二十四節気の「小寒」。寒さが一段と増すというに、暖冬のためか、厚着に迷い、ストーブの火加減に手間取る。冬であることをすっかり忘れそうだ。
(本ブログ関連:”小寒”)
テレビ各局のニュースで報じられているが、富士山の山肌の雪模様について、読売新聞の記事「暖冬の影響か…富士山の『農鳥』、早くも姿現す」(1/6)は、「毎年4月下旬から5月中旬に現れる」、「富士山の残雪が鳥の形に見える『農鳥(のうとり)』が早くも、富士山の7~8合目付近(標高約3000メートル)に姿を現した。」という。
最高気温について、三月とか四月並みといわれる。今日を「寒の入り」とはますますいい難い気がする。天気予報では、今週末から本格的な寒さが増すとのこと。
2016年1月6日水曜日
KBS WORLD「国楽の世界へ」 厄払い
KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(2015年12月30日)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、「厄払い」に関連した3曲を紹介した。昨年末の放送である。
始めに、古代中国伝承の鬼神「方相氏(방상시)」と、それを追い払う儀式(追儺)について次のように紹介された。
・「仮面を被る」という行動がある。仮面は、自分と違う存在に見せる役割をする。昔、仮面に優れた力があると見做し、悪鬼を追い払うのに、仮面を被って行うのも多かった。朝鮮時代の宮中で、年末に悪鬼を追い出す儀式をした。四つ目の仮面「方相氏」を被り踊った。また、「処容舞(처용무)」がある。一年最後の日に行う行事で、処容(처용)という者が歌い踊りながら鬼を追い払ったことに由来する。統一新羅時代から伝わり、処容の仮面を被り舞う。一年間の恨みや悩みなどの気運の象徴を追い払う。
▼ 新羅時代の「処容歌(처용가)」を新しく構成した「月よ月よ明るい月よ」を聴く。異国の香り漂う今様の編曲だ。
次に、厄払い「エクメギ(액맥이)」の、巫俗(무속)信仰や農楽隊「風物牌(プンムルペ、풍물패」について次のように紹介された。
・年末に悪鬼を追い払い、年初に厄払いの「エクメギ」をした。「エク(厄)」は人を害する悪気運の意だ。巫俗信仰で、ムーダン(巫堂、무당)を呼び儀式をしたり、占いをして厄払いした。正月に農楽隊の「風物牌(牌=集団)」が家々を回り厄払いするタリョン(打令)の「エクメギ・タリョン」を歌ったりした。東西南北で将軍が見守る内容だったり、季節ごとの厄払いを紹介することもあった。
▼ 「エクメギ」の曲を聴く。今様の新しいテンポに載せて軽快に歌い響く編曲だ。
最後に、様々な悪鬼を追い払う「罷経(파경)」を唱える「盲覡(パンス)~盲僧」について次のように紹介された。
・昔、正月に村中を回りながら厄払いした楽隊「風物牌」の他に、正月などの祭祀に経を唱えた盲覡の「罷経」という歌がある。盲覡に盲人が多いため、そのような人が幸福を唱える経ともいはれる。経が終わると、罷経は、最後に経を終える意で、悪鬼を追い出す内容で構成される。色々な悪鬼が登場するが、経の中で必ず食べることを勧める。悪鬼を追い出す儀式でも、満腹にさせてから追い出すのが人情だったようだ。一年間の悪い気運を洗い流し、新たな気持ちで新年を迎えようとした人々に、知恵が伺えるいろいろな伝統がある。
▼ 「罷経」の歌を聴く。色々な信仰が習合したとも・・・読経のようでもあり、民間信仰の様でもありおもしろい。
・最後に、キム・ボエさんの言葉で、「みなさんも、良いお年をお迎えください」とのこと。
始めに、古代中国伝承の鬼神「方相氏(방상시)」と、それを追い払う儀式(追儺)について次のように紹介された。
・「仮面を被る」という行動がある。仮面は、自分と違う存在に見せる役割をする。昔、仮面に優れた力があると見做し、悪鬼を追い払うのに、仮面を被って行うのも多かった。朝鮮時代の宮中で、年末に悪鬼を追い出す儀式をした。四つ目の仮面「方相氏」を被り踊った。また、「処容舞(처용무)」がある。一年最後の日に行う行事で、処容(처용)という者が歌い踊りながら鬼を追い払ったことに由来する。統一新羅時代から伝わり、処容の仮面を被り舞う。一年間の恨みや悩みなどの気運の象徴を追い払う。
▼ 新羅時代の「処容歌(처용가)」を新しく構成した「月よ月よ明るい月よ」を聴く。異国の香り漂う今様の編曲だ。
次に、厄払い「エクメギ(액맥이)」の、巫俗(무속)信仰や農楽隊「風物牌(プンムルペ、풍물패」について次のように紹介された。
・年末に悪鬼を追い払い、年初に厄払いの「エクメギ」をした。「エク(厄)」は人を害する悪気運の意だ。巫俗信仰で、ムーダン(巫堂、무당)を呼び儀式をしたり、占いをして厄払いした。正月に農楽隊の「風物牌(牌=集団)」が家々を回り厄払いするタリョン(打令)の「エクメギ・タリョン」を歌ったりした。東西南北で将軍が見守る内容だったり、季節ごとの厄払いを紹介することもあった。
▼ 「エクメギ」の曲を聴く。今様の新しいテンポに載せて軽快に歌い響く編曲だ。
最後に、様々な悪鬼を追い払う「罷経(파경)」を唱える「盲覡(パンス)~盲僧」について次のように紹介された。
・昔、正月に村中を回りながら厄払いした楽隊「風物牌」の他に、正月などの祭祀に経を唱えた盲覡の「罷経」という歌がある。盲覡に盲人が多いため、そのような人が幸福を唱える経ともいはれる。経が終わると、罷経は、最後に経を終える意で、悪鬼を追い出す内容で構成される。色々な悪鬼が登場するが、経の中で必ず食べることを勧める。悪鬼を追い出す儀式でも、満腹にさせてから追い出すのが人情だったようだ。一年間の悪い気運を洗い流し、新たな気持ちで新年を迎えようとした人々に、知恵が伺えるいろいろな伝統がある。
▼ 「罷経」の歌を聴く。色々な信仰が習合したとも・・・読経のようでもあり、民間信仰の様でもありおもしろい。
・最後に、キム・ボエさんの言葉で、「みなさんも、良いお年をお迎えください」とのこと。
2016年1月5日火曜日
イ・ミヨンとイ・ソンヒの「ガム戦争」
「応答せよ~」にあやかった、青春懐旧の話題がはやっている。ハンギョレの記事、「応答せよ1988・・・イ・ミヨン - イ・ソンヒの『ガム戦争』」(2015年12月31日)は、無糖ガムの広告について、<ハイティーンスター>のイ・ミヨン(이미연)がロッテ製菓の「ノタイムガム(No Time Gum)」(1988年)、<江辺歌謡祭に浮上した歌手>のイ・ソンヒがヘテ製菓の「ノノガム(No No Gum)」(1985年?)の広告モデルであったと報じている。
(本ブログ関連:”コマーシャル”)
(Youtubeに登録のYONG KUN Joungに感謝)
(Tvポットに登録者<DCinsideより>に感謝)
(本ブログ関連:”コマーシャル”)
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2016年1月4日月曜日
万珠鉱山・富井鉱山
昨晩、電話をいただき都合を聞かれたが、二つ返事で鉱物採集に出かけることにした。前回(昨年10/25)不発だった「万珠鉱山」へのリトライだ。そんなわけで、早朝の始発電車に乗る。辺りはまだまだ暗いが、寒さは例年と比べて凍みるほどでない。東の地にある待ち合わせ駅の方が、返って冷えたりした。
