▼▼ 青字下線付語句のリンク先は、マウス右クリック+<新しいタブ>で進んでください。(本ブログ関連)の最下段に「次の投稿ホーム」があるとき次ページがあります。▼▼

2015年10月28日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 祝福(祭祀)

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(10/21)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、<祝福>(祭祀)にかかわる3曲を紹介した。

始めに、旧暦10月の儀式と、崔南善최남선)の著「朝鮮常識問答(조선상식문답)」について次のよう紹介された。
・旧暦10月を、一年で最も優れた上の月の意で「上月(상 달)」と言う。今年の旧暦は、一年13ヶ月で閏月がある。今、旧暦9月だが、いつもなら10月が始まる頃。新年を迎える正月でもないのに、10月をなぜ上月と言うのか、崔南善(1890年4月26日~1957年10月10日)の著「朝鮮常識問答」に記載がある。この時期、一年の農作業が終わり、新しい穀物や果物を収穫したことを、天と先祖に感謝の儀式を捧げる。10月は神と人間が共に楽しむ月、最も良い月とされた。高句麗の儀式「東盟(동맹)」や半島南部の部族馬韓の祭天儀式も全て10月に行われた。

▼ 「パン」=ある場面、「ノリ」=遊びの意による、演奏「パンノリ(판노리)」を聴く。賑やかな味付けした今様である。

次に、民間レベルでの村祭り「洞祭(동제)」や、家ごとの祭祀「告祀(고사)」の風習について次のように紹介された。
・朝鮮時代、収穫の秋に国家レベルの祭天儀式はなかったが、民間レベルで「洞祭」と呼ぶ村祭りがあった。これ以外に、家ごとに「告祀」と呼ぶ祭祀があり、面白い風習もあった。告祀を行った夜中、子供たちが温かい小豆をのせた餅「蒸し餅(시루떡)」を籠に入れ家々を訪ねた。餅の種類も多種多様で、そば粉やもち米で作った餅、かぼちゃを入れた餅もあり、食べ比べる楽しみもあった。告祀の祭祀は、先祖に捧げる「祭祀(제사)」や、巫女の巫堂(무당)が捧げる「クッ(굿)」の祭祀と少し違う。告祀はその他の神々に捧げるものだ。また、クッと目的が似ているが規模が違う。クッは、巫堂が演奏に合わせて大規模に歌い踊る。半面、告祀は家族単位で捧げ、時に経を唱える盲人や僧侶を招くこともあり、比較的こじんまりしたものだ。

▼ 告祀の祭祀で行なう、祝福を願う経の意の歌「祝願経(축원경)」を聴く。のりの良い四方めでたい曲。いつ頃の作品だろう。

最後に、告祀の祭祀で、家に関わる(八百万の神のような)神々について次のように紹介された。
・告祀の祭祀を行うとき、「祝願経」や、家庭の平安を祈る「安宅経(안택경)」などを唱える。また、様々な悪鬼を追い払う「罷経(파경)」のようなものもある。神にはそれぞれレベルがあり、待遇の仕方が少し違った。家の敷地を守る土主神(터주신)、家の守護神(성주신)があり、主に台所を守る神(조왕신)には、供え物と共に礼をする。また、庭を意味する庭神(마당신)、門を守る門神(문신)、お手洗いを守る神(측신)は、場所ごとに留まり、不運が入らぬように守る神だ。これらの神には礼をせず、ただ供え物を用意した。告祀の祭祀は、家を守るため、家を持たぬ人はできなかった。

▼ バラジ=若い8人による「バラジ(바라지)の祝願」の演奏を聴く。珍島をオリジナルにした響きだそうだ。今様な洗練した音色だ。

2015年10月27日火曜日

月がとっても青いから

今晩、帰り道がとても明るかった。たなびく雲はくっきりと白く、天頂の満月は雲間から煌々と照らす。星の瞬きのない紺青色の更にその奥は深い。

月明かりに、高揚するのはなぜだろうか。青い光に照らされて、風を受けた帆のように気分がはためく。清清しくそよぐ風。空は大きく広がり、月明かりが充満するようだ。

そんな気分に浸っていると、おじさんに浮かんできたのは、昔の歌謡曲。曲調から、まるで戦前の歌のようだが、気分は戦後だ。菅原都々子(すがわらつづこ、1927年8月5日~)の歌「月がとっても青いから」(1955年、作詞清水みのる、作曲陸奥明)だ。

時代が鷹揚だったとはいえないけれど、古い調子に、新しい二人連れが公然と味付けしている。不安と確信が揺り戻る当時の青春だ。すれ違いはしたくないといった心意気だろうか。子どもの私には、わけもわからず、なんとも古めかしく聞こえたけれど。

(Youtubeに登録のBEGA1947に感謝)

2015年10月26日月曜日

(雑談)ハロウィン

今月末(31日)に、毎年賑やかになってきた「ハロウィン」行事がある。ハロウィンについては、SFファンタジー小説の世界で知ったのが最初だ。それが、こんなに普及するとは想像しなかった。

(本ブログ関連:”ハロウィン”)

ここ数年、人通りの多い街角で、魔法使い・魔女、精霊・妖精、吸血鬼、お姫様などの衣装を着た(着せられた)子どもたちの姿を目にする。それも、集団ではしゃぎ、若い母親が周りを囲んで写真を撮る。子どもたちは、少々戸惑いがあるようで、辺りをぐるぐる走り回る。よく見れば、父親の影がない。どこか照れが漂っているように見える。

この行事について、おもしろい記事がある。京都新聞の「ハロウィーン、実は欧州では低調 『日本人はまだまだ』」(10/25)によると、(英米中心で)ヨーロッパ本土では関心が乏しいようだ。日本で、ディズニーランドから火がついたというのも分かる気がする。ムードとして、若い女性が先を走り、若い男が後を追うという構図が主流かもしれない。

商業的な感のする風景に少々違和感があったが、子どもたちの光景を目にするようになると、彼らが楽しければ良いのではないかと思うようになった。だから、行き場の定まらぬ行事に終わるのでなく、しっかり土地(子どもたちの地元)に根付くようになればと願う。

家庭で楽しむように定着した、「クリスマス」行事の例もあるのだから。

2015年10月25日日曜日

万珠鉱山、富井鉱山

昨日、本ブログに記したように、栃木県の万珠(まんじゅ)鉱山へ鉱物採集に出かけた。

昨夜来の寒風が収まらぬ夜明け前、 始発電車にのる。考えてみれば冬のようなもの。乗り換え電車の酔客は、ヒーターが入ってないか座席下に手をかざし確認する。往路の途中ようやく東の空に明かりがさしてきた。待ち合わせ駅で、H氏の車に同乗させていただき、採集地へ向かう。

【万珠鉱山】
当初の目的地だった万珠鉱山については、ネットの随所に産地情報が掲載されている。情報を参考に山林と沢・泥道を進むも、最終地点にあるべき坑口が見つけらない。辺りを探しても、紫水晶の気配も全くない。表面採集に徹しているため、ほうほうの体で撤退する。(同行のH氏によれば、以前来たときと、ネット情報の道筋が違うという・・・)

・採集鉱物 : 水晶(微小群晶)、緑水晶、玉髄、赤鉄鉱


【富井鉱山】
万珠鉱山の惨敗を挽回すべく、富井鉱山へ移動。採集開始前、駐車中で昼食していたとき、同好の士に出会う。後で、貴重な標本をいただくことになる。
さて、採集の方ははかどらない。陽が傾くと、寒風が気になる。帰り仕度をしていたとき、同好の士と石談義を咲かせる。鉱物趣味の或る会を案内する。

・採集鉱物 : 閃亜鉛鉱、黄鉄鉱、赤鉄鉱、白鉄鉱、石英(紫色、紫水晶の破片?)


今日は風があり、簡易ヤッケで防寒するも、着れば着たで汗をかく、少々やっかいであった。それより、「紫水晶」は何処。

(本ブログ関連:”紫水晶”)

(追記)
北風の強さに身を屈めたが、気象庁の発表で、都心に「木枯らし1号」が吹いた。

2015年10月24日土曜日

霜降2015

今日は、二十四節気の「霜降(そうこう)」だ。文字面から連想して、牛の霜降り肉で「すき焼き」でもと思ったが・・・まっ、ハンバーグの載ったカレーライスと安上がりにした。

霜が降る「霜降」と関係ないけれど、先日のテレビに怪元気なスポーツおじさんが登場して、筋肉を連呼していた。そんなわけで、私も最近、肉を意識した食事にしているが、適切な運動を伴わなければ健康も増進しない。

ところで、午前中、近隣の駅ビルにある有名書店に、ラジオ講座のテキストを気分転換ついでに求めに行った。大きな書店にもかかわらず売り切れだった。他に駅前の小さな書店も同様だった。のんびり時を過ごして地元駅に帰って、駅のかたわらにある書店に行けば、何と置いてあるではないか。遠出の必要がなかった次第。

(付記)
明日は、少し遠出の予定。栃木県塩谷郡塩谷町にある、万珠(まんじゅ)鉱山へ鉱物採集に行く。元は金山だったそうだが、現在は紫水晶で有名だ。けれど、ネットで見る限り、余り芳しくない。けれど、期待と欲望は大きい。

以前、富井鉱山で会った元鉱山関係者から偶然入手した紫水晶(上品で優美な藤紫色)が忘れられないのだろうか、お誘いいただいたH氏は紫水晶を求めて産地を巡っているよう。

(本ブログ関連:”富井鉱山”)

2015年10月23日金曜日

(資料) 岡本綺堂「中国怪奇小説集-樹を伐る狐」

狐について話を探している。これまで、狐と人の積極的な結びつきを見てきた。習俗のなかに共生する関係だ。宗教的であったり、民俗行事である。ある意味、精神的な領域に展開される。

(本ブログ関連:””)

狐と人の関係が奇伝となると、それだけで済まない。狐に化かされるおかしさを超えて、逆襲の凄味もある。岡本綺堂の「中国怪奇小説集」にある「樹を伐る狐」(青空文庫)の次の一文は、調子にのった狐が、樹上すなわち上位の知恵から蹴散らされる話しだ。

一気呵成もよいが、単純に繰り返しては足をすくわれる。見透かされ一網打尽となる。

├-----------------------------------------------------------
・鄭(てい)村の鉄李(てつり)という男は狐を捕るのを商売にしていた。大定の末年のある夜、かれは一羽の鴿(はと)を餌として、古い墓の下に網を張り、自分はかたわらの大樹の上に攀じ登ってうかがっていると、夜の二更(にこう、午後九時~十一時)とおぼしき頃に、狐の群れがここへ集まって来た。かれらは人のような声をなして、樹の上の鉄を罵った。

・「鉄の野郎め、貴様は鴿一羽を餌にして、おれたちを釣り寄せるつもりか。貴様の親子はなんという奴らだ。まじめな百姓わざも出来ないで、明けても暮れても殺生ばかりしていやあがる。おれたちの六親眷族はみんな貴様たちの手にかかって死んだのだ。しかし今夜こそは貴様の天命も尽きたぞ。さあ、その樹の上から降りて来い。降りて来ないと、その樹を挽き倒すぞ」

・なにを言やあがると、鉄も最初は多寡をくくっていたが、狐らはほんとうに樹を伐るつもりであるらしく、のこぎりで幹を伐るような音がきこえはじめた。そうして、釜の火を焚け、油を沸かせと罵り合う声もきこえた。かれらは鉄をひきおとして油煎りにする計画であることが判ったので、彼も俄かに怖ろしくなったが、今更どうすることも出来ない。

・「ともかくも樹にしっかりとかじり付いているよりほかはない。万一この樹が倒されたら、腰につけている斧で手当り次第に叩っ斬ってやろう」と、彼は度胸を据えていた。

・幸いに何事もないうちに夜が明けかかったので、狐らはみな立ち去った。鉄もほっとして樹を降りると、幹にはのこぎりの痕らしいものも見えなかった。ただそこらに牛の肋骨あばらぼねが五、六枚落ちているのを見ると、かれらはこの骨をもってのこぎりの音を聞かせたらしい。

・「畜生め。おれを化かして嚇かしゃあがったな。今にみろ」

・かれは爆発薬を竹に巻き、別に火を入れた罐を用意して、今夜も同じところへ行くと、やはり二更に近づいた頃に、狐の群れが又あつまって来て樹の上にいる彼を罵った。それを黙って聴きながら、鉄は爆薬に火を移して投げ付けると、凄まじい爆音と共に火薬が破裂したので、狐らはおどろいて逃げ散るはずみに、我から網にかかるものが多かった。鉄は斧をもって片端から撲なぐり殺した。
-----------------------------------------------------------┤

2015年10月22日木曜日

イ・ソンヒ「分かりたいです」

久し振りに風を感じた。といって、風音が轟くほどではない。街路樹の小枝が揺れて、思わずひんやり身にしみるといったところだ。

この時期になると、日めくりカレンダーが日ごと剥がすたび、薄くなってゆらゆら揺れる始末。一年もあっけなく終いに入ろうとしている。舞う落ち葉のように、時間が随分軽くなった気がする。あとは駆け足だ。

そんな月明りの夜道、周りを見回して思わず口ずさむのが、イ・ソンヒの3集収録曲「分かりたいです(알고 싶어요)」(作詞ヤン・インジャ、作曲キム・ヒガプ、1986年)だ。いえいえ、おじさんは、おじさんの気分でハミングするだけです。

イ・ソンヒさんのコンサートは、来年あるかな、多分再来年には・・・。分かりたくもあり、知りたくもあり。

(本ブログ関連:”分かりたいです”)


月明りの夜、あなたは、誰を想いますか
夢路で、あなたは、何を見ますか

深い夜、一人醒めて、涙流しませんか
時に日記に、私のことも、記しませんか

私と逢って幸せでしたか、私の愛を信じますか
あなたを想えば、全て気掛かりです
               ____

一日中、私の想い、どれほど重ねますか
私本当に、あなたの、心に入りますか

雀のように、騒いでも、今でもかわいいですか
忙しいとき、電話しても、私の声嬉しいですか

私はとても綺麗ですか、心から私を愛してますか
本当に分かりたいです、話ししてください


(Youtubeに登録のhyunmi kimに感謝)

2015年10月21日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 秋の風景

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(10/14)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、<秋の風景>にかかわる3曲を紹介した。

始めに、映画「トンマッコルへようこそ(웰컴 투 동막골)」(2005年)を通して人の幸せについて次のように紹介された。
朝鮮戦争(1950年6月25日~1953年7月27日休戦)のただ中、トンマッコルという村を舞台にした映画「トンマッコルへようこそ」*がある。トンマッコルの人々と、南北の兵士および米兵を交えたストーリーだ。敵対する兵士たちが、村の人々と共に過ごす中、互いを理解しあうようになる。印象に残るシーンに、ある兵士が村長に、どうすれば村人をうまくまとめられるのか尋ねた。すると、村長はさっぱりと、「十分に食べさせれば良い」と答えた。単純ながら、その通りかも知れない。昔の人々は、国と民が平和で豊作になることを最も重視した。これこそが理想であった。収穫真っ盛りな秋の風景を見ると、心の中も豊かに満たされる。

(* カン・ヘジョンの役回りと演技がなければ、この映画が成立しなかったという意味で、主演というべきだろう)

▼ 豊かな歌の意の「豊登歌(풍등가)」を聴く。農業報国をおおらかに歌う。

次に、自然がもたらす豊穣への感謝と、「稲刈りの歌(벼베는소리)」について次のように説明された。
・「豊登歌」は、1930年代に崔貞植(최정식)が作った曲だ。それほど古い曲でないが、ソウル地域の民俗歌<雑歌(잡가)>で、国の平安と、農民の豊作を喜ぶ内容だ。雑歌で最も知られるものを12の雑歌に分類するが、ここには含まれない。田の歌や畑を耕す歌もある。特に、様々な種類の豆を蒔いて、豆の名をひとつひとつ親しげに呼び上げる。種蒔き、施肥、夏が過ぎて実る。努力しただけ実を結ぶ自然に頭が下がった。
・収穫した米を背中に背負って村まで運ぶときに歌った「稲刈りの歌」がある。

▼ 全羅北道沃溝(옥구)の「稲刈りの歌」を聴く。肥沃な土地に生まれた物語りを語るように、素朴な歌が始まる。

最後に、労働と報酬が調和する、のどかな場面を次のように紹介された。
・最近、一部を除いて機械で稲刈りする。中には、村人が集まり、直接田植と収穫をする、昔の農作を受け継ぎ試みる地域もある。重い米を運んで、体に良い馳走を食べたくなる、早く鶏を捕まえよう、という歌もある。雇われた者が主人に、鶏肉の馳走を求める。主人にしても、一年間食べられる米を収穫したので、鶏肉くらい馳走しても良いと思った。周りで見物する子供たちも、久々に鶏肉のスープを味わえる日だ。

▼ 演奏「野原で(들판에서)」を聴く。叙情的、田園風景を描く。今様である。

2015年10月20日火曜日

ヒョードルのリング曲

中学生の頃、時代の風潮だったのだろうか、いわゆる<うたごえ運動>が教室にまで浸透して、「ステンカラージンの歌」などロシア民謡を歌わされた。指導する者(教師)たちにとっては、使命感に心酔したのだろうが、白紙のまま受けとめる子どもたちにすれば、何とも距離感のつかめぬものだった。

だから、後に<うたごえ>とは無縁のかたちで知った、同じくステンカーラージンの名を持つ歌「(邦題)ステンカラージンの夢(Ой, то не вечер)」は新鮮だった。運命と直面し予期するという思惟的なこの歌には、歌う者、聴く者に預ける何かがあった。歌とはそういうものだと知った。

この歌をYoutubeで検索すると、いかに多くロシアで歌われているかが分かる。少し感傷的かもしれないが。

ところで、プロレスといえば、力道山豊登遠藤以来何も知らないが、わが子が一時期熱狂していたので、そばで見ていたとき、渋い仕事師といった印象を受けたのが、PRIDEのエメリヤーエンコ・ヒョードルだった。テレビで見る彼は、冷静にして沈着寡黙、相手をじわじわと仕留ていくといった雰囲気がした。リングテーマ曲が、「ステンカラージンの夢」というのは、何とも泣かせるではないか。

