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2015年12月13日日曜日

お、驚くじゃないですか

スポーツ朝鮮の写真記事、「【フォト】 イ・ソンヒ、『体つきそのままに露にした密着ドレス~』」(12/10)という見出しが目に飛び込んできた。えぇっ!と見直して写真をみると、そこには肩肌を見せながら両手を頭上にマイクを掲げた女性の姿があった。顔を眺めれば、歌手のイ・ソンヒではないのはすぐにわかるのだが・・・お、驚くじゃないですか。

写真のイ・ソンヒは、声優の方だそうで、「KBSラジオ演技大賞(声優演技大賞)」授賞式のものという。同紙の別写真タイトルに、「セクシーな熱唱」というのもある。

歌手イ・ソンヒの昔のYoutube映像には、赤いドレスや、白いドレスで歌うものがある。それと思い比べれば、スポーツ朝鮮の写真と違うのは私でも分かる。写真の女性は、だいぶ色っぽいのだ。でも、歌手イ・ソンヒがこれまで受け入れられ、支持が続いて来たのは、むしろ普通の女性っぽさにあったのかもしれない。

ところで、イ・ソンヒの名(=発音)は漢字にすると色々あり、男性では野球関係者がいたりする。女性では、軍人、テレビ作家、ファッション、国楽など様々な分野で活躍する同姓同名の方がいる。

(本ブログ関連:”イ・ソンヒという名前”、”李仙姫の名前から”)

2015年12月12日土曜日

イ・ソンヒの「水仙」

中島みゆきの作品に「元気ですか」がある。モノローグで通す曲だ。後追いする惨めさをこれほど感じさせるものがあるだろうか。言葉は、かさねるほどその重みに耐えられないことに気付かせる。

イ・ソンヒにも、やはり独白だけの作品「水仙(수선화)」(1989年、作詞・作曲キム・チャンワン)が、5集に収録されている。こちらは、もしかしたら若気の強がりかもしれないが、言葉のジレンマから結局は逃れそうもない。

この「水仙」を収めた4集・5集アルバムリマスター版(「ALL THAT MASTERPIECE LEE SUN HEE 4+5」)を解説する記事(チェ・ソンチョル ペーパーレコード代表)に、次のような紹介がある。社会性を強めたといわれる5集のなかでは、独特な位置づけとなってる。
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ナレーションが続く独特の雰囲気(独白調)の曲「水仙(수선화)」・・・、キム・チャンワン特有の歌詞とイ・ソンヒの若い張りのある声が調和した「水仙」は、やや実験的な曲である。
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試聴: 「水仙」  ← このリンク先で聞くことができる)


(ふふふ) みんな過ぎたこと

いや、違うわ

愛! 贅沢なことみたい

未練! (ふ

わたしが 水仙を好きだったとしよう

その花が散ったとしよう

それが 何!

誕生日が同じ人だけで会うとしよう

それも日を決めておいて

ちらりと会って別れるのが、何が違うの

(は~) みな、過ぎたこと

違うわ、違うわ



(追記) 「忘年会」

久し振りに、昔の仲間との忘年会に参加した。私なりに1年間の成果があってこその忘年会だが、果たして振り返ってどれほどだったのか自問する。とは前置きで、毎度ながら美味しい食事と楽しい会話でたっぷり時間を過ごすことができた。皆さんに、刺激とエネルギーを注入された思いする。
今回も、幹事さんに感謝。プルコギ、美味かったです。

2015年12月11日金曜日

なんと最高気温、24.6℃

昨晩、PCデスクのそばに置いたガスストーブの火がシュルルと消えてしまった。慌てて再点火するが反応がない。台所のガスコンロを見ると、弱火の位置のまま火がなかったのだ・・・そのためだろう、屋外のガスメーター器が自動停止して、ガスを遮断したようだ。(危険を回避してくれた装置の賢さに感心する)

それも深夜のこと、回復させるために外へ出るのも面倒なので、うっちゃってしまう。今朝になれば土砂降り。傘をさしながら、ガスメーター器をリセットした。寒いときの赤い炎、あらためてありがたい。

午前に雨音が止むと、気温が上がった。何と、今日の最高気温(近隣街観測)は、24.6℃(昨日より13.0℃も高い)、9月下旬並みという。どうりで、いつもの防寒着を軽めのものにチェンジして外出したが、衣服のなかにこもった温もりがまとわり締め付けるようだった。体温の調節ができない。

帰宅すれば、夜風が吹き、通り雨する。一体、今日の天気は何だったのだろう。再びストーブをつけながら嘆息している。


(追記) 油井亀美也宇宙飛行士、無事帰還

昨夜、航空自衛隊のパイロット出身の油井亀美也(ゆいきみや)宇宙飛行士が、国際宇宙ステーション(ISS)から無事帰還したと、読売新聞の記事、「油井亀美也さん、無事帰還…『重力感じますよ』」(12/12)は次のように伝えている。(抜粋)
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【ジェスカズガン近郊(カザフスタン)=冬木晶】 国際宇宙ステーション(ISS)に今年7月から(141日16時間)滞在していた油井亀美也宇宙飛行士(45)が、日本時間の11日午後10時12分頃(現地時間午後7時12分頃)、ロシアの宇宙船ソユーズで地球に帰還した。
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油井宇宙飛行士により、8/24に「宇宙ステーション補給機(H-II Transfer Vehicle: HTV)の5号機『こうのとり5』は、国際宇宙ステーション(ISS)のロボットアームで」把持・結合された。

