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2018年12月30日日曜日

平成の師走

考えてみれば、平成最後の年の暮れになる。「師走」を(本来)旧暦12月にあてているが、今日は旧暦11月24日(まだ「霜月」に過ぎない)。そう思ってみると気が緩む。年の区切りが、歳とともに曖昧になり、最近それがどうしたと言って平気でいる。

子ども時代、年末は家中が慌ただしかった。というより、近所もそうだし町全体そんな空気がした。そして、元旦になるとシンとして動きがなくなった。子どもたちの遊び声だけが響いた。

今は、交通網が発達して、家族連れは容易に実家へ帰省できるし、元旦の町に何でもある。コンビニが充実して、外出できぬ独身者に冷蔵庫代わりになっている。

近所の若い家族は、今日もさっさと出かけたようだ。駐車場から車が、一台また一台と消えていく。

(付記)
今日、年賀状を印刷し、一安心して、そのままポストに投函した。気付けば添え書きを忘れていたようだ。

2018年12月29日土曜日

今年と来年

歳をとると、惰性で生きていることに気付く。うっすら雪が積もった氷上を、風任せに滑っているようなもの。爽快さもあるけれど、氷の厚さを知らずにいるのも心もとない。

だから、来年は、少し跳ね上がったことをしてみたい。行動範囲も広げてみたい。

そして、ブログの趣も、多少変えてみたいと思っている。

(明日、来年の年賀状を作成する)

2018年12月28日金曜日

イ・ソンヒの娘

普通でも娘と父の関わりはむつかしい。それぞれの家庭に歴史がある。イ・ソンヒには、ひとり娘のユン・ヤンウォン(父姓はユン)*がいる。この娘にとって、父との関係は、幼くして父の死との出会いであり、その後、母イ・ソンヒが再婚した義理父との関係など、複雑な境遇にある。実際、韓国で暮らす両親とは別に、アメリカで単独生活しているようだ。
また、イ・ソンヒの場合も、僧侶**の娘として生まれた結果、子ども時代にいじめにあい、苦しい立場を経験している。イ・ソンヒと娘ともどもに、父親との関係でいろいろ想起させられるものがある。

(*) ユン・ヤンウォン: 彼女の父はユン・ヒジュンで、かつてイ・ソンヒのマネジャーであり曲作り(作詞・作曲)をした。ユン・ヒジュンは、イ・ソンヒの最初の結婚相手だったが、6年後に離婚、事業に失敗との説があり、服毒自殺している。

(**) 僧侶: 韓国仏教の主流宗派は僧侶の妻帯(韓国では帯妻)を認めていない。戦後の韓国仏教の党派性の原点ともいえる。イ・ソンヒの父は、明治以後に日本の仏教の影響による妻帯を認めた宗派に属し、仏教音楽の「梵唄」を指導したといわれる。

(本ブログ関連:”スペック”、”イ・ソンヒの娘”、”妻帯僧”)

現在26歳のユン・ヤンウォンは、米コーネル大学卒業***後、同大でジャーナリズムを勉強中という。子の成長を見守る母が語るSBSのテレビ番組「憎たらしいうちの子ども(미운 우리 새끼)」で、イ・ソンヒは、現在26歳の娘について、大学で長く勉強を続けて欲しい、結婚が少し遅れてもよい、いろいろな経験をして欲しいなど述べているとのこと。番組中、娘との関係について様々ないきさつを縷縷語ったようだ。

(***) 米コーネル大学卒業: イ・ソンヒと娘を交えたコーネル大学卒業式でのFB掲載の写真がある。
https://www.facebook.com/leesunheePH/posts/congratulations-to-sun-hees-daughter-who-just-graduated-from-cornell-university/196766714379526/

(参考)韓国ブログ「イ・ソンヒ 娘ユン・ヤンウォン 公開」
イ・ソンヒと娘の関係についてテレビ番組で語った話題をもとに、さらに(多分、過去ニュースを渉猟して)時系列風に紹介しているようだ。
http://gabrialno.tistory.com/271

