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2015年2月15日日曜日

イ・ソンヒ「バラ」

イ・ソンヒのファッションといえば、メガネにスーツとズボン姿が思い浮かぶ。その彼女が、コンサートで大胆な服装をしたことがある。世宗文化会館での22周年コンサート(2006年)ステージに、大胆な真紅のドレス姿で、13集所収の「バラ(장미)」(作詞・作曲イ・ソンヒ、2005年)を歌ったのだ。

(本ブログ関連:”バラ(장미)”)

バラは、高貴さと妖艶さを、美しさのなかに棘がある相反した特徴を持つ。そこに魅力を感じるのだろうか、彼の国では、一般的な花の中で一番愛されるのは「バラ」だそうだ。「あなたに口づけしたい/ああ、その唇はどれほどうっとりするだろうか」、「愛と憎しみの両方を持って」とイ・ソンヒは情熱的に歌う。

それにしても、あっと息を呑む、イ・ソンヒのダンスはぎこちない・・・でも、それがいいのだよ。


「バラ(장미)」

あなたにバラを渡す
その赤い香気、あなたに伝える
私を忘れて眠る夜に
あなたの部屋いっぱいに、バラの花の香気が広がるまで

私たちの愛で生きよう
短い生涯を、夢見るようにしよう
二度と来ないこの瞬間に
愛する時間は、あまりあるではないか

一瞬としても、およばぬとしても
その喜びにひたってみるべきでないか
生きてみて、胸がときめく
時が多くないことを、よく知っているから

その先が痛みだとしても
両の手を広げて、あなたを抱こう
愛しよう
生きてみて
私たち二つの心、熱くなろう
______________

あなたに口づけしたい
ああ、その唇はどれほどうっとりするだろうか
太陽の下、柔らかな花びら
さらに赤く染まっていくのね

愛と憎しみの両方を持って
風の最後にあなたのすべてを預けて
大きくなっていくあなたの熱望は
遥かその昔の、草原を描いているのか

その先が痛みだとしても
美しく咲いたのね
風に触れて
花びらが散るとても
そのこころは、熱く咲いて散る

(Youtubeに登録のD I V A ■ LEE SUN HEE ■に感謝)

2015年2月14日土曜日

石焼き芋

そういえば、街で石焼き芋売りの姿を見なくなって久しい。小型トラックに石焼き道具を乗せて、「石焼~き芋~、ぇえ、石焼き芋~」といいながら廻っていた。そんな移動販売の石焼き芋売りから買ったことがある。たまたま行き合わせた幸運な巡りあわせだった。それがあるときから、値段が急騰した。芋が高くなり過ぎたからか、あるいは売り手が高齢化したからか分からないがすれ違うことがない。

子どもの頃、近所に石焼き芋を売る小店があった。店頭に置いた立て長の釜で焼いていた。ラジオ番組に、花菱アチャコが主人公の「お父さんはお人好し」があって、冬は焼き芋を、夏はアイスキャンデーを売っていたような・・・記憶がある。昔は寒かった。ホクホクしながら食べる焼き芋はそんな時代にピッタリの(菓子という雰囲気でない)食べ物だった。それだけに、子どもにとって印象が強かったのだろう。それに番組で、浪花千栄子のおかみさん役は本当によかった。いかにも、家庭を裏で支える母性的な存在と子どもながらに感じた。

(本ブログ関連:”ラジオの時間”)

今は、スーパーに行くと、入り口に石焼き芋装置があって石焼き芋を売っている。焼きたての香ばしい香りが漂い、引き寄せられるように手が出る。まさに衝動買いの極致だ。この最初の一撃で、買物の手が緩むのかもしれない。出口に置かないのがミソだろう。

高品質の高目の芋でなくても、石焼き芋はそこそこ美味い。石焼き芋は最高だ。

2015年2月13日金曜日

若いって?

いつまでも若いってのはめでたい。溌剌さを忘れないのは大事だ。元気なままでいるのは羨ましい。

といって、勘違いした若作りファッションに身を包むのではない。変わらぬ探求心、チャレンジ精神があればこそだ。

人類は、他の霊長類から、妙に若い奴らだと思われているかもしれない。恐ろしくて危険な生き物ながら、一方で火星旅行を実現しようとする。きっと不思議に見えるだろう。

人類は、幼児や子ども時代の感性を延長をしているようだ。幼いときの好奇心を持ち続ける、そんな入れ物なのだ。

この入れ物、どうやってできあがったのか。「ネオテニー」や「自己家畜化」で語られるけれど、きっとそう望んだからだろう。誰が望んだって・・・、そりゃあ自分からだろうけれど。

生き物はみな、そんな要素を持っているに違いないと思う。野生のキツネだって、(代を重ねて育種することで)甘えん坊で、人なつっこいものになるという、そんな番組*があった。

(*)NHK:「いのちドラマチィックスペシャル-オオカミはこうしてイヌになった」(1時間30分)

2015年2月12日木曜日

イ・ソンヒ「冬哀傷」

イ・ソンヒの「冬哀傷(겨울애상)」(5集所収、1989年4月10日)は、冬の冴え渡る凍ったような空気に思いを吐く歌だ。そんなイメージを膨らませてくれるが、雪景と真正面に取り組んだ、何とも珍しい映像がYoutubeにあった。

(本ブログ関連:”イ・ソンヒの「冬哀傷」を作詞した場面”、”冬哀傷”)

韓国MBCの画面のようで、ネットワーク(네트워크)のデザイン文字が合わせて表示され、拍手も聞こえてくる。Youtubeのタイトルは、ミュージックビデオとあるが、MBCの放送録画だろうか?

イ・ソンヒは雪降る原野をひとり行く。幻のように現れた子ども(幼い頃の自身の姿か)とも別れ、真っ白な雪原を彷徨う。画面終盤に、なぜかイ・ソンヒは雪の上に仰向けに倒れる。そこに微笑む少女がオーバーラップする。

正直言ってこの展開、相当無茶振りでないかって、そんな気がしたよ。降りしきる雪に、撮影は大変だっただろうと想像する・・・若き日のイ・ソンヒにとって、忘れられない思い出になっているかもしれない。


「冬哀傷(겨울애상)」

星明かりに澄み映える  私の悲しい顔よ
雁が鳴きながら  飛び去る  空を  見る

懐かしさ雪のように積もり  丘を転がり超えて
青い月明かり  降り注ぐ  私の空っぽの  庭に
*
風は木の葉を 吹きたてて  消えたが
なぜ痛く懐かしい小船は  私の胸に浮かんでいるのか

消すことが  できないのか
冬になるとよみがえる姿

青く冷たい  私の愛
凍ってしまった悲しい後姿

(*以下繰り返し)

凍ってしまった悲しい後姿

(Youtubeに登録のjenny.kimに感謝)

2015年2月11日水曜日

宇宙のスマイル写真

今日は建国記念の日。いつもなら水曜日は、健康体操に通うはずだが祝日のためお休み。というわけで、のんびり休日を過ごす。

NASA公開写真
ところで、ネットにおもしろい写真があった。何と、宇宙にスマイル像が浮かんでいるという。NASA/ESAのハッブル宇宙望遠鏡(の広域惑星カメラ2(WFPC2)と広視野カメラ3(WFC3))で撮影された銀河団SDSS J1038+4849が左の写真だ。

(本ブログ関連:”宇宙”)

2つの明るい目は銀河の輝きであり、口元と、回りを囲む輝きは巨大な重力によってできる重力レンズ(特別な場合、アインシュタインリングとして知られている・・・そうだ)の効果という。重力が光を曲げるというのだが、凄いというか按配がよろしい。

この写真の通り、宇宙に行けば人間の目にそのまま見えるのか、それとも露光時間がかかるものだろうか。もし、宇宙を航行していてこんな光景に遭遇したら、きっと笑みがこみあげて、おもわず手を振ってしまうかもしれない。

KBS WORLD「国楽の世界へ」立春3曲

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(2/4)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第91回として、立春(입춘)(2/4)にまつわる3曲の話を紹介した。

(本ブログ関連:”立春”)

始めに、太陰暦とそれを補正する二十四節気が使われたことと、立春について次のように紹介された。
・昔、月齢に基づいた旧暦(太陰暦)を使った。農業では、太陽の動きが重要だったため節気が考えられ、1年を太陽の動きに合わせて24等分に分類(二十四節気)した。節気の始まりが、まさに立春である。立春は太陽暦の2月4日辺りになる。ちなみに旧正月は、昨年の1月31日、今年は2月19日となり、立春(2/4)がその間に二度あることになる。韓国では、こういった年に結婚をすると縁起が良いといわれた。

▼ 横笛ソグム(小笒)・テグム(大笒)、弦楽器ヘグム(奚琴)とギターによる演奏「風が伝える言葉(바람이 전하는 말)」を聴く。素朴ながら憂いを含んだ春風、どこか高原の響きして、今様である。

次に、立春を祝う行事「春聯(れん)」について次のように紹介された。
・立春に健康と幸せを祈って、漢字で「立春大吉(입춘대길)」と書いて貼り紙する風習がある。または、喜ばしいことを祈願して「建陽多慶(건양다경)」を書く。普通は短く書くが、昔の記録に長く書くものもあった。日記を書くように、「今は貧しくても、まだ若い上に両親も健康だから、暖かい春になると喜ばしい兆しもあるだろう」といった内容もある。

▼ 弦楽器ヘグムに似た中国弦楽器二胡(アルフ)による演奏「故郷の春(고향의 봄)」を聴く。春のぬくもりにまどろみつつ浮き浮きしたアレンジで、今様である。

・二胡は二弦からなり、弦の間に弓を入れて音を出す。二胡はバイオリンのように柔らかい音を出す反面、ヘグムは鋭い音色が特徴。

最後に、季節の始まりが春、節気の始まりが立春であと次のように説明された。
・東洋では春を、宇宙の気運が下から上に湧き出る季節とする。ゆえに植物も育つ。また四季を人生に例えると、春が子どもの頃に当たるというのもそのためだ。春は気運が湧き出る季節、始まりの季節であり、立春は節気の始まりである。

▼ 若芽が弾ける様子を演奏した歌と演奏「春()」を聴く。春を南国の陽気さで歌う、今様である。


※ 今回は、国楽をひと休憩したのかな・・・春は陽気に!といった感じの回だった。

2015年2月10日火曜日

ライブステージ撮影

日本のコンサートでは、客席のファンによる、ライブステージの撮影は肖像権、著作権もあってご法度だ。全てのコンサート事情を知っているわけではないけれど。

韓国ではどうなのだろうか。聞くところによると、バラードのように歌に専念しているときは当然禁止されるが、撮影タイムというのを設けたりするそうだ。こちらも、全てのコンサート事情を知っているわけではないけれど。
Youtubeに登録のライブステージ映像に、放送局などが撮影した以外に、許可なしのファンによるものもあるようだ。つまり、ピンぼけしたり、手振れの激しいものがある。イ・ソンヒのコンサート映像の場合、Youtubeの画面下にファンクラブのURLを明示されているものがあって、もしかしたら許可を得ているのかもしれない。

最近、カメラ性能がいいので、ファン写真といえどもクッキリ、スッキリしているのが多い。おまけに、手軽にフォトショップを使いこなせるようで、ますます鮮明な映像を見ることができる。そのためには、それなりのカメラとソフト&PCが必要なわけだが。

ある(一眼レフ+望遠所有の)ファンから聞いたことだが、一眼レフカメラ以外にビデオカメラまで用意しているというのでたまげた。イ・ソンヒのコンサートの場合、(公演開始前にチラリと撮ったことあるけれど)公演中は撮影禁止だったため、うらやましいような残念なような気がする。しかも、手元のカメラは、超軽量級のデジカメなので望むべくもない。

2015年2月9日月曜日

寒いっ

この冬一番の寒気といわれるたび遣り過してきたが、今日の寒さには参った。通り道に風が吹いているわけでないのに、耳が痛いほど。空気の冷たさに、おもわずコートの襟を閉じた。

図書館帰り、ファストフード店に寄る。先日マスコミを賑わした余波か、店内はがらんとしている。窓側の陽だまりの席を見つけて坐り、しばらく時を過ごした。

全盲のスーダン人が日本語で書いた、日本生活記「わが盲想」(モハメド・オマル・アブディン、ポプラ文庫)を読む。えっ、どうやって書いたの、ということから関心が始まる。パソコンの読み上げソフト、文字変換機能(漢字変換した文字について音声解説する機能)を使って書きあげたそうだ。言葉の才能あふれた方のようで、親父ギャグまで連発する・・・。

店内で、幼い声が聞こえてきた。父親と来ているようだ。相手してくれるたび、「パパァ、ありがとう」って何度もいうんだよ、それも天使のような声で。素直な感謝と、あまりにきれいな心に心配になるくらいだ。

紙ナプキンを取りに行ったついでにのぞいてみれば、小さな女の子だった。息子しか知らぬ私には、この子のお父さんが羨ましかったよ。大事に大切に育てて欲しい。

外の冷えは深まって、ついに雪が降り始めた。帰宅が大変かなと躊躇するほどだったが、すぐに止んだ。長居は無用。陽も傾いたところで席を立った。

2015年2月8日日曜日

イ・ソンヒの「分かりたいです」

イ・ソンヒの「分かりたいです」は、聞くたび、様々にイメージが広がる。聴く側の人生によって受け止め方が変わるからこそ、思わぬ伝説も生まれた。ひとは伝説に身を寄せて、そこへ想いを同化させるのだろう。この曲が聞き継がれるのは、そのような普遍性を持っているからかもしれない。

(本ブログ関連:”分かりたいです”)

昨年、世宗文化会館での30周年コンサートで、この曲を歌うイ・ソンヒは、人生を表現しているようにも見える。夢路の切なさに想いをつのらせる若い心を、あたかも抱擁するように、月夜がまるで長い人生でもあるように聞かせる。


