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2012年6月12日火曜日

「小金井の新田開発」(4)

朝から小雨がぱらつく午前中、地元公民館主催の市民講座「小金井の新田開発」(5回シリーズ)の第4回目に行く。前回にも増して更に早く到着するも、部屋には聴講者が次々入室してすぐに満員になった。

今回は、享保改革の将軍吉宗の懐刀であった、大岡越前守忠相(ただすけ)の新田開発とのかかわりについて次の通り説明があった。

・幕府3大奉行(町奉行、寺社奉行、勘定奉行【現在の財務+農水+国交省】)の内、町奉行、寺社奉行を歴任しつつ、地方(じかた)御用【農政を担当】を勤めた。

・新田開発に当たっては、実践的、機動力のある配下を擁して、勘定奉行と対立することもあった。

・官僚化した勘定奉行との対立関係が庶民にうけて、大岡政談などの伝説につながったという。

・しかしながら、新田開発や検地(幕府のコントロール)を通じて農業の経済化(江戸を支える食料などの物流、私的土地所有など)を実現し、結果として官僚機構の勘定奉行の実質的強化を推し進めたことになる。

また、古文書「武蔵国多麻郡下小金井村見取検地帳(享保十八年丑四月)」(一部)のコピーをもとに、下小金井村の生産規模や関係者などの記述を解読して、歴史を知ることは、まず一次資料から・・・ということを気付かせていただいた。

(本ブログ関連:"「小金井の新田開発」")

(追記)
なぜか最近、火曜日に小雨が多い。今晩も、韓国語教室には雨傘をさして通う。
それにしても今日一日中冷えるなあ。厚手の長袖シャツを引っ張り出して着ているのだから。

2012年6月11日月曜日

のんびりした生活を望むなら、雨に霞む風景を背に書を読む晴耕雨読は人生の理想だろう。でもねえ、雨は舞台装置ではない。湿気を呼んでくるのだ。おかげで除湿機がフル稼働している。

昼の雨は健康だ。雨中を走る人影を描けば、絵画はますますダイナミックになる。雨には活力がある。それに比べると夜の雨は、その雨音が次第に精神に迫り振るわせる、そんな映画があった。
見える雨と見えない雨、もしかすると雨は、ひとの二面性を暴き出す薬かもしれない。

ところで、ビートルズファン層の厚さについて、ビートルズにはロックミュージックだけでなく、実はバラードがあるからだと、音楽評論家(もしかしたら近田春夫だったかな)が語っていた記憶がある。その二重性をファンは異質なものとは受けとめていない。

ハードロックバンドのユーライア・ヒープ(Uriah Heep - Rain)に、この時期にふさわしい「Rain」(1972年)の美しいバラードがある。出だしに一瞬、チョクウ(적우)を思い起させる。
日本語タイトルは「雨に寄せる抒情」だ。何とロマンチックなことだろう。ガラス窓越に雨にぬれた通りを眺めながら想い出語りする・・・まるでCFの映像のようだ。

そういえば、イ・ソンヒは高校時代にハードロックに明け暮れたそうだ。本当はロックを歌いたい、だからステージではその思いを発揮するという。

(Youtubeに登録のAlanNisiyamamotoに感謝)

2012年6月10日日曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 金徳洙

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(6/6)に、人物シリーズ31回目として現代音楽のサムルノリ사물놀이)の生みの親、金徳洙(キム・ドクス、김덕수を紹介した。

まずサムルノリの紹介から始まった。
・サムルノリのサムル(사물)は4つの物(楽器)を指し、ノリ(놀이)は遊びの意を持つ。
・4つの打楽器、鼓:プク(북)、杖鼓:チャング장구)、鉦:チン)、小金:クェンガリ꽹과리)を用いて、国楽の「農楽(농악)」を元にした<現代風パーカッション>を奏する。
・各楽器は、農業と密接な天気を象徴する。音が大きく激しい印象のクェンガリは「雷」、抱擁力のある音色のチンは「風」、空に鳴り響く力強いプクは「雲」、そしてチャングは「雨」を象徴している。
・34年前の1978年に初めて登場した、まだ新しい音楽ジャンルである。

