び出かけた。
スペシャルトークのタイトルは、「ギャラリー展『縄文中期の様と美』を中心に」とのことで、縄文土器の形状や装飾模様から同時代の美意識が聞かれると期待したが、とても慎重で素人受けするような言葉はほとんどなかった・・・研究者として誠実であることを後で納得する。

ところで、装身具の展示品については次のように語られた。
・白い貝の中心をくりぬいて作った貝輪(腕輪)は、「見た感じ小さく思われるが、子どものときから身に着けさせたようだ」とのこと。
・耳飾りにいくつか大小のサイズがあることについて、「(シャーマン家系で子どもの頃から)ピアスのようにして、小さいものから大きなものへと順に装着したようだ」とのこと。5cm位のサイズはある、国指定重要文化財の「土製耳飾」(縄文時代晩期)*が耳に飾られたのもうなづける。この「土製耳飾」は、弁柄(べんがら、赤鉄鉱:酸化第2鉄)によって赤茶色に色付けされているそうだ。

(*)「多摩の博物館に行こう - デジタルアーカイブ」(#21)に次のような解説がある。
・この耳飾は、昭和43年(1968)に調布市下布田遺跡から出土しました。今から約2500年前の縄文時代晩期の遺跡で、京王線の布田駅から南へ1.5km、多摩川に沿った大地にあり、その中心部は国指定の史跡として保存されています。
この耳飾の製法は、粘土が生乾きの段階を見計らってタイミングよく削って形を整え、焼いた後、樹脂に混ぜた赤色顔料のベンガラを塗って仕上げられたものです

(本ブログ関連:"武蔵野の歴史と考古学")

帰り道、五日市街道沿いのマクドナルドで休憩した後、外に出て空を見ると、空の西半分太陽光に明るく、東半分がうす曇の境目になっていた。そして次第に天気雨(狐の嫁入り)になった。それまで暑さにうんざりしていたので、雨宿りすることなくそのまま雨道に出た。
からっとした空気のなかに降る雨は、いつもの雨と違っていた。濡れるに任せて進むうち、雨は次第にやみ、しばらくすると濡れた衣服と髪が乾きはじめたのだ。しばらくしてすっかり乾いたことはいうまでもない。こんなことは初めての経験かもしれない・・・なるほど、相の入り混じる微妙な場の出来ごとだ。もしかしたら、向こうの木立の奥で狐がコンと鳴いていたかもしれない。

2012年8月17日金曜日

武蔵野の歴史と考古学


というわけで、路面の照り返しがきついものの、平坦な道で行ける小金井公園に足を運んだ。公園内の江戸東京たてもの園で、同園の開園20周年記念「武蔵野の歴史と考古学」の展示を見学した。展示物は、同園の収蔵品であり、昨年も同様な展示があった。
縄文土器は、デザインされた外形(=同心円)や機能(=生活に近づける)を意識しているようには見えない。機能が優先することで無地を作る弥生土器以前の、形あるものに相似させるような、存在に対する祈りが込められているように思える。
ところで、今回も展示の「土製耳飾」(縄文時代晩期)の繊細で洗練された美しさに・・・今も通用するのではと素人ながら感嘆する。何度見ても美しい(もっと明かりが欲しい!)。

同展示のため、スペシャルトーク「ギャラリー展『縄文中期の様と美』を中心に」が明日(8/18、14:30~)ある。せっかくだから明日もう一度行くかな。(ちなみに。わたしは同園の「友の会」会員である)

それにしても、今日は特別暑かった。読売テレビの記事「東京都心で35.7℃、今年一番の暑さに」(8/17、17:34)によれば、都心の今年最高気温を次のように報じている。

・17日も広い範囲で猛烈な暑さとなり、東京都心では今年一番の暑さを記録した。一方、この暑さの影響で大気の状態が不安定となり、広い範囲で激しい雷雨となっている。
・東京都心は17日朝から気温が高く、午後2時前に最高気温35.7℃を記録、今年一番の暑さとなった。全国で最も暑かったのは群馬・館林の38.0℃。

