▼▼ 青字下線付語句のリンク先は、マウス右クリック+<新しいタブ>で進んでください。(本ブログ関連)の最下段に「次の投稿ホーム」があるとき次ページがあります。▼▼

2017年7月15日土曜日

(雑談)CAIについて

(一)
昔、CAI(コンピュータ支援教育)といって、コンピュータを介して学習する仕組みが叫ばれた。CAIは、オーディオ機器がずらりと並んだ語学のLL教室が普及し始めた頃に、追いつくように始まった。新しもの好きの教育関係者が飛びついたのはいうまでもない。

大型コンピュータの端末(TSO)で始めるには余りにコストがかかり過ぎた。せいぜい単一目的の技術研修や訓練用といった、機能検証扱いだった。それが、パソコン(当時はマイコン)が登場することで、ようやく学校教材の一部を適用できるまでになった。結局は、市販教材ソフトに見るべきものがないままに終わった。なぜなら、一般の印刷教材の穴埋め問題集でしかなかったからだ。

CAIの教育ソフトの背景を担ったのは、スモールステップで理解を重ねるプログラム学習方式だった。プログラム学習は行動理論先行で、まるで職業訓練用テキストのスタイルだった。大学教養程度の心理学や経済学をプログラム学習で学ぶ教科書が出版されたりしたが、うまくいかなかったようだ。そのことについて、触れたくないのだろうか、そんな経緯を記した関係者による文章を見かけない。

現在では、e-ラーンニングと呼んで、主にネット環境で学ぶ学習スタイルに衣がえしたようだ。個人の学習進度まで管理できて、こちらの方は、意外に企業内研修や資格取得などのための講座で、一般に余り知られてないが、使われているようだ。(かなり商用化が進んでいる)

ところで、企業内教育について、こんなことを語った本(書籍名は失念したが)を読んだことがある。企業内教育は、その到達が企業内であって、一般の教育のように枠を超える成果を求めるものではない、といった内容だった。企業内教育は、その組織に必要な技術や智識を習得するものであって、人間として成長を求めるものではないということだ。

企業内教育の期待は、敷居(閾値)が意外と低いといえる。経営の指南書も、目標が企業目的と合致して、利益の最大化を図る(効率化を重視して、のりしろをカットする)という解がある限り、ハウツーの域を出ないだろう。それに対して、子どもの教育に求められるのは、いかに大きなのりしろを作るかということだからだ。

(二)
CAIに見られるような、知識をシステマチックに吸収できるかという課題が残る。企業内研修の場合、学習者はその意識も欲求もすでに持ち合わせている。子どもの場合はそうはいかない。学校の授業は、特別な資質の子を除いて、普通の子どもには難行でしかないからだ。

システムは、学校教育で子どもたちに貢献できるだろうか。見た目に知識を増やせるかもしれないが、決定的な問題がある。それは、知識をどんなに早く視聴覚化しても、それを脳内に定着できないということだ。記憶力を高めるのに有効かもしれないが、記憶力を付けるものではない。ただし、今までなら遠に放棄したかもしれない学習を、何とか持続する支えになっている気がするが、学習の外側のツールとしての有効性に変わりない。

システムは、思考の外側のツールでしかない。

少し、道外れする。一般にシステムは、頭脳に伝えるツールとして有効だが、頭脳から出す先としては要注意が必要だ。

システムは、単純な手入力のミスで、とてつもない大きな被害をもたらすことがある。それだけではない、システムに不注意な発言を登録すると、その結果が記録され、死後も永遠に残ることだ。本人の口から語られたあかしとして、墓碑銘どころでなくなる。SNSに語ることは、ある意味覚悟がいる。

特に、Twitterでどれほど大火傷していることだろう。脳内の知恵と相談しての発言なのだろうか。脳内に届かぬままに、反射的に言葉を吐き出していないだろうか。その記録は、日記といった限られた紙資料と違い、それこそシステマチックに(縦横に)分析され、色々な情報が取られることになる。

言葉は脳内で一旦咀嚼してから出すものと、庶民は生きる知恵としてそうやって実践してきた。

2017年7月14日金曜日

「きぼう」の Int-Ball

Jaxa(宇宙航空研究開発機構)の発表記事「きぼう船内ドローン『Int-Ball』からの映像初公開!」(7/14)に、何ともかわいらしい随伴型のドローンが紹介された。国際宇宙ステーション(ISS)の日本の実験棟「きぼう」の中で、宇宙飛行士が業務と併行していた撮影作業を代行する、自律移動型船内カメラだ。

無重力の室内、自由に移動が可能(12台のマイクロファンによる並進制御機能*)のようだ。しかも、撮影した映像を地上の管制官らも同時に確認できるという。これを介して随時適切な助言も可能になる。
(* 資料:「JEM自律移動型船内カメラについて」)

その「Int-Ball」の紹介映像を見て、いかにもアニメ好きな日本の製品らしい感じがした。ロボットクリエーターの高橋智隆氏のロボット「Robi」のデザインが浮かんできたが・・・関係されているのだろうか。
それはそれとして、Youtube映像に流れる音楽が、まるで子ども向けテレビ番組のようでおもしろい。母親に付いて回る幼児のイメージがするのだ。日本人は、対象を幼いイメージにして作り上げるかんどころがあるようだ。
・・・映像の最後に、電源が切れたといって、床に落ちるなんて・・・無重力でしょ、まったくアニメ感覚なんだから。もしかしたら、「Int-Ball」の正体はケロロ軍曹かもしれない。

遠い宇宙のISSの中、安全で正確な作業が要求される場面で、「Int-Ball」は宇宙飛行士にとって癒してくれる信頼できる相棒になるだろう。これが、私の部屋にいたら監視されているようで、少々厄介なのだが・・・でも、ぐうたらな日常を叱咤激励してもらうために悪くはない、なんて考えてしまう。


(Youtubeに登録のJAXAに感謝)

2017年7月13日木曜日

始めの14歩 イディッシュ語

14日目。先日の九州方面の豪雨災害と反対に、こちらは連日猛暑が続いている。教室へ通う途中、あまりの暑さに喫茶店でしばらく涼んだけれど、教室に着いたとたん汗が吹き出た・・・もしかしたら、イディッシュ語理解不足のせいで、冷や汗が出たのかもしれない。

・先生推奨の入門書(復習編):「レッスン1」(ייִדן אין אַלע לענדער)の Exercise の残り(F)を回答:短い英文をイディッシュ語に訳し、筆記体にしてホワイトボードに書くこと。

・先生紹介のネット公開教材ソフト(YiddishPOP)の「レベル2-4」(פֿרײַטיק באַק איך חלה)。バスケットボールをするスケジュールの相談・・・月曜日から日曜日まで予定を確認する。① 動詞が、文の構成単位の第2番目に置かれること。② 主語が דו の場合、「動詞(סט-)+主語(דו)」を、(סטו-)の形式に短縮できること。

(余談)素人そのものの質問だが、日本の「お盆」と似たものが、イスラエルにもあるのかうかがった・・・先祖供養というか、先祖と一体感を持って、一族が集うような風習があるのか知りたくて。(極東の日中韓でも先祖の捉え方は大部違っているように思うのだが、まして神との契約主体のユダヤ社会ではどうなのだろう?)

(本ブログ関連:”始めの ~歩 イディッシュ語”、”イディッシュ語”)

(音楽の宗教的意味合いについて存じませんが、とはいえ余りにも有名な・・・容赦を)

(Youtubeに登録のThe Soul of Jewish Musicに感謝)

2017年7月12日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 李白詩

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(7/5)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、唐代の詩人「李白」(701年~762年)に関連する曲を紹介した。

始めに、唐代詩人「李白」が「黄鶴楼」で「崔顥(さいこう)」の詩に出会った話しについて次のように紹介された。
・中国唐代の詩人「李白」は酒を好み、酒仙と呼ばれた。また、月が好きなため、韓国民謡に「明るい月よ、李白が遊んだ頃の月よ」という歌もある。彼の言葉全てが詩になるほどの才があり、詩仙とも呼ばれた。ある日、詩作するつもりで、長江岸の「黄鶴楼」に登ったが、楼壁に「崔顥」の「昔人已乘黃鶴去/此地空余黃鶴樓」で始まる詩が書かれているのを見た李白は感嘆し、「これ以上の詩は作れない」と筆を片付けて帰ったという。

▼ 崔顥の詩「登金陵鳳凰臺」を歌にした「昔人已に去り(석인이승)」を聴く。朗々とうたいあげる。

次に、李白の詩「登金陵鳳凰臺」と民謡の「ユクジャベギ(육자배기)」について次のように紹介された。
・黄鶴楼を後にした李白は金陵(現南京)の「鳳凰台」に向かい、そこで有名な「登金陵鳳凰臺」の詩を作る。「鳳凰台上で遊んでいた鳳凰が去ってからは、長江だけがゆったりと流れている」といった内容だ。中でも「三山は半ば雲に隠れ、長江は二分して流れる」の部分は、韓国の昔の歌によく引用され、民謡の「ユクジャベギ」にも登場する。六拍を単位に歌うことから、曲名に数字の「六(ユク육)」が入っている。

▼ 南道民謡「ユクジャベギ(六字もの)」を聴く。高低強弱と変化に富んで、随分と声を揺らす。

最後に、管楽器「センファン」と「タンソ」による「水龍吟(수룡음)」の曲について次のように紹介された。
・「ユクジャベギ」一曲だけもあれば、少し早い拍子の他曲を続けて歌うこともある。李白や崔顥は、名勝で優れた詩作をしたが、この初夏に、私たちも都会を離れ、景色の良い楼閣で、風の音、水の音など自然の音と共に心身癒してみたい。
・管楽器の「センファン」と「タンソ」は、よく似合う楽器とされ二重奏される。水中の竜が歌う音の意の「水龍吟(수룡음)」の曲があり、二つの楽器が調和して奏でる不思議な音色に、安らかな一時を過ごしたい・・・とのこと。

▼ センファンとタンソ演奏による「水龍吟」を聴く。<自然が感じられる>という透明感のある演奏。

2017年7月11日火曜日

イ・ソンヒ「たぶん」

イ・ソンヒの12集所収の「たぶん(아마...)」(2001年)は、たぶん切ない恋歌なんでしょうか、通じぬ哀しみが伝わってきます。でも、ここでは、夏の夜風を受けて涼むよう歌って見える彼女のYoutube映像を眺めましょう。今日みたいな熱気のさめぬ夜には最高です。

それにしても、歌詞の世界だけみれば、女性の心は繊細で複雑で・・・と思いますが、たぶんスイッチを切ると、過去の想いは一瞬にして消え去ることでしょう。それに比べて、自然放電に任せるしかない男は、切り替え方が不器用なようです。ああ、夏の夜の夢にもならぬ話しを、たぶんしてしまい・・・。

(本ブログ関連:”たぶん”)


その人の話し、しましょうか。 悲しい私の愛、聞き入れることができますか。
馬鹿でしょ、言葉ひとつできず、一人で胸を痛めるなんて。 私のそばにいても、
分かってください。 そんな気持ち、彼を見るたび、いいえ、私余計なこといい始めたようです。

*もう、その人には、命のような、そんな大事なものがあるのでしょう。
*永遠に、私は堪えられない話をできないんです。 愛するという言葉は、たぶん・・・

なぜか、涙が止まりません。 つまらないでしょう。 私の気持ち分からなくて。
あなたがくれたハンカチに、涙とともに滲み出た言葉、それはあなたなのに。
本当に分からないのですか。 私のこんな気持ちを、いいえ、余計なこといい始めたようです。

(*2行繰り返し - 2度)


(Youtubeに登録のlys2187に感謝)

2017年7月10日月曜日

ヘブライ文字のオンライン「キーボード」とイディッシュ語「辞書」

先日6/30の「”YiddishPOP”と 夏休み『イデッシュ語入門講座』」と、7/2の「イディッシュ語の文字」の続きです。

イディッシュ語で使う「ヘブライ文字」の練習をキーボードでしてみましょう。キーボードといっても、オンライン・キーボードで、ネット上で入力します。次に、オンライン辞書にも触ってみましょう。もちろんみなフリーのツールです。
(各ツールに感謝です)

A. ヘブライ文字用の「オンライン・キーボード」と「辞書」を利用してみよう
試しに、「机」の意のヘブライ文字「טיש」を、「オンライン・キーボード」で入力し、さらに「オンライン辞書」(イディッシュ語 ⇔ 英語)で確認します。

① オンライン・キーボード
・次のリンク先で、「オンライン・キーボード」(” Lexilogos ”)画面を開きます。
   http://www.lexilogos.com/keyboard/yiddish.htm
・リンク先画面で、ヘブライ文字「טיש」の3文字を打ってみましょう。
   ⇒ 画面下側に配置された文字キーをクリックすると、一つずつ文字が、右→左へ表示します。
・表示された、ヘブライ文字「טיש」をコピー(Ctrl+C)して、次の②の「オンライン辞書」で確認してみましょう。

②  オンライン辞書
・次のリンク先で、「Yiddish Dictionary Online」画面を開きます。
   http://www.yiddishdictionaryonline.com/
・この辞書の使い方の解説を、「טיש」の単語を元に例示していますので、ちらり見ておいてください。
・3番目のラジオボタンを押して、①でコピーした「טיש」をペースト(Ctrl+V)し、検索(Go)してみましょう。
   ⇒ 「טיש」は、英語の「table」
・ちなみに「טיש」は、ローマ字と次のように対応します。
   ⇒ 「ש(sh)」←「י(i)」←「ט(t)」です。(右→左へ読みます)

※ オンライン・キーボードで、イディッシュ語の文章も作成できます。興味ある方は、「Google翻訳ツール」で、<イディッシュ語 ⇔ 英語> の翻訳も試してみましょう。でも、最近気付いたのです。手書きをおろそかにするものじゃない・・・とね。


B. 夏休み「イデッシュ語入門講座」
3日間で学ぶ、イデッシュ語入門講座があります。イディッシュの古い伝統を、先生からうかがういいチャンスでもあります。
-------------------------------------------------------
・日時:8月29日(火)~31日(木)、10時00分~13時20分(休憩20分含む)
・場所:東京外国語大学 本郷サテライト
・講座内容や申込みについては、次の「案内」をご覧ください。
    ⇒ 夏期間「イディッシュ語」
-------------------------------------------------------

ここで一息、美しいイディッシュの旋律を聴いてみましょう。

「キャンプファイヤーを囲んで」は、火の尽きるまでたのしもう、消えたあと空には星々が冠となって輝く、そんな様子を歌っているようです。そして、眠りについたら夢をめぐりましょう。学のサマーキャンプとちょっと違った、生活の一場面かもしれません。


(Youtubeに登録のJoe Krapovに感謝)

2017年7月9日日曜日

ラファエロ《 大公の聖母 》

上野にある国立西洋美術館で開かれた「ラファエロ」展に行ったのは、2013年3月のことだった。あっという間に4年が過ぎたのに驚く。ラファエロの絵画には、身構える必要のない親しみやすさがある。ぜひ見たいものがあった。「大公の聖母」の絵だ。暗い背景から聖母子が浮かびあがってくるよう描かれていた。

(本ブログ関連:”ラファエロ”)

子どものころ見た聖母像は、教会が配ったのだろう、滲んだ色刷りの図像だった。教会は、小高い丘の上にあった。遠くに眺めるだけの、近寄りがたい世界、そんな気がした。聖母像も、丘の上の一つのイメージでしかなかった。
後に、ラファエロの聖母像を知ったとき、懐かしさを感じた。聖母像が、日常の素朴な回路でつながったのだ。それは、かつて美術家に批評(批判)された、ラファエロの世俗さだったのかもしれない。

親和性のある聖母像。それは、誰かに見続けられていた。その見方について考えてみた。以前、「作品には3つの立場があるように思う。作品の制作者という立場(所有者と見る者を意識する)、作品の所有者(見せる側)、見る者(見る側)」と記した。ひとつの作品も、見る場所、見る時代が違えば、その存在意味も異なるだろう。かつての見る者(見る側)は、今見ているわたしたちと違った姿になってが浮かんでくる。

(本ブログ関連:”遠近法”)

優しい眼差しにつつまれた聖母子像をどう捉えよう。愛された経験を確認するものだけが見るのだろうか。慈愛を知らない人びともいたことだろう。そんな満たされなかった経験から、精神の癒しを渇望した彼らがいなかっただろうか。宗教画が、時代を経て見続けられるのに、どんな意味があるのだろうか。