【万珠鉱山】
前回、採集場所が不明のままに終わったが、今回同行のH氏がルートを再検討して目的の採集場所へ連れて行っていただく。どうやら、前回は左折すべき場所を誤ったようだ。進行の途中、道筋のない斜面を登ることになる。
結論からいえば、私の力では、微小群晶だが、色合いが希望通りの濃い紫色した「紫水晶」しか採れなかった。まあまあの成果だ。もちろん、頂き物がなければ、手元に置いて睨(ね)め回すことはできなかったろう。
【富井鉱山】
午前中を万珠鉱山で費やしたので、昼食後、場所を富井鉱山に移した。年々採集が難しくなってきている。採集訪問者がずいぶんといるようだ。落ち葉が敷き詰められて採集に手間取る。掘り返すパワーもなく、落ち葉の少ない場所を見つけては石を割る。もしかしたら、採集地は枯葉で埋まってしまうかもしれない。
鉄分などで赤黒く染まった母岩に付いた微小群晶を手にしたが、紫水晶といえるか・・・、とりあえず、自称「紫水晶」とした。他に、黄鉄鉱も。
【万珠鉱山】
前回、採集場所が不明のままに終わったが、今回同行のH氏がルートを再検討して目的の採集場所へ連れて行っていただく。どうやら、前回は左折すべき場所を誤ったようだ。進行の途中、道筋のない斜面を登ることになる。
結論からいえば、私の力では、微小群晶だが、色合いが希望通りの濃い紫色した「紫水晶」しか採れなかった。まあまあの成果だ。もちろん、頂き物がなければ、手元に置いて睨(ね)め回すことはできなかったろう。
【富井鉱山】
午前中を万珠鉱山で費やしたので、昼食後、場所を富井鉱山に移した。年々採集が難しくなってきている。採集訪問者がずいぶんといるようだ。落ち葉が敷き詰められて採集に手間取る。掘り返すパワーもなく、落ち葉の少ない場所を見つけては石を割る。もしかしたら、採集地は枯葉で埋まってしまうかもしれない。
鉄分などで赤黒く染まった母岩に付いた微小群晶を手にしたが、紫水晶といえるか・・・、とりあえず、自称「紫水晶」とした。他に、黄鉄鉱も。
2016年1月3日日曜日
(雑談) 絵本探し
不思議な絵本だった。親父の本棚の引き出し奥に、まるで隠れるようにしまわれていた。子どもたちに見せてくれたことのない絵本だった。
当時としては大きなサイズだが、さほどページ数のない薄い冊子だった。時代を経た古書の雰囲気がした。表紙に何があったか覚えていない。遠く異国の香りがするように思えた。紙質はくすんで変色していた。絵本の内容は、ページ全面を黒色に塗りつぶして、白線で物語を描画していた。まるでネガフィルムの世界のようだった。登場人物の記憶が無い。遠くから覗き見るように情景が淡々と続いていた。
思い出を強引に結びつけると、物語の展開が、ポー(Edgar Allan Poe)の短編「メールストロムの旋渦(A Descent into the Maelström)」と似ていた気がする。巨大な漆黒の渦面に小船がしがみつくようにしながら飲み込まれていくさまに、何度も覗いてはおののいた。この物語挿絵に、ハリー·クラーク(Harry Clarke)が描いたものがあるが、記憶の絵と違う気がする。もっとシンプルな線描だった。
(本ブログ関連:”メールストロムの旋渦”)
昔見た絵本を知りたくて、ネットを探したが、それらしいものが未だ見つからない。それに、絵本が本棚にひっそりしまわれていたことに別の意味で興味がある。
当時としては大きなサイズだが、さほどページ数のない薄い冊子だった。時代を経た古書の雰囲気がした。表紙に何があったか覚えていない。遠く異国の香りがするように思えた。紙質はくすんで変色していた。絵本の内容は、ページ全面を黒色に塗りつぶして、白線で物語を描画していた。まるでネガフィルムの世界のようだった。登場人物の記憶が無い。遠くから覗き見るように情景が淡々と続いていた。
(本ブログ関連:”メールストロムの旋渦”)
昔見た絵本を知りたくて、ネットを探したが、それらしいものが未だ見つからない。それに、絵本が本棚にひっそりしまわれていたことに別の意味で興味がある。
2016年1月2日土曜日
イ・ソンヒの「冬哀傷」
イ・ソンヒの「冬哀傷(겨울애상)」(1989年)は、同じ5集所収のアピール性の強い「五月の陽射し」と比べて追想的だ。こころの痛みは、思い出そうとしてのことではない。ある瞬間、あるきっかけで、突然こころによみがえる。隠していたものが、冬の夜の月明かりに照らし出されてしまう。「冬哀傷」は、そんな凍りついた心を哀切に歌う。
(本ブログ関連:”冬哀傷”、”五月の陽射し”)
星明かりに澄み映える 私の悲しい顔よ
雁が鳴きながら 飛び去る 空を 見る
懐かしさ雪のように積もり 丘を転がり超えて
青い月明かり 降り注ぐ 私の空っぽの 庭に
*
風は木の葉を 吹きたてて 消えたが
なぜ痛く懐かしい小船は 私の胸に浮かんでいるのか
消すことが できないのか
冬になるとよみがえる姿
青く冷たい 私の愛
凍ってしまった悲しい後姿
(*以下繰り返し)
凍ってしまった悲しい後姿
(Youtubeに登録の나무하나に感謝)
(本ブログ関連:”冬哀傷”、”五月の陽射し”)
星明かりに澄み映える 私の悲しい顔よ
雁が鳴きながら 飛び去る 空を 見る
懐かしさ雪のように積もり 丘を転がり超えて
青い月明かり 降り注ぐ 私の空っぽの 庭に
*
風は木の葉を 吹きたてて 消えたが
なぜ痛く懐かしい小船は 私の胸に浮かんでいるのか
消すことが できないのか
冬になるとよみがえる姿
青く冷たい 私の愛
凍ってしまった悲しい後姿
(*以下繰り返し)
凍ってしまった悲しい後姿
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2016年1月1日金曜日
新元素(原子番号113)
話題の新元素(原子番号113)の命名権を日本が獲得したと、理化学研究所のプレスリリース、「113番元素の命名権獲得 -元素周期表にアジア初、日本発の元素が加わる-」(昨年12/31)は次のように伝えている。(抜粋)
-------------------------------------------
理化学研究所仁科加速器研究センター超重元素研究グループの森田浩介グループディレクター(九州大学大学院理学研究院教授)を中心とする研究グループ(森田グループ)が発見した、「113番元素」を、国際機関が新元素であると認定しました。12月31日、国際純正・応用化学連合(IUPAC)より森田グループディレクター宛てに通知がありました。これに伴い、森田グループには発見者として新元素の命名権が与えられます。欧米諸国以外の研究グループに命名権が与えられるのは初めてです。元素周期表にアジアの国としては初めて、日本発の元素が加わります。
-------------------------------------------
即物的な者なので、元素周期表に名前が載るという醍醐味、歓びしか理解できないが、凄いなあとつくづく思う。なにしろ、加速器など写真を見るたび、AKIRAの世界をイメージしてしまう程度なので・・・。(⇒ 理化学研究所「113番元素特設サイト」)
