今月に入って、現在までの最高気温21.6℃を(7日と昨日の)2回経験している。その間、思いっきり冬に逆戻りしたりした。おじさんの身にはこたえるのだ。今日の最高気温は、17.6℃と春らしい落ち着きに戻ったようだが。
寒暖差に、電車の睡魔がますます誘惑してくる。(私にとって一番心地よい乗り物揺れはバスだが、それはさておき)おかげで地下鉄を一駅乗り過ごしてしまった。少し余裕を持って出かけたので、遅刻にはならなかったが。今日は、イディッシュ語の本気モード2歩目だ。
(本ブログ関連:”イディッシュ語”)
他の出席の方々が、本来的意味で本気なので、足を引っ張りはしないか気掛かりだ。今日から参加された方も、(分野は異なるのに)こともなげにヘブライ文字筆記体で板書するのに驚く。
先生の著書「現代イスラエルにおけるイディッシュ語個人出版と言語学習活動」(鴨志田聡子著、三元社)を今日から拝読させていただく。
・前回紹介されたネット公開教材ソフトを元に: 代名詞 / ”זײַן” 動詞 / 名詞(単・複) / 自己紹介の表現練習
・単語: פֿאָראערין 研究者、סטודענט / תּלמידים 学生、לערער・לערערין 教師(f・m)、
אוױף פּענסיע 年金生活者(on pension)/ פּענסי 年金(pension)
・単語: יאָ / נישט No/Yes、בוך 本
2017年4月13日木曜日
2017年4月12日水曜日
KBS WORLD「国楽の世界へ」 祭奠
KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(4/5)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、西道地域の雑歌 「祭奠(さいてん)」など関連した曲を紹介した。
始めに、「寒食」の風習と、食文化を垣間見られる北方西道地域の雑歌「祭奠」について次のようの紹介された。
・韓国の今日4月5日は植樹祭の「植木日(식목일)」。昨日4月4日は、二十四節気の「清明」だった。万物陽気になる日で、清明に地に適当な棒を植えても、新芽が出る諺もある生命力豊かな時期だ。昔、王が直に畑を耕す風習もあったため、この時期に木を植える「植木日」を定めた。人々は、季節が明らかな変化するとき、先祖に祭祀を捧げた。今日は「寒食(한식)」(墓参りの日)であり、その祭祀の西道地域の歌「祭奠」がある。
▼ 寒食に、夫の墓に供える食物の名を並べて嘆く妻の雑歌「祭奠(제전)」を聴く。碧梧桐風、節日に訪ね・・・。
次に、寒食に冷たい食事をとる風習について次のように紹介された。
・冬至から105日目の寒食の日に、冷たい食事をとる風習がある。昔、女性は、かまどの火を消さないのが重要な義務とされたが、寒食の日に古い火を消した。国が新しい火を分けたという。全に命があるという考えから、春を迎え、新しい火に変えたのだ。寒食は、その過渡期、一度火を断って冷えた食事をする儀式であった。
▼ <青葉の陰、緑陰が花より美しい季節>の意の「緑陰芳草(녹음방초)」を聴く。漢字混じりの歌で・・・。
最後に、太陽の陽射しいっぱい春に期待をこめて次のように語られた。
・昔、万物が生き返る春に戦も中断した。春は命が育つ時期だからだ。どんなに権力に目がくらんだ者でも、この時期、農作をした。そうでないと、戦に勝っても生き残る民がいないことをよく知っていたからだろう。春は、田畑をならす本格的農作業が始まる。天気が良ければ豊作になると信じたし、海辺の漁師も魚種が増えると信じた。欠かせないのは、太陽の陽射しだった。農村も漁村も生き生きとした気運が溢れる季節。鮮やかな花も緑も美しい春から始まって、今年も豊かで満ち足りた一年になればと思う。
▼ 「太陽がいっぱい(태양은 가득히)」の演奏を聴く。ラテンのような軽快さで、春の陽を浴びる、今様で。
始めに、「寒食」の風習と、食文化を垣間見られる北方西道地域の雑歌「祭奠」について次のようの紹介された。
・韓国の今日4月5日は植樹祭の「植木日(식목일)」。昨日4月4日は、二十四節気の「清明」だった。万物陽気になる日で、清明に地に適当な棒を植えても、新芽が出る諺もある生命力豊かな時期だ。昔、王が直に畑を耕す風習もあったため、この時期に木を植える「植木日」を定めた。人々は、季節が明らかな変化するとき、先祖に祭祀を捧げた。今日は「寒食(한식)」(墓参りの日)であり、その祭祀の西道地域の歌「祭奠」がある。
▼ 寒食に、夫の墓に供える食物の名を並べて嘆く妻の雑歌「祭奠(제전)」を聴く。碧梧桐風、節日に訪ね・・・。
次に、寒食に冷たい食事をとる風習について次のように紹介された。
・冬至から105日目の寒食の日に、冷たい食事をとる風習がある。昔、女性は、かまどの火を消さないのが重要な義務とされたが、寒食の日に古い火を消した。国が新しい火を分けたという。全に命があるという考えから、春を迎え、新しい火に変えたのだ。寒食は、その過渡期、一度火を断って冷えた食事をする儀式であった。
▼ <青葉の陰、緑陰が花より美しい季節>の意の「緑陰芳草(녹음방초)」を聴く。漢字混じりの歌で・・・。
最後に、太陽の陽射しいっぱい春に期待をこめて次のように語られた。
・昔、万物が生き返る春に戦も中断した。春は命が育つ時期だからだ。どんなに権力に目がくらんだ者でも、この時期、農作をした。そうでないと、戦に勝っても生き残る民がいないことをよく知っていたからだろう。春は、田畑をならす本格的農作業が始まる。天気が良ければ豊作になると信じたし、海辺の漁師も魚種が増えると信じた。欠かせないのは、太陽の陽射しだった。農村も漁村も生き生きとした気運が溢れる季節。鮮やかな花も緑も美しい春から始まって、今年も豊かで満ち足りた一年になればと思う。
▼ 「太陽がいっぱい(태양은 가득히)」の演奏を聴く。ラテンのような軽快さで、春の陽を浴びる、今様で。
2017年4月11日火曜日
イ・ソンヒの「雨降る街に立って」
今日は春を忘れたよう。しとしと雨に冬の寒さ。片付けてしまったストーブをもう一度お出ましさせる。それも今日一日だけのこと。明日から春らしい暖かさに戻るという。おかげでこもって、年寄りの冷や水ながら習いごとの準備がはかどる・・・ああ、やっぱり冷えるに変わりない。
雨もようやく夜半におさまり、雨音もすっかり消えてしまった。あっけない静けさだ。これまで、雨に包まれ圧縮された気分がしたが、止んでしまえば開放され緩い我に返るようだ。
イ・ソンヒの9集所収の「雨降る街に立って(비오는 거리에 서서)」(1994年、作詞・作曲イ・スンジン)には、雨降る夜の街に立ち、雨音の中で孤独をかみしめる主人公がいる。イ・ソンヒの歌声なれば、それも美しい透き通った思い出になるのでしょう。(中島みゆきの歌だったら、こうはいかないけれど)
(本ブログ関連:”雨降る街に立って”)
雨降る街に立って、あなたを待っているのね
行き交うたくさんの人たちの中で、私は立ち続けるのね
降る雨の中で、たたずんであなたを待っているけれど
どこにも見つからないあなたは、雨に濡れた私の心が分かるの
* 雨降る街に立って、あなたを思っているけれど
みすぼらしい私の姿は、私にも、どうしょうもできないの
消えていく、あなたの悲しい後ろ姿のように一人でここに
雨降る街に立って、あなたを待っているのね
暗い夜は更けていくのに、あなたは見えないのね
(*以下繰り返し)
(注: このYoutubeの女性はイ・ソンヒさんではありません)
(Youtubeに登録の길성배に感謝)
雨もようやく夜半におさまり、雨音もすっかり消えてしまった。あっけない静けさだ。これまで、雨に包まれ圧縮された気分がしたが、止んでしまえば開放され緩い我に返るようだ。
イ・ソンヒの9集所収の「雨降る街に立って(비오는 거리에 서서)」(1994年、作詞・作曲イ・スンジン)には、雨降る夜の街に立ち、雨音の中で孤独をかみしめる主人公がいる。イ・ソンヒの歌声なれば、それも美しい透き通った思い出になるのでしょう。(中島みゆきの歌だったら、こうはいかないけれど)
(本ブログ関連:”雨降る街に立って”)
雨降る街に立って、あなたを待っているのね
行き交うたくさんの人たちの中で、私は立ち続けるのね
降る雨の中で、たたずんであなたを待っているけれど
どこにも見つからないあなたは、雨に濡れた私の心が分かるの
* 雨降る街に立って、あなたを思っているけれど
みすぼらしい私の姿は、私にも、どうしょうもできないの
消えていく、あなたの悲しい後ろ姿のように一人でここに
雨降る街に立って、あなたを待っているのね
暗い夜は更けていくのに、あなたは見えないのね
(*以下繰り返し)
(注: このYoutubeの女性はイ・ソンヒさんではありません)
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2017年4月10日月曜日
神野美伽「夜桜善哉」
昼の都心の最高気温は、気象庁の観測で 15.9℃と十分暖かだった。近在の観測点でも、14.5℃とまあまあの温みだったが、どんより空に春の元気はない。この春、桜の花は、夜分の風や雨に一部散ったようだが、舞い散るまでにいたってない。
しかし、午後が深まると、いっきに冷え込んだ。今日から、もう一つの教室が始まった。夜の授業のため、準備を公民館の読書室でした。日が落ちて外に出て驚く。昼に合わせた軽装の誤りに気付いたが、もう遅い。冬に逆戻りして、夜風が身にしみながら教室へ向かった。
帰り道にもっと後悔した。温かい防寒着にしておけばよかったと。天気予報では、明日は更に冷え、おまけに雨降りという。(明後日から、春が復活のようだが)
愚痴を重ねて、おまけに夜桜見物のチャンスを逸したかもしれない。こんなとき、神野美伽の「夜桜善哉」(作詞:荒木とよひさ、作曲:金賢奎、編曲:南郷達也、1999年)を聞いてほっこり埋め合わせしよう。
(本ブログ関連:”神野美伽”)
(Youtubeに登録のkece3に感謝)
しかし、午後が深まると、いっきに冷え込んだ。今日から、もう一つの教室が始まった。夜の授業のため、準備を公民館の読書室でした。日が落ちて外に出て驚く。昼に合わせた軽装の誤りに気付いたが、もう遅い。冬に逆戻りして、夜風が身にしみながら教室へ向かった。
帰り道にもっと後悔した。温かい防寒着にしておけばよかったと。天気予報では、明日は更に冷え、おまけに雨降りという。(明後日から、春が復活のようだが)
愚痴を重ねて、おまけに夜桜見物のチャンスを逸したかもしれない。こんなとき、神野美伽の「夜桜善哉」(作詞:荒木とよひさ、作曲:金賢奎、編曲:南郷達也、1999年)を聞いてほっこり埋め合わせしよう。
(本ブログ関連:”神野美伽”)
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2017年4月9日日曜日
(雑談)うどん
最近、うどんに凝っている。少し前に、病院へ行くほどでもない胃を痛めて以来のこと。スーパーの太めの生うどんをゆでるだけ。汁は作るのが面倒なので、うどんスープの粉末を使用している。
① うどんをゆでる
・うどんを沸騰した鍋に入れ、うどんが膨らむくらいなるよう、湯が泡立つまでゆでる。
・箸で、鍋の湯の中のうどんを素早く何度もかき回す。次に湯を捨て、冷たい水道水を鍋に加えて、またかき回すこと更に2回。うどんのぬめりを徹底的に取るのがポイント。
② うどんスープの粉末と一緒にゆでる
・食べるのに適量な湯と、①のうどん、およびうどんスープの粉末を一緒に鍋に戻す。
・軽く沸騰したらどんぶりにうつして食べる。沸騰させることで粉末スープの味がまるく広がる。
スーパーの生うどんも馬鹿にならない、食感がつるりとしてうまいのだ。我ながら感心しているが、もしかしたら、誰もがやっている当り前のことかな?
① うどんをゆでる
・うどんを沸騰した鍋に入れ、うどんが膨らむくらいなるよう、湯が泡立つまでゆでる。
・箸で、鍋の湯の中のうどんを素早く何度もかき回す。次に湯を捨て、冷たい水道水を鍋に加えて、またかき回すこと更に2回。うどんのぬめりを徹底的に取るのがポイント。
② うどんスープの粉末と一緒にゆでる
・食べるのに適量な湯と、①のうどん、およびうどんスープの粉末を一緒に鍋に戻す。
・軽く沸騰したらどんぶりにうつして食べる。沸騰させることで粉末スープの味がまるく広がる。
スーパーの生うどんも馬鹿にならない、食感がつるりとしてうまいのだ。我ながら感心しているが、もしかしたら、誰もがやっている当り前のことかな?
2017年4月8日土曜日
イ・ソンヒが高校2年の時か、3年の時か
ネット巡りして気になることがあった。イ・ソンヒが、高校時代に通った「チャン・ウクチョ(장욱조)音楽室」で、その後大デビュー曲となる「Jへ(J에게)」と幸運にも巡り遇った時期についてだ。彼女が高校何年生の時かだ。
以前、このブログで、イ・ソンヒが「高校3年」の時と何度か記したことがある。今から3年前の今日のこと、韓国各紙は、前日のテレビ番組(SBS「ヒーリング・キャンプ」)で、自身の口から「高校2年」の時に巡り会ったと、報じていた。
ブログの修正をしたか、念のため見直したところ、「高校3年」の記載のままが2件あり、急いで赤字修正した。
一体どうして、彼女が高校3年の時と判断したのだろうか。もしかしたら、韓国のイ・ソンヒファンのブログ情報を流し読みして、勝手に判断してしまったのかもしれない。大学1年の音楽祭で初めて歌った曲だから、そんなに長く(2年も!)寝かせていたはずがないと、これまた勝手に判断したのかもしれない。
デビューとなる「江辺音楽祭」で大賞受賞後、イ・ソンヒはその版権を作者(作詞・作曲者)のイ・セゴン(이세건)に全て返したのはいうまでもない。まさに、彼女らしくスマートである。
そして、その偶然の出会いとは、同じ音楽室で、作者のイ・セゴンが、自らの作品「Jへ」を世に受け入れられないからとゴミ箱に捨るところに、イ・ソンヒが登場してもらい受けたのだ。後々考えれば、本当に劇的な場面だった。
以前、このブログで、イ・ソンヒが「高校3年」の時と何度か記したことがある。今から3年前の今日のこと、韓国各紙は、前日のテレビ番組(SBS「ヒーリング・キャンプ」)で、自身の口から「高校2年」の時に巡り会ったと、報じていた。
ブログの修正をしたか、念のため見直したところ、「高校3年」の記載のままが2件あり、急いで赤字修正した。
一体どうして、彼女が高校3年の時と判断したのだろうか。もしかしたら、韓国のイ・ソンヒファンのブログ情報を流し読みして、勝手に判断してしまったのかもしれない。大学1年の音楽祭で初めて歌った曲だから、そんなに長く(2年も!)寝かせていたはずがないと、これまた勝手に判断したのかもしれない。
デビューとなる「江辺音楽祭」で大賞受賞後、イ・ソンヒはその版権を作者(作詞・作曲者)のイ・セゴン(이세건)に全て返したのはいうまでもない。まさに、彼女らしくスマートである。
そして、その偶然の出会いとは、同じ音楽室で、作者のイ・セゴンが、自らの作品「Jへ」を世に受け入れられないからとゴミ箱に捨るところに、イ・ソンヒが登場してもらい受けたのだ。後々考えれば、本当に劇的な場面だった。
2017年4月7日金曜日
オンラインキーボードLEXILOGOS
インターネットは、以前に考えられなかった、知識や情報を自由に公開していることだ。何気なくつかみようもない思い出も、なにかしらトリガーというかキーワードがあれば、それらを幾重にネット検索してみれば、いずれかが網にかかるもの。情報に信頼とか質を問う話もあるが、そんな以前の立場のゆえ大変便利でありがたいと思っている。これから何かをしようとする場合もそうだ。便利なツールが待っていてくれる。
少し本気に始めたイディッシュ語(ヘブライ文字)のキーボードについてネットにいいツールがあった。
(本ブログ関連:”イディッシュ語”、”キーボード”)
・以前、Googleの入力ツールのChrome版イディッシュ語(ヘブライ文字)入力ツールをセットしたが、ネットの一時ファイル削除の都合上、Chromeをリセットすることが多く、設定が都度消えていた。
・今回、画面上のキーボード使用で充分と判断して、「LEXILOGOS」のオンラインキーボードに変えた。
① 画面の文字をクリックすると、編集欄にイディッシュ語(ヘブライ文字)表示する。
② 便利なのは、<変換(conversion)>で、ラテン文字転写(表記)にしてくれる。
③ また、Google翻訳へリンクしてくれるので、入門レベルなので英語も日本語もよし。
(追記)
先生のブログに、「イディッシュ語キーボード」ツールがご紹介されている。(4/8)
・まずは、上記(超簡易ツールである)独自キーボード画面の「LEXILOGOS」に慣れてきたら、次に、手元キーボード対応ツールを使ってみたい。
・ご紹介の(お試し版)「Google 入力ツールをオンラインで試す」は、実際のキーボードと連係しているので、キータッチの模擬練習できる。(以前、Googleの入力ツールでChrome版をダウンロードし、キーボード打ったが、そのとき超初心者で不慣れだったため・・・今度は頑張ろう!)
少し本気に始めたイディッシュ語(ヘブライ文字)のキーボードについてネットにいいツールがあった。
(本ブログ関連:”イディッシュ語”、”キーボード”)
・以前、Googleの入力ツールのChrome版イディッシュ語(ヘブライ文字)入力ツールをセットしたが、ネットの一時ファイル削除の都合上、Chromeをリセットすることが多く、設定が都度消えていた。
・今回、画面上のキーボード使用で充分と判断して、「LEXILOGOS」のオンラインキーボードに変えた。
① 画面の文字をクリックすると、編集欄にイディッシュ語(ヘブライ文字)表示する。
② 便利なのは、<変換(conversion)>で、ラテン文字転写(表記)にしてくれる。
③ また、Google翻訳へリンクしてくれるので、入門レベルなので英語も日本語もよし。
(追記)
先生のブログに、「イディッシュ語キーボード」ツールがご紹介されている。(4/8)
・まずは、上記(超簡易ツールである)独自キーボード画面の「LEXILOGOS」に慣れてきたら、次に、手元キーボード対応ツールを使ってみたい。
・ご紹介の(お試し版)「Google 入力ツールをオンラインで試す」は、実際のキーボードと連係しているので、キータッチの模擬練習できる。(以前、Googleの入力ツールでChrome版をダウンロードし、キーボード打ったが、そのとき超初心者で不慣れだったため・・・今度は頑張ろう!)
2017年4月6日木曜日
はじめの1歩、イディッシュ語
去年の夏、市民向け講座「イディッシュ語入門」を聴講した。センスの乏しさを承知しながら、好奇心のまま無鉄砲にもチャレンジしたわけ。主に東欧系ユダヤ人を中心に語られた言語で、ドイツ語風の発音と文法、ヘブライ文字の使用というユニークさがある。参加して、世界が少し広がったような気がした。
(本ブログ関連:”イディッシュ語”)
講座聴講後、イディッシュ語の入門書を図書館で借りたり、ビギナー向けYoutube映像を見た。Youtubeには、実際のクラスを写したものや、文字と発音だけのものなどある。特に教室スタイルの映像で、いきなり筆記体で板書したのに面食らった。
いよいよ今日から、<使ってみよう!>イディッシュ語の春期間講座が始まる。早速、受講申込みして、本気モードで、始めの一歩をスタートした。こうやって自ら退路を絶ったのだが・・・はじめの一歩の閾(しきい)値が何と大きかったことか。
昨年夏の講座と同じ先生の下、超少人数の受講者で講義が始まった。
・始めにフリートークで、現在のレベルや関心を伝えた。(達者なレベルの受講者もいらして・・・)
・先生のブログで紹介されている教材ソフトの「レベル1」の「自己紹介(~ איך ה״ס )」を視聴。
・文法書、辞書の紹介。先生推奨の入門書のレッスン1を素読。チンプン・カンプン。(達者な方がホワイトボードにロ-マ字転写して、サポートしていただく)
というわけで、これから何をすべきか自覚する・・・宿題の種は尽きず。
帰り道、頭がクラクラして、新宿の紀伊国屋書店で発作/衝動買いしてしまった。
(本ブログ関連:”イディッシュ語”)
講座聴講後、イディッシュ語の入門書を図書館で借りたり、ビギナー向けYoutube映像を見た。Youtubeには、実際のクラスを写したものや、文字と発音だけのものなどある。特に教室スタイルの映像で、いきなり筆記体で板書したのに面食らった。
いよいよ今日から、<使ってみよう!>イディッシュ語の春期間講座が始まる。早速、受講申込みして、本気モードで、始めの一歩をスタートした。こうやって自ら退路を絶ったのだが・・・はじめの一歩の閾(しきい)値が何と大きかったことか。
昨年夏の講座と同じ先生の下、超少人数の受講者で講義が始まった。
・始めにフリートークで、現在のレベルや関心を伝えた。(達者なレベルの受講者もいらして・・・)
・先生のブログで紹介されている教材ソフトの「レベル1」の「自己紹介(~ איך ה״ס )」を視聴。
・文法書、辞書の紹介。先生推奨の入門書のレッスン1を素読。チンプン・カンプン。(達者な方がホワイトボードにロ-マ字転写して、サポートしていただく)
というわけで、これから何をすべきか自覚する・・・宿題の種は尽きず。
帰り道、頭がクラクラして、新宿の紀伊国屋書店で発作/衝動買いしてしまった。
2017年4月5日水曜日
KBS WORLD「国楽の世界へ」赤い花、赤い心
KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(3/29)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、「赤い花、赤い心(붉은 꽃 붉은 마음)」など関連した曲を紹介した。
始めに、新羅の純貞公(순정공)の妻水路夫人(수로부인)に捧げられた花と歌について次のように紹介された。
・新羅の純貞公が江原道江陵地域の地方官となり、首都慶州から江陵へ向かう道筋は、南から北へ、左に山、右に海の広がる美しい道と知られる。途中、海辺で昼食時、絶壁に咲く赤い花が、彼の妻の水路夫人の目に入る。だが絶壁に花を取りに行く者はない。その時、牛を引いた老人が通りがかり、軽々と絶壁を登り、花を摘み取って婦人に捧げて歌った。<自分のことが恥ずかしくなければ、花を折って捧げます>という内容。歌の名は「献花歌(헌화가)」だが、今はリズムが消え歌詞だけ伝わる。
▼ 新羅の「献花歌」を童謡にした「赤い花、赤い心」を聴く。子どもたちのかわいい歌声を今様に。
次に、済州民謡の「山川草木(산천초목)」について次のように紹介された。
・春が訪れて、故郷の春といえば、春を代表するツツジやレンギョウなどの花が先に浮かぶ。来週、ソウルも桜が満開になるだろうう。これからひと月、所々に花が咲き、世界が鮮やかになる。そして、花に劣らず美しいのが新芽。済州民謡に、花と緑の景色を表現した歌「山川草木」がある。
▼ <春を迎えてワクワクする恋人たちの想いを表した>「山川草木」を聴く。霞晴れて草木に露が煌めくよう、今様に。
最後に、パンソリ「沈清歌(심청가)」の沈清(심청)と歌「花草打令(화초타령)」について次のように紹介された。
・パンソリ「沈清歌」は、孝行娘の沈清が、盲目の父の治療のため犠牲になる物語だ。彼女は船乗りに売られ、供え物となって海に沈められる。或る船乗りが、沈清が沈んだ海で、美しい花が浮んでいるのを見つけ、不思議に思って花を植えた。その頃、宮廷で皇后が亡くなり皇帝が悲しみに耽っていた。皇帝は、船乗りが植えた花を見て慰めたという。パンソリ「沈清歌」に、色々な花を歌にした「花草打令」があり、蓮、梅、桃など鮮やかな春の花が歌われる。帝に捧げられた花の中から沈淸が登場するという、春らしい設定になっている。彼女は皇帝と出会い、皇后になる。
▼ パンソリ「沈清歌」から「花草打令」をカヤグム演奏と歌で聴く。次々と花の名があげられる。
始めに、新羅の純貞公(순정공)の妻水路夫人(수로부인)に捧げられた花と歌について次のように紹介された。
・新羅の純貞公が江原道江陵地域の地方官となり、首都慶州から江陵へ向かう道筋は、南から北へ、左に山、右に海の広がる美しい道と知られる。途中、海辺で昼食時、絶壁に咲く赤い花が、彼の妻の水路夫人の目に入る。だが絶壁に花を取りに行く者はない。その時、牛を引いた老人が通りがかり、軽々と絶壁を登り、花を摘み取って婦人に捧げて歌った。<自分のことが恥ずかしくなければ、花を折って捧げます>という内容。歌の名は「献花歌(헌화가)」だが、今はリズムが消え歌詞だけ伝わる。
▼ 新羅の「献花歌」を童謡にした「赤い花、赤い心」を聴く。子どもたちのかわいい歌声を今様に。
次に、済州民謡の「山川草木(산천초목)」について次のように紹介された。
・春が訪れて、故郷の春といえば、春を代表するツツジやレンギョウなどの花が先に浮かぶ。来週、ソウルも桜が満開になるだろうう。これからひと月、所々に花が咲き、世界が鮮やかになる。そして、花に劣らず美しいのが新芽。済州民謡に、花と緑の景色を表現した歌「山川草木」がある。
▼ <春を迎えてワクワクする恋人たちの想いを表した>「山川草木」を聴く。霞晴れて草木に露が煌めくよう、今様に。
最後に、パンソリ「沈清歌(심청가)」の沈清(심청)と歌「花草打令(화초타령)」について次のように紹介された。
・パンソリ「沈清歌」は、孝行娘の沈清が、盲目の父の治療のため犠牲になる物語だ。彼女は船乗りに売られ、供え物となって海に沈められる。或る船乗りが、沈清が沈んだ海で、美しい花が浮んでいるのを見つけ、不思議に思って花を植えた。その頃、宮廷で皇后が亡くなり皇帝が悲しみに耽っていた。皇帝は、船乗りが植えた花を見て慰めたという。パンソリ「沈清歌」に、色々な花を歌にした「花草打令」があり、蓮、梅、桃など鮮やかな春の花が歌われる。帝に捧げられた花の中から沈淸が登場するという、春らしい設定になっている。彼女は皇帝と出会い、皇后になる。
▼ パンソリ「沈清歌」から「花草打令」をカヤグム演奏と歌で聴く。次々と花の名があげられる。
2017年4月4日火曜日
清明 2017
今日は二十四節気の「清明」。過去の本ブログに清明を記したのは、2015年だけ。春の光を知らせる「春分」が余りに大き過ぎて、次に来る清明を取り逃がしてしまったようだ。
(本ブログ関連:”清明”)
一昨日の地元公園の「桜まつり」は、賑わいに比べて花の勢いが今ひとつだった。再度、公園に出かけて桜の咲き具合を観察してきた。満開目前だった。
本当に春らしい陽射しだった。そして、驚くほどの人出。桜まつりが今も続いているよう。今日が休日かと見まごうばかり。桜の木立の下に、ビニールシートを敷き詰めて、花見客グループが飲食と会話を楽しんでいる。
隣りの原っぱでは、明るい陽を浴びながら、子どもたちがはしゃぎ廻っていた。子どもの齢に合わせてか、一緒に遊ぶ親、見守る親さまざまだ。
花見客の渦に巻き込まれながら写真を数枚撮り始めたところ、カメラが動かなくなった。どうやら、メモリー表示とバッテリー表示を見間違えたようだ・・・何たることよ。カメラ店に行けば、充電式のバッテリーといわれ、何にも知らないのがバレた・・・何たることよ。
とりあえず、撮り始めた時の写真を載せる。盛況振りが分かるといいが。
(本ブログ関連:”清明”)
本当に春らしい陽射しだった。そして、驚くほどの人出。桜まつりが今も続いているよう。今日が休日かと見まごうばかり。桜の木立の下に、ビニールシートを敷き詰めて、花見客グループが飲食と会話を楽しんでいる。
隣りの原っぱでは、明るい陽を浴びながら、子どもたちがはしゃぎ廻っていた。子どもの齢に合わせてか、一緒に遊ぶ親、見守る親さまざまだ。
花見客の渦に巻き込まれながら写真を数枚撮り始めたところ、カメラが動かなくなった。どうやら、メモリー表示とバッテリー表示を見間違えたようだ・・・何たることよ。カメラ店に行けば、充電式のバッテリーといわれ、何にも知らないのがバレた・・・何たることよ。
とりあえず、撮り始めた時の写真を載せる。盛況振りが分かるといいが。
2017年4月3日月曜日
イ・ソンヒの「龍角散」テレビCF
昔の親父のイメージは、酒と煙草・・・ここまでは普通、それに「仁丹」と「龍角散」。中学の英語の男性教師も、親父に近い世代だったか、授業中に仁丹を口に補給していた。今はあまり見かけなくなったが、昔の親父世代には案外マナーというか、必需品だった記憶がある。
試しに、私も仁丹と龍角散を飲んだことがある。仁丹は苦くて、龍角散は上手に喉に含まないと咳き込んでしまう。飲み慣れれば、口中がスッキリするだろうと想像した。龍角散は、漢方の薬効があるようで、今も龍角散ノド飴を舐めることがある。
龍角散のルーツは、秋田藩(久保田藩、藩主佐竹氏)の時代に作られた家伝薬という。本草学に強い同藩らしい産物。佐竹氏には、江戸幕府より常陸から秋田へ転封を命じられたとき、常陸時代に財政を潤した多数の金山を埋め戻したとか、常陸から美人を引き連れて来たので秋田に美人が多いとか興味深い話がある。また、秋田蘭画に平賀源内とのゆかりもあって、山師だった源内の流れから、秋田大学の鉱山学科が、鉱物マニアにすぐ浮かんでくる。(龍角散の現社長のフルート愛好はつとに有名。元々音楽家なのだ!)
