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2014年7月2日水曜日

半夏生2014

今日は、二十四節気の「半夏生」。年の後半を始める頃でもある。梅雨の長雨、ゲリラ豪雨、当地でが見られなかったが近隣の市での局地的な雹。そして、夏を思わせるカラッとした晴れ空。一体、どれが本当なのかと聞きたい。

例年のことながら庭に、ハンゲショウの臭いに似たドクダミ草がところかまわず生え繁っている。この雑節(半夏生)について、身近に感じるのはそれくらいかな。

(本ブログ関連:”半夏生”)

ネットのニュースによれば、福井地方に、土用の丑の日のうなぎの蒲焼ならぬ、半夏生に焼サバを食べる風習があるという。いかにもサラリーマン御用達の定食屋メニューにありそう。少し煙った店のカウンターで昼飯によく食ったものだ。隣町に行けば、魚料理の店があるので、いつか食べに行こうか。

2014年7月1日火曜日

イ・ソンヒ全州コンサート(8/30、31)

イ・ソンヒのデビュー30周年記念コンサートは、4月にソウルを起点として、現在全国ツアーを次のように展開している。今回、全羅北道全州市「韓国ソリ文化の殿堂」でのコンサートが追加されたようだ。(インターパーク

2014年デビュー30周年記念コンサート「歌う イ・ソンヒ」
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・ソウル: 4月18日-20日、「世宗文化会館」 ★4月19日レポート
・大邱: 5月10日-11日、「大邱エックス5階コンベンションホール」
・蔚山: 5月24日-25日、「蔚山東川体育館」
・光州: 6月07日-08日、「金大中コンベンションセンター」
・城南: 6月14日-15日、「城南アートセンターオペラハウス」
・釜山: 6月28日-29日、「KBSホール」
・富川: 7月12日-13日、「富川室内体育館」
・全州: 8月30日-31日、「韓国ソリ文化の殿堂 モアク堂
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イ・ソンヒのデビューは、1984年7月29日に京畿道加平郡南怡島で開催されたMBC第5回「江辺歌謡祭」で、仁川専門大学のグループ「4幕5場」の代表として「Jへ」をデュエットし、大賞受賞したことに始まる。
今月29日は、まさにイ・ソンヒの音楽人生30年を記念すべき日だ。

2014年6月30日月曜日

買い物

古いパソコンデスクを使っているので、キーボードとマウスを一緒に並べる余裕がない。そこで、キーボードを中型サイズにしているが、使い勝手が良くない。指使いのせいか、ハングルキーボード用のシールを貼っているキーのうち、右手の「N/ㅜ」と「O/ㅐ」キーのシール文字が消えかかってきた。新しいシールに張り替えるため、新大久保に買い物に出かける。

空模様が芳しくない昼下がり、それでも街は賑わっていた。目指すショップで、シールを購入する前に、CDコーナーにあるイ・ソンヒのアルバムがきちんと陳列されているか監視?して、2階の書籍フロアに上がる。

YUBISASHIシリーズの「韓国×鉄道」(2010年、著:植村誠)を求める。豪華寝台列車(レールクルーズ)「ヘラン(해랑)」の紹介記事が載っている。小冊子なので、「簡易駅」についてまで説明はないようだが、韓国の鉄道の旅を知ることができそう。

ここまで来たのだから、新宿まで足を伸ばし紀伊国屋書店に寄る。1階にある「化石・鉱物標本の店」が拡張していた・・・いつ頃?・・・何と去年の2月からだそうだ。さて、書店に入り、4階の地学書コーナーで、次の書籍を求める。
・「鉱物コレクション」(2014年、監修青木正博):8名のコレクターが鉱物との関わりを語る。今までにない、極まれり!
・「鑛(こう)のきらめき」(2014年、秋田大学鉱業博物館解説書):秋田産を中心にしたカラー地学・鉱山図鑑。凄い!

久し振りの新宿界隈、人混みに気押しされてさっさと帰路につく。

今年もリンゴを半分食う

時の経過を、リンゴの食べ具合に例えている。1年を一個のリンゴの実とすると、今日で半分食ってしまうことになる。視覚的で、食欲と結びついている分、まことに連想しやすい。

(本ブログ関連:”林檎”)

美味いと口にしたリンゴも気付けば半分になっている。半分しか残っていないと慌てる。毎年こんな風に、そのときだけ気をやむ。そして繰り返す。

月は回り、観覧車も、そして6月も巡ってくると、懐かしいジュディ・コリンズ(Judy Collins)の「青春の光と影(Both Sides Now)」(1968年、作ジョニ・ミッチェル(Joni Mitchell))は歌う。もっとも、人生に直面しようという気迫で歌っているのだが。それにしても、「青春の光と影」とはむず痒いタイトルだこと。
この曲、最初に耳にした頃、ただ旋律を楽しんで人生なんて積読(つんどく)枕のようなもの、いずれそのとき紐解こう位いしか考えていなかった。今となっては、ため込んだものが多すぎる。

青春もリンゴのように食ってしまったが、酸っぱいほうが美味い。味覚は思い返すもの。

この「Both Sides Now」が登場する順序は次の通り。
1967年  シンガーソング・ライターのジョニ・ミッチェルがこの曲を作る。
1968年  シンガーソング・ライターのジュディ・コリンズはこの曲を採りあげてリリースする。
1969年  シンガーソング・ライターのジョニ・ミッチェルはこの曲を自分のアルバムに収録する。

(ジュディ・コリンズには、「太陽の黄金の林檎(Golden Apples of the Sun)」(1962年)がある)

2014年6月29日日曜日

日曜日の「この雨やんだら」

昼過ぎまで、真夏のように強い陽射しして、空にいくつもの白い雲が浮かんだ。昨日聴いた、イ・ソンヒの「この雨やんだら」の歌の最後にあるように、(昨夜来の)「この雨がやめば、その美しい陽射しが、私にも光を与えるよ」のごとく、晴れ晴れした気分だ。

気を好くして近所の公園をのぞけば、久し振りの晴れ間に、陽を浴びようと家族連れで賑わっていた。公園を外周する散歩道は、木陰に覆われて、その木漏れ日が叩くような錯覚すら覚えた。まさに緑陰に逍遥する。

帰路、寄り道して通りに出て見ると、なんと辺りが濡れていた。知らぬ間に雨が降ったのだ。西から北の空では、雲が外出時のように明るく照らしていたが、東から南の空には、重く鈍色の雲が幾重にも重なり泰西名画のように、まるで芝居じみて浮かんでいた。

で、写真を撮ったけれど、写り具合が口でいうほどでない。素人写真は逃がした魚のよう。(せっかく載せんと思ったのに)

そんなわけで、雲行きに怪しさを感じていたら、夕方に強雨が我が家を叩き始めた。雨具合、梅雨というより夏雨のよう。あっけらかんとしている。

2014年6月28日土曜日

イ・ソンヒの「この雨やんだら」

一日中、雨がやまない。予報では、明日に思い出すように降るやもしれないけれど、その後は曇天続きのようだ。といっても、降水確率はそれなりにある。カラッとした梅雨明けにはまだ遠い。

イ・ソンヒの歌には、雨降りに思慕するものが多い。7集所収の「この雨やんだら(이 비 그치면)」(1991年、作詞/作曲ソン・シヒョン)もそうだ。雨滴までクリスタルのように美しく繊細に響くよう。(みゆきさんなら、多分どろどろするところでしょうが・・・)
7集には、透明感溢れる珠玉の作品がある。「あなたが私を愛されるなら(그대가 나를 사랑하신다면)」、「恋文(연서)」もそうだ。

(本ブログ関連:”7集”)


この雨やんだら、あなたに行きますよ、
あなたよ少しだけ、待っててください

霧が晴れたら、私は見えるのよ、
あなたよ少しだけ、とどまってください

*濡れた顔であなたを見られません、
こんなに悲しい顔では、なおさら

この雨がやめば、その美しい陽射しが、私にも光を与えるよ、
その時は、私も笑えて、私の涙も止まるよ

(*以下、繰り返し)

(Youtubeに登録のlys2187に感謝)

2014年6月27日金曜日

お疲れさま(FIFAワールドカップ2014)

学生時代、僅かな経験だが、オーケストラクラブに参加した。オケラの部員は、大勢いるわけで気質も様々だが、所属した金管楽器のメンバーは、いわゆる体育会系気質の傾向があって、どちらかといえばネアカだ。練習も和気あいあい、楽器パートで一緒にする方が多かった。

部活のなかで音楽論議は無縁だった。パートをマスターするのが第一で、よくいえば謙虚だった。また、楽器置き部屋(倉庫)で赤ラベルの「ヒヒニッカ」(Hi Hi NIKKAをそう呼んでいた)を飲んで酔っぱらう方を好んだ。
そんなわけで、プロオーケストラの演奏について、おこがましいことを口にしているのを聞いたことも見たこともない。まして、指揮者の解釈について、論じるなんてそら恐ろし過ぎる。一度だけ、部員がクラシックのLPレコードを手にしているのを見たことがある。あれは、金管メンバーじゃなかったな。

今夕、FIFAワールドカップ2014に参加した日本チームが帰国した。

わたしは、サッカーについて、にわかファンを自認している。ルールもよく理解していないが、そもそもサッカー世代ではなかった。ビートルズの時もそうで、後から流入したのを、肌身に知っているように根っからのファンというには、なかなか馴染めないものだ。エルヴィスに申しわけないし、野球に済まないという思いがある。

もちろん、自然というか必然というか、女子サッカー選手の顔はわりと分かるのだが、男子の場合はそうはいかない。気分で納得し、その気になって応援しているのが現実だ。
テレビの前に坐って、横になって、或いはウトウトしながら応援したけれど、ブラジルで健闘した若い選手たちに熱い声援を送ったつもりだ。

ザッケローニ監督に、選手に、お疲れさまという言葉を素直におくりたい。

2014年6月26日木曜日

映画館

地方にいた子ども時代、映画館といえば、地元町にある2本立て日本映画専門の、いわゆる2番館というか3番館といった方がいいような、場末の臭いするものが2軒あった。たまに親に付いて行くことがあったが、あるとき怪談映画を見せられてから、二度と行くまいと決めた。

(本ブログ関連:”映画館”)

もちろん、駅近くの商店街に行けば、それなりに大きなものがあったし、隣り町に行けばさらに近代的な構えした清潔な映画館もあったけれど、ほんの数回位いしか記憶がない。当時の映画館は、大人が時間を過ごすような場所であって、子どもが楽しめる雰囲気はなかった。子ども向けを意識した、劇場用作品はそんなになかった。

子どもたちは、もっぱら、小学校の家庭科教室といって畳部屋だが、そこで坐りながら児童映画(ディズニー映画や「小鹿物語」など)を鑑賞させられた。夏休みになると、子ども映画会と銘打ったイベントがあり、夜の校庭に張られた、風に揺れる白布の大スクリーンに映し出されたものを、祭り気分で友だちと追いかけごっこしながら眺めたものだ。
ときに、新作の「ゴジラ」や「スーパージャイアンツ」などは、工場敷地に社員専用の映画館(多分公演などもしたのだろう)があって、子どもには小遣い程度で安く見せてくれた。ゴジラの恐怖はここで覚えた。

映画は、いつでも見られるものではなかったし、お金がかかるもの。それが覆されたのは、テレビの登場だった。タダで、いつでも見られるという、空前絶後の驚きだった。それまで、銀幕映画は記憶にしまい場所を決めておくようなものだったが、テレビ・ブラウン管は映像を垂れ流し、消費させるだけの装置でしかない・・・ということに、だいぶたって気付くわけだが。

見たい映画が見られないとき、レコードで我慢したという話しをしようと思ったけれど、話しが横道にそれてしまった。

2014年6月25日水曜日

イ・ソンヒの「Jへ」(30周年記念コンサート)

イ・ソンヒのデビュー30周年記念コンサート、”歌う イ・ソンヒ”は、今年4月に当初2日間であったものをファンの要望に応えて3日間に拡大して、ソウルの世宗文化会館大劇場(最大3000席)で開催された。当時、数日前に起こった海難事故があり、実施が危ぶまれたが、コンサートの規模および観客動員数から、追慕公演の形で公開されることになった。

(本ブログ関連:”30周年記念コンサート”)

コンサートの始まりに、舞台下からせり上がってくるイ・ソンヒの姿は、決して華やかではなく、むしろ抑制しているようにさえ見えた。彼女のデビュー曲である、過ぎ去ったものを追想する歌、「Jへ」(1984年)から静かに始まった。大規模な弦楽器群を背景に歌う彼女は、舞台両サイドに設けられた大型モニターに映し出された。アップした彼女の容貌は、会場の外をおもんぱかってか、あえて舞台化粧を控えたのように思えた。


J 撫でる風に、J あなた想えば
今日も静かに、あなた 偲ぶわ

J きのうの夢に、J 出会った面影
わたしの胸に、染まっているのよ

J きれいな夏の日、遠く消えたとしても
J わたしの愛は、今も変わらない

J あなたを永久(とわ)に
J あなたを愛して
J ともに歩いた、J 思い出の道

わたしは今宵も、寂しく歩くのね
寂しく歩くのね

(Youtubeに登録のangma1988に感謝)

2014年6月24日火曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 欲をいましめる歌

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(6/18)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第61回として、伝統芸能パンソリの中から「欲をいましめる歌」にまつわる話を紹介した。

始めに、欲の深さを示す故事とパンソリ「水宮歌수궁가)」の紹介から、次のように始まった。
・故事に「(後漢の光武帝が)隴を得て蜀を望む」がある。欲望に限りなく、満足を知らない。小さなことに満足するのも簡単でない。世に多様な欲望、食欲、性欲、睡眠欲、物欲、所有欲、名誉欲がある。最も諦めつかぬのが名誉欲(権勢欲)だ。ためにソンビ(学識者)は、官職を捨て隠遁生活することもあった。
・パンソリにも、欲に関する内容を伝える「水宮歌수궁가)」がある。兎(うさぎ)の肝を探すように命じられた亀が兎をおびき出す物語で、そのとき使った手口も名誉欲だ。陸上で猛獣に追われてばかりだが、海中では魚の頭になれるとおびき出された兎は、命を奪われそうになる。日本昔話「クラゲの骨なし」とも似て、名誉欲は捨てがたいという教訓を与える。

▼ 「兎の物語り(토끼 이야기)」を聴く。英語版パンソリ、コラボ・・・せわしい今様である。

次に、パンソリ「興甫歌(흥보가)」に登場する兄弟を通じて、欲に負ける話を、次のように紹介した。
・庶民は、暮らしの欲といっても食や生活に関する位いだが、その過剰さに不安を思ったようだ。パンソリ「興甫歌」に、欲が過ぎて身を滅ぼす兄ノルボ*(놀보)の話がある。貧しい弟の興甫(フンボ、흥보)がある日、脚を怪我した燕の傷を治す。すると燕(つばめ)が恩に報い、運んだ種から成った瓢箪(ひょうたん)の実の中から金銀財宝が出てきた。金持ちになった弟の噂を聞き、兄は自分も同じ方法で金持ちになろうとするが、怪我した燕が見当たらない。欲深い兄は燕の脚をわざわざ折った後、治療してやる。燕は兄にも瓢箪の種を運ぶが、瓢箪から老人が現れて、巾着を出して金を求める。

    (*)ノルボの漢字表記:ノル=”奴”の下に”乙”、ボ=甫 ・・・ (「パンソリ」申在孝、平凡社東洋文庫)

▼ 「興甫歌」から、”金を求める不思議な場面”を聴く。先祖なのか貧乏神なのか・・・風体怪しすぎる。

・巾着に金を詰めたら帰ると言うが、不思議なことに、どんなものでも入れる度に無くなってしまう。この巾着は、兄の限りない欲を象徴する。愚か者の兄は、自分の問題に気が付かず、繰り返瓢箪を割って、結局は一文無しになる。この話は兄個人だが、国の重役を担う者が欲に負けると大変なことになる。

最後に、欲に押され戦闘に負ける、「三国志演義(さんごくしえんぎ)」から赤壁歌について、次のように紹介された。
・三国志を基にした創作物「三国志演義」の話に、国の最高権力者となった曹操は、更に欲を出して呉を攻めようとする。しかし、水上の戦闘経験がない曹操と、そこに目を付けた諸葛亮(孔明)の策で、曹操が容易に敗れる。

▼ 「赤壁歌」から「赤壁火戦(적벽화전)」を聴く。手際のよい、めりはりの効いた調子だ。

・船は燃え、数万人に至る兵士が命を落とす。欲を捨てることの難しさが分かる。

2014年6月23日月曜日

神野美伽の「人生は水の駅/人生は簡易駅」

神野美伽には、日本語版アルバム「海峡を越えて」(1998年)があり、もう一つ韓国語版の「OVER THE SEA  해협을 넘어서」(1999年)がある。「韓国側の作曲者がメロディーを先に書き、日本の作詞家がはめ込む型で詩を作った」(小西良太郎)という合作アルバムである。
このなかで、私の好みの曲に、「人生は水の駅」がある。人生の節目節目を駅に例えるなら、その旅路は水の流れのように、或いは果てしない鉄路のようにとどまることなく遠い。ふと、はたを過ぎる駅に、どこかで見たようで、急に懐かしさがこみあがる・・・「私たちは夢の旅人」。ああ、だから演歌はたまらない。

(本ブログ関連:”神野美伽”)

日本語版「人生は水の駅」(作曲:ソン・ミンホ、作詞:荒木とよひさ

(Youtubeに登録の林義隆に感謝)

韓国語版「人生は簡易駅(인생은 간이역)」(作曲:ソン・ミンホ、訳詩:ソン・ミンホ)
この曲は、Youtubeの8分50秒から聞いてください ⇒【歌詞:No.6右端の歌詞アイコンをクリックします】

(Youtubeに登録のsaran06hyonmiに感謝)

K-Wikipediaによれば、韓国の「간이역(簡易駅)」は無人駅とは限らず、小規模・小型駅まで含むと、次のように記述している。
「利用客が少なく、効率が低く、駅長が配置されず、一般的な駅に比べて規模が小さい駅をいう。簡易駅の駅長は、近隣の普通の駅の駅長が兼任して運営する。しかし、場合によっては駅長がある普通の駅でも簡易駅と呼ばれる場合がある。場所の特殊性のため、写真作家たちの主な撮影対象になったり、多くの文学 · 音楽作品の素材になってきた。」
ちなみに、MBCドラマ「北の駅から」(1996年~1997年)の原題が「簡易駅」だそうだ。

2014年6月22日日曜日

日本で作られた漢字文字(国字)があって、その代表例に「(とうげ)」の文字が挙げられる。昨日の教室で、韓国での漢字使用が話題になったとき、同様のことがあるのか先生にうかがったところ、中国で現在使われなくなった漢字が残っているという話しは聞いたことがあるが・・・とのこと。

