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2017年10月9日月曜日

「体育の日」の休日散歩

体育の日」の今日、思いつきで休日散歩した。風の向くまま、気の向くまま。

北側の街の公園ベンチで、途中コンビニで買った新聞に目を通す。秋晴れの空、たちまち日差しにたじろぐ。紫外線が見えるよう。コスモス畑を巡れば、パステル色の花々が風に揺れていた。一面咲きほころぶには少し時間がかかりそう。

次に、隣り駅前を経由して、南側にある公園にたどり着く。緑陰でしばし休憩。そのとき撮ったのが次の写真。大雨対策用の窪地(調節池として利用)は、すでにススキの原になっていた。秋深まる。

どうということもない風景だけど
この公園は、さらに東と南へ、公園名を分けて続く。いずれも休日のせいか家族連れで賑わっていた。さらに南へ進むと飛行場になる。ドルニエ機が離着陸する様を目と耳で楽しむ。

以上、同じ道を往復することなく、一筆書きで巡った。中学時代からの心がけである。

2017年10月8日日曜日

イ・ソンヒのカバー「ハル(いちにち)」

夕方、ちょっと帰宅を遅らせば、辺りはすっかり日が落ちて夜のさま。冷えが加われば、もはや冬といってもおかしくない。今年も、あっけなく終わりそうな気配する。

こんな晩、イ・ソンヒにしんみりする曲はないかと探せば、過ぎるほどのものがある。キム・ボムス(김범수)の「ハル(いちにち、하루)」(2000年)をカバーしたものだ。イ・ソンヒはそれを見事に彼女らしく再生する。

(本ブログ関連:”ハル”)

原曲の、情念を貼り付けたような独特な歌い方を脱色し、あらためてイ・ソンヒの色に染め上げる・・・旋律と歌詞がそれぞれ独立しながらも共鳴する。透明感あふれるバラードに変身したのも、彼女の歌唱力のなせるわざだ。


*愛がまた傷つけます・・・
愛がまた泣かすのね・・・
あんなに愛した思い出まで忘れてくれといって
愛は残酷に去っていくのね・・・

本当に耐えられるでしょうか・・・
あなたが言った その言葉のように
そう、あなたは目を覆って 知らない振りして去るのが
いっそ、気楽なのでしょう・・・

変わることもできるのでしょう
あの風も 毎日は違うから・・・
それでもこの世に 生きたいという幸せをくださったのは
今まで、とてもありがとう

(* 最初の4行のみ繰り返し)


(Youtubeに登録のlys2187に感謝)

2017年10月7日土曜日

狸(たぬき)

きのう、純真無垢で愛らしい「タミー」について、彼女の名をタイトルにした歌と合わせて記した。響きが似てるから「狸(たぬき)」の話でもと・・・無理なこじつけだが、してみよう。

山を巡る猟師や山小屋の主人たちの、山中での不思議な体験を集めた「山怪」や「黒部の山賊」には、狸についてもいろいろ語られている。共通しているのは、山陰や鬱蒼とした木立の奥から、あるいは寝静まった山小屋の外で、打撃音が聞こえるというのだ。

(本ブログ関連:”山怪、黒部の山賊”)

それは、木を打つ音であったり、深夜に山小屋の屋根を叩く音であったりする。機械的な物理的な響きがするという。人の気配がない場所で聞こえるにもかかわらず、不思議と恐怖を与えることはないようだ。狸の姿を見たわけではないのに、体験者は、あれは狸の仕業と口にするというのが妙。(童謡「証城寺の狸囃子」の狸も、<ぽんぽこ ぽんの ぽん>といった腹鼓(はらずつみ)する)

ところで、狸はとぼけた風情がして、どちらかといえばおどけた存在に描かれる。そんな狸が、安永の俳人(澤田庄造、号を鹿鳴)と暖かい関係を結んだという。田中貢太郎の掌編「狸と俳人」は、一人暮らしの俳人のもとに通った狸との深い交遊を描いている。(抜粋)

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・・・其の庄造が病気になった。初めはちょっとした風邪であったが、それがこうじて重態に陥った。村人達はかわりがわり庄造の病気を見舞ったが、其の都度庄造の枕許まくらもとに坐っている狸の殊勝な姿を見た。庄造は自分の病気が重って永くないことを悟ったので、某日其の狸に云った。
「お前とも永らくの間、仲よくして来たが、いよいよ別れなくてはならぬ日が来た。私がいなくなったら、もうあまり人に姿を見せてはならんぞ。それにどんなことがあっても、田畑などは荒さぬようにしろよ。さあ、もういいから帰れ」
 庄造の言葉が終ると狸は悄然(しょうぜん)として出て往った。其の夜、庄造は親切な村人達に看みとられて息を引きとった。それは安永七年六月二十五日のことであった。

 それから数日の後のことであった。一日の仕事を終った村人の一人が家路に急ぎながら、庄造の墓の傍近くに来かかった時、其の墓の前に、蹲(うずくま)っている女の姿が眼に注いた。其の女は美しい衣服(きもの)を着て手に一束の草花を持っていた。そして、よく見ると女は泣いているらしく、肩のあたりが微(かすか)に震えていた。それは此の附近ではついぞ見かけたことのない女であった。村人は何人(たれ)だろうと思って不審しながら其の傍へ往った。
「もし」
 村人がこう云って声をかけた途端、其の女の姿は忽然と消えてしまった。そして、其の傍には女が手にしていた草花が落ちていた。村人達はそれを聞いて、それはきっと例の狸だったろうと云って、其の行為を殊勝がったが、其の心が村人達をして狸には決して危害を加えまいという不文律をこしらえさせた。爾来(じらい)其の村では今に至るまで狸は獲(と)らないことになっている。
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これが狐だったら、随分と色っぽくなったろうし、下世話な感情も浮かんでこようというもの。狸でよかった。狸と俳人との間に取り交わしたことだからこそ、村人と狸との間に純粋で暖かな絆まで遺した。

2017年10月6日金曜日

タミー

秋雨は冷え冷えして治まらず、ついに今秋初のヒーターを入れた。雨が外出のチャンスを奪ったからか、それとも雨のせいか、家にいてささいな家事に終始してしまう。といって、何も変わっちゃいないけど。

雨音に耳を傾けると、静けさがしみてくる。雨粒のすきまに、昔の音がよみがえる。題名も知らない、懐かしい旋律ばかり流れてくる。

素朴でやさしい民謡のような歌「タミー(Tammy)」(1957年、デビー・レイノルズが映画「タミーと独身者」で歌った主題歌)が聞こえてくる。無垢な少女タミーの想いが聞こえてくる。

今とはまったく違う時代。そう、ぼくらにとってあこがれであったTV番組「パパは何でも知っている」の時代の気分で、そんな時代の価値観で聞いてみたい。人びとが、男女が、今のようにささくれ立つことを知らなかった時代に戻って。

この映画を見たことないのに、メロディーは心のどこかに残っていて、あるとき、ふっと浮かんでくる。この映画とデビー・レイノルズ(当時23歳)、そして歌(詞)について、次のYoutubeに解説がある。


(Youtubeに登録のNedNickerson2010に感謝)

2017年10月5日木曜日

秋期イディッシュ語 2017-1st

今日から、イディッシュ語秋期コースが始まった。それなのに、タキシングの心構えなく、ましてリフト・オフに程遠い・・・そんな状態で出席するのを恥じるばかり。

(本ブログ関連:”イディッシュ語”、”秋期イディッシュ語”)

思い返せば、春期コースを終えて、夏休み中しっかり定着させると宣言したはずなのに何としよう。暑さに負けて、心頭滅却どころでない、志を忘却してしまったのだ。ただのぐうたらを反省するばかり。

幸い、新しい仲間も加わって、教材を一新。最初からの再スタートとなったが、授業は高速に進んだ。(ネットでも音声を聞けるとのこと、携帯デジタルプレイヤーに収録した)

教材音声を聞きつつ公園散歩もできるようになったのはありがたい。(今から寒くなるけれど)

(補足) 秋期コースからは思いつくまま感想を記すだけにしたい。

(「クレズマー音楽」についても、これから少しずつ理解できるようになりたい)

(Youtubeに登録のBGKOに感謝)

2017年10月4日水曜日

中秋の名月 2017

今日は旧暦8月15日、今晩の月を「中秋の名月」という。天気もよく、丸い月を見ることができるだろう。月見どきだ。

(本ブログ関連:”中秋の名月”)

といって、今晩は満月ではないそうで、実際の満月は明後日深夜とのこと。でも、今晩もひとの目には真ん丸な月だろう。(ふと思い出したこと、近くの公園の「お月見のつどい」は、9/30、10/1だった)

いつも真ん丸ではつまらない。丸いときも、尖ったときもあるのが月。満ち欠けを繰り返すのが月。だから真ん丸なときがよい。そんなときこそ、ひとびとは目を向ける。

今晩、月餅でも食べながら、真ん丸月を眺めてみよう。

(追記)
今日の外気は思った以上に冷たく、空も晴れ間がない。初冬の気配すらする。そんな中、スタディールームの帰り道、もしかしたら十五夜の月を眺めることができるかもしれないと期待し、コンビニで菓子を探した。「わらび餅&白玉くりいむぜんざい」というカップ入り生菓子を手元に月の出を待ったが、残念ながら雲が低くたれこもったまま。空模様に関係なく菓子をいただくことにした。

KBS WORLD「国楽の世界へ」 梨花雨

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(10/4)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、朝鮮時代の妓生の梅窓(매창、1573年~1610年)の「梨花雨(이화우)」ほか関連する曲を紹介した。

始めに、秋の寂しさを歌った、妓生の梅花の詩「梨花雨」について次のように紹介された。
・秋には、朝晩に冷気を感じ、秋風に落葉を見る。今年も終わりに近づき、うまく成就できたかと想う。朝鮮時代の妓生「梅窓」は、秋の寂しい気持ちを、<梨の花が咲いていた春のある日、恋人が去ってしまった。何の便りもない。夏が過ぎ去り秋になっても、彼は戻って来ない。夢の中ででも会いたい>と歌う。

▼ 梅窓の詩「頭学時調(지름시조)、梨花雨」を聴く(声を張り上げて歌う)。秋風に葉が舞い心揺れるよう。

次に、朝鮮時代の文人、「尹善道윤선도、1587年~1671年、号は孤山)」について次のように紹介された。
・ひと恋しくなる秋、人々から遠ざかった人がいた。朝鮮時代の文人「尹善道」だ。彼が描いた漁師の歌「漁父四時詞(어부사시사)」に、秋の場面がある。秋は漁師の仕事が増え忙しくなる。尹善道も海に出るが漁でなく、ただ海を楽しむためだ。世間から遠ければ遠いほど良い。彼は、長い歳月、島流しの生活をした。 元の生活に戻りたい気持ちを押さえたためか。

▼ 「アジサイに秋が漂う(수국에 가을이 드니)」を聴く。<「漁父四時詞」に、アジサイに秋が漂うと魚が肥える>内容があるという。秋の空気を感じる、今様に。

最後に、女性の「彩鳳(채봉)」と恋人の「張弼成(장필성)」の切ない恋物語について次のように紹介された。
秋に思い浮かぶ話がある。「彩鳳」と「張弼成」の切ない物語だ。彩鳳の父が首都漢陽(한양)に出かけたときのこと、この二人の関係に気づいた彩鳳の母は、二人の結婚を認めるが、漢陽から戻った父は、彩鳳を他家に嫁がせようとする。父は出世のため、彩鳳を偉い家柄の妾にさせようとしたが、かえって獄中生活をする羽目になる。彩鳳は父を助けるために自ら妓生になる。その後も、愛する弼成を忘れることができず、月の明るい秋の夜、弼成を想いながら詩を作った。「秋風感別曲(추풍감별곡)」という詩だ。ところで、彩鳳の詩を耳にした観察使は、彼らの悲しい恋物語を知り、二人を結んでやったという。

▼ <北部西道地域の独特な雰囲気で歌った>「秋風感別曲」を聴く。読み聞かせるように歌う。

2017年10月3日火曜日

もみじ(紅葉)

小学校で学んだ合唱曲で一番記憶にあるのは、唱歌「もみじ」(高野辰之作詞、岡野貞一作曲、1911年:明治44年)だろう。私にとって、琴線にふれるような思いで深い曲だ。

遅くまでみなで合唱曲の「もみじ」を練習したとき、教室の窓にきらきら輝く夕陽が差し込んだのを思い出す。そんな思い出を独り占めしたいのか、一緒の仲間たちの影がすっかり霞んでしまっているのだ。歌の気分に、記憶まで染まってしまったようだ。

(本ブログ関連:”紅葉”)

子どもの目に映った紅葉は、うっすらした赤い光景でしかない。それを確かめたく、大人になって山に登ったり、バスツアーで眺めた紅葉の景観は、大人の目のものでしかない。懐かしさを求めたはずのに、結局、観光気分にしかなれないのだ。

そんなことなら、子どものころに、もっとしっかり自然に親しんでおくべきだったと思うばかり。


(Youtubeに登録の3113663eeeに感謝)

2017年10月2日月曜日

残り3ヶ月

飯屋の調理場から、「今年も3ヶ月しかない」という声が聞こえた。飯を食いながら、月日の過ぎる早さをあらためて感じる。何十回と繰り返してきた。そして、忘れては何度気付いたことか。

早速、来年のカレンダーを購入して、今吊るしているカレンダーの裏に合わせた。ただし、分厚い日めくりカレンダーは一緒にするのに苦しいので、もう少しして入手しよう。

時はあっけなく目の前を通り過ぎる。子どものころ、道路を走るトラックの排気ガスが好きで、道端に立って鼻をくんくんさせたもの。高じて、ガソリンスタンドへ遊びにいったりした・・・それはそれとして、時間がカレンダーのように次々めくれていくのを楽しもう。

昔の思い出、ニール・セダカ(Neil Sedaka, 1939年3月13日~)の「カレンダー・ガール(Calendar Girl)」(1960年)を聞こう。いかにも、若い女性にモテモテといった雰囲気(少々にやけ気味)から、てっきりイタリア系と想像していたが、実は「父はトルコから移民したユダヤ系、母はポーランド・ロシア系ユダヤ移民」(Wikioedia)だったとは。

(本ブログ関連:”ニール・セダカ”)

1月から12月、カレンダーを見ては毎日思い続ける。今月は、ハロウィンの10月、ぼくらはロミオとジュリエット・・・なんという陽気さ。カレンダーをめくるのも苦じゃない。カレンダーにときめくなんて、うらやましい。


(Youtubeに登録のDheeherdian77に感謝)

2017年10月1日日曜日

イ・ソンヒの「水仙」

今日から10月。今年はもう1/4しか残っていない。あっというまに過ぎ去るだろう。日高市の巾着田で開催の「曼珠沙華まつり」は今日で終了した(そうだ)。

真っ赤な花弁と緑の茎だけで咲く曼珠沙華の群れ並ぶ光景は美しさを超えて圧倒的である(そして異様さも覚える)。その「曼珠沙華(ヒガンバナ)」と同じ<>に属する花に、「水仙(スイセン)」がある。こちらは、冬から春にかけて咲く花だが、共に根に毒性を持っ。かたや死の影を持ち、かたや自己陶酔に溺れる。

水仙の可憐な姿に、自惚れの跡がかすかに精一杯に主張しているようにも見える。そんな負けん気が聞こえてくるような、独白だけの作品「水仙(수선화)」(1989年、作詞・作曲キム・チャンワン)が、イ・ソンヒの5集に収録されている。

(本ブログ関連:”水仙”)


(ふふふ) みんな過ぎたこと
いや、違うわ

愛! 贅沢なことみたい
未練! (ふん、ふふ)

わたしが 水仙を好きだったとしよう
その花が散ったとしよう
それが 何!

