(本ブログ関連:”ラファエロ”)
子どものころ見た聖母像は、教会が配ったのだろう、滲んだ色刷りの図像だった。教会は、小高い丘の上にあった。遠くに眺めるだけの、近寄りがたい世界、そんな気がした。聖母像も、丘の上の一つのイメージでしかなかった。
後に、ラファエロの聖母像を知ったとき、懐かしさを感じた。聖母像が、日常の素朴な回路でつながったのだ。それは、かつて美術家に批評(批判)された、ラファエロの世俗さだったのかもしれない。
親和性のある聖母像。それは、誰かに見続けられていた。その見方について考えてみた。以前、「作品には3つの立場があるように思う。作品の制作者という立場(所有者と見る者を意識する)、作品の所有者(見せる側)、見る者(見る側)」と記した。ひとつの作品も、見る場所、見る時代が違えば、その存在意味も異なるだろう。かつての見る者(見る側)は、今見ているわたしたちと違った姿になってが浮かんでくる。
(本ブログ関連:”遠近法”)
優しい眼差しにつつまれた聖母子像をどう捉えよう。愛された経験を確認するものだけが見るのだろうか。慈愛を知らない人びともいたことだろう。そんな満たされなかった経験から、精神の癒しを渇望した彼らがいなかっただろうか。宗教画が、時代を経て見続けられるのに、どんな意味があるのだろうか。
子どもが、愛情にくるまれる時代がある。でも、そうでなかった、厳しい時代もあった。その中で生き延びたものもいる。生き延びれなかったものもいる。そして、そんな子どもたちと、ひとびとは直面したことだろう。道徳の尺度はだれから与えられるのだろうか。
若いころ、芭蕉の「野ざらし紀行」(「日記紀行集」所収、塚本哲三 校、大正11年)に、三歳ほどの捨て子の話しがあるのを知った。このできごとを、道徳的にどう解釈すればよいのだろう。いかなる解であれ、言葉にする危さを感じざるえない。
もし、この子が奇跡的に救いがあって、命をながらえたなら、そのご何に癒しを求めただろうか。今はその方が気になる。
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富士川の邊(ほとり)を行くに、三つばかりなる捨子の、哀(あはれ)げに泣くあり。此(こ)の川の早瀬にかけて、浮(うき)世の波をしのぐにたへず、露ばかりの命まつ間と捨て置きけん。小萩がもとの秋の風、 今宵(こよひ)や散るらん、明日(あす)やしをれんと、袂(たもと)より喰(くひ)ものなげて通(とほ)るに、
猿を聞く人すて子に秋の風いかに
いかにぞや、汝父ににくまれたるか、母にうとまれたるか。 父は汝を悪(にく)むにあらじ、母は汝をうとむにあらじ。只(ただ)是(これ)天にして、汝が性のつたなき*を泣け。
(* 性のつたなき - うまれつきの不運)
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いまひとつ疑問がある。宗教画や彫刻はアートだろうか。そこに並べる限り、庶民の(かつての)慟哭が聞こえてくるだろうか。