子どもが、愛情にくるまれる時代がある。でも、そうでなかった、厳しい時代もあった。その中で生き延びたものもいる。生き延びれなかったものもいる。そして、そんな子どもたちと、ひとびとは直面したことだろう。道徳の尺度はだれから与えられるのだろうか。

若いころ、芭蕉の「野ざらし紀行」(「日記紀行集」所収、塚本哲三 校、大正11年)に、三歳ほどの捨て子の話しがあるのを知った。このできごとを、道徳的にどう解釈すればよいのだろう。いかなる解であれ、言葉にする危さを感じざるえない。
もし、この子が奇跡的に救いがあって、命をながらえたなら、そのご何に癒しを求めただろうか。今はその方が気になる。
-------------------------------------------------------
富士川の邊(ほとり)を行くに、三つばかりなる捨子の、哀(あはれ)げに泣くあり。此(こ)の川の早瀬にかけて、浮(うき)世の波をしのぐにたへず、露ばかりの命まつ間と捨て置きけん。小萩がもとの秋の風、 今宵(こよひ)や散るらん、明日(あす)やしをれんと、袂(たもと)より喰(くひ)ものなげて通(とほ)るに、
      猿を聞く人すて子に秋の風いかに
いかにぞや、汝父ににくまれたるか、母にうとまれたるか。 父は汝を悪(にく)むにあらじ、母は汝をうとむにあらじ。只(ただ)是(これ)天にして、汝が性のつたなき*を泣け。

(* 性のつたなき - うまれつきの不運)
-------------------------------------------------------

いまひとつ疑問がある。宗教画や彫刻はアートだろうか。そこに並べる限り、庶民の(かつての)慟哭が聞こえてくるだろうか。

2017年7月8日土曜日

イ・ソンヒの9月豪シドニー コンサートチケット発売

イ・ソンヒの昨年来のコンサート「The Great Concert」が、今年5月の米LAに続き、来る9月に豪州シドニーで開催される。その情報が(豪州版?)の「itap」(7/6)に掲載されていたので、あらためて、ユニークなシェル構造の外壁を持つ開催場所「オペラハウス」の(イ・ソンヒの)イベント案内を参照した。なお、チケット販売は、7月6日(木)午前10時に一般公開されている。

(本ブログ関連:”The Great Concert”)
(本ブログ関連:”LAコンサート”、”シドニー”)

開催案内
「数限りないヒットソングを持ち、全ての世代に愛される韓国の歌姫 イ・ソンヒがライブ『The Great Concert』とともにシドニーへ来る。」

開催日時
・2017年9月27日(水)、午後8時(2時間30分)

チケット料金(豪州ドル: 1ドル≒86.6円)
・VIP $249
・Gold $189
・Silver $139
・Bronze $99

大ホールの座席図(収容席数 2,679席)

2017年7月7日金曜日

ひまわりとミツバチ

夏を思わせる昼過ぎ、近所の「ひまわり畑」に寄る。腰丈ほどの小型のひまわりが畑を黄色に染めていた。郊外の宅地の間に残った農地ゆえ、映画「ひまわり」のシーンに見る圧倒的な光景とは違うのはいうまでもない。でも、畑地の横を通り過ぎる人びとは、しばし歩を休めて黄色の群生に目を向けていた。

(本ブログ関連:”ひまわり”)

考えてみれば、ひまわりの花弁の構造を正確に言いあてられない。太陽のプロミネンスのように外周に広がる花弁と、まさに核融合の連鎖を繰り広げるように中央に密集する花弁がある。外側の花弁を「舌状花」、内側の密集する花弁ひとつずつを「管状花」と呼ぶ・・・そうだ。

花弁の名称の違いは、行きずりの観察者にとっても、蜜をさがすものにとっても知らぬことだろう。でも、太陽の陽射しを受けて、花弁に食い入るものたちには共感がある。(一方的かもしれないが)そんな気にさせる。

ひまわり畑にみつばちが訪れていたのだ。彼らは、春先から花蜜を求めてせっせと働いていたに違いない。そんなみつばちの存在を忘れていたことに気付き、自然の営みに気付き、生命への畏怖というか、なぜか申し訳なく思う自分の存在にようやく気付いた。

画面をクリックするとみつばちが見えてきます

七夕 小暑 2017

昨日の帰宅道、母親の自転車に乗った子どもたちと随分すれ違った。母子が会話を楽しんでいる光景はいつもと変わらないが、なぜか子どもたちが小さな笹竹を大事そうに抱えていたのだ。

そうか、きょうは、「七夕」だ。昨日の母子は、星に向かってする願いごと(七夕の短冊)を話題にしていたのだろう。それに、二十四節気の「小暑」でもある。九州地方の豪雨災害を免れた当地は、梅雨とはいえ、本格的な暑さを経験している。今週土曜日までこの空模様が続くという。

(本ブログ関連:”七夕”、”小暑”)


突然だが、「老害」について語ってみたい。歳を十分重ねても地位に連綿するさまだ。過去の「成功体験」にこだわって、時代にそぐわぬ発言をする人物を思い浮かべるかもしれない。確かに大きな老害の一つだが、もう一つある。過去の失敗を履き違えて、幻想の城を築き篭城したものたちだ。まさに、その「虚城」から出撃を繰り返し、中には、海外に移住して、伝道師の如く舞い戻って来るものもいた。

若者たちが置かれる時代と運命を共にし、担うことができない存在と覚ったとき、舞台から退くべきだろう。そして、トタン屋根がぼろぼろに錆びて朽ち果てる前に、一線を去るべきだ。市井のひとびとは、自然にそれを受け入れて後進に譲ってきた。老害といわれるのは、そのチャンスを失ったことだ。発言するものにはそれを見極める責任がある。

「成功体験」を持ったことも、「虚城」に籠り続けたわけでもないけれど、ひとなみに老いを感じれば、老犬の毛並みがやつれているのに心痛めるように、老害についても気掛かりである。高齢化社会で、立ち位置を見誤ると、若者たちのあるべき場所、いや運命まで奪いかねない。

七夕の若い男女の願いを彼方から見守るように、時代への余裕が欲しいものだ。

2017年7月6日木曜日

始めの13歩 イディッシュ語

13日目。ここ連日、九州方面を襲った豪雨と比べて、関東の空は晴れ渡った。イディッシュ語教室の帰り道、例年の通り、小学校前の畑地に育った腰丈ほどの小さなヒマワリがいっせいに花を開いた。西陽を背にして、ヒマワリの黄色の花びらが濃く映えた。

・先生推奨の入門書(復習編):「レッスン1」(ייִדן אין אַלע לענדער)のExercise。実は、YIVOサイトに、Exerciseの解答が提示されているが、自分なり解答しようとすると実力が露呈する。(我がメッキ蒸着の何と薄いこと)

・先生がネットで見つけた、古いイディッシュ語の初級教科書「דער אָנהײבער」(The Beginner)から、母が子どもたちへ物語を聞かせる様子。(これから、ぐんぐんピッチが上がることが予想される)

・先生紹介のネット公開教材ソフト(YiddishPOP)の「レベル2-3」(?ראָבאָטן פֿליִען נישט)。音楽会へロボットと一緒に出かける。否定形(נישט:~ない)が、動詞の後に付くといった日本語風の表現(?)に驚く。

さらに、ユダヤ教の指導者ラビの資格や生活、それを取り巻く市民の宗教的規範など、外部の人間が素朴に持つ関心ごとについて解説いただく。

(本ブログ関連:”始めの ~歩 イディッシュ語”、”イディッシュ語”)

(音楽の宗教的な意味合いについては全く存じませんが・・・容赦を)

(Youtubeに登録のにThe Soul of Jewish Music感謝)

2017年7月5日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 水宮歌

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(6/28)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、パンソリの「 水宮歌(수궁가)」など関連する曲を紹介した。

始めに、パンソリ「水宮歌」と、三国統一の「金春秋(김춘추、武烈王)」について次のように紹介された。
・パンソリ「水宮歌」で、南海を治める竜王の病を治すため、ウサギの肝が必要となる。カメはウサギを探すよう命じられ、陸に上がってウサギを騙し王の元へ連れてくる。それに気づいたウサギが、今度は竜王を騙して命を救う話だ。単純な話に、色々な逸話が加わり4時間に渡る長い歌になる。ウサギのように嘘つくことで危機を脱する逸話がある。三国史記に登場する、高句麗、百済、新羅の三国統一の立役者「金春秋」の時代のこと、新羅の金春秋は高句麗に援助を求めたが、監獄に入れられ命まで危うくなる。嘘をついてでも脱出する話を知り、それに成功した金春秋は、新羅に戻って王となる。

▼ パンソリ「水宮歌」で「竜王が新しい建物を建てて宴会を開くが、無理をして病気になってしまう」という、「竜王が病気になる場面(용왕 득병하는 대목)」を聴く。漢字ばかり・・・で。

次に、パンソリ「水宮歌」の原形を釈迦の「本生経」の逸話に遡って次のように紹介された。
・泳げないウサギは、竜王と会うのにカメの背に乗って海中に入る。その様を寺の壁画などで見かける。嘘について、仏教では釈迦の逸話をまとめた「本生経」に記してある。ここではワニとサルが登場する。ワニとサルは友だが、ワニの妻がサルの肝を欲しがる。サルは釈迦であり、ワニの妻は釈迦と争った提婆達多にあたる。この話を原形に、ワニとサルが、ウサギとカメになり、歳月をかけ逸話も加わり、パンソリ「水宮歌」となる。ユネスコ文化遺産のひとつとなる。

▼ 子どもにも歌いやすくした「ウサギ ウサギ(토끼 토끼)」を聴く。ウサギが飛び跳ねるよう、今様に。

最後に、水宮歌にある絶えず襲う危機を、人生の姿にたとえて次のように説明された。
・水宮歌では、絶えず危機が訪れる。最初の危機は、世の中の権力を持つ竜王が病気で死にかかること。海に暮らすカメが王の命令で、命がけで陸に上がること。そして、ウサギを逃がしてしまったこと。ウサギにしても、カメに騙されて死にかかったこと。陸に戻る途中色々な危機に直面することなど、一時も安心できない。
・水宮歌の、絶えず襲う危機から乗り越える姿は、私たちの人生を教える話なのかもしれない・・・とのこと。

▼ 水宮歌をアレンジした、困り果てた意の「ナンカムハネ(난감하네)」を聴く。軽快に困っている、今様に。

2017年7月4日火曜日

悲しき街角

今が全てだ。過去なんてどうでもいい、未来は俺たちが作る。若者たちはみなそう思ってきた。これからもそうだろう。

そんな強気が懐かしい。でもその一歩手前の経験が、案外、重しになっているのかもしれない。イディッシュ語の古い教材の挿絵を見たとき、中学校時代に手にした英語教科書「Jack & Betty」(開隆堂出版発行)を思い出したのだ。
情報をいとも簡単に入手できる今と違って、豊で素晴らしい世界が想像だけでしかなかった当時、映画館のスクリーン上の総天然色映画や、白黒ブラウン管のテレビ番組で確めていた。教科書「Jack & Betty」は、学校教育の窮屈さを合わせ持ちながら、他方で向こうの世界へ続く通路でもあった。アメリカの臭いがした。

テレビは座敷に置かれていた。そして、家族みなで見た。だからホームドラマが主流だった。特にお気に入りは、「パパはなんでも知っている」だ。「Jack & Betty」が誘う先にある期待の家族像がそこにあった。理想の夫婦(外で働くしっかり者のパパと、家庭を守る優しいママ)であり、個性を重視した子どもたちによる ”アンダーソン” 一家がそこにあった。

ところで、アメリカに対して、焼け跡派の屈辱感といった感情より、取り入れたい文化の象徴、あこがれの対象だった。ラジオから流れるアメリカンポップスに耳を傾け、ビルボードやキャッシュボックスのランク情報を如何に知っているか競い合った。どっぷり漬かっていたのだ。(ビートルズ以前のこと。だから、ビートルズショックを広言するニセ受洗者にはなりたくないといった矜持をいまだに持っているつもりだ)

今日みたいに雨が降れば、EPレコードのタイトルに連なった「悲しき~」シリーズの、カスケーズの「悲しき雨音」(1963年)を思い出す。その頃の、アメリカンポップスがどんなものだったか、Youtube映像であらためて確めて見ると、同時代のデル・シャノンの「悲しき街角」(1961年)に驚く。(だからといって、過去を簡単に売り渡すほどおしゃべりじゃないつもりだ)


(Youtubeに登録のWhuntmoreに感謝)

2017年7月3日月曜日

リンゴ半分、今年後半のスタート

本来なら、切りのいい7月1日に書くべきだった。今年後半がスタートしたのだ。

一年をリンゴの実に例え、立て切りにすると、残り半分しかないのだ。片方から見れば、皮の付いた1個のままに見えるけれど、裏から見れば、白い断面だけしかない。まだまだ余裕のある振りはできなくなった。今日から確実に、果肉を晒すことになる。

今年前期の韓国語教室が今晩終了した。後期は10月からのはず。それまで3ヶ月間が問題。私のメモリーは元々揮発性のため、電源を落とすとすぐに空っぽになる危険がある。

それにしても、時の経過が早すぎる。年々、一年が短くなる。リンゴを食ったくせに、それを忘れたのかと自問する、反省する、そして落ち込む。

リンゴに結びつけるのも毎度だが、イ・ソンヒの作詞・作曲による、13集所収の「リンゴの木の下で(사과나무 아래서)」(2005年、編曲チェ・テワン)を聴いてみよう。
アルバムのタイトルが「四春期」、彼女が四十代になった意味も込めてのこと。リンゴの木の下の初恋とはちょっと違う味わいがある。そして、リンゴの木の下にはさまざまな記憶が残っているようだ。

(本ブログ関連:”リンゴの木の下で”)


(Youtubeに登録のwallace6813に感謝)

2017年7月2日日曜日

イディッシュ語の文字

先日(6/30)の「”YiddishPOP”と 夏休み『イデッシュ語入門講座』」の続きです。

A. イディッシュ語の「文字」を覚えましょう
YIVO研究所」の「イディッシュ アレフ-ベイズ 」と、「yiddish book center」の「イディッシュ語のアルファベットを学ぼう」が提供する、イディッシュ語使用の文字(アルファベット)、すなわち「ヘブライ文字」について見ましょう。

① 文字(アルファベット)の種類と発音(英単語の発音で対応)、対応するローマ字
・文字の「名前」も大事ですが、「発音」と「対応するローマ字」を覚えましょう。
   https://www.yivo.org/yiddish-alphabet

② 文字:「活字体」 >「筆記体」
・印刷物は「活字体」で表示されますが、講義などの板書では「筆記体」が使われます。
・「活字体」と「筆記体」を覚えるのは大変ですが、次のプリントを使って書写練習してみましょう。
   http://www.yiddishbookcenter.org/sites/default/files/downloads/cursive-alphabet-worksheet_0.pdf

以上の情報(①、②)ページを印刷して、書体の練習をしてみましょう。そして、次の夏休み「イデッシュ語入門講座」に参加して、イディッシュの言葉(単語)を書いてみる体験をしてみましょう。


B. 夏休み「イデッシュ語入門講座」
3日間で学ぶ、イデッシュ語入門講座です。(イデッシュ語には昔話、文学の長い伝統があり、ノーベル文学賞作家も輩出しています)
-------------------------------------------------------
・日時:8月29日(火)~31日(木)、10時00分~13時20分(休憩20分含む)
・場所:東京外国語大学 本郷サテライト
・講座内容や申込みについては、次の「案内」をご覧ください。
    ⇒ 夏期間「イディッシュ語」
-------------------------------------------------------

ここで一息、美しいイディッシュの旋律を聴いてみましょう。

昨年の夏休みの「イディッシュ語」入門講座で、先生が教えてくださった歌「Oyfn Pripetshik (On The Cooking Stove) 」です。(Google翻訳ツールを使いながら、Wikipediaの解説を参照してみましょう ⇒ 英語版イディッシュ語版 。 旧ロシア時代のユダヤ人の日常を描いたもので、19世紀末に広まった曲だそうです)
イディッシュの寺子屋といったらいいのでしょうか、暖かいストーブの傍らで、子どもたちに彼らの文字(ヘブライ文字)を学ぶ意味を、優しく、そしてしっかりと教えている光景が浮かんできます。