「分かりたいです(알고 싶어요)」

月明りの夜、あなたは、誰を想いますか
夢路で、あなたは、何を見ますか

深い夜、一人醒めて、涙流しませんか
時に日記に、私のことも、記しませんか

私と逢って幸せでしたか、私の愛を信じますか
あなたを想えば、全て気掛かりです
               ____

一日中、私の想い、どれほど重ねますか
私本当に、あなたの、心に入りますか

雀のように、騒いでも、今でもかわいいですか
忙しいとき、電話しても、私の声嬉しいですか

私はとても綺麗ですか、心から私を愛してますか
本当に分かりたいです、話ししてください

(Youtubeに登録のBolMaeRaina님의 채널に感謝)

2015年2月7日土曜日

インスタント

インスタントといえば即席ラーメン。中学時代、親が数日旅行するので留守番したとき、その間の食事は即席ラーメンさえあれば大丈夫と大見得を切ったが、2日しかもたなかった。やっぱり、あれは連続して食べるものではない。

インスタントコーヒーは美味くなったとはいえ本物に程遠い。昔、マーケティングのセミナーで缶コーヒーについて面白い話しがあった。講師が言うには、缶コーヒーメーカーでは誰一人本物のコーヒーと同じだなんて思って・・・というのだ。つまり、いかに本物を感じさせるか(イメージさせるか)が商品開発なんだと。

幼い頃、隣家は新婚家庭だった。幼稚園前のことだから遠慮もなく遊びに行ったようだ。そのとき、始めて知った。豆を轢いたのだろう、コーヒーの香りが家中に漂っていた。それは大所帯のわが家とは違う別世界だった。

毎日飲むコーヒーを美味しくできないだろうか。ドリップ式も良いが面倒なので、インスタントコーヒーに一手間掛けるだけでいい、何か方法はないかとネットで情報を探したところ、NHKの番組でアイデアが放送されたという。やってみた。

コーヒーカップに、スプ-ン一杯分の冷たい水を入れ、インスタントコーヒーとしっかり混ぜ合わせるというのだ。こするようにして掻きまわすといい香りがしてくる・・・なるほど。次に、湯を入れて飲む・・・いつものインスタントコーヒーとは確かに違う。苦味が強調されて、粉っぽさが薄らいでいるのに気付く。

でも、インスタントに本物を要求してはいけないことだけは確かなようだ。

2015年2月6日金曜日

(資料)朝鮮半島の最大の地震

地震は恐ろしい。震度3ともなれば体感程度でおさまらず、家屋がかなり軋むし、震度4以上は恐怖が増す。私の経験した最大のものは東日本大震災のときで、地元は震度5弱に揺れ、わが家の大谷石の石塀が倒れた。

(本ブログ関連:”地震”、”震災”、”韓国の地質”)

韓国にも地震があって、ソウル聯合ニュースの記事「朝鮮半島での地震 昨年は51回=最大M5.1」(2/1、日本語版)は、昨年、マグニチュード5クラスの地震が発生したと次のように報じている。
-------------------------------------------------
・韓国国民安全処が1日公開した昨年の災害関連統計*によると、朝鮮半島では51回の地震が発生した。回数は2005年から10年間の年間平均(52.9回)とほぼ同じだった。
・昨年最も大きかった地震の規模は、西部の忠清南道・泰安の沖合で4月に起こったマグニチュード(M)5.1だった。1980年に北朝鮮北西部(平安北道)の義州で起こったM5.3以来となる規模で、観測史上4番目に大きかった。
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(*)「詳細国民の安全統計」は、25日から国民安全処(국민안전처)のホームページ(www.mpss.go.kr)に公開される。

(参考)韓国気象庁 地震情報(지진정보)


▲ Youtube映像: 現在存在せず (Youtubeに登録のARIRANG NEWSに感謝)


(参考)Youtube YTN NEWS、国内地震ますます増加 ~2013)

では、韓国の歴史上最大の地震についてはどうだろうか。「歴史地震」掲載の「韓半島で発生した最大級の地震 -1681年6月韓国東海岸地震-」(秋教昇、朴昌業、都司嘉宣、Vol.20(2005)p.169-182)に、1681年の江原道襄陽、三陟で発生した地震を次のように紹介している。

○癸亥/江原道地震, 聲如雷, 墻壁頹圮, 屋瓦飄落。 襄陽海水震蕩, 聲如沸雪岳山神興寺及繼祖窟巨巖, 俱崩頹。 三陟府西頭陀山層巖, 自古稱以動石者盡崩。 府東凌波臺水中十餘丈石中折, 海水若潮退之狀。 平日水滿處, 露出百餘步或五六十步。 平昌、旌善亦有山岳掀動, 巖石墜落之變。 是後, 江陵、襄陽、三陟、蔚珍、平海、旌善等邑地動, 殆十餘次。 是時, 八道皆地震

-------------------------------------------------
・記録: 朝鮮王朝実録、粛宗七年五月癸亥十一日
・時期: 1681年6月26日
・震央: 江原道江陵~襄陽の沖合海底
・規模: マグニチュード7.5
・震度: 襄陽5、雪岳山神興寺および継祖窟7  【震度: 日本震度(JMA)】
・津波: 発生
・前震: 1681年6月12日 ソウルでも「家屋跳ね上がり、窓壁落ち」たという。
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当時の人的災害については触れられていないが、現在、襄陽から蔚山に至る海岸には臨海工業団地、原子力発電団地があり、防災対策の必要性が述べられている。

2015年2月5日木曜日

イ・ソンヒの「I Have To Say Goodbye」

天気予報は、今日一日雪降りということだった。雨に負けたのだろうか、通り道には雪の気配がない。静かに終日氷雨が続いている。Twitterに、「降る降る詐欺」だといったジョークが賑わっているそうだ・・・なるほど、そんな気がしないでもない?。

でも、日常は何ごともなく過ぎる。この平凡であることのありがたさをつくづく思う。偶然の幸運が連鎖する日常に、感謝しなければと思うのだが。

ところで、イ・ソンヒには、自称ファンとして、女性を絶えず意識しなくてもいい気安さがある(ように思う)。街なかですれ違ったとしても、後でアッと気付くような普段さといっていいのかもしれない・・・安心感だ。だからこそ、Youtubeを見ながらも、彼女の歌に専念できる。

イ・ソンヒが「I have to say goodbye」を歌うステージ上の仕草をとらえたスクリーンショットのYoutube映像がある。瞼を伏せた物憂い女性像を選んだようで・・・おやっと気になるけれど、やがていつもの彼女らしい姿にもどってくれる。自称ファンとしては、ホッとする。以上、歌の内容とは関係なかったけれど。

(本ブログ関連:”I Have To Say Goodbye”)


「I Have To Say Goodbye」

あなたを愛したんじゃないわ、ただ酔ったのかしら
すれ違いはいやだったの、初めは本当にそうだった
電話を待ったりもしたわ、こっそり隠したときめき
あなたのその眼差しの中で、道に迷ってたわ
*
だけど、私には久しく一緒だった
人がいるって、知ってるじゃないの
私が全てである、彼をどうするの
しばらく(あなたと)一緒だった、時間を忘れて

now I have to say goodbye

互いを消さねばならなくて
うろたえさせないで
私の久しい彼を捨てられない

あなたを忘れたいの

(*以下繰り返し)

(Youtubeに登録のlys2187に感謝)

2015年2月4日水曜日

立春2015

春の兆しを少しは感じながら・・・というわけにもいかぬ冬真っ最中、風の寒さを身にしみ健康体操に行く。今日は二十四節気の始まり「立春」である。季節のけじめ、少しは気合を入れたいと。

(本ブログ関連:”立春”)

だが、運動が終わると、まるで一仕事したかのように疲れる。熱心だったっからか・・・いや、この教室を頼りにして、他に何にも鍛錬していないからだ。体操の要所要所で、この運動を自宅で百回してください、なんていわれるたび床を向いてしまう。全くできの悪い受講者だと自覚している。

明日、また雪が降るという。帰り道、近所のDIYの店に寄ると、入り口に雪掻きスコップがずらりと並んでいた。さあ、やって来い雪よ、とっくに雪掻きスコップは用意済みだ。

KBS WORLD「国楽の世界へ」 広大ソリ

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(1/28)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第90回として、大道芸人「広大(광대≒ピエロ)」の歌「広大ソリ(광대소리)」(ソリ=声、音)、犬の辛さを歌う「犬の愚痴(개-넋두리)」、多様な楽器の自由演奏「ノルムマチ・シナウィ(노름-마치 시나위)」にまつわる話を紹介した。

(本ブログ関連:”広大”)

始めに、大道芸人「広大」の芸と、その身分について、次のように紹介された。
・伝統芸として仮面演劇・舞踏(탈춤)、綱渡り(줄타기)、パンソリなどで人々を楽しませた広大の身分は最も低かった(=賎民)。
・朝鮮時代、冬の終わり、ある仲の良い広大の夫婦がソウルを横切る漢江(한강)を渡っていた。当時、この季節の漢江は表面が凍った。夫の広大は仮面を被っていたずらし、妻はその姿を見て笑っていたところ、急に氷が割れて妻が穴に落ちた。夫は仮面を外すのも忘れ必死に助けようとしたが、妻は溺れてしまい、夫は泣き崩れた。通りがかりの人々は事情も知らず、広大の芸と思い腹を抱えて笑った。ある本に記録された心痛む話だ。

▼ 歌「広大ソリ、広大の歌」を聴く。曲の響きと異なって、存在を瑣末にすることへ、届かぬ異議申し立てのよう。

次に、朝鮮時代の広大の朴春載(박춘재、1881年~1948年)と歌「犬の愚痴」を次のように紹介された。
・人を笑わせる仕事ながら、自ら笑えないのが広大だ。朴春載は、一時、朝鮮の宮殿で王の寵愛を受けた人気ある広大だった。権力のない庶民や社会的弱者の話を演じる、広大の社会的な役割をよく知っていた。
・犬が愚痴をこぼす歌「犬の愚痴」がある。シャーマニズムを源流とする信仰「巫俗(무속)」を仕切る「巫堂(ムーダン、무당=シャーマン)」が「祭祀(クッ、굿)」を行うとき、よりによって犬の魂がムーダンの中に入ったという歌だ。

▼ 犬の辛さを歌う「犬の愚痴(개-넋두리)」を聴く。漫談のよう・・・次の(参考)を見ても笑いの要素が複雑で・・・。
(参考)大字報(壁新聞)の記事「伝統ギャグミュージカル『漫談ソリ』に耳を傾けてください」(2008年12月7日

最後に、映画「王の男(왕의 남자)」に登場する広大について次のように解説された。
・朝鮮時代の広大は、支配階層と一般庶民の間で、ストーリーを演じる役割もした。社会の矛盾や庶民の悲しみを表すパンソリもその一例。その過程で、時には自分の命が危うくなることもあった。映画「王の男」は、朝鮮時代、王を風刺した広大が死罪に処せらる実話をもとにした作品だ。

▼ 演奏「ノルムマチ・シナウィ」を聴く。以前の放送で、ノルムマチとは、「ノルム(노름=遊び)と、マチ(마치=終える)の意が合わさり、『共に遊ぶ時間を終える人物』」と聞いた。東洋風味の今様である。

シナウィとは、(巫俗儀礼を起源にする)一定の決まりの中で自由に演奏する音楽を指す。映画「王の男」には、多数のためなら自分の命も惜しまぬ広大が登場する。

(本ブログ関連:イ・ソンヒの「因縁(인연)」、この歌は、実際は映画「王の男」のOSTでないが関連して余りに有名)

(Youtubeに登録の권성범に感謝)

2015年2月3日火曜日

節分 2015

今日は二十四節気の始まり「立春」の前日、「節分」である。行事として、鬼払いが行なわれるが、「追儺」を起源にしていて、「」はその先導者の名残りといわれるようだ。子ども時代に記憶をたどれば、戸を開けて煎り豆を外へ撒いて「鬼は外!」、内に撒いて「福は内!」と叫んだ楽しい思い出がよみがえる。

(本ブログ関連:”節分”)

鬼は日本特有のものという。モジャモジャ頭に二本の角を生やし、睨むように大きく鋭い目をして、牙を剥き出している。容貌だけでなく、上半身裸で筋肉隆々とした体躯に虎皮の褌(ふんどし)姿は、いやがうえにも恐怖を感じさせる・・・はずだった。

けれど、昼間の絵本の世界に引っ張り出された鬼は、桃太郎に征伐されていたし、節分の時期ともなれば豆を投げれると逃げ出す存在だった。江戸の黄表紙「桃太郎後日噺」(朋誠堂喜三二)には、鬼を連れてきた桃太郎一家のどたばた劇が描かれている。鬼はいつのまにか優(やさ)男に成り果てているのが悲しい。

(本ブログ関連:”桃太郎”)

ところで、鬼はどこから生まれたのだろう。ときに考えることがある。わたしたちが人類に進化した頃、恐竜は既にいなかったにもかかわらず、滅んだはずの彼らの姿に今も深い恐怖を覚えるのはなぜか。恐竜が存在していた時代、ネズミのようにして草陰で脅えていた記憶が、遺伝子に受け継がれているのではないかと・・・。そうだとしたら、鬼への恐怖も、わたしたちの祖先がこの世界で感じたいいしれぬ異型の恐怖という、何かがあったのでないかと空想してしまう。

2015年2月2日月曜日

狐 葛

について、九尾狐から葛の葉までいろいろ採集しているが、寄せ集めのことゆえ何の深化もないけれど、こんな話しがある。

(本ブログ関連:”九尾狐”、”葛の葉”)

日本書紀」の斉明(さいめい)記に、7世紀の半ば、女帝は溺愛した孫の建皇子(たけるのみこ)の夭折を悲しみ、出雲国造に命じて厳神宮(いつかしのかみのみや)を修造させる。その工事のさなか、狐が現れて於宇郡(おう)郡の人夫(役丁)の持っていた葛(かずら)の末端を食い切って逃げたという。実は、ここでは犬の怪異もセットされるという忌まわしさもあるのだが。