中里介山は、大作「大菩薩峠」の出だしに、甲州街道(本街道)に対して、(裏街道である)甲州裏街道の途中に存在する大菩薩峠について次のように記している。
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 大菩薩峠は江戸を西に距(さ)る三十里、甲州裏街道が甲斐国東山梨郡萩原村に入って、その最も高く最も険(けわ)しきところ、上下八里にまたがる難所がそれです。
 標高六千四百尺、昔、貴き聖が、この嶺の頂きに立って、東に落つる水も清かれ、西に落つる水も清かれと祈って、菩薩の像を埋めて置いた、それから東に落つる水は多摩川となり、西に流るるは笛吹川となり、いずれも流れの末永く人を湿おし田を実らすと申し伝えられてあります。
 江戸を出て、武州八王子の宿から小仏、笹子の険を越えて甲府へ出る、それがいわゆる甲州街道で、一方に新宿の追分を右にとって往くこと十三里、武州青梅の宿へ出て、それから山の中を甲斐石和へ出る、これがいわゆる甲州裏街道(一名は青梅街道)であります。
 青梅から十六里、その甲州裏街道第一の難所たる大菩薩峠は、記録によれば、古代に日本武尊のみこと、中世に日蓮上人の遊跡があり、降って慶応の頃、海老蔵、小団次などの役者が甲府へ乗り込む時、本街道の郡内あたりは人気が悪く、ゆすられることを怖れてワザワザこの峠へ廻ったということです。人気の険悪は山道の険悪よりなお悪いと見える。それで人の上(のぼ)り煩(わずら)う所は春もまた上り煩うと見え、峠の上はいま新緑の中に桜の花が真盛りです。
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現在では、地図を読むとき、つい鉄道や道路などで路を判断してしまうが、考えてみれば昔の東海道だって箱根の旧道を眺めれば狭くて険しいところを歩んでいたわけで、上に記されているように、「本街道の郡内あたりは人気が悪く、ゆすられることを怖れてワザワザこの峠へ廻った」というくだりは、その当時に戻って考えてみて、始めてうなづけることだ。

以前、高尾山頂から陣馬山に至る途中、上記にある小仏峠付近に見られる、泥岩の千枚岩(小仏層群、中生代白亜紀後期)をハイキング(今様でトレッキング)かたわら観察に行ったことがある。驚いたのは、防御的な面から要所であり、ゆえに関所が設けられていたことだ。尾根道とはいえ、見晴らしも余りよくない、昔の交通路とはこんな風だったのかと感じたものだ。

ところで、甲州裏街道(青梅街道)の最大の難所といわれた、大菩薩峠は実際に見たことはない。この峠は、地図上で大菩薩嶺の付近の或る箇所に存在する。中国では、峠を意味する文字は「嶺」だそうだが、ある一定の幅を持っていると、中里介山は「『峠』という字」の中で次のように説明している。
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 本来の漢字によれば「峠」は「嶺」である、嶺の字義に関しては「和漢三才図会」に次の如く出ている。

     按嶺山坂上登登下行之界也、与峯不同、峯如鋒尖処嶺如領腹背之界也、如高山峯一、而嶺不一。

 これによって見ると、嶺は峯ではない、山の最頂上では無く領(えり)とか肩とかいう部分に当るという意味である。恐らく、これが漢字の本意であろう。して見ると、嶺字を以て「峠」に当てるのは妥当ならずということは無いが、「峠」という字には「嶺」という字にも西洋語のパス(mountain path)とかサミット(summit)とかいう文字にも全く見られない含蓄と情味がある。
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妄想を二つ並べる。(もちろん時空を超越する語源説など語る気はないが)

中国のような広大な国がら、人が去る様は、空気遠近法のごとく霞め去るとか、あるいは大連山の肩である「嶺」の向こう側に消えるという、おおらかなイメージだろうか。それに比して、山地の多いところでは、線遠近法の「消失点」へと去るものへ情味を集中させる言葉として「峠」が作られたのではないだろうか。かぶせていえば、チャップリン映画の最後に見せる情感を残す技法のように。
韓国の歌「アリラン」に、峠を越えて行く人を想いしのぶ場面がある。峠である固有語の「コゲ(고개)」の音に、東洋的な心情から、どこか日本語の峠(とうげ)に似ている気がする。

2014年6月21日土曜日

夏至 2014

今日は「夏至」だ。一年の内で陽が一番長い。いいかえれば、これから陽が次第に短くなる訳じゃないか。そう思うと、ちょっと残念で惜しい気がする。とはいえ、まぶしい夏はまだ終わっちゃいない。太陽に焼かれて走り回る、子どもたちの楽園がこれから始まるのだから。夏至は、夏の名を付して先走りしただけのこと。この後、二十四節気の「小暑」、「大暑」が追っかけて来る。ジリジリとする夏を待とう。

せっかくの夏至なのに、今日の空模様はどんよりして陽の射す余裕はない。空気も湿気で厚く重い。2014年の夏至は、梅雨の一角を占めたに過ぎなかったようだ。

(本ブログ関連:”夏至”)

話は全然違うけれど、今日の教室で、「ボーカロイド」って何という話題があって、音声合成で作られた「初音ミク」(2007年)という仮想の少女の歌声にまで話しが広がったが・・・。
皆と同じレベルの私としては、初音ミクの歌をネットで聞いたことはあるが、率直な感想を言えば、母音を強調した、つまり日本語として言葉がはっきりする、しかして歌詞の意が通じるもので聞きたい。イメージする曲があるが、いつか記してみよう。

ちなみに、初音ミクの声質やキャラクターとしてのあの長~いヘヤスタイルから、ブルース・ウィルス主演の映画「フィフス・エレメント(The Fifth Element)」(1997年、監督リュック・ベッソン)に登場した、オペラ歌手ディーヴァ・プラヴァラグナの声と薄青緑の肢体が重なってしまうのは私だけか。

(Youtubeに登録のFrizullに感謝)

2014年6月20日金曜日

FIFAサッカー 対ギリシャ戦 引き分け

朝方、律儀にテレビを見る。十秒見たら瞼が下がるような虚ろな状態で。そのうち目が覚めたが、大きな試合のたびに思うことがある。私がこの試合を見たことで、勝ちに運気が向くのか、それとも逆か。大それた天運を持ち合わせている訳ではないのに、なぜかフッと浮かぶ。

地球の裏側で、選手の皆さんが頑張っているのをボンヤリ見ているのは失礼かなと、部屋を片付け始める。そういえば、中学生の頃、定期試験があるたびに、準備の最初にしたのが部屋の片づけだった。緊張感が高まると、身のまわりを整理をするという性分のようだ。

結果は、引き分けだったが、相変わらずルールがよく分からない。勝ち点1がどう有効なのか、テレビの解説を聞いてみよう。といって、毎回聞いては忘れるのだが。

次回、対戦相手はコロンビアで、25日5時に試合開始だそうだ。早い!

(付記)
現在行なわれている試合を「グループリーグ」(8グループ、4チーム/グループ)といい、各グループ中の上位2チームが、次の「決勝トーナメント」に進むことになる。「リーグ戦 ⇒ トーナメント戦」・・・なるほど。
グループリーグの上位2チームの選出の基準がいくつもあって・・・むつかしい。

2014年6月19日木曜日

紫陽花の花

梅雨の時期、近所を巡ると、よその垣根越しに紫陽花(アジサイ)の花がのぞく。大方の紫陽花は、青、青紫、赤紫の色をしたものが多く、それぞれの色ごとに咲いている。土壌のpHによって、酸性(青)←(>Alイオン>)→アルカリ性(赤)と変化するからだそうだ(←まるでリトマス紙の逆だ!)。中には一ヶ所で、青色と赤紫色が同居しているものものもあるが、これはどうしたことだろう。

紫陽花の原種は、「ガクアジサイ」という日本原産だそうだ。モンスーン地域に住む日本人にとって、農作と密接な慈雨とはいえ梅雨の長雨に濡れる紫陽花が、急に身近に感じる。

ある駐車場に、通り道との仕切りが腰丈ほどの高さのため、その内側にずらりと並んだ白い紫陽花の花が見える。実に壮観なのだ。一般に、紫陽花の花の咲き始めの頃は白っぽく、次第に色付くそうだが、ここの花は全て白く花を膨らませて咲いている。

ところで、紫陽花の花は、本来の花弁ではなく「萼(がく)」だそうだ。雄しべと雌しべが退化したというが、花弁は一体どこへ行ったのか。どうやら本来の花弁は、花弁に見える萼の中心に小さく咲いているようだ。それにしても、何でこんなことをしたのだろう。

もしかしたら、梅雨の長雨に打たれても、萼の方が本来の花弁より材質的に強く、虫たちを引き付けるためにも、強靭に花の形を擬したのだろう。遺伝子をつなげるため、モンスーンの気候に適応した戦略の一つだったのではないだろうか。

2014年6月18日水曜日

夜中に、灯りをつけずに洗面所でうがいをしていたとき、別室からの薄明かりに照らされた私の顔が、目の前の鏡に映っているのを見て、一瞬、「あれっ、親父が・・・」と息つまるように驚いた。暗い中、不安のせいか、誰なのかとめぐらしたとき、真っ先に親父の顔が思い浮んだからだ。

歳をとると、自分の体形が、つくづく似ていくのを感じていたが、顔つきまでもがこれほど近づくのかとあらためて思った。洗面所の少ない明かりに、陰影に刻まれて顔つきがはっきりする。目元や口元の相似具合にあらためて親子を感じる。

あるとき、夢で、渋谷駅前の広い交差点を渡ろうとしていたとき、すれ違う大勢の人込みの中から、「やぁ」という呼び声が聞こえた。そして、手を上げながら寄ってくる、働き盛りの頃の親父がいた。
以前、昔流行った長いコートを着てカメラに向かって笑っている、親父の白黒写真を見たことがある。今の私より、ずっと若い姿だ。そんな雰囲気のまま、夢の中に現れた親父と、懐かしい思いをしながら交差点でしばらく立ち話した。

夢は、そんな私たちの姿を、画面を引くようにして人込みの中にかき消してしまった。一体何を話したのだろう。覚えていないのだ。ただ、随分前に亡くなった親父にも、溌剌として元気に働いていた時代があったのだと、当たり前ながら思った。

2014年6月17日火曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 韓服

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(6/11)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第60回として、民族衣装、とりわけ女性の「韓服(한복)」にまつわる話を紹介した。

始めに、「春香伝」の情景から、韓服のイメージを次のように紹介された。
・昔、韓服姿で、人の丈よりも長いブランコ(그네)に乗る風習があった。「春香伝춘향전)」は、このブランコから恋が始まる。

(本ブログ関連:”春香伝”)

・ある端午の節句の朝、南原(남원)地域の官職の息子、李夢龍(이몽룡)は、ある晴れた日、広寒楼(광한루)に出かけた。ここが春香伝の舞台となる楼閣だ。華やかな花吹雪の間を、何かが行き来する。ブランコに乗る妓生の娘春香(춘향)の姿だ。雪のように舞う花びら、そして杏子の花が春香の服に触れながら落ちる。春香がまるで踊っているように見えた。二人は互いの運命を感じ、恋がここから始まる。春香伝は、今もパンソリ、小説、映画などで広く親しまれている。

▼ パンソリ春香歌から「春香鞦韆(춘향 추천)」を聴く。鞦韆(ブランコ)は揺れているのか・・・随分と力が入っているような。

次に、韓服チマチョゴリ(치마 저고리)の歴史について、次のように解説された。
・チマチョゴリで知られる韓服のチマはスカート、チョゴリは上着を指す。韓服は、全て同じようなデザインに見えるが、流行に敏感だ。素材、チマの幅や、チョゴリや腕の長さ、チマとチョゴリの色合いなど多様な組合わせがある。高句麗壁画の中の民族衣装は、現在の韓服とデザインが違う。上着のチョゴリが尻を隠すほど長く、結びひもの代わりに帯のようなもので固定させていた。若干変化はあったものの、朝鮮初期まで続いたようだ。今知る韓服は朝鮮中期、後期になってから出来あがった。

▼ 界面(계면)篇數大葉(편수대엽)、「モシルル(모시를)」を聴く。女性が、細やかに紡いだ麻糸でゆっくりと織るよう。

最後に、韓服チマチョゴリのデザインの変遷について、次のように説明された。
・朝鮮中期、韓服デザインも変わる。チョゴリは短く、裾の周りはラウンド型になった。襟や袖、首や脇の部分には違う色の生地を当ててポイントを与えた。朝鮮後期になると、チョゴリは胸元よりも短くなり、袖は上着を切らないと脱げないほど幅が狭くなる。この流行を主導したのは、男性の目を引き付けようとした妓生だ。すぐに両斑(上流階級)にも広がるが、学識者(ソンビ)の李徳懋(이덕무)は、流行の批判を「青荘館全書」に残した。他方、男性の中には自分の妻にも勧めたという記録も残っている。

▼ 西道地方(平安道、黄海道)の「西道アリラン(서도아리랑)」演奏を聴く。どうしてもソ連風に聞こえてしまう。

2014年6月16日月曜日

イ・ソンヒの「思い出のページをめくれば」

イ・ソンヒが、SBSの番組「ヒーリングキャンプ」(4/14)に出演したとき、彼女の6集所収の「思い出のページをめくれば(추억의 책장을 넘기면)」(1990年、作詞・作曲ソン・シヒョン)を歌う様子をYoutubeで見ることができる。魂を込めるように歌うイ・ソンヒを見つめる、若い歌手ペク・チヨンとイ・スンギの姿がそこにある。歌手として聞き、聴衆として酔い、アーティストとしてリスペクトしていることを想像する。そして、圧倒的な歌唱力を持ち、よき師としてのイ・ソンヒを見ることができる。

(本ブログ関連:”思い出のページをめくれば”) ← この曲は、彼女の音楽上の重要な変曲点となる。


ゆらぐる、思い出のページをめくれば
ああ、遂に果たせなかった悔しさと侘しい贖罪が

*むかしのことのように、ぼんやりとかすむ窓枠の塵(ちり)のように
ああ、胸に積もるよ、今は遠ざかったあなたの微笑みのように

雨風がなくても春は来て夏は行く
ああ、あなたよ・・・涙がなくても、花は咲き葉はやがて散る

ああ、わたしに残った懐かしい、歳月を浮かべて、眠りにつくよ、夢を見るよ
眠りにつくよ、夢を・・・見るよ・・・


(Youtubeに登録のSBS NOWに感謝)

2014年6月15日日曜日

ホキ美術館

FIFAワールドカップ「日本対コートジボワール戦」がおこなわれている丁度そのとき、有楽町マリオンにいた。実は朝日ホールで、日本では珍しい写実画専門の美術館である「ホキ美術館」の紹介を兼ねて、四人の画家たちの作品投影と、写実画家としての”本音”トークを聴く機会があった。

以前、クロッキー帳に、絵画集や雑誌写真などから、自分好みのものを毎日鉛筆で描き続けたことがある。15冊ほどになったけれど、転居したタイミングで、その習慣が薄れてしまった。今は、それをときたま懐かしく見ることがある。

(本ブログ関連:”絵画”)

素人がする模写の真似事だったが、丁寧に観察すればするほど、一日では描ききれない。そして、書き始めて気付いたことがある。北方ルネッサンス絵画に見られる、例えば聖母子像の聖母の衣装の襞などは、それ自体に意味があるように巧みに陰影をもって折れている。その執拗さを、たしかホイジンガだったか指摘していたと思うが、空間をそのままに何もないことへの恐怖があるという、ゴシック的な執拗さだ。

まあ、そんな大それた意識があった分けではないけれど、空間を細密に描く写実の世界に触れてみたかった。幸い、講演会場から、千葉の土気にある美術館までバスで運んでくれたのだ。

ホキ美術館は、スマートで近代的な佇まいをした個人美術館である。洒落た建築物の中に、講演会に出席された以外の画家たちの作品も多数展示されていて、十分に時間をかけて鑑賞できた。

作品の一つ一つ、作者の筆致が感じられ、題材を包む空気まで伝わってくるような気がした。一体どんな絵の具と筆を使い、どのような筆使いなのだろう。特に、展示作品のなかで、森本介という画家の、セピア色の絵に吸い込まれた。穏やかな世界が描かれた、(キャンバス自体が東日本大震災を経験したという)少女像の≪未来≫は、光が時間が未来へ流れていくことを気付かせるようだ。見えるものを見えるまま素直に、画家の視線に沿って、描かれた世界に心安らぐ気がする。画家の視線に遊ばせてもらった気がする。

電車で行くには大変かもしれないが、この美術館へまた行きたいと思っている。

2014年6月14日土曜日

にわかファンの困惑

FIFAワールドカップが盛りあがれば盛りあがるほど、にわかファンにとって困惑が深まるばかり。日本チームの試合が明日に迫り、そんなとき、ワールドカップに関心があるかと問われると声がますます小さくなる。

今日もそうだ。関心の程度を小声で「ムニャムニャ」とうつむきながら応えた・・・でも、人並みにテレビ観戦はするつもりだが、明日の日本チームの試合開始時刻、10時には都心にいる予定。実はサッカーとは関係のないイベントに出かけるのだ・・・。

サッカー中継のせいではないが、最近夜更かしが過ぎて、睡眠時間がうまく調整できないで困っている。なあに、10時の試合にうたた寝することはないだろう・・・携帯ラジオでも持って行こうか。

ところで世間に騒がれているけれど、サッカーよりも関心がもっと遠くて、ファンでもないのだが、あの有名な歌(「ありのまま(Let It Go)」)について思うことがある。

(正しい歌詞)  ありのままで空へ風に乗って/ありのままで飛び出してみるの
(聞き間違え)  アリのママで空へ風に乗って/アリのママで飛び出してみるの

もしかしたら、小さなこどもたちの中に、「アリ(蟻)のママ(お母さん)で」って聞き間違えている子もいるのではないかと楽しい想像をしたりする。「ねえ、なぜ蟻さんなの? ママなの?」なんてね。

(追記)
今日、トルコ旅行の土産を息子からもらった。父の日を兼ねてのことだろう。きっと。

2014年6月13日金曜日

コレクション(続)

コレクションといっても、いつの間にか手元に残り、処分しないまま置いておけば、それは立派なコレクションだ。なぜなら、捨てる意志がなかったし、目の前から消えるのが心底寂しかったからだろう。やがて離れがたく、いつの間にか傍らに鎮座する。
いっそ、コレクション自身が口をきいて減らず口でも散々叩き、不快にでもしてくれたら決心がついただろうに。

(本ブログ関連:”コレクション”、””)