2012年8月16日木曜日

調布飛行場

いつも上空を低く轟かせながら東から飛来した小型プロペラ機が、機首を南に旋回して着陸姿勢をとる光景が見られる。その先にあるのが調布飛行場で、今日はそこへ行ってみることにした。

陽射しが強いせいか人影がまばらな野川公園を南に進む。舗装された散歩道は木立が並び、木陰が太陽の直射から守ってくれるのが幸いだ。とはいえ、公園に唯一ある売店の自動販売機で冷たい飲料水を求め一息つく。

人見街道と面した公園の正門を左折して、しばらく歩くと龍源寺が街道の左手にある。ここに近藤勇の墓所があるとのこと。境内に入らなかったが、寺の前に近藤勇の(彼の写真と言われる顔立ちとそっくりな)リアルな坐像があり、ここに彼の墓があることを示す石碑も並んでいる。正直、新撰組についてよく知らない・・・別の機会に訪れてみよう。

さて、龍源寺のある人見街道から分かれて、南に道を進む。飛行機の爆音がしても機影が見えないもどかしい思いをしながら・・・ようやく調布飛行場(東京都調布飛行場)の端に着く。
考えてみれば都下にあるローカル飛行場(都営コミューター空港)なわけで、想像したよりも小さくて、見た目は大きい。タキシングエリアとそれに平行した離着陸用滑走路が一本ある。とはいえ、絶え間なく離発着が繰り返されていた。

(本ブログ関連:”調布飛行場”)

調布飛行場の花形は、NCA新中央航空)所有の高翼双発機ドルニエ228だろう。ジェットエンジンそのものとは違うが、プロペラを廻すターボプロップのエンジン音に耳をかたむけてしまう。やがて、ドルニエ機は意外なほどあっさり短距離(STOL?)で、大島、新島、神津島に向かって離陸した。やはりプロペラ機は美しい。

旅客ターミナル前に並ぶタクシーの運転手が、「今度は15名だ」と連絡し合っていた。ドルニエ機は、定員19名近く旅客を載せて運行しているのだろう。アルミサッシの手開きというシンプルな旅客ターミナルの入り口を入ると、中は旅客で混雑していた。飾りのない待合室そのものだった。

飛行場の周辺は金網の塀で囲われていて、北側に小さな展望台や丘があって、そこから飛行機の離着陸の様子を観察することができる。今日は、展望台に一人、丘の上にあるベンチに父親と小さな男の子の親子連れがいた。
今度来るときは望遠鏡が必要だ。

2012年8月15日水曜日

骨単(ホネタン)

先日、東京大学総合研究博物館主催の特別展示「生きる形」に出かけ、会場にずらりと並んださまざまな生き物の骨格標本を見て以来、気になって骨に関する書籍を探した。素人にも理解しやすそうな・・・、「骨単(ホネタン)」(監修:河合良訓、文・イラスト:原島広至、出版:NTS)を、国分寺の紀伊国屋書店で購入した。

皮膚の下で、筋に支えられ筋肉で動く人間の<骨>について、骨の図と名称に語源を加えた骨の事典だ。図版は、実際の骨格標本を手にとり、Illustratorを使って描いたためシャープで見やすい。最初は医学生に関心を持たれたが、好評でそれ以外のひとびとにも読者が広がったようだ。

著者が接した骨格標本のラベルから、若くして亡くなった女性のものであると知ったときの心情が書かれた序文は胸を打つ。だから、この本に描かれた骨のひとつひとつから、事典としての情報だけでなく、命の意味も知らされる。

さて、骨の名は、英語と日本語(全て日本語<漢字>で表すことのできる素晴らしさ)で表記されている。英語の名前をもとに、著者はそこからが凄い・・・ギリシャ語、ラテン語などの語源を駆使して、医学に関係ない読者にも関心を持てるよう様々な解説を加える。

例えば、頭蓋骨と首の骨はどう繋がっているのだろうか。首の頚椎の上に環椎という骨があって、それが頭骨を支えているという。ギリシャの巨神Atlasが天空を支えていることから環椎にあたる骨が"Atlas"と名付けられた。更にAtlasを語源にして、メルカトル図法の地図をアトラスと呼び、アトランチス大陸に話が広がり、ジョージア州の都市アトランタの名前の由来へと話がつづく・・・。