Wikipediaの解説によれば、新元素(原子番号113)の元素名候補がいくつか挙げられている。もしかしたら、「Jp」(ジャポニウム)なんて名前になるかもしれないそうだ。お気楽な頭には、Jつながりで、イ・ソンヒの歌「Jへ」が浮かんでくるよ。
新年早々、めでたい話しだ。
(【一般】 理研サイエンスセミナーⅤ 第2回(2012年1月20日(金) 開催・・・約1時間20分)
(Youtubeに登録のrikenchannelに感謝)
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理化学研究所仁科加速器研究センター超重元素研究グループの森田浩介グループディレクター(九州大学大学院理学研究院教授)を中心とする研究グループ(森田グループ)が発見した、「113番元素」を、国際機関が新元素であると認定しました。12月31日、国際純正・応用化学連合(IUPAC)より森田グループディレクター宛てに通知がありました。これに伴い、森田グループには発見者として新元素の命名権が与えられます。欧米諸国以外の研究グループに命名権が与えられるのは初めてです。元素周期表にアジアの国としては初めて、日本発の元素が加わります。
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即物的な者なので、元素周期表に名前が載るという醍醐味、歓びしか理解できないが、凄いなあとつくづく思う。なにしろ、加速器など写真を見るたび、AKIRAの世界をイメージしてしまう程度なので・・・。(⇒ 理化学研究所「113番元素特設サイト」)
Wikipediaの解説によれば、新元素(原子番号113)の元素名候補がいくつか挙げられている。もしかしたら、「Jp」(ジャポニウム)なんて名前になるかもしれないそうだ。お気楽な頭には、Jつながりで、イ・ソンヒの歌「Jへ」が浮かんでくるよ。
新年早々、めでたい話しだ。
(【一般】 理研サイエンスセミナーⅤ 第2回(2012年1月20日(金) 開催・・・約1時間20分)
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2015年12月31日木曜日
蛍の光2015 (イ・ソンヒ「惜別の情」)
(丁寧に)さようなら、(洋画にも使われそうに)サヨナラ、(関西風に)さいなら、いずれにしても、(ちあきなおみの「紅とんぼ」風に)いろいろお世話になりました。
一年というリンゴの実も食い尽くし、残るは種だけです。これが来年の実になるといいのですが。酸っぱいもあれば、甘いも・・・なかったな、そんな一年でした。あっというまに過ぎ去った、鞍馬天狗かはたまた月光仮面、疾風のように去っていくのです。
「いつしかとしも、すぎのとを、あけてぞけさは、わかれゆく。」(唱歌「蛍の光」)、いよいよ今年とお別れです。明日になれば、来年がおはようといって入ってきます、猿ですけど。今年を送る大掃除も、来年を迎える正月飾りもしてないので、今日は軽く過ごすことにしましょう。
(本ブログ関連:”蛍の光”)
ところで、韓国では国歌が正式に決まるわずかの間、「蛍の光」の旋律が使われたそうです。「蛍の光」を、イ・ソンヒは「冬の日のものがたり(겨울날의 이야기)」(1988年)に所収の「惜別の情(석별의 정)」として次のように歌っています。
久しく付き合いし 親しき我が友よ
別れとはどうしたことか 行かねばならぬか
いずくへ行こうとも忘れようか 厚い我らが情
再び会うその日のため 歌を歌おう
さらば立派であれよ 祝杯を挙げた手に
惜別の情忘れ難く 涙だけ流すよ
いずくへ行こうとも忘れようか_厚い我らが情
再び会うその日のため 祝杯を挙げよう
いずくへ行こうとも忘れようか 厚い我らが情
再び会うその日のため 歌を歌おう
(Youtubeに登録の이예재に感謝)
一年というリンゴの実も食い尽くし、残るは種だけです。これが来年の実になるといいのですが。酸っぱいもあれば、甘いも・・・なかったな、そんな一年でした。あっというまに過ぎ去った、鞍馬天狗かはたまた月光仮面、疾風のように去っていくのです。
「いつしかとしも、すぎのとを、あけてぞけさは、わかれゆく。」(唱歌「蛍の光」)、いよいよ今年とお別れです。明日になれば、来年がおはようといって入ってきます、猿ですけど。今年を送る大掃除も、来年を迎える正月飾りもしてないので、今日は軽く過ごすことにしましょう。
(本ブログ関連:”蛍の光”)
ところで、韓国では国歌が正式に決まるわずかの間、「蛍の光」の旋律が使われたそうです。「蛍の光」を、イ・ソンヒは「冬の日のものがたり(겨울날의 이야기)」(1988年)に所収の「惜別の情(석별의 정)」として次のように歌っています。
久しく付き合いし 親しき我が友よ
別れとはどうしたことか 行かねばならぬか
いずくへ行こうとも忘れようか 厚い我らが情
再び会うその日のため 歌を歌おう
さらば立派であれよ 祝杯を挙げた手に
惜別の情忘れ難く 涙だけ流すよ
いずくへ行こうとも忘れようか_厚い我らが情
再び会うその日のため 祝杯を挙げよう
いずくへ行こうとも忘れようか 厚い我らが情
再び会うその日のため 歌を歌おう
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2015年12月30日水曜日
KBS WORLD「国楽の世界へ」 聖夜
KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(12/23)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、「聖夜(クリスマス)」に関連した3曲を紹介した。
始めに、クリスマスと冬至の意味について次のように説明された。
・昨日(12/22)、一年で昼が最も短い「冬至」だった。昔、太陽に依存した暮らしの人々に冬至は大きな意味があった。やがて昼が長くなり、明るく温かくなる。草木、動物、人々も豊かな春を目指す。東洋西洋とも、冬至は重要な日だ。キリスト生誕日のクリスマスが冬至頃なのも、決して偶然でないだろう。救世主がこの世に生まれ、人々が光の中に生きる意が含まれる。
▼ クリスマス・キャロルを韓国伝統楽器と演奏する「雪が降る日の日記(눈 내린 날의 일기)」を聴く。今様の楽しいメドレー。
次に、クリスマス行事と伝統的遊び「カンガンスルレ(강강술래)」について次のように紹介された。
・クリスマスは宗教や民族を越えて、多くの人々が楽しむ日だ。昔は12月になると、クリスマスツリーを飾り、クリスマスキャロルが聞こえて、寒い冬も温かく感じられた。最近、クリスマスキャロルが、著作権の問題で商店街で流せなくなり、人々の音楽の好みも変わった。クリスマスキャロルは、西欧中世の祝祭に由来する。輪になって踊る風習があり、みなで歌うには、歌詞やリズムが単純で、繰り返し歌ったのがキャロルに根付いたようだ。韓国に、女性が手をつなぎ丸く輪を作り、回りながら歌い踊る、伝統的な「カンガンスルレ」の遊びがあって、ダンスに似ている。