「狐噛断於宇郡役丁所執葛末而去」(日本書紀-朝日新聞社本)

「葛の末端」とは一体何のことか。柱を引く(或いは縛る)「かずら」(葛、蔓)の綱の端(はし)だそうだが、ここで、「末端」を「はし⇒は(葉)」と読みかえて、強引に「葛の葉」とすると、陰陽師安倍晴明の誕生につながる言葉となる。

そこまで駄洒落に過ぎなくても、狐と葛には関係が深そうだ。からみ付き縛る蔓のもつ生命力に関わるのだろうか。狐がこれを噛み切ったのは、みかどの崩御の予兆につながることだった。狐は運命を狂わせるもののようだ。でもそれがなぜ狐なのか。

「<言屋、此云伊浮耶。天子崩兆。>」(日本書紀-朝日新聞社本)

2015年2月1日日曜日

錫高野#20

またしても1年振りの錫高野へ鉱物採集に行く。昨年は1月26日の晴れ空だったが、今年は一昨日の雪がズリ一面を覆っていた。そういえば、2011年1月23日の残雪と同じ状況だ。
年初の鉱物採集場所が、錫高野が恒例になっているのに気付く。栃木県や埼玉県の山中はまだ雪が深いだろうから、茨城県にしようと何となく決めている。

(本ブログ関連:”錫高野”)

今日も、始発電車をホーム待合室で待つことから始まった。空は暗く寒い。朝が明けたのは集合場所を出発してからのことだった。いつもお世話になるH氏の車に同乗して錫高野に近づくと、辺り一面、残雪が広がっているのに目が付く。ちょっと心配になる。

左写真のように、仏国寺山麓から斜面を越えて、錫高野へ至る林道を進む。まるで雪景色。薄く凍った雪面をズボッ、ズボッと音を立て、踏みしめながら進む。

陽射しに照らされた岩場やズリ斜面は雪が溶けているものの、少しでも陽陰になると雪は深く積もっていた。大丈夫かな・・・心配無用、H氏はどんどん先を進む。

いつもの採集場所を見ると、雪にすっぽり埋もれていた。そこで、沢筋にある地点Aに進み採集を開始した。沢を吹き降ろす風が冷たい。準備のビニール雨合羽に救われる。蒸れすぎて、ときどき換気が必要だったが。ところで、フードをかぶると音がこもって、誰かが後ろからついてくるような錯覚をする。あわてて辺りを見回したりする・・・そんなはずないのに。

次に、陽射しを正面から受ける巨大な岩場、蛍石の採れる地点Bに場所を移す。思いの他いろいろと収穫に恵まれる。そしていろいろいただきものをする。

以上、成果物を次に一覧する。
・地点A: 黄銅鉱、ブロシャン銅鉱、鉄マンガン重石
・地点B: 蛍石、孔雀石?、白雲母、鉄マンガン重石(豪華版をいただく)、硫砒鉄鉱、(自称)電気石

帰り道、乗換駅ホームにある、うどん屋で体を温める。熱いうどんに救われる。

2015年1月31日土曜日

イ・ソンヒの「小船」

イ・ソンヒがさまざまな試行を繰り返す中で、(伝統音楽の)国楽と(本格的に)取り組んだのが、1992年リリースした8集であった。アルバムのタイトル曲は、彼女のビッグショーを収めた次のYoutube映像で視聴できる「小船(조각배)」(作詞イ・チョルヨン、作曲キム・ヨンドン作曲)である。

(本ブログ関連:”小船조각배)”)

彼女の、国楽との取り組みは、現在の成功とつながっている。8集の試行に対して当時さほど気付かれてはいなかったようだが、東洋的な回帰としてヒットさせた「因縁」の布石となっている・・・と考えたい。そして、彼女の音楽は東洋的展望を超えて「その中であなたに出会って」を登場させている。

韓国の音楽家には、山にこもって再生するという伝説があるが、国楽へのチャレンジもそのように見える気がする。

「小船」

怒涛の波に浮かぶ、か細い小船
わが悲しき身を乗せて、果てしなく行く女よ
春風、花風の囁(ささや)きも疎(うと)ましく
奥深い沼に空しく行くつもりか

驟雨(しゅうう)降りしきる深夜、葦(よし)の森
契(ちぎ)りなき人生行路、当てもなく行く女よ
お月様が寝覚めてニコリと笑うも疎ましく
運命に身をのせて空しく行くつもりか

(Youtubeに登録のlys2187に感謝)

2015年1月30日金曜日

雪2015

朝から、シーンとして音がない。どうやら降雪が街の音を吸い取ったようだ。それに、障子越しに庭雪が部屋の隅々まで明るく包む。雪は乱反射して影を作らない。・・・なにもかもソフトな感じがする。

雪の降る最中は暖かい。なぜかホッとする。子どもたちが浮き浮きするのも分かる気がする。・・・ここまでは、いい気分だが。

(本ブログ関連:””)

次第に降り積もる雪が気になってくる。屋根からドサッと落ちるまではないけれど、通り道の積もり具合をそっと覗く。さほどでもない、一安心。夕方までに雪はすっかり止んだ。

夜分、雪がとけで始めて気付く。やっぱり寒い。これで冬が終わってくれればいいのに。何度もいうけど、冬は苦手だ!

2015年1月29日木曜日

(資料)韓国の宗教人口

韓国の宗教人口について、1984年~2014年の間、韓国ギャラップが5回の調査を基にした「韓国人の宗教1984-2014(1)宗教の実態」報告(1/28)を、クリスチャン・トゥデイの記事「無宗教の人たちの選好する宗教、仏教・キリスト教(カトリック)・キリスト教(プロスタント)の順」(1/28、イ・デウン記者)は、次のように要約している。(抜粋)

(本ブログ関連:韓国の”宗教人口”、”仏教宗派”)
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韓国ギャラップ、30年間の変化の実態を発表・・・儀礼などの参加度はキリスト教が最も高く

・韓国ギャラップで、1984年から2014年までの30年間、韓国人の宗教と宗教意識の変化を比較した「韓国人の宗教の実態」調査結果を28日発表した。

・韓国ギャラップは、①1984年に初めて全国民を対象とした宗教関連の調査を開始した後、②1989年、③1997年、④2004年、⑤2014年の比較調査をそれぞれ実施した。2014年の調査では、4月17日から5月2日まで済州を除く全国満19歳以上の男女1500人を対象に実施された(信頼水準95%)。

・2014年現在、宗教分布は、仏教22%、キリスト教(プロテスタント)21%、キリスト教(カトリック)7%の順だった。ギャラップ側は、「仏教は、高齢者と我が国東側(慶南・北)で、プロテスタントは若年層と我が国西側(首都圏·全羅)で、相対的に強みを見せた」と明らかにした。調査結果だけで見れば、知られているものとは異なり、カトリックの教勢は大きく増えなかった。
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調査 事例数 韓国の宗教人口分布(%)

(年) (人) 仏教 プロテスタント カトリック その他宗教 非宗教者

1984 1,946
19
17
6
3
56


1989 1,990
21
19
7
2
51


1997 1,613
18
20
7
1
53


2004 1,500
24
21
7
1
47


2014 1,500
22
21
7
0
50










【第5回 比較調査概要】
- 調査期間: 2014年4月17日~5月2日(3週間) 
- 調査対象: 全​​国(済州除く)満19歳以上の男女1500人 
- 標本誤差: ± 2.5%ポイント(95%の信頼水準) 
- 標本抽出: ステップ2層別化集落地域無作為抽出
- 標本ポイント内の性/年齢別の割り当て抽出 →(参考)「韓国ギャラップ・オムニバス調査標本設計報告書」
- 応答方式: 面接調査員のインタビュー 
- 依頼先: 韓国ギャラップ独自の調査過去の調査の概要 
- 調査対象: 全​​国(済州除く)は、18歳以上の男女 
調査期間/サンプルサイズ/標本誤差(95%の信頼水準)/すべての面接調査、韓国ギャラップ独自の調査


(注)仏教について、曹渓宗(조계종)、太古宗(태고종)などの宗派に分かれる。
       ⇒ ”妻帯僧
       ⇒ 東京大学仏教青年会「第16回 朝鮮仏教史  5. 韓日併合期と独立後の仏教」
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明治時代に入ると日本仏教勢力が朝鮮に進出してきます。最初に江戸時代の朝鮮通信使とも繋がりのあった浄土真宗大谷派が、続いて日蓮宗、浄土真宗本願寺派、浄土宗と進出してきました。 そのような日本仏教の進出を受け、朝鮮仏教界も大きく動きます。日本を訪れ積極的に開化政策を進めようとする僧侶が出る一方で、それに反対し伝統仏教を回復しようとする鏡虚(きょんほ)らのグループも現れました。 日本が韓国を併合すると、朝鮮総督府が直接、朝鮮仏教の統率に乗り出し、寺刹令(じさつれい)を制定しました。 ・・・
・第二次世界大戦が終わり、日本から独立した韓国の仏教は、日本仏教の支配と影響を廃して、復興に向かいました。その第一歩として妻帯僧を追放し寺院の生活を正す浄化運動が起きます。 日本では明治時代に入って僧侶の妻帯が認められたこともあり、その支配下にあったときには妻帯する僧侶が韓国でも現れました。 それに対して戒律の遵守を求め妻帯を禁止する僧侶らと妻帯僧の間で紛争が起きました。その結果、曹渓宗から妻帯僧らが分派して太古宗が生まれました。 その他にも、新たに円仏教、真覚宗、元暁宗、法華宗、仏入宗といった宗派が誕生し、今に至っています。
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(注)シャーマニズム的な巫俗(ふぞく:무속)は、宗教としてでなく精神の源泉として下部構造に位置づけられるようだ。

(注)儒教も宗教としてでなく、儒教>宗教>巫俗といった精神構造の道徳律的な最上位に位置づけられるようだ。

2015年1月28日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 思い出

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(1/21)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第89回として、「傷ついた心を癒す切ないメロディー」の短歌(단가)「思い出(追憶、추억)」、雑歌(잡가)「フンタリョン(흥타령)」(南道民謡)、パンソリ「興甫歌(흥보가)」にまつわる話を紹介した。

始めに、林芳蔚(임방울、1904,5?年~1961年)の「思い出」の成立について次のように紹介された。
・歌い手、林芳蔚は、パンソリ「春香歌(춘향가)」から、獄中の春香の姿を「スクテモリ(쑥대머리)」の歌で表して一躍スターとなり、(朝鮮、日本、満州で)100万枚のレコードを売上げる。
・林芳蔚は、珊瑚珠(산호주)と恋に落ちて、2年間行方が分からなくなる。その間、彼は声を痛めて、愛する彼女を残して一人去る。彼女は彼を探して(智異山?)山中の洞窟にたどり着くが、会ってもらえず、結局、病気になってこの世を去る。彼は、そんな彼女を抱えて泣きながら歌ったのが「思い出」として伝わる曲だ。

▼ 短歌「思い出」を聴く。パンソリ風、即興曲・・・ところで山にこもって研鑽というのは、男の歌い手に共通する伝説だろうか。
(参考:ブログ「キム·ミョンゴンの世界の話」)

次に、朝鮮時代末活躍した宋興祿(송흥록、1801年~1863年)を次のように紹介された。
・歌の王と言われるほどの歌い手、宋興祿は、ある宴会で妓生の孟烈(맹렬)と恋に落ちた。彼の歌に皆が感動する中、彼女だけ気に入らぬ表情をしていた。歌は悪くないが、まだ未熟な面があるといわれ、プライドが傷ついた彼は帰郷して、歌の練習に励んだ。後日、再び彼の歌を聞いた彼女は、ようやく彼の歌を認めた。その後二人は一緒に住むことになる。ある日、喧嘩の末、彼女が家を出ようとしたのを、彼は、体は去っても心を残してくれと歌った。民謡「興打令(흥타령)」の中に今も伝わっている。

▼ 南道民謡「興打令」を聴く。歌い手(安淑善)の伸びやかな声ときれのあるリズム、イ・ソンヒの源流を見た気がする。

最後に、パンソリ「興甫歌(흥보가)」にある人々の共感性について次のように説明された。
・昔の歌は生活の喜びや悲しみも表現するからこそ、深く共感できる。パンソリ「興甫歌」に、興甫(흥보)が鞭打ち刑を受ける場面がある。昔、罪ある者に鞭打ち刑を科したが、金持ちや権力者は罪を犯して鞭打ち刑を科せられても、金で人を雇うことができた。貧しい彼は、子どもたちのため、自ら鞭打ち刑を受ける。貧しい時代にそういうこともあった。パンソリには、彼らの心を察して歌い、悲しい歌に合わせて泣いたり笑ったりする中で、互いを理解しあえる力がある。

▼ パンソリ「興甫歌」から「興甫が鞭打ちに科せられる場面(흥보 매품 팔러 가는데)」を聴く。・・・切ない話しのよう。

2015年1月27日火曜日

15.8℃(4月上旬並み)

今日、近隣の街の気温が、午後1時過ぎには、15.8℃という今年最高になり、4上旬並みの陽気だった。こんな穏やかな天気がずっと続けばよいが、明日からまた元の冬に戻るという。

(気象庁)本日の「日最高気温一覧表」・・・日毎更新

ホッとしたのも束の間、天気予報の通り、晩には北風が吹く音がして冷え込んできた。考えてみれば、こんなことは序の口、例年大雪は2月になってから。まだまだ油断できない。

旧暦では、まだ12月8日、年も越していない。

2015年1月26日月曜日

イ・ソンヒの「Waterloo+Dancing Queen」(ABBA)

イ・ソンヒが、多分、2004年に20周年コンサートを世宗文化会館で公演したときと思われる映像があって、7080世代に人気のあった、ABBAの「恋のウォータールー(Waterloo)」と「ダンシング・クィーン(Dancing Queen)」をダンスチームを従えて歌い踊る珍しい姿をYoutubeで見ることができる。

(本ブログ関連:”2013:7080世代が最も好きな曲”)

