子どものころ、祖母が「あの人もスーツを着れば立派に見える」といったりした。衣装が立場を現す古い時代を経験したからだろう。モードの発達に歴史的背景があるように、当時スーツに意味があった。
ネクタイなしで着るのが流行っている。シャツの襟を立てたりすると、IT業界の切れ者のポーズになる。そればかりか、スティーブ・ジョブズの影響で、黒タートルを着たりするものもいるようだが、さすがにこれは気が引けているのか、なかなか目に付かない。おじさん体形にも難しいのだろう。
昔、日本のレーシングドライバーの先駆者といえる方がとてもカジュアルな話し方をしていた。若者雑誌が流行した時代とかぶさっていたのじゃないかな。今では、そんな喋り方も普通になった。深夜ラジオが大いに話法を開発したのかもしれない。
つい最近まで、マーク・ザッカーバーグのような早口喋りをする連中がいたが、それもテレビから見かけなくなった。結局、業界での実力が追いつかないのだから真似るには限界がある。
テレビが白黒時代だったころ、米ドラマの「ハイウエィパトロール」に登場する警官の制服と、日本の警官の制服を比べてだいぶ違うなと、あこがれ半分、感心したものだ。その頃、ある国の警官のスタイルが米国と似ていて、それを見て日本が遅れているのではと思ったりしたが・・・実は、その国、いまだにワイロなどの問題を抱え続けているという。
表面だけ整えたり、真似しても続かないことが多い。凡人はどうすればいいものやら。
ある平凡な男が、アダムとイブの知恵の園から嵐が運んできた知恵の葉をサンダルの裏に偶然貼り付けて、知恵者になるという寓話がある。流行に乗るでもない、衣装や振る舞いを真似るでもない、そして見掛けも関係ない・・・ただ、幸運と巡り会うだけ、そんな秘かなバイパスがあるといいのだが。