(本ブログ関連:"サムルノリ")

▼金徳洙のサムルノリによる「嶺南農楽加楽(ヨンナム農楽カラク、영남농악가락)」を聴く。PCのスピーカーでは。打楽器演奏は、聴覚だけでなく、視覚、皮膚感覚が必要な気がする。生で聴きたいものだ・・・。

農楽とサムルノリの演奏の違いについて解説があった。
・農楽は、プンムルペ(風物牌*、풍물패)という大規模な楽隊が村々を巡り演奏する形式で、サムルノリは4種類の楽器以外にも太平簫(テピョンソ、태평소)や小鼓(ソゴ、소고)」などの楽器が加わることもあった。

(*補注)牌は、間、

次のように金徳洙のプロフィールが紹介された。
・1952年9月23日 大田(대전)に生まれる。
・1978年2月28日 ソウル鍾路区西洞(원서동)の「空間愛(공간사랑)」の小さな舞台で、金徳洙、キム・ヨンベ(김용배)、イ・グァンス(이광수)、チェ・ジョンシル(최종실)によりグループを旗揚げする。

 ▼金徳洙サムルノリ他によるパンソリ「水宮歌(수궁가)」中の「うさぎの話(토끼이야기)」を現代風にアレンジした曲を聴く。むむむ、コラボはどうも苦手で・・・。

▼金徳洙他による「ピウム(비움)」を聴く。なんだかなあ、モスクワ郊外の夜が更けゆくようで。これも融合という新しい発展にaufhebenするのかな・・・。


(付記)
Chosun Onlineの記事「国楽研究家の李輔亨氏が受賞=小泉文夫音楽賞」(6/9)は、日本の音楽賞に。韓国の国楽研究家が表彰されたと次のように報じている。
・第16回方一栄(パン・イルヨン、방일영)国楽賞受賞者である、国楽研究家の李輔亨(イ・ボヒョン、이보형)氏が、民俗音楽研究に尽くした人物に授与される、小泉文夫音楽賞を受賞した。この賞は日本の音楽学者、小泉文夫(1927-83)をたたえ、1989年に設定された。

(参考)
第23回(2011年度)小泉文夫音楽賞受賞者、李輔亨(韓国古音盤研究会会長)
・韓国における民間の音楽、とりわけパンソリ、民謡、プンムル**、巫俗音楽について長年にわたり綿密な現地調査を行い、韓国伝統音楽研究を飛躍的に発展させた業績に対して。

(**補注)風物(풍물)=農楽(농악)

(参考)Konest「農楽(ノンアッ)・風物(プンムル)」

(参考)月刊「朝鮮」(2010年2月号、一部公開)

2012年6月9日土曜日

梅雨入り

昨日真夏日だったというのに、今朝から雨が降り続く。梅雨入りしたのだ。
関東甲信の入梅について新聞各紙は、去年の5月27日と比べて13日遅いとしているが、平年は6月8日ごろなので、ほぼ平年並みということになる。季節は忘れずにちゃんと巡ってくる。

梅雨といえば、この時期を歌った名曲というか歌い継がれているものがあるのだろうか。思いつかないし、Youtubeにもそれらしいものがヒットしない。梅雨は恵みの雨であり、農耕民であった心情からあくまでも実利的なため、詩情を浮かべる対象ではないのかもしれない・・・と思ったりする。

資料)気象庁:「昭和26年(1951年)以降の梅雨入りと梅雨明け(確定値):関東甲信」(抜粋)
           梅雨入り        梅雨明け
2005年 6月10日ごろ   7月18日ごろ
2006年 6月09日ごろ   7月30日ごろ
2007年 6月22日ごろ   8月01日ごろ
2008年 5月29日ごろ   7月19日ごろ
2009年 6月03日ごろ   7月14日ごろ
2010年 6月13日ごろ   7月17日ごろ
2011年 5月27日ごろ   7月09日ごろ

