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2017年11月13日月曜日

国際標準地「チバニアン」

鉱物好きなのに何だかんだで活動が止まったまま。深くも広くもない理解。地質(年代)、鉱床、まして組成についてもいい加減なまま、ただ標本をながめるだけの過ごし方・・・でもいいじゃないか。

そんなぐうたら気分に、こんな話題が飛び込んできた。今の地質の時代に近いとされる、77万年前~12万6千年前までの地質年代層序(地層:新生代>第四紀>更新世>中期)を「チバニアン」(「千葉の時代」の意)と呼ぶようになるらしい。その年代を示す「国際標準地」として、千葉県養老川沿いにある(地磁気反転を示す)地層が採用されたという。(最終的に「チバニアン」が採用されるかどうかを、関係者は慎重に見ているようだが・・・)

NHKのネット記事「『チバニアン』 国際学会が『国際標準地』に登録の答申」(11/13)によれば、最新の地質年代の名称が、日本の地名にもとづくものになると次のように報じている。(抜粋)

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・千葉県市原市にあるおよそ77万年前の地層を地球の歴史の一時代を代表する「国際標準地」に登録し、その時代を千葉時代=「チバニアン」と名付けることを目指す茨城大学などのグループは、審査を行っている国際学会(「国際地質科学連合」)の作業部会から投票の結果、市原市の地層が、イタリアの候補地を破り次の審査を行う委員会に「国際標準地」として答申することになったという連絡があったことを明らかにしました。

茨城大学国立極地研究所などのグループは千葉県市原市の養老川沿いにあるおよそ77万年前の地層に地球の磁場が逆転した痕跡があるのを見つけ、地球の歴史の一時代を代表する「国際標準地」に登録するよう ことし6月、国際地質科学連合に申請しました

・認められれば、地球の歴史のうちおよそ77万年前からおよそ12万6000年前までの時代がラテン語で千葉時代を意味する「チバニアン」と名付けられることになりますが、候補地は、このほかにイタリアの2か所があり、国際地質科学連合の作業部会が16人の委員で議論してきました。
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そういえば、同じく千葉県から2011年に、新鉱物の「千葉石」が公表され(日本地質学界の「県の石」に選定され)たことがあったね。
それに、もっと大きくいえば、新元素の原子番号113に、「ジャポニウム」が採用されて何となく嬉しくなったことがある。科学の世界で、日本に関係する命名は気持ちいいものだ。まるで、子どもみたいなところがあるが・・・。

2017年11月12日日曜日

(雑談)木に巻きつく明かり

夕方になると、駅前の木々がクリスマスのためだろう、青色と白色のライトに飾られて点滅する。その青色が、ペルシャンブルーというかラピスラズリを思わせる濃さだ。当り前に思ってきた青とは違った、欧米人好みする色調という感がする。

少し前まで、夜間の木々を飾った照明は、白色光が中心だった。それが、LEDの青色発明後、欧米好みを真似てか、青色が加わった。アジア人と欧米人の色感に違いがあるってことは通説だけれど。でも、あの奥行きある、底にじんわり輝きを持った群青の明かりは気になる。

夜間、木々に照明ライトを巻きつけると、彼らに昼夜の区別を与えないことになる示唆があった筈、今はだれも口にしない。駅前の木々は、固い路面に雨水を直接下水溝に流され、自動車の排ガスにさらされ、そのうえ自然光の加減まで奪われて・・・、本来、木の健康な証である、光合成作用のすべての要件を人の勝手にされている。なのに、ぼくらは駅の改札を出て、目の前にそびえる木立の緑をながめるやほっとする。

それでも、あの深い青色が気になる。夕闇に溶け込みそうでそうでない、秘かに、そして静かに輝く青色が気になる。高校時代に誰も口にしなかった、なのに卒業後集まった男たち誰もが問わず語りしたあの女性を思い出す。(青色LEDよ、いつまでもきれいに輝いてください)

(付記)
・中島みゆきの「歌姫」の歌詞に、「男はみんな嘘がうまいね・・・、女はみんな嘘が好きだね・・・」とある。
・TBSラジオ「蔦信彦 人生百景『志の人たち』」に出演した、映画シナリオライター高田宏治が知人の言葉として、(昔の生き方だが)「男は悔しがり、女は寂しがる」の旨を紹介した。

2017年11月11日土曜日

知りたいことばかり

イディッシュ語は、ドイツ語の響きがして、Youtubeにドイツ語とイディッシュ語話者が並んで話しているのがあるくらい。もちろん、両言語の会話内容を分かるわけないが、よく似てるなと感じる次第。素人にとって分かりやすく納得できるなら、東京方言と鹿児島弁の違いなのだろうか(いやもっとか)、知りたいところだ。

イディッシュ語は、ドイツ語圏から出立して、東欧への広がりに伴いポーランド語やロシア語の影響を受けたそうだ。ますます容易でないし、ヘブライ語(つまりユダヤ文化)の語彙もあって手も足も出ない。もちろん、それを気にするなんて、いうも恥ずかしいレベルだが。

言語ができあがる過程について興味ある一方で、イディッシュ文化と密接な<音楽>についても、その歴史を知りたいところだ。東欧系のイディッシュ音楽のジャンルに「クレズマー(クレツマー)」音楽があって、その起源に、「バルカン半島北部を含む東欧とドイツ」(Wikipedia)とある。民族音楽は、その民族の遺伝子のようなもので、表現の基底にあるもので、ことばや集団の文化と密接な関係があるだろう。

もちろん、「バルカン半島北部」起源について、何の確認を取ったわけでもないが、ドイツ語圏とかけ離れた、なぜ「バルカン」なのかといった不思議さを感じる。そもそも、バルカン音楽とは何かも知らないのに・・・知りたいことばかり。

2017年11月10日金曜日

枯葉とあそび

先日、隣り駅のロータリーを囲む並木のもと、歩道側の生垣に、枯葉の吹き溜まりができていた。それを見つけた幼児が、母親に見守られながら、枯葉を両手に集め持っては空に解き放す。風に舞い落下する様子がうれしくて、何度も繰り返していた。何気ない一瞬かもしれないが、おじさんには、母子の実に美しい光景に見えてしょうがない。

以前、このブログに、<「枯葉」の聴き比べ > を記して、実際の枯葉の様子を公園で確かめたい旨のべた。今日、ようやく近所の公園に出かけることができた。

ケヤキは、今まさに、茶色の葉をはらはらと落としている最中。イチョウは、路面にびっしりと黄色の絨毯を敷き詰めて、なおかつ木々に黄色の葉をまとっている。不思議なことに、そのときイチョウは小休止のようで、落葉することはなかった。また、ユリノキの木立が並ぶ一画があって、異国の秋を思わせる洒落た風景を見せてくれる。そういえば、去年もこの時期、ここで枯葉を楽しんでいる。

ところで、平日の公園はのんびりして人気が少ないため、保育園や幼稚園の園児、小学生の一団が訪れる。今日も、いくつかの広場に、子供たちの人影と声がした。幼児の声は開放された空間でも、不思議とよく聞こえる。精一杯、草原を走るさまは可愛らしく懐かしい。一方、小学生たちは、付き添いのカメラマンだろうか、クラス写真を撮ってもらっていた。この一瞬も、それぞれの人生につながり、記憶に残ることだろう。子どもたちを見ているだけでなぜか満たされる気分になる。

枯葉のおじさんは、今日じゅうぶん満たされた。

2017年11月9日木曜日

秋期イディッシュ語 2017-6,7th

今日のイディッシュ語教室は、2時限連続の特別授業(2017秋期カウントを、06、07にする)。偶然というか幸運にも、アメリカから、イディッシュ語を話すことのできる女子留学生が参加してくれた。(留学生は、京都からお土産を持って教室に来られ、おもてなしが逆転してしまう結果に・・・)

留学生は、自身のイディッシュ文化との関わりについて語ってくれた。(その中からひとつ、写真投影もあって)、都心にあると思いきや、緑豊かな郊外に所在する「YBC(Yiddish Book Center)」での蔵書資料作成サポート経験を紹介された。同所は、世界からイディッシュ語書籍の寄贈を受け付けていて、蔵書が充実しているようだ。

目の前で、先生と留学生のイディッシュ語会話を聞いていると、(身の程知らずにも)その気になってくる。もちろん、先生の日本語解説があって了解されたことだが・・・。

(本ブログ関連:”イディッシュ語”、”秋期イディッシュ語”)

当然ながら、今日も授業(解説、Exercise)が進んだ。
① 定冠詞: דאָס , די , דער ⇒ 結論、名詞と定冠詞を一緒に覚えるのが良い!
② 動詞「好き(like / love)」: .איך האָב (נישט) ליב צו עסן [ I(do not)like to eat.]

最後に、日本で誰もが歌えるものの、イディッシュの歌(原曲1938年)であることが余り知られていない、「ドナドナ」の歌詞と楽譜が先生から配布され、みなで一緒に歌った。ちなみに、留学生から、「ドナドナ」のアメリカでの流行は、ジョーン・バエズが歌ってからによるのが大きいとのこと。それにしても、日本で誰もが知って歌えることに驚かれていた。

(本ブログ関連:”ドナドナ(Dona Dona)”、”素敵なあなた(Bei Mir Bistu Shein)”)

参考までに、ミュージカル「屋根の上のバイオリン弾き」の原作「牛乳屋テヴィエ」(西成彦訳、岩波文庫)の「解説」で、日本での「ドナドナ」の普及について、次のように続けられている。
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(ミュージカル「屋根の上のバイオリン弾き」公演の成功という)日本でこれまでほどに大衆的な支持を受けたユダヤ文化の遺産は、「ドナドナ」を除けば、たぶん類例がないといっていいほどである。
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かように、「ドナドナ」は、NHKの「みんなのうた」でも放送されたこともあり、日本の誰もが耳にした、あたり前の歌になっている。

2017年11月8日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 愛の舞踊

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(11/1)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、「愛の舞踊」ほか関連する曲を紹介した。

始めに、「都彌夫婦説話(도미부부설화)」に登場する「都彌(도미)」と婦人(아랑)について次のように紹介された。
・百済時代に、仲睦まじい都彌と美しい婦人がいた。王は、二人を試し、都彌を宮廷に閉じ込め、婦人を奪おうとしたが、婦人は王の言いなりにならなかった。怒った王は、都彌の目を抜く刑を下し、遠く船に乗せて流した。再び我が物にしようとしたが、婦人は、猶予を求めてひそかに逃れた。川辺にたどり着くも渡る船がなく、泣き崩れる婦人の所へ、どこからか現れた船に乗り逃げ延びた先に、離れていた夫の都彌がいた。二人は高句麗へ逃れ、最後まで伴に暮らした。

▼ カヤグムとフルート演奏で <悲しいが美しい愛の物語>「愛の舞踊(사랑의 춤)」を聴く。動と色彩、今様に。

次に、妓生の「黄真伊(ファンジニ、황진이)」と学者ソンビの「蘇世讓(소세양)」について次のように紹介された
・朝鮮時代、妓生の「黄真伊」は、美貌だけでなく漢詩や音楽の才があり、妓生ながら男たちに振り回されない強い意志の女性で知られる。学者ソンビの「蘇世讓」は、黄真伊に心を奪われぬ自信がある、彼女とひと月過ごして戻らねば自分は人でないと言った。黄真伊と出会い、夢のような時を過ごした後、約束通り黄真伊に別れを告げた。黄真伊は普通の女性でなく、楼閣上で酒を交わして別れの詩を歌った。それを聴いた蘇世讓は、自分は人でない、黄真伊の処に留まると言った。二人の別れを歌った詩を歌にしたものがある。

▼ 詩を元にした「送別蘇陽谷(송별 소 양곡)」の歌を聴く。月明かりの下、霜降る楼閣での別れを叙情的に、今様に。

最後に、妓生の「梅窓(매창)」と「洪吉童(홍길동)」の著者「許筠(허균)」について次のように紹介された。
・朝鮮時代、妓生の「梅窓」は、最下層出身ながら、両斑で「洪吉童」の著者「許筠」と親しくしたが、身分を越えた男女の友情は受け入れがたく誤解される。ある日、梅窓は、自分を去った地方官の石碑の前で、コムンゴを奏でた。人びとの、彼女が許筠を想っているとの噂が、彼のいる首都漢陽まで伝わった。彼は梅窓に手紙を送り、<月明かりの下でコムンゴを奏でたと聞いたが、人気のないところであれば良かったのに、自分が笑いものになってしまった> と、責めた訳でもない。噂のせいで悔しいと言い、<最近も参禅をしているのか> と尋ね、<梅窓がとても懐かしい> と言っている。

▼ 話を元にした「山うずら(산자고새)」をコムンゴ演奏で聴く。山霞するような叙情的に、今様に。

2017年11月7日火曜日

立冬 2017

一旦、ヒーターを入れると止められない。今日のヒーターは暑い、熱いけれど、パソコンデスクのそばから離せない。無ければ寂しいというか物足りなくなる。すでに当り前の存在になっている。

そんなときでも、二十四節気の「立冬」はやってくる。例年、立冬に即クリスマスを思い描いたが、なんだかポカポカ陽気して、今回はそこまで至らない。今年のクリスマスはだいぶ遠い。多分。

(本ブログ関連:”立冬”)

(付記)
ところで、先日の11月4日、釜山広域市海雲台区の国際コンベンションセンター「BEXCO」にあるオーディトリアム(4,002席*規模)で、韓国地銀「釜山銀行」の創立50周年を記念した「秋(愛)幸せ音楽会」が開催され、イ・ソンヒほかキム・ボムスなどの歌手が参加した。
(*)新聞報道では、6,000人招待とされている。コンベンションホールでも、5,340人収容である。

2017年11月6日月曜日

イ・ソンヒの「世界中が眠りに落ちた後から」

今日の午後、例年と比べて思いのほか暖かだった。それでも、夕方、日が暮れると晩秋を感じる。天気予報では、間隔を開けて小雨が降るたび、寒さが増していくという。年末に向けての下り坂は急で、あっという間に冬を迎えそうだ。

公園を通り抜ける韓国語教室への往復路、冷え込みのせいか、秋の夕べに見かけたランニングする姿はない。公園をつつむ暗闇は、その奥に木立をかすかに感じるほど深い。やがて来る冬の厳しさを予告しているようでもある。

イ・ソンヒの12集所収、「世界中が眠りに落ちた後から(온 세상 잠든 후부터)」(2001年、作詞イ・タギョン、作曲パク・ヨンス、編曲パク・ヨンス、ユ・ションソク)は、静止した世界で聴くような、荘厳な響きがする。彼女には珍しい、高音をひかえたしっとりした曲だ。

(本ブログ関連:”世界中が眠りに落ちた後から”)


夜通し雪が降ったわ。世界中が眠りに落ちた後から
悲しい 私のこころも知らぬまま、 朝はくるのでしょう。
窓、音もなく開けば、染みる冷たい風
白雪、美しく積もった 木の上には冬の空

あなたの背に近づき、しばらく寄り添ったが
なんの言葉もなしに ドアを出るのね。
もうすべて終わってしまったのね まだ私はここにいるのに
あなたに見せられなかった 痛みはまだそのままなのに

本当にとてもつらいです このように別れるのだから
あなたを なくした朝 私だけ残ってます。

去ってしまったあなたの足跡が雪の上一つずつ刻まれて
眺める目を少しずつ 滲ませてしまいました。

あの冬の終わりに あなたはもう消えて
とうとう 悲しい涙を 流してしまったの。


(Toutubeに登録のCool Kidに感謝)

2017年11月5日日曜日

スプートニク 60周年

今から60年前の1957年10月4日、旧ソ連の「バイコヌール宇宙基地」から発射されたロケット(ICBM R-7)に搭載の人工衛星「スプートニク1号」が、人類初の人工衛星として地球周回を開始した。(ちなみに、人間が地球周回したのは、1961年4月12日、同じくソ連の宇宙飛行士「ユーリイ・ガガーリン」によって達成された)

そんな時代が来たという驚きはあったが、何しろ初めてのこと、どうやって理解すればよいのか思案にくれた。宇宙新時代という実感は果たしてどうだったろうか。むしろ、ICBMでそんなことができるのかといった感想かもしれない。

