初めて独りで見た映画は、今はなき「アートシアター新宿文化」(ATG)で上映された、ソ連映画「僕の村は戦場だった(Иваново детство)」(アンドレイ・タルコフスキー監督、日本公開1963年8月)だった。ちょっと大人になりたい気分のころのこと、とはいえタイトルにひかれて行ったのが本当だろう。
(本ブログ関連:”僕の村は戦場だった”)
当時の私は、主人公の想いや運命を解釈できる余裕に乏しかったが、主人公の行動を理解するのに難しさはなかった。素朴な共感だからこそ、分かったことながら結末が本当に辛かった。もちろん映像表現に感動もした。白樺の林、デューラーの版画「メランコリー」図の配置、井戸底の水面の輝き、水辺の情景など印象深い場面が記憶に残っている。
主人公イワンは、それでも私より歳下の少年ながら、独ソ戦の戦地を潜り抜けるように斥候として働く少年兵だ。そして孤児である。恐怖を現実として捉えるに十分でなかったのかもしれない。大人は彼を利用する。少年の純粋さを感じとり、彼を思いやる若き将校は親身に気遣うが、少年は戦場の偵察におもむく。
イワンの思い出にも家族がある。そんな少年が少年のまま人生を終わってしまう展開を、私は本当に理解しただろうか。誰ででもあるイワンが、もし生き延びていたら、過去も変わっていたかもしれない。
死者は語らない。生きた者だけが過去を語る。語る言葉は、時間と共に純化する。そして、届く距離もその純化に加担する。
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その後、大学生になると問題意識を持とうとするものだ。黙って決意したかのように見たのが、イタリア映画「アルジェの戦い(La battaglia di Algeri)」(日本公開1967年2月)だった。表面的な理解でしかなかったかもしれないが、当時、フランスの退役軍人による軍事組織「OAS」は秘密でもなく、その名のまま独立戦争に対する鎮圧の先兵の役割を果たしていたし、そのように新聞報道されていたと思う。ドキュメントタッチの映画には、OASとの戦いのなか、投降を拒んだアルジェリアの若者たちが登場する。
(本ブログ関連:”アルジェの戦い”)
その後、OASは歴史の影に追いやられる(映画「ジャッカルの日」へと続く。また、映画「シェルブールの雨傘」の背景にもなったようだ)。今も、軍事的な制圧に対抗するテロといった構図は変わらない。
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