80年代末~90年代のダンスブームの頃、イ・ソンヒは、ABBAの「Waterloo」(1974年)や「Dancing Queen」(1976年)を手がけただろうか。20周年コンサートの舞台では、ダンサーの振り付けや衣装をちょっと古めかしている。コンサートの年、彼女は40歳になろうとしていたが、初めて耳にした小学生当時に戻ったような溌剌としている。

ところで、日本でABBAがブームになった頃、私はその波に乗って楽しんだ記憶がない。なにしろ、南沙織や太田裕美の方に目と耳が向いていたような気がする。

(Youtubeに登録のToko5766に感謝)

2015年1月25日日曜日

イ・ソンヒの「姉さん部隊」

イ・ソンヒにはデビュー当時、女学生(中高生)を主軸にした熱烈なファン層が登場した。「姉さん部隊(언니부대)」という。彼女たちから見ればイ・ソンヒは「お姉さん(언니)」に当たる。そのファン集団・集まり(グループ)を「部隊(부대)」と呼んだ。

(本ブログ関連:”姉さん部隊”)

SBSスポーツの記事「ヒーリング(キャンプ)、イ・ソンヒ『姉さん部隊』のために先輩女性歌手に怒られて」(2014年4月7日)によれば、この「姉さん部隊」という存在について、実はイ・ソンヒが初めて率いたと次のように記している。
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・イ・ソンヒは、大韓民国最初の「姉さん部隊」創始者であり、数多くの女性ファンを保有していた。コンサートの列が全部女子学生なので、チョー・ヨンピルのコンサートと勘違いするほどであった。
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当時の「姉さん部隊」層の中心を満年齢で15歳とすれば、現在45±4、5歳になっているのでは。ちなみに、イ・ソンヒは現在、満年齢で50歳である。

この「部隊」という表現、今ではちょっと古いようだ。では、最近のアイドルグループのファン層を何と呼んでいるのだろうか。複数メンバーで構成されるグループを対象にした場合、ファンは何を拠り所に集まるのだろうか。

私には、この「部隊」から、「プデチゲ(部隊鍋)」のイメージが浮かんでしようがない・・・。

2015年1月24日土曜日

豆、恵方巻、チョコレート

図書館の帰り道、スーパーがあって、入り口に季節に応じた食べ物が陳列されている。来月4日「立春」(節分)の前日に撒く、煎り豆の入った菓子袋がずらり並んでいると思ったら、今度はコンビニ店頭に、のぼり旗が立って、節分に食べる「恵方巻」の予約をうながしている。

節分の時期を、豆や恵方巻の商品で代替して知るような気がして妙な感じだ。ファッションに先取りという価値があるように、食べ物までもが先取り情報を持つている。年末から、予約、予約とせきたてられている気がしてならない。

とうとう、チョコレートまで加わった。テレビで、チョコレートフェアの催事と外国ブランドの高級チョコが押し寄せてきていることを放送していた。美味そうだな・・・と見ていたが、考えてみれば、2月14日の「バレンタインデー」に合わせてのことではないか。

いささか早過ぎないかと思うけれど、事(ビジネス)はどんどん運ぶ。スーパーに隣り合う商業ビル内も改装という名の店舗の入れ替えが進んでいる。何ごとも絶えず入れ変わっている。

季節は天候の変化よりも、ビジネスのカレンダーで早まる。1月なのに、もう2月だ。

2015年1月23日金曜日

石を愛でる人

昔、大学受験生は、それぞれの大学独自の試験を受けた。それが、受験資格試験に相当するような「共通1次試験(大学共通第1次学力試験)」が加わって、今は「大学入試センター試験」と呼ぶそうだが・・・その仕組みがさっぱりわからない。

大量受験者を採点するのに、マーク式(OMR)が使われているが、記述式(OCR)の方は(技術的にも難度が高く)一般化しなかったようだ。マーク式の場合、選択肢式となるわけで、いろいろ批判があったようだけど(つまり正解が露出している)、やがて慣れたからか信頼性が高いからか、今は当り前になっている。

今年のセンター試験の「国語」(第2問)に、小池昌代の小説「石を愛でる人」全文から出題されているというので読んでみた。(問題の解答をチャレンジしたわけではない)

内容は、「水石」の愛好家(アイセキカ)であるテレビのプロデューサーらしき人物(山形さん)と主人公(わたし)のちょっとした付き合いが語られている。随筆、散文、スケッチといった筆致だ。仕事上の付き合いがきっかけで、水石の展示会への案内(呼び出し)、鑑賞後の居酒屋への誘いなどと話しが続く。

展示アトリエの入り口に置かれたパンフレット「水石の魅力」に次のように書かれている。
「水石は、趣味のなかでも、もっとも深淵で奥の深いものだといわれています。盆栽などとあわせて鑑賞されることも多いのです。/庭石のような大きなものでなく、片手で持てるような小さな鑑賞石をいいます。あなたも、水石の世界に、どうぞひととき、お遊びください」

水石鑑賞には、入れ子のような視点があって、小さな石の形状に巨大な山姿を空想する。石の隙間から雲が湧き出るといった幻想の世界へと誘うようだ。本当の水石好きの方には独自の世界観があるのだろうけれど、私には小さな石の奥、水が滲む先に桃源郷があるように幻視する。

(本ブログ関連:””)

2015年1月22日木曜日

イ・ソンヒ「30th Anniversary Lee SunHee Live」、「1集-Remastered」

昨夕、待望のイ・ソンヒのアルバム「30TH ANNIVERSARY LEE SUNHEE LIVE」と「1集(REMASTERING ALBUM)」が入荷したとCDショップから電話があった。けれど、寒雨を撥ね退けて出かけるのに躊躇して、「明日行きますから」と答えた・・・。

今日も雨は止まずおまけに寒い。それでもファン心理というのか押されるように新大久保に行き、ショップの2階でイ・ソンヒアルバム2つを受け取る。この時点でお天道様への不満を忘れ、早く聞きたいという気持ちにせかされる。

「30TH ANNIVERSARY LEE SUNHEE LIVE」は、しっかりした外箱入りのハードカバー書籍のような装丁で、白色を基調にした上品な仕上がりだ。ライブ版にふさわしく、コンサート会場の雰囲気を思い出させる「Overture」から始まる。舞台背景まで浮かんでくるような荘重な臨場感があってうれしい。歌詞集に掲載の彼女の写真は、30周年記念に相応しい気品と風格を感じさせる。
それにしても、韓国発売が昨年12月22日だったので、1ヶ月してようやく手元に届いたことになる。

(本ブログ関連:”30TH ANNIVERSARY LEE SUNHEE LIVE”)

「1集(REMASTERING ALBUM)」は、いわゆるプラスチックケースではなく、厚手の紙箱に入っている。ふっくらした、まさに童顔そのものの若きイ・ソンヒの姿がケースを飾っている。「あ!昔よ」に始まる・・・高音がびしびし飛んでくるよう、元気いっぱいさだ。
先日記載した、大衆音楽評論家・ジャーナリストのパク・ソンソによる、このリマスター版についての「アルバム紹介」が、歌詞集の最初に載っている。

(本ブログ関連:”(資料)イ・ソンヒ「1集(REMASTERING ALBUM)」の紹介”)

CD版は、LP版と違って手元に馴染むのがありがたい。
子どもは、おいしいおかずを後回しにする。今回、2つのアルバムを一気に聞いてしまうのが惜しくて、ゆっくり聴いていこうと思う。それもファン心理というものかな。

2015年1月21日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 梅花歌

年初のKBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(1/14)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第88回として、齢を重ねることを梅の花に例えた歌「梅花歌(매화가)」他にまつわる話を紹介した。

始めに、儒学者、退渓李滉이황、1501年~1570年)が梅の花を好んだ話しを、次のように紹介された。
・冬の寒さが続く。昔、冬至が過ぎると既に春が始まったとされた。冬至を境に昼が長くなるからだ。学者(ソンビ、선비)は、この頃、ある花を待ち望んだ。「四君子(사군자)」すなわち「蘭菊竹梅(란국죽매)」の一つ、梅の花だ。気品に満ちて風格あることから、4種の植物を君子と称えた。朝鮮時代を代表する儒学者の退渓李滉は、梅花を大事にして、亡くなる最後の遺言が「あの梅の花に水をやってくれ」だった。
・梅の花の歌「梅花歌」は、歳をとることを嘆きながら、梅の花に例えて歌ったもの。

▼ 歌「梅花歌(매화가)」を聴く。自然の輪廻を高らかに歌っているようにも。(参考:Youtube映像、歌詞解説あり)

次に、約100年前の朝鮮後期に作られた独奏曲形式「散調(산조)」について、次のように説明された。
・冬のある日、窓際に梅花を一株植えた植木鉢とその反対側に火鉢が置いてある部屋で、風流を好むソンビは詩を作り、妓生が演奏する撥弦楽器「伽耶琴(カヤグム、가야금)」を楽しんだことだろう。
・散調は、パンソリや祭儀の時に演奏したリズムやテンポを基に、ひとつの楽器で演奏できるように構成したものだ。散調のテンポは、穏やかな「チニャンジョ(진양조)」<「チュンモリ(중모리)」<「チュンヂュンモリ(중중모리)」<「チャジンモリ(자진모리)」の順に速くなる。ゆっくりした出だしは、恨を抱くかのようにも聞こえ、次第に速く最後は恨を晴らして羽ばたく印象を与える。チャジンモリで奏した後、最も早いテンポの「フィモリ(휘모리)」に移り変わって奏する。

(参考)以前の放送内容: テンポ「長短(チャンダン、장단)」の取り方

▼ 伽耶琴散調の「フィモリ」演奏を聴く。軽快に撥ねるよう・・・風景にも心情にもいろいろ描けるのだろう。

参考)以前の放送内容: フィモリの「フィ(휘)」は、動詞「吹き荒ぶ」(휘몰아치다)」から、「モリ(모리)」は、「音楽を思った方向に進めていく」という意味を持つ・・・とのこと。

最後に、画家の生涯を描いた映画「酔画仙취화선)」(2002年)の中で、日本の笙とよく似た楽器笙簧(センファン생황)と縦笛楽器の短簫(タンソ、단소)による二重奏が紹介された。
・詩作、書画をするソンビの文人画は、落ち着いた描き方が特徴で、単純な色彩で余白を生かしながら、しっかりと表現するソンビだけに通じた文化でもあった。
・数奇な運命をたどった朝鮮後期の天才画家、張承業(장승업、1843年~1897年?)の生涯を描いた映画「酔画仙(취화선)」で、張承業が妓生メヒャン(매향)と一緒に笙簧と短簫を演奏する。

▼ 笙簧と短簫の二重奏(笙蕭並奏(생소병주))による「水龍吟(수룡음)」を聴く。冷たい水を潜るような透明感がある。


(付記)
今夕、CDショップの電話があった。イ・ソンヒの「30TH ANNIVERSARY LEE SUNHEE LIVE」と、「1集(REMASTERING ALBUM)」アルバムが入荷したそうだ。でもねえ、この寒雨を撥ね退けて出かけるには躊躇したよ・・・「明日行きますから」と。

2015年1月20日火曜日

大寒2015

今日は二十四節気の二十四番目、「大寒(だいかん)」。節気の最後、寒さの最も厳しい時期で、東京1月の平均気温は、一年で一番低い5.2℃(統計期間:1981~2010年)。10℃を超えるには4月を待たねばならない。春は未だ遠い。

(本ブログ関連:”大寒”)

とはいえ、一日ずつ日が伸びており、気持ちの上で峠を越えたと思いたいけれど、例年当地の大雪は2月が厳しい。まさか雪掻きするなんて・・・このところ何度も経験している。

この冷たい季節に聴く、イ・ソンヒの「冬哀傷(겨울애상)」は澄み切った空気まで感じる美しい曲だ。ちょっと気になることがある。彼女の若い頃の記述で自伝(이선희 Profile (自伝~1991年、27歳まで))に近い中で、この曲に直接触れている箇所がない。同曲の収まったアルバム5集(1989年)は、彼女のアルバム中、最大の売り上げ数だったのではないだろうか。

(本ブログ関連:”イ・ソンヒのアルバム枚数”)

昨日よりちょっと冷える。やっぱり大寒か、寒いのは苦手だ・・・何べん言ったことだろう。

2015年1月19日月曜日

イ・ソンヒの「神がまた許すなら」

今晩聴く、イ・ソンヒの11集所収の「神がまた許すなら(신이 다시 허락한다면)」(1998年)は、年に一度ここに感想を記していたことに気づいた。

きっと、年一回だけでも心を清めなさいということかな・・・それほどにこの曲は美しい。神様は多分何も応えてはくださらないだろうから、いっそうこの曲に耳を傾けよう。晶系の複雑な結晶面にきらめく光に似て、透明な澄んだ歌声が響くよ。

11集「Dream of Ruby」は、彼女にとって音楽的試行を重ねた時期のアルバムといわれるが、この曲はやはり彼女そのものだ。

(本ブログ関連:”神がまた許すなら”)

(Youtubeに登録のwallace6813に感謝)

イ・ソンヒの公式ホームページで、アルバム紹介が次の12集以降しかないのが残念。

2015年1月18日日曜日

顔の識別(2)

世の中に自分とそっくりな人が3人いるというけれど、今までに出会ったことはない。きっとどこかにいるのだろうが、考えてみれば、身近な者と似た人物にも遭遇したことがないのだ。つまり、しっかりと違いを識別する能力が高いという証拠だが・・・。

それでも随分昔、顔の識別が怪しくなったと気づいたのは、女優の「原田知世」と「石田ひかり」の区別がおぼろになったことだ。しょっちゅうテレビにかじりついて見ているわけでもなく、名前だけ知っているに過ぎないのだが。つまり、二人の容貌を思い出すトリガーの方が先におぼろになったわけ。

(本ブログ関連:”顔の識別”)

最近では、AKBなど3文字の少女アイドルグループのメンバーが話題になっても付いていけない。というより、関心というか知ろうという意欲が湧かない。メンバーの多さもあって、容貌の識別だけでなく、名前すら怪しい。