ところで、上記の展示会を教えてくれたのも、この書籍の出版にも遠縁が関わっている。

2012年8月14日火曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 張思翼

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(8/8)に、人物シリーズ40回目として歌い手(ソリックン)の張思翼チャン・サイク、장사익、1949年~)を紹介した。

張思翼が歌に選んだ、詩「旅人(나그네)」(朴木月(박목월)、1916年1月6日~1978年3月24日)*の朗読から始まった。

(*)高校の教科書にも載っている詩だそうだ。また、ホームページ「イ・ワングン、イ・ハクジュンの希望の文学」に詳細な解説がある。

▼張思翼の歌による「旅人(나그네)」を聴く。リズムは国楽風、旋律は洋楽風・・・微妙にミックスして違和感がなく、むしろ親和的でさえある。

張思翼に対する評価について、いろいろな見解があるという。
・(彼の)音楽の伴奏に国楽器を使用しているが、伝統的長短(チャンダン、장단)に則(のっと)って演奏されておらず、国楽としての基本に欠けるという評価もある。
・(解説者の岸さんの解説)「(彼の音楽の)その中に国楽の匂いを感じ取れるということは、昔から現在まで、人々が守り伝えてきた韓国の情緒がチャン・サイクさんの音楽の中に込められているということなのではないでしょうか。」**

(**)納得です。コラボとかフュージョンという洗練されたものと違って、聴衆と合わせ鏡の関係を基盤にしているからなのでしょうか・・・それに、Youtubeで見る彼の風貌も飄々として良いですね。

▼張思翼の歌による民謡「アリラン(아리랑)」を聴く。朗々と詩を詠じるように歌う。いわゆる「アリラン」の旋律と離れて、言葉を強調したのだろう・・・若者にどのように感じられているのだろうか知りたい。

次のように張思翼のプロフィールが紹介された。
・1949年 忠清南道洪城郡に生まれる。父親は農楽演奏団で杖鼓チャング장구)を担当していた。
・様々な仕事を経て40代の頃に、太平簫(テピョンソ:태평소)を習い始める。
・1993年 テピョンソの演奏で、全国民俗競演大会で大統領賞、全州デサスプノリ大会で大賞を受賞する。
・1995年 たまたま演奏後の歌会で歌ったことがきっかけになり、レコーディング(1集アルバム)して歌手になる。

▼張思翼の歌による「お花見(コックギョン、꽃구경)」を聴く。母と息子の心情・・・松葉を道筋に撒く母の思い知りたい。

2012年8月13日月曜日

ロンドンオリンピック閉幕

ロンドンオリンピックの閉会式を見ていない。朝起きるとつけっぱなしのTVが、平日の番組を流していた。今晩いずれかの局で、閉会式の模様をビデオ放映してくれるだろうから、それをながめることにしよう。
ブログにオリンピックについて記したのは初めてなので、何とか努力したが睡魔には勝てなかった。

さて、今回のロンドンオリンピックは無事に終了し、日本のメダル数は過去最高だったそうだ。
日本経済新聞の記事「熱戦17日…ロンドン五輪閉幕 日本のメダル最多」(2012/8/13 5:39 (2012/8/13 10:28更新))は次のように記している。(抜粋)

・【ロンドン=共同】第30回夏季オリンピック・ロンドン大会は12日、ロンドン東部の五輪スタジアムで閉会式が行われ、17日間にわたった祭典が幕を閉じた。2016年大会は南米初、ブラジルのリオデジャネイロでの開催となる。

・26競技の302種目を実施。12年ストックホルム大会の初参加から100周年となった日本は293選手を含む518人を派遣した。金メダル数は目標とした世界5位、15個に遠い7個だったが、銀14、銅17を合わせたメダル38個は、04年アテネ大会の37個を上回って史上最多。金メダル数では米国が46個で中国から覇権を奪回。地元英国は3位となる29個を獲得した。