2018年12月27日木曜日

(資料)韓国Gallup: 2018年、今年 輝いた歌手と歌謡

今年も、韓国Gallupによる、恒例の韓国人気歌手と曲目について「2018年 今年 輝いた歌手と歌謡」の調査結果が以下の通り報告された。次表は、上位10位までが一覧されている。イ・ソンヒは、10位(支持率5.5%)のチョー・ヨンピルに次いで、11位(支持率5%)にランクされた。

毎年、アイドル(グループ)*は新陳代謝して、IUを除いて、ランクの入れ替わりが激しい。大衆歌謡(トロットなど)については、若手(홍진영)が進出したが、ベテラン勢は8位以下を占めた。

(* アイドルグループ: ライフサイクル(新規投入と陳腐化)の短命化が進んでいるようだ)



その他 Mamamoo, イ・ソンヒ(共に 5.0%), EXO(4.2%), BIGBANG, イム・チャンジョン(共に 4.0%), イ・ムンセ(3.5%), チソン(3.4%), キム・ゴンモ(3.2%), ユン・ジョンシン(3.0%), テジナ(2.8%) などが 20位圏に入った。.

■ 調査の概要
- 調査期間:(1次)2018年7月4〜22日、(2次)9月7〜27日、(3次) 11月7〜30日
- サンプリング:2段階成層コロニー地域無作為抽出-標本ポイント内(性/年齢別の割り当て)
- 応答方式:面接調査員のインタビュー
- 調査対象:全国(済州除く)のみ13〜59歳の男女4,200人/アイドルは満13〜29歳の1,501人
- 標本誤差:±1.5%ポイント(95%の信頼水準)/「アイドル」は±2.5%ポイント(95%の信頼水準)
- 回答率:26%(総接触16,192人のうち4,200人の応答完了)
- 依頼先:韓国ギャラップ独自の調査

2018年12月26日水曜日

イ・ソンヒのコンサート<Climax>の追加

久し振りに、イ・ソンヒについて触れてみよう。

本年6月に開始した、イ・ソンヒのコンサート<Climax>は、すでにブログに紹介した会場に加え、来年も全国ツアーが展開され、下記の通り赤字で示した会場が追加されている。ここ数年来、全国ツアーの開催地は増加傾向(10/2009 → 11/2011 → 13/2014 → 15/2016 → 現在15/2018)にある。この分だと、同一コンサート名の<Climax>で、(ツアー期間も拡大して)まるまる一年をあてることになる。更に追加の可能性もあるのではと推測する。

2018年
ソウル : 6/29~7/1  올림픽공원
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米国CA: 8/11  Pechanga Resort & Casino
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水原: 9/8~9/9  수원 실내체육관
大邸: 9/29  대구 엑스코(EXCO)
仁川: 10/20  인천 남동체육관
大田: 11/3~11/4  대전 무역전시관
高陽: 12/1  일산 킨텍스(KINTEX)
清州: 12/15~16  청주대 석우문화체육관
光州: 12/29  광주여대 유니버시아드 체육관
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2019年
蔚山: 1/12~13  울산동천체육관
釜山: 2/9  부산 벡스코(BEXCO)
安養: 2/23~24  안양실내체육관
天安 3/9~10  천안 유관순체육관
晋州: 4/6~7  진주실내체육관
原州: 4/27  원주 따뚜공연장

2018年12月25日火曜日

ロイターの「平成を象徴する出来事は」

平成に入ってさまざまな出来事があった。いくつか思い出すが、それがどんな順番だったのか、いつごろのことかなど漠然としている。記憶が曖昧なのか朧なのか。年末に、ニュースメディアの各社は一時代の「まとめ」記事を掲載することだろう。

現在、「ロイター 」はニュース記事の最後に、アンケート調査「ロイター オンライン調査 - 平成を象徴する出来事は」があって、平成元年から平成29年までの出来事を例示している。その中から、(ラジオボタンなので)一つだけ選ぶことになる。途中経過だが、「投票結果を見る」ことも可能だ。