(本ブログ関連:”油井亀美也”)

2015年12月10日木曜日

イ・ソンヒの「思い出のページをめくれば」

ホワイトペーパー記事、「【ウォークマン ◀ プレイ】 イ・ソンヒなしに 8090を論ずるな! 『思い出のページをめくれば』」(12/7、パク・ジンヒ記者)は、イ・ソンヒの6集に所収の「思い出のページをめくれば(추억의 책장을 넘기면)」(1990年)が、懐古ドラマ(「応答せよ1988」)の舞台や他歌手(リナ・パークなど)にカバーされたことを通して、時代を戻りながら次のように触れている。(抜粋)

(本ブログ関連:”思い出のページをめくれば”)

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16枚の正規アルバムと18枚の非正規アルバム。各種編集アルバム参加のみ69回。デビュー30年目の歌手イ・ソンヒの数字だ。1980~1990年代の大衆文化でイ・ソンヒを抜きにして指標はないほどだ。

「思い出のページをめくれば」は、1990年8月に発売したイ・ソンヒ6集タイトル曲である。イ・ソンヒのヒット曲「懐かしい国(그리운 나라)」も同アルバムの収録曲である。当代最高の作曲家ソン・シヒョンが作詞・作曲にすべて参加した。イ・ソンヒはこの曲でロック唱法を完全に除いた。歌唱力が要求される(この)曲だが、後輩たちの(歌いこなそうとする)挑戦も絶え間なく続いた。
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ゆらぐる、思い出のページをめくれば
ああ、遂に果たせなかった悔しさと侘しい贖罪が

むかしのことのように、ぼんやりとかすむ窓枠の塵(ちり)のように
ああ、胸に積もるよ、今は遠ざかったあなたの微笑みのように

雨風がなくても春は来て夏は行く
ああ、あなたよ・・・涙がなくても、花は咲き葉はやがて散る

ああ、あ~、わたしに残った懐かしい、歳月を浮かべて、眠りにつくよ、夢を見るよ

眠りにつくよ、夢を・・・見るよ・・・

(Youtubeに登録のJTBC Entertainmentに感謝)

2015年12月9日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 百済歴史遺産

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(12/2)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、古代三国時代のひとつ、<百済時代>の遺跡地区が世界遺産に登録されたことに関連した3曲を紹介した。

始めに、百済(紀元前18年(神話)~660年、백제)の概要について次のように紹介された。
・百済の領土は、漢江流域から中部の忠清道と南部の全羅道を含み、日本とも緊密な関係を持った。滅亡後は統一新羅時代となる過程で、その歴史の多くがベールに包まれたが、僅かな遺跡と遺物、記録や物語りが継承され、美しい文化を有していたことが分かる。百済滅亡後、国を失った遺民の悲しみはいかばかりか。国楽に、彼らの悲しみの歌ある。

▼ 忠清南道にあった夫餘の田植え歌「山有花歌(산유화가)」を聴く。呼応して歌い合う農事の民謡は気持ちが良い。

次に、遺民と(高麗時代に記載の)新羅の「卿歌(郷歌향가)」にある「薯童謡(서동요)」について次のように紹介された。
・新羅と中国の唐との連合軍に敗れた百済は、多くの遺民ができ、王族や一般民が唐に連れられたりした。人々は川の入り口、南堂山に登り見送ったその日が8月17日だ。人々は8月16日にこの山に登り、去った人々のため祭祀を捧げ、唐からの知らせはないかと集まった。以来、この日は遠くに住む親戚が集まる日に変わる。また「卿歌」にある、百済に関する歌「薯童謡」は、百済の武王が王位につく前の若いころ、新羅の善花姫との結婚のため作った歌という。リズムは消え、歌詞だけが伝わる。

▼ 脚色した歌「綿のような善花姫(햇솜 같은 선화공주)」を聴く。お月様、お星様、キラキラ響くよ、今様の可愛い童謡。

最後に、「三国遺事」(1270年代後半~1280年代に記述)の薯童(後の武王)と善花姫の話について次のように紹介された。
・「三国遺事」に、百済の薯童は貧しい田舎の出身で、善花姫が美しいと噂を聞き、あてもなく新羅に向かう。そして、善花姫が夜中に薯童と会いに出かけるという歌を子どもたちに歌わせた。歌は一気に慶州に広まり、姫は王宮から追い出され、薯童と姫は結婚(姫は後に王妃になる)するという話しだ。
全羅北道の益山の「彌勒寺」に、韓国で一番で古く大規模な国宝の彌勒寺址石塔がある。武王と善花姫が建てた寺との伝説もあるが、最近の発掘調査では、百済の貴族の娘とも言われる。そうならば、善花姫は誰だったのだろうか、いつかその真実が明らかになる日も来るだろう。