誕生日が同じ人だけで会うとしよう
それも日を決めておいて
ちらりと会って別れるのが、何が違うの

(はあ~) みな、過ぎたこと

違うわ、違うわ


(Youtubeに登録の이원호に感謝)

(付記)
最近、遠出を控えている。それでも運動のつもりで、近隣の街に出かけて書店を巡った。
先日から気になり始めた、リトアニアの街「ヴィリニュス」(ユダヤ文化の花開いた街でもある)への関心から、昔、リトアニが大国であったこと、やがてロシアに押されたことで、「ルブリン合同」によりポーランドと連合して(併合されて)、「ポーランド・リトアニ大公国」ができたこと・・・についての平易な歴史解説書を探したが見つからなかった。こんなとき、Wikipediaは近道である。

2017年9月30日土曜日

「赤とんぼ」の捕らえ方

ちあきなおみの歌「赤とんぼ」について、先週触れたばかり。市井の別れ歌だ。

(本ブログ関連:”赤とんぼ”)

秋の空に浮かぶ「赤とんぼ」で思い出したことがある。高山の赤とんぼは、人に対する警戒心が薄い。だから、捕虫網を使わないでも、容易に手で捕れる。もちろん、山路の出会い、捕って標本にするつもりはない。

赤とんぼを、素手で捕らえる方法はちょっとの我慢だけ。

① 山道の石ころや岩の上に休んでいる赤とんぼに狙いを定める。
② 3mくらい離れたところから始める。片手を、ゆっくり、大きく回転する。
③ 手を回転させながら、そっと、赤とんぼに近づく。あせってはいけない。
④ 赤とんぼに1mほど近づいたら、手の回転を少し早める。あせってはいけない。
    このとき、赤とんぼの頭が、カク、カクと揺れ始めたらしめたもの。
⑤ 手の回転幅を狭め、腰をさげつつ、指先を赤とんぼに次第に近づける。
    赤とんぼの頭が、めまいでもしているかのように振り続けるのを確認する。
⑥ そして、両手で赤とんぼをくるむように捕まえる。

複眼の赤とんぼが、ひとの手の回転に目がくらんだに違いない。見えすぎるのも弱点だ。

2017年9月29日金曜日

不成就日

日めくりカレンダーの隅にその日の注記があって、暦注や伝統行事を示している。いつも素通りしがちなのに目がいった。「不成就日」と書かれていたのだ。

無力感に襲われるネーミング、成就できないなんて一体どうしたことだ。いろいろな行事が「凶」になるという。旧暦の特定日に「不成就日」があって、毎月4回巡ってくるという。

占いごとを、精緻に理論・体系化すると息苦しくなる。平穏な毎日を願っているはずなのに。出鼻をくじく先読みは、余計なお節介。それも、権威をもって語られたりすると、その言に怪しさが増す。

占いは、陽の当たる部分と影の部分を示す。吉凶の裏表。幸福と不幸、平和といくさ、生と死。避けられないもの、永遠に続かないもの。だから、ひとは占いを完全に捨て切れない。

今日は、何ごとも不完全。すべてに不成就であった。占いを待つでもない毎日のこと。

2017年9月28日木曜日

「おはようボルチモア」

先日、FM音楽番組から流れた曲に、60年代ポップスをほうふつさせる、いきのよいものがあった。耳に残った旋律というか、オールディーズ独得な歌い方にひかれてネットで探した。手元にメモしたわけではなかったけれど、歌詞に何度か出た言葉「ボルチモア」でYoutube(およびWikipedia)を検索するとすぐに見つかった。曲名は「Good Morning Baltimore」。

この曲、実はブロードウェイ・ミュージカル「ヘアスプレー(Hairspray)」(2002年、マーク・シャイマン作曲、スコット・ウィットマンおよびシャイマン作詞、マーク・オドネルおよびトーマス・ミーハン脚本)の代表曲のようだ。

原作は、コメディ映画「ヘアスプレー」(1988年、ジョン・ウォーターズ監督)であり、その後も同名「ヘアスプレー」(2007年、アダム・シャンクマン監督)でリメイクされている・・・という。

ところで、ボルチモアはアメリカの都市だが、その歴史について何にも知らない。聞いたことのある出来事といえば「大火」くらいか。まして、FMで聞いた「Good Morning Baltimore」の時代背景を知るよしもない。ただただオールディーズの郷愁にひかれただけだった。
「人種差別が色濃く残る、1962年のメリーランド州ボルチモアを舞台に、明るくふくよかな10代の女性主人公が地元のテレビ番組でダンサーとして、スターになる物語を描いている」とのこと。

2007年版の映画からと思う、次の「Good Morning Baltimore」は、とにかく明るくて陽気、健康で天真爛漫な主人公の若々しさがあふれる。どんなに憂鬱であっても、朝になれば未来が始まる・・・おはようボルチモア。


(Youtubeに登録のthecrazydude57に感謝)

2017年9月27日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」家族愛

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(9/20)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、「両親や家族への愛」に関連する曲を紹介した。
(ブログ記述時点で、ネットで未見のため韓国語/英語版を参考にした)

始めに、親孝行の大事さを強調した中国元代の「二十四孝」をもとにした歌について次のように紹介された。
・中国の元代、孝行の徳目を編纂した「二十四孝」がある。真冬に鯉を獲ったり(=姜詩)、竹の子を採ったり(=孟宗)して親を奉養したり、また、年老いた母親のものも食べる幼子を地中に埋めようと穴を掘ったところ、金を得た(=郭巨)話など、これらをもとにした歌がある。

▼ 短歌(パンソリの喉慣らし曲)の「孝道(孝行)歌(효도가)」を聴く。淡々と歌う。

次に、パンソリ「沈清歌」で、沈清が命にかえて父の病を治そうとすることについて次のように紹介された。
・パンソリ「沈清歌」に、盲の父の目が開くよう、自ら船乗りに命を売った沈清が、船に乗って(印塘水の)海に身をなげるくだりが描かれている。船乗りは、沈清を犠牲(人柱)として祭祀を行なう。沈清は、死を控えて、父親がいる故郷に向かってお辞儀をしながらも、一人残る父親を案じる。

▼ パンソリ「沈清歌」から「沈清が海に沈むくだり(심청이 바다에 빠지는 대목)」を聴く。迫り来るものを想う。

最後に、沈清が身を投げる海(印塘水)に沈む前、船乗りに付いていく心情を現代的な観点で描いた創作曲について紹介された。

▼ 「清、海になる(청 바다가 되다)」を聴く。あまりに感傷的に、あまりに今様に。

2017年9月26日火曜日

キンモクセイ(金木犀)

この時期、「金木犀」が気になる。「彼岸明け」の今日、人影の乏しい公園に出かけて、広場に並ぶ大きな金木犀を見上げた。濃い緑葉のあちこち、オレンジ色の小さな花弁が点在する程度だが、独特の甘い香りが始まっていた。

(本ブログ関連:”金木犀”)

ちょっと前まで、しばらくの間、「百日紅」が小さな薄紅色の花を覆うようにして飾っていた。中国の古い絵を見るようで、霞んで、すごく地味で・・・。そんな地味さ加減が金木犀にもある。この時期、オレンジの花弁も咲き始めたばかり。

子どものころ、金木犀と(春を知らせる)「沈丁花」の香りが苦手だった。なんだか、年配の婦人方の香水を思い起させるからだ。でも、考えてみれば可笑しなこと。ずっと昔から、金木犀や沈丁花は、その香りを漂わせていたのだ。

(本ブログ関連:”沈丁花”)

やがて歳をとると、花の自然な香りに合わせるようになる・・・そんな気がする。

2017年9月25日月曜日

狢(ムジナ)

人を化かす動物といえば狐と。狡猾な化かしをする狐に比べて、どこか間抜けでお人好しの感がする狸。その狸を、「(ムジナ)」ともいうけれど、実体はアナグマのようだ。

写真などでみるアナグマは、狸のような丸みがなく愛嬌が不足している。まさに、イタチ科とイヌ科の違い。さらに狢とされる、ハクビシンにいたってはネコ科に属していて、もっと遠い。

この狢を題材にした、L.ハーンの怪談に登場するのは、狸でもアナグマでも、ましてハクビシンでもない。<のっぺらぼう> なのだ。夜道で、人の好い商人を巻き込んで化かして驚かす。その仕打ちは狐の化かし風。しかも、追い討ちをかけるように、屋台の蕎麦売りも組んで驚かす。

一体どうして、狢が <のっぺらぼう> なのだろう。顔を隠しながら相手を見る、正体不明の顔にしたのだろう。それとも、商人が迂闊だったのか。(顔を隠した狢に翻弄される商人、それとも目先しか見えない商人)

2017年9月24日日曜日

イ・ソンヒの底力

「イ・ソンヒが歌う他の歌い手の歌のコレクション(アイドルの歌からラップまで、完璧に消化されるハート・・・ぶるぶる、時代を超越したような声づかい)」といったタイトルの映像がYoutubeに登録されている。

イ・ソンヒが若い歌い手の歌を、自家薬籠中にするというか本歌取りしたというか、まさに彼女自身のものに変じてしまう。民謡からトロットまで含めて、あらゆるジャンルをおさめてしまう彼女なればこそ、まさにイ・ソンヒ ワールドといっていい。

今回は、いわゆるK-POPについても、彼女の歌唱力は易々と取り込んでしまう。時代を超えた普遍性が、安定感が・・・、そんな底力を見せつける場面集だ。

(本ブログ関連:”イ・ソンヒが歌ってみると”)

1. 술이야    바이브    /    酒だ    Vibe
2. 안되나요    휘성    /    だめですか    フィソン
3. 시간을 달려서    여자친구    /    時間を駆けて    GFRIEND
4. 잊지 말아요  백지영    /    忘れないで    ペク・ジヨン
5. 나를 슬프게 하는 사람들    김경호    /  私を悲しませるひとたち    キム・ギョンホ
6. 사랑 안해    백지영    /  愛さない    ペク・チヨン
7. 소주 한잔    임창정    /  焼酎一杯    イム・チャンジョン
8. 사랑합니다    Tim    /  愛します    Tim
9. 잘못된 만남    김건모    /  誤った出会い    キム・ゴンモ
10. 가시   버즈    /  棘    BUZZ


(Youtube登録者に感謝)

2017年9月23日土曜日

秋分の日 2017

今日は、「秋分の日」。昼夜の長さが同じというが、夏の余韻が残っていて、昼の時間が微妙に長いそうだ。しかし、空模様は芳しくなく、冷え冷えして気分はすっかり秋。

(本ブログ関連:”秋分の日”)

この時期、「おはぎ」を供え物にする。おはぎは日常的な菓子であって、春の「ぼたもち」と比較されるが、<粒餡>と<漉し餡>で包むといった違いでしかなく、季節感の意識はない・・・それが正直なところ。

食べ物にこだわるのは、ここ数日食が進まないからだ。ネットで分かったことだが、先日処方された薬の副作用かもしれない。自己責任で服用を中止することにした。

ここ数年の中で、一番ついてない「秋分の日」。

2017年9月22日金曜日

ちあきなおみの「紅とんぼ」

先日、ちあきなおみの「黄昏のビギン」を聞いたばかり。秋雨に冷えた今日も、彼女の「紅とんぼ」(吉田旺作詞、船村徹作曲、1988年)を聴いてみよう。

(本ブログ関連:”紅とんぼ”、”黄昏のビギン”)

この「紅とんぼ」、歌手がその力量を競う歌でもあるようで、昔、歌謡番組でケイ・ウンスクと名前を失念したがもうひとり若手の女性歌手が歌い合った。ケイ・ウンスクの歌いこみは実に素晴らしかったように記憶している。

それでも、ちあきなおみの歌は、新宿の駅裏、そっと店仕舞いする酒場に出入りしたひとびと女将との関わりまでが、細やかに情感あふれて聞こえてくる。学生でもない、文士気取りでもない、口下手な男たちが集まるところ。何気ない言葉ひとつで癒しをもらう場所、そんな酒場「紅とんぼ」があったようだ。


(Youtubeに登録のHisaki TVに感謝)

2017年9月21日木曜日

さだまさしが歌う童謡「里の秋」

山肌が冷気に撫でられ、しだいに色づくのに合わせて、秋は深まる。終戦間もなく、秋は来たことだろう。童謡「里の秋」(作詞斎藤信夫、作曲海沼實、川田正子歌、1948年:昭和23年)は、南の島からの父の帰還を待つ母と子の歌だ。

母と子の会話を邪魔する喧騒もない、静かな静かな日々が想い起される。その時、その場に行くことはできないが、せめてこの歌から家族の再生を願わずにいられない。ぼくらは、そんな幸運のおかげで命をつないできたのだから。


(Youtubeに登録のkirakira 6050に感謝)

2017年9月20日水曜日

秋の彼岸入り 2017

手元のデジタル温度計が(室内ゆえ)25.8℃を示しているのに、なぜか冷える。夏の気配も今週までのよう、本格的な秋が始まる。

10月になれば再開することも多い。この夏しっかり復習・予習すると口にしたのを、今になって慌てる。学生時代の定期試験準備と似たようなもの。(さすがに社会人のときは、そんなズボラではなかったが)このたび、逃げ腰が治っていない。

きょうは、秋の「彼岸の入り」。3日過ぎ、4日目の23日土曜日には「秋分の日」。時間が前から来なくて、後ろから押すようになったのは幾年か。秋が人生にかぶさるようになってきたなんて・・・そんな感がしてしようがない。

(本ブログ関連:”彼岸”)

KBS WORLD「国楽の世界へ」金熙祚

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(9/13)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、金熙祚(김희조、1920年~2001年)、「散調산조)」関連する曲を紹介した。

始めに、作曲家「金琪洙」(김기수、1917年~1986年)と「金熙祚」について次のように紹介された。
・音楽の継承の仕方に、西洋は楽譜を見て演奏し、一方、東洋は師匠の口を真似て口承した。同じ音楽も感動は人によって違うように、同じ師匠の元でも、弟子の音楽は少しずつ異なるだろう。師匠の通り奏しながらも自分のスタイルを作り上げる。
・1940年代に活動した「金琪洙」は、韓国初の国楽作曲家で、時代の変化に合わせて国楽を発展させてきた。そして、作曲家「金熙祚」などの手を経て、今日の創作音楽が定着した。

▼ 金熙祚作曲の「散調、テーマ(主題)による合奏曲」(KBS国楽管弦楽団)を聴く。楽譜が浮かぶよう。

次に、作曲家「金熙祚」の音楽家としての経歴について次のように紹介された。
・作曲家金熙祚は、1920年にソウル鍾路に生まれる。音楽との関わりは遅く、商業高校卒業後、銀行に勤めながらのこと。西洋楽器のピアノやバイオリン、ビオラなどに始まり、後に西洋の作曲を学ぶ。国楽との縁は、1950年代の「朝鮮戦争」(韓国戦争)の時、陸軍軍楽隊で民謡を編曲したのが始まり。除隊後、KBSで管弦楽団を作り、指揮と編曲を担当、民謡を編曲して演奏した。その後、国楽芸術学校教師、ソウル市国楽管弦楽団の作曲と指揮を担当して活動広げた。作品は、散調や民謡、パンソリなど民族音楽をテーマにしたものが多い。そして、音楽活動の過程で、貴重な音楽を残した。

▼ 全羅南道巨文島の漁師の歌「綱なう歌(술비소리)」を管弦楽用に編曲したものを聴く。原曲と編曲の比較も楽しい。

最後に、作曲家「金熙祚」の音楽家としての人となりを次のように紹介された。
・金熙祚は、高麗交響楽団で活動したことがある。ビオラとコントラバスを演奏した。コントラバスを演奏できる者がほとんどいない当時、彼は、指が短い弱点を克服して演奏した。また、彼が一番重視したのは、「聞き安い曲を作る」ことだったという。そのため、彼の音楽は今もたくさんの人々に親しまれている。

▼ 「フルートの独奏と国楽合奏のための舞踊幻想曲」を聴く。時代劇で篠笛を聴くような・・・親しみやすい。

2017年9月19日火曜日

雑談、雑談、山怪 [弐]

① いずれの本で読んだか、その本が見当たらぬ。「Jアラート」がうるさいという話から思い出したこと。昔、WWⅡでノルマンディ上陸作戦の死線を越えた連合軍兵士たちが、意気揚々とフランスの田舎路を通り抜けていたとき、農家の窓が開き老婦人が「うるさい」と叫んだという。いつの世にも日常を最優先する人がいる。

② テレビの美術番組で、徳川家光のころの絵図、<狩野探幽(1602~74)が描いた幻の作品「八尾狐図(やおのきつねず)」が、京都市内で(2015年に)発見された(参照: Art Annual Online)>と紹介されていた。
このブログでは、「九尾狐」について話題にしてきたこともあり、尾が八つなのはなぜか気になる。妖狐の尾は、最終九本まで増え続ける、丁度その手前という説があるようだが・・・。一方で、狐は稲荷神の使いでもある。

(本ブログ関連:”九尾狐”)

③ 以前紹介した山の奇談を収集、紹介した「山怪」(田中康弘、山と渓谷社)の第二弾ともいうべき「山怪 [弐]」を読んでいる。最初の「山怪」は主に猟師から話題を収集している。さらに、山と縁のある人まで広げたのが「山怪 [弐]」だ。
<山の神は女性だといわれている>、<嫉妬深く><若い男を好む>とか生臭い面もある。さて、武蔵御嶽神社は修験の場でもある。山犬(ニホンオオカミ)が眷属(神の使い)として有名だそうだ。同神社の護符は山犬の姿を刷ったもの。その護符を実家で見つけて、関係する人々を訪ねた「オオカミの護符」(小倉美恵子、新潮社)と出会った。これも次のお楽しみ。
ところで、狐信仰は、イヌ(オオカミ)との親和性が強いようであり、山の神の使い ⇒ 田の神の使い ⇒ 商業神信仰へと変遷したという話もある。

(本ブログ関連:”(稲荷信仰)神の使い”)

2017年9月18日月曜日

台風一過

久し振りに強風を経験した。と言っても深夜のこと。今日の日付に変わる夜空を、ヒューと喉を鳴らすような音が走って、そのたび風圧に家が軋んだ・・・多分そんな感じがして、大丈夫かと心配するほどだった。