ところで、龍角散は韓国でも販売されていて、広く親しまれているようだ。ブログに、韓国人と互いに、龍角散が自国の製品と思っていたという話がある。韓国でも日常的に使われている証かもしれない。(ブログ「アンニョンはんいる」に感謝)
昔の韓国の龍角散TVコマーシャルに、イ・ソンヒが登場するものがある。以前このブログで何度か記した。韓国のブログに、彼女がいつも澄んだ声のため龍角散を飲んで、喉や声帯を保護していると語らしめるCF映像(1985年のデビュー頃という)など紹介しているものがある。(ブログ「はにかみの記憶補助空間」に感謝)
(本ブログ関連:”龍角散”)
(Youtubeに登録のkcanariに感謝)
試しに、私も仁丹と龍角散を飲んだことがある。仁丹は苦くて、龍角散は上手に喉に含まないと咳き込んでしまう。飲み慣れれば、口中がスッキリするだろうと想像した。龍角散は、漢方の薬効があるようで、今も龍角散ノド飴を舐めることがある。
龍角散のルーツは、秋田藩(久保田藩、藩主佐竹氏)の時代に作られた家伝薬という。本草学に強い同藩らしい産物。佐竹氏には、江戸幕府より常陸から秋田へ転封を命じられたとき、常陸時代に財政を潤した多数の金山を埋め戻したとか、常陸から美人を引き連れて来たので秋田に美人が多いとか興味深い話がある。また、秋田蘭画に平賀源内とのゆかりもあって、山師だった源内の流れから、秋田大学の鉱山学科が、鉱物マニアにすぐ浮かんでくる。(龍角散の現社長のフルート愛好はつとに有名。元々音楽家なのだ!)
ところで、龍角散は韓国でも販売されていて、広く親しまれているようだ。ブログに、韓国人と互いに、龍角散が自国の製品と思っていたという話がある。韓国でも日常的に使われている証かもしれない。(ブログ「アンニョンはんいる」に感謝)
昔の韓国の龍角散TVコマーシャルに、イ・ソンヒが登場するものがある。以前このブログで何度か記した。韓国のブログに、彼女がいつも澄んだ声のため龍角散を飲んで、喉や声帯を保護していると語らしめるCF映像(1985年のデビュー頃という)など紹介しているものがある。(ブログ「はにかみの記憶補助空間」に感謝)
(本ブログ関連:”龍角散”)
(Youtubeに登録のkcanariに感謝)
2017年4月2日日曜日
バナナ(豆乳飲料)
バナナ味した飲料や菓子類を見つけては味見している。一昨日に続き、本日の「桜まつり」の帰り道、スーパーで「バナナ 豆乳飲料」(330ml)と出会い飲んでみることにした。Su社の製品で、果汁4%、豆乳とバナナの合体である。飲み口の蓋(ふた)の内部形状がとてもユニーク。始めた見たデザインで、開封後の液漏れ防止を意図しているのだろうか。
(本ブログ関連:”バナナ”)
実は、バナナアレルギーだ。それでどうして、バナナ味巡礼するのかといえば、症状がさほどでないからだ。喉が軽くイガイガする程度だ。ところが、豆乳アレルギーの方は、反応がもっと強い。
それでも早速、口にした。まさに実況中継。喉にイガイガが始まり、耳の奥まで進む。次第に、喉がヒリヒリして、耳の奥がやたら痒くなる。4口目飲んであきらめることにした・・・食道にイガイガがおりてきそうになる。今回のギブアップは、豆乳アレルギーのせいであって、いい大人しての自己責任。
バナナ味した飲食物に、豆乳ベースのものは他にもある。以前、試したことがあるが、私の負けだった。今度も負けた。(以前、豆乳だけ飲んで大失敗したことがある・・・不思議なことに、成人になってからアレルギーが分かったが。昔、そうではなかったのに!)
(付記)
私は、Youtubeで「子猫」の可愛い姿を見るのが楽しみにしているが、猫アレルギーなのだ。電車で隣りの客が猫を飼っているのが分かるときがある。すぐ、モワァーとした感じに覆われる。
(本ブログ関連:”バナナ”)
実は、バナナアレルギーだ。それでどうして、バナナ味巡礼するのかといえば、症状がさほどでないからだ。喉が軽くイガイガする程度だ。ところが、豆乳アレルギーの方は、反応がもっと強い。
それでも早速、口にした。まさに実況中継。喉にイガイガが始まり、耳の奥まで進む。次第に、喉がヒリヒリして、耳の奥がやたら痒くなる。4口目飲んであきらめることにした・・・食道にイガイガがおりてきそうになる。今回のギブアップは、豆乳アレルギーのせいであって、いい大人しての自己責任。
バナナ味した飲食物に、豆乳ベースのものは他にもある。以前、試したことがあるが、私の負けだった。今度も負けた。(以前、豆乳だけ飲んで大失敗したことがある・・・不思議なことに、成人になってからアレルギーが分かったが。昔、そうではなかったのに!)
(付記)
私は、Youtubeで「子猫」の可愛い姿を見るのが楽しみにしているが、猫アレルギーなのだ。電車で隣りの客が猫を飼っているのが分かるときがある。すぐ、モワァーとした感じに覆われる。
桜まつり
地元公園の、今日の「桜まつり」の人出は、ほどほどだろうと思っていた、連日の花冷えのため、昨日の桜の開花状況は、ソメイヨシノが開花したものの、他種は未開花。祭りは昨日と今日しかない。それで期待が低くなってしまったのだ。ところが、出かけてみれば、「桜まつり」は驚くほどの大盛況だった。
だが近隣市の今日の最高気温は、12.9℃に過ぎない。気温はほどほどでしかないのに、公園の散歩道を大勢の人が行きかい、祭り会場広場を埋めつくすほどの賑わいだった。広場の南北でイベントが同時進行して、南側ステージではタレントが歌とダンスを披露していたし、北側では地元のお囃子集団が演奏とひょっとこ踊りを演じていた。
広場通路に屋台が立ち、並ぶ客があふれて完全にお祭り気分。広場や桜の木立の下で、ビニールシートを敷いた家族連れが、いつものスタイルで花見をしていた。子どもたちの遊び声が飛び交い、迷子の呼び出しが場内放送されて、いよいよ祭り気分が増す。
で、肝心の桜の開花状況といえば、花弁がほどよく開いている木が2割方だろうか、それ以外は薄紅色の芽を膨らませているだけ。それでも、広場を囲む桜の木立全体にうっすらとピンクに翳って見えた。
だが近隣市の今日の最高気温は、12.9℃に過ぎない。気温はほどほどでしかないのに、公園の散歩道を大勢の人が行きかい、祭り会場広場を埋めつくすほどの賑わいだった。広場の南北でイベントが同時進行して、南側ステージではタレントが歌とダンスを披露していたし、北側では地元のお囃子集団が演奏とひょっとこ踊りを演じていた。
広場通路に屋台が立ち、並ぶ客があふれて完全にお祭り気分。広場や桜の木立の下で、ビニールシートを敷いた家族連れが、いつものスタイルで花見をしていた。子どもたちの遊び声が飛び交い、迷子の呼び出しが場内放送されて、いよいよ祭り気分が増す。
で、肝心の桜の開花状況といえば、花弁がほどよく開いている木が2割方だろうか、それ以外は薄紅色の芽を膨らませているだけ。それでも、広場を囲む桜の木立全体にうっすらとピンクに翳って見えた。
2017年4月1日土曜日
4月1日
昨日で、今年の1/4(3ヶ月)が終わってしまった。1/4は大きい。リンゴの実を4等分してみれば分かること。一口では食えない大きさだ。そんなわけで、3ヶ月を無駄食いしていたかもしれない。(若ければ)惜しいような、(若くないので)惜しくもないような。
ラジオで高齢なパーソナリティーが、月日の経つ早さについて言った。こんなに早いのならアッというまに20年過ぎて百歳を越えてしまうと。確かに光陰は百代の過客だが、平均年齢50歳に満たぬ時代だった頃のこと・・・ところが昨年の百歳以上人口は6.5万人いる。ならば、百歳越えラジオパーソナリティーもおかしくない。
時間はあっというまに過ぎるし、終いもあっというまに来るはず。でもターミナルに近づくのに無数の思いが生まれ、時間と無限の追いかけっこしている錯覚をする。都心で、行き先の超高層ビルが見えるのに、なかなか近づかない感覚だ。たどり着かなかったことはない。
一般に年度変わりの4月1日、気分一新したいけど、昼頃になって雨がようやく止み、気温は花冷えのまま少し上がり始めた。近所の公園の「桜まつり」は今日と明日。お天道様はねずみ色のまま、出かけるのは明日にしようかな。
⇒ 桜の開花状況はいかがと「都内の桜情報」を見れば、ヤマザクラ:未開花、ソメイヨシノ:開花、サトザクラ:未開花、カスミザクラ:未開花とのこと。ソメイヨシノの開花も咲いたばかりの話し。観桜はもうちょっと先でいいようだ。
そんなわけで、今日はどんな「エイプリルフール」が話題になったか楽しみにするぐらい。
ラジオで高齢なパーソナリティーが、月日の経つ早さについて言った。こんなに早いのならアッというまに20年過ぎて百歳を越えてしまうと。確かに光陰は百代の過客だが、平均年齢50歳に満たぬ時代だった頃のこと・・・ところが昨年の百歳以上人口は6.5万人いる。ならば、百歳越えラジオパーソナリティーもおかしくない。
時間はあっというまに過ぎるし、終いもあっというまに来るはず。でもターミナルに近づくのに無数の思いが生まれ、時間と無限の追いかけっこしている錯覚をする。都心で、行き先の超高層ビルが見えるのに、なかなか近づかない感覚だ。たどり着かなかったことはない。
一般に年度変わりの4月1日、気分一新したいけど、昼頃になって雨がようやく止み、気温は花冷えのまま少し上がり始めた。近所の公園の「桜まつり」は今日と明日。お天道様はねずみ色のまま、出かけるのは明日にしようかな。
⇒ 桜の開花状況はいかがと「都内の桜情報」を見れば、ヤマザクラ:未開花、ソメイヨシノ:開花、サトザクラ:未開花、カスミザクラ:未開花とのこと。ソメイヨシノの開花も咲いたばかりの話し。観桜はもうちょっと先でいいようだ。
そんなわけで、今日はどんな「エイプリルフール」が話題になったか楽しみにするぐらい。
2017年3月31日金曜日
バナナオーレ
スーパーで、新しいバナナ乳飲料を見つけた。バナナ味するなら、飲み物、菓子などかまわず購入してブログに記している。最近、スーパーやコンビニで、バナナ味の新製品を見かけなかった。バナナ本体が低価格になってしまい、バナナ風味の人工甘味は人気が少なくなっているのかもしれない。
(本ブログ関連:”バナナ”)
ひさし振りに入手したのは、トモヱ乳業の「スィートなおいしさ バナナオーレ」(1000ml)だ。パッケージの商品説明を見ると、果汁成分表示がないのだ。つまり、バナナ0%の人工味ということになる。でも、あっさり・こってりして妙な後味が残らない。私には満足な味覚で美味い。
バナナが高級品だった頃、その味覚と風味を真似た飲み物や菓子が登場した。そんな時代に育ったためか、バナナ本体が安価になった今も、人工甘味のバナナ味を見離すわけにいかない。バナナ風の人工味の記憶は、今でも舌や口腔にある。バナナ風味は永遠だ。
(本ブログ関連:”バナナ”)
ひさし振りに入手したのは、トモヱ乳業の「スィートなおいしさ バナナオーレ」(1000ml)だ。パッケージの商品説明を見ると、果汁成分表示がないのだ。つまり、バナナ0%の人工味ということになる。でも、あっさり・こってりして妙な後味が残らない。私には満足な味覚で美味い。
バナナが高級品だった頃、その味覚と風味を真似た飲み物や菓子が登場した。そんな時代に育ったためか、バナナ本体が安価になった今も、人工甘味のバナナ味を見離すわけにいかない。バナナ風の人工味の記憶は、今でも舌や口腔にある。バナナ風味は永遠だ。
2017年3月30日木曜日
イ・ソンヒの「共存」
イ・ソンヒの11集所収の「共存(공존)」(チョ・ウンヒ作詞、イ・ソンヒ作曲、1998年)は、このブログで、なぜか毎年一回だけ話題にしている。言葉にして分かったつもりでも、心の奥にはかすかな火が尽きることなく点っている・・・そんな感じかな。だから、しんみりひたって、大切に聴き続けたい。
美しい思い出があってもなくても、激しい熱情を経験してもしなくても、特に何~にもなかったとしても、この曲は過去を美しく昇華してくれる。一年に一回、そんなひとときを与えてくれる。たまにはいいではないか。
(本ブログ関連:”共存(공존)”)
旅は終わったの、私たちの愛も
戻るには、あまりにも遠い 道に旅立ったわ
夜空の星のように、胸に積もる
一瞬の、愛は過ぎても 思い出は残って
*私のそばに止まった風、私の中にあふれた陽射し
いつか、傍(そば)を通り過ぎていくでしょう
永遠(とは)に私は見れなくとも
一つになれなかった、世界が嫌(いや)になっても
恋しい、私の心の根は
いつも貴方に向いて深いから
(*)以下繰り返し
夜空の星のように、胸に積もる
一瞬の愛は過ぎても、思い出は残ったわ
う~ん
(Youtubeに登録のlys2187に感謝)
美しい思い出があってもなくても、激しい熱情を経験してもしなくても、特に何~にもなかったとしても、この曲は過去を美しく昇華してくれる。一年に一回、そんなひとときを与えてくれる。たまにはいいではないか。
(本ブログ関連:”共存(공존)”)
旅は終わったの、私たちの愛も
戻るには、あまりにも遠い 道に旅立ったわ
夜空の星のように、胸に積もる
一瞬の、愛は過ぎても 思い出は残って
*私のそばに止まった風、私の中にあふれた陽射し
いつか、傍(そば)を通り過ぎていくでしょう
永遠(とは)に私は見れなくとも
一つになれなかった、世界が嫌(いや)になっても
恋しい、私の心の根は
いつも貴方に向いて深いから
(*)以下繰り返し
夜空の星のように、胸に積もる
一瞬の愛は過ぎても、思い出は残ったわ
う~ん
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2017年3月29日水曜日
KBS WORLD「国楽の世界へ」青山裏
KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(3/22)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、黄真伊(ファンジニ、황진이)の詩「青山裏(청산리)」など関連した曲を紹介した。
始めに、朝鮮時代の妓生「黄真伊」が王族の「碧渓守(벽계수)」に詩を聞かせたときの話を次のように紹介された。
・朝鮮時代最高の妓生と言われた黄真伊が活発に活動していた頃、彼女に会いたいと念願する者も多く、惚れ込んだソンビも多数いた。王族の碧渓守は、彼女に誘惑されない自信があると断言した。その噂を聞き、黄真伊は、月の明るい夜を眺めている彼を訪ねて、<水が一度海に流れたら戻って来れないから、月が明るい内に休んで行ってください(この私と楽しみましょう)>と詩を謳った。その詩を聞いた碧渓守は断言も忘れ、彼女に見とれてしまう。
青山裏碧溪水
莫誇易移去
一到滄海不復還
明月滿空山
暫休且去奈何
▼ (教科書で学ぶ)定型詩(平時調:평시조)の「青山裏」から「青山裏」を聴く。月下に冴え渡る。
次に、西道民謡「愁心歌(수심가)」と女性詩人李玉峰(イ・オクボン、이옥봉)について次のように紹介された。
・西道地域の民謡「愁心歌」の詞は、悲しみに満ちた歌の意だ。朝鮮時代、中国にも知られた女性詩人李玉峰は、両班の妾の娘のため、学者趙瑗(조원)の本妻になれず妾となる。趙瑗は、彼女の詩を好んだが、世に知られるのを喜ばなかった。そんな中、玉峰が貧しい女性に書いた詩が社会的問題となり、実家に戻して二度と会わなかった。玉峰は薄情な夫を想い詩を書いた。<最近はどう過ごされていますか>に始まり、後半によく知られる、<仮に夢の中の魂が痕跡を残すなら、あなたの家の前の砂利が半分は砂になったでしょう>という、夫を恋しく想いを描いた。
近來安否問如何
月到紗窓妾恨多
若使夢魂行有跡
門前石路半成沙
▼ 「愁心歌」を聴く。石が砂になるほどの想いに、熱烈というより諦めるような気がして・・・。
最後に、パンソリ「春香歌(춘향가)」の李夢龍とソンビの「成以性(ソン・イソン、성이성)」が紹介された。
・パンソリ「春香歌」は、春香と李夢龍(이몽룡)の愛の物語だ。李夢龍は、王の勅命を受け、浮浪者姿をして密かに地方を巡行し、身分を隠して地方官の宴で詩を謳い、民を苦しめながら裕福に暮らす地方官を批判する。春香歌の詩は、実在の学者ソンビの成以性が書いた説もある。彼の父が南原地域の長官で、李夢龍も南原の出だからだ。
金樽美酒千人血
玉盤佳肴万姓膏
燭涙落時民涙落
歌声高処怨声高
▼ パンソリ「春香歌」から、浮浪者姿の「勅使出頭(어사 출도)」を聴く。はらわたを吐き出すよう。
始めに、朝鮮時代の妓生「黄真伊」が王族の「碧渓守(벽계수)」に詩を聞かせたときの話を次のように紹介された。
・朝鮮時代最高の妓生と言われた黄真伊が活発に活動していた頃、彼女に会いたいと念願する者も多く、惚れ込んだソンビも多数いた。王族の碧渓守は、彼女に誘惑されない自信があると断言した。その噂を聞き、黄真伊は、月の明るい夜を眺めている彼を訪ねて、<水が一度海に流れたら戻って来れないから、月が明るい内に休んで行ってください(この私と楽しみましょう)>と詩を謳った。その詩を聞いた碧渓守は断言も忘れ、彼女に見とれてしまう。
青山裏碧溪水
莫誇易移去
一到滄海不復還
明月滿空山
暫休且去奈何
▼ (教科書で学ぶ)定型詩(平時調:평시조)の「青山裏」から「青山裏」を聴く。月下に冴え渡る。
次に、西道民謡「愁心歌(수심가)」と女性詩人李玉峰(イ・オクボン、이옥봉)について次のように紹介された。
・西道地域の民謡「愁心歌」の詞は、悲しみに満ちた歌の意だ。朝鮮時代、中国にも知られた女性詩人李玉峰は、両班の妾の娘のため、学者趙瑗(조원)の本妻になれず妾となる。趙瑗は、彼女の詩を好んだが、世に知られるのを喜ばなかった。そんな中、玉峰が貧しい女性に書いた詩が社会的問題となり、実家に戻して二度と会わなかった。玉峰は薄情な夫を想い詩を書いた。<最近はどう過ごされていますか>に始まり、後半によく知られる、<仮に夢の中の魂が痕跡を残すなら、あなたの家の前の砂利が半分は砂になったでしょう>という、夫を恋しく想いを描いた。
近來安否問如何
月到紗窓妾恨多
若使夢魂行有跡
門前石路半成沙
▼ 「愁心歌」を聴く。石が砂になるほどの想いに、熱烈というより諦めるような気がして・・・。
最後に、パンソリ「春香歌(춘향가)」の李夢龍とソンビの「成以性(ソン・イソン、성이성)」が紹介された。
・パンソリ「春香歌」は、春香と李夢龍(이몽룡)の愛の物語だ。李夢龍は、王の勅命を受け、浮浪者姿をして密かに地方を巡行し、身分を隠して地方官の宴で詩を謳い、民を苦しめながら裕福に暮らす地方官を批判する。春香歌の詩は、実在の学者ソンビの成以性が書いた説もある。彼の父が南原地域の長官で、李夢龍も南原の出だからだ。
金樽美酒千人血
玉盤佳肴万姓膏
燭涙落時民涙落
歌声高処怨声高
▼ パンソリ「春香歌」から、浮浪者姿の「勅使出頭(어사 출도)」を聴く。はらわたを吐き出すよう。
2017年3月28日火曜日
春の季節
今日は旧暦の3月1日。いまだに旧暦と新暦の季節の捉え方に混乱する。例えば「春」について、
・新暦の「春」は、(新暦)3月~5月の間で、春は始まって一ヶ月しか経っていない。
・旧暦の「春」は、(旧暦)1月~3月の間で、春は始まって残り一ヶ月しかない。
気温でいえば、3月末の今日になって落ち着き始めて、本格的に春らしくなった。
体調でいえば、季節の変わり目のせいか、うつらうつら眠気が増している。
カレンダーでは、学生にとって大きな区切り、最後となる「卒業式」がさかんだ。
柏原芳恵が歌う「春なのに」(作詞・作曲 中島みゆき、1983年)を聞くと、時代がわずかしか過ぎてないのに、こんなにもいいい時代があったのかと気付かせる。皇太子が彼女のファンだったというのもうなづかせる、だれにも愛される、ほんわりした雰囲気が懐かしい。
(Youtubeに登録のrokumaru sirakawaに感謝)
・新暦の「春」は、(新暦)3月~5月の間で、春は始まって一ヶ月しか経っていない。
・旧暦の「春」は、(旧暦)1月~3月の間で、春は始まって残り一ヶ月しかない。
気温でいえば、3月末の今日になって落ち着き始めて、本格的に春らしくなった。
体調でいえば、季節の変わり目のせいか、うつらうつら眠気が増している。
カレンダーでは、学生にとって大きな区切り、最後となる「卒業式」がさかんだ。
柏原芳恵が歌う「春なのに」(作詞・作曲 中島みゆき、1983年)を聞くと、時代がわずかしか過ぎてないのに、こんなにもいいい時代があったのかと気付かせる。皇太子が彼女のファンだったというのもうなづかせる、だれにも愛される、ほんわりした雰囲気が懐かしい。
(Youtubeに登録のrokumaru sirakawaに感謝)
2017年3月27日月曜日
ク・チャミョンのイ・ソンヒへの感謝
今の自分が在ることを(私が)感謝するべき相手がいるだろうか。「あなたのおかげです」という言葉は、なかなか難しい。私にしたらもっと難しい。いわれた相手が迷惑するとも限らないからだ。(自分には期待以上だったとしても、他者か見れば期待以下かもしれない)
桜は桜に咲くように、才能ある人は自身と同等の、あるいはそれ以上の目指すべき才能ある人へ感謝することができる。そんな感謝の言葉を聞くと素晴らしく、そして羨ましく思う。朝鮮日報の記事、「『覆面歌王』ク・チャミョン、『私のターニングポイントは、イ・ソンヒ・・・音楽的にたくさん導いてくれて』」(3/27)は、若い歌手ク・チャミョンがイ・ソンヒに対して音楽的な感謝を次のように伝えている。(抜粋)
イ・ソンヒは50歳代に入り、後進の育成を意識したようで、昨年、オーディション番組で審査・指導したり、実力歌手の競技番組に大いに関心を持っているようだ。
(本ブログ関連:”覆面歌王”、”偉大なる誕生”、”ファンタスティック・デュオ”)
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26日放送された、MBCの「覆面歌王(복면가왕)」で、ク・チャミョン(구자명)は、「歌の天才キム・タック」の仮面をかぶって舞台に上がり、「長靴を履いて歌うネコ(コヤン)」と歌王戦まで繰り広げた。結局、歌王の席を1票差で許してしまったが、彼の活躍にネチズンの関心が熱い。
前に、ク・チャミョンは、去る23日、ある媒体とのインタビューで、「偉大なる誕生(위대한 탄생)2」に参加することになったきっかけに、「友達の間で歌がうまい方と評判になったんで、友人が『偉大なる誕生』のオーディション募集に出てみろと薦めた」と明らかにした。
続けて彼は、「正直、歌を正式に習ったことがない。理論的に音楽をやる友達より自信がなかった。ところが、先生たちが私の中にあった音楽性を目覚ませてくださった」と、感謝を伝えたりもした。
ク・チャミョンは、自身のターニングポイントに、「メンター(指導者)でいらしゃったイ・ソヒ先生にお目にかかるまでも運があったようだ。先生は、音楽について内面的に、外面的に多くの教えをくださった。歌をよく分からなかった自分自身を、音楽的にたくさん導いてくださった方がイ・ソンヒ先生でいらっしゃる」と語った。
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桜は桜に咲くように、才能ある人は自身と同等の、あるいはそれ以上の目指すべき才能ある人へ感謝することができる。そんな感謝の言葉を聞くと素晴らしく、そして羨ましく思う。朝鮮日報の記事、「『覆面歌王』ク・チャミョン、『私のターニングポイントは、イ・ソンヒ・・・音楽的にたくさん導いてくれて』」(3/27)は、若い歌手ク・チャミョンがイ・ソンヒに対して音楽的な感謝を次のように伝えている。(抜粋)
イ・ソンヒは50歳代に入り、後進の育成を意識したようで、昨年、オーディション番組で審査・指導したり、実力歌手の競技番組に大いに関心を持っているようだ。
(本ブログ関連:”覆面歌王”、”偉大なる誕生”、”ファンタスティック・デュオ”)
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26日放送された、MBCの「覆面歌王(복면가왕)」で、ク・チャミョン(구자명)は、「歌の天才キム・タック」の仮面をかぶって舞台に上がり、「長靴を履いて歌うネコ(コヤン)」と歌王戦まで繰り広げた。結局、歌王の席を1票差で許してしまったが、彼の活躍にネチズンの関心が熱い。
前に、ク・チャミョンは、去る23日、ある媒体とのインタビューで、「偉大なる誕生(위대한 탄생)2」に参加することになったきっかけに、「友達の間で歌がうまい方と評判になったんで、友人が『偉大なる誕生』のオーディション募集に出てみろと薦めた」と明らかにした。
続けて彼は、「正直、歌を正式に習ったことがない。理論的に音楽をやる友達より自信がなかった。ところが、先生たちが私の中にあった音楽性を目覚ませてくださった」と、感謝を伝えたりもした。
ク・チャミョンは、自身のターニングポイントに、「メンター(指導者)でいらしゃったイ・ソヒ先生にお目にかかるまでも運があったようだ。先生は、音楽について内面的に、外面的に多くの教えをくださった。歌をよく分からなかった自分自身を、音楽的にたくさん導いてくださった方がイ・ソンヒ先生でいらっしゃる」と語った。
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2017年3月26日日曜日
黄色いシャツの男
K-POPといわれる以前のこと、1961年にヒットしたトロットの「黄色いシャツの男(노란 샤쓰의 사나이)」は、(発表された)だいぶ後に、日本のおじさんたちにも歌われた。ハイテンションな歌で、演歌とトロットの境界なんて意識もいらない。歌詞の主人公は、黄色いシャツを着た男を気に入る若い女性のようだ。
それがどうして、おじさんたちにも安心して歌われたかというと、歌詞に「なぜか」気になるという表現に、韓国語の「オッチョンジ(어쩐지)」がそのまま使われた。この「オッチョンジ」は、空耳ながら「おっちゃん」に通じる。すると、主人公に気に入られた男が、オッチョンジ>おっちゃん=おじさん、と身近な存在になる。歌がぐっと親和してくるというもの。おじさんでもいいのだ。
ところで、図書館で、ときどき読まれることのない書籍を、自由に持ち帰ってくださいと並べることがある。あるとき、韓国の(K-POP以前の)歌を紹介した本が置かれていた。だいぶ前の発行ながら、貸し出されて汚れた跡もなく、惜しんで持ち帰った。
同書には、民謡、童謡、歌曲、流行歌などいろいろなジャンルの解説と楽譜が収められている。そのなかで、1961年にハン・ミョンスク(한명숙、韓明淑)によって歌われた「黄色いシャツ」の紹介ページだけは、黄色という色彩の明るさ、アメリカンな曲風が語られ、解説に歴史と結びつけた言葉のモザイクがないため、普通な大衆音楽の解説になっている。
( 音量注意! これがオリジナルなら、アメリカンフォークを意識した編曲だ・・・)
(Youtubeに登録のsoundphenomenに感謝)
それがどうして、おじさんたちにも安心して歌われたかというと、歌詞に「なぜか」気になるという表現に、韓国語の「オッチョンジ(어쩐지)」がそのまま使われた。この「オッチョンジ」は、空耳ながら「おっちゃん」に通じる。すると、主人公に気に入られた男が、オッチョンジ>おっちゃん=おじさん、と身近な存在になる。歌がぐっと親和してくるというもの。おじさんでもいいのだ。
ところで、図書館で、ときどき読まれることのない書籍を、自由に持ち帰ってくださいと並べることがある。あるとき、韓国の(K-POP以前の)歌を紹介した本が置かれていた。だいぶ前の発行ながら、貸し出されて汚れた跡もなく、惜しんで持ち帰った。
同書には、民謡、童謡、歌曲、流行歌などいろいろなジャンルの解説と楽譜が収められている。そのなかで、1961年にハン・ミョンスク(한명숙、韓明淑)によって歌われた「黄色いシャツ」の紹介ページだけは、黄色という色彩の明るさ、アメリカンな曲風が語られ、解説に歴史と結びつけた言葉のモザイクがないため、普通な大衆音楽の解説になっている。
( 音量注意! これがオリジナルなら、アメリカンフォークを意識した編曲だ・・・)
(Youtubeに登録のsoundphenomenに感謝)
2017年3月25日土曜日
(雑談)子どものとき見たゴジラの夢
先日、映画「シン・ゴジラ」を楽しんできた。民家の上を巨大な尻尾をよぎらせながら進むゴジラを見て、昔、初めて見た初期のゴジラ映画を思い出した。暗い夜、画面いっぱいに映し出されたゴジラの足から、巨大な全身を想像して、恐怖に落ち込んだまま、座席で息を殺して見ていた。
それ以来、怪獣の夢には無力感がつきものだった。最初のゴジラ映画は、視覚効果を狙ってだろう、夜の破壊シーンが鮮烈だった。当時の大人には空襲や戦場の記憶につながったかもしれないが、子どもにとっては破壊の凄まじさだけだった。だから夢に直結した。
ゴジラ映画は、夢に影響を与えたようだ。登場する怪獣や宇宙人は、圧倒的な力で襲いかかり、逃げるしかなかった。今の子どもはどうだろう。ぼくらは、映画で初めての恐怖を経験したかもしれない。いつも見られるものではない。だから怖さも深かった。
また、上空を様々な隊形した飛行編隊が迫ってくる夢を見た。編隊の数は増え、やがて空いっぱいに真っ黒な宇宙船が覆い浮かんでいるのが見えた。すると、船体から真っ黒な着陸艇が地上に次々と降りて、黒い防備服の大量の宇宙人兵士が隊列を組んで街に侵入を開始したのだ。もう、どうすることもできない。「宇宙戦争」を彷彿させるが、隠れても見つかってしまう・・・。
夢が前向きでなくなったようだ。空を飛ぶ夢を見ても、始めは優雅に羽を舞い飛行したが、すぐに失速を始める。あれっ、戸惑いながら何とか持ちこたえたが、上昇と下降を繰り返しながら墜落してしまう。「イカロスの墜落」ように・・・。
それ以来、怪獣の夢には無力感がつきものだった。最初のゴジラ映画は、視覚効果を狙ってだろう、夜の破壊シーンが鮮烈だった。当時の大人には空襲や戦場の記憶につながったかもしれないが、子どもにとっては破壊の凄まじさだけだった。だから夢に直結した。
ゴジラ映画は、夢に影響を与えたようだ。登場する怪獣や宇宙人は、圧倒的な力で襲いかかり、逃げるしかなかった。今の子どもはどうだろう。ぼくらは、映画で初めての恐怖を経験したかもしれない。いつも見られるものではない。だから怖さも深かった。
また、上空を様々な隊形した飛行編隊が迫ってくる夢を見た。編隊の数は増え、やがて空いっぱいに真っ黒な宇宙船が覆い浮かんでいるのが見えた。すると、船体から真っ黒な着陸艇が地上に次々と降りて、黒い防備服の大量の宇宙人兵士が隊列を組んで街に侵入を開始したのだ。もう、どうすることもできない。「宇宙戦争」を彷彿させるが、隠れても見つかってしまう・・・。
夢が前向きでなくなったようだ。空を飛ぶ夢を見ても、始めは優雅に羽を舞い飛行したが、すぐに失速を始める。あれっ、戸惑いながら何とか持ちこたえたが、上昇と下降を繰り返しながら墜落してしまう。「イカロスの墜落」ように・・・。
2017年3月24日金曜日
イ・ソンヒのLAコンサート(2003、2006)