その後、科学技術の進歩を象徴するものと認知され、ソ連って凄いなあという時代が来る。近所の診療所にも、雑誌「今日のソ連邦」がそれとなく置かれていたほど。だから、アメリカの衝撃は大きく、「スプートニク・ショック」と呼ばれ、教育の<近代化>が叫ばれた。(なにしろ、算数・数学に集合論を少し取り入れたりした)

当然、宇宙的、SF的な雰囲気を持った音楽バンドも出現する。エレキバンドの「The Spotnicks」がそれで、日本では「霧のカレリア」(1966)がヒットした。いわゆるシンセサイザー風の響きがした・・・といっても、僕らにはシンセサイーザーって何?というくらいの時代だったけれど。(「スプートニクス」のバンド名は、マネージャーの提案といったイメージ戦略だったみたいで)

(本ブログ関連:”スプートニク”、”霧のカレリア”)

「霧のカレリア」は、ロシア民謡「トロイカ」も聞こえたりして、日本人好みだったようで、「ベンチャーズ」支持の系譜につながるかもしれない。
(「霧のカレリア」の原曲について、ブログ「澎湖島のニガウリ日誌」に詳細に語られている。感謝。)


(Youtubeに登録のrautalanka1974に感謝)

2017年11月4日土曜日

「枯葉」の聴き比べ

暦は満月、残念ながら、夜道に小雨がぱらつく。まさか濡れると思わなかった。小走りして帰宅する。考えてみればもう晩秋、けれどこの秋の、虫の音の記憶がない。どうしたことか。よい時分の忘れ物をしたようでもったいない。明日は公園にでも出かけてみよう。

枯葉の感蝕はいかばかり、ちょいと気分を出して歩いてみたい。歌は、イブ・モンタンもいいがナット・キング・コールの「枯葉」を選んでしまう。昔なら、LPレコードをプレイヤーに載せ、レコード針をそっと置いて聴くもの・・・つまり、それだけの手間があった。いまやYoutubeで、ちょいちょいと探してクリックするだけ。(実はまことに申し訳ない行為をしているわけで)

(本ブログ関連:”枯葉”)

有名な歌手たちが歌う「枯葉」を聴き比べする、珍しいYoutube画像がある。


(Youtubeに登録の関雅行に感謝)

2017年11月3日金曜日

イ・ソンヒ、除隊のイ・スンギを迎える

2016年2月16日に軍隊に入隊した、イ・ソンヒの愛弟子(いつまでそういってよいのか分からないが)イ・スンギは、先日10月31日に除隊後、イ・ソンヒとのツーショット写真を見せたと、釜山日報の記事、「転役(除隊)のイ・スンギ、所属事務所の先輩イ・ソンヒと楽しい社会人(復帰の)証拠写真」(10/31、デジタルメディア本部記者)は、次のように報じている。

(本ブログ関連:”イ・スンギ”、”フックエンターテインメント”)

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・俳優兼歌手のイ・スンギが、国防の義務を果たして社会人になった。
・31日、イ・スンギの所属事務所「フックエンターテインメント」の代表は、自身のインスタグラムに、「来た。帰って来た。イ・スンギが帰って来た」という文とともに、数々の写真を掲載した。
・公開された写真の中には、軍服を着て所属事務所の前でポーズを取っているイ・スンギの姿が入れられた。特に、イ・スンギは、所属事務所先輩であるイ・ソンヒとも親しくポーズを取って見せた。
・イ・スンギは、陸軍第13空輸特戦旅団 75特戦大隊 情報課情報兵として勤務した認定書を公開したこともある。新兵教育優秀、保安監査有功、多読王など多数の叙勲内訳も記録された。また。「特級戦士」、「戦闘特戦兵」徽章を共に公開したりもして注目を集めた。
・一方、イ・スンギの復帰作は、ホン姉妹が執筆した、(12月放映予定)tvNドラマ「花遊記(화유기)」に予定された。
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(KBS World Radio:「イ・スンギが除隊 復帰作は?」)

(雑記)
手で草抜きする替わりに、ナイロンコード式の草刈機を使ってみて驚いた。あれよあれれよという間に除草できたのだ・・・もちろん、根から抜き取るわけではないので、同じに比較できないが。

2017年11月2日木曜日

秋期イディッシュ語 2017-5th

イディッシュ語教室の通学に電車を利用している。ちょっとした遠出になっている。歳をとると次第に出不精になるので、この通学はそれを解消してくれて幸いだ。よければ、その効用が語学力にまで通用してくれると更によいが・・・。

(本ブログ関連:”イディッシュ語”、”秋期イディッシュ語”)

さて、今日から少しずつ難しくなってきた。
① 否定形:動詞の後に ”נישט” を置く。
② 英語の ”There is/are ~” の相当句: ”... עס איז/זענען דאָ” の使い方。
③ 疑問詞:モデルとしてイディッシュ語話者や教室内で尋ねたいことを想定した練習。
    次は、わたしの場合のQAだが。
   ?װאָסער מוזיק האָבסטו ליב
        - 어떤 음악을 좋아해요?
   .איך האָב ליב קאָרעיִש מוזיק
        - 저는 한국 음악(Trot)을 좋아해요.

帰りのこと、地元駅前広場が濡れて夕闇に溶けていた。サテライト教室を出たとき果たしてどうだったか、思い出そうとして悩む。雨降り後だったのかどうだか確信がないのだ。

2017年11月1日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 上院寺の朝

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(10/25)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、弦楽器の系譜を通して、「上院寺の朝」ほか関連する曲を紹介した。

始めに、伝古朝鮮の代、船頭の「霍里子高(곽리자고)」が語ったことを妻の「麗玉(여옥)」が、(アッシリア起源とされる)楽器「箜篌(くご、공후)」で歌った「公無渡河歌(공무도하가)」について次のように紹介された。
・昔、「霍里子高」が川辺で舟を手入れしたとき、白髪の男が入水するのを止めようと、その妻が追ったが、結局男は水に陥る。男の妻は、楽器「箜篌」で悲しみを表し、<川を渡らないで> との内容を歌い終わると、同じ川に身を投じた。霍里子高は家に戻って妻「麗玉」にそれを語った。麗玉は家の箜篌で、その歌を奏して歌い、人々は悲しみ涙して聴いた。古朝鮮の歌「公無渡河歌」にまつわる話だ。箜篌は、古代東アジアで使われ、ハープに似て指で弦を奏でた。
今年の第69回「正倉院展」にて、現有唯一の「箜篌」が展示される:NHK「日曜美術館

▼ 箜篌とセンファンの演奏で「上院寺の朝(상원사의 아침)」を聴く。以前聴く、朝明けの光景を、今様に。

次に、箜篌と楽器「琵琶」の構造や歴史的関係について次のように紹介された。
・箜篌に幾つか種類があり、昔の絵によく登場して親しまれた。今は演奏者があまりなく、楽器だけ伝わる。その範疇に、西洋ギターに似た「琵琶」がある。琵琶の名は奏法に由来し、「琵」は外側に、「琶」は内側に奏でる意を持つ。琵琶に似た韓国琵琶は、しゃもじ様のものと指ぬきをはめて弦を奏でる。竹製撥で音を出すこともあった。1930年代まで、コムンゴ奏者が琵琶を奏でたりしたが、今はあまりいない。他国の琵琶奏法を参考に、独自の奏法を作り出す動きもある。

▼ カヤグム演奏曲である「沈香舞(침향무)」を琵琶の演奏で聴く。以前聴く、緩やかなときの流れを感じる。

最後に、1940年代の新しい楽器「鉄弦琴(철현금)」について次のように紹介された。
・楽器「鉄弦琴」は、1940年代に(ナムサダンペ綱渡り名人の)金永哲(김영철)が、西洋ギターを真似て作った。四角いギターの形状をして、床の上で演奏する。コムンゴのように撥で弦を奏でる。コムンゴやカヤグムが弦を奏でて音を出した後に弦を揺らして音程に変化を与えるのに対し、鉄弦琴は弦をこすりつけるのが特徴。鉄弦琴の歴史は短いが、伝統音楽の特徴を生かし、不思議な音色で親しまれている。

▼ 鉄弦琴演奏による「夕焼け(노을)」を聴く。夕暮の霞たなびく静けさを詩情豊に、今様に。チターを思い起こす。

2017年10月31日火曜日

ハロウィン 2017

隣り町からの帰り道、ハロウィンの夜、辻に小さな妖精が湧いた。ほとんど女の子、ディズニーのお姫様かとまごうばかり、可愛い衣裳のおちびさんたちが、それもお母さんに囲まれて。

(本ブログ関連:”ハロウィン”)

一夜限りの楽しさに、母親が思いを込めて縫ったろう、無理ない仕立てが好ましい。妖精の姿を見るたび、何度微笑んだことだろう。

ところで、男の子の姿をほとんど見かけない。ハロウィン行事が完全に定着しきってないためか、照れくささのためか。近所で菓子を配るようになれば、男の子も化け物に、吸血鬼になるだろう。

今夜も都心で、若者たちが貧欲にハロウィン熱に浮かれている。昔、クリスマスに、父親たちが三角帽子をかぶって街を飲み歩いたことがあった。そんなバカ騒ぎも廃れ、今や家族で楽しむ日本独自の年末行事になっている。渋谷交差点が、ハロウィンの夜、平静に人々が行き交う時代がいずれ来るだろう。

2017年10月30日月曜日

「エアレース世界選手権」、「木枯らし1号」

今日の寒さは本格的。夕方、韓国語教室の往復に備え、完全防寒して出かけた。襟首を閉じ、手袋までしての冬装備。吐く息が白くなるまではなかったが、気分はとっくに冬だ。

そんな寒い日の、時間の順に見聞したこと二題を次に記す。

① エアレース世界選手権
今日の日付に変わった夜中、NHKテレビで「エアレース世界選手権2017」が放送された。パイロット室屋義秀(むろや よしひで、1973年生まれ)が日本人として初めて(アジア人としても初めて)、同選手権の <年間王者の座を射止めた> のだ。放送は、最終ラウンド(10月14,15日)の中継録画であったが、まるでライブのような興奮を覚えた。

以前、落下傘部隊の降下を見たことがある。映像などで持っていた勇壮なイメージとまるっきり違う、飛び降りる若者たちの存在がひしひしと伝わってきたのだ。そのとき、命を感じた、名前を持った生身の若者ひとりひとりの命を。

放送画面にもかかわらず、飛行機好きな素人の勝手な思いが許されないような緊張を感じた。レース会場は、「インディ500」で知られる、スーパーカーブーム以前の、ぼくらが子ども時代に夢見た場所だ。そして、うれしい取り合わせがあった。

画面に、日本人にとって、もう一つの永遠の到達点であったこの「インディ500」の2017年優勝者、日本人として(アジア人としても)初の、レーシングドライバー佐藤琢磨(さとう たくま、1977年生まれ)が駆けつけていたのが映った。室屋パイロットの優勝を祝って、両者が肩を抱き合い歓ぶ姿を見て、素人ながらもすっかり感動してしまった。


(Youtubeに登録のIndianapolis Motor Speedwayに感謝)

(合わせて、「インディ500」の佐藤琢磨の勇姿も見たい、雄叫びを聞きたい)

(Youtubeに登録のBraun vonに感謝)


② 木枯らし1号
今朝のテレビ天気予報の通り、東京に今年最初の「木枯らし」が吹いた。日暮れはあっけなく、夕焼けを楽しむ暇もない。あっというまに暗転し、寒風も厳しくしみる。もう冬なのだ。(明日はハロウィンだけど)

気象庁の用語解説によれば、「木枯らし」の定義は、「晩秋から初冬にかけて吹く、北よりの(やや)強い風」という。(この「強い風」について、「毎秒8メートル以上の風」という話もある)

(本ブログ関連:”木枯らし”)

朝日新聞の記事「都心で木枯らし1号、昨年より10日早く」(10/30)は、次のように報じている。(抜粋)
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気象庁は30日、東京都心で「木枯らし1号」が吹いたと発表した。昨年より10日早いという。都心では午前5時半ごろ、最大瞬間風速16.6メートルを記録。最大風速も午前10時半ごろに8.6メートルを観測した。
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そんなわけで、今日は飛翔と疾風の怒濤の雰囲気を味わうことができた。

2017年10月29日日曜日

歌姫

今日も雨。雨音にすっかり慣れてしまった。間断ないそぼ降りに、揺らぎが欲しくなる。浜辺に寄せる波音なんかいいんじゃないかな。そんなわけで、Youtubeにある長時間、自然環境立体録音から波音を聞く。1/fが癒してくれる。

夏の海がいい、夕焼け海はもっといい。そして、南の海で「歌姫」と巡り会えればどんなに素晴らしいことだろう・・・そんな空想ぐらい勘弁して欲しい。

(本ブログ関連:”歌姫”)

歌姫(diva)といえばイ・ソンヒの代名詞だが、中島みゆきが歌う「歌姫」があって、これを聴くと、ましてこれを歌えば、心浄化してくれるよう。おじさんの懊悩をすっかり洗い流してくれるよう。

(むつかしいことだが、次の映像がいつまでもYoutubeに続きますよう願う)← 翌朝10/30には消されました。

(そこで、カラオケ版を埋め込みさせてもらいます)
(Youtubeに登録のまがいもの商事株式会社に感謝)

2017年10月28日土曜日

(雑談)宅配便

もっぱらネット通販はAmazonを利用している。宅配便で受け取るわけだが、あいにく不在なときがあって、業者の方に二度手間をかけてしまうことがある。この複数回の手間が話題になっている。業者のコストアップにつながるだけでなく、担当者の作業に大きな負担になっているという。

先日、ある小さな文具を求めたところ、当方の不在が続き、三度手間をかけてしまった。メールで連絡があったのに気付かずいたせいだ。担当者に申し訳ない思いがした。(それにしても配送用の外箱の大きさに驚く)

雨降りの今日、配送通知があって外出せず待った。一つは、郵便局によるもので、手紙と一緒に郵便受けに入れてくれていた。待ちに待ったイディッシュ語テキストで、教室で参考にしているもの。もう一つは、宅配便によるもので、草いじりのための小道具だ。

外出もままならぬ思いもあったが、考えてみれば雨のせいで家にこもる言い訳にしていたかもしれない。そんな身勝手さに比べて、しとしと続く長雨の中を配送していただいたことに、ありがとうという思いが湧いてくる。

宅配作業の負担がクローズアップされ、その軽減策に世間で異論がなかったことに、みなひとしく労働に対する日本人のモラルが確認された気がする。

2017年10月27日金曜日

イ・ソンヒ「秋の風」オリジナル

歌に秋の詩情を求めれば、イ・ソンヒの「秋の風(カルパラム)」が筆頭にあげられるだろう。以前、触れたことだが、「秋の風」の「갈바람」(「갈」は「秋(가을)」の略、「바람」は「風」)は、船員(漁師)言葉だ。「秋に吹く風(西風、서풍)」を意味する。

(本ブログ関連:”秋の風”)

この名曲が、彼女のデビュー直後というのに驚きを感じる。どうして、と思うほどに味わい深いのだ。デビュー翌年の1985年に、アルバム1集と2集を発表していて、その2集に、この「秋の風(갈바람)」(作詞チョン・ウニ、作曲ナム・クギン)が収録されている。

秋風は寂しさだけを残して過ぎ去っていく。そんな切なさを、イ・ソンヒは抜群の表現力で歌うのを聴いてきたが・・・、実はこの曲、発表時に、彼女の「自伝」によれば次のような問題があった。

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・1985年11月、私の2集アルバムが出た。タイトル曲は「秋の風」。
・ところで、この歌が盛んに電波に乗っている頃、盗作の是非にまきこまれて、すぐさま放送停止にあってしまった。公演倫理委員会が立てた理由は、キム・ヨンジャさんが1983年発表した「愛の迷路」中の「あぁ、私たちの愛のロウソクの灯り/消えて道に迷ったね」の部分をそのまま盗作したというのだ。私が作曲した歌でなく、何か抗弁する立場ではなかったが、ちょっとくやしかった。メロディが全く同じならばともかく.・・・結局、私は「秋の風」を再録音しなければならなかった。それでも若干惜しくなかったのは、「ケンチャナ(大丈夫)」が「秋の風」に劣らずヒットしたという事実だ。慰めはなった。
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そんなわけで、結果的に <中間部分を再編曲して再録音した> ようだが、以下(同曲Originalという)Youtube映像を見ると、当時の初々しくふっくらした容貌とあいまって、若さゆえ力の入り過ぎ具合が微笑ましく感じる。