(付記)
選手も視聴者もみんなお疲れさま。次回開催地のリオデジャネイロも試合中継は、また深夜に放送されるのかな。

(付記)
昨晩、ペルセウス座流星群を眺めようと外出したが、外灯の明るさで観測が難しい。それにしても、東の空に浮かんだ月の赤いこと・・・。

イ・ソンヒ 麗水万博「ポップフェス アンコール公演」 映像

イ・ソンヒが、8/9の麗水万博「ポップフェス アンコール公演」の舞台に立った映像が、Youtubeに登録されている。いわゆるプロの撮影によるものではないが、それだけに会場の熱狂が大きな音量で収録されている・・・にしても、手振れの少ないアップ映像を楽しませていただいている。
(Youtube映像の音量調整が必要なようなので、今回autoplayにしていません)

ここでは、イ・ソンヒは代表曲の「私はいつもあなたを(나 항상 그대를)」を歌っている。

(本ブログ関連:"麗水万博")



(Youtubeに登録のseungsun loveに感謝)

2012年8月12日日曜日

男子レスリング金

ロンドンオリンピック最終日の今日、にわかファンはもう終わりだなあと余韻モードに切り替わろうとしていた夜分、男子レスリングの米満達弘(よねみつ たつひろ)選手が金メダルを獲得した。
TV画面の試合を見ながら、米満選手の落ち着きぶりと気迫から、(にわかファンの即決で)勝利を確信した。素晴らしいフィナーレに感謝。

日本経済新聞の記事「米満が金、レスリング男子24年ぶり 66キロ級」(2012/8/12 22:03)は、試合結果を次のように報じた。(抜粋)

・レスリング男子フリースタイル66キロ級の米満達弘(自衛隊)は決勝で北京五輪銅メダルのスシル・クマール(インド)を2-0で破って、金メダルを獲得した。日本勢男子では1988年ソウル大会以来、24年ぶりの同競技金メダル


(付記)
閉会式を見たいが、日本時間の明日13日午前4時に開催だそうだ。ずっと起きて、見ることができるだろうか。

(追記)
北東の空にペルセウス座流星群を眺めてみよう。

ボクシング金 11日

どれひとつ真面目に打ち込んだスポーツもなくて、オリンピックもイベントとしてそのときだけ楽しむにわかファンとわが身を十分わきまえているつもりだ。それでも、いやそれだから、にわかファンは、選手が獲得したメダルに群れたくなる・・・わたしも一緒に。

今朝のニュースで、11日にボクシングミドル級で村田諒太(むらた りょうた、東洋大職)選手が、オリンピックで日本のボクシングが48年ぶりに金メダルを獲得したと知れば、凄いと驚き、おめでとうといいたい。

北海道新聞の記事「村田48年ぶり『金』 ボクシング・11日」(08/12 06:46、08/12 09:22 更新)は、次のように試合を報じている。(抜粋)

・ボクシングは男子5階級の決勝を行い、ミドル級で昨年の世界選手権銀メダリストの村田諒太がE・ファルカン(ブラジル)に14-13で判定勝ちし、1964年東京五輪バンタム級の桜井孝雄(故人)以来、日本選手として48年ぶり2人目の金メダリストとなった。


(付記)
ロンドンオリンピックの日本メダル獲得数は過去最高で、メダルの数だけインタビュー回数も多くなるわけで、選手の言葉や表情から、喜びやくやしさを知るたび、メダルの本当の重さを知ることになる。
オリンピックには、女子サッカーのメダルのように新境地を開拓するもの、バレーボールやボクシングのように何十年ぶりのメダルという歴史を更新するもの、そして女子レスリングのように個人3大会連続金メダルといったドラマがある、偉業がある。オリンピックは人間本来持つ力を知る機会でもある。

ロンドンオリンピックは何かが違ったようだ。選手個々のインタビューを見て気付いたことだが、彼らの言葉には「勝ちたい」という意志が、「感謝」という言葉が、「楽しむ」ことよりも強く出ていた。彼らは、日本で見守るひとびとの想いを感じ、次代の若者たちの希望の先導となるよう託されていることを理解していた。