イ・ソンヒは、今年5月、米ロスアンゼルスで《単独コンサート》を行なう。米国での《単独コンサート》としては、すでに2011年に、ニューヨークの「カーネギーホール」、メイン公演会場の「アイザック・スターン オディトリアム」で実績がある。
(本ブログ関連:”カーネギーホール”)
イ・ソンヒは、他方で、《単独コンサート》でないが、ロスアンゼルスで例年行なわれている韓国人歌手たちによる「Korean Music Festival(KMF)」の2003年「第1回」、および2006年「第4回」に参加している。
会場は、LPジャケットでよく目にした、半ドーム舞台の「ハリウッド・ボウル」で、音楽フェスティバル地にロスアンゼルスが選定された理由として、韓国から海外移民した最大の人口密集居住地だからといった話がある。
・2003年の主な出演歌手、シン・スンフン、パティ・キム、ボア、テ・ジナ、チュ・ヒョンミ、イ・ソンヒなど
・2006年の主な出演歌手、シン・スンフン、イ・ヒョリ、テ・ジナ、イ・ウンミ、イ・ソンヒ、イ・スンギなど
ちなみに、 今年5月20日のロスアンゼルス《単独コンサート》は、同近郊のパーム スプリングスに位置した「ファンタジー・スプリングス リゾート」で、夕方7時に開かれる。
なおイ・ソンヒのプライベートだが、2006年に米国で大きな出来事(再婚)があった。では最後に、2006年ロスアンゼルスの Korean Music Festival で、イ・ソンヒが歌った「因縁(인연)」の熱唱を聞いてみよう。
(Youtubeに登録のsunnyfan100に感謝)
(本ブログ関連:”カーネギーホール”)
イ・ソンヒは、他方で、《単独コンサート》でないが、ロスアンゼルスで例年行なわれている韓国人歌手たちによる「Korean Music Festival(KMF)」の2003年「第1回」、および2006年「第4回」に参加している。
会場は、LPジャケットでよく目にした、半ドーム舞台の「ハリウッド・ボウル」で、音楽フェスティバル地にロスアンゼルスが選定された理由として、韓国から海外移民した最大の人口密集居住地だからといった話がある。
・2003年の主な出演歌手、シン・スンフン、パティ・キム、ボア、テ・ジナ、チュ・ヒョンミ、イ・ソンヒなど
・2006年の主な出演歌手、シン・スンフン、イ・ヒョリ、テ・ジナ、イ・ウンミ、イ・ソンヒ、イ・スンギなど
ちなみに、 今年5月20日のロスアンゼルス《単独コンサート》は、同近郊のパーム スプリングスに位置した「ファンタジー・スプリングス リゾート」で、夕方7時に開かれる。
なおイ・ソンヒのプライベートだが、2006年に米国で大きな出来事(再婚)があった。では最後に、2006年ロスアンゼルスの Korean Music Festival で、イ・ソンヒが歌った「因縁(인연)」の熱唱を聞いてみよう。
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2017年3月23日木曜日
KBS WORLD「国楽の世界へ」 広大(辻芸人)の歌
KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(3/15)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、綱渡りなどした辻芸人(広大)の「広大歌(광대가)」に関連した曲を紹介した。(未聴のためYoutube参照した)
始めに、最高の歌い手と評された宋萬甲(ソン・マンカブ、1866年〜1939年)について次のように紹介された。
・宋萬甲は、曽祖父宋興祿(송흥록)、父宋雨龍(송우룡)に続く、朝鮮末から活動した当代最高の歌い手だった。有名な家柄に生まれ、大きな祝福と共に、一方で受け継がれた伝統を守る負担もあったろうが、それに拘束されず、多様な歌を学び、より大衆的な歌を歌った。父は、そんな息子を恥として、毒殺まで考えた。宋萬甲は、歌い手は商人と同じで、客が絹を求めたら絹を、綿を求めたら綿を出さねばならないように、人のために歌が存在するのだから、聴きたがる歌でなければならないと主張した。
▼ 「広代歌」の歌と演奏を聴く。賑やかに力いっぱい歌いまくる、今様に(⇒ Youtube)
次に、今年1月に亡くなったパンソリ指導者、成昌順(ソン・チャンスン、성창순)について次のように語った。
・成昌順は、光州出身で、父成元睦(성원목)は、太鼓と歌に優れ、弟子も多くいた。そんな家柄で自然と歌を学んだ彼女は、また、母と一緒に観覧した演劇にも心奪われ、16歳のとき、内緒で劇団に入り歌い手となる。そこから、有名な指導者の下で歌と、カヤグムやコムンゴなどの演奏も学んだ。また、書道に通じて、音の意味を深く理解し、心を穏やかに保とうと努力した。80の歳になっても舞台に上がり、新しい音楽に挑戦した。
▼ 「沈淸歌」から、父の目を治すため沈淸が海に向かう「泛彼中流(범피중류)」を聴く。(⇒ 国立国楽院版)
最後に、今年2月に亡くなったパンソリ指導者、朴松熙(パク・ソンヒ、박송희)について次のように語った。
・朴松熙は、いつも笑顔で小柄な、まるで母親のようなイメージの歌い手だった。1927年に生まれ、今年、数え年でちょうど90歳となる。10代から始めた歌と、70年以上一緒に歳月を過ごした。幼い頃から学んだパンソリ、歌曲、踊りなどで活動し、結婚後、田舎で農作業の生活をした時期もある。そんな中、歌が恋しくなると、ソウルでこっそり公演したこともある。夫と姑が世を去ってから、本格的に歌の活動を始めた。
▼ 善人な弟興甫と意地悪な兄ノルボの話「興甫歌」から「ツバメ路程記(제비노정기)」を聴く。(⇒ Youtube)
・「興甫歌」は、ツバメが運んだふくべに、興甫には宝物が、ノルボには災害が入っていたという教訓を語る。
始めに、最高の歌い手と評された宋萬甲(ソン・マンカブ、1866年〜1939年)について次のように紹介された。
・宋萬甲は、曽祖父宋興祿(송흥록)、父宋雨龍(송우룡)に続く、朝鮮末から活動した当代最高の歌い手だった。有名な家柄に生まれ、大きな祝福と共に、一方で受け継がれた伝統を守る負担もあったろうが、それに拘束されず、多様な歌を学び、より大衆的な歌を歌った。父は、そんな息子を恥として、毒殺まで考えた。宋萬甲は、歌い手は商人と同じで、客が絹を求めたら絹を、綿を求めたら綿を出さねばならないように、人のために歌が存在するのだから、聴きたがる歌でなければならないと主張した。
▼ 「広代歌」の歌と演奏を聴く。賑やかに力いっぱい歌いまくる、今様に(⇒ Youtube)
次に、今年1月に亡くなったパンソリ指導者、成昌順(ソン・チャンスン、성창순)について次のように語った。
・成昌順は、光州出身で、父成元睦(성원목)は、太鼓と歌に優れ、弟子も多くいた。そんな家柄で自然と歌を学んだ彼女は、また、母と一緒に観覧した演劇にも心奪われ、16歳のとき、内緒で劇団に入り歌い手となる。そこから、有名な指導者の下で歌と、カヤグムやコムンゴなどの演奏も学んだ。また、書道に通じて、音の意味を深く理解し、心を穏やかに保とうと努力した。80の歳になっても舞台に上がり、新しい音楽に挑戦した。
▼ 「沈淸歌」から、父の目を治すため沈淸が海に向かう「泛彼中流(범피중류)」を聴く。(⇒ 国立国楽院版)
最後に、今年2月に亡くなったパンソリ指導者、朴松熙(パク・ソンヒ、박송희)について次のように語った。
・朴松熙は、いつも笑顔で小柄な、まるで母親のようなイメージの歌い手だった。1927年に生まれ、今年、数え年でちょうど90歳となる。10代から始めた歌と、70年以上一緒に歳月を過ごした。幼い頃から学んだパンソリ、歌曲、踊りなどで活動し、結婚後、田舎で農作業の生活をした時期もある。そんな中、歌が恋しくなると、ソウルでこっそり公演したこともある。夫と姑が世を去ってから、本格的に歌の活動を始めた。
▼ 善人な弟興甫と意地悪な兄ノルボの話「興甫歌」から「ツバメ路程記(제비노정기)」を聴く。(⇒ Youtube)
・「興甫歌」は、ツバメが運んだふくべに、興甫には宝物が、ノルボには災害が入っていたという教訓を語る。
2017年3月22日水曜日
シン・ゴジラ
映画「シン・ゴジラ」を見てきた。封切りが去年の夏(2016年7月29日)の映画を、およそ8ヶ月後に鑑賞したことになる。関心を持ちながら、ずるずる過ごしてしまい、これ以上はまずいと自覚して、川崎の映画館へ出かけたわけ。
ようやく映画館で見る目標は達成した。それに、映画とシンクロして、座席が揺れる「MX4D」を初めて経験した。今回は、2D映像のままだったが、それでも充分楽しめた。おじさんには、うつらうつらする余裕を与えない効果がある。
物語は、あたかも幼生期のゴジラのような怪物が、東京湾から上陸したことに始まる。いったん退避したかに見えたそれは、更に強力な破壊力を進化させ再登場する。対抗する国家側官僚たちの人間模様が織り込まれる。役人の面子と互いの腹の探りあいから、国家間の駆け引きまで・・・。
話題となった、即断が必要なゴジラ対策の段取りについて、法の不備を突くような場面もあった。結局、やるっきゃないのだから。圧倒的な力を持ったゴジラに、知恵を駆使して人間が挑むことになる。
最近のCG映画の凄まじさは、まるで破壊現場を目の当たりにしたように、細部にいたるまでリアリティがある。以前のゴジラ映画のような、あうんの理解と鑑賞眼が必要ない。ただ見たままに圧倒感、恐怖感にさらされる。
私が子ども時代に見た、初めてのゴジラ映画は暗い白黒画面だった。ゴジラが夜の街を破壊するシーンは、いっそう想像力をかきたて、恐怖心を最高にした。いまだに忘れられないのは、ゴジラの全身の姿より、破壊の一瞬現れるゴジラの足だった。まるで人間に踏み潰されるアリのような無力感すらした。そう、この映画には、それがまさに再現されている。シン・ゴジラは、今回も子どもたちに一生忘れられない(映画の楽しみという)恐怖を残したことだろう。
映画館で購入したパンフレットに、見終わるまで開かぬようにと帯封がしてあった。
(最後まで引っ張っていく人がいて、はじめて作品が完成することをつくづく実感します)
(Youtubeに登録のjambo reeに感謝)
ようやく映画館で見る目標は達成した。それに、映画とシンクロして、座席が揺れる「MX4D」を初めて経験した。今回は、2D映像のままだったが、それでも充分楽しめた。おじさんには、うつらうつらする余裕を与えない効果がある。
物語は、あたかも幼生期のゴジラのような怪物が、東京湾から上陸したことに始まる。いったん退避したかに見えたそれは、更に強力な破壊力を進化させ再登場する。対抗する国家側官僚たちの人間模様が織り込まれる。役人の面子と互いの腹の探りあいから、国家間の駆け引きまで・・・。
話題となった、即断が必要なゴジラ対策の段取りについて、法の不備を突くような場面もあった。結局、やるっきゃないのだから。圧倒的な力を持ったゴジラに、知恵を駆使して人間が挑むことになる。
最近のCG映画の凄まじさは、まるで破壊現場を目の当たりにしたように、細部にいたるまでリアリティがある。以前のゴジラ映画のような、あうんの理解と鑑賞眼が必要ない。ただ見たままに圧倒感、恐怖感にさらされる。
私が子ども時代に見た、初めてのゴジラ映画は暗い白黒画面だった。ゴジラが夜の街を破壊するシーンは、いっそう想像力をかきたて、恐怖心を最高にした。いまだに忘れられないのは、ゴジラの全身の姿より、破壊の一瞬現れるゴジラの足だった。まるで人間に踏み潰されるアリのような無力感すらした。そう、この映画には、それがまさに再現されている。シン・ゴジラは、今回も子どもたちに一生忘れられない(映画の楽しみという)恐怖を残したことだろう。
映画館で購入したパンフレットに、見終わるまで開かぬようにと帯封がしてあった。
(最後まで引っ張っていく人がいて、はじめて作品が完成することをつくづく実感します)
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2017年3月21日火曜日
「開花宣言」
一日中雨というに、気象庁は今日、東京に「開花宣言」をした。桜の春、冷え込みが残って、なんとなくストーブを点けっぱなしでいる。それでも開花宣言と聞けば、急に気持だけ先に暖まる、不思議なものだ。
(夕方の天気予報で、東京の雨量は今年一番だそうだが・・・今日がまだ終わってないのに?)
(本ブログ関連:”開花”)
NHKニュース記事 「東京でサクラが開花 全国で最も早く」(3/21、17時47分)は、次のように報じている。(抜粋)
------------------------------------------------------
・東京・・・雨が降り気温が下がりましたが、20日までの暖かさでソメイヨシノの開花準備が急速に進み、気象庁は21日午前、全国で最も早く「東京でサクラが開花した」と発表しました。
・気象庁によりますと、・・・千代田区の靖国神社では、21日午前、気象庁の担当者がサクラの開花の目安にしているソメイヨシノに5輪の花が咲いているのを確認・・・。
・東京のサクラの開花は、去年と同じで、平年より5日早くなっています。また、全国で最も早く開花するのは平成20年以来、9年ぶりです。
・今後1週間から10日程度で満開になる見込みです。
------------------------------------------------------
私は、桜の花の下にも、樹の下にも関心はない。淡いピンクの光に包まれて、満開のサクラ花を見上げたときの幸福感が忘れられない。幼い子どもたちが、そんな体験をするだろう、お花見が待ち遠しい。
(今日の「開花」映像 寒い雨が降っている中で)
(Youtubeに登録のTHE PAGE(ザ・ページ)に感謝)
ところで、4月から、二つのことに取り組む。一つは、既に始めて幾星霜、十分我が身に重いのに、もう一つとは。開花宣言なんて、運よくお花畑に行ったとして、そこで見られるか難しい、えらいことを始めてしまったようだ。
(夕方の天気予報で、東京の雨量は今年一番だそうだが・・・今日がまだ終わってないのに?)
(本ブログ関連:”開花”)
NHKニュース記事 「東京でサクラが開花 全国で最も早く」(3/21、17時47分)は、次のように報じている。(抜粋)
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・東京・・・雨が降り気温が下がりましたが、20日までの暖かさでソメイヨシノの開花準備が急速に進み、気象庁は21日午前、全国で最も早く「東京でサクラが開花した」と発表しました。
・気象庁によりますと、・・・千代田区の靖国神社では、21日午前、気象庁の担当者がサクラの開花の目安にしているソメイヨシノに5輪の花が咲いているのを確認・・・。
・東京のサクラの開花は、去年と同じで、平年より5日早くなっています。また、全国で最も早く開花するのは平成20年以来、9年ぶりです。
・今後1週間から10日程度で満開になる見込みです。
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私は、桜の花の下にも、樹の下にも関心はない。淡いピンクの光に包まれて、満開のサクラ花を見上げたときの幸福感が忘れられない。幼い子どもたちが、そんな体験をするだろう、お花見が待ち遠しい。
(今日の「開花」映像 寒い雨が降っている中で)
(Youtubeに登録のTHE PAGE(ザ・ページ)に感謝)
ところで、4月から、二つのことに取り組む。一つは、既に始めて幾星霜、十分我が身に重いのに、もう一つとは。開花宣言なんて、運よくお花畑に行ったとして、そこで見られるか難しい、えらいことを始めてしまったようだ。
2017年3月20日月曜日
イディッシュ・ダンス・セッション
子どものころ、盆踊りの賑やかさにはしゃいだが、踊りの輪に加わったことはない。最近、小学校でもダンスの時間があって、普通に経験するようだ。
私の経験といえば、中学時代に、昼休みの校庭で行なわれた「フォークダンス」を思い出すくらい。これには参加した! 理由は簡単、男女共学の男子中学生ならいわずもがな。それ以降、踊りやダンスと縁が全くなかった。本ブログで「ダンス」について触れたとすれば、イ・ソンヒの背後に迫った、(80~90年代の美少女歌手たちによる)「ダンスブーム」のことぐらいだろう。
(本ブログ関連:”ダンス”)
とはいえ、伝統をつなぐ民俗舞踊を見るのは好きだ。だから、鑑賞の機会があれば出かけるようにしている。「春分の日」の今晩、両国駅近くにある「シアターX(カイ)」で催された、「イディッシュ・ダンス・セッション」へ行った。言葉(イディッシュ語)を知りたければ、できるだけその民族文化に接すればよいわけで、わたしなりに、見て感じることができる、その第一歩、入門にしたいと思って・・・。(イディッシュ音楽・舞踏について、全く暗い、今回初めての見聞になる)
(本ブログ関連:”イディッシュ語”)
イディッシュ・ダンスの学術的意義については、昨日、明治学院大学で講演があったようだ。一般向けの楽しいイベント(イディッシュ・ダンス・セッション)が、今晩行なわれたことになる。(シアターX(カイ)では、例年、同様のイベントを実施しているようだ)
ミュージシャン樋上千寿氏の司会(演奏)で、音楽ユニット「ジンタらムータ」によるイディッシュ音楽の演奏が・・・、実はそれだけでなく、客席の大半を舞台に上げて一緒にイディッシュ・ダンスを経験する面白い取り組みがされた。そこへ、イディッシュ音楽の演奏家・研究の第一人者ゼフ・フェルトマン氏も参加されて、客を踊りの輪に取り込まれた。
(フェルトマン氏は、まるでイディッシュ童話の挿絵から出てきたような大らかな方と拝見した)
(フェルトマン氏は、まるでイディッシュ童話の挿絵から出てきたような大らかな方と拝見した)
(本ブログ関連:”素敵なあなた”)
イベント内容は、イディッシュ・ダンスの曲目として、「ホラ」 (「フレイラッハ」)、「コーシドル」、「ブルガール」などが演奏された。かつ、「コーシドル」はフェルトマン氏のソロで、「ホラ」と「ブルガール」はフェルトマン氏を中心に客と一緒に踊られた。腰が痛い(いつから?)のを言い訳に、後方の客席から見学させていただいた。
最後になるが、イディッシュ語研究者のご家族が参加されていた。幼いお子さんたちは舞台で一番光っていたかもしれない。語り聞かされて、きっといい思い出になることだろう。
(参考:フェルトマン氏を先頭に踊る「ブルガール」、2015年夏ワイマール)
(Youtubeに登録のyiddishsummerweimarに感謝)
(付記)
上記のイベントが始まる前、シアターX(カイ)の横にある「回向院」へ参った。寺内に、黄表紙作家の山東京伝の墓が、一族の墓を整理した場所に置かれていた。
(参考:フェルトマン氏を先頭に踊る「ブルガール」、2015年夏ワイマール)
(Youtubeに登録のyiddishsummerweimarに感謝)
(付記)
上記のイベントが始まる前、シアターX(カイ)の横にある「回向院」へ参った。寺内に、黄表紙作家の山東京伝の墓が、一族の墓を整理した場所に置かれていた。
2017年3月19日日曜日
(雑談)新幹線
鉄道オタクではない。それでも、黒煙、白煙を吐きながら牽引する漆黒の蒸気機関車は、煤煙のススの経験も懐かしく気になる存在だ。まるで生き物のように唸り走る姿を、日常で見ることはできない。書籍や映画の映像を通してしか知るしかない。私にしてみたら、機関車の車輪数で、C型だ、D型だという区別くらいしかできず、遠くから言い当てるほどじゃない。
1964年の東京オリンピックの年に開通した新幹線も、「夢の超特急」といわれながら、特に関心が深かったわけではない。むしろオリンピックへの期待の方が勝っていた。だから、鉄道に対する今様なオタクを周囲に感じたことはなかった。こんなに細分化された大勢のオタクたちはいなかったのではと思うのだが。
とはいえ、新幹線に「500系」が登場したとき、飛行機好きにマッチした先頭車両のスタイルが特別に気に入り、大阪出張の際には、わざわざ早朝の東京駅始発に乗ったものだ。最高時速300k/mを実現した車両であり、パンタグラフのデザインが自然の特性を取り入れたユニークなものだったし、そして何より今だに他を寄せつけぬ、車体の美しさ*があったからだ。
(本ブログ関連:”500系”)
(*)500系の美しさ:Youtube映像
おとなを夢中にさせた流線型の曲線美は、子どもにとっても人気があったわけで、今も玩具売り場から消えることのない車両のひとつだ。
ところで、今日、新幹線初の「0系」について講演会があったが、出かけようと思いながら、家の用事で参加できず惜しいことをした。
1964年の東京オリンピックの年に開通した新幹線も、「夢の超特急」といわれながら、特に関心が深かったわけではない。むしろオリンピックへの期待の方が勝っていた。だから、鉄道に対する今様なオタクを周囲に感じたことはなかった。こんなに細分化された大勢のオタクたちはいなかったのではと思うのだが。
とはいえ、新幹線に「500系」が登場したとき、飛行機好きにマッチした先頭車両のスタイルが特別に気に入り、大阪出張の際には、わざわざ早朝の東京駅始発に乗ったものだ。最高時速300k/mを実現した車両であり、パンタグラフのデザインが自然の特性を取り入れたユニークなものだったし、そして何より今だに他を寄せつけぬ、車体の美しさ*があったからだ。
(本ブログ関連:”500系”)
(*)500系の美しさ:Youtube映像
おとなを夢中にさせた流線型の曲線美は、子どもにとっても人気があったわけで、今も玩具売り場から消えることのない車両のひとつだ。
ところで、今日、新幹線初の「0系」について講演会があったが、出かけようと思いながら、家の用事で参加できず惜しいことをした。
2017年3月18日土曜日
(雑談)ことば
イ・ソンヒの歌を、歌詞の主人公の心象を想定し、日本語風に女性表現を付したものを、教室の先生に見ていただいたところ、首をかしげられたことがある。女性の語尾表現の「~だわ」、「~のよ」、「~なの」、「~のね」などがしっくりしないという。韓国語には、男女の区別がないからだそうだ。
日本映画に韓国語字幕を付ける字幕翻訳家が新聞に紹介されていた。中央日報(日本語版)の記事、「『Love Letter』『君の名は。』など韓国でヒットした日本映画の翻訳家は誰?」(3/17)は、字幕翻訳家カン・ミンハ(강민하)とのインタビューで、次のような話を伝えている。(抜粋)
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・・・『君の名は。』は男女主人公の身に起きた「入れ替わり」によるハプニングが登場する。東京に住む少年の瀧の身に入れ替わった田舎少女の三葉が女性語と方言を一緒に使うことを周りの人が不思議に思う部分がある。カンさんはこのような部分を訳すことにかなり苦労したという。韓国語には日本語のように男性語・女性語がないためだ。
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ところで、日本で活動する男性K-POP歌手が、日本語を喋るとき、なよっとした口調になることがある。音楽事務所の特訓に語学研修があるそうで、もしかしたら指導者が女性だったのではないかと思ったりする。男性語・女性語のない世界にいれば、指導者の口調に一致してしまうのは自然なことかもしれない。
昔、駐留軍のGIたちが日本語を使うとき、女性言葉を使うものがいたという。頑張って日本語で話そうとしているのだろうが、それを学んだ先が女性だった。
ちなみに先日、BBCの放送で、釜山大学ロバート・ケリー准教授が朝鮮半島の政情について報告していた画面に彼の幼子たちが意気揚々と次々乱入し、かつ慌てながらも収拾した妻の活躍ぶりが話題になった。彼の妻は韓国人である。
ハンギョレ(日本語版)によれば、彼のプロフィール紹介に、「(当り前だが!)英語以外にドイツ語、フランス語、ロシア語、ラテン語、古代ギリシャ語を駆使するという。」とある。韓国語も多分、そう(駆使する)だろう。
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・・・『君の名は。』は男女主人公の身に起きた「入れ替わり」によるハプニングが登場する。東京に住む少年の瀧の身に入れ替わった田舎少女の三葉が女性語と方言を一緒に使うことを周りの人が不思議に思う部分がある。カンさんはこのような部分を訳すことにかなり苦労したという。韓国語には日本語のように男性語・女性語がないためだ。
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ところで、日本で活動する男性K-POP歌手が、日本語を喋るとき、なよっとした口調になることがある。音楽事務所の特訓に語学研修があるそうで、もしかしたら指導者が女性だったのではないかと思ったりする。男性語・女性語のない世界にいれば、指導者の口調に一致してしまうのは自然なことかもしれない。
昔、駐留軍のGIたちが日本語を使うとき、女性言葉を使うものがいたという。頑張って日本語で話そうとしているのだろうが、それを学んだ先が女性だった。
ちなみに先日、BBCの放送で、釜山大学ロバート・ケリー准教授が朝鮮半島の政情について報告していた画面に彼の幼子たちが意気揚々と次々乱入し、かつ慌てながらも収拾した妻の活躍ぶりが話題になった。彼の妻は韓国人である。
ハンギョレ(日本語版)によれば、彼のプロフィール紹介に、「(当り前だが!)英語以外にドイツ語、フランス語、ロシア語、ラテン語、古代ギリシャ語を駆使するという。」とある。韓国語も多分、そう(駆使する)だろう。
2017年3月17日金曜日
彼岸の入り 2017
今日は春の「彼岸の入り」。おかげさまの暖かさで、都心の最高気温は午後3時前に15.2℃になった。日なたを散歩すると、額にうっすら汗がにじむ。3月下旬並み、順調に春が近づいている。20日の「春分の日」を含む連休も、この陽気が続くようだ。
先月の今日、2月17日、都心の今年の最高気温20.6℃を記録している。ここまで暖かいものをとはいわないが、そろそろ最高気温15℃以上が欲しい。それに、最低気温を10℃以上でどうだろうか。深夜、早朝の冷え込みからそろそろ卒業したい。
ところで、「春分の日」(3/20)を中心にはさんで、その前後3日、合計一週間を「彼岸」と呼ぶ。今日は、その入り口の「彼岸の入り」だ。彼岸の言葉から、<秋>の彼岸の方が馴染みやすいかもしれないが、ブログに記したのは、なんと<春>の彼岸の入りの方が多いのだ・・・。
(本ブログ関連:”彼岸の入り”)
(付記)
今年は、イディッシュ語についても関心を深めたい・・・と思って講座に申込んだところ、参加希望者数の関係で、開講できるかどうか未確定だった。今日、通知があって、どうやら実施の運びになった。ホッと一息。
先月の今日、2月17日、都心の今年の最高気温20.6℃を記録している。ここまで暖かいものをとはいわないが、そろそろ最高気温15℃以上が欲しい。それに、最低気温を10℃以上でどうだろうか。深夜、早朝の冷え込みからそろそろ卒業したい。
ところで、「春分の日」(3/20)を中心にはさんで、その前後3日、合計一週間を「彼岸」と呼ぶ。今日は、その入り口の「彼岸の入り」だ。彼岸の言葉から、<秋>の彼岸の方が馴染みやすいかもしれないが、ブログに記したのは、なんと<春>の彼岸の入りの方が多いのだ・・・。
(本ブログ関連:”彼岸の入り”)
(付記)
今年は、イディッシュ語についても関心を深めたい・・・と思って講座に申込んだところ、参加希望者数の関係で、開講できるかどうか未確定だった。今日、通知があって、どうやら実施の運びになった。ホッと一息。
2017年3月16日木曜日
イ・ソンヒの5月、米ロスアンゼルス公演
中央日報のLA版の記事、「国民のディーバ(歌姫)イ・ソンヒ『The Great Concert』LAコンサート開催」(3/13)は、昨年9月にソウル*を起点にして、その後、全国12都市**で開催されたイ・ソンヒの「The Great Concert」を、米国ロスアンゼルス***で単独公演すると次のように記している。
(*) 昨年9月にソウルで開催した「The Great Concert」: コンサート・レポート
(**) 記事入力が3月13日となっているが、本文最後に、「The Great Concert」の国内最終日(慶山:3月4、5日)をこれからのように記しているので、記事はそれ以前に作成されたものと考えられる 。
(***)「The Great Concert」は、米ロスアンゼルスに次いで、9月に豪シドニーでも単独公演を予定している。
(本ブログ関連:”The Great Concert”)
ところで、3年前のことだが、コンサート(「歌う イ・ソンヒ」)の全国ツアーを終えたばかりの頃、スターニュース記事(2014年11月17日)は、「(イ・ソンヒの所属事務所の)フックエンターテインメント関係者は、17日のスターニュースに『全国ツアーを有する間にも、国内で公演した都市はもちろん、しなかった都市で年末コンサートなどアンコール公演を持つという提案を多数受けた』とし、『韓国を越えて、アメリカとオーストラリアなど海外でも単独コンサートをして欲しいという要望が殺到し、今も同じ』と伝えた。」と伝えている。
もしかしたら、今回の米・豪コンサートは、このような流れの中で計画、実現の運びになったのかもしれない。
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・「J 撫でる風に..J あなた想えば..」 そのとき、ラジオから流れ出た繊細ながらも切なかったその声。清く澄んでいるが心の琴線に響く声。このような修飾語を、一度にすべて持つことができる歌手は、大韓民国でイ・ソンヒしかいない。
(参考)イ・ソンヒのデビュー曲 「Jへ(J에게)」
(Youtubeに登録のjustine kellyに感謝)
・いよいよイ・ソンヒの声をLAで来る5月20日初めて直接聞くことができるようになった。デビューから30年を過ぎたイ・ソンヒだが、既成世代(社会の中心世代)には、いまだに彼女の初デビュー舞台がずっと鮮やかなままである。奇妙なギャザースカートに、やぼったかったポグルパーマ。顔の半分を覆ってしまうサングラスまで。歌唱力同様に、彼女のファッションは大衆に新鮮な衝撃を与えた。心地よいながら切ない声で聴衆の心をひたらせてしまったイ・ソンヒは、結局、1984年のMBC「江辺歌謡祭」で優勝を射止めた。
・そんな風にデビューしたイ・ソンヒは、歌謡界で新しいパラダイム(規範)を引き起こし始めた。正規(公式)アルバム*ただ一枚なくて、歌謡祭の出場曲だった「Jへ(J에게)」一曲で、その年の新人賞、人気歌謡賞などを含むすべての賞をさらった。保守的だった当時の放送界では、他放送会社でデビューした歌手に、その他の放送会社の活動を許諾しなかったにもかかわらず、MBC出身であるイ・ソンヒがKBSの新人賞を受賞する奇跡に近い歴史を記録した。