いったん、引退を発表したヒョードルは、今年の大晦日に復帰するという(東京スポーツ)。

(Youtubeに登録のIURII Buyanに感謝)

2015年10月19日月曜日

(資料)「稲荷信仰から見える江戸」

先日、NHKのテレビ番組「歴史秘話ヒストリア」で、「聖なるキツネと神秘の鳥居 ~伏見稲荷大社の不思議な世界~」をテーマにした回を視聴した。(京都の)伏見稲荷大社にある、赤い千本鳥居に始まりに、稲荷信仰について紹介された。

稲荷信仰は、農業、特に稲荷⇒稲⇒害獣であるネズミ退治につながるキツネを稲荷神の使いとするといわれる。それが、江戸時代に、大きく社数を増やし、民間・大衆の身近な信仰対象となった。番組では、当時、三越百貨店の前身である越後屋三井呉服店が三囲神社(みめぐりじんじゃ)を守護社と定めたことから、稲荷神社と商業の強い関係に触れている。

農業、商業以外にも、稲荷神社と関係深いものがある。江戸期に新田地帯だった地元にある、稲荷神社は疱瘡治癒の効用もあって、遠く川崎宿からも参詣があったという。また不思議なことに、近所のある道筋に、民家の軒先に稲荷の小さな祠が続けて点在するところがある。

(本ブログ関連:”稲荷”)

そこで、江戸時代に、なぜ稲荷神社が爆発的に広がったのか、病気(治癒)との関係はどうだったのか知りたいところ、ネットに次のような(「火事」と「疫病」に着目した)論文が掲載されているのを知った。

稲荷信仰から見える江戸」(湯浅徳子、指導教員 山室恭子)で、平成19年(2007年)度の修士論文のようだ。大名屋敷の稲荷、廓の中の稲荷、人足寄場の稲荷など、いろいろな階層に信仰されたこと。修験の祈祷と結びついたことなど、興味深い話がある。いかに庶民のよすがとなったかを教えてくれる。

資料として、「疫病」部分について抜粋させていただきます。感謝。
├-----------------------------------------------------------
出発点
なぜ江戸で稲荷がもてはやされ、流行り神となったのか

背景
・日本の民俗信仰のなかでも代表的な信仰のひとつが稲荷信仰である。稲荷はさまざまな神社仏閣の中でも群をぬいて数が多い。全国の神社総数が約 8 万社あるうち、およそ 3 万社が稲荷であるという。これに個人宅の屋敷稲荷まで加えると、おびただしい数となる。稲荷信仰は江戸時代のそれも江戸という都市で突如爆発的な隆盛を見せるという特異な特徴を有する。

目的
・そこで、本研究では稲荷信仰が隆盛するに至った理由を、江戸の都市災害である「火事」と「疫病」との関連に焦点を当て、稲荷信仰から見える江戸の一特性について明らかにしていく

まとめ
4.3 病気治癒と稲荷まとめ

・大名屋敷、廓、町中、塀の中という江戸の様々な場所にまつられる稲荷を見てきた。パターンごとに分類しつつ、具体例を検証していくことで、人々が病気治癒を期待し、真剣に信仰している様子が浮かび上がってきた。

・まず、稲荷には一般に開放されている「参詣できる稲荷」と、閉ざされた環境にある「私的な稲荷」があった。そして、私的な稲荷である大名屋敷の稲荷が「麻疹」に効験があるとされ、一般に開放された事例を確認した。それは、町人が大名屋敷という特権的空間に入ることで非日常的な荘厳さを体感し、利益を感じさせるものであった。また、大名が地方にもつ領地にあった稲荷を勧請していることから、遠路からきた稲荷ということで、ありがたみがあり、さらに切手を手に入れて平日に参詣することは他の町人と差別化をはかれ、より心願成就への期待が持てるものだった。つまり江戸の人々は信仰にプレミア感を求め、参詣のハードルが高いほど病気に効果があると信じたい心理があったのである。

 ・次に、廓の中にも稲荷が確認された江戸の男女構成比の不均等という地域的特性から、吉原や、岡場所が繁盛し、梅毒等の性病が猛威をふるうことになった。廓の中でも稲荷は求められ、遊女から信仰されたのである。また、梅毒に特化した瘡守稲荷も数多く存在した。そして梅毒が皮膚に瘡を発生させることから「疱瘡」につながり、疱瘡の患者の信仰も集めた

・大名屋敷や廓は江戸に特徴的な空間であり、そこでもまつられた稲荷は時に流行神となり信仰を集めた。そして、それらの稲荷に結びつく病気は難治なものが多かった。このような特徴的な空間にまつられた稲荷と、病気にまつわる流行神的稲荷出現の状況は、江戸人の病気治癒への強い思いが噴き出したかのような様相を呈していると言えよう。

・町中の稲荷は、人々が手軽に参詣できるため重宝されていた。ここに修験が居住する稲荷を確認した。奉行所から快く思われないのを承知で、追放された修験を神職に復帰させていた事例から、修験に信頼を寄せる町人の姿を見てとれた。修験の果たした役割は祈祷である。祈祷の病気治癒は江戸で広く受け入れられ、人々は祈祷で病苦を忍んだのである。

・最後に人足寄場という特殊な空間で稲荷を見た。「塀の中」で暮らす人足たちが稲荷を勧請することを強く望んだという事が確認された。寄場という病人が多い、劣悪な衛生環境で彼らが求めたのは、医師でも薬でもなく、ほかならぬ稲荷であった

・なすすべのない病気に対して人々ができることといえば仏に治癒を祈ることである。江戸は医師や薬も数多くあったが、当時の医療の未発達な部分とそれを補完する神仏の効験で、人々は病気と対峙してきたのだ。医療と宗教が切り離されるのは、病中の祈祷禁止等の法律が成立する明治に入ってからである。つまり江戸時代は病気治癒のための祈祷が熱心に行われた最後の時代だったのである。
-----------------------------------------------------------┤

2015年10月18日日曜日

イ・ソンヒ「バラ」

バラの季節だ。バラは、園芸として難しいようで、近所の民家に花壇を成しているのを見かけることはない。ときたま、垣根や柵に枝を延ばしているものもあるが、丁寧に手入れをしているようにはみえない。

昔、行ったことのある植物園のバラ園を見てしまうと、その圧巻に勝るものはない。教室へ行く途中、あるスクールと道路を挟んだ真向かいに、鉄網塀越し一面にバラが咲いている施設がある。明るい時間に通りかかるたび、一度は覗いてみたいと思っていた。ネットで調べて驚いた。何と、そこは墓地だった。バラに覆われて、外から一見、バラ園にしか思えなかった。

しかしながら、バラ、とりわけ赤いバラは情熱的だ。妖艶であり誘惑的である。バラの赤は、ときめく胸を流れる血潮であり、ほとばしる溶岩である。そして、女性の唇である。男は、心情をバラに託し、その香気に酔い、虜になる。

(本ブログ関連:”バラ(장미)”)

あなたにバラを渡す
その赤い香気、あなたに伝える
私を忘れて眠る夜に
あなたの部屋いっぱいに、バラの花の香気が広がるまで

私たちの愛で生きよう
短い生涯を、夢見るようにしよう
二度と来ないこの瞬間に
愛する時間は、あまりあるではないか

一瞬としても、およばぬとしても
その喜びにひたってみるべきでないか
生きてみて、胸がときめく
時が多くないことを、よく知っているから

その先が痛みだとしても
両の手を広げて、あなたを抱こう
愛しよう
生きてみて
私たち二つの心、熱くなろう


あなたに口づけしたい
ああ、その唇はどれほどうっとりするだろうか
太陽の下、柔らかな花びら
さらに赤く染まっていくのね

愛と憎しみの両方を持って
風の最後にあなたのすべてを預けて
大きくなっていくあなたの熱望は
遥かその昔の、草原を描いているのか

その先が痛みだとしても
美しく咲いたのね
風に触れて
花びらが散るとても
そのこころは、熱く咲いて散る

(Youtubeに登録のMusic maniaに感謝)

2015年10月17日土曜日

イ・ソンヒとイ・スンギの「Jへ」デュエット

SBS歌謡ショー、「イ・ソンヒと友人達(이선희와 친구들)」(2004年8月21日)で、イ・ソンヒと愛弟子イ・スンギが、彼女のデビュー曲「Jへ」をデュエットする場面がある。この年の同月、イ・ソンヒは、8月26日~28日に世宗文化会館大劇場で「Jへ 20年 イ・ソンヒ コンサート」を開いている。この放送の直後である。一方、放送少し前の6月25日に、イ・スンギは1集アルバムでデビューしている。

(本ブログ関連:”「イ・ソンヒと友人達」(1)(2)”、”イ・スンギ”、”Jへ”)

イ・ソンヒとイ・スンギの「Jへ」のデュエット映像は様々あるが、次の映像は爽やかな師弟関係の始まりを示している。イ・ソンヒの眼差しから穏やかさと、すこぶる清潔感を、イ・スンギからは初々しさ(当時17歳)が感じられる。特に、イ・ソンヒの、白いシャツに勿忘草色した上着がとても似合っている(ファッションについて説明できないのが残念)。

(Youtubeに登録の아카시아 Acaciaに感謝)

2015年10月16日金曜日

(雑談) 階段の蓄光シール

夜、走行する自転車のランプは、必ずしも点けっぱなしのものでなくてよいという。LEDランプのように点滅するものでも、法律上、自転車の存在を示せるなら問題ないそうだ。とはいえ、ランプを点滅する自転車と、夜道ですれ違うとき、本気度が感じられないのはどうしてだろう。

教室に通うのに自転車を利用している。日没後なので、車輪の回転を利用したLEDランプを灯しているが、実はもう一つ、点滅するLEDの懐中電灯を手首にぶらせげている。これは効果てき面、狭い路地を行き交う自動車が気付いて、ゆっくりすり抜けてくれる。光の点滅は、おもちゃの三要素(音、光、動き)のひとつであるように、人を素早く反応させる。

暗闇に光る標識(非常口照明など)は道標になる。地面にあれば、足の踏み場を示すガイドにもなる。そこで、わが家の階段に、一段一段、滑り止めを貼ると同時に、蓄光シールも貼った。陽がかげると、しばらく効果を発揮して、怪しく薄みどり色に光っている。

夜間、階段の明かりをつけっぱなしにして、光のエネルギーが蓄光シールに溜まるようにしている。階段を上がるとき、いったん明かりを消して、蓄光シールの発光を楽しんでいる。そもそも階段に照明があるのに、われながら阿呆なことをしているなと思っている。

2015年10月15日木曜日

イ・ソンヒの「夜が来れば」

イ・ソンヒの初期アルバム、4集所収の「夜が来れば(밤이 찾아 오면)」(1988年、作詞・作曲ユン・ヒジュン)は、トロット気分満開だ。それに、彼女の若さ溢れる高音を目いっぱい効かせている。いってみれば、大きな網を広げたアルバムだったのかもしれない。

なにしろ、彼女の歌唱力はトロットはもちろん、国楽(=民謡を含む伝統音楽)もカバーするのだから。この歌の歌詞に、民謡にある<西山に沈む陽>が浮かぶが、ドップリ漬かっているわけでもない。とはいえ後の8集(1992年)で、国楽、民謡と正面を切った試行が結実することになる。

(本ブログ関連:”夜が来れば”)


西山に陽(ひ)沈むよ、夜が訪ねくるよ
夜深まり行けば、寂しさがまたくるよ
*
懐かしさ 染まれば、夢も消えて
寂しさが たまれば、愛だけ待つよ

寂しさ 慰める、この私にはないのね
私は未知らぬ あなたを 待ちながら
この夜も、この夜も 寂しさを癒すよ

(*以下繰り返し)
この夜も、この夜も 寂しさを癒すよ

(Youtubeに登録のJ-GODに感謝)

2015年10月14日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 秋

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(10/7)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、秋にかかわる3曲を紹介した。

始めに、「興打令(흥타령)」に歌われる、秋の夜の聴くと酒について次のように紹介された。
・月明かりの美しい、菊香漂う秋の夜に、窓の外に菊を植えて、酒を醸しておくという詩が浮かぶ。酒が発酵する頃、菊の花が咲く。友が訪ねてくる前に、美味い酒を用意しておくのだ。そして、その夜、琴に似た玄琴(コムンゴ、거문고)と共に夜通し遊ぶという内容。月明かりも大変美しい季節、ロマンチックな風景が込められた歌がある。二つの地域(全羅道と慶尚道地域)で親しまれた長い歌、南道雑歌「興打令」だ。

▼ 「興打令」を聴く。人生を眺めた歌のようだが、淡々というより粘りのある歌い方だ。

次に、相性の良さを表す「琴瑟(금슬)」や「壎篪相和(훈지상와)」から、併奏(병주)曲「笙簫併奏(생소병주)」について次のように紹介された。
・歌も人も相性の良さがあるように、楽器も互いに調和するものがある。夫婦仲の睦まじさを指す「琴瑟が良い」の「琴瑟」は、琴と瑟の二つの弦楽器だ。音色が相性が良く、ひとつの言葉になった。管楽器にも似た「壎篪相和」がある。今は途絶えた土笛と竹笛の調和から、兄が土笛を吹き、弟が竹笛で答えるの意で、兄弟仲の良さを例える。二つの楽器で演奏することを「併奏」という。曲「笙簫併奏」は、「笙簧(생황)」と「短簫(단소)」の管楽器の二重奏だ。「笙簧」は、伝統楽器中、唯一和音を奏でる楽器で、竹管でできているが、金属のような響きをして、鳳凰の鳴き声に似るといわれる。「短簫」は、清く美しい、空を飛ぶような音色だ。

▼ 朝鮮時代、ソンビが楽しんだ伴奏曲を管楽器用に編曲した「笙簫併奏、水龍吟(수룡음)」を聴く。駆ける風流の如し。

最後に、歌「タルコリ(달거리(月令歌:월령가))」について次のように紹介された。
・人について知りたければ、その友人を観察するという。似た者同士交わるからだ。友は、最も分かりやすい鏡という言葉もある。愛する人がそのようであるなら、なお幸せだ。京畿地域の雑歌「タルコリ」は、1月、2月、3月・・・と、月ごとに、適切な歌詞を付けて歌う。一年12ヵ月、友、夫や妻など身近な人を恋しく思い歌う。

▼ 歌「十二雑歌」から「タルコリ」を聴く。素朴な響きするが、一年を語る、誰がどんな風に歌ったのだろうか。

2015年10月13日火曜日

さても夜道の寒さよ

久し振りの教室、今夜から後期が始まった。賽の河原の石積みか、それとも生来の怠け癖のためか、一向に進歩がないのに気付く。「どじでのろまなカメ」でも、いいことにしよう。

刺激を受けての帰り道、夜風が寒い。いつのまにこんなに冷えるようになったのだろう。気分はもう冬。おかげで、赤色に連なって点滅する道路工事のランプが、クリスマスの電飾のように見えてくる。動画にしてアップしたい気分だった。

夜分9時過ぎの気温は17℃くらい。昔の井の頭公園プールの水温だ。やっぱり冷たいか。寒さがどんどん増す。帰り道を考えて、これからは厚着が必要かもしれない。

(付記)
近所のコンビニで、飲料水「毎日の 朝バナナオレ」(エルビー)を見つけた。以前、飲んだような、そうでないような不確かだったが、購入してみた・・・やはり、去年、味見していた。
本物のバナナか使われているかどうか、私の喉は、アレルギーのイガイガで判定できる。今回もイガイガ感があったので合格。バナナ味の巡礼はまだ続く。

(本ブログ関連:”バナナ味”)

2015年10月12日月曜日

(雑談) 体育の日の昼寝

「体育の日」の祝日、穏やかな陽射しに誘われて、辺りをぐるりと散歩した。

(本ブログ関連:”体育の日 ”)

小学校の校庭で、町内会の運動会が開かれたようだ。昼ころ学校前を通ったとき、人影がまばらだった。もしかしたら、午前中に終わってしまったのかもしれない。それとも、昼休みだったのだろうか。

以前、ひまわりを咲かせて、あっというまに刈り取った畑地に、ネットを被せた畝が複数並んでいる。ネットは真っ白なものと、薄紅色のものがある。色の違いは何なのか、一体何を栽培しているのだろう。

佇んでいると、ぽかぽか陽気に昼寝したくなる。でも、昼寝は午後3時までだそうだ。「3時のおやつ」というじゃないか・・・、そのときが一番、気を抜きたくなるというに。しかも、30分以上はだめ、それ以上だと本格的な睡眠に入るそうで、20分以内が目安という。

頑張って昼寝をしなかった。けれど、夕方に転寝してしまった。とろりとまどろんだので、その時間が分からない。

2015年10月11日日曜日

金鉱の妖霊 乾麂子

鉱物採集に、大方はズリ(選鉱後の石捨て場)の斜面を漁る。体力と好奇心があれば、腰の深さまで掘り返す人もいる。そうでなければ、表面採集といいつくろって、ズリ表面を軽く掻く。私は後者である。

鉱物産地には、鉱山跡ゆえ坑口がそのままになっていることがある。ベテランは、坑道に入って探すこともあるそうだが、現地に詳しい仲間がいる場合のようだ。表面採集する者には、坑口を覗くことはあっても、中に踏み込む勇気はない。

先だって、鉱物仲間の方から聞いた話、暗闇を進んで行くと、立て坑らしいものがあって、水がたまっているような音がしたという。無茶なことをと、唖然とした。

鉱山には、女王が登場する童話の世界もあるが、実際、死と隣り合わせゆえに恐怖が勝る。岡本綺堂の「中国怪奇小説集 子不語」に、死んでいることを知らずさまよう亡者が登場する「金鉱の妖霊」がある。彼らを「乾麂子(かんきし)」という。(「青空文庫」より)

(本ブログ関連:”坑夫”)

├-----------------------------------------------------------
・乾麂子(かんきし)というのは、人ではない。人の死骸の化したるもの、すなわち前*に書いた僵尸(きょうし)のたぐいである(*「僵尸(屍体)を画く」)。雲南地方には金鉱が多い。その鉱穴に入った坑夫のうちには、土に圧されて生き埋めになって、あるいは数十年、あるいは百年、土気と金気に養われて、形骸はそのままになっている者がある。それを乾麂子と呼んで、普通にはそれを死なない者にしているが、実は死んでいるのである。