「秋の風(カルパラム)」

小さな胸にこんなに、しみじみ恋しさ残して
去ったあなたは風、寂しさくれた「カルパラム」
今も目元を巡る、あなたの暖かだったあのまなざし
こころ、何度も何度も、恋しい翼を広げさせるよ

*ああ、あなたは「カルパラム」、雲を作る「カルパラム」
ああ、あなたは「カルパラム」、私のこころ奪った「カルパラム」

小さな胸にこんなに、しみじみ恋しさ残して
消えたあなたは風、寂しさくれた「カルパラム」

(*以下繰り返し)


(Youtubeに登録の사사구통に感謝)

2017年10月26日木曜日

秋期イディッシュ語 2017-4th

今日は、外に出て雨上がりに気づくことしきり。玄関を開けたとき、イディッシュ語教室の帰り路など。雨に会わずして、雨跡ばかり見る不思議。天気予報では、一日「晴れ」だったはず。

(本ブログ関連:”イディッシュ語”、”秋期イディッシュ語”)

今回の授業は主として、① 規則・不規則動詞、疑問詞の文法、② 疑問文の作成と会話練習(≒ロールプレイ)、および ③ 板書。この板書でつくづく感じるのは、(ヘブライ文字筆記体の)シャキッと勢いある文字を他の受講者が書くこと。そのシャープさは定着した証だろう・・・自分の文字のつたなさを思えばこそ。

授業前、「クレズマー音楽」の話題があり、代表的ミュージシャンが大変ユニークな趣味を持っているとか・・・、いろいろな人たちでこの世はできているわけで、知れば知るほどおもしろい。この機会に、クレズマー音楽を聴きたい、知りたい。

ところで、授業で参考にしている<テキスト>が、Amazonからようやく届くことになった。一安心。

2017年10月25日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 風具音

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(10/18)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、「風具の音(ね)(プングソリ、풍구소리)」ほか関連する曲を紹介した。

始めに、風を利用した農具「風具(唐箕풍구)」から「風(바람)」の別意について次のように紹介された。
・「風具(唐箕:とうみ)」は、風を起こす農具で、穀物を入れて籾殻(もみがら)を飛ばすのに使った。取っ手を回し、扇風機の羽状のものを回転して風を起こす。穀物を、重い穀と軽い”しいな”や塵など選別した。また、木製の筒に穀物を入れて回し、殻を取るものもある。地域によって形状や大きさが違い、小さいものは、釜戸で火を焚き、鍛冶屋で火力を高めるのに使った。風具は「風」といい、風=浮気の意から、西道民謡「風具音」の曲名は、浮気者の夫を恨む妻の心を表現する。

▼ 「風具音」を聴く。アカペラ合唱で今様に表現。

次に、昔の女性の行動から海辺の歌「ナナニ打令(나나니타령)」について次のように紹介された。
・昔、女性は、男性に比べ行動範囲が狭かった。身分の高い家柄の女性も外出は容易でなかった。一般の民は働かねばならないし、出かけるのは田畑くらいだった。他人を気にせず自分の気持を表せるものに歌がある。民謡に。女性の気持ちを表わすものが多い。長い歳月、口伝される中、詩のように美しく整った表現もある。

▼ 仁川の海辺の女性が <嫁入り暮らしに愚痴をこぼす>歌「ナナニ打令」を聴く。ふつふつ湧き出る響き。

最後に、黄海道生まれの夫婦(妻차영녀、夫김필운)の歌い手について次のように紹介された。
・この「ナナニ打令」を歌った女性とその夫は、共に黄海道甕津郡生まれ。「朝鮮(韓国)戦争」時に避難して仁川に定着した。妻の父は船主、夫は船乗り。そんな縁で知り合って結婚、一生海辺に暮らした。音楽と共に過ごした夫婦は美しい。

▼ <豊漁祈願や船を迎えるときに歌った>黄海道民謡「 ベチキの音(배치기 소리)」を聴く。まさに空気も伝わる。

2017年10月24日火曜日

(雑談)ポジティブ・シンキング

以前、NHKの「スーパープレゼンテーション」という番組で、「ポジティブ・シンキング」について、ショーン・エイカーのスピーチ「幸福と成功の意外な関係」を視聴した。

このスピーチは、いろいろな分野で、ユニークな関わりを持つ人びとが壇上で語る「TED」プログラムタイトルの中の一つ。詳細は、ネットの「TEDの英文日本語訳資料」(あるいは「TED価値ある資料」)で知ることができる。

「幸福と成功の意外な関係」で、わたしが納得したキーワードは、講演の最後に語られた言葉かもしれない。ポジティブ・シンキングに生きるために、次のことを毎日すればよいというのだ。
「感謝を表す3つの新しい出来事を毎日、21日間書き続ける」
そうすれば、世の中をネガティブに捉えるのでなく、ポジティブなものを見つけようとするパターンが身につくという。

そこで、わたしもこのブログに感謝を書くように心がけている。
さて、1つ目は・・・・・・、ムムム。
どうやら、まだ「ポジティブ・シンキング」にいたってないようだ。

2017年10月23日月曜日

霜降 2017

今日は二十四節気の「霜降(そうこう)」。<露が冷えて霜が降り始めるころ>とのこと。ほぼ毎年ブログに記しているが、今回、霜降が巡り来たという実感に乏しい。連日の長雨と台風一過のせいか、霜降のイメージが湧いてこないのだ。

(本ブログ関連:”霜降”)

それでも、今夕、スタディルームの帰り道、本来ならそのまま韓国語教室へ行く身じたくをしていたが、思いのほか冷え込みにあわてて一旦帰宅。完全防寒の冬仕度に着替える。思いっきりの厚着。(そうそう、弓のような赤い月が西の空低く浮かんでいた)

ところで、自転車に乗って空を飛びたいけれど、31日の月は月齢11.3、真ん丸ではない。映画”ET”のようにいかない。

(日本人は宗教的にゆるくて、ハロウィンに悩むことがない - 次のYoutubeはある新聞に載っていたもの)

(Youtubeに登録のMovieclipsに感謝)

2017年10月22日日曜日

雨が降ってる日曜日

室内にいると雨が小休止したと錯覚することがある。なぜか急に静けさを感じるからだ。結局、窓ガラスの向こうで小雨は降り続いているわけで、外出の機会はない。(ちなみに一昨日、選挙前投票している)

こんなとき、ふと口ずさむものがある。昔のCMソングだが、「雨が降ってる日曜日、坊や泥んこなぜ泣くの、あそこのかどで転んだの、・・・」といった何とも優しい響きのする、広告の臭いを感じさせない。

(本ブログ関連:”雨が降ってる日曜日”)

子どもは初めての雨に歓喜するし、やがて水溜りを好んでわざわざ足を踏み入れ、水を跳ねる。感蝕を楽しむのだろう。だから、雨のなかで転んでも、泥だらけになったとしても、どうということはない。

日曜日の雨に、つい昔に戻った気分になる。CM目的を超えた、いい思い出に連なる旋律が聞こえてくる。(それにしても、この雨一体いつまで続くのだろう)


(Youtubeに登録のsunaf kingに感謝)

2017年10月21日土曜日

(雑談)1/f揺らぎ

雨が降ります。だらだらと、ぼそぼそと、だらしない音が続きます。詩情なんてありません。ちょっと止んだと思って外を覗けば、水溜りに波紋が浮かびます。なんだ、と舌打ちするような感じです。

明日には、台風が接近し、暴風雨の警戒が必要とか。だから、今この静けさは台風前のものでしかないようです。行動範囲は狭められ、日頃出かける所へも行けず、一日家にとどまっていました。

Youtubeに、海辺に寄せる波音を長時間聞かせるものがあります。それを背に、室内でいろいろ手がけていると、ある錯覚に陥りました。あわ立つ波、砂浜を走る波、それらが幾重にかさなって、一瞬、潮風のにおいがしたのです。

染まりやすいというか、すぐその気になるというか。鬱陶しい長雨と違って、爽やかな空気を感じたのです。それは乾いた感じもしました。心身が自然に同調するような、1/f揺らぎを感じた次第です。

(YoutubeのBGMに、こんな便利な聞き方ができるものがあるようです)

(Youtubeに登録のAmeyama Channelに感謝)

2017年10月20日金曜日

イソップ「自分の仕事(星占者[ほしうらない]と旅人)」

物事を大きな視点で見ると賢くなった気になる。いわゆる、大局を見るとか、俯瞰するという。といって、小さな積み上げができなかったり、その変遷を記憶できないようでは、信用はつかない。

アウレリウスのように、宇宙の星々と比べてわが人生の何と小さなことよと慨嘆(自省)するのはいいけれど、子どもたちにすべからく規範を教えるのに、もうちょっと具体的な方がいいかもしれない。明治時代の子ども向け道徳書、古代ギリシャのイソップの寓話集「イソップお伽噺」(三立社、1911年、明44年9月、訳述者 巌谷季雄=小波:国会図書館デジタル書籍)は、今見てもおもしろい例えがある。

(本風ブログ関連:”国会図書館デジタル書籍”)

この寓話集に所収の、「四二 自分の仕事(星占者[ほしうらない]と旅人)」は、ものごとを判断するのに、自然(星座)の動きから摂理を体得したはずの者が、日常の些細な行動を見誤るといった、按配のわるさ(きまり悪さ)を教える。

つまり、庶民はこんな語りをするものだ、「わかった、わかった。で、あなたは一体どうなんだよ」と。

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諸君! 他人の仕事にかれこれと、おせっかいする様を暇があったら、自分の仕事に注意して精を出す方が、どんなにましだかしれません。自分の現在していることことに注意するのは、つまり立身出世の道捷(ちかみち)ではありませんか。

むかし在る所に、一人の星占者がありました。星占者とは空の星を眺めて、吉凶を占ふもので、人智の進歩しなかった頃には、なかなか流行したものです。
さて此の星占者が、一生懸命星を眺めて歩いている間に、うっかり足を踏みすべらせて、濠(ほり)の中へ落ちてしまひました。すると其処へ一人の旅人が通りかかり、星占者に申しますには、
「オヽ、貴君(あなた)、今の失敗の気が付いたなら、星の進むのを研究する手間で、少しは自分の足下(あしもと)にも、御注意なされたらよいでせう。」
と、諭(さと)しましたとさ。
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2017年10月19日木曜日

秋期イディッシュ語 2017-3rd

今日、雨にも負けず、イディッシュ語講習に出かける。昨日少し晴れ間が覗いたが、ここ一週間小雨が続いている。さらに、台風21号の影響も加わり、来週半ばまで雨降りのようだ。

(本ブログ関連:”イディッシュ語”、”秋期イディッシュ語”)

講習は、新しいテキストにもとづいて、(私もようやく)フルスロットルに達した。離陸を開始したのだ・・・他の方々は、とっくに上空で旋回しているが。

例文の読解・板書、会話練習(≒ロールプレイ)など矢継ぎ早。”.איך בין שטענדיק מיד”
そして、先生お手製の絵入り単語カード(25枚)セットを、全員に配布いただいた。各自机上に並べて、先生の語る単語のカードをさっと選ぶのだが・・・(おじさん)耳が遠くて苦戦する。結局、これも<הײמאַרבעט>になる。

単語カード作成という先生のお手間に感謝。そして、低空だが私もみなに続き飛翔したいと思う。

(授業前にイスラエルのポップスの話題で・・・イエメン系歌手”オフラ・ハザ”、懐かしい香りする高音)

(Youtubeに登録のOrly Yahalom Photography & Israeli Musicに感謝)

2017年10月18日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 友

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(10/11)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、友について、中国北宋時代の詩人蘇軾(蘇東坡)の詩「赤壁賦」ほか関連する曲を紹介した。

始めに、蘇軾の詩「赤壁賦」をもとに、短歌(단가)「赤壁賦(적벽부)」について次のように紹介された。
・中国の詩人「蘇軾」は、若くして科挙に合格、官職につく。民を大事にするも、周りから疎まれたようで、生涯を閑職や島流しの生活を送った。辛いなか、作品の時間もあった。不朽の名作「赤壁賦」も、島流しのときの作品。韓国伝統の短歌「赤壁賦」は、蘇軾の詩にリズムをつけたもので、多様な形の歌で伝わる。

▼ 「短歌、赤壁賦」を聴く。風景に在ってか、淡々と聞こえる。

・ある秋、島流しの辺鄙な地に訪ねてきた友と共に、赤壁川に船を浮かべ、馳走を用意して夜景を楽しんだ。<元豊五年(1082年)陰暦7月、既望の日> に始まる。「既望」は陰暦16日、満月は過ぎても、依然と月明るい夜をさす。<船を浮かべ、赤壁川の秋の趣きを楽しむ。涼しい風、穏やかな川面はひっそりとしている。酒を交わしながら詩を謳うと、月が昇って、こんな美しい世に悲しいことがあろうか>という内容。友を得ての感慨、大事な存在だ。

▼ 平時調(평시조)で、<友の大切さを歌った>「友人(친구가)」を聴く。淡々と聞こえる。

次に、孔子の「論語」から友とのかかわりについて次のように紹介された。
・孔子の「論語」、君子が喜ぶ三つの話から始まる。① まずは、学んで身に着けることは、なんと楽しいことか。② 次は、遠来の友と学問の話しをすること。③ 最後は、他人が自分を理解してくれなくとも憤(いきどう)らないこと。そういう人ことが真の君子であると言う。孔子のことばから、ときに辛いとき、心細く寂しいときに、自分を理解してくれる友こそ、どれほど大きな慰めになるか分かる。

▼ <全羅道地方の音楽的特徴を最も濃く感じる>という「興打令(흥타령)」を聴く。抑揚をきかせて歌う。

・「興打令」は、<窓の外に菊の花を植えて、お酒を醸しておき、花が咲いて酒も出来上がると、友と夜通しで遊んでみよう> と歌う。月明かり、コムンゴ演奏など、楽しい様子を表す。

2017年10月17日火曜日

もうじき Halloween

私にとって「ハロウィン」の原点は、レイ・ブラッドベリの「10月はたそがれの国」で、遠い昔のこと。だから、日本のいまどきの、ハロウィンの熱狂は唐突でしかなかったが、沸騰振りが年々高まり、クリスマス前行事としてどうやら定着してきたようだ。

(本ブログ関連:”ハロウィン”)

昨年10月31日のハロウィンのときもそうだった。韓国語教室の晩、通う夜道の途中、ある教会前に大勢の人だかりがあった。まるで道を塞ぐ賑わい。子どもたちは熱狂し、親の注意もうわの空で、通行人に道を譲ることをすっかり忘れている。

子どもたちが、大声を張りあげて歓喜するのも楽しい思い出になると思えば、道を開けてくれるまでしばらく待とうというもの。いつの間にか、ハロウィンの渦に巻き込まれている気がした。

不思議なことに、今様のハロウィン騒動にすっかり冷ややかでなくなった。ハロウィンは子どもたちのものといった前提で臨むようになっている。気持ちも随分変わった。

(「ナイトメアー・ビフォア・クリスマス」より)

(Youtubeに登録のNobuyoshi Takeuchiに感謝)

2017年10月16日月曜日

秋期 韓国語 2017

今晩から秋期韓国語コースが始まった。一日降り続く雨のせいじゃないけれど、出だしから<濡れ雀>どころか<濡れ鼠>なのだ。一幅の絵にもなりゃしない。忘れものをするし、大いに途方に暮れて、大いに反省する。

雨の夜、ゴールは見えるようで見えない。イ・ソンヒの5集所収の「クデヨ(貴方よ、그대여)」(キム・ポムニョン作詞/作曲)聴きながら、ゴールを探し求めよう。

心を前向きにスタートしたけれど、明日の検査のため空にした腹が、何と辛いことだろう。


貴方よ  貴方よ  わたしの手を支えてください
今日もわたしの心は  さまよっています
月明かりのない夜を  歩いています
雨降る道を  歩いています
あなたの愛が必要です
あなたの愛を待ちます
貴方よ  貴方はいったいどこで何をされてますか