▼ 月の歌「月よ(달하)」を聴く。昔を思い浮かべるような響きする、今様である。


(追記)  「アリラン・ファンタジー」

今晩、新宿の初台にある「オペラシティー・コンサートホール」で、日韓国交正常化50周年記念(主催韓国(外交部)大使館、後援日本外務省)の「アリラン・ファンタジー」公演の鑑賞に出かけた。韓国「国立国楽管弦楽団(국립국악관현악단)」がメインの演奏を行ない、他に日本の琴(木村玲子演奏が凄い)、テグム大笒대금)、ピアノなどとのコンチェルトがあった。

国楽に興味を持って以来、気になっていたのが韓国国立国楽管弦楽団だ。一体どのような演奏を中心にしているのだろうか。宮廷音楽のような正楽風の演奏なのか、あるいは伝統楽器を洋楽のオーケストラ・パートに配置する洋楽風の演奏なのかということだった。結果は、後者すなわち、伝統楽器を使って国楽の伝統曲・新曲を洋楽風に演奏するようだ。
今の時代、韓国国楽へ関心を向ける使命のためにも、聴きやすく馴染みやすい最適な演奏スタイルかもしれない。その意味で、洋楽主体の生活をしている都会人には、ゆっくり耳を傾ける良い機会になった。

今までに聴いたことのない楽しい曲があった。京畿地域の巫俗音楽をテーマにした「シンネリム(神憑りの儀式、신내림)」だ。実に軽快で引き込まれる。次のYoutube曲で同様な経験ができる。五線譜で演奏しているのが分かる。(なお演奏は「江原道立芸術団」とのこと)


(Youtubeに登録の권용석に感謝)

2015年12月8日火曜日

年賀状デザイン

街はすっかりクリスマスの装い。マスコミはその先をいそいで、来年の年賀状モードに入っている。追いつくのに大変。

あるテレビ番組(局名などもすっかり忘れた)で年賀状について話題にしていた。申年(さるどし)にちなんで、次のような話が紹介された。
十二支は時刻や方角を指し、後から覚えやすいように動物(猿)をあてはめた。
② (諸説あるが番組では)申年は、<神(しん)>の文字のつくり<(しん)>につながる。
③ 申は雷に通じ、象徴として(ラーメンのドンブリの模様に見る)「雷紋」がある。
そのほか、大正、昭和初期のものだろうか、ノスタルジックな年賀状デザインも紹介していた。

そんなわけで、そろそろ年賀状を準備せねばならない。

ネットで<猿>を検索したところ、江戸時代の画家、伊藤若沖(いとう じゃくちゅう、 1716年3月1日~1800年10月27日)の猿図が見つかった。実際は、親と子が手とつないでいる様を描いた縦長のものだが、左図のように、親の部分だけトリミングしたものを、チャッカリ使わせていただくことにしようかと思う。

以前、(練馬区立美術館だったような気がするが?)伊藤若沖の作品展を見に行ったことがある。奇想な感じするばかりだった。

ロック(バンド)にバラードがあるように、こんな心休めさせる作品もある。

2015年12月7日月曜日

大雪2015

二十四節気の「大雪(たいせつ)」、先日の「小雪(しょうせつ)」からの今日で、雪が本格的に降るころとなる。とはいえ新暦なので、おまけに暖冬だしで実感がわかない。近頃経験の雪景色は、鉱物採集に行ったとき見た遠景しかない。陰暦12月7日は、新暦でいえば年明けの1月16日となり大分先のこと。その時期なら納得できそうだ。

(本ブログ関連:”大雪”)

「小雪(しょうせつ)」を「こゆき」と呼んでしまうと記したことがあるけれど、「大雪(たいせつ)」は何としよう。やっぱり、「おおゆき」だろうか、浮かんでくるイメージに可憐さはない。「大」は「小」がたくさん重なるわけではないようだ。

ところで、Youtubeにイ・ソンヒのカバーによる「雪が降る(눈이 내리네)」があって、最新の登録(2015/12/03公開)のようだ。音質がとても素晴らしい。

(Youtubeに登録の이예재に感謝)

2015年12月6日日曜日

新大久保、新宿の街巡り

曇り空の昼過ぎ、久し振りに都内を巡る。行き先は電車内で何となく決めた、山手線上の街、新大久保と新宿だ。どんよりした景観に気が重くて、さらにの遠出は躊躇する、ほどほどの距離である。

新大久保の駅前は相変わらずの混雑振り。メディアがいうほどもないと思いながら、<大久保通り>を進む。次第に客足の鈍さが気になり始めた。日曜日にしては、最盛期の半分、いや三分の一といったところだろうか。想像以上に変化が進んでいるようだ。冬の厳しさを感じた。

コリア・プラザのCD、書籍売り場を廻る。CD棚に、イ・ソンヒの2集リマスタリング・アルバム、最新の15集アルバム、30周年記念コンサート・ライブのCDが並んでいた。売り切りを急いでいるように見えて気になった。これ以上、新大久保にとどまることもなくて新宿に移動する。