・死んでいるのか、生きているのか、甚だあいまいな乾麂子なるものは、時どきに土のなかから出てあるくと言い伝えられている。鉱内は夜のごとくに暗いので、穴に入る坑夫は額の上にともしびをつけて行くと、その光りを見てかの乾麂子の寄って来ることがある。かれらは人を見ると非常に喜んで、烟草をくれという。烟草をあたえると、立ちどころに喫ってしまって、さらに人にむかって一緒に連れ出してくれと頼むのである。その時に坑夫はこう答える。

・「われわれがここへ来たのは金銀を求めるためであるから、このまま手をむなしゅうして帰るわけにはゆかない。おまえは金の蔓のある所を知っているか」

・かれらは承知して坑夫を案内すると、果たしてそこには大いなる金銀を見いだすことが出来るのである。そこで帰るときには、こう言ってかれらを瞞のを例としている。
「われわれが先ず上がって、それからお前を籃にのせて吊りあげてやる」

・竹籃にかれらを入れて、縄をつけて中途まで吊りあげ、不意にその縄を切り放すと、かれらは土の底に墜ちて死ぬのである。ある情けぶかい男があって、瞞すのも不憫だと思って、その七、八人を穴の上まで正直に吊りあげてやると、かれらは外の風にあたるや否や、そのからだも着物も見る見る融けて水となった。その臭いは鼻を衝くばかりで、それを嗅いだ者はみな疫病にかかって死んだ。

・それに懲りて、かれらを入れた籃は必ず途中で縄を切って落すことになっている。最初から連れて行かないといえば、いつまでも付きまとって離れないので、いつもこうして瞞すのである。但しこちらが大勢で、相手が少ないときには、押えつけ縛りあげて土壁に倚りかからせ、四方から土をかけて塗り固めて、その上に燈台を置けば、ふたたび祟りをなさないと言い伝えられている。

・それと反対に、こちらが小人数で、相手が多数のときは、死ぬまでも絡み付いていられるので、よんどころなく前にいったような方法を取るのである。
-----------------------------------------------------------┤

(追記)http://open-lit.com/listbook.php?cid=4&gbid=160&start=0 より。「開放文學」に感謝。
├-----------------------------------------------------------
 乾麂子
  乾麂子,非人也,乃僵屍類也。雲南多五金礦,開礦之夫,有遇土壓不得出,或數十年,或百年,為土金氣所養,身體不壞,雖不死,其實死矣。
  凡開礦人苦地下黑如長夜,多額上點一燈,穿地而入。遇乾麂子,麂子喜甚,向人說冷求煙吃。與之煙,噓吸立盡,長跪求人帶出。挖礦者曰:「我到此為金銀而來,無空出之理。汝知金苗之處乎?」乾麂子導之,得礦,必大獲。臨出,則紿之曰:「我先出,以籃接汝出洞。」將竹籃繫繩,拉乾麂子於半空,剪斷其繩,乾麂子輒墜而死。
  有管廠人性仁慈,憐之,竟拉上乾麂子七八個。見風,衣服肌骨即化為水,其氣腥臭,聞之者盡瘟死。是以此後拉乾麂子者必斷其繩,恐受其氣而死;不拉,則又怕其纏擾無休。
  又相傳,人多乾麂子少,眾縛之使靠土壁,四面用泥封固作土墩,其上放燈台,則不復作祟;若人少乾麂子多,則被其纏死不放矣。
-----------------------------------------------------------┤

乾麂子はあわれだ。坑夫になる前身を語られず、まして地の底にいて自らの死も知らずにいる。出会った坑夫に金銀の蔓(鉱脈)を教える引きかえに地上へ上がることを願う。しかし、地上で、彼らは忌み嫌われる存在でしかない。

私は、幸いにも今までに恐怖と遭遇したことはない。ただ、山中を歩くとき、草を踏む音、靴を引きずる音、潅木をかする音、それらが微妙にずれあって、最後尾にいて、あたかも私の後にもうひとり誰かがついてきているような錯覚を覚えることがある。

2015年10月10日土曜日

イ・ソンヒの「愛が散るこの場所」

イ・ソンヒの動画は、Youtubeで見たのが最初だった。次の映像と同じものだが、少々左右が圧縮されて面長になっている。以前見たものは、自然な印象で、頬に膨らみもあり健康的で、何より、歌唱力に圧倒されたものだ。2004年、世宗文化会館での、20周年記念コンサートの姿だ。

そのとき歌われた、4集収録の「愛が散るこの場所(사랑이 지는 이 자리)」(1988年、作詞・作曲:ソン・シヒョン)は、若さの生硬さに磨きが加わり、美しく余韻を含んで響いた。その10年後の昨年には、円熟味を増した。

(本ブログ関連:”愛が散るこの場所”)


「愛が散るこの場所」

花びら舞い散るとき、あなた目覚めないで
あれほど美しかった、花びらだったじゃない

愛が遠のくとき、あなた黙って去るのですか
あれほど愛した思い出が、壊れるのか恐わくて

*愛が散るこの場所、思い出だけ悲しくて
あなた目覚めないで、涙見せたくないのよ

私が恋しいとき、あなた帰ってきてもいいわよ
あれほど愛した昔に、戻りたいです

(*以下繰り返し)


(Youtubeに登録のd'abord musiqueに感謝)

2015年10月9日金曜日

善意

イ・ソンヒは、善意の人である。デビュー当初、困難な状況にあっても強く生きる学生たちを支援する慈善活動を始めた根幹にある。宗教的環境に育ったことも、その背景にあるのかもしれない。

イ・ソンヒは、善意を信じるからこそ、人を信じたのかもしれない。ときに、善意を実現するために、政治の世界を往来したこともある。

イ・ソンヒは、歌手人生を切り開いてきた。善意の明かりをいったん手元に置いて、自らの道筋を照らす齢にいるのではないだろうか。

善意のくびきから、どうか自由になって欲しい。思い過ごしだろうか。

2015年10月8日木曜日

寒露、「猿に始まり狐に終わる」こと

今日は二十四節気の「寒露」。「露が冷気により凍りそうになるころ」(Wikipedia)だそうで、今朝は相当に冷え込んだ。

寒露の音から、カンロ飴や甘露煮をイメージして「甘露」が浮かんで、甘味を帯びそうな気がする。「うまい、うまい」と絶賛するのに、「甘露、甘露」と殿様が(昔の映画で)いったりもした。

ところで、地元にある武蔵野大学で、狂言師の野村萬斎氏(1966年~)を迎えて、武蔵野大学客員教授の羽田昶氏との対談を聴く公開講座があった。能楽資料センターによる連続公開講座(「けものイロイロ―― 能・狂言に見る鳥獣・霊獣」)の最終回だが、初めて知って、初めて同敷地を訪れた次第。

最終回のテーマは、「猿に始まり狐に終わる」という、狂言に現れる生き物について、野村萬斎氏の経験に照らしながら語るかたちで進行された。

狂言の初舞台は、3,4歳ころに「靱猿(うつぼざる)」の舞台で猿の姿に扮することから始まるそうだ。今回のテーマにある、<狐に終わる>というべき演目として、「釣狐(つりぎつね)」を初めて演じた(披(ひら)いた)のが1988年とのことで、ここから真の演者としてわざを深めていくことになったという。

狂言のスタンスに、「このあたりのものでござる」という言葉があるというそうだ。人、生き物すべてに通じる考え方であり、立場(領分)という。物語が、この理(ことわり)から外れるとき、狂言は滑稽さの中に逆転や逆襲の姿が見え隠れすることになる。

(<狐>に関心あって講演会に出かけたが、とてつもなく大きな世界に出会った気がした)

(Yotubeに登録のodessanokaidanchに感謝)

2015年10月7日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 風流音楽

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(9/30)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、ソンビ선비)が「風流(풍류)」を楽しむときに聞いた音楽にかかわる3曲を紹介した。

始めに、自ら「看書痴(간서치)」と称した、李徳懋이덕무、1741年~1793年) の詩について次のように紹介された。
・ソンビが風流を楽しむとき聞く音楽を、風流音楽という。朝鮮後期のソンビ李徳懋の詩に、「秋の風は心を元気にし、森を通り過ぎる風は、まるでコムンゴのように聞こえる。水鳥はひっそりと、陶淵明の詩を聞いている。彼の詩は心の中を清くし、平和で古めかしい」という内容がある。李徳懋は本を読むことが好きで、自ら「看書痴」(読書に没頭し、世事に興味ない人)と表現したほどだ。秋風を感じながら詩を謳うソンビの趣に、一度は真似てみたい、それにぴったりの音楽がある。

▼ 朝鮮後期、風流音楽の「霊山会相(영산회상)」の一曲目、大笒(テグム)演奏「上霊山(상령산)」を聴く。ゆたりと響く。

次に、洪吉周(홍길주、1786年~1841年)の「読書の5つのレベル」について次のように紹介された。
・李徳懋と同時代のソンビの洪吉周は、読書を5つのレベルに分けて記録した。① 最も高いレベルは、体を清くすること。② 古いものから学び、今直面した問題にうまく適用させること。③ 文章を磨き上げて、世の中に名を知らせること。④ 記憶力を生かし、他の人に誇示すること。⑤ 最も低いレベルでは、暇つぶしに読書をして時間を無駄にすること。昔、ソンビにとって読書は、生活そのものであり義務でもあった。早朝、読書で一日を始め、昼寝するときも本をそばに置いた。時には、友人と自然の中で、詩を作ったり、絵や音楽を楽しんだ。これを風流と言いう。

▼ 風流音楽「霊山会相」の6曲目、下絃の楽曲の意、「下絃還入(하현도드리)」演奏を聴く。風流と素朴の一体のよう。

最後に、ソンビの風流とは別の「民間風流(민간풍류)」について次のように紹介された。
・ソンビが風流を楽しむときに聞く風流音楽(または風流)という。九曲で構成される霊山会相などが代表的だ。また、庶民のパンソリが宮廷でも親しまれ、風流音楽は、地方から貴族に、そして庶民へと伝わった。このように変化した風流を、「民間風流」という。わずか数十年前まで、各地に律房(율방)という風流の室内演奏空間があった。人々が定期的に集まり、聞かせるためでなく、自分たちが好きな音楽を演奏していた。

▼ 民間風流から「クルゲヤンチョンとウチョ(글게양청, 우조)」を聴く。舞いを誘う趣がある。なるほど民間だ。

・「クルゲヤンチョン」は、ソウルの風流「ヤンチョントドゥリ」と同じ曲だが、ソウルでなく全羅道地域の律房で歌われたもの。

2015年10月6日火曜日

「ノーベル物理学賞」梶田隆章・東京大宇宙線研究所長

昨日、大村智・北里大特別栄誉教授の「ノーベル医学生理学賞」受賞に続き、今日は「ノーベル物理学賞」を梶田隆章・東京大宇宙線研究所長らが受賞した。受賞理由は、「ニュートリノが質量を持つことを示すニュートリノの振動の発見」とのこと。

「ニュートリノ」と聞いた瞬間から頭が混乱する。まして、その重要さが悲しいかな、とんと理解できないのだ。小柴昌俊・東京大学名誉教授が2002年に「ノーベル物理学賞」を受賞されたときもそうだった・・・何となく素通りしていた。

この後、「戸塚洋二・東京大特別栄誉教授」の業績、「(岐阜県・神岡鉱山にある)スーパーカミオカンデ」や「ニュートリノ振動」などのキーワードについて、テレビの解説を聞いて判ったつもりになるしかないだろう・・・けれど。

「Newton」の次号を購入して、絵解き記事を見ることにしよう。「ノーベル医学生理学賞」あり、「ノーベル物理学賞」ありで、楽しくなりそうだ。

2015年10月5日月曜日

「ノーベル医学生理学賞」大村智・北里大特別栄誉教授

今年のノーベル医学生理学賞は、日本の大村智(さとし)・北里大特別栄誉教授(80)らが受賞した。大村氏の業績は、「回虫寄生虫によって引き起こされる感染症に対する新たな治療法に関する発見」とのこと。

ノーベル賞については、いつも聞くたび初めて知ることばかりだが、今回は日本とは余り縁のない風土病の患者を救っている医薬品の研究に対してのようだ。微細な遺伝子工学が華々しい今どき、研究を理解できないがゆえに一見地味に見えるが、これからテレビの解説を聞くたびに業績の偉大さを知ることになるだろう。

ご自身の口から、「人のために(役立つ)研究をする」という、子どもたちにとっても大きな道標となる素晴らしい業績だ。


(追記1)
スポニチの記事「受賞の大村さん ノーベル財団インタビューに『私はラッキー』」(10/5)に、次のような逸話を紹介している。
├-----------------------------------------------------------
・大村さんは、放線菌の一種が「エバーメクチン」という有用物質を作ることを見つけた。大村さんは「微生物が重要だとの信念は正しかった」と感慨深げに振り返った。
・発見の現場は静岡県のゴルフ場近く。(ノーベル)財団側から経緯を聞かれると、大村さんは笑いながら「ゴルフが好きだからと思われるでしょうが、コースの芝の上ではなく、コース脇の木立でした」と答えた。
-----------------------------------------------------------┤

(追記2)
初めて社会へ出たときの経歴が、その後の研究への視点を定めたのだろうか。(Wikipediaより)
├-----------------------------------------------------------
1954年 - 山梨県立韮崎高等学校卒業後、山梨大学学芸学部自然科学科へ進学。
1958年 - 山梨大学学芸学部自然科学科卒業。大学卒業後は理科教諭として東京都立墨田工業高等学校定時制に勤務。
1963年 - 東京理科大学大学院理学研究科修士課程修了
1963年 - 山梨大学助手
1965年 - (社)北里研究所入所
・・・・・
-----------------------------------------------------------┤

(追記3)
NHKテレビによると、農家のあとを継ぐ予定だった高校時代に、盲腸で入院したとき、父親から大学への進学が許されたという。

2015年10月4日日曜日

丸木橋

先日、伊豆下田の高根山鉱山に鉱物採集に行ったとき、どうということない小川に架かった小さな橋を渡った。丸木を束ねたもので、一本橋でないにもかかわらず、丸木というだけで足が一瞬すくんだ。

昔、どこだったか、小さな沢(≒小川)だが深くえぐった急流で、そこに架かる一本の丸木橋を渡ったことがある。同行者はすいすいと渡ってしまったのについていけないのだ。丸木を見るだけで足がふらつき、途中で立ち往生するに決まっていると予感した。

付近で一本の大きな枯れ木を探し出し、それを杖代わりにして川底に突き刺し、カニの横歩きのようにすり足して、3点を支えに渡った。2速歩行を断念したのだ。帰りはどうしたかって? そう、遠回りして川筋の上流にある橋を探したわけだ。元の位置に戻るのに苦労したのはいうまでもない。果たして、同行者と落ち合えるだろうか心配した。

バランスをとるのは難しい。支点の置き場所に困るのだ。自身が支点になると思っても、足元がぐらついていたら、絶えず支点を移動させなければならない。そうなると自信もなくなる。丸木橋の上は、まさに瀬戸際で、頼りになるものは体力しかないのだから。

今日は久し振りに、地元飛行場を一周し、大きな霊園を抜けて、川辺に続く公園を巡った。これで体力がついたかどうだか。地に足がつく大事さを感じた。

2015年10月3日土曜日

イ・ソンヒの「世界中が眠りに落ちた後から」

イ・ソンヒの12集所収の「世界中が眠りに落ちた後から(온 세상 잠든 후부터)」(2001年)は、雪景色の中に終わりを告げる物語りを歌う。どこか遠くから伝わるような荘厳で、絶対的な孤独の響きがする。

「一晩中雪が降ってきました。世界中が眠りに落ちた後から/悲しい私の心もわからぬまま朝はくるでしょう。・・・」

心のままに世界があったら、留まりつづけるかもしれない。夕べがあり朝があること、四季があること、もしかしたら幸いなことかもしれませんね。

この曲を、なぜか以前のこの時期にも選んでいた、冬が来る前に。

(Youtubeに登録のCool Kidに感謝)

2015年10月2日金曜日

谷村新司のShowTime [チョー・ヨンピル編]

1984年、イ・ソンヒが「江辺歌謡音楽祭」でデビューした同じ年、谷村新司は、韓国で現在「歌王」あるいは「国民歌手」と呼ばれるチョー・ヨンピル、香港のアラン・タムの3人と共にアジアの音楽祭「PAX MUSICA」の第1回を東京で開催した。谷村新司は、盟友となったチョー・ヨンピルと久し振りにソウルで対談をしている。

(本ブログ関連:”チョー・ヨンピル”)

その内容は、東日本大震災の直後、NHK-BSの「谷村新司のShowTime [チョー・ヨンピル編]」*(2011年4月16日)で放送された。(* : ブログ「チョーヨンピルファン」に感謝)

対談を通して、チョー・ヨンピルの音楽に対する真摯な態度を知ることができる。そして、音楽家として、時代の同伴者として、その立ち位置とスケールの大きさを教えてくれる。

(Youtubeに登録のHyunWoo Yoonに感謝)

2015年10月1日木曜日

(雑談) スマートフォンと本と情報

先日、都心に映画を見に行った帰り、電車の出入り口付近に立っていると、スマートフォンを手にした客が次々乗り込んできた。驚いたことは、おじさんたちまでがだ。

混んだ車内で、スマートフォンをながめる必然性があるのだろうか、いぶかしんだ。それとも、手持ち無沙汰で、暇つぶしからだろうか。回りのみながスマートフォンを手にしている光景は少々異様だった。不思議なこと、新宿駅からがらりと客が入れ替わったのだ。今度は本や新聞を読む客が増えてきたのだ。ほっとしたのはいうまでもない。ようやく、見慣れた昔の姿に戻った。

そうはいっても、5人も集まれば4人はスマートフォン、1人はガラケー、あるいはそれも持たないといった時代だ。でも、おじさんは取り残されたといった気後れはまだない。

ところで、一般家庭の(教育関連を除く)情報・通信費用は、どれくらいかかっているのだろうか。費用対効果について、1年分集計して考える必要性があると思うのだが。

TV(NHK)新聞固定電話携帯電話(スマフォ/ガラケー)×n人インターネット回線費+・・・+書籍(週刊誌)

