「中央日報」の記事「【噴水台】 梅雨(【분수대】 장마)」(7/10)に韓国の梅雨について次のように記されている。
「昔の人たちは梅雨を霖雨(임우)と言い、継続的に降るので積雨(적우)と呼んだ。長い間しとしと降ることから陰雨(음우)とも言った。梅雨という言葉は「ティヤンマッ(댱맣)」という言葉が変化してできたものだと知られている。「ティヤン(댱)」は長いという意味で、「マッ(맣)」は水の古語で雨を意味するというのだ。『訓蒙字会(훈몽자회(訓蒙字會))』には梅雨霖(림)に対し「ティヤンマ(댱마)」という注釈をつけている。梅雨は中国・日本にも現れる。中国で梅雨を「メイウ」とい、日本では「ばいう」という。梅が黄色く熟すころに降る雨という意味だ。」
(追記)映画「劔岳 点の記」を観た。
北アルプスの山々の映像は圧倒的で厳粛である。そして人間存在の小ささを思い知らされる。映画の背景に、人々が想いを込めた立山信仰を歴史として、信仰、崇拝の対象として描き込んでいる。
おもわず身を正して観る。明治の時代、前人未踏と思われた劔岳山頂に、三角点を設置する陸軍陸地測量部の測量手と案内人たちの物語だ。この映画には、まず山々の覆いかぶさるような景観に対する畏敬の念がある。それでもなお自然はその驚異を、豪雪、暴風雨、雪崩と姿を変えて見せつける。これら自然の振舞いに全く無力である登場人物たちは、ひたすらに寡黙、朴訥である。だからこそ観るものの心に彼等が「何のために」挑むのかを雄弁に語ってくれる。わたしたちは歴史の中に生きていることを知らされ、伝えるべきことを知る。