題名が「野川」というだけで、図書館で借りた古井由吉の小説に、コレクターの老人が問わず語りするところがある。実は、主人公が友人からもらった掌サイズの土製の小さな馬埴輪を、どうしたものかと思案しているとき思い出したことだ。
その老人は、焼き物趣味でかなり集めていたが、ほとんど他人に譲り渡し、今ではわずかなものが残っているだけ。老人と残った焼物の、奇妙で珍妙なやり取りを次のように記している。
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~(老人の)今残っているのは大した値打ちの物でもない。あの世まで持っていく了見もさらにないが、なにせ手前の手垢が染みついて、人手に渡すのも気がひける。~
~さらに、(主人公の)私をからかったか、(老人が)焼き物と押し問答を交わす、と話した。私の覚えているかぎり、おおよそこうである。
---俺が死んでも、お前らは残る。
---それは、わたしらはもともと、死んでますから。
---何を言う。俺よりは生きるって顔をとうにしてるぞ。そう思ってるんだろう。
---わたしらは物を思いません。
---思おうと思うまいと、何にしても絶対優位にはあるな。しらばっくれるな。
---叩き壊したらどうですか。
---そんなことしてやったら、よけいに死なくならあ、お前らは。
---いっそ早く人手に渡したら。わたしらは構いません。
---その、構いませんてのが、気に入らねぇ。他人に呉れたって、この手が覚えてら。知っているか、人は最後に手にだけになって絶えるんだ。
---思わなくなれば済むことです。わたしらみたいに。
---アハハハ、語るに落ちたァ。やっぱり、俺の済むのを待ってやがら。楽しいだろう。
一人で埒もない憎まれ口を叩いて、手前で眺めていたって楽しいぐらいなもんだ、と老人は笑って話しを切り上げたが、しばらく両手をひらいて見つめていた。その手が私の眼には妙に大きく、いかつく映った。
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コレクションと不即不離の関係で、憎まれ口をききながら対話する。物の中に何かを見出したのか。原始的な観察か、それとも即物的な欲望か。
個人的なコレクションは、手垢が染みこんでしか価値が実感できないのだろう。相手を選び、手離してこそ賢明かもしれない。

(追記)
そうそう、昼頃に随分固い雨音と思ったら、ヒョウ(雹)が降った。前回はいつだったかな、珍しいことだ。

2014年6月12日木曜日

コレクション

昔、子どもの頃に、切手コレクションが流行った。今では、切手収集はブームとしてすたれているようだ。いっとき熱中するも、関心が長続きしないのが、子どもの趣味である。
そういえば、切手帳という冊子に、収集した切手をそれなりに収めたが、随分昔、わが子に与えたけれど、その後、趣味を継承?しているという音沙汰もない。時代の向きが変わったのだろう。

実は、今までに集めたもので、場所をとっているものがある。鉱物採集した未整理の標本(石片とでも言った方がよい)である。産地ごと明記した袋に、いずれ整理するのが楽しみと思って、一切放り込んでいるが溜まる一方だ。この際、採集を中断して整理にとりかかったほうが良いのかもしれない。

日本を代表する、名だたるアマチュア採集家の標本は、亡くなった後、その標本の素晴らしさからしかるべき場所(格式ある標本館、博物館など)に常設として継承、保管されている。それに近い、大ベテランの方の物もしかるべく収まっているようで、博物館などで特別展示されているのを見かけることがある。どれも見栄えする大きな結晶で、そんな標本と出会うとため息ばかり出る。

ところで、末席にいて気分だけ味わっているような、私のようなものの収集品は、結論から言うと、いずれゴミになるだろう。庭の隅にでも・・・なんてことに。

一般マニアのコレクションは、標本ケースに収めて標本ラベルが付されたとしても、一代限りだろう。それでいいのかもしれない。趣味は個人的なものだから。

鉱物趣味の会などで、生きているうちに自分のコレクションを会員に配布しようとする方がいる。それをうれしくもらっている会員が、配布する会員と歳の差が大きくはないのが現実だ。

(付記)
明日からFIFAワールドカップが始まるけれど、ゴールの瞬間しか分からぬにわかファンは、また他人に聞かねばならないことがある。選手の名前と布陣、試合のルール、そしてワールドカップの勝ち抜きのルールだ。

2014年6月11日水曜日

イ・ソンヒの「本当に悪い」

一日中、雨降りにうんざりする。昼間少し薄らいだが、夜には又しっかりと間断なく降り続く。こうなると詩情もわかない。豊作へ結びくのか心配になる。
気象解説では、エルニーニョが発生したようで、偏西風が南北に大きく蛇行して、結果として梅雨前線が動きを封じられて、いつまでも降っているというのだ。

こんな天気だからこそ、イ・ソンヒらしさが溢れる、彼女の14集所収の「本当に悪い(참 나쁘다)」(2009年、作詞・作曲イ・ソンヒ)を聴いてみよう。こころ揺れるまま、雨に打たれながら街に出る・・・そんな場面でも、彼女の歌声になれば、雨も決して悪くはないような気がしてくる。(この歌、ブログに記すのも3回目になる)

(本ブログ関連:”イ・ソンヒの「本当に悪い」”)

立ち直れない思いを抱いて
街に出て見たわ
あのたくさんの人たちの中で
私は何度も泣きそうなの

そのまま、この雨の中に
しばらくの間、立っていたわ
貴方に会いたい思いで・・・

本当に悪い・・・貴方、この思い知らないで
どうして無視して遠ざかっていくの
ただ私だけを愛した人の思い
こんなにまで苦しめるの

本当に悪い・・・私をここに一人にして置いて
あなたは、ただ私が近づいて来るのを望んでいるの
その思いにも愛があるのなら
どうか近づいて

そのまま、雨の中に
しばらくの間、立っていたわ
貴方に会いたい思いで・・・

本当に悪い・・・あなた、この思い知らないで
どうして無視して遠ざかっていくの
ただ私だけを愛した人の思い
こんなにまで苦しめるの・・・

本当に悪い・・・ここに私は一人にして置いて
あなたは、ただ私が近づいて来るのを望んでいるの
その思いにも愛があるのなら
どうか近づいて、どうか・・・近づいて

(Youtubeに登録のYuan-Chen Yangに感謝)

2014年6月10日火曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 珍島シッキムクッ

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(6/4)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第59回として、亡くなった者の恨を晴らす儀式「珍島シッキムクッ(진도 씻김굿)」にまつわる話を紹介した。

(本ブログ関連:”巫俗音楽”)

まず、全羅南道の珍島に伝わるお払い「珍島シッキムクッ」の紹介から、次のように始まった。
・珍島は、毎年春に海が大きく割れることで知られ、昔ながらの素朴な風景が残る。4月の珍島沖事故で多数の犠牲が出たが、珍島には亡者を慰める儀式が古来伝わっている。
・命のあるものは、いつか亡くなる。死に対する儀式は、人間としての重要な基準のひとつだ。地域、文化ごと異なる儀式の一つに「祭儀(クッ、굿)」がある。「巫女/巫堂(ムーダン、무당))」が激しい歌舞の中で神にお告げを行う。珍島の「シッキムクッ」は、亡者の恨を晴らし、あの世への道が平穏であるよう願う。「洗い(シッキム、씻김)」は恨を水で洗い流す意だ。珍島シッキムクッは、音楽、踊り、歌が調和した、亡者のための儀式であり、生きる人々全ての命のために行う。

▼ 「珍島シッキムクッ」の中から「シッキム(씻김)」を聴く。巫女の声と太鼓の、人と自然の始原の響きを聞くよう。

次に、水と宗教の関係に見られるものが、シッキムクッにもあると、次のように説明された。
・水は、洗い流す意がある。朝早く家族の健康と幸せのため、水を汲みその前で祈る母親の姿を昔はよく見かけた。仏教や巫俗と同様、キリスト教も洗礼という水の重要な儀式がある。イスラム教は祈る前に、必ず顔と手足を水で洗う。水で体を洗うだけでなく、心と魂を清める。古い自分を捨て新しい存在へ生まれ変わる意があるのだろう。
・水は、新しい世界に進む意もある。東西の神話で、あの世は舟に乗って川を渡る所とされる。古代エジプトと同様、シッキムクッでは、亡者の姿を象徴する巫具「ヨンドン(영돈)」を、水でよく洗い流す。巫女があの世を象徴する細長い白布を敷き、「般若竜舟(バンヤヨンソン、반야용선)」という船を置き、あの世へ道案内する。また、あの世に進むための道を整える儀式「道磨き(キルダックム、길닦음)」もある。

▼ 「珍島シッキムクッ」の中から「キルダックム」を聴く。シッキムと比べて何となく習合の歴史を感じる・・・。

最後に、シッキムクッの存在の意義について、次のように解説された。
・情けを表す表現に、「憎い情、愛しい情」がある。愛しい人は言うまでもなく、嫌いな人も憎んでいるうちに情け深くなるのが人の心だという意だ。残された者の心を慰めることもシッキムクッの意義である。この儀式が行われる間、巫女は歌と踊りで人々の心を揺さぶる。巫女が亡くなった者に代わって話をすると、それを聞く者は涙を流しながら挨拶をし、お互いに恨を晴らすのだ。

▼ 「魂のためのカデンツァ」(アンサンブル・シナウィ)を聴く。現代人の感性に合ったイメージなのだろう、たぶん・・・今様である。

2014年6月9日月曜日

東京国際ミネラルフェア2014

何年振りだろうか、しばらく遠のいていた、「東京国際ミネラルフェア」に出かけた。新宿の小田急第一生命ビルの地階を主会場にして、世界各国(150社以上)の専門業者が鉱物、化石、宝飾素材など展示即売するフェアだ。

今回の第27回フェアは、特別展「ザ・シーラカンス」にシーラカンス及び関連の化石、実物大模型など展示され、公式ガイドブックには、その生態と化石について詳細が語られている。(化石マニアにはたまらないことだろう)
鉱物マニアにとって、何より素晴らしいのは、鉱物図鑑に載っている美しい鉱物結晶と、ここで出会えることだ。それらの産地は日本よりも海外が圧倒的多く、フェア出展者の半数が海外からというのも、むべなるかなだ。

今日の梅雨の蒸し暑さのせいか、それとも運動不足で水ぶくれのせいか、汗が止まらない。タオル地のハンカチがしとしとになってしまったほどだ。何かいいもの(標本)はないかと会場を2周した。

展示ブースには、アマチュア団体のものがあって、次のものを手に入れた。
・東京側団体のブース: 標本「自然鉄」(群馬県下仁田上蒔田)を求めた。
標本断面に、鉄の薄い脈状の筋が見える。綺麗に磨くと、もっとはっきりするといわれた。以前、この産地に団体で出かけたことがある。そのとき、岩の表面にぽつぽつ小さな突起があるもの探せということで採集した。展示品の中から、いくつか金属鉱物を示していただいたが、採集経験のある産地だけに、この自然鉄を選んだ次第。
・京都側団体のブース: 書籍「必携 鉱物鑑定図鑑」(藤原卓編著)を求めた。
サブタイトルに「楽しみながら学ぶ 鉱物の見方・見分け方」とある。何よりうれしいのは、書名の通り、鉱物鑑定、すなわち<同定ポイント>が各鉱物ごとに掲載されていることだ。結晶の形状、劈開(へきかい)の有無、希塩酸に溶けるかなど様々な観点でポイントを示してくれる。そして、<間違いやすい鉱物>に比較点があるなんて、まさに鉱物採集に焦点を当てた、今までにないユニークさを持っている。

(付記1)
鉱物に興味を持ち始めた頃、といっても随分と遅咲きだったが、一体何から・・・と手探りしていたときに出会ったのが、このフェアだった。当初、毎年通っていたが、恩知らずの私は財布と相談しているうちに次第に縁遠くなった。一つに、採集の味を覚えたからかもしれない。たぶん、永遠に手に届かぬ海外産の鉱物より、身近に手元に感じられる国内産に関心が移ったせいもある。

(付記2)
フェアの帰り道、地下道にある書店ブックファーストでDVD「大統領の理髪師(原題:孝子洞 理髮師、효자동 이발사)」(2004年、主演 ソン・ガンホ他)を購入。

イ・ソンヒの「たぶん」

イ・ソンヒのデビュー(1984年)は、女性を前面に出した歌謡と違って、新しさと同時に健全さをもって、特に若い女子高生に受け入れられたという。彼女のファッション・スタイルからして、他の女性歌手とは一線を画した。それゆえ、愛を愛として世界を作り始めた女子高生にとっては、最も身近な存在となりえた。同時に、若い彼女たちの心中に、当然ながら女性の感性があるわけで、見えないところで、或いはそう思い込んだところで、琴線に触れたのだろう。

イ・ソンヒとファンの間は、一つの合わせ鏡であり、イ・ソンヒの経験とファンの成長も連動する。しかして、ファンは最初の出会いを大切にし、イ・ソンヒはそれに応えて歌い続ける。

イ・ソンヒの12集「My Life + Best」(2001年)所収の「たぶん・・・(아마...)」は、(表面で理解しようとする)男には分かるようで分からない、(内面でこそ理解する)女性特有の心理を歌っているようだ、たぶん。しかも、美しい旋律と歌唱にのせて。

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その人の話し、しましょうか。 悲しい私の愛、聞き入れることができますか。
馬鹿でしょ、言葉ひとつできず、一人で胸を痛めるなんて。 私のそばにいても、
分かってください。 そんな気持ち、彼を見るたび、いいえ、私余計なこといい始めたようです。

*もう、その人には、命のような、そんな大事なものがあるのでしょう。
永遠に、私は堪えられない話をできないんです。 愛するという言葉は、たぶん・・・

なぜか、涙が止まりません。 つまらないでしょう。 私の気持ち分からなくて。
あなたがくれたハンカチに、涙とともに滲み出た言葉、それはあなたなのに。
本当に分からないのですか。 私のこんな気持ちを、いいえ、余計なこといい始めたようです。

*(繰り返し)

*(繰り返し)


(Youtubeに登録のsunnyfan100に感謝)

2014年6月8日日曜日

砂金でも採りに行こうか

何年前のことか、荒川上流で「砂金」一粒を採って以来、暑い夏は川水に足をひたして、冷たい鉱物採集と銘打ち実行しているが、ずっと運に見放されている。今年も、砂金でも(葡萄樹下キツネの心境で)採りに行こうか。

(本ブログ関連:”砂金”)

休日を楽しむ砂金採りには、「選鉱(パンニング)」の道具に、皿に似たものが一般に使われる。底の浅いフライパンのようなパンニング皿に、砂金が混じった川砂を入れて、流水にさらしながら揺すり、不要な砂礫を次々と洗い流す。最後に、パンニング皿の底に張り付くように、比重の大きな金の粒が残っている・・・筈なのだが、ここのところずっと見当たらない。

手頃なパンニング皿は、プラスチック製(黒や深緑色)が多い。中には金属製のものもあって、金属光沢に砂金が紛らわしくないように、高熱に焼き錆を入れて茶褐色にする。

日本では古来、木製の椀を使ったようだ。金粒が見やすいように黒漆を塗ったというが、現物を見たことがない。椀を使って選鉱するので、「椀かけ」という。
実際に、黒漆のお椀を使って、神業のようパンニングする現場を見たことがある。このときは、粒の細かい砂に混じった砂金を取り出したわけだが。

昔、日本の金山から金(「山金」)を採取する場合、金鉱脈の岩を砕き、焼いて小さくし、更に臼でひいてから、パンニングしたようだ。一方、山からこぼれ落ちた微細な金が、川の流れの中で自然に凝集?した砂金は、手間がいらずにいきなりパンニングできる。

砂金は、川岸の雑草の根の下に溜まるという。こうなると、金には生命に感応する霊力でもあるかのような気がしてくる。まさに、採れない言い訳に都合よく、神頼みでもある。

「夜中に気を望みて、金山を知る」に、あやかりたい。

2014年6月7日土曜日

雨に唄えば

雨、雨、雨、一日中雨だった。おまけに、ひんやり冷える。梅雨は苦手だ。先日の夏もどきのうだる暑さは一体なんだったのだ。

帰宅して、カバンがじっとり濡れているのを見ると、雨はお洒落じゃない。雨降りに傘をささない国もあるそうだが、きっと雨上がりに空気がカラッと爽やかなのだろう。しとしと降り続くモンスーン気候とは違った異国の話だ。

映画「雨に唄えば(Singin' in the Rain)」(1952年)の名場面では、雨の夜、彼女を送った帰り道、脈ありと主人公が小躍りする、ミュージカル特有の歌と踊りが演じられる。雨は、どうやら人を上気させ、狂わせる。
でも、「雨に唄えば」って、登場人物の男女を入れ替えたらどうなるのだろう。デートの帰りに、女性がこんな風に雨道を飛び跳ねるとは思えない。やっぱり、男は調子者、小さな子どものときからそうだった。

雨音を聞いていると、ふと時間の経過を忘れる。主客が入り乱れる夢想の世界に通じる。雨は、一瞬の夢を見せ、雨だれに魂を吸い込んでいく。特に、深夜の雨に奇妙な胸騒ぎを覚える。

2014年6月6日金曜日

芒種2014

苗床への種まきは、実際には終わっている頃だが、今日は、二十四節気の種まくころの「芒種(ぼうしゅ)」だ。

(本ブログ関連:”芒種”)

といっても、実際に米の種まきを見たことがない。そのとき、種の形はどんなものなのなのだろうか。籾殻(もみがら)を付けたままなのだろうか。
ネットに紹介されているいくつかの写真では、殻付きのようだ。やっぱり、そうなんだな。

イネの発芽映画がYoutubeにある。芒は見られないが、毛を持つ籾殻に覆われたイネの種子が水分を含んで膨らみ、芽を出す様子は感動的だ。微速度撮影のおかげで、まるで地を這うように動いて見える。養分を探して地中に根を張る様から、米一粒ごとの命を感じる。
(Youtubeの登録者shaoyanglinに感謝)

子どものころ、久し振りに田舎から来てくれた祖母から、食事の終わりに茶碗に米一粒残さぬよう注意された。そして、学生時代の夏休み、祖母の家を訪れて、祖母と私二人で一時を過ごしたことがある。あるとき、飯を食べようとしたら、米びつの米が変色していた。けれど、祖母は大丈夫と水で洗って食べたのだ。さすがに、食べられないといったけれど、申し訳ない気持ちでいっぱいだったのを覚えている。

今日の雨は、米の収穫につながるありがたい慈雨だろうけれど、長梅雨の話しがあり、冷夏予想もあるようで心配だ。

2014年6月5日木曜日

梅雨入り2014

今日から、当地(関東・甲信地区)は梅雨入り。夕方に動きの遅い前線がやって来て、雨音を絶やさない。梅雨の雨は、米にとって恵みの雨であり、慈雨であるから、わがままはいえないが、ちょっと気が重い。