私にすれば、何といっても、平成23年(2011年3月11日)の「東日本大震災」が平成の大事件といえる。合わせて、福島原子力発電所の事故も忘れられない。

(本ブログ関連:”東日本大震災 ”、”原発”)

また、世界史的に見れば、第2次世界大戦後の世界を支配した東西冷戦構造に終結をもたらした、平成3年(1991年)の「ソ連崩壊」だろう。米ソ冷戦による東西の壁という大きな矛盾は、実は小さくて重層的な矛盾を覆い隠していた。上位の矛盾を取り除くと、その下に更に無数の矛盾があふれ出し、収受が付かなくなる。今まで、ひとびとは、いずれの矛盾にも最適解を持ったためしはない。

来年から始まる新しい世界がどうなるのか、時代を決めるのは誰なのか。歴史は繰り返すとしかいいようがない。パッチを当てただけで、アップグレードとかバージョンアップしたというのだけは避けたいものだが・・・。

2018年12月24日月曜日

クリスマス・イブ 2018

今、寝入っている子どもたちの枕元に、サンタクロースがソリに乗ってやってきて、クリスマスプレゼントを置いていく。明日の朝、目覚めた子どもたちは、プレゼントを発見し歓喜する。

今夜の子どもたちは期待に胸を膨らませ、なかなか眠りにつけなかったけど、やがて静かな寝息を立てることだろう。サンタクロースには、その寝姿が愛おしくてたまらない。そして、明朝に目を丸くして驚く子どもたちのよろこぶ声を想像する。

ところで、深夜、Googleで「クリスマス」を検索したら、画面が一瞬プルプルと震えて静止した。すぐに検索結果が表示されたけれど、日本中のおとなたちが、クリスマスについて一斉に確認したのだろうか・・・多分。

昨日の「天皇誕生日」の祝日が日曜日だったため、今日が振替休日となり、クリスマス・イブに重なった。若いころ、クリスマス・イブの日の夕方、職場がなぜかそわそわしたものだ。独身者は、用事やあてがなくても定時にオフィスを退出した。

今日が休日だったので、助かった若い男女もいることだろう。明日はきっといいことがありますよ。

2018年12月23日日曜日

天皇誕生日(平成30年)

今日は、天皇陛下の85歳の誕生日であり、「平成」*最後の天皇誕生日となる。来年4月末に譲位されるからだ。宮内庁のサイトは、「これまでの天皇誕生日一般参賀の参賀者数(平成以降)」について、下表のように記している。
(*平成:「平成」は、1989年(平成元年)1月8日から現在にいたる間をさす )

参賀者数は、ここ3年の間に急増(平成28年 38,588人、平成29年 52,300人、平成30年 82,850人)している。

    年     参賀者数
平成元年 行われず
平成2年 行われず
平成3年 17,420人
平成4年 13,550人
平成5年 20,140人
平成6年 18,220人
平成7年 13,350人
平成8年 取り止め
平成9年 9,280人
平成10年 14,800人
平成11年 17,567人
平成12年 14,890人
平成13年 16,760人
平成14年 19,079人
平成15年 18,848人
平成16年 17,681人
平成17年 17,558人
平成18年 20,152人
平成19年 15,602人
平成20年 22,655人
平成21年 30,560人
平成22年 26,298人
平成23年 24,789人
平成24年 28,065人
平成25年 28,945人
平成26年 28,933人
平成27年 26,627人
平成28年 38,588人
平成29年 52,300人
平成30年 82,850人

(付記)
ちなみに、平成の巨大な自然災害として、平成7年(1995年1月17日)の「阪神・淡路大震災」、平成23年(2011年3月11日)の「東日本大震災」があげられる。このとき、天皇、皇后両陛下が、国民の精神的な大きな支柱となったことは忘れられない。