相当な額を使って世情を知ることになるが、そんなに賢くなったような気がしない。

2015年9月30日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 秋夕、餅、風流

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(9/23)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、秋夕(추석、旧暦8月15日)、餅(떡)、風流(풍류)にかかわる3曲を紹介した。

始めに、節句や祭祀に、餅を食べた風習と喜びについて次のように紹介された。
・食べ物が十分でなかった昔、ことわざに「飯の上に餅」(飯の上に餅までのせてくれる)がある。良いものの上に、さらに良いものを添える意だ。日本の「錦上に花を添える」と同じようだ。餅は貴重な食べ物で、節句や祭祀に、すなわち秋夕にも用意した。精米場所(방앗간)に湯気が立つ。籠の中には、米が入り、作りたての餅を食べて幸せそうにしていた姿があった。

▼ 京畿民謡、穀物をつく臼(방아)の歌「臼打令(방아타령)」を聴く。どこか土俗的な精霊の響きを感じる。

次に、「三国史記」(1143年~1145年)記載の百結(백결、414年~?)の「臼打令」曲について次のように紹介された。
・餅に色々な種類がある。正月(설날)と盆には定番で、正月には、細長い餅(가래떡)を食べる。盆に当たる秋夕には、胡麻や栗などを入れた餅(송편)を食べる。「三国史記」に、餅をつく音を玄琴(コムンゴ거문고)で演奏した、百結先生の話がある。彼は玄琴が好きで、喜びや悲しみを全て玄琴で表現したという。ある日、節句を控え近所で臼をつく音が聞こえた。妻は、うちには穀物がないと心配したところ、先生は、生きることも死ぬことも、富貴もこの世で論じるものではない、悲しんではならない。君のために餅つきの音を演奏して慰めよういって、玄琴で演奏した「臼打令」曲は、今は失われたが、風流が残っている。

▼ 月に薄い雲がかかり光の輪が現れる「月暈(달무리)」の演奏を聴く。古皮袋に入れた新しい葡萄の酒のよう。今様である。

・三国史記に、百結先生の出身は記録されてないが、ある家譜によると、朴堤上(박제상)の息子、朴文良(박문량)と記録される。父朴堤上は新羅の人で、高句麗に捕まった王の弟を助けたという。

最後に、宮廷の機織りを競う行事について次のように紹介された。
・盆の秋夕にみなが集まり歌い踊る風習があった。これは、高句麗の第2代王の瑠璃は、宮廷の女性を二組に分け、機織りの競争をさせた。7月15日から一ヶ月間機織りをし、8月15日に勝敗を分けた。負けた方はご馳走を準備して勝った方をもてなし、音楽と踊りを楽しんだ。

▼ 演奏「風流都市(풍류도시)」を聴く。中国風の香りの物語的、今様の響きする。

・機織りを競った後、馳走と音楽、歌と踊りを楽しむことを「嘉俳(가배)」といった。これは、秋夕の別名でもある。

2015年9月29日火曜日

2度目の「怪しい彼女」

再び、映画「怪しい彼女수상한 그녀)」(2014年)を見た。1度目は昨年7月に都下の映画館で、2度目の今晩は四谷にある韓国文化院でだ。ともに大きなスクリーンなので、その分、感動も比例する。

(本ブログ関連:”映画「怪しい彼女」”)

この映画は、ハートウォーミングであり、コメディであり、ファンタジーだ。しかも涙腺を決壊させる。いつのまにか溜まった心の澱を浄化させてくれる、まことに爽快な映画でもある。

「ソウルミュージック・・・」、「えっ、ソウル?」、私も混乱する。

ところで、昔、話題の映画を何度見たかということが、芸能雑誌やラジオなどで語られた。記憶にあるのは、映画「ウェストサイドストーリー」を数十回見たというのだ。映画チケット代金を考えたら・・・。私にしてみれば、阿佐ヶ谷のすえた臭いのする古びた2番館で見ただけで、数を重ねる意欲は足りなかったが。

映画「怪しい彼女」は、不思議なことに、また見ようという気にさせてくれた。地下鉄駅までの帰り路、夜風が目元に涼しかった。

2015年9月28日月曜日

金木犀

そういえば、去年も同じ頃、金木犀(キンモクセイ)について記した。秋の落ち着きを感じさせる金木犀と、冬の寒さを和らげる沈丁花(ジンチョウゲ)の花は、季節の変化を香りで知らせる。

(本ブログ関連:”金木犀”、”沈丁花”)

子どものころ、実は、金木犀と沈丁花の香りは苦手だった。甘ったるくて濃い感じがした。それが歳とともに、季節感といった大きな感性で受容できるようになった。もしかしたら、嗅覚が鋭敏でなくなったからだろうか、なんて考えたりもする。

昼前、近くの公園を散策した。園内施設である建物園の入口両サイドに、金木犀の巨木が並んでいる。樹下を通るとき、甘い香りが漂うのを感じる。見上げると、オレンジ色の小さな花が咲き、飾っているのに気付く。

実は、もう一ヶ所、金木犀を楽しめる場所がある。公園への路に、金木犀が頭上まで、歩道を覆うように密集しているのだ。この歩道は、いずれ道路拡張工事のため取り除かれる運命にある。もしかしたら、この景観は今年で最後かもしれない。そう思うと、貴重な香りがしてくる。

(追記)
今夜の月は、いつもと比べて大きく見えるという「スーパームーン」だ。夜分、この目で確かめようと、近所の畑地まで出かけて空を見上げた。月は高く浮かんでいた。そうか・・・な、大きい・・・かな、ぶつぶついいながら佇んだ。乱視の目には、普段も「スーパームーン」だが。

2015年9月27日日曜日

十五夜 2015

旧暦八月十五日となる、この十五夜に昇る月を「中秋の名月」*という。帰宅路、雲の横たわるの東の空に、丸い月が、西の夕陽を受けて薄紅色に染まりながら顔を出していた。ところで今晩の月は、<満月>でなく、明夜に楽しめるという(それも、今年最大の「スーパームーン」になるそうだ)。

(* 今晩、地元公園で「お月見のつどい」が催されたが、昼間に、次の催事に出かけたので参加できなかった)

中秋の中日、日比谷公園で開催された「日韓交流おまつり 2015 in Tokyo」に、前の教室仲間たちとともに出かけた。薄曇りながら、雨が降ることなく、ときに晴れ間も広がり天候に恵まれた。会場は<昨年>と同じだが、人出は盛況だし、催事テントも増えたようだ。また、ステージとは別に、花壇広場で演じられた珍しい伝統綱渡りを見たりした。

大勢で出かけると、めいめいが売店で買った食べ物を持ち寄って昼食したり、休憩時にも菓子(ホットク)を食べたりといった祭り気分を味わえ満喫した。例によって例のごとく、(イ・ソンヒについて)ファン心理でいろいろしゃべった・・・しゃべり過ぎた。

(参考: 今年2015年、日韓民間交流関連「イベントカレンダー」・・・外務省の掲示より)

2015年9月26日土曜日

イ・ソンヒの童謡「秋の夜」

アルバム「イ・ソンヒ 愛唱童謡(이선희 애창동요)」に収録された2番目の曲、創作童謡「秋の夜(가을밤)」(1993年、作詞イ・テソン、作曲パク・テジュン)を耳にすると、母の帰りを待ちわびる子どもたちの不安と確信の切ない想いが浮んでくる。そんな秋に陽が沈むとき、子どもたちに語りかけてくれるのは、夜空の星々のきらめきしかない。童謡は、大人にも一時、郷愁と癒しをくれる。

(本ブログ関連:”童謡”)

秋の夜、さびしい夜、虫鳴く夜
わらぶき家の裏山道が、暗くなるとき
母さん 恋しくて、涙が出れば
縁先座わって、星さん数えます

秋の夜、静かな夜、眠れぬ夜
雁の鳴き声が、高く低いとき
母さん 恋しくて、涙が出れば
縁先座わって、星さん数えます

(Youtubeに登録のKi Young Anに感謝)

2015年9月25日金曜日

(雑談) 食欲が戻りつつあること

いまだに体調思わしくなく全快にいたらぬが、食欲が徐々に生じているらしい。

そう気付くのは、中華鍋の焼き入れに始まり、中華料理を調理するYoutube映像を見るようになったからだ。

「炒飯(チャーハン)」、「青椒牛肉絲(チンジャオロースー)」、それに大好きな「回鍋肉 (ホイコーロー)」ができあがっていくのを見ていると、自然と力が湧いてくる。独特な鍋の使い方、しゃもじの技にホレボレする。食欲を感じている。

スーパーの地下フードコートに、四川料理の店があって、そこの回鍋肉はたまらない。四川風の、黒々と味噌がからみ、花椒(山椒)の香りとピリピリとする舌。完全回復したら食べに行きたいものだ。

2015年9月24日木曜日

イ・ソンヒの家族史

イ・ソンヒの家族史について、何度かこのブログで触れた。仏教音楽の梵唄(ぼんばい:범패)指導者である父親から音楽的影響を受けたことや、優しい眼差しの祖父との関係などだ。

(本ブログ関連:”資料:이선희 Profile (自伝~1991年、27歳まで)”)

コリア・デイリーの記事「イ・ソンヒ、いま明す秘密の家族史 “ひとたびの女王は永遠の女王”」(9/23、イ・ユンミ記者)は、以前イ・ソンヒがイ・スンギと共にテレビ出演した際の話題で、本ブログに未入手の情報を、次の太字のように紹介した。(抜粋)

├-----------------------------------------------------------
イ・ソンヒの歌を教えた初の師匠チョン・ギョンス(정경수)*作詞家は、「イ・ソンヒに対する父の格別な愛情が、今日の国民のディーバ(歌姫)として、イ・ソンヒが愛された契機を作った」と話した。

(* チョン・ギョンスについて初耳である。2012年に「韓国歌謡作家協会第9代会長」に選出された(当時59歳の)人物か?・・・出会いの時期、場所について不明)

・イ・ソンヒは、ある放送に出演し、過去の政治に身を置いたビハインド・ストーリーを公開した。イ・ソンヒは、「もともと、”少年少女家長助け合い”に関心があった。海外進出を控えていたある日、所属会社で私に相談もなしに市会議員に登録した。それでやむを得ず、政治活動をするようになった」と、政治を始めることになった契機を明らかにした。

(cf.本ブログ関連:”(資料)イ・ソンヒのソウル市議会議員選出馬の背景”、および ”(続き)”)

・続いて、「政治*をしながら、生涯初めて冷たい視線を受けた。とても恐ろしかった。私に社会を分からせる最も貴重で大切な時間だった。もし、それを体験しなかったなら、今も夢だけで暮らす十やはたちの少女だったろう。人間関係を結ぶことについて多くを学んだ」と話した。

(* イ・ソンヒは、政治と関わりで、歌手として境界が鮮明でない面がある。民自⇒民主⇒セヌリと大きく振れる傾向にある。政治的な痛みを政治で補おうとする限り、振れは止まらなくなる。)

・イ・ソンヒの(ソウル)市会議員出馬ポスターを見たネチズンは、「<イ・ソンヒの市会議員(登録?)記号1番の時期>、<あどけなくて整ったイ・ソンヒの記号1番の時期>、<麻浦(地区)の娘に笑わせるイ・ソンヒ記号1番のころ、あんな姿もあったなんて>、<イ・ソンヒの今日の栄光は父のため>、<妻帯僧である父、イ・ソンヒの幼い時の夢は、歌手でなく何だろう政治家>、<政治家に転進したイ・ソンヒ、歌手女王が似合うよ>」などの反応を見せた。

(本ブログ関連:”イ・ソンヒの政治”)
-----------------------------------------------------------┤

この記者、かなり皮肉っぽいのでは?

2015年9月23日水曜日

秋分の日 2015

祝日「秋分の日」の今日、のんびり外出したい予定があったが、体調が思わしくなく家におとなしくした。

(本ブログ関連:”秋分の日”)

実は、阿久悠記念館に行ってみたかったのだ。森進一と桂銀淑が歌った、「昭和最後の秋のこと」(1997年、作詞阿久悠、作曲浜圭介)の秋を、それも昭和の秋を思い浮かべ、訪れてみたいと思っていた。

わたしたちより、もう一世代上の昭和のイメージかもしれないが、心の襞にしみ込む歌だ。繰り返される詞、「昭和最後の秋のこと」から、遠ざかった昭和をしみじみ思い返す。心にとどめる最後の秋は、「雨にうたれる彼岸花」であり、「時に晴れ間が広がって」、「山の紅葉に照りはえて」と色彩的である。四季の秋は、次の秋の循環を予兆させる。

ことばを大切にした作詞家の詞には、時代のドラマ性があった。今聞く意義を知らせた。見て聞くだけでない、歌えば自身にイメージが再生され、記憶を巻き戻すことができたのだ。

この機会に、過ぎ去った昭和の秋と出あってみたかったのだが。

KBS WORLD「国楽の世界へ」 パンソリ

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(9/16)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、民族芸能のひとつで、物語りに節をつけて歌う「パンソリ(판소리)」にかかわる3曲を紹介した。今回は、意地悪い人物に焦点をあてる。

 (本ブログ関連:”パンソリ”)

始めに、パンソリ「興甫歌흥보가)」に登場する意地悪な人物、兄ノルボ(놀보)について次のように紹介された。
・漢方では、人の内臓すべて合わせて「五臓六腑」といい、五臓(肝臓・心臓・脾臓・肺臓・腎臓の内臓)、六腑(大腸・小腸・胆・胃・三焦・膀胱)を指す。また、心の中を指す表現でもある。物語に、五臓六腑に意地悪が加わった、五臓七腑の者が登場する。パンソリ「興甫歌」の、善良な弟興甫に対する兄ノルボ*である。「興甫歌」は、ノルボの人物説明から始まる。火に油を注ぐのはもちろん、独り身の未亡人をいじめ、医師から針を盗み、美しい絹織物に水鉄砲で水をかける。乗馬して畑を横切り、泣く赤坊をいじめ、盲人を川に導くという悪者である。
・「興甫歌」の観客は、ノルボに似た人を思い浮かべ笑っただろう。意地悪い人物が、反省してまともになるストーリーである。

 (*)ノルボの漢字表記:ノル=”奴”の下に”乙”、ボ=甫 ・・・ (「パンソリ」申在孝、平凡社東洋文庫)

▼ 「興甫歌」から、「ノルボの意地悪(놀보심술)」を聴く。いつの世も身内の欲深さと善良さ。「興甫歌」の始まり。

次に、パンソリ「沈清歌(심청가)」に登場する継母となったペンドについて次のように紹介された。
・パンソリに、ノルボ以外にも意地悪な人物がいる。「沈清歌」に登場する淫女ペンドもそうだ。孝行娘の沈清は、盲目の父の目を治すため船乗りに身を売る。その金を目当てにペンドは、沈清の父に接近して妻となり、財産を酒やたばこに使い果たす。村人は彼女の悪口をいう一方で、悪口を楽しんだ。
・ペンドはノルボほど大罪でないかもしれないが、当時の女性への視線から、ノルボ以上に非難を受けたかもしれない。

▼ 「沈清歌」から、「ペンドばばあの行ない(뺑덕어멈의 행실)」を聴く。飯、肉、酒、滅多にしないこと。食うだけの楽しみ。

最後に、歌詞だけが伝わるパンソリ「ピョンガンセ打令(변강쇠타령)」の男女について次のように紹介された。
・当時、非難を受けた二人の男女が登場するパンソリ「ピョンガンセ打令」は、歌詞だけ伝わる。男ピョンガンセは怠け者で、博打にも手を出す。さらに、夫を次々亡くした哀れな女オンニョがいる。
・ピョンガンセ打令は、最も貧しい人々の暮らしを描いたもので、語り手が太鼓に合わせて物語りを歌う。

▼ 「ピョンガンセ打令」を聴く。歌詞だけ・・・巫女の歌のリズムを借りてパンソリにしているという解説がある。

2015年9月22日火曜日

ロコモ教室

今日は、シルバーウィークの連休後半、地元体育館で開かれた特別健康教室に行く。

ロコモといってもロコモコじゃない。ロコモティブ・シンドローム(Locomotive syndrome)とならぬよう、座学と軽い運動だ。

膝痛になったときの、膝のマッサージの仕方、立ち上がり方、そして予防のための歩き方などについて軽い実技があった。

今のところ痛みはないけれど、お世話になっている我が膝に目を向けることにした。

ビー・マイ・ベイビー

ラジオや白黒テレビの歌番組に、アメリカンポップスの新曲を求めた。ラジオの深夜放送で紹介される「ビルボード」や「キャッシュボックス」のヒットチャートを、明日の仲間内で披瀝するため、必死にメモしたりした。それを、日本人歌手が歌うころには、次はという得意顔している。まさに子どもである。

日本人歌手の歌が、カバーという意識はなかったし、原曲と聞き比べることもなかった。日本人歌手が演じて成立する独自の世界だったのだ。

そんな日本人歌手の中で、とりわけ歌のうまさに耳をそばだてたのは、弘田三枝子だった。ぽっちゃり顔した少女は、その後随分と変貌することになるが。彼女の発声はとても自然だし、余裕を感じた。パンチがあった。

弘田三枝子の歌唱力は、ロネッツ(The Ronettes)が歌う「Be My Baby」(1963年)と遜色ないというか、声質がピッタリである。当時の歌手の歌い方だったのかもしれない。この歌で、少女が男の子を「ベイビー」と呼ぶ気安さ、積極さに、もっといえば強引さに驚いたものだ。アメリカは違うなって。日本人歌手のカバーからアメリカを感じ、ますます染まっていくことになる。

そういえば、ブレンダ・リー(Brenda Lee)の「アイム・ソリー(I'm Sorry)」を聞いたときも、まず浮かび上がったのは弘田三枝子だった。いや、どっちが先だったのか・・・決まってるけれど。

(Youtubeに登録のMonotostereokingに感謝)

2015年9月21日月曜日

河津鉱山、高根山鉱山

昨晩の急な鉱物採集のお誘い、すぐに受けてしまったがちょっと心配事があった。この一週間、風邪から腹を下したようで、この数日、絶食に近い状態で過ごしていたからだ・・・大丈夫かな?