2012年6月8日金曜日

イ・ソンヒの「見知らぬ海辺で」

イ・ソンヒの11集アルバム「Dream of Ruby」(1998年)所収の「見知らぬ海辺で(낯선 바닷가에서)」(歌詞、作詞イ・ジェギョン、作曲バク・セジュン)を聞いていると、波が寄せては返すように言葉を重ねていく歌い方に、とやがてハスキーな息遣いに、本当に彼女なのかなと次第に自信がなくなってくる。・・・時代を先取りしたのかな。
(Youtubeに登録のKnightmareに感謝)

このドラマチックな曲を、リナ・パーク(박정현)が歌ったら、どうなるのだろう何て勝手な想像をしたりもする。

イ・ソンヒが海辺の公衆電話ボックスのそばで歌う、Mnetのミュージックビデオがある。Ko-Wikipediaによれば、ミュージックビデオ撮影中に負傷する事態があったようだが、このときだったのだろうか。
Mnetのミュージックビデオは生憎、利用券を持っていないので、さわりしか見られないのが残念だが・・・今は見られない。

(本ブログ関連:"ブランコ")

2012年6月7日木曜日

SFの巨匠レイ・ブラッドベリ

AFPBBニュースは、「SFの巨匠レイ・ブラッドベリ氏が死去、91歳」(6/7)と次のように伝えた。

・SF小説の古典「華氏451度」などで知られる米SF作家レイ・ブラッドベリ(Ray Bradbury)氏が5日、米ロサンゼルスで死去した。91歳だった。
・バラク・オバマ(Barack Obama)大統領も「彼の物語を作る才能は、われわれの文化の形を変え、わたしたちの世界を広げた」という追悼コメントを発表した。「それだけでなくレイは、想像力というものは理解を深め、変化をもたらし、わたしたちの最も貴重な価値観を表現する手段になり得ることも知っていた」と述べ、ブラッドベリ氏の死去を悼んだ。

星新一や小松左京といったSFの大家も初期の作品に、レイ・ブラッドベリの影響があった。彼は、だれもが一度は洗礼を受け、そして永遠の拠りどころとなる存在だったのだろう。読者にだってそうだった。

レイ・ブラッドベリのSF(ファンタジー)の世界を見て、サイエンス・フィクションはメタリックな未来を語ることだけではなく、そこに変わらぬ懐かしさを、いつの世にも、どんな場面でも、ひとは持つのだということを知った気がする。
「火星年代記」と「10月はたそがれの国」はいつまでも忘れられない。

ユン・スーイル

月曜日(6/4)のKBS WORLDの番組「玄海灘に立つ虹」で、「誕生日コーナー」を担当する可憐な花のジンシルちゃんが、今週紹介するのはユン・スーイル(윤수일、1955年~)である。

放送された「愛だけはしたくない(사랑만은 않겠어요)」 (1997年、作詞・作曲 安治行(안치핸))を聞いて、おやどこかで聞いたな・・・そうだ思い出した、桂銀淑がアルバム「韓国歌謡ベスト10」(1999年)でカバーしていた「二度と恋などしたくない」(訳詩 三佳令二)だ。桂銀淑の印象が強くて、いかにも韓国歌謡らしいという記憶がある。

ジンシルちゃんはユン・スーイルを「元祖イケメン歌手」と紹介していたが、同番組の月曜日担当のアジュンマ・コンビである、<マルコメのお母さん>と<ソウルのアリスさん>のお二人の感想を聞いてみたい気もする。

ユン・スーイルは、今年でデビュー35周年とのこと。代表曲を次のように紹介された。
・韓国の応援歌「団地(アパート)(아파트)」
・80年代のミスコリア大会で最も多く流された「美しい(아름다워 )」

また、maniaDBのプロフィールによると、受賞歴は次の通り。
1978年
  ・TBC東洋放送新人賞受賞
  ・KBS韓国放送公社人気新人賞受賞
  ・MBC文化放送の10代歌手賞と人気歌謡大賞を受賞
1979年〜1986年
  ・KBS韓国放送公社、TBC東洋放送(1979〜1980)、MBC文化放送7大と10代歌手賞
1989年
  ・日刊スポーツゴールデンディスク賞を受賞
その他多数