古い歌謡に、喫茶店の窓辺に坐った若い二人が、窓ガラスを濡らす雨雫を見ながら・・・なんてものがあるけれど・・・ああ、古いなあ。おじさんには、カビの方が心配なのだ。

気象庁の「昭和26年(1951年)以降の梅雨入りと梅雨明け(確定値):関東甲信」から、早くても7月初旬頃まで梅雨が続くことだろう。これから50日間ほどだ。
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   年       梅雨入り      梅雨明け
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2010年  6月13日ごろ  7月17日ごろ
2011年  5月27日ごろ  7月09日ごろ
2012年  6月09日ごろ  7月25日ごろ
2013年  6月10日ごろ  7月06日ごろ
2014年  6月05日ごろ
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平   年   6月 8日ごろ  7月21日ごろ
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(本ブログ関連:”梅雨入り”、””)

【多摩の代官】世襲代官と土豪的農民の郷村支配

地元公民館で、江戸時代初めの多摩地区(武蔵)を治めた代官による自治機構を解説する、法政大学大学院の馬場憲一教授の第3回目講演「世襲代官と土豪的農民の郷村支配」を聴講した。

(本ブログ関連:”多摩地区(武蔵)を治めた代官”)

江戸時代初期、1600年代後半までの身分構成について、第1回は代官頭の大久保長安を、第2回は代官頭配下の世襲代官である十八代官(高室一族)が紹介された。今回の第3回は、世襲代官と農民の間をつなぐ土豪的農民の存在について、次のように語られた。

江戸初期までは、勘定頭(代官頭)>世襲代官(十八代官)>土豪的農民>小農民という、土地に結びつく支配構成がされていた。その後、徳川の中央集権化に伴い1600年代末に至ると、世襲代官と土豪的農民による村落支配は終焉を迎えた。
  -→ 世襲代官は、吏僚代官という任地を変わる役人変わる。
  -→ 土豪的農民は、村役人という名主・組頭に変わる。

(感想)
北条一族の末裔が、関東地の農村に入り農民化したという話しがある。それを出自とした、土豪的農民へと実力を蓄えたのだろうか。そして、彼らを使って支配した、世襲代官は武田家の末裔が多かったことから、中央集権化をすすめる幕府としては、過去の力を嫌ったと考えられる。

支配するものと支配されるものの間には、過去の関係が一時期温存される。早急に新しい支配体制を確立するためには、都合がよかったに違いない。けれど結局、それは喉に刺さった小骨となる。徳川幕府は、用意周到にそれらを抜き去ったのだろう。

2014年6月4日水曜日

イ・ソンヒの「雨降る街に立って」

まるで真夏を思わせる強い陽射しは、何かの景気づけだったのか。一年の折り返しに近づいたこのところ、垣根越しの紫陽花に目が向くようになった。通過点である梅雨は、都市生活者の勝手な思いだが、避けられない。玄関の傘は、減ることなく溜まり続けている。

東京の天気は、今日から下り坂で、早ければ平年(6月8日)より数日早く梅雨入りする可能性があるという。すでに、沖縄と奄美は先月中に、九州と四国は今月初に梅雨入りした。(気象庁:平成26年の梅雨入りと梅雨明け(速報値))

地方平成26年平年差昨年差平年昨年
沖縄5月5日ごろ4日早い5日早い5月 9日ごろ5月10日ごろ
奄美5月11日ごろ同じ1日遅い5月11日ごろ5月10日ごろ
九州南部6月2日ごろ2日遅い6日遅い5月31日ごろ5月27日ごろ
九州北部6月2日ごろ3日早い6日遅い6月 5日ごろ5月27日ごろ
四国6月3日ごろ2日早い7日遅い6月 5日ごろ5月27日ごろ

じめじめ湿気の多い時期、屋内にいると除湿機を動員する。正直、苦手なのだ。でも、そぼ降るなか、自然の景観には詩情がある。そして、そこへ織り込む想いは独特である。

途切れぬ雨に打たれながら、悲しみを癒し、流そうとする、イ・ソンヒの9集所収の「雨降る街に立って(비오는 거리에 서서)」(1994年、作詞・作曲イ・スンジン)を聴いてみよう。雨音と遠雷から曲は静かに始まる。

(本ブログ関連:”雨降る街に立って”)
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雨降る街に立って、あなたを待っているのね
行き交うたくさんの人たちの中で、私は立ち続けるのね
降る雨の中で、たたずんであなたを待っているけれど
どこにも見つからないあなたは、雨に濡れた私の心が分かるの

雨降る街に立って、あなたを思っているけれど
みすぼらしい私の姿は、私にも、どうしょうもできないの
消えていく、あなたの悲しい後ろ姿のように一人でここに

雨降る街に立って、あなたを待っているのね
暗い夜は更けていくのに、あなたは見えないのね
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(Youtubeに登録のRuby Kangに感謝)

2014年6月3日火曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 柳

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(5/28)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第58回として、川の岸辺に立つ、愛と別れのシンボルとされる「柳(버들)」にまつわる話を紹介した。

始めに、中国の前漢時代に異国に嫁いだ宮女の王昭君(왕소군)を思いうたった詩の紹介から、次のように始まった。
・中国唐代の詩人東方虬(동방규)には、異国に嫁いだ宮女王昭君を思いながらうたった詩がある。
     胡地無花草   花が咲かないあの地には
     春來不似春   春が来ても春の空気が漂わない
     ・・・             ・・・
春が来ても春らしくない重苦しい気持ちを表している。若い命が一瞬に去った、沈没事故のあった今春がそんな季節であったかも知れない。その春も過ぎ去り夏が近づいている。

▼ 京畿地域の民謡「楊柳歌- 柳の歌(양류가-버들노래)」を聴く。春の風、鳥、蝶・・・穏やかに、今様である。

次に、旅の別れを惜しみ、再会を象徴する「柳」について、次のように説明された。
・昔、道路が不整備のため、主に船を利用した。荷物を多く持って遠く旅するならなお更で、船場は往来の人々で混み合った。去る者、残る者、またいつ会えるのか分からなかったため、別れが辛かった。
・柳の枝は折って土に植えると根を下ろすため、旅立つ者は、川辺の柳の枝を折り植えて、自分と思って欲しいと言った。冬が過ぎて春になり、凍り付いた川が融けると船が出港する。旅人が増え、柳の枝を折る人が多くなると、この季節には川辺の柳の枝が尽きた。柳は、愛と別れのシンボルになった。柳を見つめながら、旅立った者を愛しく思い涙した人もいたことだろう。

▼ 女性歌曲「柳」を聴く。長い呼吸で歌う・・・とても洗練された雰囲気。

最後に、高麗の太祖王権(태조왕건)と柳の葉を浮かべた水や、娘の出会いの逸話を、次のように紹介された。
・太祖王権がまだ将軍のとき、喉が渇き、井戸にいた娘に水を一杯求めた。娘は水を汲み、器に柳の葉を浮かせた。急いで飲むと喉につかえるため、葉を吹きゆっくり飲むの意があった。その後、王権が高麗建国後、この娘は王妃になった。
・昔、貧しい中、一人娘ヌンソを育てた父が兵役に行くことになり、娘を(忠清南道)天安(천안)の或る宿に任せることになった。父親は柳の枝を植えて、「この木から葉っぱが出てくる頃にはまた会える」と言った。後日、ヌンソは美しい娘に育ち、(学識ある者)ソンビと巡り合う。彼は、国の役人になる試験を受けるため向かっていた。彼が試験に合格して戻ったとき、柳の下でヌンソと再会した。このときの歌を「天安三叉路(천안 삼거리)」という。天安地域にある三叉路という歌だ。後に、父親とも再会する。

▼ 「天安三叉路(천안도 삼거리)」を聴く。三南大路の分岐点・・・別れの道、出会いの道、曲調は明るい。

2014年6月2日月曜日

(資料)K-POP Archive 1984年 : イ・ソンヒの誕生

「K-POP Archive」は、20世紀(1907年)以降の韓国歌謡界の動向を記している。特に、1980年代以降については、その内容が、評論もまじえた年代記風になっており、鳥瞰に最適である。
といっても、イ・ソンヒに関わるところを見つ続けているわけだが、彼女が登場した1984年について、「Year1984. 新しい英雄キム・スチョル、イ・ソンヒの誕生」*の文に、次のように解説している。(抜粋)
(*)KMDC ARCHIVE:「時代別大衆音楽史」1980年代
    ー https://www.k-pop.or.kr/history/history/1980

1984年を、歌王チョー・ヨンピルに迫る若い才能が生まれた年と記している。まさにイ・ソンヒを象徴する、歌謡界の水準が向上した年であった。

(本ブログ関連:”1984年”)
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・・・、(1984年)7月29日開かれた第5回「江辺歌謡祭」を通じて登場したイ・ソンヒは、大賞曲「Jへ」でこの年のシンデレラになった本来、「4幕5場」という混成デュエットの一員で歌謡祭に参加したイ・ソンヒは、圧倒的な歌唱力でチームの大賞を導いた歌謡祭後、足早くソロでデビューした彼女は、結局「Jへ」一曲でMBC「10代歌手歌謡祭」の3冠王(10代歌手賞、女新人歌手賞、最高人気歌謡賞)になる。男性の新人のうちでは、ハンサムな容貌に独特の唱法が印象的だったボリビア僑胞(海外在住韓国人)歌手イム・ビョンス(임병수)が注目された。特に、彼の独特のバイブレーションは、「ヤギ唱法」という新造語まで作り出した。

この年、男性歌手のうちユン・スイル(윤수일)の活躍も眩しかった。年初「アパート」の熱気を下半期、軽快なロック ナンバー「美しくて」に継続した。彼は、当時我が国では試みたことがない、いわゆるシティ・ロック音楽で自分だけの牙城を構築した。
女性新人歌手のうちには、たとえイ・ソンヒの突風で色があせたのだが、清純で可愛いイメージのチェ・ヘヨン(최혜영)も人気であった。1月1日「若さの行進]」をデビュー舞台で活動を始めた彼女は、「それは人生」で一気にスターダムに上がった。もし、イ・ソンヒが登場しなかったら、彼女の新人歌手賞受賞は当然の結果だっただろう。
最後に、1984年歌謡界で表面的には眺望されなかった最も大きい変化であり特徴は、歌手の上向き平準化現象だ。すなわち、全般的に歌手の水準が向上したのだ。例えば、以前には誰もチョー・ヨンピルの牙城に届かなかった。大衆的な人気だけでなく音楽的にもそうだった。それだけ、チョー・ヨンピルは先んじていた。だが、この年を基点にして、チョー・ヨンピルとはまた他の、個性と音楽性を持つ歌手が、次から次へ登場し始めた

それと共に歌謡界は、また他のルネサンスを迎える準備をしていた。
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(Youtubeに登録のwindmillsofmusic、soya iに感謝)

2014年6月1日日曜日

ポピーの花

何だ、夏じゃないか、陽射しと熱気に押しつぶされそう。通り道の路面、栗林の白い穂(花)、小学校の垣根、そこらじゅう眩しくて目がパチパチする。のんびり、日曜の昼を、コンビニでペットボトルの飲料水と新聞の朝刊を買って、小金井公園に出かけた。

公園の散歩道は、木立に覆われて、木漏れ日が風に揺れる。深く緑陰の空気を満喫することができる。並木道の南側には広い原っぱがあって、休日を楽しむ家族連れでにぎわっていた。元気な子どもたちの遊び声、叫び声がこちらにも届く。

この「子どもの広場」に、ちょっとした花畑があって、赤い花が咲いているのが目に付く。いつもは、コスモスの花を咲かせたりする場所だが・・・と思いながら寄って見た。

どうやらポピーの花だ。一見、華奢な感じがするが、すっと伸びた茎の上で揺れる赤い花弁の様は、怪しさを秘めているよう。というのも、花びらの落ちた後の姿に、危険なイメージをしてしまうからだ。ポピーは、ケシ科の花である。
するりとして、赤い花弁だけが目に焼きつく、その立ち居に、どこか曼珠沙華の影に通じるものがある。

ところで、今日は気象記念日だそうだ。気象庁発表の今年の「第139回気象記念日について」に、「気象記念日は、気象庁の前身である東京気象台が明治8年(1875年)6月1日に設立されたことを記念し、昭和17年(1942年)に制定されました。」と付記されている。
東京は、今日も真夏日で、今年の最高の気温を更新したのだろうか。・・・都心の最高気温は、33.1℃(昨日31.6℃)だったそうだ。

(雑談)なぜなぜ3回

問題分析、つまり、何でこんなことになっちゃったのだろうという、問題の根本要因を見つけ出す作業がある。これを、「なぜなぜ分析」と呼ぶが、経験上「なぜなぜ3回」といったりした。つまり、要因を自分の目で気付くために、「なぜ?」を3回は繰り返さないと・・・というわけだ。

「なぜ?」を3回繰り返すと、分析したつもりでも言い訳だったり、表面的な現象だったりしたものから、自分で確認する、つまり自分で取り組める処まで、真の要因を探し出すことができるようになる。3回ではダメなのだろうか、その後、6回などと言ったりしていたが。

自分の水準で考えることがミソで、それゆえ組織として全員で、問題に取り組むことができるわけで、その結果、問題解決への道筋を作る大きな力になる。多分、その力が、高度経済成長を押し上げたことだろう。

自分で考えるリテラシー上で、なぜなぜ3回や、なぜなぜ6回するけれど、世の中の全てに、そんなリテラシーが揃っているわけではない。そこで、世界共通の標準化された(基本的な)管理の仕組みが登場した。それは、ひとことでいえば、仕事のプロセスの節目、節目でチェックしなさい、その運用を組織として健全に廻しているか管理しなさいという、チェックする側の責務が明確にされた。だから、組織を運用して廻す側である、マネジメント側にとっての(責任)システムでもある。

全員が自分の立場で分析するという「なぜなぜ3回」があり、その結果、問題解決まで含めて、組織が健全に廻るためにマネジメントこそしっかりしなくちゃならないよ、ということになる。

2014年5月31日土曜日

とうとう真夏日だ!

5月最後の今日、夕方に外から戻って自分の部屋を開けると、こもっていた熱気に押し返されそうだった。今年初めてのことだ。夜分になっても、熱気がなかなかひかないでいる。

① 日本気象協会のtenki.jp(5/31、11時9分)によると、今日、「東京で今年初の真夏日」と次のように予想している。
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・東京で午前11時1分に気温が30度2分まで上がり、今年初めて真夏日になりました。去年に比べて18日早い初真夏日です。明日も真夏日になる予想で、暑さが続くでしょう。熱中症に注意が必要です。
・予想最高気温は東京31度、前橋33度、熊谷32度と厳しい暑さでしょう。
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② 最新情報の、Time-j.netの「今日の最高気温」(20時現在)によれば、東京31.6℃、地元に近い府中32.7℃だったとのこと。

ちなみに、Wikipediaの「気温」によれば、「夏日:日最高気温が25℃以上の日。真夏日:日最高気温が30℃以上の日。」とのこと。

2014年5月30日金曜日

この世の果て

もうじき、5月が終わろうとしている。夕方、日ごとに明るさがたまるのを、まるで時間そのものが遅くなったように感じてしまう。時間は、時間であって、制御できるものではないのに。
そういえば、モスキート音の12,500Hz以上が聴こえない・・・ああ、一体いつからだ。

宇宙が誕生して、約137億歳(正確には、13.772±0.059 Gyr)だそうだが、それより昔はあったのか。今、膨張する宇宙の果ては存在するのか。一般向け説明を何度か聴いているはずだが、相変わらず理解できない。いっそ、宇宙が入れ子になって、私の手元にでもあればいいのに。

大切な父親を偲んで作られたという歌「この世の果てまで(The End Of The World)」(1962年、作詞・作曲:アーサー·ケント、シルビア·ディー)は、スキータ・デイヴィス(Skeeter Davis、1931年12月30日~2004年9月19日)が淡々と歌うことで、かえって身にしみる。

(本ブログ関連:”Skeeter Davis”)

岸辺に波を打ち寄せる海に、さえずる鳥たちに、天空に輝く星々に、変わらぬものに、ふと時の終わりを感じてしまう。そんなことってある・・・残念ながらなかったけれど、でも、そういわれれば納得できるような気がする。

時間は、どうやら過去にしか感じられない。だから、未来なんて分からない・・・分からないから、枝分かれするパラレルワールドがせめてもの慰めだ。

(Youtubeに登録のALLEN0955に感謝)

2014年5月29日木曜日

イ・ソンヒの「ヨン(Young)」

イ・ソンヒには、恋が若さの一幕に過ぎない特権を謳歌する、3集所収の歌「Young(영)」(1986年)がある。世宗文化会館での「デビュー22周年ライブコンサート」(2006年6月17日、18日)のYoutube映像に、デビュー2年目、22歳のときのこの歌を、40歳を越えてもなお初々しく歌うイ・ソンヒがいる。

Daumミュージックの「世界を変えた歌36弾 - イ・ソンヒ "Jへ"」(2012年1月20日、ユン・ホジュン)は、この「Young(ヨン)」から、イ・ソンヒが若い女子中高生たちのアバターとしてリードしたと次にように語っている。
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・イ・ソンヒは、「Jへ」から始まったイメージで、1980年代を生きたし、最高の人気を謳歌した。しおりにさしておいた色褪せたイチョウの葉を物語る「ヨン」が、少女たちだけの内密な世界を扱った歌が、人気歌謡の序列に上った時期はかつてなかった。レコードを発表するたびに、声がアップグレードされた彼女は、若い作曲家ソン・シヒョン(송시현)の歌を歌う時まで無敵だった。1990年代の入り口で「思い出のページをめくれば」を歌う時まで、イ・ソンヒは女子中高生たちのアバターであり、隠した欲望の代理人であった。
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Young しおりに挿した
Young イチョウの葉は色あせても

Young たまらなく会いたい Young うーん・・・
あなたは 今 どこに

Young わたしだけ 一人 寂しく
Young 残しておいてどこへ行ったの

Young 戻って来ることができないの  Young うーん・・・
私はあなたを愛してる

夕闇背負って  川岸に座って
花の指輪をさして  ささやいたその言葉

Young あなたは忘れてしまったの  もう忘れたの
帰ってきて  私はあなたを あなたを愛してる


(Youtubeに登録のd'abord musiqueに感謝)

2014年5月28日水曜日

(資料)韓国のネット音楽配信での歌手収入

韓国のネットによる音楽配信で、歌手の収入が厳しい現状にある。ソウル新聞の記事「音源サイト歌一曲の歌手持分として、0.36ウォンだけ…それで乗り出した、シン・テチョルの音源組合」(4/28、キム・ソラ記者)に、次のように厳しい状況が紹介されている。(抜粋、一部並べ替え)

ミュージシャンに少しでも多くの収益をもたらすため、音源流通のための協同組合が提案されたそうだが・・・とりあえず、ここでは現状のみ記す。

(本ブログ関連:”音楽市場”)
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・現在の音源市場は、歌手が音源収益の10%も持っていくことができない構造だ。文化体育観光部の「音楽伝送使用料徴収規定」によれば、メロンやバグスミュージックなど音源サイトで流通する音源は、全体収益を次のそれぞれが持つ。
⇒ 40%: 音源サイトを運営する業者
⇒ 44%: 歌手が所属した製作会社
⇒ 10%: 著作者(作曲・作詞・編曲者)
⇒   6%: 実演者(歌手・演奏者)
・月6,000ウォン程度を出して無制限にストリーミングできる、定額制でストリーミング1回当たり、実演者に落ちる持分は、1ウォンにならない。