(*)彼女の正式アルバム第1集は、1984年のMBC「江辺歌謡祭」の翌年にリリースされた。
・のみならず、「女性歌手には男性ファンが多い」という偏見を打ち破ることで、チョー・ヨンピル(조용필)の「兄さん部隊」に次ぐ、イ・ソンヒの(女子学生だけのファンフループ)「姉さん部隊(언니부대)」を誕生させた。彼女のマスコットであった丸いメガネと、(ショート)カット・ヘヤスタイルは女子学生たちの間でとんでもない人気とともに、「イ・ソンヒ症候群(シンドローム)」を引き起こした。イ・ソンヒらしいボーイッシュな魅力で、彼女は男性ファンだけでなく、トムボーイ(Tomboy、おてんば娘)ファンたちを引き連れて全盛期を享受した。
・今とは違って、リップ・シンク(くちパク)が存在しなかったその時期、イ・ソンヒは澄んで力ある声で、多くの名曲を誕生させた。「Jへ」、「分かりたいです(알고 싶어요)」、「私いつもあなたを(나 항상 그대를)」、「秋の風(갈바람)」、「ヤング(영)」など、今聞いても全く野暮ったくない名曲は、いまも多くの愛(支持)を受けている。そのうちの1集に収録されている、はやいビートの曲である「あ! 昔よ(아 옛날이여)」を完ぺきに消化して、ジャンルがない(こだわらない)歌手であることを証明した。その他にも、シン・ジュンヒョン(신중현)の「美しい江山(아름다운 강산)」をリメークしてパワフルなボーカルを披露した。
・彼女の伝説は今なお書きつがれている。世界的な歌手たちにだけ与えられる栄光を、イ・ソンヒは、2011年、ニューヨークのカーネギーホールのメイン公演会場「アイザック・スターン オディトリアム」で享受した*。
(*)2011年2月3日夜、ニューヨークのカーネギー・ホールの全席完売している。
・イ・ソンヒは、2014年、(アルバム14集以来)5年という空白を破って、正規アルバム15集を発表した。デビュー30周年を記念するスペシャル アルバムでもって、イ・ソンヒはファンたちに「歌を聞く楽しみ」*を分かつために、5年の間、アルバムを準備したと明らかにした。そのうちの、タイトル曲「その中であなたに出会って(그 중에 그대를 만나)」は、曲は楽器配列(編成)を最小化して、イ・ソンヒのアピール力の濃厚な音色をそのままに再現した。
(*)2014年のコンサートタイトルは、「歌うイ・ソンヒ」だった。
・甘美なバラードから軽快でパワフルな音楽まで問題なく消化するイ・ソンヒならばこそ、ドラマと映画のO.S.Tでももれなく名をあげている。イ・ソンヒの初O.S.Tの開始点は、ドラマでも映画でもない、アニメ主題曲だった。80年代の老若男女漏れなく好きだった、国民漫画「走れハニー(달려라 하니)」の主題曲は、彼女の澄んで軽快な声で全国路地にこだました。
・2005年度に発表したイ・ソンヒの「因縁(인연)」という曲は、一千万の観客を動員した(映画)「王の男」に挿入され、多くの愛(支持)を受けた。彼女が直接作詞、作曲をした曲を以って、歌だけうまく歌う歌手ではない、シンガーソングライターの面目を見せたりもした。
・のみならず、視聴率21.0%(ニールセンコリア提供)で、盛況裡に放映を終えたSBSの水木ドラマ「青い海の伝説(푸른 바다의 전설)」 (イ・ミンホ、チョン・ジヒョン主演)のO.S.T 「風花(바람꽃)」を歌って各種音源チャート上位圏に進入した。ドラマと映画に出てくる主人公たちの感情を視聴者に伝達して「O.S.Tの女王」というタイトルを再度確実にした。
・最近では、芸能を通じてもファンとコミュニケートしている。(SBSの)サバイバル音楽番組「ファンタスティック・デュオ」に出演したイ・ソンヒは、一般人「朗朗18歳 イェジンお嬢さん」と共に舞台を作り上げて、5連勝を達成して名誉の卒業をした。最高の賛辞を受けたイ・ソンヒとイェジンお嬢さんの(歌う)「私はいつもあなたを」、「美しい江山」と、「思い出のページをめくれば」は、いまだ番組のレジェンド舞台として残っている。
・小さい体格にもかかわらず、パワフルな歌唱力のために、「小さな巨人」というニックネームを持っているイ・ソンヒは、本人自らも彼女の声は「天がくださった贈り物」と表現した。そんな夢のようなイ・ソンヒの声を、目前で聞くことができる機会がついに来たのだ。
・イ・ソンヒは、昨年9月、ソウルを始め大邱、全州、光州、(大田 )、釜山、仁川、高陽、昌原、水原、議政府、清州など、6ヶ月を経た全国ツアーを持っており、来る3月慶北(慶尚北道)の慶山を最後に国内公演を盛況裡に終了した。全国ツアーを終えたイ・ソンヒは、デビュー32周年をむかえて、(米国)LAの公演を始め、9月には豪州シドニーのオペラハウスでも公演を繰り広げ、本格ワールドツアーを上がる予定だ。
・現在、国内ツアー中の「The Great Concert 」(を含めて)イ・ソンヒは、2006年、(2009年)、2011年、2014年の公演で、4千席余の(ソウル)「世宗文化会館」が全回売り切れる記録的な名品コンサートの記録を立てた。音楽はもちろん、ファンに最高の舞台を見せようとするティーバ(歌姫)の情熱と細心ながらもダイナミックである舞台と演出は観客の胸に長らく残るだろう。そのお目見えが、来る5月20日の夕方7時、LA近郊のパーム スプリングスに位置したファンタジー・スプリングス リゾートで開かれる。
・イ・ソンヒは、「2017 The Great Concert イ・ソンヒ」 LA公演で、「分かりたいです」、「私たちは」*をはじめとして、「因縁」、「思い出のページをめくれば」、「美しい江山」などの珠玉のようなヒット曲を聞かせて、LAの米州韓人に思い出の旅行をプレゼントする予定だ。
(*)「私たちは(우리는)」(1986年)は、ソン・チャンシクの代表曲である。
(*) 昨年9月にソウルで開催した「The Great Concert」: コンサート・レポート
(**) 記事入力が3月13日となっているが、本文最後に、「The Great Concert」の国内最終日(慶山:3月4、5日)をこれからのように記しているので、記事はそれ以前に作成されたものと考えられる 。
(***)「The Great Concert」は、米ロスアンゼルスに次いで、9月に豪シドニーでも単独公演を予定している。
(本ブログ関連:”The Great Concert”)
ところで、3年前のことだが、コンサート(「歌う イ・ソンヒ」)の全国ツアーを終えたばかりの頃、スターニュース記事(2014年11月17日)は、「(イ・ソンヒの所属事務所の)フックエンターテインメント関係者は、17日のスターニュースに『全国ツアーを有する間にも、国内で公演した都市はもちろん、しなかった都市で年末コンサートなどアンコール公演を持つという提案を多数受けた』とし、『韓国を越えて、アメリカとオーストラリアなど海外でも単独コンサートをして欲しいという要望が殺到し、今も同じ』と伝えた。」と伝えている。
もしかしたら、今回の米・豪コンサートは、このような流れの中で計画、実現の運びになったのかもしれない。
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・「J 撫でる風に..J あなた想えば..」 そのとき、ラジオから流れ出た繊細ながらも切なかったその声。清く澄んでいるが心の琴線に響く声。このような修飾語を、一度にすべて持つことができる歌手は、大韓民国でイ・ソンヒしかいない。
(参考)イ・ソンヒのデビュー曲 「Jへ(J에게)」
(Youtubeに登録のjustine kellyに感謝)
・いよいよイ・ソンヒの声をLAで来る5月20日初めて直接聞くことができるようになった。デビューから30年を過ぎたイ・ソンヒだが、既成世代(社会の中心世代)には、いまだに彼女の初デビュー舞台がずっと鮮やかなままである。奇妙なギャザースカートに、やぼったかったポグルパーマ。顔の半分を覆ってしまうサングラスまで。歌唱力同様に、彼女のファッションは大衆に新鮮な衝撃を与えた。心地よいながら切ない声で聴衆の心をひたらせてしまったイ・ソンヒは、結局、1984年のMBC「江辺歌謡祭」で優勝を射止めた。
・そんな風にデビューしたイ・ソンヒは、歌謡界で新しいパラダイム(規範)を引き起こし始めた。正規(公式)アルバム*ただ一枚なくて、歌謡祭の出場曲だった「Jへ(J에게)」一曲で、その年の新人賞、人気歌謡賞などを含むすべての賞をさらった。保守的だった当時の放送界では、他放送会社でデビューした歌手に、その他の放送会社の活動を許諾しなかったにもかかわらず、MBC出身であるイ・ソンヒがKBSの新人賞を受賞する奇跡に近い歴史を記録した。
(*)彼女の正式アルバム第1集は、1984年のMBC「江辺歌謡祭」の翌年にリリースされた。
・のみならず、「女性歌手には男性ファンが多い」という偏見を打ち破ることで、チョー・ヨンピル(조용필)の「兄さん部隊」に次ぐ、イ・ソンヒの(女子学生だけのファンフループ)「姉さん部隊(언니부대)」を誕生させた。彼女のマスコットであった丸いメガネと、(ショート)カット・ヘヤスタイルは女子学生たちの間でとんでもない人気とともに、「イ・ソンヒ症候群(シンドローム)」を引き起こした。イ・ソンヒらしいボーイッシュな魅力で、彼女は男性ファンだけでなく、トムボーイ(Tomboy、おてんば娘)ファンたちを引き連れて全盛期を享受した。
・今とは違って、リップ・シンク(くちパク)が存在しなかったその時期、イ・ソンヒは澄んで力ある声で、多くの名曲を誕生させた。「Jへ」、「分かりたいです(알고 싶어요)」、「私いつもあなたを(나 항상 그대를)」、「秋の風(갈바람)」、「ヤング(영)」など、今聞いても全く野暮ったくない名曲は、いまも多くの愛(支持)を受けている。そのうちの1集に収録されている、はやいビートの曲である「あ! 昔よ(아 옛날이여)」を完ぺきに消化して、ジャンルがない(こだわらない)歌手であることを証明した。その他にも、シン・ジュンヒョン(신중현)の「美しい江山(아름다운 강산)」をリメークしてパワフルなボーカルを披露した。
・彼女の伝説は今なお書きつがれている。世界的な歌手たちにだけ与えられる栄光を、イ・ソンヒは、2011年、ニューヨークのカーネギーホールのメイン公演会場「アイザック・スターン オディトリアム」で享受した*。
(*)2011年2月3日夜、ニューヨークのカーネギー・ホールの全席完売している。
・イ・ソンヒは、2014年、(アルバム14集以来)5年という空白を破って、正規アルバム15集を発表した。デビュー30周年を記念するスペシャル アルバムでもって、イ・ソンヒはファンたちに「歌を聞く楽しみ」*を分かつために、5年の間、アルバムを準備したと明らかにした。そのうちの、タイトル曲「その中であなたに出会って(그 중에 그대를 만나)」は、曲は楽器配列(編成)を最小化して、イ・ソンヒのアピール力の濃厚な音色をそのままに再現した。
(*)2014年のコンサートタイトルは、「歌うイ・ソンヒ」だった。
・甘美なバラードから軽快でパワフルな音楽まで問題なく消化するイ・ソンヒならばこそ、ドラマと映画のO.S.Tでももれなく名をあげている。イ・ソンヒの初O.S.Tの開始点は、ドラマでも映画でもない、アニメ主題曲だった。80年代の老若男女漏れなく好きだった、国民漫画「走れハニー(달려라 하니)」の主題曲は、彼女の澄んで軽快な声で全国路地にこだました。
・2005年度に発表したイ・ソンヒの「因縁(인연)」という曲は、一千万の観客を動員した(映画)「王の男」に挿入され、多くの愛(支持)を受けた。彼女が直接作詞、作曲をした曲を以って、歌だけうまく歌う歌手ではない、シンガーソングライターの面目を見せたりもした。
・のみならず、視聴率21.0%(ニールセンコリア提供)で、盛況裡に放映を終えたSBSの水木ドラマ「青い海の伝説(푸른 바다의 전설)」 (イ・ミンホ、チョン・ジヒョン主演)のO.S.T 「風花(바람꽃)」を歌って各種音源チャート上位圏に進入した。ドラマと映画に出てくる主人公たちの感情を視聴者に伝達して「O.S.Tの女王」というタイトルを再度確実にした。
・最近では、芸能を通じてもファンとコミュニケートしている。(SBSの)サバイバル音楽番組「ファンタスティック・デュオ」に出演したイ・ソンヒは、一般人「朗朗18歳 イェジンお嬢さん」と共に舞台を作り上げて、5連勝を達成して名誉の卒業をした。最高の賛辞を受けたイ・ソンヒとイェジンお嬢さんの(歌う)「私はいつもあなたを」、「美しい江山」と、「思い出のページをめくれば」は、いまだ番組のレジェンド舞台として残っている。
・小さい体格にもかかわらず、パワフルな歌唱力のために、「小さな巨人」というニックネームを持っているイ・ソンヒは、本人自らも彼女の声は「天がくださった贈り物」と表現した。そんな夢のようなイ・ソンヒの声を、目前で聞くことができる機会がついに来たのだ。
・イ・ソンヒは、昨年9月、ソウルを始め大邱、全州、光州、(大田 )、釜山、仁川、高陽、昌原、水原、議政府、清州など、6ヶ月を経た全国ツアーを持っており、来る3月慶北(慶尚北道)の慶山を最後に国内公演を盛況裡に終了した。全国ツアーを終えたイ・ソンヒは、デビュー32周年をむかえて、(米国)LAの公演を始め、9月には豪州シドニーのオペラハウスでも公演を繰り広げ、本格ワールドツアーを上がる予定だ。
・現在、国内ツアー中の「The Great Concert 」(を含めて)イ・ソンヒは、2006年、(2009年)、2011年、2014年の公演で、4千席余の(ソウル)「世宗文化会館」が全回売り切れる記録的な名品コンサートの記録を立てた。音楽はもちろん、ファンに最高の舞台を見せようとするティーバ(歌姫)の情熱と細心ながらもダイナミックである舞台と演出は観客の胸に長らく残るだろう。そのお目見えが、来る5月20日の夕方7時、LA近郊のパーム スプリングスに位置したファンタジー・スプリングス リゾートで開かれる。
・イ・ソンヒは、「2017 The Great Concert イ・ソンヒ」 LA公演で、「分かりたいです」、「私たちは」*をはじめとして、「因縁」、「思い出のページをめくれば」、「美しい江山」などの珠玉のようなヒット曲を聞かせて、LAの米州韓人に思い出の旅行をプレゼントする予定だ。
(*)「私たちは(우리는)」(1986年)は、ソン・チャンシクの代表曲である。
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2017年3月15日水曜日
KBS WORLD「国楽の世界へ」 つつじの花
KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(3/8)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、「つつじの花(진달래꽃)」に関連した曲を紹介した。
始めに、詩人金素月(김소월、1902年~1934年)の「つつじの花」の詩について次のように紹介された。
・詩にさほど興味がなくても、だれもが知る作品がある。金素月の詩「つつじの花」もそうだ。韓国人が好きな詩のトップを争うこの詩を、始めから終わりまで謳える人も多い。「私が嫌いになって/去って行かれるなら/何も言わずに行かせて差し上げます」に始まり、後半を「つつじの花を//その道筋にまき散らし//自分は絶対涙など見せない」と語る、易しい表現の短詩だが心に響く。多くの作曲家が、この詩に曲を付けている。
▼ 「つつじの花」の歌を聴く。金素月の詩を、古い西の彼方の民謡のように素朴に歌う。
次に、金素月の「つつじの花」の詩を収めた、唯一の詩集「つつじの花」について次のように紹介された。
・金素月の唯一の詩集「つつじの花」に載る「つつじの花」の詩は、高麗の歌謡曲「帰乎曲(가시리)」、および「アリラン」と共に代表的な別れの歌だ。1922年発表の「つつじの花」の詩は、3年後発行の詩集で一部表現が変わる。詩中、「寧邊に薬山/つつじの花」とある「寧邊」は、北部の平安道の地名で、「薬山」は同地の山名だ。薬草が多く、体に良い水が湧くことで薬山と呼ばれる。山が険しく、「平安道で外敵を防御できるところはここしかない」という記録もある。その景色は美しく、春には赤いつつじが薬山を覆い、燃えているような壮観さという。
▼寧邊の歌「寧邊歌(영변가)」を聴く。薬山東台の美しい景色と人生の無常を・・・賑やかに歌っている。
最後に、「寧邊の薬山」の意と、金素月の詩集「つつじの花」初版本の文化財登録について次のように紹介された。
・「寧邊歌」は、1節が「寧邊の薬山」と始まるため「寧邊歌」と名付けられた。薬山のつつじの花を知る人なら、その一区切りだけで風流と別れの歌と気付くはず。それを現代風にしたのが詩人金素月だ。彼の詩集「つつじの花」は、1925年の初版が4点が現存し、文化財に登録されている。美しいだけでなく、子供たちのおやつ(花煎、화전)になる花でもある。
▼ 擦弦楽器ヘグム演奏による「つつじ」を聴く。ヘグムはビオラに似て深く掴み入るよう・・・今様に。
始めに、詩人金素月(김소월、1902年~1934年)の「つつじの花」の詩について次のように紹介された。
・詩にさほど興味がなくても、だれもが知る作品がある。金素月の詩「つつじの花」もそうだ。韓国人が好きな詩のトップを争うこの詩を、始めから終わりまで謳える人も多い。「私が嫌いになって/去って行かれるなら/何も言わずに行かせて差し上げます」に始まり、後半を「つつじの花を//その道筋にまき散らし//自分は絶対涙など見せない」と語る、易しい表現の短詩だが心に響く。多くの作曲家が、この詩に曲を付けている。
▼ 「つつじの花」の歌を聴く。金素月の詩を、古い西の彼方の民謡のように素朴に歌う。
次に、金素月の「つつじの花」の詩を収めた、唯一の詩集「つつじの花」について次のように紹介された。
・金素月の唯一の詩集「つつじの花」に載る「つつじの花」の詩は、高麗の歌謡曲「帰乎曲(가시리)」、および「アリラン」と共に代表的な別れの歌だ。1922年発表の「つつじの花」の詩は、3年後発行の詩集で一部表現が変わる。詩中、「寧邊に薬山/つつじの花」とある「寧邊」は、北部の平安道の地名で、「薬山」は同地の山名だ。薬草が多く、体に良い水が湧くことで薬山と呼ばれる。山が険しく、「平安道で外敵を防御できるところはここしかない」という記録もある。その景色は美しく、春には赤いつつじが薬山を覆い、燃えているような壮観さという。
▼寧邊の歌「寧邊歌(영변가)」を聴く。薬山東台の美しい景色と人生の無常を・・・賑やかに歌っている。
最後に、「寧邊の薬山」の意と、金素月の詩集「つつじの花」初版本の文化財登録について次のように紹介された。
・「寧邊歌」は、1節が「寧邊の薬山」と始まるため「寧邊歌」と名付けられた。薬山のつつじの花を知る人なら、その一区切りだけで風流と別れの歌と気付くはず。それを現代風にしたのが詩人金素月だ。彼の詩集「つつじの花」は、1925年の初版が4点が現存し、文化財に登録されている。美しいだけでなく、子供たちのおやつ(花煎、화전)になる花でもある。
▼ 擦弦楽器ヘグム演奏による「つつじ」を聴く。ヘグムはビオラに似て深く掴み入るよう・・・今様に。
2017年3月14日火曜日
春よ、来い
民家の庭先にそびえる「ハクモクレン」の木が、まるで蝋燭立てを飾るよう白い花を咲かせている。始めは小さかったものが、花弁を膨らませ包むようにして、次第に花先を天空に向けて咲き誇る。こうなると壮観で、毎年この時期が楽しみである。
花の固まり具合と上向き加減からハクモクレンと思っている。そこの主が、長い庭木バサミで枝を切り取っているのと出会うことがあるので、正式な樹木名を聞いてみたい気もするが、なんとなく面倒になり通り過ぎてしまう。
ネットで確認したところ、モクレン、ハクモクレン、コブシについて違いを解説しているブログがあって、自分の解釈通りハクモクレンで正解のようだ。
今日は雨模様の一日だったが、ようやく落ち着いた。それでも、明日まで気温は冷え切って、例年通りの春に成るには時間が要るようだ。先日聞いた天気予報では、3月いっぱいかかるという。三寒四温の陽射しにその気になるが春はまだ遠い。
松任谷由実作詞、作曲の歌「春よ、来い」(1994年)を聴く。おっと、沈丁花の花に始まり、ハクモクレンについてなにもないけれど、春を待つ気持ちなんだから・・・いいではないか。
(Youtubeに登録のhigh_note Music Loungeに感謝)
花の固まり具合と上向き加減からハクモクレンと思っている。そこの主が、長い庭木バサミで枝を切り取っているのと出会うことがあるので、正式な樹木名を聞いてみたい気もするが、なんとなく面倒になり通り過ぎてしまう。
ネットで確認したところ、モクレン、ハクモクレン、コブシについて違いを解説しているブログがあって、自分の解釈通りハクモクレンで正解のようだ。
今日は雨模様の一日だったが、ようやく落ち着いた。それでも、明日まで気温は冷え切って、例年通りの春に成るには時間が要るようだ。先日聞いた天気予報では、3月いっぱいかかるという。三寒四温の陽射しにその気になるが春はまだ遠い。
松任谷由実作詞、作曲の歌「春よ、来い」(1994年)を聴く。おっと、沈丁花の花に始まり、ハクモクレンについてなにもないけれど、春を待つ気持ちなんだから・・・いいではないか。
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2017年3月13日月曜日
サンシュユ、ハナモモ
空からの鈍い明りしかない冷えびえとした公園に、われながら物好きと思いつつ散歩に出かけた。もちろん人影はまばらだった。
先月中旬に「梅まつり」を終えた梅林を訪ねてみた。閑散とした光景を想像していたが、なんと7割方の木々に紅梅、白梅を残していた。花はいかばかりと寄ってみなければ、こんな景色を知ることはなかったろう。盛りを過ぎているが、それでも梅林に入ると花の香りを一瞬感じたりした。
ところで梅林の外縁には、以前、「ロウバイ(蝋梅)」、「ミツマタ(三椏)」が咲いていたが、今回は「サンシュユ(山茱萸)」、「ハナモモ(花桃)」に代わっていた。
特に、サンシュユの木の全体を、黄色の小さな塊りが覆っているのが目に付く。そう思って見回すと、あちこちに黄色の花したサンシュユの木があるのに気付いた。
地面から幹を二つに分けてスッと伸びたハナモモの木は、名前から連想する桃色とは違い、白色の花が全体を飾っていた。その落ち着いた色振りが、かえって愛らしさを増していた。今回、ハナモモの木を一つだけ目にした。サンシュユと合わせて、この時期に来なければ、今まで同様に気付かずに終わっていたかもしれない。
(本ブログ関連:”蝋梅”、”ミツマタ”、”サンシュユ”)
先月中旬に「梅まつり」を終えた梅林を訪ねてみた。閑散とした光景を想像していたが、なんと7割方の木々に紅梅、白梅を残していた。花はいかばかりと寄ってみなければ、こんな景色を知ることはなかったろう。盛りを過ぎているが、それでも梅林に入ると花の香りを一瞬感じたりした。
ところで梅林の外縁には、以前、「ロウバイ(蝋梅)」、「ミツマタ(三椏)」が咲いていたが、今回は「サンシュユ(山茱萸)」、「ハナモモ(花桃)」に代わっていた。
特に、サンシュユの木の全体を、黄色の小さな塊りが覆っているのが目に付く。そう思って見回すと、あちこちに黄色の花したサンシュユの木があるのに気付いた。
地面から幹を二つに分けてスッと伸びたハナモモの木は、名前から連想する桃色とは違い、白色の花が全体を飾っていた。その落ち着いた色振りが、かえって愛らしさを増していた。今回、ハナモモの木を一つだけ目にした。サンシュユと合わせて、この時期に来なければ、今まで同様に気付かずに終わっていたかもしれない。
(本ブログ関連:”蝋梅”、”ミツマタ”、”サンシュユ”)
2017年3月12日日曜日
お水取り
この時期、気になるのが、奈良「東大寺」で3月1日から2週間行なわれる「修二会(しゅにえ)」*の中の「お水取り」の行事だ。今晩、庶民にとっては一番のクライマックスだが、関西のことゆえなかなか聞こえてこない。
(*)修二会:1250有余年の歴史を持つという。関わった僧侶たちの顔々を想像すると歴史の重みが増してくる。
「お水取り」には、庶民に春を知らせ健康安全を分ける「お松明(たいまつ)」がある。長い竹竿の先に火を灯した松明を、「童子」**が「二月堂」の(バルコニー風の)舞台を小走りしながら欄干の先で揺すって火の粉を撒く。人びとは、二月堂の下に群がり、火の粉を求める(高い舞台から落ちるので、燃えかすになっていて火傷の心配はない・・・直に浴びることもない)。
(**)童子: 童子といっても子どもではない。
これまで、「お水取り」に3度ばかり行ったことがある。1度目は仕事を早めに終わらせて新幹線で駆けつけた。2度目はそれが間に合わず、夜の奈良公園の屋台で、生姜風味の効いた甘酒を飲んだ。3度目は、無理せずツアーに参加してゆっくり楽しんだ(これは実に楽ちんだった)。
今年こそはと思いながら、間際になって気付き残念がる、そんなことを繰り返してきた。今年はだめだったが、来年はきっと行こう・・・と。来年、どうしようか。
(本ブログ関連:”お水取り”)
(Youtubeに登録の朝日新聞に感謝)
(*)修二会:1250有余年の歴史を持つという。関わった僧侶たちの顔々を想像すると歴史の重みが増してくる。
「お水取り」には、庶民に春を知らせ健康安全を分ける「お松明(たいまつ)」がある。長い竹竿の先に火を灯した松明を、「童子」**が「二月堂」の(バルコニー風の)舞台を小走りしながら欄干の先で揺すって火の粉を撒く。人びとは、二月堂の下に群がり、火の粉を求める(高い舞台から落ちるので、燃えかすになっていて火傷の心配はない・・・直に浴びることもない)。
(**)童子: 童子といっても子どもではない。
これまで、「お水取り」に3度ばかり行ったことがある。1度目は仕事を早めに終わらせて新幹線で駆けつけた。2度目はそれが間に合わず、夜の奈良公園の屋台で、生姜風味の効いた甘酒を飲んだ。3度目は、無理せずツアーに参加してゆっくり楽しんだ(これは実に楽ちんだった)。
今年こそはと思いながら、間際になって気付き残念がる、そんなことを繰り返してきた。今年はだめだったが、来年はきっと行こう・・・と。来年、どうしようか。
(本ブログ関連:”お水取り”)
(Youtubeに登録の朝日新聞に感謝)
2017年3月11日土曜日
(雑談)花粉症
花粉症に、若いときから悩まされてきた。目のかゆみは留まることがなく、目頭の奥深くかゆみが増し、目尻はひりひりする。困ったことに、指で掻いたりこすったりするうちに結膜炎になったりもした。
(本ブログ関連:”花粉症”)
鼻の方も大変で、鼻水は止まらず、ティッシュのせいで鼻孔が赤く腫れ、クシャミが始まると、けたたましいほどうるさく連発する。電車内だと、周りの乗客に気遣いして途方にくれる。耳鼻科と眼科に何度お世話になったことか。
それが、最近、歳とともに花粉症が弱まってきている。抗原に対する感度が鈍くなったというだけかもしれないが。ここ数年、年初に喘息もどきの咳込みがあって、体が花粉症どころでなかったからかもしれない。おかげで、花粉症を乗り切ってきた。
今年の初めも、軽い咳込みがあって喘息を心配したが、以前と比べて軽症だった。その分、反動だろうか、今頃になって花粉症の予兆を感じる。何となく鼻水が、何となく涙目に、何となくくしゃみが出やすくなっている。
もしかしたら、少し若返ったのかもしれない。それなら幸いだが・・・。
(本ブログ関連:”花粉症”)
鼻の方も大変で、鼻水は止まらず、ティッシュのせいで鼻孔が赤く腫れ、クシャミが始まると、けたたましいほどうるさく連発する。電車内だと、周りの乗客に気遣いして途方にくれる。耳鼻科と眼科に何度お世話になったことか。
それが、最近、歳とともに花粉症が弱まってきている。抗原に対する感度が鈍くなったというだけかもしれないが。ここ数年、年初に喘息もどきの咳込みがあって、体が花粉症どころでなかったからかもしれない。おかげで、花粉症を乗り切ってきた。
今年の初めも、軽い咳込みがあって喘息を心配したが、以前と比べて軽症だった。その分、反動だろうか、今頃になって花粉症の予兆を感じる。何となく鼻水が、何となく涙目に、何となくくしゃみが出やすくなっている。
もしかしたら、少し若返ったのかもしれない。それなら幸いだが・・・。
2017年3月10日金曜日
イ・ソンヒ「あなたの香り」
イ・ソンヒのアルバム14集に所収の「あなたの香り(그대 향기)」(作詞クォン・ジンヨン、イ・ソンヒ、作曲イ・ソンヒ、編曲チェ・テワン、2009年)は、柔らかな春の陽射しを浴びながら軽やかに歌う恋歌で、冬を乗り越えた自信を感じる。
(本ブログ関連:”あなたの香り”)
イ・ソンヒには、寄りかからず媚びることもしない、そして自意識を透けて見せつける必要もない余裕がある。彼女と近い世代の女性たちにとって、それは彼女と結び合わせる共感になっているだろう。おじさんも人混みの中で、彼女の雰囲気をふと気付かされることがある。ぶれない清潔さほど凛として美しいものはない。
*あなたはなつかしい愛でしょう
なつかしさは 愛と同じ
重さに耐え切れなかったなつかしさ
風に乗せてみます
聞こえますか 私の心の声
届くように差しあげる祈り
**陽射しあふれる ある春に
私たちのまた会える日を
忘れずに覚えます
あなたを待つでしょう
踊る春風に乗った
あなたの香り思い出します
なつかしさは愛になって
あなたに届くでしょう
(*以下すべて繰り返し)
(**以下繰り返し)
あなたに届くでしょう
(Youtubeに登録のlys2187に感謝)
(本ブログ関連:”あなたの香り”)
イ・ソンヒには、寄りかからず媚びることもしない、そして自意識を透けて見せつける必要もない余裕がある。彼女と近い世代の女性たちにとって、それは彼女と結び合わせる共感になっているだろう。おじさんも人混みの中で、彼女の雰囲気をふと気付かされることがある。ぶれない清潔さほど凛として美しいものはない。
*あなたはなつかしい愛でしょう
なつかしさは 愛と同じ
重さに耐え切れなかったなつかしさ
風に乗せてみます
聞こえますか 私の心の声
届くように差しあげる祈り
**陽射しあふれる ある春に
私たちのまた会える日を
忘れずに覚えます
あなたを待つでしょう
踊る春風に乗った
あなたの香り思い出します
なつかしさは愛になって
あなたに届くでしょう
(*以下すべて繰り返し)
(**以下繰り返し)
あなたに届くでしょう
(Youtubeに登録のlys2187に感謝)
2017年3月9日木曜日
(雑談)字下手
雑談というより愚痴に近いことだが、端正な(きれいで読みやすい)文字を書くことができない。
元々、書字が上手といわれたこともないし、自分で上手いと思ったこともない。会議資料を読みやすいように心がけたが、オフィスのPC利用が進むと、手書き書類の必要性が全くといっていいほどなくなった。