(Youtubeに登録のThe Soul of Jewish Musicに感謝)

2017年7月1日土曜日

「賽の河原地蔵和讃」

スーパーの商品棚は、幼い子どもにとって、高く平行に並ぶ、視線をさえぎる迷路の壁かもしれない。だから、こんな光景を目にする。親から離れたのはいいが、急に心配になって、「お母さん、どこ?」と呼びかける。すると、棚の向こうから、母親が「は~い」と応える。これがなんとも微笑ましい。子どもの心の中で、母親との距離はどうなっているのか想像し、きっと一時も離れられない距離なんだろうと合点する。

子どもが親の手をほどいて離れるのはいつ頃か、親の手前を走っては振り返り確認するのはいつまでか考えるだけでも楽しい。わが子の経験で、それがいつだったか、すっかり忘れているからこそ、懐かしく気になる。

ところで、我が子に対する親の慈しみについて何度か触れたことに、40万年前から2万年前まで存在したネアンデルタール人が幼くして亡くした子を「埋葬」したと思われる跡がある。その証拠に、何かにくるまれたらしい子の周りから花粉が発見されている。宗教以前の、共感できる素朴な感情の発露だ。美しい花に囲んで送り出したいという想いの痕跡だろう。子を亡くした親の悲しみはいかばかり、忘れないために墓はそのように作られたに違いない。

幼くして死んだ子どもたちが、「一つ積んでは父のため、二つ積んでは母のため・・・」と石積みをうたう「地蔵和讃」がある。賽の河原で石を積みあげては、鬼にそれを崩されて、また繰り返す。この「和讃」は、幼子があの世との境で、哀れに苦しんでいるのではないかと嘆く親の悲しみを癒し、救いを与えるもののようだ。不思議なことに、仏教界で正式なものでなく、むしろ民間信仰に近い要素を持つという。

「地蔵和讃」はバリエーションが多様で、ここでは「国立国会図書館」収蔵のデジタル古書「西院河原地蔵和讃」(1884年《明17年9月》、出版社:別宮又四郎(出版地:石川県小松町))で見ることにする。 庶民が手にした15cmの小さな和装古書だ。


「サイノカワラヂゾウワサン」(「賽の河原の地蔵和讃」)
-----------------------------------------------------------------
コレハコノヨノコトナラズ。シデノヤマジノスソノナル、サイノカワラノモノガタリ。
キクニツケテモアワレナリ。二ツヤ三ツヤ四ツ五ツ。十ニモタラヌミドリ子ガ、サイノカワラニアツマリテチヽコヒシハヽコヒシ。コヒシコヒシトナクコエハコノヨノコエトハコトカワリ、カナシサホネミヲトオスナリカミノミドリコノシヨサトシテ、カハラノイシヲトリアツメ、コレニテエカフノトウヲクム。一ジウクンデハチヽノタメ、ニジュウクンデハハヽノタメ、三ジュウクンデハ フルサトノ、・・・
-----------------------------------------------------------------


昔、貧しい時代の庶民が理解できたカタカナ文字による「賽の河原の地蔵和讃」は、ご詠歌のように詠まれたのだろう。現代人には読み続けるのが辛い。そこで、仏教雑誌「大法輪」(2016年7月号)掲載の「特集 仏教と世界の《地獄事典》」の中から、「『賽の河原地蔵和讃』現代語訳と解説」(花岡博芳 熊谷市・松岩寺住職)に紹介された漢字混じり文を少々長いが転載させていただく。
-----------------------------------------------------------------
これはこの世のことならず
死出(しで)の山路の裾野なる
さいの河原の物語
聞くにつけても哀れなり
二つや三つや四つ五つ
十にも足らぬおさなごが
父恋し母恋し
恋し恋しと泣く声は
この世の声とは事変わり
悲しさ骨身を通すなり

かのみどりごの所作として
河原の石をとり集め
これにて回向(えこう)の塔を組む
一重(いちじゅう)組んでは父のため
二重組んでは母のため
三重組んではふるさとの
兄弟我身と回向して
昼は独りで遊べども
日も入り相いのその頃は
地獄の鬼が現れて
やれ汝らは何をする

娑婆(しゃば)に残りし父母(ちちはは)は
追善供養の勤めなく
(ただ明け暮れの嘆きには)
(酷(こく)や可哀(かあい)や不憫(ふびん)やと)
親の嘆きは汝らの
苦患(くげん)を受くる種となる
我を恨むる事なかれと
くろがねの棒をのべ
積みたる塔を押し崩す

その時能化(のうけ)の地蔵尊
ゆるぎ出させたまいつつ
汝ら命短くて
冥土(めいど)の旅に来るなり
娑婆と冥土はほど遠し
我を冥土の父母と
思うて明け暮れ頼めよと
幼き者を御衣(おころも)の
もすその内にかき入れて
哀れみたまうぞ有難き
いまだ歩まぬみどりごを
錫杖(しゃくじょう)の柄(え)に取り付かせ
忍辱(にんにく)慈悲の御肌(みはだ)へに
いだきかかえなでさすり
哀れみたまうぞ有難き
南無延命地蔵大菩薩
-----------------------------------------------------------------

解説によると、お地蔵様は、「『あの世』の入り口で、行き先をしめす神」である「道祖神」の化身でもあり、特別の意味を持つ。「賽の河原の地蔵和讃」は、今も心奥深く流れるものを浮きあがらせ、それを遡上する誘惑にかられる。私たちの心情は、その水脈を通じて古としっかりと結びついている。

辻角に見るお地蔵様は、呼べば応えてくれる存在だ。幼子がふと気付いて母親を確認するように、宗教的な環境と離れて、日常、暖かく見守ってくれる存在だ。日本人の琴線でもある。

2017年6月30日金曜日

”YiddishPOP” と 夏休み「イデッシュ語入門講座」

A. イディッシュ語教材ソフト ”YiddishPOP” 
イディッシュ語教室で使用している、先生紹介のネット公開教材ソフト ”YiddishPOP” (今のところPC専用だそうです)をご覧ください。女の子の「ノミ」とロボットの「モビ」を話題の中心にして、イディッシュ語学習を進めることができます。

(本ブログ関連:”始めの ~歩 イディッシュ語”、”イディッシュ語”)

① 先生のブログに、 ”YiddishPOP” の紹介記事があります。
② 下の Youtube で、”YiddishPOP”の Quick Tour を速見できます。
③ ”YiddishPOP” のソフトをいじっていただくと、なんとなく構成が見えてきます。
    (注)Versionが変わり次の操作と違う場合があります!
   ⇒ まずは、”Level1" のボタンをクリックしてみてください。
   ⇒ 動画の下のボタンで進行・停止・逆戻しできます。CCボタンでシナリオ表示します。
④ ちなみに、テキスト教材があり、英語(お勧め)/イディッシュ語を選択できます。

なんとなく見えて(雰囲気 ⇒ ドイツ語風+ヘブライ文字[活字体&筆記体])きたら、次に体験してみましょう。8月末に「イデッシュ語入門講座」があります。


B. 夏休み「イデッシュ語入門講座」
3日間で学ぶ、イデッシュ語入門講座です。(ノーベル文学賞の背景にもなった言語で、昔話など深い伝統があります)
-------------------------------------------------------
・日時:8月29日(火)~31日(木)、10時00分~13時20分(休憩20分含む)
・場所:東京外国語大学 本郷サテライト
・講座内容や申込みについては、次の「案内」をご覧ください。
    ⇒ 夏期間「イディッシュ語」
-------------------------------------------------------

(このQuick Tourでは、”YiddishPOP”の《雰囲気》だけ!とりあえずご覧ください)

砂場遊び

地元の公園に体育館があって、建物の横に幼児向けの小さな広場がある。一人乗りの揺れる遊具がいくつも置いてある。子どもたちはそれが大好きで歓声が絶えない。順番待ちのためか、砂場にも子どもたちがあふれている。いずれにしろ。遊具や砂場の廻りを母親たちが囲んで見守っている。なんとも幸せな光景だ。

そんな子ども広場を遠目にしながら、自分の子どものころを思い出してみた。幼稚園前のころ、砂場で遊んだことがあった。親に見守られながら遊ぶなんて時代じゃない。だから、目いっぱい遊んだ。そして、原っぱ端で母の呼ぶ声がしたら、砂をはたいて家に帰った。そんな充実した日々を送ったことになる。

砂場遊びの定番は砂山作りだ。できあがった山肌に小さな溝の筋をつけて、どこからか運んできたバケツの水を流すのだ。始めは砂山が水を吸ってしまい変化がない。バケツリレーを繰り返すうち、川筋ができ、次第に山崩れしていく。それが楽しみで、毎日繰り返した。

砂場に動物の糞尿があった記憶がない。当時、そんなことが話題になることもなく、衛生なんて気にもしないで、砂場がバケツで水浸しになり、灰色にびしょびしょになるまで遊んだ。それだけのことをしでかしたのに、服が汚れたという記憶がないのだ。砂場の水遊びは、子どもにとって無敵な遊びだったのかもしれない。母親がどう思っていたのか知るよしもない。

2017年6月29日木曜日

始めの12歩 イディッシュ語

12日目。一度学んだからといって覚えるわけではない・・・というのは素人おじさんのいいぶん。だから、沁み入るように覚えられるひとが羨ましい。今回から、メインテキスト(入門書)について復習が始まった。後ろから押していただくことに感謝。先を行く仲間に深謝。

(本ブログ関連:”始めの ~歩 イディッシュ語”、”イディッシュ語”)

・先生推奨の入門書の復習:「レッスン1」(ייִדן אין אַלע לענדער)について、先生手作りの  ① 本文中の単語(主に動詞)の読解と穴埋め、② 「文法」解説中の 1)冠詞と名詞の性、2)語順の解説中の単語の穴埋め。次回から、テキスト掲載の Exercise も手がけることになった!

・先生がネットで見つけた、古いイディッシュ語の初級教科書「דער אָנהײבער」(The Beginner)から、ユダヤ人家庭の日曜日に、祖父母の来訪と孫の喜び、台所の母の調理の手伝いと父の帰宅と食事。

ここで一息、美しいイディッシュの旋律を聴いてみる。


(Youtubeに登録のThe Soul of Jewish Musicに感謝)

2017年6月28日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 兜率歌

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(6/21)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、郷歌(향가)の「 兜率歌(도솔가)」など関連する曲を紹介した。

始めに、新羅の「景徳(경덕)王」のころ、僧侶「月明師(월명사)」作の「兜率歌」について次のように紹介された。
・新羅中代の第35代「景徳王」のある日、二つの太陽が昇り十日間沈まなかった、天文の官吏に、解決策を尋ねたところ、僧侶を招き儀式を行うよう答えた。呼ばれた僧侶「月明師」が歌いながら儀式を行なったところ、太陽はひとつに戻った。月明師が歌った「兜率歌」は、新羅の「郷歌」の形式だが、高麗時代に記された歌詞だけが伝わる。
・太陽は、全ての命の源。昔も太陽は大切な存在と知られ、多くの民族が太陽を信仰した。太陽が急に二つになれば驚いたことだろう。空を頼りの農作業で生計を営む人々にとって、災いに思えたはず。中国の昔の神話だが、十の太陽が昇った話もある。自然現象に、大気中の氷の粒に太陽光が反射して、複数に見えることがあるという。

▼ 「兜率歌」の歌詞をもとに、新作の曲「兜率歌」を聴く。あぁアリア、情熱的に今様に。

次に、日長の「夏至」、雨天の「梅雨」、乾期の「干ばつ」を通じ、豊穣の祈りについて次のように紹介された。
・今日(6/21)は、二十四節気中、一番日が長い日といわれる「夏至」だ。韓国では梅雨と干ばつの時期であり、麦の収穫や田植えに忙しい時期でもある。今は農作業も相当機械化され、手仕事が少なくなった。とはいえ農村では、秋の豊作を期待して、日照りの中でも汗を流すだろう。昼が最も長ければ、逆に、これから夜が長くなる。時が経つのは早い。しばらくすると季節が移り一年が終わる。

▼ パンソリ「春香歌(춘향가)」から、「農夫歌(농부가)」を聴く。別天地で聞くように今様に。

最後に、瞬く間に過ぎ去る歳月を嘆く「短歌(단가)」について次のように紹介された。
・韓国の「短歌」(パンソリの前に喉慣らしに歌う)には、瞬く間に過ぎ去る歳月を嘆く歌があるが、それだけでなくて、時が経つのは早い、若い内に懸命に働こう、そして思う存分に楽しもうといった内容が多いようだ。ところで、今年も既に半分経過したが、まだ半分残っていると考えれば、年初に計画したことを成し遂げられるだろう。

▼ 春夏秋冬を描写し、人生の空しさを歌った短歌「四季歌(사철가)」を聴く。こちらは正調で納得。

2017年6月27日火曜日

(雑談)素人について

素人について考える。つまり、そんな生き方をしている自身についてだが・・・。
・素人は、実行するのに責任はない。
・素人は、やる気だけあれば十分である。
・素人は、永遠に素人でいられる(やめても素人なのだから)。

専門家(プロ)がテレビなどで語ったこと、あるいは振る舞いを見て感じたこと。
・あるレストランオーナーが言った。素人でも美味い料理は作れる。プロは、それ以上のものを同時に大量に作る。
・ある画商が言った。素人は細部に目が向いてしまい、何を省略したらいいかといった全体にまで気が廻らない。
・ある作家が、急場にもかかわらず、すばらしいできばえのものを書きあげた。時間軸を同時に複数本持っているようだ。

研究者が他の研究者について、厳しく語ったことがある。
・(文系で)彼は研究対象に深く入るのではなく、結局は自分を語っている。
・(理系で)彼はウォーキング・ディクショナリーだ。(専門性がない)

こうなると、何もできなくても、とがめられることのない素人は身軽で気楽である。そして、素人は永遠に素人である。

2017年6月26日月曜日

「江辺歌謡祭」の企画者

1984年、イ・ソンヒが歌謡界にデビューするきっかけを作ったのが、MBC主催 第5回「江辺歌謡祭(강변가요제)」だった。イ・ソンヒが仁川専門大学一年のとき、同大の音楽サークル「4幕5場」からデユエットとして参加して、大賞受賞した。そのとき歌ったのが、彼女の代表曲でもある「Jへ」だ。この曲は、彼女が高校時代に通った音楽室で、偶然巡り合わせたことにより、自分の歌にした不思議な経緯がある。
京郷新聞19840731
(本ブログ関連:”江辺歌謡祭”)

この音楽祭について、「大学音楽祭」との比較もあり、競争的関係でもあったといわれる。大学生の音楽祭に対して、広い意味での新人歌手の登竜門として「江辺歌謡祭」は知られたようだ。

この「江辺歌謡祭」を企画したのが、MBCのプロデューサー、パク・ウォンウン氏だったという。先日の6/24に、同氏が亡くなったとネットに報じられた。享年77とのこと。

ハンギョレ紙の記事「『第1世代ポップソングDJ』パク・ウォンウン氏死去」(6/25)は、「7080世代の新人歌手の登竜門としては、イ・ソンヒ、イ・サンウンなどを誕生させた『江辺歌謡祭』も、彼の企画として知られている。」と記している。

2017年6月25日日曜日

イ・ソンヒ 90年代の「韓国の伝説的な歌手」第4弾

日本の掲示板サイトに「2ch」があって、それと同一レイヤーにあたる韓国版のものに「ガセンギ・ドットコム」があるそうだ。このガセンギに、(2011年頃のものだが)「90年代の韓国の伝説的な歌手」があり、歌手ひとり(グループ)ずつについて意見が掲示されている。

第1弾、歌手のキム・ゴンモの「間違った出会い」(김건모  '잘못된만남' )
第2弾、グループのソテジワアイドゥルの「僕は知っている」(서태지와 아이들  '난 알아요' )
第3弾、歌手のチョー・ヨンピル
第4弾、歌手のイ・ソンヒ

そこで、第4弾のイ・ソンヒ編をちらり見した。海外からの投稿もあるようだ。後半に、韓国の(多分)若者のコメントも列記されている。内容は礼賛で、兵役時代の懐かしい思い出もあるが、ライブ感覚というより、自分たち親世代の歌といった認識のようだ。