・ミュージシャンは定額制を「ダンピング」と指摘して、従量制での転換を要求してきた。これに伴い、文体部は、昨年(2013年)5月、音源従量制を導入して、歌一曲が再生するたびに、次のように戻るようにした。
⇒ 0.60ウォン: 著作者(作曲・作詞・編曲者)
⇒ 0.36ウォン: 実演者(歌手・演奏者)
・しかし、ミュージシャンの持分が相変らず微小なうえに、消費者の選択権を理由に定額制と併行するようにして、従量制導入の意味が見るべきものがなかったという指摘が多い。音源市場の不均衡は、固定化されている。
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2014年5月27日火曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 麦

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(5/21)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第57回として、冬を越して夏に実る「麦(보리)」にまつわる話を紹介した。

始めに、食料が窮乏する「春窮期(ボリコゲ、보릿고개)」について逸話と伴に、次のように紹介された
・秋冬に備蓄の食糧を食べ尽くし、麦を収穫するまで、深刻な食糧難の時期を「春窮期」という。麦(보리)と峠(고개)の象徴的な意もあり、この時期を乗り越えるのを「ボリコゲを越えた」ともいった。
・朝鮮21代王「英祖(영조)」(1694年~1776年)は66歳のとき、15歳の新王妃「貞純王后(정순왕후)」を迎えた。王妃候補者へ「これまでに一番辛かった人生の峠は何か」との問に、彼女は「ボリコゲ」と答えて高く評価された。彼女が民を思ったか諸説あるが、当時、生活難に苦しむ人々の様子を表している。麦畑が黄金の色に染まる、今頃の時期が「ボリコゲ」にあたる。

▼ 「麦畑(보리밭)」を聴く。麦畑をかすめる風が見える・・・穏やかな、今様である。

次に、庶民の立場から「ボリコゲ」について、次のように説明された。
・米は秋、麦は夏頃収穫し、夏に麦飯を、冬に白米を食べた。寒い冬に米を食べて体力を補い、暑い夏に麦を食べて体の熱を冷まし、余裕がある時、白米は熱く、麦飯は冷たくして混ぜご飯にして食べた。収穫した米が底をつき、麦畑がまだ実らぬ時期、人々は何としても生きる道を探すしかない、そんな時代が50年前まであった。

    (*) 韓国の稲・麦の二毛作地域はどのようなのだろうか? ⇒ (本ブログ関連:””)

・「食事はされましたか(식사 하셨습니까?)」という挨拶は、「ボリコゲ」から生まれた表現だ。今では体に良い麦飯だが、昔は、命をつなぐ大事な主食であった。麦の収穫から脱穀の作業を「麦打ち(보리타작)」という。

▼ 「麦打ち歌(보리타작 소리)」を聴く。実際の麦打ち作業は、もっと揺ったりでは・・・まるで餅つきだ!

最後に、麦打ちの道具「トリケ(도리깨)」と、労働の歌「オンヘヤ(옹헤야)」について、次のように解説された。
・昔、麦の脱穀に「トリケ」と呼ぶ殻竿を用いた。長い殻竿の先に「フィチュリ(휘추리)」という棒を二つ程付けて、地面に干して置いた穀物を打った。この作業は、数人が一緒に互いに助け合い、楽しく働くために歌を歌いながらした。
・「トリケ」で穀物の穂を打つリズムに合わせて、一人が掛け声で歌い出し、残りの者がついて歌う形式だ。民謡「オンヘヤ」も、もとは麦の脱穀で歌ったものだ。民謡には稲作に関するものが多いが、麦も大事な食糧であり、たくさんの民謡がある。代表的な麦打ち歌「オンヘヤ」で、「オンヘヤ」というシンプルな歌詞には、「ボリコゲ」を無事に越して麦打ちをする人々の収穫の嬉しさが込められている。

▼ 「オンヘヤ」を聴く。調子のよさに、イ・パクサを思い出したよ・・・歌詞はママに、曲は今様である。

2014年5月26日月曜日

なでしこ アジア杯初V

結局、結果が確定したのは、今日の日付に変わった深夜零時過ぎだった。FIFA女子ワールドカップはすでに制したものの、いまだにAFC女子アジアカップの優勝のない「なでしこジャパン」が、ついに念願を果たしたのだ。
スポニチAnnexの記事「なでしこ アジア杯初V視聴率20.6%!瞬間最高25.9%」(5/26)によれば、深夜にもかかわらず高いテレビ視聴率だったと、次のように報じている。(抜粋)

サッカーをよく分からず何となく観戦する(「オフサイド」も分からぬ)にわかファンだが、今回はしっかり見ましたよ。気分としては、テレビ解説者松木安太郎氏の、おじさん口調で「よし!よし!」の語りにのって画面に叫んでました。

全力疾走で走り続ける女子選手たちが素晴らしい。きっと、来月の男子ワールドカップに、よい影響を与えることだろう。それにしても、川澄奈穂美選手の笑顔が、まぶしくて可愛らしいこと。

(本ブログ関連:”なでしこ”)
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・なでしこジャパンの「アジア杯」初優勝を伝えた25日のテレビ朝日「日本×オーストラリア」(後10:11~0:15)が、20.6%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)の高視聴率を記録したことが26日、分かった。

・22日の準決勝・中国戦の18.5%を上回り、銀メダルを獲得した2012年のロンドン五輪以降、女子サッカー中継としては最高の数字となった。

・瞬間最高視聴率は午後10時57分の25.9%。前半41分、MF澤穂希(35)が相手選手と接触した場面だった。
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2014年5月25日日曜日

図書館はいっぱい

今日は久し振りに部屋を片付けたため外出が遅くなり、図書館に着いたのは午後2時過ぎ。スタディーコーナーは満席で、座席の確保が難しい。特に日曜の休日は。それでも、利用しようと人々が次々来ては、発券機の前に並ぶ。

スタディーコーナーのシステムは、決まった予約時間ごと、個人カードを使って発券機から座席レシートを得て利用する。合理的なのだが、実は、気になることがある。
例えば、予約時間より早く退席する場合、発券機に戻って終了手続きをすることになっているが、やらずに退出する人がいて、システム上は利用者がまだ存在することになる。予約時間終了まで、その席は誰も使えない。そんな座席が散見するようで、もったいない。

利用できない者は、同じフロアに設置された、会議用の開放テーブルを使う。こちらも混み合っていて気ぜわしい。当然ながら、テーブルには対向の間仕切りもない。でもいいか。

しばらく、こちらのテーブルを利用して、添削いただいた作文(イ・ソンヒコンサート訪問)を復習する。丁寧に赤字を入れてくださった韓国語教室の先生に感謝。

2014年5月24日土曜日

イ・ソンヒの「五月の陽射し」

今月の初旬、「子どもの日」の祝日を中心に、家族連れで賑わう楽しい連休があった。ところで、韓国のひとびとにとって、この5月は、一方で深い記憶に残る月でもある。

イ・ソンヒには、5集所収の「五月の陽射し(오월의 햇살)」(1989年、作詞:ユン・ハンギ/イ・ソンヒ、作曲:ユン・ハンギ)がある。ふっと吹き寄せる風に、記憶は呼び覚まされる。彼女は、メッセージを直裁でなく、かすめる、そして遠くに流れる風に託して歌う。

政治性を持ち続けたわけではない。むしろ、イ・ソンヒは、その振幅は大きかったといえる。乾いた五月の陽射しの中、こころに寄り添う風が吹く限り、この歌は歌い続くだろう。

(本ブログ関連:”五月の陽射し”)

(Youtubeに登録の라이브쓰리제이に感謝)

2014年5月23日金曜日

ペ・チョルスとイ・ソンヒ

以前、韓国経済の記事(2011年1月8日、キム・ミョンシン記者)に、KBS音楽番組「コンサート7080」のMCペ・チョルス(배철수、裵哲秀)が、”歌手として”事実上引退の可能性を示唆したという内容があった。

(本ブログ関連:”ペ・チョルス”)

ペ・チョルスは、いわゆる歌謡祭出身の歌手で、中央日報の記事「【噴水台】スーパースターK」(2010年10月24日、ソン・ウォンソプJES記者)が、スーパースターKなどオーディション番組隆盛時に、過去の同様のイベント(歌謡祭)紹介の中で次のように記している。
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・30余年前の「大学歌謡祭」を連想させる。77年に始まった「MBC大学歌謡祭」も盛り上がったのは2年目の78年だった。第1回大会の成功でレベルの高い参加者が数多く集まり、参加者のうちペ・チョルス、ノ・サヨン、イム・ベクチョン、シム・スボンらが80年代の大衆文化の主役に成長した。同じく78年に始まったTBC(東洋放送)「海辺歌謡祭」もワン・ヨンウン、チュ・ビョンジン、グ・チャンモ、イ・チヒョンらを輩出した。その後、さまざまな大学生歌謡祭が韓国放送・歌謡界の登龍門に定着した。
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K-Wikipediaによれば、ペ・チョルスのデビューは、1978年のTBC第1回「海辺歌謡祭」のようだ。
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・1978年に 東洋放送 TBC第1回「海辺歌謡祭」では、グループ滑走路(RUNWAY )の一員として出場し、「世間知らずで生きてきた」で人気賞を受け、同年MBC第2回「大学歌謡祭」にも出場、<仮面舞踊>で銀賞を獲得した。
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(ちなみに、イ・ソンヒは、1979年に開始した「MBC江辺歌謡祭」の第5回(1984年)で、「Jへ」により四幕五場のグループとして大賞受賞している)

そんな、ペ・チョルス(1953年8月18日~)が、最近、30周年記念コンサートをした、イ・ソンヒ(1964年12月14日~)とのデュエットの申し出を断ったという、おもしろい記事がある。アジア経済の記事「【ラジオスター】ペ・チョルス 『24年間のあいだ歌っていない、イ・ソンヒのデュエット拒絶』」(5/22)で、イ・ソンヒとの、年齢差と音楽経験の違いから、次のようなやりとりを述べている。
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・自分を置いて(出演した番組中の会話)争奪戦が広がるとすぐに、ペ・チョルスは、「イ・ソンヒさんから電話があった」と、「先だって、(15集)アルバムを出しながら、先輩とデュエットで歌いたいと言っていたよ」という事情を告白した。だが、ペ・チョルスは、「ソンヒさんよ、どうか、やらないでください」と、イ・ソンヒの提案を断った。
・ペ・チョルスは、「私は、24年の間(音楽を)していなかった」と話し、歌いにくいという立場を表わした。
・【ラジオスター】ペ・チョルスの音楽ネチズンは、「ペ・チョルスの声、また聞きたいけれど」、「ペ・チョルス、イ・ソンヒとデュエット想像するだけでも良いのに」など反応を見せた。
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2014年5月22日木曜日

【多摩の代官】関東十八代官

地元公民館で、江戸時代初めの多摩地区(武蔵)を治めた代官による自治機構を解説する、法政大学大学院の馬場憲一教授の第2回目講演「関東十八代官」を聴講した。(前回(5/8)のテーマは「代官頭大久保長安」)

(本ブログ関連:”多摩地区(武蔵)を治めた代官”)

天正18年(1590年)、徳川家康の関東入国にともない、江戸時代前期の「幕領」支配としての4つの代官領の一つである多摩地域の代官頭となった大久保長安は、配下に「関東十八代官」を従えた。その拠点となったのが、代官町を形成した八王子だ。当時の八王子は、宿場(流通経済)、千人同心(武力)、関東十八代官の集住(行政)のミニ城下町機能を持った。

・徳川の支配に、直接支配の「幕領」、間接支配の「私領」(知行権を与えられた:家臣旗本と大名)、「寺領」、「社領」がある。
・十八代官は、幕領支配を担った。
・十八代官は、在地性の強い世襲代官で、出自は圧倒的に旧武田家が多い。
・十八代官は、必ずしも十八家だけが担ったわけではない。代を経て、非役の小普請に落とされたり、切腹する者もいた。
・正徳5年(1715年)に小普請に落ちたケースがある・・・十八代官制度は、100年以上続いた?
・多摩川に沿った武蔵野台地を支配した十八代官のひとつ、(メインテーマである)、武田家出自の高室代官(4代70有余年)の各代について説明された。最後の代官となる四郎兵衛昌貞は、元禄2年(1689年)在職中に、「多分の貢金を私して其会計滞りしにより」、最終的に4月25日切腹を命ぜられる。

今回、興味深かったのは、十八代官の家督を継ぐのは大変なことだったようだ。ある意味、徳川の不正に対する厳しさを、武田家末裔を体制から削ぎ落とす(意図があったかどうかは分からぬが)怖さを感じた。

(追記)
興味深い話しに、江戸時代に石高が増えた理由として、新田開発だけでなく、傾斜地を開墾して段々畑にしたと説明された。今は草木に覆われて忘れられたかもしれないが、耕地に対する地道な努力がされていた。

2014年5月21日水曜日

桃太郎と母

青空文庫には、長谷川時雨の、桃と時代に洗練された姿の西王母について記した、掌のような短文「」が収められている。西王母や桃への優しい眼差しとは別に、少し視点を変えて、桃太郎の物語を眺めてみよう。

桃から生まれた、桃太郎の生い立ちは不思議だ。彼の母親とは一体誰だったのだろう。もし母親が、山海経の西山経に記された玉山に住む、三千年に一度咲くという仙郷の「桃」を与える西王母だったなら。ちなみに、玉山は西の方位にある。

桃太郎は、配下の猿(申)、雉(酉)、犬(戌)を引き連れて、西に棲む鬼を退治して、金銀財宝を奪い、育ての親である爺さんと婆さんに報いる。五行と十二支から、西は金であり、雉(鳥)を中心に猿と犬が位置する方位だ。物語は、果たして大団円なのだろうか。桃太郎は、なぜ母の住む西の世界から財宝を奪ったのか。なぜ母の元へ帰ろうとしなかったのか。

西王母が、刑罰(五残)を司ったことから、まさに地獄の使者たる鬼と結びつきがありそうな気がする。果たして、西王母と鬼との世界はどうだったのだろうか。

2014年5月20日火曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 瀟湘八景

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(5/14)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第56回として、八つの景勝地、「瀟湘(しょうしょう)八景(소상 팔경)」にまつわる話を紹介した。

まず、パンソリ「沈清歌(심청가)」中の歌「泛彼中流(범피중류)」について、次のようにな解説から始まった。
・物語を歌い語るパンソリは、口承文芸のひとつで、12作品のうち、今伝わる5つの中に「沈清歌」がある。沈清歌の中でも「泛彼中流」の歌は、美しい景色をのんびりとしたリズムで歌う。泛彼中流は、舟が海の中を突き進む意だが、波中を行く舟の様子や島の近くでカモメが飛び交う景色など歌う。陽射しの心地よい、ある午後の平和な風景が目に浮かぶ。
・沈清歌は、父親の目を治す治療費のため舟に乗って売られていく、沈清の物語だ。この景色は二度と見ることができないと、彼女の目になんとも美しく映った。

▼ 「沈清歌」中の「泛彼中流」を聴く。茫々たる滄海に、蕩蕩たる波濤は逆巻く・・・漢詩の風景に漕ぎ出る。

・この泛彼中流の背景は、昔の詩人や画家がよく題材にした中国の洞庭湖の南、「瀟湘八景」と言われる、二つの流れが合流する大きな湖のあたり。この地名から、泛彼中流を瀟湘八景歌とも呼んだ。

次に、瀟湘八景の美しい景色を表す表現について、次のように紹介された。
・山あいの村にきれいな空気が漂う「山市(さんし)晴嵐」。夕陽に染まる漁村の「漁村夕照(せきしょう)」。また、遠く川の入り口から帆掛け船が入り来る「遠浦帰帆」。夜の瀟湘川に雨が降る「瀟湘夜雨」。さらに、洞庭湖に映った秋空の月を「洞庭秋月」と言い、哀愁を感じさせる言葉だ。
・ソウル近郊の京畿地域民謡「バンア打令(방아타령)」にも、瀟湘八景の一部を歌った歌詞がある。「バンア」は、穀物をつく器具などを指し、「バンア打令」は、もち米をつく音を真似て歌われたといわれる。

▼ 「バンア打令(방아타령)」を聴く。帆に風受け・・・どこか勇壮、足腰に力を入れて進む。自然に拍を打つ。

最後に、瀟湘の川辺に伝わる娥皇と女英(아왕、여영)の二人の悲伝について、次のような説明された。
・美しい場所には、悲伝が伝えられることも多い。その昔、堯王は舜を後継者に決めて、二人の娘(娥皇と女英)を嫁がせる。舜が王となり、歳月が流れたある日、南の地域を回って海岸沿いの蒼梧山で急に命を落とす。娥皇と女英はすぐに蒼梧山に向かうが思いのままにいかず、二人抱き合って泣いた場所が、瀟湘の川辺だ。結局二人は川に身を投げて舜王の後を追う。彼女たちが涙を拭いた手を川辺の竹やぶに振り払った、その涙が血涙となって竹の節についた。その後、この地域ではシミのある竹が生えるようになったという。

▼ 「横笛テグムの音(젓대 소리)」を聴く。古色に西洋の香りする・・・現代音楽風、今様である。

・この地域の竹を、瀟湘斑竹という。

2014年5月19日月曜日

見間違えのこと

え~、今日は時間が速い。日没は遅くなっているのに、気の回ることがあると、あっという間に夕暮れ、そして夜の9時だ。

イ・ソンヒの4月のコンサート会場である、世宗文化会館の建物入り口前に置かれた組み立て椅子にすわって、のんびり世宗大路(世宗広場)を眺めていたときのこと、アメリカ大使館横、右手奥に見える建物が気になった。実は、前回のコンサートのときにも気付きながら、確認しないままでいた。

建物の一番上の壁に取り付けられた”n9”という赤い文字が目に入った。”n9”って?・・・news9のことかな・・・とすると、ニュース専門チャンネルだろうか?・・・大手新聞社が系列のテレビチャンネルを持つことができるようになったから、そんな放送局でもあるのかな?