熟睡もままならず、早朝ひょいと出かけてしまった・・・フラフラしながら。欲に勝るものはない。待ち合わせのJR駅から車に同乗させていただき、目指すは伊豆、河津鉱山蓮台寺へ。

【河津鉱山(蓮台寺近辺)】

・朝の暖かい陽射しを受け、ガイドブックの採集場所(地図)を元に見当するが、それらしき場所が見つからない。迷い込んだ道先で、(H氏が)畑作業をしていた老夫婦から話しをうかがった・・・鉱山のズリ石は辺りに並んだ民家の石垣奥に埋込んだというのだ・・・途方に暮れる。
・結局、大沢川に架かる橋を渡って、採石場に至る最初の道端にある広場で採集を始めた・・・が、結果は全く思わしくない。磁鉄鉱、水晶、石英(微細群晶)のみ。テルルはいずこに。

【高根山鉱山】

・河津鉱山を早々にギブアップして、高根山鉱山へと転進する。住宅地の奥、こんな所にといった場所だ。民家の横を抜けて山に入る(ちょっと登る)とすぐにズリが目に入る・・・草木が茂って手の打ちようがない。硬マンガン鉱を割ると、石英?の透明薄片で埋まっていたが・・・そんなものなのだろうか。
・H氏はもう一段上側に探しに行く・・・お土産に、閃亜鉛鉱(べっ甲亜鉛)と水晶(美小群晶)をいただいた。

残念な成果、腹の回復は明日に持ち越しのようだ。

2015年9月20日日曜日

シルバーウィーク

実質、昨日(土曜日)から「シルバーウィーク」の長期連休に入った。月曜日と水曜日が祝日だった場合、その間の火曜日も<国民の休日>になるというルールがあるそうで、今年9月、6年ぶりの5連休となった。(月曜日:「敬老の日」、水曜日:「秋分の日」)

といって、この連休にとりたてて予定もない・・・連休特別教室の健康体操に出かけるくらいかな。

そんなとき鉱物採集のお誘いをいただいた。一度も行ったことがないけれど、誰もが知っている伊豆の河津鉱山だ。

昔、鉱物の会に同行して、河津海岸にある「やんだ」の浜で沸石を探した記憶がある。熱中しているうちに潮が満ちてきて、トレッキングシューズを水浸しにした。初心者の悲しさ、沸石の地味さがよくわからぬまま、隣りの菖蒲沢で金を夢見て銀黒を探した。眼力の乏しさ、銀黒らしきものを判別できず・・・、後日、リベンジしたものの再度要領をえなかった。

今回は、河津鉱山(蓮台寺方面)だ・・・さてどうなることか。夢も欲望も歌い流すことはできないよ。

2015年9月19日土曜日

社日 2015

雑節に「社日(しゃにち)」がある。余り耳にしない言葉だが、日めくりカレンダーの端に「社日」と小さく記してある。地元への関心の乏しさにあらためて気付く。

産土神(うぶすながみ)」(土地の守護神)を祀る日とのこと。昔は、生まれた土地から恵みを授かって、そこで一生を過ごし家をつないだことだろう。大地は命の源泉であり、郷土を意識したことだろう。(新田地帯の農家の次男・三男坊は独身のまま家付きになるか、養子や奉公人となって家を出るか決めねばならなかったが)

地元に「産土神」を冠した小さな社がある。300年ほど前に創建されたもので、毎年、初詣には必ず参っている。普段、鳥居をくぐることはあまりないけれど、そこに鎮座しているというそれだけで充分な、郷土の支柱のような存在だろう。

先ほど出かけてみたところ、境内に人々が集まって、来週の例祭に向けて何やら組み立てていた。子ども祭りもあるという、童心になって寄ってみようか。

2015年9月18日金曜日

もみじ

日本の秋は、木々の葉を色鮮やかに染める。特に、もみじの紅葉の美しさは欧米人を驚かせるようだ・・・、そんな感想を以前テレビで知ったことがある。山の起伏に展開する独特な景観であって、広い大地を波のように色付けていく様とは、およそ違った印象を持つのだろう。

日本建築の粋(美意識)に借景がある。部屋の内から望む、庭園と自然の背景が織り成す景色を、一幅の絵のように楽しむ。昔の室内は照明があるわけでなく、一層明暗と色彩が際立ったことだろう。残念ながら、今の私たちには贅沢過ぎるし、そんな余裕もない。

子どものころ、音楽の時間に歌った「紅葉(もみじ)」(作詞 高野辰之1876年~1947年、作曲 岡野貞一1878年~1941年)は、いつまでも忘れられない。おじさんの心に、歌や景色に、そんなにも素直に感じることができたという証である。ひとなみに無垢な時代があったんだ。

(本ブログ関連:”紅葉”、”もみじ”)

(Youtubeに登録のf3113663eeeに感謝)

2015年9月17日木曜日

秋?なのにもうストーブを出してしまった

半袖から長袖へ、秋の衣替えしても今日は寒い。去年(2014年)の東京の平均気温は、9月が23.2℃、10月が19.1℃、11月が14.2℃、他方、一日雨の9月中旬の今日、気温は地元で17℃ほど。来月の10月より更に11月並みの冷え方だ。

秋の初めに降り続く長雨(霖)を「秋霖」というそうだ。墨絵の風情する、霞む山裾の森に降る雨のよう。止まぬ雨は、秋の深まりを一層感じさせる。

テレビで誰かが、秋を飛び越えそうなほどの冷え方といっていた。寝冷えもしたので(理由と言い訳を重ねて)、とうとうストーブを出してしまった。弱火にポカポカして、心地よくとろりとする。それにしても、これから先の冷え込みが思いやられる。

ところで、この秋、韓国ギャラップが秋といえば思い浮かぶ歌を調査(自由回答)した結果*を、スポーツ朝鮮の記事「秋といえば思い浮かぶ歌 ~」(9/16、イ・ジョンヒョク記者)が次のように報じている。(抜粋)
(* : 2015年9月8日~10日、全国満19歳以上の男女1011人=携帯電話に、「秋」といえば思い出す歌を尋ねた結果)
├-----------------------------------------------------------
(韓国)20/30代は「秋が来れば」、40代は「忘れられた季節」、50代は「コスモス咲いている道」、60歳以上は「コスモス咲いている道」と共に「秋」を最も多く思い出した。総じて若年層よりも40代以上の中高年層がより多彩な秋の歌を言及した。

・「コスモス咲いている道(코스모스 피어있는 길)」(キム・サンヒ 김상희、6.7%)
・「忘れられた季節(잊혀진 계절)」(イヨン 이용、6.3%)
・「秋が来れば(가을이 오면)」(イ・ムンセ 이문세、5.6%)
・「秋(가을)」(ペク・ナムソク백남석 作詞、ヒョン・ジェミョン현제명作曲童謡、4.3%)
・「秋を残していった愛(가을을 남기고 간 사랑)」(パティ・キム 패티김、3.7%)
-----------------------------------------------------------┤
(Youtubeに登録者に感謝)

この調査結果に、イ・ソンヒの「秋の風」がランク入りしてないのが残念。

2015年9月16日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 船

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(9/9)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、「船(배)」にかかわる3曲を紹介した。

始めに、李朝末の朴趾源(박지원、1737年3月5日~1805年2月5日)の文集「熱河日記(열하일기)」に記された、漁船の出港の曲「ペタラギ(배따라기)」について、次のように紹介された。
・海辺の人々に海はどんな存在か。最も有難く、恐ろしい存在でもある。漁船の出港に、無事を祈るのみだ。李朝末巨匠、朴趾源の文集「熱河日記」に、舟が去りいく意の「ペタラギ」の曲について記録がある・・・ただし、今、彼の描いた「ペタラギ」は継承されていない。
・悲しい曲調の歌だが、出舟する過程を記している。まず、舟を花などで飾り、妓生一組が並ぶ。そして、軍隊の礼節からはじめ、ラッパを吹き出す。すると、村中が音楽を奏し、妓生は絹織物に刺繍をした衣服を着て船の両側に立つ。みなが漁夫の歌を歌いだし、演奏がはじまる。舟が錨を上げて旅立つと、妓生は歌を歌って祝う。

▼ 舟の出るを歌う平安道民謡「ペタラギ」を聴く。厳かな祝い歌か。(cf. フォークグループのペタラギの歌もよい)

・「ペタラギ」を素材にした、1920年代の金東仁(김동인、1900年10月2日~1951年1月5日)の小説「ペタラギ」がある。兄は、美しい妻と弟の仲を疑い、結局、誤解の末、妻は自ら命を絶ち、兄弟は縁を切る。自分の過ちを後悔した兄は漁夫になり、数十年をかけて弟を探し歩く。でも、弟が歌う「ペタラギ」は聞こえてくるものの、弟を探すことはできなかった。

次に、2010年の砲撃事件の島、延坪島に伝わる民謡「難逢歌(난봉가)」について次のように紹介された。
北方限界線の南側にある延坪島は、海上に列車が走るように平らな形から、延坪島と呼ばれる。美しい景色があり、北の海を見渡すことができる、絵のような砂原が広がる。島に伝わる歌「難逢歌」で疲労を解消する人々の島だ。

▼ 延坪島の「難逢歌」の歌を聴く。難逢(난봉)は本来「放蕩の人」を指すという・・・海の大らかさか、今様に響く。

最後に、ソウルを横切る漢江を頻繁に往来した舟、「紫船ふね(시선배)」について次のように紹介された。
・朝鮮戦争(韓国戦争)の頃まで、ソウルを横切る漢江は重要な交通路だった。景色も見事で、昔、金持ちの両斑は妓生たち乗せて舟遊びを楽しんだ。地方から、税として穀物搬送船もあった。江原道の木材を筏で運ぶ人々もいた。特に、漢江を頻繁に往来した舟を「紫船ふね」と呼んだ。ソウルより車で約2時間にある江華島から肉や木材を、当時の都漢陽(現ソウル)に運んだ。最大限、内陸に行けるよう、船底を広く平らにした。麻浦、永登浦、露梁津などに有名な渡し場があったが、今は痕跡はなく、歌だけが伝わる。

▼ 紫船ふねの歌から「櫓を漕ぐ音(노 젓는 소리)」の歌を聴く。歌に調和して櫓を漕ぐ音も聞こえてきそう。

2015年9月15日火曜日

パク・ミンギュのこと

韓国を代表するといわれた小説家の申京淑とパク・ミンギュが、最近、文壇を騒がせた噂と問題について触れるのは、今回で終わりにする。朝鮮日報(日本語版)記事「【萬物相】盗作の告白」(9/129/8)、キム・グァンイル論説委員)は、書き出しにアメリカの有名人や小説家に起った盗作問題に触れながら、パク・ミンギュの印象(自家撞着した弁明)と今後の立ち位置について突き放すかのように、以下の通り語っている。(抜粋)

(本ブログ関連:”申京淑”、”パク・ミンギュ”)

同じ朝鮮日報(日本語版)の記事であるが、「『文芸創作学科が韓国文学を台無しに』有名作家発言が物議」(9/129/12)、パク・ヘヒョン文学専門記者)は、小説家の黄晳暎(황석영、1943年1月4日~)の、大学教育に文芸創作学科が必要かという発言を紹介している。ちなみに、パク・ミンギュは、中央大学校文芸創作学科卒である。

パク・ミンギュの小説「亡き王女のためのパヴァーヌ」しか知らないけれど、その作風は、Twitter風であり、ある意味書き留めたスケッチ集を使っているのではと思いながら読んだ。

├-----------------------------------------------------------
・女性小説家・申京淑(シン・ギョンスク)氏が故・三島由紀夫氏の作品を盗作したのではないかという騒動はまだ記憶に新しいが、このほど小説家パク・ミンギュ氏が盗作を告白した。2003年の長編小説『三美スーパースターズの最後のファンクラブ』と、07年の短編小説『昼寝』がインターネット掲示板の文章や日本の漫画を見て書いたものだと認めたものだ。
出世作の『三美スーパースターズの最後のファンクラブ』は1990年代、パソコン通信の掲示板に野球ファンが掲載した文章と多くの部分で似ていた。また、パク・ミンギュ氏は「ずいぶん前に日本の漫画『黄昏流星群』を読んだ記憶がある」とも言った。そして自ら「明らかな盗用だ」と言い切った。

・10年前に初の短編集『カステラ』を出したパク・ミンギュ氏にインタビューしたことがある。当時の同氏は変わった風ぼうで話題だった。ひざまでの長さがあるヒッピー風の長髪をある日突然バッサリと切り、ファンキーな金色に染めた。家でもヒッピー風の服やアクセサリーを身に着けて小説を書いた。スキーのゴーグルのように大きなサングラスをかけて現れ、インタビュー中もずっと外さなかった。
高校時代は「クラスの平均点を引き下げるヤツ」で、中央大学文芸創作科にはカンニングで入学したという。すべてが盗用でも同氏は反逆的な小説家として残ると思っていた。

・映画監督のキム・サンジン氏は、「一流は世の中を守り、三流は世の中を変える」と言った。その時、パク・ミンギュ氏は三流を自任し、世の中を変えてやるとでも言うように食ってかかった。「芸術は盗作であるか、革命であるか、そのいずれかだ」と言ったゴーギャンよろしく、パク・ミンギュ氏も「韓国文壇の近親相姦風潮が小説の発展を妨げている」と「革命」の声を上げた。当時は文壇をひっくり返すかのように見えたが、10年を過ぎた今はただ盗作をするだけの人間だったと告白した格好だ。実感はない。盗作の告白ではなく、世の中をばかにしているのかもしれない。今も不穏な存在だ。
-----------------------------------------------------------┤

(資料) 韓国の音楽・小説など盗作・剽窃の状況 ・・・ ナムWiki

2015年9月14日月曜日

イ・ソンヒの「あなたに会いたいときは」

イ・ソンヒの8集所収の「あなたに会いたいときは(너를 만나고 싶을땐)」(1992年、作詞・作曲キム・ヨンドン)は、まるでオルゴール箱から聞こえてくるような、素朴な響き(編曲クロードチェ)がする。少女にあるような、そんな自分に夢見ているといった感覚だろうか。微笑ましい。とはいえ、この歌は彼女がソウル市議会議員選挙で民自党候補として当選後リリースされているわけで、そんなに華奢でもなかったろう。

(本ブログ関連:”あなたに会いたいときは”)

一日 眠れぬ孤独さよ
流れ去った、時を彷徨って
あなたは見知らぬ 場所で待つでしょう
私も見知らぬ 場所で待つでしょう

私の喜び 包んだ 暖かな心
私の悲しみ 触った 柔らかな手
今は草花散った 夢の中のなのに
今は過ぎた愛の ささやきだけなのに

*こんなに、あなたに会いたい時は
心深く 愛はるかにたずねて
どこかに どこかに 去らねばならないのね

(*以下繰り返し)

どこかに どこかに 去らねばならないのね


(Youtubeに登録のlys2187に感謝)


(追記) <噴火警報・予報: 阿蘇山>
-------------------------------------------------------------------
火山名  阿蘇山  噴火警報(火口周辺)  平成27年9月14日10時10分  福岡管区気象台

<阿蘇山に火口周辺警報(「噴火警戒レベル」3、入山規制)を発表>
 火口から概ね2kmの範囲では、噴火に伴う大きな噴石に警戒をしてください

<「噴火警戒レベル」を2(火口周辺規制)から、3(入山規制)に引上げ>

1.火山活動の状況及び予報警報事項
 中岳第一火口では、本日(14日)09時43分に噴火が発生しました。
噴火に伴い、火口から弾道を描いて飛散する大きな噴石を確認しました。噴煙は火口縁上2000mまで上がりました。
 今後も同程度の噴火が発生し、弾道を描いて飛散する大きな噴石が火口から1km以上に飛散する可能性があります。
-------------------------------------------------------------------

2015年9月13日日曜日

スペック

人の品性を語るのに「人品」という言葉がある。道徳性や教養といった人として備わるべき特性を指す。それを、履歴書や健康診断書に記載されるような項目で判断することがある。韓国で一般に、「スペック(스펙)」といわれるものだ。

通常、スペック(spec)は、製品の諸元、機能仕様書の項目といった風に使われる。人にも「仕様書」項目があるごとく判断するのがすごい。学歴、身長、職業、年収、・・・顔の美しさ、といった按配である。不足すればルーザー(루저)、敗者となる。そうならないよう、親はわが子に期待し投資することになる。

KBS「【芸能手帳】 勉強で親孝行しました!派手なスペックのスター2世」(9/10)で、イ・ソンヒの母娘の関係についても、彼女が人並みに<親馬鹿?>であるが、それが錯覚でなかったと、次のようにレポートしている。(抜粋)

├-----------------------------------------------------------
・歌謡界の女王、イ・ソンヒさんの娘ヤン・ウォンさんもアメリカで留学中です。
・ヤン・ウォンさんは、アイビーリーグの一つの学校であるコーネル大学校でジャーナリズムを専攻しているんですが。
・イ・ソンヒさんは、少し前のある放送(2014.04.16 SBS)で、幼かったときの娘の逸話を聞かせてくれました。
・<録音>イ・ソンヒ(歌手):「私たちの娘が天才だと思いました。生まれてから胸に置いて童話の本を私が読んであげたが、二、三度読んだ後に再びそこをぴったり広げると、子がそのまま言うんですよ」
・世の中すべての親たちが、「私の子どもは天才」という錯覚をしますでしょ ~、幼いとき童話の本読んだ子供が、今は世界的な名門大に通っていますので、イ・ソンヒさんの思いは錯覚ではなかったようですね。
-----------------------------------------------------------┤

参考) イ・ソンヒの家庭
92年  (91年ソウル市議会議員当選後)、86年以来のマネージャーだった前夫ユン・ヒジュン(윤희중)と結婚。
93年  娘(ヤンウォン、양원)生まれる。
98年  協議離婚。
99年  (IMF時代の後)夫のユン・ヒジュンは、事業の失敗で自死する。(6月5日)

(本ブログ関連:”イ・ソンヒの娘”)

(本ブログ関連:”(資料)イ・ソンヒが再婚した夫”)

2015年9月12日土曜日

早朝の地震(震度4)

早朝、うつらうつらしているところ、いきなりドンと揺れた。来た!と一瞬身構える。立て続けに、ドドドと部屋が振動する。昨晩から付けっぱなしのテレビ画面の中で、司会者たちが地震を伝えた。横になったままどうすることもできない。体感震度は優に4を越えていたが・・・。