中に、イ・ソンヒを美空ひばりに重ねるものもある。その投稿、それなりの年配者によるものか、それとも韓国向けだからそうしたのか。世界の料理にそれぞれ国柄があり、つきつめれば郷土の味にいたる。イ・ソンヒは、韓国に在ってこそ普遍性を持つわけで・・・。まぁ、そんなことより、おおぜいの庶民による反応を直接知るいい機会、一見の価値あり。

ヘルムの町の穴掘り

いわれることに囚人を精神的に追いつめる穴掘り作業がある。掘り出した土を元の穴に埋め戻すという作業を繰り返させる。意味の無い、実りの無い作業の強要は、囚人の人間性を奪うわけで、その残酷さは容易に想像がつく。本当にそんなことを課していたか知らないけれど、物語の一場面なら象徴的で分かりやすい。

穴掘りを、悪意ではなく正当な作業と信じたらどうなるだろう。はたから見れば、当然おかしなことに違いない。そう、ヘルムの町の住人が、それをやってくれるのだ。
今回は「民話の本」シリーズの「ユダヤの民話」(ピンハス・サデー著、秦剛平訳、青土社)に所収の「ヘルムの賢者たち」だ。ここには他に3つの話題もある。(一昨日(6/23)記した、「イディッシュの民話」は同シリーズのもので訳者も同じだ)

(本ブログ関連:”ヘルム”)

-----------------------------------------------
その知恵で知られていたヘルムの住民たちが自分たちの町をつくることにしたとき、彼らはまず基礎を掘りはじめた。突然、彼らのひとりが叫んだ。「兄弟諸君! われわれはここで掘って掘って掘りまくっているが、この土の山はどうするつもりなのだ?」そこでヘルムの賢者たちは頭をひねったあげくに宣言した。「われわれは次のような手順を踏む。まず大きな穴を掘り、そこにこの土山を崩して埋める。」
「だがその穴を掘ってできた土山はどうするんだ?」と執拗に質問する者がいた。
ヘルムの賢者たちは考え続けたあげくに言った。「われわれはもうひとつ穴を掘り、その中に最初の穴から出た土を埋める。」
-----------------------------------------------

「賢者たち」として登場するひとびとは、町(村)のルールを定める決裁者であり、「長老たち」と記す読み物(童話)もある・・・、翻訳上の選択なのか分からないけれど。今回も一種の「いれこ構造」といったおかしさがある。とぼけた感じがたまらない。

2017年6月24日土曜日

独りで見た映画

初めて独りで見た映画は、今はなき「アートシアター新宿文化」(ATG)で上映された、ソ連映画「僕の村は戦場だった(Иваново детство)」(アンドレイ・タルコフスキー監督、日本公開1963年8月)だった。ちょっと独りなりたい気分のころのこと、とはいえタイトルにひかれて行ったのが本当だろう。

(本ブログ関連:”僕の村は戦場だった”)

当時の私は、主人公の想いや運命を解釈できる余裕に乏しかったが、主人公の行動を理解するのに難しさはなかった。素朴な共感だからこそ、分かったことながら結末が本当に辛かった。もちろん映像表現に感動もした。白樺の林、デューラーの版画「メランコリー」図の配置、井戸底の水面の輝き、水辺の情景など印象深い場面が記憶に残っている。

主人公イワンは、それでも私より歳下の少年ながら、独ソ戦の戦地を潜り抜けるように斥候として働く少年兵だ。そして孤児である。恐怖を現実として捉えるに十分でなかったのかもしれない。大人は彼を利用する。少年の純粋さを感じとり、彼を思いやる若き将校は親身に気遣うが、少年は戦場の偵察におもむく。

イワンの思い出にも家族がある。そんな少年が少年のまま人生を終わってしまう展開を、私は本当に理解しただろうか。誰ででもあるイワンが、もし生き延びていたら、過去も変わっていたかもしれない。

死者は語らない。生きた者だけが過去を語る。語る言葉は、時間と共に純化する。そして、届く距離もその純化に加担する。

(フル動画)⇒ 画面の ▶ をクリック後画面表示される「Youtubeで見る」のリンク先で視聴可能。

(Youtubeに登録のМосфильмに感謝)

その後、大学生になると問題意識を持とうとするものだ。黙って決意したかのように見たのが、イタリア映画「アルジェの戦い(La battaglia di Algeri)」(日本公開1967年2月)だった。表面的な理解でしかなかったかもしれないが、当時、フランスの退役軍人による軍事組織「OAS」は秘密でもなく、その名のまま独立戦争に対する鎮圧の先兵の役割を果たしていたし、そのように新聞報道されていたと思う。ドキュメントタッチの映画には、OASとの戦いのなか、投降を拒んだアルジェリアの若者たちが登場する。

(本ブログ関連:”アルジェの戦い”)

その後、OASは歴史の影に追いやられる(映画「ジャッカルの日」へと続く。また、映画「シェルブールの雨傘」の背景にもなったようだ)。今も、軍事的な制圧に対抗するテロといった構図は変わらない。

(予告編)⇒ フル動画は、Youtube「zesio」登録

(Youtubeに登録のSalem Zemaliに感謝)

2017年6月23日金曜日

ヘルムの町の日時計

短ければ短いほど切れ味がいいのが小話だ。「イディッシュの民話」(ベアトリス・ヴァインライヒ著、秦剛平訳、青土社)に、例によっておバカな村(町)「ヘルム」の人々がしでかしたおもしろ小話がある。
-------------------------------------
ヘルムの町の人たちが日時計をつくったことがある。ところが、大雨に襲われて、びしょびしょに濡れてしまった。そのため彼らは、濡れないようにその上に屋根を作った。
-------------------------------------

(本ブログ関連:”ヘルム”)

粗忽さ、迂闊さには笑える。うっかりやりそうなミス、真剣に考えたつもりでやってしまうミス、頓珍漢さだ。思いつくまま挙げればこんなことだろうか。
・機械不要な発明といって、日時計製の腕時計を作る。
・白夜の反対の極夜がある地に太陽光発電装置を置く。
・氷の彫刻が汚れたからといって、風呂に入れる。

2017年6月22日木曜日

始めの11歩 イディッシュ語

11日目。山あり谷ありだったが、先行きが明るんだようだ。先生のご配慮に感謝。気後れせず、今まで通り怠らず・・・真摯に謙虚に前向きに頑張っていこう。おじさんもついていくよ。

(本ブログ関連:”始めの ~歩 イディッシュ語”、”イディッシュ語”)

・先生推奨の入門書の「レッスン8」(ייִדן אין געטאָ)を輪読: 先週に続き、第2次大戦下、ゲットー居住のユダヤ人の困窮と疲弊、そして抵抗について。ちょっと刺激的だが、イディッシュ語で読む意義がありそう。(ポーランドのひとびとのワルシャワ蜂起も話題にしつつ)

・先生紹介のネット公開教材ソフトの「レベル2-2」(איך טו מײַן הײמאַרבעט)。動詞の人称変化(単数)。主に規則変化について、不規則変化も。(冠詞+名詞は頑張って覚えよう)

・先生がネットで見つけた、古いイディッシュ語の初級教科書「דער אָנהײבער」(The Beginner)から、ユダヤ人家族の、子どもたちの「ままごと」と、それをやさしく見守る両親の眼差し。

2017年6月21日水曜日

夏至 2017

朝から雨が続く。ときに激しく、風も吹く。それなのに、今日は日長が長い「夏至」だというのに・・・。そんなわけで、夏至も気にすることもなく一日過ごす。・・・それが、夕方には雲間に青空が覗くほどに、路面もすっかり乾くほど回復した

(本ブログ関連:”夏至”)

昨夜 豊後水道の地震

今日に日付が変わろうとした昨晩遅く、午後11時27分ごろ、大分県佐伯市で震度5強の地震が発生した。日本経済新聞の記事「大分で震度5強 M5.0、津波の心配なし」(6/21)は下記の如く報じている。(抜粋)

先月来地割れで避難勧告が出ている「大野市」と、今回、震度5を観測した大分県「佐伯市」とは隣接しており、因果関係が気になる。震源の「豊後水道」(北緯32.9度、東経132.1度)をはさんで、愛媛県側に「伊方原発」があって、これも心配の種だ。

-----------------------------------------
・20日午後11時27分ごろ、大分県「佐伯市」で震度5強を観測する地震があった。気象庁によると、震源は豊後水道で、震源の深さは約40キロ。地震の規模はマグニチュード(M)5.0と推定される。・・・

・四国電力によると、愛媛県の「伊方原発」では異常は確認されていない。九州電力によると、鹿児島県薩摩川内市の「川内原発」と佐賀県玄海町の「玄海原発」にも異常はないという。

・大分県豊後「大野市」では5月中旬、多数の地割れが見つかり、市が一部地域を災害対策基本法に基づく警戒区域に指定。立ち入りを原則禁止し、避難勧告を出した。同市の担当者は「地割れの変化などは確認されていない」としている。
-----------------------------------------

KBS WORLD「国楽の世界へ」楽器「太平簫」

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(6/14)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、管楽器「太平簫(태평소)」に関する曲を紹介した。

始めに、王や軍隊の移動時に演奏する曲「大吹打(대취타)」について次のように紹介された。
・王のお越しや、軍隊が行進する時に演奏した曲に「大吹打」がある。曲名にある「吹打」は、吹く・叩くの意があり、口で吹く管楽器と、細長いもので叩く打楽器の演奏を指す。行進に、弦楽器のカヤグムやコムンゴを演奏するのは難しく、移動に便利な管楽器と打楽器が主に使われた。「吹打」をそのまま曲名にしたものがある中で、「大吹打」は代表曲を意味する。

▼ 「法螺貝製の楽器『螺角(나각)』と、リズム主体の楽器『太平簫』」で曲「大吹打」を聴く。睥睨するよう響く。

次に、楽器「太平簫」の構造と、農村での演奏曲「ヌンゲ(능게)」について次のように紹介された。
・韓国伝統の管楽器は、ほとんど竹製であるが、「太平簫」は固いナツメやヤナギの木で胴を作り、多年草の葦を薄く削ったダブルリードを吹口にはさんで音を出す。先端に金属ラッパを持ち音が遠く広がるようにする。音量が最も大きい管楽器のため、主に屋外で演奏する。宮廷の演奏曲で、強大な感じを与える。楽器名にある「太平」は、「天下太平」から取っている。農村で演奏するときも、重要な役割を果たす。中でも、「ヌンゲ(능게)」は、代表的な太平簫の演奏曲だ。

▼ (曲名の意が明らかでないが)「ヌンゲ」の演奏を聴く。明るく楽しく騒がしく・・・。

最後に、太平簫の起源と、その響きに安寧の祈りに通じるものがあるのではと次のように紹介された。
・西域(ササン朝ペルシア)で作られ、シルクロードを通じて、高麗時代末にモンゴルから伝来したという太平簫は、日本で「嗩吶(チャルメラ)」、中国で「嗩吶(Suǒnà)」と呼ぶ。(トルコの管楽器「ズルナ」が思い浮かぶ)
・インドの葬儀に、太平簫に似た楽器を演奏することがあるという。いずこも楽器の役割は似ているようで、この世の暮らしを終えてあの世に行く人に、その旅立ちが平和であるように祈る心が込められているのだろう、とのこと。

▼ 太平簫の演奏「あなたが踊るので私も踊る(너가 춤을 추니 나도 춤을 춘다)」を聴く。愉快に楽しく今様に・・・。

2017年6月20日火曜日

日めくりカレンダー

「日めくりカレンダー」を、一枚一枚はがすたび、最近揺れるようになった。そういえば、半分近く減って軽みが増したようだ。時があっという間に過ぎたようだ。

時は刻々と進み、後ろから押すような感じがする。時間のカウントが引き算に変わった。子どものころ、早く大人になりたいなんて思ったりしたのに、それが今では引き算となり、計算結果がどんどん小さくなっている。

ところで、海外の「ひめくりカレンダー」にはどんなものがあるかと探せばいろいろある。イディッシュ版がないかとネット検索したら、「イディッシュフレーズ」という「ひめくりカレンダー」があった。

サンプル表示された1月5日(木)のフレーズを見て笑った、「どこの村にもアホがいる」。イディッシュの民話には長老がみな間抜けな村もあったりして、笑いに事欠かない。笑いの楽しさは、その笑いが置かれた時代、環境、ひとびとの感覚に思いいたることでもある。時代を経た笑いは人生の価値まで教えてくれる。

(本部ブログ関連:”おバカな村”、”「イディッシュの民話」”)

ちなみに、わがPCデスクにぶら下がっているひめくりカンレンダーの今日は、「善悪の報いは影の形に従うが如し」。報いは付いてまわる、逃れることができない・・・、ああ、それよりもっと笑いを。

2017年6月19日月曜日

プリンの味見

今晩韓国語の教室で、先生が「プリン」菓子のことで、コンビの棚に並んだものではないだろうけれど、初めて日本に来たときに食べたプリンが美味しかったといわれた。若い女性のこと、パティシエがいるような洒落た洋菓子屋で食べたんだろうな・・・と、想像しつつ、思いのほか涼しい帰り道、コンビニに寄って「プリン」を数種類買った。久し振りのプリン、味比べしようというわけだ。

サイズ別に、「濃厚 卵のカスタードプリン」(森永乳業) < 「クリームのせ ジャージー牛乳 プリン」(OHAYO) < 「明治 ザ プリン くちどけプレミアム」(製造 バンビー食品)の3品。一気に全部食ってしまったら、みな同じ味になってしまった。分かったのは量の違いだけ。私は何か間違えたようだ。「プリン」オタクになれない。

ところで、3品ともネーミングに「プリン」が入っている。近頃、「プデイング」という名称も聞くが、コンビニの菓子はみな「プリン」を守っているようだ。そもそも、プリンとプディングはどう違うのだろうか。
ちなみに、核酸のDNAといえばATCGの4種の塩基で構成されていて、そのAとGの骨格を作っているのが「プリン」塩基で、痛風にもつながっているようで・・・おいおい、全然違うよ。菓子の「プディング」の「カスタードプディング」を「プリン」というそうだが、それ以上分からない。

「プリン」は、子どものころ、お袋が作ってくれた味でもある。材料の少ない昔のこと、それでもそのときの味が今も残っている。(木枠の、氷塊を入れて冷やす旧い冷蔵庫の中で、プリンが固まるのを待ったような・・・) それに、いろんな形にできあがった「シュークリーム」も作ってくれたな。そのとき以上の菓子に出会ったことはない。

2017年6月18日日曜日

イ・ソンヒ 「父は妻帯僧でした」

今日は父の日。このブログでは、イ・ソンヒの父と家族について、父と母、祖父の生き方、父の仕事、そしてイ・ソンヒの政界進出時の父との関係などさまざまな情報を記してきた。

(本ブログ関連:”イ・ソンヒと父”)

イ・ソンヒの音楽的才能は、祖父譲りのおおらかさと、父の音楽的素養と躾、さらに母の慈愛があって開花したのだろう。その父が、仏教音楽「梵唄」の指導者と知って確信を深めた。彼女の高音とパワフルな声に、そんな背景があったに違いない。彼女の自伝的な「スター・ストーリー」を読めば納得できるだろう。

しかしながら、イ・ソンヒに才能を与えた父が仏教と深い関係があることに葛藤があったのも事実のようだ。仏教における僧侶の妻帯問題だ。この点についてもいろいろと記してきた。
(2014年4月7日午後放送されたSBS「ヒーリング・キャンプ」で、彼女は音楽仲間のとの語らいの中で、この事実を吐露する場面があった。そのとき、歌手仲間たちは初めて知ったといった顔を見せた。本人の口から直接聞かない限り、ネット上で、あるいは書籍で既知であっても、そういった対応をせざる得ないものだ)

(本ブログ関連:”韓国仏教”、”妻帯僧(韓国では帯妻僧)”)

韓国仏教の中で特異な存在と見られる帯妻僧について、Ko-Wikipediaに次のような解説がある。(参照記事:「韓国仏教の歴史」と「帯妻僧」)
-------------------------------------------------------
韓国では、既婚僧侶を可能にする《帯妻僧》の伝統がなかったが、朝鮮後期の《抑仏政策》の中で、寺院の生活を管理(寺院の運営実務を担当)する僧侶を、(参禅・看経・念仏をはじめとする修道に従う)修行僧の『이판승(理判僧)』に対応して、『사판승(事判僧)』と呼んだことから結婚した僧侶という概念が生まれた。
-------------------------------------------------------