またしても驚いたことに、芸能ニュースに出てくる「綾瀬はるか」と「新垣結衣」の名前が入れ替わっていたことに気付いた。彼女たちが、私の頭の中でモーフィングし続けている。可愛い女優の識別が難しくなるなんて、大変残念なことだ。

2015年1月17日土曜日

出会い

出会いが偶然だったとしても、いつか記憶に残れば、それが偶然だったのかと自問する。まして、そこに情感が漂い、懐かしさが深まれば、決して偶然ではない何かに導かれた必然があった、それは希望だったのだと。

ノ・サヨン(노사연)の2集収録曲「出会い(만남)」(1989年)は、今も7080世代にカラオケで歌われる上位曲だ。そう、誰もが思い出を持っている。おじさんだって、おばさんだって大事にしまっている、遠い美しい記憶があるんだよ。この歌が種になって結晶を作り、あの出会いを輝かせてくれる。

(本ブログ関連:”出会い”)

(Youtubeに登録のpops8090に感謝)

2015年1月16日金曜日

イ・ソンヒとイ・スンギのデュエット「Jへ」

SBSの歌謡ショー「イ・ソンヒと友人達」(2004年8月21日)で、イ・ソンヒが愛弟子のイ・スンギと「Jへ」をデュエットするYoutube映像がある。画質も音質もよくて・・・素晴らしい。

(本ブログ関連:”「イ・ソンヒと友人達」(1)(2)”)

イ・スンギとの数ある「Jへ」のデュエット中でも、息が合って楽しそう。最近、イ・スンギの主演映画「今日の恋愛」を、イ・ソンヒと彼女のファンが映画館を借り切って観覧したそうだ。まさに、箱入り息子。いつまでたっても息子は息子という、母親的なものが感じられるほのぼのした関係のようだ。

(本ブログ関連:”イ・スンギ”)

「Jへ」

J 撫でる風に、J あなた想えば
今日も静かに、あなた 偲ぶわ

J きのうの夢に、J 出会った面影
わたしの胸に、染まっているのよ

J きれいな夏の日、遠く消えたとしても
J わたしの愛は、今も変わらない

J あなたを永久(とわ)に
J あなたを愛して
J ともに歩いた、J 思い出の道

わたしは今宵も、寂しく歩くのね
寂しく歩くのね

(Youtubeに登録の아카시아 Acaciaに感謝)

2015年1月15日木曜日

PRD-BT106-P02

わが家で利用の有線テレビにデジタル以外に、デジアナ変換して使っているものがあるが、そちらが3月末サービス終了するという。今後は、デジタル信号しか送ってくれないというのだ。

使用中のアナログテレビは、画質も音質もいまだ衰えていない。もう少し使ってみようと思い、Amazonで探したデジアナ変換する地デジチューナーが、本日届いた。冷たい雨の中、配送してくれた宅急便の若者にありがとう。

以前、有線テレビのサービスマンがVHSレコーダー経由でつないでくれてたのを、Amazonの<カスタマーレビュー>で評判のよい「PRD-BT106-P02」でダイレクトに接続した。画像が前より鮮明なのに驚いた(VHSレコーダーをかまさないからだろうけど)。テレビ本体の画質、サラウンド機能は従来通り調整できるし、使用感はまだまだ満足、全く問題ない。

それに、VHSテープ(イ・ミジャもヘウニ・・・)もいっぱいあることだし、古いものを大事に使っていこう。

(付記)
イ・ソンヒの「30TH ANNIVERSARY LEE SUNHEE LIVE」と、「1集(REMASTERING ALBUM)」アルバムは、来週水曜に一緒に受け取ることになった。彼女の古いLPアルバムも収集していることだし、アナログ世界と縁は切れない。

(追記)
小正月や小豆粥、行事も食事もせず。そういえば、この時期の火祭りに「どんど焼き」がある。隣り町で、ポスターが貼られていた。

2015年1月14日水曜日

イ・ソンヒの「本当に悪い」

イ・ソンヒのファンは、一体どんなイメージだったのだろう。イ・ソンヒが大学生時代、「江辺歌謡祭」(1984年)に登場して大賞受賞した当時の同世代というよりは、少し歳下の女学生(中高生)といったところだろうか。女学生特有のアンビバレンツな心情が、歌謡界のなかで独特な彼女のボーイッシュな容姿とスタイルを支持した・・・まさに待望の登場だったのかもしれない。

イ・ソンヒに男性ファンがいるのもよくわかる。なにしろ彼女のコンサートで、隣席の中年男性が、彼女の歌に合わせてずっと一緒に歌い続けていた。コンサートで歌手と共に歌うことはよくあるようだが、少々戸惑った記憶がある・・・それはそれとして。

イ・ソンヒの歌声には、爆発的な力強い高音が特徴といわれるが、合わせて親しみやすい愛らしい印象がある。それは、童顔といわれる容貌とともに今も変わらない。14集所収の「本当に悪い(참 나쁘다)」(2009年)を聞けば納得できる。

(本ブログ関連:”イ・ソンヒの「本当に悪い」”)


立ち直れない思いを抱いて
街に出て見たわ
あのたくさんの人たちの中で
私は何度も泣きそうなの

そのまま、この雨の中に
しばらくの間、立っていたわ
貴方に会いたい思いで・・・

本当に悪い・・・貴方、この思い知らないで
どうして無視して遠ざかっていくの
ただ私だけを愛した人の思い
こんなにまで苦しめるの

本当に悪い・・・私をここに一人にして置いて
あなたは、ただ私が近づいて来るのを望んでいるの
その思いにも愛があるのなら
どうか近づいて

そのまま、雨の中に
しばらくの間、立っていたわ
貴方に会いたい思いで・・・

本当に悪い・・・あなた、この思い知らないで
どうして無視して遠ざかっていくの
ただ私だけを愛した人の思い
こんなにまで苦しめるの・・・

本当に悪い・・・ここに私は一人にして置いて
あなたは、ただ私が近づいて来るのを望んでいるの
その思いにも愛があるのなら
どうか近づいて、どうか・・・近づいて

(Youtubeに登録のlys2187に感謝)

2015年1月13日火曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 寿斉天

年初のKBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(1/7)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第87回として、宮中音楽「寿斉天(수제천)」、民謡「アリラン(아리랑)」、そして行進曲「キルクンアク(길군악)」にまつわる話を紹介した。

始めに、王道政治の要である「礼楽」の「(音)楽」の役割について、次のように紹介された。
・礼儀の「礼」と音楽の「楽」、「礼楽思想」は朝鮮時代、国家統治の基本原理だった。音楽に関する書「楽記(악기)」は次のよう説明する。礼儀は人々を区別し、音楽は人々を同化させる。人を年齢や役割で区別し、礼儀を以って互いを敬う。音楽で互いを理解して親しくなれば、争いが起こらない。宮殿では、世の調和を感じられる音楽が好まれた。代表曲に「寿斉天(壽齊天)」がある。

▼ 国立国楽院正楽団(정악단)演奏「寿斉天」を聴く。日本の雅楽に似ているが、随分と煌びやかで色彩的な響きだ。

次に、民謡「アリラン」が世に知られるようになった、第一次世界大戦時の<逸話>を次のように紹介された。
・民謡「アリラン」は、民族を代表する歌で、ユネスコ人類無形遺産にも登録された。この曲が世に知られたのは、第一次世界大戦時、ドイツの捕虜収容所で、世界各国からの捕虜を対象に言葉と歌を研究したことによる。当時録音した記録の中に、ロシアの捕虜が歌ったアリランがある。その昔ロシアに移住した朝鮮系(高麗人)ロシア兵が捕虜となりドイツへ送られて、遠く離れたドイツで歌った曲がアリランだ。

(本ブログ関連:”アリラン”)

▼ 「アリラン」の歌を聴く。都会風にアレンジされている。原曲は、ずっと韓国大衆音楽の背骨の役割を果たすのだろう。

最後に、行進曲「キルクンアク(キルクナク、道軍楽)」が奏された場面について次のように紹介された。
・行進曲「キルクンアク」は、歩きながら演奏する音楽という意味だ。もともとは王を乗せた輿や兵士が行進するときに演奏した音楽で、行進曲であるだけに力強いのが特徴。そのためかキルクンアクを歌で表現した曲もある。民族音楽の「農楽」でもキルクンアクのリズムを演奏することがある。農夫は一年の仕事を終えると、キルクンアクを演奏しながら家に帰った。

(本ブログ関連:”キルクンアク”)

▼ 「キルクンアク」を打楽器主体の演奏で聴く。この演奏も軽快に洗練されている、今様である。

(付記)
鳥がさえずり合うように、音楽は響き合い調和するもの、人に伝え聴かせるもの。辻芸人、旅芸人、音楽に貴賎はない。音楽は水紋のようなもの、だから、その輪を乱してはならないと思う。

2015年1月12日月曜日

成人式2015

成人式の祝日、天気晴朗ながら風音の止まぬ一日だった。体感温度がきっと低い外で、遊び声がする。子どもは風の子、うらやましいかぎり。

(本ブログ関連:”成人式”)

少し前までは、午後3時頃になると冷え込み始めたが、最近は4時頃になった。日照時間が少しずつ延びたせいだろう。子どもたちの声も4時過ぎ、しなくなった。親にお帰りと呼び戻されたのかな。

今日の街は華やいだことだろう、晴れ着姿もいいもんだ。ところで振り返ってみると、成人式に行った記憶がない・・・主張があってのことではない、ただ面倒だっただけ。思い違いかもしれないが、後で記念アルバムが送られてきたような覚えがある。

2015年1月11日日曜日

鏡開き2015

正月の1日から3日までの休みを「三が日」。「松の内」の終わる7日まで<門松>を飾る。そして、今日11日は、神仏に供えた鏡餅をさげて食べる「鏡開き」だ。これで、正月行事は一通り済む。

鏡餅を供えていない。餅は、せいぜい<雑煮>を食ったくらい。それに<安倍川餅>は好物だが、正月の縁起物とはいい難い。七草粥も食してないし・・・。

もう一つ残念なのは、イ・ソンヒの「30TH ANNIVERSARY LEE SUNHEE LIVE」アルバムを予約したショップの話しで、入荷が遅れているというのだ。

(追記)
隣り町の図書館に行く。正月気分はすっかり終わっていて大変な混みよう。スタディールームにも入れず、ロビーのテーブルの列に割り込むようにして座り込んだ。

2015年1月10日土曜日

(漢字)幕があがり降りる

漢字を見て気になることがある。文字を構成する一部を共通して、それに他の文字を組み合わせると、それぞれに意味を持つが、連続した何か流れを持つように思えてくる。素人の勝手なこじつけ、駄洒落に近い妄想のようなものだが興味がわく。

例えば、「莫」を共通にして、「日」、「布」、「土」を組み合わせると、次のようになる。

暮らす>夕暮れ>終幕>墓

日々生活にいそしみながらも、いずれ夕陽がさし、幕が降りて眠りにつく。人生をあらわすようだ。文字に知恵があるのなら、それを使いこなすよう大事にしたいものだ。

(付記)
ネット「日経ビジネス」の対談記事、「キーパーソンに聞く」の「女は『ガラスの天井』、男は『ガラスの地下室』」(1/9)で、久米 泰介(くめ・たいすけ)氏に同誌副編集長の秋山知子氏がインタビューする中で、次のような数字をあげている。
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・ある意味衝撃的だったのが、誰でも知っているはずの平均寿命の男女差ですね。アメリカ人の平均寿命は、男性が女性より6.9歳短い。ところが1920年にはその差はわずか1歳だった。日本も現在、平均寿命の男女差は6.4歳ほど(2013年)ですが、1920年頃はやはり約1歳つまり差がどんどん開いている
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(参考)「日本の平均寿命の推移をグラフ化してみる(2014年)(最新)」(GarbageNews)・・・推移図表がある。
(参考)「人口統計資料集(2014)」(国立社会保障・人口問題研究所)の「平均寿命の高い国:2050~55年」・・・日本の女92.44歳、男85.60歳 ⇒ 差6.84歳

2015年1月9日金曜日

イ・ソンヒ<チケットパーク・ゴールデンチケット・アワード作品賞の栄誉>

韓国ではイ・ソンヒを「国民歌手」と讃える他にいろいろな表現があって、「ディーバ(歌姫)」に始まり、「(女性)歌王」、「ライブ女帝」、「歌手クイーン」などある。昨年の彼女の実績は、<帰還>とも呼ばれるように多数に認知されたし、ニュース記事のタイトルに「大韓民国歌手」とまでいわれたりした。

韓国ギャラップが昨年(2014年)調査の「2014年を輝かせた歌手」では、人気曲で3位、歌手ランクで5位(世代別40、50代では1位)に輝いた。

歌手がファンに支持される評価に、当然ながら経済的な面も考慮すべきだろう。その基準に、コンサート公演(回数やチケット数など)の結果がある。つまり、コンサートに出向いて、歌手に対して(きちんと)経済的な対価を投じられる層の厚さを知ることができる

昨年のインターパークの実績を要素に入れて集計したランクが発表され、そのトップにイ・ソンヒが上った。大韓日報の記事「歌謡界最高の『ディーバ』、ライブ女帝 - 歌手イ・ソンヒ」(1/7、ユ・ヨンミ記者)は次のように報じている。(ちなみに、2013年はチョー・ヨンピルだった)

(参考)昨年までの「一目で見るゴールデンチケットアワード10年」(インターパーク)
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チケットパーク・ゴールデンチケット・アワード作品賞の栄誉

・歌手イ・ソンヒは、デビュー30周年を記念するコンサート<歌う イ・ソンヒ>を通じて、2014年4月から11月まで全国13都市27回公演を進める間、すべて全席売り切れの神話を記録した。