2012年8月11日土曜日

女子バレーボール銅

今回、ロンドンオリンピックの日本女子選手たちの活躍は素晴らしい。サッカー、卓球、レスリング、アーチェリー、そしてバレーボールと歴史を作り、塗りかえている。日本のメダル獲得に大きく寄与しているのは間違いない。

朝日新聞の記事「バレー女子、韓国破り銅 日本、28年ぶりのメダル」(2012年8月11日21時49分)は、女子バレーボールの試合結果を次のように報じている。

・ロンドン五輪第16日の11日、バレーボール女子の3位決定戦があり、日本は韓国を3-0のストレートで破って銅メダルを獲得した。この競技の日本勢のメダルは1984年ロサンゼルス大会で女子が銅を獲得して以来、28年ぶり。

(付記)
1984年のロサンゼルスオリンピック(7月28日~8月12日)に女子バレーボールの選手として試合に出場した経験のある年配TVコメンテーターが、今回もし銅メダルを獲得したら「私のとき以来です」といっていたのを思い出す。それほど・・・といっては失礼かもしれないが、長い間メダルに恵まれていなかったのを見事に跳ね返し、歴史を改めた。
ところで、同じ1984年の7月29日、20歳になる直前のイ・ソンヒは、MBC「第5回 江辺歌謡祭」に仁川専門大学の「4幕5場」チームとして出場して、彼女が高校時代に運命的に出会った「Jへ」を歌い大賞を受賞した。

(本ブログ関連:"イ・ソンヒとオリンピック"、"1984"、"京郷新聞1984年7月31日の12面参照")

にわかファンは結果しか知らずに他者に聞いてその偉業に感服するが、一緒に祝わせて欲しい。本当におめでとう。

豊川稲荷東京別院散歩

イ・ソンヒの、SBSドラマ「僕のガールフレンドは九尾狐내 여자친구는 구미호)」(2010年、日本2011年放送)のOST「狐の嫁入り(여우비))」のヒット以来、狐⇒お稲荷さんに関連づけてブログに記してきた。

(本ブログ関連:"狐の嫁入り(日照り雨、天気雨、Fox Rain、여우비)") ← 画面右下「前の投稿」も

そんなわけで日中暑い陽射しの昼前に、昔の仕事仲間と一緒に、四谷見付にある豊川稲荷東京別院に行く。

本殿にお参りした後、思いの他狭い境内を巡る。まずは文化会館という名の古い土産物屋(3軒が間口を並べる)で、稲荷ずしを頼む。まだ暖かくてけっこう大きいものを2個食って一息つく。

・江戸将軍吉宗の懐刀で享保改革の立役者、大岡越前守が本院の設立に由来していることを説く碑文の後ろに、「開基大岡越前守忠相公御廟」が 囲いの中に座している。大岡越前守の下屋敷に元々まつられた豊川稲荷社が、歴史の中で移転してこの地にある。

・正門から奥まったところに「霊狐塚」がある。豊川稲荷の本尊である豊川吒枳尼眞天(とよかわだきにしんてん)に仕える狐の小さな像がペアになって、所狭しと並べられている。そこだけ静かで独特な気配を感じさせる場所・・・のような気がしてくる。狐の顔は穏やかな母性を浮かべるものから、怒気や妖気を見せるものまで様々だ。

(本ブログ関連:"オリンピック開会式・・・眠たい"、"お稲荷さんと油揚げ"、"府中市郷土の森博物館"、"キツネの信仰")

男子サッカー銅逃す

寝過ごしたばかりに(関係ないけれど)、男子サッカーはオリンピックのメダルを手にすることができなかった。

きのう夜中に、TV番組の「タモリ倶楽部」まではしっかり見た。今回は線香花火作りがテーマで、この花火の芯が関東では紙"こより"であり、関西では麦藁という違いが紹介された。わたしとしては、記憶にあるのは麦藁芯の線香花だ・・・夏の夜の庭先で花火遊びした幼い頃の思い出がよみがえってくるよ。
番組の最後は、"こより"と麦藁の両方で作った線香花火の、火花の仕上がりを参加者で競っていたが、なんとも適当なしまい方がよい。