2018年12月22日土曜日

冬至 2018

今日は二十四節気の「冬至」で、後は「小寒」と「大寒」を残すのみ。日照時間が一番短い日とはいえ、一日中しとしと降りで薄暗く、気分もどんよりした。あっという間に日没して、気付けば辺りは真っ暗になっていた。

(本ブログ関連:”冬至 2009年2010年2011年2012年2013年2014年2015年2016年2017年”)

冬至は日照時間が一番短いとはいえ、「日の出」が一番遅く、「日の入り」が一番早いわけじゃない。Weathernewsの今日の記事(12/22)によれば、「この冬、東京で日の出が一番遅いのは年が明けた1月7日(6時50分40秒)、日の入りが一番早いのは12月6日(16時27分53秒)です」とのこと。その理由は、「地軸の傾き」や「公転軌道が真円形でない」ためだそうだが、ややこしい。
  ・一番遅い「日の出」(1/7 06:50:40)
  ・冬至の「日の出」(12/22 06:46:29)
  ・冬至の「日の入り」(12/22 16:32:08)
  ・一番早い「日の入り」(12/6 16:27:53)

最近、日の入りの速さに慣れてきて、暗くなるのに驚かない。午後5時を境に日の入りの速さをとらえていたつもりだったが、遡って見れば、午後5時ちょうどに日の入りしたのは、10月20日のことだった。その頃、日没の速さを深く感じていたわけではなかった・・・。

変化を楽しんでいるうちに、後戻りできないことに気付き憂鬱になる。こんなことを毎年毎年繰り返している。歴史も案外そんなものかもしれない。

2018年12月21日金曜日

2019年賀状デザイン

来年(2019年)の年賀状デザインを考えてみた。

(本ブログ関連:”年賀状”)

年賀状のデザインといっても、「ゆうびん.jp」が提供の「はがきデザインキット」から、「亥年」を表す「イノシシ」の子ども(ウリボウ)を素材にして作成しただけだが。

今回は、モノクロ印刷にする。図柄の「ウリボウ」が可愛らしくて、モノクロでも十分年賀状らしさがあると思う。そして、例年のごとく、印刷は歳の暮れの多分30日ころになるだろう。その時期になるまで気が乗らないのだ。

ところで「ウリボウ」の名は、体に水平にある模様が、植物の「ウリ」(シマウリ、マクワウリ)に似ているからといわれる。ウリ自体丸っこい形をしているので、合わせてイメージしやすい。また「~ボウ」は、「赤ん坊」などに使われる「縮小詞/指小辞」にあたるだろう。新年はできるだけ若々しい方がよいのだから。

2018年12月20日木曜日

Yiddish語 2018秋-12

先々週末、胃腸を痛めて以来、ずっと「うどん」しか食っていない。歳をとると回復が遅れるようだ。テレビで食レポ番組を見ても食欲が湧かない。不思議なことに、うどんの食感が気に入ったみたい・・・今の体調に合っているのかもしれない。

暖かな昼の陽射しを受けて、今年最後のイディッシュ語教室へ出かけた。

(本ブログ関連:”Yiddish語 2018秋”)

今日の授業は次のよう解説された。
・ 数詞(基数、順序数)のうち、順序数についての練習
    - [ (性別)名詞] ← [(ער/ע-)順序数] ← [(性別)冠詞]
    - 順序数を使った文章の完成
・強調としての「יאָ」の使い方
・クリスマスソング「Winter Wonderland」(作曲フェリックス・バーナード*、作詞リチャード B.スミス)のイディッシュ語訳の紹介。(*フェリックス・バーナードはユダヤ人である)

(先々週に宿題に出された「クリスマス・ソングを書いたユダヤ人」について調べたものを回答した)

2018年12月19日水曜日

日本における動力機初飛行の日

今日は、日本で原動機付き飛行機による初飛行の日とされている。以下、Wikipediaの記述をもとに記す。この記念日について残念なことだが、ネット(Google)ニュースで話題にすらなっていない。先日(12/14)の「南極の日」でブログに語ったことと同様、明治のことといえ達成者が軍人であったことからか、その業績を知らせ顕彰するのを封じる気配がする。