ここで着目するのは、仏教弾圧下の李氏朝鮮時代に遡って、「事判僧」という存在である。韓国仏教について素人なため、事判僧が当時どのような生活をしていたか知らなかったところ、「事判僧」に当ると思われる、戦前・戦後を経験したある無名の僧侶に光をあてたケーススタディがある。「さまよえる『鬼神』一 日本の植民地支配と『近代化』」(岡田活樹 神戸大学国際文化学部助教授、「人類学研究所通信」13・14号、2006年3月)は、いわゆる戦前の朝鮮(韓国)での仏教統治の「寺刹令」、および戦後に持ち越された「帯妻僧」の存在について淡々と多様に事例を紹介している。

実は、帯妻僧問題は、その起源が上記の事判僧の存在にあるように思われるのだが、日韓の特別な課題につながりかねない《微妙な問題を含んでいる》 と思われる。

2017年6月17日土曜日

イ・ソンヒの歌う「麦畑」

KBSの国際放送「KBS WORLD」が放送する「国楽の世界へ」を毎週楽しく聴取している。といっても、短波でも中波でもなく、もっぱらネットを通じてだ。「国楽」というと重々しく聞こえるが、内容は豊富で、かつての支配階級の宮廷音楽や教養人の雅趣に富んだ風流音楽、日々たくましい庶民の歌(民謡、祝い歌や労働の歌)、庶民の娯楽であった物語りのパンソリ、更には宗教に関わる仏教音楽(梵唄)や土着的な巫俗音楽まで。そのうえ、ネイティブの録音版から、いまどきの音楽家によるモダンにアレンジした演奏まである。一週間に一度、ある意味直截的に理解できるよい機会でもある。
(解説紹介のキム・ボエさんの優しい語り口が素晴らしい)

国楽について、いつも気になることがある。物語りのパンソリを、市民が果たして聴き取れているのかということだ。実は、漢語の羅列といっていいほど満ちている。東洋文庫の「パンソリ」を参照すれば分かることだが、大筋は大衆的物語りをベースにしているのだろうが、採録者の教養と自負がなせるせいか極めて晦渋で衒学的なのだ。
歌舞伎の演目の場合、通しというより、代表的な幕を選んで観劇することが多い。パンソリも、そんな鑑賞スタイル(大衆受けする場を聞く)かもしれない。聞くところによると、若い人にパンソリの浸透は低いというが・・・。

上記番組で「麦刈りや脱穀に関する曲」の紹介があったのを、一昨昨日(6/14)のブログに記した。麦は、水はけの整わぬ土地柄でも収穫できる貴重な食べ物だ。わたしの地元も、江戸時代に開発された武蔵野新田の歴史がある。以前、郷土の「麦打ち歌」について図書館で調べてみたことがある。旧い村ごとに違っていて、意外に多様なのに驚いた。とはいえ、いくつかのバージョンに、若い男が娘を探すような味付けがされているのを見てニヤッとしたものだ。民謡はこうでなくちゃ。

(本ブログ関連:”麦打ち ”)

ところで、韓国大衆に愛されている愛唱歌に「麦畑(보리밭)」(1952年、作詞パク・ファモク、作曲ユン・ヨンハ)がある。イ・ソンヒも随分と格調高く歌っている。この曲を、韓国のクラシック歌手たちも歌っているのをYoutubeで多数見る。ベルカント唱法というのか、聴いているうちに重くなってしまう。イ・ソンヒの場合は、大衆歌手だから素直に聞き入ってしまう。それに、Youtube映像の、彼女のつけまつげが、かわゆくてしょうがないのだ。


麦畑(むぎばた) 間道(あいだみち)、通り抜ければ
誰かが呼ぶ  声がして
私を止める
昔の想いが  寂しくて
口笛吹けば
きれいな歌、耳元に  聞こえてくる
振り返れば、誰れも  見えなくて
夕焼けの  空だけが
目に満ちる

(Youtubeに登録のjenny.kimに感謝)

2017年6月16日金曜日

電信の応用

科学が発展するのに、ひとりの天才が突然現れて世界を一変させる・・・なんてことを、子どものころ偉人伝を読んですっかり刷り込んでしまった。けれど、ガリレオを先導したジョルダーノ・ブルーノの存在が如何に大きかったかを、浪人中に岩波新書を読むまで知らなかった。

天才の種は、すでに深く耕された肥沃な土壌があってこそ開花し実を結ぶ。物語で理解すると、豊穣な大地に気付かず果実を求めてしまう。物語はわかりやすく理解しやすいが、誰かの手で書かれたものでしかない。事実をひとつひとつ丁寧に積み上げて実証する研究者は大切な存在と思う。

ところで、アメリカのモールスが電信機を発明したのが1837年。それ以前に電気信号をワイヤーに通す様々な発明があり熾烈な競争があった。驚くことに、この電信が「南北戦争」(1861年~1865年)で大いに利用されたことだ。情報戦(暗号化)であり、南北相互に「信号司令部」が存在し多数の人材を養成した。
Wikipediaによれば、信号司令部に参加した総人員は次の通り。
-----------------------------------
(北軍の)信号司令部が戦時任務終了後、1865年8月に解隊されるまでに、146名の士官が任命されるか任官を提案された。実際は297名の信号士官が任命されたが、非常に短期間の者もいた。戦争中に携わった兵士の総数は約2,500名になった
-----------------------------------
(モールスが「奴隷制度」支持だったとは実に皮肉なことだ)

日本でも1877年の「西南の役」に電信は使われている。東京から熊本へのワイヤーが、街道の松並木を電信柱にして張り付けられた、そんな錦絵がある。現地の政府軍には、Wikipediaによれば、電信掛74名(電信掛長:大島貞恭少佐)が編制されている。(1874年の「佐賀の乱」で、電信が既に使われていた)

電信は、科学というより技術工学だから、実りもはやく大きなものだったのだろう。

(本ブログ関連:”運が良けりゃ”、”インディアン・ラブ・コール”)

2017年6月15日木曜日

始めの10歩 イディッシュ語

ようやく10日目。カリキュラムの道のりを半分を越えたけれど、思うように定着が進まない。どうやら、我が頭と口が空回りしているようだ。イディッシュ語の滑走路を走り回るだけのタキシングばかり、いっこうに浮揚しないのだ。いろいろと教材を工夫される先生の期待に応えられるか、不安が止まない。

メイン教材は次第にヘビーな内容を扱うようになり、ネット教材はテンポよく先へ進む。追加された教材は入り口と比べて、後半が覚悟の必要なボリュームになっている。これからきっと、単語力(格変化)の重要さを思い知るだろう。結局、記憶力なんだよね。

(本ブログ関連:”始めの ~歩 イディッシュ語”、”イディッシュ語”)

・先生紹介のネット公開教材ソフトの「レベル2-1」(!שפּרינגט ... איצט)の復習、命令形の口頭練習。

・先生推奨の入門書のレッスン8(ייִדן אין געטאָ)を輪読: 第2次大戦下、ゲットーに居住を強いられたユダヤ人の窮乏について。後半は次回。ドイツ(”דײַטש”:「ダイチュ」)の発音に、”German”でもない、”Deutsch”でもない、どこか東洋的な響きがするのは気のせいか。

・先生がネットで見つけた、古いイディッシュ語の初級教科書「דער אָנהײבער」(The Beginner)から、① 教室風景、② ユダヤ人家族の朝の風景:起床・朝の挨拶・着替え・洗顔・朝食・登校といった日常。内容についてQ&A。

2017年6月14日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 麦刈りや脱穀に関する曲

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(6/7)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、麦刈りや脱穀に関する曲を紹介した。

始めに、朝鮮21代王「英祖영조)」が、「貞純(정순)」を王妃に選んだ逸話について次のように紹介された。
・朝鮮時代、最も長生した王と知られる21代王「英祖」は、在位期間52年、82歳まで生きた。60代で最初の王妃を亡くすと、66歳にして51歳下の「貞純」(15歳)を王妃に迎えた。ところで、彼は王妃を選ぶ際、候補たちに「この世で最も高い峠(コゲ:고개)は何か」と問うた。そのとき、貞純は、「麦(ボリ:보리)」と「峠(コゲ)」を合わせた、「春の端境期」の意を持つ「ボリッコゲ(보릿고개)」と応えた。この言葉を最近聞かないが、昔は農民の暮らしに直結した。食糧が底をつくと植物の根など食べたが、栄養失調で命を失うことも多く、貞純が「ボリッコゲ(別名「春窮期」)」を最も高い峠と応えたのは、それだけ農民の暮らし振りを理解しており、ために王妃に選ばれたという話につながる。

▼ 慶尚道地域の麦打ちの曲「オンヘヤ(옹헤야)」を聴く。ドイツ人が韓国民謡をアメリカンフォーク風に演奏する。

次に、麦の脱穀の歌「オンヘヤ」について次のように紹介された。
・今は麦刈りから脱穀、袋入れまで作業を全て機械が行なう。昔は、作業を人が行なった。脱穀では、長い棒に木の枝を結び付けた「殻竿」を使い、これで麦を打ち落とした。一日の脱穀作業に疲れたとき、「オンヘヤ」を歌って仕事のテンポを合わせた。「オンヘヤ」は、本来ゆっくり歌ったが、歌手が歌うようになって、テンポも速く、楽しい民謡となった。最近、若いミュージシャンが、モダンに編曲して演奏することも多い。

▼ 済州島の麦の脱穀の歌「脱穀の音(타작소리)」を聴く。満腹の期待を込め、元気が湧いてくる民謡。

最後に、病苦の詩人韓何雲(한하운、1919年~1975年)の詩「麦笛(보리피리)」について次のように紹介された。
・麦は晩秋に芽が出て、春に収穫する。麦が実る頃、子供たちは麦わらの茎を笛の形に削って吹いたり、麦を焼いて食べたりした。詩人「韓何雲」の詩に「麦笛」がある。ハンセン病に苦しんだ彼の詩は様々な活動をしながらも、寂しい生活をした。「麦笛」の詩は、子供の頃麦笛で遊んだ記憶の中の故郷を懐かしむ作品だ。

▼ 「麦笛」の曲を聴く。楽しい思い出だけが浮かんでくる、そんな懐かしさもあるだろうから。今様に。

2017年6月13日火曜日

チョン・ドヨン

韓国の映画について教室で話題があり、私としては、女優チョン・ドヨン(전도연)主演の映画、邦題「シークレット・サンシャイン」(2007年、밀양《密陽》)をあげた。先生から邦題を確認されて、「密陽」と答え、英語名を「Secret Sunshine」といってしまったが、正しくは上記の通り。

チョン・ドヨンは、最も気になる韓国の映画俳優だ。この映画で「第60回カンヌ国際映画祭」(2007年)の主演女優賞を獲得している。VHS版の「我が心のオルガン(내 마음의 풍금)」(1999年)を見たのが最初だ。その同時期作品の、全く逆のイメージの映画にも出演していたと後で知って驚いた。

(本ブログ関連:”チョン・ドヨン”)

「密陽」のチョン・ドヨンは、最大の悲劇に翻弄され、その中で救いを求める母親を演じる。それも決して強くない、むしろ追い詰められる生身の女性を表現する。小柄で華奢な彼女が、どん底にいて、弱く繊細な立場からどう状況を変えていくか興味を持たせる。まさにうってつけだ。彼女は映画によって、善人であったり悪人にも変貌する演技者だ。

ところで、この映画は、プロテスタント(キリスト教)を素材にすることで、主人公の孤独を一層明らかにする。遠くソウルから密陽に訪れたばかりのよそ者であり、土着的な絆の弱い立場にある。その点を考え、もしプロテスタントでなく、癒しをシャーマンの「ムーダン(巫堂、무당)」に訪ねていたらどうだったろうか気になる。


(Youtubeに登録のCat'sCradleに感謝)


(追記)
■ Youtube(登録: 小林拓馬の裏クラ政治NEWS)
「韓国キリスト教会の闇を暴露! 4つの "混ぜもの" がされた別宗教!」(2025/11/21 )
    ー https://www.youtube.com/watch?v=wMCDzwmJ5ro

2017年6月12日月曜日

パンダの赤ちゃん誕生とGoogleニュース

いえねぇ、どうってこともないんですが、今晩23:30現在の「Googleニュース」記事一覧に、上野動物園でパンダ(「シンシン」)の赤ちゃんが誕生したという報道が載ってないんですよね。おじさんでもうれしくなってくるのに。

新聞各社のネットニュースは、ちゃんと写真入で掲載してるんだよね。Googleニュースは、独自のアルゴリズムで記事を自動掲載しているそうだけど。もしかしたら、「大人の中にある子ども視点」という選択機能を省いているのかな。

先日、深夜テレビの再放送?なのか、和歌山にある動物園(「アドベンチャーワールド」)でパンダの出産が成功している背景を説明した。出産後、母子を離さないことが必須のようだ。そのための飼育員の皆さんの昼夜の努力が紹介された。出産後の母子一体感が自然な子育てにつながるなんていい話しだと思う。(そういう言い方が気に入らないといわれても、わたしはそう思うんだ)

これから子どもたちは大変だ。かれらを見守り、動物園に連れて行く家族はもっと大変だろう。パンダは、子どもたちの愛らしさとマッチする。神様はどうして、あんな動物をつくったんだろうね、本当に不思議だ。

2017年6月11日日曜日

「入梅」

暦上、二十四節気の「芒種」、「夏至」、「小暑」を基準にその数日後を雑節の「入梅」と呼ぶそうで、今日が「入梅」にあたる。とはいえ、先週水曜日(6/7)に、気象庁から「梅雨入り」が発表されている。そっちの方が実感がある。ちなみに、気象庁は「入梅」の用語をひかえているそうだ。

(本ブログ関連:”梅雨入り”)

Weathernewsの記事「梅雨入りとの違いは?暦に書かれた入梅の意味」(6/11)は、梅雨入りと入梅の違いを分かりやすく説明している。「まとめ」として次の記述がある。
------------------------------------------
・「梅雨入り」は、天気と密接に関係しており、梅雨前線の状態によって早まったり遅れたりする。
・入梅は暦上の梅雨入りであり、天気とは関係ない。
・入梅は、田植えの日取りを決める目安として使われていた。
------------------------------------------

「入梅」は、昔の農事カレンダーといったところだろうか。麦作だった武蔵野新田に、田植え(水田)の光景はないので、実感に乏しいのも納得できる。(昔、野川沿いの狭い一体に水田が作られたという。ほんのわずかな面積だったのだろう)

2017年6月10日土曜日

運ぶもの

文字が容易でない時代、魂に託して想いを伝えることもあれば、獣がかわりに魂を運んだり伝えたりした。柳田国男の「遠野物語 一○○)に、狐が夢をかすめ取り、夢見るものの想いを悪知恵で運んでしまう話がある。

(本ブログ関連:”遠野物語”)

ある女房が、夢の中で、帰りの遅い主人を気遣って迎えに行こうかとするのを、狐の身を傭(やと)ってしまうことになる。深夜のこと、坂道で出くわした女を怪しみ、主人はそれをあやめて急いで帰れば、女房は命を取られそうな夢から覚めたばかりという。主人は元の場に戻って見れば、そこに一匹の狐が横たわっていた。

人の夢に潜り込んで、人の想いに便乗したのが狐の間違いだった。何かが足りないことに気付かぬ狐は、いっぱい食わしたつもりが、わけも分からぬうちに命を落としてしまうことになる。ことの顛末、子細がわからぬまま命を落とすくらいなら、知恵を落とすだけに留めて置けばよかったものを。

忘れたようで忘れられない、人の夢や魂を鳥や獣が運ぶシャーマニズム的世界がまだある。人の代わりをする超自然なものを身近に感じて託すことがある。もしかしたら、いまどきの何かがそれを担っているのかもしれない。

2017年6月9日金曜日

イ・ソンヒの「ライラックが散るとき」

ロシアのメディア「スプートニク」(日本語版)に、「ロシアからこんにちは! 『食べると幸せになれる花』」(6/1)として、5月後半に入るとその季節になるという「ライラック」の花が紹介されている。花に囲まれた美しい風習なわけだが、「願い事をしながら食べると願いが叶う、幸せになれると言われている」と知って、心そそられる。