紀伊国屋書店で、中島みゆきの歌詞集である、「中島みゆき全歌集 1975-1986」、「中島みゆき全歌集 2001-2014」(ともに朝日新聞出版)を求める。彼女の歌詞集は、以前購入の「中島みゆき最新歌詞集 1987-2003」と「中島みゆきnakajima miyuki全歌集」*(ともに朝日新聞出版)が手元にある。

(本ブログ関連:”中島みゆき”)

ちなみに、今回手にした「中島みゆき全歌集 1975-1986」は、以前購入の「中島みゆきnakajima miyuki全歌集」の新装版である。両巻末に詩人の谷川俊太郎の同じあとがき「大好きな『私』」があって、歌われる歌詞を文字で読むことについて、「歌の魅力がときにことば以上に、そのメロディやリズムや歌い手の声によっていることは誰もが知っている」ことを承知して、歌詞と詩を対比するかたちで次のような記述している。(下線は今回付記した)
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歌はことばの隠している意味と感情を増幅する。あるいは誇張すると言っていいかもしれない。だがそうすることで、歌は私たちがふだんとらえ損なっていることばの意味と感情を新しくよみがえらせてくれる。メロディとリズムに支えられたひとりの生身の歌い手の声がそれを可能にするのだ。だから活字になった歌のことばは、ある意味ではぬけがらにすぎないと言えるかもしれない。しかしまた音楽と声の助けなしにことばを読むことで、私たちは歌の肉体だけでなく、骨格とでもいうべきものを知ることができる。特にそのことばが、歌い手自身によって書かれている場合には、ひとりの歌い手の心の中にわけいることさえできるのだ。ことば音楽はひとつののうちで、決して分解できぬものとして存在しているのだが、書物は音楽にあふれたスタジオやコンサートホールとはまた違った静けさのうちでしか聞くこのできない隠された声、それをと呼んでもいいのではないだろうか。
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2015年12月5日土曜日

イ・ソンヒのアルバム12集 「この歌をかりて」

イ・ソンヒのアルバム12集は、ソウルの中古レコード店でCDを見つけることができなかった。日本国内で一度購入のチャンスがあったのを見逃してしまい後悔している。韓国のネットでは探し出せるが、購入手続きが面倒そうなので、いつか好機を待つ他になしとしている。

ところで、放送PDから(本格)制作者への道を進むキム・ソンフンという方のTwitter(‏@omstv101)に、この12集について次のような紹介がある(感謝)。日本ではなかなか見つからなかった理由があるようだ。
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歌手イ・ソンヒの12集アルバムは、2001年に発売されるやいなや配給会社の問題で販売が中止された。12集アルバムの中で、「この歌をかりて(이 노래를 빌려서)」の曲は、イ・ソンヒの歌手人生最高の音楽として挙げられる。しかし、中古CDどころか、音源サイトでも聞くことがない。そうした・・・
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上記のTwitterの中で語られている通り、「この歌をかりて(이 노래를 빌려서)」は本当に美しい曲で、ドラマチックな響きがして、すぐ感応してしまう。

(本ブログ関連:”この歌をかりて”)

参考)  投稿サイトの”トゥデイ・ユーモア”で、「この歌は、実話を基に作った歌だそうです・・・聴覚障害のある方が障害のために、愛する人を去り、別れるしかなかった痛みを表現した」という伝聞を紹介されている。感謝。


分かってよ、多分私もそうしたわ
私に反対の家族は もう許してくれたの
あなたもおそらく親になれば、その心分かるわ
あなたを惜しんで そういうのを

幸せでなければならない、私の掌(てのひら)に書かいて
走って行ったあなたに 電話しようとしたの
そんなにも あなたのために練習した言葉
あなたを愛してる、私の声で

この歌をかりて、ほかの人をかりて
こんなにも あなたに 伝えたいひとこと

この歌を聞いたら、いつか聞いたら
あなたを愛していた心を分かってよ

私は祈って、またこの世に来るなら
その時は このようにどうか生まれないように
誰かをただ愛することさえ
罪にならねばならぬ自分が嫌いです

この歌をかりて、ほかの人をかりて
こんなにも あなたに 伝えたいひとこと
*
この歌を聞いたら、いつか聞いたら
あなたを愛していた心を分かってよ

(*以下繰り返し)

(Youtubeに登録のwallace6813に感謝)

2015年12月4日金曜日

(資料)「歌謡番組が危ない?」

韓国歌謡界といえば、オーディション、メディアの変化、ランキングシステムといった状況のもと、グループ・アイドル歌手の生産と消費、それに対極する歌手の居場所といったものが話題にあがる。それに伴い将来の「歌謡番組が危ない?」といった歌謡番組存立そのものの話しまで出ている。

KBS WORLD RADIO(日本語放送)の番組「アジュンマの井戸端会議」の第376話「歌謡番組が危ない?」(11/19)は、随分ショッキングなタイトルだが、歌謡番組の出演システムや番組の存在について次のように伝えている。(抜粋表示)

(本ブログ関連:”アイドル”)

