由緒ある場所に見かける石を持ち帰ってはならない。その地にまつわる、神話や民話につながる心の場所なのだから。もし内緒で持ち帰り、家の奥深く秘匿すると、石は次第に大きくなり、祟(たた)るかもしれない。災いは困る。罰当たりなことはしない。
石はあるべき場所に置いておくもの。とはいえ、石好きはいつの時代にもいて、他人の所有する石が欲しくなり、値を付けて売買を懇願したり、それが叶わぬとなれば、夜陰に奪い取って行方をくらます。石好き高じて、狂気が勝る。
それが、石から鉱物になれば、装いが変わる。自らコレクターといい、科学の言葉を駆使して、因習に打ち勝つ。背景に、シーボルトやダーヴィンが世界を巡ったと同様の、博物学的採集(征服)がある。コレクションを飾るのに、貴族社会があったし、時代が開けて自然史博物館が登場する。
石を通して何が見えるか、何が聞こえるか。今の時代、石を科学の世に投影するスクリーン(公開)がある。昔は、見る者、聞く者が、独特に占ったり、奇怪な現象について語った。
大きな石に空いた穴に、そっと耳を当てよう。そこから何やら人の声が聞こえてくるそうだ。