貴方よ  貴方よ  わたしの気持ちをわかってください
今日もわたしの心は  あなたしかない
星明かりのない夜を  覚えていますか
その時のその思い出を  覚えていますか
あなたの愛が必要です
あなたの愛を待ちます
貴方よ  貴方はいったいどこで何をされてますか


(Youtubeに登録のkoreanballadsに感謝)

2017年10月15日日曜日

天宮1号の落下

一ヶ月前の今日、(燃料枯渇により)任務を終えたアメリカの土星探査機「カッシーニ」が、(制御のもと)土星大気圏に突入して燃えつきた。誰にも見られることのない最後だった。
(参考:”「techcrunch」(9/16、日本語版)”)

宇宙を浮かぶ探査機にいずれ最後がある。宇宙の彼方へ飛び去るか、あるいは地球に戻り、「はやぶさ」のように命の最後を大気に輝かせるか。役目を終えた探査機の終焉に、切なさを感じるものだ。まして、地球を周回する人工衛星や実験棟が制御不能の場合、地上へ落下する可能性は大きい。これまで、本ブログでも何度か触れた。

(本ブログ関連:”UARSROSAT、フォボス・グルント”)

毎日新聞の記事「中国・宇宙実験室『天宮1号』制御不能、地球落下へ」(10/14)は、中国の宇宙実験室が制御不能のまま地上に落下すると次のように報じている。(抜粋)
⇒ 記事の最後に「宇宙船の落下」の項があり、主な落下例を記している。

天宮1号の落下範囲は、北緯43度から南緯43度にかけてといわれている。(大事故が起るのではないか不安だ)

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11~2月か、予測困難
 地球の周りを回る中国の無人宇宙実験室「天宮1号」が制御不能となり、数カ月以内に地球に落下するとみられることが分かった。来年1~2月の可能性が高いとの分析もある。英紙ガーディアンなど海外メディアが13日に報じた。

 天宮1号は中国初の有人宇宙ステーションの建設を目指し、宇宙船とドッキング実験をするために2011年9月に打ち上げられた。全長10.4メートル、重さ約8.5トン。2012年6月に有人宇宙船「神舟9号」とドッキングし、中国人飛行士が初めて乗り移った。

宇宙船の落下
 2001年にロシアの宇宙ステーション「ミール」(約135トン)が制御されながら南太平洋に落下、廃棄された。制御不能だったのは、1979年の米国のステーション「スカイラブ」(約90トン)で、燃え残った破片がオーストラリア西部に落ちた。また1991年には旧ソ連の「サリュート7号」(約20トン*)が落ち、アルゼンチンに破片が到達。いずれもけが人の報告はなかったという。人工衛星の例もあり、2011年には落下するドイツの観測衛星(ROSAT、約2.4トン*)が日本上空を通過すると予測され、国内でも話題になった。被害はなかった。(共同)
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(注)*印付記の(  )内容は追記

2017年10月14日土曜日

イ・ソンヒ「Because Of You」

言葉は、昔、魂を持ち生き物に託して空を飛んだ。話者を離れて、時間と距離をまたぎ純化した。もしかしたら、<心>は本来空っぽなもの、言葉を生み出し続けない限り満たされることがないのかもしれない。

<ことば>という言葉は不思議だ。反対語を持たない。言葉は永遠に捉えようのない、自分の目で見ることのできない自分の顔のようなものかもしれない。言葉は個人的なものなのだろうか。

そんなとき、歌は容易に心にしみこむ。他者(ひと)の言葉だったものが、<詞>となって、聴くものすべてに共鳴する。仮面を取り去ってくれる。もっといえば、魂を植え込む。そんな気がする。

イ・ソンヒの12集所収の「Because Of You」(作詞・作曲ユ・ヨンソク、2001年)は感傷的で、重く引っかかるよう。でも、彼女が加わると、音は曲となり、声は言葉となる。共鳴箱となる。

(本ブログ関連:”Because Of You”)


私の心なのに、思い通りにできない
過ぎたことは忘れるというけれど、何度も
涙ばかり流して

ばかみたいでしょ、つらい振りができないの
苦しめばもっと思い出す、あなたの
暖かだった微笑み

全てはみなそのままなのに、あなただけがいないのに
これ以上壊れることができないほど、
これほど悲しみに疲れ果てるのか

cause you only cause of you
私は何も考えられなくて

胸の中には説明できない悲しみだけが
私はばかみたい
                 _______

全てはみなそのままなのに、あなただけがいないのに
これ以上壊れることができないほど、
これほど悲しみに疲れ果てるのか

cause you only cause of you
もう懐かしさだけで

生きていかなければならないのに、本当にそうなのに

cause you only cause of you
私は何も考えられなくて

胸の中には説明できない悲しみだけが

cause you only cause of you

cause you only cause of you


(Youtubeに登録のlys2187に感謝)

2017年10月13日金曜日

合唱曲「おじいさんの家」

このごろ、民家の塀越しに、小さな赤い実を付けた木を見る。もしかして南天(ナンテン)の木でないかと思うが確信ない。記憶にある園芸の南天は、小振りだったし、赤い実が多数群がっていた。一方、塀越しに見る木は、それゆえに丈が大きく実はまばらだ。

南天のイメージは、中学時代に歌った合唱曲「おじいさんの家」(きさらぎゆき作詞・川口晃作曲)の「南天の木の奥の わらぶき屋根に ・・・」で始まる光景で、南天の木を透して、わらぶき屋根の家が視覚におさまる。そんな農家の庭先を思いながら歌っていた。

正式な曲名を確認したく、ネットで探したところすぐに見当たらなかった。ようやく探しあてたが、誰もが知っているはずと思っていただけに意外だった。ネット情報も、ある年齢以降の登録者によるものでしかないし、それに、記憶の何もかも登録されているわけでもない。少々寂しい思いをした次第。

Youtubeでも見つかった。< 1973年のNHK合唱コンクール予選に参加した中学生たちの発表 > のようだ。歌い継がれているのを聴いてなぜか安心した。


(Youtubeに登録のclaudiovonkarajanに感謝)

2017年10月12日木曜日

秋期イディッシュ語 2017-2nd

今年度後半の秋期コース、第2回目。我ながらようやくエンジンがかかってきたようだ。(それに、都心のサテライト教室に通うのもいい機会、いい運動である)

(本ブログ関連:”イディッシュ語”、”秋期イディッシュ語”)

テキスト教材の音声を、ネットからダウンロードして、本日分を予習した。男女別々の音声がありがたい。ただ、会話の速度が早く、リエゾンする。(白水社「エクスプレス イディッシュ語」のカセット教材は、日本人向け音声教材らしく、会話速度が<ゆっくり>と<やや早め>の2種類を聞かせる)

本日の主な内容(再学習)
・不規則動詞<האָבן>、<זײַן>を使った文章(Q&A、否定)の練習。
・<זײַן>の複1・3人称は、<זײַנען>と<זענען>のどちを使っても好い。
・「ここ」は<דאָ>、「そこ、あそこ」(区別なく)<דאָרט>
・2人称Youは、① 単数形<דו>(きみ)を通常使用、② 複数形と同形<איר>(あなた)は初対面/敬意を込めて使用。

イディッシュ語のテキストを、早速Amazonから購入された方がいて驚き。(先日確認したところ余りに高価だったので様子見したところ、現在、適正な値になったようだ)
⇒ 早速、本日帰宅後、Amazonに発注した。

秋期から、次のYoutube映像に登場するミュージシャンのお二人が教室に参加された。国際的に活躍されていて、イディッシュ語話者との人脈もあるようで羨ましいかぎり。


(Youtubeに登録のJAZZART2011に感謝)

2017年10月11日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 秋夕の食事

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(10/4)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、「秋夕(추석)」の家族の食事に関連する曲を紹介した。

始めに、朝鮮後期の実学者、丁若鏞(정약용、1762年~1836年)の農民への思いについて次のように紹介された。
・朝鮮後期の実学者「丁若鏞」は、春のある日、働く民の姿を見て詩作した。農夫にとって春の田植えは重要な時期だが、この端境期に耐えるのは簡単でなく、十分実ってない稲を脱穀し、粥にして食べた。彼は詩に、高位者もその粥を食べねばならぬと歌う。秋の穀物の収穫は、民の唯一の希望。秋夕に先祖を墓参し、伝統を守って奉祀する。一方、秋夕は、端境期を乗り越えた喜びの日でもある。

▼ 月が明るく「丸い月が浩浩と(둥근 달 휘영청)」のカヤグム演奏を聴く。ジャジーに月明かりを楽しむ、今様に。

次に、パンソリ「興甫歌(흥보가)」の「貧打令(가난타령)」から幸運について次のように紹介された。
・秋夕が近づき、村中で馳走の準備で忙しい時期、嘆く人物が登場する話しがある。パンソリ「興甫歌」の「貧打令」の場面だ。興甫は脚を怪我をしたツバメを治すほどの善人だが、とても貧しく、家には食べものがない。妻は嘆くばかり。だが、その後に面白いことが起こる。興甫が助けたツバメが、恩返しに「ふくべ(ヒョウタン)」を運んでくる。それを割ってみると、中から米と金が詰まった箱が出てきたのだ。人生は、予測できぬもの、どう変わるか分からない。

▼ パンソリ「興甫歌」から「貧打令」を聴く。声を絞って貧困を嘆くよう。

最後に、新羅時代の玄琴(コムンゴ)の名手、「百結(백결)」の貧困の逸話について次のように紹介された。
・新羅時代の「百結」はとても貧しく、その名は、服を百回も縫い直して着たことから呼ばれた。玄琴の名手だったが、家族の食事を担う妻の立場にすれば気がかりなこと。秋夕を前に涙を流したという。彼は、妻をなだめるため、玄琴で穀物を搗(つ)く音を演奏したという。果たして妻は、どんな気持ちだったろう。あきれ果てたか、あるいは、慰める夫の姿に感動をしたか。

▼ 穀物を搗く臼(방아)から、珍島の「穀物打令(방아타령)」を聴く。何だかいいなあ、楽しくなる。

2017年10月10日火曜日

ナショジオの表紙

「ナショジオ」は、世界的な紀行雑誌「ナショナルジオグラフィック」の略称である。日本語版、同誌ホームページにもなかば公認のようにこの略称がある。今月号(2017年10月号)は、ロシアをある意味<東西>に分けるウラル山脈の東側、むしろシベリアの西端といった方がいい北極海に面したヤマル半島で、南北にトナカイの遊牧をする民族「ネネツ」を紹介している。ネネツの生活、風習だけでなく、資源開発の影響まで踏み込んでいる。(特集のサブタイトルは「トナカイの民の苦境」)

(本ブログ関連:”シベリア”)

なにより、今月号の表紙が素晴らしい。少女が弓を射る真似をする愛らしく無垢な写真だ。いずれ学校に行けば寄宿舎に入る。それまでの間、両親の目に届くなかで、自然をたっぷり味あわせることだろう。見れば気になることがある。子どもらしい飾り付けをした毛皮の防寒服を、成長に合わせて、母親は縫いかえるのだろうか。


学生時代、シャーマニズムに興味を持った。シベリアの少数民族に伝わる、自然界と人間の精神世界が融合した独特な世界観を持つ信仰だ。認識の原初に思えるし、いまだに僕らの精神構造の基底にもなっているような気がする。(フィールドワークの成果は圧倒的にロシア語の世界のようだ)

(本ブログ関連:”シャーマニズム”)

特集に語られたトナカイで思い出したことがある。昔のこと、書名を失念したが、トナカイにまたがるとき、右側から乗るか、左側から乗るかによって、トナカイとの、遊牧または狩猟といった関わり方がわかるという・・・そんな話しがあった気がする。

ところで、ナショジオの表紙で話題になった、緑眼の「アフガニスタンの少女」(1985年6月)が忘れられない。(彼女はその後忘れられ、現在不運に身を置いているというニュースがある)
上記の「ネネツ」の少女にも、当たり前だが、この後つづく時間がある。いずれネネツの誇りを持った幸せな家庭を見せて欲しい。そんな再訪記事もいいものだと思う。

2017年10月9日月曜日

「体育の日」の休日散歩

体育の日」の今日、思いつきで休日散歩した。風の向くまま、気の向くまま。

北側の街の公園ベンチで、途中コンビニで買った新聞に目を通す。秋晴れの空、たちまち日差しにたじろぐ。紫外線が見えるよう。コスモス畑を巡れば、パステル色の花々が風に揺れていた。一面咲きほころぶには少し時間がかかりそう。

次に、隣り駅前を経由して、南側にある公園にたどり着く。緑陰でしばし休憩。そのとき撮ったのが次の写真。大雨対策用の窪地(調節池として利用)は、すでにススキの原になっていた。秋深まる。

どうということもない風景だけど
この公園は、さらに東と南へ、公園名を分けて続く。いずれも休日のせいか家族連れで賑わっていた。さらに南へ進むと飛行場になる。ドルニエ機が離着陸する様を目と耳で楽しむ。

以上、同じ道を往復することなく、一筆書きで巡った。中学時代からの心がけである。

2017年10月8日日曜日

イ・ソンヒのカバー「ハル(いちにち)」

夕方、ちょっと帰宅を遅らせば、辺りはすっかり日が落ちて夜のさま。冷えが加われば、もはや冬といってもおかしくない。今年も、あっけなく終わりそうな気配する。

こんな晩、イ・ソンヒにしんみりする曲はないかと探せば、過ぎるほどのものがある。キム・ボムス(김범수)の「ハル(いちにち、하루)」(2000年)をカバーしたものだ。イ・ソンヒはそれを見事に彼女らしく再生する。

(本ブログ関連:”ハル”)

原曲の、情念を貼り付けたような独特な歌い方を脱色し、あらためてイ・ソンヒの色に染め上げる・・・旋律と歌詞がそれぞれ独立しながらも共鳴する。透明感あふれるバラードに変身したのも、彼女の歌唱力のなせるわざだ。


*愛がまた傷つけます・・・
愛がまた泣かすのね・・・
あんなに愛した思い出まで忘れてくれといって
愛は残酷に去っていくのね・・・

本当に耐えられるでしょうか・・・
あなたが言った その言葉のように
そう、あなたは目を覆って 知らない振りして去るのが
いっそ、気楽なのでしょう・・・

変わることもできるのでしょう
あの風も 毎日は違うから・・・
それでもこの世に 生きたいという幸せをくださったのは
今まで、とてもありがとう

(* 最初の4行のみ繰り返し)


(Youtubeに登録のlys2187に感謝)

2017年10月7日土曜日

狸(たぬき)

きのう、純真無垢で愛らしい「タミー」について、彼女の名をタイトルにした歌と合わせて記した。響きが似てるから「狸(たぬき)」の話でもと・・・無理なこじつけだが、してみよう。

山を巡る猟師や山小屋の主人たちの、山中での不思議な体験を集めた「山怪」や「黒部の山賊」には、狸についてもいろいろ語られている。共通しているのは、山陰や鬱蒼とした木立の奥から、あるいは寝静まった山小屋の外で、打撃音が聞こえるというのだ。

(本ブログ関連:”山怪、黒部の山賊”)

それは、木を打つ音であったり、深夜に山小屋の屋根を叩く音であったりする。機械的な物理的な響きがするという。人の気配がない場所で聞こえるにもかかわらず、不思議と恐怖を与えることはないようだ。狸の姿を見たわけではないのに、体験者は、あれは狸の仕業と口にするというのが妙。(童謡「証城寺の狸囃子」の狸も、<ぽんぽこ ぽんの ぽん>といった腹鼓(はらずつみ)する)

ところで、狸はとぼけた風情がして、どちらかといえばおどけた存在に描かれる。そんな狸が、安永の俳人(澤田庄造、号を鹿鳴)と暖かい関係を結んだという。田中貢太郎の掌編「狸と俳人」は、一人暮らしの俳人のもとに通った狸との深い交遊を描いている。(抜粋)