そんなわけで連日の夜更かしもあって、うとうと寝込んでしまい、早朝のニュースでサッカーの試合が0-2で終わったことを知った。
ロイターの記事「五輪=サッカー男子日本はメダル届かず、韓国に敗れる」(2012年08月11日、06:39 JST)は、試合結果を次のように報じている。

・[カーディフ 10日 ロイター] ロンドン五輪は10日、サッカー男子の3位決定戦をカーディフで行い、日本は韓国に0─2で敗れて1968年メキシコ五輪以来となる銅メダル獲得を果たせなかった。
・日本は前半38分に韓国の朴主永(パク・チュヨン)に先制ゴールを許し、後半12分には具滋哲(ク・ジャチョル)にゴールを決められ、追加点を許した。勝った韓国は五輪で初のメダル獲得となった。

(付記)
にわかファンは、試合に一喜一憂する。そして勝てば大喜びし、敗れればすぐに忘れる。

2012年8月10日金曜日

昨晩のイ・ソンヒ 麗水万博「ポップフェス アンコール公演」

WIKITREEの記事「夏中に熱い愛情 <イ・ソンヒ-イ・スンギ>」(8/10)は、昨晩の麗水万博における「ポップフェス アンコール公演」の模様を写真付で次のように報じている。(イ・ソンヒについてのコメントのみ)

・お互いの道で最善を尽くす姿が/美しい師弟の間 イ・スンギ&イ・ソンヒが/もう一度万博ポップフェスティバルに出演しました。/(イ・ソンヒ写真)

・もう一度ポップ フェスティバルの舞台を/訪ねてきた小さな巨人! イ・ソンヒの登場!!/(イ・ソンヒ写真)

・いつも変わりない最強の童顔 <イ・ソンヒ>!/今日もポップフェスティバルの舞台を明るく照らします。/(イ・ソンヒ写真)

・パワフルな声で観客を圧倒する/姿は相変わらずです。/すでにポップフェスティバルの現場はイ・ソンヒさんのカリスマに熱狂しています。/(イ・ソンヒ写真)

・いつも久しい間イ・ソンヒの/歌を聞いて幸せならば良いですね。 (以下略)

(付記)
ところで今晩、深夜に日付が変わって03:30に男子日韓のサッカー試合があるけれど、起きていられるだろうか・・・いや、もう限界です。

女子レスリング金、サッカー銀

連日深夜のTV中継に追いつけなくなった。今日の日付にかわった夜中、女子レスリング吉田沙保里(よしだ さおり)選手の(5月W杯で敗れたワレリア・ジョロボワ(ロシア)との)準決勝まで頑張って観戦したが、決勝の頃ついに爆睡したのだ。やがてつけっ放しのTV音声に気付けば、女子サッカーが米国と0-1と苦戦しているところだった。そして、不覚にもまた寝入った。

朝方のTVニュースで、女子レスリングの吉田選手が金メダルを、女子サッカーのなでしこが銀メダルを獲得したことを知った。寝起きで朦朧としたなかながら、彼女たちの結果に驚き感嘆した。そして、何よりも次代の子どもたちに夢と希望と勇気を与えてくれたことに感謝。それにしても、女子選手の活躍が際立って見えるのは・・・。

スポニチの記事「女カレリンだ!吉田沙保里3連覇で12度目世界一」(8/10)は、次のように報じている。(抜粋)
昨日の伊調選手、小原選手、今日の吉田選手と日本女子レスリングは本当に健闘している。

・女子55キロ級決勝で吉田沙保里(29=ALSOK)がトーニャ・バービーク(34=カナダ)を下し、個人種目では柔道の野村忠宏、前日の63キロ級・伊調馨(28=ALSOK)に続く日本人3人目となる五輪3連覇を達成した。日本選手団旗手(今回は吉田選手)の金メダルは、00年シドニーの男子柔道の井上康生以来、3大会ぶり。これで吉田は世界選手権、五輪を合わせ12度目の頂点で、「霊長類最強の男」と呼ばれたアレクサンドル・カレリン氏(44=ロシア)に並ぶ偉業も達成した。