テレビの台風情報を見ながら、台風は進路を日本海へ向けるだろうから、直接、風害はないと思い、いつのまにか寝入った。朝になれば、風音もなく、明るい陽射しが窓から差し込んだ。そりゃあ見事な台風一過だった。

(参考)台風18号の進路図(国際気象海洋株式会社)
            http://www.imocwx.com/typ/tyani_18.htm

図書館に、リトアニアヴィリニュスの街について読み物を探しに出かけた。途中、夏の陽射しそのもの、まさに熱射を感じた。雨に洗われて空は澄み、木々の葉は一枚一枚くっきりと浮かんで見えた。暑さを帳消しにする清々しさだった。

ところで、リトアニアは複雑な地帯にある。ポーランド王国ベラルーシ(白ロシア)が入り乱れ、領土の競り合い、それに伴う民族や言語の多様化といった歴史を持つ。そこに、割り込むようにしてユダヤの人びとがヴィリニュスの街に集合した。

現在の各国の国情から、過去を即断(イメージ)できない。ポーランドが想像以上の大国だったこと、そして、ポーランド王国とユダヤの民との関係を知る。歴史年表と地図が必要のようだ。

2017年9月17日日曜日

ちあきなおみの「黄昏のビギン」

台風18号の影響か、一日中雨が降りつづいた。おまけに、今日の東京の最高気温は20.9℃、最低気温は17.9℃とヒンヤリして、家の中にいても厚手の靴下をはいたほど。日中、20℃を切るのはつらい。(不思議なことに、最高気温は19:02になってのこと)

何度か玄関ドアを開けてみたが、そんなわけで、外出を思いとどまった。きっと今ごろ、小雨にけぶる公園では、真っ赤な曼珠沙華とサルビアが、パステル色のコスモスが雨風に揺れていることだろうと想像して・・・。(なあに、きのう公園で見てきたばかりなのだ)

せめて雨の余韻だけでも楽しもうと、ちあきなおみの「黄昏のビギン」(作詞:永六輔、作曲:中村八大)を聞けば、部屋にこもったおじさんの想像力を押し広げてくれる。出歩けなかったせめてもの償いのようなもの。(原曲は、1959年の水原弘の歌)

(本ブログ関連:”黄昏のビギン”)

そして、昔のCFにならって、コーヒーでも楽しんでみようかと・・・。


(Youtubeに登録のmikuni1199に感謝)

2017年9月16日土曜日

(資料)ほのぼのボノボ

人間社会に似たサル集団に、ボノボの世界がある。オスとメスによる調和した、協調的な社会を好むようだ。それに対して、マッチョなオスが支配するのがジンパンジーの世界だ。

チンパンジーとボノボ社会を比較した講演会の要約がある。京大連続講座で語られた内容で、「チンパンジーとボノボから探るヒト社会の成立」(伊谷原一教授、2011年10月22日)は、素人にも分かりやすく比較紹介している。
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チンパンジーの生態
  ① 地位の優劣と緊張関係
  ② 道具の使用
  ③ 雑食性
  ④ 薬草利用
  ⑤ オスによる子殺し

「母権」のボノボ、「父権」のチンパンジー
チンパンジーは、オスが集団を統率し、少ないオスが2~3倍のメスを集団に抱え込む。
・一方のボノボは、オスとメスの割合が1対1。しかも、メスたちは年長のメスを中心として連帯し、オスに対しても優位性を示すという

ボノボには「子殺し」は存在せず、成長後も母親に甘えるオスもいる。伊谷教授は「人間社会でいえば、オスはマザコンメスは、おばちゃんを中心に徒党を組むので、怖くて文句を言えるオスはいません」とたとえ、会場の笑いを誘った。

・(ボノボの)このような社交的で積極的なメスの存在が、チンパンジーではなし得ない、異なる集団の平和的な共存を可能にしているという。異なる集団間で、メスたちが行き来して橋渡し役となり、「和平」を築くのだ

・伊谷教授は「人間の家族として成り立つための条件を、ボノボはすべて兼ね備えています。人間のような家族やコミュニティーの形成に発展する可能性を秘めているともいえる」と結んだ。
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人間社会で「父系制」、「母系制」を語るとき、財産の継承が軸になる。それに比べて、チンパンジーやボノボには、不動産的な財産=所有物がない。社会を維持しているのは、融和的な集団力だけなのだ。物に頼らない集団の継承こそ、最も基本的なはず。いかに「コミュニケーション」をはかっているか参考すべきポイントがあるだろう。

そのなかでも、ボノボは共存を主眼にした社会形成をしているという。人間にそのままあてはまれば、素晴らしい社会を期待できる。しかし残念ながら、人間は、チンパンジーでもボノボでもないし、所有の仕方や社会の規模も違うため、別の選択をしたようだ。

2017年9月15日金曜日

「朝鮮日報読者権益保護委員会」9月定例会

韓国におけるオピニオン・ペーパーとして最大発行部数を誇る(保守系)日刊朝鮮日報」を、読者立場から掲載記事について評価する「読者権益保護委員会」がある。そこに、何度か触れたが、イ・ソンヒが出席している。

(本ブログ関連:”読者権益保護委員会”)

9月11日に開かれた、報読者権益保護委員会の定例会議での評議内容が、9月15日付け同紙記事として掲載されている。緊張を高めつつある隣国関係、国内政治・社会問題まで幅広く取り上げ論じている。ただし、記事に、参加者個々がどのように発言したか明示していない。(イ・ソンヒなら、特殊学校新設問題について、積極的に発言したのではないかと推測する)

このブログは、イ・ソンヒにしか関心がない。
そこで、紙面掲載の写真をリンクさせていただく。

http://image.chosun.com/sitedata/image/201709/14/2017091403386_0.jpg

念のために、左から4人目がイ・ソンヒそのひとである。

2017年9月14日木曜日

(雑談)電動アシスト自転車

歳をとって気付くのは、歩きが遅くなること。駅まで、若い頃に比べて、1.5倍ほど、いやもっとかもしれない、時間が掛かるようになった。とうとう、若い女性にも追い抜かれるのが平気になってしまった。まさか、こうなるとはねえ。

自転車の場合もそうだ。最近、あれよという間に先を越される。特に、電動アシストのママチャリが多い。おじさんたちの会話で知ったのは、電動アシスト自転車は、15~20Km/hくらい速度を出せるという。さっさと追い抜いて行くのは結構だが、小さな子どもを乗せているのを見ていてハラハラするばかり。

(本ブログ関連:”自転車”)

自転車屋の店頭に並ぶ電動アシスト自転車を見ると、6,7万円~12万円ぐらいの価格帯だ。付属のマニュアルに、バッテリー交換の目安として1.5年~2年ぐらい。バッテリーの値段をネットで調べれば、3万円前後とある。

廉価版の(子どもを乗せない)ママチャリは、1万円~2万円程度。それと比べて、電動アシスト自転車のコストパフォーマンスはどうだろう。

しかし考えてみれば、幼児を抱える若い家族にとって、子どもの急病や、子連れの外出に、まず自動車が必須だろうし、子どもが幼稚園や保育園へ通うのに電動アシスト自転車は随分と役立つはず。そう算段すると、無駄ではないことになる。

一方、おじさんにとって、電動アシスト自転車はどうだろうか。・・・それが、電動アシスト自転車に乗っているおじさんをさっぱり見ないのだ。どうも、男は見栄っ張りなのか、意地っ張りなのか、弱みを見せたくないのだろう。エレキテルに頼るなんて。

そんなわけで、電動アシスト自転車に心傾いたものの、見栄が勝る結論に達したようだ。

2017年9月13日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」船遊び

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(9/6)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、「船遊び」に関連する曲を紹介した。

始めに、金弘道(김홍도、1745年~1806年頃)が描く「月夜船遊図(월야선유도)」について次のように紹介された。
・夏が過ぎ、秋の雰囲気が漂う頃、昔、川に船を浮かせて船遊びした。景色だけでなく、妓生や歌い手と風流を楽しんだ。船遊びの様子を描いた絵がある。朝鮮後期の画家「金弘道」による、平壌の監察使が夜、船遊びする「月夜船遊図」だ。華やかで大きな船を中心に、幾艘も小船が浮かび、船遊びに興じる人びとの他に、川辺でそれを見物する者もいる。楽しい見ものだったようだ。

▼ 「新しい船遊び(신 뱃놀이)」の曲を聞く。楽器の掛け合いが楽しい、今様に。

次に、中国宋代の詩人蘇軾の「赤壁賦」を引用した女唱歌曲「壬戌の秋(임술지추)」について次のように紹介された。
・中国宋代の詩人「蘇軾」は、文賦「赤壁賦」で知られる。彼は、ちょうど秋の初め、島流しにあう。その地を知人が訪ねたところ、川に船を浮かべ、船遊びすることになった。<清風穏やかに吹き、穏やかな川>で、<酒を挙げてすすめ、歌を楽しむ>内容で風雅な気がする。「赤壁賦」を引用した、女唱歌曲「壬戌(じんじゅつ)の秋」がある。<蘇軾のように風流を楽しむ友がいないので、ただ一人で楽しむ>という内容だ。

▼ 「壬戌の秋」の歌を聴く。(20世紀初頭の短歌(パンソリ喉慣らし曲)か?)

最後に、「尹善道(윤선도、1587年~1671年)」が「甫吉島(보길도)」で作った「漁父四時詞(어부사시사)」について次のように紹介された。
・船遊びはいかに楽しくても、毎日出かけるものでない。たまのイベントに満足できぬ人もいる。学者ソンビに、漁師になろうとする者がいた。川辺や海辺で生活しながら、暇に釣りをして素朴に生きる。島流しを繰り返した「尹善道」は、老後官職を捨て、南の「甫吉島」で暮らした。そのとき作ったのが、漁師の春夏秋冬を歌った「漁父四時詞」だ。
・春について、引き潮の後に満ち潮、春にふさわしい花の様子、漁師の暮らしだけでなく、季節の変化も楽しめる。

▼ 「漁父四時詞」の春、<小川の朝霧の後に日が昇ると、船を浮かばせる>にリズムをつけた同名曲を聴く。今様に。

2017年9月12日火曜日

イ・ソンヒのカバー「少女と街灯り」

両親の問題で離ればなれになっていた、兄(チャン・ヒョン)と妹(チャン・ドク)は、再会して仲のいいデュエットを結成する(1974年)。その後しばらくして、舌癌に倒れた兄の看病に疲れた妹は痛ましい最後を遂げる(1990年)。兄もそれを追うように、半年後に亡くなる。

チャン・ドクは、未遂とはいえ、それまでに何度かその傾向があったようだ。

(本ブログ関連:”チャン・ドク”)

そんな話しを少し聞き知って、チャン・ドクが中学2年生のとき作詞・作曲した「少女と街灯り(소녀와 가로등)」(1977年)を聞けば、< 悲しみに疲れて、星ひとつない夜空を眺める > 憂いの深い少女が浮かんでくる。

次は、イ・ソンヒのカバーである。イ・ソンヒにもあった悲しいできごとが聞こえてくるような気がする。


(Youtubeに登録の님의침묵に感謝)

2017年9月11日月曜日

イ・ソンヒ 9/27 シドニーオペラハウス コンサート

イ・ソンヒは、今年(2017年)の海外公演として、5/20のロスアンゼルスに続き、今月9/27、シドニー オペラハウス コンサートホールにて、コンサート ”The Great” を開催する。

(本ブログ関連:”シドニー”)

シドニー現地マネジメント会社、JKEntertainmenのサイトに、同コンサート紹介とチケット申込画面がある。

★ コンサート案内:  https://www.leesunheejk.com/

2017年9月10日日曜日

(寓話)熊撃ち名人

こんな寓話を考えた。決してマスコミ世界を暗喩しているつもりはない。
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あるところに熊撃ちの名人Bがいた。彼は、熊の習性とその獣(けもの)道をよく知り、待ち伏せしては数多く仕留めていた。それでも欲が止まず、猟場を共にする猟師仲間Sをライバル視するようになった。

あるとき、猟師Sの後をそっとつけた。Sが、数日後に狩りをする場所を下見するのを知っていたからだ。出し抜くチャンスと思った。だが、Sはとっくに気付いていた。そうとも知らず、猟師Bは盗み見を繰り返した。

あるとき、猟師Sから、仲間の前で卑怯な振る舞いをしたことを白日にさらされた。名人を自称する猟師Bはたまらず、猟場はみなのものといって否定して白を切った。

猟師Bは、山を降りて、日頃くちうるさい麓の村人たちの騒ぎを好機と加わり、まるで村の衆になったように行動した。そして、身を潜めて時を待った。

村の騒ぎが治まったころ、猟師Bは新しい猟銃を手に、ひそかに山に戻った。そして、誰もが知る大きな人喰い熊を撃ち倒すのに成功した。猟師仲間も村人たちもみな喝采した。久し振りに、猟師Bは酔った。彼は、まさに、その機を見計らったように、猟師Sに卑怯な振る舞いをしたことを人陰で謝罪した。
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2017年9月9日土曜日

桐生祥秀選手、100m 9.98秒

テレビでニュース速報が流れたほどのこと。日本陸上男子100mが、いよいよ9秒台に突入した。今年の「世界陸上」100m代表選落ちした、桐生祥秀(よしひで)選手が、まさに挽回するかのように、日本人選手として初の9秒台を記録したのだ。

時事通信の記事「桐生、9秒98の快挙=日本勢初、10秒の壁突破-陸上100メートル」(9/9)は次のように報じている。(抜粋)
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福井市の福井運動公園陸上競技場で9日行われた陸上競技の日本学生対校選手権男子100メートル決勝で、桐生祥秀(21)=東洋大=が日本選手で初めて10秒の壁を破る9秒98(追い風1.8メートル)の日本新記録を樹立した。
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走るという、誰もがやったこと。だから、その凄さは誰でも分かるはずなのに、余りな超人的記録ゆえ、再び靄がかかってくる。身近に見ることのない世界、強靭なアスリートの闘いだからだ。

これから日本男子100mは、9秒台を競うことになる。こんなときが来るなんて。21歳の若者はそれを成し遂げた。元気をいただいたよ、本当にありがとう。凄い、凄すぎる。


(Youtubeに登録のEKIDEN NEWSに感謝)

2017年9月8日金曜日

今年も残り1/4

毎度のことながら節目ふしめに、一年の経過を「リンゴ」の実の食べ具合に例えている。9月に入れば今年も残り1/4、あと4ヶ月しかない。3/4も食ってしまったことになる。それにしても、秋になったばかりというに、新聞広告には、正月の「おせち料理」の予約広告が掲載され、店には来年の「カレンダー」が並び始めた。

(本ブログ関連:”リンゴ”)

書店に、年賀状印刷のムック誌が平積みされるのも遠くない。その前には、なぜか若者が好きな「ハロウィン」、子どもたちに待ち遠しい「クリスマス」があるというに。そして、渾然一体となって年末を迎え、元旦には、神社に初詣に行く。

ところでリンゴについて、戦後、再生と復興を願った、並木路子、霧島昇の「リンゴの唱」(作詞サトウハチロー、作曲万城目正、1946年1月)がある。リンゴは癒しであり、ある意味出発点でもある。


(Youtubeに登録のuchukyoku1に感謝)

さて、今日のテレビの重大ニュースに、「太陽フレア」の話題があげられた。週刊誌の大スクープとでもいうべき、もっと世俗な関心ごとがあったけれど、その順位を下げるためか「磁気嵐」の方に焦点が当てられた。結局、東京でオーロラが見れるわけじゃなし、その場限りになりそうなものを。

2017年9月7日木曜日

白露 2017

きょうは二十四節気の「白露」。旧暦、新暦の入り混じりから起る混乱だろうか、残暑のせいか夏の気配も冷めやらず。白露から《露が生じるころ》の意が馴染めない。なにしろ今日は、旧暦でいえばまだ7月17日なのだから。

(本ブログ関連:”白露”)

「白露」の言葉から「白露西亜(ベラルーシ)」が浮かんでくる。しかし、ベラルーシの国について茫(ぼう)としてよく知らない。地理的に東西南北を、ロシア、ポーランド、ウクライナ、バルト三国(のラトヴィア、エストニア)に囲まれていること、国境線間近にあるウクライナ側「チェルノブイリ」の原子力発電所事故による被災国だったということくらいだ。

(本ブログ関連:”ベラルーシ”、”ウクライナ”)

どんな国なのか知るため、まずは手軽に、ベラルーシで開催されたと思われる「日本語スピーチコンテスト」のYoutube映像を視聴した。発表者が日本語で語るのを聞いて、なんとなく身近に感じてみよう。それが一番の近道。

(それにしても日本語が大変上手ですね)

(Youtubeに登録のベラルーシ国立大学日本語科・古澤晃講師に感謝)