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・地上波やケーブルテレビ各局の歌謡番組の放送は、楽曲のランキングを発表し、それで出演者が決まる。ランキングの意味が全くなくいずれの番組も廃止するべきという声が上がっている。アイドル中心に反感が強いこと、それに番組の影響力が弱くなっていることが原因。

・ほとんど毎日放送される歌謡番組では、1位になる歌手が毎週のように変わるのが最近の趨勢。ランキング番組の主な視聴者は、ビジュアル重視で、アイドル歌手追っかけの忠誠度の高い10代だ。番組のランキングは、CD売り上げ、聴取回数、ミュージックビデオ再生回数などが評価対象となる。また視聴者の事前投票もかなりを占め、忠誠度の高いファンを持つアイドルに有利なシステムである。出演時間は3分前後だが、数回のリハーサルに半日は放送局で過ごさねばならない。

最近まで音源チャートの上位ランクインしていた歌手たちは、最新曲で歌謡番組にほとんど出演しない。新曲で活動再開をアピールし、カムバック披露するのが、アイドルたちを除いて意味合いもなくなっている。

歌謡番組のランキングは何の意味もないと切り捨てる歌謡関係者もいる。特定事務所の所属歌手により多くの時間を割き、忠誠度の高いファンを多く持つアイドルグループがカムバックと同時に1位になるような、構造的な問題を抱えている。

・マルチメディアの時代の到来で、放送局の歌謡番組に出演しなくとも、自身の楽曲を宣伝することができる機会が増えたのも、歌謡番組が軽視されるようになった理由の一つだろう。これからは新人も含めて歌謡番組には出演しない歌手がますます増えるのではないかと、業界ではみている。
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2015年12月3日木曜日

イ・ソンヒ「一人になった愛」

イ・ソンヒの登場に驚いた作家たちには力が入っただろう。初集アルバムの作品は今も素晴らしい名曲揃いだ。それらを、力いっぱいに響かせたデビュー時と違い、時間を経るごとに更に豊かな作品になっていく。

イ・ソンヒの1集に所収の「一人になった愛(혼자된 사랑)」(1985年、作詞キム・キルソプ、作曲ソン・ジュホ)を、1990年10月に訪れたモントリオール室内楽団と協演している、次の映像を見て、いっそう洗練されていることが分かる。(それでも若々しい)この機会にソウルの世宗文化会館に立つことができた。

(本ブログ関連:”モントリオール室内楽団”)

協演当時、音楽界での自身の立場について複雑な思いがあったようだ。彼女の自伝というべき思い出語りに、次のような記憶がある。
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昨年の秋(1990年10月)には、カナダのモントリオール室内管弦楽団と共演した。あの「敷居の高い」世宗文化会館大講堂で。その楽団が著名な外国のクラシックオーケストラではなかったとしたら、私一人で世宗文化会館の舞台に立つということが可能だったのだろうか? ほろ苦い。また、私が望んだことは、外国楽団でない私たちのオーケストラであった。しかしながら、伴奏はできないというのだから、私だってどうすることができようか。
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風が雨を巻きあげて  さらっていった街に
捨てられた傘ひとつ  さびしく泣いていた
*
足もとには夕闇せまって  孤独な夜が深まれば
行く辺のないこの心 静寂(しじま)の中で明かした
しずむ 孤独だけが  切なくて

散らばる葉を集め  火をつけて
去った愛を探して  さびしい心 (Oh~)
そっと寄りそいみれば  それでも 暖かい、暖かい
ひとりいるより

(*以下繰り返し)

(Youtubeに登録のlys2187に感謝)

2015年12月2日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 別れの歌

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(11/25)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、<別れの歌>に関連した3曲を紹介した。

始めに、昔は特定の木を植えて道程(距離)を示したこと、東屋(あずまや)を置いたことについて次のように紹介された。
・昔の道は、目的地までの距離を示すのに木を植えて表した。10里の地点にハリゲヤキ、5里の地点にハンノキを植えた。5里を「オリ(오리)」と発音し、ハンノキを「オリナム(오리나무.=五里木)」と言うのは、これにちなんだと言われる。ちなみに、日本の1≒4Kmは、朝鮮の10≒4Kmとなり、単位は同じ「里」だが距離に違いがある。また、ハンノキは高く、遠くから見える。村々に東屋を5里ごとに建てたことから、5里(오리)の発音を付して「五里亭(오리정)」とも呼ぶ。人を迎え、別れる場所でもあった。例えば、パンソリ「春香歌(춘향가)」で、春香(춘향)と李夢龍(이몽룡)が別れたところが五里亭だ。

▼ 「春香歌」から、「五里亭の別れ(오리정 이별대목)」の場面を聴く。どことなく物静かだが、千遍思案を重ねてのこと。

次に、「春香歌」で春香と李夢龍の五里亭での別れと、その心情について次のように紹介された。
・李夢龍は地方官の息子で、地方官の家族が都に去る日、妓生の娘春香が五里亭まで追った。当時にすれば無茶と思えるが、それだけ切ない別れだったのだろう。京畿地域の歌い手が、この場面を歌で構成した、十二の雑歌の中に「出引歌」がある。日常の惣菜の青唐辛子、作りたてのキムチを、また昔も今も高級なタコ、アワビなどの食材を用意して五里亭に向かうところから始まる。別れを前に馳走を味わう余裕はないものの、心を込めて準備したのだろう。

