陶淵明の詩についての市民講座の2回目を聴く。「帰去来の辞」につづいて、今回は「田園の居に帰る五首」中の、其の一、三、四と、「斜川(しゃせん)に遊ぶ 并(なら)びに序」について解説された。
「田園の居に帰る五首」中の、其の一の詩中にある次の対句に興味があった。
狗吠深巷中 【狗(いぬ)は吠ゆ 深巷(しんこう)の中(うち)】 犬が奥まった路地で吠えていたり
鶏鳴桑樹顛 【鶏(にわとり)は鳴く 桑樹(そうじゅ)の顛(いただき)】 桑の木のてっぺんで鶏が鳴いている
この対句について、老子の描く理想郷に通じるとのこと。そういえば、使用のテキスト後半にある有名な「桃花源の記」に「鶏犬相聞」もあって、犬や鳥ののんびりした鳴き声は、桃源郷のひとつのシンボルのようだ。
現世は、自宅で鶏を飼う人はいないし、流行の小型犬は鳴き声をあげないものが多いようで、桃源郷とは反対の世界だ。
また、漢字の特性について次のような説明があった。
表意文字である漢字は、名詞にも動詞にも形容詞にもなり得る。例えば、「種(たね)を種(う)える」というふうに同じ漢字を名詞と動詞に使うことができる。なるほど・・・言葉(文字)をきちんと見つめていない者としては、客観的に気付かされました。
ところで、気になる点がある。陶淵明の詩中で使われる「自然」という言葉だ。この「自然」を、時代に分けて解釈したらどうなのだろうか。例えば、陶淵明の1600年前の東晋時代、あるいは蘭学以前の江戸時代、そして現在において、「自然」という言葉の理解や認識の差によって、詩の解釈も違ってくるような気がするけれど・・・どうだろうか。