(付記)
上記登録者の古澤晃氏は、ベラルーシ在住だからこそ語れる言葉があって、被災地を知るため現地を視察した「善意の観察者」日本人たちと、「見られる側の被災者」との微妙な関係を報告されているようだ。
日本では、公害被害者への補償に対する周辺住民の見方・とらえ方、また、反公害運動に加わった結果、現地に土着した学生たち。「善意の観察者」たちの言葉とは違った、いろいろなものの見方があることを忘れてはならない。

2017年9月6日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」初数大葉

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(8/30)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、「初数大葉」ほか関連する曲を紹介した。(Web音源が前々回のため、英語版放送の音楽を参考にする)

始めに、「伽倻琴(カヤグム、가야금)」作成の祖、伽耶の「于勒(ウルク、우륵)」について次のように紹介された。
・6世紀半ば、古代国家伽耶の「于勒」は、中国の箏を模した「伽倻琴」を初めて作り演奏した。彼は、伽耶が新羅に滅亡されると、伽倻琴と共に新羅に亡命する。新羅王真興は彼を受け入れ、若者たちを彼の弟子にしたが、彼らは于勒の音楽を改編し自分好みに奏でた。伽耶の文化を台無しにされたと感じたのか、于勒は怒ったが、弟子たちの演奏に感嘆したともいう。
・残された記録から、于勒や弟子らの音楽を想像するのは難しい。滅びた国の音楽を継承させるために弟子たちを育てたのか、或いは弟子たちの音楽が素晴らしかったのか。楽しくも楽し過ぎず、悲しくも悲し過ぎぬ音楽。感情を刺激するより、安定的な音楽を好んだ。

▼ 伽倻琴演奏で、伝統正楽曲「数大葉(수대엽)」の最初の「初(초)数大葉」を聴く。空気に溶け込むよう。

次に、世宗大王が直接作曲したといわれる「宗廟祭礼楽(종묘제례악)」について次のように紹介された。
・朝鮮時代、世宗大王の作曲といわれる「宗廟祭礼楽」がある。最初は、王室の宴で奏でたという。それを息子の世祖が手を加え、祭祀を捧げるときの音楽として演奏し始め、今日にいたる。平和な世を願う気持ちが込められている。

▼ <ゆっくりと雄々しく優雅なテンポとリズム>の「宗廟祭礼楽」を聴く。雅楽を思わせる雅さ。

最後に、貴族音楽とは別に、民の音楽について次のように紹介された。
・伝統音楽は、貴族音楽と民の音楽に二分される。上記の2曲の節制した貴族音楽に対して、民の音楽は感情の変化に満ちる。民は、心と体が反応する、感情を刺激する音楽に惹かれただろう。貴族と民の両方、それぞれの目的に合った音楽だった。

▼ 民俗音楽を代表する、横笛の大笒(대금)による「元長賢(원장현)流、大笒散調(산조)」を聴く。洗練されている。

2017年9月5日火曜日

待宵草

マツヨイグサ待宵草)」は、初夏から晩秋にかけて黄色い花を咲かす。その仲間に白い花弁の「ツキミソウ月見草)」がある。いずれも名前だけは、しっかり頭にあるものの、実際、いつ何処で見たかはっきりしない・・・けれど、見たような気分だけは確かにある。

この「待宵草」の文字を並べ替えて作られた、竹久夢二作詞、多忠亮作曲の「宵待草」(1917年、大正6年)は、微風に揺れ動く待宵草のイメージの通り、儚(はかな)げである。旋律からして、いかにも大正浪漫の香りする。夢二の周りの女性を写真で見れば、彼の挿絵に似た雰囲気がある。当時、美人にあげられた柳原白蓮のごとく、実はもっと奔放な女性たちだったのかもしれない。単に、夢二がだらしなかっただけかもしれないが。時代は斯様に作られる。

(本ブログ関連:”竹久夢二”)

元は、或る女性との再会を期待した夢二の原詩があってのことだそうだが、歌曲になれば、夢二式美人に似つかわしい、いかにも消え入りそうで華奢な女性が、月明かりのない夜を待ち続けるイメージする。

ちなみに、端唄の「秋の夜」は、丸い月明かりのもとで男を待つ女性が浮かんでくる。端唄という江戸の気風を漂わせ、どこかおおらかで、のんびり構えた世界。(「秋の夜」のYoutube登録者の注記によれば、また違った場面が想起されるが)


(Youtubeに登録のakiraplastic5、ototatchinuru18に感謝)

2017年9月4日月曜日

ヤン・スギョン「イ・ソンヒが曲を書いている」

以前、耳にしたことのあるメロディ、聞けば思い出すが、さていつ何処で? そんな歌に、ヤン・スギョン(양수경)のトロット風味のある「あなたはどこにいるの(당신은 어디 있나요)」(1990年)がある。ヤン・スギョンとイ・ソンヒの深い友情については、以前ブログに紹介している。ちなみに、ヤン・スギョンはイ・ソンヒより一つ歳下で、1965年生まれである。

(本ブログ関連:”ヤン・スギョン”)

その彼女が、3日午後放送のMBC「セクションTV芸能通信」で次のように語ったと、中都日報の記事「『セクションTV』 ヤン・スギョン、これからの活動計画は? ”イ・ソンヒが曲を書いている” 」(9/4)は伝えている。(抜粋)

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ヤン・スギョンは、イ・ソンヒと親しいあいだがら。これについて彼女は、「イ・ソンヒは、最も苦しかった時、何も言わずに『通帳番号、知らせて』と語る友」と話した。それと共に「ソンヒが私の曲を書いている。イ・ソンヒの曲で、そのうちにご挨拶するだろう」と表明した。
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来る8~10日に、ヤン・スギョンのコンサートがあるという。そのとき、イ・ソンヒの作った曲が聞けるかもしれない。

2017年9月3日日曜日

(雑談)雑誌を分冊すること

昔、「週刊少年マガジン」や「週刊少年サンデー」といった週刊少年漫画雑誌が華やかなころ、連載漫画ごとに雑誌をバラして合冊するという、面白い工夫をする奴がいた。週刊誌の紙質と同じサイズのままもう一度読み返せるのがみそだ。それを、兄弟で楽しんでやっていたという。漫画雑誌は読み捨てのようなものだったが、好みの連載を合冊するアイデアに感心した。(私はいい読者じゃなかったので、そのようなチャレンジをしなかったが)

また、どこかで聞いたか読んだ話しだが、ある作家が旅の途中、(月刊)文芸誌を読むのに部厚過ぎるので分冊して、手軽にして読むという。なるほど、それもうなづける。

私も真似して、一通り読んだ雑誌(例えば月刊誌「文芸春秋」)をしばらく置いておくが、廃棄する前に手ごろの厚さにバラしている。それを家の中のあちこちに置いて、気が向いたら拾い読みする。

面白いことに、ちょっと前の話題について、その時期らしく書いているが、やがて時間が経過して、今となってそれが果たして正確に世情を読みとっていたのか判定するという楽しみがある。じっくり書き込んでいるもの、散文程度の流し書きも含めてどうであれ、寄稿者の感度が分かるようで、皮肉な読者の目を養ってくれる。


(付記)
鉱物採集をしばらく休んでいる。久し振りに石仲間と会食しようと選んだ、おじさんにぴったりの、カレー屋も喫茶店も日曜休店とは・・・。

2017年9月2日土曜日

狐にだまされる

随分と涼しい一日、半袖から長袖に変えて過ごした。こうなると冷蔵庫の麦茶を忘れ、熱い緑茶を飲んでほっとする。この変わり身の早さ、自然さに驚く。

それでも、はた目に今までと違った動作をしているわけだが、自分は変わっていないと主張する。ついには苦しまぎれに「狐にだまされた」といいわけするしかないのか、本当にそう思っているのか。

山暮らしの長い猟師でさえ、猟場の道筋を間違えることがあるという。しばらく振りに入った山道で行方不明となり、ようやく戻ってくれば「狐にだまされた」ことで結着する。回りがそういい、本人もやがてそう思い込む。みな納得する。

(本ブログ関連:”山怪”、”黒部の山賊”)

山道で一休憩がいけなかったのか、一瞬のめまいか白昼夢か、意識が遠のいて目の前の光景がゆがみ、記憶とは別の道に誘い込まれる。自分は変わっちゃいないと歩き出し、そして道に迷う。

過信は、そうはいっても漠然としたものでしかない。景色が変わっているのに、思い込みにこだわるなら、「狐にだまされた」という結果を待つしかない。

2017年9月1日金曜日

イディッシュ語カセットテープ届きました

先日予約した、「イディッシュ語カセットテープ」が届いたと地元書店から連絡があった。携帯カセットプレイヤーを準備して出かけたのはいうまでもない。プレイヤーを手にするのは何年振りだろう。困ったことに乾電池が入ったままの状態。当然ながら化学変化していた。乾電池をこさぎ出し、新しいものに入れ替えたところ大丈夫だった。アナログ機器の凄さ、しっかり作動してくれたのだ。

書店で受け取ったカセットテープを、何処で聞こうかと思案する。図書館の学習室では、再生・停止ボタンの動作音がカチャ・カチャとうるさいだろうし・・・ということで、近所の公園にあるテラスで、風に涼みながら試し聞きした。(ヤブ蚊多く3ヶ所刺される)

男性の音声で、テキストの最初からしっかり対応して吹き込まれている。第1章以降の会話編は、速さが<ゆっくり>、<普通>の2種類が収められている。(贅沢いえば、会話を別々の声だと楽しいけれど)

音声を小出しに、リピートを繰り返しできるといいのだが。カセット音源をMP3プレーヤーで聞けるよう、変換できたらいいのだが。そんなデバイスもあるようだ・・・でも、昔はカセットに入魂集中して聞いたものだ。そう考えると、じっくり聞くことから始めようかと思う。

(付記)
今日は、「防災の日」、1923年(大正12年)9月1日に発生した「関東大震災」の日でもある。あまりにも有名な「天災は忘れた頃にやってくる」の言葉をあらためてかみしめる。

二百十日 2017

子どものころ、台風の記憶といえば、親父が雨戸を釘で打ちつけて待ち受けたこと、伊勢湾台風を経験した転校生に被害をたずねるのを小学生ながらはばかれたこと。大人になって、居住地域のせいもあるが、最近思ったほどでないと楽観している。

温暖化の影響か台風の進路が一回転したり、強風になったりして様変わりした感がある。迷走というか、うろうろというか。「二百十日」と重なり台風時期とはいえ、その様態が微妙に変化しているのが気になる。

(本ブログ関連:”二百十日”)

台風15号は、いつまで小笠原諸島、父島周辺に居座るのだろうか。早く去れといいたいし、同時にこちらに近寄っても欲しくない。「ウェザーニュース」(8/31)によれば、「8月の台風存在日数は歴代2位を記録」しており、「9月前半は台風の発生ピーク」で注意すべきとのこと。

この一帯、真っ直ぐな道が続き、平らな場所と思っていたが、市の「浸水予想区域図」を見ると意外に凹凸があるのに気付く。

2017年8月31日木曜日

イ・ソンヒ「この雨やんだら」

雨の日だから、久し振りにイ・ソンヒの7集所収の「この雨やんだら(이 비 그치면)」(1991年、作詞/作曲ソン・シヒョン)を聴く。彼女らしい透明感あふれる美しい曲だ。それを編曲者は高音弦とガラス楽器だろうかを見事に駆使して飾っている。
(CDアルバムには編曲者名が不明だが、maniadbにクレジットがあって編曲者3名が記されている・・・どなたか)

今日のこの雨模様、いつ降り始めるのか、いつまで続くのか気掛かり。おじさんは雨を口実にするが、若い恋人たちにはそれが舞台。まったく違って見えるんだね。夏休みもそろそろ終わり。

(本ブログ関連:”この雨やんだら”)


この雨やんだら、あなたに行きますよ、
あなたよ少しだけ、待っててください

霧が晴れたら、私は見えるのよ、
あなたよ少しだけ、とどまってください

*濡れた顔であなたを見られません、
こんなに悲しい顔では、なおさら

この雨がやめば、その美しい陽射しが、私にも光を与えるよ、
その時は、私も笑えて、私の涙も止まるよ

(*以下、繰り返し)


(Youtubeに登録のlys2187に感謝)

2017年8月30日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」桐

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(8/23)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、「桐の木」に関連する曲を紹介した。

始めに、「男唱歌曲、言楽(남창가곡 언락)」の歌詞から学者ソンビと鳳凰について次のように紹介された。
・「男唱歌曲、言楽」に、恋人を待つ学者ソンビが登場する。<紗張の窓から、月明が満ちる庭に影が映つるのを見て、きたかと飛び出せば、鳳凰が梧桐(アオギリ)の枝に座っていた。夜が幸い、昼であれば笑いものになったろう>という歌詞。昔のソンビは、部屋近くに梧桐をよく植えた。太平を意味する鳳凰は、唯一竹の実を食べ、梧桐にだけ留まる。鳳凰が休むよう、太平を祈る気持ちを梧桐に込めている。

▼ <鳳凰の影に慌てるソンビの姿を想像して>、「男唱歌曲、言楽」を聴く。のんびりとして・・・。

次に、歌「バンムルカ(小間物歌、방물가)」のゆわれと桐について次のように紹介された。
・桐の葉は大きい。夏に日陰を作り、雨に濡れる音が大きい。普段、涼しい音だが、落着かぬ夜に寝そびれることもあるだろう。昔、息子を産めば松を植え、娘のときは桐を植えた。松の木は、子が亡くなる時に棺を作り、桐の木は、娘が嫁に行くときに家具を作った。桐は木目が美しく、軽く、湿気や火に強い良材だ。「バンムルカ」の曲がある。「バンムル」は、女性の部屋の家具や飾り物の意で、別れを告げた男が女性に、あらゆる豪華なものを買うとなだめるが・・・。家具や飾り物、桐製と思われる品などたくさん登場する。

▼ 京畿雜歌「バンムルカ」の歌を聴く。(物で心が納まるわけもなく・・・)

最後に、詩才があった妓生の「梅窓(매창)」と玄琴(コムンゴ、거문고)について次のように紹介された。
・桐は、よく響く特徴もあり、楽器の材料として使われた。撥弦楽器の伽耶琴(カヤグム、가야금)は、丸太の中身を削って作り、弦楽器の玄琴という琴は、裏側は栗、表は桐材で作る。中身を空けて音を反射させ響かす。妓生の梅窓は、詩才があり、普段玄琴をよく奏した。恋人の官吏が村を去ると、彼のために立てられた石碑の前で毎日玄琴を奏でた。そして、亡くなるとき、玄琴と一緒に埋葬して欲しいと遺言した。

▼ 「玄琴を奏でて(거문고를 타면서)」を聴く。奏法は今様に・・・。

2017年8月29日火曜日

ロバート・レッドフォード

昔、テレビ番組に「裸の町(The naked city)」*があった。渋い老練の刑事と彼に従う若い刑事が、ニューヨークの町で起る事件と取り組むストーリーだ。アクションというより、事件の深部に目を向け、犯罪に追い込まれていく人びとの姿をとらえたように記憶する。(* 「裸の町」: 日本語放送について【海外ドラマ番組ガイド☆テレプレイ】に解説あり、感謝)

(本ブログ関連:”裸の町”)

今も強烈に焼きついている回に、「ホームレスのための墓碑(Tombstone for a Derelict)」(米:1961年4月5日)がある。ホームレスを襲撃する、4人の若者たちが身にまとったのは、放送の16年前まで存在した狂気のサインだった。

子どもの目に、戦後がまだ終わり切れてなかった当時、ニューヨークの下町の荒れた界隈で、なぜホームレスを襲うのか、なぜ狂気のサインが必要だったのか、彼らが世に訴えようとしたのが一体何だったのか理解できなかった。彼らが凶行に走った心の闇は深かったのだろう。わずかな記憶でしか語れないが。

今回、このストーリーをネットで確認して驚いた。仲間のひとりを演じたのが、何と若き日の「ロバート・レッドフォード(Robert Redford)」だった。今なら役柄に躊躇するかもしれない。それが56年前の放送のこと、戦勝国の自信がまだ残ったことでテレビ番組ができたのか、あるいは、戦後も続いたいくつかの戦争(朝鮮戦争、アラブ・イスラエル戦争)も含めて残した傷を洞察したからだろうか。

No Ep Title                                  Directed by        Written by              Original air date
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60 21 "Tombstone for a Derelict" Elliot Silverstein Howard Ehrenman April 5, 1961
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Guest stars: Robert Redford as Baldwin Larne, ・・・
Four young men murder derelicts and don Nazi uniforms to "make a statement" about society.
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(Youtubeに登録のgmt3010に感謝)

2017年8月28日月曜日

(雑談)スッテンころりん

どうもこの世は、ままならぬ。といっても、大げさなことではない。小市民の恥ずかしいできごと。調剤薬局へ行く途中、自転車を転ばせてしまったのだ。久し振りにサドルを上げたのがいけなかった。ある裏路地の斜面で、Uターンしようとしたところ、足先が届かずスッテンころりん。したたか右膝(ひざ)と右肘(ひじ)を強打して擦りむいた。