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・・・其の庄造が病気になった。初めはちょっとした風邪であったが、それがこうじて重態に陥った。村人達はかわりがわり庄造の病気を見舞ったが、其の都度庄造の枕許まくらもとに坐っている狸の殊勝な姿を見た。庄造は自分の病気が重って永くないことを悟ったので、某日其の狸に云った。
「お前とも永らくの間、仲よくして来たが、いよいよ別れなくてはならぬ日が来た。私がいなくなったら、もうあまり人に姿を見せてはならんぞ。それにどんなことがあっても、田畑などは荒さぬようにしろよ。さあ、もういいから帰れ」
 庄造の言葉が終ると狸は悄然(しょうぜん)として出て往った。其の夜、庄造は親切な村人達に看みとられて息を引きとった。それは安永七年六月二十五日のことであった。

 それから数日の後のことであった。一日の仕事を終った村人の一人が家路に急ぎながら、庄造の墓の傍近くに来かかった時、其の墓の前に、蹲(うずくま)っている女の姿が眼に注いた。其の女は美しい衣服(きもの)を着て手に一束の草花を持っていた。そして、よく見ると女は泣いているらしく、肩のあたりが微(かすか)に震えていた。それは此の附近ではついぞ見かけたことのない女であった。村人は何人(たれ)だろうと思って不審しながら其の傍へ往った。
「もし」
 村人がこう云って声をかけた途端、其の女の姿は忽然と消えてしまった。そして、其の傍には女が手にしていた草花が落ちていた。村人達はそれを聞いて、それはきっと例の狸だったろうと云って、其の行為を殊勝がったが、其の心が村人達をして狸には決して危害を加えまいという不文律をこしらえさせた。爾来(じらい)其の村では今に至るまで狸は獲(と)らないことになっている。
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これが狐だったら、随分と色っぽくなったろうし、下世話な感情も浮かんでこようというもの。狸でよかった。狸と俳人との間に取り交わしたことだからこそ、村人と狸との間に純粋で暖かな絆まで遺した。

2017年10月6日金曜日

タミー

秋雨は冷え冷えして治まらず、ついに今秋初のヒーターを入れた。雨が外出のチャンスを奪ったからか、それとも雨のせいか、家にいてささいな家事に終始してしまう。といって、何も変わっちゃいないけど。

雨音に耳を傾けると、静けさがしみてくる。雨粒のすきまに、昔の音がよみがえる。題名も知らない、懐かしい旋律ばかり流れてくる。

素朴でやさしい民謡のような歌「タミー(Tammy)」(1957年、デビー・レイノルズが映画「タミーと独身者」で歌った主題歌)が聞こえてくる。無垢な少女タミーの想いが聞こえてくる。

今とはまったく違う時代。そう、ぼくらにとってあこがれであったTV番組「パパは何でも知っている」の時代の気分で、そんな時代の価値観で聞いてみたい。人びとが、男女が、今のようにささくれ立つことを知らなかった時代に戻って。

この映画を見たことないのに、メロディーは心のどこかに残っていて、あるとき、ふっと浮かんでくる。この映画とデビー・レイノルズ(当時23歳)、そして歌(詞)について、次のYoutubeに解説がある。


(Youtubeに登録のNedNickerson2010に感謝)

2017年10月5日木曜日

秋期イディッシュ語 2017-1st

今日から、イディッシュ語秋期コースが始まった。それなのに、タキシングの心構えなく、ましてリフト・オフに程遠い・・・そんな状態で出席するのを恥じるばかり。

(本ブログ関連:”イディッシュ語”、”秋期イディッシュ語”)

思い返せば、春期コースを終えて、夏休み中しっかり定着させると宣言したはずなのに何としよう。暑さに負けて、心頭滅却どころでない、志を忘却してしまったのだ。ただのぐうたらを反省するばかり。

幸い、新しい仲間も加わって、教材を一新。最初からの再スタートとなったが、授業は高速に進んだ。(ネットでも音声を聞けるとのこと、携帯デジタルプレイヤーに収録した)

教材音声を聞きつつ公園散歩もできるようになったのはありがたい。(今から寒くなるけれど)

(補足) 秋期コースからは思いつくまま感想を記すだけにしたい。

(「クレズマー音楽」についても、これから少しずつ理解できるようになりたい)

(Youtubeに登録のBGKOに感謝)

2017年10月4日水曜日

中秋の名月 2017

今日は旧暦8月15日、今晩の月を「中秋の名月」という。天気もよく、丸い月を見ることができるだろう。月見どきだ。

(本ブログ関連:”中秋の名月”)

といって、今晩は満月ではないそうで、実際の満月は明後日深夜とのこと。でも、今晩もひとの目には真ん丸な月だろう。(ふと思い出したこと、近くの公園の「お月見のつどい」は、9/30、10/1だった)

いつも真ん丸ではつまらない。丸いときも、尖ったときもあるのが月。満ち欠けを繰り返すのが月。だから真ん丸なときがよい。そんなときこそ、ひとびとは目を向ける。

今晩、月餅でも食べながら、真ん丸月を眺めてみよう。

(追記)
今日の外気は思った以上に冷たく、空も晴れ間がない。初冬の気配すらする。そんな中、スタディールームの帰り道、もしかしたら十五夜の月を眺めることができるかもしれないと期待し、コンビニで菓子を探した。「わらび餅&白玉くりいむぜんざい」というカップ入り生菓子を手元に月の出を待ったが、残念ながら雲が低くたれこもったまま。空模様に関係なく菓子をいただくことにした。

KBS WORLD「国楽の世界へ」 梨花雨

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(10/4)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、朝鮮時代の妓生の梅窓(매창、1573年~1610年)の「梨花雨(이화우)」ほか関連する曲を紹介した。

始めに、秋の寂しさを歌った、妓生の梅花の詩「梨花雨」について次のように紹介された。
・秋には、朝晩に冷気を感じ、秋風に落葉を見る。今年も終わりに近づき、うまく成就できたかと想う。朝鮮時代の妓生「梅窓」は、秋の寂しい気持ちを、<梨の花が咲いていた春のある日、恋人が去ってしまった。何の便りもない。夏が過ぎ去り秋になっても、彼は戻って来ない。夢の中ででも会いたい>と歌う。

▼ 梅窓の詩「頭学時調(지름시조)、梨花雨」を聴く(声を張り上げて歌う)。秋風に葉が舞い心揺れるよう。

次に、朝鮮時代の文人、「尹善道윤선도、1587年~1671年、号は孤山)」について次のように紹介された。
・ひと恋しくなる秋、人々から遠ざかった人がいた。朝鮮時代の文人「尹善道」だ。彼が描いた漁師の歌「漁父四時詞(어부사시사)」に、秋の場面がある。秋は漁師の仕事が増え忙しくなる。尹善道も海に出るが漁でなく、ただ海を楽しむためだ。世間から遠ければ遠いほど良い。彼は、長い歳月、島流しの生活をした。 元の生活に戻りたい気持ちを押さえたためか。

▼ 「アジサイに秋が漂う(수국에 가을이 드니)」を聴く。<「漁父四時詞」に、アジサイに秋が漂うと魚が肥える>内容があるという。秋の空気を感じる、今様に。

最後に、女性の「彩鳳(채봉)」と恋人の「張弼成(장필성)」の切ない恋物語について次のように紹介された。
秋に思い浮かぶ話がある。「彩鳳」と「張弼成」の切ない物語だ。彩鳳の父が首都漢陽(한양)に出かけたときのこと、この二人の関係に気づいた彩鳳の母は、二人の結婚を認めるが、漢陽から戻った父は、彩鳳を他家に嫁がせようとする。父は出世のため、彩鳳を偉い家柄の妾にさせようとしたが、かえって獄中生活をする羽目になる。彩鳳は父を助けるために自ら妓生になる。その後も、愛する弼成を忘れることができず、月の明るい秋の夜、弼成を想いながら詩を作った。「秋風感別曲(추풍감별곡)」という詩だ。ところで、彩鳳の詩を耳にした観察使は、彼らの悲しい恋物語を知り、二人を結んでやったという。

▼ <北部西道地域の独特な雰囲気で歌った>「秋風感別曲」を聴く。読み聞かせるように歌う。

2017年10月3日火曜日

もみじ(紅葉)

小学校で学んだ合唱曲で一番記憶にあるのは、唱歌「もみじ」(高野辰之作詞、岡野貞一作曲、1911年:明治44年)だろう。私にとって、琴線にふれるような思いで深い曲だ。

遅くまでみなで合唱曲の「もみじ」を練習したとき、教室の窓にきらきら輝く夕陽が差し込んだのを思い出す。そんな思い出を独り占めしたいのか、一緒の仲間たちの影がすっかり霞んでしまっているのだ。歌の気分に、記憶まで染まってしまったようだ。

(本ブログ関連:”紅葉”)

子どもの目に映った紅葉は、うっすらした赤い光景でしかない。それを確かめたく、大人になって山に登ったり、バスツアーで眺めた紅葉の景観は、大人の目のものでしかない。懐かしさを求めたはずのに、結局、観光気分にしかなれないのだ。

そんなことなら、子どものころに、もっとしっかり自然に親しんでおくべきだったと思うばかり。


(Youtubeに登録の3113663eeeに感謝)

2017年10月2日月曜日

残り3ヶ月

飯屋の調理場から、「今年も3ヶ月しかない」という声が聞こえた。飯を食いながら、月日の過ぎる早さをあらためて感じる。何十回と繰り返してきた。そして、忘れては何度気付いたことか。

早速、来年のカレンダーを購入して、今吊るしているカレンダーの裏に合わせた。ただし、分厚い日めくりカレンダーは一緒にするのに苦しいので、もう少しして入手しよう。

時はあっけなく目の前を通り過ぎる。子どものころ、道路を走るトラックの排気ガスが好きで、道端に立って鼻をくんくんさせたもの。高じて、ガソリンスタンドへ遊びにいったりした・・・それはそれとして、時間がカレンダーのように次々めくれていくのを楽しもう。

昔の思い出、ニール・セダカ(Neil Sedaka, 1939年3月13日~)の「カレンダー・ガール(Calendar Girl)」(1960年)を聞こう。いかにも、若い女性にモテモテといった雰囲気(少々にやけ気味)から、てっきりイタリア系と想像していたが、実は「父はトルコから移民したユダヤ系、母はポーランド・ロシア系ユダヤ移民」(Wikioedia)だったとは。

(本ブログ関連:”ニール・セダカ”)

1月から12月、カレンダーを見ては毎日思い続ける。今月は、ハロウィンの10月、ぼくらはロミオとジュリエット・・・なんという陽気さ。カレンダーをめくるのも苦じゃない。カレンダーにときめくなんて、うらやましい。


(Youtubeに登録のDheeherdian77に感謝)

2017年10月1日日曜日

イ・ソンヒの「水仙」

今日から10月。今年はもう1/4しか残っていない。あっというまに過ぎ去るだろう。日高市の巾着田で開催の「曼珠沙華まつり」は今日で終了した(そうだ)。

真っ赤な花弁と緑の茎だけで咲く曼珠沙華の群れ並ぶ光景は美しさを超えて圧倒的である(そして異様さも覚える)。その「曼珠沙華(ヒガンバナ)」と同じ<>に属する花に、「水仙(スイセン)」がある。こちらは、冬から春にかけて咲く花だが、共に根に毒性を持っ。かたや死の影を持ち、かたや自己陶酔に溺れる。

水仙の可憐な姿に、自惚れの跡がかすかに精一杯に主張しているようにも見える。そんな負けん気が聞こえてくるような、独白だけの作品「水仙(수선화)」(1989年、作詞・作曲キム・チャンワン)が、イ・ソンヒの5集に収録されている。

(本ブログ関連:”水仙”)


(ふふふ) みんな過ぎたこと
いや、違うわ

愛! 贅沢なことみたい
未練! (ふん、ふふ)

わたしが 水仙を好きだったとしよう
その花が散ったとしよう
それが 何!

誕生日が同じ人だけで会うとしよう
それも日を決めておいて
ちらりと会って別れるのが、何が違うの

(はあ~) みな、過ぎたこと

違うわ、違うわ


(Youtubeに登録の이원호に感謝)

(付記)
最近、遠出を控えている。それでも運動のつもりで、近隣の街に出かけて書店を巡った。
先日から気になり始めた、リトアニアの街「ヴィリニュス」(ユダヤ文化の花開いた街でもある)への関心から、昔、リトアニが大国であったこと、やがてロシアに押されたことで、「ルブリン合同」によりポーランドと連合して(併合されて)、「ポーランド・リトアニ大公国」ができたこと・・・についての平易な歴史解説書を探したが見つからなかった。こんなとき、Wikipediaは近道である。

2017年9月30日土曜日

「赤とんぼ」の捕らえ方

ちあきなおみの歌「赤とんぼ」について、先週触れたばかり。市井の別れ歌だ。

(本ブログ関連:”赤とんぼ”)

秋の空に浮かぶ「赤とんぼ」で思い出したことがある。高山の赤とんぼは、人に対する警戒心が薄い。だから、捕虫網を使わないでも、容易に手で捕れる。もちろん、山路の出会い、捕って標本にするつもりはない。

赤とんぼを、素手で捕らえる方法はちょっとの我慢だけ。

① 山道の石ころや岩の上に休んでいる赤とんぼに狙いを定める。
② 3mくらい離れたところから始める。片手を、ゆっくり、大きく回転する。
③ 手を回転させながら、そっと、赤とんぼに近づく。あせってはいけない。
④ 赤とんぼに1mほど近づいたら、手の回転を少し早める。あせってはいけない。
    このとき、赤とんぼの頭が、カク、カクと揺れ始めたらしめたもの。
⑤ 手の回転幅を狭め、腰をさげつつ、指先を赤とんぼに次第に近づける。
    赤とんぼの頭が、めまいでもしているかのように振り続けるのを確認する。
⑥ そして、両手で赤とんぼをくるむように捕まえる。

複眼の赤とんぼが、ひとの手の回転に目がくらんだに違いない。見えすぎるのも弱点だ。

2017年9月29日金曜日

不成就日

日めくりカレンダーの隅にその日の注記があって、暦注や伝統行事を示している。いつも素通りしがちなのに目がいった。「不成就日」と書かれていたのだ。

無力感に襲われるネーミング、成就できないなんて一体どうしたことだ。いろいろな行事が「凶」になるという。旧暦の特定日に「不成就日」があって、毎月4回巡ってくるという。

占いごとを、精緻に理論・体系化すると息苦しくなる。平穏な毎日を願っているはずなのに。出鼻をくじく先読みは、余計なお節介。それも、権威をもって語られたりすると、その言に怪しさが増す。

占いは、陽の当たる部分と影の部分を示す。吉凶の裏表。幸福と不幸、平和といくさ、生と死。避けられないもの、永遠に続かないもの。だから、ひとは占いを完全に捨て切れない。

今日は、何ごとも不完全。すべてに不成就であった。占いを待つでもない毎日のこと。

2017年9月28日木曜日

「おはようボルチモア」

先日、FM音楽番組から流れた曲に、60年代ポップスをほうふつさせる、いきのよいものがあった。耳に残った旋律というか、オールディーズ独得な歌い方にひかれてネットで探した。手元にメモしたわけではなかったけれど、歌詞に何度か出た言葉「ボルチモア」でYoutube(およびWikipedia)を検索するとすぐに見つかった。曲名は「Good Morning Baltimore」。

この曲、実はブロードウェイ・ミュージカル「ヘアスプレー(Hairspray)」(2002年、マーク・シャイマン作曲、スコット・ウィットマンおよびシャイマン作詞、マーク・オドネルおよびトーマス・ミーハン脚本)の代表曲のようだ。

原作は、コメディ映画「ヘアスプレー」(1988年、ジョン・ウォーターズ監督)であり、その後も同名「ヘアスプレー」(2007年、アダム・シャンクマン監督)でリメイクされている・・・という。

ところで、ボルチモアはアメリカの都市だが、その歴史について何にも知らない。聞いたことのある出来事といえば「大火」くらいか。まして、FMで聞いた「Good Morning Baltimore」の時代背景を知るよしもない。ただただオールディーズの郷愁にひかれただけだった。
「人種差別が色濃く残る、1962年のメリーランド州ボルチモアを舞台に、明るくふくよかな10代の女性主人公が地元のテレビ番組でダンサーとして、スターになる物語を描いている」とのこと。

