AMAZONに発注した「韓国の梵唄 霊山斎 太古宗奉元寺」(VZCG-234)のCDが昨日届いた。レーベルは、ビクター伝統文化振興財団である。太古宗(태고종)の本山奉元寺(봉원사)で催される霊山斎(齋)の仏教音楽を収録したもので、梵唄(ぼんばい:범패)を中心に構成されている。
先日(5/23)、奉元寺を訪れた際に、境内にある玉泉梵音大学と霊山斎保存会の名を記した建物で霊山斎の音楽についてたずねたところ、上記CDは当然ながらなくて、教育用のものがあり、1セット15枚程度と紹介された。知識も素養もないので、エッセンスだけでもと、結局AMAZONのものを求めることにした。
奉元寺の境内を出て、坂道を下る両側に、霊山斎の教室が数軒並んでいた。民家風の建物からして、奉元寺以外に、一般の信者向けの私塾のようなものかと想像したが不明。少なくとも、梵唄の教育機関に奉元寺のものと、私営のものと2種類あるようだが、調査が必要。
イ・ソンヒの父親が、梵唄の指導者だったことから、その関わり方にいくつかの場面が推定できそうだ。イ・ソンヒを知る者の言葉によれば、「(イ・ソンヒの父親は)仏教音楽『梵唄』の伝授者であった。父の身分が僧侶だったため、所属寺刹が変わる時ごとに、一家は引越し荷物を荷造りしなければならなかった。そうして彼女はやむを得ず国民学校だけで六つ転校した。」といわれている。
「法鼓舞」
さて、霊山斎の音楽であるが、このなかでも「法鼓舞」(ポプコム)は、吹打(チュイダ)の旋律を中心に打楽器との圧倒的な掛け合いをしていて、題名の通り鼓舞させる。舞台を見てみたい。(かつて、大阪と東京で演じられたとき、法鼓舞も演じられたのだろうか)
そういえば、チャルメラに似た音のする楽器の喇叭(ナパル)を使っているが、吹打は、打楽器的なリズムをとるそうだ。トランペットも時代を遡れば、オーケストラの中でリズム中心の楽器である。
次の(資料1)は、打楽器中心の舞として「法鼓舞」を説明していて、奉元寺のものと同じ所作かどうか確信ないが掲載させていただく。舞の意図を知ることができる。
(資料1)[法鼓舞](出典: nunghwa>仏敎舞踊の韓国的受容と展開)
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・法鼓舞は衆生済度の思想を含んでいる踊りです。
お寺で打つ打楽器は各々意味がちがいます。皮で作った太鼓は地上の衆生の為に打ち、雲板は空中に棲んでいる動物の為に打ち、梵鐘は地下の生物の為に打ち、木で作った木魚は水中の生物の為に打つのです。仏様の慈悲は人にだけ恵まれるのでなく十方の萬物に恵まれるのだから、その功徳を讃えて色々の音を出すのであります。
済度は仏の教えによって人の迷いや苦しみを救うことであります。
・法鼓舞は地上の生物の中でも特に人の為の踊りであり、つまり、愚かな衆生を悟らせて、仏の教えにしたがうようにして、苦界から救う誓願が踊りの動作に表れるのです。
法鼓舞だといって太鼓を打つだけでなく、色々な動作を取りながら踊ります。衆生を強く戒めるという意味で速く先進して強く太鼓を打つこともあり、衆生をなだめるように軽く身を揺すぶることもあり、しゃがんだり立ったりして衆生の精進を促すこともあり、太鼓ばちを高く持ち上げながら太鼓を目ざして衆生の誓願を促したりするのです。終わりに、軽くくるくる回りながら太鼓ばちを振り上げるのは衆生を済度した満足感を表すのであります。
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「和請、祝願和請」
霊山斎の「和請、祝願和請」については、次の(資料2)にある梵唄の解説の中でも特に注釈が設けられている。更に詳細な解説は、CDの解説から(資料3)として掲載させていただく。
(資料2)「NAVER百科事典」の「梵唄」(ぼんばい:범패)の解説
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・寺院で主に斎を上げる時歌う歌。
・1973年に重要無形文化財第50号に指定。
・ボムウム(梵音)、オサン(魚山)とも呼ばれている。仏の功徳を賛美する歌で、「ボムペ(梵唄)」は、インドの声という意味だ。荘重で厳粛で、화청(和請)を除いては声に意味が含まれていないことが特徴だ。
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(資料3)上記CD解説「奉元寺の霊山斎」>「和請、祝願和請」より(文:植村幸生)
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・「和請」とは韓国語の歌詞で仏法をわかりやすく説く歌謡で、法会の終わりに僧侶が歌う。しばしば「回心曲(ホェシムゴク)」とも称されるが、厳密には和請のうち特定の歌詞を持つものだけを回心曲と呼ぶ。音楽的にも梵唄とは一線を画し、むしろ民謡に近い。途中からリズムがかわり、漢文歌詞による祝願和請(単に祝願ともいう)に移る。
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(本ブログ関連:”梵唄”、”霊山斎”)