(Youtubeに登録のchadbabo、BuSanYoung、zeeezeeecに感謝)

(本ブログ関連:"マルコメのお母さん")

2012年6月6日水曜日

105年後に見ればいいか

天気予報が、今朝方は「雨」と報じていたので、午前7時過ぎから見られる、金星が太陽を横切る様子の観察を諦めた。それで、一度も空を見上げなかったわけだ・・・まあいいか。

次のチャンスは、2117年12月11日(土)、105年先の話だ・・・まあいいか。

ところで、関東甲信の入梅はいつだろう。例年6月8日頃で、去年は5月27日と早かった。晴れも望めず、このままズルズルと梅雨にずり込むのだろうか、憂鬱だ・・・まあいいか。

2012年6月5日火曜日

イ・ソンヒの「恋人のなみだ」

イ・ソンヒのアルバム第2集「秋の風(갈바람)」(1985年)に所収の「恋人のなみだ(연인의 눈물)」(歌詞)(作詞:정은이、作曲:남국인)は、突き出すようなパワフルな高音とたとえられる初期作品のながでも、その繊細さから彼女に暖められてきたのだろう、昨年(2011年2月3日)のニューヨークのカーネギーホール公演にも歌われている。
(Youtubeに登録のdove2727に感謝)

(本ブログ関連:"冷めたカップ")

2012年6月4日月曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 金光叔

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(5/30)に、人物シリーズ30回目として西道(서도)民謡の伝承者、金光叔(キム・グァンスク、김광숙)を紹介した。

まず、民謡「アリラン」の紹介から始まった。
・ソウルを中心とした地域で歌われてきた京畿アリランの他に、珍島アリラン、密陽アリラン、江原道アリランなど、各地域にメロディーの異なるアリランが伝えられている。
・平安道地方の民謡に、アリランの仲間のキンアリ、チャジンアリという歌が残っている。なお隣接の黄海道地方の民謡と合わせて、西道民謡と呼んでいる。

▼金光叔による「キンアリ、チャジンアリ」を聴く。今まで聞いてきたものとは違って、独特な発声で洗練した歌い方という印象がする。

西道民謡の特徴を次のように紹介した。
・西道民謡は、深い「)」のこもった歌声に、心持ち鼻にかかった独特な発声法が特徴。
・この地域の大同江の水を飲んで育った人でなければ歌えないと比喩されるほど。

▼金光叔による「開城難逢歌(개성난봉가)」を聴く。小中学校で合唱曲として音楽の時間に教えているそうだ・・・どんな感じで歌っているのだろうか、難しいだろうな。

次のように金光叔のプロフィールが紹介された。(参考:ソウル新聞
・1952年 ソウルにて黄海道出身の両親の間に生まれる。
・西道民謡を伝えた吳福女(오복녀)の弟子となる。

▼金光叔による「詩唱 關山戎馬(시창 관산융마)」を聴く。大陸的で、大平原に風を受けたような気がする。

(本ブログ関連:"西道民謡")

2012年6月3日日曜日

音楽評論家カンホンの大衆音楽散歩 バラード

国際新聞の記事「音楽評論家カンホンの大衆音楽散歩"35"  冬の特別な音楽の贈り物バラード」(2011-12-06)に、韓国のバラードが歴史的にどのように展開したかを次のように語っている。感謝。
記事タイトルの冬とは違ってこれから夏であるが、「バラード」そのものに着目したいので。

・「バラード(ballad)。 踊るという意味を持つラテン語のballarからきた言葉。中世時代から欧州にかけて知られている、物語(narrative)と劇的台詞(せりふ)および叙情詩の要素の混合した民謡(folk song)の一種。元々はイタリアのバラータのように舞曲(dance-song)の意味だったが、14世紀から物語体の(narative solo song)を一般的に称するようになる... 」

・グローブ音楽辞典のバラードの項はこのように始まって、延々十ページにかけて説明を繰り返す。バラードという言葉が、"踊る"という語源を持っていることが全く興味深い。世界大衆音楽の主流を形成しているバラードという言葉は、西洋の音楽史全体で生成され、発展して形を変えてきた音楽言語である。