▼ 京畿地域の雑歌から「出引歌(출인가)」を聴く。いつまでも明るく生きることを願う、恋すればの歌だろうか。

最後に、別れの後に恋人たちが安否を気遣い託した「青い鳥(청조)」の伝説について次のように紹介された。
・別れは悲しい。旅立たねばならぬ者がいて、その後に、いつまでも待つ者がいる。手紙のやり取りもままならぬ当時、人々は飛び交う鳥を見て心を慰めた。昔、朝からカササギがさえずると喜ばしいことがあると信じられた。中国では青い鳥がその役割をした。青い鳥に、恋人の安否を問う歌がある。女性歌曲(가곡)で、伝統的音階の「ウジョ(우조)」に、「チュンゴ(중거)」という歌曲がある。

▼ 鳥に歌いかける歌「青い鳥よ(청조야)」を聴く。柔らかい詩吟のよう。安否と安堵が重なる。

・最後に、キム・ボエさんの言葉「別れがあるからこそ、また再会の喜びもあるのだと思います。」

2015年12月1日火曜日

師走2015

今日から12月、旧暦名であるが「師走」となった。やっと冬らしい寒さが来た。外出に、思わず厚手のジャンパーと手袋を用意したくらいだ。夜の帰り道、冬着してよかったとつくづく思った。それほど頬をさすように冷えた。

(本ブログ関連:”師走”)

今年も残り1ヶ月しかなくて、部屋の「月別カレンダー」は一枚だけになってゆらゆら揺れている。「日めくりカレンダー」も薄くなり落ち着かないようだ。町中、クリスマスムード作りして、駅前や公園の木立をLED照明で飾っている。(こんな寒い夜中に、子どもたちが見に来るのだろうか)

1年をリンゴの実に例えて、軸を中心に縦に12等分すると、既に11/12食ってしまったことになる。1/12は一片というより、一枚といったほうがよいかもしれない。まるで一年がスライスされ、ポテトチップのようになっている。

師走の名と違い、生活はあわただしくない。歳のせいだろうか。カウチポテト族のように、この31日間を無為に過ごすことになりそうだ。それでも時間は過ぎていく、過ぎて行ってくれる。

2015年11月30日月曜日

イ・ソンヒの「少女の祈り」

総じて暖冬。昼の日向の温もりも、日陰に入ればヒンヤリする。月面であれ、宇宙であれ、太陽光のあたる部分とそうでない部分の温度差は想像以上。地上でも、砂漠の昼夜で随分と差がでる。そう考えると、この寒暖に不平もいえない。

紅葉は温度差が激しいほど美しいという。最盛期は過ぎたが、高尾山の紅葉はまだ見ごろとのこと。行ってみようかと思案するが、寒さと人の混み合いを想像するだけで足が遠のく。詩情がわかないが、近場の紅葉でおさめる。それにしても、紅葉を愛でるにふさわしい(人生の)時期もあるようだ。

イ・ソンヒの初めてのアルバムに収録の「少女の祈り(소녀의 기도)」(1985年)は、思い出が落葉のように重なる乙女の歌だ。次のYoutubeの歌声は、20周年コンサートのものだろうか。高音につやが加わって、なめらかに響く。たぶん、最も美しい紅葉だろう。

(本ブログ関連:”少女の祈り”)


風吹けば散る、寂しい落葉が みな
おぼろな露のよう、揺らぎます
その声耳にして   空しく歩く うつろな心は
*
離れた人 なつかしむ、切ない心だけれど
一人残り 守ればならぬ、 孤独なわたしを泣かすよ

引き留められぬ 未練さに
落葉の季節に わたしを埋めて
春がまた訪れを 祈ります、この夜が明けたら

(*以下繰り返し)

この夜が明けたら

(Youtubeに登録のseony7676に感謝)

2015年11月29日日曜日

なぜ仙人の話しをするのか

このブログは、イ・ソンヒのファンブログだ。とはいえ、毎日彼女のことを書き続ける力はない。そこで、彼女の歌の曲名や歌詞内容にキーワードを探し、思い浮かぶことを話題にしたりしている。テレビドラマの「僕のガールフレンドは九尾狐」挿入曲である、彼女の歌「狐の嫁入り(여우비)」(2010年)から、狐信仰、九尾狐、稲荷神社、(狐に関連して)山海経、聊斎志異、耳袋(嚢)など調べている。

(本ブログ関連:”狐の嫁入り”)

また、イ・ソンヒの父親が仏教音楽「梵唄(ぼんばい:범패)」の指導者だったことから、韓国仏教、国楽などに関心を向けている。

そんな一つに、イ・ソンヒの名前がある。漢字名「李仙姫」に、なぜ「仙」の文字があるのかについて、彼女が誕生する前に父親が見た「夢」から選ばれたということを何度か触れた。

(本ブログ関連:”李仙姫の名前”)