また、女子サッカー決勝について、スポニチの記事「なでしこ 反撃及ばず…それでも胸張る銀メダル 」(8/10)は、次のように報じている。(抜粋)
にわかファンは夢を見過ぎるが、彼女たちが達成したことは実質的にはそれ以上のことだが。

・ロンドン五輪サッカー女子決勝は9日(日本時間10日)、ロンドンのウェンブリー・スタジアムで行われ、なでしこジャパンは1-2で敗れ、銀メダルとなった。2点を追う日本は後半18分に大儀見優季のゴールで1点を返すが、反撃は及ばなかった。女子ワールドカップ(W杯)で優勝した翌年に五輪を制覇するという史上初の偉業は逃したが、男女を通じて五輪で初の銀メダルを獲得した。米国は3大会連続4度目の金メダル。

2012年8月9日木曜日

女子レスリング金

オリンピックで金が期待される女子レスリングの試合を見ようと、夜中起きていたが気付けば朝のニュースで肝心の決勝の結果を知った。深夜しか見られない連日のTV中継に、さすがについていけなくなったかな。

63キロ級の伊調馨(いちょうかおり)選手と、48キロ級の小原日登美(おばら ひとみ)選手の準決勝を見守っていたが、決勝までに時間があって、いつのまにか寝入ってしまった。決勝の様子を実況で見たかった。

毎日jpの記事「五輪レスリング:笑みの伊調 涙の小原 日本2階級に金」(2012年08月09日、10時37分)は、試合の結果を次のように報じている。(抜粋)
寝坊助にわかファンは、彼女たちのすさまじいドラマを知ることになる。

・ロンドン五輪第13日の8日、レスリング女子は2階級とも日本勢が制した。63キロ級の伊調馨(ALSOK)は決勝で景瑞雪(中国)を2-0で退け、日本女子では初の同一種目 連覇を達成。48キロ級は31歳の小原日登美(自衛隊)が決勝でマリア・スタドニク(アゼルバイジャン)に第1ピリオドを奪われながら、第2、第3ピリオドを連取し、2-1で初めての優勝を果たした。

・(伊調選手は)左足の感覚は普段と違っていた。4日の練習中に捻挫して、伊調によると「足首の3本の靱帯(じんたい)のうち、1本半が切れていた」という。その後はスパーリングはせず、ぶっつけ本番での試合。それでも、試合後に明かすまでは、痛いそぶりも見せなかった。・・・女子レスリング界の顔だった吉田沙保里(ALSOK)に先立ち、他の競技も含め日本の女子選手として史上初の五輪3連覇を成し遂げた。伊調は「3連覇を目指してやってきたわけではないけど、終わってみればうれしい」。試合終了のブザーが鳴った瞬間、大げさなガッツポーズではなく、ニヤリと笑った表情には自信があふれていた。【百留康隆】

・(小原選手は)08年に一度は引退し、(48キロ級の)妹真喜子さんの指導をしていたが、真喜子さんも引退したのに伴い、10年に現役復帰。結婚で姓が坂本から小原に変わっただけでなく、階級も51キロ級から48キロ級に変更。ロンドンの舞台を集大成にすることを決めていた。・・・小原は「どんな結果でも最後と決めていた。レスリング人生に悔いはない」と、最高の舞台で、最高の結果を残してマットを去るつもりだ。【百留康隆】

(付記: 昨日の続き)
ところで、オリンピックの日本女子選手たちの活躍はどうしたことだ。サッカー、卓球、バレー、それにレスリング・・・と素晴らしい。歴史を作り、塗りかえている。

本日!イ・ソンヒ 麗水万博「ポップフェス アンコール公演」

オリンピックたけなわのここ連日、韓国では麗水万博への関心はどのようだろうか。暑い陽射しを避けて夜の海辺で、ポップフェスティバルに耳を傾けるの悪くはないだろう・・・といって、この地からは遠過ぎて・・・。