(本ブログ関連:”飛行機”、”南極の日”)

今から108年前の今日、明治43年(1910年)12月19日に、代々木錬兵場(現「代々木公園」)にて、徳川好敏大尉がフランス製「ファルマンⅢ 複葉機(Farman III)」に、日野熊蔵大尉がドイツ製「グラーデ単葉機( Grade II Libelle)」に順に搭乗して、日本初の動力飛行(エンジン付航空機による飛行)に成功した。

(次の写真はWikipediaに掲載されている)
ファルマンⅢ 複葉機
グラーデ単葉機












実は、公式初飛行の数日前(同年12月14日)に、同じ飛行場で日野大尉が滑走試験中、一瞬浮上したが公式に認められず、19日をもって「公式初飛行」とされた。そのときの飛行順に従って、徳川大尉の名が初飛行操縦者として記憶にある。

(追記)
大戦後、米軍接収の後に返還された「ファルマンⅢ 複葉機」は、いくつかの変遷を重ねて、現在、入間基地内の「航空歴史資料館 修武台記念館」に展示されているという。その様子がYoutubeに「アンリ・ファルマン・・日本で最初に飛んだ飛行機」として登録されている(登録者tetsuaki muraokaに感謝)。

ところで、作曲家坂井貴祐による「アンリ・ファルマンの飛行」(演奏:古河市立三和北中学校吹奏楽部)がYoutubeにある。複葉ファルマン機が軽々と離陸、上昇して、上空で旋回を楽しんでいる飛翔感がある。全身に風を受けた操縦士が、地上を見下ろす爽快感、機体と一体化して独り浮揚できるなんて何と最高なことだろう。


(Youtubeに登録のSAKAI,Takamasaに感謝)

2018年12月18日火曜日

「三十四丁目の奇蹟」

クリスマスにはいろいろな物語がある。ただし、残念ながら日本の家庭を舞台にした名作は知らない。そもそも宗教的な土台が違うのだから。(以前、ブログに触れたことだが)昔の日本のクリスマスは、酔っ払いサラリーマンのグダグダな天国だった。結局、家庭内イベントに落ち着いたが、大方の外来ブームは、そういった形に収斂するのだろう。

(本ブログ関連:”クリスマス”)

サンタクロースはいるの?、キリスト教徒の子どもにとっても大切な疑問のようだ。少女の素朴な疑問に、新聞社の編集者が応えるといった、子どもを中心にした、いかにもアメリカ人好みの話もある。

以前、版権切れしたアメリカ映画がDVDになり大量に廉価販売された。クリスマス時期にDVD版の「三十四丁目の奇蹟」(1947年)を購入したが見当たらない。誰かに勧めてそのままになってしまったみたいだ。これも子どもが物語を回す。

町山智浩の映画塾!」で、この映画を<予習編><復習編>の2回に分けて紹介したYoutube映像がある。物語の時代背景について、特に<復習編>では、アメリカの世相(戦後のベビーブーム、移民と宗教など)や政治状況にまで八面六臂の解説をされた。(この評論家は米国在住とのこと、ときどき日本に来て仕事する遠距離恋愛的な純化精神の持主のようだ)

物語を引っ張る少女スーザン役は、後に映画「ウェストサイド物語」(1961年)で主人公マリア役を演じた「ナタリー・ウッド」だった。彼女が「三十四丁目の奇蹟」に登場していたとは、解説されるまで気付かなかった。(昔、ナタリー・ウッドのファンがいて、いろいろな話[謎の最期など]を聞かされた)

<予習編>で物語の展開を知り、<復習編>で時代解説を聞かせてもらった。

<予習編:2013/11/05公開>


<復習編:2013/11/11公開>

(Youtubeに登録のWOWOWofficialに感謝)