▼ 「カンガンスルレ」の歌を聴く。小正月にもあるという月夜の遊び、南の風がするよう。
最後に、朴東鎭(박동진、1916年~2003年)の創作パンソリ「イエス伝(예수전)」成立のいきさつを次のように紹介された。
・伝統音楽には、仏教に関連したものは多いが、キリスト教のものは余りなく、稀に貴重なものもある。朴東鎭のパンソリ「イエス伝」もそのひとつで、曲成立を回想している。1972年、草洞教会の趙香祿(조향록)牧師と東亜放送の作家朱泰益(주태익)の訪問があり、放送台本を元に、イエスの話のパンソリ化を頼まれた。一旦断ったものの手がける。ラジオが人気あった時代で、台本はイエス誕生から復活までの内容を含んだ。台本と聖書で、キリスト教の知識を身に付け、4時間に渡る公演をした。朴東鎭は後にクリスチャンとなる。
▼ 新パンソリ「イエス伝」中から、「イエスが馬小屋で誕生(예수 마구간에서 탄생)」の曲を聴く。語りはパンソリだ。
始めに、クリスマスと冬至の意味について次のように説明された。
・昨日(12/22)、一年で昼が最も短い「冬至」だった。昔、太陽に依存した暮らしの人々に冬至は大きな意味があった。やがて昼が長くなり、明るく温かくなる。草木、動物、人々も豊かな春を目指す。東洋西洋とも、冬至は重要な日だ。キリスト生誕日のクリスマスが冬至頃なのも、決して偶然でないだろう。救世主がこの世に生まれ、人々が光の中に生きる意が含まれる。
▼ クリスマス・キャロルを韓国伝統楽器と演奏する「雪が降る日の日記(눈 내린 날의 일기)」を聴く。今様の楽しいメドレー。
次に、クリスマス行事と伝統的遊び「カンガンスルレ(강강술래)」について次のように紹介された。
・クリスマスは宗教や民族を越えて、多くの人々が楽しむ日だ。昔は12月になると、クリスマスツリーを飾り、クリスマスキャロルが聞こえて、寒い冬も温かく感じられた。最近、クリスマスキャロルが、著作権の問題で商店街で流せなくなり、人々の音楽の好みも変わった。クリスマスキャロルは、西欧中世の祝祭に由来する。輪になって踊る風習があり、みなで歌うには、歌詞やリズムが単純で、繰り返し歌ったのがキャロルに根付いたようだ。韓国に、女性が手をつなぎ丸く輪を作り、回りながら歌い踊る、伝統的な「カンガンスルレ」の遊びがあって、ダンスに似ている。
▼ 「カンガンスルレ」の歌を聴く。小正月にもあるという月夜の遊び、南の風がするよう。
最後に、朴東鎭(박동진、1916年~2003年)の創作パンソリ「イエス伝(예수전)」成立のいきさつを次のように紹介された。
・伝統音楽には、仏教に関連したものは多いが、キリスト教のものは余りなく、稀に貴重なものもある。朴東鎭のパンソリ「イエス伝」もそのひとつで、曲成立を回想している。1972年、草洞教会の趙香祿(조향록)牧師と東亜放送の作家朱泰益(주태익)の訪問があり、放送台本を元に、イエスの話のパンソリ化を頼まれた。一旦断ったものの手がける。ラジオが人気あった時代で、台本はイエス誕生から復活までの内容を含んだ。台本と聖書で、キリスト教の知識を身に付け、4時間に渡る公演をした。朴東鎭は後にクリスチャンとなる。
▼ 新パンソリ「イエス伝」中から、「イエスが馬小屋で誕生(예수 마구간에서 탄생)」の曲を聴く。語りはパンソリだ。
イ・ソンヒの「愛してます 母さん」
イ・ソンヒのキャロルアルバム「私たちの物語(우리들의 이야기)」(1991年)に所収の「愛してます 母さん(사랑해요 엄마)」(作詞キム・ミンジョン、作曲ソン・シヒョン、編曲ピョン・ソンリョン/ユ・チヨン)は、情感あふれる美しい曲だ。普通、親子をほほえましく描くことが多いのに比べて、想いを確かめるように歌い上げる。心に母の姿が浮ぶ、まさに賛歌である。
愛してます 母さん、母さんのその微笑を
愛してます 母さん、母さんのそのすべてを
* 隠れたその笑顔の裏に 麗しい皺(しわ)の刻まれたその顔
私にくださった その愛で世界を愛します
愛してます 愛してます
母さんの顔だけ思い浮かべれば 私の心は平和です
(* 以下繰り返し)
音楽サイトIZMの記事「家族として記憶されるわたしたちの歌謡」に再掲されている、「イ・ソンヒ - 『愛してます 母さん』(1991年)」(2011/05 キム・ジンソン)は、この歌について次のように紹介している。
-----------------------------------------------
子どもに向けた<母さん>の愛は、「アンリミテッド」、それこそ無制限だ。厳密に父情とは別の次元の母情. 本来一体から分離して生まれ出た子どもは、<母さん>に(とって)別の分身と等しい。新しい生命を懐妊し、世界の光を見られるようにする<母さん>の存在はそれだけ偉大だ。イ・ソンヒの「愛してます 母さん」は、その偉大な愛に対してただ<母さん>のすべてを愛しているという歌唱曲といえるだろう。
シンセサイザーを主な楽器として、ピアノ、アコースティック・ギター、フルート、ドラム、歌声などを結合した伴奏は典型的な歌謡の感じそのままだ。イ・ソンヒの歌唱は、ゴスペルのように厳粛で敬けんな感じの伝達力で迫ってくる。初めは滑らかに、次第に強い訴える力で<母さん>に対する愛を歌う。「愛してます」という言葉それ以上の何が必要だろうか。常に近くにいながらも、容易に呼んであげられない言葉、「愛してます、母さん」をこの歌で直接伝えてみるのも遅くないだろう。
「隠れた微笑の後にうるわしい皺の刻まれたその顔、私にくださったその愛で世界を愛します。愛してます、愛してます、母さんの顔だけ思い浮かべれば私の心は平和です」、クライマックスという後半部に達すれば、心が涙声になる感動を受けることになるだろう。サウンド的な面で、昔ながらの感性が豊かだけれど清純ながらも生一本のイ・ソンヒのボーカル・パワーをアピールする力は実にすごい。チェ・ブラムとチョン・ヨジンのデュエットで有名な「パパの言葉(아빠의 말씀)」(Anthony Quinn & Charlieの「Life itself will let you know」の翻案曲)と並んで、他の一方で親子の情を交わす代表的な賛歌(さんか)である。
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(Youtubeに登録のKoreanMusicSubsに感謝)
愛してます 母さん、母さんのその微笑を
愛してます 母さん、母さんのそのすべてを
* 隠れたその笑顔の裏に 麗しい皺(しわ)の刻まれたその顔
私にくださった その愛で世界を愛します
愛してます 愛してます
母さんの顔だけ思い浮かべれば 私の心は平和です
(* 以下繰り返し)
音楽サイトIZMの記事「家族として記憶されるわたしたちの歌謡」に再掲されている、「イ・ソンヒ - 『愛してます 母さん』(1991年)」(2011/05 キム・ジンソン)は、この歌について次のように紹介している。
