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2011年10月6日木曜日

図書館の立ち読み

地元図書館で立ち読みをした。著者は、一巻全て読むことを要求しているのだろうが、通りすがりの者は、ついつい拾い読みしてしまう。

一冊目は、「日本フルート物語」(近藤滋昭、音楽の友社)である。
日本のフルート関係者について書かれたもので、その中に楽器製作者の村松孝一について、次の話題が触れられている。
・村松孝一(1989年:明治31年~1960年)は、1924年(大正13年)に6ヶ月(1000時間)をかけて日本で最初のフルートを製作した。当時、輸入のフルートが230円であったが、55円で販売している。
  ※販売価格を現在に換算(インターネット情報により、1,500~2,000倍)すると、約80,000~110,000円か。
・フルート製作のきっかけは、1917年に陸軍戸山学校に入学し、軍楽隊にいて楽器修理に興味を持ったことによるようだ。6年後除隊して楽器製作に関わることになる。
  ※除隊したのが1923年なら、その翌年の1924年に最初のフルートを製作販売したことになる。

二冊目は、「昭和ジャズ喫茶伝説」(平岡正明、平凡社)である。
都内にあった昭和のジャズ喫茶の思い出語りで、話は喫茶店だけに終わらない。むしろ、外延話に面白さがあるようだが。先日、石仲間との会話で、吉祥寺のジャズ喫茶が話題になったので拾い読みした。
・吉祥寺のジャズ喫茶といえば、「ファンキー」(野口伊織)、「メグ」(寺島靖国)、「A&F」(大西米寛)があった。
  ※学生時代の「ファンキー」しか知らない。店の地下室に降りると、真っ黒壁に背をもたれて下を向いたままタバコをふかしている客(学生だろう)がずらりいた。当時のジャズ喫茶は、そんな独特の雰囲気があった。
・その他に、「吉祥寺三人組」といわれた(そんなこと初めて知ったが)、当時の(古い表現でいえば)文壇・論壇の、いわゆる知識人についても・・・。