2007年版の映画からと思う、次の「Good Morning Baltimore」は、とにかく明るくて陽気、健康で天真爛漫な主人公の若々しさがあふれる。どんなに憂鬱であっても、朝になれば未来が始まる・・・おはようボルチモア。


(Youtubeに登録のthecrazydude57に感謝)

2017年9月27日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」家族愛

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(9/20)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、「両親や家族への愛」に関連する曲を紹介した。
(ブログ記述時点で、ネットで未見のため韓国語/英語版を参考にした)

始めに、親孝行の大事さを強調した中国元代の「二十四孝」をもとにした歌について次のように紹介された。
・中国の元代、孝行の徳目を編纂した「二十四孝」がある。真冬に鯉を獲ったり(=姜詩)、竹の子を採ったり(=孟宗)して親を奉養したり、また、年老いた母親のものも食べる幼子を地中に埋めようと穴を掘ったところ、金を得た(=郭巨)話など、これらをもとにした歌がある。

▼ 短歌(パンソリの喉慣らし曲)の「孝道(孝行)歌(효도가)」を聴く。淡々と歌う。

次に、パンソリ「沈清歌」で、沈清が命にかえて父の病を治そうとすることについて次のように紹介された。
・パンソリ「沈清歌」に、盲の父の目が開くよう、自ら船乗りに命を売った沈清が、船に乗って(印塘水の)海に身をなげるくだりが描かれている。船乗りは、沈清を犠牲(人柱)として祭祀を行なう。沈清は、死を控えて、父親がいる故郷に向かってお辞儀をしながらも、一人残る父親を案じる。

▼ パンソリ「沈清歌」から「沈清が海に沈むくだり(심청이 바다에 빠지는 대목)」を聴く。迫り来るものを想う。

最後に、沈清が身を投げる海(印塘水)に沈む前、船乗りに付いていく心情を現代的な観点で描いた創作曲について紹介された。

▼ 「清、海になる(청 바다가 되다)」を聴く。あまりに感傷的に、あまりに今様に。

2017年9月26日火曜日

キンモクセイ(金木犀)

この時期、「金木犀」が気になる。「彼岸明け」の今日、人影の乏しい公園に出かけて、広場に並ぶ大きな金木犀を見上げた。濃い緑葉のあちこち、オレンジ色の小さな花弁が点在する程度だが、独特の甘い香りが始まっていた。

(本ブログ関連:”金木犀”)

ちょっと前まで、しばらくの間、「百日紅」が小さな薄紅色の花を覆うようにして飾っていた。中国の古い絵を見るようで、霞んで、すごく地味で・・・。そんな地味さ加減が金木犀にもある。この時期、オレンジの花弁も咲き始めたばかり。

子どものころ、金木犀と(春を知らせる)「沈丁花」の香りが苦手だった。なんだか、年配の婦人方の香水を思い起させるからだ。でも、考えてみれば可笑しなこと。ずっと昔から、金木犀や沈丁花は、その香りを漂わせていたのだ。

(本ブログ関連:”沈丁花”)

やがて歳をとると、花の自然な香りに合わせるようになる・・・そんな気がする。

2017年9月25日月曜日

狢(ムジナ)

人を化かす動物といえば狐と。狡猾な化かしをする狐に比べて、どこか間抜けでお人好しの感がする狸。その狸を、「(ムジナ)」ともいうけれど、実体はアナグマのようだ。

写真などでみるアナグマは、狸のような丸みがなく愛嬌が不足している。まさに、イタチ科とイヌ科の違い。さらに狢とされる、ハクビシンにいたってはネコ科に属していて、もっと遠い。

この狢を題材にした、L.ハーンの怪談に登場するのは、狸でもアナグマでも、ましてハクビシンでもない。<のっぺらぼう> なのだ。夜道で、人の好い商人を巻き込んで化かして驚かす。その仕打ちは狐の化かし風。しかも、追い討ちをかけるように、屋台の蕎麦売りも組んで驚かす。

一体どうして、狢が <のっぺらぼう> なのだろう。顔を隠しながら相手を見る、正体不明の顔にしたのだろう。それとも、商人が迂闊だったのか。(顔を隠した狢に翻弄される商人、それとも目先しか見えない商人)

2017年9月24日日曜日

イ・ソンヒの底力

「イ・ソンヒが歌う他の歌い手の歌のコレクション(アイドルの歌からラップまで、完璧に消化されるハート・・・ぶるぶる、時代を超越したような声づかい)」といったタイトルの映像がYoutubeに登録されている。

イ・ソンヒが若い歌い手の歌を、自家薬籠中にするというか本歌取りしたというか、まさに彼女自身のものに変じてしまう。民謡からトロットまで含めて、あらゆるジャンルをおさめてしまう彼女なればこそ、まさにイ・ソンヒ ワールドといっていい。

今回は、いわゆるK-POPについても、彼女の歌唱力は易々と取り込んでしまう。時代を超えた普遍性が、安定感が・・・、そんな底力を見せつける場面集だ。

(本ブログ関連:”イ・ソンヒが歌ってみると”)

1. 술이야    바이브    /    酒だ    Vibe
2. 안되나요    휘성    /    だめですか    フィソン
3. 시간을 달려서    여자친구    /    時間を駆けて    GFRIEND
4. 잊지 말아요  백지영    /    忘れないで    ペク・ジヨン
5. 나를 슬프게 하는 사람들    김경호    /  私を悲しませるひとたち    キム・ギョンホ
6. 사랑 안해    백지영    /  愛さない    ペク・チヨン
7. 소주 한잔    임창정    /  焼酎一杯    イム・チャンジョン
8. 사랑합니다    Tim    /  愛します    Tim
9. 잘못된 만남    김건모    /  誤った出会い    キム・ゴンモ
10. 가시   버즈    /  棘    BUZZ


(Youtube登録者に感謝)

2017年9月23日土曜日

秋分の日 2017

今日は、「秋分の日」。昼夜の長さが同じというが、夏の余韻が残っていて、昼の時間が微妙に長いそうだ。しかし、空模様は芳しくなく、冷え冷えして気分はすっかり秋。

(本ブログ関連:”秋分の日”)

この時期、「おはぎ」を供え物にする。おはぎは日常的な菓子であって、春の「ぼたもち」と比較されるが、<粒餡>と<漉し餡>で包むといった違いでしかなく、季節感の意識はない・・・それが正直なところ。

食べ物にこだわるのは、ここ数日食が進まないからだ。ネットで分かったことだが、先日処方された薬の副作用かもしれない。自己責任で服用を中止することにした。

ここ数年の中で、一番ついてない「秋分の日」。

2017年9月22日金曜日

ちあきなおみの「紅とんぼ」

先日、ちあきなおみの「黄昏のビギン」を聞いたばかり。秋雨に冷えた今日も、彼女の「紅とんぼ」(吉田旺作詞、船村徹作曲、1988年)を聴いてみよう。

(本ブログ関連:”紅とんぼ”、”黄昏のビギン”)

この「紅とんぼ」、歌手がその力量を競う歌でもあるようで、昔、歌謡番組でケイ・ウンスクと名前を失念したがもうひとり若手の女性歌手が歌い合った。ケイ・ウンスクの歌いこみは実に素晴らしかったように記憶している。

それでも、ちあきなおみの歌は、新宿の駅裏、そっと店仕舞いする酒場に出入りしたひとびと女将との関わりまでが、細やかに情感あふれて聞こえてくる。学生でもない、文士気取りでもない、口下手な男たちが集まるところ。何気ない言葉ひとつで癒しをもらう場所、そんな酒場「紅とんぼ」があったようだ。


(Youtubeに登録のHisaki TVに感謝)

2017年9月21日木曜日

さだまさしが歌う童謡「里の秋」

山肌が冷気に撫でられ、しだいに色づくのに合わせて、秋は深まる。終戦間もなく、秋は来たことだろう。童謡「里の秋」(作詞斎藤信夫、作曲海沼實、川田正子歌、1948年:昭和23年)は、南の島からの父の帰還を待つ母と子の歌だ。

母と子の会話を邪魔する喧騒もない、静かな静かな日々が想い起される。その時、その場に行くことはできないが、せめてこの歌から家族の再生を願わずにいられない。ぼくらは、そんな幸運のおかげで命をつないできたのだから。


(Youtubeに登録のkirakira 6050に感謝)

2017年9月20日水曜日

秋の彼岸入り 2017

手元のデジタル温度計が(室内ゆえ)25.8℃を示しているのに、なぜか冷える。夏の気配も今週までのよう、本格的な秋が始まる。

10月になれば再開することも多い。この夏しっかり復習・予習すると口にしたのを、今になって慌てる。学生時代の定期試験準備と似たようなもの。(さすがに社会人のときは、そんなズボラではなかったが)このたび、逃げ腰が治っていない。

きょうは、秋の「彼岸の入り」。3日過ぎ、4日目の23日土曜日には「秋分の日」。時間が前から来なくて、後ろから押すようになったのは幾年か。秋が人生にかぶさるようになってきたなんて・・・そんな感がしてしようがない。

(本ブログ関連:”彼岸”)

KBS WORLD「国楽の世界へ」金熙祚

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(9/13)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、金熙祚(김희조、1920年~2001年)、「散調산조)」関連する曲を紹介した。

始めに、作曲家「金琪洙」(김기수、1917年~1986年)と「金熙祚」について次のように紹介された。
・音楽の継承の仕方に、西洋は楽譜を見て演奏し、一方、東洋は師匠の口を真似て口承した。同じ音楽も感動は人によって違うように、同じ師匠の元でも、弟子の音楽は少しずつ異なるだろう。師匠の通り奏しながらも自分のスタイルを作り上げる。
・1940年代に活動した「金琪洙」は、韓国初の国楽作曲家で、時代の変化に合わせて国楽を発展させてきた。そして、作曲家「金熙祚」などの手を経て、今日の創作音楽が定着した。

▼ 金熙祚作曲の「散調、テーマ(主題)による合奏曲」(KBS国楽管弦楽団)を聴く。楽譜が浮かぶよう。

次に、作曲家「金熙祚」の音楽家としての経歴について次のように紹介された。
・作曲家金熙祚は、1920年にソウル鍾路に生まれる。音楽との関わりは遅く、商業高校卒業後、銀行に勤めながらのこと。西洋楽器のピアノやバイオリン、ビオラなどに始まり、後に西洋の作曲を学ぶ。国楽との縁は、1950年代の「朝鮮戦争」(韓国戦争)の時、陸軍軍楽隊で民謡を編曲したのが始まり。除隊後、KBSで管弦楽団を作り、指揮と編曲を担当、民謡を編曲して演奏した。その後、国楽芸術学校教師、ソウル市国楽管弦楽団の作曲と指揮を担当して活動広げた。作品は、散調や民謡、パンソリなど民族音楽をテーマにしたものが多い。そして、音楽活動の過程で、貴重な音楽を残した。

▼ 全羅南道巨文島の漁師の歌「綱なう歌(술비소리)」を管弦楽用に編曲したものを聴く。原曲と編曲の比較も楽しい。

最後に、作曲家「金熙祚」の音楽家としての人となりを次のように紹介された。
・金熙祚は、高麗交響楽団で活動したことがある。ビオラとコントラバスを演奏した。コントラバスを演奏できる者がほとんどいない当時、彼は、指が短い弱点を克服して演奏した。また、彼が一番重視したのは、「聞き安い曲を作る」ことだったという。そのため、彼の音楽は今もたくさんの人々に親しまれている。

▼ 「フルートの独奏と国楽合奏のための舞踊幻想曲」を聴く。時代劇で篠笛を聴くような・・・親しみやすい。

2017年9月19日火曜日

雑談、雑談、山怪 [弐]

① いずれの本で読んだか、その本が見当たらぬ。「Jアラート」がうるさいという話から思い出したこと。昔、WWⅡでノルマンディ上陸作戦の死線を越えた連合軍兵士たちが、意気揚々とフランスの田舎路を通り抜けていたとき、農家の窓が開き老婦人が「うるさい」と叫んだという。いつの世にも日常を最優先する人がいる。

② テレビの美術番組で、徳川家光のころの絵図、<狩野探幽(1602~74)が描いた幻の作品「八尾狐図(やおのきつねず)」が、京都市内で(2015年に)発見された(参照: Art Annual Online)>と紹介されていた。
このブログでは、「九尾狐」について話題にしてきたこともあり、尾が八つなのはなぜか気になる。妖狐の尾は、最終九本まで増え続ける、丁度その手前という説があるようだが・・・。一方で、狐は稲荷神の使いでもある。

(本ブログ関連:”九尾狐”)

③ 以前紹介した山の奇談を収集、紹介した「山怪」(田中康弘、山と渓谷社)の第二弾ともいうべき「山怪 [弐]」を読んでいる。最初の「山怪」は主に猟師から話題を収集している。さらに、山と縁のある人まで広げたのが「山怪 [弐]」だ。
<山の神は女性だといわれている>、<嫉妬深く><若い男を好む>とか生臭い面もある。さて、武蔵御嶽神社は修験の場でもある。山犬(ニホンオオカミ)が眷属(神の使い)として有名だそうだ。同神社の護符は山犬の姿を刷ったもの。その護符を実家で見つけて、関係する人々を訪ねた「オオカミの護符」(小倉美恵子、新潮社)と出会った。これも次のお楽しみ。
ところで、狐信仰は、イヌ(オオカミ)との親和性が強いようであり、山の神の使い ⇒ 田の神の使い ⇒ 商業神信仰へと変遷したという話もある。

(本ブログ関連:”(稲荷信仰)神の使い”)

2017年9月18日月曜日

台風一過

久し振りに強風を経験した。と言っても深夜のこと。今日の日付に変わる夜空を、ヒューと喉を鳴らすような音が走って、そのたび風圧に家が軋んだ・・・多分そんな感じがして、大丈夫かと心配するほどだった。

テレビの台風情報を見ながら、台風は進路を日本海へ向けるだろうから、直接、風害はないと思い、いつのまにか寝入った。朝になれば、風音もなく、明るい陽射しが窓から差し込んだ。そりゃあ見事な台風一過だった。

(参考)台風18号の進路図(国際気象海洋株式会社)
            http://www.imocwx.com/typ/tyani_18.htm

図書館に、リトアニアヴィリニュスの街について読み物を探しに出かけた。途中、夏の陽射しそのもの、まさに熱射を感じた。雨に洗われて空は澄み、木々の葉は一枚一枚くっきりと浮かんで見えた。暑さを帳消しにする清々しさだった。

ところで、リトアニアは複雑な地帯にある。ポーランド王国ベラルーシ(白ロシア)が入り乱れ、領土の競り合い、それに伴う民族や言語の多様化といった歴史を持つ。そこに、割り込むようにしてユダヤの人びとがヴィリニュスの街に集合した。

現在の各国の国情から、過去を即断(イメージ)できない。ポーランドが想像以上の大国だったこと、そして、ポーランド王国とユダヤの民との関係を知る。歴史年表と地図が必要のようだ。

2017年9月17日日曜日

ちあきなおみの「黄昏のビギン」

台風18号の影響か、一日中雨が降りつづいた。おまけに、今日の東京の最高気温は20.9℃、最低気温は17.9℃とヒンヤリして、家の中にいても厚手の靴下をはいたほど。日中、20℃を切るのはつらい。(不思議なことに、最高気温は19:02になってのこと)

何度か玄関ドアを開けてみたが、そんなわけで、外出を思いとどまった。きっと今ごろ、小雨にけぶる公園では、真っ赤な曼珠沙華とサルビアが、パステル色のコスモスが雨風に揺れていることだろうと想像して・・・。(なあに、きのう公園で見てきたばかりなのだ)

せめて雨の余韻だけでも楽しもうと、ちあきなおみの「黄昏のビギン」(作詞:永六輔、作曲:中村八大)を聞けば、部屋にこもったおじさんの想像力を押し広げてくれる。出歩けなかったせめてもの償いのようなもの。(原曲は、1959年の水原弘の歌)

(本ブログ関連:”黄昏のビギン”)

そして、昔のCFにならって、コーヒーでも楽しんでみようかと・・・。


(Youtubeに登録のmikuni1199に感謝)