それでも、会議やセミナーなどで、自分のノートにメモをとる必要がある。気付くのは、自筆の文字の汚さだ。なぐったような文字になる。電子化で、漢字を忘れる問題より深刻だ。
歳をとると、握力の衰えからか、ますます悪筆になった。文字を大きく書くと、その崩れ方のひどさ加減にうなる・・・というか、愕然とする。そこで最近は、下手さを誤魔化すように、できるだけ小さく書くように心がけている。
ところで市民教室で、同じ時間、同じ内容を聞いているのに、実にきれいにノートに書写されている方がいるが、不思議でならない。余程に、早く整然と書く(手や指を動かす)ことができるのだろう。
教室で書いたノートを見直すとき、意味不明なことがある。決してうつらうつらしながら書いたわけではないのに。悪筆のせいだけだろうか・・・。
元々、書字が上手といわれたこともないし、自分で上手いと思ったこともない。会議資料を読みやすいように心がけたが、オフィスのPC利用が進むと、手書き書類の必要性が全くといっていいほどなくなった。
それでも、会議やセミナーなどで、自分のノートにメモをとる必要がある。気付くのは、自筆の文字の汚さだ。なぐったような文字になる。電子化で、漢字を忘れる問題より深刻だ。
歳をとると、握力の衰えからか、ますます悪筆になった。文字を大きく書くと、その崩れ方のひどさ加減にうなる・・・というか、愕然とする。そこで最近は、下手さを誤魔化すように、できるだけ小さく書くように心がけている。
ところで市民教室で、同じ時間、同じ内容を聞いているのに、実にきれいにノートに書写されている方がいるが、不思議でならない。余程に、早く整然と書く(手や指を動かす)ことができるのだろう。
教室で書いたノートを見直すとき、意味不明なことがある。決してうつらうつらしながら書いたわけではないのに。悪筆のせいだけだろうか・・・。
2017年3月8日水曜日
KBS WORLD「国楽の世界へ」 アリラン
KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(3/1)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、「アリラン(아리랑)」に関連した曲を紹介した。(本放送を未聴のため英語版紹介を参照した)
※ 朝鮮民謡として知られる「アリラン」については、今まで繰り返し詳細に放送でされている。重複を避けたが、次の「本ブログ関連」のリンク先で従前の内容を確認することができる。
(本ブログ関連:”アリラン”)
記録に残る「アリラン」の歌の採集について次のように紹介されている。
・ホーマー・ハルバート(Homer Hulbert、1863年~1949年)は、20世紀初頭、朝鮮王朝の最後に米国から来た宣教師(歴史家、言語学者)で、政治的困難な時代の高宗を(外交顧問となり)助けた。(1905年の「第二次日韓協約(乙巳条約)」締結の際、それに抗して密使として米国に渡る)
彼はまた、「アリラン」を楽譜に書き写した最初の人物であり、「朝鮮の人々の主要な歌」として西洋に公開した。
・音声学者ヴィルヘルム・デーゲン(Wilhelm Albert Doegen、1877年~1967年)は、第一次世界大戦中の1915年、プロイセン蓄音委員会の委託を受け、民族学研究として、ドイツの捕虜収容所に収容された様々な民族兵士の言語と民謡を録音した(215民族の音声などを収集)。ドイツ当局が録音した曲に、ロシアに従軍した朝鮮(高麗)系兵士によって歌われた「アリラン」があった。最も不確かで恐ろしい状況でも、「アリラン」が朝鮮人のアイデンティティを維持するのを助けた歌であることを示した。
※ 朝鮮民謡として知られる「アリラン」については、今まで繰り返し詳細に放送でされている。重複を避けたが、次の「本ブログ関連」のリンク先で従前の内容を確認することができる。
(本ブログ関連:”アリラン”)
記録に残る「アリラン」の歌の採集について次のように紹介されている。
・ホーマー・ハルバート(Homer Hulbert、1863年~1949年)は、20世紀初頭、朝鮮王朝の最後に米国から来た宣教師(歴史家、言語学者)で、政治的困難な時代の高宗を(外交顧問となり)助けた。(1905年の「第二次日韓協約(乙巳条約)」締結の際、それに抗して密使として米国に渡る)
彼はまた、「アリラン」を楽譜に書き写した最初の人物であり、「朝鮮の人々の主要な歌」として西洋に公開した。
・音声学者ヴィルヘルム・デーゲン(Wilhelm Albert Doegen、1877年~1967年)は、第一次世界大戦中の1915年、プロイセン蓄音委員会の委託を受け、民族学研究として、ドイツの捕虜収容所に収容された様々な民族兵士の言語と民謡を録音した(215民族の音声などを収集)。ドイツ当局が録音した曲に、ロシアに従軍した朝鮮(高麗)系兵士によって歌われた「アリラン」があった。最も不確かで恐ろしい状況でも、「アリラン」が朝鮮人のアイデンティティを維持するのを助けた歌であることを示した。
(雑談)本当は誰なの
世の中には可笑しな話がある。先日、ある映画の上映会に出かけた途中、商店街で見かけた<たい焼き屋>の看板が「天然たいやき」と銘打っていた 。客が数人並び、まさに採れたてのたい焼きを待っていたのだ。
<出自>を天然と誇るたい焼きがあるのなら、筒井康隆の短編に、<出自>を「本家」・「元祖」と競うターザンが登場するスラップスティック・コメディがある。観光地の名産みやげ物屋に見かけるものだ。また、見世物小屋で有名な話だが、由緒正しき「義経幼少のみぎりの頭蓋骨」なんてものもある。脱皮するヘビだって、骨まで次々と残さない。
落語に、自分の死体を引き取りに行く「粗忽長屋(そこつながや)」がある。お前の死体を見つけたと知らせるやつも粗忽だが、真に受けて取りに行くのも・・・。しまいに、死体を運んでいる自分が誰だか分からなくなる。あるいは、自分の頭にできた池に最後に身を投じる「頭山(あたまやま)」もそうだ。池に沈んだのは自分なのかどうか、これも分からなくなるだろう。
まあ、こうやって話を眺めているうちはいいけれど、自分が誰か分からなくなることもあれば、自分以外、誰も分からなくなることもあるだろう。この場合はもっと切実なことだ。必死に自分を取り戻したい気持ちがよく分かる。
もしかしたら、映画「怪しい彼女」のファンタジーは、おばあちゃんが孫に輸血するとき見た一瞬の夢だったかもしれない。若いときの自分を取り戻したかったのかもしれない。
(本ブログ関連:”怪しい彼女”)
<出自>を天然と誇るたい焼きがあるのなら、筒井康隆の短編に、<出自>を「本家」・「元祖」と競うターザンが登場するスラップスティック・コメディがある。観光地の名産みやげ物屋に見かけるものだ。また、見世物小屋で有名な話だが、由緒正しき「義経幼少のみぎりの頭蓋骨」なんてものもある。脱皮するヘビだって、骨まで次々と残さない。
落語に、自分の死体を引き取りに行く「粗忽長屋(そこつながや)」がある。お前の死体を見つけたと知らせるやつも粗忽だが、真に受けて取りに行くのも・・・。しまいに、死体を運んでいる自分が誰だか分からなくなる。あるいは、自分の頭にできた池に最後に身を投じる「頭山(あたまやま)」もそうだ。池に沈んだのは自分なのかどうか、これも分からなくなるだろう。
まあ、こうやって話を眺めているうちはいいけれど、自分が誰か分からなくなることもあれば、自分以外、誰も分からなくなることもあるだろう。この場合はもっと切実なことだ。必死に自分を取り戻したい気持ちがよく分かる。
もしかしたら、映画「怪しい彼女」のファンタジーは、おばあちゃんが孫に輸血するとき見た一瞬の夢だったかもしれない。若いときの自分を取り戻したかったのかもしれない。
(本ブログ関連:”怪しい彼女”)
2017年3月7日火曜日
イ・ソンヒの「見知らぬ海辺で」
イ・ソンヒの11集所収の「見知らぬ海辺で(낯선 바닷가에서)」(1998年、作詞イ・ジェギョン、作曲バク・セジュン)は、決断に戸惑う女性の熱情の深さを歌う。歌の場面に海辺が選ばれたわけだが、彼女は、このミュージックビデオ(MV)撮影中に負傷する事故に見舞われる(Ko-Wikipediaにさらりと触れている)。
(本ブログ関連:”見知らぬ海辺で”)
では、「見知らぬ海辺」のMVはどんな映像だったのだろうか、そして事故はどんな様子だったのだろうか気になっていた。それを知ることのできるYoutubeの登録がある。コメント欄(Jeong Jade)に書き込みもあって、検証したわけでないが、事故内容を次のように記している。
------------------------------------------------
これを撮っている途中、ベンチの後にあるあの電灯が倒れて、そこに頭を真正面に受けてしまった.. おかげで、このアルバム活動をきちんとすることができなかったんですよ。
------------------------------------------------
事故の状況どうやら見えてきた気がする。負傷の程度は不明だが、大事故にいたらなかったのかもしれない(いやいや大変だったはず)。映像で、浪が寄せて来る場面に一瞬ひやりとするものがあるが(浪が、電灯の倒れに加速をつけたかも知れない)・・・。
MVにはめがね姿のイ・ソンヒと、それをはずしたイ・ソンヒが、対比するように登場する。
あなたを全て忘れるため、ここまで来たのよ
空が、青い海と出会う場所に
一つずつ思い出を取り出して、もう二度と私の心に込められぬよう
そう、あなたを私も捨てたくて、私のこころから去ってよ (ha~)
たとえ、こんなに、あなたを押しやってみても、戻ってくる
白い波のように、もう一度探しに来て
あなたもまた心に、まだ私がいるのなら、私に帰ってきて
昔のように、私を愛してよ
_______
一人残った時間は、恐ろしい沈黙になってしまって
たとえ私がいやだといっても、別れのときだったの (ha~)
この世の全ては、あなたから始まって、あなたがいない
私の現実という、深い悪夢だけよ
帰ってきて、私のそばに、私の手を握って
私の息が尽きるその日まで、あなたを待っているわ (ha~)
(Youtubeに登録のWSSIM2016に感謝)
(本ブログ関連:”見知らぬ海辺で”)
では、「見知らぬ海辺」のMVはどんな映像だったのだろうか、そして事故はどんな様子だったのだろうか気になっていた。それを知ることのできるYoutubeの登録がある。コメント欄(Jeong Jade)に書き込みもあって、検証したわけでないが、事故内容を次のように記している。
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これを撮っている途中、ベンチの後にあるあの電灯が倒れて、そこに頭を真正面に受けてしまった.. おかげで、このアルバム活動をきちんとすることができなかったんですよ。
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事故の状況どうやら見えてきた気がする。負傷の程度は不明だが、大事故にいたらなかったのかもしれない(いやいや大変だったはず)。映像で、浪が寄せて来る場面に一瞬ひやりとするものがあるが(浪が、電灯の倒れに加速をつけたかも知れない)・・・。
MVにはめがね姿のイ・ソンヒと、それをはずしたイ・ソンヒが、対比するように登場する。
あなたを全て忘れるため、ここまで来たのよ
空が、青い海と出会う場所に
一つずつ思い出を取り出して、もう二度と私の心に込められぬよう
そう、あなたを私も捨てたくて、私のこころから去ってよ (ha~)
たとえ、こんなに、あなたを押しやってみても、戻ってくる
白い波のように、もう一度探しに来て
あなたもまた心に、まだ私がいるのなら、私に帰ってきて
昔のように、私を愛してよ
_______
一人残った時間は、恐ろしい沈黙になってしまって
たとえ私がいやだといっても、別れのときだったの (ha~)
この世の全ては、あなたから始まって、あなたがいない
私の現実という、深い悪夢だけよ
帰ってきて、私のそばに、私の手を握って
私の息が尽きるその日まで、あなたを待っているわ (ha~)
(Youtubeに登録のWSSIM2016に感謝)
2017年3月6日月曜日
(童話)自分はどっち
思考ゲームみたいな童話。先日触れた、母語イディッシュ語が主体である作家アイザック・バシェヴィス・シンガーの童話集「お話を運んだ馬」(岩波少年文庫)に、「自分はネコだと思っていた犬と/自分は犬だと思っていたネコのお話」がある。
(本ブログ関連:”イディッシュ語”)
貧しい農家を行商人が訪れた。農家の主婦が、無理して「鏡」を買ってしまうことから、家族だけでなく、飼い犬とネコまで巻き込んだ大騒ぎになる。そこで、題名の犬とネコの騒動にしぼる。
元々、犬とネコの2匹は、自分たち以外の動物を知らない。だから自分は互いに相手と同じ生き物だと思っている。犬はネコを見ていて、自分も同じ姿のネコだと思っているし、ネコは犬を見ていて、自分も同じ姿の犬だと思っている。そこに、「鏡」が置かれたのだ。
犬は「鏡」の中の犬の姿に驚き吠え、ネコは「鏡」の中のネコの姿に驚きつかみかかる。自分にとって見たことのない動物が突然現れたのだから。やがて興奮は高まり、収拾がつかなくなった犬とネコの2匹は、生まれて初めて飼い主も慌てるほどの本格的な取っ組み合いをする。
「鏡」に映った本当の姿を知ったとき、それを事実として受け止められない大混乱の結果、犬は屋外に、ネコは家の中に置かれた。一方、「鏡」は人間にも欲望を混乱させた・・・。結局、行商人に「鏡」を返すことになる。
考えてみれば、私も鏡無しに直接自分の姿を見たことはない。
(付記)
享保の改革で、郷土史で知られる川崎平右衛門(定孝)の武蔵野新田開発に焦点をあてた講演があった。武蔵野の名主の長男に生まれたが家督を弟に譲り、幕府の行政官として武蔵野新田開発だけでなく、後に、美濃の国の治水、石見銀山の鉱山経営に功績を残した。
(本ブログ関連:”イディッシュ語”)
貧しい農家を行商人が訪れた。農家の主婦が、無理して「鏡」を買ってしまうことから、家族だけでなく、飼い犬とネコまで巻き込んだ大騒ぎになる。そこで、題名の犬とネコの騒動にしぼる。
元々、犬とネコの2匹は、自分たち以外の動物を知らない。だから自分は互いに相手と同じ生き物だと思っている。犬はネコを見ていて、自分も同じ姿のネコだと思っているし、ネコは犬を見ていて、自分も同じ姿の犬だと思っている。そこに、「鏡」が置かれたのだ。
犬は「鏡」の中の犬の姿に驚き吠え、ネコは「鏡」の中のネコの姿に驚きつかみかかる。自分にとって見たことのない動物が突然現れたのだから。やがて興奮は高まり、収拾がつかなくなった犬とネコの2匹は、生まれて初めて飼い主も慌てるほどの本格的な取っ組み合いをする。
「鏡」に映った本当の姿を知ったとき、それを事実として受け止められない大混乱の結果、犬は屋外に、ネコは家の中に置かれた。一方、「鏡」は人間にも欲望を混乱させた・・・。結局、行商人に「鏡」を返すことになる。
考えてみれば、私も鏡無しに直接自分の姿を見たことはない。
(付記)
享保の改革で、郷土史で知られる川崎平右衛門(定孝)の武蔵野新田開発に焦点をあてた講演があった。武蔵野の名主の長男に生まれたが家督を弟に譲り、幕府の行政官として武蔵野新田開発だけでなく、後に、美濃の国の治水、石見銀山の鉱山経営に功績を残した。
2017年3月5日日曜日
啓蟄 2017
小学校の垣根に沿って行けば、そこには「沈丁花」の小さな花が身を包むように咲き、甘い香りを漂わせていた。昼間のことだから、先に花の姿が目に入り、夜道のときのような香りに気付く驚きにはならなかったが、それでも充分春らしい風情を感じた。
今日は二十四節気の「啓蟄」。陽気に誘われて穴から虫が這い出る時候だそうだ。確かに昼は暖かくなった。でも、風が吹けば少々肌寒いし、夜ともなれば冬の気分が抜けきれない。暑苦しさを感じながら、今もストーブを点けている・・・反省が足りない。
(本ブログ関連:”沈丁花”、”啓蟄”)
近隣の街の駅ビルにある書店に行く。結局めぼしい書籍と出会えなかったが・・・何しろ行き当たりばったりで。そんなわけで雑誌を購入。先月から求め始めたのが、旅客機専門の航空機雑誌「AIRLINE」(イカロス出版)だ。どうも、最近、気分が中学生に戻りつつある。
・先月号(3月号):「旅客機図鑑」 ← 787 vs A350
・今月号(4月号):「ターボプロップ入門」 ← ターボプロップ vs レシプロ、それにNCAのDo228
・来月号(5月号):「新・航空管制の世界」 ← (すぐに「品切れ」になるだろうな)
それから、大学生のわびしい心を慰めてくれた、城達也のスマートで清清しいナレーションで始まったFM-Tokyoの「ジェットストリーム(JET STREAM)」は、深夜、気分を一気に成層圏にまで運んでくれた。懐かしい。
(本ブログ関連:”ジェットストリーム”)
(Youtubeに登録のmansaku611 さんのチャンネルに感謝)
今日は二十四節気の「啓蟄」。陽気に誘われて穴から虫が這い出る時候だそうだ。確かに昼は暖かくなった。でも、風が吹けば少々肌寒いし、夜ともなれば冬の気分が抜けきれない。暑苦しさを感じながら、今もストーブを点けている・・・反省が足りない。
(本ブログ関連:”沈丁花”、”啓蟄”)
近隣の街の駅ビルにある書店に行く。結局めぼしい書籍と出会えなかったが・・・何しろ行き当たりばったりで。そんなわけで雑誌を購入。先月から求め始めたのが、旅客機専門の航空機雑誌「AIRLINE」(イカロス出版)だ。どうも、最近、気分が中学生に戻りつつある。
・先月号(3月号):「旅客機図鑑」 ← 787 vs A350
・今月号(4月号):「ターボプロップ入門」 ← ターボプロップ vs レシプロ、それにNCAのDo228
・来月号(5月号):「新・航空管制の世界」 ← (すぐに「品切れ」になるだろうな)
それから、大学生のわびしい心を慰めてくれた、城達也のスマートで清清しいナレーションで始まったFM-Tokyoの「ジェットストリーム(JET STREAM)」は、深夜、気分を一気に成層圏にまで運んでくれた。懐かしい。
(本ブログ関連:”ジェットストリーム”)
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2017年3月4日土曜日
ひな流し
昨日の「雛祭り」が終わって思い出すことに、「流し雛」の風習がある。手作り人形の飾りを川に流すイメージがある。「お盆」に戻った先祖の魂を送り帰す「灯篭流し」 に似て、祭りの終わりに、雛人形の魂を(在るべき処へ)送り返す気がする。
「流し雛」を間近に経験したことはないが、それを大型にしたような行事を、NHKのテレビ番組で見た。今日の日付に変わった深夜、午前3:15~3:30に放送された「にっぽんカメラアイ『お人形とわたし』」(3/4)でのことだ。
番組に「人形供養で有名な和歌山・淡島神社。女性カメラマンの感性がとらえたのは…」という解説がある。いわゆる「雛壇」に飾られる本格的な雛人形を最後に預かることで知られる神社の行事で、人形のサイズから行事の規模も大きくなったのだろう、「雛流し」神事と呼んでいる。
(番組解説から抜粋)
----------------------------------------------------------
和歌山市にある淡嶋(あわしま)神社。人形供養を行うこの神社には一年間で約6000体ものひな人形が納められ、3月3日に行う「ひな流し」神事に向けて社殿の中に飾られる。
----------------------------------------------------------
雛人形を乗せた白木造りの小船3艘は、互いに綱につながれ、釣り船に先導されて海に出る。その後、小船は回収され、浜で「お焚き上げ」される。
瀬戸内海の淡路島の対岸、和歌山県淡嶋神社で行なわれる、この雛人形の魂を海に送る行事から、同じ和歌山県の南端、那智勝浦町大字浜にある「補陀洛山寺」へと空想が広がる。
学生時代に読んだ「火山列島の思想」(益田勝実著)で知った(衝撃を受けた)ことだが、箱の中に渡海者を密閉した船を大海に流す「補陀洛渡海」が想起される。南方の観音菩薩の住処「補陀洛」へ行き着くことを願った死出である。小説ならば、渡海者を現代人の心理に見立て、死への恐怖に迫るだろうが、それを見送った当時の人々はいかに。生と死の境界があいまいだった時代のことだ。(境界の曖昧さは、今までにも起ってきたことだが)
(参考)「補陀落 観音信仰と日本文学」(川村湊、新潮社)
(Youtubeに登録のSankeiNewsに感謝)
「流し雛」を間近に経験したことはないが、それを大型にしたような行事を、NHKのテレビ番組で見た。今日の日付に変わった深夜、午前3:15~3:30に放送された「にっぽんカメラアイ『お人形とわたし』」(3/4)でのことだ。
番組に「人形供養で有名な和歌山・淡島神社。女性カメラマンの感性がとらえたのは…」という解説がある。いわゆる「雛壇」に飾られる本格的な雛人形を最後に預かることで知られる神社の行事で、人形のサイズから行事の規模も大きくなったのだろう、「雛流し」神事と呼んでいる。
(番組解説から抜粋)
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和歌山市にある淡嶋(あわしま)神社。人形供養を行うこの神社には一年間で約6000体ものひな人形が納められ、3月3日に行う「ひな流し」神事に向けて社殿の中に飾られる。
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雛人形を乗せた白木造りの小船3艘は、互いに綱につながれ、釣り船に先導されて海に出る。その後、小船は回収され、浜で「お焚き上げ」される。
瀬戸内海の淡路島の対岸、和歌山県淡嶋神社で行なわれる、この雛人形の魂を海に送る行事から、同じ和歌山県の南端、那智勝浦町大字浜にある「補陀洛山寺」へと空想が広がる。
学生時代に読んだ「火山列島の思想」(益田勝実著)で知った(衝撃を受けた)ことだが、箱の中に渡海者を密閉した船を大海に流す「補陀洛渡海」が想起される。南方の観音菩薩の住処「補陀洛」へ行き着くことを願った死出である。小説ならば、渡海者を現代人の心理に見立て、死への恐怖に迫るだろうが、それを見送った当時の人々はいかに。生と死の境界があいまいだった時代のことだ。(境界の曖昧さは、今までにも起ってきたことだが)
(参考)「補陀落 観音信仰と日本文学」(川村湊、新潮社)
(Youtubeに登録のSankeiNewsに感謝)
2017年3月3日金曜日
桃の節句に
温水ボタンを押すとき、そばのデジタル時刻表示に同じ数字が並んでいたりすると何だかいい気分になる。「11-11」(11時11分)といった按配だが、偶然に巡り合せた幸運といった感じだ。実利はないが、うれしい余韻がかすかに残る。
数字合わせの代表で、ある意味季節を知らせる「節句」に心を動かす。伝統となれば、子どもたちの笑顔が浮かぶ、愛しむもの。桃の花、雛壇飾りなど賑やかな「桃の節句」は、その色彩の柔らかさから、春の気配を思わせる。
近所の公民館にこの時期に合わせてか、「つるし飾り」があった。きれいな色紙を折り合わせて作ったのだろう。小さな飾りを順に紐につなぎ、それらを天井からいくつも吊るしている。素朴なのに華やかさが漂い、桃の節句の「雛祭り」を気付かせる。
(本ブログ関連:”雛祭り(桃の節句)”)
祭りの日の終わりに、雛壇を直ぐに片付けるというのも、昭和の住宅事情からだろう。のんびり眺めたいもの。
それはそうと、桃の花だけが咲きほこる「桃源郷」に興味そそられる。そこへ行った幸運を無為にするような、後に官に説くためあちこち目印を付けて帰るなんて野暮はせず、私なら桃源郷にずっと住まわせてもらうよ。
(本ブログ関連:”桃源郷”)
(追記)
そういえば、桃源郷へは川をたどったわけで、私たちは遥か彼方を往来するに、水を介するのが納得できるようだ。
(付記)
桃の節句と関係ないが、近所のお握り飯店で、できたての暖かいオニギリを買う。ほくほくして美味かった。何だか、家族の懐かしいオニギリがよみがえった気がした。きょうだいで我先に頬張ったなあ。
数字合わせの代表で、ある意味季節を知らせる「節句」に心を動かす。伝統となれば、子どもたちの笑顔が浮かぶ、愛しむもの。桃の花、雛壇飾りなど賑やかな「桃の節句」は、その色彩の柔らかさから、春の気配を思わせる。
近所の公民館にこの時期に合わせてか、「つるし飾り」があった。きれいな色紙を折り合わせて作ったのだろう。小さな飾りを順に紐につなぎ、それらを天井からいくつも吊るしている。素朴なのに華やかさが漂い、桃の節句の「雛祭り」を気付かせる。
(本ブログ関連:”雛祭り(桃の節句)”)
祭りの日の終わりに、雛壇を直ぐに片付けるというのも、昭和の住宅事情からだろう。のんびり眺めたいもの。
それはそうと、桃の花だけが咲きほこる「桃源郷」に興味そそられる。そこへ行った幸運を無為にするような、後に官に説くためあちこち目印を付けて帰るなんて野暮はせず、私なら桃源郷にずっと住まわせてもらうよ。
(本ブログ関連:”桃源郷”)
(追記)
そういえば、桃源郷へは川をたどったわけで、私たちは遥か彼方を往来するに、水を介するのが納得できるようだ。
(付記)
桃の節句と関係ないが、近所のお握り飯店で、できたての暖かいオニギリを買う。ほくほくして美味かった。何だか、家族の懐かしいオニギリがよみがえった気がした。きょうだいで我先に頬張ったなあ。
2017年3月2日木曜日
ヤン・スギョンとイ・ソンヒの友情
昨年、17年ぶりにカムバックした歌手ヤン・スギョン(양수경)とイ・ソンヒのはなし。
<1980年後半にデビューし、1990年代に人気を博した歌手ヤン・スギョンは、2016年8月19日に、1999年以来17年ぶりに、ニューアルバムを発売した。(WowKorea)>
日刊スポーツ(中央日報系)は、SBSの「燃える青春(불타는 청춘)」に出演したヤン・スギョンとの電話インタビューで、彼女がイ・ソンヒの友情に感謝して語った内容を次のように紹介している。
日刊スポーツ掲載記事:「 [直撃インタビュー] '燃青(燃える青春)' ヤン・スギョン 『イ・ソンヒと30年友情、放送用(に話すのでは)ありません』」(3/1、イ・ミヒョン記者)より抜粋。
--------------------------------------------------------------
・また、イ・ソンヒとの友情も誇示した。イ・ソンヒが、過去ヤン・スギョンが苦しかった時、何もいわずに通帳口座番号を知らせてくれと言ったという。これに、ヤン・スギョンは、イ・ソンヒについて「いつも心配してくれて、暖かい友」と説明した。
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<1980年後半にデビューし、1990年代に人気を博した歌手ヤン・スギョンは、2016年8月19日に、1999年以来17年ぶりに、ニューアルバムを発売した。(WowKorea)>
日刊スポーツ(中央日報系)は、SBSの「燃える青春(불타는 청춘)」に出演したヤン・スギョンとの電話インタビューで、彼女がイ・ソンヒの友情に感謝して語った内容を次のように紹介している。
日刊スポーツ掲載記事:「 [直撃インタビュー] '燃青(燃える青春)' ヤン・スギョン 『イ・ソンヒと30年友情、放送用(に話すのでは)ありません』」(3/1、イ・ミヒョン記者)より抜粋。
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・また、イ・ソンヒとの友情も誇示した。イ・ソンヒが、過去ヤン・スギョンが苦しかった時、何もいわずに通帳口座番号を知らせてくれと言ったという。これに、ヤン・スギョンは、イ・ソンヒについて「いつも心配してくれて、暖かい友」と説明した。
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2017年3月1日水曜日
KBS WORLD「国楽の世界へ」 妓生と券(検)番
KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(2/22)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、妓生の養成場「券(検)番(권번)」に関連した3曲を紹介した。
始めに、映画「解語花(해어화)」と妓生養成場の「券番」について次のように紹介された。
・唐代の美人楊貴妃を溺愛した皇帝玄宗は、彼女を愛するあまり国を危うくした。二人が散歩のとき、玄宗は庭に咲く蓮の花を見て、蓮の花が美しくとも、言葉を理解できるこの花には及ばないと楊貴妃を指して言った。そこから「解語花」の言葉が生まれた。また、詩歌に優れた妓生に使われたりした。昨年、妓生養成場の「券番」を舞台にした映画「解語花」が話題になった。
・朝鮮時代、妓生は職人の意「工人」(歌と踊り、楽器演奏する楽人の呼称)ともいわれ、最も身分の低い賤民とされたが、優れた妓生は無視できない存在だった。女性の読書、社会活動を禁じた時代、妓生は詩作や歌と踊りでソンビと接することができた。官に属す「官妓」、後に組合制、日本の影響を受けた「券番」を通じて活動した。券番は、今の芸能養成所のようなもので、若い娘を育て、妓生として送り出し、費用を集金する役割をした。
▼ 映画「解語花」で歌われた「愛、その嘘(사랑 거즛말이)」を聴く。愛の言葉も、夢のようというもみんな嘘・・・今様に。
次に、パンソリの名唱「金素姫(キム・ソヒ、김소희)」が登場したきっかけについて次のように紹介された。
・券番の妓生は、放送にもよく出演した。当時、放送局の国楽番組担当のプロデューサーだった李惠求(이혜구)博士は、金素姫の思い出を次のように語った。有名な妓生の出演には、放送局から迎えに行くのが慣行だったが、ある日、出演予定の妓生が来られず、その代わりに来た歌い手が、今では国楽で著名な、金素姫だったという。
▼ 戦もののパンソリ「赤壁歌(적벽가)」から「子龍が弓を射る場面(자룡 활 쏘는 대목)」を聴く。間断なく・・・軽快。
最後に、券番の教育と漢江氾濫のたび生じた川「ノドゥル江(노들강)」の曲について次のように紹介された。
・当時、女性の歌い手の多くは券番に所属した。国楽に大きく寄与した音楽家の多数も券番出身だ。券番の教育課程は厳しく、3年間様々な科目を学んだ。修業は一日6時間ほどで、歌曲と歌詞、時調(定型詩)、雑歌、楽器などを学び、詩作や、妓生としての身だしなみも習った。その過程を通じ、優れた妓生はプライドも高く、周りからも好遇された。
・券番の出身者には、映画「解語花」のように大衆歌手となり、国楽と大衆音楽の架け橋となるものもいた。
▼ 大衆音楽として作られ今は民謡になった「ノドゥル江辺(노들강변)」を聴く。えっ・・・ポンチャク? Web事故?