調剤薬局*で、肘の擦り傷のため<大判>のバンドエイドを求めたが、「アンパンマン」パッケージしかなかった。思いっきり可愛らしいアンパンマンの絵柄付きだ。窮余の策、かまわず貼り付けたが、やはり人目が気になる。おじさんの肘に貼っているものが、まさかバンドエイドに見えないのではないかと・・・。
(* 調剤薬局 : ドラッグストアと違い、市販薬・関連商品の品揃えは十分でない)

帰宅して、膝も見ればけっこうな擦り傷。さっそく、肘と膝の両方を消毒し、以前購入してあった大人用バンドエイドで傷口を押さえる。とりあえずケガ人らしい出で立ちになる。

原因は、自転車のサドルを上げ過ぎたこと。危険だから下げろと、息子に散々注意されていた。それを守って何年振りか、ちょいと上げた途端こんな不様なことに。頭を強打しなくて本当に運が良かった、驚いている。

2017年8月27日日曜日

イ・ソンヒの「秋の風」

夏休みもそろそろ終わり。先日、地元公園を巡れば、ツクツクボウシが鳴いていた。それにヒグラシが加われば秋である。残り4日間、小学生たちにとっては、宿題との格闘でさぞかしせわしいことだろう。

西の風に驚くほどではないが、夕方の涼みに秋の気配を感じるようになった。それが本格的になれば、季節感あふれる紅葉や栗の実など楽しみが広がる。もう心は秋にとんでいるようだ。うんざりしていた暑さを、すっかり忘れてしまったらしい。心移りというか、心変わりがあっけない。まあいいか、暑さはしみじみ感じるものでもなかったし。

秋を思うとき、イ・ソンヒの「秋の風(カルパラム、갈바람)」が聴こえてくる。この名曲、デビュー間もない、1965年の第2集アルバムに収められていたのは驚きだ。

(本ブログ関連:”秋の風(カルパラム)”)


小さな胸にこんなに、しみじみ恋しさ残して
去ったあなたは 風、寂しさくれた 「カルパラム」

今も目元を巡る、あなたの暖かだったあのまなざし
こころ、何度も何度も、恋しい翼を広げさせるよ

ああ、あなたは 「カルパラム」、雲を作る 「カルパラム」
ああ、あなたは 「カルパラム」、こころ奪った 「カルパラム」

小さな胸にこんなに、しみじみ寂しさ残して
消えたあなたは 風、寂しさくれた 「カルパラム」
寂しさくれた 「カルパラム」

ああ、あなたは 「カルパラム」、雲を作る 「カルパラム」
ああ、あなたは 「カルパラム」、こころ奪った 「カルパラム」

小さな胸にこんなに、しみじみ恋しさ残して
行ったあなたは 風、寂しさくれた 「カルパラム」
寂しさくれた 「カルパラム」


(Youtubeに登録のShield&Armor for Euna.Kに感謝)

2017年8月26日土曜日

ジリオラ・チンクェッティ

テレビコマーシャルで、最近、気になっているものが2つある。

ひとつは、Hachet(アシェット)の定期購読・モデル組み立て「JEEP」シリーズで、平均2号/月の配布予定らしい。@917円/号、想定最終号数110号とのこと、ざっと計算すると、総額10万円近くになる。正直、ひまと時間があっても手出しできそうにない。それに根気が続くかどうかも、我ながら怪しいし・・・。

もうひとつは、「ジリオラ・チンクェッティ」の来日公演が11月18、19日の両日開催されるそうだ。ユーロポップのひとむかし前、「シルヴィ・ヴァルタン」に代表されるフレンチポップや、ジリオラ・チンクェッティに代表されるカンツォーネブームが、アメリカンポップと違った新鮮さで迎え入れられた。

イタリアの「サンレモ音楽祭」(1964年)で、「夢見る想い」(Non ho l'età)を歌い優勝したのが、16歳のジリオラ・チンクェッティだった。当時の、なんとも初々しい彼女をYoutubeで見ることができる。ラジオやEPレコードジャケットでしか知らなかった彼女の姿を。
(ちなみに、イ・ソンヒはその年に誕生している)

(本ブログ関連:”ジリオラ・チンクェッティ”)


(Youtubeに登録のFrancisco Vitorianoに感謝)

2017年8月25日金曜日

石を通して

由緒ある場所に見かける石を持ち帰ってはならない。その地にまつわる、神話や民話につながる心の場所なのだから。もし内緒で持ち帰り、家の奥深く秘匿すると、石は次第に大きくなり、祟(たた)るかもしれない。災いは困る。罰当たりなことはしない。

石はあるべき場所に置いておくもの。とはいえ、石好きはいつの時代にもいて、他人の所有する石が欲しくなり、値を付けて売買を懇願したり、それが叶わぬとなれば、夜陰に奪い取って行方をくらます。石好き高じて、狂気が勝る。

それが、石から鉱物になれば、装いが変わる。自らコレクターといい、科学の言葉を駆使して、因習に打ち勝つ。背景に、シーボルトやダーヴィンが世界を巡ったと同様の、博物学的採集(征服)がある。コレクションを飾るのに、貴族社会があったし、時代が開けて自然史博物館が登場する。

石を通して何が見えるか、何が聞こえるか。今の時代、石を科学の世に投影するスクリーン(公開)がある。昔は、見る者、聞く者が、独特に占ったり、奇怪な現象について語った。

大きな石に空いた穴に、そっと耳を当てよう。そこから何やら人の声が聞こえてくるそうだ。

2017年8月24日木曜日

イディッシュ語カセットテープ予約しました

(教室の休みに)取り組んでいる「エクスプレス イディッシュ語」(上田和夫著、白水社)は、別にカセットテープの音声教材がある。同「エクスプレス」シリーズは、現在、タイトルを「CD エクスプレス」と付し新シリーズに衣替えしている。残念ながら旧シリーズの「イディッシュ語」は、CD版として発行されていない。

(本ブログ関連:”イディッシュ語”)

従って、音声教材はカセットテープが唯一となる。出版元にたずねたところ、幸運にも入手の手配いただき、昼過ぎ近所の書店に予約した。(夏季休暇をはさむため)9月初に届く予定。

こうなると、カセットテーププレイヤーが必要になるが、当然ながら、おじさんはちゃんと持っている。若い人に自慢したい。君たちはスマホを持っているが、カセットテーププレイヤーはないだろう・・・なんてね。

カセットテープでの学習は、何年ぶりだろう。どうやってやればいいかな。本当はMP3に落とせればいいんだが。ネットでうまい方法がないか、これから探してみよう。

(付記)
今日は暑かった。都心の最高気温は35℃に達しなかったが、地元観測点はわずかに突破し、夏らしい猛暑日になった。

2017年8月23日水曜日

処暑 2017

今日は二十四節気の「処暑」。例年この処暑に、夏の折り返しを感じたようだが、今年は長雨を抜けてようやく夏らしさが復活したばかり。後退どころじゃない。もしかすると、最高気温が、35℃になるやも・・・。

(本ブログ関連:”処暑”)

一日が終わって分かることだが、果たして「猛暑日」になるかどうか。ゆく夏を惜しみ、半分期待する。

(参考) 気温に関する用語: 気象庁
  ・夏日: 日最高気温が 25℃以上の日
  ・真夏日: 日最高気温が 30℃以上の日
  ・猛暑日: 日最高気温が 35℃以上の日

(追記)
結局のところ、今日の東京の最高気温は、33.7℃(真夏日)で、35℃以上(猛暑日)にいたらなかった。長雨でずっと続いた湿気が薄らぎ、Min.湿度 50の値を示した。汗はかくが過ごしやすい一日だった。

KBS WORLD「国楽の世界へ」瀟灑園

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(8/16)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、庭園「瀟灑園(소쇄원)」に関連する曲を紹介した。

始めに、朝鮮前期の隠棲者、梁山甫(양산보、1503年~1557年)の庭園「瀟灑園」について次のように紹介された。
・約500年前、学者ソンビの梁山甫がいた。若い頃、国家のため勉学に励んだが、彼の師が政騒に巻き込まれ毒殺刑に処されると、故郷に隠遁を始めた。全羅南道潭陽の蒼巖村(창암촌)に居を建てた。自然美を生かした「瀟灑園」の敷地に小川が流れ滝となり、その一部は竹のかけひを通り池となる。池に魚が泳ぎ、近くに小さな東屋がある。

▼ 横笛テグム演奏による「瀟灑園」聴く。景色が浮かぶように、今様に。

次に、「息影亭(식영정)」の美を表した鄭澈(정철、1536年~1594年)の「星山別曲(성산별곡)」について次のように紹介された。
・瀟灑園入り口に小さな東屋「待鳳台(대봉대)」(待鳳:大事な方の訪れを待つ意)がある。園の中に幾つか小さな建物があり、こじんまりしている。梁山甫は、瀟灑園を大層気に入り、子孫に<建て替えるな>と言ったほど。後の学者ソンビも、瀟灑園を見て詩作し、作品を残した。歳月が流れ、建物は小さく、或いは消えたりしたが、代表的園林としていまだに知られる。潭陽は、瀟灑園以外に自然美を楽しむ東屋がある。主なものに「息影亭」、「環碧堂(환벽당)」がある。ソンビはこれらの場に交流した。朝鮮時代の文人「鄭澈」も、作品「星山別曲」に息影亭の美しさを表現している。

▼ テグムとコムンゴ演奏で、<息影亭の美しさをモチーフ>にした「山韻(산운)」を聴く。緑深く、今様に。

最後に、江陵地域の「寒松亭(한송정)」の景色の美しさについて次のように紹介された。
・東屋は、柱はあるが壁のない、内外区分ない建物で、自然の一部に溶け込む。地域ごと有名な東屋があり、江原道江陵地域に「寒松亭」があった。今は消え去ったが、朝鮮時代に風流を楽しむ代表的な一つだった。寒松亭に、五つの月が浮く話がある。空の月、海の中の月、杯の中の月、瞳の中の月、そして、心の中の月。風流を楽しむに相応しい景色だったろう。

▼ <寒松亭の傍にある松で小舟を作り、舟に乗り美しい景色を楽しみたい>という「寒松亭(한송정 자진솔)」の歌を聴く。ゆるり巡り歩く・・・。

2017年8月22日火曜日

エルヴィス・プレスリーの再生曲ランク

アメリカンポップスから乗り換えることをしなかった最後の世代という自負が私にはある。ゆえに、そのシンボルは「エルヴィス・プレスリー」(1935年1月8日~1977年8月16日)に他ならない。今年で没後40年、日本でさほど話題にならなかったのがさびしい。

 (本ブログ関連:”エルヴィス・プレスリー”) 

(ビートルズ時代への)転換期のあのころ、本当はこうだったとか、秘かにこう思っていたと後飾りするような真似はしたくない。新しい波の乗りそこなっただけじゃないかといわれれば、そうかもしれない。だが、私には矜持がある。(?)

どうであれ、エルヴィス・プレスリーの数々のヒット曲は忘れられない。ロックを売り物にした歌手やバンドがそうだったように、結局はバラード曲が残る。プレスリーについて、その後の再生回数はどうだったか、ZAKZAKの記事「楽曲再生回数10億回! エルヴィス没後40年、一番再生されている曲は…」は、次のように報じている。(抜粋)

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スポティファイ」で、最も再生された曲は、61年の「好きにならずにいられない(Can't Help Falling in Love)」(再生回数9,000万回以上)だった。次いで、69年の「サスピシャス・マインド」(同6,900万回以上)、57年の「監獄ロック(同6,800万回以上)となった。
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そこで、イ・ソンヒが歌い始め、その後を追うように愛弟子のイ・スンギが登場してともに熱唱する、プレスリーの圧倒的再生回数を誇るバラード曲「Can't Help Falling in Love」を聴いてみよう。(イ・ソンヒの「22周年記念コンサート」:2006年、世宗文化会館)

(本ブログ関連:”Can't Help Falling in Love”)


(Youtubeに登録の526apolloに感謝)

2017年8月21日月曜日

宇宙犬、宇宙サル

子どものころ、ソ連の人工衛星スプートニクの成功に驚き、その新聞記事を切り抜いた。以降、米ソの宇宙競争の記事を小箱にためた。あるとき気付いたら、小箱がない。ゴミ扱いされ、捨てられていたのだ。その落胆はしばらく尾を引いた。

ソ連のガガーリン、テレシコワ、アメリカのシェパード、グレンそしてアームストロングといった宇宙飛行士の名が懐かしい。その前提の、宇宙開拓初期、ソ連の犬、アメリカのサルが実験動物として飛んだことも忘れられない。

それは5,60年ほど前のこと、今の動物愛護と比べたら、科学信仰のために動物を使うのは大きな躊躇にならなかったようだ。犬についてみれば、狩猟犬や番犬から、今ではすっかり愛玩と癒しのともになっている。今の時世、民間レベルの宇宙ロケット実験で、動物を使うのは難しいだろう・・・動物愛護団体から糾弾されるに違いない。

当時、宇宙犬や宇宙サルが生還したのにほっとしたが、考えてみれば彼らが宇宙で無事に過ごせなければ、後に人間を送り出せるわけもない、当り前のことをしたに過ぎない。

ところで、ロシアのスプートニク紙の写真・動画「宇宙犬ベルカとストレルカ、記念すべき宇宙出発から57周年!アーカイブの映像」(8/19)に、犬のベルカとストレルカが載っている。当然ながら可愛らしい小型犬である。
スプートニク2号に乗って飛んだのが「ライカ」犬だったので、宇宙旅行に適した犬種として「ライカ犬」だと思っていた。犬の名前だったのだ(ライカの名も忘れられない)。1957年、ライカは帰還できなかったが、1967年の「ベルカとストレルカは歴史上初めて、宇宙に行って生還した生き物となった」ことになる。

2017年8月20日日曜日

大活字

いえ、別にこれといった話じゃないんです。コンビニの雑誌棚に、ある週刊誌の別冊が目に入ったのです。週刊誌サイズの表紙に「お徳用 (佐藤)愛子の詰め合わせ」、「大活字」と書いてあるじゃないですか。

中をあけたら、何Qか何ポイントか分からないが、でっかい活字が並んでいる。とにかく大きい、それも見やすい。以前、岩波文庫の大活字版を買うのを躊躇した。買ってしまうと降参した気になりそうで、やせ我慢したのだ。

この「詰め合わせ」は見やすい、おまけに読みやすい。内容も身辺雑記で肩がこらない。読み飛ばしても叱られそうにない。忘れても苦にならないだろう(失礼なことではあるが)。この手軽さは何だろう、週刊誌の紙質のせいかもしれない。

だから、眼鏡なしでも疲れることはない。

そうそう、若いときのことを思い出す。学生時代、ある作家の文学全集を揃えたことがある。全部読めなくたっていい、いずれ、読書三昧のときがくるのだから。そう思っていた。しかし、そのときが来て、函(ケース)から本を取り出して驚いた。若いころ読めた、2段組の小さな活字が、まったく霞んでいたのだ。あわてて眼鏡を求めたりした。

2017年8月19日土曜日

みちびき3号

鉱物採集に行くのに、もっぱら石仲間の車に同乗させてもらっている。そのくせ、ナビゲーター役を果たせず気にしている。夕方の帰り、道筋をたずねれば、今朝来たときと同じといわれたりする。とんちんかんなことばかりで、脳内GPSが全然効かないのだ。

もし自力で鉱物産地に行けたとしても(自動車免許証を返納しているので無理なことだが)、それに山道をしっかり記憶できてないので(つまり他人(ひと)頼りにしているので)、現場にたどり着けないだろう。だから、精度の高いGPSがあればと妄想する。

そのGPS精度が<最高で数cm~数10cm>レベルだったらどうだろう。鬼に金棒だ。もちろん、採集現場で再び幸運に巡りあうかどうかは別だが。鉱物標本ラベルに経緯度情報を書き加えることができたら、いずれ役立つことだろう。

実は、鉱物採集に掟があって、採集場所を特定する情報はご法度なのだ。もし、知られると根こそぎ掘り返す(強欲な)ものがいるからという。だが本当だろうか、余程に貴重な鉱物でない限り、情報は公開可能でないかと思うがどうだろう。<鉱物採集ガイド>関連書籍が多数出版されているのだから。

高精度のGPSが一般に普及するか、手にできるかどうか分からないが、とにかく実現するようだ。JAXAのプレスリリース「H-IIAロケット35号機による 『みちびき3号機』(準天頂衛星システム 静止軌道衛星)の打上げ結果について」(8/19)は、日本版衛星利用測位システム(GPS)を目指して、衛星打上げに成功したと次のように報じている。(抜粋)