ライラックについて、この記事は、ロシアのひとびととライラックとの距離感、親密な度合いを分かりやすく説明している。私ごときには、ライラックの花がどこか余所行きの感が大きく占めていて、こんな風にライラックと身近に、日常的に接する話題に驚いたし、うらやましく思う。


(Youtubeに登録のスパシーバ!に感謝)

イ・ソンヒの10集所収の「ライラックが散るとき(라일락이 질때)」(1996年)は、彼女がシンガーソングライターとして初めて発表した曲だ。こころ変わりして去って行った様を、ライラックの花が散るのにたとえる。でも、歌詞には「ライラック」の言葉はない。冷え切った想いに、気付けば未練だけが残っている・・・そんな感じかな。女性はその気になって聴くだろうし、おじさんはファンとしていい歌と思って聴く。

(本ブログ関連:”ライラックが散るとき”)


さよならという言葉は
私にただ一度も語らなくても
私は気付いていた
もう再び会えないことを

*変わっていくあなたの心が
私に鋭い跡を残しても、会いたいのは
未練が残っているのよ
もう 私の胸から逃れているね

振り返えらないで、わたし切なくて
何にしても、見つめないで
思い返さないで、もうあなたの人生で
私と一緒だったその記憶を
二度と触れられないでしょう
暖かいあなたの体温を

(*以下繰り返し)

二度と触れられないでしょう
暖かいあなたの体温を

2017年6月8日木曜日

始めの9歩 イディッシュ語

遠くに聞こえる祭りのざわめきに誘われて、気付けば踊りの列に加わっている・・・そんな感じのするイディッシュ語学習9日目だ。それも、流暢に喋る(読む)仲間につられてその気になり、やさしく導いてくださる先生のおかげ。目を覚ますのが怖い、このまま突っ走って行こう。

(本ブログ関連:”始めの ~歩 イディッシュ語”、”イディッシュ語”)

・先生紹介のネット公開教材ソフトの「レベル1-5」(!יאָ , מײַן קאָפּ איז קלײן)の形容詞の復習(QA練習)と、「レベル2-1」(!שפּרינגט ... איצט)の縄跳びとランニングの命令形(動詞末尾の ען、-ן-をはずす、plの場合 ט-に換える)の理解と練習。

・先生推奨の入門書の「レッスン7」(משפּחה אין אנדערע לענדער)を先週から引きつぎ輪読。(富む者が仲間を支援するユダヤ人の共同意識=単位が分かるような気がする・・・もしかしたら、宗族を超えた宗教的な屋根=民族性の下に水平な一義的で原則な関係があるのだろう)

今日は、睡眠不足か、知恵熱か、ちょっと冷やしてリブートしよう。私のPCもそうしている。

2017年6月7日水曜日

梅雨入り 2017

どんよりした空に窓の明かりがくすめば、気掛かりがあるわけでもないのに何となく気が重くなる。ネットの注文とコピーついでにコンビニに行けば、途中、ぽつぽつと雨滴を感じる。そして、それ以上のこともない。

ハフィントンポストによれば、「気象庁は、6月7日(水)、四国、中国、近畿、東海、関東甲信地方が『梅雨入りしたとみられる』と発表しました」(6/7)とのこと。以前ブログに記したものを見返せば、だいたいこの時期。桜の開花時期と違って心が踊らないことに、モンスーン地帯の米作の末裔のくせ申し訳ない気がする。ちなみに、一週間天気予報では、曇り空がしばらく続くようだ。

(本ブログ関連:”梅雨入り”)

(付記)「新聞エンマ帖」
話しは違うが、月刊「文芸春秋」に「新聞エンマ帖」があった。辛口な小批評で、大手紙の事件記事を中心に比較していたが、いつのまにか消えたようだ。中学生のころ、いわゆる中2世代にとって、面白いページだった。大手紙を当時でも併読するユーザーがそんなにいたとは思えなかったと思う。ただ、小ネタに終始していたような気がする・・・。今は、ネットがいろいろな幅を以ってその役割を果たしている。

KBS WORLD「国楽の世界へ」 想像の生き物

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(5/31)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、想像の生き物に関連した曲を紹介した。(未聴取のため他語版を参考にした)

火を吹く西洋の「ドラゴン」と違って、東洋の「」は水中(地中)に発生する。仏教伝来の水神を「竜王」とも呼ぶ。朝鮮時代初期の宮廷曲目に「水龍吟(수룡음)」があった。(今回聞く、「水龍吟」は朝鮮時代初期のものと違う)

▼ 「短簫(タンソ:金管)」と「笙簧(センファン:日本の「」に似る)」の演奏による「水龍吟」を聞く。

いままで使われることのなかった「笙簧」は、構造・材質を新しくして、現代曲演奏に登場するようになった。

▼ 「Libertango」を聞く。音色はアコーディオン(小型の「コンサーティーナ」のよう)に似る。今様に軽快に。

李氏朝鮮後期の風俗画家、「申潤福(신윤복、1758年~没年不明)」の絵に、蓮の花の池を眺めながら、長めの喫煙パイプと笙簧を持った女性を描いた「蓮の池の女(연못가의 여인)」がある。

▼ 「蓮の池の女」を想像しながら、笙簧演奏「거울자아(鏡自我)2」を聞く。今様に。

2017年6月6日火曜日

(雑談)知恵の葉っぱ

子どものころ、祖母が「あの人もスーツを着れば立派に見える」といったりした。衣装が立場を現す古い時代を経験したからだろう。モードの発達に歴史的背景があるように、当時スーツに意味があった。

ネクタイなしで着るのが流行っている。シャツの襟を立てたりすると、IT業界の切れ者のポーズになる。そればかりか、スティーブ・ジョブズの影響で、黒タートルを着たりするものもいるようだが、さすがにこれは気が引けているのか、なかなか目に付かない。おじさん体形にも難しいのだろう。

昔、日本のレーシングドライバーの先駆者といえる方がとてもカジュアルな話し方をしていた。若者雑誌が流行した時代とかぶさっていたのじゃないかな。今では、そんな喋り方も普通になった。深夜ラジオが大いに話法を開発したのかもしれない。

つい最近まで、マーク・ザッカーバーグのような早口喋りをする連中がいたが、それもテレビから見かけなくなった。結局、業界での実力が追いつかないのだから真似るには限界がある。

テレビが白黒時代だったころ、米ドラマの「ハイウエィパトロール」に登場する警官の制服と、日本の警官の制服を比べてだいぶ違うなと、あこがれ半分、感心したものだ。その頃、ある国の警官のスタイルが米国と似ていて、それを見て日本が遅れているのではと思ったりしたが・・・実は、その国、いまだにワイロなどの問題を抱え続けているという。

表面だけ整えたり、真似しても続かないことが多い。凡人はどうすればいいものやら。

ある平凡な男が、アダムとイブの知恵の園から嵐が運んできた知恵の葉をサンダルの裏に偶然貼り付けて、知恵者になるという寓話がある。流行に乗るでもない、衣装や振る舞いを真似るでもない、そして見掛けも関係ない・・・ただ、幸運と巡り会うだけ、そんな秘かなバイパスがあるといいのだが。

2017年6月5日月曜日

青天の霹靂

隣り町の図書館で借りた書籍を返却した帰り道、ちょうど西に向かって進んでいた。正面に傾いた陽がきらきらしてまぶしい。天空の7割以上に青空が残っているそのとき、ゴロゴロと雷鳴がした。「まさか?」とひとりごとする。充分晴れていて、青空をのぞかせているのに・・・。

商店街の通り道をはさんで、おばあさんが二人向かい合いながらしゃべっていた。東の空を指して「あっちは真っ暗だねえ」。振り返ると、真っ白な積乱雲が横たわり、その下を鈍色の雲がたれ、さらにその下を雨雲だろうか黒雲が遠く東の町を埋めていた。

再び雷鳴がつづいた。しかもかなり近くに聞こえる。イ・ソンヒの「キツネの嫁入り(여우비)」を思い出したが、今回は、お天気雨でない。晴れ空に雷鳴とは、まさに「晴天の霹靂」。さすがに、彼女の歌にそんなものはないだろう・・・。

Youtubeを探すと、なんと青森県産の米「青天の霹靂」のCMソング"が登録されていた。県民が「青天の霹靂」と書いた書を持って次々登場してくる。最後がいい、一転おにぎりを美味そうに頬張るのだ。「真っ白いおにぎり」は絶対、唯一無二の日本食の原点だと思い起こさせる。こちらは、「まさか?」ではない。



(Youtubeに登録の青森県広報広聴課に感謝)

(追記)
どうも、青森県産米「青天の霹靂」のCMはシリーズ化されているようだ。ああ、おにぎりが食べたくなる。

2017年6月4日日曜日

「レッドブル・エアレース千葉2017」 行ってみたかった・・・

昨日(6/3)、今日(6/4)、千葉県幕張で開かれた「レッドブル・エアレース千葉2017」に行ってみたかったけれど・・・気持ちがあっても体力がない。でも、当日の様子をYoutubeで見られると期待した。

早速Youtubeに、エアレースのサイドアクトとして実施された、「零戦」と「DC-3」の飛行映像が登録された。それも、会場にかなり接近した様子の近距離撮影で。(6/3撮影のようだ)
(6/4については、ハフィントンポストに、零膳DC-3の飛行写真が掲載されている)

DC-3は九州から順次北上して、今回のイベントでぶことが事前に知らされていたが、零戦は昨日のニュースで知った。どちらも、レシプロの排気音がたまりません・・・飛行機を生命体に例えるなら、エンジン音はまさに心臓の鼓動。その爆発音に一体化してしまう不思議な魅力がある。

(本ブログ関連:”飛行機”)

零戦(日本人所有の機体だそうだ: 低空を低速のためか、その身軽さが分かる)

(Youtubeに登録のあおのそらに感謝)

DC-3

(Youtubeに登録のgigazineに感謝)

2017年6月3日土曜日

イ・ソンヒの「水仙」

イ・ソンヒの5集収録の「水仙(수선화)」(1989年、作詞・作曲キム・チャンワン)は、「ハミングとナレーションが続く独特の雰囲気の曲」(チョン・イルソ)だ。当時、24、5の女の子がちょっと大人ぶって、少し、小悪魔的に(今じゃこんな表現もなくなった・・・)独白した。イ・ソンヒだからいいんだな。

自己愛の例えに、鏡(あるいは水面)に映る自身を眺める構図がある。独白もそんなものかもしれない。無限ループのフィードバックに迷わねばいいが、若いときは巨大渦に巻き込まれるものだ。でも、イ・ソンヒだからいいんだな。

イ・ソンヒの「水仙」に、ついつい聞き込んでしまう。彼女の清雅さを後ろ盾にしてね。


(ふふふ) みんな過ぎたこと

いや、違うわ

愛! 贅沢なことみたい

未練! (ふん、ふふ)

わたしが 水仙を好きだったとしよう

その花が散ったとしよう

それが 何!

誕生日が同じ人だけで会うとしよう

それも日を決めておいて

ちらりと会って別れるのが、何が違うの

(はぁ~) みな、過ぎたこと

違うわ、違うわ


(Youtubeに登録の이원호に感謝)

2017年6月2日金曜日

(雑談)見えないものが見えること

眼力のある人が、あるいは直観力のある人が素晴らしい鉱物を発見する。ズリを掘り返して探し出すこともあれば、岩塊を叩き割って見つけることもある。それもこれも、背景に鉱物への深い関心と素養があってのこと。もっといえば、経験を忘れていないことだろう。これは全てあてはまるにちがいない。研究者から職人、マニアにいたるまで。

昔、CG創成期のころ、期待されながらも亡くなった中堅の研究者からこんな夢を直接聞いたことがある。子どものころ見た、手作業で撮った(コマ撮り)恐竜映画をCGで再現したいというのだ。ジュラシックパークのはるか以前のこと。

その研究者が、一般向けにCG作りの擬似体験をする機会を設けてくれたので参加した。とはいえ、動画以前の写真一枚分の作業だったが。ワイヤーフレームから作りこむことはなく、モジュール化した立体部品を使い、空間に配置するだけなのだが・・・。

基本の立体モジュールを変形・合体し、表面の材質をパラメーターで決める。空間配置は頭の中に座標を作って決めよというのだ。そのとき作ってみたい画像は、「金属の飛行船に突き破られたガラス片が散る様子」だった。(紙飛行機のほうが面白いかとも思ったが・・・)

真っ暗闇に浮かぶ飛行船と散乱するガラス片を見えるようにすることから始まる。まず、見えないものが見えるには、光源(複数)が必要だと知った。当り前だが、カメラの位置(アングル)も。そして、空中に浮かんでいるというのは、下側があるから・・・ということも。

次に、ガラス片は厚さがあって初めて光線を屈折して輝くことも知った。ガラス片はどれくらいの数量定義すればいいのか・・・。ガラス表面にあたった光がしっかり反射するよう、三角形にした。力の限り大小おりまぜて書き出した。

できあがった写真は、恥ずかしいものだった。そして思った、これを一体どうすれば動くように見せられるのだろうかと。それ以来、見える意味について考えるようになった。つまり、見えるというのは、光源と視点があるということなのだと。多分、何ごとにも通じるのではないかと思う。

そしてCG動画に対する関心も大きく変わった。

2017年6月1日木曜日

始めの8歩 イディッシュ語

今日で8歩目(8日目)。今年前半に通うべき回数の、ほぼ半ばまで至った。しかしながら、この”8”の字を横にすると、”∞”(無限)になる。そう、理解は微分的世界をさ迷っていて、はるか遠くおよびもつかないのだ。

今日は、配布教材、オンライン教材、特別教材と盛りだくさんにすすめられた。

・先生推奨の入門書のレッスン6(אַ שמועס)を輪読: 近しい者同士の会話(独特の含みがあるのか・・・今一歩意が届かない)、レッスン7(משפּחה אין אנדערע לענדער)の通読:海外に住む一族の文通と経済的関係(こちらの話題はユダヤ的宗族意識が垣間見えるようだ)・・・といった内容。

・先生紹介のネット公開教材ソフトの「レベル1-5」(!יאָ , מײַן קאָפּ איז קלײן)を元に、カーニバルに出てくる歪んだ鏡に映る姿を見て楽しむ場面。体の部位名称を使って互いの高低、大小、長短などを表現(所有形容詞、形容詞)する。
ところで、ブラッドベリの「10月はたそがれの国」の一番最初のものがたりが「こびと」だ。「鏡の迷路」にたたずむ男が登場する、陰鬱な気分にとりこにしてしまう濃い短編だ。教材ソフトの方は、がらりと明るくて、教材作者が楽しんだに違いない。対話の最後に一番の笑いがある。

・先生がネットで探した、古い、イディッシュ語の初級教科書「דער אָנהײבער」(The Beginner)の一部が紹介された。海外で、老婦人から登場人物(少年少女のベレーレとセレーレ)を懐かしく語られたという。日本の中学英語教科書でいえば、「Jack & Betty」かもしれない・・・教室では誰も知らなかったが。

2017年5月31日水曜日

「イディッシュの民話」

単純なデザインを始まりにして、「いれこ」に繰り返していくと、現実の自然景観のような複雑な形になる。あるいは空想だが、物質を微細に奥深く探っていくと、その先に別の空間(次元)が存在する、無限な「いれこ」構造の世界観が好きだ。

先日のブログで、落語に「思い込みと逆転世界」(例えば「粗忽長屋」、「頭山(あたまやま)」)があると記したが、今日、Amazonから届いたベアトリス・ヴァインライヒ(Beatrice  Weinreich)の著「イディッシュの民話(Yiddish Folktales)」(秦剛平訳、青土社)に、こんな話(第3話「不幸は不幸を呼ぶ」)が載っていた。説教調だが、物語の場面(構造)に興味深いものがある。
-------------------------------------------------------
昔あるところに、貧乏な男がいた。物乞いして歩くのがいやでたまらず、そのことを神に訴えた。そのため、彼の背中にこぶができて大きくなりはじめ、そればかりか、そこからはまた男が出てきて大きくなりはじめた。その男には口もついていた。乞食が一切れのパンを食べようとすると、背中の男がそれを奪ってしまうのだった。