始めに、映画「解語花(해어화)」と妓生養成場の「券番」について次のように紹介された。
・唐代の美人楊貴妃を溺愛した皇帝玄宗は、彼女を愛するあまり国を危うくした。二人が散歩のとき、玄宗は庭に咲く蓮の花を見て、蓮の花が美しくとも、言葉を理解できるこの花には及ばないと楊貴妃を指して言った。そこから「解語花」の言葉が生まれた。また、詩歌に優れた妓生に使われたりした。昨年、妓生養成場の「券番」を舞台にした映画「解語花」が話題になった。
・朝鮮時代、妓生は職人の意「工人」(歌と踊り、楽器演奏する楽人の呼称)ともいわれ、最も身分の低い賤民とされたが、優れた妓生は無視できない存在だった。女性の読書、社会活動を禁じた時代、妓生は詩作や歌と踊りでソンビと接することができた。官に属す「官妓」、後に組合制、日本の影響を受けた「券番」を通じて活動した。券番は、今の芸能養成所のようなもので、若い娘を育て、妓生として送り出し、費用を集金する役割をした。
▼ 映画「解語花」で歌われた「愛、その嘘(사랑 거즛말이)」を聴く。愛の言葉も、夢のようというもみんな嘘・・・今様に。
次に、パンソリの名唱「金素姫(キム・ソヒ、김소희)」が登場したきっかけについて次のように紹介された。
・券番の妓生は、放送にもよく出演した。当時、放送局の国楽番組担当のプロデューサーだった李惠求(이혜구)博士は、金素姫の思い出を次のように語った。有名な妓生の出演には、放送局から迎えに行くのが慣行だったが、ある日、出演予定の妓生が来られず、その代わりに来た歌い手が、今では国楽で著名な、金素姫だったという。
▼ 戦もののパンソリ「赤壁歌(적벽가)」から「子龍が弓を射る場面(자룡 활 쏘는 대목)」を聴く。間断なく・・・軽快。
最後に、券番の教育と漢江氾濫のたび生じた川「ノドゥル江(노들강)」の曲について次のように紹介された。
・当時、女性の歌い手の多くは券番に所属した。国楽に大きく寄与した音楽家の多数も券番出身だ。券番の教育課程は厳しく、3年間様々な科目を学んだ。修業は一日6時間ほどで、歌曲と歌詞、時調(定型詩)、雑歌、楽器などを学び、詩作や、妓生としての身だしなみも習った。その過程を通じ、優れた妓生はプライドも高く、周りからも好遇された。
・券番の出身者には、映画「解語花」のように大衆歌手となり、国楽と大衆音楽の架け橋となるものもいた。
▼ 大衆音楽として作られ今は民謡になった「ノドゥル江辺(노들강변)」を聴く。えっ・・・ポンチャク? Web事故?
2017年2月28日火曜日
(再)「人イヌにあう」から
以前、本ブログ(2014年10月3日金曜日)に、動物行動学者のコンラート・ローレンツ(Konrad Lorenz、1903年~1989年)の著書「人イヌにあう」(小原秀雄訳、至誠堂選書)から面白い記述を抜書きしたことがある。
飼いイヌ同士が吠えあう(行動する)とき、居るべき場所(明確な!テリトリー内)を前提にしているという例で、次のように紹介している。そして、この話とそっくりなYoutube映像と出あったので、ローレンツの記述と一緒に載せさせていただく。
(再掲:コンラート・ローレンツ著「人イヌにあう」より、元文に適宜段落付けした)
----------------------------------------------------
・~私の年老いたブリイとその不倶戴天の敵、白いスピッツにかんするものである。このスピッツは緑に塗った木のかき根で仕切られ、村の通りにそって長くのびた幅の狭い庭のある家に住んでいた。この三十ヤードにわたるかき根にそって、二匹の英雄は、走って行ったりきたりしては激しく吠え、かき根の両端の折り返し点でちょっと止まっては、役にもたたない怒りのあらゆる動作と声をおたがいに投げつけるのであった。
・ある日やっかいな事態がもち上がった。かき根は修理中で、一部がそのためはずされたのだ。下手の半分がなくなっていた。さて、ブリイと私は家を出て丘を下り、川に向かった。スピッツはもちろん私たちに気づいて、庭でいちばん高い一角で、うなり、興奮のあまりふるえながら待ちかまえていた。最初に、おきまりの不動の姿勢でののしりあいがはじまった。それから二匹のイヌはそれぞれがかき根の両端で、前方に向かっていつもの早駆けをはじめた。
・ところがなんと、珍事勃発。彼らはかき根が取り払われている場所を駆け抜けてしまい、さらにののしり合戦が行なわれはずの庭の下手のはずれまできて、やっとおのれの失態に気づくしまつであった。彼らは毛を逆立て、恐ろしげにきばをむき出して、そこに立ち止まった---が、かき根はなかった。たちまち吠え声はやんだ。
・そこで、彼らはどうしただろうか? あたかも一心同体のごとく、彼らはくるりと向きを変え、横腹を接してまだ残っているかき根のところへとんでいった。そこで彼らは、まるで何ごとも起こらなかったかのように、ののしりを再会したのである。
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(Youtubeに登録のMarcus V. Jacobに感謝)
飼いイヌ同士が吠えあう(行動する)とき、居るべき場所(明確な!テリトリー内)を前提にしているという例で、次のように紹介している。そして、この話とそっくりなYoutube映像と出あったので、ローレンツの記述と一緒に載せさせていただく。
(再掲:コンラート・ローレンツ著「人イヌにあう」より、元文に適宜段落付けした)
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・~私の年老いたブリイとその不倶戴天の敵、白いスピッツにかんするものである。このスピッツは緑に塗った木のかき根で仕切られ、村の通りにそって長くのびた幅の狭い庭のある家に住んでいた。この三十ヤードにわたるかき根にそって、二匹の英雄は、走って行ったりきたりしては激しく吠え、かき根の両端の折り返し点でちょっと止まっては、役にもたたない怒りのあらゆる動作と声をおたがいに投げつけるのであった。
・ある日やっかいな事態がもち上がった。かき根は修理中で、一部がそのためはずされたのだ。下手の半分がなくなっていた。さて、ブリイと私は家を出て丘を下り、川に向かった。スピッツはもちろん私たちに気づいて、庭でいちばん高い一角で、うなり、興奮のあまりふるえながら待ちかまえていた。最初に、おきまりの不動の姿勢でののしりあいがはじまった。それから二匹のイヌはそれぞれがかき根の両端で、前方に向かっていつもの早駆けをはじめた。
・ところがなんと、珍事勃発。彼らはかき根が取り払われている場所を駆け抜けてしまい、さらにののしり合戦が行なわれはずの庭の下手のはずれまできて、やっとおのれの失態に気づくしまつであった。彼らは毛を逆立て、恐ろしげにきばをむき出して、そこに立ち止まった---が、かき根はなかった。たちまち吠え声はやんだ。
・そこで、彼らはどうしただろうか? あたかも一心同体のごとく、彼らはくるりと向きを変え、横腹を接してまだ残っているかき根のところへとんでいった。そこで彼らは、まるで何ごとも起こらなかったかのように、ののしりを再会したのである。
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(Youtubeに登録のMarcus V. Jacobに感謝)
映画「ポエトリー アグネスの詩」
今日で2月が終わる。この月は28日か29日までしかなく、しかも、29日は閏(うるう)年に限ったこと。通常、月末の30、31日を経験することなく、あっというまに終わってしまう月だ。2月に仕事を計画するとき、一般的な感覚でM/M(man/month)を想定すると大変なことになる。時間が足りないのだ。
カレンダーに区切りが定まると、その日は思いのほか速く迫ってくる。人生がその最たるものだが、凡庸な学生時代もそうだった。準備不足のまま定期試験が近づくときの、焦りと慌てふためき。カレンダーには逃げ場がない。
久し振りに、四谷にある韓国文化院で開かれた映画上映会に出かけて、「ポエトリー アグネスの詩(原題 ”시”)」(イ・チャンドン監督、2010年)を鑑賞した。今までDVDや上映会で見たことのあるイ・チャンドンの作品には、「ペパーミント・キャンディー」(1999年)、「シークレット・サンシャイン」(2007年)がある。(「シークレット・サンシャイン」は、お気に入りの女優、チョン・ドヨンが主演したこともあって)
「ポエトリー アグネスの詩」は、訪問介護をしながら、中学生男子の孫と二人で暮らす60代半ばの女性の物語だ。生活は苦しいが、あるとき詩作や詩会を知って、人生を豊にしたいと思う。そんな矢先、孫の連座した事件と自身がアルツハイマーであることを知る。消える記憶ともがき苦しみながら、彼女は最後に、ある少女の名を冠した詩を一つ残す。
映画の率直な感想は、「もう一度、『ペパーミント・キャンディー』を見たような気がする」だ。象徴的な場面である、川の流れはよどみなくとどまることない。過去に戻ることのできぬ人生のように、でも、こんなことも考えてしまう。市井の多くは、美しい言葉より、時間を強引に止めたり、逆回ししてでも今の平安・欲望を望む。それが耐え切れぬほど穢れたことであっても。そうやって多くの時が過ぎてきた・・・とも。・・・だから、この作品が余計にしみるのかもしれない。
(Youtubeに登録のシネマトゥデイに感謝)
カレンダーに区切りが定まると、その日は思いのほか速く迫ってくる。人生がその最たるものだが、凡庸な学生時代もそうだった。準備不足のまま定期試験が近づくときの、焦りと慌てふためき。カレンダーには逃げ場がない。
久し振りに、四谷にある韓国文化院で開かれた映画上映会に出かけて、「ポエトリー アグネスの詩(原題 ”시”)」(イ・チャンドン監督、2010年)を鑑賞した。今までDVDや上映会で見たことのあるイ・チャンドンの作品には、「ペパーミント・キャンディー」(1999年)、「シークレット・サンシャイン」(2007年)がある。(「シークレット・サンシャイン」は、お気に入りの女優、チョン・ドヨンが主演したこともあって)
「ポエトリー アグネスの詩」は、訪問介護をしながら、中学生男子の孫と二人で暮らす60代半ばの女性の物語だ。生活は苦しいが、あるとき詩作や詩会を知って、人生を豊にしたいと思う。そんな矢先、孫の連座した事件と自身がアルツハイマーであることを知る。消える記憶ともがき苦しみながら、彼女は最後に、ある少女の名を冠した詩を一つ残す。
映画の率直な感想は、「もう一度、『ペパーミント・キャンディー』を見たような気がする」だ。象徴的な場面である、川の流れはよどみなくとどまることない。過去に戻ることのできぬ人生のように、でも、こんなことも考えてしまう。市井の多くは、美しい言葉より、時間を強引に止めたり、逆回ししてでも今の平安・欲望を望む。それが耐え切れぬほど穢れたことであっても。そうやって多くの時が過ぎてきた・・・とも。・・・だから、この作品が余計にしみるのかもしれない。
(Youtubeに登録のシネマトゥデイに感謝)
2017年2月27日月曜日
(雑談)ローカル誌に載った店
昨日は暖かだったと、今日の寒さにしみじみ思う。10℃が寒暖の境界と口癖ながら、今も19.2℃の部屋でストーブに暖まる。20℃が寒暖の境界といい出しかねない。
徐々に気温が上がるようで、今週後半から本格的な春の気配が寄せるという。来週には、地中から虫が顔を出す時期となる。
ところで、ローカル誌の記事に、地元のまさに身近なところに、ちょっとした食べもの屋があることを知った。こじんまりした町通りに、馴染客しか入らないような店構えして、うっかり寄った客に一見さんお断りといった風な冷たい視線が返ってくるんじゃないかと心配する。
今も勇気はないけれど、そんな店先に雑誌で知ったのだろうか若いお母さんたちがいた。そうか、恐れることもない。ちょっと行ってみようかな。それにしても、店のドア飾りが愛想ない。あれじゃ、田舎のおじさん、おばさんがたむろする、場末のカラオケ飲み屋にしか見えない。
いちど美味いものを食ってみようか。
徐々に気温が上がるようで、今週後半から本格的な春の気配が寄せるという。来週には、地中から虫が顔を出す時期となる。
ところで、ローカル誌の記事に、地元のまさに身近なところに、ちょっとした食べもの屋があることを知った。こじんまりした町通りに、馴染客しか入らないような店構えして、うっかり寄った客に一見さんお断りといった風な冷たい視線が返ってくるんじゃないかと心配する。
今も勇気はないけれど、そんな店先に雑誌で知ったのだろうか若いお母さんたちがいた。そうか、恐れることもない。ちょっと行ってみようかな。それにしても、店のドア飾りが愛想ない。あれじゃ、田舎のおじさん、おばさんがたむろする、場末のカラオケ飲み屋にしか見えない。
いちど美味いものを食ってみようか。
2017年2月26日日曜日
アイザック・バシェヴィス・シンガー
しばらく振りに、近在の街の書店へ行ってみた。いつも利用する書店とは反対の側の街だが、ここの大型書店は欲しい本がだいたい見つかる。それに、ぶらぶら書棚を巡ると自然に手が伸びる出会いもある。そんな幸運に得した気分になる。
イディッシュ語で作品を上梓して、ノーベル文学賞を受賞した作家アイザック・バシェヴィス・シンガー(1902年~1991年 יצחק באַשעװיס זינגער イサック・バシェビス・ズィンゲル)の短編集「不浄の血 アイザック・バシェヴィス・シンガー傑作選」(西 成彦訳、河出書房新社)を手にする。イディッシュ語作品が英訳されたことで、広く知られたようだ。巻末の解題にイディッシュ語について、および翻訳のいきさつについて解説がある。
(本ブログ関連:”イディッシュ語”)
短編集の表題作である「不浄の血」(田中壮泰、西成彦訳)は、実直不器用な老人が晩年こともあろうに評判の悪い女(リシェ)と結婚することから始まる。まさに、作品の書き出しの通り「血への情熱と肉欲」の顛末だ。毒婦であり、淫蕩な女は、男を連れ込み、ユダヤ教のカシュルート(コシェル:食事規定)を全く無視した商いをする。しまいに棄教に追い込まれ、山月記の悔恨に遠く及ばぬ獣そのままに最期を迎える。
「不浄の血」は、転がりながら物語を混沌、変質する。だから最後は、伝承のように子どもたちに次の歌をうたわせて終わる。最も最後の詞は、言葉がずれて回転する・・・「片輪車」のように炎に包まれて回り続けるのか。
リシェはひどいよ
馬を屠った
おかげで腐る
地のなかで
(略)
魔女なんて生かしちゃおけぬ
なんて生かしちゃおけぬ魔女
生かしちゃおけぬ魔女なんて
イディッシュ語で作品を上梓して、ノーベル文学賞を受賞した作家アイザック・バシェヴィス・シンガー(1902年~1991年 יצחק באַשעװיס זינגער イサック・バシェビス・ズィンゲル)の短編集「不浄の血 アイザック・バシェヴィス・シンガー傑作選」(西 成彦訳、河出書房新社)を手にする。イディッシュ語作品が英訳されたことで、広く知られたようだ。巻末の解題にイディッシュ語について、および翻訳のいきさつについて解説がある。
(本ブログ関連:”イディッシュ語”)
短編集の表題作である「不浄の血」(田中壮泰、西成彦訳)は、実直不器用な老人が晩年こともあろうに評判の悪い女(リシェ)と結婚することから始まる。まさに、作品の書き出しの通り「血への情熱と肉欲」の顛末だ。毒婦であり、淫蕩な女は、男を連れ込み、ユダヤ教のカシュルート(コシェル:食事規定)を全く無視した商いをする。しまいに棄教に追い込まれ、山月記の悔恨に遠く及ばぬ獣そのままに最期を迎える。
「不浄の血」は、転がりながら物語を混沌、変質する。だから最後は、伝承のように子どもたちに次の歌をうたわせて終わる。最も最後の詞は、言葉がずれて回転する・・・「片輪車」のように炎に包まれて回り続けるのか。
リシェはひどいよ
馬を屠った
おかげで腐る
地のなかで
(略)
魔女なんて生かしちゃおけぬ
なんて生かしちゃおけぬ魔女
生かしちゃおけぬ魔女なんて
2017年2月25日土曜日
(資料)イ・ソンヒのソウル特別市議会議員選挙当時の写真集
イ・ソンヒは、1991年の地方自治制復活にあたり、(初の本格的)韓国地方議会議員選挙に当時の与党「民自党」から27歳の若さで出馬した。そのときの貴重な映像がYoutubeに登録されている。「ソウル特別市議会議員選挙候補者 合同演説会 - 麻浦区甲(갑)選挙管理委員会」の横断幕を背景に演説する様子が撮られている。
出馬のいきさつ(与党側の思惑)、家族の対応と彼女の戸籍年齢、当選後の政治活動と所属政党の遍歴などについて、次の(本ブログ関連)のリンク先に情報を収集している。
(本ブログ関連:”市議会議員選挙”、"イ・ソンヒと政治"、”政治(全般)”)
イ・ソンヒがソウル特別市議会議員選挙に出馬した年に発表したアルバムは7集で、タイトル曲は「あなたが私を愛されるなら (그대가 나를 사랑하신다면)」だ。なお、次の映像中の曲は、彼女のアルバム14集収録の「あなたの道(너의길)」で、2009年に発表されたもの。
(Youtubeに登録のjung .Pに感謝)
出馬のいきさつ(与党側の思惑)、家族の対応と彼女の戸籍年齢、当選後の政治活動と所属政党の遍歴などについて、次の(本ブログ関連)のリンク先に情報を収集している。
(本ブログ関連:”市議会議員選挙”、"イ・ソンヒと政治"、”政治(全般)”)
イ・ソンヒがソウル特別市議会議員選挙に出馬した年に発表したアルバムは7集で、タイトル曲は「あなたが私を愛されるなら (그대가 나를 사랑하신다면)」だ。なお、次の映像中の曲は、彼女のアルバム14集収録の「あなたの道(너의길)」で、2009年に発表されたもの。
(Youtubeに登録のjung .Pに感謝)
2017年2月24日金曜日
(雑談)ちょっとした疑問
江戸時代の日本画、とりわけ奇想画への見直しが盛んだ。明治期に来日した欧米の豪商が奇想画を買い上げた結果、それらを鑑賞できるというのが現状だ。美術品の掘り起こしといった感がないでもない。キュレーター(学芸員)にとって新たに業績が加わることになる。
歴史の浅いアメリカの商人が好んだものは、伝統的美意識というより、ある意味せっかちで新規性に富んだもの、通俗性をベースにしているといっていいかもしれない。日本画家では、伊藤若冲、曾我蕭白が、今年は河鍋暁斎がピックアップされる。また、オランダ画家では、カメラ・オブスキュラの技術で徹底的に遠近法にこだわったフェルメールが好まれる。いってみれば、市民意識的な視覚といった(見る側の立場が欠けた)、見えるものへのこだわりを感じる。
さて偉そうな話はここまでにして、極東の私たちの美意識にちょっとした疑問がある。
・青い目の「歌舞伎」を見たことがあるだろうか。一方で、若い芸能タレントまでがシェイクスピアの(赤毛)芝居をありがたがる風潮がある。
・昔、N響だ、日本フィルだなどと知った振りをしたが、Youtubeを覗けば、アジア各都市に交響楽団がある。欧米人の目に、西洋楽器に没入する姿はどのように見えているのだろうか。
・学校教育で、美術の時間に日本画の時間がどれほどあったろうか。せいぜい美術史でくくった程度ではないか。同様に、音楽の時間に、和楽器(琵琶、琴、三味線、つづみ)の演奏、あるいは浄瑠璃、長唄のごときまで体験したことがあるだろうか。毎年、西洋主体の美術系・音楽系大学の卒業生が大量に出る。小中高の教職員が、彼らの受け入れ口になっている。
仏像を信仰対象というより、美術品として見る意識がある。細部を克明に撮った写真家もいた。現在の私たちは、信仰対象と美術品の間を揺れているように思うが、明治維新の廃仏毀釈で行なわれた惨状をとっくに忘れている。同じく、明治維新の結果、学校教育につながるべき江戸の絵画や音楽の血管が切られてしまったようだ。
歴史の浅いアメリカの商人が好んだものは、伝統的美意識というより、ある意味せっかちで新規性に富んだもの、通俗性をベースにしているといっていいかもしれない。日本画家では、伊藤若冲、曾我蕭白が、今年は河鍋暁斎がピックアップされる。また、オランダ画家では、カメラ・オブスキュラの技術で徹底的に遠近法にこだわったフェルメールが好まれる。いってみれば、市民意識的な視覚といった(見る側の立場が欠けた)、見えるものへのこだわりを感じる。
さて偉そうな話はここまでにして、極東の私たちの美意識にちょっとした疑問がある。
・青い目の「歌舞伎」を見たことがあるだろうか。一方で、若い芸能タレントまでがシェイクスピアの(赤毛)芝居をありがたがる風潮がある。
・昔、N響だ、日本フィルだなどと知った振りをしたが、Youtubeを覗けば、アジア各都市に交響楽団がある。欧米人の目に、西洋楽器に没入する姿はどのように見えているのだろうか。
・学校教育で、美術の時間に日本画の時間がどれほどあったろうか。せいぜい美術史でくくった程度ではないか。同様に、音楽の時間に、和楽器(琵琶、琴、三味線、つづみ)の演奏、あるいは浄瑠璃、長唄のごときまで体験したことがあるだろうか。毎年、西洋主体の美術系・音楽系大学の卒業生が大量に出る。小中高の教職員が、彼らの受け入れ口になっている。
仏像を信仰対象というより、美術品として見る意識がある。細部を克明に撮った写真家もいた。現在の私たちは、信仰対象と美術品の間を揺れているように思うが、明治維新の廃仏毀釈で行なわれた惨状をとっくに忘れている。同じく、明治維新の結果、学校教育につながるべき江戸の絵画や音楽の血管が切られてしまったようだ。
2017年2月23日木曜日
山怪
ブログに先ほど記した「キツネにかかわる伝承の分布」の続き。
イ・ソンヒの「狐の嫁入り」(OST)をきっかけに、キツネの話をしたらきりがない。稲荷神社から童話まで、キツネにまつわる奇談、伝承がたくさんある。それに、キツネは化けるとき、タヌキがちょっと間抜けで要領が悪いのに比べて、悪賢く、エロチックであったりする。キツネの化かしには、人間を上から目線でこけにしている節がある。その分、後で痛い目に会うが。
(本ブログ関連:”狐の嫁入り”、”狐”)
先に記した「キツネにかかわる伝承の分布」の中で、「山怪(さんかい)」(田中康弘著)について触れた。同書は、山に住む人々の<山にまつわる不思議な話や体験>が語られている。図書館で借りられるまで待とうと思っていたが、本屋で立ち読みしたらすぐに読みたくなって求めた。
(本ブログ関連:”山怪”)
「山怪」の一番最初の話「狐火があふれる地」(秋田県北部の村、マタギ発祥の地)に、なんとキツネが尻尾を振りながら光を発したのを目撃する体験が語られている。フィンランドの伝承、<キツネの尾には、雪原に触れたことから、火花を巻き上げてオーロラの明かりにする>を思わせる。
「狐火があふれる地」から(抜粋)
---------------------------------------------
ある日の夕方・・・庭先を抜けると家の裏山に向かう・・・(狐を、母親と一緒に見つける)・・・
狐は山の斜面に差しかかると、その尻尾を大きく振り出した。
「狐がぴょんと跳ぶのが凄いものなあ。そして尻尾をくるくる、くるくるって回すんだぁ。そしたらそのたびにペロペロペロペロって光るんだ。あれは見たもんでねえと分かんねぇ、見事なもんだったよ」
---------------------------------------------
イ・ソンヒの「狐の嫁入り」(OST)をきっかけに、キツネの話をしたらきりがない。稲荷神社から童話まで、キツネにまつわる奇談、伝承がたくさんある。それに、キツネは化けるとき、タヌキがちょっと間抜けで要領が悪いのに比べて、悪賢く、エロチックであったりする。キツネの化かしには、人間を上から目線でこけにしている節がある。その分、後で痛い目に会うが。
(本ブログ関連:”狐の嫁入り”、”狐”)
先に記した「キツネにかかわる伝承の分布」の中で、「山怪(さんかい)」(田中康弘著)について触れた。同書は、山に住む人々の<山にまつわる不思議な話や体験>が語られている。図書館で借りられるまで待とうと思っていたが、本屋で立ち読みしたらすぐに読みたくなって求めた。
(本ブログ関連:”山怪”)
「山怪」の一番最初の話「狐火があふれる地」(秋田県北部の村、マタギ発祥の地)に、なんとキツネが尻尾を振りながら光を発したのを目撃する体験が語られている。フィンランドの伝承、<キツネの尾には、雪原に触れたことから、火花を巻き上げてオーロラの明かりにする>を思わせる。
「狐火があふれる地」から(抜粋)
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ある日の夕方・・・庭先を抜けると家の裏山に向かう・・・(狐を、母親と一緒に見つける)・・・
狐は山の斜面に差しかかると、その尻尾を大きく振り出した。
「狐がぴょんと跳ぶのが凄いものなあ。そして尻尾をくるくる、くるくるって回すんだぁ。そしたらそのたびにペロペロペロペロって光るんだ。あれは見たもんでねえと分かんねぇ、見事なもんだったよ」
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キツネにかかわる伝承の分布
キツネは、日本人にとって身近な生き物で、昔話や「稲荷神社」などの伝承で知られた存在だが、欧米では狡猾な害獣として扱われているようだ。英国貴族にいたっては、スポーツ感覚でキツネ狩り(Fox hunting)を楽しんだ。
(本ブログ関連:”稲荷神社”)
欧米人にとって、てなづける対象でもないキツネたちを、日本で飼育している場所がある。東北、宮城県白石市の「宮城蔵王キツネ村」がそれだ。来日の欧米人観光客に、(キツネと親しむ)驚きと日本旅行の話題(思い出)となっている。(以前、同施設に興味・関心があって、私も一度行って見たいと思ったことがあるが・・・)
ロシアには、学術的な目的で、キツネの家畜化*を(オオカミからイヌが家畜化したのと対照して)研究している施設があるという。上記「キツネ村」は、放し飼いの観光施設といったところだろうけれど。
(*)家畜化:ナショナルジオグラフィック誌「特集:野生動物 ペットへの道」(2011年3月号)
ところで、中高年のおじさんたち中心に読まれている、<山にまつわる不思議な話や体験談を集めた>書籍「山怪(さんかい)」(田中康弘著、山と渓谷社)があり、ネットで書評をよく見かける。(図書館でも人気で、いつも貸し出し中である)
YOMIURI ONLINE(読売新聞)の記事、「日本の山には『何か』がいる! ・・・ 続く『山怪』ブーム」(2/17、伊藤譲治)は、著者とのインタビューを通じて、山での怪異を演じるキツネとタヌキの地理的分布(特性)を次のよう紹介している。
---------------------------------------
・(著者が)日本各地を回って分かったのは、北に行けば行くほど、狐に関する話が多くなるということ。西に行くほど狐の影響が薄れる。なぜか四国はほとんどが狸の話で、狐は出てこないのだという。「山怪は、姿は確認できないが、音のみ、気配のみという場合が多い。目に見えないもの、何だか分からないものは身近なもののせいにしてきた。狐や狸は山では身近な存在だから、狐や狸のせいにしてきたのではないか」と推測。「山の怪異は、現象ではなく心象だと思う。脳内に浮かび上がる風景だと思うが、その風景を浮かび上がらせる何かが、間違いなく山にはある」と語る。
---------------------------------------
「日本動物民俗誌」(中村禎理著、海鳴社、1987年)は、キツネの信仰の代表である「稲荷神社」の分布が東北日本に偏在していることを次のように解説している。
---------------------------------------
・山の神に関連していえば、キツネは同じく山の神に帰属するサルと対抗するもので、稲荷神社は東北日本に多く、後者(サル)につながる日吉(日枝)神社は西南日本に多いという。
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(本ブログ関連:”稲荷神社”)
欧米人にとって、てなづける対象でもないキツネたちを、日本で飼育している場所がある。東北、宮城県白石市の「宮城蔵王キツネ村」がそれだ。来日の欧米人観光客に、(キツネと親しむ)驚きと日本旅行の話題(思い出)となっている。(以前、同施設に興味・関心があって、私も一度行って見たいと思ったことがあるが・・・)