・このような永遠の成功の根元を持っているバラードは、20世紀に入り、諸媒体の発展と一緒に、しっかりした影響力を構築した白人大衆音楽の本流となるのは恐らく当然のことだ。さらに、米国の(放送局)NBCとCBSが1926年とその翌年にそれぞれ開局と同時に、そしてそのほぼ同じ時期に無声映画に終止符を打ちつつ登場したミュージカル映画の中のロマンチックなメロディーが大衆の感情を引き付けながら、この、3和音を基本としたAABA形式の32小節の歌*は完璧な全盛時代を開いた。ビング・クロスビー、ペリー・コモ、フランク・シナトラに続くスターたちのパレードは、1950年代に過激な青年の音楽であるロックン・ロールが瞬く間に世界を征服した瞬間にも既成世代の支持に力づけられて没落しないねばっこさを発揮する。

(*補注) 映画「オズの魔法使」(1939年)の「虹の彼方に(Over The Rainbow)」のスロー・バラード

・そして6.25(朝鮮戦争)以降、この地(韓国)にも、米国の大衆音楽が洪水のようにあふれて入ってきたし、既存のトロット(演歌)音楽のバラードが中枢をなすスタンダード・ポップ系の曲が挑戦状を差し出したのは当然のことだ。しかし、初期には**「私一人だけの愛(나 하나의 사랑)」や「青い糸 赤い糸(청실 홍실)」の類の歌でわかるように、3拍子のワルツのリズムに基づいた歌が強勢を見せた。そうするうちに、ロックンロールが上陸する1960、70年代以降から、4拍子のスローテンポがこの場を置き換えた。1980年代に至っては、韓国で最も影響力のある主流の文法になった。1980年代の初頭に雌雄を競って全国を席巻したチョー·ヨンピルの「窓の外の女(창밖의 여자)」***とイ・ヨンの「忘れられた季節(잊혀진 계절)」の大成功が代表的な例になるだろう。

(**補注) ソン・ミンド(송민도)に代表される
(***補注) 本ブログ関連:"1980年代の韓国バラード"

・これらにより火引いたバラードの行進は、1980年代半ばから後半、イ・ムンセとピョン・ジンソプをはじめとする一群のバラード走者たちが、ビッグバン(宇宙の爆発的膨張)に近い爆発力を誇示しながら韓国大衆音楽界を完璧に掌握するが、チョ・ハムン、キム・ヒョンシク、イ・スンチョルなどのバンド出身のボーカリストたちがスポットライトを受けることになった原動力も、まさにこの音楽言語をベースに基づくことだ。 このジャンルの文法が大衆的に定着したことは、同時に、伝統的なトロット様式が支配してきた韓国大衆音楽が西欧大衆音楽の様式に移行するために、最後の句読点を付ける歴史的転換点でもあった。

・よく冬をバラードの季節ともいい、それは不況時に更に強さを見せるともいう。しかし、不思議なことに、ユン・ジョンシン(윤종신)の新譜を除けば、今回の冬(2011年12月)は鮮やかなバラードの新作はあまり見当たらない。まだ本格的に寒くないからか? でなければ、歌で慰められるには昨今の現実が、あまりにもパサパサしているためであろうか? 小さくて素朴な愛の幻想が何も救えないと言っても冬の曲を私は待つ。

(本ブログ関連:"カンホン")

2012年6月2日土曜日

イ・スンギのコンサートに登場せず・・・

昨日、日本武道館に(きっと)若き女性を多数集めて、イ・スンギのコンサート*が催された。そういえば韓国語教室のアジュンマ受講者に、熱烈なファンの方がいたが、どうされたのだろうか。
(*情報:「朝鮮日報エンタメコリア」より)

ところで、師匠のイ・ソンヒが、サプライズで今回の舞台に登場しないかと期待していたが、そのようなことはなかったようだ。事前に噂も耳にしていなかったので、ビックリというわけにはいかなかった次第。もしかしたらと思っていただけにちょっと残念。

(本ブログ関連:"イ・スンギ")