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子どもに向けた<母さん>の愛は、「アンリミテッド」、それこそ無制限だ。厳密に父情とは別の次元の母情. 本来一体から分離して生まれ出た子どもは、<母さん>に(とって)別の分身と等しい。新しい生命を懐妊し、世界の光を見られるようにする<母さん>の存在はそれだけ偉大だ。イ・ソンヒの「愛してます 母さん」は、その偉大な愛に対してただ<母さん>のすべてを愛しているという歌唱曲といえるだろう。
シンセサイザーを主な楽器として、ピアノ、アコースティック・ギター、フルート、ドラム、歌声などを結合した伴奏は典型的な歌謡の感じそのままだ。イ・ソンヒの歌唱は、ゴスペルのように厳粛で敬けんな感じの伝達力で迫ってくる。初めは滑らかに、次第に強い訴える力で<母さん>に対する愛を歌う。「愛してます」という言葉それ以上の何が必要だろうか。常に近くにいながらも、容易に呼んであげられない言葉、「愛してます、母さん」をこの歌で直接伝えてみるのも遅くないだろう。
「隠れた微笑の後にうるわしい皺の刻まれたその顔、私にくださったその愛で世界を愛します。愛してます、愛してます、母さんの顔だけ思い浮かべれば私の心は平和です」、クライマックスという後半部に達すれば、心が涙声になる感動を受けることになるだろう。サウンド的な面で、昔ながらの感性が豊かだけれど清純ながらも生一本のイ・ソンヒのボーカル・パワーをアピールする力は実にすごい。チェ・ブラムとチョン・ヨジンのデュエットで有名な「パパの言葉(아빠의 말씀)」(Anthony Quinn & Charlieの「Life itself will let you know」の翻案曲)と並んで、他の一方で親子の情を交わす代表的な賛歌(さんか)である。
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(Youtubeに登録のKoreanMusicSubsに感謝)
2015年12月29日火曜日
イ・ソンヒ、1980~90年代の象徴
ケーブルテレビtvNの番組「名簿公開」で、80年代・90年代に輝いた歌手としてイ・ソンヒが選出されたと、10asiaの記事「『名簿公開』イ・ソンヒ、姉さん部隊*率い青春スター・・・『国民のディーヴァ(歌姫)』」(12/28、チュ・ヒョンジョン インターン記者)は次のように報じている。
(* 「姉さん部隊」 イ・ソンヒのデビュー当時(20歳頃)の女子中高生を中心にしたファングループ)
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・歌手イ・ソンヒが、1980~90年代の象徴になったスターとして選ばれた。
・今日(28日)放送された、tvN(番組)「名簿公開2015」(94話)で、「応答せよ8090」*をテーマに、その時期最も眩しかった青春スターの名簿(リスト)を公開した。
(* 「応答せよ~」の「~」に、”年代”や”世代”を当てはめるのが最近のはやり)
・この日、イ・ソンヒは7位に名前を上げた。過去、膨大なファン層を誇ったイ・ソンヒは、「Jへ」でデビューするやいなや、5週連続、音楽番組1位を記録し、大人気を享受した。
(本ブログ関連:”Jへ”)
・「Jへ」でトップ歌手の仲間入りした彼女は、持続して人生の黄金期を続けており、1985年の「ああ、昔よ」を皮切りに、「私はいつもあなたを」、「私の街」などで、各放送局1位をさらって大衆の愛を受けた。
・2004年、レコード制作者に変身した彼女は、高校生だったイ・スンギへ歌手活動を提案、彼をスターに育て、制作者としての能力も実証した。
(本ブログ関連:”イ・スンギ”)
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(Youtubeに登録のtvNに感謝)
(* 「姉さん部隊」 イ・ソンヒのデビュー当時(20歳頃)の女子中高生を中心にしたファングループ)
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・歌手イ・ソンヒが、1980~90年代の象徴になったスターとして選ばれた。
・今日(28日)放送された、tvN(番組)「名簿公開2015」(94話)で、「応答せよ8090」*をテーマに、その時期最も眩しかった青春スターの名簿(リスト)を公開した。
(* 「応答せよ~」の「~」に、”年代”や”世代”を当てはめるのが最近のはやり)
・この日、イ・ソンヒは7位に名前を上げた。過去、膨大なファン層を誇ったイ・ソンヒは、「Jへ」でデビューするやいなや、5週連続、音楽番組1位を記録し、大人気を享受した。
(本ブログ関連:”Jへ”)
・「Jへ」でトップ歌手の仲間入りした彼女は、持続して人生の黄金期を続けており、1985年の「ああ、昔よ」を皮切りに、「私はいつもあなたを」、「私の街」などで、各放送局1位をさらって大衆の愛を受けた。
・2004年、レコード制作者に変身した彼女は、高校生だったイ・スンギへ歌手活動を提案、彼をスターに育て、制作者としての能力も実証した。
(本ブログ関連:”イ・スンギ”)
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(Youtubeに登録のtvNに感謝)
2015年12月28日月曜日
火の用心2015
今年最初の「火の用心」の呼びかけが拍子木を響かせながら家の前を遠ざかった。やっぱり冬だなと、しみじみ納得する。記憶では12月26日(2014年と2012年26日)、28日(2013年)に、この夜回りを聞いている。もしかしたら全て26日に開始されていたのかもしれない。これから以降数日、何度か聞けるかもしれない。
(本ブログ関連:”火の用心の拍子木 2012年、2013年、2014年”)
以前は、子どもの声をまじえながら「火の用心」の掛け声がしたこともあった。残念ながら今晩の「火の用心」の声は届かなかったが、拍子木の「カチ、カチ」という響きはちゃんと届いた。この行事、一体どこのどなたがされているのか。例年の地道なボランティア活動に、本当に感謝。
(付記)師走の街
自動録音機能付きラジオがメモリー不足メッセージを表示し始めたので、マイクロSDカードを購入しに、近くの商業町に出かけた。買物ついでに設定も頼むという、すっかり他人頼みになってしまった。
街は賑わっていた。行列で有名なメンチカツ店も、いつもの倍くらい客が並んでいた。駅ビルの酒店で、ホットワイン用の甘~いブドウ酒を買う。そのままではアルコール分が強いので、飲み頃の50~55℃に温める。そこにデコポン茶用のジャムを加えてさらに甘~くする。柑橘系の香りも加わって美味い。
(本ブログ関連:”火の用心の拍子木 2012年、2013年、2014年”)
以前は、子どもの声をまじえながら「火の用心」の掛け声がしたこともあった。残念ながら今晩の「火の用心」の声は届かなかったが、拍子木の「カチ、カチ」という響きはちゃんと届いた。この行事、一体どこのどなたがされているのか。例年の地道なボランティア活動に、本当に感謝。
(付記)師走の街
自動録音機能付きラジオがメモリー不足メッセージを表示し始めたので、マイクロSDカードを購入しに、近くの商業町に出かけた。買物ついでに設定も頼むという、すっかり他人頼みになってしまった。