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・三菱重工業株式会社及び国立研究開発法人宇宙航空研究開発機構(JAXA)は、種子島宇宙センターから平成29年8月19日14時29分00秒(日本標準時)に、「みちびき3号機」(準天頂衛星システム 静止軌道衛星)を搭載したH-IIAロケット35号機(H-IIA・F35)を打ち上げました。
・ロケットは計画通り飛行し、打上げ後約28分37秒に「みちびき3号機」(準天頂衛星システム 静止軌道衛星)を正常に分離した事を確認しました。
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(Youtubeに登録のSciNewsに感謝)

(付記)
空に関わることといえば、晴れ間を利用して昼過ぎ、調布飛行場を一周した。飛行場に近づくころ、次々とドルニエ機が着陸する姿が見えた。飛行場にたどり着くと、周りは木立が多く、ドルニエのエンジン音がすれど追跡できないことがたびたび。三宅島往復飛行旅を(それだけでいいので)してみたいと妄想が膨らむ。

その後、曇天の広がりに伴い、土砂降りに驚いた。しばらくスーパーで雨宿りする。店内のマクドナルドで、久し振りに「フィレオフィッシュ・バーガー」を食う。パサパサして、こんなものだったかと、いぶかしむ。食感が鈍くなったのだろうか。

2017年8月18日金曜日

イソップ「狐と山羊」

イソップ童話の寓意はおもしろい。特に狐が登場する話しは、童話の滑稽さがあるものの、人間の欲と狡猾を彷彿させる。ときに、狐の悪知恵は人生の教訓になる。自分がその餌食になるか、あるいは危機の回避に使うか。

国立国会図書館デジタルコレクションから「イソップ童話」(春秋社訳編、大正13年)にある「狐と山羊」を見る。大きな危機をすり抜けるずるい話しであるが、歴史の裏の小さな場面にあったかもしれない。時代を泳ぎ、時代の変化を嗅ぎ取った知恵あるものは、愚鈍な民を足台にして巧みに危機を脱した。私は山羊だ。だから狐の動きに注意しよう。

(本ブログ関連:”イソップ”)

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ある時、狐が深い井戸の中へおっこちて、どうしても這ひ出ることが出来ませんでした。まもなく山羊が通りかかったので
「おい、君、君、山羊君」
と、狐は呼びかけました。「君はまだ聞かないかね。大変な旱魃(ひでり)になるんだよ。だから僕はここへ飛び込んだのだ。井戸の中にゐさへすれば水に心配はないからね。どうだ、君も飛び込んで来ない?」
山羊はこの注意(ちゅうこく)を尤(もっと)もだと思って井戸の中に飛びこみました。すると、狐はすぐその背の上に乗り、長い角を足台にして、うまうまと井戸の外へ飛び出しました。
「あばよ、山羊君。これからは偽(だま)されないやうに用心し給へよ。」

        窮迫せる者の注意に耳を傾くなかれ。
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2017年8月17日木曜日

イディッシュ語の自習

自学自習というか、自力更生には意志がいる。4月から4ヶ月間、本格始めた「イディッシュ語初級」だが、8月、9月の休みにかまけて怪しい状態になっている。

昨年夏に「イディッシュ語入門」を受講後、今春期の本格講座開始までの間に自習に使用したテキスト「エクスプレス イディッシュ語」(上田和夫著、白水社)をもう一度見直している。今8月いっぱい、できるところまでやるつもりだが・・・思った以上に先に進まないのが悩み。なにしろ夏の気だるさに、記憶がアルコールのように揮発する、清清しいほどに。
9月になれば、今春期の本格講座の復習と、アニメ風YiddishPOPの先を楽しんでみようかと思っているが、さてどうなることか。

ところで、イディッシュ語に関わる話題をこのブログに記しているが、その際、イディッシュ音楽をYoutubeから、勝手な好みで選択、エンベッド(埋め込み)してきた。それらに、イディッシュの礼拝と密接な曲が含まれているのだが・・・宗教的意味合いを知らない。そんな程度で、イデッシュ語学習している。言葉と文字から始めたことなので容赦。

今回も美しい旋律ということで次の「Adon Olam」*を選んだ。
(*Adon Olam:「ユダヤ教のリタージー(典礼)」(ジョナサン・マゴネット、小林洋一訳)に、朗唱の詞がある)


(Youtubeに登録のThe Soul of Jewish Musicに感謝)

2017年8月16日水曜日

今日も雨、雨 : イ・ソンヒ「雨降る街に立って」

一日中、雨。ヒンヤリしている。東京は、今週末まで雨の降り続く可能性がある。そこで、長雨の記録が話題になったりしている。NHK News WEBの記事「東京都心は16日間連続の雨に 8月としては2番目に長い記録」(8/16)によれば、2番目の記録のようだ。(抜粋)

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関東では先月下旬から、ぐずついた天気となる日が多くなっていて、このうち東京の都心では今月に入ってから16日連続で雨が降っています。これは、22日間連続で雨が降った40年前の昭和52年8月に次いで、2番目に長い記録となっています。
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ただし、最長の記録22日間連続には及ばないものの、ここまで来ると変な記録意識も出てくるが、農作物への影響が重大かもしれない。

こんな雨の日だから、イ・ソンヒの9集所収の「雨降る街に立って(비오는 거리에 서서)」(1994年、作詞・作曲イ・スンジン)を聴こう。あぁ、もっとヒンヤリしてしまったようだ。

(本ブログ関連:”雨降る街に立って”)


雨降る街に立って、あなたを待っているのね
行き交うたくさんの人たちの中で、私は立ち続けるのね
降る雨の中で、たたずんで、あなたを待っているけれど
どこにも見つからないあなたは、雨に濡れた私の心が分かるの
*
雨降る街に立って、あなたを思っているけれど
みすぼらしい私の姿は、私にも、どうしょうもできないの
消えていく、あなたの悲しい後ろ姿のように一人でここに

雨降る街に立って、あなたを待っているのね
暗い夜は更けていくのに、あなたは見えないのね

(*以下繰り返し)


(Youtubeに登録のkoreanballadsに感謝)

KBS WORLD「国楽の世界へ」興甫歌

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(8/9)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、パンソリ「興甫歌(흥보가)」から道に関連する曲を紹介した。

始めに、パンソリ「興甫歌」の「燕路程記제비노정기)の場面について次のように紹介された。
・パンソリ「興甫歌」は、善人の弟興甫(フンボ)と意地悪な兄ノルボの話だ。「興甫歌」に「燕路程記」の場面があり、善人興甫が怪我をした燕(つばめ)を治したところ、燕が恩返しする。秋に江南に行った燕が、翌春、興甫にふくべ(ヒョウタン)の種を持って戻ってくる。江南(ソウルの地名でもあるが)は、中国揚子江の南の暖かく豊かな地を指す。「燕路程記」には、燕が戻るとき通る、色々な景勝地の名が登場する。

▼ パンソリ「興甫歌」から「燕路程記」を聴く。十二諸国の<景勝地>をたどったのだろうか?

次に、「燕路程記」の道のさらに遠く、天竺(インド)への旅について次のように紹介された。
・燕が戻る道をたどると、北京を経由して鴨緑江を渡り、平壌を経て南の興甫の家に到着する。海を横切ればずっと近いが、遠回りする。当時、朝鮮と中国両国の使臣が往来する道だ。「燕路程記」の道は、よく知られた道で説得力がある。歌で体験する楽しみでもあった。さらに遠くに、天竺や中央アジアがある。三国時代、仏教伝来により多くの僧がインドまで行った。普通の人に行けぬ時代、天竺は、神秘の地として、あの世に行く道といわれたりした。

に似た管楽器センファンとインドの弦楽器シタールで「天竺の道(천축의 길)」を聴く。インドの香りして今様に。

最後に、「シルクロード」を通じて宗教や文化が交流したことについて次のように紹介された。
・中国を経て、インド、遠くは西域まで繋ぐ道が「シルクロード」だ。重要な商品の絹が行き来したのでシルクロードと名付けらた。商業だけでなく宗教や文化も交流した。砂漠、雪に覆われた山道は険しく、旅人を狙う盗賊もいた。インドで修学した中国人僧侶が、人の白骨が道標になる道と言い伝えた。それでも人々は命がけでシルクロードを通り、世界を切り開き文物を伝えた。仏教音楽にも大きな影響を及ぼした。最近は、伝統音楽の歴史を探る作業が活発に行なわれているとのこと。

▼  篳篥(ヒチリキ)に似た2枚リード木管楽器ピリで「カシュガル、シルクロードの人々(카슈가르-실크로드 사람들)」を聴く。今様に。

2017年8月15日火曜日

コニー・フランシス「Together」

コニー・フランシスの「Together」(1961年)は、ムーディーな旋律で、彼女の独特な明るさとは別の、随分と大人っぽさを醸し出している。日本で好まれた、可憐さや甘えた雰囲気はそこにない。さらに曲のラストに、しっとりとモノローグしてもりあげる。

二人で笑いながら歩いた雨道(あめみち)、永遠に続くと思った愛・・・でも、去ったあなたは私のメモリーにいる、一緒にいる。あなたが、たとえどこにいようとも、私たちはいつも一緒なの。う~ん、この歌詞どこかで聴いたような。

曲調を別にすれば、イ・ソンヒの「Jへ」(1964年)を思い出す。こちらは、風の景色だが。


(Youtubeに登録のNANCYFLORESSANTOSに感謝)

2017年8月14日月曜日

コニー・フランシス「ボーイハント」

コニー・フランシスのヒット曲といえば、何といっても「ボーイ・ハント(Where the Boys Are)」(1961年)でしょう。始めから終わりまで、彼女の甘いささやき?にひたることのできる、忘れられない思い出の曲です。初めて曲名を聞いたとき、そりゃあ驚きましたよ、「ボーイハント」する肉食系乙女心って、どう解釈すればよいか悩んだものです。
(曲名の「ボーイハント」は邦題)

でも、そうじゃありません。見たわけじゃありませんが、同名映画「Where the Boys Are」の通り、普通の女の子たちが普通に恋に恋して、結果、夏の海で恋に落ちる、そんな展開でしょうか。次のYoutubeは、映画のストーリーを手際よくピックアップしているようです。

(映画「Where the Boys Are」のフル視聴できるようです:     ← ②の制御解除は可能)

あまた若者のいるかぎり、誰かが私を待っている・・・そこにはきっと本当の愛がある、なんて夏になると想いが高揚して、海へ海へと冒険に出かけるのです、女の子たちも。

「ボーイハント」は、私がアメリカンポップスにどっぷり漬かることになった最初の曲だったかもしれません。そして、以前に触れましたが、高校時代になって友人に一緒について来て欲しいと頼まれて、レコード屋で探したのがコニー・フランシスのアルバムでした。お前もそうだったのかと思ったものです。


(Youtubeに登録のSuperCanopusに感謝)

2017年8月13日日曜日

コニー・フランシス「日曜はだめよ」

ギリシャからちと離れているが、イタリア系ならばよし、地中海の雰囲気をかもすに難くないコニー・フランシスが歌う「日曜はだめよ」を聞いてみよう。この曲、彼女のオリジナルでないし、ゆえに(彼女の版が)ヒットしたというわけでもないだろうけど、どこか突き抜けて明るい、ちょっと甘えた雰囲気もある彼女の歌声がよく似合う。日曜日だけはキスの休息日よというわけだ。なおさら、男たちは振りまわされる。

(本ブログ関連:”日曜はだめよ”、”コニー・フランシス”)

曲の始めに、原曲ギリシャ語歌詞を口ずさみ、英語に変わる・・・次のYoutubeの登録者のコメントを「もっと見る」で開くと歌詞紹介がある。さてギリシャ語で何ていっているのだろう。アメリカ訛りだけど、しっかり聞き取れるそうだ。*

(* 参考: コニー・フランシスのファンと崇拝者のベージより)


(Youtubeに登録のCrinale819に感謝)

2017年8月12日土曜日

コニー・フランシス「ヴァケイション」

今は八月、夏休みの盛りである。熱暑に浮かれて、若者は顰蹙をかう。しょうがない、若さとは、おごりのようなもの。

与謝野晶子の歌集「乱れ髪」の最初に、「その子二十(はたち)櫛に流るる黒髪のおごりの春の美しきかな」は、意識せずとも若さは見せつけるものだ。(初期歌集について、与謝野晶子は後に、藤村や花袋の影響を述懐しているが)

若さは世界を征服する。そんな季節の夏が来た。誰だって浮かれてしくじる季節。そして、夏が終わればしんみりと感傷に更ける、でもそれは後にしよう。今は、期待にあふれる時間を、自ら勝ち取った自由と勘違いするのもよい。それが若さの特権だから。

コニー・フランシスの「ヴァケイション」(1962年)は、ラジオから彼女の歌声で流れたが、弘田三枝子のバージョンも忘れられない。世界は私たちのもの。それが「ヴァケイション」。休みを、「ヴァケイション」、つまり「V・A・C・A・T・I・O・N」と何度も繰り返したものだ。

(本ブログ関連:”コニー・フランシス”)


(Youtubeに登録の海幸恵太に感謝)

2017年8月11日金曜日

山の日 2017

今日は、祝日「山の日」。昨年制定されたもので、ブログを見直すとちゃんと記してある。それに、「リオデジャネイロ・オリンピック」の体操競技で、内村選手が金メダルを獲得したことも記していた・・・「山の日」に馴染薄いのは分かるが、オリンピックまで虚ろになっているのにがっくりとする。

山との縁が薄くなった。おととしだったか鉱物採集で、氷が張り付いた岩場で何度か転んだ。同行の仲間は、しっかり登ったにもかかわらず。以来、山に(鉱物採集に)未練があるものの自信なくて遠のいている。

山への関心といえば、書籍「山怪」に紹介された山中の不思議な体験のかずかずを読むことで満足している。怪異と出会う人と、そうでない人がいるように、地域によっても同様だそうだ。古い歴史と伝統を持つ場所と、新たに開拓された地区かによって、土地柄というか精神的な共有の仕方が異なるのかもしれない。

そういう意味では戦後の展開だが、黒部山中の山小屋を舞台にした「定本 黒部の山賊 -アルプスの怪-」(伊藤正一、山と渓谷社)は、前半、タイトルの通り「山賊」といわれる山のつわも(戦前からアルプスを根城にするような人たち)について語る。著者の語り口に、どこか満州の馬賊を髣髴させるような、戦前のひとにありがちな武勇談口調を感じてしまう。後半の山岳遭難事件は、無謀さ、過信を戒める記述もあり、今様の警句になっている。

山は甘く見ちゃいけない・・・ということだが、今のわたしは高尾山すら遠く眺めるだけ。(とはいえ、昔、高尾山から陣馬山への縦走路に、行方不明者の安否を気遣いたずねる家族の張り紙を見た記憶がある)

2017年8月10日木曜日

エセーニン詩集

Amazonに発注した「エセーニン詩集」(内村剛介訳、弥生書房)が届いた。図書館で何度か借りた本だ。結局、手元に置きたくなって求めたわけだ。エセーニンの詩は、内村剛介訳の「母への手紙」ではじめて知った。無頼漢がふと見せた悔恨と思慕が共感を呼ぶ。

さらに、シベリア抑留経験をして、ロシア(当時ソ連)の精神世界を深く抉って見せてくれた内村剛介訳だったからこそ読むことができた、読みたいと思った。

(本ブログ関連:”エセーニン / 内村剛介”)

エセーニンの詩「母への手紙」に出てくる、息子を待ち続ける母の、心配なばかり風音にも子の帰還を想い、通りに出て立ち尽くす心情を痛いばかりに感じる。なぜなら、エセーニンの酒場での強面も、実は、母はその心底をすっかり知っているのではないか。強がりと甘えまでも混じる。

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お前さん、ぼくを案ずるばっかりに  ひどくふさぎこんでるというではないか、
- 心配ごとを押しかくしてさ。
時代ばなれの古めかしいシューバをひっかけ、
しょっちゅう道端まで出て来るというではないか。
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2017年8月9日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」八道遊覽歌

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(8/2)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、旅の歌「八道遊覽歌(팔도유람가)」など関連する曲を紹介した。

始めに、景勝地を旅したい思いがこもった短歌(단가)「八道遊覽歌」について次のように紹介された。
・7月29日から8月4日まで、韓国は夏休みのピークだ。全国どこもレジャーを楽しむ人々で混み合い、逆に静かな場所では寂しい気もする。夏は湿気が多く暑苦しい季節かも知れないが、夏休みに、旅先や食べものを想像するだけでも幸せになる。今のように旅が自由でなかった昔も、想像はできたろう。短歌の「八道遊覽歌」曲に、そんな思いが込められている。有名な歌い手や楽隊を連れて、景勝地を遊覧したい気持ちが伺える。

▼ 演奏と歌による「八道遊覽歌」を聴く。花見遊覧と違って、行列も楽しみに八道山川に遊行するよう。

次に、朝鮮時代の文人、鄭澈(정철、1536年~1594年)の「関東別曲(관동별곡)」について次のように紹介された。
・普通の人々に、「八道遊覽歌」のような豪華な旅も、簡単ないでたちの旅も、みなできるものでなかった。稀に旅する機会があれば、人々は様々に記録した。経験したことを詩や日記、随筆、または絵に残した。代表的なものに「関東別曲」がある。朝鮮時代の文人であり政治家でもあった鄭澈の作品で、1580年に江原道の観察使に任じられた際、関東八景(江原道を中心とした八つの景勝地)を見て作った。同地域の妓生は、この歌をよく歌ったそうだが、今は歌われなくなった。