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「老木樹のチャン・ウクチョ(장욱조)が生命樹になって」

・イ・ソンヒは、(陰暦の)1964年11月11日に、(本籍地)忠清南道保寧郡(現在は市)珠山面篁栗里に誕生した。父(イ・ジョンギュ:이종규)、母(チェ・ビョンムン:최병문)の初めての子として誕生した。父母のそれぞれの夢に、男の子が示唆されていた。父の夢にあらわれた、山の神を意味する虎のために、彼女の名前(李仙姫)に神仙の「仙」の字が入ることになった。

(本ブログ関連:"イ・ソンヒの生誕")
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ここ数日、仙人について書き連ねている。いつか、仙人のいる仙境、あるいは桃源郷の世界を覗くことができたらと期待している。(とはいえ、仙人の事典のような列仙伝をめくると、彼らが普遍的な存在というよりは、一つの生き方に見えてくる。人模様というか、人様々というか。)

2015年11月28日土曜日

仙人になりそこなう

国立国会図書館には、古書をネットで参照できるサービス、「近代デジタルライブラリー」がある。<仙人 支那>で検索すると、最近気になり探している中国の仙人話しを読むことができる。

(本ブログ関連:”仙人”、”国立国会図書館”)

池田大伍編の「支那童話集:新訳」(富山房、大正13年)に、「聊斎志異」*をもとに書いた「仙人修業」がある。仙人になりたいという思いはあるが、それを浅慮と見抜かれた男の話しだ。彼は、仙人になる一途さも、仙人になる躊躇もない。あるのは、その気になってしまう粗忽さだけだった。

(* 「聊斎志異」の「仙術修業 - 労山道士」を童話にした)

仙人になりたくて、(労山にいる)道士に弟子入りしたものの長続きしない王生は、ひと月、ふた月と我慢したものの、とうとう暇を申し出る。何を思ったか、一つだけ秘術を教え乞うたのだ。道士は、「それ見ろ。だから、わたしはお前には辛抱はできないといったのだ。」といいながらも、壁抜けの術を授けた。そして、その時は、王生にもそれができた。
家に戻った王生は、仙道を学んできたといいわけするが、長い留守に女房に散々なじられる。そこで、壁抜けの術を見せようとする。
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「ではやってみせるぞ」
と、家の壁から、五六尺離れて、呪文を唱えて、頭を突き出して、駆けぬけようとしますと、堅い壁で、どさんと頭が突当たって、目が眩んで転倒(ひっくりかえ)りました。お嫁さんが助けおこしてみると、額の上に、大きな卵ほどの瘤(こぶ)が出来ました。お嫁さんはあんまり馬鹿々々しさに、笑い出しました。王はぷんぷん怒って、「悪道士め、欺(だ)ましたな。」と、次団駄ふみましたが、どうすることもできませんでした。
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人にも見極めがある。適不適だけでなく、人格まで見抜くことだ。勘といってもよいし、経験から体得したものといってもよい。重要な仕事を共にする場合に至極当り前の判別だし、自分が編み出した術を伝授するとなればなおさら肝心である。

ところが、見極めからはずれた当人は、なぜそうなのか理解できない。はずした側にすれば、きつくいえないし、早く気付いて欲しいと願うばかりだ。

2015年11月27日金曜日

仙人の心変り

季節が巡り、ようやく訪れた春に思いをあらたにするものだ。薄田泣菫は和やかな春に接して、掌編「春の賦」の後半に、次のような話しを紹介している。念願の仙人修行を成就したものの、一瞬の<ちょっとした>心変りした男を省察する。

中国のいつの時代だったか、馬明生は仙術の不老不死と飛翔にあこがれ、第一人者の安期生に弟子入りする。修業の後、「金液神丹方」を伝授される。この「神丹」を飲めば、不老不死となり、鳥のように空を飛べるというのだ。そこで、華陰山の山深く入り、教えられた秘法で仙薬を錬り、できあがった薬をてのひらに載せて、ほがらかな微笑さえも浮べて言った。
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  「わしは、今これを服そうとしているのだ。次の瞬間には、わしの身体は鸛(こうのとり)のように、ふわりと空高く舞ひ揚ることができるのだ。大地よ。お前とは久しい間の……」
 彼はこういつて、最後の一瞥を長い間の昵懇(なじみ)だった大地の上に投げた。
 その一刹那、彼の心は変った。彼は掌面に盛っていた仙薬の全分量の半分だけを一息にぐっと嚥み下したかと思うと、残った半分を惜し気もなくそこらにぶち撒けてしまった。
 飛仙となって、羽ばたきの音けたたましく大空を翔けめぐるべきはずだった馬明生の体は、見る見るうちに傴僂(せむし)のように折れ曲って、やがて小さな地仙*となってしまった。
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(* 地仙: 超越して飛翔できる天仙に対する、位の下る地上の仙人)

泣菫は、馬明生の一刹那の行動について、「彼の心変りも、詮じ詰めると、(時季がちようど春だったから感じる)そんなちよっとした理由にもとづくものではなかったろうか。/世の中にはよくそんなことがあるものだ。」と語る。