街は賑わっていた。行列で有名なメンチカツ店も、いつもの倍くらい客が並んでいた。駅ビルの酒店で、ホットワイン用の甘~いブドウ酒を買う。そのままではアルコール分が強いので、飲み頃の50~55℃に温める。そこにデコポン茶用のジャムを加えてさらに甘~くする。柑橘系の香りも加わって美味い。
2015年12月27日日曜日
澤穂希選手の引退
女子サッカーの澤 穂希(ほまれ)選手(INAC神戸レオネッサ)が、今日の「皇后杯全日本女子選手権」(於:等々力陸上競技場)の決勝戦(対アルビレックス新潟レディース)で、自身のヘディングシュートにより、1-0の勝利に導き、本試合を最後に引退した。結婚を機にしたものである。
試合後、インタビューで次のように語ったと日刊スポーツの記事「澤穂希が現役最後の試合で決勝ゴール 涙見せず」(12/27)は報じた。(抜粋)
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試合後、ピッチで胴上げされた澤は「みなさんの力で勝てた。素直にうれしい。(先制のCKは)川澄選手のボールが良かった。今日は得点を狙っていた。とにかく現役最後の試合で点を取れたのはうれしく思う」と、涙を見せずに話した。
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「涙を見せず」というのが彼女らしくてうれしい。
先の2011年7月17日、「FIFA女子ワールドカップ」で日本女子サッカーチームが優勝した。「大会最優秀選手」、「得点王」(5点)の栄誉を獲得したのが澤選手だ。彼女の存在は、日本の女子サッカーだけでなく、男子サッカーへも刺激を与えたろう。そして、わたしを含めて多くをにわかファンにしてくれた。
その年の3月11日に、「東日本大震災」に襲われ沈滞した空気にあった国民を一変したことはいうまでもない。感謝。
澤選手は永遠に記憶に残り、マイルストーンの役割を果たすだろう。
(追記)
サッカーの試合で、特に男子選手を見て感じることがある。選手同士の試合中の衝突時、(世界共通して)痛い痛いアピールが過ぎるように思えてならないことがある。女子選手にそのような振る舞いをほとんど見かけないからだ。
ところで、最近のラグビー人気の急上昇が何となく分かる気がする。観客のスポーツへの観戦態度が変わってきているようだ。女子に澤選手があったように、ラグビーに五郎丸 歩選手が登場した。
試合後、インタビューで次のように語ったと日刊スポーツの記事「澤穂希が現役最後の試合で決勝ゴール 涙見せず」(12/27)は報じた。(抜粋)
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試合後、ピッチで胴上げされた澤は「みなさんの力で勝てた。素直にうれしい。(先制のCKは)川澄選手のボールが良かった。今日は得点を狙っていた。とにかく現役最後の試合で点を取れたのはうれしく思う」と、涙を見せずに話した。
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「涙を見せず」というのが彼女らしくてうれしい。
先の2011年7月17日、「FIFA女子ワールドカップ」で日本女子サッカーチームが優勝した。「大会最優秀選手」、「得点王」(5点)の栄誉を獲得したのが澤選手だ。彼女の存在は、日本の女子サッカーだけでなく、男子サッカーへも刺激を与えたろう。そして、わたしを含めて多くをにわかファンにしてくれた。
その年の3月11日に、「東日本大震災」に襲われ沈滞した空気にあった国民を一変したことはいうまでもない。感謝。
澤選手は永遠に記憶に残り、マイルストーンの役割を果たすだろう。
(追記)
サッカーの試合で、特に男子選手を見て感じることがある。選手同士の試合中の衝突時、(世界共通して)痛い痛いアピールが過ぎるように思えてならないことがある。女子選手にそのような振る舞いをほとんど見かけないからだ。
ところで、最近のラグビー人気の急上昇が何となく分かる気がする。観客のスポーツへの観戦態度が変わってきているようだ。女子に澤選手があったように、ラグビーに五郎丸 歩選手が登場した。
2015年12月26日土曜日
イ・ソンヒの誕生日(陽暦)
イ・ソンヒは、今日満51歳の誕生日を迎える。父(イ・ジョンギュ:이종규)、母(チェ・ビョンムン:최병문)の初めての子として、1964年11月11日(陰暦誕生日)に誕生した。イ・ソンヒの本籍地は、公式ホームページによれば、「忠清南道(충청남도) 保寧郡(보령군:現在は市) 珠山面(주산면) 篁栗里(황율리)」(GoogleMap)と記されている。
(本ブログ関連:”イ・ソンヒの生誕”、”イ・ソンヒの誕生日”、”数え年と満年齢”)
同本籍地を地図上に探ると、すでに記したことだが、<鉄道「長項線」と国道21号線が接する珠山の街を北上する市道の途中にある篁栗里を左折した先に彼女の故郷がある。篁栗里は、保寧市の黄海に面した大川にある海水浴場観光特区の南東の山間にあり、また北東には南北に延びる「保寧湖」がある。なお長項線にあった「珠山駅」は、2006年6月に廃駅されたとのこと。>
なお、彼女の誕生から27歳までの自伝的な語りがある。⇒ 本ブログ資料編
(付記)
「1964年の韓国」について、新聞、Wikipediaの歴史年表、Youtube映像など。
(本ブログ関連:”イ・ソンヒの生誕”、”イ・ソンヒの誕生日”、”数え年と満年齢”)
同本籍地を地図上に探ると、すでに記したことだが、<鉄道「長項線」と国道21号線が接する珠山の街を北上する市道の途中にある篁栗里を左折した先に彼女の故郷がある。篁栗里は、保寧市の黄海に面した大川にある海水浴場観光特区の南東の山間にあり、また北東には南北に延びる「保寧湖」がある。なお長項線にあった「珠山駅」は、2006年6月に廃駅されたとのこと。>
なお、彼女の誕生から27歳までの自伝的な語りがある。⇒ 本ブログ資料編
(付記)
「1964年の韓国」について、新聞、Wikipediaの歴史年表、Youtube映像など。
2015年12月25日金曜日
イ・ソンヒの「過ぎ去りしひととせを思い返しみると」
イ・ソンヒのアルバム「私たちの物語」に所収の「過ぎ去りしひととせを思い返しみると(지나간 한 해를 다시 생각해보면)」(1991年、作詞・作曲ソン・シヒョン송시현)を聞きながら、この一年を振り返ると、果たしてどんな年だったのだろうか。
若者には大いに内省してさらに逞しくなって欲しいけれど、おじさんにとってこの期におよんでは人生を二度楽しむことをモットーにしている。先行きを案じるよりも、楽しむこと、それを思い返すことを期待するばかりだ。
来年もいい年でありますように。
1.
街を 思いきり あてなく歩き 帰り
寂しい 心に 蝋燭の火を 灯すよ
過ぎ去りし ひととせは なぜかあまりに寒かった
悲しみの 意味だけ 教えてくれたね
ときには 喜びもあったけど とても つらかった
過ぎ去りし ひととせは 私を 覚らせてくれた
あまりにも 尊い 人生の意味を
2.