2018年12月17日月曜日

雪の降る町を

冬になると定番の歌がある。ラジオとテレビが同居していた時代、「雪の降る町を」(作詞:内村直也、作曲:中田喜直、1952年)がそれだ。シャンソン歌手「高英男」(1918年~2009年)によってヒットしたことになっているが、記憶にあるのは、男性コーラスグループ「ダークダックス」によるものの印象が強い。歌声喫茶はなやかなりし頃のこと。その雰囲気は、学校の教室に教師が音頭をとってゆき渡った。

そんな時代、下町のイメージで売り出した俳優であり歌手の「倍賞千恵子」が歌うと、包み込むような暖かさを感じた。人と親和する彼女の庶民性は、ある意味、近所のお姉さんスターでもあり、それゆえ歌うにふさわしかった。それに目をつけた映画監督によって、「さくら」という不動の妹役を演じた。

(本ブログ関連:”倍賞千恵子”)

とはいえ、この歌にも時代の雰囲気がある。何かを越える意志を秘めた語りから、ありがちな同調を求める感がした。教室で配られた、小さな歌集(歌詞帳)に収まった一連の歌を思い出さずにいられない。


(Youtubeに登録のわびさびすさびに感謝)

2018年12月16日日曜日

今日は寒かった

ぐずぐずな体調を口実に出不精したら、昼ごろ小雨が降った。あっという間の出来事。屋外で観察するまでないが、「天気雨(キツネの嫁入り)」ほどのこと。

午後に近所の用で家を出て見れば、通りが黒く濡れていた。陽射しは明るいのに、一歩進めば刺すように寒い。防寒してよかったと思うほど。

今月(12月)に入って、東京都心の最高気温は4日の23.4℃(これは多分このままだろう)。最低気温は11日の1.4℃だったが、今日、日の出前までに最低気温が0.4℃だったそうなので今月一番の寒さだろう。降雪地帯に比べるまでもないが。

そんなわけで、顔を出しては直ぐに引っ込める。寒さにゃかなわない。こんなとき野良猫たちは一体どうしてんだろうね。

2018年12月15日土曜日

ママがサンタにキッスした

空想と現実が未分化なまま、物語を紡ぐことができる子ども時代は素晴らしい。(それが中二の思春期には、生半可に現実を理解して拘泥するようになる)

子どもはクリスマスが待ち遠しい。クリスマスに、サンタクロースがプレゼントを運んできてくれるからだ。朝、目覚めたとき、枕元にプレゼントを発見して、空想が現実とつながっていることを確認する。自分の世界にとどまれる大きな安心なのだ。

だから、いかにたずねられても、大人はサンタクロースが存在することを語らねばならない。そして子どもはクリスマスに見たことを、いつまでも夢に残せばよい。いずれ体験した空想の世界を忘れることになるのだから。

愛らしくもありがちな、子どもらしい世界をそっと覗いた、The Jackson 5(メインに子ども時代のマイケル・ジャクソン)が歌う「ママがサンタにキッスした(I saw Mommy kissing Santa Claus)」を聴いてみよう。旋律がとてもやさしい。

(本ブログ関連:”ママがサンタにキッス(を)した”)


(Youtubeに登録のobdianeに感謝)

2018年12月14日金曜日

南極の日

今日(12/14)のラジオが「南極の日」と語った。知っていたわけじゃなかったので、そういうものかと思った。記念日の理由をWikipediaで調べた。< 1911年12月14日に、ノルウェーの探検家「アムンセン」が初めて南極点に到達したことによる > そうだ。子どものころ、アムンセンを一般に「アムンゼン」と呼んでいた気がするけど、北欧(語)なのでアムンセンが正しいのだろう。

ところで、「南極の日」は、もう一つ別の記念日がある。日本気象協会のtenki.jpの記事「1月29日は『南極の日』。南極では風邪にはかからないその理由」(2018年01月28日)に、< 昭和基地開設記念日 > とある。
昭和基地といえば、観測船(砕氷船)の「宗谷」が忘れられない。同船が氷に挟まって動きが取れなくなったとき、ソ連の「オビ」号が救出に向かったこと、基地撤退後も生き残った樺太犬のタロとジロのことも思いで深い。