冬に枯れた心に、春は生命力を吹き込む。そんな自然を感応したとき、仙人の境界を知り、それを越えることに躊躇したのだろう。そうであるからこそ、人はより自然に引き寄せられる。わが身がどうであれ、地上の風景とともにあることを選んだのかもしれない。

(本ブログ関連:”仙人”)

2015年11月26日木曜日

(資料) 金泳三と歌手イ・ソンヒの握手

イ・ソンヒは27才となる1991年(6月20日)に、ソウル市会議員選挙にて麻浦地区から民自党候補として出馬し当選した。

(本ブログ関連:”ソウル市議会議員”)

連合通信の記事、「<YS死去> 金泳三と歌手イ・ソンヒの握手」(11/22)に、(イ・ソンヒがソウル市会議員選挙に出馬した)当時民自党代表だった金泳三(元大統領、1927年12月20日~2015年11月22日)と握手する写真(1991年6月)が掲載されている。

ちなみに、「金泳三」のローマ字名「Kim Young-sam」から「YS」と表記。(最近の)大統領名の略称として使われる。

金大中元大統領は「DJ」と呼ばれる。イ・ソンヒと握手している写真を、ネットで見たことがある。)

2015年11月25日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 島々の歌

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(11/18)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、<島々の歌>にふさわしい3曲を紹介した。

始めに、全羅道地域の多島海にある「巨文島(거문도)」ついて次のように紹介された。
・韓国には3,300の島があり、その内2,300は南側に位置する。特に、珍島を中心とする西南海岸、全羅道地域だけで、2,000近くの島が散在し、海域を「多島海」と呼ぶ。海辺で海苔やカキを養殖し、その向こうに島々が並ぶ。海は田、島は山に思える。島は陸地ほど往来の自由がないが、それぞれ独特で貴重な文化を残している。全羅南道の麗水沖に「巨文島」がある。

▼ 多島海の島歌「巨文島の舟歌(거문도 뱃노래)」を聴く。潮風を受け、波越える海の男たちのみなぎる力が聞こえる。

次に、巨文島の歴史と「甫吉島(보길도)」の文化(尹善道:윤선도、1587年~1671年)について次のように紹介された。
・巨文島は麗水に属し、麗水から船で2時間かかる多島海最南端の島だ。麗水と済州島の中間に位置する。1885年から2年間、英国に占拠された「巨文島事件」で知られる。巨文島の漁夫歌に、船で使う綱をないながら歌う「スルビ歌(술비소리)」、帰港するとき歌う「ソル歌(썰소리)」など様々ある、全羅道のリズムと方言が特徴だ。
また、南の島、「南島(남도)」には、観光客が多く訪れる「甫吉島」がある。朝鮮時代、詩人の尹善道が済州島へ渡るとき、その景色に魅了されて定着したほどだ。ここで風流を楽しみながら書を読み詩作した。甫吉島の四季を描いた「漁父四時詞(어부사시사)」も、ここで出来た作品だ。尹善道が手入れした建物と庭園は、「尹善道園林」といい多くの人々が訪れ、甫吉島の自然保護にも役立っている。

▼ (管)ソグム、(弦)ヘグム・カヤグム演奏「甫吉島の朝(보길도의 아침)」を聴く。陽光が次第に広がり渡る、今様である。

最後に、「珍島(진도)」の地理と、葬儀の歌「珍島タシレギ(진도다시래기)」について次のように紹介された。
・また、南島文化に欠かせなぬ場所が「珍島」だ。韓国で3番目に大きい島で、漁業より農業が盛んだ。美しい環境の影響か、数々の有名アーティストを輩出している。また、歌と関連した多様な無形文化財も保有しており、住民が積極的に参加、継承している。珍島には、葬儀を行う際、村人が喪家で歌い踊る風習があり、そのとき「珍島タシレギ」を歌う。珍島の人々の生き方がうかがえる歌だ。

▼ ”大きな悲しみも歌を歌いながら乗り越える”という歌「珍島タシレギ」を聴く。Youtubeでは寸劇もあるようで・・・賑やか。

2015年11月24日火曜日

イ・ソンヒのカバー「未練」、「あなたの愛は」

民謡を含む国楽からトロットまで、あらゆるジャンルを網羅するイ・ソンヒの歌唱力について今更語ることはないだろう。先人の曲をカバーする際に、独自の色に染め上げるのではなく、真摯に向かい合い、その曲が本来持っているだろう音楽性を繊細にすくいあげる。歌声は聴く者の心に深く沁み込み響く。

(本ブログ関連:”「愛しか私はわからない」”、”トロット・メドレー ”)

めずらしい(京畿道抱川市にある光陵林業試驗場での)映像がYoutubeにある。イ・ソンヒがカバーする次の2曲を聞くとき、原曲の持つ大衆性を、イ・ソンヒがいとも容易に引き出していることに気付く。しかも、今聞いても古色でなく、時代の臭いを感じさせないのに驚く。

・チャンヒョン(장현、1945年~2008年)の「未練(미련)」
・ヤン・ヒウン(楊姫銀、양희은、1952年~)の「あなたの愛は(내님의 사랑은)」

(Youtubeに登録のjenny.kimに感謝)