・全国ツアーを通じて7万余の観客と出会った歌手イ・ソンヒのコンサートは、2014年最高のプレミアム公演で観客から熱い支持を受けた。

・そして2014年、サイ、イ・スンチョル、ソテジ、GODなど多くの歌手の公演中で、2014年のチケットパークが選定した大韓民国最高のコンサートで、<歌う イ・ソンヒ>コンサートが作品賞を受賞した。

・ゴールデンチケット・アワードは、一年間のインターパークで販売された公演の販売量とランキング、観客の投票を合算して選定する信頼性が高い国内最高のチケット・アワードで、2014年選定基準は「観客オンライン投票」40%+「チケット販売枚数」30%+「ランキング(順位)加算点」30%で点数を合算して発表した。

・「観客オンライン投票」は、インターパーク会員を対象に、2014年12月18日から31日まで投票を進め、投票参加者数は合計24,257人(モバイル16,083人含む)だ。

・2013年の公演部門作品賞受賞者は、歌手チョー・ヨンピルであった。

・2014年最高のコンサートとして支持された<2014歌う イ・ソンヒ>を見た観客は、一様に歌手イ・ソンヒの変わらぬ声と感性、彼女の真心ある歌のおかげで暮らしの疲れを癒され、慰めを得て、再び新らたに始められる力と勇気を得た公演だったと評価した。

・国内女性歌手では空前絶後な独歩的な記録を立てて、韓国最高のティーバとして存在感をもう一度確認させた歌手イ・ソンヒのコンサート。

・話題のコンサートは、彼女のデビュー曲であり、1984年最高の人気歌謡であった「Jへ」から、2014年最高のヒット曲である15集タイトル曲「その中であなたに出会って」をはじめ、去る30年間の粘り強い支持を受けてきた点が功を奏した。

・彼女のヒット曲「分かりたいです」、「思い出のページをめくれば」、「愛が散るこの場所」、「いつもあなたを」、「ひとしきり笑いで」、「ライラックが散るとき」、「思い出のページをめくれば」、「因縁」、「あ!昔よ」、「美しい江山」など、彼女の最高ヒット曲に巡り会える公演だった。

・現在(発売中の)、コンサートの感動をそのまま感じられる「30周年記念ライブ ベスト・アルバム」も、観客に支持を受けている。
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2015年1月8日木曜日

イ・ソンヒの「私は恋に落ちました」

1985年にリリースしたイ・ソンヒの初めてのアルバムがリマスタリングされて、今月(韓国では先月)お目見えする。1集「あ! 昔よ」(JCDS0824)について、大衆音楽評論家・ジャーナリストのパク・ソンソが「アルバム紹介」したものを、昨日の本ブログに掲載させていただいている。その中で、1集の驚異的ヒットについて次のように述べているヶ所がある。

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・「Jへ」より爆発的な歌唱力を生き生きと見せた歌が、まさにこの初ソロアルバム(第1集)のタイトル曲「あ! 昔よ」だ。今は過ぎ去った日を回顧する代名詞である単語として位置づけられた「あ!昔よ」は発表されるやいなや、KBS「歌謡トップ10ゴールデン・カップ(5週連続1位)」を占めており、収録曲中の「葛藤」、「少女の祈り」、「私は恋に落ちました」など、何と七曲がチャートに同時進入する話題を集めた。
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上記紹介の曲目中にある、「私は恋に落ちました(나는 사랑에 빠졌어요)」(作詞・作曲ソン・ジュホ)をYoutubeで視聴したい。
いかにも少女らしい恋に恋する曲であり、イ・ソンヒの特徴を最も示す、爆発的ではち切れんばかりの高音の絶唱を聞くことができる。あっけらかんとした初々しさもあって、どこか楽天的な曲ともいえる。(歌詞にある사랑を、「恋」と「愛」に使い分けてみた)


私は恋に落ちたみたい
私は恋に落ちたみたい

愛が何だかよく知らなくても
なぜか胸がドキドキします
*
しきりに誰か恋しくて
しきりに誰か会いたくて

ときめく心はなぜか
あなたを見れば細るこの心
この心、この心

私は恋に落ちました
私は恋に落ちました

愛が何だかよく知らなくても
なぜか胸がドキドキします

(*以下繰り返し)

愛が何だかよく知らなくても
なぜか胸がドキドキします

(Youtubeに登録のkang yeol jungに感謝)

2015年1月7日水曜日

(資料)イ・ソンヒ「1集(REMASTERING ALBUM)」の紹介

イ・ソンヒが1984年の「江辺歌謡祭」に登場して翌年発表した第1集アルバム「あ! 昔よ」(1985年)のリマスター版(JCDS0824)が、今月発売されることを知った。先週、CDショップで確認したところ未だ扱っていないといわれたけれど・・・。

(本ブログ関連:”イ・ソンヒ 1集(Lee Sun Hee Remastered)”)

ネットの「シンナラ・レコード」に掲載されている、大衆音楽評論家・ジャーナリストのパク・ソンソによる「アルバム紹介」は、1集発売当時の様子を次のように記している。
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イ・ソンヒ 1集Remastered、アルバム

韓国「最高のディーバ(歌姫)」、イ・ソンヒ Story
デビュー30周年を迎えるイ・ソンヒのデビュー初のソロアルバム「あ! 昔よ」

・デビュー30周年を迎える、今もまだ「少女」のような姿に清く透明な音色、そして一層深くなった感性・・・イ・ソンヒは、ますます関心が高まる不思議な魅力の持ち主だ。現在、韓国で活動する「最高のディーバ」、イ・ソンヒ初のソロアルバムのリマスタリング(Remastering)作業は、だから意味がより一層大きい。

・メディアに近況が全く知らされなかった去る2009年*、「助け合い公演」が繰り広げられていた汝矣島のKBSホール、予告なしに舞台にイ・ソンヒがサプライズ出演した。アメリカからまさに帰ってきて初めて立つ舞台と言ったし、非公式に立つ舞台だけに、本格的に活動を始める時、再び正式にごあいさつするとも言った。この舞台で、彼女が歌った歌は「あ! 昔よ」であった。少し短いコメントも(次のように)付け加えた。

(*)イ・ソンヒの第2の人生の始まりにおける一つのできごとである。

・「私が初めてデビューして、この歌を歌う時、ネクタイ部隊(中堅サラリーマン)のおじさんファンたちが一言一言(ぶうぶつ)いいましたよ。小さいのがもう『昔よ』を歌うのかと・・・その言葉の意味を、そしてこの歌の真の意味を今になって少しずつ分かる気がします。時間が過ぎれば過ぎるほど、私にはより一層大切に感じられる歌です」と。

・今でも7080世代に思い出という名で広く知られるMBC-FM主催「江辺歌謡祭」が論ざれるたび、一番最初に登場する名前がイ・ソンヒだ。「江辺歌謡祭」が輩出した最高のスター、そして彼女が歌った「Jへ」は最高の名曲として挙げられる。

(本ブログ関連:”7080世代”、”江辺歌謡祭”、”Jへ”)

・1984年、江辺歌謡祭の舞台に初めて立ったイ・ソンヒの姿を、まだはっきりと記憶している人々が多いだろう。それだけ印象的だった。混成デュエット(「4幕5場」)であるだけに、スカートを着るのが良いという放送局側の勧めにより即席で借りて着た、からきし大きな紺色のスカート姿の、腕白小僧のようなパンク頭のわきまえぬ姿・・・しかし、その小さい体躯から吹き出る澄んだパワフルな歌唱力は、皆を驚かせるに十分だった。結局、大賞を手にした「Jへ」は、翌日から人気集めを始めたし、この歌を歌った主人公には各種マスコミのフラッシュ洗礼が集中した。

・しかし、いざ注目を浴びたのは混成デュエットの「4幕5場」でなく、イ・ソンヒであった。「特に注目を浴びるほどのルックスではないので、さらに注目を浴びた」この手つかずの地味な姿は、かえって誰にも親近感を与え、若者たちは誰も彼も「J」になりたいと自らた請(こ)うただけに「Jへ ブーム」はすごかった。

(本ブログ関連:”イ・ソンヒの「Jへ」”)

・「Jへ」より爆発的な歌唱力を生き生きと見せた歌が、まさにこの初ソロアルバムのタイトル曲「あ! 昔よ」だ。今は過ぎ去った日を回顧する代名詞である単語として位置づけられた「あ!昔よ」は発表されるやいなや、KBS「歌謡トップ10ゴールデン・カップ(5週連続1位)」を占めており、収録曲中の「葛藤」、「少女の祈り」、「私は恋に落ちました」など、何と七曲がチャートに同時進入する話題を集めた。

・トレードマークである丸いメガネとカット頭(ヘヤースタイル)が女子学生の間で大流行したほど、「イ・ソンヒ シンドローム」はすごかった。

・今は女性的にスタイルが変わって、「万人の恋人」として愛されているけれど、デビュー当時は中性的なボーイッシュな魅力と歌唱力で、女性歌手として珍しくハイティーン雑誌とレコードに実物サイズのブロマイドを入れて制作されるほど愛される「下敷スター」*であり、「姉さん部隊」(女性ファン)の元祖であった。

(*)ラミネート加工の写真入りの下敷きで、80年代、元祖下敷スターはイ・ミヨンだそうで・・・「80年代を最後に徐々に下敷きが消えた。下敷きは、単に学用品ではなく、スターといつも会う場所だった」(TVdaily、オ・スジョン記者)

・当時、ある雑誌との「100問100答(100문100답)」で打ち明けた「Jへ」の誕生背景も話題になった。作曲家イ・セゴン(李世建)の楽譜「Jへ」が、ある作曲家事務所*でゴミ箱に捨てられるのを見てその中ですくい出したというエピソードがそれ. 結果的に「捨てられた歌」を捜し出して「宝物」に作ったわけだ。

(*)チャン・ウクチョ音楽室、”イニシャルJ

・「あ! 昔よ」も他の歌手によって先に発表されたが、埋れていた歌であった。歌手チン・ピレによって1年余り前の83年5月に発表された当時、歌の題名は「その時と今」(パク・ゴンホ作詞、ソン・ジュホ作曲)」。この歌もまた、イ・ソンヒによって始めて光を見た歌だ。このようなエピソードは単に偶然な幸運でなく、多少運命的だと見なされる。はじめて歌が主人に会ったことと解釈される部分でもある*。

(*)韓国民歌ともいえるイ・ソンヒの「美しい江山」(4集、1988年所収)も同様なケースだろう。

・逆境は彼女をより一層輝かせる。「最高の最高のディーバ」という賛辞を受けて、韓国を代表する歌手として、そしてシンガーソングライターに変身して、第2の全盛期を謳歌しているイ・ソンヒのきらめく力作、この初のソロアルバムが吹き込み当時の原音そのままリマスタリングされたというのは非常に喜ばしいことだ。宝石以上の貴重な価値を持った原石をそっくり鑑賞することができるからである。 あたかも今歌うために、当時吹き込んでおいたようなこのアルバムは、そのためより多くの人々に感動させるだろう。
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(付記)
今日1月7日は、「七草の節句」ということで、無病息災を祈って寺院で七草粥をふるまう行事があるようだ。では、自宅で食べるにはどうすればいいのか、食材として売られているだろうか。はたまた、七草粥を食事できる店があるだろうか。結局、今年も無縁に終わってしまいそうだけど。

2015年1月6日火曜日

小寒2015

今日は二十四節気の「小寒」。厳しい寒さの前触れである。残すところ「大寒」を過ぎれば、一年のサイクルの始めに戻るのだが、寒さ嫌いにとって関門である。

(本ブログ関連:”小寒”)

今日の天気予報によれば、最高気温が16℃だそうで、いい意味で出鼻をくじいてくれる・・・ただし、この暖かさは今日まで。

天気予報で気付くのは、関心の範囲が当地、当地域、あるいは影響を受ける地方くらい。ネットのニュースで、小寒を検索して驚いたのは、記事に取り扱っているのが、韓国や中国ばかりなのだ。

正月休みも終わり生活にいそしめば、小寒は人の気分からするりと抜け落ちるばかり。

(追記)
毎週水曜日のKBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週(12/31)年末特番のため休みだった。番組担当の金寶愛さんの独唱を拝聴しましたよ。

2015年1月5日月曜日

日めくりカレンダー

今年、「日めくりカレンダー」をPCのそばに置いて、毎日、日めくり(更新)することに決めたが・・・昨晩、日付の変わった深夜に一枚切り取って今日(5日)の日付にしたが、今朝それを忘れて、また一枚剥がしてしまった。

(本ブログ関連:”日めくりカレンダー”)

今日は6日なのか・・・ああ、予定が間に合わないと一日中慌てる・・・夕方になってやっと気付いた。昨晩遅く切り取った5日の分を探し出し、日めくりカレンダーに貼り付けて、ようやく本当の5日が復活した。
ああ、PC横に月日表示のデジタル表示時計も置いているというに。

今日は、朝から夕方まで南の風が吹いて、久し振りに陽に暖かさを感じた。東京都の最高気温が10℃を超えて、13℃に達したのだ。10℃超えの効果は抜群。

遅い今晩、ストーブが暖か過ぎるほど。この調子で温和な日が続けばと思ったが、明後日から再び厳しい冷え込みのよう。お天道様にはこちらの思いが通じない。

2015年1月4日日曜日

イ・ソンヒのカバー「愛しか私はわからない」

イ・ソンヒは、シム・スボン(심수봉)に「後輩歌手たちが歌った(自分の)『愛しか私はわからない』(사랑 밖에 난 몰라、1987年)の中で、イ・ソンヒの歌が最も印象に残る」といわれた。

2004年、デビュー20年のコンサート舞台で、イ・ソンヒは、ビートを効かせたシム・スボンのトロット唱法に対して、本歌取りというか換骨奪胎に近いほどのしっとりとしたバラードでこの曲を歌った。今を起点に未来へ向かうのか、それとも過去からようやく今にたどり着いたのか、そんな違いがあるように感じさせる・・・。

(本ブログ関連:”シム・スボン”)


(Youtubeに登録のrosamin2に感謝)