(追記)
昨日記したように、BS日本で今晩放送された「小さな村の物語イタリア」のオープン・エンドに使われているテーマ曲「L'Appuntamento」(オルネラ・ヴァノーニの歌声と思うが)を聴いた。イタリアのマルザメーミの町の家族が紹介された。港町に、親と子、そして孫が揃うとき、父親は静かに人生を語り受け入れることができる。シチリアの太陽は眩しい。

2012年6月1日金曜日

「L' Appuntamento(逢引き)」

夕方のテレビ番組で、日本に居るイタリア人が選ぶ、日本(東京?)の(自家製)ピザ店トップ3の紹介があった。1、2位の店は、都心にあるようなのでわざわざ行くことはないだろうが、3位の店は近場の吉祥寺にあるというので一度は行ってみようかな。

さて、1位の紹介のとき、番組のバックに流れた音楽は、先日ヘイリー・ウェステンラを紹介してくれたイタリアン・ポップ好きの石仲間が毎日聞いているという、「L' Appuntamento(逢引き)」だった。

陽だまりに時間が止まったままの町角を感じさせる。そっと昔語りする言葉は、もう取り返せないからこそ穏やかで、静かに人生が過ぎ行くのを待つばかりである。

この「L'Appuntamento」は、南米ブラジルのE.Carlos & R.Carlosが作詞・作曲した原曲を、イタリアのオルネラ・ヴァノーニ(Ornella Vanoni)がイタリア語で歌いヒットしたそうだ。

MinTs813のYoutubeのコメントに感謝)

彼女を紹介するWikipediaによれば、この曲は、「2004年の映画『オーシャンズ12』に使用され、また日本ではBS日本の番組『小さな村の物語イタリア』のオープン・エンドテーマとして親しまれている。」そうだ。BSの番組(土曜21:00~21:54)は未見なので、のぞいてみようかな。

(番組と歌詞について「Amo l’italiano!イタリア語ってなんてオモロイんだ!」に感謝)

2012年5月31日木曜日

イ・ソンヒのカバー「離別」、「一度くらい」

イ・ソンヒが昨年の「五月の陽射し」コンサート(世宗文化会館大劇場)の2日目(2011年5月22日)に、「離別(이별)」、「一度くらい(한번쯤)」をカバーしたものがYoutubeに登録されている。「離別」はパティ・キム(패티김)の、「一度くらい」はソン・チャンシク(송창식)のオリジナル曲である。

(Youtubeに登録のsunnyfan100に感謝)

「離別」は、ささやき聴かせるようにしっとりと歌い上げている。それは、パティ・キムに対するオマージュともいえる。そして、「一度くらい」は、オリジナルに比べてスローテンポに詩情を漂わせながら歌い始めた。やがて、イ・ソンヒらしいパワフルで軽快に展開していく。
カバーの中に彼女らしい色合いをこめながらも、オリジナルに対するアーティストとしての自信と責任が感じられる。それは、彼女が今あることの理由を示すようでもある。

(本ブログ関連:"パティ・キムの「Jへ」"、"パティ・キムの引退"、"イ・ソンヒの「一度くらい」"、"イ・ソンヒの「2011コンサート」")

2012年5月30日水曜日

(資料)「Jへ」を歌う歌手

イ・ソンヒの「Jへ」は、大御所のパティ・キムに歌われたこともあるポピュラーな曲だけに、そのほか若い(中堅の)歌手たちにも歌いつがれている。Youtubeを探して視聴することができる。

・박정현 Lena Parkの「Jへ(J에게)」
・바다 BADAの「Jへ(J에게)」
・진주 Jinjuの「Jへ(J에게)」
・임태경 Im Taekyung の「Jへ(J에게)」
・백청강 Baek Chungkangの「Jへ(J에게)」
・이승기 Lee Seung Giの「Jへ(J에게)」

(本ブログ関連:"パティ・キムの「Jへ」")

(Youtubeの登録者に感謝)

2012年5月29日火曜日

「小金井の新田開発」(3)