何かが落ちたらしい。机の小さな本立てに無造作に積んだ書類がずり落ちたようだ。そんなものだった。幸い家財道具が倒れるほどでもなかった。充分目覚ましできていないときだけに、東日本大震災の恐怖がよぎった。

(本ブログ関連:”東日本大震災”)

テレビのチャンネルを次々切り替える。栃木・茨城・宮城各県の大雨のときもそうだったが、NHKの情報発信の初動に、さすが公共放送とその役割を認識する。どうやら、地元は震度4、近隣の街では最大の5弱だったようだ。

平成27年09月12日05時54分 気象庁発表
├-----------------------------------------------------------
12日05時49分頃地震がありました。
震源地は東京湾(北緯35.5度、東経139.8度)で、震源の深さは約70km、地震の規模(マグニチュード)は5.3と推定されます。
-----------------------------------------------------------┤

テレビ解説によれば、心配される首都直下型大地震と比べて震源の深さがより深いため、別のものと説明された。私にしてみれば、ただ恐れおののくばかりだったが・・・。

(付記)
今日、国勢調査の案内資料をもらった・・・ネット記入は便利だ。

2015年9月11日金曜日

大雨(続)

台風一過の空とは別に、昨日の大雨は北上し、宮城県に新たな堤防決壊の被害をもたらした。午前3時過ぎ、栃木県・茨城県に出されていた「大雨特別警報」が宮城県にも出されたのだ。

NHKのニュースWEBの記事「宮城・渋井川の堤防決壊 宮城や秋田で河川増水」(9/11、16時38分)によれば、「宮城・渋井川の堤防決壊 宮城や秋田で河川増水 - 国土交通省などによりますと宮城県大崎市を流れる渋井川は、11日午前、古川西荒井地区で堤防が決壊して氾濫したほか、宮城県を流れる吉田川とその支流は、富谷町と大和町で水位が上昇して水があふれ、周辺の地域が水に浸かっているのが確認されました。」とのこと。(抜粋)

(Wikpedia「鬼怒川」より)
├-----------------------------------------------------------
・(鬼怒川は)江戸時代までは毛野国(栃木・群馬の旧国名)を流れる「毛野河」あるいは穏やかな流れを意味する「衣川」「絹川」と書かれた。
・<六国史続日本紀>には古来毛野河は下総国と常陸国の境界を成しているとあり、また<常陸風土記>には、かつて筑波西部は紀の国であり毛野河が各郡の境界を成していたとある。
平安時代の書物(<延喜式兵部式>、<倭名類聚抄>など)には「河内郡衣川」や「下野国驛家衣川」などが見え、江戸時代の古地図にも「衣川」とあり、明治時代に編纂された<日本地誌提要>では「絹川」とされているが、<下野國誌>には「衣川」とあり、かつては「きぬがわ」が「衣川」「絹川」と書かれていたことが判る。
「鬼怒川」という表記は明治政府が編纂した<古事類苑>に見られ、これが「鬼怒川」の初出である。「鬼怒川」の表記は、暴れ川である「鬼が怒る川」から「鬼怒川」となった、などと云われるが、「鬼怒」は明治期以降の当て字である。
-----------------------------------------------------------┤

今夕、午後8時前に、「大雨特別警報」がすべて取り下げられた・・・。

KBS WORLD「国楽の世界へ」 梅窓

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(9/2)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、妓生の梅窓(매창、1573年~1610年)にかかわる3曲を紹介した。
(本放送は先月末までアーカイブされたが、今月から聴けなくなった)

始めに、梅窓と詩人の劉希慶(유희경, 1545年~1636年)の関係を歌った詩について次のように紹介された。
・朝夕に涼しい風も感じられ、夏が過ぎて、秋が訪ねくるようだ。今年も終わりに近づく。なぜか、懐かしい人を思い出す季節でもある。全羅北道の扶安地域に、妓生の梅窓が住んでいた。昔の恋人を愛しく思い詩を書いた。梨の花が咲く春に涙で見送った彼は、秋になっても戻ってこないという内容だ。彼とは詩人の劉希慶で、梅窓が二十歳のとき、28歳年上の彼と恋に落ちた。低い身分出身の詩人であった。梨の花がまるで雨のように降る様を指して、「梨花雨(이화우)」と言う。

頭学時調(지름시조、定型詩)の歌「梨花雨」を放送と別に、”ustreamの댕기언니”で聴く。秋風に舞う花弁・葉の如く。

次に、梅窓は、黄真伊(황진이、1506年?~1567年?)と並ぶ妓生(詩妓)だったことを次のように紹介された。
・梅窓は、黄真伊と並ぶ朝鮮時代を代表する詩妓だ。梅窓が亡くなると、人々は彼女の詩を探し、地方で身分を誇示した村役人が金を集めて詩集を作った。男女や身分の関係が厳しい時代、、妓生の詩集を出したのは驚くべきことだ。
・梅窓は、「洪吉童(홍길동)」の著者、許筠(허균、1569年~1618年)とも親しかった。彼は、梅窓を妓生としてでなく、人生や芸術を語り合える友としたようだ。梅窓に送った面白い手紙がある。梅窓がコムンゴを奏でながら歌っている姿を、通りがかったソンビが詩に表し広く知られた。詩を聞いた許筠は、梅窓へ冷やかす手紙を送った。梅窓が歌ったのは許筠を恋しいからという噂が流れ、悔しいという内容だ。梅窓がそのとき歌ったのは、「山慈姑鳥(산자고새)」という鳥の名の曲・・・だ。

▼ 「山慈姑鳥」の演奏。

最後に、梅窓は様々な人に囲まれて人生を終えたと次のように語られた。
・梅窓はコムンゴが好きで、亡くなる時もコムンゴと一緒に埋葬して欲しいと遺言を残したという。38歳の若さで亡くなると、許筠は残念な気持ちを文に残した。梅窓は妓生だが、詩や歌、コムンゴにも優れ、人柄が良く、清い人で、自分はその才能が本当に好きだったと。妓生であったが、彼女は幸せな人だった。劉希慶のような恋人と許筠のような友がいたからだ。それに、自身の詩を詩集にしてくれる人々までいた。

▼ 愛しい気持ちを込めた詩を音楽にした「남하여 편지 伝치말고」(他の人に手紙を渡さず、あなたが運び人となって直接手紙を持ってきてください)を放送と別に、”Youtube”で聴く。聴く。歌い手の恋しい気持ちが伝わるという。今様である。

2015年9月10日木曜日

大雨

昨日の昼過ぎ、映画会へ出かけた。雨はようやく晴れ、一時西の空に青空さえ見せた。夕方到着した地下鉄駅を出ると、映画会場までの道は土砂降りに変わった。そして今日、連日の雨も、昼過ぎには小雨となって止んだ。台風が日本海へ抜けたとほっとしたところだった。

そんなとき、テレビで栃木県鬼怒川の堤防決壊という実況中継ニュースが続いた。NHKのニュースWebによると、「茨城・鬼怒川で堤防決壊 各地で河川増水 : 国土交通省によりますと、茨城県内を流れる利根川水系の鬼怒川は、10日午前6時すぎに常総市の若宮戸付近で堤防から水があふれ、午後0時50分ごろには常総市新石下付近で堤防が決壊して氾濫しました。」(9/10、17時35分)という。(抜粋)

水没家屋からヘリコプターで救援される様子を見ながら、被災の大きさに驚く。被災者一人ひとりに名前があること、救援者に一人ひとり名前があること、忘れてはならないと感じた。

栃木県は日頃の鉱物採集の範囲で、鬼怒川沿いに車を走らせ、鬼怒川温泉を脇に見ながら鉱物産地へ向かうことがある。常に同乗者の身なれど、ナビゲータ能力については、行きと帰りの道筋が同じだと気付かないほど。そんなわけで、鬼怒川が栃木から茨城方面に南下しているということも未だ理解できていない。

いいわけすると、小学校高学年で地元地理を学ぶわけだが、そのころ九州から東京に転向したため、都内はもちろん関東周辺の地勢が直感できないままでいる。土地勘が鈍いのはそのためかもしれない・・・。

2015年9月9日水曜日

映画「シークレット・サンシャイン(密陽)」

以前、レンタルのDVDで視聴した、チョン・ドヨン(전도연)主演の映画「シークレット・サンシャイン(密陽、밀양)」(2007年)を、韓国文化院のホールで見た。これで2度目の鑑賞である。

(本ブログ関連:”密陽”、”チョン・ドヨン”)

DVDの場合、自分のペースで見てしまい、思い込みが生じるのではないかと気になる。それを大勢の息遣いに触れながら大ホールで観覧すると、意識の共有が感じられ、あらたな理解を楽しめる。

もう一つの楽しみは、スクリーンのチョン・ドヨンに会えることだ。彼女は、この映画で、「第60回カンヌ国際映画祭」(2007年)の主演女優賞を受賞した。「接続」(TV放送)、とりわけ「わが心のオルガン」(VHS)以来のファンである。

映画の最後に登場する陽だまりの光景にいたる、ストーリー展開をじっくり見ることができた。主人公イ・シネ(チョン・ドヨン)が悲劇的な事件の結果、キリスト教会へ宗教的に傾倒する中で生じる、神へ、自己へ、そして他者への不信(疑念)と葛藤を描いている。信仰を持つことで、果たして許されるのか、許すことができるのかと。映画は、そこにソン・ガンホが演じる、主人公に興味を持つ気のいいおじさんを登場させる。彼は、主人公を日常へと結びつける役回りだ。

神は見えない、もしかしたら、裏庭の隅の平凡な陽だまりにあるのかもしれない。

2015年9月8日火曜日

イ・ソンヒの「神がまた許すなら」

イ・ソンヒの11集に所収の「神がまた許すなら(신이 다시 허락한다면)」(1998年、作詞・作曲:チョン・ヨンア)は、愛を語るのに、魔法のような想いであり、神に願いたいという切なさがある。情熱的でありながら、一方で、旋律は結晶を透過する研ぎ澄まされた光のよう。

イ・ソンヒの高音の世界に美しく輝く、とても印象深い曲だ。だから本ブログで何度も想い入れさせていただいている。

(本ブログ関連:”神がまた許すなら”)


何を いっているのかと、見つめられた ときは
何も 感じられなくて、あなたから去ってしまいたい

<分かるでしょう、どんなわけか、始まった全てのことを
時が経ち みな変わっても、この瞬間の記憶は欲しくて、

わからない 魔法のように、あなたへの 想い
神がまた 許すなら>
あえてあなたを、最後の愛で、う~う

(<  >繰り返し)
私の想いを 受けてくださるなら

わからない 魔法のように、あなたへの 想い
神がまた 許すなら
あえてあなたを、最後の愛で


(Youtubeに登録のMusic Mookに感謝)

2015年9月7日月曜日

パク・ミンギュの記事

小説家パク・ミンギュ(朴玟奎)の噂(盗作)について、今日の韓国紙日本語版記事に一斉に掲載された。
記事では、パク・ミンギュの小説「三美スーパースターズの最後のファンクラブ」(15万部の売り上げ)で、盗作についての釈明は報じられているが、「昼寝」の盗用元になったといわれる「黄昏流星群」(弘兼憲史作)については、釈明という直接的なものはない。以下一部抜粋する。

(本ブログ関連:”パク・ミンギュ”)

① 朝鮮日報 「韓国の小説家、『黄昏流星群』盗用認める」(9/7、キム・ギョンピル記者)

・「パク氏は『月刊中央』9月号に寄稿し、『チェ・ガンミン氏とチョン・ムンスン氏の指摘について』という文章で、人生の黄昏時を迎えた男女を主人公にした『昼寝』の盗作疑惑について「『黄昏流星群』は昔読んだ記憶がある』とし、『普遍的なロマンスの構図とはいえ、客観的に見て似た面が確かにあるようだと認めた。その上で、『(作品を)あらためて検討し、必要があると思えば措置を取る。ご指摘に心から感謝する』と述べた。」

② 中央日報 「韓国人小説家、盗作認める…『インターネットの文章と日本の漫画を盗用した』」(9/7

・「パク氏は月刊中央8月号に掲載されたインタビューでも『三美スーパースターズ』の盗作事実を認めるような発言をしていた。やはり小説に使っていたインターネット著作物『プロ野球記名事典』を「著作権のあるものと認識していなかった」と釈明した。だが、『昼寝』については認知症になって苦労した自身の母親のために書いた作品で、盗作論争がおきて心が痛いと述べた。しかし、冷静になって検索をしてみると該当作品を読んだ覚えがあるとし、今回、その類似性を認めた。」

③ 東亜日報 「『三美スーパースターズの最後のファンクラブ』の朴玟奎氏、盗作を認める」(9/7

・「申京淑(シン・ギョンスク)氏に続き、盗作疑惑を受けてきた小説家の朴玟奎(パク・ミンギュ)氏(47、写真)が、盗作指摘を認めた。」
・「朴氏は最近発売された小説レビュー文芸誌・アクストの9月号と10月号(← 隔月刊)に掲載されたインタビューで、文壇の盗作を巡る議論について、自分も同様に盗作疑惑を受けていると明らかにしながら、「最小限のガイドラインでもまとめてこそ、この問題を解決できるだろう」と指摘した。このインタビューは最初に盗作疑惑が持ち上がったごろに行われたと、アクスト側は明らかにした。」

2015年9月6日日曜日

同じ本の二度買い

同じ本を2度買ってしまった。昨日のこと、久し振りに近隣の街に出て、大きな本屋に寄り、いつのように地学関連のコーナーで何かおもしろい書籍はないものかと探す。山梨県の山梨日日新聞社発行、山日ライブラリー(新書版)の「山梨の奇岩と奇石」(石田高著)に、「甲州金山」の紹介があるのを目にして購入した。

商店街の喫茶店で読んでいるうちに、もしかして、わが家の書棚にあるのでは?と気付いた。そんなわけで、現在手元には同じ本が2冊ある。

以前だったら、おのれの粗忽さに呆れるわけだが、今はそうでない。やっちまったという諦念しかない。いいじゃないかと笑い飛ばす余裕もある。

ちなみに、上記紹介の末尾に「甲州金山一覧」があり、「湯之奥金山」について「下部町湯ノ奥にあり、地質は新第三系の火山砕屑岩や泥岩で、金を多く含んだ鉱石。”湯之奥千軒”などといわれたくらい往時は盛んに採掘された。金山に係わる下部町営の博物館が町内にある」とある。

(本ブログ関連:”砂金”)

2015年9月5日土曜日

イ・ソンヒの「涙に咲く花」

イ・ソンヒの作品に、ささやくように始まる、2集所収の「涙に咲く花(눈물속에 피는 꽃)」(1985年)がある。デビュー時の彼女の特徴である、突き抜けるような高音を遺憾なく発揮している、やや硬質な感じする作品だ。挿入の独白は、独特な雰囲気がある。後にLPで、語り(台詞)だけのもの、詩集まで出した。

アルバム第1集と2集は、本格デビュー初年(1985年)に出されたものだ。この曲は、彼女のイメージから、傷心の少女が精一杯に女ごころを歌うようで、当時の大人から見れば可愛らしく見えたかもしれない。柔道着を着た少女が女ごころを歌っているようなさまが浮かぶ。彼女の童顔は後の強力な武器になる。

(本ブログ関連:”涙に咲く花”)


“愛は 別れに、なおいっそう輝くでしょう
一人で寂しさを感じたとき、なおいっそう美しいでしょう”

あなたの目に映った 私の姿は
そんなに悲しい顔で 泣いていたのですか
思わず流れた 私のこの涙は
そんなにもあなたの心を 苦しめましたか

遠い空 見つめながら悲しみを消し去ろうと
気づかうあなたの姿は、むしろ私の心に
石を投げているのですね 涙に咲く花よ

“孤独が訪ねてくれば、こらえてしまうでしょう
こらえ続けて寂しくなれば、それだけで泣いてしまうでしょう”

こんなにつらい別れを 始めなければならないのは
もしかしたらあなたと私の 試練ではないでしょうか
私たちの目に宿る 涙に咲く花よ

(Youtubeに登録のkang yeol jungに感謝)

2015年9月4日金曜日

パク・ミンギュの噂

正直言うと、イ・ソンヒを除いて、関心を持った韓国の歌手や小説家に戸惑いを覚える。韓流以前の頃、人気のあった歌手ケイ・ウンスクの歌を聞き続けたが、彼女のその後の生き方に大変残念な思いがある。母国へ帰った後も厳しい。

また、文学とは縁遠いながら、イ・ソンヒとほぼ同年輩であり、社会的評価もほぼ同時期に進んだ作家の申京淑(신경숙)の小説を読んだりした。ところが、今年6月に盗作問題が大きく報じられることになる。(実は、以前にも指摘されていたという)

(本ブログ関連:”盗作問題-”、”申京淑”)

ところで、今年7月、東京国際ブックフェアに出かけて、一般向けの韓国産鉱物図鑑について問い合わせた。その際、ある出版社の方にも相談したこともあって、同社の文学シリーズにある「亡き王女のためのパヴァーヌ」(パク・ミンギュ、박민규、吉原育子訳)を求めたりした。この小説については、Twitter風小説とでもいうのだろうか、恋愛小説であり・・・若い女性向けで、映画化の話にぴったりのストーリー展開である。

(本ブログ関連:”東京国際ブックフェア”)

何と、この若手人気作家パク・ミンギュにも盗作疑惑の話しが出ているという。東亜日報掲載のニュース1の記事「”盗作疑惑” 小説家パク・ミンギュ、『盗作は交通事故のような問題・・・』」(9/3)は次のように報じている。

盗作は交通事故とは違う。小説家の言葉として随分軽すぎる。私の方こそ交通事故にあったみたいだ。

├-----------------------------------------------------------
・「盗作が倫理的な談論でなく、交通事故のような現実的な問題になりました。最小限のガイドラインでも設置しなければなりません」

・デビュー作「三美スーパースターズの最後のファンクラブ」の盗作疑惑が提起された小説家パク・ミンギュが、小説専門文芸誌「アクストゥ(Axt、斧)」秋号を通じて、盗作を防ぐガイドラインの設置が必要という意見を出した。