来たる 新年には 果たしてどんなことが
大切な 自分の人生を 照らしてくれるのだろうか
過ぎ去りし ひととせを 思い返しみると
来たる 新年は さらに大切で
ときには 悲しみもあるだろうけど 私を 愛さなくちゃ
明るくなる 朝は 私を歓び迎えてくれるよ
自ら 立ち上がって 来たる 朝
(Youtubeに登録のUnInvited Guestに感謝)
若者には大いに内省してさらに逞しくなって欲しいけれど、おじさんにとってこの期におよんでは人生を二度楽しむことをモットーにしている。先行きを案じるよりも、楽しむこと、それを思い返すことを期待するばかりだ。
来年もいい年でありますように。
1.
街を 思いきり あてなく歩き 帰り
寂しい 心に 蝋燭の火を 灯すよ
過ぎ去りし ひととせは なぜかあまりに寒かった
悲しみの 意味だけ 教えてくれたね
ときには 喜びもあったけど とても つらかった
過ぎ去りし ひととせは 私を 覚らせてくれた
あまりにも 尊い 人生の意味を
2.
来たる 新年には 果たしてどんなことが
大切な 自分の人生を 照らしてくれるのだろうか
過ぎ去りし ひととせを 思い返しみると
来たる 新年は さらに大切で
ときには 悲しみもあるだろうけど 私を 愛さなくちゃ
明るくなる 朝は 私を歓び迎えてくれるよ
自ら 立ち上がって 来たる 朝
(Youtubeに登録のUnInvited Guestに感謝)
2015年12月24日木曜日
イ・ソンヒの「ラスト・クリスマス」
イ・ソンヒがアルバム「冬のものがたり」(1988年)にカバー収録した、ワム(Wham!)のクリスマスヒット曲「ラスト・クリスマス(Last Christmas)」(1984年)は、イ・ソンヒがデビューした同じ年にリリースされている。
(本ブログ関連:”ラスト・クリスマス”、”クリスマス”)
軽快なイ・ソンヒのカバー(副題:Happy Christmas)は、原曲の持つ恋の結果を自問する複雑な心理とは裏腹で、むしろ願いを込めたとても前向きなのだ。いかにも彼女らしく若々しい、副題の通り幸せを予感する歌に仕上がっている。
今日は、誰にとってもクリスマスイブ。
(Youtubeに登録のMusic maniaに感謝)
(本ブログ関連:”ラスト・クリスマス”、”クリスマス”)
軽快なイ・ソンヒのカバー(副題:Happy Christmas)は、原曲の持つ恋の結果を自問する複雑な心理とは裏腹で、むしろ願いを込めたとても前向きなのだ。いかにも彼女らしく若々しい、副題の通り幸せを予感する歌に仕上がっている。
今日は、誰にとってもクリスマスイブ。
(Youtubeに登録のMusic maniaに感謝)
インディアン・ラブ・コール
昔は筆でしたためた恋文(手紙)、まさか電信はなかったろうから飛ばして、次に来たのが電話だろう。その電話機は、近所に一台に始まり、家庭に一台となり、今は一人に一台の携帯となって、進化を遂げてスマホとなった。わたしはそれに追いつく気もなく、ガラケーを使っているが。
あの重いアナログ据置電話機を使った思い出深い映画場面がある。「パリ、テキサス(Paris,Texas)」(1984年)だ。隣り合わせながら知らず、受話器を通して語りかけるその先に埋まらぬ空白があった。電話がまだ、言葉をひとつひとつ選び費やすことができる時代のものだった。だから映画に共感できた。(イ・ソンヒがデビューしたころの映画だ)
受話器には、恋文の行間にもひとしい息遣いがあった。想いめぐらせ重ねるに充分だった。それなのに、「Indian Love Call」(Slim Whitman、1954年)ときたら、恋の電話に何と呑気なのだろう。もっと昔の時代なのに。火星人をなぎ倒すファルセットが癇に障ったのだろうか、監督ティム・バートンの映画「マーズアタック(Mars attacks!)」(1996年)に採用されたのだ。
もし、「マーズアタック2」が作られたら、どんな歌が威力を発揮するのだろうか。楽しみである。
(Youtubeに登録のLeonard Nosferatuに感謝)
あの重いアナログ据置電話機を使った思い出深い映画場面がある。「パリ、テキサス(Paris,Texas)」(1984年)だ。隣り合わせながら知らず、受話器を通して語りかけるその先に埋まらぬ空白があった。電話がまだ、言葉をひとつひとつ選び費やすことができる時代のものだった。だから映画に共感できた。(イ・ソンヒがデビューしたころの映画だ)
受話器には、恋文の行間にもひとしい息遣いがあった。想いめぐらせ重ねるに充分だった。それなのに、「Indian Love Call」(Slim Whitman、1954年)ときたら、恋の電話に何と呑気なのだろう。もっと昔の時代なのに。火星人をなぎ倒すファルセットが癇に障ったのだろうか、監督ティム・バートンの映画「マーズアタック(Mars attacks!)」(1996年)に採用されたのだ。
もし、「マーズアタック2」が作られたら、どんな歌が威力を発揮するのだろうか。楽しみである。
(Youtubeに登録のLeonard Nosferatuに感謝)
2015年12月23日水曜日
祝日にくつろぐこと
今日は「天皇誕生日」の祝日である。町内は実に穏やかで、まるで正月のような静けさだ。自然に和らいでくる。緊張することの少ない気ままな身だが、更にのんびりとして緩み、くつろぐ気がする。
なのに日頃、アリスの前を「遅れてしまう!」とばかりに走るウサギのよう振舞って、果たして何に遅れるというのだろう。今日のような静かな一日に、いろいろな思いが浮かび、いろいろと考えさせる。
月日の過ぎるのがあっけないと気付き、やがて年月の経つのは早いと実感する。若い頃は傲慢で、歌舞伎や落語ファンが「先代は」とか「何代目は」とかいう話しをうるさく感じたものだ。それが、今では自然に聞こえる。どうやら、背中が重くなってきたようだ。
子どものころ感性をはぐくんだ土地を忘れがたいが、親の転勤にともなって以来、この地に住みここの空気にすっかり染まった。すみかにふさわしい処と思い定めたようだ。遠に、羽ばたくことのたくらみはないけれど、といって仙人の境地にもいたらない。たわむれに仙人の真似ごとをして、壁抜けしようとしても、頭をごっつんことぶつけるのが関の山だろう。
なのに日頃、アリスの前を「遅れてしまう!」とばかりに走るウサギのよう振舞って、果たして何に遅れるというのだろう。今日のような静かな一日に、いろいろな思いが浮かび、いろいろと考えさせる。
月日の過ぎるのがあっけないと気付き、やがて年月の経つのは早いと実感する。若い頃は傲慢で、歌舞伎や落語ファンが「先代は」とか「何代目は」とかいう話しをうるさく感じたものだ。それが、今では自然に聞こえる。どうやら、背中が重くなってきたようだ。