そこで乞食は祈った。「主よ、消したり書いたりしないでください。すべてあるがままにしておいてください」

だから人は、自分が不幸だなどと決して口にしてはいけないのです。不幸はさらに不幸を呼ぶからね。
-------------------------------------------------------

KBS WORLD「国楽の世界へ」 ブランコ(鞦韆)

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(5/24)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、「端午節句」の楽しみ「ブランコ(그네:鞦韆しゅうせん)」に関連した曲を紹介した。

始めに、端午節句の楽しみブランコと、パンソリ「春香歌(춘향가)」について次のように紹介された。
・田植えが終わる頃、5月5日は端午節句だ。旧暦の場合、今年は5月30日となる。この時期、各地に様々な風習がある。仮面をつけて踊る「仮面踊り(탈춤)」や、江原道の江陵では、シャーマニズムの山神への祭儀(굿)がある。男は市場に設けた舞台で、民族競技「相撲(씨름)」をする。女性はブランコを楽しむ。パンソリ「春香歌」は、鮮やかな春の日、地方官の息子「李夢龍(이몽룡)」(=李道令이도령)が、ブランコに乗る妓生の娘、美しい「春香」に一目惚れする愛の物語だ。

▼ 「李夢龍(道令)が、春香がブランコに乗る姿を見る場面( 이도령이 춘향이 그네 타는 모습을 보는 대목)」を聴く。余程に元気にブランコをゆらしたのだろう。

次に、詩人「徐廷柱서정주)」(1915年~2000年)の「鞦韆詩(추천사)」について次のように紹介された。
・詩人徐廷柱は、春香がブランコ(鞦韆)に乗る場面を「鞦韆詩」にしたためた。副題に「春香の言葉」がつく。小間使いの香丹(향단)に、ブランコを空に向かって力強く押して欲しいと歌っている。届かぬ夢への渇望を、ブランコに託したのだろう。

▼ 「鞦韆詩」を歌にした曲「鞦韆の詩(추천사)」を聴く。空を切る、風を切る、海の彼方へ今様に。

最後に、春香と李夢龍初めて出会った、端午の時候について次のように紹介された。
・民は生活のため、朝早くから畑や干潟で働いた。一方、豊かな家の女性は閉じこもるように生活した。最近、端午の頃は夏のようだが、昔はのどかな春の侯だった。山緑の美しい端午の季節に、ひさびさに外出した女性たちがブランコに乗る解放感は、想像を超えはず。春香と李夢龍がすぐ恋に落ちた背景に、端午の時期に初めて出会ったからという理由もあるだろう。

▼ しだれ柳の合間、空を切って自由を感じる女性たちを描いた南道民謡「しだれ柳(휘여능청)」を聴く。まさに溌剌。

・端午節句に、韓国では相撲やブランコ、日本では鯉のぼりを立て祝うなど、各々違った風習が興味深い・・・とのこと。

2017年5月30日火曜日

アナベル・リー

青春はなつかしい。でも、そんなにいい思い出がない。なければ作ればよい。でも、美しいままに密かに置いておきたいものもある。

昔、テレビのSF番組「アウターリミッツ」で、たしか「グリーンスリーブス」の旋律が流れ、森の奥深く迷った少年が、古式な館にひとり住む少女と出会う。つかの間のことだった。時空はやがて戻り、朽ちた館を残して少女は消え去る。

(本ブログ関連:”アウターリミッツ”)

ブラッドベリのSFファンタジー集「10月はたそがれの国」に納められた「みずうみ」では、新婚旅行の途中に立ち寄った湖のほとりで、若者は子どものころに、ここで一緒に遊んだ少女の姿と再会する。昔、水死したときのままの少女と。

(本ブログ関連:”10月はたそがれの国”)

始まりになぜかPPMの「パフ」を思い出す、エドガー・アラン・ポーの詩「アナベル・リー」に、やはり少年の思い出作りが聞こえてくる。木枯らしの夜に命を奪われた少女を回想する。どこか納得に似た、甘味で残酷な魔法の世界を感じる。


(Youtubeに登録のPsycheDeliaInMotionに感謝)

2017年5月29日月曜日

(雑談)遅れていくこと

若いとき、時代遅れになるのを恐れた。今は、時代を超越すると妄想している。

日記代わりに、このブログを毎日更新している。少なくとも一日一回の更新でよい。

Twitterにユーザー登録したがそのまま。書き込むタイミングがわからないのだ、

フェースブックにいたっては、全く知らない。第一、周りで使っている人がいない。

そう、身近で十分なのに、ネットにまで友だち作りしようというのだろうか。

もしかしたら、ガラケーで充分と思ったころ、つまずいてしまったのかもしれない。


ちゃんと続けていることもあるし、新しく始めたこともある。まだまだだ。

2017年5月28日日曜日

イ・ソンヒの「五月の陽射し」

5月には、イ・ソンヒの5集所収の「五月の陽射し(오월의 햇살)」(1989年、作詞:ユン・ハンギ、イ・ソンヒ、作曲:ユン・ハンギ)を聞かなくては。この5集、昨日(5/27)記したソン・シヒョンの回想の通り、過去史と因縁を持っている。さらに直接的でもある。しかも、イ・ソンヒは、このまま1991年のソウル市議会議員への立候補と当選まで突き進むことになる。そして大きく政治の振幅を経験する。

(本ブログ関連:”五月の陽射し”、”ソウル市議会議員”)

そんな時代背景とは別にして聞けば、五月の陽射しは力強く差し込んでくる: 広い意味でのレクイエムといえる。彼女の歌唱力に、そんな普遍性があると確信する。彼女が格別の愛着を持った曲である。


どこかで呼ぶ声に  振り返りみれば
見えるのは寂しい通りを  吹く風だけど
風に乱れる  髪をなであげながら
歩んだ足取り止めて  また振り返るよ
*
暗い夜一緒だった若い声が  虚空に散らばって
朝が来るまで歌おうとした  友よどこへ行ったのか
留まっていた束の間  残されたきみのその声
五月の陽射しあふれる日  私たちの心暖まらん

(*以下繰り返し)

留まっていた束の間  残されたきみのその声
五月の陽射しあふれる日  私たちの心暖まらん


(Youyubeに登録のKoreanMusicSubsに感謝)

2017年5月27日土曜日

「ひとしきり笑いで」の背景

作詞・作曲家であるソン・シヒョンは、イ・ソンヒの初期アルバム(4~6集)にかけて大きく関わり、彼女の代表作を送り出すのに貢献した。昨年、ソン・シヒョンがカムバックしたとの記事があり、本ブログに紹介した。

(本ブログ関連:”ソン・シヒョン”)

このたび、ソン・シヒョンの新たなミュージカル曲を紹介する、東亜日報記事「ソン・シヒョン 『ハーグ特使たちの胸詰る話に二晩徹夜しました』」(5/23、ソン・ヒョリム記者)の中で、イ・ソンヒの作品背景について知る部分があり次の通り抜粋する。
--------------------------------------------
(1980年の「光州事件」)「5・18民主化運動」を思って、(イ・ソンヒの歌である)「ひとしきり笑いで(한바탕 웃음으로)」(作詞・作曲、5集、1989年)を作りました。「愛が散るこの場所(사랑이 지는 이 자리)」(作詞・作曲、4集、1988年)は、別れる男女がベンチに座ってどんな会話をするか想像して書いたし。
--------------------------------------------

これらの作品発表は、1980年の事件から8、9年後のことであるが、同時に、大きな変換を迎えた(1987年)の翌年・翌々年にあたる。これらの意味も含めて、作品背景があったといえるかもしれない。ちなみに、イ・ソンヒは、5集(1989年)にからめて、光州事件(1980年)の地を訪れた際、次のような苦い経験をしている。
--------------------------------------------
私が直接行ってみた光州を素材に、映像ビデオを製作しようとしたが、色々な理由で失敗に終わってしまった苦々しい記憶・・・
--------------------------------------------
実は、「苦々しい記憶」とは何だったのか、ネットに詳細情報を見つけられない。もう少し時間を待つことにしよう。

(付記)
ミュージカルに登場する「ハーグ特使」と、民謡アリランの採譜者でもある米人「ホーマー・ハルバート」との関係(連係)について以前ブログで紹介した。これがホーマー・ハルバートの個人的アクション(正義感)なのか、使命(密命)を帯びた(暗躍)なのか・・・謎解きが面白そうな素材でもある。

2017年5月26日金曜日

おバカな村

この世に、とりあえず納得できることなら何でも信じてしまう頓珍漢な人がいて、そんな人たちの住む村や町があるという。先日(5/22)、冬場に家々の暖炉から熱気が排出して上空に溜まった結果、「夏が暑い」のだと思い込んでしまった村人が登場する童話について記した。

そんなおバカというか愉快な人々が住む(ポーランドの)村ヘルムについて、アイザック・バシェヴィス・シンガーの児童書「まぬけなワルシャワ旅行」(工藤幸雄訳)の巻末に訳者解説があり、他にも似た町があると紹介している。
----------------------------------------------
民話のなかで、おかしな主人公たちの住む町としては、イギリスではゴタム、オランダにはカンペン、イタリアではクネオ、ドイツではシュリートブルクなどがある。
----------------------------------------------

そこで、ネットに探してみたところ、唯一、「イギリスのゴタム村」を舞台にした昔ばなしの紹介ページがあった(ブログ「アマミツル空の色は Ⅱ」に感謝)。ゴタム村の人々もなるほどと思わせる粗忽振り。それ以外の町については、これからゆっくり探していきたい。

日本におバカな村を舞台にした昔ばなしがないものかと考えた。それらしい所が思いつかない。でも、おバカな人々が出てくる話しがある。「落語」の長屋であり、熊さん八さんの世界だ。イディッシュ語の昔ばなしに通じる、思い込みと逆転世界といったおバカな物語りだ。(例えば「粗忽長屋」、「頭山(あたまやま)」)

(本ブログ関連:”(雑談)本当は誰なの”)

イディッシュ語テキストの代表である「College Yiddish」の著者ウリエル・ヴァインライヒ(Uriel Weinreich)の妻、民俗学者のベアトリス・ヴァインライヒ(Beatrice  Weinreich)の著「イディッシュの民話(Yiddish Folktales)」(秦剛平訳、青土社)をさっそく注文した。楽しみだ。

2017年5月25日木曜日

始めの7歩 イディッシュ語

情報通信のルールに、OSI参照モデルがあって、コンピュータの通信機能を7つの段階(階層)に定義している。まずコンピュータ間をつなぐケーブル間の信号から、ネットワークの経路やデータ伝送の仕方(区切り方・まとめ方)から、通信アプリケーションまで、規約化した国際標準だ。これを難しく、「ネットワークアーキテクチャー」なんていったりする。(どうも、欧米人は7つに区分するのが好きなのかもしれない・・・)

コンピュータ同士がデータをやり取りするためには、互いに共通した、7つの階層のルール(プロトコル)を持ち、それを満足して可能になる。プロトコル(例えば TCP/IPなど)は対話の基本ルールだ。(ところで、「国際儀礼」を「プロトコール」といったりする・・・円滑にする知恵か)

イディッシュ語教室に通って、今日で7歩目(7日目)。せっかくの「7」が付く日なのに、いまだイディッシュ語の理解(プロトコル?)が定着していないようで、授業の進展に迷惑をかけ続けている。

今回は、先生紹介のネット公開教材ソフトの「レベル1-4」(?װאָס האָסטן)を中心に、ピクニックでサンドウィッチやすし作りの話題から、「持つ(האָמן)」の現在人称変化、名詞の単・複数形、二重否定(~ נײן, איך האָב נישט/ןיט קײַן)など。

2017年5月24日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 孔明歌

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(5/17)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、「三国志演義」をもとに「孔明歌(공명가)」など関連した曲について紹介した。

始めに、「三国志演義」に武功が描かれた「諸葛亮(孔明)」について次のように紹介された。
・「三国志」を一度も読まぬ人を相手にしてはならぬ、逆に、三国志を三回以上読んだ人も相手にしてはならぬといわれる。無知と賢さにかなわぬからだ。ここでいう三国志は、史書でなく、逸話など取り込んだ「三国志演義」を指す。長い間にある様々な事件や人物が描かれる。本分を守った者、ずる賢く利益にこだわった者、空しい権力争いに命を失った者もいた。韓国でも漫画、文学作品、歌として親しまれ、中でも孔明が南屛山で南東風を祈る場面はよく知られる。

▼ <南屛山で南東風を祈る孔明>を歌った西道雑歌「孔明歌」を聴く。淡々と南屛山の場面を歌う。

次に、孔明が高く評価した将軍「趙雲」との関係について次のように紹介された。
孔明は、「劉備」の信を得て活躍した人物だが、三国志で目立った活躍はないが、「三国志演義」で神出鬼没な人物として、「曹操」の軍を撃破する武功が描かれる。
・中国で最も長い川、長江を挟んで、「曹操」と「劉備・孫権」連合軍が向かい合った。曹操の船を火攻めしようとするが、南東の風が吹かぬ、まさに北西風の季節だった。そのとき、風の方向を変えたのが孔明。彼は南屛山に祭壇を築き、何日も祈り捧げると南東の風が吹き始めた。孔明がただ者でないと知った孫権の武将「周瑜」は、無理難題を突きつけて孔明を除去しようとしたが、これを予測した孔明は、将軍「趙雲」と準備した。

▼ <趙雲が、追撃する孫権の船に弓を射て孔明を逃がす>「趙雲弓射(자룡 활쏘다)」を聴く。音楽ドラマのよう。

最後に、赤壁の戦いをもとにした「蘇軾(蘇東坡)」の詩「赤壁賦」の歌唱について次のように紹介された。
・「趙雲弓を射る」は、パンソリ「赤壁歌」の「赤壁の戦い」の場面とともに、最も緊迫する場面だ。赤壁は、曹操が劉備・孫権の攻撃に敗れた所で、後に、中国北宋時代の代表的詩人「蘇東坡」が赤壁で「赤壁賦」の詩を作った。人生の空しさを表現した詩で、韓国では、短歌(단가)や誦書(송서)の歌唱法で継承されている。
・赤壁で戦った兵士は、ほとんどが力のない民だった。故郷の家族を、切なく想ったことだろう。

▼ 誦書「赤壁腑(적벽부)」を聴く。力まず御詠歌のよう。

2017年5月23日火曜日

イ・ソンヒ 5/20 LAコンサートの雰囲気

もしかしたら鮮明な画像があるかもしれないが、5/20(日本時間5/21)に、イ・ソンヒが米ロスアンゼルスで単独コンサート「The Great Concert」を開催したときの、わずかながらYoutube映像がアップされた。会場の雰囲気だけでも味わってみよう。(今後、放送映像が公開されるかもしれないが。米国内のものはむつかしいかな・・・)

(本ブログ関連:”LAコンサート”、”ザ・グレートコンサート(The Great Concert)”)

イ・ソンヒのコンサートで、クライマックスに導く定番曲の一つ、「葛藤(갈등)」に呼応して観客がペンライトを振る様子がうかがえる。熱気がそのまま伝わってくるようだ。(Youtube登録者は米在住の方だろうか、著作権が重視される国にあって画面を慎重に選んだようにみえる。あくまで会場の撮影であって、彼女のアップはない・・・)

昨年来の「The Great Concert」のワールドツアー版の第一次というべきLAコンサートは無事終了したようだが、第二次にあたるシドニーコンサートが待っている。その9月が楽しみである。


(Youtubeに登録のEunice Kimに感謝)

2017年5月22日月曜日

ヘルムの夏が暑いわけ

「夏日」があたりまえになると、「真夏日」を期待したりする。まるで高い吊り橋から深い谷底を覗き見る、危ういものへ引き寄せられるように。昨日、近在で「真夏日」に到達した。今日は夏日に戻ったが、それでも暑かった。

       夏日   :日最高気温が25度以上の日。
       真夏日:日最高気温が30度以上の日。
       猛暑日:日最高気温が35度以上の日。

ところで、「夏がどうして暑いのか」。イディッシュ語作家、アイザック・バシェヴィス・シンガーの児童書「まぬけなワルシャワ旅行」(工藤幸雄訳)に所収の短編「ヘルムの長老とゲネンデルの鍵」にこんな明快な説明がある。

(本ブログ関連:”アイザック・バシェヴィス・シンガー”、”イディッシュ語”)