・加えて、文学での盗作是非が、他分野よりもっと大きな波紋を起こす理由が、文学に書かれた「純粋」という概念のためだと主張した。だが、パクは自身の盗作疑惑については明らかで詳しい立場を明らかにすることはなかった。

・パクは、ペ・スア「アクストゥ」編集委員と行ったインタビューで、「盗作が交通事故のような問題」になって、「接触事故、追突、衝突でのひき逃げ、保険詐欺などの多様な形態の盗作がありえることになった」とし、「故意でなければ口をつぐむ理由も、隠す理由もない。その場ですぐ提起され、調整するのが最善」と話した。

・「だが(文人たちは)文を上手く書いて、登壇をして作家になる訓練だけ受けるだけで、これに伴う危険、乃至は安全規則遵守についてはどんな準備も対策もない」と、文壇内部のシステム問題を指摘した。

・彼はまた、「大衆音楽の場合には、ガイドラインと合意を導く調整機構により、大半の問題を解決することを知っている。今からでもそのようなシステムを構築しなければ、一方的な主張と黙秘権の悪循環は絶えず繰り返されるだけだ」といった。

・また、「お互いの文学観がみな違ので、盗作に関する考えもみな違うため、ガイドラインの構築のためには長い間の協議が必要だ」とし、「(しかしながら)最小限のガイドラインでも設置してこそ、この問題を解決することができる」と強調した。

・文学界にだけこのようなシステムが樹立できず、他分野に比べて盗作の是非が大きく浮び上がる理由は、文学を純粋なものと見る観点から求めた。パクは、「(盗作が繰り返されることが)文壇権力の保護という問題が台頭したが、私の観点ではさらに長い間の本質的な理由がある。 一つの単語でまとめようとするなら『純粋』だ」と語った。

・彼は、「純粋文学(순수문학)」という単語がヨーロッパの「fine art」を翻訳した日本語からきたものと見ている。彼は、西洋文学を輸入したことについて劣等感を隠すために*、日本が「純粋」という言葉を入れたと見て、長い時間が経って徐々に単語の意味そのままに、文学のアイデンティティになってしまったと解釈した。

(* ここだけ、パク本人の言葉がない間接的な語りだ。言質をとられないためか、それとも記者の思い入れか)

・「長官や総理候補の論文盗作にも鈍感な韓国人が、一介の作家の盗作に公憤する理由」は、世の中がいくら腐ってくずれても文学は純粋だろうという、人々の普遍的信頼が裏切られたところのためという指摘だ。

・彼は、「(この)純粋の監獄から抜け出さなければならない」としながら、盗作でない「模倣」については擁護する態度を見せた。彼は、「模倣と創作は絶えずお互いに影響を与えて発展すること」と付け加えた。

・一方、作家は「三美スーパースターズ・・・」などに対して提起された盗作疑惑について、「アクストゥ」のインタビュー提案を受けて、詳しい解明と反駁文を書こうか考えもしたが・・・無意味である気がした。いうことは(その前にもマスコミに)大まかに話した。その後の判断は、各自の役割」と、言葉を慎んだ。

・先月の「月刊中央」8月号では、パク・ミンギュの2003年デビュー作「三美スーパースターズ・・・」と、短編「昼寝」がインターネット掲示板の文章と、日本の漫画*を盗作したという疑惑が提起された。「三美スーパースターズ・・・」は第8回ハンギョレ文学賞受賞作であり、「昼寝」は2007年「文芸中央」夏号に掲載された短編だ。**

(* 「月刊中央」によれば、小学館「ビッグコミックオリジナル」連載の「黄昏流星群」(弘兼憲史作)・・・見てない⇒見たに変化)
(** 韓国ハフィントンポストの記事「小説家パク・ミンギュ、盗作を認めて心から謝罪する」(9/4))

・パク・ミンギュは、その後あるメディアとのインタビューで、「三美スーパースターズ・・・」盗作疑惑について、「当時インターネット掲示板に『人名辞典』という書き込みが掲載された。私は、この文を一種の80年代スズメシリーズ(참새시리즈)のようなユーモアで認識した。そこに、三美の選手たちの名前も数人入っていた」とし、「著作権がある文だと全く認識できなかった」と明らかにした。

・また、「昼寝」は、当時痴呆にかかった母を療養院に送り、心が痛くて書いた文だと釈明した。
-----------------------------------------------------------┤

(追記)
他者の作品からヒントを得て、自分の世界で膨らますことはよくあるのではないだろうか。和歌で言えば本歌取りがある。それは、時代の状況に光と影を与えられ、命を吹き込む作業の結果だろう。素人には、文学史に作品が残ったでしか知りえないことだ。作家の内面にどうして入り得よう。

「亡き王女のためのパヴァーヌ」の最終直前の節で、スイスの光景が描かれる。「黄昏流星群」(弘兼憲史作)の1巻に、スイスの雪山の場面が登場するのをネットでちらりと見て、素人はいらぬ詮索をする。疑心暗鬼になったのは事実だ。

2015年9月3日木曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 盂蘭盆

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(8/26)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、旧暦の7月15日の「盂蘭盆(うらぼん、백중*)」にかかわる3曲を紹介した。(* 백중を一律「盂蘭盆」と呼ぶことにする)

(本ブログ関連:”盂蘭盆”)

始めに、夏の「草刈り(김매기)」から解放される、旧暦7月15日の「盂蘭盆(백중)」について次のように紹介された。
・漢字の米は、十に八を上下に重ねる。米一粒できるまで、八十八回の手がかかる意だ。中でも「草刈り」は、真夏の強い日差しと地面から上がる熱で、本当に大変な作業だ。汗が目に入り、色々な虫が飛びつく。時間の余裕もなく、休む時間もない。こんな作業を三回ほど経て、やっと草刈りが終わると、今年の農作が終わった気がして、みな祭り気分で楽しむ。それが旧暦7月15日、「盂蘭盆」と呼ばれる日で、今年は8月28日だ。

▼ 「盂蘭盆の日(백중날)」の歌を聴く。家族の平穏を祈る・・・今様に洗練した歌いはアフリカのリズムのよう。

次に、盂蘭盆を「作男日(奴婢日、머슴날)」と呼んだり、「道軍楽(길군악)」について次のように紹介された。
・盂蘭盆は、草刈りを終えて「草取り鎌(호미)」を洗うことから、この日を、来年のために「草取り鎌を洗っておこう」とも呼ぶ。盂蘭盆は、草刈りを終えてみなで喜ぶ日で、一番一生懸命働いた者、農作の「壯元(장원)」を選ぶ。本来、壯元は科挙の首席合格者を指す。農作の壯元になった者を牛に乗せて帰る風習があった。地主は、新しい服や、休暇も与えたという。歌い踊りながら村に帰る時に歌うものを「道軍楽」 という。歩きながら演奏する音楽だ。また、盂蘭盆は「作男日」ともいい、村に市場が開かれ、余裕のできた作男のため、民族競技の「相撲(씨름)」が開かれたという

▼ 「道軍楽」を聴く。豊年満作、誇りと勇壮、湧き出る自信、エネルギー、民俗の逞しさ。いいね。

最後に、釈迦の優れた弟子「目連」と盂蘭盆について次のように紹介された。
・盂蘭盆は盂蘭盆節とも呼び、仏教で、祖霊を供養して「倒懸(逆さ吊り)の苦」を救う日だ。釈迦の弟子に「目連」がいた。目連の母は生きている時の行いが悪く地獄で苦しんだ。目連が悲しむと、釈迦は母を助ける方法を教えた。僧侶が精進を終えて日常の修行に戻る日に、百種類の馳走と五つの果物で供養をすれば救われるという。その日が陰暦の7月15日、盂蘭盆が盂蘭盆節と呼ばれるようになった。供養すると、生きた親はもちろん、亡くなった親も生まれ変わることができるという。

▼ 仏教音楽の供養を終えてから歌う詩歌「悔心曲(回心曲、회심곡)」を聴く。経文でなく、民謡要素が強いとのこと。

・盂蘭盆には、色々な意味がある。両親を想う日であることはもちろん、草刈りを終えて楽しむ日でもあった。

2015年9月2日水曜日

東京オリンピック・パラリンピック

東京オリンピックの話題で何かとせわしいけれど、五年先のこと、さほど心配していない。それより、どうやって見ようか、ちゃんと見られるだろうか、チケットはどうすればいいのだろうと、考えればきりがない。

どんな競技に関心あるかと問われれば、体操(個人)かな・・・。

1964年(昭和39年)の東京オリンピックは、10月10日(⇒「体育の日」)~10月24日の間開催された。一方、2050年の東京オリンピック・パラリンピックは、7月24日(金)~8月9日(日)で、前回より2ヶ月半ほど早い。温暖化による暑さが増しているので、熱暑対策が必要だろう。

天気に左右されない室内競技がようさそうだ・・・。

1964年の馬事公苑、霧雨けぶるなか行なわれた、乗馬競技を観戦した。といって、クラスに配布されたチケットを持って出かけたわけで、どんな競技なのかもよく分からなかった。遠くで行なわれる正装した人馬一体の競技をただただ見ていた。

それにしても、2050年のオリンピックを見る楽しみって一体なんだろう・・・。(チケットは子どもたちに譲りなさい)

2015年9月1日火曜日

二百十日 2015

今日は雑節の「二百十日」。この言葉、今よりも子ども時代の方が馴染んだ記憶がある。昔、台風襲来のたび、木造家屋は強くなかったのだろう、親父が木の雨戸に釘を打ち付けて固定していた思い出がある。

いまどきの戸建ては、とっくに縁側がなくなって久しいけれど、庭に面して雨戸を使う、大きな背丈サイズのガラス戸を並べるものが少ない。耐震構造のためか、エアコンなどの普及もあってか、できるだけ戸口を小さくする傾向にあるように見える。一見、洋風だが、湿度の高いモンスーン地帯の伝統的な家屋とは、かけ離れた気がする。

私の記憶にある、最大の台風被害は、「伊勢湾台風」(1959年、昭和34年)だ。子どもの頃、転校してきた級友から被災の経験をそれとなく聞いた。けれど、それ以上深入りすることがはばかれた。テレビや新聞記事から知っていたからだ。子どもながらに、興味本位に聞く話ではなかった。

今夕、帰り道に本屋へ寄って外に出ると、路面に小さな点がついていた。始めは微かに雨粒を感じた。次第に、雨脚が強くなった。帰宅してまもなく、屋根を叩く本降りとなった。どうも天候に恵まれない日のようだ。

1923年(大正12年)の今日、関東大震災が起きた。「防災の日」である。

2015年8月31日月曜日

導かれるように石とめぐり合うこと

今日で、多分、子どもたちの夏休みは終わりだろう。長くて、短かった思い出いっぱいの夏だったに違いない。明日から新学期、久し振りに友だちに会う楽しさもある。へいちゃらに時間がやってくる彼らがうらやましい。

私には、暑くてどうしょうもない夏だった・・・おまけに、今年の2/3が終わってしまったのだ。何もしないまま、何もできずに、今年も記憶より早く夏が通り過ぎた。こちらはあっけない。

導かれるように時を過ごしたい。更にいえば、導かれるように石と巡り会いたいものだ。少しも上達しない石集めは、幸運の導きを願うだけ。時間は待ってくれないのだから。

そういえば、江戸時代の終わり近く、琵琶湖畔に居をかまえた木内石亭も、しっかり全国に石を探した。彼ほどになれば各地の石好き(弄石家)から産地情報も得たろう。そんな彼でも、「近江の田上山で道に迷って、思はぬ谷底へはひり込んで、そこで図らずも大きな水晶を拾ったことなどを記して、『これらは石が自分を導いてくれたのであらう』などとしてゐます」と、森銑三は「石の長者といはれた石の蒐集家木内石亭」で語っている。(「日本の名随筆88 『石』」より・・・「おらんだ正月」所収)

この話し、石集めに長じた人だからこそ導かれるように石にめぐり合うことができたのだろう。そうでなくても、例えば団体で採集に出かけたとき、採集場所に至る山道でとんでもない石を拾ったりする人がいる。実にうらやましい限りだ。私は、一度も導かれたことはないけれど、分けてもらうのはしょっちゅうだ。

2015年8月30日日曜日

イ・ソンヒの「秋の風」

秋の風は、言葉の災いを気付かせる警告であり、親しい仲に隙間風が吹く前兆である。どちらにしろ、秋風はひんやりして沁みる。もう夏には戻れない。

秋風に舞い散る落ち葉を見ると、とたんに詩人になって憂いに浸ったりする。取り返しのつかない事態に気付いたふうでもない。風のせいにするには、あまりに軽すぎる。こんなこと繰り返して過ぎるのだろう。

ところで、イ・ソンヒの2集収録の「秋の風(갈바람)」(1985年)は、思い出を運ぶ西風だ。彼女の歌は、秋にとまどう心に吹く、凡庸の心に一種の清涼剤である。(今月始めに記したというに、デビュー当時の初々しい声をまた聴きたくなった)

(本ブログ関連:”秋の風”)

 「秋の風(カルパラム)」

小さな胸にこんなに、しみじみ恋しさ残して
去ったあなたは 風、寂しさくれた 「カルパラム」

今も目元を巡る、あなたの暖かだったあのまなざし
こころ、何度も何度も、恋しい翼を広げさせるよ

ああ、あなたは 「カルパラム」、雲を作る 「カルパラム」
ああ、あなたは 「カルパラム」、こころ奪った 「カルパラム」

小さな胸にこんなに、しみじみ恋しさ残して
消えたあなたは 風、寂しさくれた 「カルパラム」
寂しさくれた 「カルパラム」


(Youtubeに登録のkang yeol jungに感謝)

2015年8月29日土曜日

花火

遠くで花火の音がする。随分乾いた響きだ。十数分間のこと、大きな祭りではないのかもしれない。それでも、あのドンと突き抜けるような振動に、しばらく耳をそばだてる。

(本ブログ関連:”花火”)

子どもの頃の花火の思い出は、父が働いた会社の工場敷地で行なわれた夏の行事だ。夜の薄暗がりの中、ずっと低いところから見上げた空に、四方に広がり走る光の粒と、地響きのような揺すぶる音。遠くから眺めたはずなのに、記憶の花火は、私の周りを光で覆った。

やがて、花火が天空に炸裂して光の粒が散り、消滅するさまを鑑賞できるようになる。興奮とその余韻、静かに終わりゆく夏に、秋の涼しさが呼びさまされるような気配すらする。

海外での「日本デイ」のイベントに、花火を打ち上げる光景をYoutubeで見ることがある。ヨーロッパでのこと、観客の歓声から、どんな花火のスタイルに関心があるか分かる。空間、余白を残すことの少ない彼らの感覚からだろうか、光が点で消滅するよりも、筋を残しつつ消える方が好まれるようだ。自然体験や幼い頃の思い出など重なって表象されるだろう美意識の違いかと思ったりする。

2015年8月28日金曜日

「玉石の事」

先日、教育社版の「耳袋」(根岸鎮衛著、長谷川政春訳)に掲載の木内石亭と「石の中に潜(ひそ)んでいる竜」について記したが、岩波文庫版「耳嚢」(長谷川強 校注)に「玉石の事」として類話が載っている。

(本ブログ関連:”石の中に潜んでいる竜”、””)

愛石家の木内石亭は、石に対して在るままに振舞ったが、今回の話しの主人公(商人)はせっかくの奇石を欲に走らせて台無しにする。ある意味、教訓的な展開であるが、唐人は、それにしてもどうしてその価値が分かったのだろう。彼らの石に対する偏愛は大したものだ。

石の中に、竜がいたり、魚がいたりする空想は、世界が入れ子になったような感覚がしてたまらない。この話で、もし唐人の指示通り石が磨かれたならば、その結果、玉を愛するのだろうか、それとも玉中の水に泳ぐ魚を愛するのだろうか。空想は膨らむ。

├-----------------------------------------------------------
いつの頃にやありけん、長崎の町家の石ずへ(礎)になしたる石あり。不断水気潤ひだしを唐人見て、「右石を貰ひたき」よし申しければ、「子細ある石ならん」と其主人是をおしみ、右石ずへを取替て取入れて見しに、とこしなへにうるをひ水の出るにぞ、「是は果たして石中に玉こそ有りなん」と色々評議して、ふちより連々に(引続いて)研とりけるに、誤って打割ぬ。其石中より水流れ出て小魚出たるが、忽ちに死しければ取捨て済しぬ。其事、跡にて彼唐人聞て涙を流して是をおしみける故委敷(くわしく)尋ければ、「右は玉中に蟄せし(隠れひそむ)ものありて、右玉の損ぜざるやうに静に磨あげぬれば千金の器物也。おしむべしおしむべし」といひしとや。世に蟄竜などいへる類ひもかかるものなるべしと、彼地へ至りしもの語りぬ。
-----------------------------------------------------------┤

2015年8月27日木曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 七夕

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(8/19)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、「七夕칠석)」にかかわる3曲を紹介した。

(本ブログ関連:”七夕”)

始めに、年に一度だけ彦星(牽牛)と織姫(織女)が出会う「七夕」について次のように紹介された。
・昔、玉皇上帝の治める国に、牛飼の彦星と機織りの織姫がいた。恋に落ちて仕事を疎かにした二人に怒った玉皇上帝は、二人を天の川の両端に送り、年に一度だけ会えるようにした。いざその日も、二人は天の川にさえぎられて会えない。これを知ったカササギは、二人が会えるよう翼を連ねて架け橋(烏鵲橋)を作った。それを織姫が渡って彦星に出会う日を「七夕」という。明日(8/20)は旧暦7月7日、「七夕」だ。

▼ 演奏曲「牽牛と織女(견우직녀)」を聴く。国楽をカテゴリーにした東洋風バンド。今様である。

・七夕に雨が多い。七夕の前日や当日の雨は、彦星と織姫の喜びの涙、また当日の夜や翌日の雨は、悲しみの涙という。彦星は「わし座」のアルタイル、織姫星は「こと座」のベガにあたる。この二つは天の川を挟み東西に位置し、七夕の頃、空の中央に並ぶ。架け橋を作ったカササギは、七夕が過ぎると頭の毛が抜ける。二人が橋を踏んで渡ったから、橋を作るため石を頭で運んだからなど説がある。実際はこの頃、古い羽から新しい羽に換羽する。伝説は人々が自然を理解する方法でもあった。