「南極の日」が二つあることについて、南極を外の目で見るか、内の目で見るかによっての違いだろう。ただ、どちらも冬の寒い時期にあるのでイメージしやすい。

子どものころ、少年雑誌の南極探検の記事で、白瀬中尉と呼ばれた「白瀬矗(しらせ のぶ)」(1861年~1946年)について知った。今はなぜか歴史に埋もれているようだ。彼が(主として明治時代に活動したにもかかわらず)軍人であったことからか、その業績を知らせ顕彰するのを封じる気配がする。

2018年12月13日木曜日

Yiddish語 2018秋-11

かげった体調にようやく明かりが射してきた。この坂、越すに越されぬ難儀坂だ。

気合を入れて体を動かし、勢いづけて、イディッシュ語教室へと向かった。

今日も理解を共有できるよう、読み・書き・読解に工夫を重ねて指導いただいた。
・ダイアログ: ベジタリアンの若者と、善意のおじさん・おばさんとの丁々発止。
・ミュージカル: 舞台映像を一部参照しながら、貴重な台本を紹介いただいた。
・案内: 12月24日(月)午前0時~、NHK BS「プレミアムシアター」でユダヤ文化関連の音楽が紹介される。
     ◇ ドキュメンタリー
        「クリスマス・ソング 知られざる物語」(2017年 カナダ)(1:57:00~2:49:30)
     ◇ 映画音楽の巨匠 ジョン・ウィリアムズ
         名曲コンサート(2:50:30~4:25:00)

(本ブログ関連:”Yiddish語 2018秋”)

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(付記)
クリスマス・ソングを書いたユダヤ人

ユダヤ教徒と異教徒間のカップル(結婚)や家族を支援するアメリカの全国組織「InterfaithFamily」のサイトに、「クリスマス・ソングを書いたユダヤ人」(Nate Bloom、2006年12月)という記事が掲載されている。

記事タイトルに、キリスト教徒でないユダヤ人が一体なぜクリスマス・ソングを作ったのかと疑問が浮かぶだろう。米国でラジオ放送されたクリスマス曲から、「アメリカ作曲家協会(ASCAP)」が選曲した上位25曲中、12曲にユダヤ人が関連しているというのだ。(当初2006年の記事ながら、その後更新され、2008年現在のデータで紹介されている)

第1位曲は、「Winter Wonderland」(作曲: Felix Bernard, 作詞:Richard B. Smith)である。InterfaithFamilyに掲載の記事によれば、作曲者Felix Bernard(Bernhardt)(1897年〜1944年)の父親はドイツ出身、母親はロシア出身であり、彼らの母語はイディッシュ語だったと記している。記事が更新される中で、一般のコメント(情報)にも目を通し、Felix Bernardがユダヤ人であることを確信したようだ。
ちなみに、「Bernardは、ロサンゼルスの非宗教墓地に埋葬されている」とのこと。

(その他の人気曲についても、ユダヤ関係者を探している。例えば、誰もが知る「White Christmas」の作詞・作曲者である、Irving Berlinにしてもそうだ)

ところで、アメリカの映画産業がなぜ西海岸(ハリウッド)なのかという話題がある。この産業を作り上げたのはユダヤ人だったが、映画技術の特許権をおさえたエジソンに牛耳られ、それがいやさにハリウッドへ逃げたといわれる。確かに電送技術でも、ニコラ・テスラとの交流・直流の争いで、エジソンの独占欲をうかがい知ることができる。

それじゃ、ニューヨークのブロードウェイにショービジネスが今も残っているが、そこで活躍するユダヤ系と、映画産業のユダヤ系との間にどんな違いがあるのだろうか。アメリカで生まれた者と移民の者・・・といった微妙で大きな違いか。部外者にはこころ及ばぬものがあるのかもしれない。

