今日は旧暦の七月十五日、盂蘭盆(うらぼん)だ。Wikipediaを参照すると、この仏教行事は7世紀頃からのもので、歴史をたどると、江戸、明治時代に、お盆に収斂したり排除されたりしたようだ。どちらにしろ、国民行事のお盆休み中で伝統的な言葉として残っているが、「盂蘭盆」という言葉に実感は余りない。ずるずると生きていることに反省が必要のようだ。
「東国歳時記」(洪錫謨著:東洋文庫)には、旧暦七月中元(7/15)の今日、「百種日(백종일)」として次のように記している。
・七月十五日(中元)は、わが国の風俗で百種日という。僧徒はこの日、斎(とき)を設けて仏を供養し、大名節となす。/かんがうるに、『荊楚歳時記』には、「中元の日には、僧尼、道俗を問わずことごとく盆を営み、諸寺院で供養をする」と書いており、『盂蘭盆経』では、「目連比丘(もくれんびく:男僧)が五味百果を盆に供え、十万大徳を供養した」と書いている。
・いまいうところの百種日は、おそらく百果を指したものであろう。/高麗時代には崇仏の風が盛んで、毎年この日には盂蘭盆会がおこなわれた。いまの風俗で斎を設けるのは、この遺習である。
同じく「亡魂日(망혼일)」として次の説明もある。
・わが国の風俗に、中元をもって亡魂日となす。けだし一般の民家では、蔬果や酒販をととのえて、亡き親の霊魂を招くのである。(以下略)
ところで、上記「東国歳時記」にある「百種日は、おそらく百果を指したものであろう」について、中国語Wikipediaの「朝鮮中元節」に次のような解説がある。
・「百種」は「いろいろな果物」で、そのため「百中」あるいは「百種」は多種の農作物が熟して豊作を意味している。
ちなみに、韓国語Wikipediaの「百中日(백중날)」では次の通り。
・この頃には様々な果物や野菜が多く、100種類の穀物の種を備えていたとしてできた名前である。
・(仏教に関連づいた)盆は、昔から盛大に行われていた祭りだったが、今日の大韓民国ではその風習が多く消滅した。
(本ブログ関連:"歳時記")