▼ 「八道遊覽歌」をテーマにした新曲、「新関東別曲(신관동별곡)」を聴く。現代曲風に少し高尚に。

最後に、済州島がひどい凶作のとき民衆を救った金萬德(김만덕)の願いについて次のように紹介された。
・昔、人々が最も行きたい景勝地は、金鋼山だった。朝鮮時代、王正祖(정조)のころ、南の島、済州島が大凶作になったとき、国の送った穀物が海に流され、手を付けることができなかった。そのとき、自分の財産で民衆を救った妓生(商人)、金萬德がいた。王はその功を称え、願い事を尋ねたところ、彼女は金剛山へ行ってみたいと答えた。当時、済州島の女性は陸地に出られぬ定めがあったが、王は彼女の願いを許諾した。昔の絵に、金鋼山を旅し、その景色を描いたものが多数ある。旅に行けない人々は、絵を見て満足をしたことだろう。

▼ 「金鋼山打令(금강산타령)」を聴く。奇岩絶景を見たい思いに比して、歌はゆたりと流れる。

2017年8月8日火曜日

パーシー・フェイス「夏の日の恋」

暑い、熱い。台風5号は日本海に抜けて、当地への余波はほとんどない。空は晴れわたり、まぶしい日光が射してジリジリと焼きつける。そんな中、隣町へ買物に出かける。

気分だけでも暑さをしのぎたい。涼しくなる音楽はないだろうか・・・。

昔、「ムード音楽」という音楽演奏のスタイルが登場した。小洒落て「イージーリスニング」(音楽)と呼んだりした。軽快でポップな旋律を楽しむムード音楽は、パーシー・フェイスやマントヴァーニなどのオーケストラ演奏による、今までにないジャンルであり、音楽の楽しみの幅を広げてくれた。

弦楽器の高音を強調した「ムード音楽」の代表、パーシー・フェイスの透明感あふれるオーケストラ演奏、「夏の日の恋」(Theme from ”a Summer Place”、1959年)は、新鮮な響きがした。映画「避暑地の出来事」(A Summer Place)の主題歌を演奏曲にしたものという。美しい音楽を聴いてみよう。
(当時、この映画に関心を持つほどに進化してなかったし、女性に人気のあった若手俳優のトロイ・ドナヒューが、いまいちシャキッとしない、ヤンキー(Yankee:アメリカ人の意)の迫力に欠けた青年に見えたりした・・・子どもにとって!)


(Youtubeに登録のA. althamareaに感謝)

2017年8月7日月曜日

立秋2017

夏本番の今日、二十四節気の「立秋」となった。重い鈍色の雲が空を侵食してきたようだ、台風の接近を感じる。もし、風の音に驚くとすれば、その台風5号の暴風音かもしれないが、それは明日のことらしい。秋の気配はまだない。

(本ブログ関連:”立秋”)

図書館の読書室に、廊下から若い母親の電話する声が聞こえてきた。どうやら、小さな子どもが、母親の声を聞きたくなったのだろう、何か相談しているらしい。そんな中で、母親が子どもに言ったことばに思わず笑ってしまった。
「うんうん、でも走ったらダメよ。走ったら忘れてしまうから・・・」

なんだか、うれしくなった。すぐ忘れてしまう、そんな子どもの可愛らしい光景が浮かぶ気がする。

今年の台風5号は迷走する。子どもは寄り道して真っ直ぐ走れない。

夕方に、叩きつけるような雨が降り始めたが・・・。

2017年8月6日日曜日

イ・ソンヒ公演:オークバレーサマーフェスティバル

中央日報の記事「オークバレーサマーフェスティバルでイ・ソンヒ公演」(8/5、クォン・スンミョン記者)は、オークバレーサマーフェスティバルでのイ・ソンヒの公演模様を次のように伝えた。(抜粋)

(本ブログ関連:”オークバレーサマーフェスティバル”)

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・江原(道)原州(市)のオークバレーは、歌手イ・ソンヒさんが、5日午後、オークバレーサマーフェスティバルで公演を繰り広げたと話した。

・この日、イ・ソンヒの無料公演を見るため、3000人余りが殺到した。
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「菜食主義者」の翻訳

英国の芥川賞にあたるブッカー賞があるが、その国際部門賞を受賞した韓国の女流作家韓江(ハンガン)の作品「菜食主義者」に、翻訳上のミスがあるという。レコードチャイナの記事「韓国の小説が世界的権威ある賞に輝いたのは、“誤訳だらけ”の英訳版のおかげ?=韓国ネット『ハングルの優秀性に英語が追い付けないのかも』」(8/2)は、韓国紙の記事から次のように報じている。(抜粋)

(本ブログ関連:”菜食主義者”)

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・2017年8月1日、韓国・聯合ニュースによると、韓国の女性作家の韓江(ハン・ガン)氏の小説『菜食主義者』の英訳版『ベジタリアン』を読んだ海外の読者らが「面食らっている」という。同作は昨年、世界的に権威ある文学賞の一つである英国のマン・ブッカー賞国際部門に選ばれ、英語に翻訳したデボラ・スミス氏も韓氏と共同受賞していた。しかしその後、英訳版の誤訳が数々指摘されており、このほど翰林(ハルリム)大のキム・ボン教授(英語英文学)がスミス氏の誤訳について改めて批判したのだ。

(略: ①主語の混乱、②原文で英語使用を無視し、他英語に置き換えなど)

・さらに決定的なのは、英訳版で省略された部分が多数あることだ。キム教授が「翻訳者が作為的に削除した」と指摘した部分は、第1部で3カ所、2部に11カ所、終盤の3部では33カ所に上る。そのためか、英語圏読者のネットレビューでは、作品の中・後半への不満が集中的に上がっているそうだ。
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ちなみに、Amazon掲載の英語版(The Vegetarian )ペーパーバック版に、「なか見!検索」があり、各紙(誌)の書評が麗々しく並んでいる。

以前、この作品の翻訳者デボラ・スミスとのインタビューが、中央日報に掲載されている。「<インタビュー> 翻訳者デボラ・スミス『韓国文学、驚くほど幅広く躍動的』」(2016年3月29日)に、翻訳者の韓国語経験を知る部分がある。(抜粋)
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 ・翻訳者にも関心が集まっている。デボラ・スミス氏(28)がその主人公だ。彼女は2009年にケンブリッジ大を卒業した後、翻訳者になるために韓国語の勉強を決心する前までは韓国とは関係がなかった。韓国人の知り合いもおらず、韓国料理を食べたことすらなかった。韓国の小説もやはり読んだことはなかった。

  Q:2010年にロンドン大学東洋アフリカ研究学院(SOAS)修士課程韓国語科に進学して2年で作品を翻訳した。
  「読解を通じて韓国語を習ったので正確に早く話せない。若者の間で使われている言葉や俗語は聞き取れない。初めて翻訳する時は辞典をよく引いた」

  Q:韓江の『菜食主義者』を翻訳したが。
  「(2012年)SOAS博士課程中に出版社から『読んでみて教えてほしい』と言われその本を受け取った。少し翻訳して送ったが『出版しない』と言ってきた。私が読んでも面白くない翻訳だった。翌年、ロンドン図書展を控えて出版関係者に会ったが『出版するのに何かいい本はないか』と聞かれた。その時思い浮かんだのが『菜食主義者』だった。1年前のものを手直しして送ったところ、出版社がすぐ翌日『素晴らしい』と言って出版に意欲を示した」

  Q:韓国語と英語は非常に異なる言語だが。
  「韓国語は相対的に曖昧な言語だ。英語は正確に記述しなければならない。翻訳しながら同時に説明を追加しなければならないのではと感じる時がある。だがやり過ぎはよくない。曖昧性は作家のスタイルでもあった」
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韓国では、韓国文学を世界普及させるため、該当国の言語に翻訳するのを韓国人(韓国系現地人)に担わせているようだ。そのため、英国人自身の手で翻訳された意義をこのインタビュー記事で取り上げたかったのかもしれない。インタビュアーが、どこか戸惑いを感じながら、翻訳の力量を確認しているように思えるのは気のせいだろうか。

「曖昧性は作家のスタイルでもあった」というより、翻訳者が曖昧だったのかもしれない。

2017年8月5日土曜日

罫線、表組

一般に、企業に採用されるアプリケーションは、オフィス・ツールから経営管理システムにいたるまで、ほぼ海外製品である。オフィス・ツールにいたっては、MicrosoftのOfficeが必須とされ、当り前のように受け入れられている。(もちろん日本のソフト開発会社も十分健闘している)

企業内のシステム管理部門は、時代の変化・技術の進展に即応するため、システムの更新業務が重要な任務になる。そんなとき、頭から足元まで一貫して対応できる製品が求められる。世界シェアが最大な製品は特によく、信頼性を置く基準になる。経営に根拠立てするのに都合がいいからだ。(アメリカの先進的な企業の場合、開発した製品に技術的な関心があっても、その企業が売られる可能性があり、後のメンテナンスが心配である)
企業内のシステム管理部門は、管理業務に極めて保守的である。同様に、日本語化した製品を導入する際も、日本語らしい見た目を要求する。

海外製品を日本語に変換することをローカライズという。横のものを横にするだけだが、根底に日本的な要素の追加が求められる。代表的なものに罫線があり、アンダーラインとして使うだけでなく、表組み表示が求められる。ローカライズ作業の過程で、海外製品の不適切さを見つけることも多々あるが、罫線化は重要な作業のひとつになっている。

日本人は、罫線が好きだ。一方、アメリカの文書は、タイプライターの文書を見れば分かるが、罫線の伝統がない。現在でも専門分野の英文マニュアルに罫線は少ない。横棒(ハイフン)を連打して罫線もどきにする場合もある。(タイプライターの場合、文字が一律同サイズで、字間が均一なため平板な印象を与える)

一般に、システム開発プロジェクトの報告書に、罫線が容易なExcelが使われる。Wordが使われることはほぼなかった。元々、Excelは、システム開発業務に密着しやすいため、Excel+Word=Excelと、一括でき便利だ。(文書管理システム構築にあたり、始めにExcelで文字数まで含めた雛形を作って、文書フォームを要求したりする)

何で日本人は、罫線が好きなんだろう?
Google検索で、「日本 好き  罫線」で探してみると、いろいろな意見に出会う。どれもこれも、そんな気がする。でも、何でなんだろう。


参考:
・マイナビニュース:「「罫線が大好きな日本人に米国人開発者が驚愕」 - グレープシティ 八巻氏」(2009_11_4
・スマダン:「時間を奪う『Excel方眼紙』問題を公開討論へ! 生産性の低下に本当につながるのか」(2017_8_4


追記:
昨日の忘れものを無事回収できた。ちゃんと預かってくれたお店に感謝。

2017年8月4日金曜日

忘れもの

久し振りに出かけた先に忘れものをした。帰りの電車、ショルダーバッグがないのに気付く。もしかしたら気のせいかも、家に帰れば玄関上がりに転がっているに違いないと思い直したが、やはりなかった。

わたしのPCデスクの廻りにもない。そこで、忘れものをしたと確信する。(子どものころを除いて)忘れものは初めてといっていいくらい記憶にない。忘れもの、落しものをしないのが自慢だったのに。なんてことよ・・・気が滅入る。

結局、思い当たる店に電話したところ、預かっているという返事をいただいた。感謝して、明日うかがう約束をした。貴重品というほどもの物が入っていたわけでない。でも、そんなこと、言い訳にも、納得にもならない・・・情けない気がする。

というわけで、今日一日落ち込んでいる。

2017年8月3日木曜日

始めの17歩 イディッシュ語(今年前期の終了)

17日目、ついに<春期講座>(すなわち今年前期の)「イディッシュ語講座」最終日にいたった。かろうじてついて行ったが、来<秋期講座>(すなわち今年後期)まで2ヶ月間、何もしなければ全て揮発することうけあい・・・恐ろしい。わずかでも知ったことを雲散しないよう工夫しよう。

(本ブログ関連:”始めの ~歩 イディッシュ語”、”イディッシュ語”)

昨年夏に<夏期講座>「イディッシュ語入門」を受講して、基本会話とヘブライ文字(活字体、筆記体)を体験し、イディッシュ文学の説明もうかがった。もう少し知りたいと、今回の<春期講座>を参加したわけだ。(どちらも新設講座という、幸運な巡り合わせだった)
<秋期講座>も継続したい。新しい仲間、今年<夏期講座>から継続の方も加われば幸いだ。若い人は、さっさと追い越していくだろうし・・・。いつも、先を行く若者を後ろから見ているので、おじさんは自然と「前向き」である。

今日の講義:
・先生推奨の入門書「レッスン25」(שבת:シャベス)の導入文を輪読。(最終日ということで、テーマを深堀して「レッスン25」へジャンプ)
ユダヤ教の一週間(日曜日に始まり、土曜日の休日[安息日:シャベス]に終わる)の中で、各曜日が順に、自身がいかに重要かを主張する。結局、神の声で、土曜日(安息日)が聖なる日として決済される話しだ。

予習で理解できなかったところも、先生の解説があって氷解すること多数。驚いたのは、ユダヤ教の、① 日曜日は平日であり、普通通り仕事をする。② 土曜日は「安息日」であるが、宗教的規律があって、電気を使う製品・装置の使用不可であり、交通手段も止まる。一切合切停止するようだ。海辺でのヴァカンスも楽しむことは許されないようだ・・・先生から、「安息日に海辺で休むのは禁止されていません」とのご指摘いただきました!(聞き間違いしましたことご容赦)

一体、いつ息抜きするのかと問えば、安息日とは別に、祝日が用意されていて、その日に思いっきり休暇を楽しむそうだ・・・わたしたちと違う、戒律と慣れにとまどう。

(イディッシュ語で歌を聞かせてよ・・・という<演奏>です)

(Youtubeに登録のThe Soul of Jewish Musicに感謝)

2017年8月2日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」蓮花台舞の伴奏音楽

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(7/26)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、「蓮花台舞(연화대무)」の伴奏音楽など関連する曲を紹介した。

始めに、伝「高麗史」に知られる「蓮花台舞」の舞踊について次のように紹介された。
・昔、宮庭舞踊を「呈才(정재)」と言い、王の前だけで踊る、華麗な衣装と優雅な身振りが特徴。中でも、蓮から女性が現れて踊る「蓮花台舞」は規模が大きい。舞台上の大きな蓮の蕾から鶴が出て、蕾の間を行き来して踊る。鶴が口ばしで蕾をつつくと、花が満開して、中から女性が出て踊る。単純だが、いかに表現するか重要な場面だ。史書「高麗史」*によると、「蓮花台舞」は、現在のイランの北方由来という。遠くから伝わり、受け継がれてきたという。
(*「高麗史」:李氏朝鮮時代に焚書または消失)

▼ 「蓮花台舞の伴奏音楽」を聴く。緩やかに響く音に、碧眼の胡姫を想うわけにはいかないよう。

次に、人柱で海に身を投じた、パンソリ「沈清歌」の「沈清」が蕾から現れる場面について次のように紹介された。
・パンソリにも「蓮花台舞」と同様な場面がある。パンソリ「沈清歌」の主人公「沈清」が竜宮から生き返って、宮廷に現れる場面だ。沈清は、めしいの父の目を治すため、人柱となって海に身を投じる。竜王は、そんな沈清を地上に戻すため、花の蕾に包んで海上に浮かばせた。蕾を見つけた人々は、それを皇帝に捧げた。その頃、皇帝は、皇后を亡くし悲しみに耽り、花を眺めて癒していた。人々が蕾を見ているなか、蕾から美しい沈清が現れた。その後、皇帝は沈清を皇后として迎え入れる。

▼「沈清歌」から「沈清が還生して入宮する場面(심청이 환생해서 입궁하는 대목)」を聴く。粛々と聞こえてしまう。

最後に、蓮の花を鑑賞できる庭園と、蓮の食用などについて次のように紹介された。
・昔の建物に、「蓮」の花を意味する漢字が使われるものが多い。そんな文字の付く建物には、蓮の花を観賞できる池がほぼあった。泥水を吸い上げ、美しい花を咲かす蓮は、洋の東西、古くから大事にされてきた。仏教では仏の悟りや極楽を象徴し、清潔で豊かなイメージを与えた。また、茶にして飲んだり、葉を米と一緒に炊き込んだり、根を副菜にするなど、多用な花だ。韓国はちょうど今頃が、蓮の花が咲く時期である。