(追記)
隣り町にある大手のいわゆる新古書店で、20%オフをやっていた。ただでさえ半額に近いのに更に・・・ついつられて? 2冊購入。

2015年1月3日土曜日

イ・ソンヒ 1集(Lee Sun Hee Remastered)

正月三が日の最終日、新大久保に行く。駅前は思いのほか混雑していて、大久保通りも賑わいが続いていたが、さすがに職安通りへ抜ける小道はいつもの休日ほどでない。

実は職安通りに面したCDショップに、イ・ソンヒの30周年記念コンサートのライブアルバムを予約していて、受け取りは7日以降にもかかわらず寄ってみた。なぜかといえば、ネットで彼女の1集アルバムのリマスター版「Lee Sun Hee Remastered」(JCDS0824)が発売(韓国出荷予定1/4)されるというのを知ったからだ。

(本ブログ関連:”「30TH ANNIVERSARY LEE SUNHEE LIVE」アルバム”)

同ショップには書籍売り場もあるので、ちょいと覗いて見たついでに、このリマスター版を追加予約しようとしたわけ・・・だった。けれどまだ同ショップの扱いリストに載ってないという。じゃあ、今度コンサート・ライブアルバムを受け取りに来たときに、正式に予約することにした。

その足で、新宿の大手書店のフロアを巡る。何かいいものはないかな?・・・と探す。鉱物関連の標本や書籍は見れども今回はパス。語学書籍に、韓国語教室で紹介されたことのある、アメリカ人向けに書かれた「韓国語概説」(イ・イクソプ著、前田真彦訳)があって購入。SVOの人間にSOVを説明する工夫がされているような気がして、(膠着語に住む浅学なものにも学校英文法的な理解で)役立ちそう。

考えてみれば、明日は正月の付録のような日曜日。まだ正月が残っている。

(付記)
KBSのヒューマンドキュメンタリー番組に関連して、イ・ソンヒの社会行為が報じられている。(スポーツ朝鮮記事

2015年1月2日金曜日

イ・ソンヒの「Jへ」

高校時代、イ・ソンヒは、通っていた音楽室であわや消え去ろうとしていた譜面を作曲家から譲り受けた。後に20歳となる大学時代の夏、「江辺歌謡祭」(1984年)に出場してその曲を歌い大賞受賞した。「Jへ(J에게)」である。女学生たちに圧倒的な支持を受けることになる。

(本ブログ関連:”京郷新聞”)

1980年代当時の空気を知る、ソウルにいた日本人留学生の思い出に、なぜかカセットテープの彼女の歌を求めたという記述がある。考えてみれば、LPプレーヤーを持って留学するような時代ではなかった。

江辺歌謡祭には「4幕5場」というデュエットでステージに立ったが、髪型(チリチリパーマ)、丸縁のメガネスタイル、スカート(ベトナムスカート)というファッションのどれをとってもユニークだった。後の彼女は、コンサートでバックにその映像を映すことをためらわない。次のYoutube映像(デビュー20年のコンサート、2004年)で見ることができる。清清しいほどだ。

「Jへ」

J 撫でる風に、J あなた想えば
今日も静かに、あなた 偲ぶわ

J きのうの夢に、J 出会った面影
わたしの胸に、染まっているのよ

J きれいな夏の日、遠く消えたとしても
J わたしの愛は、今も変わらない

J あなたを永久(とわ)に
J あなたを愛して
J ともに歩いた、J 思い出の道

わたしは今宵も、寂しく歩くのね
寂しく歩くのね

(Youtubeに登録のjustine kellyに感謝)

2015年1月1日木曜日

2015年 元旦

2015年年賀状
2015年の元日、初日の出を富士山頂から望むテレビの実況中継画面を見ながら拝む。新しい日めくりカレンダーをPCの脇に吊るす。こうすると、一日一日が迫ってくるよう。

東京の月別平均気温は、この1月が一年で一番低く、3月までは10℃を切る。つまり、本格的な春の4月直前まで、厳しい寒さが続く。正月早々、暖かい春が待ち遠しくなる。早く来て欲しいものだ。

今日は旧暦の11月11日。イ・ソンヒは1964年の旧暦11月11日に誕生した。韓国では旧暦で誕生日を祝うこともあるようなので、もしかしたら今日祝っているかもしれない。また、新年は旧暦の元日(新暦2月19日)を祝うので重なることはない。

このブログ、2009年の2月中旬から始めて、およそ5年10ヶ月ほど続いている。イ・ソンヒのファンとして、ネットで彼女の情報を探したり、コンサートがあれば出かけたりして、思いつくまま記している。

今年も楽しく続けよう。

(追記)
昼過ぎ、地元の神社へ初詣に行く。祈ることは多々あるけれど、自分のことは一言で十分。途中、私にとって、今冬初めての雪降りに会う。冷たいものが顔に当たったと思ったら、次第に粉雪が舞い始めた。結局にわか雪だったが、何かめでたいような気がした。

2014年12月31日水曜日

2014年にさようなら

今年もいろいろありました。といっても、ごく私的なことだけですが・・・、このブログとして最大のできごとは、イ・ソンヒさんのデビュー30周年記念の、ソウル世宗文化会館でのコンサート「歌うイ・ソンヒ」に行ったことでしょう。1泊2日の駆け足で、例によって、彼女のLPやCD、音楽古雑誌を探し廻ったりもしました。

今年は、イ・ソンヒさんにとってさらに脚光を浴びる年でした。30周年記念して、3月にリリースしたアルバム15集のタイトル曲「その中であなたに出会って」は、年間を通して(韓国)国民に支持された曲中、なんと第3位という素晴らしい、彼女の音楽史に残る大ヒット曲となりました。

(本ブログ関連;”その中であなたに出会って”)

イ・ソンヒさんの30年を込めたドキュメント番組「SBSスペシャル」が今月28日に放映され、視聴できた最高の年末になりましたよ。

そうそう、今月22日に韓国でリリースした上記コンサートのライブアルバムが、来年1月7日頃入荷するという連絡が新大久保のCDショップからありました。新年を迎える楽しみがひとつ増えました。

今年同様、来年も楽しみです!

KBS WORLD「国楽の世界へ」 勧酒歌

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(12/24)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第86回として、妓生が歌う酒を勧める歌「勧酒歌(권주가)」にまつわる話を紹介した。

まず、パンソリ「興甫歌(흥보가)」でも、酒を勧める「勧酒歌」の場面があることを次のように紹介された。
・国楽に酒と歌を楽しむために妓生が歌う「勧酒歌」がある。パンソリ「興甫歌」にも勧酒歌の話が出る。
・ツバメが運んできた瓢箪の種のおかげで大金持ちになった興甫(흥보)の家に、兄ノルボ(놀보)が訪ねる。ノルボの家から追い出されて以来、始めて兄弟一緒に食事をしたとき、馳走を前に興甫がノルボに酒を勧めるが、ノルボは歌がないと酒は飲めぬと醜態をさらす。勧酒歌は、普通妓生が歌うものだが、ノルボは興甫の妻に勧酒歌を歌わせようとする。当然、興甫の妻は気を悪くし、気まずい雰囲気になり、せっかくの時間が台無しになってしまう。

(本ブログ関連:"興夫歌"、"興甫歌")

▼ パンソリ「ノルボがフンボの家を訪ねる場面(놀보가 흥보 집 찾아가는 대목)」を聴く。

(参考)「パンソリ」(申在孝、訳田中明・姜漢水、東洋文庫)の「朴打令」より、ノルボのせりふ。
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フンボ(興甫)が俄大尽になりたるよと、噂が四方にひろがれば、ノルボは聞きて思うよう、/「その財を、すべて奪って、このわしが、富みたる上に、ますます富まば、これはまことに上々なれど、彼奴めがすなおに渡さぬならば、いかなる仕打ちをしてくれようぞ。万が一にもよこさぬなら、『フンボは長者のくせをして、おのれの兄を大事にせぬ』と、腹ぐろきしたやくにん(役人)に賄賂とらせ、やくしょ(役所)に廉問書かせ、出牌に百文握らせ、郷中どもに書状を廻させ、都邑(まち)にまでその嘘流さば、彼奴の身代も忽ちにひっくり返ってしまう筈」
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次に、パンソリ「春香伝춘향전)」での「勧酒歌」の場面があることを次のように紹介された。
・「春香伝」に、国の高官になった李夢龍(이몽룡)が地方の宴会に行く。不正な官吏を探し出して罰する任務のため、身分がばれぬよう古着のみすぼらしい服装にする。地方の偉そうな両班(양반)はそんな彼を歓迎するわけもない。引き下がるわけにはいかず、図々しく宴会場に入り、妓生に勧酒歌まで歌わせる。妓生にしても上品な両班と違い、この男へ気が進まず、歌うふりをして、歌詞は悪口を浴びせ、この酒を飲んだら一千万年過ぎても今の姿から抜け出せないだろうと皮肉った。外見で人を判断する妓生にまずい面もあるが、状況に合わせ歌を作り出す才能に感心する。

(本ブログ関連:”春香伝”)

▼ パンソリ春香から「宴会の日の官吏の企み(사또 잔칫날 어사 수작하는 대목)」を聴く。歌というより語りが続く・・・。

最後に、朝鮮中期の本来の勧酒歌について次のように紹介された。
・本来の勧酒歌は、朝鮮中期に広く歌われた十二の歌曲(가곡)にも勧酒歌がある。年をとらない不老草でかもした酒を杯に注ぎ、長寿を祈る内容だ。山が崩れる時まで長生きをするようにと祈る。また、酒を一杯飲むたびツツジの花を折って、数を足すという内容の歌もある。酒の一杯もただ飲むのでなく、相手の幸を祈ったり風流をたしなむ風習がうかがえる。

▼ 十二の歌曲の中から「勧酒歌」を聴く。これも風流だろうか、朗々として歌い響く。

最後に、金寶愛さんから、酒の失敗を戒める言葉がありました。ありがとうございます。

2014年12月30日火曜日

(資料)ギャラップ調査「韓国人の好きな韓国料理 2004-2014年」

韓国ギャラップ(갤럽)は、12/29、「韓国人の好きな韓国料理 2004-2014年」比較調査結果を次のよう上位10位まで発表した。

①キムチ・チゲ(김치찌개) ②テンジャン・チゲ(된장찌개) ③キムチ(김치) ④プルコギ(불고기) ⑤ビビンパプ(비빔밥
⑥チャプチェ(잡채) ⑦カルビ(갈비) ⑧納豆チゲ(청국장) ⑨サムギョプサル(삼겹살) ⑩カルビチム(갈비찜

意外と食べたことのあるものばかり。「納豆チゲ」だけは食べた記憶がないけれど、いかにも家庭料理風なので次回食べてみよう・・・料理店で皆と食べることが多く、鍋(チゲ)料理の割合が少なくなるためだろう。
ところで、私の好物のスンドゥブ・チゲ(순두부찌개)がランクインしていないのはなぜ・・・料理というより、あまりに当り前過ぎる味噌汁のようなためだろうか。

・2014年10月2~29日、全国の満13歳以上の男女1700名、面接調査
(上段2004年、下段2014年、%、自由応答 ・・・ 標本誤差:±2.4%ポイント(95%の信頼水準))

2014年12月29日月曜日

イ・ソンヒの歌手生活30年を込めた「SBS スペシャル」

今年ベテラン歌手として圧倒的存在感を示した、イ・ソンヒの歌手生活30年を込めた「SBS スペシャル」が、昨晩12/28(日)、23:15から、日付が変わった24:10頃まで放送された・・・幸いPCで視聴することができた。
番組冒頭、今月20日にソウル新村歩行者天国(現代百貨店UPLEX前)で催された救世軍慈善公演で歌う姿から始まる。

(本ブログ関連:”イ・ソンヒ 救世軍慈善公演(新村歩行者天国)”)

イ・ソンヒファンは、やっぱりアジュンマが中心。番組中、熱烈なファン(確かファンブログを持たれている方のよう)の娘さんが好きなのが、イ・ソンヒの愛弟子であるイ・スンギという。

Youtubeに登録された同番組がいつまでも残るといいのだが・・・。


(Youtubeに登録のjunghee .Pに感謝)

2014年12月28日日曜日

映画「国際市場」のエイジ・リダクション(ムービー・レタッチ)

物語の起点を朝鮮戦争後のドイツ労働派遣(派独)とする、最近の映画に「怪しい彼女」があり、それが女性の視点とすれば、男たちにとっては今月17日封切られた映画「国際市場국제시장)」が当たるのだろうか。ともに家族史を通じて描かれる。

(参考) 西ドイツへの(鉱山、看護)労働者の出稼ぎ(東亜日報の記事:2004年6月9日

この映画の「タグライン(=キャッチフレーズ)」は、「あの日あの時/たくましく生きてきた私たちのものがたり」だ。自分の存在が、両親がいて祖父母がいた、そんな当り前の家族史に気づかせる。歴史の網目よりも、家族の絆の濃密さをあらためて思い知る。
ネットニュースのKstyle(12/26)の記事によれば、「公開10日で300万人突破!」したとのこと。

この映画の日本上映は未だ決まっていないようだが、ちょっと違った観点で見てみたい気もする。それは、CGの発達を示すもので、何と動画を修正するムービー・レタッチの手法が、この映画に取り入れられているというのだ。人の年齢を若返らせたり、老化させたりする、つまり時間を操作できるなんて驚きのことだ。

【「国際市場」制作ノート
・<国際市場>の視覚効果を総括した、ハン・テジョンVFXスーパー・バイザーは、「ファン・ジョンミン、キム・ユンジン、オ・ダルスの感情演技があまりにも素晴らしいため、老人を演じるときも扮装の他に表現される俳優たちの小さな筋肉の動き一つ一つまでも表示されるようしなければならない難しい問題があった。存分に感情演技をした後に、後半作業で洗練されたCGを重ね、最高の結果を作り出した」と自信を示した。
・日本のエイジ・リダクション(ムービー・レタッチ)専門CG会社である、フォトンfoton)が参加して、平均年齢40代の俳優たちの、20代の若さをよみがえらせ、70代の老人の扮装にCGを重ね、さらに自然補正した。「国際市場」で使用されたエイジング・リダクションCGは、単純に顔の皺だけなくす補正のレベルを超えて、各年代の特徴を表現するために、瞳の色、首、骨格と髪の毛まで、東洋人の顔の特徴をさらに細かく表現することに重点を置いた。