ロシアには、学術的な目的で、キツネの家畜化*を(オオカミからイヌが家畜化したのと対照して)研究している施設があるという。上記「キツネ村」は、放し飼いの観光施設といったところだろうけれど。
(*)家畜化:ナショナルジオグラフィック誌「特集:野生動物 ペットへの道」(2011年3月号)
ところで、中高年のおじさんたち中心に読まれている、<山にまつわる不思議な話や体験談を集めた>書籍「山怪(さんかい)」(田中康弘著、山と渓谷社)があり、ネットで書評をよく見かける。(図書館でも人気で、いつも貸し出し中である)
YOMIURI ONLINE(読売新聞)の記事、「日本の山には『何か』がいる! ・・・ 続く『山怪』ブーム」(2/17、伊藤譲治)は、著者とのインタビューを通じて、山での怪異を演じるキツネとタヌキの地理的分布(特性)を次のよう紹介している。
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・(著者が)日本各地を回って分かったのは、北に行けば行くほど、狐に関する話が多くなるということ。西に行くほど狐の影響が薄れる。なぜか四国はほとんどが狸の話で、狐は出てこないのだという。「山怪は、姿は確認できないが、音のみ、気配のみという場合が多い。目に見えないもの、何だか分からないものは身近なもののせいにしてきた。狐や狸は山では身近な存在だから、狐や狸のせいにしてきたのではないか」と推測。「山の怪異は、現象ではなく心象だと思う。脳内に浮かび上がる風景だと思うが、その風景を浮かび上がらせる何かが、間違いなく山にはある」と語る。
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「日本動物民俗誌」(中村禎理著、海鳴社、1987年)は、キツネの信仰の代表である「稲荷神社」の分布が東北日本に偏在していることを次のように解説している。
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・山の神に関連していえば、キツネは同じく山の神に帰属するサルと対抗するもので、稲荷神社は東北日本に多く、後者(サル)につながる日吉(日枝)神社は西南日本に多いという。
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2017年2月22日水曜日
イ・ソンヒ 5月LA・9月シドニー、ワールドツアー
イ・ソンヒは、5月米国、9月豪州のワールドツアーを計画しているという。エクスポーツニュース紙の記事「イ・ソンヒ サイド『5月LA・9月シドニーで ワールドツアー・コンサート進行』」(2/21)は、次のように報じている。(抜粋)
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・歌手イ・ソンヒがワールドツアーに出る。
・(イ・ソンヒの)所属事務所「フックエンターテインメント」サイド関係者は、21日、エクスポーツニュースに「イ・ソンヒが来る5月に米国のLA、9月にオーストラリアのシドニーでコンサートを進める。以後、他国も検討中だが、イ・ソンヒのコンディションおよび日程などを調整してみなければならない」と公式立場を明らかにした。
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ちなみに、イ・ソンヒは、昨年9月に開始した国内ツアー ”The Great Concert” を、次の通り、来月4、5日の慶州慶山でのコンサートを以って終了する。しばらく休憩を取り、ワールドツアーに向けて準備するという。
2016-17 コンサ-ト ”The Great Concert” (9/2-4)
・ソウル09.02-04:「世宗文化会館」 ★9月4日レポート
・大邱 09.24-25:「EXCO5階コンベンションホール」
・全州 10.07-08:「韓国音(ソリ)文化の殿堂」野外音楽堂
・光州 10.22:「光州女子大学」ユニバーシアード体育館
・大田 11.05-06:「大田貿易展示館」
・釜山 11.19-20:「KBS 釜山ホール」
・仁川 12.03:「仁川 南洞体育館」
・高陽 12.17:「一山 KINTEX」第1展示場3Aホール
・昌原 12.31:「昌原コンベンションセンター(CECO)」
・水原 '17.01.21-22:「水原 室内体育館」
・議政府 '17.02.04-05:「議政府 室内体育館」
・清州 ’17.02.18-19:「清州大学 石隅文化体育館」
・慶山 ’17.03.04-05:「慶山 室内体育館」
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・歌手イ・ソンヒがワールドツアーに出る。
・(イ・ソンヒの)所属事務所「フックエンターテインメント」サイド関係者は、21日、エクスポーツニュースに「イ・ソンヒが来る5月に米国のLA、9月にオーストラリアのシドニーでコンサートを進める。以後、他国も検討中だが、イ・ソンヒのコンディションおよび日程などを調整してみなければならない」と公式立場を明らかにした。
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ちなみに、イ・ソンヒは、昨年9月に開始した国内ツアー ”The Great Concert” を、次の通り、来月4、5日の慶州慶山でのコンサートを以って終了する。しばらく休憩を取り、ワールドツアーに向けて準備するという。
2016-17 コンサ-ト ”The Great Concert” (9/2-4)
・ソウル09.02-04:「世宗文化会館」 ★9月4日レポート
・大邱 09.24-25:「EXCO5階コンベンションホール」
・全州 10.07-08:「韓国音(ソリ)文化の殿堂」野外音楽堂
・光州 10.22:「光州女子大学」ユニバーシアード体育館
・大田 11.05-06:「大田貿易展示館」
・釜山 11.19-20:「KBS 釜山ホール」
・仁川 12.03:「仁川 南洞体育館」
・高陽 12.17:「一山 KINTEX」第1展示場3Aホール
・昌原 12.31:「昌原コンベンションセンター(CECO)」
・水原 '17.01.21-22:「水原 室内体育館」
・議政府 '17.02.04-05:「議政府 室内体育館」
・清州 ’17.02.18-19:「清州大学 石隅文化体育館」
・慶山 ’17.03.04-05:「慶山 室内体育館」
KBS WORLD「国楽の世界へ」 春香の歌
KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(2/15)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、パンソリの主人公の「春香(춘향)」や「沈清(심청)」に関連した3曲を紹介した。
始めに、パンソリ「春香歌(춘향가)」の物語と、それと異なる逸話について次のように紹介された。
・民族芸能のパンソリは、「興夫歌(흥보가)」、「沈清歌(심청가)」、「春香歌」、「赤壁歌(적벽가)」、「水宮歌(수궁가)」の五つが伝わる。歴史を素材にした「赤壁歌」以外は、伝説をまとめたもので、「春香歌」は妓生の娘の春香と御曹司の李夢龍(이몽룡)の愛の物語。春香は美しい娘、李夢龍は科挙に合格の高官として登場する。ところで、従来と一風変わった説話では、春香を不細工、李夢龍も頭の芳しくない親の財で遊び歩く暇人という。ある日、李夢龍はブランコ(그네)に乗った春香を見て、両親の反対を押して結婚する。いざ結婚をしてみると、見初めたときの春香でなく違いに驚く。李夢龍は家を出て戻らず、春香は自ら命を絶つ。村人が、そんな春香の霊を慰めるため作ったのが、パンソリ<春香の物語>という。
(Daumに登録の유박사に感謝)
▼ <アニメとパンソリが融合した>作品から「余りにも不細工な春香(너무도 못생긴 춘향)」を聴く。既視感が・・・。
次に、パンソリ「春香歌」の春香の悲恋の背景、現代に置き換える想像について次のように解説された。
・パンソリ「春香歌」では、春香は美しく学問にも素養のある意志の強い人物で、李夢龍が科挙試験に去った後、後任の地方官の誘いに応じなかった。その後、李夢龍が「民情を探るために密かに地方を巡り、民をいじめる者を罰する」勅命を奉じて、わざと乞食姿で現れる。春香の母は、春香の辛い境遇を嘆き李夢龍を諌める。そんな母を春香は引き留めたが、気持ちはいかばかりだったろう。自分が死ぬ羽目になっても、乞食姿の李夢龍のため節義を守りたかったのか。妓生の娘と両班の御曹司の結婚事体、当時の常識とは合わなかった。仮に物語りが現代としたら、春香はどうなったろうか。
▼ 春香の物語りが現代としたらと歌った曲「李夢龍」(プロジェクトロック)を聴く。今様の元気良さ。
最後に、「沈清歌」の主人公「沈清」の想いについて次のように紹介された。
・「春香歌」は節義、「赤壁歌」と「水宮歌」は国への忠誠、「興夫歌」は兄弟愛、「沈清歌」は親孝行を強調する。パンソリに人々の情動が自然でないことがある。最近、そんなパンソリの主人公をモダンに斟酌した曲が多い。
・「沈清」は、盲の父の目を治すため、自らを犠牲にした物語だ。父のために船に乗って去った彼女の思いは複雑だったはず。親孝行な娘だったが、なぜこんな目に合わねばならなぬのかという、恨みもあったかもしれない。そんな想いを表現した。
▼ 沈清の複雑な想いを表現した「清、海になる(청 바다가 되다)」を聴く。悲しみの海は黒く、浪は深い・・・今様で。
始めに、パンソリ「春香歌(춘향가)」の物語と、それと異なる逸話について次のように紹介された。
・民族芸能のパンソリは、「興夫歌(흥보가)」、「沈清歌(심청가)」、「春香歌」、「赤壁歌(적벽가)」、「水宮歌(수궁가)」の五つが伝わる。歴史を素材にした「赤壁歌」以外は、伝説をまとめたもので、「春香歌」は妓生の娘の春香と御曹司の李夢龍(이몽룡)の愛の物語。春香は美しい娘、李夢龍は科挙に合格の高官として登場する。ところで、従来と一風変わった説話では、春香を不細工、李夢龍も頭の芳しくない親の財で遊び歩く暇人という。ある日、李夢龍はブランコ(그네)に乗った春香を見て、両親の反対を押して結婚する。いざ結婚をしてみると、見初めたときの春香でなく違いに驚く。李夢龍は家を出て戻らず、春香は自ら命を絶つ。村人が、そんな春香の霊を慰めるため作ったのが、パンソリ<春香の物語>という。
(Daumに登録の유박사に感謝)
▼ <アニメとパンソリが融合した>作品から「余りにも不細工な春香(너무도 못생긴 춘향)」を聴く。既視感が・・・。
次に、パンソリ「春香歌」の春香の悲恋の背景、現代に置き換える想像について次のように解説された。
・パンソリ「春香歌」では、春香は美しく学問にも素養のある意志の強い人物で、李夢龍が科挙試験に去った後、後任の地方官の誘いに応じなかった。その後、李夢龍が「民情を探るために密かに地方を巡り、民をいじめる者を罰する」勅命を奉じて、わざと乞食姿で現れる。春香の母は、春香の辛い境遇を嘆き李夢龍を諌める。そんな母を春香は引き留めたが、気持ちはいかばかりだったろう。自分が死ぬ羽目になっても、乞食姿の李夢龍のため節義を守りたかったのか。妓生の娘と両班の御曹司の結婚事体、当時の常識とは合わなかった。仮に物語りが現代としたら、春香はどうなったろうか。
▼ 春香の物語りが現代としたらと歌った曲「李夢龍」(プロジェクトロック)を聴く。今様の元気良さ。
最後に、「沈清歌」の主人公「沈清」の想いについて次のように紹介された。
・「春香歌」は節義、「赤壁歌」と「水宮歌」は国への忠誠、「興夫歌」は兄弟愛、「沈清歌」は親孝行を強調する。パンソリに人々の情動が自然でないことがある。最近、そんなパンソリの主人公をモダンに斟酌した曲が多い。
・「沈清」は、盲の父の目を治すため、自らを犠牲にした物語だ。父のために船に乗って去った彼女の思いは複雑だったはず。親孝行な娘だったが、なぜこんな目に合わねばならなぬのかという、恨みもあったかもしれない。そんな想いを表現した。
▼ 沈清の複雑な想いを表現した「清、海になる(청 바다가 되다)」を聴く。悲しみの海は黒く、浪は深い・・・今様で。
2017年2月21日火曜日
オーロラとキツネ
このブログでは、イ・ソンヒの歌に関わるテーマを選んでいる。九尾狐と人との縁をドラマにした劇中歌「狐の嫁入り(여우비)」を彼女が歌ったことから、キツネに関連する話題について記載している。
この寒い時期だからか、「フィンランド政府観光局公式ホームページ」の「気になる話題(人気記事)」に、「オーロラ キツネが飛び散らせる火花?」がある。
フィンランドの北部(ラップランドなど)に住むサーミ(Sápmi)の人々の伝説に、オーロラ(極光)は「キツネが北極圏の丘を走るとき、尻尾が雪原に触れ、それが火花となって巻き上がり、夜空に光となって現れる」という。洋の東西を問わず、キツネと光(あるいは火)は馴染みやすい民間伝承のようだ(例えば、日本では「狐火」があるように・・・、そういえばブラウザに”Firefox”があったりして)。
(本ブログ関連:”狐の嫁入り”、”稲荷”)不思議な力がある。
キツネの尾が雪原に触れて、火花を巻き上げ、オーロラの明かりになるには、自然の条件も必要のようだ。余りに寒い極北の地ラップランドでは、雪は乾いてパウダー状になるという。雪を巻き上げながら、夜行性のキツネがオーロラの夜を走り回るのも合点が行く。
ところで、日本の場合は、雪に湿気があって積もることが多い。
この寒い時期だからか、「フィンランド政府観光局公式ホームページ」の「気になる話題(人気記事)」に、「オーロラ キツネが飛び散らせる火花?」がある。
フィンランドの北部(ラップランドなど)に住むサーミ(Sápmi)の人々の伝説に、オーロラ(極光)は「キツネが北極圏の丘を走るとき、尻尾が雪原に触れ、それが火花となって巻き上がり、夜空に光となって現れる」という。洋の東西を問わず、キツネと光(あるいは火)は馴染みやすい民間伝承のようだ(例えば、日本では「狐火」があるように・・・、そういえばブラウザに”Firefox”があったりして)。
(本ブログ関連:”狐の嫁入り”、”稲荷”)不思議な力がある。
キツネの尾が雪原に触れて、火花を巻き上げ、オーロラの明かりになるには、自然の条件も必要のようだ。余りに寒い極北の地ラップランドでは、雪は乾いてパウダー状になるという。雪を巻き上げながら、夜行性のキツネがオーロラの夜を走り回るのも合点が行く。
ところで、日本の場合は、雪に湿気があって積もることが多い。
2017年2月20日月曜日
イ・ソンヒの「離別小曲」
イ・ソンヒの12集所収の「離別小曲(이별 소곡)」(2001年、作詞クォン・ジンヨン、作曲イ・ソンヒ)は、しっとりとした抑制のきいた曲だ。先週から、彼女の別れ歌を聴いてきた。2集所収の「恋人のなみだ(연인의 눈물)」(1985年)、4集所収の「さようなら(안녕)」(1988年)、そして今日の「離別小曲」。
(本ブログ関連:”離別小曲”)
アルバムの発行年に従って、別れの場面も変わってくるようで、対象化から孤独までさまざま。初期の、のりしろの大きな別れに比べれば、年とともに味わいは深くなる・・・。この後、より大きな世界観を示すことになる、15集タイトル曲「その中であなたに出会って(그 중에 그대를 만나)」(2014年)が登場する。
生きていくことが、とても辛いです
そばにはあなたが いたのに
あなたなしに生きるなんて、一人になるなんて
思ってみたことないのに
残った人はそれでも 生きられるという
その言葉が、さらに苦しめます
こんなに会いたいのに 忘れることができないのに
残った私には 苦しい重荷なだけです
私に待てといわれるなら ただこう生きろといわれるなら
それはとても残酷じゃないの
あまりにも会いたいのに こんな私を置いて行かれたのですか
愛してる 待てと いっておいて
生きていくことが つらいのです
私に残ったあなたの 名残りだけで・・・
______
一生いきていっても、遂げられぬ恋なのに
なぜ私には時間をくれなかったのですか
残ったものはもうありません
戻せるのなら、以前のように一緒にできるのなら
生きていくことが つらいのです
私に残ったあなたの 名残りだけで・・・
生きていく痛ましさ もういいわ
わたしも 今 あなたのそばに 行きます
(Youtubeに登録のdove2727に感謝)
(本ブログ関連:”離別小曲”)
アルバムの発行年に従って、別れの場面も変わってくるようで、対象化から孤独までさまざま。初期の、のりしろの大きな別れに比べれば、年とともに味わいは深くなる・・・。この後、より大きな世界観を示すことになる、15集タイトル曲「その中であなたに出会って(그 중에 그대를 만나)」(2014年)が登場する。
生きていくことが、とても辛いです
そばにはあなたが いたのに
あなたなしに生きるなんて、一人になるなんて
思ってみたことないのに
残った人はそれでも 生きられるという
その言葉が、さらに苦しめます
こんなに会いたいのに 忘れることができないのに
残った私には 苦しい重荷なだけです
私に待てといわれるなら ただこう生きろといわれるなら
それはとても残酷じゃないの
あまりにも会いたいのに こんな私を置いて行かれたのですか
愛してる 待てと いっておいて
生きていくことが つらいのです
私に残ったあなたの 名残りだけで・・・
______
一生いきていっても、遂げられぬ恋なのに
なぜ私には時間をくれなかったのですか
残ったものはもうありません
戻せるのなら、以前のように一緒にできるのなら
生きていくことが つらいのです
私に残ったあなたの 名残りだけで・・・
生きていく痛ましさ もういいわ
わたしも 今 あなたのそばに 行きます
(Youtubeに登録のdove2727に感謝)
2017年2月19日日曜日
(雑談)調布飛行場を巡る
ぶらぶら散歩。時のままに見た通りダラダラと記す。
日曜の昼、今日が最終日の「梅まつり」を見に、北にある公園へ行こうと家を出たものの、位置が間逆の「調布飛行場」へ足を向けることにした。ほんの気紛れ、実は、真っ青な空に<飛行機雲>が走っているのが見えたからだ。それも、白く細長い雲の筋を残して天空を西へ横切っていた。
(本ブログ関連:”調布飛行場”)
調布飛行場へ行く途中にある公園のベンチでしばらく日向ぼっこする。陽射しが穏やかで、風も爽やか、余りに気持ちよくて一瞬まどろみかけた。そうもいかず、公園を貫く小川に沿って下流へ向かう。橋を渡って、隣接する別の公園に入り、小道を南に抜ける。
公園を出て少し進むと、調布飛行場の滑走路が現れる。「ドルニエ228」の3機が駐機していた。そのうち1機が目の前を北にタキシングし、滑走路に入るやすぐに南へ滑走、離陸した。その後も南の空へ機体が飛び立った。(Youtube映像で、いったん北へ離陸し、南に反転するものもあるが・・・)
日曜日に、こんなに続けてドルニエ機が離陸する様子を見たことがない。多分、時間帯によるのだろうけれど。
飛行場南側には、スポーツ競技場が何面も整備されている。競技場は広く、野球場、サッカー場、テニスコートなど多様である。野球やサッカーは主に少年(小学生くらい)たちが試合をしていた。女子(中高生くらい)サッカーの試合もあった。
(少年の試合には、母親たちが多数応援に来ていて・・・微笑ましくあり可笑しな思いがした)
調布飛行場の周遊(周辺巡り)の終盤、Uターンした道で、「味の素スタジアム」に出くわした。本格的サッカー競技場を間近に見たのは初めて。脇を通りながら巨大施設の全体を目にすることはできない。サッカー競技場がこんなに大きなものとは知らなかった。
帰り道、再び、西に飛翔する飛行機雲を見た。何だかとても懐かしい思いをした。
荒井由美(松任谷由美)の「ひこうき雲」(1973年)には、しみじみとします。
(Youtubeに登録のhigh_note Music Loungeに感謝)
日曜の昼、今日が最終日の「梅まつり」を見に、北にある公園へ行こうと家を出たものの、位置が間逆の「調布飛行場」へ足を向けることにした。ほんの気紛れ、実は、真っ青な空に<飛行機雲>が走っているのが見えたからだ。それも、白く細長い雲の筋を残して天空を西へ横切っていた。
(本ブログ関連:”調布飛行場”)
調布飛行場へ行く途中にある公園のベンチでしばらく日向ぼっこする。陽射しが穏やかで、風も爽やか、余りに気持ちよくて一瞬まどろみかけた。そうもいかず、公園を貫く小川に沿って下流へ向かう。橋を渡って、隣接する別の公園に入り、小道を南に抜ける。
公園を出て少し進むと、調布飛行場の滑走路が現れる。「ドルニエ228」の3機が駐機していた。そのうち1機が目の前を北にタキシングし、滑走路に入るやすぐに南へ滑走、離陸した。その後も南の空へ機体が飛び立った。(Youtube映像で、いったん北へ離陸し、南に反転するものもあるが・・・)
日曜日に、こんなに続けてドルニエ機が離陸する様子を見たことがない。多分、時間帯によるのだろうけれど。
飛行場南側には、スポーツ競技場が何面も整備されている。競技場は広く、野球場、サッカー場、テニスコートなど多様である。野球やサッカーは主に少年(小学生くらい)たちが試合をしていた。女子(中高生くらい)サッカーの試合もあった。
(少年の試合には、母親たちが多数応援に来ていて・・・微笑ましくあり可笑しな思いがした)
調布飛行場の周遊(周辺巡り)の終盤、Uターンした道で、「味の素スタジアム」に出くわした。本格的サッカー競技場を間近に見たのは初めて。脇を通りながら巨大施設の全体を目にすることはできない。サッカー競技場がこんなに大きなものとは知らなかった。
帰り道、再び、西に飛翔する飛行機雲を見た。何だかとても懐かしい思いをした。
荒井由美(松任谷由美)の「ひこうき雲」(1973年)には、しみじみとします。
(Youtubeに登録のhigh_note Music Loungeに感謝)
2017年2月18日土曜日
suomen kieli
先週に引き続き、近隣の街の公民館で催されたフィンランド紹介のイベントに出かけた。講師は、テレビでおなじみの坂根シルック氏(東京農工大特任准教授)。話しぶりが、柔和で丁寧、温和な人柄を感じさせた。配布のプロフィールから、日本との縁が長く深いようだ。後で話題にされたことだが、日本人とフィンランド人は共に寡黙で、気質が似ているという。
以下は、わたしが関心のあった内容。その他に、地誌(地勢)、自然(四季、気象)、国民性(宗教、平和で平等意識が強い)、学制、および現在の社会的課題(社会福祉、格差)などについて語られたが・・・詳細は別の機会に記したい。
フィンランド史
「スウェーデン時代(1150年~1809年)」*、「ロシア時代(1809年~1917年)」**、「フィンランド時代(1917年12月6日~)」の3分類されるという。(実は、スウェーデン時代以前の宗教、言語について知りたかったが・・・)
(*)1155年:スウェーデンによる北方十字軍の支配下になる
(**)1917年:ロシア革命に乗じてロシアより独立
海に囲まれた日本人の国境感覚と違って、国家が地続きで隣接する場合、国境は川や丘の向こうにある。シルック氏の父方の故郷である「カレリア」***地方は、フィンランドとロアシア・ソ連との間で割譲が繰り返された。同地の争いを含めて、次のような戦が続く。「冬戦争(1939年~1940年:対露)」、「接続戦争(1941年~1944年:対露)」、「ラップランド戦争(1944年~1945年:対独)」
(***)カレリア:スプートニクス(The Spotnicks)の「霧のカレリア(karelia)」(1965)を思い出す。
(ブログ「澎湖島のニガウリ日誌」に感謝)
フィンランド語
フィンランド語は、1922年に第2母国語となったが、現在の話者は、フィンランド語:90%、スウェーデン語:5%、サーミ語:数パーセントとのこと。
Suomi kieli : フィンランドのことば(名詞+名詞)
suomen kieli : フィンランド語(形容詞+名詞)
フィンランド語の簡単な挨拶について、15語ほど紹介された。その中で日本人に好まれている言葉として、「kiitos」が紹介された。確かに街中で見たことがありますね。
(実は、フィンランド語の膠着語らしさについて聞いてみたかったが・・・。現在、「フィンランド語のしくみ」(吉田欣吾)を読んでいるものの、まだ Tuo on sinun kirjasi. の段階で、膠着語がどうだこうだを知るレベルで全く!無くて・・・)
フィンランド人の好み
・コーヒー
・アイスクリーム
・キャンドル(蝋燭)
ちなみに、数駅先の町にあるベーカリーに、シルック氏推奨の(フィンランド風)ライ麦パンがあるという。このパンは、まるで日本人にとって米のようなものらしい。近々食してみたい。
以下は、わたしが関心のあった内容。その他に、地誌(地勢)、自然(四季、気象)、国民性(宗教、平和で平等意識が強い)、学制、および現在の社会的課題(社会福祉、格差)などについて語られたが・・・詳細は別の機会に記したい。
フィンランド史
「スウェーデン時代(1150年~1809年)」*、「ロシア時代(1809年~1917年)」**、「フィンランド時代(1917年12月6日~)」の3分類されるという。(実は、スウェーデン時代以前の宗教、言語について知りたかったが・・・)
(*)1155年:スウェーデンによる北方十字軍の支配下になる
(**)1917年:ロシア革命に乗じてロシアより独立
海に囲まれた日本人の国境感覚と違って、国家が地続きで隣接する場合、国境は川や丘の向こうにある。シルック氏の父方の故郷である「カレリア」***地方は、フィンランドとロアシア・ソ連との間で割譲が繰り返された。同地の争いを含めて、次のような戦が続く。「冬戦争(1939年~1940年:対露)」、「接続戦争(1941年~1944年:対露)」、「ラップランド戦争(1944年~1945年:対独)」
(***)カレリア:スプートニクス(The Spotnicks)の「霧のカレリア(karelia)」(1965)を思い出す。
(ブログ「澎湖島のニガウリ日誌」に感謝)
フィンランド語
フィンランド語は、1922年に第2母国語となったが、現在の話者は、フィンランド語:90%、スウェーデン語:5%、サーミ語:数パーセントとのこと。
Suomi kieli : フィンランドのことば(名詞+名詞)
suomen kieli : フィンランド語(形容詞+名詞)
フィンランド語の簡単な挨拶について、15語ほど紹介された。その中で日本人に好まれている言葉として、「kiitos」が紹介された。確かに街中で見たことがありますね。
(実は、フィンランド語の膠着語らしさについて聞いてみたかったが・・・。現在、「フィンランド語のしくみ」(吉田欣吾)を読んでいるものの、まだ Tuo on sinun kirjasi. の段階で、膠着語がどうだこうだを知るレベルで全く!無くて・・・)
フィンランド人の好み
・コーヒー
・アイスクリーム
・キャンドル(蝋燭)
ちなみに、数駅先の町にあるベーカリーに、シルック氏推奨の(フィンランド風)ライ麦パンがあるという。このパンは、まるで日本人にとって米のようなものらしい。近々食してみたい。
2017年2月17日金曜日
春一番 2017
朝からせわしく風が吹き窓を揺する。南の風だから温むはずなのに、最初にしたことはストーブに火をつけることだった。気分は、いまだ冬から脱していない。今年最初の「春一番」が吹いた。都心の気温は、9時現在で何と16℃だそうだ。
(本ブログ関連:”春一番”)
朝日新聞(デジタル)の記事「関東と北陸で春一番 各地で気温上昇、強風に注意」(2/17、10時48分」は、春一番の模様を次のように報告している。(抜粋)
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気象庁は(本日)17日、北陸と関東地方で「春一番」が吹いたと発表した。・・・関東、北陸の昨年の春一番は2月14日だった。(本日)17日午前10時までの最大瞬間風速は東京都心で18.0メートル・・・各地で気温も上昇し、東京都心や横浜市では17日午前9時現在で16度となった。
-----------------------------------------
ちなみに、気象庁の「風向に関する用語」で、「春一番」について次のように解説している。(風速の基準はいかに?)
