随分と涼しい一日、半袖から長袖に変えて過ごした。こうなると冷蔵庫の麦茶を忘れ、熱い緑茶を飲んでほっとする。この変わり身の早さ、自然さに驚く。
それでも、はた目に今までと違った動作をしているわけだが、自分は変わっていないと主張する。ついには苦しまぎれに「狐にだまされた」といいわけするしかないのか、本当にそう思っているのか。
山暮らしの長い猟師でさえ、猟場の道筋を間違えることがあるという。しばらく振りに入った山道で行方不明となり、ようやく戻ってくれば「狐にだまされた」ことで結着する。回りがそういい、本人もやがてそう思い込む。みな納得する。
(本ブログ関連:”山怪”、”黒部の山賊”)
山道で一休憩がいけなかったのか、一瞬のめまいか白昼夢か、意識が遠のいて目の前の光景がゆがみ、記憶とは別の道に誘い込まれる。自分は変わっちゃいないと歩き出し、そして道に迷う。
過信は、そうはいっても漠然としたものでしかない。景色が変わっているのに、思い込みにこだわるなら、「狐にだまされた」という結果を待つしかない。