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2013年11月5日火曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 菊花

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(10/30)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第29回として、菊の花(국화)について紹介した。

始めに、秋の花の菊とそれに関わる詩について、次のような紹介から始まった。
・花というと春を思い浮かべるが、秋にも春に劣らず、きれいに咲く花がある。コスモスを筆頭に、オシロイバナや野菊、そして名も知らぬ花たちが力強く花を咲かせ、散った後、目に入るのが菊の花だ。朝鮮後期、李鼎輔(イ・ジョンボ、이정보、1693年~1766年)が残した、菊の登場する次の時調시조)がある。

「菊よ、おまえは、三月の春の風(東風)を過ぎ、/  落木寒天にひとり花を咲かせたのか、/  おそらく、霜が降りる季節に屈しないのはおまえだけだろう。」

・「落木寒天」は、木の葉が落ち、寒くわびしい冬の風景を表す。この時調は、暖かい春の風が吹いても花を咲かせず、寒い冬になるまで待って、さびしそうに、けれど力強く咲く菊の花を歌う。

▼ 平時調(평시조)の「菊よ(국화야)」を聴く。上記詩の一音一音を延ばし朗詠する。夕陽を逆光に揺れる野菊のよう。

次に、李鼎輔の仕事と彼にまつわる逸話が、次のように語られた。
・李鼎輔は、詞のように相手が王であれ、間違ったことには果敢に言上する政治家だったという。
・一方で、音楽にも造詣が深く、上記時調以外に80編を超える作品を残し、音楽家養成にも携わった。弟子に、桂纖(ケソム、계섬)がいた。彼女は、幼くして両親を亡くし奴婢となったが、李鼎輔と出会い、彼を師匠として歌を学ぶ。彼は桂纖の才を見抜き、常に傍に置き指導した。彼女は名唱として名を轟かした。李鼎輔が世を去ったとき、桂纖は実の父の死を前にしたかのようだった。その後毎日、師匠の墓前で泣きながら歌い続け、生涯かけて恩返した。その姿は、晩秋の道端に咲く野菊のようだ。

▼ 新民謡「野菊(들국화)」を聴く。なんだか、野に咲くの花の陽気で力強さを感じる。

最後に、菊を愛でる優雅な光景について、次のように語られた。
・昔から、ソンビ(博識な学者)たちは、菊を、梅、蘭、竹と共に並べ、四君子と呼ぶ。これらは、操と節義を象徴する花とされ、広く好まれ、植えられた。フンタリョン(흥타령)の歌詞に、四君子のひとつ、菊に関する次の一節がある。

「窓の外に菊を植え、菊の下で酒を醸しておいた。/ 酒が熟成し、菊の花が咲き、友人が来て、月が昇った。/ それ、コムンゴを一曲弾け、夜が明けるまで遊ぼうではないか。」

・花もきれいに咲き、さらにその香りまで漂い、友を誘って一杯傾ける光景、なかなか粋である。菊の酒をゆったりと嗜みながら、あれこれ話をする時間、これこそ、至福のひと時と言えるかもしれない。

▼ 「歌詞 勧酒歌(가사 권주가)」を聴く。揺ったりと古色を漂わせるが・・・どこか新酒の香りする。