幸い天気に恵まれた午前中、地元公民館主催の市民講座「小金井の新田開発」(5回シリーズ)の第3回目に行く。混みあいを気にして、早めに到着するも、直ぐに聴講者で座席が埋まった。大盛況だ。

シリーズに通底する、武蔵野と首都江戸の密接なつながりについて、「街道」(生産と流通)、「水道」(生活用水)を見てきたが、今回は幕府「鷹場」を通じて次のように証左された。

① 江戸周辺に「鷹狩」のため鷹場が設けられた。中断後、享保改革の8代将軍吉宗が復活させる。
  ・鷹狩の際に、地元農民に負担がかかった。

② 江戸周辺の行政区に「筋」>「領」の階層があり、鷹場のため領に様々な役割が充てられた。
  ・行政区の筋の外縁に、御三家(尾張、紀州、水戸)の鷹場が設けられた。

③ 農村は、鷹場のもとに編成されて一体化の意識を育み、江戸(城)と心理的に結びついたようだ。
  ・行政区の領は、幕府を支える役割を果たし、幕府と一体化する。

④ 幕府は、鷹場を設定して地域主体の開発を制限し、幕府主体の開発に乗り出す。
  ・例:上下小金井新田など。

参考
① 新田開発の拡張により、農村間で秣(まぐさ)場の争いに発展する事件が発生した。
② 鷹場の目的の一つに、農民も巻き込んだ軍事的な要害の意をも持っていたのではないか。

どうやら、小金井新田庶民の生活の姿は、最終回の第5回に聞くことになるだろうだ。


(追記)
韓国語教室から帰りの夜道、小雨が降ってきて、あばたのように顔にあたる。遠雷に一瞬夜空がくしゃみをする。

真夜中の震度3

今日の日付に変わった真夜中、01時36分頃突然揺れが始まった。泳ぐような激しい揺れが続く。それがいつまで続くのか分からない不安、さらに強まるかもしれないという不安が相まって、より不安が増す。今日は大丈夫だろうか。

体感震度3強といった感じだ。気象庁の地震情報は次の通り。
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平成24年05月29日01時46分 気象庁発表
29日01時36分頃地震がありました。
震源地は千葉県北西部 ( 北緯35.8度、東経140.1度)で震源の深さは約80km、地震の規模(マグニチュード)は5.2と推定されます。
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当地は、発表では震度3であったが、都内23区や横浜市で何と震度4の地区もあった。震源がだんだん近づいてきているようで不安だ。

そういえば、SignalNowExpressの事前情報が、震源(千葉県北西部)が近すぎるのか、マグニチュードを5以上に設定していても表示されない。

2012年5月28日月曜日

雨降って風吹いて

午前中にカラりと乾いた空も、午後には鈍色の雲が広がり、やがて雨が降りだした。天気予報で、午後の空模様は変わりやすく、ところどころ雷雨と伝えていたが、そのようになってきた。
昼過ぎの外出先で、雨雲にぽっかりと穴が開き、そこから太陽の光が差し込んできた。まるでお天気雨のようなちょっとした不思議な光景だったけれど、すぐに元の雨空に戻った。

西から雨雲が切れ切れに流れて来て、変わりやすい天気のため、晴れのタイミングを掴みきれない。今晩もそうだが明日も怪しい。おかげで、明晩の韓国語教室も傘が手離なせないようだ。火曜日は、3回連続の雨道ということになる。

ところで、むかしTBSの番組「筑紫哲也 NEWS23」で、新井英一が夕闇の中、焚き火を前に「清河への道」をギターを抱えながら歌っているのを聴いた。重量感のある独特のザラつくような声質は、胸にドスンと響いた。歌詞がまるで絵巻のように次々と展開し聞き入った。忘れられない歌だった。
「清河への道」のCDは当初、日本語だったが、その後ハングル(「청하의 길」)版も出て、共に入手した。何度聴いたことだろう。

Youtubeには、なんと吉幾三が歌っている映像が登録されている。

(Youyubeに登録のTheNekogami22、qw2455に感謝)

2012年5月27日日曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 風の岬

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(5/23)に、人物シリーズ29回目として国楽演奏グループ、風の岬(パラムコッ、바람곶を紹介した。