2017年9月16日土曜日

(資料)ほのぼのボノボ

人間社会に似たサル集団に、ボノボの世界がある。オスとメスによる調和した、協調的な社会を好むようだ。それに対して、マッチョなオスが支配するのがジンパンジーの世界だ。

チンパンジーとボノボ社会を比較した講演会の要約がある。京大連続講座で語られた内容で、「チンパンジーとボノボから探るヒト社会の成立」(伊谷原一教授、2011年10月22日)は、素人にも分かりやすく比較紹介している。
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チンパンジーの生態
  ① 地位の優劣と緊張関係
  ② 道具の使用
  ③ 雑食性
  ④ 薬草利用
  ⑤ オスによる子殺し

「母権」のボノボ、「父権」のチンパンジー
チンパンジーは、オスが集団を統率し、少ないオスが2~3倍のメスを集団に抱え込む。
・一方のボノボは、オスとメスの割合が1対1。しかも、メスたちは年長のメスを中心として連帯し、オスに対しても優位性を示すという

ボノボには「子殺し」は存在せず、成長後も母親に甘えるオスもいる。伊谷教授は「人間社会でいえば、オスはマザコンメスは、おばちゃんを中心に徒党を組むので、怖くて文句を言えるオスはいません」とたとえ、会場の笑いを誘った。

・(ボノボの)このような社交的で積極的なメスの存在が、チンパンジーではなし得ない、異なる集団の平和的な共存を可能にしているという。異なる集団間で、メスたちが行き来して橋渡し役となり、「和平」を築くのだ

・伊谷教授は「人間の家族として成り立つための条件を、ボノボはすべて兼ね備えています。人間のような家族やコミュニティーの形成に発展する可能性を秘めているともいえる」と結んだ。
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人間社会で「父系制」、「母系制」を語るとき、財産の継承が軸になる。それに比べて、チンパンジーやボノボには、不動産的な財産=所有物がない。社会を維持しているのは、融和的な集団力だけなのだ。物に頼らない集団の継承こそ、最も基本的なはず。いかに「コミュニケーション」をはかっているか参考すべきポイントがあるだろう。

そのなかでも、ボノボは共存を主眼にした社会形成をしているという。人間にそのままあてはまれば、素晴らしい社会を期待できる。しかし残念ながら、人間は、チンパンジーでもボノボでもないし、所有の仕方や社会の規模も違うため、別の選択をしたようだ。

2017年9月15日金曜日

「朝鮮日報読者権益保護委員会」9月定例会

韓国におけるオピニオン・ペーパーとして最大発行部数を誇る(保守系)日刊朝鮮日報」を、読者立場から掲載記事について評価する「読者権益保護委員会」がある。そこに、何度か触れたが、イ・ソンヒが出席している。

(本ブログ関連:”読者権益保護委員会”)

9月11日に開かれた、報読者権益保護委員会の定例会議での評議内容が、9月15日付け同紙記事として掲載されている。緊張を高めつつある隣国関係、国内政治・社会問題まで幅広く取り上げ論じている。ただし、記事に、参加者個々がどのように発言したか明示していない。(イ・ソンヒなら、特殊学校新設問題について、積極的に発言したのではないかと推測する)

このブログは、イ・ソンヒにしか関心がない。
そこで、紙面掲載の写真をリンクさせていただく。

http://image.chosun.com/sitedata/image/201709/14/2017091403386_0.jpg

念のために、左から4人目がイ・ソンヒそのひとである。

2017年9月14日木曜日

(雑談)電動アシスト自転車

歳をとって気付くのは、歩きが遅くなること。駅まで、若い頃に比べて、1.5倍ほど、いやもっとかもしれない、時間が掛かるようになった。とうとう、若い女性にも追い抜かれるのが平気になってしまった。まさか、こうなるとはねえ。

自転車の場合もそうだ。最近、あれよという間に先を越される。特に、電動アシストのママチャリが多い。おじさんたちの会話で知ったのは、電動アシスト自転車は、15~20Km/hくらい速度を出せるという。さっさと追い抜いて行くのは結構だが、小さな子どもを乗せているのを見ていてハラハラするばかり。

(本ブログ関連:”自転車”)

自転車屋の店頭に並ぶ電動アシスト自転車を見ると、6,7万円~12万円ぐらいの価格帯だ。付属のマニュアルに、バッテリー交換の目安として1.5年~2年ぐらい。バッテリーの値段をネットで調べれば、3万円前後とある。

廉価版の(子どもを乗せない)ママチャリは、1万円~2万円程度。それと比べて、電動アシスト自転車のコストパフォーマンスはどうだろう。

しかし考えてみれば、幼児を抱える若い家族にとって、子どもの急病や、子連れの外出に、まず自動車が必須だろうし、子どもが幼稚園や保育園へ通うのに電動アシスト自転車は随分と役立つはず。そう算段すると、無駄ではないことになる。

一方、おじさんにとって、電動アシスト自転車はどうだろうか。・・・それが、電動アシスト自転車に乗っているおじさんをさっぱり見ないのだ。どうも、男は見栄っ張りなのか、意地っ張りなのか、弱みを見せたくないのだろう。エレキテルに頼るなんて。

そんなわけで、電動アシスト自転車に心傾いたものの、見栄が勝る結論に達したようだ。

2017年9月13日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」船遊び

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(9/6)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、「船遊び」に関連する曲を紹介した。

始めに、金弘道(김홍도、1745年~1806年頃)が描く「月夜船遊図(월야선유도)」について次のように紹介された。
・夏が過ぎ、秋の雰囲気が漂う頃、昔、川に船を浮かせて船遊びした。景色だけでなく、妓生や歌い手と風流を楽しんだ。船遊びの様子を描いた絵がある。朝鮮後期の画家「金弘道」による、平壌の監察使が夜、船遊びする「月夜船遊図」だ。華やかで大きな船を中心に、幾艘も小船が浮かび、船遊びに興じる人びとの他に、川辺でそれを見物する者もいる。楽しい見ものだったようだ。

▼ 「新しい船遊び(신 뱃놀이)」の曲を聞く。楽器の掛け合いが楽しい、今様に。

次に、中国宋代の詩人蘇軾の「赤壁賦」を引用した女唱歌曲「壬戌の秋(임술지추)」について次のように紹介された。
・中国宋代の詩人「蘇軾」は、文賦「赤壁賦」で知られる。彼は、ちょうど秋の初め、島流しにあう。その地を知人が訪ねたところ、川に船を浮かべ、船遊びすることになった。<清風穏やかに吹き、穏やかな川>で、<酒を挙げてすすめ、歌を楽しむ>内容で風雅な気がする。「赤壁賦」を引用した、女唱歌曲「壬戌(じんじゅつ)の秋」がある。<蘇軾のように風流を楽しむ友がいないので、ただ一人で楽しむ>という内容だ。

▼ 「壬戌の秋」の歌を聴く。(20世紀初頭の短歌(パンソリ喉慣らし曲)か?)

最後に、「尹善道(윤선도、1587年~1671年)」が「甫吉島(보길도)」で作った「漁父四時詞(어부사시사)」について次のように紹介された。
・船遊びはいかに楽しくても、毎日出かけるものでない。たまのイベントに満足できぬ人もいる。学者ソンビに、漁師になろうとする者がいた。川辺や海辺で生活しながら、暇に釣りをして素朴に生きる。島流しを繰り返した「尹善道」は、老後官職を捨て、南の「甫吉島」で暮らした。そのとき作ったのが、漁師の春夏秋冬を歌った「漁父四時詞」だ。
・春について、引き潮の後に満ち潮、春にふさわしい花の様子、漁師の暮らしだけでなく、季節の変化も楽しめる。

▼ 「漁父四時詞」の春、<小川の朝霧の後に日が昇ると、船を浮かばせる>にリズムをつけた同名曲を聴く。今様に。

2017年9月12日火曜日

イ・ソンヒのカバー「少女と街灯り」

両親の問題で離ればなれになっていた、兄(チャン・ヒョン)と妹(チャン・ドク)は、再会して仲のいいデュエットを結成する(1974年)。その後しばらくして、舌癌に倒れた兄の看病に疲れた妹は痛ましい最後を遂げる(1990年)。兄もそれを追うように、半年後に亡くなる。

チャン・ドクは、未遂とはいえ、それまでに何度かその傾向があったようだ。

(本ブログ関連:”チャン・ドク”)

そんな話しを少し聞き知って、チャン・ドクが中学2年生のとき作詞・作曲した「少女と街灯り(소녀와 가로등)」(1977年)を聞けば、< 悲しみに疲れて、星ひとつない夜空を眺める > 憂いの深い少女が浮かんでくる。

次は、イ・ソンヒのカバーである。イ・ソンヒにもあった悲しいできごとが聞こえてくるような気がする。


(Youtubeに登録の님의침묵に感謝)

2017年9月11日月曜日

イ・ソンヒ 9/27 シドニーオペラハウス コンサート

イ・ソンヒは、今年(2017年)の海外公演として、5/20のロスアンゼルスに続き、今月9/27、シドニー オペラハウス コンサートホールにて、コンサート ”The Great” を開催する。

(本ブログ関連:”シドニー”)

シドニー現地マネジメント会社、JKEntertainmenのサイトに、同コンサート紹介とチケット申込画面がある。

★ コンサート案内:  https://www.leesunheejk.com/

2017年9月10日日曜日

(寓話)熊撃ち名人

こんな寓話を考えた。決してマスコミ世界を暗喩しているつもりはない。
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あるところに熊撃ちの名人Bがいた。彼は、熊の習性とその獣(けもの)道をよく知り、待ち伏せしては数多く仕留めていた。それでも欲が止まず、猟場を共にする猟師仲間Sをライバル視するようになった。

あるとき、猟師Sの後をそっとつけた。Sが、数日後に狩りをする場所を下見するのを知っていたからだ。出し抜くチャンスと思った。だが、Sはとっくに気付いていた。そうとも知らず、猟師Bは盗み見を繰り返した。

あるとき、猟師Sから、仲間の前で卑怯な振る舞いをしたことを白日にさらされた。名人を自称する猟師Bはたまらず、猟場はみなのものといって否定して白を切った。

猟師Bは、山を降りて、日頃くちうるさい麓の村人たちの騒ぎを好機と加わり、まるで村の衆になったように行動した。そして、身を潜めて時を待った。

村の騒ぎが治まったころ、猟師Bは新しい猟銃を手に、ひそかに山に戻った。そして、誰もが知る大きな人喰い熊を撃ち倒すのに成功した。猟師仲間も村人たちもみな喝采した。久し振りに、猟師Bは酔った。彼は、まさに、その機を見計らったように、猟師Sに卑怯な振る舞いをしたことを人陰で謝罪した。
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2017年9月9日土曜日

桐生祥秀選手、100m 9.98秒

テレビでニュース速報が流れたほどのこと。日本陸上男子100mが、いよいよ9秒台に突入した。今年の「世界陸上」100m代表選落ちした、桐生祥秀(よしひで)選手が、まさに挽回するかのように、日本人選手として初の9秒台を記録したのだ。

時事通信の記事「桐生、9秒98の快挙=日本勢初、10秒の壁突破-陸上100メートル」(9/9)は次のように報じている。(抜粋)
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福井市の福井運動公園陸上競技場で9日行われた陸上競技の日本学生対校選手権男子100メートル決勝で、桐生祥秀(21)=東洋大=が日本選手で初めて10秒の壁を破る9秒98(追い風1.8メートル)の日本新記録を樹立した。
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走るという、誰もがやったこと。だから、その凄さは誰でも分かるはずなのに、余りな超人的記録ゆえ、再び靄がかかってくる。身近に見ることのない世界、強靭なアスリートの闘いだからだ。

これから日本男子100mは、9秒台を競うことになる。こんなときが来るなんて。21歳の若者はそれを成し遂げた。元気をいただいたよ、本当にありがとう。凄い、凄すぎる。


(Youtubeに登録のEKIDEN NEWSに感謝)

2017年9月8日金曜日

今年も残り1/4

毎度のことながら節目ふしめに、一年の経過を「リンゴ」の実の食べ具合に例えている。9月に入れば今年も残り1/4、あと4ヶ月しかない。3/4も食ってしまったことになる。それにしても、秋になったばかりというに、新聞広告には、正月の「おせち料理」の予約広告が掲載され、店には来年の「カレンダー」が並び始めた。

(本ブログ関連:”リンゴ”)

書店に、年賀状印刷のムック誌が平積みされるのも遠くない。その前には、なぜか若者が好きな「ハロウィン」、子どもたちに待ち遠しい「クリスマス」があるというに。そして、渾然一体となって年末を迎え、元旦には、神社に初詣に行く。

ところでリンゴについて、戦後、再生と復興を願った、並木路子、霧島昇の「リンゴの唱」(作詞サトウハチロー、作曲万城目正、1946年1月)がある。リンゴは癒しであり、ある意味出発点でもある。


(Youtubeに登録のuchukyoku1に感謝)

さて、今日のテレビの重大ニュースに、「太陽フレア」の話題があげられた。週刊誌の大スクープとでもいうべき、もっと世俗な関心ごとがあったけれど、その順位を下げるためか「磁気嵐」の方に焦点が当てられた。結局、東京でオーロラが見れるわけじゃなし、その場限りになりそうなものを。

2017年9月7日木曜日

白露 2017

きょうは二十四節気の「白露」。旧暦、新暦の入り混じりから起る混乱だろうか、残暑のせいか夏の気配も冷めやらず。白露から《露が生じるころ》の意が馴染めない。なにしろ今日は、旧暦でいえばまだ7月17日なのだから。

(本ブログ関連:”白露”)

「白露」の言葉から「白露西亜(ベラルーシ)」が浮かんでくる。しかし、ベラルーシの国について茫(ぼう)としてよく知らない。地理的に東西南北を、ロシア、ポーランド、ウクライナ、バルト三国(のラトヴィア、エストニア)に囲まれていること、国境線間近にあるウクライナ側「チェルノブイリ」の原子力発電所事故による被災国だったということくらいだ。

(本ブログ関連:”ベラルーシ”、”ウクライナ”)

どんな国なのか知るため、まずは手軽に、ベラルーシで開催されたと思われる「日本語スピーチコンテスト」のYoutube映像を視聴した。発表者が日本語で語るのを聞いて、なんとなく身近に感じてみよう。それが一番の近道。

(それにしても日本語が大変上手ですね)

(Youtubeに登録のベラルーシ国立大学日本語科・古澤晃講師に感謝)

(付記)
上記登録者の古澤晃氏は、ベラルーシ在住だからこそ語れる言葉があって、被災地を知るため現地を視察した「善意の観察者」日本人たちと、「見られる側の被災者」との微妙な関係を報告されているようだ。
日本では、公害被害者への補償に対する周辺住民の見方・とらえ方、また、反公害運動に加わった結果、現地に土着した学生たち。「善意の観察者」たちの言葉とは違った、いろいろなものの見方があることを忘れてはならない。

2017年9月6日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」初数大葉

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(8/30)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、「初数大葉」ほか関連する曲を紹介した。(Web音源が前々回のため、英語版放送の音楽を参考にする)

始めに、「伽倻琴(カヤグム、가야금)」作成の祖、伽耶の「于勒(ウルク、우륵)」について次のように紹介された。
・6世紀半ば、古代国家伽耶の「于勒」は、中国の箏を模した「伽倻琴」を初めて作り演奏した。彼は、伽耶が新羅に滅亡されると、伽倻琴と共に新羅に亡命する。新羅王真興は彼を受け入れ、若者たちを彼の弟子にしたが、彼らは于勒の音楽を改編し自分好みに奏でた。伽耶の文化を台無しにされたと感じたのか、于勒は怒ったが、弟子たちの演奏に感嘆したともいう。
・残された記録から、于勒や弟子らの音楽を想像するのは難しい。滅びた国の音楽を継承させるために弟子たちを育てたのか、或いは弟子たちの音楽が素晴らしかったのか。楽しくも楽し過ぎず、悲しくも悲し過ぎぬ音楽。感情を刺激するより、安定的な音楽を好んだ。