おじさんの好奇心はそこまで。歩いて建物を確認する気はなかった。都市の街並みは同じだ、なんて。

実は、news9放送局なんて無いのだ。あの建物は一体何だったのだろうと気になって、グーグルのストリートビューで探してみたら、何と”n9”は、”119”、すなわち、鍾路(종로)消防署の文字だったのだ。(ちなみに、世宗文化会館から見た光景

・・・そんなことがありました。そうそう、フックエンターテインメントの建物もストリートビューで見ちゃいました。

2014年5月18日日曜日

甲州 黄金沢金山

久し振りに四人揃って、甲州の黄金沢金山へ鉱物採集に行く。先週の渦の沢に続き、2週連続の採集は、おじさんに厳しい。とはいえ、先輩も同じこと故、言い訳にもならず。
今回の目標は意気高く、金山だから「自然金」を、そして当地で知られる「洋紅石」を、「ミメット鉱」を、「車骨鉱」を・・・と。

中央高速の利用もあって、珍しくJR中央線の駅に集合。いつもお世話になるH氏の車に、S氏と同乗して集合場所の甲州市市役所へ進む。今回の案内役を引き受けていただいたY氏と合流して、県道207号を北上、竹森川の上流にある黄金沢金山へ向かう。途中、ゲートがあり、そこで降りて、山林をくぐり、沢を渡って黄金沢金山のズリまで歩く。

(参考) 「鉱物ウォーキングガイド 関東甲信越版」(著:松原聰)に産地紹介あり。

天気晴朗、陽射しが強く、ズリに散らばる花崗岩や石英がキラキラと輝き、金属鉱物と間違えそう。ともあれ、コツコツと石を探しては、ハンマーでカンカン割り続ける・・・。残念ながら、志の高さに比べて、目標鉱物はもっと高すぎたのか見当たらず。
それでも、それなりに地味~に、次の鉱物を採集した。

・方鉛鉱、閃亜鉛鉱、硫砒鉄鉱、磁硫鉄鉱、黄鉄鉱、黄銅鉱、珪孔雀石

ところで、案内役のY氏から、当地の産出鉱物の種類から、秩父の大滝と状況が似ているとのこと。いろいろな情報を教えていただき、感謝。そして、採集地まで2人を同乗させていただいたH氏に感謝。

気心の知れた仲間との、ほっとしながらの採集は楽しい。せっかく、ここまで来たのだから、熱い夏は、砂金採りでもしようかという話になった。

2014年5月17日土曜日

調布飛行場

今日の陽射しは気持ちがよい。午前、近所の崖線下にある公園の木陰道をサイクリングする。風に揺れる木漏れ日が、まるで頬をなでるようだ。静かな緑陰とベンチを探して読書する・・・時間も、空気も、気ままに過ぎる。

小川沿いの道を、夫婦が、恋人たちが、赤ん坊をバギーに乗せた若い家族が散歩するのが見える。グラウンドから少年野球の声援も聞こえてくる。のんびりした時間だ。そうだ、隣りの公園の南に、東京都調布飛行場がある。せっかくのお天気だから、ちょっと遠乗りしてみようと、思いつくままに進めた。

プロペラカフェ隣接格納庫の駐機
飛行場につながる武蔵野森公園には、休日のせいか、緑の芝生で幼い子どもとの大切な時間を過ごす親子連れが目に付く。公園はどこも平和だ。

飛行場の旅客ターミナルを抜けると、飛行場の誘導路&滑走路に隣接する「プロペラカフェ」の店がある。当然ながら、入ってみれば、滑走路側の客席はすでに家族連れで埋まっている。この店は格納庫に連なっていて、ガラス窓越しに、写真のように駐機を観察することもできる。
さっそく、格納庫側に坐って、コーヒーとケーキ(ガトーショコラ、おじさんにはヘビー過ぎるが)をいただきながら眺める。駐機は次の2機以外にも小型機とヘリコプターが数機見えた・・・わが家の上空を飛んでみたいと、ふと空想する。
・(奥側)Piper PA-46-350P Malibu Mirage
・(手前)Liberty XL-2

お客が混んできたので、早々引き上げた帰り道、空港ターミナルを見ながら、何~んにも用事はないけれど、Dornier 228-212に乗って、ちょっと南の島(新島、大島、神津島、三宅島)に日帰り飛行でもしたい・・・そんな気がした。

(本ブログ関連:”調布飛行場”)

2014年5月16日金曜日

イ・ソンヒ 30周年記念コンサート(MBC)

イ・ソンヒは、30周年記念コンサートの舞台から、「わたしが出会った数多くの人々の中で、みなさんに出会ったこと! それ自体、奇跡です」と語り、15集アルバムのタイトル曲「その中であなたに出会って(그 중에 그대를 만나)」を歌った。MBCは、その姿を、昨日(5/15)放送した・・・コンサート映像がDVD版で製作されることを願う。

次のYoutubeは、コンサート2日目のもので、幸いにも私が目にした舞台でもある。美しいストリングの音に乗せて、イ・ソンヒは、いつもの伸びやかな、そして独特な力強い澄んだ高音で歌った。星数の人々の、その中で出会って、互いに知った奇跡の愛。たとえ、それが遠ざかり、永遠の時が経っても・・・。

(本ブログ関連:”30周年記念”)


(Youtubeに登録のPeter K.に感謝)

2014年5月15日木曜日

イ・ソンヒの「お姉ちゃん」

イ・ソンヒには、5集所収の「お姉ちゃん(누나야)」(作詞・作曲キム・チャンワン、1989年)という曲がある。まるで童謡のように懐かしく、恋しい思い出を歌う。子どもたちのために、童謡を、ミュージカルを、いくつも手がけた彼女ならではの、美しく、そしてちょっと切なくなる歌だ

(本ブログ関連:”「お姉ちゃん」”)

涙を流さないで、小さな路地の片隅の夢を忘れたと
涙を流さないで、雲のようにかすめて行った虚しいことを
なにも言わないで、その眼の輝きが消えるように私にささやくのですね
なにも言わないで、空の彼方が夕陽に染まるまで
悲しくても泣けない、タンポポの花の上に陽射しいっぱいなのに
見ても見えぬ、触れても採れないのですね
どこにいるの、お姉ちゃん

濡れた歌のように、あなたの小さな胸に雨が降ると
いつか言ったよ、うつろにただ歩きたくなる
私を呼ばないで、背を向ける姿に悲しみだけなのを
私を呼ばないで、そよぐ風が私の姿なのを
空の彼方、巡る鳥の羽ばたきだけ虚しいのに
聞いても聞こえず、探しても見つからないのですね
どこにいるの、お姉ちゃん


(Youtubeに登録のkang yeol jungに感謝)

2014年5月14日水曜日

若田 ISS船長 帰還

JAXAのお知らせ「おかえりなさい、若田宇宙飛行士! 無事地球に帰還」(5/14)によれば、宇宙での長期滞在188日の、国際宇宙ステーション(ISS)の船長を勤めた若田光一宇宙飛行士が無事帰還したと、次のように報じている。

(本ブログ関連:”若田宇宙飛行士”)
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(時刻はすべて日本標準時)
・5月14日(水)10時58分に、若田宇宙飛行士をはじめ3名のクルーが搭乗するソユーズ宇宙船(TMA-11M/37S)が、カザフスタン共和国の草原に無事着陸しました。
・若田宇宙飛行士は、2013年11月7日から第38次/第39次長期滞在クルーとして国際宇宙ステーション(ISS)での長期滞在を開始し、ISSの運用、「きぼう」日本実験棟を含むISS各施設のシステム運用、科学実験をはじめとする宇宙環境の利用に重点をおいた活動を行いました。
・滞在の後半となる第39次長期滞在ではアジア初のISS船長に就任し、3月9日から66日間にわたり指揮をとりました。
・約6ヶ月の応援、ありがとうございました。
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若田宇宙飛行士を、どれだけ若い目が追っただろう。国際宇宙ステーション(ISS)の船長という重責をこなされたことは、人の和をつなぐ素養も必要だと知らせてくれた。
宇宙が、開拓や冒険の世界から、連携と協調の世界になったと、子どもたちは学んだに違いない。これほど素晴らしい教育は他にない。子どもたち自身の目で見届けたのだから。

2014年5月13日火曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 鳳凰

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(5/7)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第55回として、めでたい鳥とされる「鳳凰(봉황)」にまつわる話を紹介した。
番組の進行役が岸加那子さんからキム・ボエ(金寶愛)さんに代わった。いずれ岸さんの吉報が報告されることでしょう。そして、ボエさん、こんにちは。

始めに、鳳凰と善政の関係について、次のように紹介され。
・雨上がりの夜、蝋燭を灯した部屋に座ると、窓に人影が映る。嬉しく急ぎ出ると、青桐の葉が風に揺れていた。ソンビは、「鳳凰が来たのか」と自ら慰める。学識と人柄を備えたソンビは、よく庭に桐を植えた。娘の嫁入りの箪笥作りのためもあるが、縁起の良い鳳凰が桐にだけ巣を作るからだ。荀子の哀公編に、生を好んで殺を忌み嫌う政治をする王のもとに鳳凰が留まるという。

▼ 男唱歌曲「言楽(언락)」を聴く。以前聞いたもの・・・男の照れ隠しか、のんびりした風情で。

次に、鳳凰の姿と泣き声について、次のように解説された。
・鳳凰の雄を鳳、雌を凰と言う。その姿は、鶏の頭にツバメの口ばし、蛇の首と龍の体、麒麟の羽と魚のしっぽを持つ。麒麟は、鳳凰のように縁起が良い想像の動物だ。この外見はそれぞれ意味があり、胸は慈しみの「仁」、羽は理にかなう「義」、背中は敬意の「礼」、頭は恵みの「徳」、そして腹は信頼の「信」を表す。
・鳳凰は、群れることも、粟などついばむこともない。竹の実を食し、生虫や草を害さぬ神聖な鳥だ。乱れた姿で飛んだり、人の張った網に掛かることもない。鳴き声は、まるで、に似た管楽器の笙簧(생황)の音色に似る。

▼ 「薯童謡(서동요)」を聴く。民謡から・・・百済と新羅のドラマもあるそうだが、今様である。

最後に、鳳凰にまつわる装飾や歌舞について、次のように説明された。
・鳳凰は縁起の良い鳥と言われ、貴族の品によく描かれた。王族の服や布団、枕だけでなく、鳳凰の形を掘った簪(かんざし)は、王妃や姫が使った最高の贅沢品だった。
・パンパイプ型の楽器「鳳簫(봉소)」は、長さが異なる竹管を平らに並べた形が鳳凰の羽に似ることから「鳳簫」と呼んだ。また、朝鮮王朝初期の歌に、文物制度を称えて、王家の平和を祈願した歌「鳳凰吟(봉황음)」もあった。他にも、世宗大王がハングル創生後に作った、王朝を称える歌「龍飛御天歌(용비어천가)」に合わせた、音楽と踊りを「鳳来儀(봉래의)」と呼んだ。

▼ 「天の川と鳳凰(은하수와 봉황새)」を聴く。古色に流れて・・・なぜか感興がわかない。

(放送電波に載せる、前回内容の岸さん”最後の放送”が、前々回のものだったという、お詫びが掲示されている・・・う~ん)

2014年5月12日月曜日

中島みゆきの「永遠の嘘をついてくれ」

考えてみれば、人生は永遠の放浪かもしれない。道どりなんて、あるようでない。だから、横丁で、あんちゃんが、人生は一度しかないのだからと、うそぶいているのもうなづける。楽しくなくっちゃ人生じゃない、楽しまなくっちゃ人生じゃない。

でもね、人生はもしかしたら、大きな廻り舞台かもしれない。皆がそれぞれ、自分自身だと思っている役割を演じているだけ。真っ暗な客席にざわめきはするけれど、一体誰が見ているのだろう。

人生に尋ねてみよう。中島みゆきの「永遠の嘘をついてくれ」を聴きながら、来し方を思い返し、行く末をそっと眺めてみる。そして、気付くのは、人生の羅針盤は、そこにある手鏡でしかないのだと。そう、自分を知るのは自身でしかないのだと。だから、人生よ、永遠の嘘をついてくれ。

(本ブログ関連:”中島みゆき”)


(Youtubeに登録の 翼を広げて舞い上がる に感謝)

2014年5月11日日曜日

秩父鉱山ウズノ沢(渦の沢)

【秩父鉱山大黒坑へと出かけてみたが】

中津川沿いに県道210号線を北上。出合トンネル入り口に達したとき、「全面進入禁止」、「落石注意」の看板が立っていた。ここに至る途中、道路の陽影急斜面にまだ残雪があって、防石金網の覆いを押し広げるように路面にずり落ちていた。トンネル入り口で停車して、秩父鉱山への走行をどうしようかと思案する横を、他の車がスイスイと走り抜け進入するが・・・万一を思い断念した。

【急遽、渦の沢へ場所を変える】

出合トンネルに入らず、そのまま道を直進。例によって、炭焼き小屋施設の上にある、渦の沢に入る。思った以上に冷える。急いで簡易ヤッケを着る。沢に入ると、何と!枯葉に守られた下に未だ雪が残っていた。・・・とはいえ、採集を始めると、暑くなって簡易ヤッケを脱ぐ。

さて、噂によれば?cm台のものが見つかったという燐灰石は全く見当たらない。今回の採集品は次の通り。(いただき物も含む)
・磁鉄鉱+灰鉄輝石、緑簾石(緑色透明針状)、黄鉄鉱、菱鉄鉱+[硫酸鉛鉱(or白鉛鉱)]?、閃亜鉛鉱+水晶、灰鉄輝石、孔雀石

(本ブログ関連:”「秩父鉱山ウズノ沢(渦の沢)」”)


(追記) この時期、虫が湧くのか、虻(アブ)が周りを飛び廻りうるさい・・・中には、メガネを越えて目の中に飛び込んでくるものまでいる。虫除けが必要だ。

2014年5月10日土曜日

謎の金銅製馬具

深夜、NHKテレビのETV特集「発見!謎の金銅製馬具~古代日本と朝鮮半島の交流史~」(23:00~24:00)を見た。福岡県の古賀市船原古墳遺物埋納坑で発掘された、古墳時代後期(6世紀頃)の新羅の金銅製馬具(例:歩揺付き金具)などの話題から、当時の新羅・百済・倭(磐井/ヤマト)の外交戦略を検討紹介した。

出土した金銅製馬具装飾品(福岡県古賀市船原古墳)や倭系甲冑(韓国全羅南道の沿岸部)、および前方後円墳(韓国西南部)発掘などから、当時、各国が互いにどのような外交上の交流がおこなわれたかを討論し、推定した・・・研究者は真摯で冷静な態度で、現在の国際区分からではなく、当時の地政から見る必要があると語られた。

同番組は、今週末5月17日(土)午前0時00分~(16日金曜、深夜)にも再放送される。

ところで、考古学素人として感心したのは、発掘技術の進歩だ。
① 発掘時に対象が明確でない(土中で見えない・繊細な部品など)場合、出土品の周りの土も含めて取り出す。
CTスキャナーで、取り出した全体を3Dグラフィック化し検討する。
③ 3D情報を元に、土の中から出土物を3Dプリンターで形にし、再構成する。

まさに、見えないものを見えるようにして、そこから形あるものだけを取り出すのだから驚きだ。
泥の中に埋もれていた、「金銅製馬具」の部品を形にして、馬が歩くたびに揺れる「歩揺付き金具」を見事に再現した。
一見地味な考古学研究で、3Dプリンターがすでに活躍していたとは・・・。

(資料)
西日本新聞「「出土例ない」華麗な意匠の飾り 福岡・船原古墳の金銅製馬具」(2013年11月24日

2014年5月9日金曜日

イ・ソンヒ 30周年記念コンサート実況 5/15放送 MBC

マイデイリーの記事「イ・ソンヒ 30周年記念コンサート実況 編成される  5/15放送」(5/8、シン・ソウォン記者)は、タイトルの通り、MBCテレビの編成表によれば、4/18~4/20に世宗文化会館で開催されたイ・ソンヒの30周年記念コンサート「歌う イ・ソンヒ」の実況を5月15日(木)午後11時15分から放送すると報じた。

今回、同時間帯の番組編成が未確定だったため、この放送が実現したようだ。

そういえば、4/19(土)のコンサート2日目の会場で、MBCがTVカメラなど配置して動いているのを見た。2009年のコンサートも同様、2日目の模様が撮影されているので、コンサート2日目は、歌手にとって一番好調なのかもしれない・・・コンサートは、2日目が狙いかも。

2014年5月8日木曜日

【多摩の代官】代官頭大久保長安

地元の公民館で、江戸時代の多摩地区(武蔵)を治めた代官による自治機構を解説するシリーズ講演会が始まった。朝方に届いたメールに気をとられ、返信などしているうちに・・・はっと気付けば遅刻してしまった。わずかな聴講であったが、興味深く話をうかがうことができた。

講師は法政大学大学の馬場憲一教授で、飄々と話され、かつ要所要所で気分をほぐらせてくれた。

(本ブログ関連:”多摩地区(武蔵)を治めた代官”)

第一回目は、代官頭大久保長安(1545~1613年)だ。(多数の金山を抱え甲州金で知られる)甲州武田家で、蔵前衆として金穀(金銭と穀物)をつかさどっていたが、同家滅亡後に徳川家康に仕え、八王子の代官や、金銀山(石見、伊豆、佐渡、南部)の開発とその金山奉行を勤めた。死後、疑獄が起こり一族は処罰される。

終わりに近かったが、お話を聞くことができたのは、古文書資料などの解説も含めて次のテーマだった。
①代官領「八王子町」について、その町立て、八王子千人同心の成立、代官屋敷の配置など、ミニ城下町の機能を持たせた。
②交通網の整備として、八王寺町に沿う「甲州街道」を開設し、江戸城改修のため御用石灰(消石灰<石灰岩:現青梅市、昔の武州多摩郡上成木村、北小曾木村から、多摩川上流の山の根からの)輸送のために、「青梅街道」を開設した。
③高尾山、御岳山など修験道につながる宗教拠点へ対応(融和)した。

ところで、金山に関わった大久保長安の死後一族は死罪になったが、関東で多数の金山を持った常陸の佐竹氏も1602年に秋田へ転封(てんぽう)されている。他にも、金山、銀山に関わった重責者たちの、その後がどうなったかをそれぞれについて調べてみるのも面白そうだ。

(追記)
国立科学博物館で「企画展 石の世界と宮沢賢治」展(4/19~6/15)が開催されている。

2014年5月7日水曜日

(資料) イ・ソンヒ 伝説を超える

「舞台に上がった彼女が歌い始めると、辺りの空気は一瞬息を止める。胸の最も奥深いところに届く澄んだ清らかな声。その3分45秒間の歌(「Jへ」)が終わって、今年デビュー30周年を迎えた歌手ははにかむように笑った。」という書き出しから始まる、女性誌<レディ京郷>の記事「歌手イ・ソンヒ、伝説を超える」(5月号(4/28)、ノ・ジョンヨン記者)は、この4月にコンサートを無事成功させたイ・ソンヒの音楽に対する言葉を、次のように報じている。

イ・ソンヒの語り口には、独特なものがあるという話を聞いたことがあるが、今回その面を感じる。

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震えて、昨晩一睡もできませんでした。
柔らかいおかっぱの、白いジャケットに黒いスーツのズボンを履いて、少女のような微笑を見せる彼女を見たら、本当に昔のままだと思う。2009年発表した「愛よ...(사랑아...)」のアルバム以後5年振りだ。デビュー30周年を記念する、15番目の正規アルバム「セレンディピティ(Serendipity)」をもって帰ってきた彼女が久しぶりに大衆の前に立った。