まず、韓国神話から、シャーマンの祖先といわれる捨姫公主(パリコンジュ、바리공주)の話題から始まった。
・娘だけ授かる王は、七番目も娘だったため、娘捨姫公主と名づけ海に捨てる。海亀に助けられて竜宮に育った娘捨姫公主は、やがて病の両親と対面し、命駆けで薬を手に入れ救う。その功績で、あの世を司る神となる。
・風の岬グループは、この娘捨姫公主の神話に着目し、音楽で表現しようと結成された。

▼風の岬による「捨姫シナウイ(바리시나위)」を聴く。現代的な色調はするけれど、十分に伝統的な響きを残していて、楽器を借りただけのものではないように感じる。素晴らしい。

(「シナウイ」について本ブログ関連:"韓国の風景")

風の岬グループについて、次のような紹介があった。
・風と岬が合わさったグループ名には、岬が陸地と海が出会うように、天と地と海が出会う場所から吹いてくる音の風の意味がある。風のように留まることなく、音楽を通じて新しい世界を切り開くことも込められている。
・韓国の神話や説話を、伝統あるメロディーと長短を基盤として、現代的な音楽感性で再創造することを活動の目的としている。

次のように風の岬グループプロフィールが紹介された。
・2004年 映画音楽やミュージカル作曲家で、韓国芸術総合学校伝統芸術院教授ウォン・イル(원일)により結成。
・メンバーは、パク・スナ박순아(カヤグム)、パク・ウジェ박우재(コムンゴ)、イ・アラム이아람(テグム)、パク・ジェロク이아람(インド弦楽器シタール)、そしてウォン・イル(作曲、ピリ、打楽器)の5名である。

▼風の岬グループによる「羅針盤」を聴く。羅針盤は、船だけでなく人生も文化も様々なものを含めたものだろう・・・国楽の新しい方向を示すようだ。

▼風の岬グループによる「ピンビン(빙빙)」を聴く。ちょっと南欧の風味から琴の音にも似て、風がぐるぐると廻ってあらゆるものをミックスするようだ。でも、統合化に向いてしまうのだけは・・・。

(追記)
昨日の、蓮台寺鉱物採集の成果についてメールをいただいた。なんと、採集者のひとりがテルル石(TeO2)と自然テルル(Te)を採集したのだ。「2~3ミリの綺麗なテルル石の板状結晶でまわりに自然テルルが確認できました。大当たりです。」とのこと。
ああ、羨ましい・・・行けたらなあ。

2012年5月26日土曜日

運がつく?

午後、小金井公園を散歩する。公園広場北側の遊歩道は、ハクウンボクヒマラヤスギが両側から天を覆うように葉を繁り、緑の回廊を成していた。江戸東京たてもの園に近づくと、マテバシイが鬱蒼とする光景に出会う。まるで泰西名画を見る思いがする

木立の陰にある野外の木製テーブルで、穏やかな緑の光を受けて、のんびり読書をしていた。そのとき突然、脇に立つ高木のケヤキの上から、鳥のフンがテーブルに開いた本の10cmほど離れたところに落ちた。見上げると、葉や枝に隠れるようにカラスがいた。先ほど多数のカラスの鳴き声がしていたが、まさか静かなこの場所にいるとは。おかげで、読書気分が萎えてしまった。

少し座席位置を横にずらして再び読み始めたとき、わたしの真後ろで、カラス同士がけたたましい鳴き声で争いを始めたのだ。これには参った。そんなわけで、緑陰に読書を楽しむといった風流気分も失い、散歩に切りかえた。

カラスのフンとは、運が悪かった・・・迷惑なできごとだった。

(追記)
本来なら、今日は静岡県の河津鉱山(蓮台寺)に鉱物採集の予定だった。体調が完全とはいえず、せっかくのお誘いを受けながら、同行を断念せざる得なかった・・・とても残念だ。
採集結果はどうだったのだろうか、知りたいところだ。テルルは、もしかして運が良ければ、欽一石はどうだったろうか。