ある雑誌で、江戸開城にあたって幕府側で大きな役割を果たした勝海舟の特集があり、中で何度も典拠された彼の談話本「氷川清話」が知りたく、国分寺の紀伊国屋で文庫本の「氷川清話」(講談社学術文庫)を求めた。
この文庫本の底本である講談社版「勝海舟全集」発刊時点で、「氷川清話」の流布本が徹底的に洗い直されたという。その結果、最初の(流布本)編集者によって、勝海舟の談話が勝手に書き換えられていたことを解明したそうだ。「勝海舟全集」に参加した、この文庫の編集者(校注者)は、その点(道義性)を厳しく指摘している。
ともあれ、海舟は小気味よくべらんめえ口調で、主として江戸から明治にかかわる人事諸般を語っている。その中で、文庫版校注者が何度か話題にしていることで、この事情に合うものがある。
東北の津波(明治二十九年の明治三陸地震)における救済の仕方から、幕府と新政府の違い(「難民の救済」)を語ったその次に、足尾銅山の鉱毒事件について、海舟は以下の談話(「鉱毒」)をしている。
「(略)旧幕は野蛮で今日は文明だそうだ。(略)/山を掘ることは旧幕時代からやって居た事だが、旧幕時代は手のさきでチョイチョイやって居たんだ。海へ小便したって海の水は小便にはなるまい。手の先でチョイチョイ掘って居れば毒は流れやしまい。/今日は文明だそうだ。文明の大仕掛けで山を掘りながら、その他の仕掛けはこれに伴はぬ、それでは海で小便したとは違はうがね・・・・・わかったかね・・・・・元が間違ってるんだ。」
仕掛け(つまり技術)が身の丈に合ったものから、自然との平衡を失ったものに変わったと指摘しているのだろう。進歩したからといって、自ずとものが見えるわけではない。また晴眼の人士は、当事者でなくても真偽を見抜くことができるようだ。
蛇足。アメリカ映画でよく目にするが、窮地に陥った小集団の中で誰がリーダーかをせめぎ合う展開がある。困難な状況の中で、全責任を負ってこそのリーダーを争う気風がこの国に残っているのだろうか。