-----------------------------------------
冬から春への移行期に、初めて吹く暖かい南よりの強い風。
(備考)気象庁では立春から春分までの間に、広い範囲(地方予報区くらい)で初めて吹く、暖かく(やや)強い南よりの風としている。
-----------------------------------------
「春一番」といえば、キャンディーズの「もうすぐ春ですね 恋をしてみませんか」の歌詞が浮かんでくる。春風に押し出される恋の芽吹きというものか、1975/6年の《ちょっと気取ってみませんか》と呼びかける可愛らしい歌だ。
(本ブログ関連:”春一番”)
朝日新聞(デジタル)の記事「関東と北陸で春一番 各地で気温上昇、強風に注意」(2/17、10時48分」は、春一番の模様を次のように報告している。(抜粋)
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気象庁は(本日)17日、北陸と関東地方で「春一番」が吹いたと発表した。・・・関東、北陸の昨年の春一番は2月14日だった。(本日)17日午前10時までの最大瞬間風速は東京都心で18.0メートル・・・各地で気温も上昇し、東京都心や横浜市では17日午前9時現在で16度となった。
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ちなみに、気象庁の「風向に関する用語」で、「春一番」について次のように解説している。(風速の基準はいかに?)
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冬から春への移行期に、初めて吹く暖かい南よりの強い風。
(備考)気象庁では立春から春分までの間に、広い範囲(地方予報区くらい)で初めて吹く、暖かく(やや)強い南よりの風としている。
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「春一番」といえば、キャンディーズの「もうすぐ春ですね 恋をしてみませんか」の歌詞が浮かんでくる。春風に押し出される恋の芽吹きというものか、1975/6年の《ちょっと気取ってみませんか》と呼びかける可愛らしい歌だ。
2017年2月16日木曜日
観梅
今日の都心の最高気温は、13.7℃(12:46)だった。その頃に、「梅」の開花の様子を見たく公園に出かけた。春一番も近いという。かまえた防寒着が何となく重く感じたが、この暖かさは明日までらしい。とはいえ、陽射しはのんびり穏やかで、平日ながら人出もある。日光に温もろうという、おじさん、おばさんたちばかりだが・・・。
今年は「梅まつり」単独の開催でなく、「四季の花まつり<冬>」との併催のようで、それも18(土)、19(日)に開かれるという。だが、梅林の方はすでに9割方花開き、一部の梅花は萎れ始めている。公園併設の建物園前の広場には、それを見越してだろうか、早々に屋台テントが並んでいるのだが・・・。

梅の賑やかさに押されるように、梅林の縁にひっそりと「蝋梅」が美しい黄金色の花を咲かせている。微風のせいで薄まった、ほどよい香りがあたりに漂う。例年、観梅に合わせて蝋梅の花に近寄って、その香気を確かめている。
今年は「梅まつり」単独の開催でなく、「四季の花まつり<冬>」との併催のようで、それも18(土)、19(日)に開かれるという。だが、梅林の方はすでに9割方花開き、一部の梅花は萎れ始めている。公園併設の建物園前の広場には、それを見越してだろうか、早々に屋台テントが並んでいるのだが・・・。
梅の賑やかさに押されるように、梅林の縁にひっそりと「蝋梅」が美しい黄金色の花を咲かせている。微風のせいで薄まった、ほどよい香りがあたりに漂う。例年、観梅に合わせて蝋梅の花に近寄って、その香気を確かめている。
2017年2月15日水曜日
KBS WORLD「国楽の世界へ」 島歌
KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(2/8)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、島歌に関連した3曲を紹介した。
始めに、全羅道地域の島「可居島(가거도)」の歌を楽しむ「山台(산다이)」について次のように紹介された。
・三面海に囲まれた国土は島が多く、概ね3,000ほどある。西海岸と南海岸、中でも、全羅道地域に集中する。全羅道の莞島、麗水地域の清青色の海辺に、まるで田畑のように、海産物の海苔やカキの養殖場が広がる。その合間に並ぶ島々は、野に立つ山にも見える。島嶼と陸とは往来が難しく、島ならではの文化が伝承した。そのひとつに、「山台」という島民が集い歌う楽しみがある。語源は不明だが、仮面をつけて踊る「山台」遊びに由来する説もある。
・西南海岸地方の島遊びの「山台」は、主に節句や葬儀に、魚市場で行われた。子供たちが山に行って遊ぶ「山遊び山台」などへ進展した。「可居島山台」は、みなで繰り返すのではなく、一人ずつ歌うのが特徴。
▼ 可居島地域の歌「可居島山台」を聴く。可居島の生活に根ざした歌か、素朴なフレーズを次々手渡して歌う。
次に、全羅南道の「巨文島(거문도)」の「舟歌(뱃노래)」について次のように紹介された。
・人々は、昔から歌がとても好きで、仕事にも歌は欠かせなかった。農作はもちろん、漁労にも歌は必須だった。海の仕事も一人でできることは余りなく、みなで力を合わせ、呼吸を合わせるのに歌は最も適していた。櫓を漕ぐ音(歌)、網を引く声(歌)、魚を釣り揚げるとき出す声(歌)など、多様な声(歌)が伝わっている。海の男が海に対して歌う声は、力強いのが特徴。
▼ 全羅南道無形文化財の舟歌「巨文島舟歌(거문도 뱃노래)」を聴く。波頭を漕ぎ分け進む男たちが勇壮に歌うよう。
最後に、済州島民謡「ソウジェソリ(서우제소리)」について次のように紹介された。
・済州島は、石と風と女性の三つが多い「三多島」と呼ばれる。男が海で亡くなることが多く、比較的女性が多いからだろう。一方、社会活動する女性が多いという意味でもある。済州島では、女性が今も家計を管理をする場合が多い。田がなく畑仕事を中心にする。また、海の仕事で家族の生活を担った伝統がある。海女が海の中で歌った曲も伝わる。
・巫女がクッ(굿、祭祀)を行うとき歌った歌から始まり、海女が安全と裕福を祈った歌「ソウジェソリ」は、その後人々が遊ぶ時にも歌う民謡となったという。
▼ 人々が遊ぶ時にも歌う済州島の民謡「ソウジェソリ」を聴く。洗練された響きになって・・・。
始めに、全羅道地域の島「可居島(가거도)」の歌を楽しむ「山台(산다이)」について次のように紹介された。
・三面海に囲まれた国土は島が多く、概ね3,000ほどある。西海岸と南海岸、中でも、全羅道地域に集中する。全羅道の莞島、麗水地域の清青色の海辺に、まるで田畑のように、海産物の海苔やカキの養殖場が広がる。その合間に並ぶ島々は、野に立つ山にも見える。島嶼と陸とは往来が難しく、島ならではの文化が伝承した。そのひとつに、「山台」という島民が集い歌う楽しみがある。語源は不明だが、仮面をつけて踊る「山台」遊びに由来する説もある。
・西南海岸地方の島遊びの「山台」は、主に節句や葬儀に、魚市場で行われた。子供たちが山に行って遊ぶ「山遊び山台」などへ進展した。「可居島山台」は、みなで繰り返すのではなく、一人ずつ歌うのが特徴。
▼ 可居島地域の歌「可居島山台」を聴く。可居島の生活に根ざした歌か、素朴なフレーズを次々手渡して歌う。
次に、全羅南道の「巨文島(거문도)」の「舟歌(뱃노래)」について次のように紹介された。
・人々は、昔から歌がとても好きで、仕事にも歌は欠かせなかった。農作はもちろん、漁労にも歌は必須だった。海の仕事も一人でできることは余りなく、みなで力を合わせ、呼吸を合わせるのに歌は最も適していた。櫓を漕ぐ音(歌)、網を引く声(歌)、魚を釣り揚げるとき出す声(歌)など、多様な声(歌)が伝わっている。海の男が海に対して歌う声は、力強いのが特徴。
▼ 全羅南道無形文化財の舟歌「巨文島舟歌(거문도 뱃노래)」を聴く。波頭を漕ぎ分け進む男たちが勇壮に歌うよう。
最後に、済州島民謡「ソウジェソリ(서우제소리)」について次のように紹介された。
・済州島は、石と風と女性の三つが多い「三多島」と呼ばれる。男が海で亡くなることが多く、比較的女性が多いからだろう。一方、社会活動する女性が多いという意味でもある。済州島では、女性が今も家計を管理をする場合が多い。田がなく畑仕事を中心にする。また、海の仕事で家族の生活を担った伝統がある。海女が海の中で歌った曲も伝わる。
・巫女がクッ(굿、祭祀)を行うとき歌った歌から始まり、海女が安全と裕福を祈った歌「ソウジェソリ」は、その後人々が遊ぶ時にも歌う民謡となったという。
▼ 人々が遊ぶ時にも歌う済州島の民謡「ソウジェソリ」を聴く。洗練された響きになって・・・。
2017年2月14日火曜日
イ・ソンヒの「さようなら」
恋人たちの別れを暗示する冷たいティーカップの前の二人を歌った、イ・ソンヒの2集収録の「恋人のなみだ」について、昨日のブログで触れた。その続きとして、彼女の4集収録の「さようなら(안녕)」(1988年、作詞イ・ギョンエ、作曲キム・イラン)を聴いてみたい。2集の「恋人のなみだ」から、4集の「さようなら」に至るに従い、別れの場面での女性像がはっきりしてくる気がする。
(本ブログ関連:”恋人のなみだ”、”さようなら”)
とはいえ、次のYoutube映像のイ・ソンヒときたら、まるで風呂上りのような風貌で、力強く歌う。1990年に訪れた、モントリオール室内楽団と共演した一場面で、26歳のときの頃、どこか未分化なボーイッシュな風情すらする。
(本ブログ関連:”モントリオール室内楽団”)
美し過ぎた思い出にふけりながら
あなたの寝顔を見つめて
あなたの額に口づけして
静かにささやいたわ
さようなら
ドアを、ドアを開けしなに心残りして
もう一度、あなたを見つめて
遠くから聞こえる夜明けの鐘に
静かにもう一度
さようなら
別れは、本当につらい
愛とは、ただあなた
けれど、去らねばならない私を引き止めないで
ああ、引き止めないでください
愛しています
ドアの、ドアの外に出たら、冷たい夜は明け
コートの襟を上げて、口笛吹いて
白(しら)露なのか涙なのか、私の目もとに流れ
静かにささやいたわ
さようなら
静かに、もう一度
さようなら、さようなら
(Youtubeに登録のKoreanMusicSubsに感謝)
(本ブログ関連:”恋人のなみだ”、”さようなら”)
とはいえ、次のYoutube映像のイ・ソンヒときたら、まるで風呂上りのような風貌で、力強く歌う。1990年に訪れた、モントリオール室内楽団と共演した一場面で、26歳のときの頃、どこか未分化なボーイッシュな風情すらする。
(本ブログ関連:”モントリオール室内楽団”)
美し過ぎた思い出にふけりながら
あなたの寝顔を見つめて
あなたの額に口づけして
静かにささやいたわ
さようなら
ドアを、ドアを開けしなに心残りして
もう一度、あなたを見つめて
遠くから聞こえる夜明けの鐘に
静かにもう一度
さようなら
別れは、本当につらい
愛とは、ただあなた
けれど、去らねばならない私を引き止めないで
ああ、引き止めないでください
愛しています
ドアの、ドアの外に出たら、冷たい夜は明け
コートの襟を上げて、口笛吹いて
白(しら)露なのか涙なのか、私の目もとに流れ
静かにささやいたわ
さようなら
静かに、もう一度
さようなら、さようなら
(Youtubeに登録のKoreanMusicSubsに感謝)
2017年2月13日月曜日
イ・ソンヒの「恋人のなみだ」
イ・ソンヒのアルバム第2集に収録の「恋人のなみだ(연인의 눈물)」(歌詞)(1985年、作詞チョン・ウニ、作曲ナム・ククイン)は、予告なく出会い、限りなく愛を語った二人の別れを歌う。
(本ブログ関連:”恋人のなみだ”)
そのとき、目の前のティーカップを黙って見つめるだけ・・・。静かな別れの場面にティーカップはいいかもしれない。日本のペドロ&カプリシャスの「別れの朝」(1971年)もそうだったし。ガラスコップでは修羅場の跡のようで様にならない・・・。それにしても、二人がティーカップを見つめる場面は、韓国の歌によく見かける。
ここでは、イ・ソンヒの澄みわたる歌唱力に酔いしれたい。
(Youtubeに登録のdove2727に感謝)
(本ブログ関連:”恋人のなみだ”)
そのとき、目の前のティーカップを黙って見つめるだけ・・・。静かな別れの場面にティーカップはいいかもしれない。日本のペドロ&カプリシャスの「別れの朝」(1971年)もそうだったし。ガラスコップでは修羅場の跡のようで様にならない・・・。それにしても、二人がティーカップを見つめる場面は、韓国の歌によく見かける。
ここでは、イ・ソンヒの澄みわたる歌唱力に酔いしれたい。
(Youtubeに登録のdove2727に感謝)
2017年2月12日日曜日
(資料) 韓国の宗教人口 :「2015人口住宅総調査」 より
昨年(2016年)末に発表のデータだが、韓国統計庁の報道資料(プレスリリース)「2015人口住宅総調査の標本集計結果(人口、世帯、住宅基本特性項目)」(2016年12月19日)の中で、<1995年から10年周期で実施調査である>宗教分野について、(2015年の10年前の2005年と比べて)無宗教と答えた人の割合が初めて半数を超え、仏教が2位に落ち、プロテスタントが1位にのし上がったと報告された。
今回の2015年調査は、2005年までの全数調査に対して、<宗教分野>の調査は次のような標本/直接調査の2種で構成されている。
・インターネット調査 : 2015年10月24日~10月31日(8日間)
・本調査(訪問面接調査): 2015年11月1日~11月15日(15日間)
苦難の歴史的背景を持ち、檀家制度のない韓国仏教は独特な位置にある。また、キリスト教人口は日本と比べて極端に多い。特にプロテスタントについては、韓国特有の宗教ベースの事情が語られることがある。
ちなみに、イ・ソンヒ(家族)と仏教の深い関係については、本ブログで何度も触れている。
(本ブログ関連:韓国の”宗教人口”、”仏教宗派”)
朝鮮日報(日本語版)「韓国の信徒数1位はプロテスタント19.7%、無宗教は56%」(2016年12月30日、金翰秀(キム・ハンス宗教専門記者 , ソン・ジンソク記者)は、次のように報じている。(改行随時、抜粋)
-----------------------------------------------------
10年に1度ずつ統計庁が実施する宗教分布調査で、2015年の信徒数が最も多かった宗教団体はプロテスタントであることが分かった。(2016年12月)19日に統計庁が発表した「2015人口住宅総調査」によると、
・韓国国民のうち宗教に入っている国民は43.9%、入っていない国民(無宗教)は56.1%だった。1995年から10年周期で実施された同調査で無宗教と答えた人の割合が初めて半数を超えた。全回答者のうち、
・プロテスタントを信じる人が19.7%(967万人)で、
・仏教を信じる人が15.5%(761万人)だった。
・カトリックは7.9%(389万人)だった。
宗教に入っていると答えた国民の実に98.3%がこの3団体の一つに属していることが分かった。円仏教、儒教、天道教などがこれに続いた。
注目すべきことは、1995年と2005年の調査で
・常に1位を守ってきた仏教が2位に落ちて、
・これまで2位だったプロテスタントが1位にのし上がったことだ。
仏教は全回答者のうち1995年に23.2%、2005年に22.8%と、95年に19.4%、05年に18.2%だったプロテスタントよりも信徒数が多かったが、今回の調査で順位が入れ替わった。
無宗教と答えた人の割合は、若者の間で高かった。20代は64.9%、10代は62%が無宗教と回答したが、年齢の高まりとともに宗教に入っている人の割合が高まり、60代は57.7%、70代以上は58.2%が宗教に入っていると答えた。地域別には、慶尚道は仏教、全羅道はプロテスタントの信徒が相対的に多かった。
今回の調査をめぐり、信頼性に問題があるとの指摘もある。最近はどの宗教団体であろうが、信徒数が減少する傾向にあるという点では同意するものの、わずか10年で仏教信徒とカトリック信徒の減少幅が非常に大きくなったのに対し、プロテスタントだけが特に増加したという点は、一般の感覚とは開きがあるというのだ。
(2)
また今年は統計調査の方法が変更された点を問題として指摘する人もいる。5年周期で実施される人口住宅総調査(宗教は10年ごとに調査)は、2010年までは「全数調査」だったが、15年の調査では宗教分布の場合、「標本調査」に変更された。宗教分布の調査標本は1000万人だった。直接訪問が51.4%、ネット上のアンケートが48.6%だった。
こうした(統計調査)方法について、
・(仏教の)曹渓宗の関係者は「インターネットに慣れていない高齢者信徒が多い仏教の立場からすれば、こうした調査方法は不合理と思われる。・・・
・カトリック司教会の関係者も「カトリックは毎年末司教会のレベルで全国の信徒数を厳密に調査しているが、・・・統計庁の数値(389万人)との開きが大き過ぎる」と話す。
・プロテスタント界の世論調査統計の専門家・・・は「プロテスタントの信徒が他の宗教団体の信徒に比べて宗教的なアイデンティティーがより強かったため、積極的に回答したものと思われる」とコメントした。
このような指摘について、統計庁の関係者は「通常2万-3万人の標本でも国家統計を作成することを思えば、(今回の宗教調査は)標本が1000万人に上る大規模な調査であるだけに正確と判断できるほか、統計的にも全く問題がない」と説明している。
-----------------------------------------------------
(参考)「仏教新聞」は仏教徒人口の割合の減少について警鐘している。
今回の2015年調査は、2005年までの全数調査に対して、<宗教分野>の調査は次のような標本/直接調査の2種で構成されている。
・インターネット調査 : 2015年10月24日~10月31日(8日間)
・本調査(訪問面接調査): 2015年11月1日~11月15日(15日間)
苦難の歴史的背景を持ち、檀家制度のない韓国仏教は独特な位置にある。また、キリスト教人口は日本と比べて極端に多い。特にプロテスタントについては、韓国特有の宗教ベースの事情が語られることがある。
ちなみに、イ・ソンヒ(家族)と仏教の深い関係については、本ブログで何度も触れている。
(本ブログ関連:韓国の”宗教人口”、”仏教宗派”)
朝鮮日報(日本語版)「韓国の信徒数1位はプロテスタント19.7%、無宗教は56%」(2016年12月30日、金翰秀(キム・ハンス宗教専門記者 , ソン・ジンソク記者)は、次のように報じている。(改行随時、抜粋)
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10年に1度ずつ統計庁が実施する宗教分布調査で、2015年の信徒数が最も多かった宗教団体はプロテスタントであることが分かった。(2016年12月)19日に統計庁が発表した「2015人口住宅総調査」によると、
・韓国国民のうち宗教に入っている国民は43.9%、入っていない国民(無宗教)は56.1%だった。1995年から10年周期で実施された同調査で無宗教と答えた人の割合が初めて半数を超えた。全回答者のうち、
・プロテスタントを信じる人が19.7%(967万人)で、
・仏教を信じる人が15.5%(761万人)だった。
・カトリックは7.9%(389万人)だった。
宗教に入っていると答えた国民の実に98.3%がこの3団体の一つに属していることが分かった。円仏教、儒教、天道教などがこれに続いた。
注目すべきことは、1995年と2005年の調査で
・常に1位を守ってきた仏教が2位に落ちて、
・これまで2位だったプロテスタントが1位にのし上がったことだ。
仏教は全回答者のうち1995年に23.2%、2005年に22.8%と、95年に19.4%、05年に18.2%だったプロテスタントよりも信徒数が多かったが、今回の調査で順位が入れ替わった。
無宗教と答えた人の割合は、若者の間で高かった。20代は64.9%、10代は62%が無宗教と回答したが、年齢の高まりとともに宗教に入っている人の割合が高まり、60代は57.7%、70代以上は58.2%が宗教に入っていると答えた。地域別には、慶尚道は仏教、全羅道はプロテスタントの信徒が相対的に多かった。
今回の調査をめぐり、信頼性に問題があるとの指摘もある。最近はどの宗教団体であろうが、信徒数が減少する傾向にあるという点では同意するものの、わずか10年で仏教信徒とカトリック信徒の減少幅が非常に大きくなったのに対し、プロテスタントだけが特に増加したという点は、一般の感覚とは開きがあるというのだ。
(2)
また今年は統計調査の方法が変更された点を問題として指摘する人もいる。5年周期で実施される人口住宅総調査(宗教は10年ごとに調査)は、2010年までは「全数調査」だったが、15年の調査では宗教分布の場合、「標本調査」に変更された。宗教分布の調査標本は1000万人だった。直接訪問が51.4%、ネット上のアンケートが48.6%だった。
こうした(統計調査)方法について、
・(仏教の)曹渓宗の関係者は「インターネットに慣れていない高齢者信徒が多い仏教の立場からすれば、こうした調査方法は不合理と思われる。・・・
・カトリック司教会の関係者も「カトリックは毎年末司教会のレベルで全国の信徒数を厳密に調査しているが、・・・統計庁の数値(389万人)との開きが大き過ぎる」と話す。
・プロテスタント界の世論調査統計の専門家・・・は「プロテスタントの信徒が他の宗教団体の信徒に比べて宗教的なアイデンティティーがより強かったため、積極的に回答したものと思われる」とコメントした。
このような指摘について、統計庁の関係者は「通常2万-3万人の標本でも国家統計を作成することを思えば、(今回の宗教調査は)標本が1000万人に上る大規模な調査であるだけに正確と判断できるほか、統計的にも全く問題がない」と説明している。
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(参考)「仏教新聞」は仏教徒人口の割合の減少について警鐘している。
2017年2月11日土曜日
カンテレ
今日は祝日「建国記念の日」、土曜日に重なって勿体無い思いをした人もいるかもしれない。わたしは、いつでもOKだが。朝から日当たりもよく、寒さを気にならなかったものの、都心の最高気温は、10.1℃と暖かくもなかった。10℃は微妙な境界のようだ。
(本ブログ関連:”建国記念の日”)
近隣の公民館で、フィンランドを知るイベントがあって、3回に分けて、①民俗楽器の演奏、②歴史・文化と言語の紹介、さらに ③料理作りまであるというので申し込んでみた。少し早めに出かけて、公民館の横にある文化財センターで歴史資料を見学。名勝の桜についての絵巻冊子を入手。貴重な古文書や絵葉書の写真が満載。
さて、フィンランドを知るイベントの第1回は、フィンランド民族撥弦楽器「カンテレ(kantele)」について、北海道在住の音楽家あらひろこ氏が、その起源をフィンランド民族叙事詩「カレワラ」に描写の部分を朗読・解説して、実際に演奏された。カンテレは、木製の底の空いた胴に5弦が張られたものが基本形で、小型ながら美しく共鳴する。カンテレを複数台用意していただき、参加者全員に順に触らせ、簡単な演奏を試させてくれた。演奏を聴き、楽器にチャレンジするという、貴重な経験をしたことになる。感謝。
カンテレ演奏の真似ごとをした曲は、「Rykälinnun laulu(鳥の歌)」で、白樺林の奥でゆったりと鳴く鳥のような指使いになったが、ネットで確認したところ、結構早いテンポで演奏していた。もしかしたら、ぴょんぴょん飛び回る小鳥のさえずりといったところだろうか。素人演奏は指が追いつかない。
次回は、フィンランドの歴史・文化と言語の紹介で、テレビで拝見したことのある坂根シルック氏(東京農工大特任准教授)のお話しという。実は、今日の最初に挨拶があり、日本語とフィンランド語、ハンガリー語との縁(膠着語)について語られたりした。
(本ブログ関連:”建国記念の日”)
近隣の公民館で、フィンランドを知るイベントがあって、3回に分けて、①民俗楽器の演奏、②歴史・文化と言語の紹介、さらに ③料理作りまであるというので申し込んでみた。少し早めに出かけて、公民館の横にある文化財センターで歴史資料を見学。名勝の桜についての絵巻冊子を入手。貴重な古文書や絵葉書の写真が満載。
さて、フィンランドを知るイベントの第1回は、フィンランド民族撥弦楽器「カンテレ(kantele)」について、北海道在住の音楽家あらひろこ氏が、その起源をフィンランド民族叙事詩「カレワラ」に描写の部分を朗読・解説して、実際に演奏された。カンテレは、木製の底の空いた胴に5弦が張られたものが基本形で、小型ながら美しく共鳴する。カンテレを複数台用意していただき、参加者全員に順に触らせ、簡単な演奏を試させてくれた。演奏を聴き、楽器にチャレンジするという、貴重な経験をしたことになる。感謝。
カンテレ演奏の真似ごとをした曲は、「Rykälinnun laulu(鳥の歌)」で、白樺林の奥でゆったりと鳴く鳥のような指使いになったが、ネットで確認したところ、結構早いテンポで演奏していた。もしかしたら、ぴょんぴょん飛び回る小鳥のさえずりといったところだろうか。素人演奏は指が追いつかない。
次回は、フィンランドの歴史・文化と言語の紹介で、テレビで拝見したことのある坂根シルック氏(東京農工大特任准教授)のお話しという。実は、今日の最初に挨拶があり、日本語とフィンランド語、ハンガリー語との縁(膠着語)について語られたりした。
2017年2月10日金曜日
雪降り
訪問先から外に出ると、どんより空の下、雪が舞っていた。まるで行方の定まらぬ花吹雪のよう、風に任せてあちこちへ散った。地面に積もるほどでもない。東京の雪は、今シーズンで5回目だそうだ。
子どもは雪が大好きだ。初めての雪にはしゃぐさまに、懐かしい驚きと興奮を呼び覚ませてくれる。そんな純粋な振る舞いの数々を、Youtubeで見ることができる。よちよち歩きの幼子が、ふっくら積もった雪に、ころり転ぶのに笑ってしまう。
帰り道にも、楽しい場面に遭遇した。ある医院から母親に付いて出てきた小学生の男の子が、空からの雪によろこび、口を大きく開けて感蝕を確かめようとしていた。はたして満足できるほど口に入ったのか。母親は、それをたしなめるでなく、帰りの自転車の準備に忙しそう。
また、小学校の脇道を、傘を広げた低学年のランドセルが横並びしてふさいでいた。雪降りが止んだといっては大騒ぎ、小降りになったといっては傘を振り回す。集団を通り抜けた背後から、「雪だ!」、「雪だ!」と言い合っているのが聞こえてきた。一体、真っ直ぐ家に帰る気はあるのだろうか。
子どもは雪が大好きだ。初めての雪にはしゃぐさまに、懐かしい驚きと興奮を呼び覚ませてくれる。そんな純粋な振る舞いの数々を、Youtubeで見ることができる。よちよち歩きの幼子が、ふっくら積もった雪に、ころり転ぶのに笑ってしまう。
帰り道にも、楽しい場面に遭遇した。ある医院から母親に付いて出てきた小学生の男の子が、空からの雪によろこび、口を大きく開けて感蝕を確かめようとしていた。はたして満足できるほど口に入ったのか。母親は、それをたしなめるでなく、帰りの自転車の準備に忙しそう。
また、小学校の脇道を、傘を広げた低学年のランドセルが横並びしてふさいでいた。雪降りが止んだといっては大騒ぎ、小降りになったといっては傘を振り回す。集団を通り抜けた背後から、「雪だ!」、「雪だ!」と言い合っているのが聞こえてきた。一体、真っ直ぐ家に帰る気はあるのだろうか。
2017年2月9日木曜日
童謡「たきび」
昔は、家の庭で焚き火をしたりした。あるときは庭の落ち葉を掻き集めて山盛りし、焚き火と一緒に焼き芋を作った。また、あるときは庭に穴を掘って、家庭の可燃ゴミを燃やしたこともある。子どもにとって日常のひとこまだった。
それが今では、発ガン物質が出るとかで、屋外で物を燃やすことは禁じられている。まして路上で、子どもがすれば、火遊びと誤解されかねない。当たり前だったことが、当り前でなくなった。
童謡「たきび」(1941年、作詞巽聖歌、作曲渡辺茂)は、日常の歌だった。歌詞にある<しもやけ(霜焼け)>もなつかしい。冬の寒さに冷えて炎症した手足の指先が無性に痒くなる、特にこどもは。しもやけは普通なことと思っていた。
何よりなつかしいのは、焚き火の<炎>だろう。子どものやることだから、燃え上がるような真似はしない。炎が小さく揺れる程度だったが、まわりを囲む子どもたちの顔がやがて赤らみ暖まる。まるで仲良しの印のようだった。
(Youtubeに登録のf3113663eeeに感謝)
それが今では、発ガン物質が出るとかで、屋外で物を燃やすことは禁じられている。まして路上で、子どもがすれば、火遊びと誤解されかねない。当たり前だったことが、当り前でなくなった。
童謡「たきび」(1941年、作詞巽聖歌、作曲渡辺茂)は、日常の歌だった。歌詞にある<しもやけ(霜焼け)>もなつかしい。冬の寒さに冷えて炎症した手足の指先が無性に痒くなる、特にこどもは。しもやけは普通なことと思っていた。
何よりなつかしいのは、焚き火の<炎>だろう。子どものやることだから、燃え上がるような真似はしない。炎が小さく揺れる程度だったが、まわりを囲む子どもたちの顔がやがて赤らみ暖まる。まるで仲良しの印のようだった。
(Youtubeに登録のf3113663eeeに感謝)
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