------------------------------------------------------
(ヘルムの村の大長老グロナムが言った)
「ゆうべはまんじりともできなんだ - 夏がどうして暑いのか、そのわけを考えあぐんでな。やっと答えは出たが」
「して、どんな」と長老連が声をそろえた。
「つまり、冬のあいだ、村じゅうが暖炉をたく、するとその熱がヘルムぜんたいにたまる、おかげで夏は暑い、こういうわけじゃ」
長老連はうなずいた、ただぼんくらレキッシュだけは別で、こう聞きかえした。
「なら、冬が寒いわけは?」
「わかり切っとる」とグロナムは答えた。「夏場は暖炉に火をくべない、だからせっかくの暑さも冬まで残らん、ただそれだけのことよ」
長老連はグロナムのどえらい知恵をほめそやした。
------------------------------------------------------

そう、夏が暑いわけは、探せば見つかる。むつかしく考えなければ答えは出る。あとはそれに同意するかどうかだ。日常はそれで充分だった。(今だって、そんなものかもしれない。それに、むつかしく考えれば正解というものでもないし・・・)

2017年5月21日日曜日

キャンプファイヤーの歌

昨日、キャンプファイヤーについて記した。いつの合宿だったか、若いころ、楽しさと期待を混じえながら参加したことがある。立ちのぼる赤い炎と白いきらめきに吸い込まれそうな錯覚をしたが、結局、楽しさは残っても期待は外れた。当り前だがが、ぎこちないキャンプファイヤーはそうやって終わった。

今の若者たちは、キャンプファイヤーをどのように楽しんでいるのだろうか。Youtubeを覗いてみると、意外と変わらぬ純情さに気付く。そりゃそうだ。輪になれば、みな目に入るわけで、それ以上は無粋というもの。

Youtube映像で初めて知った「洗濯の歌」がいい。一週間を日毎に、月曜日の「洗濯」に始まり、「すすぎ」、「脱水」、「物干し」、「取り込み」、「アイロン」と日を巡り、最後に日曜日に「デート」で終わる。どこか気持ちがこもった、くすぐったい展開だ。(子ども向けなどいろいろなバリエーションもあるようだ)

輪の中を廻って歌う女の子に合わせて、回りの反応も次第に高まる。「ボーイスカウト奈良第4団」のメンバー(若者たち)による、楽しいキャンプファイヤーのようで、久し振りに新鮮な感じがよみがえった。


(Youtubeに登録のにBSJ MC AAY感謝)

2017年5月20日土曜日

暑い夜には

天気予報の通り、今日は暑かった。そして、都心、都下とも軒並み今年最高の気温を記録した。気象庁のデータによれば、都内で「真夏日(30℃以上35℃未満)」になった観測点もあり、当地近在でも最高気温29.4℃に達した。

夕方、背中に西陽を背負いながら帰宅した。忘れていたジリジリした夏を思い出した。しんどい一日も、日が暮れれば落ち着く。とはいえ、明日はもっと暑くなるという。

遠い昔の暑い夜、すっかり忘れたものに、キャンプファイヤーがある。赤い炎が夏の熱気を吸い上げて空にのぼっていく。キャンプファイヤーを囲んでいると、空と地と、炎に照らされたみなが一体になる。そんな懐かしい記憶を呼び覚ますイディッシュ語の歌「キャンプファイヤーを囲んで(ארום דעם פייער)」(イディッシュ語英語訳楽譜)を聞いてみよう。日本人になぜか哀調を帯びて感じる独特な旋律が耳に残る。


(Youtubeに登録のVoix nomadesに感謝)

2017年5月19日金曜日

イ・ソンヒのLA公演案内 あと2日

KoreaDaily(中央日報のUS版)のHotDeal欄に、「国民の歌姫 イ・ソンヒ ザ・グレートコンサート」の米5/20(土)公演のポスター、座席チケット、場所など掲載されている。

◆公演日:2017年5月20日(土)7:00 pm(→ 日本時間 5月21日 11:00)
◆公演場所:ファンタジースプリングスリゾート(Fantasy Springs Resort Casino
◆チケット:60$~200$
◆企画会社:Tune Entertainment主催(←同社サイト、FBの更新が気になる?)

《 公演ポスター 》が当り前だが英語版になっていて、なんだか不思議な感覚だ。

カウントダウンのタイマーまであって・・・
カリフォルニア州は、韓国系アメリカ人の最大居住地だそうで、観客が多数詰め掛けることだろう。

2017年5月18日木曜日

始めの6歩 イディッシュ語

イディッシュ語のようやく6歩目に達した。オンラインキーボードや辞書、翻訳ツールがなければとっくに挫折していたことだろう。まま、かろうじて冷や水飲みながら続けている。ネット時代に感謝。

(本ブログ関連:”イディッシュ語”)

アポロ11号が月に到達した際、アームストロング船長が人類初の月面に第一歩を踏み出すときに発した言葉は、「これは一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な飛躍である」だった。一方、私のイディッシュ語学習は、「これは一人の私にとっては荷の大きな一歩だが、人類にとってはちっちゃくて些細なことである」ってことくらい 分かっている、

そんなわけで、今日も何とか出席した。教室を休んで米国でイディッシュ語研修を受けてきた若者が、本教室で参考にしているテキスト「COLLEGE YIDDISH」(URIEL WEINREICH、1996年版)を買ってきてくれたのだ。感謝。何とイディッシュ語専門書店に2冊しか残っていなかったという。あらためて感謝。
それに、先生へ、Yiddish daily Foward のイディッシュ語と英語の両「プリント版」をお土産にしていたが、大層立派な仕上がりに驚き、文化を継承する情熱に敬服する。

今日の先生推奨の入門書「レッスン5」は、歌あり小話ありで多彩。そんな中の一つを関西弁にしてみた。この関西弁というか大阪弁について、神戸出身の方に一応のOKをいただいたが・・・どうだろうか。


ער לעבט פֿון דעס
-----------------------------
?װי גײט אײַער געשעפֿט
.זײער שלעכט. איך פֿאַרליר געלט אַלע טאָג
?פֿאַר װאָס פֿאַרמאַכט איר ניט דאָס געשעפֿט
!װי קען איך?  איך לעב פֿון דעם


これで生きてまんねん
-----------------------------
もうかりまっか
あかん、ずっと金欠ですわ
ほな、なんで(仕事)止めませんのや?
どなんしてや? わし、これ(金欠)で生きてますんや

2017年5月17日水曜日

「韓国の俗信の世界」

韓国の若者の間で話題になるものに「血液型性格分類」がある。以前、日本でもマスコミが騒ぎ、家元争いに似た出版競争があった。これは学説を装った俗信(あるいは都市伝説)といえるだろう。占いなど含めたらきりがない。

何となくそう思わせる「俗信」は、一般に土着的な言い伝えもあるが、といって迷信のような深層の固陋さはない。それに、伝統文化へ昇華できるほどでもない。どちらかといえば、表層的でそれもそうだねと軽く受け流せるようなものだろう。

とはいえ、土地がらによる俗信もあるわけで、自分たちと対比しながら聞くのも楽しい。今晩、地下鉄の四谷三丁目駅の近くにある韓国文化院で開かれた、東海大学国際教育センター曺喜澈(チョ・ヒチョル)教授の「韓国の俗信の世界」の講演を聴講した。曺教授は、以前、NHKテレビのハングル講座の講師を担当された。

(俗信とは何かといった学問的な定義より、フールドワーク的情報に基づいた楽しい話題が中心)

事前に配布の講演レジメは、韓国の俗信(18個)について、それぞれ対応する事物を応えるよう選択肢クイズ形式になっていた。例えば、第1問に(他所の)「赤ちゃんを抱っこして言ってはいけないこと」は、次の「① かわいい、② 肌がきれい、③ 重い」のどれかという設問になっている。①の「かわいい」と、②の(栄養状態がよい)「重い」は、嫉妬から神が赤ちゃんをさらっていくので、言ってはいけない。

様々例示の俗信について、庶民生活も含めて解説いただいた。俗信は、当然ながら風土にもねざしているため、初めて聞くものばかりだったが、勘で選択したところ、当たらずとも遠からず半分ほど合った。庶民感覚で言えば、仮にドイツだろうとアメリカだろうと、それくらい互いに了解できるのかもしれない。俗信は、案外、庶民のプロトタイプかもしれない。

(おもしろビデオ : Weird Things Koreans Do

KBS WORLD「国楽の世界へ」 太平歌

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(5/10)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、「太平歌」など関連した曲について紹介した。

始めに、「風流房(풍류방)」で歌われた男女二重唱の「太平歌(태평가)」について次のように紹介された。
・昔、音楽好きが集まり鑑賞する「風流房」があった。風流を楽しむ空間の意で、経済的余裕のある家に設けられた。一、二曲で終わらず、様々な音楽を続けた。歌曲가곡)では、男女の歌い手が一曲ずつ繰り返し歌い、最後に(伝統的声楽曲中、唯一男女が一緒に歌う)男女二重唱で、世の泰平を祈る歌詞の「太平歌」を歌った。
・「太平歌」は、静かな前奏中、歌い手が急に高いトーンで大きな声、叫ぶかのように歌い始めて、観客の注目を一気に引く。平和な世を望む気持ちの意だろう。

▼ 歌曲「太平歌」を聴く。あまりにゆるりと流れる響きに別の世界の感がする。

次に、李銀珠(이은주)が「朝鮮戦争」の避難生活中に作った新民謡「太平歌」について次のように紹介された。
・ソウル近郊、京畿民謡にも「太平歌」がある。<腹を立てることなく、楽しんで休もう>という歌詞で始まる。世の中には心痛むことがたくさんあるからだ。歌詞は、京畿民謡で知られる、李銀珠が「朝鮮戦争(韓国戦争)」の避難生活中に作った。避難生活のあまりに大変さに、平和な世を祈願して作ったという。人々に大変親しまれ、京畿民謡を代表する曲の一つになった。広く知られる「扇の舞(부채춤)」(1954年、金白峰による創作)の伴奏にも演奏する。

▼ 京畿民謡の「太平歌」を聴く。リフレーンが楽しい(起源についてはnamu.wiki参照)、今様に。

最後に、パンソリ「水宮歌(수궁가)」の「皐皐天邊(고고천변)」の曲について次のように紹介された。
・パンソリ「水宮歌」は、竜王の病を治すため、カメがウサギの肝を求めて陸地に出てくるという物語りだ。「皐皐天邊」の曲は、カメが陸地に出ることを表現し、<高き空の太陽が、山の峰を照らす>場面を表す歌詞で始まる。早朝の水平線に太陽が昇る。海以外の世界を初めて目にしたカメはにとって別世界だった。美しい歌詞と平和なメロディーの「皐皐天邊」は、短歌(단가)やカヤグムの弾き語りでよく歌われる。

▼ カヤグムの弾き語りの「皐皐天邊」を聴く。五線譜で聞く演歌というか浪曲っぽさに驚く。

2017年5月16日火曜日

6/3,4 幕張海浜公園上空にDC-3飛来

DC-3は身近なようで、本当は知らない。レシプロエンジンの回転音が懐かしいようで、本当は知らない。知っているのは、カセットテープに収められたハワイ上空を飛ぶ実況録音版だけなのだ。だから実物をいつか見たいと思っていた。

(本ブログ関連:”DC-3”、”飛行機”、”飛行場”)

レシプロエンジンの飛行機といえば、子どものころ、上空をのんびりとまるで停止しているかのように飛んでいた、双胴のC-119(C-one nineteen)輸送機が懐かしい。ブォーンという音を発しながら漂っていた。遠くの米軍基地*を拠点にしていたようだ。私が見上げた空に、すでに戦乱(朝鮮戦争)の臭いはなかった。

(* 米軍基地: 芦屋基地と思っていたが、もしかしたら板付基地だったのかもしれない)

ところで、DC-3について、近々本物と出会うことができるようだ。RedBull AIR RACEの案内に次のような情報がある。九州から順に巡ってきているようだ。
---------------------------------------------------
伝説の航空機「DC-3」が幕張の空を舞う
現在、世界1周飛行中の名機を間近に見られる絶好のチャンス

6月3日(土)、4日(日)に開催されるRed Bull Air Race World Championship 2017シーズンの第3戦、「レッドブル・エアレース千葉2017」。そのサイドアクトの一環で、伝説の航空機として世界中のファンを魅了する「DC-3」が、会場となる千葉県立幕張海浜公園の上空に登場する。

双発プロペラ機の「DC-3」はダグラス・エアクラフト社(現ボーイング社)が開発した旅客機・輸送機で1935年に初飛行。その丈夫さ、低燃費、長距離輸送力により、航空産業を支えた往年の名機として名高い。しかし、今や飛行できる機体は世界で約150機に限られる。そのうちの貴重な1機がまもなく日本上空にその姿を現すのだ。
---------------------------------------------------

(エンジンの始動に息遣いを感じる)

(Youtubeに登録のmatthiashaenniに感謝)

2017年5月15日月曜日

ユダヤ・ジョークで?

イディッシュ語講習の配布教材に載っている小話がよく分からない。実は、「ユダヤ・ジョーク集」(ラビ・M・トケイヤー著)という文庫本をAmazonで入手したが、同様の内容があって、それでもどうして? という疑問のままなのだ。ちょっと抜書きしてみる。

(文庫本から)「人ちがい」
--------------------------------------------------
水売りのアイザックが、水がめに水を入れてもどってくる途中、ひとりの男が、
「マイヤー、これ食らえ」
と言いながら、アイザックをしたたか殴った。アイザックは立ち上がり、ゲラゲラ笑った。
「マイヤー、何がおかしいんだ。気でも狂ったのか」
「バカなのは、おまえじゃないか、だいたい、おれはマイヤーではないのだ」
--------------------------------------------------

これで、お終い・・・ムムム、今一つピンとこない。人ちがいして突然殴られた人物が、笑って済ませている。これでどうしてジョークなのか。文化特有の意味(粗忽さ、または鷹揚さ、教養、或いは取りつくろい)なのか、はたまた私の鈍感さなのか。私だったらいきり立つだろうけれど。イディッシュ語教材は、次のように場面設定は違うが・・・展開は同様。

(教材から?װי הײסט איר
--------------------------------------------------
אַ ייִד קומט צו אַ צװײטן ייִד אין הױז און פֿרעגט
?זײַט אַזױ גוט. זאָגט מיר ׃ איר הײסט שׂלמה גאָלדבערג
יאָ. זאָגט דער אַנדערער ייִד
דער ערשטער ייִד גיט אים אַ פּאַטש. אָבער דער צװײטער לאַכט
ה׳ גאָלדבערג. פֿאַר װאָס לאַכט איר?  פֿרעגט דער ערשטער
!װײַל איך הײס גאָרניט שלמח גאָלדבערג! איך הײס דוד שװאַרץ
---------------------------------------------------

2017年5月14日日曜日

イ・ソンヒの「愛してます 母さん」

今日は「母の日」。母は唯一の確信なんですね。全ての始まりであり、帰着点なんですから。これほどに心一つになれる日はありません。母さんは私の自信の源泉です。

以前、母のイメージに関連したものを列記したことがある。2015年の「母の日」のこと。それ以降も関連した(例えば高齢問題にからめた映画「怪しい彼女」)ものがあるけれど、とりあえず、当時記したのは次の通り。
・イ・ソンヒ : アニメ「走れハニー」・「母をたずねて三千里」、イ・ソンヒのエピソードイ・ソンヒの生誕
・アソール : 唄「Mama」 ⇒ Youtube(<もっと見る>に英語訳歌詞あり)
エセーニン : 詩「母への手紙」 ⇒ Youtube(<もっと見る>に英語訳歌詞あり)
申京淑 : 小説「母をお願い」

では、イ・ソンヒのキャロルアルバム(1991年)所収の「愛してます 母さん(사랑해요 엄마)」(作詞キム・ミンジョン、作曲ソン・シヒョン、編曲ピョン・ソンリョン/ユ・チヨン)を聴いて、懐かしい想い出にひたってみたい。


愛してます 母さん、母さんのその微笑を
愛してます 母さん、母さんのそのすべてを
*
隠れたその笑顔の裏に 麗しい皺(しわ)の刻まれたその顔
私にくださった その愛で世界を愛します

愛してます 愛してます
母さんの顔だけ思い浮かべれば 私の心は平和です

(* 以下繰り返し)


(Youtubeに登録のKoreanMusicSubsに感謝)