悩みが本当に多かったアルバムです。30年目の歌手として、どのように位置づけなければならないだろうか、どんな曲をどのように歌わなければならないだろうか、色々な考えを整理するのに、音楽を作る2年間は一人だけの時間を過ごしました。そうするうちに、アルバムが出る頃になると、ちらほら周りで待ってくださる方々や、助けてくださる方々ができましたよ。私一人だけの音楽ではない、多くの人たちと一緒に作ったアルバムだと思います。

1984年の江辺歌謡祭で、「Jへ」で突風を起こしていつのまにか30年。ちっちゃな体躯で、爆発的な歌唱力を噴出した「小さな巨人」は、もう韓国歌謡界の歌姫として、色々な後輩歌手のメンター(指導者・相談相手)として、絶えず努力するミュージシャンとして、大衆と向きあっている。歌手としても変わらず良い歌を聞かせるというのは、歌っている人にもまた、聞く人にも本当に幸せなことだ。特に、しばらくアイドルと電子音楽に飲み込まれていた歌謡界に、陶磁器をこねるように一曲一曲真心を込めた彼女の歌は、贈り物のようにうれしい。

振り返ってみると、いつも遠くのものを眺めてうらやみ、それを追い求めようとしていたようです。近くにあったんですね。ある瞬間、私が探したそのすべてのことが、すぐ私のそばにあったということを知るようになりました。音楽もそのうちの一つです。30年間、歌を歌いましたが、どんな感興(想いや関心)があろうかと思われるでしょうが、感動がありましたよ。初めてデビューした時、とても大きな愛を受けたし、頂上に立ってみたりもしましたし、降りてきてみたりもしました。その時その時感じた幸福と感謝するということは様々ですが、今感じる幸福がその時より小さいとは考えません。むしろ、今より多くの感謝の気持ちを込めなければならない、という思いで作りました。

今回のアルバムには、彼女が過去2年間書いては消すことを繰り返した百余曲の歌のうち、選択された11曲の歌が盛り込まれた。このうち、イ・ソンヒは合計9曲を作曲して、7曲の歌詞を書いた。シンガーソング・ライターとしての面目躍如の作品だ。タイトル曲(「その中であなたに出会って(그 중에그대를 만나)」)を書いたパク・グンテをはじめとして、イダンヨプチャギ(ダブル・キック)、ソン・ウジョンなど若いミュージシャンとの作業も目につく。

今回のアルバムに参加した彼らは、みな若い仲間たちです。生活パターンがみな違ったんですよ。私は早く寝て早く起きるスタイルで、その仲間たちは、午後5時に起きて明け方ずっと仕事をして、朝に退勤するフクロウ型でした。妥協をしようとして、午後4時に始めることに合意を見たんですが、苦しがりましたよ。フクロウたちを連れて作業したため、ちょっと一苦労しましたよ(笑い)。アルバム作業で記憶に残るエピソードです。

一つ明らかなのは、彼女が伝説に留まるというより、前に進むのを選んだということ。「セレンディピティ」は、30年目の歌手の内省と同時に、彼女の挑戦精神がうかがえるアルバムでもある。

昔のヒット曲だけ歌って留まっている歌手で残るより、自らを鞭打って発展していく姿をお見せしたかったです。今まで、私を好きになってくださり、愛してくださった(ファンの)心を考えても、そのようにしなければならないと考えましたし。今回のアルバムは、『これまで、私に送ってくださった応援と愛、その時の記憶と暖かい心が力になって、私が今このようにしています』というメッセージが込められたアルバムです。それが長い時間、私を愛された方々に本当に報いる道だと思います。

果てしない青春の名で

今春、歌謡界は、とりわけカムバックの便りでいっぱいだ。イ・ソンヒをはじめとして、イ・スンファン、イ・ソラなど「歌王」たちの帰還が続いている中、トレンドを越えてオーラを見せるミュージシャンのカムバックは、日ごとに変化する歌謡界に新しい活力を吹き込んでいる。イ・ソンヒも、全世代を貫いて「通じる」歌を誕生させた。とても多くの音に埋もれて暮らして、淋しくても孤独だとは知らない人々のための音楽だ。

大衆音楽をする人間として、人々が自然に聞いて感性に浸ることができる音楽を基本とするけれども、日常の音、人々の声が音楽に自然に埋めたら良いという気持ちで、様々な音楽的実験をたくさんしました。私は音楽が多様でなければならないと思います。音楽には年輩(歳頃)がありません。先輩にも習う点が多く、とても若い仲間にも私が学ぶ点があります。先輩、後輩と一緒に舞台に上がるほど良いものがあるでしょうか?一緒に舞台で交わってみようとする、緊張とときめきと期待しているところです。

実際に、「最近の音楽をやっている仲間たちはどんな音楽をするか」という好奇心に、音楽放送モニタリングはもちろん、弘大のインディーズバンド公演も尋ね廻ったと。歌謡界の大先輩イ・ソンヒが見る最近のアイドル歌手はどんな姿であろうか?

女性歌手は、ボーカリストや音楽的多様性より、見せる面に集中しているようです。一律的にセクシーコードが多い反面、男性アイドルはもっと多様になりました。メタル・サウンドからロック、ダンス、ヒップホップまで多様なジャンルを消化しましたよ。個人的に名前はよく分からないが、注意深く見ています。

時間は、彼女だけ避けたようだ。アイドルの後輩たちの名前をいくつか覚えておけばよかったと、子どものように笑う彼女から、とうてい歳月の痕跡を探し見ることはできない。食傷ぎみである質問だが、童顔の秘訣を尋ねないわけにはいかなかった。

冗談で、そんな質問受けるたびに、『少し施術しました』といいます(笑い)。どうして変わらないのでしょう。詳しく見れば、時間の跡は明らかです。それでも、その変化が大きくないと考えられるのは、私が持つ明確なイメージのいくらかが、まだ変わらなかったからのようです。もし、今、私がアップスタイルに髪を上げて、ドレスを着れば、明らかに歳月の跡を探して見ることができるでしょう。相変らず、おかっぱの髪とズボンを守ることが、変わらないように感じられるようにするのじゃないのかと思います。

30周年という数字は、明らかに大きな意味を持つ。しかし、振り返ってみれば、彼女には一年一年が意味深い時間だった。もちろん、いつも良かったときだけがあったわけではない。今よりはるかに大いなる関心と熱い拍手の中にいた時もあったし、一人で孤独な時間を過ごした時もあった。それでも彼女が今この場所に立っているのは、留まらなかったからではないか?

昔のヒット曲だけ歌う歌手だったら、多分私はこの場所にいなかったでしょう。なじんだものを捨てて、新しいものを取って努力してきたから可能なのでした。もちろん、そういう努力が皆成功したのではなかったです。失敗した時もあったが、それを恐れないで何か絶えず試みたことが、今日の私を作った力ではないのかと思います。今後も継続して、自らに質問を投げかけて挑戦するつもりです。一つ明らかなことは、失敗したとして、私の努力しただけ成果が現れないといって、恐れをなしたり萎縮したり、あるいはマイクを置くことはないということです。その一歩一歩を進んでみるならば、また再び良い年がくるのだと信じます。
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2014年5月6日火曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 燃灯祭

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(4/30)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第54回として、「燃灯(연등、蓮の花の提灯)」にまつわる話を紹介した。

始めに、この時期の行事「燃灯祭」の仏教的な意味について、次のよう説明された。
・ソウルをはじめ各地で、蓮の提灯の意を持つ「燃灯祭」が開かれる。祭りでは、様々な形の提灯を掲げ、人々の歩く暗い夜に花のように美しい。同時に様々なイベントも行われ、外国人にも知られる。
・今年は、セウォル号沈没犠牲者を追悼し、燃灯祭自粛も多く、ソウルでは犠牲が天国へ旅立てるよう、白地の提灯など簡略化が見られた。仏教では、提灯を持って歩くと、光が世の暗部や自身の心を照らし、人々が幸せに生きられるとの意を持つ。

▼ 「蓮花臺舞(연화대무)」を聴く。蓮の花から表れる少女・・・梵唄から宮廷音楽へと洗練されたような。

次に、燃灯(祭)の歴史について、次のように解説された。
・三国史記に、新羅の景文경문)王(846年 – 875年)は、西暦866年、陰暦1月15日、皇龍寺(黄龍寺、황룡사)に行幸、看燈した。古く、正月を「燈節(등절)」といって提灯を照らし夜を明かした。なた陰暦1月15日に松明(たいまつ)を手に高所に登って月見する風習があった。
・高麗時代、燃灯祭は国家的行事となり、仏教に、長い戦に疲れた民衆が、心を休め、和合をもたらすよう祈願した。燃灯祭は、城壁や大路に沿って提灯を飾り、宮殿前の仮設舞台で仮面劇など催した。また王は臣下と寺に行幸したり、王宮の楼台に立ち明るく灯された提灯を見た。

▼ 「念仏ドドゥリ(염불도드리)」を聴く。「霊山会相」中の七番目の曲・・・換骨奪胎の編曲で、今様である。

最後に、燃灯と関連する昔話「貧者一灯(빈자일등)」を、次のように紹介された。
・「昔、とても貧しい一人の女性がお釈迦様に供え物をしたいと願っていましたが、彼女が持っているものは何一つありませんでした。女性は道端で物乞いをし、なんとか一文のお金を手にして、これで油を買い、お釈迦様に提灯をあげたと言います。その日の夜、貴族や裕福な人が掲げた提灯は、全て消えてしまったのですが、この女性が捧げた提灯だけは、明け方まで明るくその火を灯していたといいます。」

▼ 「蓮の花が咲きほこる(연꽃 피어오르리)」を聴く。そよ風に蓮の花が揺れる光景が浮かぶ・・・大衆歌。

2014年5月5日月曜日

こどもの日、地震

こどもの日の早朝、寝床でうつらうつらしていたところに、いきなりの地震で目が覚めた。大きな揺れの前に、ズズズと微動も感じて、こんなこともあるさと思った矢先のことだ。
今日の揺れには、久し振りに恐怖を感じた。まずいな、まずいなと思いながら、結局揺れ時間がさほどでなかったため、寝床から起き上がろうとしなかった。振動がおさまると、また眠気にさ迷ってしまうという呑気さに、われながら呆れる。

気象庁の発表は次の通りで、最初のゆるい揺れと、次の大きな揺れとは時間差もあり、震源も異なる。
最初の揺れは、震源がいつもの方面で、震度は当地について「震度1」にも該当していないようだが・・・揺れは感じた。
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平成26年5月5日5時6分 気象庁発表
5日5時2分頃地震がありました
震源地は茨城県南部(北緯36.2度、東経139.9度)で、震源の深さは約50km、地震の規模Mは4.2と推定されます。
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次の揺れは、震源が珍しく相模灘の南(伊豆大島近海)で、震度は当地について「震度3」になっているが、寝ぼけ眼であったものの「震度4」くらいに感じた。
(追記) 最大震度だが、千代田区で「震度5弱」を観測したという。まさに眠りを覚ました。
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平成26年5月5日5時31分 気象庁発表(2nd発表)
5日5時18分頃地震がありました
震源地は伊豆大島近海(北緯35.0度、東経139.4度)で、震源の深さは約160km地震の規模Mは6.2と推定されます。
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さて、これから「こどもの日」が始まる。子どもたちに、うんと楽しい一日であって欲しい。

2014年5月4日日曜日

イ・ソンヒのスナップショット

4月に開かれたイ・ソンヒのコンサート会場で入手した、サイン入りCDに付属の彼女の「ポートレイトはがき」は、ファンを自称するものとしてペーパーによる唯一公式な資料・・・というより収集品、すなわちお宝である。普段、彼女の姿を目にするのは、CDケースやLPジャケットの写真と、Youtubeで見る映像といった具合である。

そんなわけで、先日のコンサート翌日に、東大門の清渓川沿い「平和市場古本屋街」を巡ったが、ペーパー資料(書籍や雑誌)を手に入れることができなかった。次回訪問時には、用意周到、事前準備を怠らずにしたい。

そんなところに、次のYoutubeで、15集所収の「Someday」の彼女の歌をバックに、例えばスタジオ収録時のものや、写真撮影時のものなどの彼女のスナップショットを見ることができる。彼女について、ある写真家がいっていた、「地下鉄に乗っているような」という、飾らぬ素の表情がうかがえてほっとする。


(Youtubeに登録のlys2187に感謝)

2014年5月3日土曜日

ゴールデンウィーク

もしかしたら、ゴールデンウィークは今日からかも知れない。今年のカレンダーが按配よくないのか、ゴールデンウィーク前半にあたる今週は、先月4月からまたがっていて、「昭和の日」(29日)の祝日が、週の初めの火曜日だった。これが木曜日だったらベストだったろうに。

今月5月の祝日「憲法記念日」が今日(3日)なのだが、土曜にあたってしまい、祝日というより通常の土曜休日といった方がよいだろう。以後、ゴールデンウィーク後半となる、祝日「緑の日」(4日)が日曜日と続くため、土日に連休がダブってしまっている。明後日(5日)の月曜日が祝日「こどもの日」となり、結果として、火曜日が振り替え休日となるが、きょうから4連休でしかない。

子どもにとっては何だか損したような、消費税アップ後の一般家庭にとっては家計に無理のない、そして疲れ気味のお父さんにとっては程々の連休だろう。

それでも町には、のんびりした休日の気配がする。隣り町の図書館に開館と同時に入り、読書室で午前中を過ごす。

実は、図書館で借りた本を放ったらかしにして、返却が間近に迫っているからだ。化学者が翻訳した一般科学書だが、読んでいると読み返しが必要な文脈の乱れた箇所がいくつか出てくる。何より訳が固い・・・専門書の翻訳書は、正確を期すために科学者が訳すのはわかるが、一般向けの場合は、言葉のこなれた文系の翻訳者と共訳または監訳で関わった方がよいのでは・・・と思う。

おまけに、原著も化学者で、科学史の概念を説明なしに出したり引っ込めたりで恣意的・・・。原著と翻訳の負の相乗効果といった感じだが、後半に何かよいものでもあるのではと期待して・・・正直、時間の無駄かも知れない。

2014年5月2日金曜日

イ・ソンヒの「神がまた許すなら」

イ・ソンヒの念願のCDアルバム、11集「Dream of Ruby」(1998年)がようやく届いた。収録曲は次の通りだが、その中でも「神がまた許すなら」は、透明感のある美しい旋律が残る。
過去が一瞬でもよみがえり、それが最後としても・・・。(う~ん、愛は、渇望は時空を超越するようだ)

ちなみに、ムン・ジョンホの「レジェンド・プロファイル16弾-イ・ソンヒ」(2011年12月8日)に、11集「Dream of Ruby」について、次のような評価がある。
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1990年代(音楽)語法を受け入れ始めた「Dream of Ruby」(1998年、11集)などは、以前と差別される内容で面白味を与えた。微弱なチャート成績により大きく注目をあびられなかったが、イ・ソンヒそれなりに、絶えず新しさを追求して変化を模索したのだ。これはボーカリストを越えた音楽家としての可能性である。
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1.私が望むものは 내가 바라는 건 (作詞・作曲:김형석)
2.あなたに届くなら 너에게 가면 (作詞・作曲:신대철)
3.見知らぬ海辺で 낯선 바닷가에서 (独り旅혼자 떠난 여행) (作詞:이재경、作曲:박세준)
4.後悔はもうあなたの番です 후회는 이제 너의 몫입니다 (作詞・作曲:김형석)
5.神がまた許すなら 신이 다시 허락한다면 (作詞・作曲:정영아)
6.Morning Coffee (作詞:이재경、作曲:박세준)
7.私の別れ 나의 이별 (作詞:조은희 作曲:조장혁)
8.白雨 (백우) (作詞:이재경、作曲:박세준)
9.その頃には 그때 쯤엔 (作詞・作曲:정영아)
10.共存 공존 (作詞:조은희、作曲:イ・ソンヒ)
11.うるわしい悲嘆 아름다운 슬픔 (作詞・作曲:イ・ソンヒ)
12.あなたが私を愛されるなら 그대가 나를 사랑하신다면 (作詞:김미선、作曲:김진룡)
13.見知らぬ海辺で 낯선 바닷가에서 (Saxophone Version) (作詞:이재경、作曲:박세준)

(本ブログ関連:”11集”、”神がまた許すなら”)

---- 現在、Youtube 「この動画は存在しません」表示 ---
(Youtubeに登録のRuby Kangに感謝)

2014年5月1日木曜日

公園のツツジ

昨夜の強雨と打って変わって、昼には見事に晴れ渡った。近在の公園に出かけて見れば、幼い子どもたちが、原っぱでたむろして遊んだり走ったりしている。あるいは、引率者の保母さん、先生、母親などに引き連れられていく一団もいる。

どの子も、おとなの腰ほどの背丈、キャッキャと声が弾む。もしかしたら、働く父親、母親が知らぬひとときかも知れない。こんな時代があったのだなと懐かしむと同時に、大切にして欲しい一瞬だとも思う。

緑の木かげをまわって、公園にある施設受付で、”友の会”の継続手続きをする。このを機会に、紛失してしまった会員カードを再発行してもらいに来たのだ。

さて、公園の中に小さく盛った丘の斜面に、ツツジが咲いているのが見えた。紅色の濃い花弁がかたまって、緑の葉がはっきりしない。花はかたまり、丘の上まで駆けあがっていく。何という種類なのか、素人には全くわからないが、ネットの写真だけで判断して、もしかしたら「キリシマツツジ」だろうか。実は、他のツツジはまだ花を一部しか咲かせていないのに、このツツジだけは全力で今咲いている。

2014年4月30日水曜日

遠い

春になろうという間近に寝込んでから、9割ほど近く回復した体を健康体操教室に行って慣らしている。今日も適度な疲労感が心地よい・・・しかし、いまだにストーブから逃れられず、帰宅後もその前に坐っていると、いつの間にやら転寝してしまう。

暖かいストーブの炎にあたっていると、幼い子どもに戻ったように、おふくろが夕餉の準備して台所から聞こえる、まな板のトントントンという音を聞きながら、畳の上で寝入ったときのように、心地よい睡魔に襲われる。

それは、「遠い」思い出か・・・

そう、「遠い」という言葉が気になるテレビコマーシャルがある。(今年の)消臭剤の宣伝で、わが子の初恋を見守る両親が気遣うストーリーだが、青春の汗臭さにかけて次のようなテロップが最後に流れる。想う相手の少女に「しらとり」と呼びかけるが・・・これも。
「恋をして、臭いに気づく。
恋と○○○○○○は、遠いようで、近い。」(○は商品名)