次に、パンソリ「春香歌(춘향가)」から李夢龍(이몽룡)と春香(춘향)の出会いについて次のように紹介された。
・地方官の息子、李夢龍は、ある春の日、楼閣「広寒桜(광한루)」で南原地域の景色を鑑賞した。晴れた日に外出して、美しい乙女に巡り合えるのではと期待した。

▼ パンソリ「春香歌」から「赤城歌(적성가)」を聴く。彦星と織姫に例えて、高いトーンが地声のように歌う。

・<広寒桜も良いが、彦星と織姫の烏鵲橋の方が好きだ>から始まる。<自分は彦星になるが、織姫は誰だろう。ここでその相手と巡り合いたい>という。後に李夢龍と春香が、彦星と織姫に劣らぬ恋に落ちるのを予告する場面である。

最後に、七夕の節句に、星に向かって願い事することについて次のように紹介された。
・七夕は星に関連した節句で、この日に星に向かって願い事をした。北斗七星に向かっては家族の長寿を願った。また、子供たちは学問を、乙女は縫い物が上手になれるように祈った。

▼ 二弦の擦弦楽器の奚琴(해금:ヘグム)の演奏で、「七夕」を聴く。「たなばたさま」(1941年、作詞権藤はなよ、作曲下総皖一)・・・子ども時代を懐かしむ。

2015年8月26日水曜日

イ・ソンヒが歌う「幸せの国へ」

フォークロック歌手ハン・デス(한대수*、韓大洙, 1948年3月12日~)が作詞作曲して歌った「幸せの国へ(행복의 나라로)」(1974年)を、解放70周年を祝う「国民大合唱」(8/15)の舞台で、イ・ソンヒが大学連合合唱団とともに歌った。

(*)ハン・デスの生い立ち(Wikipediaより)
├-----------------------------------------------------------
核物理学者である父ハン・チャンソクとピアニストである母パク・チョンジャの間に生まれた。慶尚南道釜山で生まれ育ったハン・デスは、7才の頃アメリカに留学中だった父が失踪して、後に続いて母が再婚するため、神学者である祖父と住んだ。彼の祖父ハン・ヨンギョ博士はアンダーウッド博士とともに延世大学校を設立して初代学長と大学院長を勤めた。1955年釜山ナム・イル初等学校に入学したが、3年後の1958年にアメリカに移民し、ニューヨークのハーレムにあるP.S 125初等学校を卒業した。1961年、韓国に戻って慶南中学校に入学した。1964年に入学した慶南高等学校を通う間、父を発見したという報せに接して、1965年再びアメリカに渡り、ロングアイランドのA.G Berner高等学校に転校するなど、紆余曲折の末高等学校を終えた。1966年ニューハンプシャー大学獣医学科に入学したがすぐに退学して、適性に合ったニューヨークの写真学校に入学した。・・・
-----------------------------------------------------------┤

名門に生まれながら、無力な子ども時代のハン・デスにとって、守るべきものが不在という直面するには余りに大きな人生の波だった。その経験から、本当の幸せを、愛に恵まれる渇望を、軽快なフォーク調ながら青春の葛藤に歌いこんだのではないかと推し量る。四季、人生、風、流れる先に幸せの国を見つけよう・・・。未来への応援歌である。

(Youtubeに登録の강기남に感謝)


(追記) 「3放世代」

若い韓国世代の問題に「3放世代」がある。「就職で非正規職雇用に苦しむ青年を、『88万ウォン世代』と呼び、更に恋愛・結婚・出産を放棄する『3放世代』とも呼んだ。マイホームと人間関係まで放棄した『5放世代』、夢と希望も放棄する『7放世代』が登場した」と、国民日報の記事(8/28)は語っている。ひとごとではない・・・。

2015年8月25日火曜日

「こうのとり」5号の把持・結合完了

宇宙ステーション補給機(H-II Transfer Vehicle: HTV)の5号機「こうのとり5」は、国際宇宙ステーション(ISS)のロボットアームにより、昨晩(8/24)19時29分に把持され、本日02時28分に、電力・通信ラインの結合をもって「結合完了」された。

(本ブログ関連:”こうのとり”)

「こうのとり」は円筒形した少々地味な姿であるが、ISSで油井亀美也宇宙飛行士がロボットアームを操作してキャッチし、NASA管制センターから交信担当者の若田光一氏が支援する様子を見た子どもたちに、宇宙がよりリアルにそしてより身近に感じられたのではないだろうか。子どもたちは未来に生きるのだから、大きな夢を与え託すことは大人の責務だ。

朝日新聞の記事「日本チーム、こうのとりドッキング成功『感慨深い』」(8/25)は、今回のミッションに日本チームが関わっていることについて次のように報じている。(抜粋)
├-----------------------------------------------------------
・こうのとりは19日、鹿児島県の種子島宇宙センターからH2Bロケットで打ち上げられた。24日午後7時29分、ISSに滞在中の油井亀美也宇宙飛行士が操作するロボットアームでキャッチされ、ドッキングに向けて金具による固定や電源の接続などの作業を進めていた。

・キャッチは米ヒューストンの米航空宇宙局(NASA)の管制センターから若田光一さんが支援。筑波宇宙センターからこうのとりの管制にあたったJAXAの松浦真弓リードフライトディレクターは「日本チームで成功できたのは感慨深い。日本人同士通じるものがあり、やりやすかった」と語った。
-----------------------------------------------------------┤

8/24 : ISSのロボットアーム(SSRMS)による宇宙ステーション補給機「こうのとり」5号機の把持ライブ中継 =録画
- 映像の時間35分40秒頃から 油井氏、若田両氏の日本語談話が聞こえる。
(Youtubeに登録のJaxa映像)

2015年8月24日月曜日

イ・ソンヒの「少女の祈り」

イ・ソンヒの美しく透き通る結晶のような声は、どこまでも澄んで響く。彼女の初めてのアルバムに収録した「少女の祈り(소녀의 기도)」(1985年)は、当時、彼女が少女たちに支持され、受け入れられ、そして共振された理由がうかがえる。いわば意図的なテーマであり旋律でもあるだろうけれど、今も彼女のカラオケ曲の上位にリストされる美しい曲だ。

(本ブログ関連:”少女の祈り”)

イ・ソンヒは手記に、この第1集アルバムの反響について次のように記している。
├-----------------------------------------------------------
・1985年2月、私は初めて第一アルバムを世の中に出した。1集に収録されたすべての曲は、全てソン・ジュホ氏が作曲した歌だ。高校時代、チャン・ウクチョ音楽室での出会いが縁だった。

・<少女の祈り(소녀와 기도)>と<女心(여심)>をそれぞれ(レコード)裏表面のタイトル曲として載せた1集アルバムはあきれるほどとても売れた。ソウルでは、「あ! 昔よ(아! 옛날이여)」と「葛藤(갈등)」が人気であり、地方では「また咲く愛のために(다시 필 사랑위해)」、「光の子ら(빛의 자손들)」、「愛の約束(사랑의 약속)」、「少女の祈り(소녀의 기도)」などが強い勢いを見せた。(レコード)盤一つで、何と六曲もヒットしたのだ。ファンは、レコードの入手が難しいと不平を言うほどであった。
-----------------------------------------------------------┤

風吹けば散る、寂しい落葉が みな
おぼろな露のよう、揺らぎます
その声耳にして   空しく歩く うつろな心は

*離れた人 なつかしむ、切ない心だけれど
一人残り 守ればならぬ、 孤独なわたしを泣かすよ

引き留められぬ 未練さに
落葉の季節に わたしを埋めて
春がまた訪れを 祈ります、この夜が明けたら

(*以下繰り返し)

この夜が明けたら


(Youtubeに登録のrosamin2に感謝)

2015年8月23日日曜日

処暑 2015

夏も終わりに近づいた。最高気温は次第に30℃近辺をかすめる。それに気付くと何だかさびしくなるものだ。

(本ブログ関連:”夏の終わり”)

きょうは、二十四節気の「処暑」。暑さまじり聞こえるセミの鳴き声に、鬱陶しさしかなかったものの、今ではゆく夏を必死に生きようとするあわれさを感じる。百日紅の花は今が盛りである。

(本ブログ関連:”処暑”、”百日紅”)

日の入りが早くなっているのに気付く。今年の東京(天文台)の「日の入り」は、6月24日~7月4日まで一番遅く、19:01だった。それが昨日は、18:22まで約40分も早まっているのだ。

気温がさがり、日照時間が減る。そしてツクツクホウシの鳴き声が聞こえてくる。子どもたちには、夏休みの宿題を終えて残り休みを全うする子もいるだろうし、必死で宿題に取り組んで残りの日数を勘定している子もいるだろう。

赤い夕陽がさし込んだ畳の上に、遊び疲れて横になりまどろんだ頃が懐かしい。庭木にツクツクボーシ、ツクツクボーシと鳴く声、台所からコトコトとまな板の上で刻む音が聞こえてくる。それら全てが溶け合った、そんな思い出がおじさんにもあるものだ。

2015年8月22日土曜日

砂金採り・リベンジ?

台風接近すれど小笠原近海まで、前線は停滞すれど日本海・東北一帯に雨曇りという天気予報で、東京の朝は明るい。今日の砂金採集は、ちょっとした幸運に恵まれたようだ。

(本ブログ関連:”砂金”)

早朝のJR駅で、採集仲間と待ち合わせした。ところが、思わぬ事態に陥る。当方の連絡ミスで全員集合できず、次回にお預けという残念至極の結果となってしまったのだ。別働の仲間にも連絡を手間取り慌てふためく。せっかくの晴れ空だったというに。

駅で散会したものの、そのまま帰宅してしまうわけにはいかなかった。気持ちが治まらない。で、砂金採集を決行。私鉄に乗り換えて多摩川へ単独出かけたのだ。

西武多摩川線是政駅から是政橋を渡り、稲城側岸辺におりる。武蔵野線鉄橋手前にある、川に突き出た草の茂る場所で・・・炎天直下パンニングした。主に、草の根に集中して狙ったが、残念ながら柴金と巡り会うことはできなかった。

柴草の泥をパンニングすると、流に水煙して小魚が寄ってくる。そのあと、雲母のニセ金がパンニング皿で空しく点滅した。

じりじりと日照りに押されて、パンニングが荒くなる。にわか砂金採りの悲しいところ、腰も痛いし喉も渇く。おまけに長靴の具合が悪く水漏れする。撤退の理由を考え始めた・・・のだ。

電車のクーラーにやっと一息つく。今日の大失敗のリベンジにもならず帰路につく。

2015年8月21日金曜日

百日紅

今年、少し早めに百日紅(さるすべり)の花に気付いた。満開は、例年の通り今頃である。小さな花が群れ集まって、自然に溶け込むように咲く。どこか東洋風である。香り漂わせるわけでもなく、まるで古い装飾に似合いそうだ。

(本ブログ関連:”百日紅”)

高浜虚子の「百日紅」の掌文に、百日紅に一向に気がつかなかったといい、葉の存在も全然眼に入らなかつたというのもうなづける。地味なのだ。香の匂いしそうな古風さもあるのだが。桜のように青い空に薄桃色の花びらを浮かべるわけでなく、梅のように寒さに逆らうようにして咲く意志を感じることもない。百日紅は、夏の陽射しに朦朧としながらすれ違うとき気付く、塀越しの花木かもしれない。

実際、百日紅を庭木にして、始めてその姿を知った虚子のようにはいかない。子ども時代に、猿も滑り落ちるという名の由来を持った木肌にしか関心がなかった。小花を集めて身にまとった、この木が百日紅だと気付くのはずっと後のことだ。

雨まじりの急ぎ道、いつも見る百日紅が視界にない。なあに、天気になれば気付くだろうよと、百日紅は鷹揚だ。お前は俺のように、毎年花を咲かせ続けることができるのかい・・・ってね。

2015年8月20日木曜日

「こうのとり」5号(続)

昨晩(19日)打ち上げた、「こうのとり」の経過について、sorae.jpの記事「『こうのとり』5号機、初期高度調整軌道制御を完了 順調に飛行中」(8/20)は次のように報じている。(抜粋)

無人飛行のためだろう、国際宇宙ステーションに着いてから宇宙飛行士の入室まで結構時間がかかるものだ。昨日の毎日新聞記事のように、「滞在中の油井亀美也・宇宙飛行士(45)がロボットアームを使ってISSに結合させる予定。若田光一・宇宙飛行士(52)がNASAの交信担当者として結合作業を支援する」ことになるそうだ。
├-----------------------------------------------------------
・宇宙航空研究開発機構(JAXA)は8月21日朝、「こうのとり」5号機にとって最初の軌道修正(初期高度調整軌道制御)が完了したと発表した。24日の国際宇宙ステーション(ISS)到着に向けて、順調に飛行を続けている。

・「こうのとり」5号機は2015年8月19日20時50分49秒、H-IIBロケットによって種子島宇宙センターから打ち上げられた。ロケットは順調に飛行し、打ち上げから15分後に「こうのとり」が分離され、予定通りの軌道に入った。

・その後、機器の立ち上げなどにも成功し、8月21日4時25分に最初の軌道修正となる初期高度調整軌道制御が完了したことが確認された。

・今後、23日2時55分ごろに第1回軌道修正を、24日12時7分ごろに第2回軌道修正を、そして同日15時12分ごろに第3回軌道修正を行い、徐々にISSへと近づいていく。

・そして8月24日の夜にISSのすぐそばにまで接近し、19時55分ごろにISSのロボット・アームによって把持(キャプチャー)される。その後、25日0時30分ごろに、固定金具を使ってISSに取り付けられ、3時ごろに「こうのとり」の与圧キャリアにある圧変電器(DDCU)の起動完了をもって、「結合完了」となる。与圧キャリア内への宇宙飛行士の入室は25日に予定されている。
-----------------------------------------------------------┤

KBS WORLD「国楽の世界へ」 光復節

【遅れたが前回の「KBS WORLD『国楽の世界へ』 井邑詞」は、本ブログ8/13付けで記載した】

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(8/12)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、戦前日本統治下における朝鮮の音楽にかかわる3曲を紹介した。

始めに、無声映画「アリラン(아리랑)」で流された歌「アリラン」について次のように紹介された。
・1926年、本格的映画館団成社(단성사)で封切られた、無声映画「アリラン」の主人公崔永鎭(최영진)は、独立運動に参加して投獄後、精神に不調をきたす。帰郷後、妹を襲おうとした男を殺し捕縛され、村人は泣き崩れる。映画に流れた音楽が「アリラン」だった。「アリラン」は民族の歌となり、今日に至るまで、人々の心の深く刻まれている。

▼ 地域ごと伝わるアリランと区別した「本調アリラン」を聴く。穏やかに、爽やかに聴く。

(本ブログ関連:”アリラン”)

・統治下の時代、国を取り戻そうとした中に芸術に携わる人もいて、それなりの方法で努力した。

次に、林芳蔚임방울*、1904,5?年~1961年)の「スクテモリ(쑥대머리)」について次のように紹介された。
・パンソリの歌い手、林芳蔚は、「スクテモリ」で大スターになった。そのレコードは、100万枚も売れたという。「スクテモリ」は、髪の毛が乱れた様子を指す。パンソリ「春香歌(춘향가)」で、獄中の春香が泣きながら悔しさを表現する歌う場面がある。不当な力の前で、民は「スクテモリ」を歌いながら心をなだめただろう。
(* : DAUMの白紙のブログに詳細記載あり)

▼ 「スクテモリ」を聴く。パンソリ世界の独特の歌い語り。

最後に、朴東實(박동실、1897年~1969年)の「烈士歌(열사가)」について次のように紹介された。
・植民地下35年の歳月が過ぎ、1945年8月15日に韓国政府が樹立する。喜びの中で、人々は民族のプライドを取り戻す英雄を求めて歌われたのが「烈士歌」だ。1930年頃から作られはじめたという。独立に活躍した人々をパンソリで構成したもので、地方でパンソリを教えた朴東實が陰で作ったという。
(* : 韓国学中央研究院に詳細記載あり)

▼ 「柳寛順の烈士歌」を聴く。いつ頃できた歌だろうか。

・植民地下の人々が守ろうとした民族の精神と文化を振り返ってみた。

2015年8月19日水曜日

「こうのとり」5号機

油井亀美也・宇宙飛行士が搭乗している「国際宇宙ステーション(ISS)」の元へ、当初8/16に予定していた「宇宙ステーション補給機(HTV、愛称:こうのとり)」5号機が今晩打ち上げられた。最近、各国の物資補給機が民営化の流れで行なわれ、不調なのが気になる中でのこと。

(本ブログ関連:”油井亀美也・宇宙飛行士”、”こうのとり”)

毎日新聞の記事「こうのとり:H2Bロケットで打ち上げ成功 JAXA」(8/19、斎藤広子記者)は、次のように報じている(抜粋)。また、解説記事でコスト削減について触れている。
├-----------------------------------------------------------
・三菱重工業と宇宙航空研究開発機構(JAXA)は19日午後8時50分、国際宇宙ステーション(ISS)へ物資を運ぶ無人補給機「こうのとり」5号機を搭載したH2Bロケット5号機を鹿児島県の種子島宇宙センターから打ち上げた。約15分後、こうのとり5号機は予定通り地球周回軌道に投入され、打ち上げは成功した。

・JAXAによると、こうのとり5号機は24日にISSに到着し、滞在中の油井亀美也・宇宙飛行士(45)がロボットアームを使ってISSに結合させる予定。若田光一・宇宙飛行士(52)がNASAの交信担当者として結合作業を支援する。

・H2Bは、こうのとり打ち上げを主目的に、主力ロケットH2Aを改良してJAXAと三菱重工業が共同開発。2009年の1号機以降、5回連続の打ち上げ成功となった。H2Aと合わせた成功率は97%(33回中32回成功)となった。今回の事業費総額は約360億円。
-----------------------------------------------------------┤

参考) 打ち上げ映像: 始めの10分は飛ばしてください。打ち上げ(Lift off)は、1:00あたりからで・・・。

(参考) 成27年度 全国小・中学生 作文絵画コンテスト 作品大募集、油井宇宙飛行士からのメッセージ
(Youtubeに登録のJAXAに感謝)