子どものころ感性をはぐくんだ土地を忘れがたいが、親の転勤にともなって以来、この地に住みここの空気にすっかり染まった。すみかにふさわしい処と思い定めたようだ。遠に、羽ばたくことのたくらみはないけれど、といって仙人の境地にもいたらない。たわむれに仙人の真似ごとをして、壁抜けしようとしても、頭をごっつんことぶつけるのが関の山だろう。
KBS WORLD「国楽の世界へ」 水龍吟
KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(12/16)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、李白「笛奏龍吟水」に由来する「水龍吟(수룡음)」ほか関連した3曲を紹介した。
(本ブログ関連:”水龍吟”)
始めに、朝鮮後期の林熙之(임희지、1765年~未詳)と「笙簧(センファン:생황)」の関係について次のように紹介された。
・朝鮮後期、中国語通訳官だった林熙之は、竹と蘭をよく描いた。(日本の笙に似た管楽器)「笙簧」の演奏に優れ、弟子も多かった。酒が好きで、食事代わりにもした。貧しいなか、刀や鏡、硯の蒐集を好み、住まいよりも高いものもあった。芸術に没頭して、芸術そのものになった人とも言える。もう一つ面白い癖があった。明るい月夜、髪を両側に結いあげて、裸足で歩き回った。ガチョウの羽で作った服をまとい、笙簧を吹きながら市場を歩き回った。その姿を見て、お化けと思い逃げる者もいた。実は、このいでたちは神仙の姿を表したものだ。
▼ 宮中や宴会で奏された、笙簧と竹笛短簫(タンソ:단소)による「水龍吟(수룡음)」を聴く。雄大に龍と鳳凰が交差する。
次に、林熙之の神仙的風態について次のように解説された。
・林熙之は、自ら「水月道人(수월도인)」と呼び、竹や蘭を描いたのを見ると、複雑な世から逃れ、清く生きようとしたのが感じられる。体格もがっちりとして、夜中、変わった服装で歩き回ると、人々がびっくりしたのも分かる。彼が作った、ガチョウの羽の服は、神仙が鶴に乗って飛ぶ姿を表現したのだろう。
・神仙の絵に、「大笒(テグム:대금」に似た横笛や笙簧のような管楽器を奏するものが多い。神仙はいつ何処にも自由に移動した。運ぶのに便利な楽器を持ち、美しい景色と風流を楽しんだ。また、神仙の姿を歌った詩に、鶴に乗って笛を吹くで始まるものがあり、ヒョウタン形をした瓶をぶらさげて不老草をかつぎ、髪を結いあげている子供に話しかける内容だ。
▼ 詩にリズムのついた時調唱(시조창)「辞説頭学(사설지름)時調、鶴に乗って(학 타고)」を聴く。瑤池宴に行くのか?
最後に、小説「九雲夢(구운몽)」(金萬重 1637年~92年)の女仙、あるいは姮娥について次のように紹介された。
・「瑤池宴」は、中国最高の女仙「西王母」が開く宴で、神仙の集まる場として知られる。李朝期の古典小説「九雲夢(구운몽)」(金萬重 1637年~92年)に、8人の女仙が登場する。些細な罪を犯し、しばらく人間世界を生きる、それだけ美しく善良なものだ。今いる場所以外の他の世界で暮らしたい思いを、この詩は表現しているようだ。仙女の中で一番といえば、「姮娥(こうが)」が挙げられる。彼女は、西王母の不死の薬を盗み、月に逃げてしまう。唐の詩人李白は、月を眺めながら彼女を詩「把酒問月」に謳う。白兎は薬をついて、仙女の姮娥は寂しいという内容だ。仙女の姮娥は、さぞ寂しい思いをしたろう。
▼ 撥弦楽器の伽耶琴(カヤグム、가야금)演奏「鏡花水月(거울 속의 꽃, 물 속의 달)」を聴く。飄々と響く、今様である。
・最後に、キム・ボエさんの言葉、「どんなことでも、長所があれば短所もあるものです。どんなに寂しくても、人間とはまた違う形で我慢をしなければならないのが、神仙の暮らしでもあったようです。」
(本ブログ関連:”水龍吟”)
始めに、朝鮮後期の林熙之(임희지、1765年~未詳)と「笙簧(センファン:생황)」の関係について次のように紹介された。
・朝鮮後期、中国語通訳官だった林熙之は、竹と蘭をよく描いた。(日本の笙に似た管楽器)「笙簧」の演奏に優れ、弟子も多かった。酒が好きで、食事代わりにもした。貧しいなか、刀や鏡、硯の蒐集を好み、住まいよりも高いものもあった。芸術に没頭して、芸術そのものになった人とも言える。もう一つ面白い癖があった。明るい月夜、髪を両側に結いあげて、裸足で歩き回った。ガチョウの羽で作った服をまとい、笙簧を吹きながら市場を歩き回った。その姿を見て、お化けと思い逃げる者もいた。実は、このいでたちは神仙の姿を表したものだ。
▼ 宮中や宴会で奏された、笙簧と竹笛短簫(タンソ:단소)による「水龍吟(수룡음)」を聴く。雄大に龍と鳳凰が交差する。
次に、林熙之の神仙的風態について次のように解説された。
・林熙之は、自ら「水月道人(수월도인)」と呼び、竹や蘭を描いたのを見ると、複雑な世から逃れ、清く生きようとしたのが感じられる。体格もがっちりとして、夜中、変わった服装で歩き回ると、人々がびっくりしたのも分かる。彼が作った、ガチョウの羽の服は、神仙が鶴に乗って飛ぶ姿を表現したのだろう。
・神仙の絵に、「大笒(テグム:대금」に似た横笛や笙簧のような管楽器を奏するものが多い。神仙はいつ何処にも自由に移動した。運ぶのに便利な楽器を持ち、美しい景色と風流を楽しんだ。また、神仙の姿を歌った詩に、鶴に乗って笛を吹くで始まるものがあり、ヒョウタン形をした瓶をぶらさげて不老草をかつぎ、髪を結いあげている子供に話しかける内容だ。
▼ 詩にリズムのついた時調唱(시조창)「辞説頭学(사설지름)時調、鶴に乗って(학 타고)」を聴く。瑤池宴に行くのか?
最後に、小説「九雲夢(구운몽)」(金萬重 1637年~92年)の女仙、あるいは姮娥について次のように紹介された。
・「瑤池宴」は、中国最高の女仙「西王母」が開く宴で、神仙の集まる場として知られる。李朝期の古典小説「九雲夢(구운몽)」(金萬重 1637年~92年)に、8人の女仙が登場する。些細な罪を犯し、しばらく人間世界を生きる、それだけ美しく善良なものだ。今いる場所以外の他の世界で暮らしたい思いを、この詩は表現しているようだ。仙女の中で一番といえば、「姮娥(こうが)」が挙げられる。彼女は、西王母の不死の薬を盗み、月に逃げてしまう。唐の詩人李白は、月を眺めながら彼女を詩「把酒問月」に謳う。白兎は薬をついて、仙女の姮娥は寂しいという内容だ。仙女の姮娥は、さぞ寂しい思いをしたろう。
▼ 撥弦楽器の伽耶琴(カヤグム、가야금)演奏「鏡花水月(거울 속의 꽃, 물 속의 달)」を聴く。飄々と響く、今様である。
・最後に、キム・ボエさんの言葉、「どんなことでも、長所があれば短所もあるものです。どんなに寂しくても、人間とはまた違う形で我慢をしなければならないのが、神仙の暮らしでもあったようです。」
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