そのテレビコマーシャルに対して、古典に近い(1994年)、ウィスキーのコピーで、若者がどうやら人妻へ片想いする、ちょっと危険で、ちょっとキュートなストーリーだが、やはり最後に次のようなテロップが映る。
「恋は、遠い日の花火ではない。」

何もかも包み込んでくれる、遠い思い出は良いけれど、どうやら「恋」は、それをワープしてしまうらしい。

2014年4月29日火曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 イシモチ(=キグチ)取り唄

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(4/23)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第53回として、「ジョギ(조기)」と総称される魚の「イシモチ取り唄(조기잡이 소리)」にまつわる話を紹介した。

(注) この回の「イシモチ(참조기)」は、K-Wikipediaによれば、学名Larimichthys polyactisと呼ばれる魚で、日本の水産総合研究センターの「水産生物情報データベース」では、魚名「キグチ」として「東シナ海に多い魚である」と図解している。

まず始めに、イシモチと漁民の関係を季節を通じて、次のように紹介された。
・今は、春夏秋冬中で最もよい季節かもしれない。きれいな花が咲き、木々も新緑を芽吹かせて美しい。こうした時期、農村、漁村も人手が足りない。特に、黄海道から全羅道に至る西海岸では、4月をイシモチの季節といい、「イシモチ」が大量に獲れる。
・全羅道七山の沿岸では、毎年、アンズの古木に花が咲くと、イシモチが来ると言う。また、イシモチを天日干しした「クルビ(굴비)」で有名な全羅南道霊光地方では、法聖浦(법성포)の入江の向かいの九岫山(구수산)にツツジが咲き出したら、イシモチ漁を始めた。済州島南西の暖かい海で冬を過ごしたイシモチは、春に北上を始め、3、4月頃に全羅道地方に至り、さらに4、5月には、黄海道延坪島(연평도)まで到達する。そのため漁民たちは、この季節が最も忙しい。

▼ 黄海道の「櫓を漕ぐ唄(노젓는 소리)」を聴く。勢いがあって力強い漁労歌・・・ああ海が眩しい。

次に、イシモチの習性と、ひとびとの伝承や生活への関わりについて、次のように解説された。
・イシモチは古来、高級魚として愛された。イシモチの漢字名「宗魚(종어)」は、宗家の「宗」と、「魚」を当て、魚中最上のものとされる。イシモチは、一般的に腹部が金色を帯びた「キグチ」を指し、干物を「クルビ」といい、祭祀の供えに欠かせない。
・古くイシモチに、4つの徳があるとされ、①移動する時期が正確にわかるという「禮」、②塩漬けしても曲がらないという「義」、③廉恥と恥じらいあるという「廉」、④汚らわしい所には行かないという「恥」というもの。チェサに供える理由に、後裔にこうした徳について学ばせる意もあった。
・イシモチは、産卵時期、独特な鳴き声をあげる。産卵場所に入ると、オスとメスが互いに自分の位置を知らせる求婚の信号と言われる。移動経路の、全羅道霊光の七山沿岸では、産卵時期に、イシモチの鳴き声で、村人夜、寝付けぬほど多かったという。

▼ 西道民謡「ペチギ(배치기)」を聴く。大漁歌もちょっと様式化されて表現・・・港の匂いが欲しい。

最後に、経済的な価値のあったイシモチ漁の盛衰について、次のように説明された。
・船を魚一杯にして大漁を祝う(上記)「ペチギ」唄を、船上でプンムル(=楽器の総称)を叩きながら歌った。漁師にとって、魚はまさに金だった。船一杯積んだイシモチに心弾んだろう。当時、網を投げれば、面白いほど獲れたイシモチ漁も、今や昔となった。様々な機械が開発され、海底をすっかりさらったため、漁をしながら歌う暇はない。
・名節の時期、中国産イシモチが韓国産と並んで高額で売られ、庶民たちに手が出ない高級魚となった。イシモチ漁の唄が失われたとき、漁村文化も同時に失われたと言える。

▼ 「延坪島難逢歌(연평도난봉가)」を聴く。以前も聴いた(劉智淑)が、今度(アリス)は物語風かな・・・。

2014年4月28日月曜日

イ・ソンヒ公式ホームページ再開

先日まで、イ・ソンヒの公式ホームページは、「システム点検中」としばらく表示していたが、4/22から「イ・ソンヒドットコムの個人情報と関連してお知らせします。」と、次のように運用再開のメッセージを表示している。

今般の事情もあり、無事再開を期待した。平常に戻って一安心、杞憂に終わったようだ。
・・・再開を、4/22としているが、きょう気付いた。

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こんにちは。 홈지기(ホーム番人=管理者?)です。

いきなり、システム点検中という画面が現れて、とても慌てられたでしょう?
事前公示なしに、突然システムを点検したので・・・広い心で理解してください。

去る4月17日、韓国インターネット振興院(KISA)から個人情報と関連した住民登録番号の収集および保有に関する公文書を伝達されました。

これに対し、イ・ソンヒ ドットコムは、2012年3月再オープン以後の住民登録番号を一切収集したり保有していなくて・・・
既存ホームページのデータベースは破棄処理したことを知らせしました。

会員データベースの側を検討したので、ホームページをしばらく閉じておいたと・・・言い訳でない言い訳をしてみます。

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もう、一つ・・・

自由掲示板およびファンレター掲示板のいくつかの掲示物は、会員加入約款に基づいて、運営スタッフ判断の下に、事前通報なしに削除処理したことをお知らせします。

ありがとうございます。
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2014年4月27日日曜日

地質標本館

茨城県のつくば市にある、(経済産業省下の)独立行政法人「産総研(産業技術総合研究所)」に、統合された旧地質調査所の「地質標本館」がある。鉱物採集の空き時間を利用して、ときどき寄ったりする。

地質標本館は、鉱物だけでなく、岩石や化石、地層など地学の総合的な標本館である。ここの鉱物標本は、サイズが大きく、展示室以外にも館内随所に見つけて楽しむことができる。特に、地元の茨城県筑波一帯を意識した展示は素晴らしい。

ところで、2月と3月に風邪で寝込んでしまい、3月の体操教室を全休するほど、すっかり体力が落ちているなか、何と今日、鉱物採集(観察に等しい)に出かけたが、くたくたになって早めに切り上げ、足をよろつかせながら同標本館に寄ったというわけだ。(言い訳、4/19-20、イ・ソンヒのソウルコンサートに行ったときは、高揚してさほどに疲れなかった。)
日曜日でもあり、家族連れ、若い男女、外国人研究者、それに、おじさんたちも・・・。

同行いただいた、鉱物採集でいつもお世話になっているH氏に、ソウル土産を渡したが、そのついで?に、イ・ソンヒのコンサートの思い出話を延々としたことはいうまでもない。鉱物採集(観察)のときに、それ以外の趣味を語るのは野暮というものだが。

2014年4月26日土曜日

イ・ソンヒの「Someday」

今月(4月)、イ・ソンヒのコンサートで、新しい15集アルバム「Serendipity」(2014年3月)から歌われたのは、タイトル曲の「その中であなたと出会って」と、アルバムの最初の曲「Someday」(썸데이:作詞・作曲イ・ソンヒ、編曲ミスケイ)であった。

Daumミュージックに、アルバムの曲目ごと解説があり、「Someday」については、次のように音楽評している。
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私たちにおなじみの映画音楽のような、Britishポップ・スタイルの編曲で、歌の導入部から独白するように口ずさむボイスと、繊細なギターの音が耳をひきつけるビンテージな感じのバラード。
孤独で寂しく始まる前半とは対照的に、リフレーン部で抑制しながらも、感情が爆発する悲しみを込めた曲で、歌詞に込められている意味と音楽のムードを加えるために新しく試みた、イ・ソンヒの独特のボイスが見事に合った曲だ。
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つながりを求めても、もう愛はない二人、いつか、このすべてが一時の風であった​​と、笑えるのだろうか・・・と。イ・ソンヒの、ときに少女のような声を挟む、しっとりした歌声を聴いてみよう。

 

(Youtubeに登録のspoofkoreaに感謝)

2014年4月25日金曜日

イ・ソンヒ ヒットチャートの順位を逆送

朝鮮.comの記事「セウォル号 政局、音源チャートにはどのような変化? 楽童(악동)独走-アイドル ミュージック失踪」(4/22、イ・ジョンヒョク記者)は、セウォル号事故の影響もふまえて、過去1週間の音源チャートの変化を報じているが、ここではイ・ソンヒの曲「その中であなたに出会って」関係を抜粋する。

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・ベテラン歌手の底力をしっかりと証明した歌手イ・ソンヒ。イ・ソンヒは、時間が経つにつれ、むしろランクが上がるチャート逆走を見せて人気を継続している

・先月(3月)25日、5年ぶりに15集「Serendipity」を発表したイ・ソンヒは、タイトル曲「その中であなたに出会って」で、主要チャート7位にランクされている。特にこの曲は、すでに発表された一ヶ月近く過ぎたのにかえって順位が逆走して、少しずつ上がっており、イ・ソンヒバラードの底力をしっかりと見せてくれているという評価だ。「その中であなたに出会って」は、一度聞けば忘れられない(耳に残る)中毒性の強いメロディーが、イ・ソンヒだけの深い響きで伝えられウェルメイド(上質)なポップバラード曲だ。

・ある歌謡関係者は、「(セウォル号事故犠牲者に対する)社会全体的な哀悼の雰囲気によって、ダンス曲に対する需要が顕著に減った。ここにEXO(엑소)の新曲発表が延期になって、しばらくアイドル歌手の歌は、チャート上位圏で見つけるのは難しいようだ」と展望した。
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(本ブログ関連)
2014年3月27日木曜日 「(速報)イ・ソンヒ「その中であなたに出会って」Bugs!、Soribada、NAVER MUSICで1位」
2014年4月1日火曜日 「(速報)イ・ソンヒ「30周年記念コンサート」、18日追加決定」
2014年4月5日土曜日 「イ・ソンヒ 「Korea K-POP Hot 100」(米ビルボード)1位」

2014年4月24日木曜日

年年歳歳

久し振りのイ・ソンヒコンサート、熱気と興奮もようやく落ち着いた。歳をとると、精神も肉体も機敏でなくなるが、その分、余韻も残る。いいことかどうか良く分からぬが。

ソウルをタクシーで回ったとき、東京の都心と錯覚する。変哲のない、人と自動車の機能的な都市なのだ。むしろ、わたしにとっては気楽である。

子どものころ旅行の思い出に、父のカメラを借りて風景写真を撮ったとき、画面に人の気配を排した。自然の美しさだけを捉えたいと思ったからだ。

景色を焼き付けようとしたが、いざ振り返って自分が見たのは、果たして目で見たものか、それともカメラのファインダーのものかと不安になった。

旅人の、思い出の景色は、何よりも目で見たものではないか。そして、記憶を補うためにカメラを使うなら、その光景で出会った、同じ時間を共有したひとびとの姿も大切にしたいと思うようになった。

公園で、桜の花を見て、「年年歳歳花相似  歳歳年年人不同」と気付いたのは、カメラを通してではなかった。今年の桜に、その想いが一瞬したのは、桜の風が吹いたときだった。

2014年4月23日水曜日

コンサートのタイミングについて

4月18日~20日の3晩、世宗文化会館大劇場で開かれたイ・ソンヒのコンサートについて、東亜日報の記事「【わいわい、がやがや】 “この状況でコンサートだなんて”、“大型公演取り消しすると、また他に被害”」(4月21日、ク・カイン記者)は、痛ましい事故のあった当時の状況をふまえて、次のように報じている。なお、同記事には、読者からのコメントが寄せられている。

(本ブログ関連:”イ・ソンヒコンサート 追慕形式で”)
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イ・ソンヒ30周年公演の物議

・「このような状況で、コンサートってどうなんでしょう?」、「歌手は公演が生業です。悲しみのためにすべての仕事を中断することにはならないでしょう。」

・(今月の)18~20日、ソウル世宗文化会館で開かれた、歌手イ・ソンヒの30周年記念公演を巡って、インターネットでは甲論乙駁が盛んに行なわれている。
- 公演に反対するインターネットユーザーは、「(16日朝、珍島近海で多数の高校生を巻きぞえにした)セウォル号沈没事故で全国民が悲しみに陥った時期に、国民的に愛される芸能人として無責任な行動」と主張した。
- 公演を支持する側では、「芸能人にだけ過剰な犠牲を強要する。歌手が歌うのは、自分の仕事に忠実なこと」という反論が出た。
- 「胸が痛いが、理性的な態度を維持することが重要だ。他人に過度に悲しみを強要するのは、また他の違った暴力」という指摘も提起された。

・イ・ソンヒの所属事務所であるフックエンターテインメントは、ホームページを通じて、「世宗文化会館は1年前日程が決まって、公演日の変更が不可能で、大型公演であるためキャンセルすれば公演協力業者の被害が生じる可能性がある」と、コンサートを予定通りに進めることになった背景を説明した。
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2014年4月22日火曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 飛天

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(4/16)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第52回として、「飛天(비천)」にまつわる話を紹介した。

まず、上院寺の釣鐘に描かれた飛天が奏する楽器について、次のような紹介から始まった。
・江原道平昌郡、五台山に位置する「上院寺(상원사)」は、釈迦の真身舎利(遺骨)が納められた寂滅寶宮がある。上院寺には有名な、一度は見ておかねばという、古く伝わる釣鐘がある。韓国の鐘は、形と音が独特で美しく“韓国鐘”の名で呼ばれる。
・上院寺の釣鐘は、新羅時代のものとされ、韓国で最も古く美しいと評価され、重要無形文化財に指定された。鐘の表面に、日本の「」に似た楽器の「笙簧생황)」や、ハープに似た楽器の「箜篌(くご、공후)」を奏する飛天が描かれている。

▼ 「上院寺の朝(상원사의 아침)」を聴く。朝の清んだ空気、陽の気配、生き物の動きを感じさせる・・・今様である。

次に、アジア一帯で広く奏された楽器の箜篌や笙簧と、飛天について、次のように解説された。
・箜篌は、韓国でその奏法は絶えているが、古朝鮮時代に、 女人の麗玉(여옥)が箜篌を奏でながら歌った「箜篌引(공후인)」の歌詞が伝わっている。他国の奏法を参考に、韓国も奏法復元に取り組んでいる。
・笙簧は、中国で人を創造させた神ヨワが、人の生活を豊かにする楽器という伝説がある。今も中国の少数民族の祭りなどで、様々な形態の笙簧が奏される。
・笙簧と箜篌を奏する飛天も、インド起源とされる。高句麗の古墳の壁画、百済の武寧王陵にも飛天の姿が描かれているが、その後は、主に仏教と関連して登場することが多い。飛天が奏する楽器も、「大笒(대금)」、「小笒(소금)」に似た管楽器を吹くもの、琵琶などを奏する姿も見られる。さらに、香を焚き、茶を入れてもてなし、花を撒いて飾る飛天の姿もある。

▼ 「花道(꽃길)」を聴く。陽射しする花畑を、おだやかに見晴らしながら・・・今様である。

・飛天は、字意から、西洋の天使の姿が思い浮かぶが、韓国の飛天に羽はない。飛天は、雲に乗り、自身よりも何倍も長い服の裾をなびかせて、自由に空を往来する。飛天の姿の多くは、その裾が天に向かってなびくことから、天に昇るのではなく、天から降りてきた姿のように感じる。幸運を伝える使者なのか。
なお、ソウルの光化門にある世宗文化会館の大講堂に、この飛天の姿が描かれている。

▼ 「青い鳥(파랑새)」を聴く。ほんの触りだけで・・・今様である。

2014年4月21日月曜日

気になること

イ・ソンヒの「公式ホームページ」のindexページに、「システム点検の関係で当分接続が不可です。了解願います。コンサートのファンクラブ座席に関連しては、別途案内する予定です。」の表示がある。
この状況をかんがみて、システムが再び安定的に使用されるよう期待する。

2014年4月20日日曜日

探してきました! イ・ソンヒ LPレコード(ソウル2日)

わが地元の韓国語教室で、先生にお願いして、今回のイ・ソンヒ30周年記念コンサート・チケットをインターパークを通じて求めていただいた。更に、ソウル市内の中古LP店と中古書店を巡って、イ・ソンヒに関わるものを探したく、道案内してくださる方をお願いした・・・ところ。

(若く見えて)10歳も見間違えたのだが、お話を聞くうち、何と気鋭の言語学者と知って大変恐縮した。失礼このうえなくて、あらためて深謝と感謝。

【LPレコード】
前回(2009年)と同様に、新世界百貨店近くにある「会賢(회현)地下商店街」を訪れる。今回は、イ・ソンヒのLPレコードを6枚も次の通り収集した。
なお、この中で最高のお宝は、1984年にイ・ソンヒがデビューした「江辺歌謡祭」のLPだ。

・「第5回 MBC 江辺歌謡祭(강변가요제)」 1984-08-25  Jigu (JLS-1201894)
・「1集 あ!昔よ/少女の祈り(아! 옛날이여/소녀의 기도)  1985-01-25  Jigu (JLS-1201926)
・「4集 愛が散るこの場所(사랑이 지는 이자리)」  1988-02-01 서울음반 (SPDR-105)
・「冬のものがたり(겨울날의 이야기)」  1988-11-20 서울음반 (SPGR-099)
・「6集 なぜわたしだけ(왜 나만)」 1990-08-20 서울음반 (SPDR-232)
・「私たちの物語(우리들의 이야기)」  1991-11-00 서울음반 (SPDR-280)

また、イ・ソンヒ関連の中古CDおよびDVDは、残念ながら見つからなかった・・・店情報によれば、難しいようだ。

次の古書店巡りの前に、ホルモン寄せ鍋(곱창 전골)の店に入る。ここで、おじさんと、ちょっとおじさんの二人連れは英気を養う。

【書籍】
東大門の清渓川沿いにある「平和市場古本屋街(헌책방거리)」で、イ・ソンヒ関連の記事がある雑誌や広報誌を探せなかった。日曜日のためか休業しているところもあり、また雑誌は扱っていないというのが共通の反応のようだった。

穏やかな天気にかかわらず、歩き詰めたためか、汗が止まらない。昨日の興奮もあり、しんどくなって、早めに断念することにした。体力の衰えをひしひしと感じる。いつかチャレンジしたい場所だ。

ソウル市内を駆け足し願った先生にあらためて感謝して、ソウル2日目を終わらせた。

そして、今晩、羽田に戻った。


(追記)
TONG記事(イ・ソヨン舞鶴女子高3記者)
・「古本屋で宝物を見つけてください」 清渓川古本屋街 ① (2016年2月26日
・「清渓川からきたラッキーボックス『わくわくする(설레어함)』」清渓川の古本屋街 ② (2016年2月27日
설레어함은 ‘빛나라 지식의 별’, ‘새벽 2시 보다 짙은 감성’, ‘영화를 보는듯한 긴박감’ 등 다양한 테마의 책 랜덤 박스를 판매 중이다.