▼ 「蓮の花が咲く(연꽃 피어오르리)」を聴く。仏教に賛美歌があれば、そんな親しみやすい、今様の歌だ。

2017年8月1日火曜日

イ・ソンヒ「見知らぬ海辺で」

夏だ夏だ、8月だ。名実ともに夏、8月と組み合わせると一層夏らしくなる。とはいえ、教室で夏の計画はと問われれば、「短期留学」だとか「海外旅行」だとかいう羨ましい話しが出る。わたしといえば、勉強しますと応えるしかない。予定がないのは楽ちんだが、たずねられると少々困ってしまう。

一体いつだろう、海に行ったのは。ずっと以前、静岡県の伊東市の大室山(単成火山)に寄って、城ヶ崎海岸で黒光りした溶岩流の跡を楽しんだくらい。浜辺まで行って、海水に足をつけたのは遠い昔のこと。それは、同じく河津町の浜で沸石を採っていたとき、満ち潮になって、自動的に足首までつかってしまったのだ。

イ・ソンヒの11集所収の「見知らぬ海辺で(낯선 바닷가에서)」(1998年、作詞イ・ジェギョン、作曲バク・セジュン)は、感傷的だが海を感じさせる。さんさんと日がふりそそぐ夏といった感じではないが聴いてみよう。次のMV映像は前にも触れたが、もしかしたらいわくつきのものかもしれない。

(本ブログ関連:”見知らぬ海辺で”)


あなたを全て忘れるため、ここまで来たのよ
空が、青い海と出会う場所に

一つずつ思い出を取り出して、もう二度と私の心に込められぬよう
そう、あなたを私も捨てたくて、私のこころから去ってよ (ha~)

たとえ、こんなに、あなたを押しやってみても、戻ってくる
白い波のように、もう一度探しに来て

あなたもまた心に、まだ私がいるのなら、私に帰ってきて
昔のように、私を愛してよ
           _______

一人残った時間は、恐ろしい沈黙になってしまって
たとえ私がいやだといっても、別れのときだったの (ha~)

この世の全ては、あなたから始まって、あなたがいない
私の現実という、深い悪夢だけよ

帰ってきて、私のそばに、私の手を握って
私の息が尽きるその日まで、あなたを待っているわ (ha~)


(Youtubeに登録のWSSIM2016に感謝)

2017年7月31日月曜日

こんにちは

イディッシュ語で「こんにちは」は、「Shalom Aleichem(その返しは、Aleichem Shalom)」で、「あなたに平和を」を意味するそうだ。これを筆名にした作家が「ショーレム・アレイヘム」だ。

韓国語の「こんにちは」は、「アンニョン・ハセヨ」で、「安寧(アンニョン)していらっしゃいますか(ハセヨ)」を意味し、<平和>に通じる<安寧>が使われている。

日本語の場合、「こんにちは」は、「こんにち(今日)は~」と後を略し、様子の具合を相手に任せる。新しい明治言葉のような響きがするが、「江戸期気の置けない仲間同士のあいさつだった」(「あいさつ言葉の変化」倉持益子、「明海日本語」第 18 号 増刊 (2013.11))そうだ。昔の日本は、平和も安寧も気にするまでもない、それが当り前だったのだろう。


(Youtubeに登録のThe Soul of Jewish Musicに感謝)

2017年7月30日日曜日

イ・ソンヒ 「オークバレー サマーフェスティバル」8/5

ニュース1の記事「オークバレー サマーフェスティバル... 8月19日まで」(7/25、パク・テスン記者)によれば、イ・ソンヒがオークバレーリゾートで開催される「オークバレー サマーフェスティバル」(7/28~8/19)の、8/5の舞台に登場すると報じている。

(参考)オークバレーリゾート(namu.wiki「スキー場」)
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・江原道原州市地正面月松里にあるスキー場で、江原道と京畿道の境界近くに位置する。
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(追記:7/31付け)
中央日報の記事「歌手イ・ソンヒ、8月5日 原州のオークバレーで公演」(7/31)に詳細が触れられている。
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・イ・ソンヒさんは、江原道を訪れたのは異例で、江原道最初のイ・ソンヒ無料公演という点で、さらに格別だ。
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2017年7月29日土曜日

イ・ソンヒ 「私はいつもあなたを」

イ・ソンヒが、4集所収の「私はいつもあなたを(나 항상 그대를)」(1988年、キム・ミンジョン作詞、ソン・シヒョン作曲)を、MBCの深夜音楽番組「音楽旅行ラララ(음악여행 라라라)」で歌った様子をYoutubeで視聴してみよう。

(本ブログ関連:”私はいつもあなたを”)

放送は、彼女のコンサート「招待」(2009年4月1日~5日)の前月末(3月25日)に流されたものだが、それ以前に録画されている。コンサート直前のこと、彼女の高精細(HD)のアップ映像が貴重だったが、放送の歌の仕上がりが微妙だった。今も少々気にかかっている。でも、彼女の歌には不思議な安堵感がある。ぞれはいつも然変わりない。


いつもあなたを、慕っているのに
思うようにはいけない
今日も、セピア色した写真の中に
あなたの姿しのぶわ
*
いつもあなたに、会いたいのに
あなたは何処へ立ったの
優しいその姿、涙で染めるわ
あなた、私に戻ってよ

戻ってきて、私のところへ
すべて、あなただけなのよ(Oh~Oh~Oh)

燃える私の愛、避けられないのよ
あなた、私に(Oh~~)戻ってよ

(*以下繰り返し)

(戻ってきて・・・)
あなた、戻ってきてよ
すべて、あなただけなのよ

燃える私の愛、避けられないのよ
あなた、私に(Oh~~)戻ってよ


(Youtubeに登録のMBCkpopに感謝)

2017年7月28日金曜日

鉱物好きの心理

対象が「鉱物」というだけかもしれないが、鉱物好きの心理にどんな側面があるか、思いつくまま列挙する。鉱物好きのそれぞれにとって、以下の好奇心が多かれ少なかれ織り交ざっているだろう。とはいえ、鉱物マニアの集いでは、「理科(科学)的好奇心」だけを語らざる得ない。他の好奇心については、口外せずひそかに心にしまっておくようだ。

理科(科学)的好奇心:
・いわゆる鉱物マニアが賛同する、まさに好奇心の本流であり、基層を成す心理だろう。(アマチュアの世界)
・博物学の出発点であり、科学との接点を大事にする科学信仰がある。(科学者を頂点にしたピラミッドの世界)
・他の自然物(化石、昆虫など)採集マニアと太い共通点がある。(古典分類学の世界)

貴族所有的好奇心:
・ヴィクトリア/欧州貴族風な博物学を母胎とした、世界自然を把握(征服支配)する手段としての収集と陳列。
・財力と知恵が合一したサロン的世界に酔いしれることができる、うらやましい世界。
・知的孤高を貴種とする高踏的な社会。意識せずとも、世間から自然に遠ざかる。

美意識的好奇心:
・鉱物好きの原点に、結晶の美しさがあって、「水晶に始まって、水晶に終わる」とか。
・石から雲や水が湧き出るのを見るような超自然で幻想的(文学的)世界へ誘う好奇心。
・石の姿形(形態)に、自然との抽象的相似を感じとる凝縮された、水石的古来の美意識。

産業的好奇心
・鉱物と宝飾が混在した世界で、とくに女性の宝石好きとつながる。男は黙って見守る。
・鉱物を社会に産業として応用する。実は、好奇心を経済的に支えてきた土台骨。鉱物マニアは黙って見守る。

神秘的好奇心:
・石に霊的力(Power)を感じとる、鉱物好きにとって近寄りがたい、外来種グループ。


(本ブログ関連:”鉱物マニア”)


(付記)
鉱物採集マニアについて
・国内産の鉱物標本を最重視する。(完全な結晶、大きな標本は自慢になる)
・自分の手で採集した「標本」にこそ価値を置く。(仲間との標本交換もあるが)
・標本に「鉱物名・鉱山名」など記載した「ラベル」が必須。(日付は特に重視しない)
・具体的な「採集地点(位置)」については、仲間内でも秘匿するケースがある(多い)。
・鉱物鑑定(鉱物名を判別)能力により、身分はヒエラルキー化される。
・採集の際、身の丈に合った量を心掛ける・・・むやみに産地を掘り返し大量獲得しない。
・結局、健康でないと採集活動は続けられない・・・しみじみと。

2017年7月27日木曜日

始めの16歩 イディッシュ語

16日目。残すところあと一日となったが、これまで進歩したのだろうか、成長したのだろうか。いいえ、いいえ、全然! と自信をもっていえる。それに比べて、(他言語)留学の経験あるクラス仲間の進歩は素晴らしい。唯々感心するばかり。

(本ブログ関連:”始めの ~歩 イディッシュ語”、”イディッシュ語”)

そういえばこんな話しを思い出す。中学時代、バスケットボール部に入部すれば背が伸びて女の子にもてると錯覚する男子学生が多かった。でも、それは逆で、バスケット競技がうまくて背が高いから女の子にもてたのだ・・・ニキビ面の少年たちにそれが理解できるには少々時間がかかった。

とはいえ、何とかすれば何とかなるの信念で、あきらめず、ラストに向かって頑張ろう。

・先生がネットで見つけた、古いイディッシュ語の初級教科書「דער אָנהײבער」(The Beginner)から、① 教室のお絵かき風景、② 母と娘のドレスの買物、③ 少年と犬の親密な関係

・先生推奨の入門書(復習編):「レッスン2」(דער לערער און די תּלמידים אין קלאַס)の文法事項の確認:① 形容詞の語尾、② 対格の形容詞、③ 否定形などの作り方。および入門書テキス掲載の「Question」と「Exercise」の解答練習。

・(今回は教室移動したため、環境が整わずネット教材YiddishPOPの学習はできなかった)

(パッといきましょう、明るく元気に! めでたいじゃありませんか!)

(Youtubeに登録のThe Soul of Jewish Musicに感謝)

2017年7月26日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」興甫歌・・・悪者役

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(7/19)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、パンソリ「興甫歌(흥보가)」などの悪者役に関連する曲を紹介した。

始めに、物語のキーになる悪役、パンソリ「興甫歌」の意地悪な兄「ノルボ」について次のように紹介された。
・映画やドラマは、俳優の演技力とシナリオの良さが重要だが、時に悪者役や面白いキャラクターも必要で、観客はそこに集中する。伝統芸能「パンソリ」にも、そんな存在がいる。善人な弟「興甫」が怪我をしたツバメの脚を治し、ツバメが運んできた「ふくべ(瓢箪)」のおかげで金持ちになる。その話を聞いた意地悪な兄「ノルボ」が、ツバメの脚を怪我させて、治そうとする。「興甫歌」は、ノルボの呆れ果てた話から始まる。金持ちになった興甫を一番先に訪ね、何かもらおうとするノルボの性格がよく分かる。

▼ パンソリ「興甫歌」から、「ノルボの意地悪打令(놀보 심술타령」を聴く。抑揚を豊につけて聞かせる。

次に、パンソリ「沈清歌(심청가)」の「意地悪ばばあ(뺑덕어멈)」について次のように紹介された。
・ノルボの意地悪さは、常人に真似ができぬレベルで、自分の利益に関わらず、他人をいじめるのを楽しむ性格だ。他のパンソリで、「沈清歌」にも、そんな人物が登場する。意地悪で不細工な女を「意地悪ばばあ」というが、「沈清歌」の主人公「沈清」の継母がそう呼ばれる。利益の有無を考えず、とにかく意地悪する「興甫歌」のノルボと少し違い、目の不自由な沈清の父に、金目当てに近寄る彼女は、他人を気にせず、自分の利益だけ考える。どちらが悪者か、順位つけも容易でない。

▼ パンソリ「沈清歌」から、「意地悪ばばあの行い(뺑덕어멈 행실)」を聴く。空恐ろしさが漂うよう。

最後に、部下を考えぬ三国志の武将「曹操」を描いた、パンソリ「赤壁歌(적벽가)」について次のように紹介された。
・中国の三国志の一部を描いたパンソリ「赤壁歌」に登場する一人に、武将の「曹操」がいる。赤壁の戦いで多くの兵士が犠牲になるとき、曹操は自分の命ばかりに気をとられた。生き残った兵士と山を越えるときも同じだった。組織のリーダーがこんなキャラクターでは大変なことになる。兵士たちも曹操に歯向かおうとした。曹操が、そんな兵士たちを一々相手にする場面もある。

▼ パンソリ「赤壁歌」から、「曹操が兵士を点呼する場面(조조 군사 점고 대목)」を聴く。身近に聞く愚痴のようとのこと。

2017年7月25日火曜日

水晶果

冷たい飲み物に多種多様ある。韓国の庶民の味で、好みは「バナナ牛乳」だが、日本の店頭で見かけたことがない。乳製品の性質上、輸入販売できないという・・・そんな理由を聞いたことがある。

缶入り飲み物では、「水晶果*(수정과)」が喉ごしがいい。自販機から取り出して飲むと、冷たくて、シナモンの香りが広がり美味い。この作り方を、Youtubeにいくつも紹介がある。驚いたのは、材料の「シナモン」すなわち「ニッキ」/「桂皮」が、乾燥した皮であり、そのまま使用していることだ。てっきり粉末状にしたものと思っていたからだ。
(* 水晶果: 正式には「水生果」のようだ。鉱物趣味にとっては、「水晶果」の方がいいのだが)

① シナモンの皮を水で煮込むと茶色の液体になる。
② 別途、生姜のスライスを水煮する。
③ これら、①と②を混ぜ合わせ、(無漂白)砂糖を加えれば煮汁ができあがる。
④ 最後に、柔らかな干し柿をカップに置き、上記③の煮汁を足して冷やせば完成。

以前、ソウルの延世大学の近くにある「奉元寺」(太古宗: もしかして、イ・ソンヒの父親と縁があるのではないかと思い)を訪れたとき、< 境内に「玉泉梵音大学と霊山斎保存会」の名を記した建物があり、茶室でボランティアの方に水晶果をいただき、干し柿のサービスを受けた > ことがある。

暑い夏に、甘い香りなのに、きりりと引き締める、冷たく冷やした「水晶果」はかかせない。

2017年7月24日月曜日

原子時計

今日も暑く、湿気がべったりまとわりつく。図書館本館に行けば休館。そこで、このまま歩を進めて、標準時刻を大きく表示して見せる施設へ行ってみることにした。汗はだらだら。

励起されたセシウムが、その後、元に戻るとき放出するエネルギー(電磁波)の(固有)周波数を元に時間を決める「セシウム原子時計」を見てきた、と言っても展示品だが。大小の二つの装置が置かれていて、短期と長期の制御のための装置と聞いた・・・が、ど素人ゆえ、皆目見当付かず・・・そういうものかと納得するしかない。小型装置の内部が見えて、中心部品に大きくHewlett-Packardの文字が見えた・・・ムムム。これって、イ・ソンヒが生まれた1964年に発表されたもの(HP 5060A)の系列?

今日、明日の二日間開催の国立研究開発法人「情報通信研究機構(NICT)」本部の「夏休み特別公開」をちらり見して来たわけだ。夏休みとはいえ、今日・明日は月曜日・火曜日、完全に子ども向けに催されており、子どもたちが大勢押しかけていた。主に母親連れの理科少年少女たちといった賑わい振りだ。日本の科学の将来は明るい、頑張れ理科の子どもたち。

ところで、「情報通信研究機構」の仕事を、標準電波による時刻管理が業務の中心と思っていたらとんでもなく違っていた。それは100年前の話しのようだ。現在は、地球と宇宙を囲む、情報通信ネットワークの研究開発がメインだ。部外者の素人が気に掛けるのも何だが、情報通信ネットワークの研究については、さまざまな機構で進められているだろうから、その棲み分けはどうなっているのだろう。情報(ソフト)+通信ネットワーク(ハードウェア)は、ソフトウェアとハードウェアの混在した領分で、色々な立場からチャレンジできるからだ。

2017年7月23日日曜日

大暑 2017

今日は、二十四節気の「大暑」。連日の暑さゆえ納得するものの、昨年は22℃近くと冷え冷えしていた・・・と、ブログを見直して思い出す。その程度に、季節の変化について思い出が定かでないのだから、その他の物事をしっかり記憶できるはずもない。

(本ブログ関連:”大暑”)

外出しようか、どうしようかと迷っているうちに、一日が過ぎてしまった。

最近、南極から分離した氷塊(棚氷)が、日本に流れついたら随分涼しくなるなんて妄想する。そんな空想のできるおもしろツールが、Gigazineに紹介(7/23)された。

ドイツの新聞社「Berliner Morgenpost」が公開したもので、「南極大陸から分離した総重量1兆トンの『ラーセンC棚氷』」を地図上の任意の場所に移動できるツールだ。

関東地方の地図上にプロットしたら、その規模がとんでもなくでかいのに驚く。これじゃ、関東地方全体が極寒に戻ってしまうだろう。

ところで、昨日(7/22)、「暑気払い」に出かける途中、小学校前に栽培されていた小型のひまわりが全て刈り取られているのを見た。畑地が茶色の地肌に戻っているのに残念な気がした。でも、小学校が「夏休み」に入った後のこと・・・子どもたちに心配りしたのだろうか。