▼ 伽倻琴演奏で、伝統正楽曲「数大葉(수대엽)」の最初の「初(초)数大葉」を聴く。空気に溶け込むよう。

次に、世宗大王が直接作曲したといわれる「宗廟祭礼楽(종묘제례악)」について次のように紹介された。
・朝鮮時代、世宗大王の作曲といわれる「宗廟祭礼楽」がある。最初は、王室の宴で奏でたという。それを息子の世祖が手を加え、祭祀を捧げるときの音楽として演奏し始め、今日にいたる。平和な世を願う気持ちが込められている。

▼ <ゆっくりと雄々しく優雅なテンポとリズム>の「宗廟祭礼楽」を聴く。雅楽を思わせる雅さ。

最後に、貴族音楽とは別に、民の音楽について次のように紹介された。
・伝統音楽は、貴族音楽と民の音楽に二分される。上記の2曲の節制した貴族音楽に対して、民の音楽は感情の変化に満ちる。民は、心と体が反応する、感情を刺激する音楽に惹かれただろう。貴族と民の両方、それぞれの目的に合った音楽だった。

▼ 民俗音楽を代表する、横笛の大笒(대금)による「元長賢(원장현)流、大笒散調(산조)」を聴く。洗練されている。

2017年9月5日火曜日

待宵草

マツヨイグサ待宵草)」は、初夏から晩秋にかけて黄色い花を咲かす。その仲間に白い花弁の「ツキミソウ月見草)」がある。いずれも名前だけは、しっかり頭にあるものの、実際、いつ何処で見たかはっきりしない・・・けれど、見たような気分だけは確かにある。

この「待宵草」の文字を並べ替えて作られた、竹久夢二作詞、多忠亮作曲の「宵待草」(1917年、大正6年)は、微風に揺れ動く待宵草のイメージの通り、儚(はかな)げである。旋律からして、いかにも大正浪漫の香りする。夢二の周りの女性を写真で見れば、彼の挿絵に似た雰囲気がある。当時、美人にあげられた柳原白蓮のごとく、実はもっと奔放な女性たちだったのかもしれない。単に、夢二がだらしなかっただけかもしれないが。時代は斯様に作られる。

(本ブログ関連:”竹久夢二”)

元は、或る女性との再会を期待した夢二の原詩があってのことだそうだが、歌曲になれば、夢二式美人に似つかわしい、いかにも消え入りそうで華奢な女性が、月明かりのない夜を待ち続けるイメージする。

ちなみに、端唄の「秋の夜」は、丸い月明かりのもとで男を待つ女性が浮かんでくる。端唄という江戸の気風を漂わせ、どこかおおらかで、のんびり構えた世界。(「秋の夜」のYoutube登録者の注記によれば、また違った場面が想起されるが)


(Youtubeに登録のakiraplastic5、ototatchinuru18に感謝)

2017年9月4日月曜日

ヤン・スギョン「イ・ソンヒが曲を書いている」

以前、耳にしたことのあるメロディ、聞けば思い出すが、さていつ何処で? そんな歌に、ヤン・スギョン(양수경)のトロット風味のある「あなたはどこにいるの(당신은 어디 있나요)」(1990年)がある。ヤン・スギョンとイ・ソンヒの深い友情については、以前ブログに紹介している。ちなみに、ヤン・スギョンはイ・ソンヒより一つ歳下で、1965年生まれである。

(本ブログ関連:”ヤン・スギョン”)

その彼女が、3日午後放送のMBC「セクションTV芸能通信」で次のように語ったと、中都日報の記事「『セクションTV』 ヤン・スギョン、これからの活動計画は? ”イ・ソンヒが曲を書いている” 」(9/4)は伝えている。(抜粋)

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ヤン・スギョンは、イ・ソンヒと親しいあいだがら。これについて彼女は、「イ・ソンヒは、最も苦しかった時、何も言わずに『通帳番号、知らせて』と語る友」と話した。それと共に「ソンヒが私の曲を書いている。イ・ソンヒの曲で、そのうちにご挨拶するだろう」と表明した。
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来る8~10日に、ヤン・スギョンのコンサートがあるという。そのとき、イ・ソンヒの作った曲が聞けるかもしれない。

2017年9月3日日曜日

(雑談)雑誌を分冊すること

昔、「週刊少年マガジン」や「週刊少年サンデー」といった週刊少年漫画雑誌が華やかなころ、連載漫画ごとに雑誌をバラして合冊するという、面白い工夫をする奴がいた。週刊誌の紙質と同じサイズのままもう一度読み返せるのがみそだ。それを、兄弟で楽しんでやっていたという。漫画雑誌は読み捨てのようなものだったが、好みの連載を合冊するアイデアに感心した。(私はいい読者じゃなかったので、そのようなチャレンジをしなかったが)

また、どこかで聞いたか読んだ話しだが、ある作家が旅の途中、(月刊)文芸誌を読むのに部厚過ぎるので分冊して、手軽にして読むという。なるほど、それもうなづける。

私も真似して、一通り読んだ雑誌(例えば月刊誌「文芸春秋」)をしばらく置いておくが、廃棄する前に手ごろの厚さにバラしている。それを家の中のあちこちに置いて、気が向いたら拾い読みする。

面白いことに、ちょっと前の話題について、その時期らしく書いているが、やがて時間が経過して、今となってそれが果たして正確に世情を読みとっていたのか判定するという楽しみがある。じっくり書き込んでいるもの、散文程度の流し書きも含めてどうであれ、寄稿者の感度が分かるようで、皮肉な読者の目を養ってくれる。


(付記)
鉱物採集をしばらく休んでいる。久し振りに石仲間と会食しようと選んだ、おじさんにぴったりの、カレー屋も喫茶店も日曜休店とは・・・。

2017年9月2日土曜日

狐にだまされる

随分と涼しい一日、半袖から長袖に変えて過ごした。こうなると冷蔵庫の麦茶を忘れ、熱い緑茶を飲んでほっとする。この変わり身の早さ、自然さに驚く。

それでも、はた目に今までと違った動作をしているわけだが、自分は変わっていないと主張する。ついには苦しまぎれに「狐にだまされた」といいわけするしかないのか、本当にそう思っているのか。

山暮らしの長い猟師でさえ、猟場の道筋を間違えることがあるという。しばらく振りに入った山道で行方不明となり、ようやく戻ってくれば「狐にだまされた」ことで結着する。回りがそういい、本人もやがてそう思い込む。みな納得する。

(本ブログ関連:”山怪”、”黒部の山賊”)

山道で一休憩がいけなかったのか、一瞬のめまいか白昼夢か、意識が遠のいて目の前の光景がゆがみ、記憶とは別の道に誘い込まれる。自分は変わっちゃいないと歩き出し、そして道に迷う。

過信は、そうはいっても漠然としたものでしかない。景色が変わっているのに、思い込みにこだわるなら、「狐にだまされた」という結果を待つしかない。

2017年9月1日金曜日

イディッシュ語カセットテープ届きました

先日予約した、「イディッシュ語カセットテープ」が届いたと地元書店から連絡があった。携帯カセットプレイヤーを準備して出かけたのはいうまでもない。プレイヤーを手にするのは何年振りだろう。困ったことに乾電池が入ったままの状態。当然ながら化学変化していた。乾電池をこさぎ出し、新しいものに入れ替えたところ大丈夫だった。アナログ機器の凄さ、しっかり作動してくれたのだ。

書店で受け取ったカセットテープを、何処で聞こうかと思案する。図書館の学習室では、再生・停止ボタンの動作音がカチャ・カチャとうるさいだろうし・・・ということで、近所の公園にあるテラスで、風に涼みながら試し聞きした。(ヤブ蚊多く3ヶ所刺される)

男性の音声で、テキストの最初からしっかり対応して吹き込まれている。第1章以降の会話編は、速さが<ゆっくり>、<普通>の2種類が収められている。(贅沢いえば、会話を別々の声だと楽しいけれど)

音声を小出しに、リピートを繰り返しできるといいのだが。カセット音源をMP3プレーヤーで聞けるよう、変換できたらいいのだが。そんなデバイスもあるようだ・・・でも、昔はカセットに入魂集中して聞いたものだ。そう考えると、じっくり聞くことから始めようかと思う。

(付記)
今日は、「防災の日」、1923年(大正12年)9月1日に発生した「関東大震災」の日でもある。あまりにも有名な「天災は忘れた頃にやってくる」の言葉をあらためてかみしめる。

二百十日 2017

子どものころ、台風の記憶といえば、親父が雨戸を釘で打ちつけて待ち受けたこと、伊勢湾台風を経験した転校生に被害をたずねるのを小学生ながらはばかれたこと。大人になって、居住地域のせいもあるが、最近思ったほどでないと楽観している。

温暖化の影響か台風の進路が一回転したり、強風になったりして様変わりした感がある。迷走というか、うろうろというか。「二百十日」と重なり台風時期とはいえ、その様態が微妙に変化しているのが気になる。

(本ブログ関連:”二百十日”)

台風15号は、いつまで小笠原諸島、父島周辺に居座るのだろうか。早く去れといいたいし、同時にこちらに近寄っても欲しくない。「ウェザーニュース」(8/31)によれば、「8月の台風存在日数は歴代2位を記録」しており、「9月前半は台風の発生ピーク」で注意すべきとのこと。

この一帯、真っ直ぐな道が続き、平らな場所と思っていたが、市の「浸水予想区域図」を見ると意外に凹凸があるのに気付く。

2017年8月31日木曜日

イ・ソンヒ「この雨やんだら」

雨の日だから、久し振りにイ・ソンヒの7集所収の「この雨やんだら(이 비 그치면)」(1991年、作詞/作曲ソン・シヒョン)を聴く。彼女らしい透明感あふれる美しい曲だ。それを編曲者は高音弦とガラス楽器だろうかを見事に駆使して飾っている。
(CDアルバムには編曲者名が不明だが、maniadbにクレジットがあって編曲者3名が記されている・・・どなたか)

今日のこの雨模様、いつ降り始めるのか、いつまで続くのか気掛かり。おじさんは雨を口実にするが、若い恋人たちにはそれが舞台。まったく違って見えるんだね。夏休みもそろそろ終わり。

(本ブログ関連:”この雨やんだら”)


この雨やんだら、あなたに行きますよ、
あなたよ少しだけ、待っててください

霧が晴れたら、私は見えるのよ、
あなたよ少しだけ、とどまってください

*濡れた顔であなたを見られません、
こんなに悲しい顔では、なおさら

この雨がやめば、その美しい陽射しが、私にも光を与えるよ、
その時は、私も笑えて、私の涙も止まるよ

(*以下、繰り返し)


(Youtubeに登録のlys2187に感謝)

2017年8月30日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」桐

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(8/23)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、「桐の木」に関連する曲を紹介した。

始めに、「男唱歌曲、言楽(남창가곡 언락)」の歌詞から学者ソンビと鳳凰について次のように紹介された。
・「男唱歌曲、言楽」に、恋人を待つ学者ソンビが登場する。<紗張の窓から、月明が満ちる庭に影が映つるのを見て、きたかと飛び出せば、鳳凰が梧桐(アオギリ)の枝に座っていた。夜が幸い、昼であれば笑いものになったろう>という歌詞。昔のソンビは、部屋近くに梧桐をよく植えた。太平を意味する鳳凰は、唯一竹の実を食べ、梧桐にだけ留まる。鳳凰が休むよう、太平を祈る気持ちを梧桐に込めている。

▼ <鳳凰の影に慌てるソンビの姿を想像して>、「男唱歌曲、言楽」を聴く。のんびりとして・・・。

次に、歌「バンムルカ(小間物歌、방물가)」のゆわれと桐について次のように紹介された。
・桐の葉は大きい。夏に日陰を作り、雨に濡れる音が大きい。普段、涼しい音だが、落着かぬ夜に寝そびれることもあるだろう。昔、息子を産めば松を植え、娘のときは桐を植えた。松の木は、子が亡くなる時に棺を作り、桐の木は、娘が嫁に行くときに家具を作った。桐は木目が美しく、軽く、湿気や火に強い良材だ。「バンムルカ」の曲がある。「バンムル」は、女性の部屋の家具や飾り物の意で、別れを告げた男が女性に、あらゆる豪華なものを買うとなだめるが・・・。家具や飾り物、桐製と思われる品などたくさん登場する。

▼ 京畿雜歌「バンムルカ」の歌を聴く。(物で心が納まるわけもなく・・・)

最後に、詩才があった妓生の「梅窓(매창)」と玄琴(コムンゴ、거문고)について次のように紹介された。
・桐は、よく響く特徴もあり、楽器の材料として使われた。撥弦楽器の伽耶琴(カヤグム、가야금)は、丸太の中身を削って作り、弦楽器の玄琴という琴は、裏側は栗、表は桐材で作る。中身を空けて音を反射させ響かす。妓生の梅窓は、詩才があり、普段玄琴をよく奏した。恋人の官吏が村を去ると、彼のために立てられた石碑の前で毎日玄琴を奏でた。そして、亡くなるとき、玄琴と一緒に埋葬して欲しいと遺言した。

▼ 「玄琴を奏でて(거문고를 타면서)」を聴く。奏法は今様に・・・。

2017年8月29日火曜日

ロバート・レッドフォード

昔、テレビ番組に「裸の町(The naked city)」*があった。渋い老練の刑事と彼に従う若い刑事が、ニューヨークの町で起る事件と取り組むストーリーだ。アクションというより、事件の深部に目を向け、犯罪に追い込まれていく人びとの姿をとらえたように記憶する。(* 「裸の町」: 日本語放送について【海外ドラマ番組ガイド☆テレプレイ】に解説あり、感謝)

(本ブログ関連:”裸の町”)

今も強烈に焼きついている回に、「ホームレスのための墓碑(Tombstone for a Derelict)」(米:1961年4月5日)がある。ホームレスを襲撃する、4人の若者たちが身にまとったのは、放送の16年前まで存在した狂気のサインだった。

子どもの目に、戦後がまだ終わり切れてなかった当時、ニューヨークの下町の荒れた界隈で、なぜホームレスを襲うのか、なぜ狂気のサインが必要だったのか、彼らが世に訴えようとしたのが一体何だったのか理解できなかった。彼らが凶行に走った心の闇は深かったのだろう。わずかな記憶でしか語れないが。

今回、このストーリーをネットで確認して驚いた。仲間のひとりを演じたのが、何と若き日の「ロバート・レッドフォード(Robert Redford)」だった。今なら役柄に躊躇するかもしれない。それが56年前の放送のこと、戦勝国の自信がまだ残ったことでテレビ番組ができたのか、あるいは、戦後も続いたいくつかの戦争(朝鮮戦争、アラブ・イスラエル戦争)も含めて残した傷を洞察したからだろうか。

No Ep Title                                  Directed by        Written by              Original air date
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60 21 "Tombstone for a Derelict" Elliot Silverstein Howard Ehrenman April 5, 1961
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Guest stars: Robert Redford as Baldwin Larne, ・・・
Four young men murder derelicts and don Nazi uniforms to "make a statement" about society.
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(Youtubeに登録のgmt3010に感謝)

2017年8月28日月曜日

(雑談)スッテンころりん

どうもこの世は、ままならぬ。といっても、大げさなことではない。小市民の恥ずかしいできごと。調剤薬局へ行く途中、自転車を転ばせてしまったのだ。久し振りにサドルを上げたのがいけなかった。ある裏路地の斜面で、Uターンしようとしたところ、足先が届かずスッテンころりん。したたか右膝(ひざ)と右肘(ひじ)を強打して擦りむいた。

調剤薬局*で、肘の擦り傷のため<大判>のバンドエイドを求めたが、「アンパンマン」パッケージしかなかった。思いっきり可愛らしいアンパンマンの絵柄付きだ。窮余の策、かまわず貼り付けたが、やはり人目が気になる。おじさんの肘に貼っているものが、まさかバンドエイドに見えないのではないかと・・・。
(* 調剤薬局 : ドラッグストアと違い、市販薬・関連商品の品揃えは十分でない)

帰宅して、膝も見ればけっこうな擦り傷。さっそく、肘と膝の両方を消毒し、以前購入してあった大人用バンドエイドで傷口を押さえる。とりあえずケガ人らしい出で立ちになる。

原因は、自転車のサドルを上げ過ぎたこと。危険だから下げろと、息子に散々注意されていた。それを守って何年振りか、ちょいと上げた途端こんな不様なことに。頭を強打しなくて本当に運が良かった、驚いている。