ヨーロッパで音楽に従事したユダヤ人が、米国の東岸にたどり着く。そこには先着のユダヤ人がいる。あらためて新天地を求めて西海岸へ移る。なんだか、そんな流れを想像してしまう。

(参考)
・ブログ「Love world neighbors(the rule of law )」に掲載の「クリスマスソングとユダヤ人」に、< ユダヤ人作曲のクリスマスソング > のリスト(出典不明)がある。

・The Starsの記事「Why many classic Christmas songs were written by Jewish composers」(Rob Kapilow、2017年11月30日)は、ユダヤ人の同化(移民の子がアメリカ社会へ参加する)という歴史的な過程の観点で、作曲家たちを列伝風に紹介している。

2018年12月12日水曜日

(資料)幻のニホンオオカミを追いつづける男

体調にいまひとつ自信なく、寒い外に出る気力もない。家にこもって養生する。そんなとき、いろいろな想いで遊ぶ。いっそ桃源郷へと、仙界 → 山怪 →(眷属)キツネ → オオカミなどへ。そして、オオカミからニホンオオカミへと広がる。

(本ブログ関連:”オオカミ”)

先日(11/29)のブログに付記した、「ニホンオオカミは消えたか?」(宗像充著)の書を視覚的に補強してくれる映像がYoutubeにあった。1999年のドキュメンタリー「幻のニホンオオカミを追いつづける男」(制作TOPPAN)だ。2012年のNHKドキュメンタリー「見狼記」へと連なるようだ(こちらはYoutubeで詳しく見ることができないのが残念)。

「幻のニホンオオカミを追いつづける男」は、ニホンオオカミの存在を信じて、秩父山地でひたむきにフィールド調査を続けるアマチュア研究家、八木博氏を縦軸に関係者から様々な情報が紹介される。上掲書を思い出してはうなずくばかり。

八木氏の情熱は、見る人に強烈なインパクトを与えるかもしれない。ニホンオオカミ「固有種」への思いは強く、まるで松本清張の人物伝に出てきそうな執念さえ感じるほど。それゆえ、動物分類学の研究者に、徹底した実証振りが高く評価される。・・・遠の昔にあっさりと捨て去った妥協しない信念を、振り返ることにもなる。

八木氏は、1996年に秩父山中で、ニホンオオカミらしき動物の写真撮影に成功している。次の「幻のニホンオオカミを追いつづける男」は、その3年後の1999年に制作されたドキュメンタリーということになる。

(幻のニホンオオカミを追いつづける男)

(Youtubeに登録のYouyakei Gekijoに感謝)

(付記)
ニホンオオカミの外見は、タイリクオオカミと違ってどこかヒョロリ感がする。がっちりしたオオカミのイメージがないのだ。とはいえ、理由があって、緯度の高い寒冷地域と、緯度の低い熱い地域に棲息する「恒温動物においては、同じ種でも寒冷な地域に生息するものほど体重が大きく、近縁な種間では大型の種ほど寒冷な地域に生息する」という「ベルクマンの法則」があるとのこと。なるほどクマも人間もしかりだ。

2018年12月11日火曜日

(雑談)冬の夜寒さ深まる

気付けば深夜24時直前。今日(12/11)のタイムスタンプを獲るため、まずは登録する。

体調に回復のきざしが見えたものの、こんな日は家にこもって養生するしかない。夜に入り小雨が降り始めたが、雪になるほどではない。夜中に風が吹き強まる。冬の夜は、しんしんと寒さが深まる。これで本当の冬になった。

こんなときだから、一昨日(12/9)のブログ、「シェヌ・デ・ピュイ火山群」に触れた「大室山」の俯瞰映像をYoutubeで見てみよう。柔らかな光と、緑に包まれた美しい山肌が可愛らしい。私が訪れたときは、それと反対の冬、強風にロープウェイの座席がブルンブルンと揺れていた。

(本ブログ関連:”大室山”)


(Youtubeに登録のTokyoStreetView - Japan The Beautifulに感謝)