(参考) Gigazine(2012.11.06、「フォトレタッチならぬムービーレタッチで女性を若返らせる驚異の技術」)

2014年12月27日土曜日

イ・ソンヒ 「SBSスペシャル」 明晩放送

イ・ソンヒの歌手生活30年を込めた「SBS スペシャル」が、明日12/28(日)、午後11時15分から放送される。

(参考)Preview: 俳優최불암、이덕화、김희애、歌手송창식、写真家조세현、評論家허지웅


(Youtubeに登録のSBSNOWに感謝)

イ・ソンヒの「さようなら」

今年も終わり間近。思えば、この一年が無事に済んだと安堵したり、経た年を数えたりする。合わせて、来年の道の険しさを思う。一方、若者には今年は単なる通過点だったろうし、来年はチャレンジの年だろう。未来を待望する若さが羨ましい。

イ・ソンヒが、10集収録の「さようなら(안녕)」を、1990年10月来韓したモントリオール室内楽団と共演した映像がYoutubeにある。どこか少年のような初々しさを見せながら、力のバランスを見せつける素晴らしい歌唱力を発揮する。

(本ブログ関連:”モントリオール室内楽団”、”さようなら(안녕)”)

美し過ぎた思い出にふけりながら
あなたの寝顔を見つめて
あなたの額に口づけして
静かにささやいたわ
さようなら

ドアを、ドアを開けしなに心残りして
もう一度、あなたを見つめて
遠くから聞こえる夜明けの鐘に
静かにもう一度
さようなら

別れは、本当につらい
愛とは、ただあなた

けれど、去らねばならない私を引き止めないで
ああ、引き止めないでください
愛しています

ドアの、ドアの外に出たら、冷たい夜は明け
コートの襟を上げて、口笛吹いて
白(しら)露なのか涙なのか、私の目もとに流れ
静かにささやいたわ
さようなら

静かに、もう一度
さようなら、さようなら


(Youtubeに登録のKoreanMusicSubsに感謝)

2014年12月26日金曜日

火の用心

このところ寒さが緩む気配はない。すっかり冬だ。最高気温は10℃を境目にして、それ以下だと一日中冷えっぱなしといった感じだ。最低気温はどちらにしろ夜明けのこと。まだ布団の中で、そんなこともあるかと寝ぼけている。

夜は寒さが深深と増す。ストーブを全開すれば、暖かさに負けて転寝する。テレビを見てまた転寝する。子どものころ、テレビを見ながらコックリ、コックリする親が不思議でならなかった。それが今、私の姿だ・・・なにしろPCに向かってうつらうつらしている。

そんなとき、今年初めて聞く「火の用心」の夜回りが家の前を通った。掛け声に合わせて拍子木を打つ。「火の用心! カチ・カチ」と、火事の注意をする。ときには、子供たちを交えて夜回りすることもあるけれど、今晩は寒さのせいだろうか少人数のようだ。

(本ブログ関連:”北風”、”今年最初の火の用心”)

2014年12月25日木曜日

(資料)2014: 巨匠の帰還そして新人の没落

今年の歌謡界について、ベテランが活躍した年であったと、MBNスターの記事[「M+年末決算…歌謡 ②] 巨匠の帰還そして新人の没落」(12/18、ナム・ウジョン記者)は、次のように報じている。(イ・ソンヒに関わるよう抜粋)

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相次ぐ大型歌手たちのカムバックは嬉しかった。しかし、新人たちの活躍は稀だった。極端な二極化現象が見られた2014歌謡界であった。

今年上半期には、1990年代と2000年代を生きてきた世代にとっては、良いニュースが相次いで聞こえた。当時、活動した歌手の相次ぐカムバックが続いたためだ。

最も話題を集めたチームは、まさにgodである。・・・

3月、5年ぶりに正規12集を発売したイム・チャンジョンも変わりない人気を誇った。・・・

久しぶりにカムバックしたパク・ヒョシンは、放送活動はなかったが、音源と公演で自身の存在感を証明した。・・・

デビュー30周年を迎え、3月に正規15集を発表したイ・ソンヒは、女王の帰還を知らせた。特に、イ・ソンヒは、若い後輩たちとのコラボレーションで変化を試みた。エピトンプロジェクト、イダンヨプチャギなどと作業をしながら、若い層までひきつけた「その中であなたに出会って」は、現在までに音源チャートに登場するほどロングランを見せている。

(本ブログ関連:”2014年を輝かせた歌手 - イ・ソンヒ曲3位”)

下半期歌謡界の最大のイッシューは、ソテジのカムバックだった。・・・

長い沈黙を破って正規アルバムで戻ったキム・ドンリュルとトイ/ユ・ヒヨルも今年の下半期の歌謡界を熱くした。・・・

問題とカムバックもあった。兵役不正論議で活動をたたんだMCモンが新しいアルバムを発表したのだ。・・・

しかし、巨匠たちの熱いカムバックとは相反するように新人歌手、特にアイドルの活躍は稀だった。 今年、最も顕著な活躍を見せた新人さえも、まともに音楽だけで勝負を見られなかった。

巨匠たちの派手なカムバックと相反するように新人の低迷は、見る音楽よりも、すでに聞く音楽の時代へと変化したことを感じさせる。歌謡界のこのような二極化現象というよりは、新旧調和が成り立ってこそ音楽の多様性を保証することができるものと思われる。
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ところで今日は、ネロとパトラッシュが天に召された日なんだね・・・<今生きている>私たちは、この地に生まれたという幸運と偶然が続いていただけなんじゃないかって、最近つくづく思うんですよ。

2014年12月24日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 丹青

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(12/17)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第85回として、華やかな色彩の「丹青(단청)」にまつわる話を紹介した。

始めに、丹青の意味と用途について次のように説明された。
・「丹青」とは、日本では、赤と青、色彩や絵具または絵を描くことを言う。韓国では、宮殿や寺の本堂などに五色(赤、青、黄色、白、黒)で描いた華やかな模様(または塗装工事そのもの)を指し、五色で世の中の調和を成す意を含む。
朝鮮時代、兩班階層の建物は華やかものが多く、当時はほとんど木造で、丹青に木材の防腐や、害虫からの防虫など役割があった。丹青は、建物の特殊な用途と威厳を象徴するもので、普通の家で使えぬよう法で定めていた。

▼ 管楽器テグム演奏「平穏な山寺の日常(평온한 산사의 일상)」を聴く。都会人のセンスか虫の音も交えて・・・今様である。

次に、丹青の歴史について次のように説明された。
・丹青は、先史時代に、神に祭祀を捧げる祭壇を飾るのに始まる。丹青は悪鬼を追い払うためでもあり、権力を表す手段でもあった。今は三国時代の建物はないが、高句麗の古墳の壁画に、蓮華や雲など多様な模様が描かれている。新羅の「雁鴨池(안압지)」には丹青の跡が残る瓦や丹青の絵具を入れた入れ物などが発掘され、当時丹青が使われていたのが分かる。

▼ 宮中舞踊の笛とテグム、ヘグム演奏「処容舞の伴奏音楽(처용무 반주음악)」を聴く。処容舞を合わせて見ると興味深い。

最後に、世の中を構成する「五方色(오방색)」について次のように解説された。
・処容舞は、鬼を追い払うために<仮面>で踊る舞いをいう。5人で舞い、それぞれの服装は、東西南北と中央の方向を象徴する「五方色」と呼ぶ五色からなる。東は青、西は白、南は赤、北は黒、中央は黄色で表す。五方色は色々なところで目にできる。楽器の配列をこの色に合わせて、東に青い楽器、西に白い楽器を置く。食べ物や体中の臓器もこの色に合わせて区分できる。
世の中は全て五方色で構成され、丹青は世の中の調和を具現するという意がある。

▼ カヤグム演奏「空の模様(하늘그림)」を聴く。描写的でコラボというのか・・・今様である。

・高麗時代、宋の使者の目に映った丹青の華やかさが「高麗図経」に綴られている。

イ・ソンヒの「Last Christmas」

イ・ソンヒがデビューした年に、世界的にヒットしたワム(Wham!)のクリスマスソング「Last Christmas」(1984年)を、イ・ソンヒはアルバム「冬のものがたり」(1988年)に収めている。

今年のクリスマスは、誰もかれもみな集い、笑い声と歌声にうずもれて夜を明かそう。そう、幼い子どもがスキップするような気持ちで・・・そうもいかないけれどネ。

(本ブログ関連:”イ・ソンヒの「ラスト・クリスマス」”)


(Youtubeに登録のMusic maniaに感謝)

2014年12月23日火曜日

イ・ソンヒ 救世軍慈善公演(新村歩行者天国)

天皇誕生日祝日の今日、考えてみればクリスマスイブのイブなわけで、駅そばにある菓子屋の店頭では、帰宅をいそぐ人々に掛け声してクリスマスケーキを売っていた。ケーキ予約が普及しているようだが、直接買い求める客が続いたのは意外だった。

Youtubeに、先週20日(土)、ソウル新村歩行者天国(現代百貨店UPLEX前)で催された救世軍の慈善公演で歌うイ・ソンヒの映像全編が投稿(unghee .P 感謝)されている。

当日は夕方4時からの公演とのこと、(参加者によれば恐ろしく寒い中にもかかわらず)、映像から分かるように多数の人々がオープン会場に集った。愛弟子のイ・スンギからマイクを渡された彼女は、以下の5曲を歌った。途中、彼女およびイ・スンギと同じフックエンターテインメント事務所に所属する俳優イ・ソジンが壇上に駆けつけた。



彼女のステージ最後に歌われた、デビュー30周年を記念してリリースした15集のタイトル曲「その中であなたに出会って」は、韓国ギャラップによる今年の全国調査で、K-POPなど含めた大衆歌謡の中で人気曲第3位を占めた。今年、彼女の帰還をはっきりと示した曲となった。

次の曲目が歌われた。
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① 「いつもあなたを」
② 「あ!昔よ」
③ 「Jへ」
イ・ソジン登場
④ 「因縁」
⑤ 「その中であなたに出会って」


(追記)
イ・ソンヒは音楽活動の初期から慈善活動に関心を持ち、支援コンサートを開催したり、結果として政治参加したりした。

(本ブログ関連:”慈善”、”学生家長”、”市議会議員”)

2014年12月22日月曜日

冬至2014

冬至の今朝、まるで正月のような静かさだった。世間の多くが、先週末の20日(土)から明日23日(火)の天皇誕生日祝日まで4連休をとって過ごしているいるからだろうか。人の動く気配がないというより、遠くを走る車の重低音が漏れ聞こえてこないからと推測する。

(本ブログ関連:”冬至2009年2010年2011年2012年2013年”)

ご近所に、家族総出で連休をエンジョイして外出(旅行?)する家族がいる・・・お父さんは大変だろうが立派だ。その意味では、今日の冬至は十分役立っているようだ。

冬至に、かぼちゃ入り小豆粥を食べたことがあるのは随分昔のこと。柚子湯の風習もあるがもっと昔のこと。祝日にもならぬため、特別な行事もはっきりしない。古代、この日を一年の始まりにしたという記憶はとっくに薄れている。

今日は連休の中日でしかないのだろうか。冬至は、ハロウィンにどうやら負けてしまったようだ・・・女性に受けなければ何ごとも始まらない、冬至ファッション、冬至パイ、冬至スィーツなんてのはどうだろう。それにしても、「冬至」という名は固い、英語でsolticeは発音しにくい。洒落た名前が必要かもしれない。


(付記)
イ・ソンヒのデビュー30周年にあたる今年、全国ツアーの起点となった4月の世宗文化会館でのコンサート「歌うイ・ソンヒ」のライブ版アルバムが本日発売される・・・といっても、韓国での話しで、日本では近々だろうから、新大久保のCDショップに予約していて、入荷の電話通知を待っている。

彼女のライブアルバム発売の紹介記事が、10アジアの「イ・ソンヒ 8ヵ月の全国ツアー終え、ライブアルバム発売」(12/22、クォン・ソクジョン)を始めとして、今日のネットに多数載っている。

2014年12月21日日曜日

採集場所が分からない、ときにはこんなこともいいもんだな

お誘いいただいた、埼玉県比企郡都幾川(ときがわ)町本郷に、滑石やスチルプノメーレンを探しに行った・・・けれど。

ときたま吹く風が冷たい早朝、待ち合わせ場所近くのコンビニで買ったコーヒーを飲みながら、今日の成果を妄想した。でも、産地に行ったことはないし、どんな雰囲気なのか想像もできない。

H氏の車に同乗させていただき、現地へ進む前方に秩父連山がくっきりと浮かび、左手遠くには雪をかぶった富士山が見えた。今日は快調、成果が期待できると確信した・・・けれど。

さて、八高線明覚(みようかく)駅の周辺で道探しに悩むことになる。H氏の記憶は40年ほど前のこと、すっかり辺りが変わってしまっているようだ。車で探すと、歩いて廻ったという距離感とは全然違うわけで、ついつい走り回ってしまう。

見つからなさが重なると、次第にふわふわしてくる。この辺が私の根性のなさ・・・何となく言い訳を始めてしまう。「石切り場は、あの新興住宅地になった辺りだったんじゃないですかねえ」なんて、ついつい合理化してしまう。それに、参考にした鉱物採集の書籍地図もおおまかで照合できないのだ。

地元コンビニの店員さん、通りがかりのおばさん、畑仕事の老人(2ヶ所)に尋ねるものの、要領を得られず・・・ついに断念する。

車中で豆大福を食って、次回を期すことになった次第。

(Youtubeに登録のGlory 昭和CM チャンネルに感謝)