今晩、6/27に麗水万博ポップフェスに登場して以来、イ・ソンヒと愛弟子のイ・スンギが再び舞台に登場する。

・日時: 8月9日(木)、午後8時~9時半
・場所: エキスポ特設舞台
・参考: 8月公演カレンダー

(本ブログ関連:"麗水万博")


(付記)
イ・ソンヒの公式ホームページによれば、彼女の30周年記念のDVD制作体制が着々と進んでいるようだ。

2012年8月8日水曜日

男子サッカー銅を獲得へ

今日の日付に変わった深夜、気付けばオリンピック男子サッカーの試合は前半を終わっていた。それもTVチャンネルを切り替えたときに知ったのだ。1-1という状況に、後半に期待を込めて観戦したが、1-3と惜敗。そのため、銅メダルを懸けて韓国と対戦することになった。

YOMIURI ONLINEの記事「サッカー男子、決勝に進めず…メキシコに1-3」(2012年8月8日02時51分)は、試合結果を次のように報じた。
・ロンドン五輪のサッカー男子準決勝、日本-メキシコ戦が7日午後(日本時間8日未明)行われ、日本は1-3で敗れ、決勝進出はならなかった。
・3位決定戦へ回る。

(付記)
ところで、オリンピックの日本女子選手たちの活躍はどうしたことだ。サッカー、卓球、バレー、・・・と素晴らしい。歴史を作り、塗りかえている。

2012年8月7日火曜日

立秋2012

気配どころか風の音にすら秋を感じないのに、今日は夏至と秋分の中間に位置する二十四節気の立秋だそうだ。風流な名前とは裏腹に、毎晩のオリンピック観戦に睡眠不足になりながら暑い夏をやり過ごしている。

東京の月平均気温は、8月が例年ピークなのだから、この8月上旬に秋を早々感じるには無理があるかもしれない。
ちなみに東京のここ数年の気温データ(気象庁「東京 日平均気温の月平均値(℃)」)は次の通り。

             7月  8月  9月
2009年 26.3 26.6 23.0
2010年 28.0 29.6 25.1
2011年 27.3 27.5 25.1
2012年 26.4

なでしこ決勝へ

TV観戦しながら、なでしこたちが自ら作り上げてきた歴史を思ったりした。そして、ついにその最終到達点が視界に現れてきたのだ。驚き、感心し、そして敬意を感じる。にわかファンとしては、「立派だなあ」とつぶやきながら見つめていたわけだが。女子サッカーの試合を夜中に見る時代が来るなんて、正直誰が予想しただろうか。そして、彼女たちの活躍にこんなに勇気付けられるとは。

例によって東経139度の地なれば、試合は、今日の日付に変わって1時間後の深夜01:00に開始された。今日も睡魔と格闘だった。それでも、ゴールのたび手を叩き、はらはら、どきどきしながら試合の経過を見守った。

47NEWSの記事「耐え抜いたなでしこ 夢の2年連続世界制覇に王手」(2012/08/07 07:54、岡本彰記者)は、フランスとの試合結果を次のように報じた。(抜粋)
本記事は他に、女子サッカーの置かれている環境も率直に記していて、読者を浮かれさせない。

・なでしこジャパンがサッカーの聖地、ウェンブリー競技場での準決勝で、フランスの猛反撃を2-1で振り切りオリンピックでは初のメダル獲得を決めた。耐え抜いた末の勝利だった。

・宮間のFK(フリーキック
昨年の女子ワールドカップ(W杯)に続く世界制覇への王手。流れをつくったのは主将宮間の2つのFKだった。フランスの堅い守りにあい、攻めあぐねていたなでしこは【前半32分】、FKのチャンス。宮間がゴール正面にけり込むと、飛び出したGKがボールを確保し損ねた。これを体勢を崩しかけながらも大儀見が左足で押し込んだ。なでしこにとってはこの試合で最初のシュートだった。

・【後半4分】は再び、宮間の低く強い弾道のFKに合わせ、坂口がヘディングシュートを鮮やかに決めた。数少ない好機を得点に結び付ける集中力がものをいった。